GINAと共に

第44回 エイズ患者によるレイプ事件(2010年2月)

 タイのイサーン地方(東北地方)の話は、このウェブサイトで何度も取り上げています。バンコク人との社会的格差や貧困について報告したこともありますし、また北部と並び高いHIV陽性率を有している地域であることをお伝えしたこともあります。そんなイサーン地方のなかでもおそらく最もマイナーな県のひとつともいえるアムナートチャルン県をご存知でしょうか。

 アムナートチャルン県は、東北部のなかで比較的大きな県であるウボンラチャタニ県の北部に位置しており、東部はカンボジアとの国境となっています。私は訪問したことがありませんが、以前ウボンラチャタニ空港で地図を見ていたときにその名前を知りました。

 そのアムナートチャルン県でとんでもない事件が起こりました。

 2010年1月10日にアムナートチャルン県で逮捕された33歳の男は、実に50人近くの少女から金品を奪い、さらに性的暴行(レイプ)をおこなったというのです。この記事は、翌日のタイの現地新聞『タイラット』で大きく取り上げられ、容疑者の写真も公開されています。写真では、被害者の14歳の女の子が「この男に間違いありません!」と男の顔を指差しています。(下記URL参照)

 50人近くの少女から金品を奪い性的暴行・・・。これだけでも極刑も考慮されるような重罪ですが、さらに驚くべきことに、この男(新聞には実名が報道されていますがここではS容疑者としておきます)はHIVに感染しており、しかも新聞では「エイズの末期」と報道されています。

 S容疑者が『タイラット』の報道どおり「エイズ末期」であるなら、何人もの少女にHIVを感染させている可能性があります。今回は、「HIV陽性者がそれを隠して性交渉をおこなうことの問題」について考えていきたいと思いますが、その前にS容疑者の犯行について『タイラット』の記事を少し詳しく紹介しておきます。

 S容疑者が逮捕されることとなったのは14歳の少女が被害届を出したからです。この少女はボーイフレンドと遊びに行き、深夜に二人でオートバイに乗り帰宅する途中でS容疑者に呼び止められました。S容疑者は自分が警官であると言ったそうです。

 「このオートバイは盗難車の可能性がある。これが自分のものである証明書を持ってきなさい」と言い、ボーイフレンドを家に帰しました。そして、S容疑者は少女を自分のオートバイの後部座席に乗せ、そこから2~3キロ離れた農地に連れて行き、掘っ立て小屋で3回乱暴した後、少女を置き去りにして逃走したそうです。(この手の事件を詳細に報道するのがタイのマスコミの特徴です・・・)

 警察の調べによりますと、S容疑者はこれまで50人近くの少女に乱暴していますが、これまで警察に被害届を出した少女はいなかったようです。今回14歳の少女が被害届を出したのは、少女はS容疑者の近所に住んでいて、もともとS容疑者の顔を知っていたからだそうです。

 S容疑者は、2001年に銃器不法所持罪で5年の懲役刑を受け服役していました。出所できたのはいいものの仕事がなく、アムナートチャルン県及びコンケン県で、恐喝によってしのいでいたそうです。(コンケン県はアムナートチャルン県から地理的に随分離れていますが、なぜコンケン県で"仕事"をしていたのかは報道されていません)

 S容疑者が"獲物"を探すのはだいたい午前2時から午前5時の間で、それ相応の金品を所持していた場合は、それらを奪うだけで帰していたそうです。被害者が金品を持っていない場合、あるいは少女が可愛いかった場合には乱暴していたとS容疑者は供述しているそうです。

 逮捕後、取り調べによりS容疑者がHIV陽性であることが判明したと報道されています。警官が身体検査をしたところ、身体中にデキモノがありその一部は化膿しており、S容疑者自身も自らが「エイズの末期症状」であることを認めているそうです。

 これを受けて地元警察では、これまで被害届を出していない被害者の少女たちがHIVに感染している可能性があり、さらに少女たちが他人に感染させている可能性も否定できないとして、容疑者が犯行を重ねていたアムナートチャルン県とコンケン県の警察を通じて、被害者に名乗り出るよう呼びかけているようです。

 さて、この事件に対し、まずは医学的な観点から考えていきたいと思います。報道では、S容疑者は「エイズ末期」であったと報道されています。どこまで医学的な検証がおこなわれたのかは新聞からは伝わってきませんが、おそらく体中にできていた"デキモノ"からそのように判断されたのでしょう。

 たしかに、体中に"デキモノ"ができている状態は「エイズ末期」の可能性があります。まだ抗HIV薬が普及していなかった頃のパバナプ寺では、エイズ特有の"デキモノ"を呈している患者さんが大勢おられました。

 HIVは性交渉をもったからといって簡単にうつる感染症ではありません。しかし、エイズ末期となると話は異なります。よく、「HIV陽性者と性交渉をもって感染する確率は○○%・・・」という話がでますが、これはそのHIV陽性者がどのような状態にあるかによってまったく異なってきます。感染後しばらくして落ちついているときは極めて低い感染率と言えるかもしれませんが、エイズ末期となれば感染の可能性は飛躍的に高まります。ということは、何の罪もない少女たちがS容疑者の身勝手な行動によりHIVに感染している可能性は少なくないということになります。(参考までに、感染初期のまだ本人が感染に気づいていないときにも感染の可能性は高いのですが、今回の内容とは異なるため詳しくはここでは述べません)

 では、「HIV陽性者がそれを隠して性交渉をおこなうことの問題」について考えていきましょう。私の知る限り、こういったことをきちんと定めた法律は日本とタイではありません。場合によっては傷害未遂の罪になるかもしれませんが、日本でもタイでもそういった罪が適応されたというケースは聞いたことがありません。

 しかしながら、先進国ではHIV陽性であることを隠して性交渉をおこなえばそれだけで罪になるのが普通です。例えば、オーストラリアでは、1件につき7年程度の懲役刑となるようです。これは「1件につき」ですから、例えば7人との性交渉があれば7x7=49年の懲役ということになります。繰り返し述べますが、これは「性交渉をもっただけで」罪となるのです。もしも、HIVを感染させるようなことがあれば、さらに罪は重くなる可能性があります。

 そして、性交渉で感染させる感染症はHIVだけではありません。B型肝炎やC型肝炎でも同様です。(さすがに、自らのクラミジア感染を知っていて性交渉をおこない起訴されたというケースは聞いたことがありませんが・・・)

 HIVに感染していることを他人に伝えることができないのは、おそらく社会的な差別や偏見が存在することと無関係ではないでしょう。ですから、許されることではありませんが、感染を隠して性交渉をおこなってしまった人の気持ちが分からないわけでもありません。

 しかし、レイプ、しかも少女たちをレイプ、となれば話はまったく異なってきます。アムナートチャルン県のS容疑者に同情の余地はありません。

注:『タイラット』2010年1月11日の記事は下記で見ることができます。
http://www.thairath.co.th/content/region/58033

参考:GINAニュース
2007年6月25日「HIV陽性であることを告知せずに逮捕」
2006年10月29日「オーストラリア男性が女性観光客にHIVを感染」
2006年6月23日「恋人にHIVをうつした女性が禁固刑に」
2006年10月16日「オーストラリアのゲイ、5人にHIVを故意に感染」

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第43回 危険地域にボランティアに行くということ(2010年1月)

 もう6年ほどたちますが、2004年4月、当時イラクへの渡航自粛勧告とイラクからの退避勧告が出ていたのにも関わらず、日本人3人が武装グループに拉致され人質となった事件がありました。

 この事件は、自衛隊派遣の是非、ボランティアとは何か、自己責任という問題、行き過ぎた報道、など多くの社会問題を引き起こしました。

 特に拉致された3人のうちの1人、自称ボランティアの北海道出身の30代女性は、家族がマスコミに登場し自衛隊の撤退要求を強く訴えたこと、この家族が共産党を支援していたこと、ボランティアの内容が10代の男の子限定の物資の提供との噂があったこと、などから特に批判が強く、自宅に苦情の手紙やFAX、電話などが大量に寄せられたと報道されています。

 また、世論だけでなく、この頃のメディアのほとんどは拉致された彼女らに対して批判的で「自己責任」という言葉が何度もメディアを駆け巡りました。一方、本来異国の地で生命の危険に脅かされている自国民を助けるべき立場の政府までもが、「頭を冷やしてよく考えろ」(福田康夫官房長官、当時)、「自己責任で解決を図るのは当然。救出にかかった費用は堂々と本人に請求すべきだ」(田村公平副幹事長、当時)、などの発言をおこなっています。

 この事件は、時間が立つにつれて次第に忘れられているように思いますが、ボランティアをおこなう人間にとっては大変大きな問題でありますのでこの場で取り上げてみたいと思います。

 まず、2004年のこの事件はいくつかの議論すべき点がごちゃ混ぜになっているので、それらを整理することから始めてみたいと思います。

 1つは、拉致された30代女性(以下Tさんとします)が、共産党を支持しており自衛隊の海外派遣に反対の立場だったこと、10代の男の子限定の物資をつくっていたと噂されていたこと、現地でおこなっていたボランティアの内容がはっきりしないことなどがあって、こういった点は危険地域に出向くことの是非とは分けて考えなければいけません。

 もちろん、共産党を支持するのは個人の自由ですし、ボランティアの内容については一方的なマスコミの報道だけでは分かりませんから、私個人としてはTさんをこの点で非難する気にはなれません。このような、拉致とは関係のない点が非難の対象となってしまえば事の本質が見えなくなってしまいます。

 2つめは、「退避勧告」がでていたかどうか、あるいはそれを知っていたかどうか、という点です。Tさんを含む拉致された3人は退避勧告を無視したと報道されています。そして、この点が「自己責任」という言葉につながっていったのだと思われます。

 おそらく日本政府から退避勧告が出ていなければ、Tさんらに対する世間からのバッシングはこれほど強くなかったのではないでしょうか。

 水谷豊さん主演の映画『相棒・劇場版』では、この点がストーリーの焦点になっています。この映画では、南米の紛争地域にボランティアに行っていた日本人の青年が武装グループに殺害されたことで、家族に対し世間からのバッシングがおこり、これが後の事件につながります。そして、当初は「武装グループに殺害された青年は退避勧告を無視して・・・」とされていたのですが、実はそうではなかったことがラストシーンで判明します。

 では、退避勧告を知っていたとして、それでもその地域にボランティアに出向くことの是非はどのように考えればいいのでしょう。

 もしも武装グループに拉致されれば、人質を解放するのにかなりの費用が費やされます。そしてこのお金は税金によって賄われることになります。「我々の血税をそんな無責任なヤツらに使うのは許せない・・・」という意見が出てくることは間違いないでしょうが、果たして自己責任という言葉のもとに、まるで犯罪者のような扱いを受けることには問題がないのでしょうか。

 2004年当時、日本の世論、マスコミ、政治家のほとんどが否定的な態度を示していたなかで、JICA理事長の緒方貞子さんは次のように述べています。

 「私も責任者として本当に危険な地域に人を出すことはできない。しかし、多様な人々が存在して、はじめて良い社会となる。危険地域に行かない人もいて当然だし、行く人もいてよい。どんな状況下でも国には救出義務がある。人質になった人々を村八分のように扱って非難した日本人の反応は、国際社会の評価をかなり落としたと思う」(2004年5月25日毎日新聞)

 2005年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映された小林政広氏監督の『バッシング』は、2004年のイラク日本人人質事件を題材にしており、主人公の女性はTさんがモデルであると言われています。映画では、主人公の女性は世間からバッシングを受け仕事をクビになり、父親までもがリストラにあいそして自殺をします。継母からは「あの人を返して!」と叩かれるシーンもあります。

 しかし、危険地域にボランティアに出向き、拉致され政府のお金を使って救出されたということが、これほどの非難に相当するのでしょうか。紛争で多くの命の犠牲が払われていることには無関心で、危険を顧みずにボランティアに出向いた同じ国の国民に対し、匿名で誹謗中傷の電話やFAXを送りつける方がよほど罪なのではないかと私には感じられます。

 私自身は退避勧告が出ている地域に出向いたことはありませんが、以前「戒厳令」がでているタイ南部に取材に行ったことがあります。このときは現地の公衆衛生学者と共に、売春施設を訪問し、セックスワーカーの健康状態の調査、コンドームの配布などを手伝いました。(今回のコラムの趣旨から外れますから詳しくは述べませんが、この地域にはHIV陽性のセックスワーカーが大勢います)

 では、私自身が退避勧告の出ている地域にボランティアに行きたくなったときにどうするべきか。例えば、現在GINAが支援している北タイの一部で紛争が起こることは可能性としてはあり得ます。山岳民族とミャンマーの軍事政権は今も緊張状態にあります。そしてGINAは山岳民族出身の子供たちも一部支援しています。もしも武力紛争が起こりタイの領土まで進行すればこれまでは問題なく訪問できていた地域で退避勧告が出されるかもしれません。また、先に述べた南タイの地域に出向く必要が生じ退避勧告が発令されたとすれば、私はどうすべきなのでしょうか。

 現在の自分の状況を考えたとき、気軽に「退避勧告には関係なくボランティアに行く」とは決して言えませんし、また言うべきでもないでしょう。しかしながら、私にとって、というか人間にとって本質的な「貢献」や「奉仕」というのは「退避勧告」とは何ら関係がないはずです。

 「自己責任」という言葉のもとに、「貢献」や「奉仕」が忘れ去れることがあってはならない・・・。これだけは真実だと思います。

参考:
映画『相棒・劇場版』和泉聖治監督2008年
映画『バッシング』小林政広監督2006年
宮崎学『法と掟と』角川文庫

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第42回 エイズ患者のミイラ展示は是か非か (2009年12月)

 パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)はかなり有名になってきたようで、GINAに対しても「見学に行きたいので訪問の仕方を教えてほしい」とか「ボランティアをしたいので紹介状を書いてほしい」といった問い合わせをときどき受けます。

 GINAの紹介で(あるいは私個人の紹介で)パバナプ寺を訪問した人のほとんどは、エイズで死亡した人の死体のミイラが展示されていることについて感想を述べられます。そのほとんどは、「驚いた」という言葉の次に、「見世物みたいでよくないことだと思う」と言います。

 パバナプ寺の敷地内には「博物館」と呼ばれる建物があります。この博物館に展示されているのは合計10体ほどの人間のミイラです。各ミイラがショーケースの中に入れられ、ショーケースの前にはその人のプロフィールと生前の写真が載せられたパネルが置かれています。プロフィールには、実名、生年月日、出身地、職業なども記載されています。

 ミイラとなる人は、エイズを発症しパバナプ寺でケアを受けた人たちです。現在エイズは死に至る病ではありませんが、それは最近になってからの話であり、まだ抗HIV薬が支給されていなかった2004年の前半くらいまでは、この寺に来ると最終的には死を待つしかありませんでした。現在でも投薬開始が遅れて、つまりエイズの末期になってから寺に来て薬の力では治らなくなった人も亡くなっていきます。

 プライバシー保護という言葉に慣れている我々日本人からすると、この死体の展示、それも実名や生前の写真入りの展示ですから大変驚かされます。もちろん、このように驚かされるのは日本人だけでなく、私の知る限りパバナプ寺を訪れたほとんどの西洋人は我々と同じように驚きます。

 一方、タイ人に意見を聞くと評価が分かれます。全員というわけではありませんが、私の聞いたところ、いわゆる高学歴者というか、例えば日本に留学に来たことのあるようなタイ人は、やはり我々と同様違和感を覚えると言います。しかし、パバナプ寺のエイズ患者さんたちに意見を聞くと、「別にいいんじゃないの」というような答えが返ってくることも少なくありません。

 この問題に対し、タイの英字新聞The Nationが興味深い報道をおこないました。

 報道(2009年9月14日)によりますと、タイの複数の市民団体が2009年9月9日、パバナプ寺が長年に渡りエイズ患者の人権を侵害しているとして、「国家人権委員会(National Human Right Commission, NHRC)」に何らかの対処をするよう要求したのです。

 実は、私もパバナプ寺でボランティアをしていた頃、寺の職員にこの件について質問したことがあります。「これは日本人的な見方でタイの文化を尊重すべきことを理解した上で質問しますが・・・」と前置きを付けた上で、「このような死体の展示は患者の人権侵害に相当しないのか」と尋ねたのです。

 すると、寺の職員は、「死体をミイラ化し展示することに対して生前に本人及び本人の親族から文書で同意を得ている」と答えました。しかし、同意書があればいいというものではないのではないか・・・、と私は感じましたが、これ以上の詰問は外国人がすべきことではないようにも思えました。ボランティアをしにきている私は「郷に入っては郷に従え」という言葉を思い出しました。

 上記のThe Nationの記事によりますと、「エイズ患者の権利基金(Foundation for AIDS Rights)」のスパトラ(Supatra Nakhapiew)氏は、「他に選択肢がないエイズ患者が、ケアを受けるためにパバナプ寺に来ている。そんな患者に、ミイラになってくれ、という寺の要求を断ることはできない。本人の同意があるからといって、ミイラ化した裸の遺体を晒すのは行き過ぎた行為だ」と批判しています。

 この意見ももっともだと思われます。

 さらに同記事によりますと、「タイ・HIV/AIDS患者ネットワーク(Thai Network for People Living with HIV/AIDS)」の代表者も、パバナプ寺がエイズ患者の病棟を公開して寄附金を集めていることに対して、「エイズで苦しんでいる人たちを寄附金集めに利用してはいけない。パバナプ寺のこのやり方には長年疑問を感じていた」と話しているそうです。

 さて、私の知る限り、パバナプ寺の職員のほとんどは、看護師も事務員も患者さん想いのいい方々です。The Nationのこの記事を読んで、再びこのミイラの展示のことが気になり、職員に尋ねてみることにしました。上に述べた私が質問した職員は、当時(2004年)のパバナプ寺で比較的高い役職にある人だったため、いわば寺の公式見解であり、その職員のホンネではない可能性があります。

 そう考えた私は、今度はもう少しホンネで話してくれそうな職員にGINAのタイ駐在スタッフを通じて質問してみました。その職員の意見をまとめると次のようになります。

・いたずらに訪問者(見学者)の恐怖心をかきたてたり、ショービジネスであるかのように遺体を陳列したりすることには(個人的には)同意できない。

バナプ寺がエイズ患者さんのケアをおこない、それを訪問者(見学者)に公開している目的は、患者さんが普通に働いている(お寺の中の諸業務にさまざまに携わっている)のを見てもらい、エイズ患者さんも一般社会で働き(普通に)生活出来ることを理解してもらうこと。

・一部の人権団体から死体の展示に関して指摘を受けたことがある。しかし、同団体は一度批判を放ったきりで、以後音沙汰がない。(一度批判を言っただけでその後の連絡がなければ意味がない) そして公的な調査は一度もおこなわれていない。

・(個人的には)一度然るべき(公的)機関からの査察を受けるべきだと考えている。しかしそのような様子は現在のところまったくない。


 パバナプ寺が有名になり、同時にこの「死体博物館」も世に知れ渡るようになってきています。この職員が提言しているように、私も「然るべき機関による査察」に賛成です。

 けれども、どこの機関が査察をおこなってもきっと一筋縄にはいかないでしょう。私が最後にパバナプ寺を訪問したのは2009年8月ですが、そのときには「死体博物館」とは別の建物に、臓器ごとの展示がおこなわれていました。心臓、脳、肝臓、腸管、陰茎などがホルマリンにつけられ展示されているのです。

 査察が入り、仮に死体のミイラはNGとなったとして、ではこれら臓器の展示はどうするのかという問題が残ります。また、そもそも重症病棟に一般の見学者を入れることはどうなのか(多い日は千人近くの観光客が重症病棟に入るのです!)という問題もあります。

 一方で、もしも死体の展示も重症病棟の見学もなくせば、寄附金が集まらず患者さんのケアができなくなってしまう可能性があるのもまた事実なのです。

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第41回 HIVワクチンに無関心なタイ人(2009年11月)

 2009年9月24日、タイのウィタヤ・ケオパラダイ(Witthaya Kaewparadai)保健大臣が、HIVワクチンの臨床試験で、感染リスクの低減を示す結果が得られたことを発表しました。

 このニュースは翌日(9月25日)のBangkok Postで報道され、さらに世界中のマスコミで取り上げられています。日本のマスコミでも扱いはさほど大きくありませんでしたが、一部の報道機関で伝えられたようです。さらに、医学誌『New England Journal of Medicine』電子版の2009年10月20日号にはこのワクチンについての論文が掲載されています。

 このワクチンの臨床試験の結果について簡単にまとめておきましょう。

 2003年10月、タイ東部のチョンブリー県とラヨン県の16,402人を対象として臨床試験が開始されました。対象者を半分に分け、1つのグループにはワクチンを接種し、もう1つのグループには偽ワクチンを接種して、3年間にわたり追跡調査が実施されました。尚、対象者は調査開始時点でHIVに感染していない18~30歳の健康な男女で、多くが異性愛者とされています。

 追跡調査の結果、偽ワクチンを接種したグループでは74人がHIVに感染し、ワクチンを接種したグループで感染したのは51人でした。この数字を統計学的に分析すると、「感染率が31%軽減した」、という結果となっています。

 このワクチンは2種類のワクチンを混合し合計6回接種することになっています。ワクチンの副作用はほとんどなく安全なワクチンであるということは言えそうですが、有効率が3割というのは、他の感染症のワクチンと比較すると少し物足りない感じがします。

 実際、ウィタヤ保健大臣は、「ワクチンはまだ実用レベルには達していない」とコメントしています。しかしながら、HIVのワクチンはこれまでも多くの地域で研究されてきましたが、わずかとはいえ有効性が確認されたのは今回が初めてですから、今後のワクチン開発に希望を与えるものであるという言い方はできるでしょう。

 さて、上でも述べましたように、このHIVワクチンについてのニュースは一部の日本のマスコミでも報道されましたが、残念ながら日本人にはあまり関心のないことなのか、大きく報道されることは(私の知る限り)ありませんでした。

 現在、日本ではHIV感染が増加しているのにもかかわらず、無関心さは感染者の増大よりもはるかに大きな勢いで増してきているようで、検査を受ける人も減ってきているようです。先日、公衆衛生関係のある学者に尋ねたところ、大阪では去年に比べ、保健所にHIV検査に来る人が半数程度に落ち込んでいるそうです。

 日本人のHIVに対する無関心さは今に始まったことではありませんから、HIVのワクチン開発が話題にならないのは驚くに値することではないのかもしれません。

 ではタイではどうでしょう。タイは90年代半ばに感染者が急増し、一時はHIV感染症の抑制が国の最優先事項と考えられていましたが、現在では新規感染者は急減し、世界的にはタイは「エイズ撲滅に成功した国」とみられています。実際、大手のNPOなどの支援団体はタイからアフリカなどの他国に支援の矛先をシフトさせています。

 しかし、実際のところはこういった認識とは随分と異なります。タイで新規感染者が減ったといっても、今でも年間約1万8千人が新たに感染しておりここ数年は横ばいです。しかも感染者の層が低年齢化しており、さらに最大のハイリスクグループが主婦になっているため新たな対策が必要になってきています。エイズ患者やエイズ孤児は、今でも生活に苦労しており支援が必要でないわけではありません。GINAがタイから離れられないのもこのような現実を目の当たりにしているからです。

 さて、年間1万8千人が新たにHIVに感染しており(タイの人口は約6千万人です)、若い層での感染者の増加が問題になっているタイで、ワクチンが開発されたわけです。ウィタヤ保健大臣の発表の翌日には、Bangkok Postがこのニュースを大きく取り上げました。私としては、きっとタイ人の多くがこのワクチンのことを話題にし、大きな期待を持っているのではないか、と考えました。

 ところが、です。電話やメールでタイ人何人かに聞いてみても、まずこのニュースを知っているタイ人がほとんどいません。「タイでHIVのワクチンが開発されたよ。有効率は3割程度だけどすごいことだと思わない? もし実用化されて値段が安ければ接種する?」という質問をしてみたのですが、ほとんどの人が、「HIVのワクチン? 興味ないね・・・」という態度なのです。

 そこで私はタイ駐在のGINAのスタッフに調査を依頼することにしました。タイ人数十人に、ワクチンが自国で開発されたことを知っているか、ワクチンが実用化されれば接種したいか、などのアンケートをするように依頼しました。

 その結果は、結論から言えば「調査の価値なし」というものでした。本格的な調査を始める前に、そのスタッフは周りのタイ人何人かに意見を聞いたそうなのですが、ほとんどのタイ人は、私が電話などで直接タイ人と話したときのように、HIVそのものに無関心であり、ワクチンのことまで話が進まないそうなのです。

 そのスタッフによれば、もしも調査をするのであれば、タイ人のなかでも上層階級に入るような人に限定しなければまともな回答が得られないであろう、とのことでした。私が知りたいのはHIV感染のリスクがあると思われる一般的なタイ人を対象とした調査ですから、これでは意味がないと判断し、結局調査は中止することにしました。

 今回の臨床試験で対象となったのは、チョンブリー県とラヨン県というタイ東部です。これら2県は工業地域としても有名で日系の企業や工場もたくさん進出している地域です。実際、地域のひとりあたりのGDPは、バンコクを含むタイ中部よりもタイ東部の方が高くなっており、東部はタイの中でもかなり発展した地域なのです。チョンブリーにはタイ最大の歓楽街であるパタヤもあります。その地域で試験に参加したなかでワクチンを接種した人も含めて合計125人の若者がHIVに新たに感染しているのです。

 結局のところ、HIVに無関心なのは日本でもタイでも同じことなのではないか、と私は考えるようになりました。我々医療従事者やNPOのスタッフであれば、日々HIVに感染した患者さんがどれだけ肉体的、精神的、あるいは社会的に苦労しているかを目の当たりにしていますが、周囲に感染者がいない人にとっては、HIVとは自分とは関係のない別世界のことなのかもしれません。

 HIV検査の受検者が減っているのは、日本だけでなくタイでも同じような状況だそうです。ということは、我々GINAのようなNPOがもっともっとHIVのことを世間にアピールしなければならないのかもしれません。

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第40回 ウドンタニの売春合法化は実現するか(2009年10月)

 タイの東北地方(イサーン地方)にあるウドンタニ県をご存知でしょうか。ウドンタニはイサーン地方の中心県のひとつであり、比較的大きな空港もあります。人口はおよそ150万人で、タイの県別の人口では第8位になります。

 ウドンタニはバンコクと比べると、ずいぶんのんびりした印象を受けますが、空港やバスターミナルの付近はそれなりににぎわっています。チェンマイやプーケットに比べると、それほどリゾート地という感じはしませんが、外国人もまあまあ住んでいます。日本人は白人に比べると、それほど多くなく私はウドンタニでスーツを着た日本人を見たことはありませんが、観光(夜遊び?)に来ていると思われる日本人に何度か会ったことがあります。

 タイはどこの地方に行っても必ず売春施設がある、と言われることがありますが、このウドンタニも例外ではなく、様々な形態の売春施設があります。なかには、そういった施設に行くことを目的としてウドンタニ県まではるばるやって来る男性も(日本人も含めて!)いるようです。

 そのウドンタニ県の産業審議会(Industrial Council)のプラヨーン(Prayoon)会長が、売春合法化をタイ政府に求めています。(報道は9月15日のThe Nation)

 プラヨーン会長は次のようにコメントしています。

 「売春を一掃することは絶対にできない。ならば現実に目を向けて合法化すべきだ。売春が違法である限り性犯罪は減少しない・・・」

 同会長は、世界には売春を合法化している地域もあることを引き合いに出し、売春施設やセックスワーカーを当局が登録制にし管理すべきだと主張しています。こうすることによって、セックスワーカーが社会保障を受けられるだけでなく、政府にとっても税金を徴収できることになり、両者にとってメリットがある、というようなことを主張しています。

 プラヨーン会長のこのような発言は、特に画期的なものではなく、以前から世界中で提唱されている概念です。セックスワーカーの側からみると、非合法の状態であればいつ逮捕されるか分かりませんし、暴力やレイプといった性犯罪に巻き込まれる可能性が高いわけですが、これが当局の管理の下になるとすれば、いくぶんはこういったトラブルが避けられるかもしれません。したがって、売買春を合法化することによりセックスワーカーも安全に働けるようになるではないか、というのが売春合法提唱者の言い分です。

 同会長が指摘しているように、売買春を合法化すれば、そこから税金も徴収できるわけですから、一見合理的なシステムのように見受けられます。

 一方、当事者であるセックスワーカーは売春合法化についてどのように感じているのでしょうか。

 このニュースを報道したThe Nationは、「女性の友基金」(Friends of Women Foundation)のタナワディ(Thanavadee)代表に対して取材をしています。

 タナワディ氏は、まず、売春施設の地域指定化については賛成しています。タイの売春施設のなかには学校や寺院の近くに位置しているところもあり、これらは誰の目からみても問題だからです。現在のように売春そのものが完全に非合法な状態であると、結局はどこにでもつくられることになります。もしも、売春施設に関する法律で地域を限定するようにすれば、このような教育上あるいは道徳上問題のある地域での売春はできないことになります。

 タナワディ代表は、セックスワーカーの社会的保護にも賛成しています。他の職業と同様の社会保障を受ける権利がある、と述べています。

 しかしながら、タナワディ代表は、セックスワーカーの登録管理制度については反対しています。社会保障が受けられるようになる可能性がある一方で、セックスワーカーにとってはマイナスの要因もあると主張し次のように述べています。

 「セックスワーカーを登録制にすれば、彼女たちがセックスワークを終えた後の人生に影響を与えることになります。登録をされることにより、彼女たちが売春婦という烙印を押されることになり、その後の人生もそのような目で見られてしまいます。将来、他の職業に就こうと思ってもその烙印のせいで他の仕事ができなくなってしまうと思われるのです」

 タナワディ氏のこの主張は、セックスワーカーの立場にたった現実的な意見と言えるでしょう。もしもセックスワーカーが登録制になれば、公的な記録として残ることになります。いくら守秘義務が守られることが約束されるとしても、当事者からみればやはり記録に残ってしまうことには抵抗があるでしょう。

 しかしながら、タナワディ氏は、セックスワーカーの社会保障は必要だと述べているわけです。

 では、「社会保障」とは何なのでしょうか。具体的にどのような社会保障があれば、セックスワーカーが安心して働けるのでしょうか。

 私が考えるセックスワーカーの保障は主に3つあります。1つは、顧客の暴力から守られること、2つめは、警察に逮捕されないこと(売春が非合法である限り、彼女らはいつ逮捕されるかわからないという恐怖心をもっています)、そして3つめは性感染症の予防です。

 もしも、セックスワーカーの施設が合法化されれば、1つめと2つめの問題はかなり解決できるのではないでしょうか。現状では、たとえセックスワーカーが顧客に暴行を加えられたとしても警察には駆け込めません。なぜなら、セックスワークという行為自体が違法だからです。施設が合法化されれば、このようなリスクは大きく減少することが期待できます。

 3つめの問題、すなわち性感染症の予防については、行政がB型肝炎ウイルスワクチンの無料接種(タイでは日本と同様、B型肝炎のワクチンが全員に接種されていません)や、性感染症の定期的な無料検査を実施し、さらに無料でコンドームを配布するのが得策だと思われます。

 そうすることによって、セックスワーカーは性感染症のリスクを大きく軽減することができます。無料で検査やワクチン接種をおこなうことで予算が必要になりますが、セックスワークを合法化することにより、売春施設やセックスワーカーから税金を徴収することができるのです。

 ウドンタニの議会で現在この件がどのように進められているのか、マスコミからの情報は伝わってきませんが、私がここで述べたような具体的な社会保障について積極的な議論を期待したいと思います。

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