GINAと共に

第175回(2021年1月) ついに日本でもPrEPが普及する兆し

 前回、PrEPは性的アクティビティが高い人たちの間で非常に優れたHIV予防法であること、しかし費用が高すぎるのが問題であることを述べました。今回は、私が日頃診ている患者さんにもようやく安く処方できる方法が登場したことをお伝えします。まずはこれまでの経緯を振り返っておきましょう。

 私及び私が院長を務める(医)太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)が日本でもPrEPを実施しなければならないと初めて考えたのは2012年でした。日本製のツルバダは日本で流通している先発品は1錠約5千円もするために、谷口医院が海外製のツルバダの後発品を直接輸入することを考え、近畿厚生局に相談しました。しかし結果は即「却下」でした。理由は「安いからという理由での輸入は認められない」でした。お役所には"情"は通りません。法律の「壁」があるなら仕方がないといったんは諦めました。

 2013年頃より外国人を中心にPrEP(及びPEP)の問い合わせが増え始めました。2016年頃からは日本人からの相談も次第に増えてきました。そこでPrEPに興味をもつ人たちには2つの案を提案することにしました。

 ひとつは個人輸入です。誰でもインターネットを通した通販で1錠200~400円程度で購入することができます。ただし、個人輸入には偽物をつかまされるリスクがあります。厚労省によると、個人輸入のED改善薬の4割は偽物です。抗HIV薬だけで調べられたデータは見たことがありませんが、すべて本物と信じるのはリスクが大きすぎます。

 そこで谷口医院の患者さんやGINAのサイトから問い合わせをされる人には「2つ目の方法」を推奨してきました。それは「タイで処方してもらう」という方法です。バンコクにはPEP/PrEPを専門にした外国人用のクリニックがいくつかあり、やはり1錠200~400円程度でツルバダの後発品が処方されています。

 私が最も推薦しているのはタイの赤十字が運営しているAnonymous Clinicで、ここでならツルバダの後発品が1錠50円未満です。安いからという理由だけでこのクリニックを推薦しているわけではありません。スタッフも多く、医師、薬剤師、ケースワーカーが多数そろっています。きちんとした説明を詳しく聞けるのも魅力なのです(ただし日本語ができるスタッフはいないためにタイ語か英語で会話をしなければなりません)。

 PEPの場合でもアクシデントが起こってからすぐにタイに渡航できれば間に合いますが、スケジュールの調節が困難という人も少なくありません。ですが、PrEPなら計画して渡航すればいいわけですから、休暇時に観光がてらにAnonymous Clinicを訪れることができます。LCCを使えば片道1~2万円程度で渡航できます。バンコクは物価がとても安いですから繁華街から少し離れたところなら1泊500バーツ(約1,600円)も出せばエアコンとホットシャワーが付いたゲストハウスに泊まれます。そんなわけで、2017年頃からはPrEPの問い合わせがあればAnonymous Clinicを積極的に勧めるようにしていました。

 ところが予期せぬアクシデントが発生しました。新型コロナウイルスです。2020年1月、武漢での発生が報じられてから間もなくタイでも陽性者がみつかり、外国人の入国制限が開始されました。それから1年が経過した2021年1月下旬、いまだにタイには特別な理由がなければ入国できません。これではPEPはもちろん、PrEPを目的とした渡航もできません。ちなみに、タイではコロナ禍でも性転換や美容外科などの手術を受ける場合には特別なビザがおります。 

 そんななか、ちょうどタイに自由に渡航できなくなった2020年の2月頃から、「東京のクリニックでツルバダ後発品を処方してもらった」という声を聞くようになりました。谷口医院に相談に来られた患者さんは「東京に行くのが大変なのでここ(谷口医院)で処方してもらえないか」と言います。しかし、先述したように近畿厚生局は輸入を許可してくれません。もしかすると関東甲信厚生局はクリニックでの輸入を認めているのでしょうか。

 そこで、2020年12月上旬、関東信越厚生局に直接電話で問い合わせてみました。回答はなんと「輸入可能」とのこと。しかし、近畿厚生局は許可せず関東信越厚生局は許可しているというのはおかしな話で筋が通りません。谷口医院としては(関西空港ではなく)関東の空港から入荷する手続きをすれば輸入ができるのかもしれませんが、そのようなことをしてもいいのでしょうか。そこで、関東信越厚生局に「なぜ近畿はダメで、そちらはOKなのか回答がほしい」と依頼しました。

 年末に同局から電話がかかってきて「現在近畿厚生局と話をしている。正式な回答まで少し待ってほしい」とのことでした。本原稿を書いている1月24日時点で回答はありません。

 PrEPに対する問い合わせはコロナ禍でも減りません。そのうち患者さんから「なんで東京ではできて大阪ではできないのだ」とお叱りを受けるようになるかもしれません。厚生局の回答を待っているのは得策ではありません。そこで、私は「もうひとつの方法」で輸入できないか探ることにしました。その方法とは「輸入業者に依頼する」というものです。

 意外なことに、この方法だと(業者に手数料を払いますから高くはなりますが)すんなりと輸入ができました。結局、1月下旬から谷口医院でもHIVのPrEPがおこなえることになりました。

 めでたしめでたし......、と言いたいところですが、入荷はできてもまだ問題は残っています。PrEPの正しい使い方を理解してもらい使用してもらうのに少し"壁"があるのです。興味があって問い合わせをされる人は多いのですが、誤解をされている人も少なくありません。

 最大の誤解は「on demand PrEP」です。通常のPrEPは別名「daily PrEP」と呼ばれるものでツルバダ(後発品も同様)を1日1錠内服します。一方、on demand PrEPは、性行為の2~24時間前に2錠、最初の服用の24時間後に1錠、2回目の服用の24時間後に1錠、合計4錠服用する方法です。性行為の機会があるときだけ内服する方法ですからdaily PEPに比べて費用はリーズナブルになります。

 しかし、残念ながらこの方法は万人に支持されたものではありません。米国CDCはon demand PrEPをHIVの予防とは認めておらず、FDAは「daily PrEPがFDAの承認する唯一の予防法」としています。それに、そもそもon demand PrEPは男性間だけの方法です。on demand PrEPが有効だとする研究(IPERGAYと呼ばれるフランスでおこなわれた研究が最も有名)があり、一流の医学誌『New England Journal of Medicine』に掲載された論文でもPrEPは有効でかつ安全であることが示されていますが、これはゲイを対象とした研究であり、ストレートの男性や女性には推奨されていません。

 もうひとつの誤解がC型肝炎ウイルス(以下HCV)です。PrEPの相談をされる人は性感染症に詳しいことが多く、B型肝炎ウイルス(HBV)のワクチンはすでに接種し抗体形成を確認していることが多いのですが、HCVが忘れられているのです。HCVは多くの人が感染しており(日本では200万人以上が陽性と言われています)、HIVとHCVの重複感染も多く、かつては、「HIVは抗HIV薬のおかげで抑制できているのにHCVに有効な治療薬がなかったために死因がHCV関連」ということが多かったのです。ところが、現在は画期的な薬(DAAと呼ばれます)が登場したおかげで、ほぼ完治が見込めるようになりました。とはいえ、100%治るとまでは言い切れず、また治療費用に数百万円もかかります。もちろん個人負担は低く抑えられはしますが、それでも可能な限り予防すべき感染症です。HIVのPrEPが普及したせいでHCVの感染者が増えるようなことは避けねばなりません。

 しかし、ここに述べたような「誤解」があるとはいえ、HIVのPrEPが安く入手できるようになったのは朗報であることには変わりありません。谷口医院以外にも輸入業者を通してツルバダの後発品を入手する医療機関は今後増えていくでしょう。先進国で普及し始めてからすでに10年の遅れをとっているPrEPがようやく広がりつつあります。

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第174回(2020年12月) PrEPとU=Uは矛盾するのか

 最近、GINAのサイトから寄せられる質問で多いのが「PrEP」に関するものです。なかでも、PrEPと「U=U」が矛盾するのではないか、という指摘が次第に増えてきています。今回はこれについての話をします。

 ところで、私が院長を務める(医)太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)では、月に一度、医療者を対象とした勉強会を開催しており、谷口医院のスタッフでない他の医療機関などで働く人も参加されています。その勉強会でPrEPとU=Uについてどれくらいの人が知っているか尋ねてみると、「よく知らない」と答える人が過半数を占めました。そこで、今回のコラムも基本から振り返っておきたいと思います。

 PrEPについては過去のコラムでも紹介したように、Pre-exposure prophylaxisの略で、日本語で言えば「曝露前予防」となります。つまり、HIVに曝されるかもしれない前に抗HIV薬を内服して感染を予防する方法です。具体的には次のような人たちから関心を持たれています。

#1 パートナーがHIV陽性の人
#2 常に複数の"パートナー"が必要で、その"パートナー"も他に相手がいる人
#3 パートナーは持たずに不特定多数との性交渉を求める人
#4 sex worker

 次にU=Uをみていきましょう。読み方は「ユー・イコールズ・ユー」です。最初の「U」はundetectable(検出されない)の頭文字のU、後の方の「U」はuntransmittable(感染しない)の頭文字のUです。つまり、(ウイルスが)検出されない(undetectable)ならば、感染させない(untransmittable)ということです。これは、コンドームを着用していなくても、です。従来はHIVの予防にはとにかくコンドームを使いましょう、と言われていたわけですから、その概念を覆すことになります。

 「本当にそうなのか。エビデンスはあるのか」という質問がよくありますので、それに答えておきましょう。U=Uが正しいことを示す大きな研究は2つあります。1つは「PARTNER試験」と呼ばれるイギリスの研究で、2014年に1回目、2019年に2回目がおこなわれました。コンドームを使わない性行為を行っている972組のゲイのカップル、516組のストレートのカップルが対象となりました。カップルのうち1人はHIV陽性、もう一人は陰性です。尚、このようなカップルのことを最近「serodiscordant」と呼ぶことが増えてきました。調査の結果、ゲイのカップルでは77,000回、ストレートのカップルでは36,000回のコンドームを使わない挿入を伴う性行為があり、ウイルス量が検出限界値未満のHIV陽性者からパートナーへのHIV感染は一例も認められませんでした。

 もうひとつの大規模研究は2017年にオーストラリアで実施された「Opposites Attract研究」と呼ばれるものです。対象は343組のゲイのカップルです。合計17,000回のコンドームなしのアナルセックスがおこなわれ、ウイルス量が検出限界値未満であれば感染例は一例もありませんでした。

 これら2つの大規模研究から言えること、それは服薬をきちんとおこない血中ウイルス量を一定以下におさえておけば、もはやコンドームはいらないということです。

 さて、「疑問」はここから出てきます。HIVの予防にコンドームが不要なら、当然PrEPも不要なのではないか、という疑問です。

 たしかにU=Uの立場から言えばPrEPは不要になります。ではPrEPの立場からみればどうなるでしょう。それは「確実にundetectable(ウイルスが検出されない)ですか?」というものです。もしもそれが不確かなら、PrEPは必要ですよ、ということになります。不確かはuncertainですから、「U(undetectable) = U(untransmittable), but U(uncertain) needs PrEP」となります。

 では不確か(uncertain)はどんなときかというと、上記#1~#4でいえば、#2、#3、#4が該当することになるでしょう。ところが、世間一般に#2、#3、#4はあまり好印象を持たれません。もちろん、こういった行動のすべてが他人から非難される筋合いのものではありませんが、PrEPをそのような人たちのために承認するのはおかしいのでは、という声が出てくるのは必至でしょう。

 ちなみに、米国やオーストラリアはPrEPも保険で認められることがあります。日本では予防医学は保険適用外ですが、「PrEPは高額がかかるから必要な人たちのために保険適用を!」とする意見もあります。もしもそのような声が大きくなってきたときに、「性的に逸脱した行動を取るような人たちの薬に保険適用を認めるべきではない」という声は必ず出てくるに違いありません。社会保険の保険者や国民健康保険の保険者(地域の自治体)は必ず反対します。

 一方、公衆衛生学者はPrEPの保険適用に賛成する可能性があります。なぜなら公衆衛生学者のミッションは「社会全体で感染者を減らす」ことにあるからです。倫理・道徳的な問題はさておき、実際には不特定多数と性行為を楽しむ人や、sex workで生計を立てている人がいるのが現実なわけですから、その現実を受け入れた上で感染予防対策を講じるのが彼(女)らの仕事なのです。

 では私のような実際に患者さんと向き合っている臨床医はどうなのでしょうか。臨床医が公衆衛生学者と異なるのは、実際に患者さんから直接相談を受けることです。私がPrEPに興味があるという患者さんから相談を受けたときにどうしているかを紹介しましょう。

 私の場合、まずその人の性的アクティビティに対し問診していきます。性的指向について、特定のパートナーがいるかどうか、特定のパートナーはHIV陽性か否か、不特定多数との交渉はあるか、sex workをしているか、買春はするか、といったことについて確認していきます。

 その結果、やはり#2、#3、#4の人たちでリスクの高い人にはPrEPを検討するよう助言することがあります。ただし、他の性感染症のリスクも知っておいてもらう必要があります。実際、HIVばかりに気を取られ、他の性感染症に対しての注意が不足していることは珍しくありません。例えば、PrEPの相談に来た人がHBV(B型肝炎ウイルス)のワクチン未接種というケースです。感染予防の順番としてはHIVのPrEPの前にHBVのワクチンです。

 また、忘れてはならないのは#1です。#1の人も最初のU、すなわちundetectedがしっかりと維持できているかについて確認しなければなりません。特に抗HIV薬を開始して間もない頃や、薬剤を変更したときには注意が必要になります。一般に、undetectedの状態が半年続くまではU=Uとは言えないからです。

 最後にPrEPの最大の問題点である「費用」について述べておきましょう。標準的なPrEPはツルバダという薬を1日1錠内服します。この薬は1錠5,000円前後もします。毎日5千円出せる人はそう多くないでしょう。そこで私は、偽物をつかまされるリスクは否定できませんが、個人輸入で海外製の安価なジェネリック薬品を使うように勧めています。しかし、偽物のリスクは決して小さくありません。

 ならば谷口医院で輸入することを考えればいいわけで、実は2012年に近畿厚生局に輸入の許可を求めて交渉したことがあります。ところが当時の近畿厚生局の担当者から「安いことを理由に個人輸入することは認められない」と言われました。当局にそう言われたのでは仕方がないと諦めていたのですが、最近関東では海外製後発品を処方しているクリニックがあります。そこで、制度が変わったのかと思い、8年ぶりに近畿厚生局に問い合わせてみました。しかし回答はやはり「できない」とのこと。なぜ関東ではOKで、関西ではNGなのか。これでは納得がいきません。そして、ついに谷口医院でもPrEPの需要に応える準備が整いました。詳しくは次回述べます。

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第173回(2020年11月) 「性暴力」が日本でこれだけ蔓延るのはなぜか

 過去のコラム「レイプに関する3つの問題」で、私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)で、性暴力(レイプ)の被害の男女(女性が多いのですが男性もそれなりにあります)から相談を受けることについて述べました。性暴力の被害者は初めからそれを言うことはあまりなく、たいていはある程度通院し、我々医療者との関係が構築されてからようやく話してくれるようになります。

 そのコラムを書いてから7年以上が経ちました。7年で日本の性暴力の実情が改善されたかといえば、おそらくほとんど変わっていません。そして最近、私が以前から気になっていたことが調査され公表されたので、今回はまずはその調査を紹介したいと思います。

 一般社団法人Springという性被害当事者たちが中心となった団体があります。Springは2020年8~9月にかけて、ウェブサイトを通して性被害の実態調査をおこないました。その結果が2020年11月20日、「5899件の性暴力被害から見えた実態」と題した報告会で発表されました。

 その内容を毎日新聞の報道から抜粋します。まず、報告のタイトルにあるようにアンケート調査に回答したのが5,899人、回答者の96.4%が女性です。被害内容は下記の通りです。

「衣服の上から身体を触られた」63.9%
「衣服の下の身体を触られた」34.6%
「性器などを見せられた」31.3%
「口や肛門、膣(ちつ)への挿入を伴う被害」21.5%
「その他」14.7%(「精液をかけられる」「キスされる」「そばで自慰行為をされる」など)

 加害者の属性については「親や親の恋人・親族、見知った人」が34%です。先述の7年前のコラムで紹介した調査報告でも、こういった「身内」が加害者となるケースが少なくない結果となっていました。興味深いことに、今回発表されたspringの調査では、「男性器などの挿入を伴う被害」つまり、より深刻な被害に限定すれば、「身内」からの被害が59%を占めています。さらに、「親や親の恋人・親族」から挿入を伴う性暴力を受けた回答者の8割以上が12歳以下(被害を受けたのが12歳以下という意味だと思います)だったそうです。

 興味深いのはここからです。「それが性被害であることにいつ気付いたか」が質問されています。「被害に遭った直後」と回答したのは47.9%で、52%が「直後には認識できなかった」と答えているのです。

 では「直後に認識できなかった人」はいつ認識できるようになるのでしょうか。調査では平均7年という結果がでています。34.8%の人たちは8年以上かかったそうです。

 もうひとつ興味深いデータが示されています。被害にあった人で「専門家や支援機関に相談した人」は10.9%、「警察に相談した人」は15.1%に過ぎません。さらに、警察に相談しても被害が受理されにくいことが浮き彫りとなりました。「警察に相談して被害届が受理された」のは全体の7%(報道から、分母は「相談した人」ではなく「回答者全員」だと思われます)、「加害者が起訴され裁判で有罪になった」のはわずか0.7%しかないのです。

 Springのウェブサイトには「性被害の実態に即した刑法性犯罪の改正を目指して、アドボカシー活動をしています」とあります。つまり、現在の刑法がおかしい(罪が軽すぎる)のでそれを改正すべきだと考えているわけです。私も全面的に賛成で、先述した過去のコラムでも、日本の性被害の最大の問題のひとつが「罪が軽すぎること」だと指摘しました。

 法に訴えようと思っても罪が軽すぎることが分かっていますから「どうせ訴えても......」という気持ちが被害者だけでなく被害者をサポートする人の間にも生じるかもしれません。また、今回の調査結果でも示されたように「相談」自体のハードルも高いのです。実際、谷口医院で相談を受けるケースでも警察に専用のダイヤルがあることや、サポートしてくれる団体があることを知っていた人はそう多くありません。

 もちろん、性被害に遭って苦しんでいる人がその胸のうちを谷口医院のスタッフ(私も含めて)にいつも話してくれるわけではありません。何か月も、あるいは何年もたってから話してくれることもありますが、きっと今も話せないまま通院を続けている人もいるに違いありません。

 さらにspringの調査が明らかにしたように、被害に遭った被害者自身がそれを性被害と気づいていないことも多々あるのです。

 ではどうすればいいのでしょう。なぜ日本では性被害がこれだけ深刻なのにもかかわらずまともな議論が起こらないのでしょうか。過去のコラム「レイプ事件にみる日本の男女不平等」では、その理由が「女性蔑視にあるのではないか」という私見を述べました。そのコラムで紹介した「ジェンダー・ギャップ指数2015」では日本は145か国中101位でした。

 この指数は5年ごとに発表されます。2020年版では日本はさらにランクを落とし、153か国中121位です。ちなみに、他国を少し紹介しておくと、トップ3はアイスランド、ノルウェイ、フィンランド。アジアでの最高ランクはフィリピンで16位。タイは75位、中国106位、韓国108位、インド112位です。(これは私見ですが)もっとも性被害が深刻な国はインドではないかと私は思っています(参考:「インド女性の2つの「惨状」」)。日本はそのインドよりもさらにランクが低いのです。

 日本は国際的にみて女性の地位が低すぎるから向上させねばならない、という議論は少なくとも1980年代には存在していました。「女性学」なる学問もすでに80年代後半には登場していました。それから30年以上が経過した現在、いくらかの進展はあるのでしょうか。ちなみに、2020年春に発足した新型コロナウイルス感染症対策本部の集合写真が全員男性だったことが世界中に知れ渡り「日本の女性はコロナで絶命したのか」というジョークが広がりました。

 女性の地位向上はすぐには実現しないでしょうし、性暴力の被害者が積極的に相談するようになるのもそう簡単ではないと思います(注1)。「社会」や「慣習」はそう簡単に変わらないからです。おそらく「変わる」きっかけとなりうるのは社会に重大な影響を与えるような事件です。そういう意味で私はジャーナリストの伊藤詩織さんの裁判に注目しています。

 報道によれば、伊藤詩織さんは2015年、当時TBSテレビの記者山口敬之氏から性暴力の被害を受け警察に届け出ました。山口氏の逮捕は免れないと噂されていたものの直前になり東京地方検察庁は嫌疑不十分で不起訴としました。しかし、民事では2019年12月、伊藤さんが勝利し330万円の支払いが山口氏に命じられました(山口氏は控訴したと報じられていますがその後の動向は不明です)。そして、2020年9月、伊藤さんは米国のニュース誌「TIME」が選定する「世界で最も影響力のある100人」に選ばれました。ちなみに「TIME」のサイトでは伊藤さんが「勝訴」の文字を掲げている写真が掲載されています。

 新型コロナ流行のあおりも受け、伊藤さんが選定されたことはメディアではあまり大きく報じられませんでしたが、私は世界でますます注目されるようになっている伊藤さんの存在は大きいと思います。伊藤さんの行動が、診察室で「ようやく話せてよかったです......」と涙を流す女性たちを勇気づけ、次の被害の予防につながることを期待します。

 同時に、springの行動を支持したいと考えています。性暴力の加害者への罪を重くしてほしいからです。このサイトで「性依存症は治らない」ということを述べましたが(参照:「欺瞞と恐喝と性依存症」)、性暴力の欲求も簡単には治りません。罪を重くするのが最も現実的な方法だと思います。

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注1:性暴力やDVの相談窓口には次にようなものがあります。

DV相談プラス 0120-279-889 
(DVに伴う家庭内の性被害の相談にも応じています)

Cure time
(チャットで性被害の相談を受け付けています)

・#8008(DVに関する最寄りの相談窓口につながります。全国共通です)

・#8891(最寄りの性暴力被害ワンストップ支援センターにつながります。全国共通です)

・#8103(警察の性被害専門相談窓口につながります。全国共通です)

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第172回(2020年10月) タイ王国の"崩壊"

 現在のタイはもはや私が知っているタイではなくなってしまったのかもしれません。

 新型コロナで経済が停滞し観光客が入国できなくなったことを言っているわけではありません。新型コロナは世界を大きく変えましたが、タイはたかがコロナにやられてしまうような国ではありません。実際、厳しい外出制限がおこなわれても、マスクが供給不足になったとしても、人々は「和」を乱すことなく助け合っていると聞きます。

 では何がタイを変えてしまったのか。連日報道されている若い世代が中心となって引き起こしている「デモ」です。

 しかし、デモはタイにはよくある"光景"です。2000年代後半以降も数多くのデモが再三起こっていたこと、特に「赤シャツ」と「黄シャツ」の対立についてはこのサイトで繰り返し述べてきました。ここで簡単に振り返っておきましょう。

 2000年代前半、東北地方(イサーン地方)及び北部の多数の層からの支持を得、圧倒的な強さを誇っていた当時のタクシン首相は、いくつかの不正を指摘され、特にバンコクに住む知識階級の層からは批判が相次いでいました。そして「反タクシン」の流れを汲む人たちが民主市民連合(PAD)を立ち上げて各地でデモを始めました。参加者は黄色のシャツを着るようになり次第に大きな組織となっていきました。そして、2008年11月、デモはスワンナプーム空港のターミナルビルを占拠し空港が閉鎖され、一時は9万人が足止めとなりました。

 一方、タクシン派も黙っていませんでした。黄シャツに対抗し赤シャツを身に纏い各地でデモをおこないました。タクシン派は選挙ではいつも圧勝するのですが、タイ国軍はタクシンを失脚させ、その後も何かとタクシン派をつぶしにかかっていました。そんな軍に抗議することを主な目的として「赤シャツ」が各地でデモを繰り広げたのです。そして、2010年4月10日、加速化するデモの勢いを静観してられないと判断した軍は弾圧にかかりました。犠牲となった赤シャツの人たちは2千人を超えると言われています。

 これらを振り返ると、デモ隊が空港を占拠、軍がデモ隊を弾圧し2千人以上が犠牲と、民主主義国家では到底起こりえないような事態が生じています。しかし、私は、そしてタイをよく知る大勢の外国人は「それでもタイは変わらない」と考えていました。

 なぜでしょうか。その答えは「王の存在」です。

 私がタイと深く関わるようになって驚いたことのひとつが「国民の誰もが国王を心から尊敬している」ことです。日本でも皇室は人気があり、皇室の番組は常に高視聴率を稼ぐと聞きますが、皇室を批判するジャーナリストはいくらでもいますし、一般市民が日常会話のなかで皇室に対してネガティブな発言をすることも珍しくありません。

 ところがタイはまったく異なるのです。まず、私が知る限り、ほとんど誰の家を訪問しても国王の写真が壁に掲げられています。家だけではなく、食堂、クリーニング屋、自転車の修理屋など、小さな店舗でも壁にかかった国王の写真を目にしないことはほとんどありません。都心部では街の至るところで国王の大きな写真を見ることができます。

 タイでは午前8時と午後6時に各地で国歌が流れます。この光景を始めてみたとき、私はいったい何が起こったのか分からずに恐怖すら感じました。ちょうどその時、フォアランポーン駅にたどり着いた私は、そこにいるすべての人がピタッと動きを止めたことに驚き、何が起こったのか分からずに立ちすくんでしまったのです。駅の構内に大音量で流れていたのが国歌であること、国歌が終わるまで国王に敬意を払うために動いてはいけないことをその場にいたタイ人から学びました。

 それからしばらくして、タイで映画を観に行く機会がありました。タイではすべての映画館ですべての映画が始まる前に国王賛歌が流されます。そして、その賛歌が流れている間は起立していなければなりません。郷に入っては郷に従え、という諺を持ち出すまでもなく、その場にいれば全員が起立しますから、たいていの外国人は雰囲気につられて自然に起立します。ところが、たまに起立しない外国人がいて不敬罪で逮捕されます。タイの現地新聞でときどき報道されています。

 タイの国王がほとんどの国民から敬愛されていることが安定の理由であるという私の意見は過去のコラム「タイの平和度指数が低い理由と現代史」でも指摘しました。そして、そのコラムで私は、「2016年にプミポン国王が崩御され、新たに王となったワチラーロンコーン王(ラーマ10世)は国民から支持されておらず今後のタイが不安」と述べました。

 そして、現在バンコクを中心に連日おこなわれているデモはまさに私が懸念していたことです。大学生を中心とするデモ参加者は現在の国王を不満に思っています。では、国王はなぜ国民から慕われないのでしょうか。

 まず、女性関係が派手であることが以前から指摘されていました。三度の離婚歴があり、常に多数の愛人がいると言われています。王室でも自由恋愛を認めるべきという考えは支持されるかもしれませんが、3番目の妻シーラット妃はナイトクラブの元ダンサー(ストリッパーという噂もあります)で、結婚後に素っ裸で踊っているところを撮影され、その場に国王もいたことが報じられています。

 国王は数年前から大半の時間をドイツの別荘で過ごしています。これ自体にタイ国民の大多数が不満を感じているわけですが、さらに"奇行"が世界中のメディアで報道されています。なかでも、クロップトップを着て偽タトゥーを入れた格好でモールを歩いている姿が報じられたときには信頼度が大きく低下しました。最近も、陸軍の看護師に「高貴な配偶者」の称号を与えたり、愛犬のプードルに「空軍大将」を任命したりと、奇行が目立ちます。

 ここまでくれば私が過去のコラムで「国王の交代が不安」と述べた理由を分かってもらえると思います。他国の国王を批判するようなことは慎むべきですが、タイ人の気持ちになって考えると、プミポン前国王とはまったく異なる性格で奇行を繰り返すワチラーロンコーン国王を前国王と同じように崇拝できるでしょうか。

 とうてい民主主義とは呼べない軍事政権に対して、新型コロナウイルスに対する厳しい行動制限に対して、経済の停滞化に対して、など、いろんな理由で国民の不満は高まっているわけですが、もしもプミポン前国王がご健在ならこのようなかたちのデモは起こっていなかったでしょう。たとえ、起こったとしても、心のどこかで「いざとなれば国王がなんとかしてくれる」という安心感があったのではないかと思えます。

 ワチラーロンコーン国王が大きく変わらない限り、タイの社会や文化が大きく変わってしまうのではないかと私はみています。おそらく、国王という"共同幻想"をなくした国民はバラバラになっていきます。南部では独立の動きが強まるでしょう。信じるものをなくした国民は非道徳的・非倫理的な行動をとりやすくなるでしょう。そういった国民をまとめるためにポピュリズムの政党が誕生するかもしれません。人は他人を信用しなくなり、困っている人に手を差し伸べることをしなくなっていくかもしれません。

 私がもどかしいのはそういった変化が起こりつつある空気を直接感じられないことです。現在、ビジネス渡航や配偶者がタイ人といった理由を除けばタイへの入国許可がおりません。GINAが支援しているタイ人の患者さんが気がかりです。

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第171回(2020年9月) ポストコロナのボランティア

 新型コロナウイルスが流行しだしてからGINAに寄せられる問い合わせで大きく減少したのが「ボランティアについて」です。

 これまでは、「タイで(あるいは他国で)ボランティアをしたいのですが......」という問い合わせがそれなりにあったのですが、新型コロナが流行しだした2020年2月以降、ピタッとなくなりました。それは当然ですし、現在も日本では「新型コロナ実は軽症説」が"流行"しているようですが、世界的にはまったく気を緩められる状態ではありません。「医療者のなかにも軽症説を唱える者がいるではないか」と言われることもありますが、急激に症状が悪化する患者さんを経験した医師はそのようなことは言いません。

 話を戻します。新型コロナが登場してから海外に医療ボランティアに行くことはほぼできなくなりました。もうしばらくすると医療者が新型コロナの流行している他国にボランティアに出向くという動きが出てくるようになると思いますが、一般の人が例えばタイのエイズ施設にボランティアに行くというようなことは当分の間できません。

 では、医療者でない人が医療ボランティアに行くことができる時代は再び訪れるのでしょうか。新型コロナが完全に収束すれば可能となるのでしょうか。私の考えは「以前と同じかたちには戻らないしまた戻すべきでない」です。

 その理由のひとつは「新型コロナは収束しない」からです。いい薬があるんじゃないの?、ワクチンができれば解決するのでは?、といった意見があるでしょうが、私は薬やワクチンができたとしても完全に収束することはないと考えています。その理由を述べます。まず、新型コロナにあなたが感染してすぐれた薬で治療できたとしましょう。しかし、薬はすべての人に効くとは限りません。新型コロナの最たるハイリスク者は高齢者です。そして、医療ボランティアとしてケアするのは高齢者が多いのです。

 HIVについては、私がタイのエイズ施設にかかわりだした2000年代前半は、HIVは若い人の病でした。ですが、それから20年近くがたち、高齢者の疾患に変わりつつあります。日本でも私が日々みているHIV陽性の患者さんの平均年齢はどんどんと上がっています。これからますますHIV陽性者に対するケアが高齢者に対するケアとなっていきます。

 では、小児の施設へのボランティアは問題ないのでしょうか。施設にもよりますが、例えば腎不全や白血病のある小児は新型コロナが非常に危険です。精神疾患の場合なら大丈夫かというと、自身の感染予防策が適切にとれない小児と接するのは危険です。

 ここでよくある質問に答えておきましょう。それは「けど、それはコロナじゃなくてもインフルエンザでも同じですよね」というものです。答えは「全然違います」。インフルエンザと新型コロナの違いは多数ありますが、最たるもののひとつが「新型コロナは、半数近くが自身が無症状のときに感染させる」ことです。まったくの無症状、つまり感染してからウイルスが消えるまで「無症状」(これをasymptomaticと呼びます)が本当に感染させるのか、については議論があるのですが、発症までの「無症状」(これをpre-symptomaticと呼びます)に感染させることが多いのは確実です。例えば、2日後に頭痛、味覚障害、倦怠感などが絶対に起こらないと断言できる人はいるでしょうか。つまり、いくらいい薬ができたとしてもそれが100%効くものでなければ、自身が無症状でも接し方によっては他人を死に追いやる可能性があるわけです。

 次にワクチンをみてみましょう。ワクチン開発には多くの国、そして多くの企業がしのぎを削っていますが、有効性と安全性が担保されたものはまだまだ登場しません。私はワクチンが逆効果となる可能性すら考えています(参照:「新型コロナ ワクチンが逆効果になる心配」)。ちなみに、医療系ポータルサイトMedPeerが2020年9月12日に3,000人の医師を対象とした「新型コロナのワクチンが供給されたら接種しますか」というアンケートでは、「接種しない」と「有効性と安全性が証明されるまで接種しない」を合わせると81%となり、「積極的に接種する」(19.0%)を大きく上回っています。何年かたってからすぐれたワクチンができたとしても、全員に100%有効でしかも効果が持続するようなものはまずできません。

 新型コロナを侮ってはいけません。完全なワクチンができる見込みはなく、いい薬が登場したとしても万人に効くわけではありません。そして無症状者からも感染し、高齢者のみならず若年者の命を奪うこともあり、さらに後遺症を残す可能性すらあるのです。可能な限り他人に感染させるリスクを取り除かねばなりません。

 そんな新型コロナを考えたときに従来のボランティアはできません。ではどうすればいいか。その前に「なぜ人はボランティアをやりたがるのか」を考えてみましょう。ボランティアをするととても気持ちがいいことを以前コラム(GINAと共に第103回(2015年1月)「ボランティアを嫌う人とボランティアが「気持ちいい」理由」) で述べました。そのコラムでは、ボランティアを通しての「貢献」が人間の原則にしたがっているということにも触れました。そして、「感謝の言葉を求めてはいけない」と言及しました。

 もうプレコロナ時代には戻れませんから「一度体験すれば分かります」とは言えず説得力に欠けるかもしれませんが、ボランティアでは人の絆を感じることができ、人が人である理由を実感することができます。「気持ちよさ」を求めてはいけませんが「気持ちいい」のは事実です。私が初めてタイのエイズ施設で患者さんの手に触れたとき、暗くどんよりした表情のその患者さんが突然笑顔になり目に涙を浮かべました。当時のタイではエイズについての知識が周知されておらず皮膚に触ることで感染すると思っている人もいたのです。そんななか、はるばる遠いところからやって来た見知らぬ日本人がエイズを発症している自分の手を握っているということに感動されたのです。

 おそらく、素直な気持ちで人が人に触れたときに絆を感じ安らぎが得られるのは人の特徴のひとつなのでしょう。私がタイのエイズ施設でボランティアをしていた頃は、できるだけ患者さんに触れるようにしていました。それだけで笑顔が戻る人も少なくないのです。そして、私の知る限り、ボランティアを長期で続けている人は例外なく患者さんに触れることに長けています。「触れること」は重要なケアのひとつなのです。

 話を新型コロナに戻しましょう。もうお分かりいただいたと思いますが、ポストコロナ(ウイズコロナ)の時代には、患者さんに触れることが困難です。また、触れなくても感染させる可能性があります。マスクをしていたとしても近づき方によっては感染する・させるリスクが出てきます。それに外国人の場合、言葉の壁がありますから、表情自体が重要なコミュニケーションとなります。その表情がマスクで隠れるわけですから適切なコミュニケーションがとれなくなってしまいます。

 ではどうすればいいのか。マスクを外せないというのは大きなハンディではありますが、それでも医療ボランティアができないわけではありません。まずすべきことは「正しい知識を持つこと」です。新型コロナはワクチンがなくとも(ほぼ)感染しない方法はあります。実際、私は4月以降、新型コロナに感染しない自信を持っています(興味のある方は別のところで書いたコラム「新型コロナ 感染防止に自信が持てる知識と習慣」を参照してください)。

 それに、これまでのボランティアがあまりにも無防備というか、タイでは眼を覆いたくなるシーンも随分と見てきました。例えば、結核、B型肝炎、疥癬といった感染症の知識がまるでなく予防が全然できていないボランティアもいるのです。私は彼(女)らを非難したくはありませんが、最低限の知識を身に着けてから医療ボランティアを始めてほしいと思っています。新型コロナの流行がそのきっかけになれば、と今は考えています。

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