GINAと共に

第190回(2022年4月) フロリダが変わり果てたのはなぜか

 個人的な話になりますが、私はアメリカ大陸(北米も中南米も)に行ったことがありません。これは誰に話しても相当珍しがられるのですが、事実です。「そんなにアメリカが嫌いなのですか?」と問われることもあるのですが、決してそういうわけではありません。米国の地図を見ながら「どこを巡ろうかな......」とまだ見ぬ土地を空想し、勝手に「全米の素敵な街トップテン」を決めることもあるほどです。決して米国が嫌いなわけではなく、米国への想いを聞いてくれる人がいるなら一晩でも話し続けることができます。

 そんな私が「米国で1か所だけ行けるとすればどこに行きたいか」と尋ねられたなら、迷わずマイアミと答えます。ニューヨーク、シカゴ、シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、カリフォルニアなど定番の都市も捨てがたいのですが、私の頭のなかでは昔からマイアミは別格の存在なのです。

 その起源ははっきりしないのですが、10代の頃に聴いた「マイアミ・サウンド・マシーン」のサウンドとテレビドラマ「マイアミ・バイス」の影響は間違いなくあります。暖かい気候、まぶしい日差し、エメラルドグリーンの海、幻想的な夕陽、洒落たカフェ、陽気な人々、などが私がマイアミと聞いて想起するイメージです。

 マイアミを舞台にした映画には名作がたくさんあります。007の「ゴールドフィンガー」「カジノロワイヤル」にもマイアミでのシーンがありますし、「白いドレスの女」「フェイク」「エニイ・ギブン・サンデー」などもそうです。最近ではアカデミー賞を獲った「ムーンライト」も後半はマイアミが舞台になっています。

 もちろん私も年を重ね、マイアミが私が10代の頃に描いていたパラダイスからはほど遠いことは分かっています。貧困地区やスラムが問題となり、凶悪犯罪が増え続け、全米で最も危険な街と呼ばれていることも知っています。先述のアカデミー賞受賞作の「ムーンライト」も、恵まれない黒人を描いたドラマです。しかし、例えばこの「ムーンライト」の最後の方のシーンで、主人公のシャロンとケヴィンが再開するレストランなどは私のイメージするマイアミに一致します。ちょっと物悲しい哀愁漂う雰囲気もまた私にとってはマイアミの魅力なのです。

 話を進めましょう。私が、そのマイアミを含むフロリダ州が「ちょっとおかしい......」と感じ始めたのは「ムーンライト」が日本で公開される少し前の2016年です。

 2016年6月12日未明、フロリダ州オーランドのナイトクラブ「パルス」にイスラム教徒の29歳の男が侵入し銃を乱射、この男を含む合計50人が死亡しました(男はその場でSWATに射殺)。「パルス」はセクシャルマイノリティ(LGBT、以下は「マイノリティ」で統一)のミーティングスポットで、犯人の男の父親は「息子はマイノリティを嫌悪していた」と証言しています。ただし、犯人の男はゲイだったという記事もあります。

 きちんとした数字は見たことがありませんが、フロリダではマイノリティの比率が多いという話を聞きます。「ムーンライト」もゲイカップルのラブストーリーです。一般に、マイノリティが多い地域は、リベラルが多く、民主党が強いと言われています。カリフォルニアやシアトルはその代表でしょう。

 私の印象としてはマイアミとオーランドを抱えるフロリダ州もそんなリベラルな地域の一つだったのですが、ここ数年で大きく変わっています。今やフロリダ州は「保守王国」のひとつとなってしまいました。きっかけ、というか決定的になったのは2016年の大統領選挙でしょう。フロリダではヒラリー・クリントンが破れ、トランプが勝利しました。

 パームビーチというのはマイアミの北に位置する富裕層の別荘地かつリゾート地として有名な街です。この街には「マー・ア・ラゴ」と呼ばれる豪華な建物があります。この建物は米国国定歴史建造物のひとつですが、現在の所有者はトランプ前大統領です。そして、報道によると、トランプはマー・ア・ラゴを「サザン・ホワイトハウス」と呼び、最近はこの豪邸で過ごす時間が多いそうです。2020年の大統領選挙で敗れてからは地元のニューヨークに居づらいのかもしれません。

 話を進めましょう。そのフロリダ州で「教育における保護者の権利(Parental Rights in Education)」という名の法案が議会を通過し、2022年3月28日、デサンティス知事は法に署名しました。Independentによると、7月1日より法が施行されます。

 この法の何が問題なのかというと、子供にマイノリティについての話をすることを禁じているからで、リベラルの間では「ゲイと言わないで法(Don't say gay bill)」と呼ばれています。もちろん少なからず反対運動が起こっていて、ディズニーも社を挙げて反対しているのですが(ちなみに「ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」はオーランドにあります)、すでに法が施行されることが決まっています。

 まずは、どのような法案なのかをThe Washington Postの報道からみていきましょう。

 この法のポイントは3つあります。1つは「幼稚園から小学校3年生まで、マイノリティに関する教師の指導や教室での話し合いを禁止」しています。話し合いを禁止しているわけですから、「人間はストレートだけではない」という当たり前のことを口にすることができなくなります。

 2つ目は「保護者はこの法に違反した学校や教師を訴えることができて、学校(行政)は罰金を支払う」ことになります。これを危惧した学校のなかには、すでにマイノリティ関連の書籍を図書館から取り除いているところもあるそうです。

 3つ目は「子供が学校でカウンセリングを受けたときには保護者に伝えなければならない」という規則が設けられたことです。例えば、子供が自分の「性」について自宅で話しづらいときに、学校で相談すれば、学校はそれを保護者に伝えなければならなくなります。親の言うことに違和感を覚えるからこそ子供は学校で相談するわけです。この規則により、「親に"告げ口"されるなら誰にも相談できない」と子供が考えるようになるのは明らかです。

 「この法は悪法とまでは言えないのでは?」と感じる人もいるでしょう。アイデンティティがはっきりしない年齢の子供に余計なことを吹き込んでほしくない、と(保守的な)親が考えるのは当然かもしれません。

 ですが、この法を擁護する人たちには"悪意"があります。デサンティス知事の報道官クリスティーナ・プショウ(Christina Pushaw)がとんでもないツイートをおこないました。しかも、悪意に満ちた内容で、もちろんリベラルから批判を浴びているのにも関わらず、本人は、そしてデサンティス知事も、まったく意に介していないのです。なんと、今もこのツイートは取り消されておらず、これを書いている2022年4月24日現在も読むことができます。

 彼女のツイートを訳すと、「リベラルの人たちは『ゲイと言わないで法』なんて呼んでいるけど、それは正確じゃないわ。より正確には『反グルーミング法』よ」となります。

 グルーミング(grooming)は、アンチ・マイノリティの人たちがマイノリティを揶揄するときに最近よく使う言葉です。グルーミングとは元々は動物が自身や他の個体に対しておこなう毛づくろいのことです。それが派生し、大人が子供を性の対象とするために手なずけることを指すようになりました。本来は、マイノリティに限らず、ストレートのペドフィリア(小児愛者)も含めての意味のはずですが、反マイノリティの人たちは「マイノリティは小児の性を搾取するペドフィリアだ」と決めつけているわけです。

 こんなことを言いだす女性が知事の報道官をしていて、更迭されるどころか、そのツイートが消されもしないフロリダ州。グロリア・エスティファン(マイアミ・サウンド・マシーンのヴォーカリスト)やマイアミ・バイスの主役の2人の刑事に「What happened in Miami?(マイアミでいったい何が起こったの?)」と聞いてみたくなります。

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第189回(2022年3月) HIVのPEPは極めて優れた「夢の治療薬」

 私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)をスタートしたのは2007年1月です。それまでは大学病院(大阪市立大学医学部附属病院)の総合診療科に勤めていて、そこでの診療もそれなりにやりがいはあったのですが、同時に不満もありました。

 不満とは「やりたいことができない」です。元々私が総合診療科医を目指したのは、タイのエイズ施設でのボランティアの経験がきっかけです。このサイトで繰り返し紹介したロッブリー県にある(当時は)「世界最大のエイズホスピス」と呼ばれていたWat Phrabahatnamphuで出会った欧米の総合診療科医の影響を受け、彼(女)らが自分のロールモデルとなり、いつしか「こういった医師たちのようにどのような症状も診る医師になりたい」と考えるようになったのです。

 私はそういった彼(女)らの診療への姿勢に感銘を受け、帰国後に母校の大阪市立大学医学部の総合診療科の門を叩きました。当時は、総合診療医という概念がまだ日本にはほとんどなく、大学としてもそんなに力を入れていたセクションではなかったのですが、私は「これが自分の進む道だ」と確信していたのです。

 大学病院の総合診療科では「どこに行っていいか分からない」という彷徨える患者さんがたくさん受診され、そういう人たちの診察は私がやりたかったことではあるのですが、診断がついて治療方針が決まればそれで「終わり」で、別の医療機関に紹介しなければなりませんでした。私としては「また困ったことがあればいつでも来てくださいね」と言いたかったわけですが、大学ではそれができません。

 そういった不満が重なるにつれ「自分のやりたいことを実践するには自分で開業するしかない」と考えるようになりました。開業してやりたかったことはたくさんあります。全体としては「患者さんのすべての症状を聞く」「薬や検査を最小限にする」「メール相談を受ける」などです。具体的な診療内容としては、とてもここには書ききれないほどたくさんあったのですが、「HIVの相談」はそのなかの重要なひとつでした。

 当時、「HIVに感染したかもしれない無症状の人に検査をする」という事業は保健所及び行政から検査委託を受けた一部のNPOがやっているだけで、医療機関で実施しているところはほとんどありませんでした。まず検査を受けられる施設の絶対数が少なかったのです。保健所もNPOも一部の医療機関もしっかりと力を注いでいたとは思うのですが、実際にはそういった施設に対して不平不満を感じる人も多く、このGINAのサイトにも相談が多数寄せられていました。

 そこで私は「それなら自分でやろう」と決めたのです。実際、谷口医院を開業したての頃に最も多かった相談のひとつが「HIVに感染したかもしれない」でした。私としては、患者さんから「HIVの検査をしてください」と言われても、検査自体は保健所などでの無料検査を促していました。谷口医院で検査を実施することも可能なのですが、「感染したかもしれない」だけでは保険適用がなく、自費診療となり費用が高くなってしまうからです。

 ただ、実際には「少々高くてもかまいませんから検査をしてください」という人の方が多く、谷口医院で検査を実施することになったケースも多々ありました。また、「HIV以外の検査も同時に受けたい」「B型肝炎ウイルスのワクチンもうちたい」という声もそれなりに多く、それができるのは谷口医院しかないと言って受診される人も少なくありませんでした。

 そういったHIV相談で受診される患者さんで、私が最も難渋したのが「感染したかもしれないその不安を抑えきれない」という相談でした。そのような相談を寄せてくる人のなかで実際に感染している人はそう多くなく、せいぜい1%程度ですが、もちろんゼロではありません。ですが、検査結果が出るまでの不安に耐えられず押しつぶされそうになる人が少なくないのです。

 最も検査結果が早く出るPCR(NAT)でも感染したかもしれない時点から10日程度は待たなければならず、採血をしてもその結果が出るまでに1週間くらいかかります。ということは、「しまった!感染したかもしれない」という時点から考えると、検査をして陰性の結果を得るまでに少なくとも3週間近くかかることになります。

 しかし、現在ではそのような不安にさいなまれる必要がなくなりました。いわば「夢の治療薬」が登場したからです。それが、過去にこのサイトでも何度か紹介したPEPと呼ばれる曝露後予防(Post-Exposure Prophylaxis)です。感染したかもしれないアクシデント(医療者の針刺し事故、危険な性交渉など)から目安として3日以内に内服を開始し4週間続ければ感染しないという画期的な方法です(現在は1週間程度経過していても実施することになっています)。この方法は海外では2000年代半ばから有効性が指摘されていたのですが日本ではほとんど普及していませんでした。

 その理由は「費用」です。HIVの薬は1錠数千円から1万円近くもします。それを1日1種類または2種類の服薬を続けるには20~30万円もします。この費用を捻出できる人はそうはいません。では海外で流通している安い抗HIV薬はどうでしょうか。

 2012年のある日、海外の安い後発品を直接輸入しようと考えて近畿厚生局に相談してみました。しかし回答は「認めない」でした。そこで、考えたのが「直ちにタイに行ってもらう」でした。タイの安いクリニックでならPEPの費用を1日あたり100円未満にすることができます。しかし、PrEPと異なり(参考:GINAと共に第175回(2021年1月)「ついに日本でもPrEPが普及する兆し」)、PEPは直ちに渡航しなければなりませんから、ほとんどの人にとってはハードルの高い方法でした。

 2020年に再度近畿厚生局に相談すると、クリニックの輸入は依然「認めない」とのことでした。しかし、海外医薬品の代理店に聞いてみると「できる」とのこと。そこで、2021年1月より谷口医院ではその代理店を使って抗HIV薬を仕入れることにしました。この方法では、直接輸入するよりも代理店を経る分だけ費用が高くなりますが、国内で流通している薬に比べるとずっと安くなります。国内の薬を使えば1日あたり1万円もした費用が、輸入品であれば1日2,500円ほどになるのです。それでもまだまだ高いわけですが、70,000円(2,500円/日x28日、税込み)でHIV感染が防げればこれは有難い話です。

 先述したように、「(性交渉で、あるいは針刺し事故で)HIVに感染したかもしれない」と考えて受診する人のなかで、実際にHIVに感染しているのはせいぜい1%程度です。相談に来る人全員にPEPを実施したとすれば、結果からみれば「99%は必要がなかった」ということになります。しかし、当然のことながらその99%に入る保障はないわけで、やはりそれなりのリスクがあるなら「実際には感染していなかったかもしれないけれどPEPを開始する」という選択肢が出てきます。

 それに、PEPには感染を防ぐこと以外にもメリットがあります。それは「不安をとってくれること」です。なんらかのHIVに感染したかもしれないアクシデントがあり、結果として感染していなかったとしても、検査を受けて陰性の結果が出るまでの不安感は並大抵のものではありません。多くの人は周囲に不自然なその様子を気付かれますし、なかにはベンゾジアゼピンなどの安定剤が必要になる人すらいます。PEPを始めなければ感染していた場合も、実際には感染していなかった場合も、PEPを実施することでその不安感から解放されるのです。

 そう考えるとHIVのPEPはまさに「夢の治療薬」なのです。

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第188回(2022年2月) マジックマッシュルームは精神疾患の治療薬となるか

 第155回(2019年5月)の「GINAと共に」「デンバーでマジックマッシュルームが合法化」で、タイトル通り、米国コロラド州デンバーでマジックマッシュルームが合法化されたことを紹介しました。

 その後、米国の他の地域でも動きがあり、世界各地でマジックマッシュルームの臨床応用に期待する声が上がっています。果たして、うつ病や不安症、あるいは他の精神または身体症状にマジックマッシュルームが使える日が来るのでしょうか。今回は、米国の動きを中心に今後の展開についてまとめてみたいと思います。

 デンバーが全米初のマジックマッシュルーム合法の市となった2019年5月8日からおよそ1か月後の年6月4日、今度はカリフォルニア州のオークランドで事実上合法化されることが報道されました。

 翌年の2020年2月4日、カリフォルニア州のサンタクルーズ市でも事実上の合法化が決まりました。CNNは「(マジックマッシュルームが合法化された)3番目の都市」と報道しています。

 さらに、2020年9月21日、今度はミシガン州のアナーバー市がマジックマッシュルームを事実上合法化することを決めました。AP通信は、合法化支持者が「マジックマッシュルームは麻薬中毒の治療薬となる」と主張していると報じています。

 そして、2020年11月4日、オレゴン州が州としては全米で初となるマジックマッシュルームの合法化を発表しました。地元メディアによると、同州では精神疾患の治療目的のみならず、マジックマッシュルームが「自己啓発(personal development)」の目的でも使用されることになりそうです。

 2021年3月15日にはワシントンDCが非合法化しました。地元メディアは、マジックマッシュルームがうつ病やPTSDの治療になる可能性を指摘しています。

 2021年10月4日、米シアトル市議会がマジックマッシュルームなどの幻覚剤の非商業目的での使用許可を全会一致で決定したことを地元メディアが伝えました。もっとも、シアトルではこれまでも個人使用でなら逮捕されない政策があったようで、今回の市議会の決定は、宗教や医療が堂々とおこなえるようになることを目的としたものと言われています。

 大麻と比べれば地域が限られているとはいえ、ここまでくればマジックマッシュルームがごく簡単に使用できるようになったといえるでしょう。当面の間、医療目的に限定されることが多いでしょうが、上述したようにオレゴン州では「自己啓発」での使用もOKとされたわけです。米国のなかでも流行の先端とみなされているオレゴン州でのこの決定は全米に、そして全世界に影響を与えるのは間違いありません。

 では、マジックマッシュルームは医薬品としてどの程度有効なのでしょうか。

 上記のニュースが報道される前、つまりまだ世界のどこでも合法化されていなかった2018年10月29日、オランダのメディアが、マジックマッシュルームを「微量摂取(microdosing)」することにより、幻覚をみるのではなく、気分の改善や集中力の向上に使用できるとする研究についての報道をおこないました。ただし、研究は発展途上であり、マジックマッシュルームが抑うつ状態や不安症状の改善効果があることを確認するには、さらなる調査が必要だとも述べています。

 では、米国ではマジックマッシュルームの臨床効果が確認できたから合法化されたのでしょうか。各紙の報道を読む限り、そうではなさそうです。先に紹介したオレゴン州での合法化を報じたメディアによれば、正式なマジックマッシュルームによる精神疾患の治療が開始されるまでには少なくとも2年間は待つ必要があり、大麻やアルコールのように流通するわけではありません。しかしその一方で、治療だけでなく自己啓発にも使用されると述べられていることが興味深いと言えます。

 論文も紹介しておきましょう。医学誌「Journal of Psychopharmacology」2016年12月号に「サイロシビンは生命を脅かすがん患者のうつと不安を実質的かつ持続的に減少させる:無作為二重盲検試験 (Psilocybin produces substantial and sustained decreases in depression and anxiety in patients with life-threatening cancer: A randomized double-blind trial)」というタイトルの論文が掲載されました。「サイロシビン(psilocybin)」というのはマジックマッシュルームの主成分で幻覚作用がある物質です。

 この研究の対象者は51人のがん患者で、超低用量群(プラセボ群)(サイロシビン投与量は1または3mg/70kg)と高用量(22または30mg/70 kg)のグループに分けられました。高用量のグループでは、生活の質の向上や死の不安の減少などが認められ、抑うつ気分および不安感が大幅に減少しました。 6か月後も効果は持続しており、対象者の8割は、抑うつ状態と不安感の減少が維持されていました。

 医学誌「JAMA Psychiatry」2020年11月4日号に「うつ病に対するサイロシビン療法の効果(Effects of Psilocybin-Assisted Therapy on Major Depressive Disorder)」というタイトルの論文が掲載されました。この研究の対象者は合計27人の米国在住者で、調査期間は2017年8月から2019年7月です。こちらも研究の対象者が多くないとはいえ、うつ病に対する有効性が認められています。

 医学誌「pharmaceuticals」2021年9月28日号には「抗うつ治療戦略としてのサイロシビンの再発見 (Rediscovering Psilocybin as an Antidepressive Treatment Strategy )」というタイトルの論文が掲載されました。この論文は、これまで発表されたサイロシビンに関する研究を総括しなおしたもので、「抗うつ薬としてのサイロシビンの治療効果は高い」としています。

 サイロシビン(マジックマッシュルーム)は抑うつや不安感のみならず、薬物依存に有効とする研究もあります。医学誌「The American Journal of Drug and Alcohol Abuse」2016年8月24日号に掲載された論文「薬物依存症の治療法として、サイロシビンを検討すべき時が来た (It's time to take psilocybin seriously as a possible treatment for substance use disorders)」にまとめられています。

 マジックマッシュルームの臨床について、2022年1月12日のThe New York timesが興味深い記事を掲載しています。同紙によると、起業家らはオレゴン州での合法化を受けてサイロシビンの研究にすでに数千万ドル(tens of millions)も費やしているそうです。あと5年もすれば、サイロシビンの錠剤が一部の依存症の治療薬としてFDAの承認を得るに充分なエビデンスが集まると言及しています。

 The New York timesはもうひとつ興味深い指摘をしています。標準量(standard dose)とマイクロドージングを区別しなければならないと強調しているのです。「マイクロドージングは標準量の1割で、(バッドトリップなどの)副作用を大きく減らして精神症状を改善させる」としています。

 今後、ますますマジックマッシュルームの有効性が検証され、やがて医薬品として使用される日が来るのはほぼ確実のように思えます。しかし、安全性が担保されているとは言えません。都市や州が合法化したことと安全性には何ら関係がないのです。

 その証拠を示すこともできます。先に紹介したオレゴン州の地元メディアによると、マジックマッシュルームが合法化された2020年11月4日、同州は、同時にヘロイン、コカイン、メタンフェタミン、エクスタシー、LSD、メサドン(麻薬)、オキシコドン(麻薬)も合法化しているのです。この法改正によりこれら依存性薬物に対する依存症患者が増え、その結果HIV陽性者が増加することを懸念する声がなぜ上がらないのか、私には不思議でなりません。

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第187回(2022年1月) 性別適合手術は日本では普及しない

 私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)ではトランスジェンダーへの性別適合手術もホルモン治療も実施していません。しかし、GINAのサイトをみた人達から、これらに関する問い合わせがしばしば入ります。タイでの性別適合手術に興味があるという人が少なくないからです。
 
 周知のように、タイでは美容外科と並び性別適合手術が世界的に有名であり、全世界から希望者が集まっています。新型コロナ流行後はタイ渡航が極めて困難になり、現地駐在員やその家族(現地採用者は困難なようです)、エリートカードを持っている人などを除けばタイへの入国がほぼできません。にもかかわらずタイ政府は性別適合手術が目的の外国人に対しては比較的簡単にビザを発行しています。国自体が奨励している「ビジネス」と呼べるかもしれません。

 今回は日本でのトランスジェンダーの性別適合手術の「歴史」を振り返り、最終的に「日本では普及しない」と私が考えている理由を述べたいと思います。

 その前に言葉を整理しておきましょう。出生時の性とは異なる性への外科手術のことを以前は「性転換手術」と呼ぶことが多かったのですが、現在は「性別適合手術」という表現が一般的です。これは「転換」(元々のものを換える)のではなく、元々"異なっていた"身体の外見を本来の「性」に"適合"させる手術だから、という考えに基づいています。では性別適合術の歴史を振り返ってみましょう。

 性別適合手術の歴史は意外に古く、1930年に実施されたデンマークの画家リリー・エルベに対するM→F(男性→女性)の手術が世界初だと言われています。陰茎切断のみならず、複数回に渡り卵巣及び子宮の移植もおこなわれたのですが、免疫抑制のコントロールがうまくいかず、リリーは1931年に他界しました。2015年の映画『リリーのすべて』はリリー・エルベの生涯を描いた名作です。

 実は日本の歴史も意外に古く、1950年には日本医科大学付属病院などでM→Fの手術がおこなわれ成功しています。ところがその後、性別適合手術のイメージ悪化につながる「ブルーボーイ事件」が起こりました。「ブルーボーイ」とは男娼のことです。

 1964年、東京都のある診療所の産婦人科医が性別判定の十分な診断をしないまま男娼に対する性別適合手術をおこない、これが優生保護法違反とされ、1969年に有罪判決を受けたのです。

 その後、性別適合手術には否定的なイメージがつきまとい、いわばタブーとみなされ、国内での手術はいくつかの特殊なクリニックでおこなわれるのみとなりました。しかし、ブルーボーイ事件からおよそ30年後の1998年、歴史に残る性別適合手術が埼玉医科大学総合医療センターの原科孝雄教授の手によって施されました。それまでは良い印象を持たれていなかった性別適合手術がようやく陽の目を見るようになったのです。そして、今後は全国的に広がるのでは?と期待されました。

 ところが、そうはなりませんでした。その理由のひとつが、海外、特にタイでの手術の普及です。1990年代後半、アジア通貨危機の影響を受け、タイの医療機関が性別適合手術を外国人向けに提供するようになりました。高い技術に加え安いバーツで世界各国から手術を希望するトランスジェンダーを集め、また、これがビジネスになると考えたいくつかの企業や個人があっせん業に乗り出し集客に勤しむようになったのです。

 そんな時代からおよそ10年が経過した2007年、日本国内で2つの大きな「出来事/事件」が起こりました。

 ひとつは先述の原科孝雄教授が埼玉医科大学総合医療センターを2007年3月に定年退職したことです。引き継ぐ医師がほとんどおらず、同センターでの手術件数は大きく減少し、現在ではほとんど実施されていないと聞きます。

 もうひとつの事件は大阪で5月に起こりました。大阪市北区で「わだ形成クリニック」を開業し性別適合手術を積極的におこなっていた和田耕治医師が院内で突然死したのです(死因は不明)。

 ガイドラインに従わず、独自の考えで90年代から性別適合手術を手掛けていた和田医師は、多くの形成外科医から異端児扱いを受け、同院の手術は「非正規ルートの手術」「ウラの手術」などと呼ばれていました。しかし、谷口医院のトランスジェンダーの患者さんの話によれば(ちなみに谷口医院はわだ形成クリニックの近くにあります)、和田医師のトランスジェンダー達からの評判は軒並み良くて、一部の人たちからは神のように崇められていました。和田医師の死後も「あたしはあの伝説の和田先生に手術をしてもらったの」と診察室で自慢げに語るトランス女性もいるほどです。

 国内の性別適合手術は2007年以降も一部の病院やクリニックなどでおこなわれていましたが、症例はさほど多くなく、タイを筆頭とする海外での手術件数には遠く及びませんでした。

 そんななか転帰が訪れます。2018年4月、保険診療制度が改定され性別適合手術が保険適用となったのです。私がこの情報を聞いたとき、これで日本人トランスジェンダーのタイでの性別適合手術は激減するかな、と一瞬考えたのですが、その後すぐに日本では普及しないと結論するに至りました(当時の「GINAと共に」でもこの件は取り上げませんでした)。

 その最大の理由は「ホルモン治療には保険適用がなく、手術を保険でおこなうのは混合診療に該当する」からです。日本では混合診療は認められておらず、ホルモン治療を自費診療で受ければ手術も自費になってしまいます。当初はホルモン治療を自費のクリニックでおこない、手術を病院で保険診療でおこなうことができるのでは?、と楽観視する意見もあったのですが、この考えは早々に打ち消されました。

2018年3月7日、厚労省が「性別適合手術の保険適用について」というタイトルの通知をし、「性別適合手術とホルモン製剤の投与を一連の治療において実施する場合は、原則、混合診療となる」という文章を"わざわざ"公表したのです(この通知は「日本性同一性障害と共に生きる人々の会」のウェブサイトに掲載されています)。要するに厚労省は「ホルモン製剤を使った患者には手術の保険適用を認めない」をルールにしたのです。

 ここで、当事者以外の人からよくある質問「ホルモン治療なしでいきなり手術はできないの?」に答えておきましょう。トランスジェンダーの診断は、原則としてホルモン剤をまず用いて、それで不都合がないことを確認せねばなりません。乳房切除のみの手術ならばホルモン治療なしで実施することもあると聞きますが、外性器の場合は原則としてホルモン治療を一定期間先におこなわなければならないのです。そのホルモン治療の保険適用を認めないということは、「厚労省は本当は性別適合手術を保険で認めたくないのでは?」と訝りたくなります。

 さて、ここで性別適合手術に関する非常に重要なポイントを指摘しておきましょう。当事者以外の人たちのなかには「トランスジェンダーは全員が性別適合手術を望んでいる」と考えている人がいます。ですが、私がGINAの活動を通じ、それなりの数の日本人、タイ人、それ以外の国籍のトランスジェンダーに話を聞いてきた経験で言えば、必ずしもそういうわけではありません。「手術を受けない今のままの姿でわたしの性自認を認めてほしい」というトランス男性(女性)も少なくないのです。

 「保険治療」というのはそもそも病気を治す治療に適用とされるものです。ということは、トランスジェンダーの手術前の状態は"病気"なのか、という疑問がでてきます。「性別適合手術は保険適用」があまりにも強調されると、事情を知らない他人は「(病気を治すために)早く手術を受けられるといいのにね」という当事者が傷つく言葉を善意から口にすることになるかもしれません。

 もちろん、一方では「一日も早く性別適合手術を受けたい。タイでの手術は不安だから日本で受けたい」と考えている人もいますから、そういった人たちのためには、ホルモン治療にも保険適用を認めた上で日本での性別適合手術を普及させるべきです。

 現時点では、「性には多様性がある。トランスジェンダーのなかにも多様性がある」ことを世間に周知させるのが先決で重要だと私は考えています。



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第186回(2021年12月) 薄れていくHIVへの世間の関心

 私の実感で言えば、HIVに対する世間の関心が最も高かったのは2008年です。そして、その後は一定のスピードでゆっくりとその度合いが低下しています。GINAへのメールでの問い合わせは依然たくさんありますが、それでもピーク時に比べると半分以下に減っています。新型コロナウイルスの影響もあるでしょうが、タイでボランティアをしたいという人はほぼ皆無となりました。

 最近はHIVに関するイベントを企画しても人が集まらないと聞きます。2010年頃までは、大学の学園祭でもHIV関連のイベントが多数開催され、私もその関連で講演をするために呼ばれたことが何度かあります。最近はHIV関連の講演で依頼を受けるのは、医療関係か教育関係(学生にではなく教師向けのもの)ばかりです。

 では、なぜ世間の関心が減ったのでしょうか。今回はこの理由を私見を織り交ぜながら明らかにしていきたいと思います。

 例えば、現在も世界各国で猛威を振るい歴史に残る感染症となった新型コロナを考えてみましょう。現在のワクチンは高い効果が期待できますが、それでも感染して死亡する人は少なくありませんし、安全性にも懸念があります。ですが、ワクチンが改良され、感染をほぼ100%防ぐことができて、副作用がほとんどなくなり、さらに安くてよく効いて副作用がほとんどない飲み薬ができたとしましょう。こうなれば1年もしないうちに新型コロナは話題に上がることすらなくなるでしょう。

 HIVも、もしも有効で安全なワクチンができて、安くてよく効いて副作用がほとんどない飲み薬が登場すれば、しかも飲み薬を数日間内服すれば完全に治るようになったとすれば、関心が低くなって当然であり、HIV関連のイベントなど誰も企画しようと思いません。

 では、そこまでは到達していないとしてもHIVはもはや恐れるに足りない感染症になったのでしょうか。ワクチンはなく、薬は「よく効いて副作用が少ない」、までは達成しましたが「安い」わけではありませんし「数日間で治る」わけではありません。依然として費用は高く(そのため障がい扱いとなり公費で自己負担を減らす手続きが必要)、生涯飲み続けなければならないことに変わりはありません。「飲み忘れれば耐性ができて薬が効かなくなり、エイズを発生するかもしれない」、というのは感染者にとって依然恐怖です。

 また、きちんと薬を内服しウイルス量をおさえられたとしても、少しずつ腎臓の機能が悪くなってきたり、骨がもろくなってきたりする人がいます。これらは抗HIV薬を変更したり、別の薬を足したりして凌ぐことはできます。ですが、HANDと呼ばれる認知機能が低下する現象を完全に予防することは現時点ではできません。「きちんと薬を飲んでいれば日和見感染を予防しエイズを発症しません」と言われても、「HANDを発症し認知症になるかもしれません」と言われればやはりこれは恐怖です。

 つまり、HIV感染は依然「何としてでも感染しないように努めなければならない感染症」なのです。

 社会的な観点からみていきましょう。GINAを立ち上げた2006年の時点では、HIV感染告知は、ある意味で「社会的な絶望」を意味していました。差別が蔓延し、学校でも会社でも感染していることを告げられず、家族へのカミングアウトも多くの人ができず、生涯パートナーができないと思い込んでいた人が多かったのです。エイズ拠点病院以外の医療機関はかなり多くのところが診療拒否をしていました。

 現在は少しずつ変わってきています。障がい者枠で就職することができるようになりましたし、家族へカミングアウトする人も今では珍しくなくなりました。会社や学校で全員にカミングアウトしている人はほとんどいませんが、それでも「仲の良い友達だけには伝えている」という声を聞く機会が増えてきました。では、着実にHIV陽性者が住みやすい社会になってきているのでしょうか。

 私見を述べれば、日本の実情は「以前より少しマシ」という程度であり、例えばタイとは大きな差があります。このサイトを立ち上げた頃に伝えていたように、2000年代前半まではタイは日本よりもひどい実情がありました。食堂に入ればフォークを投げつけられ、バスに乗ろうとすると引きずりおろされ、街を歩けば石を投げられ、家族からも地域社会からも追い出されていたのです。さらにほとんどの医療機関では門前払いをくらっていました。

 ところが、その後正しい知識が伝わることで激変します。一部の地域では地域住民全員で感染者を支えています。私が個人的に知るあるHIV陽性のタイ人は、大学時代も就職活動でも堂々と感染をカミングアウトしており、現在銀行員をしています。職場の誰もが彼がHIV陽性であることを知っています。

 翻って日本をみてみましょう。下記は、今年つまり2021年に私が直接HIVの患者さんから聞いたエピソードです。

・ある大手財閥グループの会社に「障がい者枠」で就職を希望した。面接時に「うちの会社は障がい者は積極的に雇用しているが、あなたの病気はすべて断っている。〇〇系のグループ会社すべてで同じ方針だ」と言われた。

・視力が低下してきたためにある大手チェーンの眼科クリニックを受診した。問診票にHIVと書くと、別室に呼び出され「あなたの病気があると診られない。これは当グループのすべてのクリニックで同じ方針だ」と言われた。

 たしかに、一部の外資系グループや、一部の大手建設会社のグループでは積極的にHIV陽性者を障がい者枠で雇用しています。ですが、上記の大手財閥グループの企業では一律に拒否しているというのです。医療機関は、10年前に比べれば随分と改善されてきましたが、受診拒否は今も珍しくありません。特にひどいのが眼科、耳鼻咽喉科、婦人科、それに歯科です。

 ところで、HIVの社会活動に関わりイベントの開催などを積極的におこなっている人たちはどのようなことを目的としているのでしょうか。これは大きくわけて2つあります。1つはリスクのある人に関心を持ってもらい早期発見のために検査を促し(無料検査の実施など)、そして予防(コンドームの使用の啓発、PrEP/PEPの広報など)をしてもらうことです。そして、もうひとつが正しい知識の普及につとめ感染者への差別・偏見をなくすことです。

 世間がHIVに対する関心を失えば、正しい知識が伝わらず差別や偏見がなくなりません。先述の大手財閥グループや医療機関で辛い思いをすることがなくならないわけです。そして、関心の低下は予防への意識低下とつながり、感染者が増加する可能性もあります。実際、私が院長を務める太融寺町谷口医院を受診する患者さんで、「危険な性行為があったので性感染症が心配」という人から「梅毒は気になるけど、HIVは大丈夫」と言われることがあり驚かされます。

 誤解を恐れずに言えば、梅毒など恐れる必要がまったくない感染症です。早期発見して治療をすれば完治するのですから。ワクチンがなくコンドームでも防げませんが、何度かかっても治療をすれば治ります。実際、「今回で梅毒は5回目で~す」などという患者さんもざらにいます。一方、HIVは感染すると生涯薬を飲み続けなければならず、飲み続けたとしてもHANDのリスクが残り、就職や医療機関受診でとても辛い思いをすることもあるわけです。

 恐怖心を煽るようなことはしたくありませんが、世間の関心が再び高くなることを願いながら2021年最後の「GINAと共に」を締めたいと思います。

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