GINAと共に
第230回(2025年8月) タイの大麻の最新事情と政権の行方
前回のコラムで、タイでは「2025年6月25日から大麻が違法に戻った」話をしました。2022年6月に、突如合法化され、誰もが気軽に購入できるようになった大麻が、3年後に元の違法な状態に戻ったのです。しかし、そうは言ってもタイでは2022年6月に合法化される前から、大量の売買をしたりしない限りは、つまり個人使用の程度であれば、警察に見つかってもよほど運が悪くなければ逮捕されることはほとんどありませんでした(警察にいくらかの賄賂は必要だったかもしれませんが)。
では、いったん合法化され、その後違法となった現在はどのような状況なのでしょうか。それを確認しようと(それだけが目的ではありませんが)、先日バンコクに行ってきました。バンコクで外国人が大麻を最も簡単に購入できるところ、と言えば、やはり今でもカオサンロードでしょう。というわけで、今回はそのレポート、さらにタイの大麻の規制を予想するときには必ず考えなければならない政権の行方についても触れたいと思います。
2023年の夏、久々にタイに到着して驚いたのはなんといっても大麻ショップの多さでした。カオサンロードどころか、アソークやシーロムといったオフィス街、金融街にも大麻ショップが乱立していたのです。スクンビットには大麻入りシェイクやグミを販売するカフェやショップがひしめき合っていました。ここまでくると大麻を摂取しないことの方が不自然なのかなとさえ思えてきます。タイ全土に誕生した大麻ショップは11,000軒にも上ります。
圧巻だったのはやはりカオサンロードでした。まず、メインストリートにたどり着くまでに複数の大麻の「屋台」が登場していました。屋台に並べられた大麻を指さし、店番の中年女性に冗談で「ローン・ダイ・マイ(試していい)?」と尋ねると、「ダーイ(もちろんいいよ!)」と言われ、実際に火をつけようとするのです。もちろんすぐに断りましたが、この敷居の低さには驚きました。カオサンロードのメインストリートには大麻関連のショップが数十軒はありました。そのなかに入っている店舗がすべて大麻関連という"大麻ビル"すらありました。
さて、再び大麻が違法になった2025年8月のタイではこれらの大麻ショップはどのように変わったのでしょうか。予想通り、オフィス街の大麻ショップはほとんどが消えていました。なかには店構えがそのままで通常のカフェとして営業しているところもありました。
カオサンロードでも同じような感じでした。2年前に並んでいた大麻の屋台は消え去り、派手な看板を出していた大麻ショップは大半が閉店していました。上述の"大麻ビル"には入口に鎖がかけられていて立ち入り禁止の状態でした。しかし、電気がついているショップが奥に見えます。こっそりと営業を続けているのかもしれません。そこでビルに入ろうとして鎖をくぐりかけたとき、ちょっとややこしそうな男性が突然現れ制止されました。写真を撮ろうとしていた様子がバレたようです。「これはマズい......」と本能的に察した私は英語しかできないふりをして(こういうときに上手く逃げられるのはタイ語でも日本語でもなく英語です)、足早に立ち去りました。
そこから20メートルほど離れた場所に1軒の大麻ショップがありました。もう営業はしていないのかなと思われたのですが、看板が出ていてそこには「EVERYTHING YOU SHOULD KNOW CANNABIES LAW UPDATE(大麻の法律の最新情報 あたなが知るべきすべて)」というタイトルの案内が貼られていました。そこに書かれていたことをまとめると次のようになります。
・タイでは2025年6月25日から大麻に関する政府の方針が変更された
・しかし大麻は麻薬と同じ扱いではない
・これからも医師の処方せんがあれば大麻を販売することはできる
・現時点ではこれまでと同じように処方せんなしでも販売できる。しかしいずれ処方箋が必要になる
最後の「現時点では販売できる」としているところが、なんともタイらしいというか、本当は違法なのでしょうが、こっそりと、特に外国人に対して(案内文は英語ですから)販売しているのでしょう。しかし、私が訪れたときには店内には入れませんでしたから、実際に購入するにはなんらかのコネがいるのかもしれません。
さて、今後のタイの大麻の行方について。冒頭で述べたように、政局の行方に左右されるのは間違いありません。前回、ペートンターン首相の「電話問題」で連立与党の勢力が弱まったことで大麻の非合法化が続くかどうは不透明ということを述べました。この点について、前回は「本コラムの趣旨から外れるから省略する」としましたが、今回は少し掘り下げて話を整理しておきます。
まずは、過去にも何度か紹介しましたが、タイの今世紀の政治史を振り返っておきましょう。
2001年2月:「タイ愛国党(Thai Rak Thai Party=TRT)」のタクシン首相誕生。薬物に対して厳格な取り締まりを開始。2003年よりその流れが加速した
2006年9月19日:軍事クーデターによりタクシンが失脚。タクシンは亡命生活を強いられる。スラユットが暫定首相に就任。スラユットは反タクシン派で無所属
2007年:5月にタイ愛国党が解散命令を受け、タクシン派の大多数が「人民の力党(People Power Party)」に加わり、この党が事実上タクシン派の政党となった。12月に総選挙がおこなわれ人民の力党が勝利した
2008年1月:人民の力党のサマックが首相に就任。タクシン派が政権を奪回した
2008年9月:サマックが首相を退陣。テレビの料理番組に出演し報酬を受け取ったことが憲法違反とされたため。サマックに代わって人民の力党のソムチャイが首相に就任しタクシン派による政権が継続された。尚、ソムチャイはタクシンの義弟(タクシンの妹の夫でインラックの姉の夫)
2008年11月:「反タクシン派の民主市民連合(PAD)」(いわゆる「黄シャツ」)がデモを起こし、スワンナプーム空港及びドンムアン空港が占拠された。数十万人が足止めをくらったと言われている
2008年12月:2007年12月の総選挙で不正があったとの理由で憲法裁判所が人民の力党の解散を命じた。「黄シャツ」が支持する「民主党(Democrat Party)」のアピシットが首相に任命された。人民の力党を解散させられたタクシン派は「タイ貢献党(Pheu Thai Party)」を結成した
2010年4月10日:「黄シャツ」及びアピシットに反対するタクシン派の「赤シャツ」によるデモが次第に大きくなり、軍が赤シャツを鎮圧した。犠牲となった赤シャツのメンバーは2千人を超えるとする報道も(しかし実際には90人とする意見が多い)
2011年8月:総選挙がおこなわれタイ貢献党が勝利。当然アピシットは退陣し、タクシンの妹のインラックが首相に就任
参考:「GINAと共に」第62回(2011年8月)インラック政権でタイのHIV事情は変わるか
2014年5月:インラックが首相を解任される。理由は、憲法裁判所が「インラックの人事に違反がある」と判断したから
2014年5月:タイ陸軍がクーデターを実行し、軍による統治体制に入る
2019年:軍による統治体制終了。2011年以来8年ぶりに総選挙がおこなわれタイ貢献党が最多議席を獲得。しかしタイ貢献党単独では過半数に届かず、他の複数の政党が連立政権を樹立し、タイ貢献党は野党に。連立政権のなかの親軍派の「国民国家の力党(Palang Pracharath Party)」のプラユットが首相に
2023年8月:総選挙がおこなわれ、タイ貢献党はついに最多議席数を獲得できず、議席数は141の第2位にとどまった。151の最多議席を獲得したのは「前進党(Move Forward Party)」。しかし前進党は王室改革を掲げたことで上院の支持を得られず(前進党単独では与党になれず)、タイ貢献党を含む他の合計11党の政党が連立政権を樹立し、連立政権のなかでタイ貢献党が最も議席数の多い党であることから、プラユット首相が退陣し、タイ貢献党のセターが首相に就任した。タクシン派が首相に就任するのはインラック以来で9年ぶり
2024年8月:セターが憲法裁判所から解職を命じられ退陣した。理由は、過去に禁錮刑を受けた人物(ピチットというタクシン派の人物)を首相府相に任命したことが憲法違反だとされたから。セターに代わってタクシンの二女のペートンターンが首相に就任。ペートンターンももちろんタイ貢献党。しかし単独与党ではなく引き続き合計11の党からなる連立政権
2025年6月15日:ペートンターンがカンボジアの元首相フン・センと電話で話す。そのなかでタイの軍関係者を「反対派」や「敵」とみなすような発言が含まれていた。さらにペートンターンはフン・センのことを「おじさん」と呼んだ
2025年6月18日:「タイ誇り党(Bhumjaithai Party)」が連立政権から離脱し、報道によると連立政権に所属する議員数は261人へと減少(尚、タイの下院の総議席数は495のため過半数は維持している)
2025年7月1日:ペートンターンが憲法裁判所より職務停止命令を受ける
2025年8月21日:憲法裁判所がペートンターンを召喚
2025年8月29日:憲法裁判所がペートンターンに対し判決を下す予定
ペートンターンとフン・センとの電話の何が問題だったのかを私見も交えて述べていきましょう。
二国間の国境を巡っての争いは6月末に深刻化し犠牲者が出たことで世界で報道されましたが、小競り合い程度のものはそれ以前から起こっていて、両国はちょっと気まずい関係になっていました。
これはよくないと判断したペートンターンはフン・センに非公式な電話をかけました。おそらくペートンターンとしては「あなた(フン・セン)と自分はこれからも仲良しでいましょうね。タイの軍のなかにはちょっとややこしいことを言っている人たちがいるけれど、わたしがちゃんとまとめるから心配しないでね」ということを言いたかったのだと思います。そしてフン・センのことを「おじさん(uncle)」と呼びました。
これを聞いたとき、私はほとんど反射的に「どのおじさん?」と考えてしまいます。タイ語には日本語でいう「おじ」に3つの単語があるからです。あえてカタカナにすると「ルン」「ナー」「アー」です。父または母の兄は「ルン」、母の弟なら「ナー」、父の弟は「アー」です。ややこしいことに、母の妹も「ナー」、父の弟も「アー」です。タイ人の大家族のなかに入ると、わけがわからなくなってきます。
話を戻すと、ペートンターンがフン・センを呼んだ「おじさん」はどれかというと、これら3つのいずれでもなく英語の「uncle」です。BBCタイ語版にもそのように書かれています。これはおそらく親しみをこめた呼称です。日本人が血縁関係のない兄貴分を(冗談っぽく)「ブラザー」と呼ぶことがあるのと同じような感覚です。
ペートンターンのこの電話の内容がタイの軍の関係者の神経を逆撫でし、また国民の信頼を失うのは当然です。タイは愛国心の高い国民性を有しています。領土問題では絶対に譲るつもりはないでしょう。そもそもタイ人はカンボジア人をちょっと「下」にみているところがあります。そして、ほとんどのタイ人は国を守る軍を信頼し、軍がクーデターを起こしたときも軍事政権が続いていたときにも大きな問題は起こらなかったわけです。
さて、この問題、よく考えると、そもそも「なんで電話の内容が漏れたのだ?」という疑問が出てきます。ペートンターンに黙って漏らしたのは他ならぬフン・センです。この内容が公開されればペートンターンは一気に国民の信頼を失います。まさにそれが目当てでフン・センは情報を漏らした、つまり、フン・センはペートンターンを嫌っているわけです。「おじさん」と親しみを込めて呼ばれても、すでに関係性は崩壊していたのです。
それはなぜか。フン・センはすでにタクシンを見切っていたからです。フン・センとタクシンは仲が良い時代がありました。実際、タクシンが亡命生活を送っていた頃、当時首相だったフン・セン首相を頻繁に訪問していました。しかし、The Economistによると、フン・センは気が短いらしく、おそらくいつまでたってもカンボジアに経済的な善処をしないタクシンにしびれを切らしたのではないでしょうか。それで娘のペイトンターンとの関係も見切ったのではないか、というのが私の推測です。おそらく「経済的な善処をしないから」だけではなく、複雑な人間関係も絡んでいるのでしょう。
今後の行方については、本稿執筆時点では「8月29日の裁判所の判断を待つこと」になります。このままタクシン派が勢力を弱めていけば、再び大麻への規制が緩くなる可能性があります。ではどちらがタイにとって、あるいはタイに渡航する人たちにとってはいいのでしょうか。
これも個人的な意見ですが、私自身はタクシン派が政権を担うべきだと考えています。この意見はタイの知識人のほとんどから拒否されます。タイでは(特にバンコクの富裕層の間では)タクシンは人気がありません。しかし、タイ全体でみればタクシン派はかつての勢いはないとはいえ、依然大勢の国民から支持されているのです。ここでタクシン派の各人が失脚した理由をもう一度振り返ってみましょう。
・タクシン:軍事クーデターによる失脚
・サマック:テレビの料理番組に出演し報酬を受け取ったことが憲法違反とされ失脚
・ソムチャイ:選挙では勝利したのに、その選挙に選挙違反があったとされ、憲法裁判所に党を解散させられ失脚
・インラック:憲法裁判所に「人事に問題がある」と言われて失脚
・セター:憲法裁判所に「人事に問題がある」と言われて失脚
いずれも「なんでそんなことで失脚?」と思われる理由ばかりです。実はタイに住む日本人の間でもタクシン及びタクシン派は不人気なのですが、私自身としてはタクシンに感謝する人たち(ほとんどがイサーン地方の人たち)と接してきていることもあり、タクシン派を支持したくなります。それに、薬物に対してクリーンな政策をとるタクシン派を応援したいというのが私の意見です。
では、いったん合法化され、その後違法となった現在はどのような状況なのでしょうか。それを確認しようと(それだけが目的ではありませんが)、先日バンコクに行ってきました。バンコクで外国人が大麻を最も簡単に購入できるところ、と言えば、やはり今でもカオサンロードでしょう。というわけで、今回はそのレポート、さらにタイの大麻の規制を予想するときには必ず考えなければならない政権の行方についても触れたいと思います。
2023年の夏、久々にタイに到着して驚いたのはなんといっても大麻ショップの多さでした。カオサンロードどころか、アソークやシーロムといったオフィス街、金融街にも大麻ショップが乱立していたのです。スクンビットには大麻入りシェイクやグミを販売するカフェやショップがひしめき合っていました。ここまでくると大麻を摂取しないことの方が不自然なのかなとさえ思えてきます。タイ全土に誕生した大麻ショップは11,000軒にも上ります。
圧巻だったのはやはりカオサンロードでした。まず、メインストリートにたどり着くまでに複数の大麻の「屋台」が登場していました。屋台に並べられた大麻を指さし、店番の中年女性に冗談で「ローン・ダイ・マイ(試していい)?」と尋ねると、「ダーイ(もちろんいいよ!)」と言われ、実際に火をつけようとするのです。もちろんすぐに断りましたが、この敷居の低さには驚きました。カオサンロードのメインストリートには大麻関連のショップが数十軒はありました。そのなかに入っている店舗がすべて大麻関連という"大麻ビル"すらありました。
さて、再び大麻が違法になった2025年8月のタイではこれらの大麻ショップはどのように変わったのでしょうか。予想通り、オフィス街の大麻ショップはほとんどが消えていました。なかには店構えがそのままで通常のカフェとして営業しているところもありました。
カオサンロードでも同じような感じでした。2年前に並んでいた大麻の屋台は消え去り、派手な看板を出していた大麻ショップは大半が閉店していました。上述の"大麻ビル"には入口に鎖がかけられていて立ち入り禁止の状態でした。しかし、電気がついているショップが奥に見えます。こっそりと営業を続けているのかもしれません。そこでビルに入ろうとして鎖をくぐりかけたとき、ちょっとややこしそうな男性が突然現れ制止されました。写真を撮ろうとしていた様子がバレたようです。「これはマズい......」と本能的に察した私は英語しかできないふりをして(こういうときに上手く逃げられるのはタイ語でも日本語でもなく英語です)、足早に立ち去りました。
そこから20メートルほど離れた場所に1軒の大麻ショップがありました。もう営業はしていないのかなと思われたのですが、看板が出ていてそこには「EVERYTHING YOU SHOULD KNOW CANNABIES LAW UPDATE(大麻の法律の最新情報 あたなが知るべきすべて)」というタイトルの案内が貼られていました。そこに書かれていたことをまとめると次のようになります。
・タイでは2025年6月25日から大麻に関する政府の方針が変更された
・しかし大麻は麻薬と同じ扱いではない
・これからも医師の処方せんがあれば大麻を販売することはできる
・現時点ではこれまでと同じように処方せんなしでも販売できる。しかしいずれ処方箋が必要になる
最後の「現時点では販売できる」としているところが、なんともタイらしいというか、本当は違法なのでしょうが、こっそりと、特に外国人に対して(案内文は英語ですから)販売しているのでしょう。しかし、私が訪れたときには店内には入れませんでしたから、実際に購入するにはなんらかのコネがいるのかもしれません。
さて、今後のタイの大麻の行方について。冒頭で述べたように、政局の行方に左右されるのは間違いありません。前回、ペートンターン首相の「電話問題」で連立与党の勢力が弱まったことで大麻の非合法化が続くかどうは不透明ということを述べました。この点について、前回は「本コラムの趣旨から外れるから省略する」としましたが、今回は少し掘り下げて話を整理しておきます。
まずは、過去にも何度か紹介しましたが、タイの今世紀の政治史を振り返っておきましょう。
2001年2月:「タイ愛国党(Thai Rak Thai Party=TRT)」のタクシン首相誕生。薬物に対して厳格な取り締まりを開始。2003年よりその流れが加速した
2006年9月19日:軍事クーデターによりタクシンが失脚。タクシンは亡命生活を強いられる。スラユットが暫定首相に就任。スラユットは反タクシン派で無所属
2007年:5月にタイ愛国党が解散命令を受け、タクシン派の大多数が「人民の力党(People Power Party)」に加わり、この党が事実上タクシン派の政党となった。12月に総選挙がおこなわれ人民の力党が勝利した
2008年1月:人民の力党のサマックが首相に就任。タクシン派が政権を奪回した
2008年9月:サマックが首相を退陣。テレビの料理番組に出演し報酬を受け取ったことが憲法違反とされたため。サマックに代わって人民の力党のソムチャイが首相に就任しタクシン派による政権が継続された。尚、ソムチャイはタクシンの義弟(タクシンの妹の夫でインラックの姉の夫)
2008年11月:「反タクシン派の民主市民連合(PAD)」(いわゆる「黄シャツ」)がデモを起こし、スワンナプーム空港及びドンムアン空港が占拠された。数十万人が足止めをくらったと言われている
2008年12月:2007年12月の総選挙で不正があったとの理由で憲法裁判所が人民の力党の解散を命じた。「黄シャツ」が支持する「民主党(Democrat Party)」のアピシットが首相に任命された。人民の力党を解散させられたタクシン派は「タイ貢献党(Pheu Thai Party)」を結成した
2010年4月10日:「黄シャツ」及びアピシットに反対するタクシン派の「赤シャツ」によるデモが次第に大きくなり、軍が赤シャツを鎮圧した。犠牲となった赤シャツのメンバーは2千人を超えるとする報道も(しかし実際には90人とする意見が多い)
2011年8月:総選挙がおこなわれタイ貢献党が勝利。当然アピシットは退陣し、タクシンの妹のインラックが首相に就任
参考:「GINAと共に」第62回(2011年8月)インラック政権でタイのHIV事情は変わるか
2014年5月:インラックが首相を解任される。理由は、憲法裁判所が「インラックの人事に違反がある」と判断したから
2014年5月:タイ陸軍がクーデターを実行し、軍による統治体制に入る
2019年:軍による統治体制終了。2011年以来8年ぶりに総選挙がおこなわれタイ貢献党が最多議席を獲得。しかしタイ貢献党単独では過半数に届かず、他の複数の政党が連立政権を樹立し、タイ貢献党は野党に。連立政権のなかの親軍派の「国民国家の力党(Palang Pracharath Party)」のプラユットが首相に
2023年8月:総選挙がおこなわれ、タイ貢献党はついに最多議席数を獲得できず、議席数は141の第2位にとどまった。151の最多議席を獲得したのは「前進党(Move Forward Party)」。しかし前進党は王室改革を掲げたことで上院の支持を得られず(前進党単独では与党になれず)、タイ貢献党を含む他の合計11党の政党が連立政権を樹立し、連立政権のなかでタイ貢献党が最も議席数の多い党であることから、プラユット首相が退陣し、タイ貢献党のセターが首相に就任した。タクシン派が首相に就任するのはインラック以来で9年ぶり
2024年8月:セターが憲法裁判所から解職を命じられ退陣した。理由は、過去に禁錮刑を受けた人物(ピチットというタクシン派の人物)を首相府相に任命したことが憲法違反だとされたから。セターに代わってタクシンの二女のペートンターンが首相に就任。ペートンターンももちろんタイ貢献党。しかし単独与党ではなく引き続き合計11の党からなる連立政権
2025年6月15日:ペートンターンがカンボジアの元首相フン・センと電話で話す。そのなかでタイの軍関係者を「反対派」や「敵」とみなすような発言が含まれていた。さらにペートンターンはフン・センのことを「おじさん」と呼んだ
2025年6月18日:「タイ誇り党(Bhumjaithai Party)」が連立政権から離脱し、報道によると連立政権に所属する議員数は261人へと減少(尚、タイの下院の総議席数は495のため過半数は維持している)
2025年7月1日:ペートンターンが憲法裁判所より職務停止命令を受ける
2025年8月21日:憲法裁判所がペートンターンを召喚
2025年8月29日:憲法裁判所がペートンターンに対し判決を下す予定
ペートンターンとフン・センとの電話の何が問題だったのかを私見も交えて述べていきましょう。
二国間の国境を巡っての争いは6月末に深刻化し犠牲者が出たことで世界で報道されましたが、小競り合い程度のものはそれ以前から起こっていて、両国はちょっと気まずい関係になっていました。
これはよくないと判断したペートンターンはフン・センに非公式な電話をかけました。おそらくペートンターンとしては「あなた(フン・セン)と自分はこれからも仲良しでいましょうね。タイの軍のなかにはちょっとややこしいことを言っている人たちがいるけれど、わたしがちゃんとまとめるから心配しないでね」ということを言いたかったのだと思います。そしてフン・センのことを「おじさん(uncle)」と呼びました。
これを聞いたとき、私はほとんど反射的に「どのおじさん?」と考えてしまいます。タイ語には日本語でいう「おじ」に3つの単語があるからです。あえてカタカナにすると「ルン」「ナー」「アー」です。父または母の兄は「ルン」、母の弟なら「ナー」、父の弟は「アー」です。ややこしいことに、母の妹も「ナー」、父の弟も「アー」です。タイ人の大家族のなかに入ると、わけがわからなくなってきます。
話を戻すと、ペートンターンがフン・センを呼んだ「おじさん」はどれかというと、これら3つのいずれでもなく英語の「uncle」です。BBCタイ語版にもそのように書かれています。これはおそらく親しみをこめた呼称です。日本人が血縁関係のない兄貴分を(冗談っぽく)「ブラザー」と呼ぶことがあるのと同じような感覚です。
ペートンターンのこの電話の内容がタイの軍の関係者の神経を逆撫でし、また国民の信頼を失うのは当然です。タイは愛国心の高い国民性を有しています。領土問題では絶対に譲るつもりはないでしょう。そもそもタイ人はカンボジア人をちょっと「下」にみているところがあります。そして、ほとんどのタイ人は国を守る軍を信頼し、軍がクーデターを起こしたときも軍事政権が続いていたときにも大きな問題は起こらなかったわけです。
さて、この問題、よく考えると、そもそも「なんで電話の内容が漏れたのだ?」という疑問が出てきます。ペートンターンに黙って漏らしたのは他ならぬフン・センです。この内容が公開されればペートンターンは一気に国民の信頼を失います。まさにそれが目当てでフン・センは情報を漏らした、つまり、フン・センはペートンターンを嫌っているわけです。「おじさん」と親しみを込めて呼ばれても、すでに関係性は崩壊していたのです。
それはなぜか。フン・センはすでにタクシンを見切っていたからです。フン・センとタクシンは仲が良い時代がありました。実際、タクシンが亡命生活を送っていた頃、当時首相だったフン・セン首相を頻繁に訪問していました。しかし、The Economistによると、フン・センは気が短いらしく、おそらくいつまでたってもカンボジアに経済的な善処をしないタクシンにしびれを切らしたのではないでしょうか。それで娘のペイトンターンとの関係も見切ったのではないか、というのが私の推測です。おそらく「経済的な善処をしないから」だけではなく、複雑な人間関係も絡んでいるのでしょう。
今後の行方については、本稿執筆時点では「8月29日の裁判所の判断を待つこと」になります。このままタクシン派が勢力を弱めていけば、再び大麻への規制が緩くなる可能性があります。ではどちらがタイにとって、あるいはタイに渡航する人たちにとってはいいのでしょうか。
これも個人的な意見ですが、私自身はタクシン派が政権を担うべきだと考えています。この意見はタイの知識人のほとんどから拒否されます。タイでは(特にバンコクの富裕層の間では)タクシンは人気がありません。しかし、タイ全体でみればタクシン派はかつての勢いはないとはいえ、依然大勢の国民から支持されているのです。ここでタクシン派の各人が失脚した理由をもう一度振り返ってみましょう。
・タクシン:軍事クーデターによる失脚
・サマック:テレビの料理番組に出演し報酬を受け取ったことが憲法違反とされ失脚
・ソムチャイ:選挙では勝利したのに、その選挙に選挙違反があったとされ、憲法裁判所に党を解散させられ失脚
・インラック:憲法裁判所に「人事に問題がある」と言われて失脚
・セター:憲法裁判所に「人事に問題がある」と言われて失脚
いずれも「なんでそんなことで失脚?」と思われる理由ばかりです。実はタイに住む日本人の間でもタクシン及びタクシン派は不人気なのですが、私自身としてはタクシンに感謝する人たち(ほとんどがイサーン地方の人たち)と接してきていることもあり、タクシン派を支持したくなります。それに、薬物に対してクリーンな政策をとるタクシン派を応援したいというのが私の意見です。