GINAと共に

第25回 ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(2008年7月)

「日本に帰ると、またドラッグに手をだしてしまうと思うんだ。だから私はタイに住み続けるんだよ・・・」

 これは、私が以前GINAの取材で知り合った日本人男性から聞いた言葉です。

 この男性は、昔ドラッグにどっぷりと浸かった生活をしていて覚醒剤の静脈注射まで経験したと言います。その頃は、日本とタイの往復を繰り返しており、どちらにいてもドラッグを手放せなかったそうです。

 ドラッグユーザーがドラッグを断ち切ろうと思ったときに、もしそこにドラッグがあればどれだけ強い意志を持っていたとしてもドラッグの魅力に負けてしまうものです。

 この男性もそれに気づいていて次第に日本には帰らなくなっていったそうです。彼がドラッグを断ち切りたいと考えた2003年当時、タイではタクシン前政権がかなり強引な薬物対策をとっており、薬物ディーラーやユーザーが次々に政府に射殺されていました。ほんの1年前までは、いとも簡単に入手できていた薬物が(少なくとも"普通の"外国人には)実質入手不可能になったのです。

 多くのドラッグユーザーがこれを哀しんだのとは逆に(2002年頃まではタイは世界でも有数のドラッグ天国とされていました)、この男性はこの事態を喜びました。日本では、(少なくとも日本人であれば)覚醒剤を含めた違法薬物などごく簡単に手に入りますし、警察はそれなりの対策を立てているのでしょうが、実際には薬物の流通量はそれほど減っていません。

 日本に帰らずにタイでのみ生活をする・・・。これが、この男性がドラッグを断ち切るために出した決断です。

 タクシン前政権のとった強引な薬物対策は、かなりの冤罪者をだし(無実で射殺された人が一説には数千人になるとも言われています)、政府内や世論から大きな反発を受けましたが、結果としては「ドラッグ天国」の名を返上し、一気にクリーンな国に生まれ変わりました。

 ところが、です。クーデターによりタクシン政権が崩壊した2006年後半以降、じわりじわりと、そしてある時(私の調査では2007年の夏)からは急速にドラッグが再び普及しだしました。タクシン崩壊後の政府はかつてのような強引な対策をとることもできず、ドラッグに汚染されていく社会を見て見ぬふりといった状態です。

 2008年7月2日のBangkok Postにタイの刑務所の実情が紹介されています。同紙によりますと、タイ国内の受刑者は合計約17万人で、そのうち薬物関連の服役者がなんと9万人です。実に服役者の半数以上が薬物関連なのです!

 そのタイの刑務所で現在最も問題になっているのが、服役者に対する薬物の"差し入れ"です。これまで、外部から受刑者に差し入れされた歯磨き粉やカレーなどから薬物が見つかっています。また、外から刑務所の敷地内に投げ込まれたカエルの死体に薬物が隠されていたこともあったそうです。

 こういった事態に対し、内務省矯正局は、「郵送を含めて刑務所内の受刑者に差し入れすることを全面的に禁止する」という通達をだしました。当局によりますと、「薬物密売で服役している受刑者が全国で2万人いて、その一部は刑務所内で薬物の販売をしている」そうです。

 一部のジャンキーからは、日本も「世界有数のドラッグ天国」と呼ばれていますが、いくらなんでも刑務所内の受刑者の半数以上が薬物関連ということはないでしょう。

 もうひとつ、タイがドラッグ天国に舞い戻ってしまったことを象徴するようなニュースがあります。

 7月14日のBangkok Postによりますと、タイ北部でケシの栽培量が急増しています。

 ケシとはもちろんアヘンの原料植物で、これを加工したものが麻薬(ヘロインやモルヒネ)です。

 タイ北部は、麻薬王クンサーが暗躍したゴールデントライアングルの一角をなす地域で、かつては世界で最も有名な麻薬産生地でした。麻薬は90年代の終わりごろまではタイ北部(特に山岳民族)の主要な収入源だったのですが、政府の対策(ケシから農産物の栽培への転換)が徐々に浸透しだし、さらにタクシン前政権の薬物対策がこれを加速することになりました。その結果、ケシ畑は激減し、「もはやタイ北部は麻薬の産地ではない」と言われるようになりました。

 ところがです。Bangkok Postの報道によりますと、2004年に700ライだったケシ畑の面積が(「ライ」はタイで土地の広さを表す単位で、1ライは400メートル四方)、2008年には1,200ライまで急増しています。

 私は以前、タイ北部を取材したとき、あまりにも多くの人が麻薬や覚醒剤を使用(それも静脈注射で!)しているという話を聞いて驚いたことがあります。そしてその結果がHIV感染なのです。

 違法薬物を少なくするには、徹底的に法律を厳しくすることが必要です。タクシン前政権のとった数千人を射殺したような強攻策がよくないのは自明ですが、逆に「薬物はいけませんよ~」といった生ぬるい忠告では何の効果もありません。

 ドラッグを断ち切りたいと考えている人、あるいは過去にドラッグをやっていた人からみたときには、たとえどれだけ強固な意志を持っていたとしても、目の前にドラッグを置かれたら、そんな意思など一瞬で吹き飛んでしまいます。ドラッグとはそれほど恐ろしいものなのです。決して安易な気持ちで手をだしてはいけないのです。

 ドラッグ天国に舞い戻ってしまったタイ・・・。冒頭で紹介した男性について、私は本名も連絡先も知りませんが、今では日本でもタイでもない別の国に移動しているかもしれません・・・。再びドラッグに手をだした、なんてことだけはないことを願いたいと思います・・・。

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