GINAと共に
第208回(2023年10月) 他人の不幸や未来はどうでもいいのか
10月7日に勃発し、事実上すでに戦争と呼べる段階に入った「ガザ(パレスチナ)・イスラエル紛争」は収拾の目途が立っていません。先制攻撃を仕掛けたのはガザのハマスと呼ばれるパレスチナの民族グループですが、その後直ちにイスラエルが報復の攻撃を開始したため、本原稿執筆時点ではガザ地区の被害者の方が圧倒的に多くなっています。
数字だけでみればイスラエルが過剰な報復措置をとっているという見方ができますし、アントニオ・グテーレス(Antonio Guterres)国連事務総長は、10月24日、「明らかな国際人道法違反(the clear violations of international humanitarian law)」がガザで起こっていると発言し、イスラエルを批判しました。
さらに、「パレスチナ人は56年間にわたり窒息するような占領(suffocating occupation)にさらされてきた」とコメントしました。「56年間」というのは、言い換えれば「第三次中東戦争以来」となります。そもそも、イスラエルは「自国がハマスというテロ組織に襲われた」というようなことを主張しているようですが、ガザ地域は(そしてヨルダン川西岸も)、1947年のイスラエル建国時点ではパレスチナ人の居住地だったわけです。その土地を第三次中東戦争でパレスチナ人からかっぱらったのです。
アントニオ・グテーレス国連事務総長のこの発言に対し、イスラエルは反発しました。この発言を理由にグテーレス事務総長の辞任を要求したのです。
歴史を「正当な立場で」検証するのは困難ですが、イスラエルの主張が100%正しいとは言えないでしょう。アントニオ・グテーレス国連事務総長の言い分が間違っているとは思えません。
しかし、事務総長の意見だけで、国連が正式にイスラエルに戦闘を中止するよう勧告することはできません。常任理事国が1か国でも否決権を行使すれば国連の総意とはならないからです。
ユダヤ人が政界・経済界で力を持っている米国は一貫してイスラエルを支持していますし、これからもこの方針は変わらないでしょう。実際、パレスチナは「パレスチナ国」として138の国連加盟国から承認されていますが、米国は承認していません。英国、仏国も国内にユダヤ人の影響が少なくないことに加え、第二次世界大戦時の"複雑な"歴史がありますから、イスラエルを非難することは容易にはできません。
ドイツは国連常任理事国ではありませんが、ホロコーストの歴史がありますから、ドイツ政府としては「無条件でイスラエルを支持」するしかありません。もっとも、ドイツ国民はそうは思っていないようです。POLITICOによると、世論調査では、極右政党「ドイツのための選択肢」の支持者の78%が、「ドイツには『イスラエルに対して特別な義務』があるという考えに同意していない」と答えています。ドイツでは10月7日からの8日間で、戦争に関連した反ユダヤ的事件が202件発生しています。
「反ユダヤ」というよりは「親パレスチナ」で目立ってきているのがマレーシアとインドネシアです。カタールのメディア「アルジャジーラ」によると、マレーシアのアンワル・イブラヒム首相は、「ハマスを非難せよ」とする西側諸国からの圧力に抗し、「ハマスとの関係を維持する」と宣言しました。マレーシアは「パレススナ国」を承認している一方で、イスラエルとは外交関係を持っていません。
世界で最も人口の多いイスラム教徒を抱えるのがインドネシアです。インドネシアもまたマレーシアと同様、「パレスチナ国」を承認し、そしてイスラエルとは外交のない国です。報道によると、ジョコ・ウィドド大統領は「イスラエルが占領しているパレスチナの土地については国連の同意によって解決されなければならない」と、イスラエルを非難するコメントを表明しています。
ついでに他国の状況もまとめてみましょう。ユダヤ人ともパレスチナ人とも直接的な関係の薄い大国は他の政治要因が関わってきます。ロシアはウクライナ戦争の真っただ中ですから米国に味方することはないでしょうが、プーチン大統領とネタニヤフ首相は懇意の仲だと聞きます。一方、シリアのアサド大統領との関係も重要でしょうから、イスラエルとパレスチナの今回の戦争に関してはロシアはしばらく大きな動きを見せないと思います。
中国も複雑です。自国がイスラム教徒の新疆ウイグル自治区に対し非人道的な政策をとっていることからイスラム諸国からの評判はよくないわけですが、外交に長けた中国はおそらくこの戦争をチャンスと考え、イスラエル、パレスチナの双方に巧みに近づくのではないでしょうか。
意外なのがインドです。インドは1988年にいち早く「パレスチナ国」を承認した国ですから、今回もパレスチナ寄りなのかと思いきや、アルジャジーラによると、政府は反イスラエルのデモを鎮圧する動きにでています。おそらくこれは現在インド政府が政治経済的に米国に近づこうとしているからではないでしょうか。大衆による反イスラエルのデモが活発化して米国の怒りを買いたくないという姑息な考えがあるのではないかと私はみています。
このように俯瞰してみると、中東で局所的に勃発した地域の戦争はすでに世界に多大な影響を与えています。ウクライナ戦争に終結の兆しは見えません。三大緊迫地域とされている東欧と中東ですでに火がついているわけですから、残りの1つである東アジア(つまり北朝鮮)の緊張感が高まれば一気に第三次世界大戦に突入するかもしれません。
もしもそのようなことが起これば、というよりすでにこれだけ火が上がり、軍事産業が興隆しているわけですから「地球温暖化」は加速されています。なぜかあまり話題に上がりませんが、地球温暖化を研究する国際機関IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)は、2018年に「早ければ、2040年前後までに地球は壊滅的な状態になる」と報告しています。
今年(2023年)は、6~8月は連続で20世紀以降で最高温度を記録しました。中東やアフリカ大陸では洪水の被害が深刻で、カナダでは史上最悪の山火事が起こりました。コペルニクス大気モニタリングサービス(Copernicus Atmosphere Monitoring Service)によると、2023年は7月末の時点で、年初からの山火事による炭素排出量推定総量は、2014年のカナダの年間推定山火事炭素排出量総量の2倍に達しています。BBCによると、カナダ北西部のフォート・グッド・ホープ(Fort Good Hop)では気温が37.4度まで上昇しました。カナダでは地下の氷層が溶けて、アスファルトが陥没し、地盤沈下で木や家が傾く被害が相次いでいるそうです。こうなると地震のリスクがでてきます。
リビアで11,000人以上が死亡し尚も1万人以上が行方不明の2つのダムが決壊した事故は、"人災"だとも言われていますが、地球温暖化が引き金を引いたのもまた事実です。
2022年に発表された論文によると、北極圏の温暖化は1979年以来、過去43年間で地球全体の4倍近くの速さで温暖化しています。実際、シベリアではツンドラがどんどん溶けているようで、溶けると元に戻るのに数万年かかると言われています。シベリアでは森林火災も深刻で、凍土層が溶けて地中の炭素が大気に放出されています。炭素は二酸化炭素とメタンとなり温室効果の原因となります。ロシアは2015年の報告で、すでに温暖化が地球全体の2.5倍の速さで進行していることが指摘されています。
しかし地球温暖化の影響を最も強く受けている(というよりとばっちりを受けている)のはアフリカです。世界気象機関(WMO)によると、アフリカの温室効果ガス排出量は世界全体の10%にも満たないのに関わらず、気候変動によるアフリカの損失と損害のコストは、(年間)2,900億ドルから4,400億ドルになると予測されています。
2015年に国連で採択されたパリ協定では産業革命以前と比較して平均気温上昇を1.5度以内とすることが決められました。BBCによると、今年(2023年)は、10月2日までの時点で86日間は、産業革命以前よりも1.5度以上気温が高かったことが示されており、これはこれまでで過去最高だった2016年の記録を上回っています。パリ協定の基準は「年間を通して1.5度以上」ですからこの基準は満たさないと予想されますが、いずれこの基準を超えるのは火を見るより明らかでしょう。
病気の話もしましょう。随所で述べているように、新型コロナウイルスについて私が最もショックだったのが「日頃診ている患者を見放す医師たち」でした。日本のHIVに関しては、「HIV陽性というだけで(HIV自体は安定しているのに)拒否する医師」です。こちらは最近はかなり少なくなってきましたが、まだこのようなクリニックもあります。
結局、人間というのは自分には関係のないこと、自分の得にならないことについては関心が持てない生き物なのでしょう。遠い国の子供たちが無残な殺され方をしようが、将来の地球に住めなくなろうが、病気で困っている赤の他人がいようが、そんなことはおかまいなしに目先の利益を追求するのが人間の本質なのかもしれません。最後に今年102歳の生涯を閉じた洋画家の野見山暁治氏のエピソードを『眼の人』(北里晋著)から紹介したいと思います。
************
(出征前の宴会の場で)ぼくは上座に据えられ、みんなから激励の言葉を受けた。「国のために戦ってこい」とか「敵をやっつけろ」とか。これが今のぼくへの期待なのか。
一通り済んだところで、親父が「おまえ、みんなにあいさつをしろ」と言い出した。何としても嫌だったが、「ひとこと言え」と聞かない。みんなシーンとして待っている。この人たちに応える言葉は一つも浮かばない。
あるドイツの詩人が「われはドイツに生まれたる世界の市民なり」と言っています。われ知らずぼくはそう口走ると、後は止まらなくなった。私は日本に生まれた世界の市民です。それがどうして敵をつくったり、殺し合ったりしないといけないのか。私にそんなことはできない。どうしても嫌です。
「貴様、やめろ」と軍人が立ち上がった。(略)散々な罵声の中、宴会はメチャクチャになった。
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数字だけでみればイスラエルが過剰な報復措置をとっているという見方ができますし、アントニオ・グテーレス(Antonio Guterres)国連事務総長は、10月24日、「明らかな国際人道法違反(the clear violations of international humanitarian law)」がガザで起こっていると発言し、イスラエルを批判しました。
さらに、「パレスチナ人は56年間にわたり窒息するような占領(suffocating occupation)にさらされてきた」とコメントしました。「56年間」というのは、言い換えれば「第三次中東戦争以来」となります。そもそも、イスラエルは「自国がハマスというテロ組織に襲われた」というようなことを主張しているようですが、ガザ地域は(そしてヨルダン川西岸も)、1947年のイスラエル建国時点ではパレスチナ人の居住地だったわけです。その土地を第三次中東戦争でパレスチナ人からかっぱらったのです。
アントニオ・グテーレス国連事務総長のこの発言に対し、イスラエルは反発しました。この発言を理由にグテーレス事務総長の辞任を要求したのです。
歴史を「正当な立場で」検証するのは困難ですが、イスラエルの主張が100%正しいとは言えないでしょう。アントニオ・グテーレス国連事務総長の言い分が間違っているとは思えません。
しかし、事務総長の意見だけで、国連が正式にイスラエルに戦闘を中止するよう勧告することはできません。常任理事国が1か国でも否決権を行使すれば国連の総意とはならないからです。
ユダヤ人が政界・経済界で力を持っている米国は一貫してイスラエルを支持していますし、これからもこの方針は変わらないでしょう。実際、パレスチナは「パレスチナ国」として138の国連加盟国から承認されていますが、米国は承認していません。英国、仏国も国内にユダヤ人の影響が少なくないことに加え、第二次世界大戦時の"複雑な"歴史がありますから、イスラエルを非難することは容易にはできません。
ドイツは国連常任理事国ではありませんが、ホロコーストの歴史がありますから、ドイツ政府としては「無条件でイスラエルを支持」するしかありません。もっとも、ドイツ国民はそうは思っていないようです。POLITICOによると、世論調査では、極右政党「ドイツのための選択肢」の支持者の78%が、「ドイツには『イスラエルに対して特別な義務』があるという考えに同意していない」と答えています。ドイツでは10月7日からの8日間で、戦争に関連した反ユダヤ的事件が202件発生しています。
「反ユダヤ」というよりは「親パレスチナ」で目立ってきているのがマレーシアとインドネシアです。カタールのメディア「アルジャジーラ」によると、マレーシアのアンワル・イブラヒム首相は、「ハマスを非難せよ」とする西側諸国からの圧力に抗し、「ハマスとの関係を維持する」と宣言しました。マレーシアは「パレススナ国」を承認している一方で、イスラエルとは外交関係を持っていません。
世界で最も人口の多いイスラム教徒を抱えるのがインドネシアです。インドネシアもまたマレーシアと同様、「パレスチナ国」を承認し、そしてイスラエルとは外交のない国です。報道によると、ジョコ・ウィドド大統領は「イスラエルが占領しているパレスチナの土地については国連の同意によって解決されなければならない」と、イスラエルを非難するコメントを表明しています。
ついでに他国の状況もまとめてみましょう。ユダヤ人ともパレスチナ人とも直接的な関係の薄い大国は他の政治要因が関わってきます。ロシアはウクライナ戦争の真っただ中ですから米国に味方することはないでしょうが、プーチン大統領とネタニヤフ首相は懇意の仲だと聞きます。一方、シリアのアサド大統領との関係も重要でしょうから、イスラエルとパレスチナの今回の戦争に関してはロシアはしばらく大きな動きを見せないと思います。
中国も複雑です。自国がイスラム教徒の新疆ウイグル自治区に対し非人道的な政策をとっていることからイスラム諸国からの評判はよくないわけですが、外交に長けた中国はおそらくこの戦争をチャンスと考え、イスラエル、パレスチナの双方に巧みに近づくのではないでしょうか。
意外なのがインドです。インドは1988年にいち早く「パレスチナ国」を承認した国ですから、今回もパレスチナ寄りなのかと思いきや、アルジャジーラによると、政府は反イスラエルのデモを鎮圧する動きにでています。おそらくこれは現在インド政府が政治経済的に米国に近づこうとしているからではないでしょうか。大衆による反イスラエルのデモが活発化して米国の怒りを買いたくないという姑息な考えがあるのではないかと私はみています。
このように俯瞰してみると、中東で局所的に勃発した地域の戦争はすでに世界に多大な影響を与えています。ウクライナ戦争に終結の兆しは見えません。三大緊迫地域とされている東欧と中東ですでに火がついているわけですから、残りの1つである東アジア(つまり北朝鮮)の緊張感が高まれば一気に第三次世界大戦に突入するかもしれません。
もしもそのようなことが起これば、というよりすでにこれだけ火が上がり、軍事産業が興隆しているわけですから「地球温暖化」は加速されています。なぜかあまり話題に上がりませんが、地球温暖化を研究する国際機関IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)は、2018年に「早ければ、2040年前後までに地球は壊滅的な状態になる」と報告しています。
今年(2023年)は、6~8月は連続で20世紀以降で最高温度を記録しました。中東やアフリカ大陸では洪水の被害が深刻で、カナダでは史上最悪の山火事が起こりました。コペルニクス大気モニタリングサービス(Copernicus Atmosphere Monitoring Service)によると、2023年は7月末の時点で、年初からの山火事による炭素排出量推定総量は、2014年のカナダの年間推定山火事炭素排出量総量の2倍に達しています。BBCによると、カナダ北西部のフォート・グッド・ホープ(Fort Good Hop)では気温が37.4度まで上昇しました。カナダでは地下の氷層が溶けて、アスファルトが陥没し、地盤沈下で木や家が傾く被害が相次いでいるそうです。こうなると地震のリスクがでてきます。
リビアで11,000人以上が死亡し尚も1万人以上が行方不明の2つのダムが決壊した事故は、"人災"だとも言われていますが、地球温暖化が引き金を引いたのもまた事実です。
2022年に発表された論文によると、北極圏の温暖化は1979年以来、過去43年間で地球全体の4倍近くの速さで温暖化しています。実際、シベリアではツンドラがどんどん溶けているようで、溶けると元に戻るのに数万年かかると言われています。シベリアでは森林火災も深刻で、凍土層が溶けて地中の炭素が大気に放出されています。炭素は二酸化炭素とメタンとなり温室効果の原因となります。ロシアは2015年の報告で、すでに温暖化が地球全体の2.5倍の速さで進行していることが指摘されています。
しかし地球温暖化の影響を最も強く受けている(というよりとばっちりを受けている)のはアフリカです。世界気象機関(WMO)によると、アフリカの温室効果ガス排出量は世界全体の10%にも満たないのに関わらず、気候変動によるアフリカの損失と損害のコストは、(年間)2,900億ドルから4,400億ドルになると予測されています。
2015年に国連で採択されたパリ協定では産業革命以前と比較して平均気温上昇を1.5度以内とすることが決められました。BBCによると、今年(2023年)は、10月2日までの時点で86日間は、産業革命以前よりも1.5度以上気温が高かったことが示されており、これはこれまでで過去最高だった2016年の記録を上回っています。パリ協定の基準は「年間を通して1.5度以上」ですからこの基準は満たさないと予想されますが、いずれこの基準を超えるのは火を見るより明らかでしょう。
病気の話もしましょう。随所で述べているように、新型コロナウイルスについて私が最もショックだったのが「日頃診ている患者を見放す医師たち」でした。日本のHIVに関しては、「HIV陽性というだけで(HIV自体は安定しているのに)拒否する医師」です。こちらは最近はかなり少なくなってきましたが、まだこのようなクリニックもあります。
結局、人間というのは自分には関係のないこと、自分の得にならないことについては関心が持てない生き物なのでしょう。遠い国の子供たちが無残な殺され方をしようが、将来の地球に住めなくなろうが、病気で困っている赤の他人がいようが、そんなことはおかまいなしに目先の利益を追求するのが人間の本質なのかもしれません。最後に今年102歳の生涯を閉じた洋画家の野見山暁治氏のエピソードを『眼の人』(北里晋著)から紹介したいと思います。
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(出征前の宴会の場で)ぼくは上座に据えられ、みんなから激励の言葉を受けた。「国のために戦ってこい」とか「敵をやっつけろ」とか。これが今のぼくへの期待なのか。
一通り済んだところで、親父が「おまえ、みんなにあいさつをしろ」と言い出した。何としても嫌だったが、「ひとこと言え」と聞かない。みんなシーンとして待っている。この人たちに応える言葉は一つも浮かばない。
あるドイツの詩人が「われはドイツに生まれたる世界の市民なり」と言っています。われ知らずぼくはそう口走ると、後は止まらなくなった。私は日本に生まれた世界の市民です。それがどうして敵をつくったり、殺し合ったりしないといけないのか。私にそんなことはできない。どうしても嫌です。
「貴様、やめろ」と軍人が立ち上がった。(略)散々な罵声の中、宴会はメチャクチャになった。
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第207回(2023年9月) 「ジャニー喜多川性加害事件」で誰も言わないこと
今年(2023年)の3月より報道が過熱し、ついにジャニーズ事務所が謝罪会見を開くことになったいわゆる「ジャニー喜多川性加害事件」は、同事務所所属のタレントをCMなどに起用しない大手企業が出てくるなど波乱を呼んでいます。社長が東山紀之氏に交代し会見で釈明したものの過去の出来事を根掘り葉掘り執拗に聞き出そうとするメディアもあり、当分の間この話題は続きそうです。しかし、一連の報道をみていてどこかに違和感を覚えないでしょうか。私にはメディアを含む世論に"ズルさ"が感じられます。では、どこにそのズルさがあるのか。まずはこの事件の経緯を、各メディアの報道を参照しながら時間軸で振り返ってみましょう。
************
1964年:ジャニー喜多川氏(以下「ジャニー氏」)によるタレントへの猥褻行為に対する裁判が東京地裁でおこなわれた。被害者たちはジャニー氏に「それが自分たちにとって最高の手段であるのだ」と説き伏せられ真実を語らず、東京地裁は「証拠がない」として性加害を認定しなかった。しかし被害者の一人は後に「あの証言は偽りで、性的虐待はあった」と語った
その後も『週刊サンケイ』や『女性自身』が、ジャニー氏が所属タレントにわいせつ行為をはたらいていたことをスクープした(詳細は「The HEADLINE」の記事「ジャニー喜多川氏に向けられた具体的な性加害疑惑 = 約60年にわたる証言の歴史」に詳しい)
1981年:『週刊現代』が1981年4月30日号で発表した記事「たのきんトリオで大当たり 喜多川姉弟の異能」で、ジャニー氏に体を触られたという匿名の元タレント証言を紹介
1988年:「フォーリーブス」のメンバーだった北公次氏が『元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』を出版し、ジャニー氏から受けた性被害について語った
その後、中谷良著『ジャニーズの逆襲』、平本淳也著『ジャニーズのすべて―少年愛の館』、豊川誕著『ひとりぼっちの旅立ち - 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』などいわゆる暴露本が80年代後半から90年代にかけて次々と刊行された
1999年:『週刊文春』がジャニーズ事務所に関する特集記事「ホモセクハラ追及キャンペーン」を掲載し、ジャニー氏が所属タレントにわいせつ行為をはたらいていることを告発した。するとジャニー氏は週刊文春を「名誉棄損」で訴えた
2002年3月27日:東京地裁の一審判決。週刊文春が「敗訴」しメディアに大きく報道された。週刊文春には880万円の損害賠償が命じられた。週刊文春はこれを不服として東京高裁に控訴した
2003年7月15日:東京高裁の二審判決。一審の判決が覆され、ジャニー氏による所属タレントへの性加害が認定された。しかしメディアはほとんど報道しなかった。ジャニー氏はこの認定を不服として最高裁に上告した
2004年2月24日:最高裁はジャニー氏の上告を棄却し二審の判決が確定。これにてジャニー氏の性加害が最高裁に認められた。しかしメディアはほとんど報じなかった
2019年:ジャニー氏が他界。享年87歳。大規模な「お別れ会」が開催された。当時首相の安倍晋三氏は業績を称賛し人徳を讃える弔電を送った。しかし、海外メディアはジャニー氏の性加害を糾弾する報道をおこなった
2023年3月:英BBCがジャニー氏の性加害に焦点をあてたドキュメンタリー番組を放送。これが世界中のメディアで取り上げられ注目度が急増した。週刊文春は再度ジャニー氏の性加害の特集記事を組んだ。被害に遭った元ジャニーズのタレントが次々と実名で当時の被害を公表
4月12日:元ジャニーズのタレント、カウアン・オカモト氏が日本外国特派員協会で記者会見を開き、ジャニーズ事務所に所属していた15歳から退所までにジャニー氏から15-20回の性暴力を受けたと公表
9月7日:ジャニーズ事務所が記者会見を開く。社長の藤島氏がジャニー氏の性加害について謝罪。引責辞任し新たな社長に東山紀之氏が就任したと発表した
9月12日:サントリー社長で経済同友会の代表幹事、新浪剛史氏が「ジャニーズのタレントを起用することは、子供への虐待を認めることで、国際的に非難の的になる」との見解を述べ、サントリーのCMにジャニーズ事務所所属のタレントを起用しないことを発表。その後、東京海上、トヨタ自動車、第一三共ヘルスケア、日本航空、日本生命など大手企業も同様の旨を発表した
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さて、これまでは元ジャニーズのタレントが赤裸々に実情を語っても、名だたる雑誌(週刊文春が立役者であることは否定しませんが、私の印象でいえば今はなき『噂の真相』の方がインパクトがありました)がスクープ記事を発表しても、「売名行為だ」「単なる週刊誌ネタだ」などと大手メディアやジャニーズファンは相手にしていなかったわけです。
それが手のひらを返したように大手メディアの記者たちは一斉にジャニーズ事務所を叩き始めました。BBCの報道という"外圧"がなければ動けない日本のメディアには幻滅させられます。そして、際立って目立つのが一部の記者の豹変ぶりです。
記者たちは上から目線で正義を振りかざし、記者会見では遠慮のかけらもない詰問を繰り返しました。報道によると、最も物議を醸したのが東京新聞の望月衣塑子記者です。望月記者は東山紀之新社長に対して10分以上に渡り「Jr.たちに自身の陰部をさらして『俺のソーセージを食え』と言った。やられた方は覚えている」「忘れているのかもしれないが、ある種の加害を連鎖的にやってしまったのではと感じる」「ご自身がJr.に加害をしていたとしたら、それを今どう感じるのか」などと追及しました。東山氏は「覚えていないことも本当に多い。したかもしれないし、していないかもしれないというのが本当の気持ち」と答えたそうです。
これに対し、社会学者の古市憲寿氏は週刊新潮の連載コラムで「望月記者の質問は、下品な野次馬精神と暴走した正義感が、最悪の形で入り交じっていた」と極めて厳しい表現を使って望月記者を非難しました。
私自身も望月記者がこのような無神経極まりない質問をしたと聞いて唖然としました。もしも私がジャーナリストなら、「まあ、僕達もある程度はそういった出来事があったのは知っていたわけですが......」という前置きから質問をします。なぜって、このような"出来事"があったことは周知の事実だったのですから。
もっと言えば、"被害者"を生み出したのはジャニーズ事務所だけではありません。同事務所では男性が被害に遭ったわけですが、他の組織に目を向ければ女性の被害者だっていくらでもいるはずです。芸能の世界というのはそういうところだと、私は誰から教わったかは覚えていませんが、少なくとも高校を卒業する頃には知っていましたし、ほとんどの人がそうでしょう。
もっとも、ジャニーズファンの女性にはこういう話は通じませんでした。何年か前にジャニーズファンを公言する20代のある女性看護師にジャニー氏の性加害についてどう思うか聞いてみたところ、「えっ、先生(私のこと)、そんな話本当に信じているんですか?」と取りつく島もありませんでした。
さらに、現在のことはおいておくとして、90年代以前にこのような"被害"が横行していたのは何も芸能界だけではありません。具体的な業界名を挙げるのは避けますが、上下関係の厳しい職場であれば、こういったことは日常茶飯事、とまでは言いませんが珍しいことではなかったわけです。
もちろん、苦痛を訴える被害者が存在するわけですから加害者は許されるべきではありません。しかし、日本は元々男性どうしの性行為には寛容な文化を持っていますし(江戸時代の社会や風俗を学べばすぐに分かることです)、2017年に性犯罪に関する刑法が改正されるまで「強制性交等罪」の被害者は女性のみとされていました。尚、この法律改正は110年ぶりだそうです。さらに、日本の性交同意年齢は明治時代から現在も13歳のままです。源氏物語の光源氏が若紫に夢中になるのはたしか若紫がまだ10歳くらいの頃だったはずです(そういえば「光GENJI」もジャニーズでした......)。
誤解のないように言っておくと私はジャニーズ氏の罪に寛容になるべきだと言っているわけではありません。辛い目に遭った被害者が存在するわけですからジャニーズ事務所は社会的なけじめをつけなければなりません。また、被害者に対してはすでに成人しているとはいえ心のケアも必要でしょう。
私はタイのエイズ施設で、10代前半どころか、もっと幼い年齢で大人たちに弄ばれてHIVに感染した子供たちをたくさんみてきました。なかには物心がつかないくらいの幼いときに複数の男性にレイプされ、自分の性的アイデンティティに混乱している男児もいました。
ジャニー氏性加害問題をうやむやにしてはいけないのは自明です。ですが、まるで天下をとったかのように正義を振りかざすメディアの記者には辟易とさせられます。「以前から薄々気付いていたわたし達にも責任はあるんですが......」という記者が出てくることを望みます。
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1964年:ジャニー喜多川氏(以下「ジャニー氏」)によるタレントへの猥褻行為に対する裁判が東京地裁でおこなわれた。被害者たちはジャニー氏に「それが自分たちにとって最高の手段であるのだ」と説き伏せられ真実を語らず、東京地裁は「証拠がない」として性加害を認定しなかった。しかし被害者の一人は後に「あの証言は偽りで、性的虐待はあった」と語った
その後も『週刊サンケイ』や『女性自身』が、ジャニー氏が所属タレントにわいせつ行為をはたらいていたことをスクープした(詳細は「The HEADLINE」の記事「ジャニー喜多川氏に向けられた具体的な性加害疑惑 = 約60年にわたる証言の歴史」に詳しい)
1981年:『週刊現代』が1981年4月30日号で発表した記事「たのきんトリオで大当たり 喜多川姉弟の異能」で、ジャニー氏に体を触られたという匿名の元タレント証言を紹介
1988年:「フォーリーブス」のメンバーだった北公次氏が『元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』を出版し、ジャニー氏から受けた性被害について語った
その後、中谷良著『ジャニーズの逆襲』、平本淳也著『ジャニーズのすべて―少年愛の館』、豊川誕著『ひとりぼっちの旅立ち - 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』などいわゆる暴露本が80年代後半から90年代にかけて次々と刊行された
1999年:『週刊文春』がジャニーズ事務所に関する特集記事「ホモセクハラ追及キャンペーン」を掲載し、ジャニー氏が所属タレントにわいせつ行為をはたらいていることを告発した。するとジャニー氏は週刊文春を「名誉棄損」で訴えた
2002年3月27日:東京地裁の一審判決。週刊文春が「敗訴」しメディアに大きく報道された。週刊文春には880万円の損害賠償が命じられた。週刊文春はこれを不服として東京高裁に控訴した
2003年7月15日:東京高裁の二審判決。一審の判決が覆され、ジャニー氏による所属タレントへの性加害が認定された。しかしメディアはほとんど報道しなかった。ジャニー氏はこの認定を不服として最高裁に上告した
2004年2月24日:最高裁はジャニー氏の上告を棄却し二審の判決が確定。これにてジャニー氏の性加害が最高裁に認められた。しかしメディアはほとんど報じなかった
2019年:ジャニー氏が他界。享年87歳。大規模な「お別れ会」が開催された。当時首相の安倍晋三氏は業績を称賛し人徳を讃える弔電を送った。しかし、海外メディアはジャニー氏の性加害を糾弾する報道をおこなった
2023年3月:英BBCがジャニー氏の性加害に焦点をあてたドキュメンタリー番組を放送。これが世界中のメディアで取り上げられ注目度が急増した。週刊文春は再度ジャニー氏の性加害の特集記事を組んだ。被害に遭った元ジャニーズのタレントが次々と実名で当時の被害を公表
4月12日:元ジャニーズのタレント、カウアン・オカモト氏が日本外国特派員協会で記者会見を開き、ジャニーズ事務所に所属していた15歳から退所までにジャニー氏から15-20回の性暴力を受けたと公表
9月7日:ジャニーズ事務所が記者会見を開く。社長の藤島氏がジャニー氏の性加害について謝罪。引責辞任し新たな社長に東山紀之氏が就任したと発表した
9月12日:サントリー社長で経済同友会の代表幹事、新浪剛史氏が「ジャニーズのタレントを起用することは、子供への虐待を認めることで、国際的に非難の的になる」との見解を述べ、サントリーのCMにジャニーズ事務所所属のタレントを起用しないことを発表。その後、東京海上、トヨタ自動車、第一三共ヘルスケア、日本航空、日本生命など大手企業も同様の旨を発表した
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さて、これまでは元ジャニーズのタレントが赤裸々に実情を語っても、名だたる雑誌(週刊文春が立役者であることは否定しませんが、私の印象でいえば今はなき『噂の真相』の方がインパクトがありました)がスクープ記事を発表しても、「売名行為だ」「単なる週刊誌ネタだ」などと大手メディアやジャニーズファンは相手にしていなかったわけです。
それが手のひらを返したように大手メディアの記者たちは一斉にジャニーズ事務所を叩き始めました。BBCの報道という"外圧"がなければ動けない日本のメディアには幻滅させられます。そして、際立って目立つのが一部の記者の豹変ぶりです。
記者たちは上から目線で正義を振りかざし、記者会見では遠慮のかけらもない詰問を繰り返しました。報道によると、最も物議を醸したのが東京新聞の望月衣塑子記者です。望月記者は東山紀之新社長に対して10分以上に渡り「Jr.たちに自身の陰部をさらして『俺のソーセージを食え』と言った。やられた方は覚えている」「忘れているのかもしれないが、ある種の加害を連鎖的にやってしまったのではと感じる」「ご自身がJr.に加害をしていたとしたら、それを今どう感じるのか」などと追及しました。東山氏は「覚えていないことも本当に多い。したかもしれないし、していないかもしれないというのが本当の気持ち」と答えたそうです。
これに対し、社会学者の古市憲寿氏は週刊新潮の連載コラムで「望月記者の質問は、下品な野次馬精神と暴走した正義感が、最悪の形で入り交じっていた」と極めて厳しい表現を使って望月記者を非難しました。
私自身も望月記者がこのような無神経極まりない質問をしたと聞いて唖然としました。もしも私がジャーナリストなら、「まあ、僕達もある程度はそういった出来事があったのは知っていたわけですが......」という前置きから質問をします。なぜって、このような"出来事"があったことは周知の事実だったのですから。
もっと言えば、"被害者"を生み出したのはジャニーズ事務所だけではありません。同事務所では男性が被害に遭ったわけですが、他の組織に目を向ければ女性の被害者だっていくらでもいるはずです。芸能の世界というのはそういうところだと、私は誰から教わったかは覚えていませんが、少なくとも高校を卒業する頃には知っていましたし、ほとんどの人がそうでしょう。
もっとも、ジャニーズファンの女性にはこういう話は通じませんでした。何年か前にジャニーズファンを公言する20代のある女性看護師にジャニー氏の性加害についてどう思うか聞いてみたところ、「えっ、先生(私のこと)、そんな話本当に信じているんですか?」と取りつく島もありませんでした。
さらに、現在のことはおいておくとして、90年代以前にこのような"被害"が横行していたのは何も芸能界だけではありません。具体的な業界名を挙げるのは避けますが、上下関係の厳しい職場であれば、こういったことは日常茶飯事、とまでは言いませんが珍しいことではなかったわけです。
もちろん、苦痛を訴える被害者が存在するわけですから加害者は許されるべきではありません。しかし、日本は元々男性どうしの性行為には寛容な文化を持っていますし(江戸時代の社会や風俗を学べばすぐに分かることです)、2017年に性犯罪に関する刑法が改正されるまで「強制性交等罪」の被害者は女性のみとされていました。尚、この法律改正は110年ぶりだそうです。さらに、日本の性交同意年齢は明治時代から現在も13歳のままです。源氏物語の光源氏が若紫に夢中になるのはたしか若紫がまだ10歳くらいの頃だったはずです(そういえば「光GENJI」もジャニーズでした......)。
誤解のないように言っておくと私はジャニーズ氏の罪に寛容になるべきだと言っているわけではありません。辛い目に遭った被害者が存在するわけですからジャニーズ事務所は社会的なけじめをつけなければなりません。また、被害者に対してはすでに成人しているとはいえ心のケアも必要でしょう。
私はタイのエイズ施設で、10代前半どころか、もっと幼い年齢で大人たちに弄ばれてHIVに感染した子供たちをたくさんみてきました。なかには物心がつかないくらいの幼いときに複数の男性にレイプされ、自分の性的アイデンティティに混乱している男児もいました。
ジャニー氏性加害問題をうやむやにしてはいけないのは自明です。ですが、まるで天下をとったかのように正義を振りかざすメディアの記者には辟易とさせられます。「以前から薄々気付いていたわたし達にも責任はあるんですが......」という記者が出てくることを望みます。
第206回(2023年8月) 多くの日本人は差別されたことがないのでは?
私が「HIV/AIDSに本格的に関わりたい」と思ったのは、初めてエイズの患者さんを診たときで、本サイトで繰り返し紹介しているタイのロッブリー県のWat Phrabhatnamphu(パバナプ寺)です。2002年、当時のタイでは抗HIV薬がまだ使われておらず「HIV感染=死の宣告」でした。
また、正確な知識が知られておらず、「HIVは空気感染する」などと今では考えられないようなことが世間では信じられていて、感染者からは「食堂に入るとフォークを投げつけられて追い出された」「バスから引きずりおろされた」「石を投げられ村から追放された」「家族からも見放された」といった声を繰り返し聞きました。
なぜ私は「HIV/AIDSに本格的に関わりたい」と考えたのか。「もうすぐ薬が手に入るようになるから死から救える」と思ったのも理由のひとつですし、「さまざまな痛みや絶望感などを取り除きたい」と考えたのも事実です。ですが、一番大きかったのは「このような差別からこの人たちを救いたい」という強い気持ちが心の底から湧いてきたからです。
それ以来「HIV陽性者に対する差別を許してはならない」ということを私はいろんなところでもう20年以上主張し続けています。その私の意見を聞かされた人たちはほぼ全員が同意してくれて、それはありがたいのですが、ごく一部の人を除いて、私と同じようにNPO法人を立ち上げる人はいませんし、差別について他人に繰り返し説くようなことはしません。
では、なぜ私は「差別を許せない」とこれほどまでに強く思い続けているのか。実はこの答えは今も分かりません。「私もひどい差別を受けたことがあるから」というのであれば理解しやすいのですが、私自身は人格や人間性を否定されるほどの被差別体験はありません。ならば、私はエイズ患者のようにひどい差別を受けた人たちに対して感情移入しすぎているのでしょうか。その答えは分かりませんが、私が差別に対して「敏感」なのは間違いなさそうです。
私は医師ですから、日頃患者さんから差別を受けたという辛い話を聞く機会が少なくありません。HIV陽性者の人から聞くことも多く、「会社に知られて退職させられた」「家族が理解してくれず縁を切られた」といった話を聞くと、哀しみと怒りが入り混じった複雑な気持ちになって、この感情はなかなかおさまりません。
HIVだけではありません。身体的な障害、知的あるいは精神的な障害のせいで差別を受けた人からも話を聞きます。また、あまり語られることはないかもしれませんが、普通に仕事や勉強をしている慢性疾患を有している人たちも、なかなか他人には理解してもらえないような差別に苦しんでいることがあります。慢性疾患とは、糖尿病(特に1型糖尿病)、関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、アトピー性皮膚炎などです。
セクシャルマイノリティに対する差別はこれまでさんざん当事者の人たちから話を聞いてきたこともあり、私自身はストレートでありますが、その苦しみの一部は理解できるつもりです。女性差別についても、特に性被害の話を聞いたときにはある種の被差別感をわずかではありますが分かるようになってきました。
「差別はなくならない」あるいは「差別をするのが人間だ」、さらには「誰もがどこかで差別をしている」という人もいます。こういった考えについてはここでは深入りしませんが、こういう表現を聞いたときに私がいつも感じるのは「あなた自身は本当の差別に苦しんだことがあるのですか?」ということです。
というのは「差別はどこにでもある」と言う人は数多くいますが、私は日本人の(特に日本人男性の)大半は差別されたと自覚した経験がないのでは?と感じるからです。それはそれで"おめでたいこと"であって、幸せなのかもしれず、そのまま人生を終わるならそれでいいのかもしれません。よって、そういった人たちに私がこのようなことを言うのは「余計なお世話」なのかもしれませんが、「あなたが気付いていないだけで、あなたもいつ嫌な思いをするかもしれないし、実際すでに差別されてますよ」と言いたくなることがあります。
それをよく感じるのが「タイで偉そうにしている日本人(ほとんどが中年男性)を見たとき」です。短パン、ビーチサンダルなどのラフな格好で、タイ人の男女に偉そうに話している日本人をしばしば見かけます。あきらかにタイ人は困っているのにそんなことには目もくれず無茶なことを言うのです。彼らが「タイ人は日本人よりも劣っている」と考えていることが態度や言葉からよく分かります。
他方、欧米に長く住んでいた人たちと話をすると、多かれ少なかれ被差別的な体験をしていることが分かります。紳士・淑女の国々ではビジネスの現場で差別を受けることはさほどないかもしれません。ですが、例えば夜の街で「ジャップ」と日本人を卑下する言葉を吐かれ、ひどい場合は「国へ帰れ」とか「消えろ」などと言われた体験のある人も少なくありません。
日本人の女性は世界中どこに行ってもよくモテるためにパートナー探しに不自由しません。ですが、よくよく聞いてみると、相手の男性から差別的な発言をされたりモノのような扱いを受けたりしたことがあるという女性が少なくありません。「(西洋人の彼が)日本人の私を選んだのは私が愛されているからではなく日本人(もしくはアジア人)に対するフェティシズムからだ」というような話を、これまで私は何人かの日本人女性から聞きました。実際、そういう西洋の男性たちは、次から次へと日本人(またはアジア人)をパートナーに選び、複数のアジア人女性と交際しているとか。
「差別がなくならない」ことには私も同意します。私自身は激しい差別を受けたことはありませんが、海外では、上述した例のように、バーやクラブなどで「白人男性から差別的なまなざしを向けられた......」と感じたことは何度かあります。
西洋人から日本人が差別的な扱いを受けたという話はコロナ禍以降に急増しました。なかには「差別されることが辛くなって帰国した」という人もいます。いまだにバブル時代を引きずって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を信じているおめでたい人もいますが、もはや世界は日本をそんなに優れた国とは思っていません。たしかに、かつてのタイを含めたいくつかのアジア諸国では日本人というだけでチヤホヤされていた時代がありましたが、すでに遠い過去の話です。
差別がなくならない理由のひとつは、おそらく人間は「他者との差」を意識せずにはいられない生き物だからでしょう。「あなたと私はここが違う」だけでは差別になりませんが、「あなたと私を比べると私の方が"上"だ」と考えるから差別が生まれるわけです。それが背の高さであったり、学歴であったり、病気の有無だったり、けんかの強さであったり、収入や試算の差であったり、国籍や人種の違いであったりするわけです。
極端に卑屈になる必要はありませんが、おしなべて言えば世界でみれば日本人は"下"に見られることが少なくなく、差別されているのが現実です。それを認識することで、差別がなくならないのは事実だとしても、「差別が馬鹿らしいこと」が理解できるのではないでしょうか。そして、それができれば自分が"下"にみていた人に敬意がもてるようになるかもしれません。
私の場合、タイのエイズ患者さんから多くの悲惨な話を聞いて、それに耐えてきたことに敬意を払うようになり、そして自分が医師で目の前の人が患者なのは自分が単に運がいいだけのことであって、目の前の患者さんより優れているわけでもなんでもないということがよく分かりました。それを理解したとき、「世の中の差別がなくならないのだとしたら私は『差別をする人』を差別してやろう」と考えるようになったのです。
また、正確な知識が知られておらず、「HIVは空気感染する」などと今では考えられないようなことが世間では信じられていて、感染者からは「食堂に入るとフォークを投げつけられて追い出された」「バスから引きずりおろされた」「石を投げられ村から追放された」「家族からも見放された」といった声を繰り返し聞きました。
なぜ私は「HIV/AIDSに本格的に関わりたい」と考えたのか。「もうすぐ薬が手に入るようになるから死から救える」と思ったのも理由のひとつですし、「さまざまな痛みや絶望感などを取り除きたい」と考えたのも事実です。ですが、一番大きかったのは「このような差別からこの人たちを救いたい」という強い気持ちが心の底から湧いてきたからです。
それ以来「HIV陽性者に対する差別を許してはならない」ということを私はいろんなところでもう20年以上主張し続けています。その私の意見を聞かされた人たちはほぼ全員が同意してくれて、それはありがたいのですが、ごく一部の人を除いて、私と同じようにNPO法人を立ち上げる人はいませんし、差別について他人に繰り返し説くようなことはしません。
では、なぜ私は「差別を許せない」とこれほどまでに強く思い続けているのか。実はこの答えは今も分かりません。「私もひどい差別を受けたことがあるから」というのであれば理解しやすいのですが、私自身は人格や人間性を否定されるほどの被差別体験はありません。ならば、私はエイズ患者のようにひどい差別を受けた人たちに対して感情移入しすぎているのでしょうか。その答えは分かりませんが、私が差別に対して「敏感」なのは間違いなさそうです。
私は医師ですから、日頃患者さんから差別を受けたという辛い話を聞く機会が少なくありません。HIV陽性者の人から聞くことも多く、「会社に知られて退職させられた」「家族が理解してくれず縁を切られた」といった話を聞くと、哀しみと怒りが入り混じった複雑な気持ちになって、この感情はなかなかおさまりません。
HIVだけではありません。身体的な障害、知的あるいは精神的な障害のせいで差別を受けた人からも話を聞きます。また、あまり語られることはないかもしれませんが、普通に仕事や勉強をしている慢性疾患を有している人たちも、なかなか他人には理解してもらえないような差別に苦しんでいることがあります。慢性疾患とは、糖尿病(特に1型糖尿病)、関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、アトピー性皮膚炎などです。
セクシャルマイノリティに対する差別はこれまでさんざん当事者の人たちから話を聞いてきたこともあり、私自身はストレートでありますが、その苦しみの一部は理解できるつもりです。女性差別についても、特に性被害の話を聞いたときにはある種の被差別感をわずかではありますが分かるようになってきました。
「差別はなくならない」あるいは「差別をするのが人間だ」、さらには「誰もがどこかで差別をしている」という人もいます。こういった考えについてはここでは深入りしませんが、こういう表現を聞いたときに私がいつも感じるのは「あなた自身は本当の差別に苦しんだことがあるのですか?」ということです。
というのは「差別はどこにでもある」と言う人は数多くいますが、私は日本人の(特に日本人男性の)大半は差別されたと自覚した経験がないのでは?と感じるからです。それはそれで"おめでたいこと"であって、幸せなのかもしれず、そのまま人生を終わるならそれでいいのかもしれません。よって、そういった人たちに私がこのようなことを言うのは「余計なお世話」なのかもしれませんが、「あなたが気付いていないだけで、あなたもいつ嫌な思いをするかもしれないし、実際すでに差別されてますよ」と言いたくなることがあります。
それをよく感じるのが「タイで偉そうにしている日本人(ほとんどが中年男性)を見たとき」です。短パン、ビーチサンダルなどのラフな格好で、タイ人の男女に偉そうに話している日本人をしばしば見かけます。あきらかにタイ人は困っているのにそんなことには目もくれず無茶なことを言うのです。彼らが「タイ人は日本人よりも劣っている」と考えていることが態度や言葉からよく分かります。
他方、欧米に長く住んでいた人たちと話をすると、多かれ少なかれ被差別的な体験をしていることが分かります。紳士・淑女の国々ではビジネスの現場で差別を受けることはさほどないかもしれません。ですが、例えば夜の街で「ジャップ」と日本人を卑下する言葉を吐かれ、ひどい場合は「国へ帰れ」とか「消えろ」などと言われた体験のある人も少なくありません。
日本人の女性は世界中どこに行ってもよくモテるためにパートナー探しに不自由しません。ですが、よくよく聞いてみると、相手の男性から差別的な発言をされたりモノのような扱いを受けたりしたことがあるという女性が少なくありません。「(西洋人の彼が)日本人の私を選んだのは私が愛されているからではなく日本人(もしくはアジア人)に対するフェティシズムからだ」というような話を、これまで私は何人かの日本人女性から聞きました。実際、そういう西洋の男性たちは、次から次へと日本人(またはアジア人)をパートナーに選び、複数のアジア人女性と交際しているとか。
「差別がなくならない」ことには私も同意します。私自身は激しい差別を受けたことはありませんが、海外では、上述した例のように、バーやクラブなどで「白人男性から差別的なまなざしを向けられた......」と感じたことは何度かあります。
西洋人から日本人が差別的な扱いを受けたという話はコロナ禍以降に急増しました。なかには「差別されることが辛くなって帰国した」という人もいます。いまだにバブル時代を引きずって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を信じているおめでたい人もいますが、もはや世界は日本をそんなに優れた国とは思っていません。たしかに、かつてのタイを含めたいくつかのアジア諸国では日本人というだけでチヤホヤされていた時代がありましたが、すでに遠い過去の話です。
差別がなくならない理由のひとつは、おそらく人間は「他者との差」を意識せずにはいられない生き物だからでしょう。「あなたと私はここが違う」だけでは差別になりませんが、「あなたと私を比べると私の方が"上"だ」と考えるから差別が生まれるわけです。それが背の高さであったり、学歴であったり、病気の有無だったり、けんかの強さであったり、収入や試算の差であったり、国籍や人種の違いであったりするわけです。
極端に卑屈になる必要はありませんが、おしなべて言えば世界でみれば日本人は"下"に見られることが少なくなく、差別されているのが現実です。それを認識することで、差別がなくならないのは事実だとしても、「差別が馬鹿らしいこと」が理解できるのではないでしょうか。そして、それができれば自分が"下"にみていた人に敬意がもてるようになるかもしれません。
私の場合、タイのエイズ患者さんから多くの悲惨な話を聞いて、それに耐えてきたことに敬意を払うようになり、そして自分が医師で目の前の人が患者なのは自分が単に運がいいだけのことであって、目の前の患者さんより優れているわけでもなんでもないということがよく分かりました。それを理解したとき、「世の中の差別がなくならないのだとしたら私は『差別をする人』を差別してやろう」と考えるようになったのです。
第206回(2023年8月) 多くの日本人は差別されたことがないのでは?
私が「HIV/AIDSに本格的に関わりたい」と思ったのは、初めてエイズの患者さんを診たときで、本サイトで繰り返し紹介しているタイのロッブリー県のWat Phrabhatnamphu(パバナプ寺)です。2002年、当時のタイでは抗HIV薬がまだ使われておらず「HIV感染=死の宣告」でした。
また、正確な知識が知られておらず、「HIVは空気感染する」などと今では考えられないようなことが世間では信じられていて、感染者からは「食堂に入るとフォークを投げつけられて追い出された」「バスから引きずりおろされた」「石を投げられ村から追放された」「家族からも見放された」といった声を繰り返し聞きました。
なぜ私は「HIV/AIDSに本格的に関わりたい」と考えたのか。「もうすぐ薬が手に入るようになるから死から救える」と思ったのも理由のひとつですし、「さまざまな痛みや絶望感などを取り除きたい」と考えたのも事実です。ですが、一番大きかったのは「このような差別からこの人たちを救いたい」という強い気持ちが心の底から湧いてきたからです。
それ以来「HIV陽性者に対する差別を許してはならない」ということを私はいろんなところでもう20年以上主張し続けています。その私の意見を聞かされた人たちはほぼ全員が同意してくれて、それはありがたいのですが、ごく一部の人を除いて、私と同じようにNPO法人を立ち上げる人はいませんし、差別について他人に繰り返し説くようなことはしません。
では、なぜ私は「差別を許せない」とこれほどまでに強く思い続けているのか。実はこの答えは今も分かりません。「私もひどい差別を受けたことがあるから」というのであれば理解しやすいのですが、私自身は人格や人間性を否定されるほどの被差別体験はありません。ならば、私はエイズ患者のようにひどい差別を受けた人たちに対して感情移入しすぎているのでしょうか。その答えは分かりませんが、私が差別に対して「敏感」なのは間違いなさそうです。
私は医師ですから、日頃患者さんから差別を受けたという辛い話を聞く機会が少なくありません。HIV陽性者の人から聞くことも多く、「会社に知られて退職させられた」「家族が理解してくれず縁を切られた」といった話を聞くと、哀しみと怒りが入り混じった複雑な気持ちになって、この感情はなかなかおさまりません。
HIVだけではありません。身体的な障害、知的あるいは精神的な障害のせいで差別を受けた人からも話を聞きます。また、あまり語られることはないかもしれませんが、普通に仕事や勉強をしている慢性疾患を有している人たちも、なかなか他人には理解してもらえないような差別に苦しんでいることがあります。慢性疾患とは、糖尿病(特に1型糖尿病)、関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、アトピー性皮膚炎などです。
セクシャルマイノリティに対する差別はこれまでさんざん当事者の人たちから話を聞いてきたこともあり、私自身はストレートでありますが、その苦しみの一部は理解できるつもりです。女性差別についても、特に性被害の話を聞いたときにはある種の被差別感をわずかではありますが分かるようになってきました。
「差別はなくならない」あるいは「差別をするのが人間だ」、さらには「誰もがどこかで差別をしている」という人もいます。こういった考えについてはここでは深入りしませんが、こういう表現を聞いたときに私がいつも感じるのは「あなた自身は本当の差別に苦しんだことがあるのですか?」ということです。
というのは「差別はどこにでもある」と言う人は数多くいますが、私は日本人の(特に日本人男性の)大半は差別されたと自覚した経験がないのでは?と感じるからです。それはそれで"おめでたいこと"であって、幸せなのかもしれず、そのまま人生を終わるならそれでいいのかもしれません。よって、そういった人たちに私がこのようなことを言うのは「余計なお世話」なのかもしれませんが、「あなたが気付いていないだけで、あなたもいつ嫌な思いをするかもしれないし、実際すでに差別されてますよ」と言いたくなることがあります。
それをよく感じるのが「タイで偉そうにしている日本人(ほとんどが中年男性)を見たとき」です。短パン、ビーチサンダルなどのラフな格好で、タイ人の男女に偉そうに話している日本人をしばしば見かけます。あきらかにタイ人は困っているのにそんなことには目もくれず無茶なことを言うのです。彼らが「タイ人は日本人よりも劣っている」と考えていることが態度や言葉からよく分かります。
他方、欧米に長く住んでいた人たちと話をすると、多かれ少なかれ被差別的な体験をしていることが分かります。紳士・淑女の国々ではビジネスの現場で差別を受けることはさほどないかもしれません。ですが、例えば夜の街で「ジャップ」と日本人を卑下する言葉を吐かれ、ひどい場合は「国へ帰れ」とか「消えろ」などと言われた体験のある人も少なくありません。
日本人の女性は世界中どこに行ってもよくモテるためにパートナー探しに不自由しません。ですが、よくよく聞いてみると、相手の男性から差別的な発言をされたりモノのような扱いを受けたりしたことがあるという女性が少なくありません。「(西洋人の彼が)日本人の私を選んだのは私が愛されているからではなく日本人(もしくはアジア人)に対するフェティシズムからだ」というような話を、これまで私は何人かの日本人女性から聞きました。実際、そういう西洋の男性たちは、次から次へと日本人(またはアジア人)をパートナーに選び、複数のアジア人女性と交際しているとか。
「差別がなくならない」ことには私も同意します。私自身は激しい差別を受けたことはありませんが、海外では、上述した例のように、バーやクラブなどで「白人男性から差別的なまなざしを向けられた......」と感じたことは何度かあります。
西洋人から日本人が差別的な扱いを受けたという話はコロナ禍以降に急増しました。なかには「差別されることが辛くなって帰国した」という人もいます。いまだにバブル時代を引きずって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を信じているおめでたい人もいますが、もはや世界は日本をそんなに優れた国とは思っていません。たしかに、かつてのタイを含めたいくつかのアジア諸国では日本人というだけでチヤホヤされていた時代がありましたが、すでに遠い過去の話です。
差別がなくならない理由のひとつは、おそらく人間は「他者との差」を意識せずにはいられない生き物だからでしょう。「あなたと私はここが違う」だけでは差別になりませんが、「あなたと私を比べると私の方が"上"だ」と考えるから差別が生まれるわけです。それが背の高さであったり、学歴であったり、病気の有無だったり、けんかの強さであったり、収入や試算の差であったり、国籍や人種の違いであったりするわけです。
極端に卑屈になる必要はありませんが、おしなべて言えば世界でみれば日本人は"下"に見られることが少なくなく、差別されているのが現実です。それを認識することで、差別がなくならないのは事実だとしても、「差別が馬鹿らしいこと」が理解できるのではないでしょうか。そして、それができれば自分が"下"にみていた人に敬意がもてるようになるかもしれません。
私の場合、タイのエイズ患者さんから多くの悲惨な話を聞いて、それに耐えてきたことに敬意を払うようになり、そして自分が医師で目の前の人が患者なのは自分が単に運がいいだけのことであって、目の前の患者さんより優れているわけでもなんでもないということがよく分かりました。それを理解したとき、「世の中の差別がなくならないのだとしたら私は『差別をする人』を差別してやろう」と考えるようになったのです。
また、正確な知識が知られておらず、「HIVは空気感染する」などと今では考えられないようなことが世間では信じられていて、感染者からは「食堂に入るとフォークを投げつけられて追い出された」「バスから引きずりおろされた」「石を投げられ村から追放された」「家族からも見放された」といった声を繰り返し聞きました。
なぜ私は「HIV/AIDSに本格的に関わりたい」と考えたのか。「もうすぐ薬が手に入るようになるから死から救える」と思ったのも理由のひとつですし、「さまざまな痛みや絶望感などを取り除きたい」と考えたのも事実です。ですが、一番大きかったのは「このような差別からこの人たちを救いたい」という強い気持ちが心の底から湧いてきたからです。
それ以来「HIV陽性者に対する差別を許してはならない」ということを私はいろんなところでもう20年以上主張し続けています。その私の意見を聞かされた人たちはほぼ全員が同意してくれて、それはありがたいのですが、ごく一部の人を除いて、私と同じようにNPO法人を立ち上げる人はいませんし、差別について他人に繰り返し説くようなことはしません。
では、なぜ私は「差別を許せない」とこれほどまでに強く思い続けているのか。実はこの答えは今も分かりません。「私もひどい差別を受けたことがあるから」というのであれば理解しやすいのですが、私自身は人格や人間性を否定されるほどの被差別体験はありません。ならば、私はエイズ患者のようにひどい差別を受けた人たちに対して感情移入しすぎているのでしょうか。その答えは分かりませんが、私が差別に対して「敏感」なのは間違いなさそうです。
私は医師ですから、日頃患者さんから差別を受けたという辛い話を聞く機会が少なくありません。HIV陽性者の人から聞くことも多く、「会社に知られて退職させられた」「家族が理解してくれず縁を切られた」といった話を聞くと、哀しみと怒りが入り混じった複雑な気持ちになって、この感情はなかなかおさまりません。
HIVだけではありません。身体的な障害、知的あるいは精神的な障害のせいで差別を受けた人からも話を聞きます。また、あまり語られることはないかもしれませんが、普通に仕事や勉強をしている慢性疾患を有している人たちも、なかなか他人には理解してもらえないような差別に苦しんでいることがあります。慢性疾患とは、糖尿病(特に1型糖尿病)、関節リウマチ、潰瘍性大腸炎、アトピー性皮膚炎などです。
セクシャルマイノリティに対する差別はこれまでさんざん当事者の人たちから話を聞いてきたこともあり、私自身はストレートでありますが、その苦しみの一部は理解できるつもりです。女性差別についても、特に性被害の話を聞いたときにはある種の被差別感をわずかではありますが分かるようになってきました。
「差別はなくならない」あるいは「差別をするのが人間だ」、さらには「誰もがどこかで差別をしている」という人もいます。こういった考えについてはここでは深入りしませんが、こういう表現を聞いたときに私がいつも感じるのは「あなた自身は本当の差別に苦しんだことがあるのですか?」ということです。
というのは「差別はどこにでもある」と言う人は数多くいますが、私は日本人の(特に日本人男性の)大半は差別されたと自覚した経験がないのでは?と感じるからです。それはそれで"おめでたいこと"であって、幸せなのかもしれず、そのまま人生を終わるならそれでいいのかもしれません。よって、そういった人たちに私がこのようなことを言うのは「余計なお世話」なのかもしれませんが、「あなたが気付いていないだけで、あなたもいつ嫌な思いをするかもしれないし、実際すでに差別されてますよ」と言いたくなることがあります。
それをよく感じるのが「タイで偉そうにしている日本人(ほとんどが中年男性)を見たとき」です。短パン、ビーチサンダルなどのラフな格好で、タイ人の男女に偉そうに話している日本人をしばしば見かけます。あきらかにタイ人は困っているのにそんなことには目もくれず無茶なことを言うのです。彼らが「タイ人は日本人よりも劣っている」と考えていることが態度や言葉からよく分かります。
他方、欧米に長く住んでいた人たちと話をすると、多かれ少なかれ被差別的な体験をしていることが分かります。紳士・淑女の国々ではビジネスの現場で差別を受けることはさほどないかもしれません。ですが、例えば夜の街で「ジャップ」と日本人を卑下する言葉を吐かれ、ひどい場合は「国へ帰れ」とか「消えろ」などと言われた体験のある人も少なくありません。
日本人の女性は世界中どこに行ってもよくモテるためにパートナー探しに不自由しません。ですが、よくよく聞いてみると、相手の男性から差別的な発言をされたりモノのような扱いを受けたりしたことがあるという女性が少なくありません。「(西洋人の彼が)日本人の私を選んだのは私が愛されているからではなく日本人(もしくはアジア人)に対するフェティシズムからだ」というような話を、これまで私は何人かの日本人女性から聞きました。実際、そういう西洋の男性たちは、次から次へと日本人(またはアジア人)をパートナーに選び、複数のアジア人女性と交際しているとか。
「差別がなくならない」ことには私も同意します。私自身は激しい差別を受けたことはありませんが、海外では、上述した例のように、バーやクラブなどで「白人男性から差別的なまなざしを向けられた......」と感じたことは何度かあります。
西洋人から日本人が差別的な扱いを受けたという話はコロナ禍以降に急増しました。なかには「差別されることが辛くなって帰国した」という人もいます。いまだにバブル時代を引きずって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を信じているおめでたい人もいますが、もはや世界は日本をそんなに優れた国とは思っていません。たしかに、かつてのタイを含めたいくつかのアジア諸国では日本人というだけでチヤホヤされていた時代がありましたが、すでに遠い過去の話です。
差別がなくならない理由のひとつは、おそらく人間は「他者との差」を意識せずにはいられない生き物だからでしょう。「あなたと私はここが違う」だけでは差別になりませんが、「あなたと私を比べると私の方が"上"だ」と考えるから差別が生まれるわけです。それが背の高さであったり、学歴であったり、病気の有無だったり、けんかの強さであったり、収入や試算の差であったり、国籍や人種の違いであったりするわけです。
極端に卑屈になる必要はありませんが、おしなべて言えば世界でみれば日本人は"下"に見られることが少なくなく、差別されているのが現実です。それを認識することで、差別がなくならないのは事実だとしても、「差別が馬鹿らしいこと」が理解できるのではないでしょうか。そして、それができれば自分が"下"にみていた人に敬意がもてるようになるかもしれません。
私の場合、タイのエイズ患者さんから多くの悲惨な話を聞いて、それに耐えてきたことに敬意を払うようになり、そして自分が医師で目の前の人が患者なのは自分が単に運がいいだけのことであって、目の前の患者さんより優れているわけでもなんでもないということがよく分かりました。それを理解したとき、「世の中の差別がなくならないのだとしたら私は『差別をする人』を差別してやろう」と考えるようになったのです。