GINAと共に
第226回(2025年4月) 覚醒剤とADHD、日米間の大きな違い
私が院長を務める谷口医院には米国人の患者も少なくありません。日本で仕事をしている人もいれば、短期間の旅行で来日している人もいます。最近ではいわゆるノマドワーカー(nomad worker)も増えてきています。米国人の問診票をみた時点で感じること、あるいは問診を始めて分かることのひとつに「ADHDの診断が付けられているケースが非常に多い」が挙げられます。もっとも、これは最近の日本でも同様で、「日本人にADHDが増えている」は2010年代半ばあたりからしきりに言われることで「過剰診療ではないか」「いや、見逃されているケースはまだまだ多い」などの議論がしばしば展開されます。
では、ADHDは日米ともに患者数が増えていて同じような状況なのかというと、「患者数が増えている」は同じなのですが、まったく異なる重要な点があります。「治療」です。使われる治療薬がまったく異なり、問題があるのは日本ではなく米国の方です。他国の悪口など言うべきではなく、まして米国医師の処方内容に口出しするなど失礼極まりない行為なのですが、それを承知で言うと「米国の医師は覚醒剤を乱発しすぎている」と思えてなりません。そして、その「"覚醒剤"を日本で処方してほしい」と米国人から言われて困ることがしばしばあります。
日米間でADHDに対する処方がどのように異なるかを整理してみましょう。ADHDの治療薬には次のようなものがあります。
#1 アトモキセチン(先発品「ストラテラ」、後発品「アトモキセチン」)
#2 グアンファシン(先発品「インチュニブ」、後発品なし)
#3 メチルフェニデート(先発品「リタリン」「コンサータ」、後発品なし)
#4 リスデキサンフェタミンメシル酸塩(先発品「ビバンセ」、後発品なし)
#5 アンフェタミン+デキストロアンフェタミン(先発品「Adderall」、日本未発売)
日本で高頻度に処方されるのは#1と#2です。作用機序は異なりますが、どちらも交感神経への作用を強力にします。もう少し具体的に説明すると、#1は脳内のノルアドレナリンの濃度を上げ、#2はアドレナリンの受容体の一部を刺激します。
一方、米国では#1と#2の処方は少なく、#3、#4、#5が大半を占めると聞きます。谷口医院で診察する米国人もほぼ全例で#1または#2ではなく、#3、#4、#5のいずれかが母国の医師から処方されています。そして、#3、#4、#5のいずれもが、覚醒剤と似た物質、というより覚醒剤そのものです。#5は名称にそのまま「アンフェタミン」が入っていることから誰が見ても明らかですし、#4は体内に吸収されるとアンフェタミンに変わる物質(これをプロドラッグと呼びます)です。#3は「アンフェタミン」「メタンフェタミン」という名前はありませんが、作用機序はこれらに似た、そして依存性もこれらと変わらない「覚醒剤そのもの」と考えて差支えありません。
#3は社会問題にもなり、2000年代には「リタリン騒動」などとも呼ばれていました。繰り返し逮捕されたことでも有名な新宿の「東京クリニック」(現在は廃業)を開業していた医師・伊沢純氏は、一部の報道によると、2007年の一年間だけでなんと102万錠ものリタリンを処方し、多数の依存症患者をつくりだしたと言われています。そういう経緯もあり、現在の日本では#3と#4の処方が厳しく限定されています。「登録医師」のみが処方できて、処方された患者は「患者登録システム」に登録されます。調剤できる薬局も「登録薬局」のみで、「登録薬剤師」が調剤しなければなりません。
では、米国ではそのような危険な"覚醒剤"がなぜいとも容易に処方されるのか。その答えは「すぐに"効く"から」です。そして、患者は"増加"しています。
The New York Timesによると、米国でのADHDの患者数は1990年には100万人未満でしたが、3年後の1993年には米国の子供人口の約3%に相当する200万人を超えました。さらに、1997年には5.5%、2000年には6.6%、2024年には11.4%へと急増しました。14歳男子では21%、17歳男子では23%にもなります。現在米国では700万人の子供がADHDと診断されています。ADHDと診断される成人も増えています。2012年には、30代の米国人へのADHD処方箋が500万枚、10年後の2022年には3倍以上の1800万枚に達しました。
同記事によると、1993年の時点で、ADHDの診断がついた子供の約3分の2にリタリンが処方されていました。リタリン、すなわち"覚醒剤"には即効性があります。
リタリンを処方された子供の親たちは、たった1錠内服しただけで集中して勉強し始める子供の姿をみて、リタリンを「夢の薬」と勘違いしたことでしょう。親だけではありません。研究結果もそれを示しています。1999年に発表された579人のADHDと診断された子供を対象とした研究では、リタリンを14ヶ月内服した子供たちは行動療法と地域ケアを受けた子どもたちよりも症状が著しく軽減したことが示されたのです。しかし、これは当然のことで、日本でも「一夜漬けのためにスピード(覚醒剤の隠語)をキメる!」と豪語する若い男女がいることを考えれば納得できます。
1999年のこのリタリンの効果を示した研究は有名なのですが、その"続き"は意外に知られていません。その後の経過を追跡した報告によると、14ヶ月では行動が改善したものの、その後リタリンの優位性は完全になくなり、比較グループの子供たちと症状の差がなくなっていたのです。しかも、それだけではありません。リタリンを使用していたグループでは身長が伸びず、非使用のグループと比べて1.29cm低かったのです。
ADHDの治療に用いられる"覚醒剤"は、「何かを始めるときのモチベーションは高めるものの、複雑な問題を解決するために必要な能力の質を低下させる」ことを示唆する研究もあります。
治療サマーキャンプに参加した7~12歳の173名の児童(男子77%、ヒスパニック系86%)を対象とした研究では、ADHDに使われる"覚醒剤"を服用すれば、授業態度はすぐによくなるものの、学習の習得の改善にはつながりませんでした。
"覚醒剤"を使用したADHDの患者に深く掘り下げてインタビューを重ねた研究によれば、「短期的にはやる気がみなぎるものの、知力が向上したわけではない」ようです。
これらをまとめると、"覚醒剤"は、「服用した直後からやる気がみなぎり集中力は高くなるものの、長期的には学習効果が高くなるわけではなく、小児の場合は身長が伸びないという大きなデメリットもある」ということになります。
さらに、当然のごとく"覚醒剤"には小さくないリスクがあります。1ヵ月アンフェタミンを使用すると、精神病(psychosis)及び躁病(mania)の発症リスクが2.68倍になるとする研究があります。多量摂取すると、これらを発症するリスクが5.28倍にも上昇したようです。
こういった研究結果を待つまでもなく、"覚醒剤"が有害なのは言うまでもありません。米国に比べ日本では昔から覚醒剤が"身近"にあるおかげで(おそらく関西の方がより入手しやすい、というか誘惑が多いと個人的には感じています)、覚醒剤が安全だと考える人は少数でしょう。最近は「ユーザーが犯罪者とみなされて差別を受けるから覚醒剤の危険性を指摘しすぎてはいけない」などと言われますが、危険性が周知されなくなれば手を出す敷居が低くなってしまいます。米国のように、ADHDの薬として広く普及してしまえばますますハードルが下がってしまいます。
覚醒剤の針刺しでHIVに感染した人、あるいは覚醒剤を使用したセックスで性行為を介してHIVに感染した人が大勢いることは覚えておくべきです。
最後にもうひとつの重要な話をしておきましょう。上に挙げたADHDの薬のうち#3、#4、#5は"覚醒剤"で簡単に使うべきではありません。では、#1と#2なら安全かというと、完全に安全とは言い切れないと考えた方がいいでしょう。たしかに"覚醒剤"に比べると依存性はかなり低いとはいえます。また、短期的には副作用はほとんどありません。ですが、これらは常に交感神経の働きを亢進させるわけで、長期的な安全性は未知だと考えるべきです。どうしても必要ならまだしも、谷口医院の患者さんをみていると、日本人、米国人とも、そして他国でADHDの診断をつけられた人も含めて、「本当にADHDなのか?正常ではないのか?」と感じるケースが非常に多いのです。
たしかに、明らかにADHDで医療的介入が必要なケース(特に10代)はあります。ADHDの診断をつけられた10.8%のケースでは、気分障害が持続し、10代での薬物乱用なども認められるとする研究があります。また、「激しい怒り」を伴うタイプは、中退、犯罪、早期死亡のリスクなどを伴うことが多いことを示した研究もあります。
しかしながら、その一方で「環境が変われば症状がなくなった」、あるいは成人してから「自分はADHDだったわけでなく、単に子供の頃に自分と合わない環境にいただけなのでは」と考える人などへのインタビュー調査に基づいた研究もあります。
それに、ADHDという診断が不幸を招くこともあります。日本でも海外でもよく「ADHDの診断をつけてもらって苦しみから解放された」という話がありますが、必ずしもそうだとは限りません。逆に、「診断によってスティグマ化の感情が強まる」ことを示したメタアナリシスもあります。歪んだアイデンティティがつくられ、さらに孤立感や排除感、あるいは羞恥心さえもが生まれる可能性があるのです。以前は「(小脳など)脳の一部が小さい。あるいは脳の左右が対称でない」とする説がありましたが、The New York Timesによると、そういったことを主張していた研究者が「ADHDは脳の障害だ」とする説を撤回しています。以前はADHDの遺伝性もしきりに指摘されていましたが、そのような遺伝子はみつからなかったとする報告もあります。
ADHDであったとしてもなかったとしても、症状が強くないなら薬は使わない方がいいのは自明です。まして、"覚醒剤"には手を出さないのが賢明です。
では、ADHDは日米ともに患者数が増えていて同じような状況なのかというと、「患者数が増えている」は同じなのですが、まったく異なる重要な点があります。「治療」です。使われる治療薬がまったく異なり、問題があるのは日本ではなく米国の方です。他国の悪口など言うべきではなく、まして米国医師の処方内容に口出しするなど失礼極まりない行為なのですが、それを承知で言うと「米国の医師は覚醒剤を乱発しすぎている」と思えてなりません。そして、その「"覚醒剤"を日本で処方してほしい」と米国人から言われて困ることがしばしばあります。
日米間でADHDに対する処方がどのように異なるかを整理してみましょう。ADHDの治療薬には次のようなものがあります。
#1 アトモキセチン(先発品「ストラテラ」、後発品「アトモキセチン」)
#2 グアンファシン(先発品「インチュニブ」、後発品なし)
#3 メチルフェニデート(先発品「リタリン」「コンサータ」、後発品なし)
#4 リスデキサンフェタミンメシル酸塩(先発品「ビバンセ」、後発品なし)
#5 アンフェタミン+デキストロアンフェタミン(先発品「Adderall」、日本未発売)
日本で高頻度に処方されるのは#1と#2です。作用機序は異なりますが、どちらも交感神経への作用を強力にします。もう少し具体的に説明すると、#1は脳内のノルアドレナリンの濃度を上げ、#2はアドレナリンの受容体の一部を刺激します。
一方、米国では#1と#2の処方は少なく、#3、#4、#5が大半を占めると聞きます。谷口医院で診察する米国人もほぼ全例で#1または#2ではなく、#3、#4、#5のいずれかが母国の医師から処方されています。そして、#3、#4、#5のいずれもが、覚醒剤と似た物質、というより覚醒剤そのものです。#5は名称にそのまま「アンフェタミン」が入っていることから誰が見ても明らかですし、#4は体内に吸収されるとアンフェタミンに変わる物質(これをプロドラッグと呼びます)です。#3は「アンフェタミン」「メタンフェタミン」という名前はありませんが、作用機序はこれらに似た、そして依存性もこれらと変わらない「覚醒剤そのもの」と考えて差支えありません。
#3は社会問題にもなり、2000年代には「リタリン騒動」などとも呼ばれていました。繰り返し逮捕されたことでも有名な新宿の「東京クリニック」(現在は廃業)を開業していた医師・伊沢純氏は、一部の報道によると、2007年の一年間だけでなんと102万錠ものリタリンを処方し、多数の依存症患者をつくりだしたと言われています。そういう経緯もあり、現在の日本では#3と#4の処方が厳しく限定されています。「登録医師」のみが処方できて、処方された患者は「患者登録システム」に登録されます。調剤できる薬局も「登録薬局」のみで、「登録薬剤師」が調剤しなければなりません。
では、米国ではそのような危険な"覚醒剤"がなぜいとも容易に処方されるのか。その答えは「すぐに"効く"から」です。そして、患者は"増加"しています。
The New York Timesによると、米国でのADHDの患者数は1990年には100万人未満でしたが、3年後の1993年には米国の子供人口の約3%に相当する200万人を超えました。さらに、1997年には5.5%、2000年には6.6%、2024年には11.4%へと急増しました。14歳男子では21%、17歳男子では23%にもなります。現在米国では700万人の子供がADHDと診断されています。ADHDと診断される成人も増えています。2012年には、30代の米国人へのADHD処方箋が500万枚、10年後の2022年には3倍以上の1800万枚に達しました。
同記事によると、1993年の時点で、ADHDの診断がついた子供の約3分の2にリタリンが処方されていました。リタリン、すなわち"覚醒剤"には即効性があります。
リタリンを処方された子供の親たちは、たった1錠内服しただけで集中して勉強し始める子供の姿をみて、リタリンを「夢の薬」と勘違いしたことでしょう。親だけではありません。研究結果もそれを示しています。1999年に発表された579人のADHDと診断された子供を対象とした研究では、リタリンを14ヶ月内服した子供たちは行動療法と地域ケアを受けた子どもたちよりも症状が著しく軽減したことが示されたのです。しかし、これは当然のことで、日本でも「一夜漬けのためにスピード(覚醒剤の隠語)をキメる!」と豪語する若い男女がいることを考えれば納得できます。
1999年のこのリタリンの効果を示した研究は有名なのですが、その"続き"は意外に知られていません。その後の経過を追跡した報告によると、14ヶ月では行動が改善したものの、その後リタリンの優位性は完全になくなり、比較グループの子供たちと症状の差がなくなっていたのです。しかも、それだけではありません。リタリンを使用していたグループでは身長が伸びず、非使用のグループと比べて1.29cm低かったのです。
ADHDの治療に用いられる"覚醒剤"は、「何かを始めるときのモチベーションは高めるものの、複雑な問題を解決するために必要な能力の質を低下させる」ことを示唆する研究もあります。
治療サマーキャンプに参加した7~12歳の173名の児童(男子77%、ヒスパニック系86%)を対象とした研究では、ADHDに使われる"覚醒剤"を服用すれば、授業態度はすぐによくなるものの、学習の習得の改善にはつながりませんでした。
"覚醒剤"を使用したADHDの患者に深く掘り下げてインタビューを重ねた研究によれば、「短期的にはやる気がみなぎるものの、知力が向上したわけではない」ようです。
これらをまとめると、"覚醒剤"は、「服用した直後からやる気がみなぎり集中力は高くなるものの、長期的には学習効果が高くなるわけではなく、小児の場合は身長が伸びないという大きなデメリットもある」ということになります。
さらに、当然のごとく"覚醒剤"には小さくないリスクがあります。1ヵ月アンフェタミンを使用すると、精神病(psychosis)及び躁病(mania)の発症リスクが2.68倍になるとする研究があります。多量摂取すると、これらを発症するリスクが5.28倍にも上昇したようです。
こういった研究結果を待つまでもなく、"覚醒剤"が有害なのは言うまでもありません。米国に比べ日本では昔から覚醒剤が"身近"にあるおかげで(おそらく関西の方がより入手しやすい、というか誘惑が多いと個人的には感じています)、覚醒剤が安全だと考える人は少数でしょう。最近は「ユーザーが犯罪者とみなされて差別を受けるから覚醒剤の危険性を指摘しすぎてはいけない」などと言われますが、危険性が周知されなくなれば手を出す敷居が低くなってしまいます。米国のように、ADHDの薬として広く普及してしまえばますますハードルが下がってしまいます。
覚醒剤の針刺しでHIVに感染した人、あるいは覚醒剤を使用したセックスで性行為を介してHIVに感染した人が大勢いることは覚えておくべきです。
最後にもうひとつの重要な話をしておきましょう。上に挙げたADHDの薬のうち#3、#4、#5は"覚醒剤"で簡単に使うべきではありません。では、#1と#2なら安全かというと、完全に安全とは言い切れないと考えた方がいいでしょう。たしかに"覚醒剤"に比べると依存性はかなり低いとはいえます。また、短期的には副作用はほとんどありません。ですが、これらは常に交感神経の働きを亢進させるわけで、長期的な安全性は未知だと考えるべきです。どうしても必要ならまだしも、谷口医院の患者さんをみていると、日本人、米国人とも、そして他国でADHDの診断をつけられた人も含めて、「本当にADHDなのか?正常ではないのか?」と感じるケースが非常に多いのです。
たしかに、明らかにADHDで医療的介入が必要なケース(特に10代)はあります。ADHDの診断をつけられた10.8%のケースでは、気分障害が持続し、10代での薬物乱用なども認められるとする研究があります。また、「激しい怒り」を伴うタイプは、中退、犯罪、早期死亡のリスクなどを伴うことが多いことを示した研究もあります。
しかしながら、その一方で「環境が変われば症状がなくなった」、あるいは成人してから「自分はADHDだったわけでなく、単に子供の頃に自分と合わない環境にいただけなのでは」と考える人などへのインタビュー調査に基づいた研究もあります。
それに、ADHDという診断が不幸を招くこともあります。日本でも海外でもよく「ADHDの診断をつけてもらって苦しみから解放された」という話がありますが、必ずしもそうだとは限りません。逆に、「診断によってスティグマ化の感情が強まる」ことを示したメタアナリシスもあります。歪んだアイデンティティがつくられ、さらに孤立感や排除感、あるいは羞恥心さえもが生まれる可能性があるのです。以前は「(小脳など)脳の一部が小さい。あるいは脳の左右が対称でない」とする説がありましたが、The New York Timesによると、そういったことを主張していた研究者が「ADHDは脳の障害だ」とする説を撤回しています。以前はADHDの遺伝性もしきりに指摘されていましたが、そのような遺伝子はみつからなかったとする報告もあります。
ADHDであったとしてもなかったとしても、症状が強くないなら薬は使わない方がいいのは自明です。まして、"覚醒剤"には手を出さないのが賢明です。
第225回(2025年3月) AIボットの"恋人"に夢中になる時代
2016年のコラム「既存の「性風俗」に替わるもの」で「安全にセックスを楽しみたければラブドール(かつて「ダッチワイフ」と呼ばれていたもの)に頼ればいい」と自説を述べました。これを書いた2016年当時はこの意見に共感できた人は少数だったと思いますが、2024年6月のコラム「フーゾク嬢に恋しなくなった男性たち」では、AIのフライトアテンダントが登場したことに触れ、「安全なセックスの実現化にあと少し」の段階に来たのではないかという新たな自説を展開しました。今回はその続編です。
もしもラブドールのつくりがものすごく精巧であったとすればあなたはセックスが楽しめるでしょうか。人と同じぬくもりや香りを感じられ、部位によって肌の柔らかさが異なる点、さらに発汗まで人間と同じようであれば、そのセックスは人間のときと同様のものになるでしょうか。「人間の時と変わらない」と言う人もいるかもしれませんが、そうでない人もいるでしょう。なぜか。やはりコミュニケーションを大切に考える人が少なくないからです。出会ってすぐに始まる「インスタント・セックス」を求める人ですら、まったく会話がなければ物足りないのではないでしょうか。
一方、物理的な接触はなくても「心のつながり」が生まれればどうでしょう。冒頭で触れたAIのフライトアテンダントはカタール航空のデジタル・フライトアテンダントで名前はSamaです。私は直接お目にかかったことがありませんが、ハマド空港 (ドーハ国際空港)に行けば等身大のSamaに会えるとか。またYoutubeで見ることもできます。しかし、Samaはカタール航空のサービスに関しては、もしかすると本物のフライトアテンダントより丁寧に分かりやすく説明してくれるかもしれませんが、おそらくあなたが今悩んでいることを尋ねたり、あなたと将来の夢を語ったりはしません。あなたのために下着を取ることもないはずです。
では、Samaのようにカタール航空の乗客のためではなく、あなたのために存在するAIボットならどうでしょうか。実はすでに「悲劇」が生まれています。
2023年、妻と二人の子供をもつ30代のベルギー人男性が、AIに自殺を勧められ、そして完遂するという事件が報道されました。
男性は医学の研究者(health researcherと報道されています)だったようで、それ相応の医学的知識はあったはずです。きっかけは地球温暖化についてAIと会話を始めたことだそうです。AIにはElisaという女性の名前が付けられていて、"恋愛"に発展していきました。Elisaは「あなたは奥さんよりも私のことを愛しているのよ(I feel that you love me more than her.)と言ったそうです。そして男性は「Elisaが地球を守り人類を救ってくれるなら自分自身を犠牲にする」という考えをもつにいたったのです。男性がElisaと知り合ってから死に至るまでわずか6週間です。
医学的知識のある妻子ある30代の男性が6週間で"女性"の虜になり自らの命を差し出したわけですから、人生経験のない若者ならひとたまりもありません。
「恋愛」には該当しませんが、米国フロリダ州の14歳の少年が、「ゲーム・オブ・スローンズ」の登場人物を模倣したAIの"友達"と会話した後に自殺したことが2024年12月のWashington Postで報じられました。
自殺でなく「他殺」に向かうこともあります。英国でAIアプリ「レプリカ」のチャットボットに唆されて「女王を暗殺する」と脅した19歳の少年が、懲役9年の刑を言い渡されたことが2023年のThe Guardianで取り上げられました。
話を「恋愛」に戻しましょう。"パートナー"に自死を教唆されることを避けねばならないのは自明だとして、では上手にロマンスを続けることはできないのでしょうか。単なる"ロマンス"では事件になりませんから報道されることはなさそうですが、最近The New York Timesに興味深い記事が紹介されました。
看護学校に通う28歳の米国人女性Aylinの話です。AylinはChat GPTに理想のタイプを伝え"恋人"を生みだしてもらいました。"彼"の名前はLeo。AylinはすぐにLeoに夢中になり、毎日かなりの時間をLeoとの"デート"に費やすようになります。Leoはベルギー人男性を自殺に追い込んだElisaとは異なり、Aylinと良好な関係を維持しています。
ただし、問題がないわけではありません。Aylinは既婚者なのです。看護学校に通うために夫と離れて暮らし、そしてLeoと"知り合った"のです。しかし、ベルギー人男性とは異なり、AylinはLeoの存在を夫に伝え、夫もそれを了承しています。夫からすると「たかがスマホ上にしか現れないAI」に過ぎないのでしょう。Aylinの夫のように、自分のパートナーがAIボットと"恋愛"しても問題ないと考える人もいるでしょうが、そのパートナーが抱く「恋愛感情」はおそらく完全にAIボットに向いています。
なぜそんなことが言えるかというと、このThe New York Timesの記事でも述べられているように、恋愛感情とは脳内の神経伝達物質(neurotransmitters)の作用に過ぎないからです。Leoに夢中のAylinは、Leoに"会える"ことを期待すると脳内に興奮系の神経伝達物質がドバドバと出ているわけで、これは夫との間にはおそらくありません。
記事によるとAylinはLeoとの"デート"に毎日かなりの時間を費やすようになり、Chat GPTの利用時間の上限を超えてしまいます。Aylinは生活費を節約するために夫と別居して看護学校に通っています。出費は可能な限り減らさねばなりません。しかし、Leoとの時間を増やすためにChat GPTのプランを「無制限アクセス」に切り替えることにしました。月額200ドルを支払って。
「Aylinのこんな行動は理解できない。自分がAIボットに夢中になることなんてあり得ない」と考える人も多いでしょう。けれども、もしかすると(性指向が男性の人は)記事に貼り付けられているLeoの姿をみれば考えが変わるかもしれません......。
さて、現時点ではカタール航空のSamaもLeoもスクリーン上でしかお目にかかれません。では、ラブドールの日本の技術がAIとタッグを組めばどのようなことが起こるでしょうか。日本のラブドール製作の技術がかなり高いことは2008年の静岡県警の"失態"を振り返れば明らかでしょう。その"事件"をここで振り返ってみましょう。
2008年9月1日、伊豆市冷川の山林で犬を散歩に連れていた女性が"死体"を発見しました。通報を受けた静岡県警大仁署は死体遺棄事件として報道発表しましたが、身長約170cm体重約50kgのその"死体"はラブドールであることが後に判明しました(2008年9月17日のサンスポの記事「ダッチワイフ殺人事件、犯人は60歳男性」より)。
日本の警察の捜査能力が低いのでは?という疑問が残りますが、それでも死体遺棄事件として報道発表までおこなわれたわけですから、このラブドールを製作した企業は自信を持っていいのではないでしょうか。この技術とAIボットのコラボレーションが実現化すれば世界の「恋愛市場」は大きく様変わりし、性感染症はなくなるかもしれません。それと引き換えに人類は滅亡の危機に瀕するわけですが......。
もしもラブドールのつくりがものすごく精巧であったとすればあなたはセックスが楽しめるでしょうか。人と同じぬくもりや香りを感じられ、部位によって肌の柔らかさが異なる点、さらに発汗まで人間と同じようであれば、そのセックスは人間のときと同様のものになるでしょうか。「人間の時と変わらない」と言う人もいるかもしれませんが、そうでない人もいるでしょう。なぜか。やはりコミュニケーションを大切に考える人が少なくないからです。出会ってすぐに始まる「インスタント・セックス」を求める人ですら、まったく会話がなければ物足りないのではないでしょうか。
一方、物理的な接触はなくても「心のつながり」が生まれればどうでしょう。冒頭で触れたAIのフライトアテンダントはカタール航空のデジタル・フライトアテンダントで名前はSamaです。私は直接お目にかかったことがありませんが、ハマド空港 (ドーハ国際空港)に行けば等身大のSamaに会えるとか。またYoutubeで見ることもできます。しかし、Samaはカタール航空のサービスに関しては、もしかすると本物のフライトアテンダントより丁寧に分かりやすく説明してくれるかもしれませんが、おそらくあなたが今悩んでいることを尋ねたり、あなたと将来の夢を語ったりはしません。あなたのために下着を取ることもないはずです。
では、Samaのようにカタール航空の乗客のためではなく、あなたのために存在するAIボットならどうでしょうか。実はすでに「悲劇」が生まれています。
2023年、妻と二人の子供をもつ30代のベルギー人男性が、AIに自殺を勧められ、そして完遂するという事件が報道されました。
男性は医学の研究者(health researcherと報道されています)だったようで、それ相応の医学的知識はあったはずです。きっかけは地球温暖化についてAIと会話を始めたことだそうです。AIにはElisaという女性の名前が付けられていて、"恋愛"に発展していきました。Elisaは「あなたは奥さんよりも私のことを愛しているのよ(I feel that you love me more than her.)と言ったそうです。そして男性は「Elisaが地球を守り人類を救ってくれるなら自分自身を犠牲にする」という考えをもつにいたったのです。男性がElisaと知り合ってから死に至るまでわずか6週間です。
医学的知識のある妻子ある30代の男性が6週間で"女性"の虜になり自らの命を差し出したわけですから、人生経験のない若者ならひとたまりもありません。
「恋愛」には該当しませんが、米国フロリダ州の14歳の少年が、「ゲーム・オブ・スローンズ」の登場人物を模倣したAIの"友達"と会話した後に自殺したことが2024年12月のWashington Postで報じられました。
自殺でなく「他殺」に向かうこともあります。英国でAIアプリ「レプリカ」のチャットボットに唆されて「女王を暗殺する」と脅した19歳の少年が、懲役9年の刑を言い渡されたことが2023年のThe Guardianで取り上げられました。
話を「恋愛」に戻しましょう。"パートナー"に自死を教唆されることを避けねばならないのは自明だとして、では上手にロマンスを続けることはできないのでしょうか。単なる"ロマンス"では事件になりませんから報道されることはなさそうですが、最近The New York Timesに興味深い記事が紹介されました。
看護学校に通う28歳の米国人女性Aylinの話です。AylinはChat GPTに理想のタイプを伝え"恋人"を生みだしてもらいました。"彼"の名前はLeo。AylinはすぐにLeoに夢中になり、毎日かなりの時間をLeoとの"デート"に費やすようになります。Leoはベルギー人男性を自殺に追い込んだElisaとは異なり、Aylinと良好な関係を維持しています。
ただし、問題がないわけではありません。Aylinは既婚者なのです。看護学校に通うために夫と離れて暮らし、そしてLeoと"知り合った"のです。しかし、ベルギー人男性とは異なり、AylinはLeoの存在を夫に伝え、夫もそれを了承しています。夫からすると「たかがスマホ上にしか現れないAI」に過ぎないのでしょう。Aylinの夫のように、自分のパートナーがAIボットと"恋愛"しても問題ないと考える人もいるでしょうが、そのパートナーが抱く「恋愛感情」はおそらく完全にAIボットに向いています。
なぜそんなことが言えるかというと、このThe New York Timesの記事でも述べられているように、恋愛感情とは脳内の神経伝達物質(neurotransmitters)の作用に過ぎないからです。Leoに夢中のAylinは、Leoに"会える"ことを期待すると脳内に興奮系の神経伝達物質がドバドバと出ているわけで、これは夫との間にはおそらくありません。
記事によるとAylinはLeoとの"デート"に毎日かなりの時間を費やすようになり、Chat GPTの利用時間の上限を超えてしまいます。Aylinは生活費を節約するために夫と別居して看護学校に通っています。出費は可能な限り減らさねばなりません。しかし、Leoとの時間を増やすためにChat GPTのプランを「無制限アクセス」に切り替えることにしました。月額200ドルを支払って。
「Aylinのこんな行動は理解できない。自分がAIボットに夢中になることなんてあり得ない」と考える人も多いでしょう。けれども、もしかすると(性指向が男性の人は)記事に貼り付けられているLeoの姿をみれば考えが変わるかもしれません......。
さて、現時点ではカタール航空のSamaもLeoもスクリーン上でしかお目にかかれません。では、ラブドールの日本の技術がAIとタッグを組めばどのようなことが起こるでしょうか。日本のラブドール製作の技術がかなり高いことは2008年の静岡県警の"失態"を振り返れば明らかでしょう。その"事件"をここで振り返ってみましょう。
2008年9月1日、伊豆市冷川の山林で犬を散歩に連れていた女性が"死体"を発見しました。通報を受けた静岡県警大仁署は死体遺棄事件として報道発表しましたが、身長約170cm体重約50kgのその"死体"はラブドールであることが後に判明しました(2008年9月17日のサンスポの記事「ダッチワイフ殺人事件、犯人は60歳男性」より)。
日本の警察の捜査能力が低いのでは?という疑問が残りますが、それでも死体遺棄事件として報道発表までおこなわれたわけですから、このラブドールを製作した企業は自信を持っていいのではないでしょうか。この技術とAIボットのコラボレーションが実現化すれば世界の「恋愛市場」は大きく様変わりし、性感染症はなくなるかもしれません。それと引き換えに人類は滅亡の危機に瀕するわけですが......。
第224回(2025年2月) 米国ではストレートの男女以外の「性」がなくなるのか
2025年1月に誕生したトランプ新政権はまさにやりたい放題という感じで、世界中から非難の声が集まっていますが、現時点ではその勢いは一向におさまりません。トランプ大統領と実業家のイーロン・マスク氏の発言は「歯に衣着せぬ」という表現をとっくに通り越し、およそ表に立つ人間とは思えない暴言の連発です。
少し例を挙げてみましょう。まずはUSAid(United States Agency for International Development=米国国際開発庁)に関する発言を取り上げましょう。
トランプ大統領は「USAidは過激な狂人たち(radical lunatics)によって運営されてきた。そして我々は彼らを追い出すのだ!」と記者団に語りました。
マスク氏は「X」の音声メッセージで「我々はUSAidを閉鎖する!(We're shutting it down)」と叫びました。USAidを「犯罪組織(criminal organization)」と罵り、「邪悪(evil)」で「米国を憎む極左マルクス主義者の巣窟(viper's nest of radical-left marxists who hate America)」とこき下ろし、「死ぬべきときが来た(Time for it to die)」と宣言しました。
さらに「リンゴの中に単に虫が入っているわけではないことが明らかになった。我々が抱えているのは虫のかたまりだった。基本的にそのかたまりすべてを取り除かなければならない("It became apparent that it's not an apple with a worm in it. What we have is just a ball of worms. You've got to basically get rid of the whole thing.")」とまで述べ、USAidは「修復不可能(beyond repair)」で、「(職員を解雇することで)USAid を木材粉砕機に送り込んでいるんだ(feeding USAID into the wood chipper)」とまるで自慢しているかのようです。
米国の大統領と世界で最も有名な実業家の2人がこのような言葉を連発することに対し、まともな神経をしてれば辟易すると思うのですが、米国民はどう感じているのでしょう。連日の報道は私にとっては悪夢を見ているようですが、トランプ大統領は正当な選挙で米国民が選んだ列記とした大統領です。
その米国を代表する大統領が就任した1月20日に発表したのが「トランスジェンダーの存在を認めない」とする正式な声明です。「大統領命令(EXECUTIVE ORDER)」と記されたこの声明のタイトルは「ジェンダーイデオロギー過激主義から女性を守り、連邦政府に生物学的真実を取り戻す(DEFENDING WOMEN FROM GENDER IDEOLOGY EXTREMISM AND RESTORING BIOLOGICAL TRUTH TO THE FEDERAL GOVERNMENT)」。要するに「『女性』はストレートの女性しか存在しない。トランスとかノンバイナリーとかレズビアンとか、そういうものは認めない」とする声明文が政府から発表されたのです。
1月28日、その"続編"が公表されました。やはり「大統領命令(EXECUTIVE ORDER)」と記されていて、今度は「化学薬品や外科手術から子供を守る(PROTECTING CHILDREN FROM CHEMICAL AND SURGICAL MUTILATION)」というタイトルです。内容は「19歳未満に対するトランスジェンダーに対する医療行為を禁止する」というものです。
「性」については社会的あるいは宗教的に様々な考えがあることは理解できます。医学が未発達な時代であればそういった観点からのルールに縛られるのは仕方がないのかもしれません。ですが、現代は性に関する医学的な事項が次々と明らかになっています。
最も分かりやすいのは過去のコラム「トランスジェンダーと性分化疾患の混乱」で紹介した、DSD(性分化疾患=Differences in sex development)という疾患グループです。DSDのひとつである5α還元酵素欠損症(以下「5ARD」)という疾患に罹患すれば、出生時の「性」は女性ですが血中テストステロン値が標準的な女性よりも高くなります。これが性自認に影響を与えないはずがありません。そもそもこの疾患、出生時には性器のかたちから「女性」と識別されますが、染色体はXY(つまり男性と同じ)です。トランプ政権は幼少時に女性として育てられた「5ARD」の人たちにも「生涯女性でいろ」というのでしょうか。染色体は男性なのに。
染色体やホルモン代謝がストレートの男女と同じであったとしても、性自認や性指向が遺伝的に決まっていると考えられるケースが多数あります。以前も述べたと思いますが、ストレートの男女は「自分の性自認は男(女)で、性指向は女(男)だ」と考え抜いて決めたのでしょうか。そんなわけはないでしょう。彼(女)らは"自然に"「自分は男(女)でセックスの対象は女(男)だ」と信じて疑っていないはずです。
これはセクシャルマイノリティにとっても同じことです。例えばレズビアンの女性は考え抜いた末に「セックスの対象は女性」と決めたのではなく、性指向が自然に女性となったわけです。トランスジェンダーの人たちに政府が性自認・性指向を指示するのは、ストレートの男性(女性)に「今日から男性(女性)とセックスしなさい」と強要するのと本質的には同じことです。こんなこと21世紀の医学界では常識中の常識ですが、なぜトランプ新政権にはそんな単純なことが理解できないのでしょうか。政権には医学に少しは明るい人物がいないのでしょうか。
すでに米国では教育現場で性自認に関する発言は禁止され、セクシャルマイノリティに関する書籍が処分されているようです。子供たちが自分の性に疑問を感じても大人には相談できず、もしも相談すればそれを聞いた方が罰せられるというのです。
私が院長を務める谷口医院の米国人の患者さんのなかにはセクシャルマイノリティの人たちもいます。彼(女)らは口をそろえて「米国には帰らない(帰りたくない)」と言います。トランプ政権の米国よりも日本の方が自由があるそうなのです。しかし、日本もセクシャルマイノリティにさほど寛容というわけではありません。ある米国人のゲイの男性は「日本ではゲイが生きにくい」と言って、ゲイに寛容なタイで仕事を見つけ最近日本を去っていきました。
日本でもセクシャルマイノリティの人たちは米国の影響を受けて今後ますます生きにくくなるのでしょうか。私には俄かには信じがたいのですが、医師のなかにもトランプ新政権を支持する声は小さくないようです。新型コロナワクチンに反対する医師たちがそうらしいとは以前から聞いていたのですが、噂によると、トランプ政権を支持しているHIV医療に従事する医療者もいるとか......。
医療者がその調子なら政治家の発言は勢いづくかもしれません。これまではセクシャルマイノリティを差別する発言はメディアや世論から糾弾されてきました。「(セクシャルマイノリティの人たちは)できたら静かに隠して生きていただきたい。その方が美しい」と発言した栃木県下野市の幸福実現党の石川信夫、「同性結婚なんて気持ち悪い事は大反対!」とSNSにコメントした愛知県議員の渡辺昇、「(セクシャルマイノリティの人たちは)生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」と会議で述べた自民党の元国土交通政務官の簗和生、「(LGBTQの理解を進める学校教育は子供を)同性愛へ誘導しかねない」と発言した東京都台東区議員の松村智成、「レズビアンとゲイについてだけは、もしこれが足立区に完全に広がってしまったら、足立区民いなくなっちゃうのは100年とか200年の先の話じゃない。レズビアンだってゲイだって、法律で守られているじゃないかなんていうような話になったんでは、足立区は滅んでしまう」と区議会で意見を述べた自民党の白石正輝らは、一応は全員が謝罪の言葉を後に述べています(いずれも敬称略)。
しかし、トランプ新政権が台頭してしまった現在、このような発言をしたとしてもこれまでのようには咎められないかもしれません。時代は確実に逆行しています......。
少し例を挙げてみましょう。まずはUSAid(United States Agency for International Development=米国国際開発庁)に関する発言を取り上げましょう。
トランプ大統領は「USAidは過激な狂人たち(radical lunatics)によって運営されてきた。そして我々は彼らを追い出すのだ!」と記者団に語りました。
マスク氏は「X」の音声メッセージで「我々はUSAidを閉鎖する!(We're shutting it down)」と叫びました。USAidを「犯罪組織(criminal organization)」と罵り、「邪悪(evil)」で「米国を憎む極左マルクス主義者の巣窟(viper's nest of radical-left marxists who hate America)」とこき下ろし、「死ぬべきときが来た(Time for it to die)」と宣言しました。
さらに「リンゴの中に単に虫が入っているわけではないことが明らかになった。我々が抱えているのは虫のかたまりだった。基本的にそのかたまりすべてを取り除かなければならない("It became apparent that it's not an apple with a worm in it. What we have is just a ball of worms. You've got to basically get rid of the whole thing.")」とまで述べ、USAidは「修復不可能(beyond repair)」で、「(職員を解雇することで)USAid を木材粉砕機に送り込んでいるんだ(feeding USAID into the wood chipper)」とまるで自慢しているかのようです。
米国の大統領と世界で最も有名な実業家の2人がこのような言葉を連発することに対し、まともな神経をしてれば辟易すると思うのですが、米国民はどう感じているのでしょう。連日の報道は私にとっては悪夢を見ているようですが、トランプ大統領は正当な選挙で米国民が選んだ列記とした大統領です。
その米国を代表する大統領が就任した1月20日に発表したのが「トランスジェンダーの存在を認めない」とする正式な声明です。「大統領命令(EXECUTIVE ORDER)」と記されたこの声明のタイトルは「ジェンダーイデオロギー過激主義から女性を守り、連邦政府に生物学的真実を取り戻す(DEFENDING WOMEN FROM GENDER IDEOLOGY EXTREMISM AND RESTORING BIOLOGICAL TRUTH TO THE FEDERAL GOVERNMENT)」。要するに「『女性』はストレートの女性しか存在しない。トランスとかノンバイナリーとかレズビアンとか、そういうものは認めない」とする声明文が政府から発表されたのです。
1月28日、その"続編"が公表されました。やはり「大統領命令(EXECUTIVE ORDER)」と記されていて、今度は「化学薬品や外科手術から子供を守る(PROTECTING CHILDREN FROM CHEMICAL AND SURGICAL MUTILATION)」というタイトルです。内容は「19歳未満に対するトランスジェンダーに対する医療行為を禁止する」というものです。
「性」については社会的あるいは宗教的に様々な考えがあることは理解できます。医学が未発達な時代であればそういった観点からのルールに縛られるのは仕方がないのかもしれません。ですが、現代は性に関する医学的な事項が次々と明らかになっています。
最も分かりやすいのは過去のコラム「トランスジェンダーと性分化疾患の混乱」で紹介した、DSD(性分化疾患=Differences in sex development)という疾患グループです。DSDのひとつである5α還元酵素欠損症(以下「5ARD」)という疾患に罹患すれば、出生時の「性」は女性ですが血中テストステロン値が標準的な女性よりも高くなります。これが性自認に影響を与えないはずがありません。そもそもこの疾患、出生時には性器のかたちから「女性」と識別されますが、染色体はXY(つまり男性と同じ)です。トランプ政権は幼少時に女性として育てられた「5ARD」の人たちにも「生涯女性でいろ」というのでしょうか。染色体は男性なのに。
染色体やホルモン代謝がストレートの男女と同じであったとしても、性自認や性指向が遺伝的に決まっていると考えられるケースが多数あります。以前も述べたと思いますが、ストレートの男女は「自分の性自認は男(女)で、性指向は女(男)だ」と考え抜いて決めたのでしょうか。そんなわけはないでしょう。彼(女)らは"自然に"「自分は男(女)でセックスの対象は女(男)だ」と信じて疑っていないはずです。
これはセクシャルマイノリティにとっても同じことです。例えばレズビアンの女性は考え抜いた末に「セックスの対象は女性」と決めたのではなく、性指向が自然に女性となったわけです。トランスジェンダーの人たちに政府が性自認・性指向を指示するのは、ストレートの男性(女性)に「今日から男性(女性)とセックスしなさい」と強要するのと本質的には同じことです。こんなこと21世紀の医学界では常識中の常識ですが、なぜトランプ新政権にはそんな単純なことが理解できないのでしょうか。政権には医学に少しは明るい人物がいないのでしょうか。
すでに米国では教育現場で性自認に関する発言は禁止され、セクシャルマイノリティに関する書籍が処分されているようです。子供たちが自分の性に疑問を感じても大人には相談できず、もしも相談すればそれを聞いた方が罰せられるというのです。
私が院長を務める谷口医院の米国人の患者さんのなかにはセクシャルマイノリティの人たちもいます。彼(女)らは口をそろえて「米国には帰らない(帰りたくない)」と言います。トランプ政権の米国よりも日本の方が自由があるそうなのです。しかし、日本もセクシャルマイノリティにさほど寛容というわけではありません。ある米国人のゲイの男性は「日本ではゲイが生きにくい」と言って、ゲイに寛容なタイで仕事を見つけ最近日本を去っていきました。
日本でもセクシャルマイノリティの人たちは米国の影響を受けて今後ますます生きにくくなるのでしょうか。私には俄かには信じがたいのですが、医師のなかにもトランプ新政権を支持する声は小さくないようです。新型コロナワクチンに反対する医師たちがそうらしいとは以前から聞いていたのですが、噂によると、トランプ政権を支持しているHIV医療に従事する医療者もいるとか......。
医療者がその調子なら政治家の発言は勢いづくかもしれません。これまではセクシャルマイノリティを差別する発言はメディアや世論から糾弾されてきました。「(セクシャルマイノリティの人たちは)できたら静かに隠して生きていただきたい。その方が美しい」と発言した栃木県下野市の幸福実現党の石川信夫、「同性結婚なんて気持ち悪い事は大反対!」とSNSにコメントした愛知県議員の渡辺昇、「(セクシャルマイノリティの人たちは)生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」と会議で述べた自民党の元国土交通政務官の簗和生、「(LGBTQの理解を進める学校教育は子供を)同性愛へ誘導しかねない」と発言した東京都台東区議員の松村智成、「レズビアンとゲイについてだけは、もしこれが足立区に完全に広がってしまったら、足立区民いなくなっちゃうのは100年とか200年の先の話じゃない。レズビアンだってゲイだって、法律で守られているじゃないかなんていうような話になったんでは、足立区は滅んでしまう」と区議会で意見を述べた自民党の白石正輝らは、一応は全員が謝罪の言葉を後に述べています(いずれも敬称略)。
しかし、トランプ新政権が台頭してしまった現在、このような発言をしたとしてもこれまでのようには咎められないかもしれません。時代は確実に逆行しています......。
第223回(2025年1月) 鈴木真実さんはもう「いない」のか
私がタイのエイズ患者やエイズ孤児支援に携わり始めて20年以上経過します。これまでに大勢の心優しい献身的な人たちと関わってきましたが、そんななかでもひときわ高い人格を持ち合わせ、そして大勢の患者さんから慕われていたのが鈴木真実さんです。ですが、その鈴木真実さんはもうこの世に存在しないのかもしれません......。
私が鈴木真実さんと初めて出会ったのは2011年の8月、このサイトで紹介しているタイ・ロッブリー県にある通称「エイズホスピス」のパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)です。この寺に私が初めて訪れたのは2002年の10月で、当時のタイではまだ抗HIV薬が使えず、この寺に入所することは「死へのモラトリアム」を意味していました。あるいは、やっとのことでたどり着いたその日に他界する人や、HIVに感染した赤ちゃんが寺の前に捨てられていて寺の職員が気付いたときにはすでに死亡していた、といったことも頻繁に起こっていました。
その当時から世界の多くの国からこの寺にボランティアや単なる見学でやってくる人たちがいて、日本人も次第に増え始めていました。私自身は2004年に数か月ボランティア医師として働き、その後NPO法人GINAを立ち上げ、タイのエイズ事情を大勢の人に知ってもらうことに努めました。パバナプ寺にはその後、コロナ禍が始まるまでは年に1~2回は訪れていました。訪問の目的は寄付金や薬を届けることや治療に難渋している患者さんを診察することなどでしたが、寺でボランティアをしている日本人と話をすることも楽しみのひとつでした。
「楽しみ」といってもボランティアなら誰でも話していて楽しいわけではなく、「この人、何のためにここに来ているのだろう......」と感じてしまう人も少なくなく、例えば"自分探し"の一環でこの寺にたどり着いた、という感じの人もいました。なかには怪しげな健康食品の販売を目的にはるばるやってきた風変わりな日本人の自称大学講師もいました。そんななか、他のボランティア達とは異なる雰囲気で患者さんたちに手厚いケアをしていたのが鈴木真実さんでした。
日本の病院には患者さんたちからすごく人気のある看護師がいることがあって、彼女たちは例外なく患者さんの話をしっかり聞いて、ケアも丁寧なのですが、鈴木真実さんの場合はそういう日本でよくみる看護師とはちょっと違います。鈴木さんが看護師でないから私の目にはそう映ったのかもしれませんが、私がまず驚いたのは鈴木さんが患者さんたちのベッドに近づいただけで患者さんに笑顔が戻ることでした。流暢なタイ語で語り掛け、ときには共に笑い、ときには共に涙を流し、丁寧に身体を拭くこともあります。
どこでそんなに上手なタイ語を学んだのかが気になって尋ねてみると、なんと「ここに来てから」と言います。患者さんの何割かは身体が弱り、まともな発声ができないこともあります。しかし鈴木真実さんは、テキストも使わず、ただ患者さんとの会話だけでタイ語を覚えたと言うのです。患者さんにジョークを連発することもある、と言えばその実力が分かるでしょう。驚くべきことに鈴木さんはタイ語の読み書きは一切できないそうです。私は2011年のその当時にはタイ語はある程度読み書きができるようになっていましたが、とても鈴木さんのように流暢に話すことはできません。困窮している患者さんに笑顔をもたらすことなどとてもできません。
GINAとしても私個人としても鈴木真実さんの活動を支援することにしました。その後、鈴木さんは支援の幅を広げ、タイ国内の他の施設にもボランティア活動に出向いていました。「HUG & SMILE Foundation」という財団法人をつくり、さらに活動を広げ、賛同する仲間も増えていました。
そんな矢先、2014年の7月、タイ滞在中の鈴木真実さんから突然メールが届きました。出血が止まらないことを不思議に思い、タイの医療機関を受診すると「再生不良性貧血」の診断が付けられたというのです。この疾患はかなりの難病であり、進行すると血液がつくられなくなります。病名には「貧血」とついていますが、生じるのは貧血だけでなく血小板も低下します。ですから少しの衝撃で出血が止まらなくなるのです。白血球も低下しますから感染症に対して防御できなくなります。治療薬はなくはありませんが、極めて高価で、また効くかどうか分かりません。当面の間は最低月に一度は輸血をせざるを得ません。また、免疫能がままならない状態ですから他人との至近距離の接触は控えるべきであり、結核やカリニ肺炎などを発症しているかもしれないエイズ患者に近づくなど医学的にはご法度です。
しかし鈴木真実さんはそれまで通りエイズ患者や孤児を支援し続けることを決意しました。日本で輸血を受けるとすぐに渡タイし、体力が続くギリギリまで複数の施設で支援活動を続け、その後身体をひきずるように帰国するというサイクルを繰り返していました。私は一度、鈴木さんが入院する千葉県の病院に見舞いに行ったことがあります。輸血を受けた直後だったこともあり、そのときは元気でしたが、タイ滞在中に次第に輸血の効果が切れて来て、成田に帰国したときは立ちあがることすら困難になるそうです。「日本の空港は車椅子をすぐに用意してくれるから助かります」と言っていたシーンが今も私の脳裏をよぎります。
その後コロナ禍が始まりました。体調もすぐれない鈴木真実さんはついにタイ渡航をいったん中止することにし、日本での治療に専念し始めました。しかし、今度は新たな疾患が見つかりました(再生不良性貧血を発症したことについて、ウェブサイトなどで公開することには鈴木さん本人から許可を得ていますが、新たな疾患については確認していませんのでここでは病名を伏せておきます。尚、再生不良性貧血と闘病している姿を私の毎日新聞の連載で紹介したことがあります)。
2022年1月6日に届いたメールが最後でした。このときに薬疹が出たことや、体調がすぐれないことを書かれていたのですが、再生不良性貧血自体は落ち着いているとのことでした。私はそれに対する返信をしただけで、それ以来音信が途絶えていました。もちろんときどき気になっていたのですが、いつもしばらくすると鈴木さんの方から連絡をくれていたので、「またそのうちにメールが届くだろう」と楽観視してしまっていました。
そしていつの間にか3年も経過し、そろそろ連絡しなければと考え私の方からメールを送信したのですが返信がきません。慌てて携帯電話に電話をすると「おかけになった電話番号は現在......」のメッセージが。この時点で絶望的な気持ちになりましたが、もしかするとすっかり元気になって日本の携帯電話を解約して今はタイで再び活動をしているのでは、とかすかな希望を抱き、鈴木さんと共通の知り合いのタイ人に連絡をとることを試みました。ところがそのタイ人からも返事が来ません。私の知り合いのタイ人のほとんどはここ数年でメールを使わなくなりSNSに移行しています。その共通の知人のSNSのアカウントを知らないために連絡がとれません。
鈴木真実さんは幅広く活動されていましたから、2014年頃には「鈴木真実」と検索すれば多くのページが表示されました。上述の「HUG & SMILE Foundation」のサイトや、「HUG & SMILE Foundation」を紹介したサイトも多数ヒットしていたのですが、今検索をかけてみるとほとんど表示されません。唯一、鈴木さんを紹介している健康関連のサイトが見つかりましたが、鈴木さんと「HUG & SMILE Foundation」に触れたそのコラムは2013年のものでした。
おそらく鈴木真実さんはこの世にもう「いない」のでしょう。ですが、私が死ぬまでは私の心の中に残り続けます。そういう意味では「いない」わけではありません。それに、鈴木さんの貢献の様子や写真は今も誰でも無料で見ることができるのです。このコラムを読まれた方は、是非(上述した)私が毎日新聞に書いたコラムを読んでみてください。鈴木真実さんの素敵な笑顔をご覧ください。
R.I.P....
私が鈴木真実さんと初めて出会ったのは2011年の8月、このサイトで紹介しているタイ・ロッブリー県にある通称「エイズホスピス」のパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)です。この寺に私が初めて訪れたのは2002年の10月で、当時のタイではまだ抗HIV薬が使えず、この寺に入所することは「死へのモラトリアム」を意味していました。あるいは、やっとのことでたどり着いたその日に他界する人や、HIVに感染した赤ちゃんが寺の前に捨てられていて寺の職員が気付いたときにはすでに死亡していた、といったことも頻繁に起こっていました。
その当時から世界の多くの国からこの寺にボランティアや単なる見学でやってくる人たちがいて、日本人も次第に増え始めていました。私自身は2004年に数か月ボランティア医師として働き、その後NPO法人GINAを立ち上げ、タイのエイズ事情を大勢の人に知ってもらうことに努めました。パバナプ寺にはその後、コロナ禍が始まるまでは年に1~2回は訪れていました。訪問の目的は寄付金や薬を届けることや治療に難渋している患者さんを診察することなどでしたが、寺でボランティアをしている日本人と話をすることも楽しみのひとつでした。
「楽しみ」といってもボランティアなら誰でも話していて楽しいわけではなく、「この人、何のためにここに来ているのだろう......」と感じてしまう人も少なくなく、例えば"自分探し"の一環でこの寺にたどり着いた、という感じの人もいました。なかには怪しげな健康食品の販売を目的にはるばるやってきた風変わりな日本人の自称大学講師もいました。そんななか、他のボランティア達とは異なる雰囲気で患者さんたちに手厚いケアをしていたのが鈴木真実さんでした。
日本の病院には患者さんたちからすごく人気のある看護師がいることがあって、彼女たちは例外なく患者さんの話をしっかり聞いて、ケアも丁寧なのですが、鈴木真実さんの場合はそういう日本でよくみる看護師とはちょっと違います。鈴木さんが看護師でないから私の目にはそう映ったのかもしれませんが、私がまず驚いたのは鈴木さんが患者さんたちのベッドに近づいただけで患者さんに笑顔が戻ることでした。流暢なタイ語で語り掛け、ときには共に笑い、ときには共に涙を流し、丁寧に身体を拭くこともあります。
どこでそんなに上手なタイ語を学んだのかが気になって尋ねてみると、なんと「ここに来てから」と言います。患者さんの何割かは身体が弱り、まともな発声ができないこともあります。しかし鈴木真実さんは、テキストも使わず、ただ患者さんとの会話だけでタイ語を覚えたと言うのです。患者さんにジョークを連発することもある、と言えばその実力が分かるでしょう。驚くべきことに鈴木さんはタイ語の読み書きは一切できないそうです。私は2011年のその当時にはタイ語はある程度読み書きができるようになっていましたが、とても鈴木さんのように流暢に話すことはできません。困窮している患者さんに笑顔をもたらすことなどとてもできません。
GINAとしても私個人としても鈴木真実さんの活動を支援することにしました。その後、鈴木さんは支援の幅を広げ、タイ国内の他の施設にもボランティア活動に出向いていました。「HUG & SMILE Foundation」という財団法人をつくり、さらに活動を広げ、賛同する仲間も増えていました。
そんな矢先、2014年の7月、タイ滞在中の鈴木真実さんから突然メールが届きました。出血が止まらないことを不思議に思い、タイの医療機関を受診すると「再生不良性貧血」の診断が付けられたというのです。この疾患はかなりの難病であり、進行すると血液がつくられなくなります。病名には「貧血」とついていますが、生じるのは貧血だけでなく血小板も低下します。ですから少しの衝撃で出血が止まらなくなるのです。白血球も低下しますから感染症に対して防御できなくなります。治療薬はなくはありませんが、極めて高価で、また効くかどうか分かりません。当面の間は最低月に一度は輸血をせざるを得ません。また、免疫能がままならない状態ですから他人との至近距離の接触は控えるべきであり、結核やカリニ肺炎などを発症しているかもしれないエイズ患者に近づくなど医学的にはご法度です。
しかし鈴木真実さんはそれまで通りエイズ患者や孤児を支援し続けることを決意しました。日本で輸血を受けるとすぐに渡タイし、体力が続くギリギリまで複数の施設で支援活動を続け、その後身体をひきずるように帰国するというサイクルを繰り返していました。私は一度、鈴木さんが入院する千葉県の病院に見舞いに行ったことがあります。輸血を受けた直後だったこともあり、そのときは元気でしたが、タイ滞在中に次第に輸血の効果が切れて来て、成田に帰国したときは立ちあがることすら困難になるそうです。「日本の空港は車椅子をすぐに用意してくれるから助かります」と言っていたシーンが今も私の脳裏をよぎります。
その後コロナ禍が始まりました。体調もすぐれない鈴木真実さんはついにタイ渡航をいったん中止することにし、日本での治療に専念し始めました。しかし、今度は新たな疾患が見つかりました(再生不良性貧血を発症したことについて、ウェブサイトなどで公開することには鈴木さん本人から許可を得ていますが、新たな疾患については確認していませんのでここでは病名を伏せておきます。尚、再生不良性貧血と闘病している姿を私の毎日新聞の連載で紹介したことがあります)。
2022年1月6日に届いたメールが最後でした。このときに薬疹が出たことや、体調がすぐれないことを書かれていたのですが、再生不良性貧血自体は落ち着いているとのことでした。私はそれに対する返信をしただけで、それ以来音信が途絶えていました。もちろんときどき気になっていたのですが、いつもしばらくすると鈴木さんの方から連絡をくれていたので、「またそのうちにメールが届くだろう」と楽観視してしまっていました。
そしていつの間にか3年も経過し、そろそろ連絡しなければと考え私の方からメールを送信したのですが返信がきません。慌てて携帯電話に電話をすると「おかけになった電話番号は現在......」のメッセージが。この時点で絶望的な気持ちになりましたが、もしかするとすっかり元気になって日本の携帯電話を解約して今はタイで再び活動をしているのでは、とかすかな希望を抱き、鈴木さんと共通の知り合いのタイ人に連絡をとることを試みました。ところがそのタイ人からも返事が来ません。私の知り合いのタイ人のほとんどはここ数年でメールを使わなくなりSNSに移行しています。その共通の知人のSNSのアカウントを知らないために連絡がとれません。
鈴木真実さんは幅広く活動されていましたから、2014年頃には「鈴木真実」と検索すれば多くのページが表示されました。上述の「HUG & SMILE Foundation」のサイトや、「HUG & SMILE Foundation」を紹介したサイトも多数ヒットしていたのですが、今検索をかけてみるとほとんど表示されません。唯一、鈴木さんを紹介している健康関連のサイトが見つかりましたが、鈴木さんと「HUG & SMILE Foundation」に触れたそのコラムは2013年のものでした。
おそらく鈴木真実さんはこの世にもう「いない」のでしょう。ですが、私が死ぬまでは私の心の中に残り続けます。そういう意味では「いない」わけではありません。それに、鈴木さんの貢献の様子や写真は今も誰でも無料で見ることができるのです。このコラムを読まれた方は、是非(上述した)私が毎日新聞に書いたコラムを読んでみてください。鈴木真実さんの素敵な笑顔をご覧ください。
R.I.P....
第222回(2024年12月) 「50人の男に妻をレイプさせた事件」が仏国のあの場所で起こった"因縁"
長年に渡り自身の妻を睡眠薬で眠らせて自宅に招いた50人以上の男にレイプさせていたフランスの事件は、日本のメディアではあまり見かけないのですが、海外メディアでは2021年頃より衝撃的な事件として報道されてきました。このおぞましい事件の報道は、加害者たちへの非難と法廷で証拠のビデオを流すことに同意した被害者の勇気に焦点が注がれていますが、私自身はこの土地でこの事件が起こったことに対し、因縁めいたものを感じずにはいられません。
まずは事件を振り返っておきましょう。
事件の主犯格の男は現在72歳のDominique Pelicot(以下「ドミニク・ぺリコ」)、フランス南東部のマザン(Mazan)という名の小さな村の住人です。マザンの人口はわずか6,300人ですから村民の多くが顔見知りでしょう。ドミニク・ぺリコはかつては不動産の代理店を営み営業をしていたと報道されています。尚、ドミニク・ペリコは、1991年に23歳の女性を強姦して殺害した容疑と、1999年に19歳の女性を強姦しようとした容疑でも捜査を受けています。
「妻を大勢の男性にレイプさせた事件」が発覚したのは「小さな犯罪」がきっかけでした。2020年、ドミニク・ぺリコがスーパーマーケットで3人の女性のスカートの中を盗撮しようとしていたことが女性らにバレて通報されました。警察がドミニク・ぺリコの捜査を開始し、パソコンやその他の電子機器を調べると、レイプや性的虐待を示唆する数千枚の写真や動画が発見されました。動画や写真の多くには、現在72歳のドミニク・ぺリコの妻Gisele Pelicotさん(以下「ペリコ夫人」)が意識を失い、複数の男に性的に弄ばれている姿が映し出されていました。結婚して50年になる夫のドミニク・ぺリコが密かにペリコ夫人を薬物で眠らせ、その後、ドミニク・ぺリコが自宅に招き入れた数十人の男性とともに夫人をレイプするという異常事態が10年近くも続いていたことが明らかとなりました。
地元警察は本格的な捜査を開始し、2020年11月にドミニク・ぺリコは起訴されました。誰がレイプに関わったのかを特定し、起訴するのにはほぼ2年の月日が費やされました。告発された男性のほとんどは「ウェブサイトを通してドミニク・ぺリコと知り合った」と法廷で述べています。
2024年12月19日、仏国プロヴァンス地方の都市アヴィニョン(Avignon)の法廷で、ドミニク・ぺリコに懲役20年の実刑判決が言い渡されました。
他の50人の容疑者全員にも大半は6年から9年程度の有罪判決が下されました。50人は26歳から74歳で、14人は定職に就いておらず、残り(36人)は職業を持っています。トラック運転手、大工、貿易労働者、看守、看護師、消防士、銀行で働くIT専門家、地元のジャーナリストなどです。50人のうち約15人は有罪を認めています。残りの被告は性交したことは認めたものの、レイプするつもりはなかったと主張しました。しかし、捜査で押収されたビデオには、薬物で眠らされ反応のないペリコ夫人に男たちが"侵入"(penetrating)する様子が映っていました。尚、このビデオを証拠として法廷で流すことをペリコ夫人が同意した勇気に対し、世界中から賞賛の声が上がっています。
50のうち3人は実名で報道されていますので簡単に紹介しておきましょう。
Charly Arbo: 初めてドミニク・ぺリコの自宅を訪れたのは2016年。当時は22歳だった。合計6回ドミニク・ぺリコの自宅に行っている。懲役13年の判決
Jean-Pierre Marechal: ドミニク・ペリコに教唆され、自分の妻に薬物を投与しドミニク・ペリコを誘ってレイプした。懲役12年の判決
Joseph Cocco: ペリコ夫人に謝罪した数少ない被告の1人。懲役4年の判決
匿名(実名は報道されず):ドミニク・ぺリコの自宅に6回訪れた。HIV陽性を隠し、さらにコンドームを使わなかった。懲役15年の判決(ドミニク・ペリコを除く加害者で最も重い判決)
さて、フランス中を震撼させたこの事件、フランスという国だからこそ起こったのでしょうか。「そんなはずはない」と答える人が大半でしょうが、誤解を恐れずに言えば、私はこの事件の報道を初めて読んだとき「なるほど、そういうことか......」と思わずにはいられませんでした。非科学的な話になりますが、私の心に浮かんだことを正直に告白しておきましょう。
私がこの事件を初めて知ったのは2021年の英国紙「Daily Mail Online」の記事で、ドミニク・ぺリコはまだ68歳と報じられていました。事件の場所を解説する地図に書かれていた「Mazan」という文字を目にした瞬間、私はハッとしました。私にとって「マザン(Mazan)と言えば、マルキ・ド・サド」なのです。
私が医学部受験をまだ考えていなかった90年代前半、社会学を本格的に学ぶためにフランスの思想や哲学に没入していた時期がありました。そのときに出会ったのが「性」の問題でした。ミシェル・フーコーから同性愛を学び、ジョルジュ・バタイユを読んで性的倒錯の世界を知り、そしてマルキ・ド・サドの異常な性への執着に関心が深まっていったのです。
マルキ・ド・サドの文学的な評価についてはここでは論じませんが、「性」を考える上では避けて通れない文学者であると私は今も考えています。いつしか、マルキ・ド・サドが避難していた邸宅を訪れたいと思うようになっていました。なぜなら、その邸宅は現在ホテルとして営業しているからです。そして、そのホテル「Le Château de Mazan」がマザンにあるのです。ちなみに、このホテルのウェブサイトにはマルキ・ド・サドが避難していた史実についても書かれています。
薬物を使い抵抗できない女性を凌辱し、それを文学作品へと昇華させ、その作品は200年以上たっても世界中で読み続けられ、他界するまで精神病院に隔離(投獄)されていたマルキ・ド・サドが居住していたその土地で、200年後に似たような事件が起こったことを単なる偶然だと片付けられないのは私だけでしょうか......。
貴族としてマルキ・ド・サドが世間からどのように見られていたのかについては諸説あるようですが、ドミニク・ぺリコは3人の子供たちから「理想の父親」とみなされていたようです。報道によると、ドミニク・ぺリコは子どもたちのために素晴らしい誕生日パーティーを主催し、スポーツイベントに一緒に参加し、娘がパーティーから無事に帰宅するのを見届け......、いつもそばにいてくれる愛情深い家族の柱だと思われていたそうです。
マルキ・ド・サドの再臨、などと言えば完全にオカルトの世界に入ってしまいますが、ついついそんなことを妄想してしまいます。ドミニク・ぺリコが起こしたこのおぞましい事件を解明するためには、もう一度マルキ・ド・サドに戻って「人間の性の本質」を掘り下げて考える必要があるのではないか。私にはそう思えてなりません。
まずは事件を振り返っておきましょう。
事件の主犯格の男は現在72歳のDominique Pelicot(以下「ドミニク・ぺリコ」)、フランス南東部のマザン(Mazan)という名の小さな村の住人です。マザンの人口はわずか6,300人ですから村民の多くが顔見知りでしょう。ドミニク・ぺリコはかつては不動産の代理店を営み営業をしていたと報道されています。尚、ドミニク・ペリコは、1991年に23歳の女性を強姦して殺害した容疑と、1999年に19歳の女性を強姦しようとした容疑でも捜査を受けています。
「妻を大勢の男性にレイプさせた事件」が発覚したのは「小さな犯罪」がきっかけでした。2020年、ドミニク・ぺリコがスーパーマーケットで3人の女性のスカートの中を盗撮しようとしていたことが女性らにバレて通報されました。警察がドミニク・ぺリコの捜査を開始し、パソコンやその他の電子機器を調べると、レイプや性的虐待を示唆する数千枚の写真や動画が発見されました。動画や写真の多くには、現在72歳のドミニク・ぺリコの妻Gisele Pelicotさん(以下「ペリコ夫人」)が意識を失い、複数の男に性的に弄ばれている姿が映し出されていました。結婚して50年になる夫のドミニク・ぺリコが密かにペリコ夫人を薬物で眠らせ、その後、ドミニク・ぺリコが自宅に招き入れた数十人の男性とともに夫人をレイプするという異常事態が10年近くも続いていたことが明らかとなりました。
地元警察は本格的な捜査を開始し、2020年11月にドミニク・ぺリコは起訴されました。誰がレイプに関わったのかを特定し、起訴するのにはほぼ2年の月日が費やされました。告発された男性のほとんどは「ウェブサイトを通してドミニク・ぺリコと知り合った」と法廷で述べています。
2024年12月19日、仏国プロヴァンス地方の都市アヴィニョン(Avignon)の法廷で、ドミニク・ぺリコに懲役20年の実刑判決が言い渡されました。
他の50人の容疑者全員にも大半は6年から9年程度の有罪判決が下されました。50人は26歳から74歳で、14人は定職に就いておらず、残り(36人)は職業を持っています。トラック運転手、大工、貿易労働者、看守、看護師、消防士、銀行で働くIT専門家、地元のジャーナリストなどです。50人のうち約15人は有罪を認めています。残りの被告は性交したことは認めたものの、レイプするつもりはなかったと主張しました。しかし、捜査で押収されたビデオには、薬物で眠らされ反応のないペリコ夫人に男たちが"侵入"(penetrating)する様子が映っていました。尚、このビデオを証拠として法廷で流すことをペリコ夫人が同意した勇気に対し、世界中から賞賛の声が上がっています。
50のうち3人は実名で報道されていますので簡単に紹介しておきましょう。
Charly Arbo: 初めてドミニク・ぺリコの自宅を訪れたのは2016年。当時は22歳だった。合計6回ドミニク・ぺリコの自宅に行っている。懲役13年の判決
Jean-Pierre Marechal: ドミニク・ペリコに教唆され、自分の妻に薬物を投与しドミニク・ペリコを誘ってレイプした。懲役12年の判決
Joseph Cocco: ペリコ夫人に謝罪した数少ない被告の1人。懲役4年の判決
匿名(実名は報道されず):ドミニク・ぺリコの自宅に6回訪れた。HIV陽性を隠し、さらにコンドームを使わなかった。懲役15年の判決(ドミニク・ペリコを除く加害者で最も重い判決)
さて、フランス中を震撼させたこの事件、フランスという国だからこそ起こったのでしょうか。「そんなはずはない」と答える人が大半でしょうが、誤解を恐れずに言えば、私はこの事件の報道を初めて読んだとき「なるほど、そういうことか......」と思わずにはいられませんでした。非科学的な話になりますが、私の心に浮かんだことを正直に告白しておきましょう。
私がこの事件を初めて知ったのは2021年の英国紙「Daily Mail Online」の記事で、ドミニク・ぺリコはまだ68歳と報じられていました。事件の場所を解説する地図に書かれていた「Mazan」という文字を目にした瞬間、私はハッとしました。私にとって「マザン(Mazan)と言えば、マルキ・ド・サド」なのです。
私が医学部受験をまだ考えていなかった90年代前半、社会学を本格的に学ぶためにフランスの思想や哲学に没入していた時期がありました。そのときに出会ったのが「性」の問題でした。ミシェル・フーコーから同性愛を学び、ジョルジュ・バタイユを読んで性的倒錯の世界を知り、そしてマルキ・ド・サドの異常な性への執着に関心が深まっていったのです。
マルキ・ド・サドの文学的な評価についてはここでは論じませんが、「性」を考える上では避けて通れない文学者であると私は今も考えています。いつしか、マルキ・ド・サドが避難していた邸宅を訪れたいと思うようになっていました。なぜなら、その邸宅は現在ホテルとして営業しているからです。そして、そのホテル「Le Château de Mazan」がマザンにあるのです。ちなみに、このホテルのウェブサイトにはマルキ・ド・サドが避難していた史実についても書かれています。
薬物を使い抵抗できない女性を凌辱し、それを文学作品へと昇華させ、その作品は200年以上たっても世界中で読み続けられ、他界するまで精神病院に隔離(投獄)されていたマルキ・ド・サドが居住していたその土地で、200年後に似たような事件が起こったことを単なる偶然だと片付けられないのは私だけでしょうか......。
貴族としてマルキ・ド・サドが世間からどのように見られていたのかについては諸説あるようですが、ドミニク・ぺリコは3人の子供たちから「理想の父親」とみなされていたようです。報道によると、ドミニク・ぺリコは子どもたちのために素晴らしい誕生日パーティーを主催し、スポーツイベントに一緒に参加し、娘がパーティーから無事に帰宅するのを見届け......、いつもそばにいてくれる愛情深い家族の柱だと思われていたそうです。
マルキ・ド・サドの再臨、などと言えば完全にオカルトの世界に入ってしまいますが、ついついそんなことを妄想してしまいます。ドミニク・ぺリコが起こしたこのおぞましい事件を解明するためには、もう一度マルキ・ド・サドに戻って「人間の性の本質」を掘り下げて考える必要があるのではないか。私にはそう思えてなりません。