GINAと共に

第230回(2025年8月) タイの大麻の最新事情と政権の行方

 前回のコラムで、タイでは「2025年6月25日から大麻が違法に戻った」話をしました。2022年6月に、突如合法化され、誰もが気軽に購入できるようになった大麻が、3年後に元の違法な状態に戻ったのです。しかし、そうは言ってもタイでは2022年6月に合法化される前から、大量の売買をしたりしない限りは、つまり個人使用の程度であれば、警察に見つかってもよほど運が悪くなければ逮捕されることはほとんどありませんでした(警察にいくらかの賄賂は必要だったかもしれませんが)。

 では、いったん合法化され、その後違法となった現在はどのような状況なのでしょうか。それを確認しようと(それだけが目的ではありませんが)、先日バンコクに行ってきました。バンコクで外国人が大麻を最も簡単に購入できるところ、と言えば、やはり今でもカオサンロードでしょう。というわけで、今回はそのレポート、さらにタイの大麻の規制を予想するときには必ず考えなければならない政権の行方についても触れたいと思います。

 2023年の夏、久々にタイに到着して驚いたのはなんといっても大麻ショップの多さでした。カオサンロードどころか、アソークやシーロムといったオフィス街、金融街にも大麻ショップが乱立していたのです。スクンビットには大麻入りシェイクやグミを販売するカフェやショップがひしめき合っていました。ここまでくると大麻を摂取しないことの方が不自然なのかなとさえ思えてきます。タイ全土に誕生した大麻ショップは11,000軒にも上ります。

 圧巻だったのはやはりカオサンロードでした。まず、メインストリートにたどり着くまでに複数の大麻の「屋台」が登場していました。屋台に並べられた大麻を指さし、店番の中年女性に冗談で「ローン・ダイ・マイ(試していい)?」と尋ねると、「ダーイ(もちろんいいよ!)」と言われ、実際に火をつけようとするのです。もちろんすぐに断りましたが、この敷居の低さには驚きました。カオサンロードのメインストリートには大麻関連のショップが数十軒はありました。そのなかに入っている店舗がすべて大麻関連という"大麻ビル"すらありました。

 さて、再び大麻が違法になった2025年8月のタイではこれらの大麻ショップはどのように変わったのでしょうか。予想通り、オフィス街の大麻ショップはほとんどが消えていました。なかには店構えがそのままで通常のカフェとして営業しているところもありました。

 カオサンロードでも同じような感じでした。2年前に並んでいた大麻の屋台は消え去り、派手な看板を出していた大麻ショップは大半が閉店していました。上述の"大麻ビル"には入口に鎖がかけられていて立ち入り禁止の状態でした。しかし、電気がついているショップが奥に見えます。こっそりと営業を続けているのかもしれません。そこでビルに入ろうとして鎖をくぐりかけたとき、ちょっとややこしそうな男性が突然現れ制止されました。写真を撮ろうとしていた様子がバレたようです。「これはマズい......」と本能的に察した私は英語しかできないふりをして(こういうときに上手く逃げられるのはタイ語でも日本語でもなく英語です)、足早に立ち去りました。

 そこから20メートルほど離れた場所に1軒の大麻ショップがありました。もう営業はしていないのかなと思われたのですが、看板が出ていてそこには「EVERYTHING YOU SHOULD KNOW  CANNABIES LAW UPDATE(大麻の法律の最新情報 あたなが知るべきすべて)」というタイトルの案内が貼られていました。そこに書かれていたことをまとめると次のようになります。

・タイでは2025年6月25日から大麻に関する政府の方針が変更された
・しかし大麻は麻薬と同じ扱いではない
・これからも医師の処方せんがあれば大麻を販売することはできる
・現時点ではこれまでと同じように処方せんなしでも販売できる。しかしいずれ処方箋が必要になる

 最後の「現時点では販売できる」としているところが、なんともタイらしいというか、本当は違法なのでしょうが、こっそりと、特に外国人に対して(案内文は英語ですから)販売しているのでしょう。しかし、私が訪れたときには店内には入れませんでしたから、実際に購入するにはなんらかのコネがいるのかもしれません。

 さて、今後のタイの大麻の行方について。冒頭で述べたように、政局の行方に左右されるのは間違いありません。前回、ペートンターン首相の「電話問題」で連立与党の勢力が弱まったことで大麻の非合法化が続くかどうは不透明ということを述べました。この点について、前回は「本コラムの趣旨から外れるから省略する」としましたが、今回は少し掘り下げて話を整理しておきます。

 まずは、過去にも何度か紹介しましたが、タイの今世紀の政治史を振り返っておきましょう。

2001年2月:「タイ愛国党(
Thai Rak Thai Party=TRT)」のタクシン首相誕生。薬物に対して厳格な取り締まりを開始。2003年よりその流れが加速した

2006年9月19日:軍事クーデターによりタクシンが失脚。タクシンは亡命生活を強いられる。スラユットが暫定首相に就任。スラユットは反タクシン派で無所属

2007年
:5月にタイ愛国党が解散命令を受け、タクシン派の大多数が「人民の力党(People Power Party)」に加わり、この党が事実上タクシン派の政党となった。12月に総選挙がおこなわれ人民の力党が勝利した

2008年1月:人民の力党のサマックが首相に就任。タクシン派が政権を奪回した

2008年9月:サマックが首相を退陣。テレビの料理番組に出演し報酬を受け取ったことが憲法違反とされたため。サマックに代わって
人民の力党のソムチャイが首相に就任しタクシン派による政権が継続された。尚、ソムチャイはタクシンの義弟(タクシンの妹の夫でインラックの姉の夫)

2008年11月:「反タクシン派の民主市民連合(PAD)」(いわゆる「黄シャツ」)がデモを起こし、スワンナプーム空港及びドンムアン空港が占拠された。数十万人が足止めをくらったと言われている

2008年12月:2007年12月の総選挙で不正があったとの理由で憲法裁判所が
人民の力党の解散を命じた。「黄シャツ」が支持する「民主党(Democrat Party)」のアピシットが首相に任命された。人民の力党を解散させられたタクシン派は「タイ貢献党(Pheu Thai Party)」を結成した

2010年4月10日:「黄シャツ」及びアピシットに反対するタクシン派の「赤シャツ」によるデモが次第に大きくなり、軍が赤シャツを鎮圧した。犠牲となった赤シャツのメンバーは2千人を超えるとする報道も(しかし実際には90人とする意見が多い)

2011年8月:総選挙がおこなわれタイ貢献党が勝利。当然アピシットは退陣し、タクシンの妹のインラックが首相に就任

参考:
「GINAと共に」第62回(2011年8月)インラック政権でタイのHIV事情は変わるか

2014年5月:インラックが首相を解任される。理由は、憲法裁判所が「インラックの人事に違反がある」と判断したから

2014年5月:タイ陸軍がクーデターを実行し、軍による統治体制に入る

2019年:
軍による統治体制終了。2011年以来8年ぶりに総選挙がおこなわれタイ貢献党が最多議席を獲得。しかしタイ貢献党にはかつての勢いがなく、単独では過半数に届かず、他の複数の政党が連立政権を樹立し、タイ貢献党は野党に。連立政権のなかの親軍派の「国民国家の力党(Palang Pracharath Party)」のプラユットが首相に

2023年8月:総選挙がおこなわれ、タイ貢献党はついに最多議席数を獲得できず、議席数は141の第2位にとどまった。151の最多議席を獲得したのは「前進党(Move Forward Party)」。しかし前進党は王室改革を掲げたことで上院の支持を得られず、また前進党単独では与党になれず、タイ貢献党を含む他の合計11党の政党が連立政権を樹立した。連立政権のなかでタイ貢献党が最も議席数の多い党であることから、プラユット首相が退陣し、タイ貢献党のセターが首相に就任した。タクシン派が首相に就任するのはインラック以来の9年ぶり

2024年8月:セターが
憲法裁判所から解職を命じられ退陣した。理由は、過去に禁錮刑を受けた人物(ピチットというタクシン派の人物)を首相府相に任命したことが憲法違反だとされたから。セターに代わってタクシンの二女のペートンターンが首相に就任。ペートンターンももちろんタイ貢献党。しかし単独与党ではなく引き続き合計11の党からなる連立政権

2025年6月15日:ペートンターンがカンボジアの元首相フン・センと電話で話す。そのなかでタイの軍関係者を「反対派」や「敵」とみなすような発言が含まれていた。さらにペートンターンはフン・センのことを「おじさん」と呼んだ

2025年6月18日:
「タイ誇り党(Bhumjaithai Party)」が連立政権から離脱し、報道によると連立政権に所属する議員数は261人へと減少(尚、タイの下院の現在の総議席数は495のため過半数は維持している)

2025年7月1日:ペートンターンが憲法裁判所より職務停止命令を受ける

2025年8月21日:憲法裁判所がペートンターンを召喚

2025年8月29日:憲法裁判所がペートンターンに対し判決を下す予定

 ペートンターンとフン・センとの電話の何が問題だったのかを私見も交えて述べていきましょう。

 二国間の国境を巡っての争いは6月末に深刻化し犠牲者が出たことで世界で報道されましたが、小競り合い程度のものはそれ以前から起こっていて、両国はちょっと気まずい関係になっていました。

 これはよくないと判断したペートンターンはフン・センに非公式な電話をかけました。おそらくペートンターンとしては「あなた(フン・セン)と自分はこれからも仲良しでいましょうね。タイの軍のなかにはちょっとややこしいことを言っている人たちがいるけれど、わたしがちゃんとまとめるから心配しないでね」ということを言いたかったのだと思います。そしてフン・センのことを「おじさん(uncle)」と呼びました。

 これを聞いたとき、私はほとんど反射的に「どのおじさん?」と考えてしまいます。タイ語には日本語でいう「おじ」に3つの単語があるからです。あえてカタカナにすると「ルン」「ナー」「アー」です。父または母の兄は「ルン」、母の弟なら「ナー」、父の弟は「アー」です。ややこしいことに、母の妹も「ナー」、父の弟も「アー」です。タイ人の大家族のなかに入ると、わけがわからなくなってきます。

 話を戻すと、ペートンターンがフン・センを呼んだ「おじさん」はどれかというと、これら3つのいずれでもなく英語の「uncle」です。BBCタイ語版にもそのように書かれています。これはおそらく親しみをこめた呼称です。日本人が血縁関係のない兄貴分を(冗談っぽく)「ブラザー」と呼ぶことがあるのと同じような感覚です。

 ペートンターンのこの電話の内容がタイの軍の関係者の神経を逆撫でし、また国民の信頼を失うのは当然です。タイは愛国心の高い国民性を有しています。領土問題では絶対に譲るつもりはないでしょう。そもそもタイ人はカンボジア人をちょっと「下」にみているところがあります。そして、ほとんどのタイ人は国を守る軍を信頼し、軍がクーデターを起こしたときも軍事政権が続いていたときにも大きな問題は起こらなかったわけです。

 さて、この問題、よく考えると、そもそも「なんで電話の内容が漏れたのだ?」という疑問が出てきます。ペートンターンに黙って漏らしたのは他ならぬフン・センです。この内容が公開されればペートンターンは一気に国民の信頼を失います。まさにそれが目当てでフン・センは情報を漏らした、つまり、フン・センはペートンターンを嫌っているわけです。「おじさん」と親しみを込めて呼ばれても、すでに関係性は崩壊していたのです。

 それはなぜか。フン・センはすでにタクシンを見切っていたからです。フン・センとタクシンは仲が良い時代がありました。実際、タクシンが亡命生活を送っていた頃、当時首相だったフン・セン首相を頻繁に訪問していました。しかし、The Economistによると、フン・センは気が短いらしく、おそらくいつまでたってもカンボジアに経済的な善処をしないタクシンにしびれを切らしたのではないでしょうか。それで娘のペイトンターンとの関係も見切ったのではないか、というのが私の推測です。おそらく「経済的な善処をしないから」だけではなく、複雑な人間関係も絡んでいるのでしょう。

 今後の行方については、本稿執筆時点では「8月29日の裁判所の判断を待つこと」になります。このままタクシン派が勢力を弱めていけば、再び大麻への規制が緩くなる可能性があります。ではどちらがタイにとって、あるいはタイに渡航する人たちにとってはいいのでしょうか。

 これも個人的な意見ですが、私自身はタクシン派が政権を担うべきだと考えています。この意見はタイの知識人のほとんどから拒否されます。タイでは(特にバンコクの富裕層の間では)タクシンは人気がありません。しかし、タイ全体でみればタクシン派はかつての勢いはないとはいえ、依然大勢の国民から支持されているのです。ここでタクシン派の各人が失脚した理由をもう一度振り返ってみましょう。

・タクシン:軍事クーデターによる失脚
・サマック:テレビの料理番組に出演し報酬を受け取ったことが憲法違反とされ失脚
・ソムチャイ:選挙では勝利したのに、その選挙に選挙違反があったとされ、憲法裁判所に党を解散させられ失脚
インラック憲法裁判所に「人事に問題がある」と言われて失脚
セター:憲法裁判所に「人事に問題がある」と言われて失脚

 いずれも「なんでそんなことで失脚?」と思われる理由ばかりです。実はタイに住む日本人の間でもタクシン及びタクシン派は不人気なのですが、私自身としてはタクシンに感謝する人たち(ほとんどがイサーン地方の人たち)と接してきていることもあり、タクシン派を支持したくなります。それに、薬物に対してクリーンな政策をとるタクシン派を応援したいというのが私の意見です。

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第229回(2025年7月) 大麻はもはや「絶対に手を出してはいけない薬物」

 「GINAと共に」で初めて本格的に大麻を取り上げたのは2008年11月の「大麻の危険性とマスコミの責任」で、このときに私が指摘したポイントは次の3つです。

#1 大麻は他の薬物(タバコ、アルコールを含む)と比べて身体的にも精神的にも害は少ない。にもかかわらずメディアの報道は麻薬など他の薬物との区別がいい加減で、そのため大麻も麻薬も同じようなイメージが植え付けられてしまっている

#2 大麻は"本質的には"摂取してはいけないわけではない

#3 だが、実際には摂取すべきでない。理由は2つあって、1つは「ハードドラッグの入り口になるから」、もう1つは「大麻で生活がだらけてしまい生産性が下がるから」

 その後何度か大麻について取り上げ、その都度結論として似たようなことを述べてきました。

 そして2022年6月、タイで大麻が事実上合法化され"歴史"が動きました。タイでは以前から大麻使用を警察に見つかってもよほどのことがなければ見逃されてきましたが、違法は違法でした。それが、2022年6月の合法化で一気に社会が変わりました。街中のいたるところに、大麻ショップが乱立し、大麻カフェが登場し、大麻グミや大麻キャンディなどが出回りました。自動販売機でもオンラインでも誰もが大麻を簡単に買えるようになりました。英紙「TIME」によると、タイ全土で11,000軒もの大麻ショップが誕生しました。

 密輸も増えました。タイから海外へ大麻が違法ルートで流れ出したのです。日本にもタイ産の大麻が流れてきています。つい最近も30代の東京の自称会社員が4.8キロもの大麻をタイから福岡空港に運んだことで逮捕されました。

 この事件が報道されたのは量が極端に多いからであって、少量での逮捕はニュースになりません。しかも発覚するのはごくわずかな例だけです。サランラップに包んだ大麻をコンドームに入れて、それを数個飲みこんでそのまま搭乗して帰国後に大便から取り出す方法はかなり普及していますが、少量であればまず見つかりません。

 以前、タイで知り合ったある日本人ジャンキーは、関西空港で怪しまれてレントゲンまで撮られたものの「異常なし」と判断されたと言っていました。たしかに、サランラップもコンドームも、もちろん大麻もレントゲンにうつりませんから、コンドームが詰まって腸閉塞でも起こさない限りは見つからないのです。大麻には独特の臭いがありますが、コンドームに包まれた大麻が腸内に留まっている限り、いくら優秀な薬物検知犬でも感知することはできません。

 かくしてタイから日本への大麻持ち込みは今日も各空港で見逃されているわけです。もちろんタイの大麻が流れてくるのは日本だけではなく、世界各国に"流通"しているはずです。

 2025年6月25日、タイ政府が重大な発表をしました。前々日に保健相のSomsak Thepsutin氏が、大麻を規制対象薬物に再分類し大麻の販売には処方箋が必要になることを命じる命令に署名し、それをタイ王室官報(Thai Royal Gazette )で発表したのです。

 上述の「TIME」によると、Somsak保健相はその先を計画しています。大麻をカテゴリー5の麻薬に再分類し、2022年6月以前のように大麻の「犯罪化」を見据えているのです。

 この話、ちょっと政治的な臭いがします。Somsak保健相が署名するちょうど1週間前、連立与党の1つであったBhumjaithai党が連立政権から離脱しました。BBCによると、この原因はペートンターン首相とカンボジアのフン・セン前首相との電話会談の音声が流出したことにあります(この詳細は本コラムの趣旨から外れますから省略します)。尚、「ぺートンターン」は日本のいくつかのメディアでは「パトンターン」とされているようですが、タイ語をそのまま発音すれば「ペー」がより適切です。ちなみに、ペートンターンは姓ではなくファーストネームです。首相の名前がファーストネームで呼ばれるのは不自然な気もしますが、先述の保健相の「Somsak」も、ペートンターン氏の父親の元首相の「タクシン」もファーストネームです。

 話を戻しましょう。連立政権から離れたBhumjaithai党の党首がAnutin氏で、2022年6月には保健相を務めていました。つまり、大麻を事実上合法化したのがAnutin氏なのです。そのAnutin氏が政権から抜けたことでペートンターン首相とSomsak保健相は「大麻違法化」に踏み切ったのではないかと私はみています。そもそもタイで薬物の取り締まりを厳しくしたのはタクシン元首相であり、過去のコラム「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」でも述べたように、薬物所持の冤罪で数千人が射殺されたのです。Anutin氏率いるBhumjaithai党が連立政権から抜けたことで、与党の薬物への政策は厳しくなるはずです。そして実際、その1週間後にはSomsak保健相が上述の発表をしたのです。

 ではこれからもタイでは薬物に厳しい政策が取られるのかというと、ちょっと未知なところがあります。現在連立政権が不安定になってきているからです。若くて美しいペートンターン首相は大変人気があって、実際、私のタイ人の知人にも支持する人が少なくありません(特にイサーン地方の人たち)。しかし、かつてのタクシン政権の頃と比べれば勢いがなく、上述のフン・セン前首相との電話会談に対する世論の反発が大きくなれば政権が崩れるかもしれません。そうなると、違法に戻った大麻が再び合法化、となる可能性が浮上します。

 しかし、過去のコラム「大麻に手を出してはいけない『3つ目の理由』」で述べたように、現在流通している大麻は「古き良き時代の大麻」ではありません。もはやまったく別の危険ドラッグと考えるべきです。

 2019年に医学誌「Lancet」に掲載された報告によると、南ロンドンでは初めて精神病を発症する症例の30.3%が大麻が原因です。アムステルダムではなんと50.3%と過半数を超えています。また、英紙The Telepraphによると、英国における大麻誘発性精神病の発症率は1960年代と比べて3倍に増加しています。この増加の75%はスカンク(強烈な臭いのするTHC含有量が高い大麻の種類)によるもので、現在の大麻の英国市場の94%を占めています。

 欧州から遠く離れた日本にいると、大麻は欧州全域で嗜まれているような印象がありますが、大麻消費量が最も多い都市はロンドンとアムステルダムだそうです(ただしロンドンでは一応違法です)。そして、上述のThe Telegraphによると、これらの都市における精神疾患罹患率は他の地域と比べて最大5倍です。大麻起因の精神疾患は暴力をもたらせ、殺人に至る精神疾患罹患者の90%はアルコールか大麻を使用しています。2024年7月、アイルランド在住の51歳の男性が妻を刺して絞殺しました。彼は長年大麻を吸っており「神からの使命を受けた」と語っています。

 英国には薬物依存に取り組む組織UKAT(=UK Advising and Tutoring)があり、複数のクリニックを有しています。The Telegraphによると、2024年に大麻依存症でUKATのクリニックに入院した患者は1,032人に上り、これは2019年から20%の増加です。大麻依存症に罹患すると、幻聴に悩まされ、妄想、現実感の喪失などが生じ、自分自身や大切な人の命を奪うことにもなりかねません。

 現在入手できる大麻は本サイトで2000年代に取り上げていた牧歌的なものとはまったく異なる物質です。「絶対に手を出してはいけない薬物」へと変わってしまったのです。

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第228回(2025年6月) 共感(エンパシー/empathy)してはいけないのか

 エンパシー(empathy)とシンパシー(sympathy)の違いがよく分かりません。私は過去に、英語に詳しい人(英語オタクの人)や語句にこだわる人(メディア関係の人など)に尋ねてみたことがあるのですが、きちんとした答えが返ってきたことはなく、今もこの区別がよく分かりません。英語がnativeの外国人にも何度か聞いてみたことがありますが、やはり「人によって言うことが異なる」あるいは「きちんと自信をもって区別を明言する人はいなかった」のです。

 私自身は2007年のコラム(「シンパシーとエンパシー」)で、「エンパシーは患者さんに共感すること」「シンパシーは患者さんに貢献したいと感じる思いを(同志と)共感すること」と自分なりの定義を紹介しました。しかし、この分類に自信があるわけではなく、どうやら間違っていたようです。

 ネット上の辞書「Dictionay.com」をみてみると、私の考えとは正反対のようなことが書かれています。この辞書によると、シンパシーは「不幸に見舞われている人への同情、哀れみ、悲しみの気持ちを伝えるために使われる」のに対し、エンパシーは「自分が他人の立場に立って想像し、その人の感情、考え、意見を経験する能力や能力を指すために使われる」とされています。何度読んでも分かりにくいのですが、シンパシーの方が「不幸に見舞われている人(場合によっては患者さん)に同情する」というニュアンスが強そうです。

 もう少し分かりやすい説明はないかと調べていると、医学生用のポータルサイト「The Medic Portal」に興味深いページがありました。同サイトによると「医療者が持つべきはエンパシーであって、シンパシーは持ってはいけない」ようです。つまり、エンパシーは「困っている人や患者さんの気持ちを理性的に理解すること」なのに対し、シンパシーは「個人的な視点から表面的な同情をすること」です。例えば「長年の喫煙から肺がんを発症した患者より、不当に苦しんでいる若者に思い入れすること」はシンパシーに該当するようです。

 2007年のコラムで述べたように私がタイのエイズ施設で感じたのはシンパシーではなくエンパシーのつもり、でした。「The Medic Portal」によれば、それで正しかったようですが、シンパシーとして私が抱いていた概念はまるで違っていました。そこで、ChatGPTに「(私が2007年のコラムに書いたような)同志に感じる共通の思いのようなものは英語で何と言いますか」と尋ねると、「solidarityではないですか」と返答されました。しかしsolidarityというと、「労働組合などで一致団結する」が私のイメージです。どうも私が2007年に抱いたシンパシーのイメージは英語に適した表現がなさそうです。

 随分前置きが長くなりましたが本題はここからです。米国のトランプ二次政権の初期のキーパーソンだった実業家のイーロン・マスク氏が先日「エンパシーはマイナスにしかならない」という発言をして物議を醸しました。CNNはこの出来事を「イーロン・マスクは西洋文明をエンパシーから救いたい(Elon Musk wants to save Western civilization from )」というタイトルで報じています。マスク氏は「リベラルが移民に寛容なのはエンパシーのせいだ」とし、「エンパシーが社会を破壊している」と自論を展開しています。

 ほとんどの日本人はマスク氏のこの発言に同意できないと思いますが、実はこのテーマ、哲学的には深い意味があります。これをうまくまとめているのが米紙The Conversationの記事「エンパシーは負担となることもあるが、強みとして捉えるべきであることを2人の哲学者が説明(Empathy can take a toll ? but 2 philosophers explain why we should see it as a strength )」です。

 タイトル通り、エンパシーを「強み(いいもの)」と捉える2人の哲学者の説が解説されているのですが、記事の前半にはエンパシーを「弱み(悪いもの)」と考える二人の哲学者の話がでてきますので先にそちらを紹介しましょう。

 ひとりめはストア派哲学者のエピクテトスです。彼は『語録(Discourses)』の中で、「他人を気の毒に思ったり、同情したりすることは、私たちの自由を侵害する。こうした否定的な感情は不快であり、(中略)、良き人生を送ることを妨げるのだ」として「エンパシーは持つべきでない」というようなことを述べています。

 もうひとりはニーチェです。The Conversationによると、ニーチェは「Mitleid」という「憐れみ」や「慈悲」という意味のドイツ語を用いて、これらが個人の重荷となり善き人生を送ることを妨げるとしました。著書『曙光』(注1)で、「そのような感情が、他者を助けようとする人々自身をも蝕む可能性がある」と警告しています。
 
 哲学者の言いたいことはいつもよく分からないのですが、少しでも理解するにはやや強引にでも短絡化してしまうのが得策です(20代前半にいったん哲学に挫折した私はその後そのように考えるようになりました)。私なりに解釈すれば、エピクテトスもニーチェも「不幸な人たちに深く関わりすぎると自分までもが不幸になる」と言っています。私自身は彼らの意見を支持しませんが、こういった考えに説得力がないわけではありません。例えば「共感疲労(empathy fatigue)」という現象があります。医療者に多い燃え尽き症候群は共感疲労が一因とする論文もあります。

 では、The Conversationが紹介している「エンパシーを肯定的に捉える二人の哲学者」を紹介しましょう。ひとりはオーストラリアのフランク・ジャクソンです。ジャクソンは「メアリーが知らなかったもの(What Mary Didn't Know)」という論文で有名です。メアリーという架空の学者は生まれてからずっと白黒で色のない部屋で過ごし赤色の研究を続けています。白黒の部屋から出たことがありませんから実際に赤色がどのようなものかを経験したことはありません。メアリーが白黒の部屋で懸命に赤色の研究を続けたとして赤色を理解することはできるでしょうか、という思考実験です。答えはもちろん「いくら赤色の研究を続けようが赤色を理解できることはない」です。

 The Conversationが「エンパシーを重要視している」とみているもうひとりの哲学者はバートランド・ラッセルです。ラッセルは当初ヘーゲルの形而上学に傾倒していましたが、その後考えを変え、いわゆる「経験主義」に移行し、「経験は事実の知識に還元できない特別な種類の知識をもたらす」と主張するようになりました。見ること、聞くこと、味わうこと、触れることなどが、単なる知識よりも(形而上学的な知識よりも)重要だという考えに至ったのです。

 フランク・ジャクソンとバートランド・ラッセルを「エンパシーを擁護する二人の哲学者」と呼ぶのはThe Conversationのちょっと強引な飛躍という気がしないでもないですが、「困窮している人を助けなければならない」という前提に立つのなら、イーロン・マスク氏の言説には同意できません。マスク氏の主張を端的に表せば「白人の米国人以外は放っておけ」となるからです。しかし、米国にはマスク氏に共感(これもエンパシー?)する人たちも少なくありません。

 そして、そのような米国人が大勢いることは不思議ではなく、それが一部の人たちの自然な姿なのでしょう。私は以前、タイのエイズ施設で困窮している人たちをみて「なぜこの人たちに共感して全力で支援しようとする人たちばかりでないのか」を不思議に思ったことがあります。私自身は「こんな現実を放っておけない。生涯にわたって支援しなければ......」と考え、そして実際それから20年以上に渡り支援を続けているわけです。以前は寄付すらしない人を「冷たい人」と感じたことがありましたが、今ではそんなことはまったく思わなくなりました。

 谷口医院では「他のどこでも話したことがない苦痛」を診察室で話す人が少なくありません。あるとき、他の医師とこのような話題になったとき、その医師(外科医)は「自分ならそんな話は1分たりとも聞きたくない」と言いました。そのときに、失礼ながら私はその医師を「あんたはサイコパスか」と心のなかで毒づきましたが、今ではそのような医師がいてもおかしくない(どころか、彼はとても優秀な外科医です)と分かるようになりました。

 米国にはマスク氏を支持する人もしない人もいます。診察室で患者さんの苦痛を聞くことを当然だと考える医師もいれば煩わしく感じる医師もいます。困窮する患者に感情移入しすぎて共感疲労を起こし燃え尽きる看護師もいます。誰が正しくて誰が間違っているという話ではありません。

 そういえば私は医学生の頃、ある"病"に悩まされていました。臨床実習で各科を回っていたとき、その臓器の"病"が起こっていたのです。消化器科の実習中には下痢に悩まされ、脳外科のときは頭痛が消えず、皮膚科実習のときは始終痒かったのです。「これはまずいな......」と感じ、「患者さんから話を聞くときに同情しすぎるのはよくない」と考えたことがありました。今思えばこの頃の私が感じていたのがエンパシーではなくシンパシーだったのかもしれません。

 しかし結局、私の診療スタイルは昔から本質的には変わっておらず、よく言われる「オンオフの切り替え」などもできず、常に患者さんのことを考えているような気がします。それは「令和の時代の医師の姿ではない」と批判されるでしょうが、現在56歳の私がこれから診療方針を変えることはできません。シンパシーとの違いは結局よく分からないままですが、私にはエンパシーが行動の源になっていることは間違いなさそうで、それは今後も続くでしょう。

    ************

注1:The Conversationの記事では著書『Daybreak』とされていましたが、こんなニーチェの著書名は聞いたことがありません。そこでChatGPTに「Daybreak(夜明け)を表すドイツ語を複数挙げてください」と聞くと、そのなかのひとつに「Morgenrote」がありました。これは『曙光』の原タイトルです。

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第227回(2025年5月) HIVの検査、「市販のセルフ検査」登場が望まれる

 HIV抗体検査(HIV陽性者がウイルス量を調べるための検査ではなく、診断がついていない人が感染したかどうかを知るための検査)に私が初めて"関わった"のは1990年、22歳の頃で「自分自身が感染しているかもしれない」と考えたからで、このときの"貴重な"経験は2007年のコラム「HIV検査でわかる生命の尊さ」で述べました。

 当時は検査時のカウンセリングなんてものは確立しておらず、区の保健所で対応した保健師(?)は単に採血するだけ、結果が出るのに1週間もかかりました。「1週間も待たされる」ことに耐えるのが辛く、当時はまさかその12年後に自分が医師になるなどとは微塵も思っていなかったわけですが、医師になったときには「あのときの1週間は長すぎた。できればその日に結果を伝えるべきだ」と考えるようになりました。

 しかし、保健所の検査は行政が費用を負担するため原則無料で受けられるという大きなメリットがあります。ですから、2007年に谷口医院をオープンする頃にもHIVの検査を希望する患者さんには「保健所に行けば無料ですよ」と伝えていました。しかし、1990年の私が感じたように「1週間も待てない」という声は非常に多く、「ならば有料になってしまうけれどもクリニックで検査をすればいい」と考えるようになりました。また、私が谷口医院を開院する前に師と仰いでいた故・大国剛先生も、当時「大国診療所」でいわゆる「即日検査」を実施されていたこともあって、谷口医院でもHIVの即日検査を承ることにしました。

 その後、保健所のなかには谷口医院のように「即日検査」を実施するところがでてきました。こうなればわざわざ高いお金を払うのではなく保健所で検査を受けるべきです。ところが、保健所に対しては「開いている時間が限られている」「他の性感染症に対応できない」「スタッフの知識が乏しい」「保健所の態度が悪い」といった声が多数ありました。保健所の担当者との相性の問題は避けられないのかもしれませんが、「保健所の職員の対応がイヤだったから二度と受けたくない」という意見も繰り返し聞きました。結局、「即日検査」を担う保健所が登場しても「谷口医院で検査を受けたい」という需要は期待したほどには減少しませんでした。

 現在の大阪で最もお勧めの検査場は「スマートらいふクリニック」です。この施設は行政からの支援を受けて無料の「即日検査」を実施しており、さらにスタッフは訓練を受けた医療者ばかりで、安心して検査を受けることができます。私自身も何度か手伝ったことがあり、またスタッフに対して講演をしたこともあります。しかし、検査を受けられるのは基本的に土日だけであり、誰もが受診できるわけではありません。

 そういうニーズを汲んでなのか10年程前から「セルフ検査」というものが次第に普及してきています。これは通販で検査キットを購入し、同封されているランセット(少量の血液を採取するための針のようなもの)で指に小さな傷をつくり出血させ、それを検査キットに滴下すれば15分程度で結果が得られるツールです。「セルフ検査をどう思いますか」と初めて聞かれたのは、たしか2010年頃、このGINAのサイトの読者でした。

 この質問に答えるのは難しく、そもそも検査キットの精度が分かりませんし、陽性という結果が出たときにそれを受け止められるのか、という懸念もありました。しかし、忙しくて時間がない人や、誰にも知られずに検査を受けたいという人にとってはありがたいツールです。そこで、そのときは「便利だと思うが、念のためその後保健所などで検査を受け直すことを勧めます」と回答しました。

 その後、同様の質問をGINAの読者からだけでなく、谷口医院のサイトの読者や谷口医院をかかりつけとする患者さんからも受けるようになりました。HIVが「死に至る病」ではないことが周知され、知名度はまだまだとはいえ「U=U」(ユーイコールズユー=治療を受けてウイルスを抑えていれば他人に感染させない)の概念も次第に普及しはじめ、HIVに対する偏見が(以前と比べれば)大きく減少しました。HIV検査への敷居は低くなり、例えば新しいパートナーができたときには検査を受けるのがマナーのような風潮にさえなっていきました。

 ならば「セルフ検査」をもっと普及させるべきです。しかし、実はこの検査には「大きな問題」があります。市販されていないのです。というより市販することが法律上認められていない(OTC化されていない)のです。現在、厚労省管轄の規制改革推進会議で「HIV検査のOTC化」について審議はされているのですが、実現化に至っていません。

 当然、ここで疑問が出てきます。「じゃあ、ネットで簡単に買えるセルフ検査キットはいったい何なの?」という疑問です。実はネットで販売されているセルフ検査の存在はいわゆるグレーゾーンなのです。キットを購入して逮捕されることはあり得ませんが、合法とは言い切れないものです。ということは「検査の精度は大丈夫なの?」という疑問も出てきます。

 ならば、医療機関で使用しているキット、例えば谷口医院で使用しているキットを希望する人に販売するという方法はどうでしょう。実はこれもすでに調べています。10年ほど前に厚労省に尋ねると「断定はできないが違法の可能性がある」という回答が得られました。10年経過すれば変わっているかと考え、本日(2025年5月22日)に改めて厚労省のエイズ関連の部署に電話で聞いてみると、10年前とほぼ同じ「違法とはっきり言うことはできないが推薦はできない」というものでした。

 医療機関というのは完全な公的機関ではありませんが、営利目的の団体とはまったく異なり、いわば「準公的機関」だと言えます。そして医師は「公僕」です。行政からの指示であっても患者さんに不利益を与えるようなものには立ち向かっていきますが、そうでなければ厚労省を含む行政の指示にはできる限り従うべきです。

 厚労省が「推薦しない」ことはすべきではありません。それに、私自身も谷口医院もHIV検査で利益を得たいなどと思ったことは一度もありませんが、もしも大勢の人に販売することになり金儲けしていると思われるのも困ります。最近、金儲け主義のクリニックが跋扈しているせいで、「クリニックは利益を追求している」と考える患者さんが出てくるようになり様々な問題が生じています。そして、次第に国民が医師を信用できなくなってきています。

 過去に私のコミュニケーション技術が未熟なせいで「なんでカネ払う言うてんのに検査してくれへんのや!」と谷口医院を受診した患者さん(というか検査希望者)を怒らせてしまったことがあります。私の意図が伝わらなかったのは私の責任なのですが、決して意地悪や嫌がらせをしたかったわけではなく、また検査が面倒くさかったからでもありません。私の意図は「医療機関でお金を払うのではなく、保健所などで無料の検査を受けてほしい」なのです。

 ちなみに、できるだけ患者負担を減らすために、谷口医院では最も安いプランでHIV検査を2,200円(すべて込)で提供していますが、それでもまだ高いと思います。「これくらいなら高くない」という人もいるのですが、「もっと安いとありがたい」と考える人の方が多いのです。

 上述したように、現在厚労省の規制改革推進会議で「HIV検査のOTC化」が検討されています。OTC化(市販化)が可能となれば、市場原理が働きますからどんどん価格は下がっていくでしょう。もしかすると、谷口医院で使用しているのと同じような検査キットが、谷口医院が業者から仕入れる値段よりも安く売られるようになるかもしれません。

 谷口医院がオープンした2000年代、私は「HIV検査のOTC化」に賛成はしていませんでした。「陽性」のときに誰がフォローできるのだ、という問題があったからです。しかし上述したようにHIVが「死に至る病」でないという認識が広まった今ならOTC化は有効です。

 ただし、そうは言っても、陽性の結果を受け止められない人や不安が強い人に対しては依然「セルフ検査」は勧めません。そういった人たちに対応すべきは我々医療者やNPO法人のスタッフなど知識と経験のある専門家です。我々が実施している応対はAIには(少なくとも現在のAIには)できません。私自身は「HIVに感染したかもしれない」という不安や気になる症状は診察室で聞くように努め、検査自体はスマートらいふや保健所を勧めるようにして、時間が合わないという人にはグレーゾーンと知りながらもセルフ検査の話をしています。

 「HIV検査のOTC化」が早く実現することを望みます。

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第226回(2025年4月) 覚醒剤とADHD、日米間の大きな違い

 私が院長を務める谷口医院には米国人の患者も少なくありません。日本で仕事をしている人もいれば、短期間の旅行で来日している人もいます。最近ではいわゆるノマドワーカー(nomad worker)も増えてきています。米国人の問診票をみた時点で感じること、あるいは問診を始めて分かることのひとつに「ADHDの診断が付けられているケースが非常に多い」が挙げられます。もっとも、これは最近の日本でも同様で、「日本人にADHDが増えている」は2010年代半ばあたりからしきりに言われることで「過剰診療ではないか」「いや、見逃されているケースはまだまだ多い」などの議論がしばしば展開されます。

 では、ADHDは日米ともに患者数が増えていて同じような状況なのかというと、「患者数が増えている」は同じなのですが、まったく異なる重要な点があります。「治療」です。使われる治療薬がまったく異なり、問題があるのは日本ではなく米国の方です。他国の悪口など言うべきではなく、まして米国医師の処方内容に口出しするなど失礼極まりない行為なのですが、それを承知で言うと「米国の医師は覚醒剤を乱発しすぎている」と思えてなりません。そして、その「"覚醒剤"を日本で処方してほしい」と米国人から言われて困ることがしばしばあります。

 日米間でADHDに対する処方がどのように異なるかを整理してみましょう。ADHDの治療薬には次のようなものがあります。

#1 アトモキセチン(先発品「ストラテラ」、後発品「アトモキセチン」)
#2 グアンファシン(先発品「インチュニブ」、後発品なし)
#3 メチルフェニデート(先発品「リタリン」「コンサータ」、後発品なし)
#4 リスデキサンフェタミンメシル酸塩(先発品「ビバンセ」、後発品なし)
#5 アンフェタミン+デキストロアンフェタミン(先発品「Adderall」、日本未発売)

 日本で高頻度に処方されるのは#1と#2です。作用機序は異なりますが、どちらも交感神経への作用を強力にします。もう少し具体的に説明すると、#1は脳内のノルアドレナリンの濃度を上げ、#2はアドレナリンの受容体の一部を刺激します。

 一方、米国では#1と#2の処方は少なく、#3、#4、#5が大半を占めると聞きます。谷口医院で診察する米国人もほぼ全例で#1または#2ではなく、#3、#4、#5のいずれかが母国の医師から処方されています。そして、#3、#4、#5のいずれもが、覚醒剤と似た物質、というより覚醒剤そのものです。#5は名称にそのまま「アンフェタミン」が入っていることから誰が見ても明らかですし、#4は体内に吸収されるとアンフェタミンに変わる物質(これをプロドラッグと呼びます)です。#3は「アンフェタミン」「メタンフェタミン」という名前はありませんが、作用機序はこれらに似た、そして依存性もこれらと変わらない「覚醒剤そのもの」と考えて差支えありません。

 #3は社会問題にもなり、2000年代には「リタリン騒動」などとも呼ばれていました。繰り返し逮捕されたことでも有名な新宿の「東京クリニック」(現在は廃業)を開業していた医師・伊沢純氏は、一部の報道によると、2007年の一年間だけでなんと102万錠ものリタリンを処方し、多数の依存症患者をつくりだしたと言われています。そういう経緯もあり、現在の日本では#3と#4の処方が厳しく限定されています。「登録医師」のみが処方できて、処方された患者は「患者登録システム」に登録されます。調剤できる薬局も「登録薬局」のみで、「登録薬剤師」が調剤しなければなりません。

 では、米国ではそのような危険な"覚醒剤"がなぜいとも容易に処方されるのか。その答えは「すぐに"効く"から」です。そして、患者は"増加"しています。

 The New York Timesによると、米国でのADHDの患者数は1990年には100万人未満でしたが、3年後の1993年には米国の子供人口の約3%に相当する200万人を超えました。さらに、1997年には5.5%、2000年には6.6%、2024年には11.4%へと急増しました。14歳男子では21%、17歳男子では23%にもなります。現在米国では700万人の子供がADHDと診断されています。ADHDと診断される成人も増えています。2012年には、30代の米国人へのADHD処方箋が500万枚、10年後の2022年には3倍以上の1800万枚に達しました。

 同記事によると、1993年の時点で、ADHDの診断がついた子供の約3分の2にリタリンが処方されていました。リタリン、すなわち"覚醒剤"には即効性があります。

 リタリンを処方された子供の親たちは、たった1錠内服しただけで集中して勉強し始める子供の姿をみて、リタリンを「夢の薬」と勘違いしたことでしょう。親だけではありません。研究結果もそれを示しています。1999年に発表された579人のADHDと診断された子供を対象とした研究では、リタリンを14ヶ月内服した子供たちは行動療法と地域ケアを受けた子どもたちよりも症状が著しく軽減したことが示されたのです。しかし、これは当然のことで、日本でも「一夜漬けのためにスピード(覚醒剤の隠語)をキメる!」と豪語する若い男女がいることを考えれば納得できます。

 1999年のこのリタリンの効果を示した研究は有名なのですが、その"続き"は意外に知られていません。その後の経過を追跡した報告によると、14ヶ月では行動が改善したものの、その後リタリンの優位性は完全になくなり、比較グループの子供たちと症状の差がなくなっていたのです。しかも、それだけではありません。リタリンを使用していたグループでは身長が伸びず、非使用のグループと比べて1.29cm低かったのです。

 ADHDの治療に用いられる"覚醒剤"は、「何かを始めるときのモチベーションは高めるものの、複雑な問題を解決するために必要な能力の質を低下させる」ことを示唆する研究もあります。

 治療サマーキャンプに参加した7~12歳の173名の児童(男子77%、ヒスパニック系86%)を対象とした研究では、ADHDに使われる"覚醒剤"を服用すれば、授業態度はすぐによくなるものの、学習の習得の改善にはつながりませんでした。

 "覚醒剤"を使用したADHDの患者に深く掘り下げてインタビューを重ねた研究によれば、「短期的にはやる気がみなぎるものの、知力が向上したわけではない」ようです。

 これらをまとめると、"覚醒剤"は、「服用した直後からやる気がみなぎり集中力は高くなるものの、長期的には学習効果が高くなるわけではなく、小児の場合は身長が伸びないという大きなデメリットもある」ということになります。

 さらに、当然のごとく"覚醒剤"には小さくないリスクがあります。1ヵ月アンフェタミンを使用すると、精神病(psychosis)及び躁病(mania)の発症リスクが2.68倍になるとする研究があります。多量摂取すると、これらを発症するリスクが5.28倍にも上昇したようです。

 こういった研究結果を待つまでもなく、"覚醒剤"が有害なのは言うまでもありません。米国に比べ日本では昔から覚醒剤が"身近"にあるおかげで(おそらく関西の方がより入手しやすい、というか誘惑が多いと個人的には感じています)、覚醒剤が安全だと考える人は少数でしょう。最近は「ユーザーが犯罪者とみなされて差別を受けるから覚醒剤の危険性を指摘しすぎてはいけない」などと言われますが、危険性が周知されなくなれば手を出す敷居が低くなってしまいます。米国のように、ADHDの薬として広く普及してしまえばますますハードルが下がってしまいます。

 覚醒剤の針刺しでHIVに感染した人、あるいは覚醒剤を使用したセックスで性行為を介してHIVに感染した人が大勢いることは覚えておくべきです。

 最後にもうひとつの重要な話をしておきましょう。上に挙げたADHDの薬のうち#3、#4、#5は"覚醒剤"で簡単に使うべきではありません。では、#1と#2なら安全かというと、完全に安全とは言い切れないと考えた方がいいでしょう。たしかに"覚醒剤"に比べると依存性はかなり低いとはいえます。また、短期的には副作用はほとんどありません。ですが、これらは常に交感神経の働きを亢進させるわけで、長期的な安全性は未知だと考えるべきです。どうしても必要ならまだしも、谷口医院の患者さんをみていると、日本人、米国人とも、そして他国でADHDの診断をつけられた人も含めて、「本当にADHDなのか?正常ではないのか?」と感じるケースが非常に多いのです。

 たしかに、明らかにADHDで医療的介入が必要なケース(特に10代)はあります。ADHDの診断をつけられた10.8%のケースでは、気分障害が持続し、10代での薬物乱用なども認められるとする研究があります。また、「激しい怒り」を伴うタイプは、中退、犯罪、早期死亡のリスクなどを伴うことが多いことを示した研究もあります。

 しかしながら、その一方で「環境が変われば症状がなくなった」、あるいは成人してから「自分はADHDだったわけでなく、単に子供の頃に自分と合わない環境にいただけなのでは」と考える人などへのインタビュー調査に基づいた研究もあります。

 それに、ADHDという診断が不幸を招くこともあります。日本でも海外でもよく「ADHDの診断をつけてもらって苦しみから解放された」という話がありますが、必ずしもそうだとは限りません。逆に、「診断によってスティグマ化の感情が強まる」ことを示したメタアナリシスもあります。歪んだアイデンティティがつくられ、さらに孤立感や排除感、あるいは羞恥心さえもが生まれる可能性があるのです。以前は「(小脳など)脳の一部が小さい。あるいは脳の左右が対称でない」とする説がありましたが、The New York Timesによると、そういったことを主張していた研究者が「ADHDは脳の障害だ」とする説を撤回しています。以前はADHDの遺伝性もしきりに指摘されていましたが、そのような遺伝子はみつからなかったとする報告もあります。

 ADHDであったとしてもなかったとしても、症状が強くないなら薬は使わない方がいいのは自明です。まして、"覚醒剤"には手を出さないのが賢明です。

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