GINAと共に

第148回(2018年10月) 「新潮45」の休刊で隠れたLGBTの真の問題

 「新潮45」2018年8月号に掲載された杉田水脈議員の記事が物議をかもし、10月号で評論家(?)の小川榮太郎氏が痴漢とLGBTを同列で論じたことが火に油を注ぎました。世間から激しいバッシングを受け同誌は休刊を決めました。

 杉田議員は「LGBTには生産性がない」と述べ、小川氏は「痴漢とLGBTは同じだ」と言ったわけですから、世間の怒りを買うのは当然であり私自身も不快に思いました。ですが、一方では表現の自由がありますし、議論を重ねることで新たな理解が得られることもあるわけですから、私個人としては「新潮45」は休刊ではなく、「杉田・小川氏 vs LGBT当事者たちのディベート」を企画してほしかったと思っています。

 さて、今回LGBTの問題を取り上げたいのは、「新潮45」のせいでLGBTが抱える本当の問題が隠れてしまうことを危惧するからです。「LGBTについて何か言うとややこしいから何も言わないでおこう」という風潮ができあがってしまえば、LGBTに伴う問題の解決が遠のくだけです。今回は、私が医師として感じているLGBTの問題を整理しておきたいと思います。

 ですが、その前に杉田・小川両氏の物議をかもしたコメントに補足をしておきましょう。まず、杉田氏の「生産性」という言葉がややこしくなったのは「生殖性」とごちゃ混ぜになっているからです。LGBTの生殖性がストレートの男女に比べて低い(ただしゼロではない)のは自明です。ですから、はじめから杉田氏は記事のなかで「生殖性」という言葉を使っていればここまで問題は大きくならなかったに違いありません。

 では、杉田氏は簡単な日本語が分からないのか、あるいは編集者が訂正すべきであったのかと言えば、そういうわけではありません。(これは誰かがどこかで言っていたと思いますが)元来、社会学や経済学では医療者が使う生殖性の意味で「生産性」という言葉を用いるからです。ですから(後で述べるように私は杉田氏の"思想"には反対ですが)、この記事は不快ではありましたが、そこまで責められるものではないだろうと感じました。

 一方、小川氏の「痴漢論」は一線を越えてしまっています。痴漢には明らかな被害者がいるわけですからLGBTと同列に論じることはできません。ですが、小川氏の立場に立って考えると(念のために付記しておくと私は小川氏の"思想"に共感していません)、痴漢はしたくてしているわけではなく依存症のひとつであり個人の理性では静止できない、つまり理性で決められるものではないという点でセクシャル・アイデンティティといくらかの類似性があるのではないか、ということが言いたかったのではないかと思います。

 さて、私が考えるLGBTの問題の話に入ります。そもそも私はこの「LGBT」という言葉に違和感を覚えています。「セクシャル・マイノリティ」でいいではないか、と思うのです。なぜLGBTがダメかというと、友人知人にLGBTの人がおらず深く話したことがないという人は、次のように考えてしまわないでしょうか。

・ストレート以外にL(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシャル)、T(トランスジェンダー)の4つのセクシャル・アイデンティティがある。

・レズビアンは生物学的に女性であり、性指向(性の対象)が女性である。

・ゲイは生物学的に男性であり、性指向が男性である。

・バイセクシャルは生物学的に男性であろうが女性であろうが、性指向は両方の性である。

・トランスジェンダーは、生物学的に男性であれば女性、女性であれば男性という性自認(自分の性はどちらかという認識)を持っている

 このように考える人がいるとすればLGBTを正確に理解できません。実際にはこの4つに当てはまらない人も少なからずいるからです。実際、そのあたりをきちんと区別しようという声もあり、「LGBTQIA+」という表記も出てきています。「Q」は「Questioning」の「Q」で、性指向や性自認がはっきりしない人を指します。さらに「Intersex」の「I」、「Asexual」の「A」、さらにこれらに入らないものを「+」で表現しようというものです。ここまでくれば、次は何?と考えてしまわないでしょうか。「セクシャル・マイノリティ」でいいではないか、と私が思う所以です。

 次に、これは上記「Q」に近いものですが、性自認も性指向も含めてセクシャル・アイデンティティがはっきりしないことがあるというだけではなく「流動性」もある場合があります。そして、この流動性にはストレートも含まれます。例えば、私の知人のなかにも、ストレート→トランスジェンダー→レズビアン→ストレート→バイセクシャル→ストレート(だが現在も性自認も性指向も揺れ動いている)という人がいます。

 つまり、セクシャル・アイデンティティはL、G、B、Tという4つのどれかに分類されるわけではまったくないどころか、流動性があり、また「自分でもよく分からない」と答える人が少なからずいるのです。また、「A」の人にはそもそも性指向という概念がないこともあり、このタイプの人に「性指向は?」と尋ねること自体が不快感をもたらすこともあります。

 そして、最も重要なのは、L、G、B、T、あるいはそれ以外のどれになるかは自分では選択できないということです。今の時代、食べる物、着る服、乗る車、仕事、住む国、などは自分の意思で決めることができますが、セクシャル・アイデンティティは自分の意思で決めることができないのです(注1)。これは、ストレートの人が性指向を男性(女性)と"選択"して決めたわけではないことを思い出せば簡単に理解できるでしょう。

 私が杉田議員に同意できない理由はここにあります。杉田氏はあるテレビ番組のなかで「自分も女子高出身だから憧れの先輩がいたり後輩に好意を持たれたりしたことがあるが、やがて本来の性が理解できるようになる」といったことを話していました(注2)。これはまったく的を得ていません。セクシャル・アイデンティティとはそういう次元のものではないのです。

 最後に、私が考える最も重要なLGBTの問題を述べたいと思います。それはストレートの人たちと比べて、精神障害を抱える割合が高く、自殺も少なくなく、いじめの被害にあった体験を持つ人も多い、ということです。「LGBTの自殺率はストレートに比べて6倍」という数字が独り歩きしています。この数字の信ぴょう性は置いておいて、杉田議員は先述のテレビ番組のなかで、司会者から「自殺が6倍という声もあるようですが...」と質問されて、「それがどうしたの?」とでも言わんばかりにあざ笑っているのです。文章では隠せてもテレビではそうはいきません。杉田議員のなかにLGBTを蔑む意識があるように私には感じられます。

 セクシャル・マイノリティのことを完璧に理解するのは困難だと思います。理解しようと努めること自体が、当事者の人たちからうっとうしがられることもあります。「薔薇族」の創刊者、伊藤文學氏は「当事者でないあんたに何が分かる!?」という批判を常に受けていたと聞いたことがあります。

 では我々はどうすればいいのか。月並みな言い方になりますが、性には多様性があることを理解し、自分が標準だと思わないことが重要です。そして、何気ない言葉で他人を傷つけることがあることを知っておくべきです。例えば、彼氏、彼女、結婚、妊娠、出産、お見合い、などという言葉を発しただけで他人を傷つけることもあるのです。

 そしてもっともっとLGBTに対する議論を重ねることが重要です。私が思う「新潮45」の本当の"罪"は、休刊により世間に「LGBTの話題はタブー」と思わせてしまったところにあります。

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注1:実際、特定はされていないものの遺伝的にセクシャル・アイデンティティが決まっている可能性があります。

参考:DNA differences are linked to having same-sex sexual partners

注2:下記を参照ください。
https://www.youtube.com/watch?v=Ci5-FYrrx7U&t=799s



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第147回(2018年9月) 買春に罪の意識がない日本人は世界の非常識

 2018年8月16日、ジャカルタで開催されたアジア競技大会に日本代表として参加していた男子バスケットボールの20代の選手4人が現地女性を「買春」していたことが発覚し、JOC(日本オリンピック委員会)は4人を代表から追放し自腹で強制帰国させました。JBA(日本バスケットボール協会)は記者会見を開き、4人に対し1年間公式試合の出場権を剥奪することを発表しました。この記者会見は当事者の4人も出席する「謝罪会見」となりました。

 出席した記者から「どんな気持ちで店に行ったのか」、「日の丸を背負っている自覚はあったのか」、「違法と思わなかったか」といった質問を次々と浴びせられ、顔と実名を晒した4人は「一生背負うつもりです」「これからの人生でも立て直せないかもしれません」「全国民の皆様に泥を塗る行為をしてしまいました」「国民の皆様へ謝罪がなかったことをお詫びします」などと謝罪の言葉を述べました。さらに、この謝罪会見の模様は世界中のメディアで報道され4人は全世界に恥をさらすことになりました。

 これに対し、日本のSNSなどでは「かわいそう」「そこまでひどいしうちをしなくてもいいのでは?」「ジャカルタ在住の日本人駐在員の多くは経験がある」など4人を擁護する声が多数あるようです。買春を認めるような発言には慎重にならざるを得ないのか、さすがに大手新聞や著名な評論家・文化人は4人の味方になるようなコメントは差し控えていましたが、「週刊新潮」は、2018年9月6日号で「特集・そんなに悪いか『ジャカルタ買春』!~『バスケ日本代表』の未来を潰した『朝日新聞』」というタイトルで4人を擁護する記事を載せました。

 わざわざタイトルに朝日新聞の名前を入れているところが興味深いと言えます。この事件が発覚したのは朝日新聞の関係者が偶然4人の「行為」を見かけたからで、朝日新聞が余計なことをしなければ彼らは罪に問われなかったということが言いたいわけです。

 なるほど、週刊新潮の読者のマジョリティは愛国心にあふれた高齢の男性と言われていますから、朝日新聞の悪口を書き、本人たちにも経験があるであろう買春を擁護するような記事にすれば読者からのウケはよくなるのでしょう。また、週刊新潮はこの記事で社会学者の古市憲寿氏の以下のコメントを引用しています。

「スポーツ選手にどうして過度に"聖人君子"であることを求めるのでしょうか。ジャカルタに行ったのもバスケットをするためで、試合以外の時間に何をするのも、彼らの自由のはず。一般人以上の規範を求める必要はないはずです」

 これは私の見解ですが、おそらく古市氏は4人を擁護するコメントを他の知識人が表明しないものだから"炎上"覚悟でこういった意見を発表したのではないでしょうか。古市氏ほど知識が豊富で国際的なセンスを身に着けている学者が100%の本心でこのようなことを考えているとは私には思えません。古市氏のことですから、はじめから週刊新潮の読者層を想定してこの言葉を選んだのだと私は考えています。

 GINAのこれまでの活動を通して私が感じるのは「日本人の買春に対する考え方はとてもヘンであり日本の常識は世界の非常識である」ということです。解説していきましょう。

 まず、私は今回の4人の報道を聞いたときに「あり得ること」と感じました。そして、大手メディアは4人を非難するであろうが、世間は彼らに同情的になり、そのうちに彼らを擁護する有名人も出てくるだろうと思ったのです(そしてその通りになりました)。私の予想ではこの「有名人」は芸人(お笑いタレント)でした。「誰にも迷惑かけてないし、売春婦もお金もらって楽しい時間を過ごしたんだから放っておけばいい」という意見が必ず出てくると考えたのです。実際に芸人がこういう発言をしたかどうかは調べきれませんでしたが、いずれにしても「彼らを許してあげて」という雰囲気になっていくはずです(もうなっているかもしれません)。

 ですが、これはやはり"おかしい"のです。GINAのこのサイトで何度か紹介したように、タイのマッサージパーラー(日本でいうソープランドのようなもの)を利用するのは日本人がほとんどです(ただしここ数年は韓国人、中国人も増えていると聞きますが)。私の知る限り、欧米人はこのような「性風俗店」には行きません。そもそも、「買春」などという行為は、異常とまでは言えないとしても、ごく少数の人たちがとる行動です。過去のコラムでも紹介したように、買春の経験のある男性は米国0.3%、英国0.6%、フランス1.1%というデータがあります。一方、日本では1~(なんと)4割もが性風俗の経験があるとする調査があるのです。

 ただし、バンコクやパタヤをみればすぐに分かるように欧米人もタイ女性との金銭を介した「love affair」を楽しんでいます。彼らはどうしているかというと、タイ女性のいるバーやカフェ、あるいは他のミーティングスポットに行くわけです。そこで気に入った女性を見つけて話しかけ女性と"意気投合"するとその後は二人の時間となるのです。そして別れ際に金銭を"プレゼント"します。これに対し、「結局欧米人のやっていることは買春と同じじゃないか」という意見があり、ある意味では確かにその通りです。ですから先述の買春経験の数字も買春の「定義」を変えると日本と差がなくなるかもしれません。

 ただ、私が個人的に(GINAの調査という名のもとに)欧米人にインタビューしたところによると、話をしていくなかで盛り上がらなかったり、気が変わったりして結局その女性とは進展がなかった、ということもよくあると言います。まあ、すぐに次の女性を狙いにいくわけですが。

 以前バンコクである日本人の駐在員(男性)に面白い話を聞いたことがあります。その男性は取引先の日本企業からタイに出張にくる男性を「性風俗接待」して業績を挙げています。調子に乗ったこの男性は、それをドイツ人の営業マンに持ち掛け、大ヒンシュクを買い商談が流れてしまったそうです。軽蔑された目で見られとても気まずい思いをしたと言っていました。

 その話を聞いた翌日、偶然にもドイツ人のカップルと仲良くなった私は、女性がトイレで席を外したときにこの日本人駐在員の「失敗談」を話しました。そのドイツ人男性によると、ドイツにも有名な性風俗エリアがあり、敷地内全体が買春施設になっているところもあるそうです。ですが、そのようなところに出入りする男性は「社会の底辺」であり、まともなビジネスマンは絶対に行かないと言います。日本人駐在員が軽蔑されたのは、そのドイツ人が「そのような施設に行く底辺の層と見なされたと感じたから」ではないかと話していました。

 先述した週刊新潮の記事でも触れられていたように、元行革担当大臣の佐田玄一郎氏は女子大生との1回4万円の援助交際で、元総務大臣の新藤義孝氏はソープランドの常連であることを週刊誌に曝露されました。元新潟県知事の米山隆一氏が複数の女性と1回3万円を支払って買春していたことや、奈良県天理市の市長が東京出張時に性風俗を2回も利用していたことも報じられました。

 過去のコラムでも述べたように、自由恋愛との境界が曖昧な「後払い式欧米型買春」はHIVを含む性感染症のリスクが高く、売買春することを先に決める「前払い式日本型買春」は恋愛に発展する可能性も性感染症のリスクも低いということはいえそうです(上記「4人」のうち一人はsex workerとLINEで連絡先を交換したと報道されていますが)。

 欧米型買春を肯定するわけではありませんが、日本型買春は「世界の非常識」だと認識すべきだと私は思います。今回の事件はもちろん中国や韓国でも報じられています。従軍慰安婦を含め性的搾取が実際にあったのかどうか私には分かりませんが、中国や韓国の人たちは4人の事件をどのように感じるでしょう。

 最後に、事件を報じたReuterの記事の最後の1行を紹介しておきます。

 2020年に東京で開催される次のオリンピックは日本がホスト国だ。

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第146回(2018年8月) タイの医療機関~ワクチン・HIVのPEPを中心に~

 GINAのウェブサイトをみて、「タイではどこの病院に行けばいいですか」という問い合わせをしてくる人が大勢います。受診理由として最も多いのが「HIVのPEPはどこで受けられますか」というものです。また、HIV陽性の人から、「タイでHIVの治療を受けるならどこがお勧めですか」、という質問もときどき届きます。

 HIV関連以外では、「タイで病気や怪我をしたときにお勧めの病院はありますか」、というものはよくあります。最近は、「タイでワクチンをうつと日本とは比較にならないほど安いって聞いたんですけど......」という問い合わせも増えています。

 そこで今回は、タイで医療機関を受診するならどこがいいのかについて目的別に紹介していきたいと思います。まず、総論として次のポイントを押さえておきましょう。

・タイの社会保険を持っていないなら基本的には自費診療。突然の病気や怪我の場合は海外旅行保険が使えることが多い。

・タイで働いている人は(working permitを取得していれば)社会保険が使える。ただし、受診先は勤務先が指定する場合が多く、指定病院は(ときに設備が充分でない)公立病院となる。そういった病院では、日本語は通じず、医師以外の医療者は英語ができないこともある。

・「豪華な病院」にはたいてい日本語の通訳がいる。費用は高く救急車を呼べば数万円のことも。海外旅行保険が使えることが多いが、保険会社が認めなければ救急車の費用などは適用されないこともある。

・クリニックはたいてい自費診療。ただし日本と異なり病院とは費用に差があり、一般に病院よりも安い。タイ語ができれば問題なく受診できる。英語だけでも医師との対話はまずOK。

・夜間などクリニックが開いていない時間帯で「豪華な病院」を避けたい時は、タイ人が利用する公立病院受診を検討すればよい。クリニックと同様、タイ語ができれば問題なし。英語だけでも医師との対話はOK。

 だいたいこんなところです。ではバンコクの情報をお伝えします。チェンマイは後半に記します。今回は他の地域の情報はありません。

〇突然の病気や怪我が起こったとき

 バンコク近郊にいるときに「軽症」なら次の2つのクリニックは検討してもいいでしょう。日本人御用達のクリニックで日本語の通訳が常駐しています。下記URLも日本語です。

DYM+ Clinic
BLEZ Clinic

 「重症」の場合や上記クリニックが閉まっている時間であれば下記の3つのいずれかの「豪華な病院」が適しています。いずれも日本語の通訳がいます。下記URLも日本語です。

Bumrungrad International Hospital 
Samitivej Hospital  
Bangkok Hospital 

〇HIVのPEP/PrEPを希望するとき 

 最もお勧めなのはタイ赤十字が運営する「Anonymous Clinic」。タイではPEPは日本とは異なった使い方をします。(参照:Thailand National Guidelines on HIV/AIDS Treatment and Prevention 2017)

#1 テノホビルジソプロキシルフマル酸塩(Tenofovir disoproxil fumarate, TDF)300mg + エムトリシタビン(emtricitabine, FTC)200mg(ツルバダ)
#2 リルピビリン(Rilpivirine, RPV)25mg(エジュラント)
#3 ラルテグラビル(Raltegravir、RAL)400mg(アイセントレス)
(参考:Anonymous Clinicのprice list)

 日本では#1を1日1錠と#3を1日2錠飲み、1日あたり約10,000円もかかります。タイの標準的な飲み方は#1と#2を1日1錠ずつです。費用はAnonymous Clinicを利用した場合、#1は一番安いジェネリック薬品を用いれば1錠12.25バーツ(約37円)、#2は1錠6.25バーツ(約19円)(いずれも2018年8月現在)です。合計で1日あたり18.75バーツ(60円未満)、なんと日本の170分の1の値段です。

 1日あたり60円なら、日本で感染の機会があったとしても翌日にLCCなどを利用してバンコクに渡航する価値が充分にあるでしょう。ちなみに、タイのLCCノックスクートは2018年10月30日から関空→バンコクを開始し、そのセール価格は8,900円です。

 タイで日本と同様#1と#3の組み合わせにするのは、感染したかもしれないウイルスが耐性ウイルスである可能性を考えたときです。#3はタイでも高価ですが、それでもAnonymous Clinicでは1錠128バーツ(2018年8月現在)です。これを1日2錠のみますから、1日あたりのPEPは#1の12.25バーツ+#3の128x2(=256バーツ)で合計268.25バーツ(約810円)となります。

 PrEPは日本でもタイでも#1を1日1錠が基本です。日本では一月あたり10万円以上かかりますがタイではわずか1,200円程度です。

 当然のことながら治療を受けるときも日本とは比較にならないくらい安くつきます。薬の組み合わせによっては日本で3割負担の治療を受けるよりもはるかに安くなるというわけです(もっとも、日本では所得にもよりますが厚生医療の適応になりますから本人負担はさほど高くありません)。

 タイではHIVは日本よりもはるかに感染者が多くコモン・ディジーズとなっていますから、基本的に多くの病院/クリニックで治療が受けられます。GINAが調べた範囲ではAnonymous Clinicが最も安い費用で提供しています。

〇ワクチンを接種するとき

 ワクチンは次の2つのいずれかがおそらくタイで最も安いでしょう。ただし双方とも日本語は通じません。タイ語か英語がある程度できなければ受診は困難でしょう。

Thai Travel Clinic
  マヒドン大学の熱帯医学病院の中にあります。ワクチンのプライスリストはウェブサイトで閲覧できます。

・タイ赤十字のImmunization and Travel Clinic 
  先述のAnonymous Clinicと同じ敷地にあります。このクリニックのすぐ隣には「ヘビ園(snake farm)」があり観光名所となっています。ワクチンのプライスリストは公開されておらずクリニック内に掲示されているだけです。

 例えば狂犬病ワクチンは日本では1本15,000円ほどしますが、上記クリニックではいずれも1,100円ほどです。麻疹・風疹混合ワクチンは日本では10,000円以上しますが(さらにすぐに在庫切れになる)、上記クリニックではMMR(麻疹・風疹・おたふく)ワクチンが600円ほどです。

〇チェンマイの医療機関

 クリニックについては情報不足でよくわかりません。基本的にはタイ語か英語ができないと受診は困難です。メサドン療法(麻薬依存症の治療)を実施しているクリニックもあります。

 日本人が受診しやすいのは次の5つの病院です。

Chiangmai Ram Hospital
トータルでみれば一番お勧めです。救急車は無料ですし日本人スタッフが丁寧に対応してくれます。

Rajavej Chiangmai Hospital 
タイで働いている人なら社会保険も使えることがあるそうです(受診前に確認してください)。日本語の通訳がいます。

Lanna Hospital  
Rajavej Chiangmai Hospitalと同様、社会保険が使えることがあるそうです(やはり受診前に確認してください)。日本語の通訳がいます。

Bangkok Hospital Chiang Mai
費用が最も高いと言われています。救急車要請は数万円かかることもあるようです。日本語の通訳がいます。

McCormick Hospital
これら5つの病院で最も費用が安いと言われています。ただし日本語の通訳はいませんから、タイ語か英語での診察となります。

 その他下記の病院があります。いずれも旅行者向けではありません。

Nakornping Hospital 
国立病院です。

Maharaj Nakorn Chiang Mai Hospital
通称Suandok(スワンドーク) Hospital。チェンマイ大学医学部附属病院で国立です。

Chiang Mai Neurological Hospital 
神経疾患の専門病院でチェンマイ市立病院です。

〇最後に

 上記情報はいずれも2018年8月現在のものです。受診前には直接医療機関に問い合わせられることを勧めます。医師と患者には"相性"がありますが、タイの医療機関を受診した人たちの話によると通訳との相性も重要のようです。「あそこの病院は通訳がイヤだから二度と行きたくない」という声も何度も聞きました。個人的には、タイが好きな人やタイに繰り返し渡航する人はタイ語か英語を勉強して通訳なしで受診することを勧めます。






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第145回(2018年7月) ロシアでHIV感染は増えるか

 2018年はロシアでワールドカップが開催されるという話を聞いて、まず私が感じたのが、各国は「観戦ツアーでHIV感染に注意」という勧告を出すべきではないのか、ということでした。

 私はロシアに渡航したことはなく、また、現地の事情に詳しい知人もそういないのですが、私がタイのエイズ問題に関わりだした2000年代前半にはすでにロシアでの感染者増加が問題になっていました。

 セックスワーカーが街に氾濫し、ロシア国内のみならず、タイのパタヤなどにも出稼ぎにやってきているという話をよく聞きました。ロシアは旧ソ連のなかではさほど貧困ではないというイメージがあるからなのか、「パタヤにいる自称ロシア人のセックスワーカーの本当の出身地は〇〇スタンと付く旧ソ連の貧しい国だ」、という話もありましたが、GINAが調査したところによると、ロシア出身でタイに出稼ぎにきているセックスワーカー達も少なくありませんでした。

 タイでセックスワークとなると、当然考えなければならないのがHIV感染です。こういった問題には信頼できるデータがなく「噂」の域を超えない情報が多いのですが、「ロシアのセックスワーカーにはHIV陽性者が多い」という話も何度か聞きました。

 実際、ロシア国内の調査では「サンクトペテルブルグで週に20人以上の顧客がいるセックスワーカーの3人に2人はHIV陽性」というものもあります。これについては、このウェブサイトでも報告したことがあります。「なぜ西洋人や日本人はタイでHIVに感染するのか」でグラフを示しています。

 では、最近のロシアではどうなっているのでしょうか。当時(2000年代前半)に比べると、私自身がタイに渡航する機会も減り、パタヤのセックスワーカーに対する情報もあまり入ってこないのですが、どうも以前に比べるとロシア人のセックスワーカーは激減しているようです。代わりに(というわけではありませんが)ロシア人の観光客が激増していると聞きます。つまり、これはロシアが裕福になったということを意味します。

 裕福さとHIV陽性率に関連があるとは言い切れないとは思いますが、やはり国民が豊かになりセックスワークをせざるを得ない人たちが減ると感染率は下がるはずです。ならば、ロシア国内でのHIV感染者は減っているのでしょうか。

 最も信頼できるHIV感染に関する国別のデータはUNAIDSのものです。ロシアをみてみると、なんと「空欄」になっています...。つまり、公式データがない、もしくはあったとしてもロシアが公表していないということです。カザフスタンやキルギス(キルギスタン)など他の旧ソ連の国々はきちんとデータを公表しているのに、です。

 とりあえず信ぴょう性に高くないかもしれませんが存在するデータをみてみましょう。wikipediaによると現在のロシアのHIV陽性者は85万人から150万人、2015年の1年間で95,000人が新たにHIVに感染したとのことです。全体の1/10が1年間で感染しているということは、急激に感染者が増えていることになります。

 「Russia」「HIV」で検索してみると、いくつかの英字新聞がヒットします。過去1~2年のものにざっと目を通してみると、軒並み「HIV増加が止まらない」といったことが書かれています。ロシアに滞在する外国人が最もよく読む英字新聞と言われている「The Moscow Times」には、保健大臣(Health Minister)のVeronika Skvortsova氏が現在のHIV状況は危機的であると発言したとの記事もあります。しかし、一方ではロシア政府はそれを認めていないとする報道もあります。

 政府が認めていないからといって、ロシア当局のコメントを信用するわけにはいきません。UNAIDSによれば、世界中のHIV新規感染者の約半数は5つの国で感染しており、そのひとつがロシアです。The New York Timesが報道しています。ちなみに他の4か国は、南アフリカ共和国、ナイジェリア、インド、ウガンダです。

 さて、話を冒頭のワールドカップ観戦に戻しましょう。私が調べた限り「ワールドカップ観戦でHIV感染が広がるのでは?」といった切り口で報道しているメディアはありませんでした。そういうときは、信頼性は高くないにしても実際に渡航した人に尋ねるしかありません。私が収集した情報によれば、セックスワーカーが街にあふれている、という感じはまったくなかったそうです。「セックスワーカーのいない国や地域はない」と言われますから、おそらく行くべきところに行けばそういう人たちもいるのでしょう。ですが、サンプトペテルブルグからの情報によると、街を見渡した限り、上に紹介したような「週に20人以上の顧客をとっているセックスワーカーがそこらじゅうにいる街」にはとうてい思えないそうです。

 それどころか、渡航した人たちのほとんどが「ロシアがこんなに進んだ国とは思ってなかった」と言います。確かに、近年のロシアの経済発展は好調で2000年代初頭に比べると、ひとりあたりのGDP(GDP per capita)は右肩上がりでおよそ2倍になっています。

 ここまでをまとめると、▽ロシアは裕福になりひとりあたりの所得が増加した、▽海外(パタヤ)のみならずロシア国内のセックスワーカーも激減した、▽しかしHIV陽性者は急増している、ということになります。ロシアでも違法薬物の静脈注射やタトゥーでHIVに感染する者は多いと聞きますが、これらは国民が裕福になると減少するはずです。となると、なぜロシアでHIV感染が増えているのかの説明がつきません。考えられるのは、「すでにある程度まで蔓延していて、現在では通常の(売買春でない)自由恋愛で広がっている」ということでしょうか。

 ならば、ワールドカップ観戦で突然生まれたロシア人とのロマンスで(日本人を含む)外国人がHIV感染、ということも充分にあり得るのではないでしょうか。私が入手したロシア渡航者からの情報によれば、ロシア人(の特に女性)は日本人が抱くステレオタイプ的なイメージ、つまり「冷たくてとっつきにくい」ではなく、実際にはその真逆で、明るくてフレンドリーだそうです。お互い英語がうまくないためにかえってコミュニケーションが盛り上がったという話も...。

 ところで、ロシアのHIVを語る上で避けて通れない話があります。それは(種類にもよりますが)「ビザ取得時にHIVに感染していないことを証明しなければならない」という規則です。もちろんこんな規則は「人権侵害」そのものですから世界中から批判されています。ですが、実際にはロシアのみならず、シンガポールや中東諸国などでも同様の規則があり、そのために渡航できない人もいます。

 ワールドカップ渡航時にはHIV陰性証明は不要だったと聞きました。もしもあなたがワールドカップ観戦でロシアが気に入り、ロシア語を勉強し、留学もしくは仕事でロシアに行けることになったとしましょう。しかしワールドカップ観戦ツアー中に生まれたロマンスでHIVに感染していて夢が絶たれた...、などということになっていなければいいのですが......。

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第144回(2018年6月) 米国の梅毒増加は日本にも波及するか

 1年ほど前からジャーナリストの人たちから「梅毒は中国人が持ち込んだというのは本当か」という質問をよく受けるようになりました。おそらくその理由のひとつは毎日新聞ウェブサイト版「医療プレミア」で私が連載している「実践!感染症講義 -命を救う5分の知識」で梅毒を取り上げたことだと思います。

 この連載では連続5週にわたり梅毒を解説しました。そのなかで私が主張したことのひとつは「統計上は梅毒が増えていることになっているが、実際は増えているわけではなく昔から多かった」ということです。そのコラムでも述べたように、例えば2007年にHIV新規発覚が約1,500例なのに対し、梅毒はわずか750例です。キスやささいなスキンシップでも感染する梅毒がHIVの半分なんてこと、あるはずがないわけです。HIVだけでなく、クラミジアや性器ヘルペスといった性感染症の届出が10年以上ずっと横ばいなのに対し、梅毒だけが数字の上で急上昇しているのですから、これにはトリックがあると考えなければなりません。

 しかし、世間ではそうは解釈されておらず、梅毒が上昇している「原因」があるに違いないと考え、なかにはそれを自分の都合のいいように"利用"する人もいるようです。あるジャーナリストに教えてもらった情報によると、東京都のある右派の区議会議員が、訪日中国人が梅毒を日本に持ち込んでいると主張しているとか。そのジャーナリストは「その区議会議員の考えをどう思うか」、と私に取材に来たわけです。もちろん、「訪日中国人のせいで梅毒が増えているわけではない」というのが私の回答です。

 訪日外国人が増加しているのは事実で、たしかに中国人の比率が最も多いわけですが、例えばタイから日本を訪れる人たちも過去数年で急増しています。そして、私が本格的にタイでHIVに関連する活動をしていた2000年前半にも、タイでは梅毒はよくある感染症でした。HIVとは感染者数も感染力もレベルがまったく違います。そして、今でもタイで梅毒に感染している人は外国人も含めて大勢います。タイ人が日本を訪れる人数が年々増えているわけですから、この区議会議員の考えに従うとするなら、タイ人も批判されないと辻褄が合わないわけです。

 そもそも少し科学的に考えると、①梅毒罹患者のグラフが右肩上がり、②訪日中国人の数も右肩上がり、③よって中国人が梅毒を持ち込んでいる、と単純に考えるのはナンセンス極まりない話で、これが区議会議員の発言というのが信じられません。

 それならば、例えば、①景気がよくなり求人が増え就職率が上昇し賃金も増えた、②そして若者に恋愛する余裕がでてきた、③その結果、梅毒の罹患者が増えた、とする方がまだ説得力があるのではないでしょうか。ただし、区議会議員の説も、私が今述べた「好景気原因説」も、なぜ他の性感染症の感染者数が増えていないのか、という点を説明できません。

 さて、これから国内での梅毒の感染者数は増えていくのでしょうか。そして、他の性感染症はどうなのでしょうか。私は梅毒も含めて、国内での性感染症は増加していく可能性があるとみています。その理由を述べます。

 米国では梅毒を含む性感染症が急激に増えています。カリフォルニア当局の発表によると、カリフォルニア州では、2013年に報告された先天性梅毒(死産含む)が58例、その後一貫して上昇傾向にあり、2017年には278例にもなっています。まるで、日本の梅毒「の報告」と同じようなグラフです。

 注目すべきは他の性感染症です。人口10万人あたりの同州での淋病罹患者数は2013年が99.9なのに対し2017年は190.5と1.9倍上昇しています。同様に、クラミジアの人口10万人あたりの罹患者数は2013年が437.5、2017年が552.1と1.26倍に増加しています。

 ここでもう一度日本の梅毒が「増加している本当の理由」について考えてみましょう。先述の毎日新聞のコラムにも書いたように、私は日本の梅毒が急増している主な理由として次のことを考えています。

・単に医師が届けていなかっただけ
・梅毒と診断されず抗菌薬が処方され結果として治っていたケースが多い
・診断がつく前に自然治癒していた

 私は米国の医療事情にさほど詳しいわけではなく、しっかりとした根拠があるわけではありませんが、これまでの米国の医師との会話から受ける印象として、感染症に関しては米国の医師の方が日本の医師よりも診断能力が高く、また届け出義務を遵守していると感じています。その米国で、クラミジアや淋病と同じように梅毒が増加してきているわけです。

 文化や社会現象と同じように、米国で流行しているものはいずれ日本で流行る可能性があります。梅毒のほとんどは性感染です。米国人と日本人が恋愛関係になることももちろんありますから、やがて梅毒を含む性感染症が日本でも増加することになる可能性はあると思います。

 そして性感染症が増えているのは米国だけではありません。ある論文によると、中国でも梅毒は増えています。米国人と同様、日本人が中国人と恋に落ちることもあるでしょう。ならば、先述した区議会議員の言うように、訪日中国人が増えているから梅毒も増えるのでは?と感じる人がいるかもしれませんが、そうではありません。なぜなら、日本人が米国や中国に渡航して、そこで関係をもった米国人や中国人から感染することが少なくないからです。実際、私が院長を務める太融寺町谷口医院ではこのパターンで梅毒に感染している人がたくさんいます。先述したようにタイでの感染はよくありますし、韓国、台湾、べトナム...、と特にアジア各地で感染して帰国している人は少なくありません。

 もちろん、日本にやってきた外国人が日本人に梅毒を感染させることもあるでしょう。また、イヤな病気は外国から伝わってきたと思いたいという気持ちが生じることは歴史がすでに証明しています。米国の原住民からコロンブスが欧州に持ち込んだと考えられている梅毒は当時、ポルトガルではカスチリア病(カスチリアはスペインの一部)、イタリアではスペイン病、フランスではナポリ病、イギリスではフランス病、ロシアではポーランド病、琉球では南蛮病、日本では琉球病などと呼ばれていたと言われています。

 重要なのは「誰と恋に落ちようが梅毒を含む性感染症のリスクはあること」を理解することです。そして、HIVはコンドームで防げ、B型肝炎ウイルスはワクチンで防ぐことができますが、「梅毒にはワクチンが存在せず、コンドームで完全に防ぐことはできないこと」をしっかりと認識しなければなりません。

 梅毒は治るとはいえ治療に時間がかかることがありますから、やはり感染しないのが最善です。ではどうすればいいか。毎日新聞「医療プレミア」でも述べたように、「新しいパートナーができれば、体が触れ合うあらゆる機会の前に2人で検査を受ける」ことを実践することです。これができないなら、「感染すれば割り切って治す」と考えるしかありません。

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