GINAと共に

第178回(2021年4月) これからの「大麻」の話をしよう~その4~

 久しぶりに大麻の話をします。「これからの「大麻」の話をしよう~その3~」を公開したのは3年前の2018年5月。医療用大麻がいよいよ使われるようになってきたことにも触れました。「サティベックス(Sativex)」というカンナビノイド口腔スプレーはTHCとCBDが1:1で配合されたもので、多発性硬化症(難治性の神経疾患)やがんの症状緩和に対して使われます。「エピディオレックス(Epidiolex)」はCBDのみの製剤で、難治性のてんかん「レノックス・ガストー症候群」に用いられます。

 治療に使われているといってもそれは海外の話であって、日本では非合法であり、治療目的で医師が輸入することもできません。もちろん個人輸入も違法であり、もしも試みれば大麻取締法で逮捕されることになります。

 一般に大麻自由化の流れは南米と欧米諸国が先行していて、過去に述べたように、これらの地域では医療用大麻はもちろん、嗜好用大麻(娯楽用大麻)ですら合法な国や地域も増えてきています。医療用大麻は、いくつかの疾患においてはもはや治療のありふれた選択肢と言ってもいいかもしれません。

 一方、アジア諸国ではほとんどの国が嗜好用はもちろん医療用も厳しく禁じています。ただし、動きがないわけではなく、現在ではタイ(及び韓国)で医療用大麻が合法化されています。今回はそれらについての話をしますが、まずは「アジアでの大麻はどのような位置づけか」について確認しておきましょう。

 アジアではインドやパキスタン、あるいはカンボジアのように事実上合法(「違法」という話もあるが個人使用なら逮捕されることはまずない)の国がある一方で、シンガポール、マレーシア、インドネシアのように(一定量を)所持しているだけで死刑を宣告される国もあります。ただし、麻薬や覚醒剤ならともかく、大麻を所持しているだけで本当に死刑になるとは思えません。実際に大麻で死刑が執行されたという話を私は聞いたことがありません。

 タイではどうかというと、一応は個人所持だけでも違法です。過去にタイに沈没しているジャンキーたちにインタビューしたとき、「警察に見つかっても、たいがいは1,000バーツ紙幣数枚をパスポートにはさんでさっと渡せば見逃してもらえる」と言っていました。これが覚醒剤や麻薬ならそうはいきませんが、よほど運が悪くない限りは大麻(の個人使用)で逮捕されることはまずないようです。しかし違法は違法です。長年の沈没組のようにタイ語が堪能でタイの警察がどのようなものかわかっていれば逃れられるのでしょうが、"素人"は手を出さない方が無難です。

 また、タイはもともと薬草やハーブを用いた伝統的な医療があり、1934年に違法とされるまでは痛みや疲労感をやわらげるために大麻が使われていました。さらに、現在の軍事政権が(タクシン首相の頃とは異なり)薬物には極めて甘い政策を取っているために「アジアで大麻が全面的に合法になるのはタイだろう」と言われ続けています。

 そして2018年12月25日、ついにタイは医療用(及び研究用)の大麻を合法化することを決めました。この決定を受けて、タイ国内の大麻を推進するグループは「嗜好用大麻合法化へ向けてのステップだ」というようなコメントをしたようですが、2年以上が経過したその後もタイでは嗜好用大麻が合法化される兆しはありません。実際に医療用大麻が合法化されたのは2019年2月18日で、これはアジア全域で一番乗りとなります。

 アジアで2番目に医療大麻合法化が実現化した国は韓国です。2019年3月から合法化されています。ただし、認可されたのは4種類の輸入品に限られており、輸入手続きも大変厳しく管理されています。4種類のうち2種はサティベックスとエピディオレックスです。残り2つは「マリノール(Marinol)と「セサメット(Cesamet)」で、これらは末期がんの吐き気や痛みを抑えるときに用いられます。

 タイでの医療用大麻についての実態についてまとめていきましょう。韓国では日本人が渡航しても使用できる可能性は(私が調べた限り)ほぼゼロです。ではタイではどうかというと、以前は「日本人でも使用できる」という情報が複数の筋から入ってきていました。実は、それらの情報の裏をとった上でまとめたものをこのサイトで発表することを2年程前に考えていました。

 ところが事情が変わってしまいました。Covid-19(以下「新型コロナ」)です。実は、少し前までタイのある医療機関が日本語のサイトも立ち上げて医療用大麻を日本人に処方できることをPRしていました。その医療機関には日本語の話せる大麻に詳しい医師がいるというのがウリでした。実際、その病院のサイトを見た日本人から、「この病院を受診するのにはどうすればいいか」という問い合わせがGINAのサイトに複数寄せられていました。

 これは調べる価値があると考えたのですが、ちょうどその頃に新型コロナのせいで激務が続き、私自身がGINAに使える時間がほとんどなくなってしまいました。最近になりようやく調査を開始しようとしたところ、その病院のウェブサイトの日本語版はすでに閉鎖されていました。メールをしても返事が返って来ず、タイの知人からこの病院に連絡をしてもらうと、どうも日本人の受け入れは中止しているようだとのことでした。おそらく、新型コロナのせいでタイ渡航が極めて困難となり、日本人への治療が閉ざされてしまったようです。

 では、タイの他の医療機関はどうなのでしょう。私自身がタイに渡航できないので、タイの知人に調査を依頼するしかありません。そこで分かったことは、韓国のように4種と限定されたわけではなく、タイでは大麻そのものが研究用として栽培されており臨床研究がさかんになってきていること、タイ人に対しては一部の疾患に使われ始めているがまだまだ普及しているとはいえないこと、外国人は(日本人も含めて)治療を受けられる可能性は低いこと、などです。

 では今後の行方はどうなるのでしょうか。おそらく、新型コロナが落ち着くまでは、タイで日本人が医療用大麻の恩恵に預かれることはないでしょう。そもそも、現時点では駐在員かその家族でなければタイへの渡航が困難です。美容外科や性転換手術目的ならビザが比較的簡単におりますが、医療用大麻目的ではビザが取得できません。一部の富裕層が持つ「エリートカード」があれば入国は比較的簡単にできますから、こういった人達ならタイで医療用大麻を摂取できる可能性はあると思います(が、GINAの読者にそのような人はあまり多くありません)。

 というわけで、すべては新型コロナ次第です。では、新型コロナが終息したことを想定して何が起こるかを考えていきましょう。私は、「再びタイに自由に行き来できるようになれば、大勢の日本人がタイで医療用大麻による治療を受けるようになる」と考えています。もちろん対象者は限られ、誰でもそれができるわけではありません。私の予想では、がんの宣告を受けた人とHIV陽性者にとっての「人気の治療」となります。

 多くのがんは進行すれば耐え難い疼痛が起こり食欲不振に見舞われます。抗がん剤を用いればさらに食欲不振は増します。大麻にはランダム化比較試験(RCT)などでの研究報告は(おそらく)なく、エビデンスはありませんが、おそらくがん患者のいくらかは大麻摂取で痛みが緩和されて食欲不振が改善するはずです。実際、上述のマリノールとセサメットはその目的で使われているわけです。おそらくそういった人たちを対象としたツアーも登場するでしょう。

 念のために付け加えておくと、このサイトで繰り返し述べているように私自身は日本での大麻合法化には反対です。ですが、医療用のみならず嗜好用大麻合法化の世界の流れは止められません。若者が留学時に大麻を嗜むことには反対ですが、難治性神経疾患やがん(あるいはHIV)を患った人たちが症状緩和の目的で大麻を摂取することはエビデンスがないとしても希望者には処方すべきだと私は考えています。もちろん、人生の最期をどこで誰とどのように過ごすのかはその人が決めることであり、大麻を強く勧めるようなことはしませんが、希望する人には協力したいと考えています。

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第177回(2021年3月) 日本の同性婚、米国の3人親家族

 最近、日本のセクシャルマイノリティに関する画期的な法的出来事が立て続けに起こりました。今回はまずこれら日本の出来事を振り返り、ついで米国の状況をみていきたいと思います。しかし本題に入る前に言葉の整理をしておきましょう。

 現在最も人口に膾炙しているセクシャルマイノリティを表す言葉はLGBTでしょう。ですが、他のところでもしばしば述べているように(例えばこちら)、私自身はこの表現に違和感を覚えます。なぜなら、この表現ではすべてのセクシャルマイノリティが、L、G、B、Tのいずれかに含まれてしまうという誤解を与えかねないからです。これら4つに分類されないマイノリティがはみ出ることになるのが問題だと思うのです。

 では、LGBTQIA+ならいいのかというと、そういうわけでもありません。そもそもこれでは長すぎて多くの人に覚えてもらえません。SOGI(Sexual Orientation and Gender Identity)という言葉は便利なのですが、これは性的指向/性自認を表した表現であり、人そのものを指しているわけではありません。

 また、マイノリティのなかには、性自認が揺れ動く人がいます。例えば、私の知人(タイ人)に、ストレート→レズビアン→ストレート→バイセクシュアル→ストレートと変化した人がいますし、私が日頃診ている患者さんのなかにもこういった人たちはそれなりにいます。

 では、LGBTが適切でないのだとすればマイノリティを表すのにはどのような表現がいいのでしょう。私の案は、そのまま「セクシャルマイノリティ」と呼べばいいではないか、あるいは略して「セクマイ」「マイノリティ」ではどうか、というものです。というわけで、ここからはセクシャルマイノリティ(またはマイノリティ)で進めていきます。

 2021年3月17日、北海道の同性カップル3組6人が「同性どうしの結婚が認められないのは憲法で保障された婚姻の自由や平等原則に反する」として1人100万円の損害賠償を国に求めていた訴訟に対し、札幌地裁が原告の主張を認めました。つまり、「同性婚は違法ではない」という判決が日本で初めて出されたのです。正確に言えば、損害賠償請求は棄却された(100万円はもらえなかった)のですが、訴訟の目的は「同性婚が認められないのは違憲である」という判断を司法に認めてもらうことでしたから、事実上原告の「勝利」と言えるわけです。

 偶然にも同じ日の3月17日、「事実婚」が同性カップルで成立するかが争点だった損害賠償請求訴訟で、最高裁は「事実婚において同性カップルと異性カップルに差はない」という決定をしました。この訴訟のあらましは次のようなものです。

 レズビアンのカップルの一方(被告)が不貞行為(浮気)をし、もう一方(原告)が慰謝料などの支払いを求めていました。被告側は「(同性だから)事実婚ではなく浮気をしても法的責任はない(浮気をしたのは認めるけれど、慰謝料を払う必要はない)」と主張していました。これに対し、最高裁はその訴えを認めず、原告の主張どおり「同性どうしでも事実婚と認められる(だから浮気をしたのなら慰謝料を払う義務がある)」と判断したのです。

 さらにもうひとつ、興味深い司法のニュースがあります。3月23日、三重県県議会で「アウティング」を禁止する条例が全会一致で可決されたのです。アウティングとは過去のコラム(参照:「性にまつわる"秘密"を告白された時」)で紹介したように、性的指向や性自認を本人の許可なく他言することで、そのコラムでは被害者が自殺した「一橋大学法科大学院アウティング事件」について紹介しました。

 その忌々しい事件のあった一橋大学が位置する東京都国立市では、日本の自治体初の「アウティング禁止条例」が2018年に制定されました。国立市に続き条例が成立したという話はその後聞きません。今回条例が制定された三重県は(市町村でなく)「県」ですから、このニュースはもっと注目されていいと思います。ただし、三重県のこの条例には罰則はありません。

 さて、では日本社会も、性自認や性的指向に寛容になり多様な「性」を受け入れるようになってきているのでしょうか。私個人としてはそのようには感じていません。それどころか日本は世界から取り残されているような印象を持っています。アジアだけをみてみても、同性婚が完全に合法化されている台湾との隔たりが目立ちます。

 一方、米国では同性婚どころか「3人親」がすでに当たり前になっています。3人親のことを英語では「トリ・ペアレンティング(tri-parenting)」と呼びます。全米のすべての州で、というわけではありませんが、カリフォルニア州、ワシントン州、メイン州などいくつかの州ではすでに「3人親」が合法化されています。つまり、3人の親それぞれに親権が保障されているのです。

 米国の月刊誌「Atlanta」2020年9月4日号に掲載された記事「3人親家族の増加(The Rise of the 3-Parent Family)」によると、両親はストレートの夫婦が当たり前という考えはもはや時代遅れで、そのような家族は今日のアメリカの典型的な家庭ではないそうです。

 同誌によると、米国の「ピュー研究所(Pew Research)」の報告では、2014年の時点で初婚の2人親を持つ子供(つまり、両親がストレートの夫婦で離婚していない)はすでに半数以下となっています。

 では、どのような「3人親」が一般的なのでしょうか。同誌によれば、「レズビアンのカップルと精子ドナーの男性」というパターンが最多です。男性は2人の女性とはプラトニックな(つまり性行為のない)関係で、子供は共同で養育するようです。

 おそらく現在の日本では3人親の家族はほとんどないと思います。ですが、私自身は今後日本でも(合法化され親権が認められることは当分の間ないにせよ)増えてくるのではないか、とみています。少なくとも求めている人たちがいるのは確実です。なぜ、そんなことが言えるのか。それは日本でもエイセクシャル(asexual)の人がそれなりにいるからです。私の元にもときどき相談が寄せられます。尚、エイセクシャルを「アセクシャル」と呼ぶ人がいますが、普通に発音すれば(少なくとも私がこれまでネイティブの人たちから聞いた発音では)「エイセクシャル」が近いですから、ここではエイセクシャルで統一します。

 エイセクシャルとは男性に対しても女性に対しても性的指向をもたない人のことです。性自認はたいていははっきりしていて、私の知る限り生物学的な性と一致していることが多いと言えます。性行為には関心がなくリビドー(性欲)というものを感じませんが、他人と一緒に過ごしたいという気持ちを持っている場合が多く、子供がほしいと考えている人もいます。

 先述の「Atlantic」の記事でもエイセクシャルの男性が紹介されています。この男性は結婚しているストレートの夫婦と一緒に住み、2017年8月に元々の夫婦の間にできた子供が生まれるときには分娩室にいたそうです。この家族は3人親が合法のカリフォルニアに居住しており、男性は誕生した女の子の「3人目の親」となり、3人で子育てをしています。親権は残りの2人(つまりストレートの元々の夫婦)とまったく同じです。
 
 現在その女児は生物学的な父親を「ダディ」、エイセクシャルの"父親"を「ダダ」と呼んでいるそうです。近所には、母親2人と父親1人の3人親家族や、両親が同姓の家族が住んでいるために、まだ3歳のこの女児も、家族のかたちはいろいろで、自分の家族はいろいろな家族のなかの一つだと認識しているそうです。

 インディアナ大学の社会学者Pamela Braboy Jacksonは、「家庭で大切なのは互いの関係やコミュニケーションが良好かどうかということであって、そこに何人いるかは関係ない」と同誌の取材に答えています。

 米国では連邦最高裁が2015年6月、「全米の全ての州で同性婚を合法化する」と明言し、現在では同性婚はもはや常識で、今や3人親も当然となりつつあります。一方、日本はようやく「同性婚を禁じるのは違憲」という初の判決が出たばかりです。今後もこの「差」に注目していきたいと思います。

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第176回(2021年2月) コロナ時代の性交渉

 私が院長を務める太融寺町谷口医院に通院するHIV陽性の患者さんから、この1年間で多かった質問が「HIV陽性者が新型コロナに感染すれば重症化するのか」というものです。

 一方、主にGINAのウェブサイトから寄せられるメールの相談でこの1年間多かったのが「性交渉で新型コロナに感染するのが怖い......」というものです。なかには、「決心がつかずHIVの検査を受けていない(だから感染しているかもしれない)。今、新型コロナに感染すると重症化するのではないかと思って......」というものもあります。

 今回は、コロナ禍のなか、性交渉ではどのような注意が必要かについてみていきましょう。ただし、このような情報は日本語のものも含めてたくさん出回っていますので、他のサイトでは触れていない踏み込んだことを述べていきます。

 私がまず提案したいのは、「HIV感染の有無を知ること」です。HIV陽性か否かで新型コロナ感染時の重症化のリスクが変わってきます。新型コロナウイルスが流行しだした昨年(2020年)の2月頃は、HIV陽性だからといって重症化するリスクや死亡率が上昇することはないと考えられていました。医学の世界で「ない」を証明するのは困難なのですが、おそらく多くの患者を診ている医療者の印象がそうだったのでしょう。

 他方、初めから明らかにハイリスクと考えられていたのが、高齢、肥満、喫煙、糖尿病です。その後のデータもこれらが間違いないことを示しています。喘息については今もはっきりしていませんが、明らかなリスク因子ではなさそうです。喘息でよく使われる「オルベスコ」という吸入薬が新型コロナの治療になるのではないかと言われていたくらいですから、喘息があってもしっかりと治療を受けていればリスク因子とはならないと考えられています。尚、このオルベスコという薬、あまりにも注目されすぎたために一時は品切れが続いていましたが、きちんとした研究がおこなわれ新型コロナに対する効果が否定されてからは品切れすることがなくなりました......。

 HIVについても喘息と少し似ているところがあります。カレトラという抗HIV薬が新型コロナに有効なのではないかと注目されていました。こういった経緯もあり、HIV陽性で抗HIV薬を内服している人はコロナに感染しにくく重症化しにくいのではないかと言われることもありました。2020年2月~3月頃には、GINAのサイトに同じような質問が多数寄せられました。「抗HIV薬(カレトラ)が効くなら、当社が扱っている免疫力を上げるハーブも効くのでは?」というビジネスがらみの問い合わせも複数ありました。

 その後カレトラを含む抗HIV薬の新型コロナへの有効性はほぼ否定されるに至りました。尚、現時点で新型コロナに有効とされている薬は、デキサメタゾンという昔からあるステロイドくらいです。ただし、これは重症化したときに使うものであり、軽症者には使えません。もちろん予防効果もありません。その逆で、ステロイドですから免疫を下げて余計に感染しやすくなる可能性すらあります。

 トランプ元大統領が使用したことで有名になった「REGN-COV2」は注目されていて、現在治験が進められています。これは新型コロナウイルスに対する抗体(中和抗体)そのものと考えて差支えありません。感染初期であれば、この抗体を投与することでウイルスの増殖を抑えることができます。ただし費用はものすごく高くつきます。

 話をHIVに戻します。HIV陽性者は新型コロナに脆弱なのか否か......。しばらくの間は答えが分からなかったのですが、イギリスで興味深い研究がおこなわれました。結論から言えば「HIV陽性者は新型コロナ重症化のリスクになる」ことが分かりました。

 医学誌「The Lancet」2021年1月1日号に「HIV感染と新型コロナによる死亡~英国の分析~ (HIV infection and COVID-19 death: a population-based cohort analysis of UK primary care data and linked national death registrations within the OpenSAFELY platform)」というタイトルの論文が掲載されました。英国のデータベースが解析され、HIVと新型コロナの関係が調べられました。

 データベースに登録されている成人17,282,905人のうち27,480人(0.16%)がHIV陽性です。追跡期間中に14,882人が新型コロナで死亡し、HIV感染者は25人でした。これらを統計学的に解析すると、HIV陽性者は陰性者に比べて死亡リスクが2.9倍高いことが分かりました。人種、喫煙率、体重などの新型コロナ重症化に影響を与える因子を取り除いてリスクを分析すると2.59倍となります。人種間で明らかな差があり、非黒人では1.84倍リスクが上昇しているのに対し、黒人では4.31倍にもなっています。

 おそらくこれを読まれているのはほとんどが「非黒人」の方でしょうから、「HIV陽性者の新型コロナでの死亡リスクは非HIV陽性者に比べて1.84倍」と考えればいいでしょう。

 ところで、HIVに感染していないかどうかは知っておくべきですが、これは自分自身だけでなくパートナーについてもです。もちろん人には「知らない権利」というものもありますから、検査を強要してはいけません。ですが、HIVはすでに死に至る病ではなく、早期発見・早期治療ができれば命が助かるだけでなく様々な合併症(特にHANDと呼ばれる認知症など脳の障害)のリスクを下げることができます。つまり、パートナーのことを大切に想えば想うほど、パートナーの健康状態を知りたくなるのは自然なことであり、HIVの有無もそれらに入ってくるわけです。

 HIV陽性者が新型コロナに感染すると重症化するリスクが上がることが分かった今、パートナーがいる人は二人で今一度検査をすべきかどうかについて話し合うことを勧めたいと思います。

 互いに陰性であることが分かれば性行為を持てばいいわけですが、新型コロナが厄介なのは無症状でもうつすことです。米国CDCによると半数以上が無症状感染者から感染しています。そして、新型コロナ陽性者の3分の1以上が無症状とする研究もあります。ということは、性交渉をもてばパートナーに新型コロナを感染させ、しかも重症化させる。そして自分自身は始終無症状という可能性もでてきます。

 コロナ禍の性交渉について書かれたサイトなどをみると、手洗いをする、症状があれば行為を控える、2メートル以上あけて生活する、などと書かれています。ですが、このようなこと、愛し合う二人の前では意味をなさないのではないかと私は思います。そもそも恋愛は理屈でするものではありません。理性では説明できない衝動に突き動かされることだってあるわけです。

 ならば、パートナーとの間の感染を防ぐ方法をあれこれ考えるよりも、二人が他者から感染しないように何をすべきか、もしもどちらかが感染の可能性があるときは何をすべきか、感染した可能性があるときに相談できるところは確保できているか、感染すればそれぞれ重症化のリスクはどれくらいあるのか、同棲している場合どちらかが感染の可能性があるときは別の宿泊場所を確保できるか、という話を早い段階でしておくのが現実的です。こういったことを考えた上で、若くて健康な二人であれば「どちらかに疑う症状が出ても一緒に過ごす」という選択肢もあっていいはずです。

 若い頃の恋愛はとても大切で貴重なものです。新型コロナを甘くみてはいけませんが、恐れすぎるあまり貴重な経験の機会を失うこともまた避けなければなりません。

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第175回(2021年1月) ついに日本でもPrEPが普及する兆し

 前回、PrEPは性的アクティビティが高い人たちの間で非常に優れたHIV予防法であること、しかし費用が高すぎるのが問題であることを述べました。今回は、私が日頃診ている患者さんにもようやく安く処方できる方法が登場したことをお伝えします。まずはこれまでの経緯を振り返っておきましょう。

 私及び私が院長を務める(医)太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)が日本でもPrEPを実施しなければならないと初めて考えたのは2012年でした。日本製のツルバダは日本で流通している先発品は1錠約5千円もするために、谷口医院が海外製のツルバダの後発品を直接輸入することを考え、近畿厚生局に相談しました。しかし結果は即「却下」でした。理由は「安いからという理由での輸入は認められない」でした。お役所には"情"は通りません。法律の「壁」があるなら仕方がないといったんは諦めました。

 2013年頃より外国人を中心にPrEP(及びPEP)の問い合わせが増え始めました。2016年頃からは日本人からの相談も次第に増えてきました。そこでPrEPに興味をもつ人たちには2つの案を提案することにしました。

 ひとつは個人輸入です。誰でもインターネットを通した通販で1錠200~400円程度で購入することができます。ただし、個人輸入には偽物をつかまされるリスクがあります。厚労省によると、個人輸入のED改善薬の4割は偽物です。抗HIV薬だけで調べられたデータは見たことがありませんが、すべて本物と信じるのはリスクが大きすぎます。

 そこで谷口医院の患者さんやGINAのサイトから問い合わせをされる人には「2つ目の方法」を推奨してきました。それは「タイで処方してもらう」という方法です。バンコクにはPEP/PrEPを専門にした外国人用のクリニックがいくつかあり、やはり1錠200~400円程度でツルバダの後発品が処方されています。

 私が最も推薦しているのはタイの赤十字が運営しているAnonymous Clinicで、ここでならツルバダの後発品が1錠50円未満です。安いからという理由だけでこのクリニックを推薦しているわけではありません。スタッフも多く、医師、薬剤師、ケースワーカーが多数そろっています。きちんとした説明を詳しく聞けるのも魅力なのです(ただし日本語ができるスタッフはいないためにタイ語か英語で会話をしなければなりません)。

 PEPの場合でもアクシデントが起こってからすぐにタイに渡航できれば間に合いますが、スケジュールの調節が困難という人も少なくありません。ですが、PrEPなら計画して渡航すればいいわけですから、休暇時に観光がてらにAnonymous Clinicを訪れることができます。LCCを使えば片道1~2万円程度で渡航できます。バンコクは物価がとても安いですから繁華街から少し離れたところなら1泊500バーツ(約1,600円)も出せばエアコンとホットシャワーが付いたゲストハウスに泊まれます。そんなわけで、2017年頃からはPrEPの問い合わせがあればAnonymous Clinicを積極的に勧めるようにしていました。

 ところが予期せぬアクシデントが発生しました。新型コロナウイルスです。2020年1月、武漢での発生が報じられてから間もなくタイでも陽性者がみつかり、外国人の入国制限が開始されました。それから1年が経過した2021年1月下旬、いまだにタイには特別な理由がなければ入国できません。これではPEPはもちろん、PrEPを目的とした渡航もできません。ちなみに、タイではコロナ禍でも性転換や美容外科などの手術を受ける場合には特別なビザがおります。 

 そんななか、ちょうどタイに自由に渡航できなくなった2020年の2月頃から、「東京のクリニックでツルバダ後発品を処方してもらった」という声を聞くようになりました。谷口医院に相談に来られた患者さんは「東京に行くのが大変なのでここ(谷口医院)で処方してもらえないか」と言います。しかし、先述したように近畿厚生局は輸入を許可してくれません。もしかすると関東甲信厚生局はクリニックでの輸入を認めているのでしょうか。

 そこで、2020年12月上旬、関東信越厚生局に直接電話で問い合わせてみました。回答はなんと「輸入可能」とのこと。しかし、近畿厚生局は許可せず関東信越厚生局は許可しているというのはおかしな話で筋が通りません。谷口医院としては(関西空港ではなく)関東の空港から入荷する手続きをすれば輸入ができるのかもしれませんが、そのようなことをしてもいいのでしょうか。そこで、関東信越厚生局に「なぜ近畿はダメで、そちらはOKなのか回答がほしい」と依頼しました。

 年末に同局から電話がかかってきて「現在近畿厚生局と話をしている。正式な回答まで少し待ってほしい」とのことでした。本原稿を書いている1月24日時点で回答はありません。

 PrEPに対する問い合わせはコロナ禍でも減りません。そのうち患者さんから「なんで東京ではできて大阪ではできないのだ」とお叱りを受けるようになるかもしれません。厚生局の回答を待っているのは得策ではありません。そこで、私は「もうひとつの方法」で輸入できないか探ることにしました。その方法とは「輸入業者に依頼する」というものです。

 意外なことに、この方法だと(業者に手数料を払いますから高くはなりますが)すんなりと輸入ができました。結局、1月下旬から谷口医院でもHIVのPrEPがおこなえることになりました。

 めでたしめでたし......、と言いたいところですが、入荷はできてもまだ問題は残っています。PrEPの正しい使い方を理解してもらい使用してもらうのに少し"壁"があるのです。興味があって問い合わせをされる人は多いのですが、誤解をされている人も少なくありません。

 最大の誤解は「on demand PrEP」です。通常のPrEPは別名「daily PrEP」と呼ばれるものでツルバダ(後発品も同様)を1日1錠内服します。一方、on demand PrEPは、性行為の2~24時間前に2錠、最初の服用の24時間後に1錠、2回目の服用の24時間後に1錠、合計4錠服用する方法です。性行為の機会があるときだけ内服する方法ですからdaily PEPに比べて費用はリーズナブルになります。

 しかし、残念ながらこの方法は万人に支持されたものではありません。米国CDCはon demand PrEPをHIVの予防とは認めておらず、FDAは「daily PrEPがFDAの承認する唯一の予防法」としています。それに、そもそもon demand PrEPは男性間だけの方法です。on demand PrEPが有効だとする研究(IPERGAYと呼ばれるフランスでおこなわれた研究が最も有名)があり、一流の医学誌『New England Journal of Medicine』に掲載された論文でもPrEPは有効でかつ安全であることが示されていますが、これはゲイを対象とした研究であり、ストレートの男性や女性には推奨されていません。

 もうひとつの誤解がC型肝炎ウイルス(以下HCV)です。PrEPの相談をされる人は性感染症に詳しいことが多く、B型肝炎ウイルス(HBV)のワクチンはすでに接種し抗体形成を確認していることが多いのですが、HCVが忘れられているのです。HCVは多くの人が感染しており(日本では200万人以上が陽性と言われています)、HIVとHCVの重複感染も多く、かつては、「HIVは抗HIV薬のおかげで抑制できているのにHCVに有効な治療薬がなかったために死因がHCV関連」ということが多かったのです。ところが、現在は画期的な薬(DAAと呼ばれます)が登場したおかげで、ほぼ完治が見込めるようになりました。とはいえ、100%治るとまでは言い切れず、また治療費用に数百万円もかかります。もちろん個人負担は低く抑えられはしますが、それでも可能な限り予防すべき感染症です。HIVのPrEPが普及したせいでHCVの感染者が増えるようなことは避けねばなりません。

 しかし、ここに述べたような「誤解」があるとはいえ、HIVのPrEPが安く入手できるようになったのは朗報であることには変わりありません。谷口医院以外にも輸入業者を通してツルバダの後発品を入手する医療機関は今後増えていくでしょう。先進国で普及し始めてからすでに10年の遅れをとっているPrEPがようやく広がりつつあります。

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第174回(2020年12月) PrEPとU=Uは矛盾するのか

 最近、GINAのサイトから寄せられる質問で多いのが「PrEP」に関するものです。なかでも、PrEPと「U=U」が矛盾するのではないか、という指摘が次第に増えてきています。今回はこれについての話をします。

 ところで、私が院長を務める(医)太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)では、月に一度、医療者を対象とした勉強会を開催しており、谷口医院のスタッフでない他の医療機関などで働く人も参加されています。その勉強会でPrEPとU=Uについてどれくらいの人が知っているか尋ねてみると、「よく知らない」と答える人が過半数を占めました。そこで、今回のコラムも基本から振り返っておきたいと思います。

 PrEPについては過去のコラムでも紹介したように、Pre-exposure prophylaxisの略で、日本語で言えば「曝露前予防」となります。つまり、HIVに曝されるかもしれない前に抗HIV薬を内服して感染を予防する方法です。具体的には次のような人たちから関心を持たれています。

#1 パートナーがHIV陽性の人
#2 常に複数の"パートナー"が必要で、その"パートナー"も他に相手がいる人
#3 パートナーは持たずに不特定多数との性交渉を求める人
#4 sex worker

 次にU=Uをみていきましょう。読み方は「ユー・イコールズ・ユー」です。最初の「U」はundetectable(検出されない)の頭文字のU、後の方の「U」はuntransmittable(感染しない)の頭文字のUです。つまり、(ウイルスが)検出されない(undetectable)ならば、感染させない(untransmittable)ということです。これは、コンドームを着用していなくても、です。従来はHIVの予防にはとにかくコンドームを使いましょう、と言われていたわけですから、その概念を覆すことになります。

 「本当にそうなのか。エビデンスはあるのか」という質問がよくありますので、それに答えておきましょう。U=Uが正しいことを示す大きな研究は2つあります。1つは「PARTNER試験」と呼ばれるイギリスの研究で、2014年に1回目、2019年に2回目がおこなわれました。コンドームを使わない性行為を行っている972組のゲイのカップル、516組のストレートのカップルが対象となりました。カップルのうち1人はHIV陽性、もう一人は陰性です。尚、このようなカップルのことを最近「serodiscordant」と呼ぶことが増えてきました。調査の結果、ゲイのカップルでは77,000回、ストレートのカップルでは36,000回のコンドームを使わない挿入を伴う性行為があり、ウイルス量が検出限界値未満のHIV陽性者からパートナーへのHIV感染は一例も認められませんでした。

 もうひとつの大規模研究は2017年にオーストラリアで実施された「Opposites Attract研究」と呼ばれるものです。対象は343組のゲイのカップルです。合計17,000回のコンドームなしのアナルセックスがおこなわれ、ウイルス量が検出限界値未満であれば感染例は一例もありませんでした。

 これら2つの大規模研究から言えること、それは服薬をきちんとおこない血中ウイルス量を一定以下におさえておけば、もはやコンドームはいらないということです。

 さて、「疑問」はここから出てきます。HIVの予防にコンドームが不要なら、当然PrEPも不要なのではないか、という疑問です。

 たしかにU=Uの立場から言えばPrEPは不要になります。ではPrEPの立場からみればどうなるでしょう。それは「確実にundetectable(ウイルスが検出されない)ですか?」というものです。もしもそれが不確かなら、PrEPは必要ですよ、ということになります。不確かはuncertainですから、「U(undetectable) = U(untransmittable), but U(uncertain) needs PrEP」となります。

 では不確か(uncertain)はどんなときかというと、上記#1~#4でいえば、#2、#3、#4が該当することになるでしょう。ところが、世間一般に#2、#3、#4はあまり好印象を持たれません。もちろん、こういった行動のすべてが他人から非難される筋合いのものではありませんが、PrEPをそのような人たちのために承認するのはおかしいのでは、という声が出てくるのは必至でしょう。

 ちなみに、米国やオーストラリアはPrEPも保険で認められることがあります。日本では予防医学は保険適用外ですが、「PrEPは高額がかかるから必要な人たちのために保険適用を!」とする意見もあります。もしもそのような声が大きくなってきたときに、「性的に逸脱した行動を取るような人たちの薬に保険適用を認めるべきではない」という声は必ず出てくるに違いありません。社会保険の保険者や国民健康保険の保険者(地域の自治体)は必ず反対します。

 一方、公衆衛生学者はPrEPの保険適用に賛成する可能性があります。なぜなら公衆衛生学者のミッションは「社会全体で感染者を減らす」ことにあるからです。倫理・道徳的な問題はさておき、実際には不特定多数と性行為を楽しむ人や、sex workで生計を立てている人がいるのが現実なわけですから、その現実を受け入れた上で感染予防対策を講じるのが彼(女)らの仕事なのです。

 では私のような実際に患者さんと向き合っている臨床医はどうなのでしょうか。臨床医が公衆衛生学者と異なるのは、実際に患者さんから直接相談を受けることです。私がPrEPに興味があるという患者さんから相談を受けたときにどうしているかを紹介しましょう。

 私の場合、まずその人の性的アクティビティに対し問診していきます。性的指向について、特定のパートナーがいるかどうか、特定のパートナーはHIV陽性か否か、不特定多数との交渉はあるか、sex workをしているか、買春はするか、といったことについて確認していきます。

 その結果、やはり#2、#3、#4の人たちでリスクの高い人にはPrEPを検討するよう助言することがあります。ただし、他の性感染症のリスクも知っておいてもらう必要があります。実際、HIVばかりに気を取られ、他の性感染症に対しての注意が不足していることは珍しくありません。例えば、PrEPの相談に来た人がHBV(B型肝炎ウイルス)のワクチン未接種というケースです。感染予防の順番としてはHIVのPrEPの前にHBVのワクチンです。

 また、忘れてはならないのは#1です。#1の人も最初のU、すなわちundetectedがしっかりと維持できているかについて確認しなければなりません。特に抗HIV薬を開始して間もない頃や、薬剤を変更したときには注意が必要になります。一般に、undetectedの状態が半年続くまではU=Uとは言えないからです。

 最後にPrEPの最大の問題点である「費用」について述べておきましょう。標準的なPrEPはツルバダという薬を1日1錠内服します。この薬は1錠5,000円前後もします。毎日5千円出せる人はそう多くないでしょう。そこで私は、偽物をつかまされるリスクは否定できませんが、個人輸入で海外製の安価なジェネリック薬品を使うように勧めています。しかし、偽物のリスクは決して小さくありません。

 ならば谷口医院で輸入することを考えればいいわけで、実は2012年に近畿厚生局に輸入の許可を求めて交渉したことがあります。ところが当時の近畿厚生局の担当者から「安いことを理由に個人輸入することは認められない」と言われました。当局にそう言われたのでは仕方がないと諦めていたのですが、最近関東では海外製後発品を処方しているクリニックがあります。そこで、制度が変わったのかと思い、8年ぶりに近畿厚生局に問い合わせてみました。しかし回答はやはり「できない」とのこと。なぜ関東ではOKで、関西ではNGなのか。これでは納得がいきません。そして、ついに谷口医院でもPrEPの需要に応える準備が整いました。詳しくは次回述べます。

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