GINAと共に

第233回(2025年11月) 12歳タイ少女の性的搾取とタイの真実

 東京・湯島の個室マッサージ店で12歳のタイ人少女(12)が違法に働かされていた、要するにセックスワークをさせられていたことが発覚し各メディアが報じました。2025年11月8日のNHKの朝の看板番組「おはよう日本」では、トップニュースとして「タイ国籍少女への生活費 店側と母親側で連絡か」というタイトルでこの事件が取り上げられました。もちろんこのような事件が野放しにされていいはずがありませんし、この犯罪に関わった人物は厳しい社会的制裁を受けるべきです。ですが、この事件、タイを長く知る我々からすると違和感を拭えません。重要な事実が伏せられ、正確なことが世間に周知されていないように思えるからです。

 まずはこの事件を報道から振り返ってみましょう。タイの現地紙「タイラット」の11月6日の記事、タイの英字新聞「The Nation」の11月7日の記事、11月24日の記事などからポイントをまとめてみましょう。

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 タイ北部ペッチャブーン県に生まれ、祖父母と妹と暮らす12歳の少女は29歳の母親と共に2025年6月中旬に来日した。ビザは15日間の短期滞在ビザ(観光ビザ)。来日した初日に文京区湯島の「マッサージ店」に連れて行かれ、そのまま"勤務"を強いられた。男性客らを相手に性的サービス、つまりセックスワーク(売春)を強要された。少女の来日は初めてで、日本語は話せなかった。

 母親は来日翌日から行方が分からなくなった。この母親、日本の他、ベトナム、台湾などを含む海外渡航を合計27回経験している。7年前に夫を亡くし、それ以来マッサージで家族を支え、被害者の少女とは(少なくとも夫との死別後)同居したことがほとんどなかった。初来日は2022年頃で知人の招待(詳細不明)。The Nationによると、今回12歳の娘を連れてきたのは弟(記事からは誰の弟か分からず)の世話を娘にさせるためで、娘を置き去りにしたのは娘のタイへの帰国航空券を買うお金がなかったから。

 7月中旬、母親は少女を残してタイに帰国した。少女は店が用意した部屋で働かされ、わずかな食費しか支給されなかった。

 9月中旬、少女は
地元に住むタイ人に相談し入管(東京入国管理局)に強制労働を訴え支援を求めた。そのタイ人らからは「入管に駆け込めば自らが逮捕される」と警告されたが、少女は助けを求めた。そして、少女のこの決断が事件の発覚につながった。

 少女は約1か月間に約60人の客にセックスワークを強要され、売り上げは約627,000円となり、一部が母親の知人の銀行口座に振り込まれていた(その1カ月が過ぎてから、つまり7月中旬から9月中旬までに少女がどのような生活をしていたのかについては報道からは分からず)。少女は母親から「迎えに来るまで店で働いて待つように言われていた」と供述している。帰国を望んでいたものの、(自分が働かなければ)母国にいる家族は生きていけないだろうと思い、耐えるしかないと考えた(The Nationの報道では「her family back in her country wouldn't be able to survive, so she felt she had no choice but to endure」) 。

 少女は入管の職員に「タイに帰りたい。中学校に戻りたい」と訴えた。しばらくは日本当局の保護下に置かれることになる予定。当局によると「少女は日本の警察がこれまで接見した中で最も若い人身売買被害者」となる。
   
 11月4日、このマッサージ店の51歳の店主、細野正之容疑者が労働基準法違反の罪で逮捕・起訴された。この店は「タイ式マッサージ」と宣伝し、他にも30歳のタイ人女性が働いていた。複数のウェブサイトや掲示板には、性的なサービスが密かに提供されていたことを示す証拠がある。
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 絶対にあってはならない許せない事件ではありますが、日本、タイでの報道に私は違和感を拭えません。あえて誤解を招くような表現をとれば「えっ、"この程度"の事件でNHKの報道番組のトップに?」と思わずにいられないのです。

 おそらくタイ人の知人がおらずタイに行ったことのない日本人であれば、「とんでもない母親だ」と感じ、「航空券を買うお金がないって、そんな嘘をつくなよ。最初から用意しとけよ」と思うでしょう。しかし、タイ人との付き合いが長い人であれば、タイ人のいくらか(もちろん全員ではない)は「準備」というものが苦手であることやよく嘘をつくことを知っているでしょうし(ただし、嘘をつかれた側もそれほど罪だとは思っておらず、たとえ騙されていたとしてもそのうちに許すことが多い)、タイの北部や東北地方では実の親が娘(ときには息子)を女衒に売り飛ばしていることにもある程度の知識はあるでしょう。

 このことは2010年のコラム「自分の娘を売るということ」で、すでに述べました。タイ北部のある地域にあるときから"場違いな"豪邸が建ち始めました。豪邸に住む者は自分の娘を売っていたのです。なかには、(男子ではなく)女子が生まれたことで将来は安泰、と考える者すらいたとか。

 2010年のそのコラムではもうひとつ実例を紹介しました。やはりタイ北部に居住するある母親は、仕事が見つかりそれなりの暮らしができるようになったのにもかかわらず、わずか3千バーツ(当時のレートで約9千円)で自分の娘を女衒に売り飛ばしたのです。

 それらは例外的な話ではないのか、と感じる人がいるかもしれませんが、このような話は過去のタイではいくらでもあり、厚労省の資料でも言及されています。一部を抜粋してみましょう。

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こうした家族の窮乏状態を救おうとする若い女性の自己犠牲の行為は、商品化の浸透とともに貨幣経済に巻き込まれコミュニティの基盤が弱まった地域や家族には好意的に受け止められ、ときには奨励される傾向にあった。小学校卒業前に性産業のブローカーから値をつけられ、卒業とともにバンコクや南タイにある性産業現場へ送られる少女の「青田買い」も北部で発生した。一次的に現金収入が発生する「青田買い」に積極的に娘を送る親も出現した。
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 貧困から娘を"売る"行為はタイに限った話ではありません。我々の把握している限り、隣国のラオス、カンボジアでも同様の現象が見受けられます。ラオスの少女売春の実態については前回のコラム「買春がやめられない日本と韓国の男たち」で述べたばかりです。そして、過去には日本でも同様のことがありました。過去のコラム「からゆきさんを忘るべからず」で取り上げたように、「からゆきさん」と呼ばれた当時10代(あるいはそれ以下)の少女たちは、親たちに売られ、主に東南アジア諸国で春を鬻がねばならなかったのです。

 では、このような悲劇をなくすにはどうすればいいでしょうか。「供給」をなくすのは困難です。そのような母親を取り締まればいい、という声があるかもしれませんが、極度の貧困のなかではそんな考えはきれいごとに過ぎません。タイはバンコク、パタヤ、プーケットなどの観光地だけを見ていると貧しい国などとはとても思えませんが、件の少女が生まれ育ったペッチャブーン県には今も昔ながらのタイがあります。東京新聞に掲載された、件の少女が暮らしていた「家」の写真と、私のこれまでのタイ北部や東北部での経験から推測すると、この家には水道がなく雨水を貯めて生活しなければなりません。電気やガスもないために食事をつくる際には毎回火を起こしているはずです。主なたんぱく源はイナゴやタガメなどの昆虫で、アリの卵はぜいたく品でしょう。

 少女の「供給」が止まらないのだとすれば「需要=少女を買う大人たち」に社会から消えてもらうしかありません。本サイトで繰り返し述べているように、セックスワークは社会に必要だとしても児童のセックスワークは絶対に許されません。その許されないことに加担してしまう可能性があるのなら少女(あるいは少年)に日々近づかないように自分を律するしかありません。過去のコラム「小児性愛者は悪人か」で紹介した「M君」はその参考になるかもしれません。

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第232回(2025年10月) 買春がやめられない日本と韓国の男たち

 2018年のコラム「買春に罪の意識がない日本人は世界の非常識」で、ジャカルタで開催されたアジア競技大会に日本代表として参加していた男子バスケットボールの20代の選手4人が現地女性を「買春」していたことを取り上げました。件の4人は世界中で中継された謝罪会見に出席させられ、顔と名前を全世界に晒され恥をかくことになりました。顔と実名を晒した4人は「一生背負うつもりです」「これからの人生でも立て直せないかもしれません」などと謝罪の言葉を述べました。

 ところが、そのコラムでも述べたように、日本の世論はこの4人に"寛容"で「買春のどこが悪いんだ?」というような風潮さえありました。しかし、このような買春は世界的には恥さらしもいいところで、そのコラムで述べたように、恥ずべきこの行為は「日本型買春」とでも呼ぶべき愚行でしかありません。欧米諸国でこんな恥ずかしいことをやるのは「最底辺の人たち」と考えられていて、まともな欧米の男性の行為は「西洋型買春」とでも呼ぶべきものだ、という私見を述べました。

 そのコラムを書いた当時、私は世間の日本人のように寛容にはなれませんでした。しかし、世界中で名前と顔を晒されたからといって、彼らの顔写真をコラムに転載したり、名前を晒すようなことは避けました。「一生背負うつもりです」と反省している彼らに対し、さらなる追い打ちをかけるべきではないと考えたのです。選手を引退したその後はどうなるのだろう......、と心配する気持ちもありました。

 ところが、実際には反省した様子が確認できず、今ではそんなことなかったような空気すらあります。Chat GPTに「その後4人はどうなったのですか」と聞いてみると、次のように実名で教えてくれました。

・今村佳太(当時:新潟アルビレックスBB)
  現況:Bリーグの現役ウィング。近年は琉球ゴールデンキングスで主力としてプレーし、リーグ優勝にも貢献。
・永吉佑也(当時:京都ハンナリーズ→その後琉球)
  現況:Bリーグの現役ビッグマン。近年は長崎ヴェルカなどでプレー。
・橋本拓哉(当時:大阪エヴェッサ)
  現況:Bリーグの現役ガード。大阪エヴェッサを中心にB1でプレー。
・佐藤卓磨(当時:滋賀レイクスターズ)
  現況:Bリーグの現役フォワード。滋賀の後、千葉ジェッツでプレー。

 機会があれば当事者に現在の気持ちを尋ねてみたいものです。もう恥ずかしさはないのでしょうか。そして、この4人よりも自らの恥ずかしい行為を自覚してほしい人物が最近フランスで逮捕されました。

 2025年10月2日、元プロサッカー選手の影山雅永氏が、ワールドカップを視察のためチリに向かう途中の航空機内で児童ポルノ画像を閲覧しフランスで拘束されました。影山氏は画像について「芸術作品である」と詭弁を呈し恥の上塗りをしました。パリの簡易裁判所では当然有罪判決を受け、日本サッカー協会から解任されました。

 判決の内容は、執行猶予付きの懲役刑に加え、5,000ユーロの罰金、10年間の未成年者との仕事の禁止、さらにフランスへの入国禁止というものでした。やはり世界中で報道され、影山氏は日本での選手やコーチの他、マカオとシンガポールでのクラブの監督の経験もありますからアジア全体でこの事件は大きく取り上げられました。

 ジャカルタの4人は、あろうことか日本代表のユニフォームを着用したまま現地の歓楽街で買春していたところを朝日新聞の記者に見つかったというのですから目もあてられません。そして、影山雅永氏もすぐに見つかることが予想される機内で
なぜそのような愚かな行為に出たのでしょう。有名人という自覚がなかったのでしょうか。

 では、「有名人でない日本人男性」はもっと大胆にこのような犯罪に手を染めているのでしょうか。その答えは「イエス」です。

 2025年6月27日、「『目に余る』ラオス児童買春、外務省の注意喚起を引き出した女性」という毎日新聞の記事が公開されました。ビエンチャンで食堂を営む40代の女性岩竹綾子さんが、SNS上でラオスでの児童買春行為を「自慢」するような日本人男性の投稿を見かけ、あまりにも目に余る内容が放置できなくなり、署名を集め在ラオス日本大使館に訴えました。大使館は岩竹さんの署名に応え「ラオスにおける児童買春に関する注意喚起」というタイトルの注意喚起文を発表しました。外務省も「ラオスにおける児童買春に関する注意喚起」を公表しました。

 大変嘆かわしいことに、岩竹さんの行動を非難する声も上がっているそうです。毎日新聞によると、署名活動に対して「貧しい子どもを助けるのを邪魔している」などの中傷も受けたとか。

 日本の恥をさらすラオスのこの現象、現地の筋からGINAにもある程度の情報が入ってきています。そして、本サイトを読んでもらえればすぐにわかるように、GINAでは活動を開始した2000年代半ばから「日本人の買春」、さらには「日本人の児童買春」について繰り返し取り上げてきました。ただ、2010年代に入ったあたりから少しずつ傾向が変わってきています。GINAが受ける印象で言えば、アジアでの買春、とりわけ児童買春に関して言えば、日本単独の愚行ではなく、韓国との"共同愚行"になってきています。もしかすると、ラオスにしても、タイにしても、カンボジアやベトナムでも、韓国人男性の方が目立っているかもしれません。

 韓国の学術論文データベース「KISS」(= Korean studies Information Service System)の2012年の報告に掲載された「韓国人男性による東南アジアにおける児童買春の調査」では、「2000年以来、韓国人男性は東南アジアにおける児童買春観光の主な顧客の一人である」と指摘されています。

 2013年の朝鮮日報(The Chosun Daily)は「韓国人は東南アジアの買春で最大の顧客(Koreans 'Biggest Clients of Prostitutes in Southeast Asia')」とする記事を掲載しました。同紙によれば、the Korean Institute of Criminology(韓国犯罪学研究所)(以下「KIC」)による「ベトナム、タイ、カンボジア、フィリピンでの現地調査」、国連の報告書、地元のソーシャルワーカーや近隣住民への聞き取り調査、地元警察署の逮捕記録などに基づいた調査が実施され、結果、日本人や中国人を上回り「韓国人は東南アジアのセックスワーカーの最大の顧客」であることが判明しました。また、KICが2012年10月に韓国人男性900人を対象として実施した調査によると、「海外での買春が韓国法で違法」であることを知らない男性が77.7%、「処罰される可能性は低い」と考えている男性が78.5%に上りました。

 米国国務省が発行する「Trafficking in Persons Report(人身取引に関する報告書)」2012年版には、「韓国人男性は、東南アジアおよび太平洋諸島における児童買春旅行の需要源であり続けている。韓国政府は児童買春旅行への参加を阻止するためにテレビCMを放映し、在外韓国大使館は児童買春旅行に関する警告と情報をホームページに掲載し、空港や旅行代理店でパンフレットを配布している」と記載されています。

 UNODC(国連薬物犯罪事務所)の2014年の報告は、韓国は「東南アジアにおける児童セックスツーリズムのの大きな需要源(significant source of demand for child sex tourism in Southeast Asia)」としています。

 何かと類似性が指摘される日本と韓国がこんな点で似ていることに対し、我々はどのように考えればいいのでしょう。一度、このテーマで日韓合同会議を開くという案はどうでしょう。日韓のパネリストが議論を交わすセッションには、是非上記のバスケットボール選手4人と影山雅永氏に加わってもらいたいものです......。

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第231回(2025年9月) 再び解禁されそうなタイの大麻と危険な薬物擁護論

 前々回、前回とタイでは大麻に関する規制が代わり、その原因は政局の揺れにあることを述べました。前回のコラム脱稿後に重大な動きがありましたから、今回もこの話題に触れざるをえません。しかし、偶然にも日本で大麻に関する大きな報道がありましたから、先にそちらをまとめておきましょう。

 2025年9月1日、サントリーのCEO新浪剛史氏が大麻疑惑で辞任しました。新浪氏が購入していたCBDにTHCが違法に含まれていたのではないかという疑惑がもたれていたとされています。捜査の結果、商品からも新浪氏の尿からも大麻は検出されなかったようですから、何も辞任しなくてもよさそうに思えますが、そこは報道されていないややこしい問題(人間関係や派閥など)があるのでしょう。それに新浪氏が不幸なのは、自身がほぼ全裸で外国人女性を抱き寄せている写真が週刊誌で公開されてしまったことです。この程度のスキャンダルで辞任に追い込まれるのは気の毒なような気もしますが、令和の現代では許されないのでしょう(「この程度」という言葉を使う私自身も現代社会では生き残れないかもしれません......)。

 新浪氏の辞任は世界中で報道されました。米紙や英紙でも大きく取り上げられており注目度が高いことがよく分かります。しかし、海外の報道が日本とは異なるのは「日本は大麻に厳しすぎるのでは?」というニュアンスが含まれていることです。たしかに、今や大麻は世界の多くの国や地域で合法(または事実上合法、または違法だけれど大勢が使用している)であり、大麻成分が体内から検出されたわけでもないので、なぜ辞任しなければならないのかが外国人からは理解しにくいのでしょう。

 もちろん日本でも「なんでその程度で辞任?」と感じるのは私だけではなく、特に若者は大勢がそのように感じているでしょう。大麻擁護論もこれまでになく大きくなってきているような気がします。

 その理由の1つに「参政党」の躍進があるのではないかと私はみています。参政党が「大麻解禁」を公約に掲げたわけでもありませんし、公式見解として大麻合法化を発表したわけでもありません。むしろ、合成麻薬のフェンタニルに対しては厳重取り締まりを求めるような表明もしています。しかし、代表の神谷宗幣氏は自身のブログに「大麻栽培を考える」というタイトルで大麻を擁護するようなコメントを載せています。文章をよく読むと、医療用大麻は検討されてもいいのでは?という程度のソフトな主張なのですが、このブログを都合よく解釈する人がいるようで、SNSを通して「大麻に賛成なら参政党を支持しよう」といったムーブメントがあるようです。

 もう1つ、大麻擁護論が台頭してきている理由として、私は『薬物戦争の終焉――自律した大人のための薬物論』という書物の存在を考えています。作者はコロンビア大学心理学部・精神医学部教授のカール・L・ハート氏。このタイトル、みすず書房の書籍ということもあって堅い感じがしますが、原タイトルは『Drug Use for Grown-ups; Chasing liberty in the Land of Fear』(大人のための薬物使用:恐怖の国で自由を求める)です。つまり、医学部教授がみすず書房から薬物摂取を推奨するような本を出版したのです。

 みすず書房の書籍ですから内容は平易ではないのですが、大学生くらいであれば特に薬理学の知識がなくても読めるレベルです。そして内容は、驚くことに、もろに薬物を擁護するような内容なのです。詳しくは是非読んでもらいたいのですが、「こんな本を書いてもいいのか」と思えるような内容です。まず、この作者、医学部教授でありながら、自らが大麻どころか麻薬や覚醒剤に手を出していることを堂々とカミングアウトしています。この事実に驚いた人もいるでしょう。

 しかし、私が最も驚いたのはそのことではありません。それを述べる前に冒頭で触れたタイの政局の続きについて述べておきましょう。前回のコラムを脱稿した2025年8月25日時点では、その4日後に言い渡される憲法裁判所の判決が出ていませんでした。

 8月29日、憲法裁判所はペートンタン首相の失脚を言い渡しました。その結果、連立与党の「前進党(Move Forward Party)」が政権を抜け、一足早く政権から離脱していた「タイ誇り党(Bhumjaithai Party)」と合流しました。

 そして、タイ誇り党の党首であるアヌティン・チャーンウィーラクーン(Anutin Charnvirakul)氏が9月7日に首相に就任しました。尚、繰り返し述べているように、タイではなぜか政治家も含めて「姓」ではなく「名」で呼ばれます。「アヌティン」「ペートンタン」「タクシン」いずれもファーストネームです。

 前々回も述べたように、もともとタイで2022年6月に大麻が合法化されたのは当時保健相を務めていたアヌティン氏が押し通したからです。つまり、現政権で最も大麻を推進している人物が今月より首相になったのです。2025年6月、アヌティン氏率いるタイ誇り党が連立政権から脱退するとすぐにペートンターン首相は大麻合法化の廃止に踏み切りました。ところが、それから2ヶ月も経たないうちに、自身が失脚させられ、アヌティン氏が首相に躍り出るという予想もしていなかった事態に見舞われてしまったわけです。

 さて、保健相を飛び越えて首相にまで上り詰めたアヌティン氏が大麻に対してどのような政策をとるでしょうか。大麻にはかなりの利権が絡みます。大麻を再び合法化すれば、アヌティン氏及びタイ誇り党に有利な運びとなるでしょう。しかし現在、一般市民の間でも大麻合法化に反対する声が大きくなっていると聞きます。大麻を再び合法化することで政権支持率が下がる可能性があるのなら慎重に事を運ぶかもしれません。

 さて、上述したように、現在『薬物戦争の終焉――自律した大人のための薬物論』という書籍が話題になっていて、薬物擁護者の間で人気を博していると言われています。しかしこの本、私自身は受け入れることができません。理由を述べます。

 まずタイトルが日本版はぼかしていますが、原書のタイトルは『Drug Use for Grown-ups』です。「Grown-ups」は単に「成人」でなく「自律した大人」という意味で使われています(単なる「成人」ならadultが適切な表現)。つまり、この書籍は「自律した成人なら薬物なんかに溺れないでしょ」と主張しているのです。

 著者は「自律した大人が正しく使えば依存症にならないばかりか、クオリティ・オブ・ライフ(人生の質)を向上させることができる。そして自分はそれをやっている。他方、依存症になるような人間は自律していないのだ」という、まるで自慢話ではないか、という理屈を展開します。もっとも、一応「自律できないのは貧困、失業、低教育など本人に責任がないことに問題がある」と言い訳のようなことは言っていますが、この理屈が正しいのなら「アルコールで身を滅ぼすのもすべて貧困、失業、低教育などが原因だ」としなければならなくなります。しかし、実際には高学歴高収入のアルコール依存症の患者なんていくらでもいます。アルコール依存の最大の原因はアルコールそのものにあるわけで、覚醒剤や麻薬などの依存症の原因も同様のはずです。

 この作者は「自分にはドラッグを使う資格はあるんだ。依存症になるのはそいつらが悪いからであって違法にしないでくれよ」と上から目線の暴論を吐いているようにしか私には思えません。

 もしも今後、この書籍を"武器"に薬物擁護論が台頭するようなことがあれば、依存症に陥った人を目の前にして「残念ながらあんたは自律できていなかったんだ。だけど、悪いのはあんたじゃないよ。貧困や低教育のせいなんだ。だから、高収入高学歴の僕らは気にすることなく薬物を楽しませてもらうよ」という理屈がまかり通ってしまいます。

 この本は危険だと私は思います。

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第230回(2025年8月) タイの大麻の最新事情と政権の行方

 前回のコラムで、タイでは「2025年6月25日から大麻が違法に戻った」話をしました。2022年6月に、突如合法化され、誰もが気軽に購入できるようになった大麻が、3年後に元の違法な状態に戻ったのです。しかし、そうは言ってもタイでは2022年6月に合法化される前から、大量の売買をしたりしない限りは、つまり個人使用の程度であれば、警察に見つかってもよほど運が悪くなければ逮捕されることはほとんどありませんでした(警察にいくらかの賄賂は必要だったかもしれませんが)。

 では、いったん合法化され、その後違法となった現在はどのような状況なのでしょうか。それを確認しようと(それだけが目的ではありませんが)、先日バンコクに行ってきました。バンコクで外国人が大麻を最も簡単に購入できるところ、と言えば、やはり今でもカオサンロードでしょう。というわけで、今回はそのレポート、さらにタイの大麻の規制を予想するときには必ず考えなければならない政権の行方についても触れたいと思います。

 2023年の夏、久々にタイに到着して驚いたのはなんといっても大麻ショップの多さでした。カオサンロードどころか、アソークやシーロムといったオフィス街、金融街にも大麻ショップが乱立していたのです。スクンビットには大麻入りシェイクやグミを販売するカフェやショップがひしめき合っていました。ここまでくると大麻を摂取しないことの方が不自然なのかなとさえ思えてきます。タイ全土に誕生した大麻ショップは11,000軒にも上ります。

 圧巻だったのはやはりカオサンロードでした。まず、メインストリートにたどり着くまでに複数の大麻の「屋台」が登場していました。屋台に並べられた大麻を指さし、店番の中年女性に冗談で「ローン・ダイ・マイ(試していい)?」と尋ねると、「ダーイ(もちろんいいよ!)」と言われ、実際に火をつけようとするのです。もちろんすぐに断りましたが、この敷居の低さには驚きました。カオサンロードのメインストリートには大麻関連のショップが数十軒はありました。そのなかに入っている店舗がすべて大麻関連という"大麻ビル"すらありました。

 さて、再び大麻が違法になった2025年8月のタイではこれらの大麻ショップはどのように変わったのでしょうか。予想通り、オフィス街の大麻ショップはほとんどが消えていました。なかには店構えがそのままで通常のカフェとして営業しているところもありました。

 カオサンロードでも同じような感じでした。2年前に並んでいた大麻の屋台は消え去り、派手な看板を出していた大麻ショップは大半が閉店していました。上述の"大麻ビル"には入口に鎖がかけられていて立ち入り禁止の状態でした。しかし、電気がついているショップが奥に見えます。こっそりと営業を続けているのかもしれません。そこでビルに入ろうとして鎖をくぐりかけたとき、ちょっとややこしそうな男性が突然現れ制止されました。写真を撮ろうとしていた様子がバレたようです。「これはマズい......」と本能的に察した私は英語しかできないふりをして(こういうときに上手く逃げられるのはタイ語でも日本語でもなく英語です)、足早に立ち去りました。

 そこから20メートルほど離れた場所に1軒の大麻ショップがありました。もう営業はしていないのかなと思われたのですが、看板が出ていてそこには「EVERYTHING YOU SHOULD KNOW  CANNABIES LAW UPDATE(大麻の法律の最新情報 あたなが知るべきすべて)」というタイトルの案内が貼られていました。そこに書かれていたことをまとめると次のようになります。

・タイでは2025年6月25日から大麻に関する政府の方針が変更された
・しかし大麻は麻薬と同じ扱いではない
・これからも医師の処方せんがあれば大麻を販売することはできる
・現時点ではこれまでと同じように処方せんなしでも販売できる。しかしいずれ処方箋が必要になる

 最後の「現時点では販売できる」としているところが、なんともタイらしいというか、本当は違法なのでしょうが、こっそりと、特に外国人に対して(案内文は英語ですから)販売しているのでしょう。しかし、私が訪れたときには店内には入れませんでしたから、実際に購入するにはなんらかのコネがいるのかもしれません。

 さて、今後のタイの大麻の行方について。冒頭で述べたように、政局の行方に左右されるのは間違いありません。前回、ペートンターン首相の「電話問題」で連立与党の勢力が弱まったことで大麻の非合法化が続くかどうは不透明ということを述べました。この点について、前回は「本コラムの趣旨から外れるから省略する」としましたが、今回は少し掘り下げて話を整理しておきます。

 まずは、過去にも何度か紹介しましたが、タイの今世紀の政治史を振り返っておきましょう。

2001年2月:「タイ愛国党(
Thai Rak Thai Party=TRT)」のタクシン首相誕生。薬物に対して厳格な取り締まりを開始。2003年よりその流れが加速した

2006年9月19日:軍事クーデターによりタクシンが失脚。タクシンは亡命生活を強いられる。スラユットが暫定首相に就任。スラユットは反タクシン派で無所属

2007年
:5月にタイ愛国党が解散命令を受け、タクシン派の大多数が「人民の力党(People Power Party)」に加わり、この党が事実上タクシン派の政党となった。12月に総選挙がおこなわれ人民の力党が勝利した

2008年1月:人民の力党のサマックが首相に就任。タクシン派が政権を奪回した

2008年9月:サマックが首相を退陣。テレビの料理番組に出演し報酬を受け取ったことが憲法違反とされたため。サマックに代わって
人民の力党のソムチャイが首相に就任しタクシン派による政権が継続された。尚、ソムチャイはタクシンの義弟(タクシンの妹の夫でインラックの姉の夫)

2008年11月:「反タクシン派の民主市民連合(PAD)」(いわゆる「黄シャツ」)がデモを起こし、スワンナプーム空港及びドンムアン空港が占拠された。数十万人が足止めをくらったと言われている

2008年12月:2007年12月の総選挙で不正があったとの理由で憲法裁判所が
人民の力党の解散を命じた。「黄シャツ」が支持する「民主党(Democrat Party)」のアピシットが首相に任命された。人民の力党を解散させられたタクシン派は「タイ貢献党(Pheu Thai Party)」を結成した

2010年4月10日:「黄シャツ」及びアピシットに反対するタクシン派の「赤シャツ」によるデモが次第に大きくなり、軍が赤シャツを鎮圧した。犠牲となった赤シャツのメンバーは2千人を超えるとする報道も(しかし実際には90人とする意見が多い)

2011年8月:総選挙がおこなわれタイ貢献党が勝利。当然アピシットは退陣し、タクシンの妹のインラックが首相に就任

参考:
「GINAと共に」第62回(2011年8月)インラック政権でタイのHIV事情は変わるか

2014年5月:インラックが首相を解任される。理由は、憲法裁判所が「インラックの人事に違反がある」と判断したから

2014年5月:タイ陸軍がクーデターを実行し、軍による統治体制に入る

2019年:
軍による統治体制終了。2011年以来8年ぶりに総選挙がおこなわれタイ貢献党が最多議席を獲得。しかしタイ貢献党にはかつての勢いがなく、単独では過半数に届かず、他の複数の政党が連立政権を樹立し、タイ貢献党は野党に。連立政権のなかの親軍派の「国民国家の力党(Palang Pracharath Party)」のプラユットが首相に

2023年8月:総選挙がおこなわれ、タイ貢献党はついに最多議席数を獲得できず、議席数は141の第2位にとどまった。151の最多議席を獲得したのは「前進党(Move Forward Party)」。しかし前進党は王室改革を掲げたことで上院の支持を得られず、また前進党単独では与党になれず、タイ貢献党を含む他の合計11党の政党が連立政権を樹立した。連立政権のなかでタイ貢献党が最も議席数の多い党であることから、プラユット首相が退陣し、タイ貢献党のセターが首相に就任した。タクシン派が首相に就任するのはインラック以来の9年ぶり

2024年8月:セターが
憲法裁判所から解職を命じられ退陣した。理由は、過去に禁錮刑を受けた人物(ピチットというタクシン派の人物)を首相府相に任命したことが憲法違反だとされたから。セターに代わってタクシンの二女のペートンターンが首相に就任。ペートンターンももちろんタイ貢献党。しかし単独与党ではなく引き続き合計11の党からなる連立政権

2025年6月15日:ペートンターンがカンボジアの元首相フン・センと電話で話す。そのなかでタイの軍関係者を「反対派」や「敵」とみなすような発言が含まれていた。さらにペートンターンはフン・センのことを「おじさん」と呼んだ

2025年6月18日:
「タイ誇り党(Bhumjaithai Party)」が連立政権から離脱し、報道によると連立政権に所属する議員数は261人へと減少(尚、タイの下院の現在の総議席数は495のため過半数は維持している)

2025年7月1日:ペートンターンが憲法裁判所より職務停止命令を受ける

2025年8月21日:憲法裁判所がペートンターンを召喚

2025年8月29日:憲法裁判所がペートンターンに対し判決を下す予定

 ペートンターンとフン・センとの電話の何が問題だったのかを私見も交えて述べていきましょう。

 二国間の国境を巡っての争いは6月末に深刻化し犠牲者が出たことで世界で報道されましたが、小競り合い程度のものはそれ以前から起こっていて、両国はちょっと気まずい関係になっていました。

 これはよくないと判断したペートンターンはフン・センに非公式な電話をかけました。おそらくペートンターンとしては「あなた(フン・セン)と自分はこれからも仲良しでいましょうね。タイの軍のなかにはちょっとややこしいことを言っている人たちがいるけれど、わたしがちゃんとまとめるから心配しないでね」ということを言いたかったのだと思います。そしてフン・センのことを「おじさん(uncle)」と呼びました。

 これを聞いたとき、私はほとんど反射的に「どのおじさん?」と考えてしまいます。タイ語には日本語でいう「おじ」に3つの単語があるからです。あえてカタカナにすると「ルン」「ナー」「アー」です。父または母の兄は「ルン」、母の弟なら「ナー」、父の弟は「アー」です。ややこしいことに、母の妹も「ナー」、父の弟も「アー」です。タイ人の大家族のなかに入ると、わけがわからなくなってきます。

 話を戻すと、ペートンターンがフン・センを呼んだ「おじさん」はどれかというと、これら3つのいずれでもなく英語の「uncle」です。BBCタイ語版にもそのように書かれています。これはおそらく親しみをこめた呼称です。日本人が血縁関係のない兄貴分を(冗談っぽく)「ブラザー」と呼ぶことがあるのと同じような感覚です。

 ペートンターンのこの電話の内容がタイの軍の関係者の神経を逆撫でし、また国民の信頼を失うのは当然です。タイは愛国心の高い国民性を有しています。領土問題では絶対に譲るつもりはないでしょう。そもそもタイ人はカンボジア人をちょっと「下」にみているところがあります。そして、ほとんどのタイ人は国を守る軍を信頼し、軍がクーデターを起こしたときも軍事政権が続いていたときにも大きな問題は起こらなかったわけです。

 さて、この問題、よく考えると、そもそも「なんで電話の内容が漏れたのだ?」という疑問が出てきます。ペートンターンに黙って漏らしたのは他ならぬフン・センです。この内容が公開されればペートンターンは一気に国民の信頼を失います。まさにそれが目当てでフン・センは情報を漏らした、つまり、フン・センはペートンターンを嫌っているわけです。「おじさん」と親しみを込めて呼ばれても、すでに関係性は崩壊していたのです。

 それはなぜか。フン・センはすでにタクシンを見切っていたからです。フン・センとタクシンは仲が良い時代がありました。実際、タクシンが亡命生活を送っていた頃、当時首相だったフン・セン首相を頻繁に訪問していました。しかし、The Economistによると、フン・センは気が短いらしく、おそらくいつまでたってもカンボジアに経済的な善処をしないタクシンにしびれを切らしたのではないでしょうか。それで娘のペイトンターンとの関係も見切ったのではないか、というのが私の推測です。おそらく「経済的な善処をしないから」だけではなく、複雑な人間関係も絡んでいるのでしょう。

 今後の行方については、本稿執筆時点では「8月29日の裁判所の判断を待つこと」になります。このままタクシン派が勢力を弱めていけば、再び大麻への規制が緩くなる可能性があります。ではどちらがタイにとって、あるいはタイに渡航する人たちにとってはいいのでしょうか。

 これも個人的な意見ですが、私自身はタクシン派が政権を担うべきだと考えています。この意見はタイの知識人のほとんどから拒否されます。タイでは(特にバンコクの富裕層の間では)タクシンは人気がありません。しかし、タイ全体でみればタクシン派はかつての勢いはないとはいえ、依然大勢の国民から支持されているのです。ここでタクシン派の各人が失脚した理由をもう一度振り返ってみましょう。

・タクシン:軍事クーデターによる失脚
・サマック:テレビの料理番組に出演し報酬を受け取ったことが憲法違反とされ失脚
・ソムチャイ:選挙では勝利したのに、その選挙に選挙違反があったとされ、憲法裁判所に党を解散させられ失脚
インラック憲法裁判所に「人事に問題がある」と言われて失脚
セター:憲法裁判所に「人事に問題がある」と言われて失脚

 いずれも「なんでそんなことで失脚?」と思われる理由ばかりです。実はタイに住む日本人の間でもタクシン及びタクシン派は不人気なのですが、私自身としてはタクシンに感謝する人たち(ほとんどがイサーン地方の人たち)と接してきていることもあり、タクシン派を支持したくなります。それに、薬物に対してクリーンな政策をとるタクシン派を応援したいというのが私の意見です。

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第229回(2025年7月) 大麻はもはや「絶対に手を出してはいけない薬物」

 「GINAと共に」で初めて本格的に大麻を取り上げたのは2008年11月の「大麻の危険性とマスコミの責任」で、このときに私が指摘したポイントは次の3つです。

#1 大麻は他の薬物(タバコ、アルコールを含む)と比べて身体的にも精神的にも害は少ない。にもかかわらずメディアの報道は麻薬など他の薬物との区別がいい加減で、そのため大麻も麻薬も同じようなイメージが植え付けられてしまっている

#2 大麻は"本質的には"摂取してはいけないわけではない

#3 だが、実際には摂取すべきでない。理由は2つあって、1つは「ハードドラッグの入り口になるから」、もう1つは「大麻で生活がだらけてしまい生産性が下がるから」

 その後何度か大麻について取り上げ、その都度結論として似たようなことを述べてきました。

 そして2022年6月、タイで大麻が事実上合法化され"歴史"が動きました。タイでは以前から大麻使用を警察に見つかってもよほどのことがなければ見逃されてきましたが、違法は違法でした。それが、2022年6月の合法化で一気に社会が変わりました。街中のいたるところに、大麻ショップが乱立し、大麻カフェが登場し、大麻グミや大麻キャンディなどが出回りました。自動販売機でもオンラインでも誰もが大麻を簡単に買えるようになりました。英紙「TIME」によると、タイ全土で11,000軒もの大麻ショップが誕生しました。

 密輸も増えました。タイから海外へ大麻が違法ルートで流れ出したのです。日本にもタイ産の大麻が流れてきています。つい最近も30代の東京の自称会社員が4.8キロもの大麻をタイから福岡空港に運んだことで逮捕されました。

 この事件が報道されたのは量が極端に多いからであって、少量での逮捕はニュースになりません。しかも発覚するのはごくわずかな例だけです。サランラップに包んだ大麻をコンドームに入れて、それを数個飲みこんでそのまま搭乗して帰国後に大便から取り出す方法はかなり普及していますが、少量であればまず見つかりません。

 以前、タイで知り合ったある日本人ジャンキーは、関西空港で怪しまれてレントゲンまで撮られたものの「異常なし」と判断されたと言っていました。たしかに、サランラップもコンドームも、もちろん大麻もレントゲンにうつりませんから、コンドームが詰まって腸閉塞でも起こさない限りは見つからないのです。大麻には独特の臭いがありますが、コンドームに包まれた大麻が腸内に留まっている限り、いくら優秀な薬物検知犬でも感知することはできません。

 かくしてタイから日本への大麻持ち込みは今日も各空港で見逃されているわけです。もちろんタイの大麻が流れてくるのは日本だけではなく、世界各国に"流通"しているはずです。

 2025年6月25日、タイ政府が重大な発表をしました。前々日に保健相のSomsak Thepsutin氏が、大麻を規制対象薬物に再分類し大麻の販売には処方箋が必要になることを命じる命令に署名し、それをタイ王室官報(Thai Royal Gazette )で発表したのです。

 上述の「TIME」によると、Somsak保健相はその先を計画しています。大麻をカテゴリー5の麻薬に再分類し、2022年6月以前のように大麻の「犯罪化」を見据えているのです。

 この話、ちょっと政治的な臭いがします。Somsak保健相が署名するちょうど1週間前、連立与党の1つであった「タイ誇り党(Bhumjaithai党)」が連立政権から離脱しました。BBCによると、この原因はペートンターン首相とカンボジアのフン・セン前首相との電話会談の音声が流出したことにあります(この詳細は本コラムの趣旨から外れますから省略します)。尚、「ぺートンターン」は日本のいくつかのメディアでは「パトンターン」とされているようですが、タイ語をそのまま発音すれば「ペー」がより適切です。ちなみに、ペートンターンは姓ではなくファーストネームです。首相の名前がファーストネームで呼ばれるのは不自然な気もしますが、先述の保健相の「Somsak」も、ペートンターン氏の父親の元首相の「タクシン」もファーストネームです。

 話を戻しましょう。連立政権から離れたタイ誇り党の党首が
アヌティン・チャーンウィーラクーン(Anutin Charnvirakul)氏で、2022年6月には保健相を務めていました。つまり、大麻を事実上合法化したのがアヌティン氏なのです。そのAnutin氏が政権から抜けたことでペートンターン首相とSomsak保健相は「大麻違法化」に踏み切ったのではないかと私はみています。そもそもタイで薬物の取り締まりを厳しくしたのはタクシン元首相であり、過去のコラム「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」でも述べたように、薬物所持の冤罪で数千人が射殺されたのです。アヌティン氏率いるタイ誇り党が連立政権から抜けたことで、与党の薬物への政策は厳しくなるはずです。そして実際、その1週間後にはSomsak保健相が上述の発表をしたのです。

 ではこれからもタイでは薬物に厳しい政策が取られるのかというと、ちょっと未知なところがあります。現在連立政権が不安定になってきているからです。若くて美しいペートンターン首相は大変人気があって、実際、私のタイ人の知人にも支持する人が少なくありません(特にイサーン地方の人たち)。しかし、かつてのタクシン政権の頃と比べれば勢いがなく、上述のフン・セン前首相との電話会談に対する世論の反発が大きくなれば政権が崩れるかもしれません。そうなると、違法に戻った大麻が再び合法化、となる可能性が浮上します。

 しかし、過去のコラム「大麻に手を出してはいけない『3つ目の理由』」で述べたように、現在流通している大麻は「古き良き時代の大麻」ではありません。もはやまったく別の危険ドラッグと考えるべきです。

 2019年に医学誌「Lancet」に掲載された報告によると、南ロンドンでは初めて精神病を発症する症例の30.3%が大麻が原因です。アムステルダムではなんと50.3%と過半数を超えています。また、英紙The Telepraphによると、英国における大麻誘発性精神病の発症率は1960年代と比べて3倍に増加しています。この増加の75%はスカンク(強烈な臭いのするTHC含有量が高い大麻の種類)によるもので、現在の大麻の英国市場の94%を占めています。

 欧州から遠く離れた日本にいると、大麻は欧州全域で嗜まれているような印象がありますが、大麻消費量が最も多い都市はロンドンとアムステルダムだそうです(ただしロンドンでは一応違法です)。そして、上述のThe Telegraphによると、これらの都市における精神疾患罹患率は他の地域と比べて最大5倍です。大麻起因の精神疾患は暴力をもたらせ、殺人に至る精神疾患罹患者の90%はアルコールか大麻を使用しています。2024年7月、アイルランド在住の51歳の男性が妻を刺して絞殺しました。彼は長年大麻を吸っており「神からの使命を受けた」と語っています。

 英国には薬物依存に取り組む組織UKAT(=UK Advising and Tutoring)があり、複数のクリニックを有しています。The Telegraphによると、2024年に大麻依存症でUKATのクリニックに入院した患者は1,032人に上り、これは2019年から20%の増加です。大麻依存症に罹患すると、幻聴に悩まされ、妄想、現実感の喪失などが生じ、自分自身や大切な人の命を奪うことにもなりかねません。

 現在入手できる大麻は本サイトで2000年代に取り上げていた牧歌的なものとはまったく異なる物質です。「絶対に手を出してはいけない薬物」へと変わってしまったのです。

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