GINAと共に

第134回(2017年8月) インド女性の2つの「惨状」

 日本では男女雇用機会均等法が制定され30年以上が経過しますが、いまだに女性が不利益を被っていることがよく指摘されます。諸外国と比べても女性の政治家や企業役員が少ないことは明らかであり、実際に企業で働く女性の実感としても「男性が女性より優遇されている」ようで、先日東京大学らによりおこなわれた調査でも45%の女性がそのように回答しています。(報道は2017年7月21日の共同通信)

 社会的に女性が「差別」されているのは日本だけではなく、儒教の影響なのか韓国での女性の扱われ方は日本よりもずっとひどいとする声は少なくありません。中国もやはり、女性の待遇は好ましいものではなく、自殺者が女性の方が男性より多いのは中国くらいであることがよく引き合いに出されます。

 ではアジア全体で女性が差別的な扱いを受けているのかといえば、そういうわけではなく、タイやフィリピンなど東南アジアではあまりそのような感じがしません。タイでは農村地域に行けば、女性が朝早くから夜遅くまで働き、男性は1日中寝そべっているような印象がありますが、不思議なことに女性が酷使されているという印象は受けません。バンコクなど都心部では、大企業や役所を覗けば女性の社員が多いことに驚かされます。しかも課長や部長といった役職に就いている女性がすごく多いのです。これはフィリピンでも同じです。

 では女性差別の問題は、日本・韓国・中国といった東アジアで最も深刻なのかといえば、そういうわけではなく、イスラム教の国々やアフリカ諸国のなかには東アジアとは比べ物にならないくらい女性の権利が認められていない地域もあります。(ただし、私の印象でいえば、インドネシアやマレーシアはイスラム圏でも女性の地位は低くはありません)

 今回取り上げたいのはインドの女性差別です。そしてなぜこの問題を取り上げるかというと、女性差別がHIV感染に関わっているだろうと思えるからです。インドのHIV陽性者は現在1位の南アフリカ共和国に次いで第2位です。感染者はおよそ500万人とみられていますが、きちんと調査されたわけではなく、感染に気付いていない人も多数いるでしょうから実態は誰にも分からないと考えるべきでしょう。

 なぜインドでこれほどまでにHIVが多いのか。最大の理由は「女性がセックスを拒めない」からではないか。私はそのようにみています。それを物語る2つの「惨状」を紹介したいと思います。

 1つめの惨状は、「インドでは硫酸を顔面にかけられる女性が異常に多い」ということです。日本でも同じような事件はあるのでしょうが、私自身は子供の頃にテレビでみたサスペンスドラマでしか知りません。一方、インドでは当たり前すぎるくらいにこういう事件があります。酸(硫酸)に攻撃されることをインドでは「アシッド・アタック」と呼ぶそうです。そもそも、こういう言葉が日常化していること自体が事件が多いことを物語っています。

 北インドの古都アーグラに「Sheroes Hangout」という小さなカフェがあり、観光名所として紹介されています。私はTrip advisorでみましたが、他のサイトでも簡単に見つかります。(「Sheroes Hangout」で検索してみてください) この「Sheroes」という単語、「She」と「Hero」を合わせた造語です。そして従業員はアシッド・アタック被害者の女性たちです。

 インドでは宗教的な理由から女性が男性と「区別」されています。これを差別と呼ぶかどうかは議論が分かれるでしょうが、日本人を含む外国人がインドをみればやはり異様でしょう。女性は「不浄」な存在とされ、料理を作ったり運んだりすることを許されていません。インドのレストランに女性のウエイトレスや料理人がいないのはこのためです。高級レストランにはサリー姿の美しい女性がいますが、彼女らは客を席まで案内するだけです。

「Sheroes Hangout」ではアシッド・アタックの被害者の女性がウエイトレスをしています。これはインドでは画期的なことです。もっとも、客は西洋人がほとんどでありインド人はほとんど行かないと聞きました。ですが「Trip advisor」にはインド人の書込もありました。(今のところ日本人の報告はありません)

 さて、私が言いたいのはこのカフェのことではありません。なぜインドではアシッド・アタックなるものが「容認」されるのか、ということです。もちろんこのような残虐な行為は法的に許されてはいません。ですが、同じような事件が後を絶たないのは、この犯罪への「敷居」が低いからに他なりません。実際、アシッド・アタックの加害者が重罰を課せられるわけでもなく、周囲からそれほど非難されることもないのです。もしも日本で同じことをおこなえば、法律上の償いをしたとしても、生涯にわたり社会から許されることはないでしょう。

 なぜインドではこれほどの残虐行為の加害者が社会から「容認」されるのか。それは被害者の女性が、加害者が望む結婚または交際を断ったからです。男性のセックスの申し入れを断った女性はアシッド・アタックの報復を受けても仕方がない、という社会的なコンセンサスがあるから男性が「容認」されているというわけです。

 女性がセックスを拒めないことを示すもうひとつの「惨状」を紹介したいと思います。それは、インドではレイプの被害があまりにも多く日常化しているということです。日本人の旅行者が軟禁され集団レイプの被害にあったという報道もときどき聞きますが、この国ではこのようなことは日常茶飯事であり、我々が想像もできないようなレベルで事件が起きています。

 例えば、2017年6月には、インド北東部のビハール州で16歳の少女が電車のなかで集団レイプされ電車から捨てられるという事件が発生しました。BBCが詳しく報じています(注1)。報道によれば、この少女は自宅の近くで男性2人に拉致され、レイプされ、駅までつれていかれて電車に乗せられました。車内で合流した別の3人の男性にもレイプされ、その後電車から突き落とされたのです。現地の新聞(注2)によれば、少女は重体であり生死をさまよっているそうです。

 電車という公共の乗り物の中でのレイプなど平和を享受している日本人からは想像もつきません。そして、インドの「恐怖の乗り物」は電車だけではありません。バスもまた危険なのです。16歳の少女の悲惨な事件が起こったわずか数日後、今度は、インド北部のノイダで、35歳の女性がバスの中で3人の男に8時間にわたりレイプされるという事件が発生しました(注3)。また、その約1カ月前には、インド北部グルグラムで、9か月の赤ちゃんと一緒にバスに乗った女性が同乗していた3人の男性にレイプされ、赤ちゃんが走行中にバスの外に放り出されて死亡する事件が起こりました(注4)。

 現地新聞によれば、2015年の1年間にインド全域でのレイプ時間が34,600件以上発生しています(注5)。しかし、これが氷山の一角であるのは自明であり、この国では雇用機会均等の権利どころか女性が安全に暮らすことすら保障されていません。過去に紹介したように、米国では性行為には女性の「合意」が必要であり、この合意を「記録」するためのアプリまで存在します。米国が正しいかどうかは別にして、女性に対する考えが米国とインドでは天と地ほどの差があります。

 何が女性差別に該当するかという議論は専門家に任せたいと思いますが、私が言いたいことは、インドのこういった女性の「惨状」を鑑みれば、HIVに対して無防備な性交渉が日常的におこなわれているのはもはや歴然とした事実であり、女性を保護する対策を考えない限りはHIVを含む性感染症を減らすことはできない、ということです。

 そして、インドとは状況が異なりますが、日本のHIV予防を考えるときにも「女性が性的に脆弱な存在ではないか」ということを考えなければならない、というのが私の言いたいことです。

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注1:下記を参照ください。
 
http://www.bbc.com/news/world-asia-india-40323307?utm_source=Sailthru&utm_medium=email&utm_campaign=New%20Campaign&utm_term=%2AMorning%20Brief

注2:下記を参照ください。

http://indiatoday.intoday.in/story/bihar-class-x-girl-gangraped/1/982210.html

注3:下記を参照ください。

http://timesofindia.indiatimes.com/city/gurgaon/woman-alleges-rape-in-moving-car/articleshow/59243134.cms?TOI_browsernotification=true

注4:下記を参照ください。

http://indianexpress.com/article/india/gurgaon-two-held-in-gangrape-of-woman-murder-of-infant-4693919/

注5:下記を参照ください。

http://indianexpress.com/article/india/india-news-india/over-34600-rape-cases-in-india-delhi-tops-among-union-territories-3004487/

参考:山田敏弘(著)「なぜインドは「レイプ大国」になってしまったのか?|相次ぐ事件の背景を探る」『クーリエジャポン』2017年6月25日号

https://courrier.jp/news/archives/89109/