GINAと共に

第163回(2020年1月) エロティシズムにどう向き合うべきか

 GINAのこのサイトを公開したのは2006年の7月ですから今年で14年たつことになります。この間にいろんな立場の人たちからいろんな内容の質問をいただきました。そのなかでコンスタントに寄せられるのが「性欲を抑えられない」という悩みです。

 病的に抑えがたい場合は「性依存症」かもしれないという話をしたことがあります(下記コラム参照)。ですが、性依存症の定義にははっきりとしたものがなく、犯罪行為につながるようなあきらかな性依存症がある一方で、「それってちょっと性欲が強いだけじゃないの?」と感じるだけのものもあります。例えば、クリントン元大統領が性依存症と呼べるのか、個人的には疑問に感じています。

 「性的指向は特定のパートナーのみにすべきだ」という意見を書いたこともあります(下記コラム参照)。特定のパートナーだけと性行為を持つことは、性感染症の最強の予防法であるだけでなく、最も幸せに近づく方法であると私は考えています。ですが、この単純なことが理解できたとしても、「それは分かっているけれど、それでも性欲を抑えられない」というメール相談が寄せられるわけですから、やはりもう少し踏み込んで検討すべきだと思います。

 愛し合うパートナーとの性交渉に勝るものはない、というのが事実であり、パートナーとの性交渉が「最も幸せ」であることには変わりないとしても、性交渉で得られる「エロティシズム」も最高かと問われればこの答えは「NO」でしょう。

 なぜなら、エロティシズムの強度は「非日常度」の強度に相関するからです。セックスのシチュエーションが非日常的であればあるほど興奮度、つまりエロティシズムの度合いが上昇するのは少し想像してみれば明らかです。もちろん性的嗜好には個人差が大きいわけですが、ポルノビデオのタイトルやコピーをみてみればこれは自明です。例えば、教師と生徒、レイプ、痴漢、乱交など、現実の世界ではあり得ないような設定のものが目立ちます。

 セックスのシチュエーションが非日常であればあるほど興奮度が高くエロティシズムが強くなるわけで、これを極限までつきつめたもの、つまり非日常の極みは「死」です。ですから「情死」が最高であると考える人は少なくなく、学問としてのエロティシズムを確立させた澁澤龍彦も著書のなかで「情死が理想」というようなことを述べています。

 実際、セックスでエクスタシーに達するときに使われる「イク」という言葉は「逝く」から来ているという説もあります(これはたしか栗本慎一郎氏がどこかで書かれていました)。澁澤によれば、かつて吉原の遊女は、客を歓ばすために、行為中、「死にんす、死にんす」ともらしたそうです。英語ではエクスタシーに達するときに「イク(go)」ではなく「come」を用います。これも同じことです。なぜなら、英語では「そちらに向かっている」というときには「go」ではなく「come」を使うからです。例えば電話で「今そちらに向かっています」というときに「I'm coming.」と言います。

 ですから、想像のなかでとにかく強い興奮を求めたいということであれば、現実社会ではまずありえないような状況を思い浮かべればいいわけです。先に述べたレイプや乱交など以外にも、各人それぞれ考えてみればそのような想像はできるはずです。

 このサイトに「性的衝動が抑えられない」という相談をしてくる人のなかには「パートナーがいて(あるいは結婚していて)、それはとても幸せなんだけれども、パートナーには性欲が湧かず、他人とのセックスがしたくてたまらない」という人がいます(というよりこういう人の方がずっと多いようです)。こういった相談を受けたときに、私が回答しているのは、「出会ったころのワクワク感は薄れているかもしれないが、平和的で安心できる時空間を持てることの方が幸せではないですか」とか「もしも愛する気持ちが薄れてきているのなら、<愛する>という行動をとるチャンスですよ。<好き>とか<セックスしたい>は受動的な心の状態ですが、<愛する>というのは積極的な言動が求められる能動的な行為です」というような内容です。

 ですが、そういった方法をいくら述べたところで「死を覚悟した究極のエロティシズム」の"魅力"にはある意味ではかなうはずがありません。例えば、阿部定に殺された不倫相手の男性は定に死ぬまで紐を緩めないように頼んでいたと言われています。おそらくこの男性は窒息死する直前に最高のエクスタシーを感じていたのではないでしょうか。また、不倫相手を窒息させた上、切り取ったペニスを持ち歩いていた定は一見猟奇殺人犯のようですが、出所後は各地で人気者となり大勢のファンがいました。私はこの理由として「愛する者を殺してペニスを持ち歩くことができる定となら最高のエロティシズムが得られる」と無意識的に考えた男性が多かったからではないかとみています。

 おそらく「ありそうであり得ない、でもあるかもしれない」エロティシズムを実現しやすいのが「不倫」でしょう。人は不倫を非難しながらもどこかで「最高のエロティシズムが得られるに違いない」と感じているのではないでしょうか。そして、澁澤龍彦が指摘しているように「情死」が究極のエロティシズムなのはおそらく間違いありません。情死には、長年寄り添っていた夫婦の情死というものもあるのかもしれませんが、話題になるのは「不倫など、あってはいけない関係の情死」です。口にする人は少ないでしょうが、不倫相手との性交中の情死、もしくは「失楽園」のような心中がある意味では「究極の愛のかたち」なのかもしれません。

 けれども「性欲が抑えられない」と悩んでいる大半の人(相談は男性からの方が多い)のほとんどは情死(心中)を求めているわけではなく、現在のパートナーとの関係も維持したいと考えています。ここで指摘したいのは、パートナーでない新しい相手とのセックスの方が、興奮度が高くなるのは当然であり、それも通常はあり得ないような関係の方がその程度も増すことを理解しなければならないということです。

 次に言いたいのは、仮にその関係を手に入れてパートナーとの関係からは得られないエロティシズムを体感できたとしても、やがて時間がたてば色あせていくわけですから、さらなる強い刺激を求めるようになるということです。欲望には際限がないのです。そして、同時にパートナーとの関係を維持しようとすれば無理がでてきます。気が付けばパートナーを失い、社会的信用もなくし、新しい相手との間にあったはずのエロティシズムも色あせてしまっていた、というのがよくある顛末です。

 そもそも人間はやりたいことを抑えて生きていかなければならない生き物ではなかったでしょうか。情死を最高の愛の形と断言し、数々のエロティシズムに関する著作を発表し、他界された後もこのジャンルで不動の地位を維持している澁澤龍彦ですら、結婚し"普通の"夫婦生活をされていたわけです。

 「性欲が抑えられない」という人に対する解決策はないのか。エロティシズムという観点で考えれば残念ながら決定的なものはありません。なぜならエロティシズムには耐性があるからです。どれだけ非日常な体験であったとしても日がたつにつれてそれは日常化していきます。そして、日常化はエロティシズムから遠ざかることを意味します。

 ではどうすればいいのでしょうか。「性欲が抑えられない」という人に対して「性感染症のリスクを知ってもらう」のはいい方法です。ですが、これは積極的に性欲を対処する方法ではありません。「特定のパートナーをもっと愛する」というのは私が最も勧めている方法ではありますが、「それは分かっているけども......」という声をこれまで多数いただいてきました。

 ではどうすればいいのか。次回に続きます。

参考:
第89回(2013年11月)「性依存症という病」
第114回(2015年12月)「欺瞞と恐喝と性依存症」
第135回(2017年9月)「性風俗がやめられない人たち」
セイフティ・セックス講座「エピローグ~そして私が一番言いたかったこと~」


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第162回(2019年12月) 日本エイズ学会に行こう

 2019年11月28日、熊本市で開催された日本エイズ学会の学術大会で私は12年ぶりに同学会での発表をおこないました。医師であれば、定期的に何らかの学会発表をする義務があるわけですが、「忙しい」という言い訳をしながら最小限の発表しかしていないのが私の実情です......。

 そんななか、日本エイズ学会で重い腰を上げて発表しようと思った理由が「HIV/AIDSという疾患は一般社会で理解されていなだけでなく、我々医療者のなかでも十分に知られていない」という思いがあり、それが次第に強くなってきているからです。苛立たしいというか腹立たしいというか、「今さら何を言っているの?」「なんでそんなこと言うの?」と、一般社会に対してだけでなく医療者にさえ感じざるをえないことがHIV/AIDSについては多数あるわけです。

  今回我々が伝えたかったのは「HIVはとても身近な疾患であり、エイズ専門医でなく医療者なら誰もが診なければならない」ということであり、ポイントを2つに絞って発表しました。1つは「HIV感染を見つけるのはエイズ拠点病院ではなくクリニックであること」、もうひとつは「エイズ専門医がおこなう治療は抗HIV薬の選定や重症化したときのフォローが中心であり、日ごろのプライマリ・ケア(総合診療)はクリニックがおこなうべきであること」です。

 こういったことはエイズ学会よりも他の学会で発表すべき(実際、そういう発表もしています)なのですが、まずは"同志"であるエイズ学会に参加している人たちに我々が取り組んでいることを知ってもらいたかったというわけです。

 私が発表したポイントを掘り下げてここで紹介してもいいのですが、今回このコラムでお伝えしたいのはその内容ではなく、日本エイズ学会という学会の「特徴」です。

 私は現在10以上の学会に所属していて、時間が許せば年に一度開催される「学術大会」に参加しています。また、小さな学会や研究会も全国各地で開催されるので月に2~3回はいろんな学会(学術大会)に参加しています。そして、それらいろんな学会の特徴を比較してみると日本エイズ学会は"異色"なのです。たいていの学会は参加者は医師だけであり、他職種や医学生が参加することはあまりありません。若い医師も参加しますが、発表するのはたいていベテランの中高齢の、そして大半は男性の医師です。

 ところが日本エイズ学会の学術大会に参加しているのは、職種でみればおそらく医師が最多であるとは思うのですが、歯科医師、看護師、薬剤師、理学療法士、臨床工学技士など他職種も多く、ソーシャルワーカーもかなり大勢来ています。看護学生や医学生も参加しています(学生の参加は以前よりは減っているような気もしますが)。社会活動をしている人やNPO・NGOの参加も目立ちます。sex workerの団体が発表をし、sex workerがフロアから質問や意見を述べる光景というのは他の学会ではまずありません。(これは私見ですが)この点、同じようなテーマを扱う日本性感染症学会の参加者の大半は医師であり、日本エイズ学会とは雰囲気が異なります。

 また、日本エイズ学会では患者が登壇し話をします。これは(個人的には)この学会の最大の特徴だと思います。そして、このセッションが(これも私見ですが)一番盛り上がり感動するのです(学会に「感動を求めるな」という声はあるでしょうが)。

 私は医学生や研修医から学会参加について意見を求められると、「最もお勧めなのは日本エイズ学会」と話しています。これだけワクワクする学会は他にはないからです。もっとも、すべての医師が私と同じように考えているわけではなく「あんなのは学会とは呼ばない。学会はもっと厳粛であるべきだ」と話す医師がいるのも事実です。

 このあたりは医師の考えによると思いますし、私はそのような医師に反論するつもりはありません。ただ、日本エイズ学会のように、医師以外の医療者のみならず、非医療者や患者の参加者も多く、患者が話すセッションが注目される学会もあるんだ、ということは多くの人に知ってもらいたいと考えています。

 このサイトを開設したのは2006年ですからはや13年以上がたちます。この間に千人近くの方々からメールをいただきました。比較的多いのがHIV陽性の人たちを支援している人、あるいはこれから支援やボランティアをしようとしている人たちからの相談や質問のメールです。HIV陽性の人からの相談メールも少なくありません。なかには「HIVに感染したかもしれないがどうしたらいいか」という相談も寄せられます。医療者からのメールもあります。GINAを運営していて感じるのは「様々な立場の人が様々なことを考え悩んでいる」ということです。

 そして、エイズ学会が他の学会にない盛り上がりを見せる最大の理由がここにあるのではないか、つまり「異なる立場の人々が同じ思いを持っているから」ではないかと私は考えています。医師、歯科医師、看護師、介護師、ソーシャルワーカー、支援団体、ボランティア、sex worker、HIV陽性者では立場がまったく異なり、考えていること、悩んでいることもバラバラです。ですが、HIV感染を減らさなければならない、感染者が差別を受けてはならない、世間にはびこっている偏見やスティグマに立ち向かっていかねばならない、という気持ちは共通しています。こういった共通している思いがあるからこそ他の学会にはない盛り上がりがあるのだと思います。

 ところでこれを読まれているあなたはどのような立場の方でしょうか。医療者であったとしてもなかったとしても、HIV陽性であったとしてもなかったとしても、あるいは単に自分自身が「HIVにかかっていたらどうしよう」と考えているだけの人も、エイズ学会への参加を考えてみてはどうでしょうか。参加費は事前登録でも一般(学生以外全員)10,000円、学生5,000円(2019年の場合)と決して安くはありませんし、宿泊費や交通費も用意せねばなりませんから気軽に参加とはいかないかもしれませんが、そのお金と時間に見合うものがきっと得られると思います。ちなみに、私が院長を務める太融寺町谷口医院では慰安旅行も兼ねて今年は熊本に2泊3日で学会に参加しました。

 来年(2020年)の日本エイズ学会は11月27~28日(金・土)に幕張で開催されると聞いています(確定かどうかは未確認)。興味のある方は是非とも検討してみてください。

 そして、もうひとつHIV/AIDSに興味のある方にお勧めしたいものがあります。それはメーリングリストです。学会と同じように、医療のメーリングリストというのもたいていは医師のみあるいは医療者のみが参加するものなのですが、HIV/AIDSのメーリングリストは特に参加資格が設けられていません。このメーリングリストは医師である高田昇先生が管理されています。関心のある方はこちらを参照してみてください。

 改めて考えてみると、医療の主役は患者であるべきであり、最近は多くの疾患でこのことが強調されています。患者を中心に、医師、看護師、薬剤師、理学療法士、作業療法士などがいわばひとつのチームのようになり疾患に向き合っていこうとする考えです。しかし、そうは言っても医師以外の医療者が、まして患者や患者を支援する団体が参加している学会というのは稀です。

 先述したように「こんなの学会じゃない」という医師がいるのは事実ですが、日本エイズ学会のこの雰囲気と感動を多くの医師のみならず医師以外の医療者にも、HIV陽性者や陽性者を支援する人たちにも、さらにHIV/AIDSに少しでも関心のある人たちにも伝えていきたい、と考えています。

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第161回(2019年11月) パーデュー社の破産と医師の責任

 過去の「GINAと共に」(第137回(2017年11月)「痛み止めから始まるHIV」)で、現在の米国では麻薬汚染が深刻化しており、その結果としてHIV感染者が急増している状況についてお伝えしました。

 その諸悪の根源のひとつが製薬会社であり、なかでもパーデュー・ファーマ(Purdue Pharma)社(以下「パーデュー社)が、いかに悪質な方法で麻薬を広めていったかについて紹介しました。「ロサンジェルス・タイムズ」の報道によれば、パーデュー社は自社が販売する麻薬性鎮痛薬「オキシコンチン」を"夢のクスリ"のように謳い、売り上げを急増させ、1996年の販売開始以来、米史上最大規模の700万人超という薬物乱用者を発生させたのです。

 こんなことが許されていいはずがありません。案の定、パーデュー社は大勢の患者や患者団体から訴訟を起こされついに破産することになりました。Reuterによれば、1999年から2017年の間に約40万人の命がオキシコンチンによって奪われており、同社は2,600以上の訴訟を抱えています。そして2019年9月15日、ついに破産が決まりました。Reuterによれば、パーデュー社は和解に100億ドル(約1兆1000億円)を充当する予定で、さらに事実上の同社のトップであるSacklers氏は30億ドルの現金を提供し、さらに15億ドル以上を追加するようです。パーデュー社のウェブサイトにも概要が掲載されています。

 麻薬性鎮痛薬で破産したのはパーデュー社だけですが、パーデュー社と同様麻薬性鎮痛薬を販売していたテバ社(Teva Pharmaceutical)は、被害者への「和解」として230億ドルのオピオイド依存症治療薬の寄付及び10年間で2億5000万ドルを支払うことが決まっています(報道はCNBCの記事)。

 また日本でも有名なジョンソン・エンド・ジョンソン(Johnson & Johnson)も麻薬性鎮痛薬を販売しており、米国オハイオ州の2つの郡から訴訟を起こされており2,040万ドル支払う和解案に同意しました(報道はBBCの記事)。

 麻薬依存になれば最悪の帰結は「死」であり、死に至らなくても依存症を克服するのは非常に困難です。被害者の人たちは「パーデュー社に(テバ社に、ジョンソン・エンド・ジョンソンに)人生を返してほしい」と思っているに違いありません。いくらかのお金をもらえばそれで解決するわけではないのです。

 改めて考えてみると、このようにたくさんの麻薬の被害者を生み出した諸悪の根源である製薬会社が責任を取るのは当然なのですが、それで済ませてしまっていいのでしょうか。私は一連の報道をみていて感じる疑問が3つあります。

 まず製薬会社の従業員には「良心」がないのか、という点です。ある程度の薬学の知識があれば、こんな鎮痛薬を売り続けていればやがてこのような事態になることは予測できたはずです。おそらく従業員は、自分の身内が慢性の痛みに悩んでいたとしても(末期がんなどを除けば)自社製品を使わせなかったはずです。それを"夢のクスリ"のように謳い患者を"騙した"わけです。

 「ロサンジェルス・タイムズ」の報道によれば、オキシコンチンの謳い文句は「12時間効く」です。つまり「1日2回の服用で痛みが完全にコントロールできる」といってセールスしたのです。しかし麻薬には「耐性」があります。製薬会社の従業員がこんな常識を知らないはずがありません。耐性ができればどうなるか。まずは医師に増量を求めるでしょう。それができなければ闇で入手しようとし、そのうちに内服から注射にうつっていきます。そして、針の入手が困難なため使いまわしをするようになりHIV感染、という事態が実際に起こっているわけです。

 ところで「麻薬の耐性」というのは専門家しか知らない難易度の高い知識なのでしょうか。自慢になるはずもありませんが、私は医師を目指すはるか昔、小学生の頃から知っていました。なぜなら「ヘロインで身を滅ぼしていく若い男女」が登場する刑事ドラマを何度か見ていたからです。こんな小学生でもわかる常識がなぜ顧みられなかったのでしょう。

 この常識が周知されていれば製薬会社が金に目がくらんだとしても製品を認可する行政(米国の場合FDA)でストップがかかったはずです。これが私の2つめの「疑問」です。例えば私がFDAの担当者なら「麻薬を継続すればいずれ耐性がでる。よって1日2回で有効と断言したいのなら長期の安全性を示すデータを提出せよ」と製薬会社に要求します。もちろん耐性が生じれば効果が低下しますから有効性・安全性を兼ね揃えたデータが出せるはずがありません。よって認可されることはありません。まったく証拠はありませんが、製薬会社から何らかの賄賂が行政側に渡ったのではないかと疑わずにはいられません。

 私が感じる3つめの「疑問」は医師です。製薬会社の者は薬を売るのがミッションですから多少の(時に多少でない)誇張は日常茶飯時です。自社製品を売らねば会社に在籍できないわけですから何とか医師に処方してもらおうとあの手この手を尽くしてきます。しかし、一方で医師はそんなことは百も承知ですから、たとえ何かのプレゼントをもらったとしても(現在はこのようなことは禁じられていますが)、患者にとって有益でない薬は処方できないのです。薬の処方にはいつもリスクとベネフィットを天秤にかけているのです。

 例えば末期がんなら耐え難い痛みに対し麻薬を使うのは理にかなっています。そして「末期」ですから、麻薬に耐性ができることがあったとしても依存症になる前に他界します。私にはなぜ米国の医師たちが慢性疼痛を有する(末期がんでない)若者にこのような麻薬を処方し続けたのかが理解できません。世論は麻薬を"夢のクスリ"のように謳って販売した製薬会社が悪いと言っていますし、先述のReuterの記事にも「製薬会社が医師を誤らせた(misleading doctors)」と書かれているのですが、私には医師にも同じかそれ以上の責任があると考えています。

 この私の意見には反論がでてきます。「では、耐え難い痛みを持つ患者を見殺しにするのか!」というものです。もちろん、「耐え難い痛み」があれば処方はやむをえないでしょう。ですが、必ず耐性ができてくること、どれだけ麻薬が欲しくなっても決して闇で入手しないこと、絶対に使いまわしの注射針を使ってはいけないことなどを本当に説明しているのでしょうか。

 賭けてもいいですが、このような説明を米国のすべての医師がしているわけではありません。なぜそのようなことが言えるかというと、実は日本でも同じ事態が起こっているからです。たしかに現在の日本では米国のように700万人もの麻薬依存症の患者がいませんし40万人もの命が奪われたわけではありません。

 ですが、日本ではある意味でもっと巧妙な手口で麻薬が広がっているのです。これについては冒頭で紹介したコラム及び太融寺町谷口医院のサイトで述べたので詳しくはそちらを読んでほしいのですが、重要なポイントを繰り返しておきます。米国では初めから「麻薬」として認可されていますが、日本では添付文書やPR用の文書にわざわざ「オピオイド(非麻薬)」と書いてあるのです(例えばこちら)。しかし、日本で販売されているオピオイドもれっきとした麻薬です。そもそもオピオイドとは麻薬のことです。オキシコンチンのような強力な麻薬と比べると日本で広く使われている麻薬はたしかにその作用は弱いのですが、耐性や依存を引き起こすことには変わりありません。日本ペインクリニック学会のウェブサイトでは「強オピオイド」「弱オピオイド」と区別されており、これなら理解しやすいと言えます。

 話を戻すと、現在の日本ではこのわざわざ「非麻薬」と強調された麻薬(オピオイド)が危険性の説明もなく処方されているのです。最近私が太融寺町谷口医院で経験した症例を紹介しておきましょう。

【症例】30代男性

背中に「できもの」ができて近くの医療機関で手術がおこなわれた。「できもの」は1cm未満の良性腫瘍で傷はごく小さい。術後に痛み止めとして処方された薬が「トラマール」だった。このサイトを読んでいて「これは麻薬ではないのか」と思い太融寺町谷口医院を受診。患者によれば痛みはさほど強くなく手持ちのロキソプロフェンで充分コントロールできるとのこと。「トラマールの注意点について何か聞きましたか」という私の質問に対しこの男性が答えたのは「よく効く薬としか聞いてません」...。

 これが日本の現実なのです。

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参考:
GINAと共に
第151回(2019年1月)「本当に危険な麻薬(オピオイド)」
第137回(2017年11月)「痛み止めから始まるHIV」
はやりの病気
第189回(2019年5月)「 麻薬中毒者が急増する!」


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第160回(2019年10月) HIV内定取消病院の呆れるコメントと3つの「新常識」

 HIV陽性のソーシャルワーカーの内定を取り消した無知な病院があることを過去のコラム(「GINAと共に」第156回(2019年6月)「なぜかくも馬鹿げた裁判がおこなわれたのか」)で取り上げました。このような内定取り消しをしたこと自体が、自分たちが無知であることを示す「恥さらし」であり、直ちにこの病院は和解に応じるべきだということをそのコラムで述べました。

 しかし病院は和解に応じず結局裁判がおこなわれ、当然のことながら原告(内定を取り消されたソーシャルワーカー)が勝訴しました。すると、この病院は謝罪するどころか考えられないようなコメントを発表しました。呆れて物が言えない、というレベルの言葉です。ここに抜粋して紹介しましょう。

(前略)判決が言い渡されましたが、法人として到底、納得できるものではない結果となりました。私どもはあくまで原告が虚偽の発言を複数回にわたり繰り返したことにより信頼を失い、職員としての適正に欠けたための「採用内定取消し」の考えは一貫して変わっておりません。(中略)そのこと(HIV)に対する「差別」や「偏見」といった考えはないことは明白であることを申し添えます。

 同院によれば、HIVに対する差別や偏見はないそうです。ならば、なぜ裁判では「流血感染のおそれがある」と繰り返し主張したのでしょう。裁判の様子を細かく伝えた『HUFFPOST』の記事によると、差別としか言いようのない言葉が病院の弁護士から浴びせられています。弁護士の一部の言葉を報道から引用してみます。

 「感染していない人がね、感染者からウイルスをうつされたくないって思うのは差別なんですか?偏見なんですか?」
 「あなた以外の他の人は、自分自身を感染から守っちゃいけないんですか?」
 「精神疾患のある、頭の変な患者から殴られたりしてそういうことが起きたときに、あなたが病気を持っている情報がなければ何も対策できないですよね」

 これらの言葉が差別でなくてなんなのでしょう。当然のことながらソーシャルワーカーの業務で流血することはありませんし(大地震などが起こればありうるかもしれませんが)、たとえ流血してその血液が他人に触れたとしても、このソーシャルワーカーの場合きちんと治療を受けていますから他人に感染させることはあり得ません。この事実は我々医療者であれば「常識」なのですが、この病院及びその代理人はそんな基本的なことさえ知らないことが白日の下に晒されたわけです。

 これだけ差別的な発言をしておきながら、同院は「HIVに対する差別はない」「内定取り消しの理由は原告が虚偽の発言をしたからだ」と開き直っているわけです。これが詭弁であることは明白であり、こんなことを宣うくらいなら「当院では裁判で弁護士が主張したように職員をHIV感染させたくなかったんです」と正直に言った方がずっとましです。

 さて、きちんと治療をうけている場合、「HIV陽性者の血液に触れても感染しない」、さらに(本事件とは無関係のことですが)「コンドームなしの性交渉(unprotected sexでも感染しない」というのは我々医療者にとっては「常識」ですが、一般の方はそうは思っていないかもしれません。だからこそ、こういったことを伝えるのがメディアの仕事ではないでしょうか。

 ですがこの内定取り消し事件を報じた各メディアの一連の報道をみてみると、もちろん誤ったことを伝えているわけではないのですが、もう一歩踏み込んで現在のHIVの「常識」について啓発してほしいという気持ちが拭えません。そこで、今回はポイントを絞り、「3つの新常識」について述べたいと思います。

 まず1つめの常識は「きちんと治療を受けていればコンドームなしの性行為(unprotected sex)でも針刺し事故でも感染しない」ということで、これを世界的には「U=U」と呼びます。最初の「U」は「undetectable(検出されない)」、後の「U」は「untransmittable(感染しない)」です。つまり、きちんと薬を内服していれば血中ウイルス量をゼロにできる(つまり「検出されない」)わけで、その状態が一定期間持続していれば感染は起こりえないのです。「U=U」はUNAIDS(国連合同エイズ計画)が2018年7月20日に公表した概念で、すでに世界的には「常識」となっています。

 今回の内定取り消し事件を報道したメディアのなかで「U=U」を取り上げたのはわずか1件だけです。ちなみに、この1件は毎日新聞「医療プレミア」の連載で私が書いたコラム「HIV感染者の内定取り消しで問う「医療者の姿勢」」です。こう書くと"自慢話"のように聞こえますが、「U=U」について記載したのは私自身ではなく毎日新聞の編集者です。私自身もオリジナルの原稿では「U=U」について触れなかったのですが、これは時期尚早だと考えたからです(なんだか言い訳になってます......)。

 2つめの常識は「PrEP」と呼ばれる「曝露前予防」(pre-exposure prophylaxis)です。これはこのサイトの過去のコラム(第119回(2016年5月)「PEP、PrEPは日本で普及するか」)でも紹介しましたが、いまだに日本では普及していません。HIVのPrEPとは、例えばパートナーがHIV陽性者の場合、毎日抗HIV薬を内服することで感染が防げるという方法です。先に紹介した「U=U」なら不必要ではないか、と思われる人もいるでしょうが、例えば治療開始直後の場合、「undetectable」(ウイルスが検出されない)が持続していることを確認できるまでにしばらく時間がかかることがあり、この間だけPrEPに頼るのです。あるいは(倫理的な問題はさておき)「複数のパートナーがいる」「セックスワークをしている」という状況にいるため利用しているという人もいます。

 3つめの常識は「HIV診療の現場」です。これは全員が知っておく必要はないかもしれませんが、HIVをよりよく理解していただくために社会に周知してもらうべきだと私は考えています。私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)ではほぼ毎日HIV陽性の患者さんが受診されます。彼(女)らは抗HIV薬はエイズ拠点病院で処方されており、谷口医院を受診するのはそれ以外のことです。その受診理由が谷口医院開院時の2007年と比べると現在は随分と変わってきています。昔は「抗HIV薬の副作用が出た」「薬局で売っている薬や(歯科医院などで)処方された薬と抗HIV薬の飲み合わせについて教えてほしい」という相談が多かったのですが、現在こういう内容の悩みはあまり聞きません。薬が劇的に改良され1日1回1錠のみというケースも増えてきています。副作用も大きく減少し、さらに、一昔前は複雑だった薬の飲み合わせが現在はかなり簡単になってきています。
 
 これらに代わって増えてきている相談が「生活習慣病」です。HIV陽性者の死因がエイズであったのは遥か昔のことであり、現在はHIV関連疾患で他界することはほとんどありません。代わって問題になっているのが「生活習慣病」です。HIVに感染していると、たとえ「U=U」の状態であったとしても動脈硬化が起こりやすくなります。したがって、HIV陰性者よりも厳しいレベルで生活習慣の改善が必要となり、高脂血症や高血圧症、糖尿病をコントロールしていく必要があります。そして、HIV陽性者は(なぜか)喫煙者が多く、禁煙の重要性を理解してもらって取り組んでいかねばなりません。さらに、過去のコラム(第117回(2016年3月)「HIVに伴う認知症をどうやって予防するか」)で述べたように、HAND(HIV-associated neurocognitive disorders)(HIV関連神経認知障害)と呼ばれる神経疾患の予防も必要となり、禁煙は必須となります。

 つまるところ、谷口医院を受診しているHIV陽性者に我々が供給している医療というのは、大半は生活習慣病の指導と治療、禁煙治療、認知症の予防なのです。「HIVの治療について、抗HIV薬の処方はエイズ拠点病院で実施すべきだが、それ以外は(私のような)総合診療科医が担うべき」ということをここ数年、様々な学会や研究会で主張しています。

 流血感染のおそれが......、などと馬鹿なことを言っている北海道の病院は放っておいて、「U=U」「PrEP」「生活習慣病の予防と治療」が現在のHIVの常識であることをこのサイトの読者には知っておいてほしいと思っています。

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第159回(2019年9月)タイの平和度指数が低い理由と現代史

 世界平和度指数が162ヵ国中126位の国の実態を想像できるでしょうか。治安が悪く、犯罪率が高く、若い女性がひとりで街を歩くことができない国を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。ですが、これはタイのことです。シドニーに本部のある世界規模のシンクタンクIEP(The Institute for Economics and Peace)が2014年にまとめたランキングです。

 バンコクの繁華街やプーケットを訪れたことがある人なら分かると思いますが、女性が街を歩けないどころか真夜中でも一人で歩いている女性はいくらでもいます(お勧めはしませんが)。「微笑みの国」と言われるだけあり、人々は優しく強盗の被害に会うことは稀です。では、なぜ平和のランキングがこんなにも低いのでしょうか。ちなみに日本は第8位、世界一治安が悪い都市と言われているヨハネスブルグを抱える南アフリカ共和国が122位ですからタイがどれだけ危険と考えられているかがわかるでしょう。

 今回は先に私見を述べておきます。タイはいくつかの特徴を知っておけばまあまあ安全な国でありそれほど心配はいりません。ですが、知っておくべきこともありますのでそれらを述べてみたいと思います。

 まず客観的にみて危険性が高いのは南部の3つの県、パタニ県(パッタニー県)、ヤラー県、ナラティワート県です。歴史的にみてこの3県及びマレーシア北部の一部は、かつてはイスラム教のパタニ王国でした。以前から独立を求める声があり、2004年に武装勢力が軍の施設から武器を略奪し4名の兵士を殺害しました。これを受けて当時の政権は3県に戒厳令を布告。その後武力衝突が頻繁に起こっています。2014年の時点で死者6,000人、負傷者10,000人以上。爆破事件は年間数百例と言われています(これ以降の数字は収集できませんでした)。

 爆破事件はショッピングセンターやオフィスビルでも起こっているで、やはりこの地域への渡航は避けた方が無難でしょう。私は一度これら3県に隣接するソンクラー県を訪れたことがあります。同県でも夜間には戒厳令がひかれ、日中も含めて日本人には一人も会いませんでした。私は知人の医師と食事に出かけましたが特に危険な雰囲気は感じませんでした。ですがその医師によれば南部3県では注意した方がいいとのことでした。

 南部3県以外の地域、特にバンコクの状況をみていきましょう。通称「暗黒の土曜日」と呼ばれる、一説には2千人以上の死者を出したといわれる軍による一般市民の弾圧事件が2010年4月10日に起こりました。この事件では日本人のカメラマンも犠牲になりました。2千人規模の犠牲者を出した軍による弾圧となると天安門事件と変わりません。では、なぜ「暗黒の土曜日」は天安門事件ほど知名度が高くないのでしょうか。

 それを考える前にタイの現代史を簡単に振り返っておきましょう。現代史といっても学者が考えたものではなく、私がこれまでにタイ人やタイをよく知る外国人から聞いた情報をまとめたものですから信頼性が乏しくエビデンスの高いものではありません。それをお断りした上で進めていきます。

 まずおさえておきたいのがプミポン国王による「暗黒の5月事件」の終焉です。1992年、軍派のスチンダー首相と市民が対立し、バンコクでの市民によるデモを軍が鎮圧し300人以上の死者が出ました。これを見かねたプミポン国王が登場。スチンダー首相と民主化運動の指導者チャムロン氏の二人を呼びつけ正座させ「国民のことを考えろ!」と一喝、この瞬間に双方の対立がなくなったのです。

 タイの社会を考える上で王室の存在を抜きにすることはできません。私の経験上、どこの家族に招かれてもプミポン国王の写真を掲げていなかった家は一軒もありません。タイの映画館では上映前に必ず国王賛歌が流れます。このときには(外国人も含めて)全員が起立しなければなりません。これをしなければ不敬罪で逮捕されます。しかもこれに対する不満の声を聞いたことがありません。日本でも皇室は多くの国民に支持されていますが、タイとは比較にならないと思います。

 歴史を進めましょう。1997年のアジア通貨危機の翌年、(このサイトで何度も紹介している)タクシン氏がタイ愛国党を設立し、2001年に首相に就任しました。そして30バーツ医療(その後無料に変わる)を開始し、国民の誰もが医療を受けることができるようになりました。これをバラマキと非難する人もいるのですが、特に北部や東北部ではそれまで病院には行けなかった人たちがこの制度のおかげで医療機関を受診できるようになったのは事実です。タイでは医師も含めて特にバンコク在住の知識人の多くが「反タクシン派」なのですが、大勢のエイズ患者と接してきた私からすると30バーツ医療を開始したタクシン氏を擁護したくなるのが本音です。

 これもこのサイトで何度も紹介したようにタクシン政権は違法薬物に強行な姿勢をとり、その結果多数の冤罪者も殺害されました。これは国際的にも非難されていますが、結果としてタクシン政権時代にタイがそれまでの「違法薬物汚染国」から「クリーンな国」に生まれ変わったのは事実です。そして、タクシン(及びインラック)政権終了後、タイは再び薬物汚染国に戻ってしまいました。

 2006年9月、タクシン政権に不満を持つ軍がクーデターを起こします。タイは一応民主国家ですから軍によるクーデターなどあってはならないのですが、このクーデターによりタクシン首相が失脚します。ですが、タクシン氏が大勢の市民から支持されていることには変わりがありません。実際、その後何度か選挙がおこなわれましたがいつもタクシン派の政党が勝利するのです。

 先述したように反タクシン派は軍だけでなく若い世代の知識人にも少なくありません。2008年11月、バンコクの若者を中心とした反タクシン派が黄色いシャツを着てデモをおこないスワンナプーム空港を占拠しました。これを機に反タクシンの民主党アピシット氏が首相となるのですが、これは選挙を経たものではありません。

 こうなると逆に市民デモを開始したのがタクシン派の市民です。黄シャツに対抗して赤シャツを身にまといデモを繰り返しました。そして2010年4月10日、先述の「暗黒の土曜日」事件が起こり2千人もの犠牲者が出てしまったのです。ある程度の外圧もあったからだと思われますが、その翌年再び選挙がおこなわれました。結果はやはりタクシン派の圧勝。このときにタクシンの妹のインラックが首相となります。その後も何度か選挙がおこなわれましたが、いつも勝利するのはタクシン派です。

 そんななか業を煮やした軍が再びクーデターを起こします。2014年2月、選挙がおこなわれタクシン派が圧勝したのにもかかわらず、軍がなんとインラック首相を拘束し軍事政権樹立宣言をしたのです。選挙で圧勝した首相を拘束し軍事政権を樹立......。こんなことが民主国家で許されるのが不思議なのですが、その後5年間は選挙もおこなわれませんでした。

 そして今年(2019年)3月、ようやく選挙がおこなわれました。結果はやはりタクシン派(タイ貢献党)が第一党となりました。しかし多数の党が議席を確保しており、タクシン派を支持する政党では過半数に届かず、かたちとしては「軍事政権が民主的に勝利」しました。しかしこれにはトリックがあり、タクシン派によれば選挙方法がタクシン派に非常に不利なものに設定されています。実際、結果の内訳をみてみると小選挙区では圧倒的に第1党となっているタイ貢献党が、比例代表ではなんと「ゼロ」なのです。ここまで極端になるとやはり選挙制度が公平なものなのかどうか疑問が残ります。

 さて、これだけの「史実」があるのにもかかわらずタイが"平和"なのはなぜでしょうか。ひとつは先にのべた国王の存在です。いざとなったら国王にお出ましいただければ......、という気持ちがタイ人にあるのは間違いないでしょう。ただ、プミポン国王は2016年10月に崩御されています。現在のワチラーロンコーン王(ラーマ10世)はプミポン国王ほど尊敬されていないという話を至るところで聞きます。

 もうひとつ、タイが"平和"な理由として私が思うのは、タイ人はデモをどこかで"楽しんでいる"ということです。楽しむとは不謹慎な、という声もあるでしょうが、デモに参加すれば弁当が配られお小遣いももらえるそうで「お祭り」みたいなもんだ、と言っていたタイ人もいました。多数の犠牲者が出ていることはもちろん大問題ですが、デモに慣れてくると危険度がわかるようになるそうです。ただ、外国人は近づかない方がいいと言われることが多く、この点は現地の人の意見を聞くべきでしょう。

 もうひとつ、タイの危険性を語る上で外せない事件があります。2015年8月17日18時55分、バンコクのラチャプラソン交差点近くのエラワンの祠の構内で爆発が起こり、20人が死亡しました。この事件は犯行声明が出されておらず、犯人は逮捕されたものの国籍不明、トルコのパスポートを多数保持していたことが伝えられています。ちなみに私はこの事件のちょうど12時間前の早朝にこの付近をジョギングしており、事件を聞いてぞっとしました。その後小規模ではあるものの似たような爆破事件が何度か起こっており、今後はこういったリスクを重視すべきかもしれません。

 今回はかなり長くなったので最後にポイントをまとめておきます。

#1 タイは国際的には平和指数の低い国(126位/162か国)と考えられている。
#2 市民デモのみならず軍事クーデターも繰り返し起こり多数の犠牲者がでている。
#3 タイ国民には、いざとなれば王がなんとかしてくれるという期待がある。
#4 ただし2016年に王が替わってからはその期待を危ぶむ声もある。
#5 タイの政権は現在も軍事政権。ただし2019年3月の選挙では"民主的に"勝利した。
#6 ただしその選挙で第一党となったのはタクシン派。同派は選挙制度が公平でないと主張している。
#7 2001年以降、選挙で勝利するのは毎回タクシン派。
#8 外国人はデモに近づかない方が無難。できれば現地の人から情報を収集すべき。
#9 南部3県は宗教的なテロのリスクが高い。外国人の渡航は推薦できない。
#10 2016年8月に起こった爆破事件と同様のリスクに今後注意が必要。 

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注:念のため補足しておくと、タイでは苗字ではなく名前を呼ぶのが一般的です。本文に登場するタクシン、インラック、アピシット、チャムロン、スチンダーなどはすべてファーストネームです。おそらくこの人たち全員の苗字を正確に言えるタイ人はそう多くないと思います。そもそもタイ人は友達の苗字も知らないということがよくあります。さらに補足すると、タイ人は友達の苗字のみならず名前も知らないこともよくあります。通常タイ人は生涯変わらないニックネーム(チュー・レン)を持っており、家族からも友達からもこのニックネームで呼ばれており、正式な名前(ファーストネーム)を知らなくても事足りるのです。


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