GINAと共に

第175回(2021年1月) ついに日本でもPrEPが普及する兆し

 前回、PrEPは性的アクティビティが高い人たちの間で非常に優れたHIV予防法であること、しかし費用が高すぎるのが問題であることを述べました。今回は、私が日頃診ている患者さんにもようやく安く処方できる方法が登場したことをお伝えします。まずはこれまでの経緯を振り返っておきましょう。

 私及び私が院長を務める(医)太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)が日本でもPrEPを実施しなければならないと初めて考えたのは2012年でした。日本製のツルバダは日本で流通している先発品は1錠約5千円もするために、谷口医院が海外製のツルバダの後発品を直接輸入することを考え、近畿厚生局に相談しました。しかし結果は即「却下」でした。理由は「安いからという理由での輸入は認められない」でした。お役所には"情"は通りません。法律の「壁」があるなら仕方がないといったんは諦めました。

 2013年頃より外国人を中心にPrEP(及びPEP)の問い合わせが増え始めました。2016年頃からは日本人からの相談も次第に増えてきました。そこでPrEPに興味をもつ人たちには2つの案を提案することにしました。

 ひとつは個人輸入です。誰でもインターネットを通した通販で1錠200~400円程度で購入することができます。ただし、個人輸入には偽物をつかまされるリスクがあります。厚労省によると、個人輸入のED改善薬の4割は偽物です。抗HIV薬だけで調べられたデータは見たことがありませんが、すべて本物と信じるのはリスクが大きすぎます。

 そこで谷口医院の患者さんやGINAのサイトから問い合わせをされる人には「2つ目の方法」を推奨してきました。それは「タイで処方してもらう」という方法です。バンコクにはPEP/PrEPを専門にした外国人用のクリニックがいくつかあり、やはり1錠200~400円程度でツルバダの後発品が処方されています。

 私が最も推薦しているのはタイの赤十字が運営しているAnonymous Clinicで、ここでならツルバダの後発品が1錠50円未満です。安いからという理由だけでこのクリニックを推薦しているわけではありません。スタッフも多く、医師、薬剤師、ケースワーカーが多数そろっています。きちんとした説明を詳しく聞けるのも魅力なのです(ただし日本語ができるスタッフはいないためにタイ語か英語で会話をしなければなりません)。

 PEPの場合でもアクシデントが起こってからすぐにタイに渡航できれば間に合いますが、スケジュールの調節が困難という人も少なくありません。ですが、PrEPなら計画して渡航すればいいわけですから、休暇時に観光がてらにAnonymous Clinicを訪れることができます。LCCを使えば片道1~2万円程度で渡航できます。バンコクは物価がとても安いですから繁華街から少し離れたところなら1泊500バーツ(約1,600円)も出せばエアコンとホットシャワーが付いたゲストハウスに泊まれます。そんなわけで、2017年頃からはPrEPの問い合わせがあればAnonymous Clinicを積極的に勧めるようにしていました。

 ところが予期せぬアクシデントが発生しました。新型コロナウイルスです。2020年1月、武漢での発生が報じられてから間もなくタイでも陽性者がみつかり、外国人の入国制限が開始されました。それから1年が経過した2021年1月下旬、いまだにタイには特別な理由がなければ入国できません。これではPEPはもちろん、PrEPを目的とした渡航もできません。ちなみに、タイではコロナ禍でも性転換や美容外科などの手術を受ける場合には特別なビザがおります。 

 そんななか、ちょうどタイに自由に渡航できなくなった2020年の2月頃から、「東京のクリニックでツルバダ後発品を処方してもらった」という声を聞くようになりました。谷口医院に相談に来られた患者さんは「東京に行くのが大変なのでここ(谷口医院)で処方してもらえないか」と言います。しかし、先述したように近畿厚生局は輸入を許可してくれません。もしかすると関東甲信厚生局はクリニックでの輸入を認めているのでしょうか。

 そこで、2020年12月上旬、関東甲信厚生局に直接電話で問い合わせてみました。回答はなんと「輸入可能」とのこと。しかし、近畿厚生局は許可せず関東甲信厚生局は許可しているというのはおかしな話で筋が通りません。谷口医院としては(関西空港ではなく)関東の空港から入荷する手続きをすれば輸入ができるのかもしれませんが、そのようなことをしてもいいのでしょうか。そこで、関東甲信厚生局に「なぜ近畿はダメで、そちらはOKなのか回答がほしい」と依頼しました。

 年末に同局から電話がかかってきて「現在近畿厚生局と話をしている。正式な回答まで少し待ってほしい」とのことでした。本原稿を書いている1月24日時点で回答はありません。

 PrEPに対する問い合わせはコロナ禍でも減りません。そのうち患者さんから「なんで東京ではできて大阪ではできないのだ」とお叱りを受けるようになるかもしれません。厚生局の回答を待っているのは得策ではありません。そこで、私は「もうひとつの方法」で輸入できないか探ることにしました。その方法とは「輸入業者に依頼する」というものです。

 意外なことに、この方法だと(業者に手数料を払いますから高くはなりますが)すんなりと輸入ができました。結局、1月下旬から谷口医院でもHIVのPrEPがおこなえることになりました。

 めでたしめでたし......、と言いたいところですが、入荷はできてもまだ問題は残っています。PrEPの正しい使い方を理解してもらい使用してもらうのに少し"壁"があるのです。興味があって問い合わせをされる人は多いのですが、誤解をされている人も少なくありません。

 最大の誤解は「on demand PrEP」です。通常のPrEPは別名「daily PrEP」と呼ばれるものでツルバダ(後発品も同様)を1日1錠内服します。一方、on demand PrEPは、性行為の2~24時間前に2錠、最初の服用の24時間後に1錠、2回目の服用の24時間後に1錠、合計4錠服用する方法です。性行為の機会があるときだけ内服する方法ですからdaily PEPに比べて費用はリーズナブルになります。

 しかし、残念ながらこの方法は万人に支持されたものではありません。米国CDCはon demand PrEPをHIVの予防とは認めておらず、FDAは「daily PrEPがFDAの承認する唯一の予防法」としています。それに、そもそもon demand PrEPは男性間だけの方法です。on demand PrEPが有効だとする研究(IPERGAYと呼ばれるフランスでおこなわれた研究が最も有名)があり、一流の医学誌『New England Journal of Medicine』に掲載された論文でもPrEPは有効でかつ安全であることが示されていますが、これはゲイを対象とした研究であり、ストレートの男性や女性には推奨されていません。

 もうひとつの誤解がC型肝炎ウイルス(以下HCV)です。PrEPの相談をされる人は性感染症に詳しいことが多く、B型肝炎ウイルス(HBV)のワクチンはすでに接種し抗体形成を確認していることが多いのですが、HCVが忘れられているのです。HCVは多くの人が感染しており(日本では200万人以上が陽性と言われています)、HIVとHCVの重複感染も多く、かつては、「HIVは抗HIV薬のおかげで抑制できているのにHCVに有効な治療薬がなかったために死因がHCV関連」ということが多かったのです。ところが、現在は画期的な薬(DAAと呼ばれます)が登場したおかげで、ほぼ完治が見込めるようになりました。とはいえ、100%治るとまでは言い切れず、また治療費用に数百万円もかかります。もちろん個人負担は低く抑えられはしますが、それでも可能な限り予防すべき感染症です。HIVのPrEPが普及したせいでHCVの感染者が増えるようなことは避けねばなりません。

 しかし、ここに述べたような「誤解」があるとはいえ、HIVのPrEPが安く入手できるようになったのは朗報であることには変わりありません。谷口医院以外にも輸入業者を通してツルバダの後発品を入手する医療機関は今後増えていくでしょう。先進国で普及し始めてからすでに10年の遅れをとっているPrEPがようやく広がりつつあります。