GINAと共に

第158回(2019年8月) 麻薬依存を矯正する2つのタイの施設

 私が初めてタイのエイズ問題に関わった2002年と比較すると、2019年現在の状況には隔世の感があります。治療薬がほとんど誰にでも使えるようになったことに加え、「死なない病気」「空気感染しない病気」ということが世間に認知されたことが大きく、医療者の間でも正確な知識が浸透し、「病院での門前払い」はほぼ皆無となりました。

 本格的にボランティアをおこなった2004年以降も私はほぼ毎年タイに渡航し現地の状況を調査しています。2010年頃から「HIV陽性という理由で医療機関に拒否された」という話はほぼなくなっています。誰にでもカムアウトできる地域というのは今もそう多くはなく、感染を隠して生きている人が多いのは事実ですが、病院で拒否されないという点においてはタイの方が日本よりも遥かに進んでいます。というより、日本の現状がひどすぎるわけですが......。

 ひとつ、最近あった例を紹介しておきましょう。私が院長を務める太融寺町谷口医院で診ているHIV陽性の患者さんのことです。歯科医院受診が必要になったために紹介しようといくつかの歯科医院に電話をしてみました。ほとんどに断られ(これ自体がもちろん問題ですが)、ある歯科医院では「HIVは診ません! うちは妊娠している歯科衛生士がいるんです!」と強い剣幕でこちらが怒られてしまいました。歯科衛生士が妊娠しているから患者を診られない??、いったいこの歯科医院は何を考えているのでしょうか。

 話を戻します。GINAは、一時は支援先をタイから他国にうつすことも検討しましたが、現在の考えとしては「やはりタイを中心に」です。たしかに治療がおこなわれるようになり母子感染がほぼ皆無となり、タイのエイズ関連のNGOなどはどんどん減っています。しかし、タイで新たに感染する者は今も6千人以上いますし、今も50万人近くのHIV陽性者が生活しており、毎年2万人近くが死亡しています(参考:Global information and education on HIV and AIDS)。そして、医療機関での差別はほぼなくなったとはいえ、依然困窮している感染者が少なくないのは事実です。

 その「困窮している感染者」のなかで最も深刻な問題は「薬物依存症」、なかでも「麻薬依存症」です。

 このサイトで何度も指摘しているように、タイではタクシン政権の頃は強固な政策で「薬物大国」の汚名を返上しましたが、政権交代以降は再び薬物が簡単に入手できる国となっています。現在はいわゆる軍事政権ですから薬物には厳しいイメージをもちたくなりますが実際はそうではありません。大麻はもちろん、覚醒剤(アンフェタミン/メタンフェタミン)も入手は簡単です。なにしろ、2016年6月には法務大臣が「覚醒剤の依存性はアルコールやタバコよりも低いから合法にすべき」と発言するくらいですから敷居がものすごく低いのです(参照:GINAと共に第126回(2016年12月)「これからの「大麻」の話をしよう~その2~」の注3)。ただし、タイ在住の薬物に詳しい日本人によると「それでも覚醒剤は日本の方が簡単に手に入る」そうです。

 (大麻はともかく)覚醒剤については「絶対に初めから手を出してはいけない」というのが私の考えですが、実際には覚醒剤とうまく"付き合っている"人もいます。一方、私は「麻薬とうまく付き合っている人」をほとんど見たことがありません(医療用麻薬を除く)。これは昔から指摘されていることですが、麻薬こそが最も依存症から抜け出しにくい違法薬物です。

 では、いったん麻薬依存症になると死を待つしかないのでしょうか。今回はタイにある2つの麻薬矯正施設を紹介します。

 ひとつはメサドン療法を実施しているクリニックです。メサドン療法とは、違法の麻薬を止めてもらう代わりに、メサドンと呼ばれる合法の麻薬を使用してもらい、そして、メサドンの使用量を少しずつ減らしていくという方法です。タイ全国に、メサドン療法専門のクリニックがあります。では、メサドン療法とはそんなに効果が高いものなのでしょうか。有効と主張する意見は多いものの、長期的に成功率を検討した研究は見当たりません。ただし、HIV陽性者の麻薬常用者がメサドン療法を実施すると抗HIV薬をきちんと内服しやすいという研究はあります。

 メサドン療法で麻薬を断ち切れる成功率はどれくらいなのでしょう。データがないなら麻薬使用者をよく知っている人に尋ねるのがいい方法です。このサイトでも紹介している「バーン・サイターン」の代表者である早川文野さんに尋ねてみました。早川氏によると、メサドン療法の成功率はそれほど高くないようです。過去約20年にわたり大勢の薬物依存症の者と関わってきた早川氏の言葉ですから、やはりメサドン療法でも麻薬依存は簡単には治らないと考えるべきでしょう。メサドン療法を実施しているクリニックの医師にも話を聞いてみたいところですが、残念ながらこれはまだ実現化していません。

 今回紹介したいもうひとつの施設は「ワット・タムクラボーク(Wat Thamkrabok)」(「ク」は日本語にない音で実際には「グ」に近い。ここからは「タムクラボ-ク寺」とします)という寺です。メサドン療法を実施しているクリニックはタイ全国に多数ありますが、麻薬を断ち切る"治療"をしている寺はここだけです。

 タムクラボーク寺はタイ中部のサラブリ県にありバンコクから車で2時間程度です。元々はタイ全国の僧侶の修行の場であったそうですが、1970年代から麻薬依存症患者を受け入れるようになり、現在はタイ全国、さらに一部は海外から麻薬を断ちたい人が集まってきています。依存症患者を受け入れた僧侶(Parnchand氏)の功績が評価され、フィリピンのマグサイサイ賞を1975年に受賞しています。マグサイサイ賞をwikipediaで調べてみると日本語版には記載がありませんでしたが、英語版にはPhra Parnchandと記載されています(「Phra」は僧侶という意味です)。

 医療者でない僧侶がどのような"治療"をしているのかというと、まず麻薬を断ち切りたいという人を入所させ集団生活を送ってもらいます。宿舎は一部屋を複数人で使用しトイレは共用、エアコンもない過酷な環境です。毎日規定の時間になると(その時間は毎日替わるそうです)"治療"がおこなわれます。その治療とは薬草からつくった「薬液」(注)を飲み、さらに大量の水を飲んでそれを一気に吐くという方法です。これで「不要な物」を体外に排出し、その結果、麻薬が断ち切れるという考えだそうです。見学した人の話によれば、"患者"に一生懸命吐いてもらおうと、ボランティアなど周りの人間が笛や太鼓を駆使し、大量に嘔吐すれば歓声が沸き上がるそうです。勢いよく吐いているその姿はマーライオンを彷彿させるとか。

 私が訪問したときにはちょうどその"治療"が終わった直後で、残念ながらその光景を見学することはできませんでした。しかし、制服のような赤い衣類に身をまとった"患者"たちが寺の中を集団でジョギングしていました。複数の巨大な仏像の近くを走り抜けていく彼らの顔はキラキラと輝いており、写真を撮らせてもらおうと思っていた私の気持ちがなぜか消えていきました。

 さて、果たしてこの"治療"は有効なのでしょうか。データがないので、いろんな人の話を聞くしかありません。残念ながら厳しい"治療"に耐え切れず途中で断念する人もいるそうです。しかし一方で麻薬と断ち切ることに成功した人も少なくないと聞きます。もちろん麻薬依存はそんなに簡単に治りませんから、いったん断ち切れても再び手を出してしまう人もいます。

 それから、理由はよく分からなかったのですが、タムクラボ-ク寺のルールは「入所は1回限り」だそうです。生涯最後の"治療"に望みをかけて入所しなければならないというわけです。また、対象となるのは麻薬だけではなく、覚醒剤でもアルコールでも、あるいは過食症でも受け入れてくれるようです。入所の日数の規定は、一応は15日ですが融通が利くようです。日本人も受け入れてくれるそうなので、何らかの依存症で悩んでいる人は検討してみてはどうでしょうか。

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注:この「薬液」をつくっている僧侶に話しかけ、私も少しわけてもらって飲んでみました。まず勧められたのが麻薬依存症の"治療"に使うものではなく健康ドリンクとして飲めるもので、こちらは青汁のようにきれいな色をしており、美味しいとはいえないもののなんとなく身体によさそうな感じでした。一方、"治療"に用いるものは見た目が泥水のようで、いかにも不味そうです。しかし、少量なら健康にいいとのこと。恐る恐る飲んでみると、酸味が効いていて飲めない味ではありません。私はこの酸味は発酵によるものかと感じたのですが、僧侶に聞いてみるとマナオ(タイのライム)によるとのこと。こんなもので吐けるのかなぁ......とそのときは感じていたのですが、悲劇が訪れたのはその半時間後。バンコクに戻る車のなかで嘔気を催した私は、ガソリンスタンドにとめてもらい身体をひきずるようにトイレに直行。およそ20年ぶりに嘔吐しました。しかし、その後は少し苦しかったものの、しばらくすると身体が爽快に。プラセボ効果かもしれませんが、私の体内から"毒素"が抜けてデトックスできたような気分になりました。

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第157回(2019年7月) 台湾の同性婚合法化で日本も変わるか

 2019年5月17日、台湾では同性婚を認める特別法「司法院釈字第748号解釈施行法」が可決され正式に同性婚が合法化されました。もっとも、2017年5月には、台湾の司法最高機関に相当する司法院大法官会議が「同性同士での結婚を認めない民法は憲法に反する」という判断を下していました。この判決を受け、台湾政府は2年以内に(つまり2019年5月までに)同姓婚を認めるよう民法を改正するか、新法をつくらなければならいことが決まっていましたから「同性婚合法化」はすでに2017年5月の時点で決まっていたのです。

 ですが、実際にはこの2年間でかなり雲行きが怪しくなっていました。今回は、台湾の同性婚の問題点を指摘し、さらに日本の状況にも目を向けたいのですが、その前にいろいろとあった台湾の過去2年間を振り返ってみましょう。

 2016年5月20日、中華民国総統に民進党(民主進歩党)の蔡英文氏が就任しました。台湾初の女性総裁ということもあってなのか、就任当初は国民から絶大な人気を誇っており、上述の司法院による2017年5月の同性婚合法の判断がおこなわれたときも高い支持率を維持していました。もちろん蔡英文及び与党の民進党は「同性婚支持」です。ですから、当時は2年以内どころかすぐにでも同性婚が正式に合法化するとみられていました。

 ところが、政情が不安定化していき中国との関係などから民進党の勢いが弱くなっていきます。さらに、民進党の内部からも蔡英文の政策を疑問視する声が上がりだし、蔡英文の求心力が低下していきました。そして、同性婚の審議は先送りされることになりました。

 2018年11月24日、同性婚に関する国民投票がおこなわれ、同性婚反対者が賛成者を大きく上回りました。さらに、同日におこなわれた地方選挙で民進党が大きく議席を減らし、蔡英文は民進党の党首を辞任しました。BBCは「国民投票で国民は同性婚を拒否(Taiwan voters reject same-sex marriage in referendums」と報道し、いったん決まった同性婚合法化がなくなる可能性を同性婚支持者が懸念していることを伝えました。
 
 ただ、国民投票で否決されても司法院の判断が覆されるわけではありません。国民投票で否決されれば民法改正は困難になりますが、新しい法律をつくるという方法が残っています。そして、冒頭で述べたように司法院が定めた期限ギリギリの2019年5月、「司法院釈字第748号解釈施行法」が制定され同性婚が正式に認められることになったのです。

 正式に合法化されたとはいえ、国民投票では反対派が過半数を占めているわけですから問題はないわけではありません。これについては後述するとして、ここで日本の最近の情勢をみてみましょう。

 過去のコラム(「GINAと共に」第141回(2018年3月)「美しき同性愛~その2~」)で、日本では「パートナーシップ宣誓制度」という同性愛者に様々な権利を認める条例が、2015年4月の東京都渋谷区を皮切りに全国で広がってきているという話をしました。そのコラムを書いた2018年3月の時点では、渋谷区、東京都世田谷区、三重県伊賀市、兵庫県宝塚市、沖縄県那覇市、北海道札幌市、福岡市(正確には福岡市は2018年4月から)の合計7つの自治体がこの制度をすでに導入しており、さらに近日中に大阪市が導入を決めていることに触れ、「保守的な大阪でこの制度が採択されるのは画期的である」と述べました。

 そして、その後は次々に「パートナーシップ宣誓制度」を導入する自治体が増えてきています。2019年7月1日には、茨城県が都道府県としては初めて導入しました。自治体全体では全国で24例目となります(注1)。

 戦勝国に押し付けられた憲法が改正されないまま70年以上がたつ日本は、"保守的な"国であり法律を変えるのは簡単ではないと言われています(現在保守政党が憲法改正を主張していますが、現状を変えることを好まない国民性は「保守的」です)。たしかに、(台湾と同様)民法を変更するのは簡単ではありませんが、それにしてもパートナーシップ制度がこれほど広がってきていることを考えると、行政はそれほど保守的というわけではなく、市民の幸福のために動いてくれているのかもしれません。

 では当事者の人たち、つまり同性婚を希望している人たちの動きはどうなのでしょうか。これについては渋谷区がデータを公表しています。2017年11月1日の時点でのパートナーシップ証明の交付状況です。この時点でパートナーシップ宣誓制度を有していた6つの自治体(渋谷区、世田谷区、伊賀市、宝塚市、那覇市、札幌市)が証明を交付したのは133組(266人)です。申請したけれども認められなかった例がどれくらいあるのかは不明ですが、申請の基準はかなり緩やかであり、例えば国際結婚の時のように「〇年以上交際していることを示しなさい」とか「二人でうつっている写真を〇枚以上持参しなさい」などといったルールはありません。ですから、よほどのことがない限り許可されないということはなく、申請すればほとんどが証明を交付されるものと思われます。

 さて、この133組という数字をどのように解釈すればいいのでしょう。私の見解は「少なすぎる」です。冒頭で紹介した台湾では同性婚の届出受付が開始された初日に526組が"結婚"しています。台湾は完全な同性婚、日本はパートナーシップという違いはありますが、初日に届出をした日本のカップルの数字を報道からみてみると、渋谷区1組、世田谷区7組 大阪市3組、茨城県2組です。台湾の人口が約2350万人、大阪市が約270万人ですから、台湾と同様に届出をする人がいたとすれば、大阪市でも単純計算で60組が届出をしてもおかしくないわけです。

 届け出をするかしないかは当事者が決めることであり、私が「少なすぎる」と言うのは「余計なお世話」ではあるのですが、私が懸念するのは、本当は届出したいけれど(たとえばカムアウトに抵抗があり)できない、という人が日本ではかなり大勢いるのではないか、ということです。であるならば、制度ではなく人々の考え方を先に変えていき差別や偏見を取り除く努力が重要、ということになります。台湾でもカムアウトできない人は少なくないでしょうが、日本よりは遥かにリベラルな社会になっているのではないかと私は考えています。今回の合法化で、台北の総統府前広場では「同婚宴」が開催され、2000人以上が祝杯を挙げ、その模様をBBCが「台湾で同性婚合法化、議会が承認(Taiwan gay marriage: Parliament legalises sa)me-sex unions」という記事で報じています。大勢の同性カップルが涙を流して抱き合っている写真やビデオは感動的です。

 ここで台湾の同性婚制度の「問題点」を考えてみましょう。まず、民法が改正されたわけではなく、この新しい法律が(例えば政権が変わって)なくなる可能性はないか、という問題があります。実際、それを懸念して次回の選挙までに「婚姻届けを出さねば」と考えている人も多いと聞きます。

 次に問題なのは「子供」です。新しい法律では、子供が養子として認められるのは、その子供が「夫婦」のどちらかの一方との血縁関係がある場合のみとされました。つまり一般的な養子縁組はできないのです。女性のカップルの場合、精子の提供を受けて子供を授かるという方法がありますが、男性カップルが子供を持つには代理母出産などに頼らざるをえません。

 さらに、外国人と結婚するにはその外国人の国が同性婚を合法化していなければならない、という規定が盛り込まれています。現在世界では30近くの国と地域が同性婚を合法化していますが、アジアでは皆無です。私が院長をつとめる太融寺町谷口医院では最近なぜか日本人と台湾人の同性カップルが増えてきています。そのカップルたちは「日本では同性婚が認められていない」という理由で、台湾に移住したとしても結婚できないわけです。

 それから、これは「問題」ではありませんが、台湾で初日に結婚した526組の内訳をみると女性が341組、男性が185組で、65%が女性というのが興味深いと言えます。セクシャルマイノリティ全体でみると、男性同性愛者の方が女性同性愛者よりも多いと言われていますからこの数字は意外です。

 ところで、私が初めて台湾人と仲良くなったのは医学部入学前の会社員時代で、その会社が台湾と取引があったことから何人かの台湾人と知り合いました。台湾に渡航したことは数えるほどしかありませんが、タイやそれ以外の国で何人かの台湾人と出会ったことがあります。私が接してきた台湾人の日本に対するイメージは大変良く、「日本に憧れている」と何度も言われました。一方、現在の台湾は同性婚が合法化され、日本のパートナーシップ制度よりも圧倒的に多い人数が"結婚"しています。交際相手が日本人の同性であればその結婚ができません。

 すでに、日本人が「台湾に憧れる」時代になっているかもしれません。

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注1:2019年7月25日時点で、「パートナーシップ宣誓制度」を条例で実施している自治体は下記の24(条例が制定された日時順)となります。
東京都渋谷区、東京都世田谷区、三重県伊賀市、兵庫県宝塚市、沖縄県那覇市、北海道札幌市、福岡県福岡市、大阪府大阪市、東京都中野区、群馬県大泉町、千葉県千葉市、東京都江戸川区、東京都豊島区、東京都府中市、神奈川県横須賀市、神奈川県小田原市、大阪府堺市、大阪府枚方市、岡山県総社市、熊本県熊本市、栃木県鹿沼市、宮崎県宮崎市、福岡県北九州市、茨城県

参考:
第141回(2018年3月)「美しき同性愛~その2~」
第109回(2015年7月)「日本のおじさんが同性愛者を嫌う理由」
第93回(2014年3月)「同性愛者という理由で終身刑」
第86回(2013年8月)「なぜ日本では同性婚の議論が起こらないのか」

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第156回(2019年6月) なぜかくも馬鹿げた裁判がおこなわれたのか

 この"事件"がまさか本当に裁判になるなどとは微塵も考えていませんでした。

 まずは事件の概要をまとめてみましょう。

 2017年12月、北海道在住30代男性(Aさんとします)は社会福祉法人北海道社会事業協会が運営する病院(病院Xとします)の求人に応募しソーシャルワーカーとして採用が内定しました。

 Aさんは病院Xに応募する前に患者として受診したことがあり、HIV陽性であることがカルテに書かれていました。2018年1月、病院Xはそのカルテを見つけAさんがHIV陽性であることを知り、Aさんに電話をし「HIV陽性を告げなかったこと」を理由に内定取り消しを告げました。Aさんは「就労に問題はなく、業務で他者に感染する心配はない」とする主治医の診断書を病院側に送りましたが内定取り消しは覆りませんでした。2018年7月、Aさんは病院Xに対し慰謝料の支払いなどを求めて札幌地裁に提訴しました(報道は2019年6月12日の北海道新聞)。

 こんな裁判が本当に行われれば病院Xは世間に恥をさらすだけでなく全国(あるいは全世界)から糾弾されますから、さっさと「内定取り消し」を取り消してAさんに慰謝料を払う以外の選択肢はありません。なぜなら、そもそもHIV陽性という理由でソーシャルワーカーの仕事ができないわけがありませんし、HIV感染を理由に解雇することは厚生労働省のガイドラインで禁じられています。過去におこなわれた同じような裁判では全例で雇用側が敗訴しています。

 日本看護協会はウェブサイトの「HIVに感染した看護職の人権を守りましょう」で見解を表明し、「感染者の就業制限はありません。引き続き看護職としての就業が可能です。感染を理由とする解雇・退職勧奨は違法行為です」と明記しています。

 ここで過去の事例をまとめてみましょう。まずは、看護師が解雇された事件で、このサイトでも過去に取り上げています(第87回「HIV陽性の医療従事者は仕事を続けられるか」)。ソーシャルワーカーと看護師では業務内容が異なりますが、少し詳しく振り返ってみたいと思います。

・福岡看護師解雇事件: 2011年8月、福岡県のZ病院に勤務していた看護師がZ病院を患者として受診。Z病院では診断がつかずY病院を受診することになりY病院でHIV感染が判明。看護師を診察したY病院の担当医は「患者への感染リスクは小さく、上司に報告する必要もない」と伝えた。ところが、Y病院の別の医師がその看護師の許可をとらずに、看護師が勤務するZ病院の医師にHIV感染をメールで通知。看護師はZ病院の上司から「患者に感染させるリスクがあるので休んでほしい。90日以上休職すると退職扱いになるがやむを得ない」と告げられ、休職後の2011年11月末に退職させられた。2012年1月11日、看護師は「診療情報が患者の同意なく伝えられたのは医師の守秘義務に違反する。休職の強要も働く権利を侵害するものだ」という理由で、Z病院、Y病院の双方を提訴。2013年4月、福岡県地裁支部にて原告(看護師)とY病院の間で和解が成立。守秘義務違反で提訴していた原告の主張をY病院が認めた。一方、看護師が勤務していたZ病院は、「わずかでも患者にHIV感染の危険がある以上、看護業務から離れてもらうのは医療機関として当然だ」などとして看護師と争った。2014年8月8日、福岡県の地裁支部はZ病院による看護師のプライバシー侵害と就労制限の不当性を認定した。

 医療者以外の事件も復習しておきましょう。
 
・千葉HIV解雇事件: 千葉県市川市の会社が定期健康診断で社員のHIVの検査を無断で実施。ひとりの従業員の陽性が判明し検査を請け負った病院は従業員の許可を得ず会社に通達した。会社はHIV感染を理由に解雇。千葉地裁は「解雇は不当」とし、会社と病院長に計660万円の支払いを命じた(千葉地判平12.6.12労判785-10)。

・派遣HIV解雇事件: 派遣先企業で労働者のHIV感染が発覚し、派遣先企業が派遣元企業へ労働者の感染事実を連絡し労働者が解雇された。東京地裁の判決は「HIV感染を理由とした解雇は許されず、出向先が感染を本社に報告したのもプライバシー侵害」として計1500万円の支払いを命じた。会社側は控訴したが、東京高裁で実質的に原告側全面勝訴の内容で和解が成立(東京地判平7.3.30労判667-14)。

・警視庁退職勧奨事件: 警視庁に採用が決まった男性が、採用後に同意なくHIV検査が実施され陽性であることが判明し、これを理由に警視庁が退職勧奨。東京地裁は「HIV感染者だからといって、警察官に適しないとは言えないから、検査に必要性はない」と述べ、東京都などに440万円を支払うよう言い渡した(東京地判平15.5.28労判852-11)。 

 過去のコラム(第87回「HIV陽性の医療従事者は仕事を続けられるか」)では、血中ウイルス濃度が検出される可能性がある状態でのHIV陽性の医療者が医療行為を続けていいかどうかは難しい問題であることを海外での制度も紹介して述べました。現在はすぐれた抗HIV薬のおかげでガイドライン通りの治療を継続していれば血中ウイルス量が検出されることはまずありません。このような状態であればたとえ針刺し事故を起こしても医療者が患者に感染させる確率はほぼゼロです。

 そして、このことは医学的にというだけでなく司法的にも決着がついています。先述したように福岡の事件では、病院側が「わずかでも患者にHIV感染の危険がある以上、看護業務から離れてもらうのは医療機関として当然だ」と主張しましたが、司法は「就労制限の不当性」を認定したのです。

 北海道のAさんは看護師でも医師でもなく「ソーシャルワーカー」です。他人に感染させる可能性が事実上ゼロなのは、医療者なら誰にでもわかります。もしも、本気で病院XがAさんが院内感染させる可能性を考えていたのだとしたら、「看護学生でもわかる基本的知識させ持ち合わせていない無知の集団」ということになります。私がその地域に住んでいたとしたら、病院Xには絶対に受診しません。基本的知識のない医療者にまともな診察ができるはずがないからです。

 もちろん、実際には病院Xで働く医療者はAさんの内定を取り消すことがどれだけ馬鹿げているかに気付いているはずです。おそらく内定取り消しをしたのは医療のことを何も知らない事務方の人間なのでしょう。だとすると、なぜ病院Xの医療者たちは、この不当な内定取り消しに抗議の声を挙げないのでしょうか。私にはそれが不思議でなりません。

 もうひとり、私がどうしても理解できない人物がいます。それは病院X側の弁護士です。この弁護士は先述したいくつかの事件のことを知らないのでしょうか。あるいはこれらを知った上で弁護を引き受けているのでしょうか。私にはまったく理解不能です。

 最後に、北海道新聞が報じたAさんの言葉を紹介しておきます。

「病気を最も理解しているはずの医療機関から差別的な扱いを受け、がくぜんとした。地元で就職し、家族と暮らす人生設計を諦めざるを得なくなった」

参考:GINAと共に
第65回(2011年11月)「HIV陽性者に対する就職差別」
第80回(2013年2月)「HIV陽性者に対する就職差別 その2」
第87回(2013年9月)「HIV陽性の医療従事者は仕事を続けられるか」

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第155回(2019年5月) デンバーでマジックマッシュルームが合法化

 太融寺町谷口医院のウェブサイトの「はやりの病気」の今月(2019年5月)号で、米国のデンバーでマジックマッシュルームが合法化されたことに少し触れました。このニュースはかなりインパクトの強いものであり、世界各国のメディアは大きく取り上げていますが、なぜか日本のマスコミは"無視"しています。「有名人の〇〇が違法薬物で逮捕」という事件には飛びつくものの、国民のひとりひとりが根本から考えていかねばならない「薬物」の本質にはなぜか触れたがらないのが日本のマスコミの特徴です。

 当初の予定よりは遅れたものの、かねてから審議されていた大麻の完全合法化がカナダで実現したのは2018年10月で、国家としてはウルグアイについで2番目となります。合法化されたことで製品の質が急激に向上し、現地を訪れた人の話では、大麻ショップの一部は高級宝石店やブティックなどと見間違えるほどだそうです。医療面での応用はそれほど進んでいるという話は聞かないのですが、どういった大麻がその人に合うかを調べる遺伝子検査まで登場しているという噂もあります。まるでどの抗がん剤を使用すべきかを治療前におこなう遺伝子検査のようです。

 日本では現時点では大麻合法化をという声はさほど大きくなっていませんが、2019年5月15日、厚生労働省は難治性のてんかんに大麻から製造された「エピディオレックス(Epidiolex)」を治験(臨床試験)で使うことを認めると発表しました(エピディオレックスについては過去のコラム第143回(2018年5月)「これからの「大麻」の話をしよう~その3~」を参照ください)。

 なぜここで大麻の話をしたかというと、米国の大麻合法化について思い出す必要があるからです。米国は今も大麻が違法の州の方が多いのですが、今後ますます合法化する州が増えてくるのは間違いなさそうです。合法化が最も早く実現する州は最も自由なカリフォルニア州であろうと考えられていました。ところが、2010年11月2日の住民投票の結果は意外なことに反対派が賛成派を上回り合法化は実現化しませんでした。しかし、この時点では多くの人が米国で大麻合法化が実現化する最初の州はカリフォルニアを置いて他にはないと考えていたと思います。

 ところが、全米で最初の州となったのは意外にもコロラド州とワシントン州だったのです。シアトルのあるワシントン州は「自由な地域」というイメージがありますが、アメリカの中央やや西に存在するコロラド州に対して私にはほとんど印象がありません。

 そのコロラド州の州都デンバーで、2019年5月8日、マジックマッシュルームの合法化が実現しました。前日(5月7日)のロイターの報道では「住民投票では反対派が上回るだろう」とされていました。しかし蓋を開けてみると賛成派が勝利したのです。世界のメディアはこの決定を否定的にみているようです。例えばBBCはタイトルを「非常に僅差。デンバー住民投票でマジックマッシュルームが合法(Denver votes to decriminalise magic mushrooms by razor-thin margin)」とし、デンバーの市長が反対していることを紹介しています。

 ここで私自身のマジックマッシュルームの"思い出"の話をしたいと思います。といっても日本で合法化であった時代も含めて私自身がマジックマッシュルームを試したことはありません。"思い出"とは、私が知り合った「ジャンキー」たちとの思い出で、多くはタイでGINAの活動をしていたときに知り合った人たちです。このサイトで、麻薬、覚醒剤、大麻などについて書くときにはいつも彼(女)らのことを思い出します。

 マジックマッシュルームについて熱く語ってくれたT君は中部地方の出身で、高校卒業後は全国を旅していたそうです。90年代当時は違法ではなくマニアたちは全国(あるいは全世界)に「キノコ」を求めてさまよっていました。T君が気に入ったのは八重山諸島のある島で、その島の牛の糞に「キノコ」が生えていたそうです。T君がその島にこだわったのは単に「キノコ」が見つけやすいという理由だけではありません。「自然」が重要だというのです。

 マジックマッシュルームは(よく同列で語られるLSDと同様)、摂取するときの"環境"が非常に重要です。"環境"によって「グッド」にも「バッド」にもなります。例えば、気の合わない友達と汚い部屋で摂取すれば「バッド・トリップ」に入り頭痛や嘔気に苦しめられますが、自然のなかで気が置けない親友と楽しめば「いい状態」になります。T君は、夕方になるとその島のビーチに出かけ大自然に包まれ波の音を聞きながら「キノコ」を食べると「最高のトリップ」ができるんだと熱く語っていました。

 これを書くためにT君のことを思い出しているときにひとつ気になることがでてきました。T君はあるとき「ドラッグ仲間」からアシッドハウスを教えてもらって、これにハマったそうです。それまでクラブやディスコなどには縁のなかったT君はアシッドハウスを知らなかったそうですが、「キノコ」を摂取するときに聴くと「最高のトリップ」がさらに"最高"になることを知ってしまったというのです。

 この話をT君から聞いた2000年代初頭には気に留めなかったのですが、現在「3rd Summer of Love」の噂をチラホラと聞きます。「Summer of Love」とは1967年夏に当時の若者10万人がサンフランシスコに集まったイベントで、サイケデリックな音楽とドラッグを肯定するヒッピーの運動だったと聞きます。

 「2nd Summer of Love」は80年代後半から90年代初頭にかけておこったムーブメントでした。イビザ島でUKのDJがアシッドハウスを中心としたハウスサウンドを大音量でプレイし、そしてマジックマッシュルームを含む薬物が大量に出回りました(LSDやMDMAも大量に出回りましたがこれらは当時から違法でした)。

 それから30年近くが経過した現在、「3rd Summer of Love」を求める雰囲気が少しずつ膨らんでいるような気がします。デンバーのマジックマッシュルーム合法化はこの動きを加速することになるのではないか、と私は見ています。

 マジックマッシュルームを学術的に考えてみたいと思います。そもそもこういうキノコは日本にも昔から存在し、「ワライタケ」「シビレタケ」などと呼ばれるものがその仲間と考えられます。ときどき新聞の片隅に「毒キノコを誤食して中毒症状」という記事をみかけます。はじめから興奮や幻覚を求めて食したのでは?とついつい考えてしまいます。

 日本でマジックマッシュルームが非合法化されたのは2002年です。その前年(2001年)、俳優の伊藤英明さんが中毒症状で救急搬送されて話題になりました(このときは違法ではなかったため名前は伏せません)。今も世界のなかには違法でない国や地域があります。そもそもシャーマンはマジックマッシュルームを摂取して幻覚をみてそれで祈祷や予言をするわけですから宗教的に禁止するのは困難です。ですが、もちろん先進国では軒並み違法です。大麻と同様大きな罪に問われることは(まず)ありませんが、ものすごく簡単に入手できるわけでもありません。1970年代から「コーヒーショップ」なら嗜好用大麻が合法のオランダでさえマジックマッシュルームは違法です(実はキノコは禁止でも似たようなマジックトリュフは入手できますが)。

 シロシビン(サイロシビン)及びシロシン(サイロシン)がマジックマッシュルームに含まれる興奮や幻覚をもたらす成分です。大麻が医療で用いられるようになったのと同様、これらの成分も医療への応用が研究されています。先に紹介したBBCの報道では、群発頭痛、PTSD、強迫性障害(OCD)への効果が期待されているようです。

 私の知る限り、医師の間では医療用大麻に対しても慎重派の意見の方が多く、嗜好用(娯楽用)となると賛成派はほとんどいません。マジックマッシュルームのようにバッド・トリップしてしまうと衝動的に飛び降りたり自殺したりする可能性のある薬物を認めることには(医療者でなくても)反対するでしょう。しかし、大麻と同様、コロラドで始まった合法化の動きは全米に広がる可能性があります。そうなれば、「本当は身体に悪くない」という"情報"が広がり違法入手する人たちが増えるに違いありません。その次に起こることは、このサイトでさんざん述べてきたように、さらに強力な違法薬物の入手、そしてHIV感染を含む悲惨な顛末です。

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第154回(2019年4月) 性にまつわる"秘密"を告白された時

 私が院長を務める太融寺町谷口医院では、過去約12年の間におよそ100人の患者さんにHIV陽性であることを伝えてきました。そのなかの半数以上が「まさか自分がHIVだなんて夢にも思っていなかった」という人たちです(私はこれを「いきなりHIV」と呼んでいます)。

 感染していることを伝えるときは、たとえ他の患者さんの待ち時間が長くなったとしても充分な時間をとって伝えます。そしていくつかの重要な点を説明します。そのなかで最も重要であると私が考えているのは、「感染の事実をパートナー以外の他人に話すべきでない」ということです。

 HIVに感染していることは恥ずかしいことではありません。ですが現実には、感染を知られたが故に、仕事を失った、友達を失った、なかには家族との関係が絶たれた、という人すらいます。一度、他人に伝えてしまえばそれを取り消すことはできません。どうしても冷静さを欠いてしまう感染発覚間もない時期には判断を正確におこなうことが困難ですから、しばらくの間はパートナー以外には言わないのが賢明なのです。

 そして、これはHIV感染だけではありません。セクシャル・マイノリティであることを他人に伝えることにも充分に慎重になるべきです。LGBTという言葉が随分と人口に膾炙してきているのは事実ですが、だからといって彼(女)らに対する偏見がなくなったわけではありません。実際、自分の「性」を他人に知られることで不利益を被ったという人は枚挙に暇がありません。私が診ている患者さんのなかにも、これが理由で職を失ったという人もいます。

 他人の「性」(性指向や性自認)を、本人の許可なく曝露することは「アウティング」と呼ばれます。アウティングされた当事者は不利益を被ることがよくありますから、この行為が(少なくとも民事上は)「罪」であることは自明ですが、損害賠償が請求できたとしても、いったん失った社会的信用などを元に戻すことはできません。

 アウティングを防ぐには、余程のことがない限り他人に自身の「性」については話さないのが一番ということになります。ですが、実際には場合によってはそういうわけにもいかないでしょうし、特に「好きになった人」には話さざるを得ません。今回は、「他人から性についてカムアウトされたときにどうすればいいか」、つまり「自身がアウティングをしないようにするにはどうすればいいか」ということを考えたいと思います。というのは、この「他人の"秘密"を守ること」は世間一般で考えられているよりも遥かにむつかしいからです。

 ここでおそらくアウティング関連では最も有名な事件である「一橋大学法科大学院アウティング事件」を当時の報道などから振り返ってみたいと思います。被害者をA君とします。

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 2015年4月、一橋大学法科大学院の男子学生A君は、同級生の男子学生B君に対しLINEにて「好きだ。付き合いたい」というメッセージを送ったところ、B君は「付き合うことはできないが、これからも良い友達でいたい」と返信。その約3ヶ月後の6月24日、B君は他の同級生も見ているLINEグループに「お前がゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん」と実名を入れて投稿、つまりアウティングをおこなった。その後A君はパニック障害を発症するようになり、アウティングからちょうど2カ月後の8月24日、大学構内の6階ベランダから飛び降り自殺を完遂。報道によれば、身を投げる直前にクラス全員のLINEに「(B君の実名)が弁護士になるような法曹界なら、もう自分の理想はこの世界にない。いままでよくしてくれてありがとう」というメッセージを残していた。

 A君の遺族はB君と大学を提訴。遺族とB君の間は2018年1月に和解が成立(内容は公表されず)。大学に対しては、遺族は大学が適切な措置を取らなかったと主張したが、2019年2月27日、東京地裁は「大学に落ち度はなかった」とし、遺族側の訴えを棄却(この原稿を書いている2019年4月時点では遺族側が控訴するという報道はないようです)。
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 A君の自殺に対しては多くのメディアがセンセーショナルな報道をおこないました。LGBTを擁護する団体はもちろん、そういったことに関心がないという人たちからも「B君はひどい」という声が上がっていました。

 ではB君のとった行動はどの程度"罪"と呼べるのでしょうか。ここからは当時の報道などからB君の立場になって考えてみたいと思います。

 B君がA君の告白を断り「良い友達で...」と返信した後も、A君は、食事に誘ったり、モーニングコールを頼んだり、(他の友人も交えて)ハイキングに行こうと誘ったり、とB君を"諦めて"いません。5月下旬、学校でB君はA君から話しかけられた時に曖昧な返事をすると、突然A君は頭を抱えて「うあー」と大声を出し、腕に触れてきました。B君はA君を避けるよう努めましたが、周囲の者はその理由が分かりません。しかたなくB君は他の友人とも距離を取ることになります。そして件のアウティングに踏み切りました。

 このようにB君の「言い分」を聞くと、一方的にB君を責められないのでは、と感じる人もいるでしょう。しかし別の報道では、件のLINEでのアウティングの前から、B君は3人の同級生にすでにアウティングをしていた、とするものもあります。

 実際のことはB君に聞いてみないとわかりませんが、私が言いたいことは「他人の秘密を守るのは決して簡単ではない」ということです。特に共通の知人がいる場合にはものすごく困難なのです。なぜ、私がこういうことを"偉そうに"言えるかというと、医師の守秘義務遵守が実は簡単ではないことを知っているからです。

 医師や看護師が診察で知り得たことを他人に言わない、とする「守秘義務」は当然であり異論はないでしょう。では、例えばこういうケースはどうでしょう。

 あなたには小学校から高校までずっと仲がよかった幼馴染のX君とYさんがいます。彼(女)らとはもう10年以上も会っておらず、あなたはある地方都市の病院で看護師をしています。ある日Yさんがその病院を受診し偶然再会することになりました。Yさんは東京で会社員をしていますが、この日は出張でこの地に来ていたのです。その1週間後、あなたが旅行で北海道にでかけたとき、偶然X君に空港で再会しました。思い出話に花が咲き、X君は「そういえばYさん、どうしているかな」と言いました。このときあなたは「先週10年ぶりにYさんと会った」ということを黙っていられるでしょうか。

 法律上守秘義務が課せられている医療職は、医師、看護師などだけで、例えば受付スタッフには(「プライバシー保護法」を守る義務はありますが)、医師(刑法)や看護師(保健師助産師看護師法)ほどの重みのある義務はありません。ですから、私が院長を務める太融寺町谷口医院では、受付スタッフにも守秘義務の"教育"をしています。「院内で知り得たことは退職してからも他言せず文字通り棺桶まで持って行くこと。たとえ家族やパートナーにも一切のことを話さないこと」を徹底しています。守秘義務を守らない受付なんているの?と思う人がいるかもしれませんが、例えば「有名人の〇〇がこの前うちの病院に来た」と話した(当院以外の)受付を私は何人か知っています。

 診察室以外で、つまりプライベートで知人からセクシャル・マイノリティであることをカムアウトされることが私にはしばしばあります。そんなときは「あなたが今話したことは死ぬまで誰にも言いません」と、少々大げさに"宣言"します。

 結論です。もしもあなたが他人から"秘密"を告白されたときは、私が実践しているようにその場で「守秘宣言」することを勧めます。

 2018年4月、一橋大学のある国立市は全国初の「アウティング禁止条例」を施行しました(注)。

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注:一般社団法人「社会的包摂サポートセンター」にアウティング被害の電話相談が2012年3月以降の6年間に少なくとも110件寄せられているそうです。2019年4月3日の日経新聞が報道しています。

参考:太融寺町谷口医院マンスリーレポート2012年8月号「簡単でない守秘義務の遵守」

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