GINAと共に
第161回(2019年11月) パーデュー社の破産と医師の責任
過去の「GINAと共に」(第137回(2017年11月)「痛み止めから始まるHIV」)で、現在の米国では麻薬汚染が深刻化しており、その結果としてHIV感染者が急増している状況についてお伝えしました。
その諸悪の根源のひとつが製薬会社であり、なかでもパーデュー・ファーマ(Purdue Pharma)社(以下「パーデュー社)が、いかに悪質な方法で麻薬を広めていったかについて紹介しました。「ロサンジェルス・タイムズ」の報道によれば、パーデュー社は自社が販売する麻薬性鎮痛薬「オキシコンチン」を"夢のクスリ"のように謳い、売り上げを急増させ、1996年の販売開始以来、米史上最大規模の700万人超という薬物乱用者を発生させたのです。
こんなことが許されていいはずがありません。案の定、パーデュー社は大勢の患者や患者団体から訴訟を起こされついに破産することになりました。Reuterによれば、1999年から2017年の間に約40万人の命がオキシコンチンによって奪われており、同社は2,600以上の訴訟を抱えています。そして2019年9月15日、ついに破産が決まりました。Reuterによれば、パーデュー社は和解に100億ドル(約1兆1000億円)を充当する予定で、さらに事実上の同社のトップであるSacklers氏は30億ドルの現金を提供し、さらに15億ドル以上を追加するようです。パーデュー社のウェブサイトにも概要が掲載されています。
麻薬性鎮痛薬で破産したのはパーデュー社だけですが、パーデュー社と同様麻薬性鎮痛薬を販売していたテバ社(Teva Pharmaceutical)は、被害者への「和解」として230億ドルのオピオイド依存症治療薬の寄付及び10年間で2億5000万ドルを支払うことが決まっています(報道はCNBCの記事)。
また日本でも有名なジョンソン・エンド・ジョンソン(Johnson & Johnson)も麻薬性鎮痛薬を販売しており、米国オハイオ州の2つの郡から訴訟を起こされており2,040万ドル支払う和解案に同意しました(報道はBBCの記事)。
麻薬依存になれば最悪の帰結は「死」であり、死に至らなくても依存症を克服するのは非常に困難です。被害者の人たちは「パーデュー社に(テバ社に、ジョンソン・エンド・ジョンソンに)人生を返してほしい」と思っているに違いありません。いくらかのお金をもらえばそれで解決するわけではないのです。
改めて考えてみると、このようにたくさんの麻薬の被害者を生み出した諸悪の根源である製薬会社が責任を取るのは当然なのですが、それで済ませてしまっていいのでしょうか。私は一連の報道をみていて感じる疑問が3つあります。
まず製薬会社の従業員には「良心」がないのか、という点です。ある程度の薬学の知識があれば、こんな鎮痛薬を売り続けていればやがてこのような事態になることは予測できたはずです。おそらく従業員は、自分の身内が慢性の痛みに悩んでいたとしても(末期がんなどを除けば)自社製品を使わせなかったはずです。それを"夢のクスリ"のように謳い患者を"騙した"わけです。
「ロサンジェルス・タイムズ」の報道によれば、オキシコンチンの謳い文句は「12時間効く」です。つまり「1日2回の服用で痛みが完全にコントロールできる」といってセールスしたのです。しかし麻薬には「耐性」があります。製薬会社の従業員がこんな常識を知らないはずがありません。耐性ができればどうなるか。まずは医師に増量を求めるでしょう。それができなければ闇で入手しようとし、そのうちに内服から注射にうつっていきます。そして、針の入手が困難なため使いまわしをするようになりHIV感染、という事態が実際に起こっているわけです。
ところで「麻薬の耐性」というのは専門家しか知らない難易度の高い知識なのでしょうか。自慢になるはずもありませんが、私は医師を目指すはるか昔、小学生の頃から知っていました。なぜなら「ヘロインで身を滅ぼしていく若い男女」が登場する刑事ドラマを何度か見ていたからです。こんな小学生でもわかる常識がなぜ顧みられなかったのでしょう。
この常識が周知されていれば製薬会社が金に目がくらんだとしても製品を認可する行政(米国の場合FDA)でストップがかかったはずです。これが私の2つめの「疑問」です。例えば私がFDAの担当者なら「麻薬を継続すればいずれ耐性がでる。よって1日2回で有効と断言したいのなら長期の安全性を示すデータを提出せよ」と製薬会社に要求します。もちろん耐性が生じれば効果が低下しますから有効性・安全性を兼ね揃えたデータが出せるはずがありません。よって認可されることはありません。まったく証拠はありませんが、製薬会社から何らかの賄賂が行政側に渡ったのではないかと疑わずにはいられません。
私が感じる3つめの「疑問」は医師です。製薬会社の者は薬を売るのがミッションですから多少の(時に多少でない)誇張は日常茶飯時です。自社製品を売らねば会社に在籍できないわけですから何とか医師に処方してもらおうとあの手この手を尽くしてきます。しかし、一方で医師はそんなことは百も承知ですから、たとえ何かのプレゼントをもらったとしても(現在はこのようなことは禁じられていますが)、患者にとって有益でない薬は処方できないのです。薬の処方にはいつもリスクとベネフィットを天秤にかけているのです。
例えば末期がんなら耐え難い痛みに対し麻薬を使うのは理にかなっています。そして「末期」ですから、麻薬に耐性ができることがあったとしても依存症になる前に他界します。私にはなぜ米国の医師たちが慢性疼痛を有する(末期がんでない)若者にこのような麻薬を処方し続けたのかが理解できません。世論は麻薬を"夢のクスリ"のように謳って販売した製薬会社が悪いと言っていますし、先述のReuterの記事にも「製薬会社が医師を誤らせた(misleading doctors)」と書かれているのですが、私には医師にも同じかそれ以上の責任があると考えています。
この私の意見には反論がでてきます。「では、耐え難い痛みを持つ患者を見殺しにするのか!」というものです。もちろん、「耐え難い痛み」があれば処方はやむをえないでしょう。ですが、必ず耐性ができてくること、どれだけ麻薬が欲しくなっても決して闇で入手しないこと、絶対に使いまわしの注射針を使ってはいけないことなどを本当に説明しているのでしょうか。
賭けてもいいですが、このような説明を米国のすべての医師がしているわけではありません。なぜそのようなことが言えるかというと、実は日本でも同じ事態が起こっているからです。たしかに現在の日本では米国のように700万人もの麻薬依存症の患者がいませんし40万人もの命が奪われたわけではありません。
ですが、日本ではある意味でもっと巧妙な手口で麻薬が広がっているのです。これについては冒頭で紹介したコラム及び太融寺町谷口医院のサイトで述べたので詳しくはそちらを読んでほしいのですが、重要なポイントを繰り返しておきます。米国では初めから「麻薬」として認可されていますが、日本では添付文書やPR用の文書にわざわざ「オピオイド(非麻薬)」と書いてあるのです(例えばこちら)。しかし、日本で販売されているオピオイドもれっきとした麻薬です。そもそもオピオイドとは麻薬のことです。オキシコンチンのような強力な麻薬と比べると日本で広く使われている麻薬はたしかにその作用は弱いのですが、耐性や依存を引き起こすことには変わりありません。日本ペインクリニック学会のウェブサイトでは「強オピオイド」「弱オピオイド」と区別されており、これなら理解しやすいと言えます。
話を戻すと、現在の日本ではこのわざわざ「非麻薬」と強調された麻薬(オピオイド)が危険性の説明もなく処方されているのです。最近私が太融寺町谷口医院で経験した症例を紹介しておきましょう。
【症例】30代男性
背中に「できもの」ができて近くの医療機関で手術がおこなわれた。「できもの」は1cm未満の良性腫瘍で傷はごく小さい。術後に痛み止めとして処方された薬が「トラマール」だった。このサイトを読んでいて「これは麻薬ではないのか」と思い太融寺町谷口医院を受診。患者によれば痛みはさほど強くなく手持ちのロキソプロフェンで充分コントロールできるとのこと。「トラマールの注意点について何か聞きましたか」という私の質問に対しこの男性が答えたのは「よく効く薬としか聞いてません」...。
これが日本の現実なのです。
************
参考:
GINAと共に
第151回(2019年1月)「本当に危険な麻薬(オピオイド)」
第137回(2017年11月)「痛み止めから始まるHIV」
はやりの病気
第189回(2019年5月)「 麻薬中毒者が急増する!」
その諸悪の根源のひとつが製薬会社であり、なかでもパーデュー・ファーマ(Purdue Pharma)社(以下「パーデュー社)が、いかに悪質な方法で麻薬を広めていったかについて紹介しました。「ロサンジェルス・タイムズ」の報道によれば、パーデュー社は自社が販売する麻薬性鎮痛薬「オキシコンチン」を"夢のクスリ"のように謳い、売り上げを急増させ、1996年の販売開始以来、米史上最大規模の700万人超という薬物乱用者を発生させたのです。
こんなことが許されていいはずがありません。案の定、パーデュー社は大勢の患者や患者団体から訴訟を起こされついに破産することになりました。Reuterによれば、1999年から2017年の間に約40万人の命がオキシコンチンによって奪われており、同社は2,600以上の訴訟を抱えています。そして2019年9月15日、ついに破産が決まりました。Reuterによれば、パーデュー社は和解に100億ドル(約1兆1000億円)を充当する予定で、さらに事実上の同社のトップであるSacklers氏は30億ドルの現金を提供し、さらに15億ドル以上を追加するようです。パーデュー社のウェブサイトにも概要が掲載されています。
麻薬性鎮痛薬で破産したのはパーデュー社だけですが、パーデュー社と同様麻薬性鎮痛薬を販売していたテバ社(Teva Pharmaceutical)は、被害者への「和解」として230億ドルのオピオイド依存症治療薬の寄付及び10年間で2億5000万ドルを支払うことが決まっています(報道はCNBCの記事)。
また日本でも有名なジョンソン・エンド・ジョンソン(Johnson & Johnson)も麻薬性鎮痛薬を販売しており、米国オハイオ州の2つの郡から訴訟を起こされており2,040万ドル支払う和解案に同意しました(報道はBBCの記事)。
麻薬依存になれば最悪の帰結は「死」であり、死に至らなくても依存症を克服するのは非常に困難です。被害者の人たちは「パーデュー社に(テバ社に、ジョンソン・エンド・ジョンソンに)人生を返してほしい」と思っているに違いありません。いくらかのお金をもらえばそれで解決するわけではないのです。
改めて考えてみると、このようにたくさんの麻薬の被害者を生み出した諸悪の根源である製薬会社が責任を取るのは当然なのですが、それで済ませてしまっていいのでしょうか。私は一連の報道をみていて感じる疑問が3つあります。
まず製薬会社の従業員には「良心」がないのか、という点です。ある程度の薬学の知識があれば、こんな鎮痛薬を売り続けていればやがてこのような事態になることは予測できたはずです。おそらく従業員は、自分の身内が慢性の痛みに悩んでいたとしても(末期がんなどを除けば)自社製品を使わせなかったはずです。それを"夢のクスリ"のように謳い患者を"騙した"わけです。
「ロサンジェルス・タイムズ」の報道によれば、オキシコンチンの謳い文句は「12時間効く」です。つまり「1日2回の服用で痛みが完全にコントロールできる」といってセールスしたのです。しかし麻薬には「耐性」があります。製薬会社の従業員がこんな常識を知らないはずがありません。耐性ができればどうなるか。まずは医師に増量を求めるでしょう。それができなければ闇で入手しようとし、そのうちに内服から注射にうつっていきます。そして、針の入手が困難なため使いまわしをするようになりHIV感染、という事態が実際に起こっているわけです。
ところで「麻薬の耐性」というのは専門家しか知らない難易度の高い知識なのでしょうか。自慢になるはずもありませんが、私は医師を目指すはるか昔、小学生の頃から知っていました。なぜなら「ヘロインで身を滅ぼしていく若い男女」が登場する刑事ドラマを何度か見ていたからです。こんな小学生でもわかる常識がなぜ顧みられなかったのでしょう。
この常識が周知されていれば製薬会社が金に目がくらんだとしても製品を認可する行政(米国の場合FDA)でストップがかかったはずです。これが私の2つめの「疑問」です。例えば私がFDAの担当者なら「麻薬を継続すればいずれ耐性がでる。よって1日2回で有効と断言したいのなら長期の安全性を示すデータを提出せよ」と製薬会社に要求します。もちろん耐性が生じれば効果が低下しますから有効性・安全性を兼ね揃えたデータが出せるはずがありません。よって認可されることはありません。まったく証拠はありませんが、製薬会社から何らかの賄賂が行政側に渡ったのではないかと疑わずにはいられません。
私が感じる3つめの「疑問」は医師です。製薬会社の者は薬を売るのがミッションですから多少の(時に多少でない)誇張は日常茶飯時です。自社製品を売らねば会社に在籍できないわけですから何とか医師に処方してもらおうとあの手この手を尽くしてきます。しかし、一方で医師はそんなことは百も承知ですから、たとえ何かのプレゼントをもらったとしても(現在はこのようなことは禁じられていますが)、患者にとって有益でない薬は処方できないのです。薬の処方にはいつもリスクとベネフィットを天秤にかけているのです。
例えば末期がんなら耐え難い痛みに対し麻薬を使うのは理にかなっています。そして「末期」ですから、麻薬に耐性ができることがあったとしても依存症になる前に他界します。私にはなぜ米国の医師たちが慢性疼痛を有する(末期がんでない)若者にこのような麻薬を処方し続けたのかが理解できません。世論は麻薬を"夢のクスリ"のように謳って販売した製薬会社が悪いと言っていますし、先述のReuterの記事にも「製薬会社が医師を誤らせた(misleading doctors)」と書かれているのですが、私には医師にも同じかそれ以上の責任があると考えています。
この私の意見には反論がでてきます。「では、耐え難い痛みを持つ患者を見殺しにするのか!」というものです。もちろん、「耐え難い痛み」があれば処方はやむをえないでしょう。ですが、必ず耐性ができてくること、どれだけ麻薬が欲しくなっても決して闇で入手しないこと、絶対に使いまわしの注射針を使ってはいけないことなどを本当に説明しているのでしょうか。
賭けてもいいですが、このような説明を米国のすべての医師がしているわけではありません。なぜそのようなことが言えるかというと、実は日本でも同じ事態が起こっているからです。たしかに現在の日本では米国のように700万人もの麻薬依存症の患者がいませんし40万人もの命が奪われたわけではありません。
ですが、日本ではある意味でもっと巧妙な手口で麻薬が広がっているのです。これについては冒頭で紹介したコラム及び太融寺町谷口医院のサイトで述べたので詳しくはそちらを読んでほしいのですが、重要なポイントを繰り返しておきます。米国では初めから「麻薬」として認可されていますが、日本では添付文書やPR用の文書にわざわざ「オピオイド(非麻薬)」と書いてあるのです(例えばこちら)。しかし、日本で販売されているオピオイドもれっきとした麻薬です。そもそもオピオイドとは麻薬のことです。オキシコンチンのような強力な麻薬と比べると日本で広く使われている麻薬はたしかにその作用は弱いのですが、耐性や依存を引き起こすことには変わりありません。日本ペインクリニック学会のウェブサイトでは「強オピオイド」「弱オピオイド」と区別されており、これなら理解しやすいと言えます。
話を戻すと、現在の日本ではこのわざわざ「非麻薬」と強調された麻薬(オピオイド)が危険性の説明もなく処方されているのです。最近私が太融寺町谷口医院で経験した症例を紹介しておきましょう。
【症例】30代男性
背中に「できもの」ができて近くの医療機関で手術がおこなわれた。「できもの」は1cm未満の良性腫瘍で傷はごく小さい。術後に痛み止めとして処方された薬が「トラマール」だった。このサイトを読んでいて「これは麻薬ではないのか」と思い太融寺町谷口医院を受診。患者によれば痛みはさほど強くなく手持ちのロキソプロフェンで充分コントロールできるとのこと。「トラマールの注意点について何か聞きましたか」という私の質問に対しこの男性が答えたのは「よく効く薬としか聞いてません」...。
これが日本の現実なのです。
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参考:
GINAと共に
第151回(2019年1月)「本当に危険な麻薬(オピオイド)」
第137回(2017年11月)「痛み止めから始まるHIV」
はやりの病気
第189回(2019年5月)「 麻薬中毒者が急増する!」
第160回(2019年10月) HIV内定取消病院の呆れるコメントと3つの「新常識」
HIV陽性のソーシャルワーカーの内定を取り消した無知な病院があることを過去のコラム(「GINAと共に」第156回(2019年6月)「なぜかくも馬鹿げた裁判がおこなわれたのか」)で取り上げました。このような内定取り消しをしたこと自体が、自分たちが無知であることを示す「恥さらし」であり、直ちにこの病院は和解に応じるべきだということをそのコラムで述べました。
しかし病院は和解に応じず結局裁判がおこなわれ、当然のことながら原告(内定を取り消されたソーシャルワーカー)が勝訴しました。すると、この病院は謝罪するどころか考えられないようなコメントを発表しました。呆れて物が言えない、というレベルの言葉です。ここに抜粋して紹介しましょう。
(前略)判決が言い渡されましたが、法人として到底、納得できるものではない結果となりました。私どもはあくまで原告が虚偽の発言を複数回にわたり繰り返したことにより信頼を失い、職員としての適正に欠けたための「採用内定取消し」の考えは一貫して変わっておりません。(中略)そのこと(HIV)に対する「差別」や「偏見」といった考えはないことは明白であることを申し添えます。
同院によれば、HIVに対する差別や偏見はないそうです。ならば、なぜ裁判では「流血感染のおそれがある」と繰り返し主張したのでしょう。裁判の様子を細かく伝えた『HUFFPOST』の記事によると、差別としか言いようのない言葉が病院の弁護士から浴びせられています。弁護士の一部の言葉を報道から引用してみます。
「感染していない人がね、感染者からウイルスをうつされたくないって思うのは差別なんですか?偏見なんですか?」
「あなた以外の他の人は、自分自身を感染から守っちゃいけないんですか?」
「精神疾患のある、頭の変な患者から殴られたりしてそういうことが起きたときに、あなたが病気を持っている情報がなければ何も対策できないですよね」
これらの言葉が差別でなくてなんなのでしょう。当然のことながらソーシャルワーカーの業務で流血することはありませんし(大地震などが起こればありうるかもしれませんが)、たとえ流血してその血液が他人に触れたとしても、このソーシャルワーカーの場合きちんと治療を受けていますから他人に感染させることはあり得ません。この事実は我々医療者であれば「常識」なのですが、この病院及びその代理人はそんな基本的なことさえ知らないことが白日の下に晒されたわけです。
これだけ差別的な発言をしておきながら、同院は「HIVに対する差別はない」「内定取り消しの理由は原告が虚偽の発言をしたからだ」と開き直っているわけです。これが詭弁であることは明白であり、こんなことを宣うくらいなら「当院では裁判で弁護士が主張したように職員をHIV感染させたくなかったんです」と正直に言った方がずっとましです。
さて、きちんと治療をうけている場合、「HIV陽性者の血液に触れても感染しない」、さらに(本事件とは無関係のことですが)「コンドームなしの性交渉(unprotected sexでも感染しない」というのは我々医療者にとっては「常識」ですが、一般の方はそうは思っていないかもしれません。だからこそ、こういったことを伝えるのがメディアの仕事ではないでしょうか。
ですがこの内定取り消し事件を報じた各メディアの一連の報道をみてみると、もちろん誤ったことを伝えているわけではないのですが、もう一歩踏み込んで現在のHIVの「常識」について啓発してほしいという気持ちが拭えません。そこで、今回はポイントを絞り、「3つの新常識」について述べたいと思います。
まず1つめの常識は「きちんと治療を受けていればコンドームなしの性行為(unprotected sex)でも針刺し事故でも感染しない」ということで、これを世界的には「U=U」と呼びます。最初の「U」は「undetectable(検出されない)」、後の「U」は「untransmittable(感染しない)」です。つまり、きちんと薬を内服していれば血中ウイルス量をゼロにできる(つまり「検出されない」)わけで、その状態が一定期間持続していれば感染は起こりえないのです。「U=U」はUNAIDS(国連合同エイズ計画)が2018年7月20日に公表した概念で、すでに世界的には「常識」となっています。
今回の内定取り消し事件を報道したメディアのなかで「U=U」を取り上げたのはわずか1件だけです。ちなみに、この1件は毎日新聞「医療プレミア」の連載で私が書いたコラム「HIV感染者の内定取り消しで問う「医療者の姿勢」」です。こう書くと"自慢話"のように聞こえますが、「U=U」について記載したのは私自身ではなく毎日新聞の編集者です。私自身もオリジナルの原稿では「U=U」について触れなかったのですが、これは時期尚早だと考えたからです(なんだか言い訳になってます......)。
2つめの常識は「PrEP」と呼ばれる「曝露前予防」(pre-exposure prophylaxis)です。これはこのサイトの過去のコラム(第119回(2016年5月)「PEP、PrEPは日本で普及するか」)でも紹介しましたが、いまだに日本では普及していません。HIVのPrEPとは、例えばパートナーがHIV陽性者の場合、毎日抗HIV薬を内服することで感染が防げるという方法です。先に紹介した「U=U」なら不必要ではないか、と思われる人もいるでしょうが、例えば治療開始直後の場合、「undetectable」(ウイルスが検出されない)が持続していることを確認できるまでにしばらく時間がかかることがあり、この間だけPrEPに頼るのです。あるいは(倫理的な問題はさておき)「複数のパートナーがいる」「セックスワークをしている」という状況にいるため利用しているという人もいます。
3つめの常識は「HIV診療の現場」です。これは全員が知っておく必要はないかもしれませんが、HIVをよりよく理解していただくために社会に周知してもらうべきだと私は考えています。私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)ではほぼ毎日HIV陽性の患者さんが受診されます。彼(女)らは抗HIV薬はエイズ拠点病院で処方されており、谷口医院を受診するのはそれ以外のことです。その受診理由が谷口医院開院時の2007年と比べると現在は随分と変わってきています。昔は「抗HIV薬の副作用が出た」「薬局で売っている薬や(歯科医院などで)処方された薬と抗HIV薬の飲み合わせについて教えてほしい」という相談が多かったのですが、現在こういう内容の悩みはあまり聞きません。薬が劇的に改良され1日1回1錠のみというケースも増えてきています。副作用も大きく減少し、さらに、一昔前は複雑だった薬の飲み合わせが現在はかなり簡単になってきています。
これらに代わって増えてきている相談が「生活習慣病」です。HIV陽性者の死因がエイズであったのは遥か昔のことであり、現在はHIV関連疾患で他界することはほとんどありません。代わって問題になっているのが「生活習慣病」です。HIVに感染していると、たとえ「U=U」の状態であったとしても動脈硬化が起こりやすくなります。したがって、HIV陰性者よりも厳しいレベルで生活習慣の改善が必要となり、高脂血症や高血圧症、糖尿病をコントロールしていく必要があります。そして、HIV陽性者は(なぜか)喫煙者が多く、禁煙の重要性を理解してもらって取り組んでいかねばなりません。さらに、過去のコラム(第117回(2016年3月)「HIVに伴う認知症をどうやって予防するか」)で述べたように、HAND(HIV-associated neurocognitive disorders)(HIV関連神経認知障害)と呼ばれる神経疾患の予防も必要となり、禁煙は必須となります。
つまるところ、谷口医院を受診しているHIV陽性者に我々が供給している医療というのは、大半は生活習慣病の指導と治療、禁煙治療、認知症の予防なのです。「HIVの治療について、抗HIV薬の処方はエイズ拠点病院で実施すべきだが、それ以外は(私のような)総合診療科医が担うべき」ということをここ数年、様々な学会や研究会で主張しています。
流血感染のおそれが......、などと馬鹿なことを言っている北海道の病院は放っておいて、「U=U」「PrEP」「生活習慣病の予防と治療」が現在のHIVの常識であることをこのサイトの読者には知っておいてほしいと思っています。
しかし病院は和解に応じず結局裁判がおこなわれ、当然のことながら原告(内定を取り消されたソーシャルワーカー)が勝訴しました。すると、この病院は謝罪するどころか考えられないようなコメントを発表しました。呆れて物が言えない、というレベルの言葉です。ここに抜粋して紹介しましょう。
(前略)判決が言い渡されましたが、法人として到底、納得できるものではない結果となりました。私どもはあくまで原告が虚偽の発言を複数回にわたり繰り返したことにより信頼を失い、職員としての適正に欠けたための「採用内定取消し」の考えは一貫して変わっておりません。(中略)そのこと(HIV)に対する「差別」や「偏見」といった考えはないことは明白であることを申し添えます。
同院によれば、HIVに対する差別や偏見はないそうです。ならば、なぜ裁判では「流血感染のおそれがある」と繰り返し主張したのでしょう。裁判の様子を細かく伝えた『HUFFPOST』の記事によると、差別としか言いようのない言葉が病院の弁護士から浴びせられています。弁護士の一部の言葉を報道から引用してみます。
「感染していない人がね、感染者からウイルスをうつされたくないって思うのは差別なんですか?偏見なんですか?」
「あなた以外の他の人は、自分自身を感染から守っちゃいけないんですか?」
「精神疾患のある、頭の変な患者から殴られたりしてそういうことが起きたときに、あなたが病気を持っている情報がなければ何も対策できないですよね」
これらの言葉が差別でなくてなんなのでしょう。当然のことながらソーシャルワーカーの業務で流血することはありませんし(大地震などが起こればありうるかもしれませんが)、たとえ流血してその血液が他人に触れたとしても、このソーシャルワーカーの場合きちんと治療を受けていますから他人に感染させることはあり得ません。この事実は我々医療者であれば「常識」なのですが、この病院及びその代理人はそんな基本的なことさえ知らないことが白日の下に晒されたわけです。
これだけ差別的な発言をしておきながら、同院は「HIVに対する差別はない」「内定取り消しの理由は原告が虚偽の発言をしたからだ」と開き直っているわけです。これが詭弁であることは明白であり、こんなことを宣うくらいなら「当院では裁判で弁護士が主張したように職員をHIV感染させたくなかったんです」と正直に言った方がずっとましです。
さて、きちんと治療をうけている場合、「HIV陽性者の血液に触れても感染しない」、さらに(本事件とは無関係のことですが)「コンドームなしの性交渉(unprotected sexでも感染しない」というのは我々医療者にとっては「常識」ですが、一般の方はそうは思っていないかもしれません。だからこそ、こういったことを伝えるのがメディアの仕事ではないでしょうか。
ですがこの内定取り消し事件を報じた各メディアの一連の報道をみてみると、もちろん誤ったことを伝えているわけではないのですが、もう一歩踏み込んで現在のHIVの「常識」について啓発してほしいという気持ちが拭えません。そこで、今回はポイントを絞り、「3つの新常識」について述べたいと思います。
まず1つめの常識は「きちんと治療を受けていればコンドームなしの性行為(unprotected sex)でも針刺し事故でも感染しない」ということで、これを世界的には「U=U」と呼びます。最初の「U」は「undetectable(検出されない)」、後の「U」は「untransmittable(感染しない)」です。つまり、きちんと薬を内服していれば血中ウイルス量をゼロにできる(つまり「検出されない」)わけで、その状態が一定期間持続していれば感染は起こりえないのです。「U=U」はUNAIDS(国連合同エイズ計画)が2018年7月20日に公表した概念で、すでに世界的には「常識」となっています。
今回の内定取り消し事件を報道したメディアのなかで「U=U」を取り上げたのはわずか1件だけです。ちなみに、この1件は毎日新聞「医療プレミア」の連載で私が書いたコラム「HIV感染者の内定取り消しで問う「医療者の姿勢」」です。こう書くと"自慢話"のように聞こえますが、「U=U」について記載したのは私自身ではなく毎日新聞の編集者です。私自身もオリジナルの原稿では「U=U」について触れなかったのですが、これは時期尚早だと考えたからです(なんだか言い訳になってます......)。
2つめの常識は「PrEP」と呼ばれる「曝露前予防」(pre-exposure prophylaxis)です。これはこのサイトの過去のコラム(第119回(2016年5月)「PEP、PrEPは日本で普及するか」)でも紹介しましたが、いまだに日本では普及していません。HIVのPrEPとは、例えばパートナーがHIV陽性者の場合、毎日抗HIV薬を内服することで感染が防げるという方法です。先に紹介した「U=U」なら不必要ではないか、と思われる人もいるでしょうが、例えば治療開始直後の場合、「undetectable」(ウイルスが検出されない)が持続していることを確認できるまでにしばらく時間がかかることがあり、この間だけPrEPに頼るのです。あるいは(倫理的な問題はさておき)「複数のパートナーがいる」「セックスワークをしている」という状況にいるため利用しているという人もいます。
3つめの常識は「HIV診療の現場」です。これは全員が知っておく必要はないかもしれませんが、HIVをよりよく理解していただくために社会に周知してもらうべきだと私は考えています。私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)ではほぼ毎日HIV陽性の患者さんが受診されます。彼(女)らは抗HIV薬はエイズ拠点病院で処方されており、谷口医院を受診するのはそれ以外のことです。その受診理由が谷口医院開院時の2007年と比べると現在は随分と変わってきています。昔は「抗HIV薬の副作用が出た」「薬局で売っている薬や(歯科医院などで)処方された薬と抗HIV薬の飲み合わせについて教えてほしい」という相談が多かったのですが、現在こういう内容の悩みはあまり聞きません。薬が劇的に改良され1日1回1錠のみというケースも増えてきています。副作用も大きく減少し、さらに、一昔前は複雑だった薬の飲み合わせが現在はかなり簡単になってきています。
これらに代わって増えてきている相談が「生活習慣病」です。HIV陽性者の死因がエイズであったのは遥か昔のことであり、現在はHIV関連疾患で他界することはほとんどありません。代わって問題になっているのが「生活習慣病」です。HIVに感染していると、たとえ「U=U」の状態であったとしても動脈硬化が起こりやすくなります。したがって、HIV陰性者よりも厳しいレベルで生活習慣の改善が必要となり、高脂血症や高血圧症、糖尿病をコントロールしていく必要があります。そして、HIV陽性者は(なぜか)喫煙者が多く、禁煙の重要性を理解してもらって取り組んでいかねばなりません。さらに、過去のコラム(第117回(2016年3月)「HIVに伴う認知症をどうやって予防するか」)で述べたように、HAND(HIV-associated neurocognitive disorders)(HIV関連神経認知障害)と呼ばれる神経疾患の予防も必要となり、禁煙は必須となります。
つまるところ、谷口医院を受診しているHIV陽性者に我々が供給している医療というのは、大半は生活習慣病の指導と治療、禁煙治療、認知症の予防なのです。「HIVの治療について、抗HIV薬の処方はエイズ拠点病院で実施すべきだが、それ以外は(私のような)総合診療科医が担うべき」ということをここ数年、様々な学会や研究会で主張しています。
流血感染のおそれが......、などと馬鹿なことを言っている北海道の病院は放っておいて、「U=U」「PrEP」「生活習慣病の予防と治療」が現在のHIVの常識であることをこのサイトの読者には知っておいてほしいと思っています。
第159回(2019年9月)タイの平和度指数が低い理由と現代史
世界平和度指数が162ヵ国中126位の国の実態を想像できるでしょうか。治安が悪く、犯罪率が高く、若い女性がひとりで街を歩くことができない国を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。ですが、これはタイのことです。シドニーに本部のある世界規模のシンクタンクIEP(The Institute for Economics and Peace)が2014年にまとめたランキングです。
バンコクの繁華街やプーケットを訪れたことがある人なら分かると思いますが、女性が街を歩けないどころか真夜中でも一人で歩いている女性はいくらでもいます(お勧めはしませんが)。「微笑みの国」と言われるだけあり、人々は優しく強盗の被害に会うことは稀です。では、なぜ平和のランキングがこんなにも低いのでしょうか。ちなみに日本は第8位、世界一治安が悪い都市と言われているヨハネスブルグを抱える南アフリカ共和国が122位ですからタイがどれだけ危険と考えられているかがわかるでしょう。
今回は先に私見を述べておきます。タイはいくつかの特徴を知っておけばまあまあ安全な国でありそれほど心配はいりません。ですが、知っておくべきこともありますのでそれらを述べてみたいと思います。
まず客観的にみて危険性が高いのは南部の3つの県、パタニ県(パッタニー県)、ヤラー県、ナラティワート県です。歴史的にみてこの3県及びマレーシア北部の一部は、かつてはイスラム教のパタニ王国でした。以前から独立を求める声があり、2004年に武装勢力が軍の施設から武器を略奪し4名の兵士を殺害しました。これを受けて当時の政権は3県に戒厳令を布告。その後武力衝突が頻繁に起こっています。2014年の時点で死者6,000人、負傷者10,000人以上。爆破事件は年間数百例と言われています(これ以降の数字は収集できませんでした)。
爆破事件はショッピングセンターやオフィスビルでも起こっているで、やはりこの地域への渡航は避けた方が無難でしょう。私は一度これら3県に隣接するソンクラー県を訪れたことがあります。同県でも夜間には戒厳令がひかれ、日中も含めて日本人には一人も会いませんでした。私は知人の医師と食事に出かけましたが特に危険な雰囲気は感じませんでした。ですがその医師によれば南部3県では注意した方がいいとのことでした。
南部3県以外の地域、特にバンコクの状況をみていきましょう。通称「暗黒の土曜日」と呼ばれる、一説には2千人以上の死者を出したといわれる軍による一般市民の弾圧事件が2010年4月10日に起こりました。この事件では日本人のカメラマンも犠牲になりました。2千人規模の犠牲者を出した軍による弾圧となると天安門事件と変わりません。では、なぜ「暗黒の土曜日」は天安門事件ほど知名度が高くないのでしょうか。
それを考える前にタイの現代史を簡単に振り返っておきましょう。現代史といっても学者が考えたものではなく、私がこれまでにタイ人やタイをよく知る外国人から聞いた情報をまとめたものですから信頼性が乏しくエビデンスの高いものではありません。それをお断りした上で進めていきます。
まずおさえておきたいのがプミポン国王による「暗黒の5月事件」の終焉です。1992年、軍派のスチンダー首相と市民が対立し、バンコクでの市民によるデモを軍が鎮圧し300人以上の死者が出ました。これを見かねたプミポン国王が登場。スチンダー首相と民主化運動の指導者チャムロン氏の二人を呼びつけ正座させ「国民のことを考えろ!」と一喝、この瞬間に双方の対立がなくなったのです。
タイの社会を考える上で王室の存在を抜きにすることはできません。私の経験上、どこの家族に招かれてもプミポン国王の写真を掲げていなかった家は一軒もありません。タイの映画館では上映前に必ず国王賛歌が流れます。このときには(外国人も含めて)全員が起立しなければなりません。これをしなければ不敬罪で逮捕されます。しかもこれに対する不満の声を聞いたことがありません。日本でも皇室は多くの国民に支持されていますが、タイとは比較にならないと思います。
歴史を進めましょう。1997年のアジア通貨危機の翌年、(このサイトで何度も紹介している)タクシン氏がタイ愛国党を設立し、2001年に首相に就任しました。そして30バーツ医療(その後無料に変わる)を開始し、国民の誰もが医療を受けることができるようになりました。これをバラマキと非難する人もいるのですが、特に北部や東北部ではそれまで病院には行けなかった人たちがこの制度のおかげで医療機関を受診できるようになったのは事実です。タイでは医師も含めて特にバンコク在住の知識人の多くが「反タクシン派」なのですが、大勢のエイズ患者と接してきた私からすると30バーツ医療を開始したタクシン氏を擁護したくなるのが本音です。
これもこのサイトで何度も紹介したようにタクシン政権は違法薬物に強行な姿勢をとり、その結果多数の冤罪者も殺害されました。これは国際的にも非難されていますが、結果としてタクシン政権時代にタイがそれまでの「違法薬物汚染国」から「クリーンな国」に生まれ変わったのは事実です。そして、タクシン(及びインラック)政権終了後、タイは再び薬物汚染国に戻ってしまいました。
2006年9月、タクシン政権に不満を持つ軍がクーデターを起こします。タイは一応民主国家ですから軍によるクーデターなどあってはならないのですが、このクーデターによりタクシン首相が失脚します。ですが、タクシン氏が大勢の市民から支持されていることには変わりがありません。実際、その後何度か選挙がおこなわれましたがいつもタクシン派の政党が勝利するのです。
先述したように反タクシン派は軍だけでなく若い世代の知識人にも少なくありません。2008年11月、バンコクの若者を中心とした反タクシン派が黄色いシャツを着てデモをおこないスワンナプーム空港を占拠しました。これを機に反タクシンの民主党アピシット氏が首相となるのですが、これは選挙を経たものではありません。
こうなると逆に市民デモを開始したのがタクシン派の市民です。黄シャツに対抗して赤シャツを身にまといデモを繰り返しました。そして2010年4月10日、先述の「暗黒の土曜日」事件が起こり2千人もの犠牲者が出てしまったのです。ある程度の外圧もあったからだと思われますが、その翌年再び選挙がおこなわれました。結果はやはりタクシン派の圧勝。このときにタクシンの妹のインラックが首相となります。その後も何度か選挙がおこなわれましたが、いつも勝利するのはタクシン派です。
そんななか業を煮やした軍が再びクーデターを起こします。2014年2月、選挙がおこなわれタクシン派が圧勝したのにもかかわらず、軍がなんとインラック首相を拘束し軍事政権樹立宣言をしたのです。選挙で圧勝した首相を拘束し軍事政権を樹立......。こんなことが民主国家で許されるのが不思議なのですが、その後5年間は選挙もおこなわれませんでした。
そして今年(2019年)3月、ようやく選挙がおこなわれました。結果はやはりタクシン派(タイ貢献党)が第一党となりました。しかし多数の党が議席を確保しており、タクシン派を支持する政党では過半数に届かず、かたちとしては「軍事政権が民主的に勝利」しました。しかしこれにはトリックがあり、タクシン派によれば選挙方法がタクシン派に非常に不利なものに設定されています。実際、結果の内訳をみてみると小選挙区では圧倒的に第1党となっているタイ貢献党が、比例代表ではなんと「ゼロ」なのです。ここまで極端になるとやはり選挙制度が公平なものなのかどうか疑問が残ります。
さて、これだけの「史実」があるのにもかかわらずタイが"平和"なのはなぜでしょうか。ひとつは先にのべた国王の存在です。いざとなったら国王にお出ましいただければ......、という気持ちがタイ人にあるのは間違いないでしょう。ただ、プミポン国王は2016年10月に崩御されています。現在のワチラーロンコーン王(ラーマ10世)はプミポン国王ほど尊敬されていないという話を至るところで聞きます。
もうひとつ、タイが"平和"な理由として私が思うのは、タイ人はデモをどこかで"楽しんでいる"ということです。楽しむとは不謹慎な、という声もあるでしょうが、デモに参加すれば弁当が配られお小遣いももらえるそうで「お祭り」みたいなもんだ、と言っていたタイ人もいました。多数の犠牲者が出ていることはもちろん大問題ですが、デモに慣れてくると危険度がわかるようになるそうです。ただ、外国人は近づかない方がいいと言われることが多く、この点は現地の人の意見を聞くべきでしょう。
もうひとつ、タイの危険性を語る上で外せない事件があります。2015年8月17日18時55分、バンコクのラチャプラソン交差点近くのエラワンの祠の構内で爆発が起こり、20人が死亡しました。この事件は犯行声明が出されておらず、犯人は逮捕されたものの国籍不明、トルコのパスポートを多数保持していたことが伝えられています。ちなみに私はこの事件のちょうど12時間前の早朝にこの付近をジョギングしており、事件を聞いてぞっとしました。その後小規模ではあるものの似たような爆破事件が何度か起こっており、今後はこういったリスクを重視すべきかもしれません。
今回はかなり長くなったので最後にポイントをまとめておきます。
#1 タイは国際的には平和指数の低い国(126位/162か国)と考えられている。
#2 市民デモのみならず軍事クーデターも繰り返し起こり多数の犠牲者がでている。
#3 タイ国民には、いざとなれば王がなんとかしてくれるという期待がある。
#4 ただし2016年に王が替わってからはその期待を危ぶむ声もある。
#5 タイの政権は現在も軍事政権。ただし2019年3月の選挙では"民主的に"勝利した。
#6 ただしその選挙で第一党となったのはタクシン派。同派は選挙制度が公平でないと主張している。
#7 2001年以降、選挙で勝利するのは毎回タクシン派。
#8 外国人はデモに近づかない方が無難。できれば現地の人から情報を収集すべき。
#9 南部3県は宗教的なテロのリスクが高い。外国人の渡航は推薦できない。
#10 2016年8月に起こった爆破事件と同様のリスクに今後注意が必要。
************
注:念のため補足しておくと、タイでは苗字ではなく名前を呼ぶのが一般的です。本文に登場するタクシン、インラック、アピシット、チャムロン、スチンダーなどはすべてファーストネームです。おそらくこの人たち全員の苗字を正確に言えるタイ人はそう多くないと思います。そもそもタイ人は友達の苗字も知らないということがよくあります。さらに補足すると、タイ人は友達の苗字のみならず名前も知らないこともよくあります。通常タイ人は生涯変わらないニックネーム(チュー・レン)を持っており、家族からも友達からもこのニックネームで呼ばれており、正式な名前(ファーストネーム)を知らなくても事足りるのです。
バンコクの繁華街やプーケットを訪れたことがある人なら分かると思いますが、女性が街を歩けないどころか真夜中でも一人で歩いている女性はいくらでもいます(お勧めはしませんが)。「微笑みの国」と言われるだけあり、人々は優しく強盗の被害に会うことは稀です。では、なぜ平和のランキングがこんなにも低いのでしょうか。ちなみに日本は第8位、世界一治安が悪い都市と言われているヨハネスブルグを抱える南アフリカ共和国が122位ですからタイがどれだけ危険と考えられているかがわかるでしょう。
今回は先に私見を述べておきます。タイはいくつかの特徴を知っておけばまあまあ安全な国でありそれほど心配はいりません。ですが、知っておくべきこともありますのでそれらを述べてみたいと思います。
まず客観的にみて危険性が高いのは南部の3つの県、パタニ県(パッタニー県)、ヤラー県、ナラティワート県です。歴史的にみてこの3県及びマレーシア北部の一部は、かつてはイスラム教のパタニ王国でした。以前から独立を求める声があり、2004年に武装勢力が軍の施設から武器を略奪し4名の兵士を殺害しました。これを受けて当時の政権は3県に戒厳令を布告。その後武力衝突が頻繁に起こっています。2014年の時点で死者6,000人、負傷者10,000人以上。爆破事件は年間数百例と言われています(これ以降の数字は収集できませんでした)。
爆破事件はショッピングセンターやオフィスビルでも起こっているで、やはりこの地域への渡航は避けた方が無難でしょう。私は一度これら3県に隣接するソンクラー県を訪れたことがあります。同県でも夜間には戒厳令がひかれ、日中も含めて日本人には一人も会いませんでした。私は知人の医師と食事に出かけましたが特に危険な雰囲気は感じませんでした。ですがその医師によれば南部3県では注意した方がいいとのことでした。
南部3県以外の地域、特にバンコクの状況をみていきましょう。通称「暗黒の土曜日」と呼ばれる、一説には2千人以上の死者を出したといわれる軍による一般市民の弾圧事件が2010年4月10日に起こりました。この事件では日本人のカメラマンも犠牲になりました。2千人規模の犠牲者を出した軍による弾圧となると天安門事件と変わりません。では、なぜ「暗黒の土曜日」は天安門事件ほど知名度が高くないのでしょうか。
それを考える前にタイの現代史を簡単に振り返っておきましょう。現代史といっても学者が考えたものではなく、私がこれまでにタイ人やタイをよく知る外国人から聞いた情報をまとめたものですから信頼性が乏しくエビデンスの高いものではありません。それをお断りした上で進めていきます。
まずおさえておきたいのがプミポン国王による「暗黒の5月事件」の終焉です。1992年、軍派のスチンダー首相と市民が対立し、バンコクでの市民によるデモを軍が鎮圧し300人以上の死者が出ました。これを見かねたプミポン国王が登場。スチンダー首相と民主化運動の指導者チャムロン氏の二人を呼びつけ正座させ「国民のことを考えろ!」と一喝、この瞬間に双方の対立がなくなったのです。
タイの社会を考える上で王室の存在を抜きにすることはできません。私の経験上、どこの家族に招かれてもプミポン国王の写真を掲げていなかった家は一軒もありません。タイの映画館では上映前に必ず国王賛歌が流れます。このときには(外国人も含めて)全員が起立しなければなりません。これをしなければ不敬罪で逮捕されます。しかもこれに対する不満の声を聞いたことがありません。日本でも皇室は多くの国民に支持されていますが、タイとは比較にならないと思います。
歴史を進めましょう。1997年のアジア通貨危機の翌年、(このサイトで何度も紹介している)タクシン氏がタイ愛国党を設立し、2001年に首相に就任しました。そして30バーツ医療(その後無料に変わる)を開始し、国民の誰もが医療を受けることができるようになりました。これをバラマキと非難する人もいるのですが、特に北部や東北部ではそれまで病院には行けなかった人たちがこの制度のおかげで医療機関を受診できるようになったのは事実です。タイでは医師も含めて特にバンコク在住の知識人の多くが「反タクシン派」なのですが、大勢のエイズ患者と接してきた私からすると30バーツ医療を開始したタクシン氏を擁護したくなるのが本音です。
これもこのサイトで何度も紹介したようにタクシン政権は違法薬物に強行な姿勢をとり、その結果多数の冤罪者も殺害されました。これは国際的にも非難されていますが、結果としてタクシン政権時代にタイがそれまでの「違法薬物汚染国」から「クリーンな国」に生まれ変わったのは事実です。そして、タクシン(及びインラック)政権終了後、タイは再び薬物汚染国に戻ってしまいました。
2006年9月、タクシン政権に不満を持つ軍がクーデターを起こします。タイは一応民主国家ですから軍によるクーデターなどあってはならないのですが、このクーデターによりタクシン首相が失脚します。ですが、タクシン氏が大勢の市民から支持されていることには変わりがありません。実際、その後何度か選挙がおこなわれましたがいつもタクシン派の政党が勝利するのです。
先述したように反タクシン派は軍だけでなく若い世代の知識人にも少なくありません。2008年11月、バンコクの若者を中心とした反タクシン派が黄色いシャツを着てデモをおこないスワンナプーム空港を占拠しました。これを機に反タクシンの民主党アピシット氏が首相となるのですが、これは選挙を経たものではありません。
こうなると逆に市民デモを開始したのがタクシン派の市民です。黄シャツに対抗して赤シャツを身にまといデモを繰り返しました。そして2010年4月10日、先述の「暗黒の土曜日」事件が起こり2千人もの犠牲者が出てしまったのです。ある程度の外圧もあったからだと思われますが、その翌年再び選挙がおこなわれました。結果はやはりタクシン派の圧勝。このときにタクシンの妹のインラックが首相となります。その後も何度か選挙がおこなわれましたが、いつも勝利するのはタクシン派です。
そんななか業を煮やした軍が再びクーデターを起こします。2014年2月、選挙がおこなわれタクシン派が圧勝したのにもかかわらず、軍がなんとインラック首相を拘束し軍事政権樹立宣言をしたのです。選挙で圧勝した首相を拘束し軍事政権を樹立......。こんなことが民主国家で許されるのが不思議なのですが、その後5年間は選挙もおこなわれませんでした。
そして今年(2019年)3月、ようやく選挙がおこなわれました。結果はやはりタクシン派(タイ貢献党)が第一党となりました。しかし多数の党が議席を確保しており、タクシン派を支持する政党では過半数に届かず、かたちとしては「軍事政権が民主的に勝利」しました。しかしこれにはトリックがあり、タクシン派によれば選挙方法がタクシン派に非常に不利なものに設定されています。実際、結果の内訳をみてみると小選挙区では圧倒的に第1党となっているタイ貢献党が、比例代表ではなんと「ゼロ」なのです。ここまで極端になるとやはり選挙制度が公平なものなのかどうか疑問が残ります。
さて、これだけの「史実」があるのにもかかわらずタイが"平和"なのはなぜでしょうか。ひとつは先にのべた国王の存在です。いざとなったら国王にお出ましいただければ......、という気持ちがタイ人にあるのは間違いないでしょう。ただ、プミポン国王は2016年10月に崩御されています。現在のワチラーロンコーン王(ラーマ10世)はプミポン国王ほど尊敬されていないという話を至るところで聞きます。
もうひとつ、タイが"平和"な理由として私が思うのは、タイ人はデモをどこかで"楽しんでいる"ということです。楽しむとは不謹慎な、という声もあるでしょうが、デモに参加すれば弁当が配られお小遣いももらえるそうで「お祭り」みたいなもんだ、と言っていたタイ人もいました。多数の犠牲者が出ていることはもちろん大問題ですが、デモに慣れてくると危険度がわかるようになるそうです。ただ、外国人は近づかない方がいいと言われることが多く、この点は現地の人の意見を聞くべきでしょう。
もうひとつ、タイの危険性を語る上で外せない事件があります。2015年8月17日18時55分、バンコクのラチャプラソン交差点近くのエラワンの祠の構内で爆発が起こり、20人が死亡しました。この事件は犯行声明が出されておらず、犯人は逮捕されたものの国籍不明、トルコのパスポートを多数保持していたことが伝えられています。ちなみに私はこの事件のちょうど12時間前の早朝にこの付近をジョギングしており、事件を聞いてぞっとしました。その後小規模ではあるものの似たような爆破事件が何度か起こっており、今後はこういったリスクを重視すべきかもしれません。
今回はかなり長くなったので最後にポイントをまとめておきます。
#1 タイは国際的には平和指数の低い国(126位/162か国)と考えられている。
#2 市民デモのみならず軍事クーデターも繰り返し起こり多数の犠牲者がでている。
#3 タイ国民には、いざとなれば王がなんとかしてくれるという期待がある。
#4 ただし2016年に王が替わってからはその期待を危ぶむ声もある。
#5 タイの政権は現在も軍事政権。ただし2019年3月の選挙では"民主的に"勝利した。
#6 ただしその選挙で第一党となったのはタクシン派。同派は選挙制度が公平でないと主張している。
#7 2001年以降、選挙で勝利するのは毎回タクシン派。
#8 外国人はデモに近づかない方が無難。できれば現地の人から情報を収集すべき。
#9 南部3県は宗教的なテロのリスクが高い。外国人の渡航は推薦できない。
#10 2016年8月に起こった爆破事件と同様のリスクに今後注意が必要。
************
注:念のため補足しておくと、タイでは苗字ではなく名前を呼ぶのが一般的です。本文に登場するタクシン、インラック、アピシット、チャムロン、スチンダーなどはすべてファーストネームです。おそらくこの人たち全員の苗字を正確に言えるタイ人はそう多くないと思います。そもそもタイ人は友達の苗字も知らないということがよくあります。さらに補足すると、タイ人は友達の苗字のみならず名前も知らないこともよくあります。通常タイ人は生涯変わらないニックネーム(チュー・レン)を持っており、家族からも友達からもこのニックネームで呼ばれており、正式な名前(ファーストネーム)を知らなくても事足りるのです。
第158回(2019年8月) 麻薬依存を矯正する2つのタイの施設
私が初めてタイのエイズ問題に関わった2002年と比較すると、2019年現在の状況には隔世の感があります。治療薬がほとんど誰にでも使えるようになったことに加え、「死なない病気」「空気感染しない病気」ということが世間に認知されたことが大きく、医療者の間でも正確な知識が浸透し、「病院での門前払い」はほぼ皆無となりました。
本格的にボランティアをおこなった2004年以降も私はほぼ毎年タイに渡航し現地の状況を調査しています。2010年頃から「HIV陽性という理由で医療機関に拒否された」という話はほぼなくなっています。誰にでもカムアウトできる地域というのは今もそう多くはなく、感染を隠して生きている人が多いのは事実ですが、病院で拒否されないという点においてはタイの方が日本よりも遥かに進んでいます。というより、日本の現状がひどすぎるわけですが......。
ひとつ、最近あった例を紹介しておきましょう。私が院長を務める太融寺町谷口医院で診ているHIV陽性の患者さんのことです。歯科医院受診が必要になったために紹介しようといくつかの歯科医院に電話をしてみました。ほとんどに断られ(これ自体がもちろん問題ですが)、ある歯科医院では「HIVは診ません! うちは妊娠している歯科衛生士がいるんです!」と強い剣幕でこちらが怒られてしまいました。歯科衛生士が妊娠しているから患者を診られない??、いったいこの歯科医院は何を考えているのでしょうか。
話を戻します。GINAは、一時は支援先をタイから他国にうつすことも検討しましたが、現在の考えとしては「やはりタイを中心に」です。たしかに治療がおこなわれるようになり母子感染がほぼ皆無となり、タイのエイズ関連のNGOなどはどんどん減っています。しかし、タイで新たに感染する者は今も6千人以上いますし、今も50万人近くのHIV陽性者が生活しており、毎年2万人近くが死亡しています(参考:Global information and education on HIV and AIDS)。そして、医療機関での差別はほぼなくなったとはいえ、依然困窮している感染者が少なくないのは事実です。
その「困窮している感染者」のなかで最も深刻な問題は「薬物依存症」、なかでも「麻薬依存症」です。
このサイトで何度も指摘しているように、タイではタクシン政権の頃は強固な政策で「薬物大国」の汚名を返上しましたが、政権交代以降は再び薬物が簡単に入手できる国となっています。現在はいわゆる軍事政権ですから薬物には厳しいイメージをもちたくなりますが実際はそうではありません。大麻はもちろん、覚醒剤(アンフェタミン/メタンフェタミン)も入手は簡単です。なにしろ、2016年6月には法務大臣が「覚醒剤の依存性はアルコールやタバコよりも低いから合法にすべき」と発言するくらいですから敷居がものすごく低いのです(参照:GINAと共に第126回(2016年12月)「これからの「大麻」の話をしよう~その2~」の注3)。ただし、タイ在住の薬物に詳しい日本人によると「それでも覚醒剤は日本の方が簡単に手に入る」そうです。
(大麻はともかく)覚醒剤については「絶対に初めから手を出してはいけない」というのが私の考えですが、実際には覚醒剤とうまく"付き合っている"人もいます。一方、私は「麻薬とうまく付き合っている人」をほとんど見たことがありません(医療用麻薬を除く)。これは昔から指摘されていることですが、麻薬こそが最も依存症から抜け出しにくい違法薬物です。
では、いったん麻薬依存症になると死を待つしかないのでしょうか。今回はタイにある2つの麻薬矯正施設を紹介します。
ひとつはメサドン療法を実施しているクリニックです。メサドン療法とは、違法の麻薬を止めてもらう代わりに、メサドンと呼ばれる合法の麻薬を使用してもらい、そして、メサドンの使用量を少しずつ減らしていくという方法です。タイ全国に、メサドン療法専門のクリニックがあります。では、メサドン療法とはそんなに効果が高いものなのでしょうか。有効と主張する意見は多いものの、長期的に成功率を検討した研究は見当たりません。ただし、HIV陽性者の麻薬常用者がメサドン療法を実施すると抗HIV薬をきちんと内服しやすいという研究はあります。
メサドン療法で麻薬を断ち切れる成功率はどれくらいなのでしょう。データがないなら麻薬使用者をよく知っている人に尋ねるのがいい方法です。このサイトでも紹介している「バーン・サイターン」の代表者である早川文野さんに尋ねてみました。早川氏によると、メサドン療法の成功率はそれほど高くないようです。過去約20年にわたり大勢の薬物依存症の者と関わってきた早川氏の言葉ですから、やはりメサドン療法でも麻薬依存は簡単には治らないと考えるべきでしょう。メサドン療法を実施しているクリニックの医師にも話を聞いてみたいところですが、残念ながらこれはまだ実現化していません。
今回紹介したいもうひとつの施設は「ワット・タムクラボーク(Wat Thamkrabok)」(「ク」は日本語にない音で実際には「グ」に近い。ここからは「タムクラボ-ク寺」とします)という寺です。メサドン療法を実施しているクリニックはタイ全国に多数ありますが、麻薬を断ち切る"治療"をしている寺はここだけです。
タムクラボーク寺はタイ中部のサラブリ県にありバンコクから車で2時間程度です。元々はタイ全国の僧侶の修行の場であったそうですが、1970年代から麻薬依存症患者を受け入れるようになり、現在はタイ全国、さらに一部は海外から麻薬を断ちたい人が集まってきています。依存症患者を受け入れた僧侶(Parnchand氏)の功績が評価され、フィリピンのマグサイサイ賞を1975年に受賞しています。マグサイサイ賞をwikipediaで調べてみると日本語版には記載がありませんでしたが、英語版にはPhra Parnchandと記載されています(「Phra」は僧侶という意味です)。
医療者でない僧侶がどのような"治療"をしているのかというと、まず麻薬を断ち切りたいという人を入所させ集団生活を送ってもらいます。宿舎は一部屋を複数人で使用しトイレは共用、エアコンもない過酷な環境です。毎日規定の時間になると(その時間は毎日替わるそうです)"治療"がおこなわれます。その治療とは薬草からつくった「薬液」(注)を飲み、さらに大量の水を飲んでそれを一気に吐くという方法です。これで「不要な物」を体外に排出し、その結果、麻薬が断ち切れるという考えだそうです。見学した人の話によれば、"患者"に一生懸命吐いてもらおうと、ボランティアなど周りの人間が笛や太鼓を駆使し、大量に嘔吐すれば歓声が沸き上がるそうです。勢いよく吐いているその姿はマーライオンを彷彿させるとか。
私が訪問したときにはちょうどその"治療"が終わった直後で、残念ながらその光景を見学することはできませんでした。しかし、制服のような赤い衣類に身をまとった"患者"たちが寺の中を集団でジョギングしていました。複数の巨大な仏像の近くを走り抜けていく彼らの顔はキラキラと輝いており、写真を撮らせてもらおうと思っていた私の気持ちがなぜか消えていきました。
さて、果たしてこの"治療"は有効なのでしょうか。データがないので、いろんな人の話を聞くしかありません。残念ながら厳しい"治療"に耐え切れず途中で断念する人もいるそうです。しかし一方で麻薬と断ち切ることに成功した人も少なくないと聞きます。もちろん麻薬依存はそんなに簡単に治りませんから、いったん断ち切れても再び手を出してしまう人もいます。
それから、理由はよく分からなかったのですが、タムクラボ-ク寺のルールは「入所は1回限り」だそうです。生涯最後の"治療"に望みをかけて入所しなければならないというわけです。また、対象となるのは麻薬だけではなく、覚醒剤でもアルコールでも、あるいは過食症でも受け入れてくれるようです。入所の日数の規定は、一応は15日ですが融通が利くようです。日本人も受け入れてくれるそうなので、何らかの依存症で悩んでいる人は検討してみてはどうでしょうか。
************
注:この「薬液」をつくっている僧侶に話しかけ、私も少しわけてもらって飲んでみました。まず勧められたのが麻薬依存症の"治療"に使うものではなく健康ドリンクとして飲めるもので、こちらは青汁のようにきれいな色をしており、美味しいとはいえないもののなんとなく身体によさそうな感じでした。一方、"治療"に用いるものは見た目が泥水のようで、いかにも不味そうです。しかし、少量なら健康にいいとのこと。恐る恐る飲んでみると、酸味が効いていて飲めない味ではありません。私はこの酸味は発酵によるものかと感じたのですが、僧侶に聞いてみるとマナオ(タイのライム)によるとのこと。こんなもので吐けるのかなぁ......とそのときは感じていたのですが、悲劇が訪れたのはその半時間後。バンコクに戻る車のなかで嘔気を催した私は、ガソリンスタンドにとめてもらい身体をひきずるようにトイレに直行。およそ20年ぶりに嘔吐しました。しかし、その後は少し苦しかったものの、しばらくすると身体が爽快に。プラセボ効果かもしれませんが、私の体内から"毒素"が抜けてデトックスできたような気分になりました。
本格的にボランティアをおこなった2004年以降も私はほぼ毎年タイに渡航し現地の状況を調査しています。2010年頃から「HIV陽性という理由で医療機関に拒否された」という話はほぼなくなっています。誰にでもカムアウトできる地域というのは今もそう多くはなく、感染を隠して生きている人が多いのは事実ですが、病院で拒否されないという点においてはタイの方が日本よりも遥かに進んでいます。というより、日本の現状がひどすぎるわけですが......。
ひとつ、最近あった例を紹介しておきましょう。私が院長を務める太融寺町谷口医院で診ているHIV陽性の患者さんのことです。歯科医院受診が必要になったために紹介しようといくつかの歯科医院に電話をしてみました。ほとんどに断られ(これ自体がもちろん問題ですが)、ある歯科医院では「HIVは診ません! うちは妊娠している歯科衛生士がいるんです!」と強い剣幕でこちらが怒られてしまいました。歯科衛生士が妊娠しているから患者を診られない??、いったいこの歯科医院は何を考えているのでしょうか。
話を戻します。GINAは、一時は支援先をタイから他国にうつすことも検討しましたが、現在の考えとしては「やはりタイを中心に」です。たしかに治療がおこなわれるようになり母子感染がほぼ皆無となり、タイのエイズ関連のNGOなどはどんどん減っています。しかし、タイで新たに感染する者は今も6千人以上いますし、今も50万人近くのHIV陽性者が生活しており、毎年2万人近くが死亡しています(参考:Global information and education on HIV and AIDS)。そして、医療機関での差別はほぼなくなったとはいえ、依然困窮している感染者が少なくないのは事実です。
その「困窮している感染者」のなかで最も深刻な問題は「薬物依存症」、なかでも「麻薬依存症」です。
このサイトで何度も指摘しているように、タイではタクシン政権の頃は強固な政策で「薬物大国」の汚名を返上しましたが、政権交代以降は再び薬物が簡単に入手できる国となっています。現在はいわゆる軍事政権ですから薬物には厳しいイメージをもちたくなりますが実際はそうではありません。大麻はもちろん、覚醒剤(アンフェタミン/メタンフェタミン)も入手は簡単です。なにしろ、2016年6月には法務大臣が「覚醒剤の依存性はアルコールやタバコよりも低いから合法にすべき」と発言するくらいですから敷居がものすごく低いのです(参照:GINAと共に第126回(2016年12月)「これからの「大麻」の話をしよう~その2~」の注3)。ただし、タイ在住の薬物に詳しい日本人によると「それでも覚醒剤は日本の方が簡単に手に入る」そうです。
(大麻はともかく)覚醒剤については「絶対に初めから手を出してはいけない」というのが私の考えですが、実際には覚醒剤とうまく"付き合っている"人もいます。一方、私は「麻薬とうまく付き合っている人」をほとんど見たことがありません(医療用麻薬を除く)。これは昔から指摘されていることですが、麻薬こそが最も依存症から抜け出しにくい違法薬物です。
では、いったん麻薬依存症になると死を待つしかないのでしょうか。今回はタイにある2つの麻薬矯正施設を紹介します。
ひとつはメサドン療法を実施しているクリニックです。メサドン療法とは、違法の麻薬を止めてもらう代わりに、メサドンと呼ばれる合法の麻薬を使用してもらい、そして、メサドンの使用量を少しずつ減らしていくという方法です。タイ全国に、メサドン療法専門のクリニックがあります。では、メサドン療法とはそんなに効果が高いものなのでしょうか。有効と主張する意見は多いものの、長期的に成功率を検討した研究は見当たりません。ただし、HIV陽性者の麻薬常用者がメサドン療法を実施すると抗HIV薬をきちんと内服しやすいという研究はあります。
メサドン療法で麻薬を断ち切れる成功率はどれくらいなのでしょう。データがないなら麻薬使用者をよく知っている人に尋ねるのがいい方法です。このサイトでも紹介している「バーン・サイターン」の代表者である早川文野さんに尋ねてみました。早川氏によると、メサドン療法の成功率はそれほど高くないようです。過去約20年にわたり大勢の薬物依存症の者と関わってきた早川氏の言葉ですから、やはりメサドン療法でも麻薬依存は簡単には治らないと考えるべきでしょう。メサドン療法を実施しているクリニックの医師にも話を聞いてみたいところですが、残念ながらこれはまだ実現化していません。
今回紹介したいもうひとつの施設は「ワット・タムクラボーク(Wat Thamkrabok)」(「ク」は日本語にない音で実際には「グ」に近い。ここからは「タムクラボ-ク寺」とします)という寺です。メサドン療法を実施しているクリニックはタイ全国に多数ありますが、麻薬を断ち切る"治療"をしている寺はここだけです。
タムクラボーク寺はタイ中部のサラブリ県にありバンコクから車で2時間程度です。元々はタイ全国の僧侶の修行の場であったそうですが、1970年代から麻薬依存症患者を受け入れるようになり、現在はタイ全国、さらに一部は海外から麻薬を断ちたい人が集まってきています。依存症患者を受け入れた僧侶(Parnchand氏)の功績が評価され、フィリピンのマグサイサイ賞を1975年に受賞しています。マグサイサイ賞をwikipediaで調べてみると日本語版には記載がありませんでしたが、英語版にはPhra Parnchandと記載されています(「Phra」は僧侶という意味です)。
医療者でない僧侶がどのような"治療"をしているのかというと、まず麻薬を断ち切りたいという人を入所させ集団生活を送ってもらいます。宿舎は一部屋を複数人で使用しトイレは共用、エアコンもない過酷な環境です。毎日規定の時間になると(その時間は毎日替わるそうです)"治療"がおこなわれます。その治療とは薬草からつくった「薬液」(注)を飲み、さらに大量の水を飲んでそれを一気に吐くという方法です。これで「不要な物」を体外に排出し、その結果、麻薬が断ち切れるという考えだそうです。見学した人の話によれば、"患者"に一生懸命吐いてもらおうと、ボランティアなど周りの人間が笛や太鼓を駆使し、大量に嘔吐すれば歓声が沸き上がるそうです。勢いよく吐いているその姿はマーライオンを彷彿させるとか。
私が訪問したときにはちょうどその"治療"が終わった直後で、残念ながらその光景を見学することはできませんでした。しかし、制服のような赤い衣類に身をまとった"患者"たちが寺の中を集団でジョギングしていました。複数の巨大な仏像の近くを走り抜けていく彼らの顔はキラキラと輝いており、写真を撮らせてもらおうと思っていた私の気持ちがなぜか消えていきました。
さて、果たしてこの"治療"は有効なのでしょうか。データがないので、いろんな人の話を聞くしかありません。残念ながら厳しい"治療"に耐え切れず途中で断念する人もいるそうです。しかし一方で麻薬と断ち切ることに成功した人も少なくないと聞きます。もちろん麻薬依存はそんなに簡単に治りませんから、いったん断ち切れても再び手を出してしまう人もいます。
それから、理由はよく分からなかったのですが、タムクラボ-ク寺のルールは「入所は1回限り」だそうです。生涯最後の"治療"に望みをかけて入所しなければならないというわけです。また、対象となるのは麻薬だけではなく、覚醒剤でもアルコールでも、あるいは過食症でも受け入れてくれるようです。入所の日数の規定は、一応は15日ですが融通が利くようです。日本人も受け入れてくれるそうなので、何らかの依存症で悩んでいる人は検討してみてはどうでしょうか。
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注:この「薬液」をつくっている僧侶に話しかけ、私も少しわけてもらって飲んでみました。まず勧められたのが麻薬依存症の"治療"に使うものではなく健康ドリンクとして飲めるもので、こちらは青汁のようにきれいな色をしており、美味しいとはいえないもののなんとなく身体によさそうな感じでした。一方、"治療"に用いるものは見た目が泥水のようで、いかにも不味そうです。しかし、少量なら健康にいいとのこと。恐る恐る飲んでみると、酸味が効いていて飲めない味ではありません。私はこの酸味は発酵によるものかと感じたのですが、僧侶に聞いてみるとマナオ(タイのライム)によるとのこと。こんなもので吐けるのかなぁ......とそのときは感じていたのですが、悲劇が訪れたのはその半時間後。バンコクに戻る車のなかで嘔気を催した私は、ガソリンスタンドにとめてもらい身体をひきずるようにトイレに直行。およそ20年ぶりに嘔吐しました。しかし、その後は少し苦しかったものの、しばらくすると身体が爽快に。プラセボ効果かもしれませんが、私の体内から"毒素"が抜けてデトックスできたような気分になりました。
第157回(2019年7月) 台湾の同性婚合法化で日本も変わるか
2019年5月17日、台湾では同性婚を認める特別法「司法院釈字第748号解釈施行法」が可決され正式に同性婚が合法化されました。もっとも、2017年5月には、台湾の司法最高機関に相当する司法院大法官会議が「同性同士での結婚を認めない民法は憲法に反する」という判断を下していました。この判決を受け、台湾政府は2年以内に(つまり2019年5月までに)同姓婚を認めるよう民法を改正するか、新法をつくらなければならいことが決まっていましたから「同性婚合法化」はすでに2017年5月の時点で決まっていたのです。
ですが、実際にはこの2年間でかなり雲行きが怪しくなっていました。今回は、台湾の同性婚の問題点を指摘し、さらに日本の状況にも目を向けたいのですが、その前にいろいろとあった台湾の過去2年間を振り返ってみましょう。
2016年5月20日、中華民国総統に民進党(民主進歩党)の蔡英文氏が就任しました。台湾初の女性総裁ということもあってなのか、就任当初は国民から絶大な人気を誇っており、上述の司法院による2017年5月の同性婚合法の判断がおこなわれたときも高い支持率を維持していました。もちろん蔡英文及び与党の民進党は「同性婚支持」です。ですから、当時は2年以内どころかすぐにでも同性婚が正式に合法化するとみられていました。
ところが、政情が不安定化していき中国との関係などから民進党の勢いが弱くなっていきます。さらに、民進党の内部からも蔡英文の政策を疑問視する声が上がりだし、蔡英文の求心力が低下していきました。そして、同性婚の審議は先送りされることになりました。
2018年11月24日、同性婚に関する国民投票がおこなわれ、同性婚反対者が賛成者を大きく上回りました。さらに、同日におこなわれた地方選挙で民進党が大きく議席を減らし、蔡英文は民進党の党首を辞任しました。BBCは「国民投票で国民は同性婚を拒否(Taiwan voters reject same-sex marriage in referendums」と報道し、いったん決まった同性婚合法化がなくなる可能性を同性婚支持者が懸念していることを伝えました。
ただ、国民投票で否決されても司法院の判断が覆されるわけではありません。国民投票で否決されれば民法改正は困難になりますが、新しい法律をつくるという方法が残っています。そして、冒頭で述べたように司法院が定めた期限ギリギリの2019年5月、「司法院釈字第748号解釈施行法」が制定され同性婚が正式に認められることになったのです。
正式に合法化されたとはいえ、国民投票では反対派が過半数を占めているわけですから問題はないわけではありません。これについては後述するとして、ここで日本の最近の情勢をみてみましょう。
過去のコラム(「GINAと共に」第141回(2018年3月)「美しき同性愛~その2~」)で、日本では「パートナーシップ宣誓制度」という同性愛者に様々な権利を認める条例が、2015年4月の東京都渋谷区を皮切りに全国で広がってきているという話をしました。そのコラムを書いた2018年3月の時点では、渋谷区、東京都世田谷区、三重県伊賀市、兵庫県宝塚市、沖縄県那覇市、北海道札幌市、福岡市(正確には福岡市は2018年4月から)の合計7つの自治体がこの制度をすでに導入しており、さらに近日中に大阪市が導入を決めていることに触れ、「保守的な大阪でこの制度が採択されるのは画期的である」と述べました。
そして、その後は次々に「パートナーシップ宣誓制度」を導入する自治体が増えてきています。2019年7月1日には、茨城県が都道府県としては初めて導入しました。自治体全体では全国で24例目となります(注1)。
戦勝国に押し付けられた憲法が改正されないまま70年以上がたつ日本は、"保守的な"国であり法律を変えるのは簡単ではないと言われています(現在保守政党が憲法改正を主張していますが、現状を変えることを好まない国民性は「保守的」です)。たしかに、(台湾と同様)民法を変更するのは簡単ではありませんが、それにしてもパートナーシップ制度がこれほど広がってきていることを考えると、行政はそれほど保守的というわけではなく、市民の幸福のために動いてくれているのかもしれません。
では当事者の人たち、つまり同性婚を希望している人たちの動きはどうなのでしょうか。これについては渋谷区がデータを公表しています。2017年11月1日の時点でのパートナーシップ証明の交付状況です。この時点でパートナーシップ宣誓制度を有していた6つの自治体(渋谷区、世田谷区、伊賀市、宝塚市、那覇市、札幌市)が証明を交付したのは133組(266人)です。申請したけれども認められなかった例がどれくらいあるのかは不明ですが、申請の基準はかなり緩やかであり、例えば国際結婚の時のように「〇年以上交際していることを示しなさい」とか「二人でうつっている写真を〇枚以上持参しなさい」などといったルールはありません。ですから、よほどのことがない限り許可されないということはなく、申請すればほとんどが証明を交付されるものと思われます。
さて、この133組という数字をどのように解釈すればいいのでしょう。私の見解は「少なすぎる」です。冒頭で紹介した台湾では同性婚の届出受付が開始された初日に526組が"結婚"しています。台湾は完全な同性婚、日本はパートナーシップという違いはありますが、初日に届出をした日本のカップルの数字を報道からみてみると、渋谷区1組、世田谷区7組 大阪市3組、茨城県2組です。台湾の人口が約2350万人、大阪市が約270万人ですから、台湾と同様に届出をする人がいたとすれば、大阪市でも単純計算で60組が届出をしてもおかしくないわけです。
届け出をするかしないかは当事者が決めることであり、私が「少なすぎる」と言うのは「余計なお世話」ではあるのですが、私が懸念するのは、本当は届出したいけれど(たとえばカムアウトに抵抗があり)できない、という人が日本ではかなり大勢いるのではないか、ということです。であるならば、制度ではなく人々の考え方を先に変えていき差別や偏見を取り除く努力が重要、ということになります。台湾でもカムアウトできない人は少なくないでしょうが、日本よりは遥かにリベラルな社会になっているのではないかと私は考えています。今回の合法化で、台北の総統府前広場では「同婚宴」が開催され、2000人以上が祝杯を挙げ、その模様をBBCが「台湾で同性婚合法化、議会が承認(Taiwan gay marriage: Parliament legalises sa)me-sex unions」という記事で報じています。大勢の同性カップルが涙を流して抱き合っている写真やビデオは感動的です。
ここで台湾の同性婚制度の「問題点」を考えてみましょう。まず、民法が改正されたわけではなく、この新しい法律が(例えば政権が変わって)なくなる可能性はないか、という問題があります。実際、それを懸念して次回の選挙までに「婚姻届けを出さねば」と考えている人も多いと聞きます。
次に問題なのは「子供」です。新しい法律では、子供が養子として認められるのは、その子供が「夫婦」のどちらかの一方との血縁関係がある場合のみとされました。つまり一般的な養子縁組はできないのです。女性のカップルの場合、精子の提供を受けて子供を授かるという方法がありますが、男性カップルが子供を持つには代理母出産などに頼らざるをえません。
さらに、外国人と結婚するにはその外国人の国が同性婚を合法化していなければならない、という規定が盛り込まれています。現在世界では30近くの国と地域が同性婚を合法化していますが、アジアでは皆無です。私が院長をつとめる太融寺町谷口医院では最近なぜか日本人と台湾人の同性カップルが増えてきています。そのカップルたちは「日本では同性婚が認められていない」という理由で、台湾に移住したとしても結婚できないわけです。
それから、これは「問題」ではありませんが、台湾で初日に結婚した526組の内訳をみると女性が341組、男性が185組で、65%が女性というのが興味深いと言えます。セクシャルマイノリティ全体でみると、男性同性愛者の方が女性同性愛者よりも多いと言われていますからこの数字は意外です。
ところで、私が初めて台湾人と仲良くなったのは医学部入学前の会社員時代で、その会社が台湾と取引があったことから何人かの台湾人と知り合いました。台湾に渡航したことは数えるほどしかありませんが、タイやそれ以外の国で何人かの台湾人と出会ったことがあります。私が接してきた台湾人の日本に対するイメージは大変良く、「日本に憧れている」と何度も言われました。一方、現在の台湾は同性婚が合法化され、日本のパートナーシップ制度よりも圧倒的に多い人数が"結婚"しています。交際相手が日本人の同性であればその結婚ができません。
すでに、日本人が「台湾に憧れる」時代になっているかもしれません。
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注1:2019年7月25日時点で、「パートナーシップ宣誓制度」を条例で実施している自治体は下記の24(条例が制定された日時順)となります。
東京都渋谷区、東京都世田谷区、三重県伊賀市、兵庫県宝塚市、沖縄県那覇市、北海道札幌市、福岡県福岡市、大阪府大阪市、東京都中野区、群馬県大泉町、千葉県千葉市、東京都江戸川区、東京都豊島区、東京都府中市、神奈川県横須賀市、神奈川県小田原市、大阪府堺市、大阪府枚方市、岡山県総社市、熊本県熊本市、栃木県鹿沼市、宮崎県宮崎市、福岡県北九州市、茨城県
参考:
第141回(2018年3月)「美しき同性愛~その2~」
第109回(2015年7月)「日本のおじさんが同性愛者を嫌う理由」
第93回(2014年3月)「同性愛者という理由で終身刑」
第86回(2013年8月)「なぜ日本では同性婚の議論が起こらないのか」
ですが、実際にはこの2年間でかなり雲行きが怪しくなっていました。今回は、台湾の同性婚の問題点を指摘し、さらに日本の状況にも目を向けたいのですが、その前にいろいろとあった台湾の過去2年間を振り返ってみましょう。
2016年5月20日、中華民国総統に民進党(民主進歩党)の蔡英文氏が就任しました。台湾初の女性総裁ということもあってなのか、就任当初は国民から絶大な人気を誇っており、上述の司法院による2017年5月の同性婚合法の判断がおこなわれたときも高い支持率を維持していました。もちろん蔡英文及び与党の民進党は「同性婚支持」です。ですから、当時は2年以内どころかすぐにでも同性婚が正式に合法化するとみられていました。
ところが、政情が不安定化していき中国との関係などから民進党の勢いが弱くなっていきます。さらに、民進党の内部からも蔡英文の政策を疑問視する声が上がりだし、蔡英文の求心力が低下していきました。そして、同性婚の審議は先送りされることになりました。
2018年11月24日、同性婚に関する国民投票がおこなわれ、同性婚反対者が賛成者を大きく上回りました。さらに、同日におこなわれた地方選挙で民進党が大きく議席を減らし、蔡英文は民進党の党首を辞任しました。BBCは「国民投票で国民は同性婚を拒否(Taiwan voters reject same-sex marriage in referendums」と報道し、いったん決まった同性婚合法化がなくなる可能性を同性婚支持者が懸念していることを伝えました。
ただ、国民投票で否決されても司法院の判断が覆されるわけではありません。国民投票で否決されれば民法改正は困難になりますが、新しい法律をつくるという方法が残っています。そして、冒頭で述べたように司法院が定めた期限ギリギリの2019年5月、「司法院釈字第748号解釈施行法」が制定され同性婚が正式に認められることになったのです。
正式に合法化されたとはいえ、国民投票では反対派が過半数を占めているわけですから問題はないわけではありません。これについては後述するとして、ここで日本の最近の情勢をみてみましょう。
過去のコラム(「GINAと共に」第141回(2018年3月)「美しき同性愛~その2~」)で、日本では「パートナーシップ宣誓制度」という同性愛者に様々な権利を認める条例が、2015年4月の東京都渋谷区を皮切りに全国で広がってきているという話をしました。そのコラムを書いた2018年3月の時点では、渋谷区、東京都世田谷区、三重県伊賀市、兵庫県宝塚市、沖縄県那覇市、北海道札幌市、福岡市(正確には福岡市は2018年4月から)の合計7つの自治体がこの制度をすでに導入しており、さらに近日中に大阪市が導入を決めていることに触れ、「保守的な大阪でこの制度が採択されるのは画期的である」と述べました。
そして、その後は次々に「パートナーシップ宣誓制度」を導入する自治体が増えてきています。2019年7月1日には、茨城県が都道府県としては初めて導入しました。自治体全体では全国で24例目となります(注1)。
戦勝国に押し付けられた憲法が改正されないまま70年以上がたつ日本は、"保守的な"国であり法律を変えるのは簡単ではないと言われています(現在保守政党が憲法改正を主張していますが、現状を変えることを好まない国民性は「保守的」です)。たしかに、(台湾と同様)民法を変更するのは簡単ではありませんが、それにしてもパートナーシップ制度がこれほど広がってきていることを考えると、行政はそれほど保守的というわけではなく、市民の幸福のために動いてくれているのかもしれません。
では当事者の人たち、つまり同性婚を希望している人たちの動きはどうなのでしょうか。これについては渋谷区がデータを公表しています。2017年11月1日の時点でのパートナーシップ証明の交付状況です。この時点でパートナーシップ宣誓制度を有していた6つの自治体(渋谷区、世田谷区、伊賀市、宝塚市、那覇市、札幌市)が証明を交付したのは133組(266人)です。申請したけれども認められなかった例がどれくらいあるのかは不明ですが、申請の基準はかなり緩やかであり、例えば国際結婚の時のように「〇年以上交際していることを示しなさい」とか「二人でうつっている写真を〇枚以上持参しなさい」などといったルールはありません。ですから、よほどのことがない限り許可されないということはなく、申請すればほとんどが証明を交付されるものと思われます。
さて、この133組という数字をどのように解釈すればいいのでしょう。私の見解は「少なすぎる」です。冒頭で紹介した台湾では同性婚の届出受付が開始された初日に526組が"結婚"しています。台湾は完全な同性婚、日本はパートナーシップという違いはありますが、初日に届出をした日本のカップルの数字を報道からみてみると、渋谷区1組、世田谷区7組 大阪市3組、茨城県2組です。台湾の人口が約2350万人、大阪市が約270万人ですから、台湾と同様に届出をする人がいたとすれば、大阪市でも単純計算で60組が届出をしてもおかしくないわけです。
届け出をするかしないかは当事者が決めることであり、私が「少なすぎる」と言うのは「余計なお世話」ではあるのですが、私が懸念するのは、本当は届出したいけれど(たとえばカムアウトに抵抗があり)できない、という人が日本ではかなり大勢いるのではないか、ということです。であるならば、制度ではなく人々の考え方を先に変えていき差別や偏見を取り除く努力が重要、ということになります。台湾でもカムアウトできない人は少なくないでしょうが、日本よりは遥かにリベラルな社会になっているのではないかと私は考えています。今回の合法化で、台北の総統府前広場では「同婚宴」が開催され、2000人以上が祝杯を挙げ、その模様をBBCが「台湾で同性婚合法化、議会が承認(Taiwan gay marriage: Parliament legalises sa)me-sex unions」という記事で報じています。大勢の同性カップルが涙を流して抱き合っている写真やビデオは感動的です。
ここで台湾の同性婚制度の「問題点」を考えてみましょう。まず、民法が改正されたわけではなく、この新しい法律が(例えば政権が変わって)なくなる可能性はないか、という問題があります。実際、それを懸念して次回の選挙までに「婚姻届けを出さねば」と考えている人も多いと聞きます。
次に問題なのは「子供」です。新しい法律では、子供が養子として認められるのは、その子供が「夫婦」のどちらかの一方との血縁関係がある場合のみとされました。つまり一般的な養子縁組はできないのです。女性のカップルの場合、精子の提供を受けて子供を授かるという方法がありますが、男性カップルが子供を持つには代理母出産などに頼らざるをえません。
さらに、外国人と結婚するにはその外国人の国が同性婚を合法化していなければならない、という規定が盛り込まれています。現在世界では30近くの国と地域が同性婚を合法化していますが、アジアでは皆無です。私が院長をつとめる太融寺町谷口医院では最近なぜか日本人と台湾人の同性カップルが増えてきています。そのカップルたちは「日本では同性婚が認められていない」という理由で、台湾に移住したとしても結婚できないわけです。
それから、これは「問題」ではありませんが、台湾で初日に結婚した526組の内訳をみると女性が341組、男性が185組で、65%が女性というのが興味深いと言えます。セクシャルマイノリティ全体でみると、男性同性愛者の方が女性同性愛者よりも多いと言われていますからこの数字は意外です。
ところで、私が初めて台湾人と仲良くなったのは医学部入学前の会社員時代で、その会社が台湾と取引があったことから何人かの台湾人と知り合いました。台湾に渡航したことは数えるほどしかありませんが、タイやそれ以外の国で何人かの台湾人と出会ったことがあります。私が接してきた台湾人の日本に対するイメージは大変良く、「日本に憧れている」と何度も言われました。一方、現在の台湾は同性婚が合法化され、日本のパートナーシップ制度よりも圧倒的に多い人数が"結婚"しています。交際相手が日本人の同性であればその結婚ができません。
すでに、日本人が「台湾に憧れる」時代になっているかもしれません。
************
注1:2019年7月25日時点で、「パートナーシップ宣誓制度」を条例で実施している自治体は下記の24(条例が制定された日時順)となります。
東京都渋谷区、東京都世田谷区、三重県伊賀市、兵庫県宝塚市、沖縄県那覇市、北海道札幌市、福岡県福岡市、大阪府大阪市、東京都中野区、群馬県大泉町、千葉県千葉市、東京都江戸川区、東京都豊島区、東京都府中市、神奈川県横須賀市、神奈川県小田原市、大阪府堺市、大阪府枚方市、岡山県総社市、熊本県熊本市、栃木県鹿沼市、宮崎県宮崎市、福岡県北九州市、茨城県
参考:
第141回(2018年3月)「美しき同性愛~その2~」
第109回(2015年7月)「日本のおじさんが同性愛者を嫌う理由」
第93回(2014年3月)「同性愛者という理由で終身刑」
第86回(2013年8月)「なぜ日本では同性婚の議論が起こらないのか」