GINAと共に

第31回 バンコク人 対 イサーン人(2009年1月)

年末年始にタイに行っていたのですが、半年も前に予約を入れてあった便が急遽なくなったかと思うと、また復活となったりして、直前までどの便でいけるのかどうかが分かりませんでした。これは、PAD(The Peoples' Alliance for Democracy)が12月初旬にスワンナプーム空港を占拠したことが原因で、空港閉鎖が解除された後も治安の不安定さを懸念する動きもあり、旅行者が減ったことにより各航空会社が便を減らしていたからです。

 結局私は、当初の便を変更することとなり、12月29日の午前に関西国際空港を発ちました。行きの機内のなかでBangkok Post(タイの英字新聞)を手に取ると、一面にはUDD(United Front of Democracy against Dictatorship)が国会議事堂の前で座り込みをしているというニュースが大々的に取り上げられていました。

 ここで、PADとUDDについて説明しておきます。

 分かりやすく説明すれば、PADとは反タクシン派の市民団体のことです。そして、UDDとは親タクシン派の市民団体です。

 タクシンについて少し解説をしておきます。タクシン・シナワット(チナワット)はタイ愛国党の党首で2001年に首相となりました。それまでの首相とは異なり、北タイ及びイサーン地方(東北地方)の生活レベルの向上を実現させました。生活レベルの向上、というと何やら高尚なことをおこなったように聞こえますが、分かりやすく言えば大量の公的資金を北タイとイサーン地方に投入したのです。もっと端的に言えば北タイとイサーンにお金をばらまいたわけです。北タイはタクシンの出身地で当然といえば当然かもしれませんが、イサーンを手厚くしたのは画期的だったといえます。

 タイに渡航する日本人は年間100万人を超えますが、多くはバンコク、チェンマイなどの北タイ、プーケットやクラビーなどの南タイを訪問する人が多いと思います。一方、観光地と言えるところがそれほど多くないイサーン地方に好んで訪れる人はそう多くはないでしょう。しかし、人口比率でみるとイサーンの人口はタイ人全体のおよそ3分の1に相当します。北タイが約2割ですから、北タイとイサーンで支持を得れば国民の過半数の支持が得られることになります。北タイとイサーンで絶対的な支持を得たタクシン政権は選挙では圧倒的な力をもつことになりました。

 ところが、タクシンはバンコク人からはあまり好意的には見られていませんでした。その最たる理由が脱税です。タクシン一族の所有する携帯電話の会社(シン・コーポレーション)をシンガポールの政府系企業に売却した際、税金を不当に低くしたとのことで批判をあびました。このことがきっかけでタクシン一族は、様々な脱税をおこなっていることを疑われ、これが原因となり、2006年9月19日にクーデターが起こりタクシンは失脚することになります。

 タクシンを嫌うのはバンコク人だけではありません。タイに在住する西洋人からも好意的には思われていませんでした。実際私は親タクシン派の西洋人とは出会ったことがありません。これは、不正を悪と考える西洋資本主義的発想を持ち合わせている人からみれば当然なのかもしれません。

 ここで私自身の考えを述べておくと、私は多くのバンコク人や西洋人とは異なり、タクシンをどちらかといえば好意的に思っています。その最たる理由は、売春施設の取り締まりやナイトスポットの深夜営業禁止をおこない、さらに違法薬物の取り締まりを徹底的におこなったことです。違法薬物の取り締まりは冤罪で射殺された人が数千人にも上るとの噂もあり、もちろんこれは問題ではありますが、それでも、これらの政策によりタイは随分クリーンな国になりました。違法薬物に依存しているジャンキーたちはタイを去り、児童買春目当ての西洋人(日本人も)は他国に移動したと言われています。

 北タイやイサーンに手厚い政策を施したことも、私がタクシンを好意的に感じている理由のひとつです。特に北タイでは生活水準が大きく上昇し、タクシン政権以前には小学校しか卒業していない若者が大勢いましたが、タクシンの政策のおかげで、今では高校に通うことが当たり前になりつつあります。

 イサーンでは、まだ高校進学は一般的ではありませんが、家族を助けるために売春をしなければならない10代の女子は大きく減少していますし、違法薬物の売買で生計をたてざるを得ないような男子もかなり減っています。(とはいえ、今でも仕事がなく貧困にあえいでいる人たちが大勢いますが・・・)

 さて、タクシンが失脚することとなったクーデター以降、タイの首相は、スラユット、サマック、ソムチャイと続きますがいずれも親タクシン派(タイ愛国党派)です。いくら反タクシン派の運動が首都バンコクで起こったとしても、ほとんどが親タクシン派で占める北タイとイサーンの支持が得られないわけですから当然と言えば当然でしょう。

 これに業を煮やしたPADは、ついにスワンナプーム空港占拠という暴挙にでます。このため、行政側としてもPADの要求を認めざるを得ず、2008年12月15日、反タクシン派のアピシットが首相となります。

 ところが、親タクシン派はこれに黙っていませんでした。UDDを結成し、今度は国会議事堂前の座り込みなどをおこないアピシット政権に抗議活動をおこなうこととなりました。

 以上、PADとUDDの行動の流れを簡単におさらいしましたが、タイ人と話をすると、PAD対UDDは、そのままバンコク人対イサーン人の構図であるように思われます。実際、バンコク人とイサーン人が仲良くしている光景を私はほとんど見たことがありません。少し仲良くなると話してくれますが、バンコク人はイサーン人を「キーギアット(怠け者)」と言い、イサーン人はバンコク人のことを「ニサイ・マイ・ディー(性格が悪い)」と、互いを中傷するようなことを言います。また、バンコク人とイサーン人では民族の系統が違い、イサーン人は肌の色が黒く鼻が低いため、白い肌に価値が置かれるタイではあまり美しいとされません。このためイサーン人のなかにはバンコク人にコンプレックスを持っている人も少なくありません。

 私自身は、タイという国に対してはHIV/AIDSの問題で深く関わっていますから、イサーン人の立場に立って物事を考えることがよくあります。貧困だから売春や違法薬物の売買をせざるを得ず、結果としてHIVに感染した人たちは大勢いますが、彼(彼女)らは、私には怠け者(キー・ギアット)とは思えません。土地が貧しくて農作物もろくに育たないところで育ち小学校さえ卒業するのがむつかしい彼(彼女)たちにはまともな仕事がないのです。これは、先進国の若者が「不況で仕事がない」というのとはレベルが違うのです。

 私はときどきタイ人と政治の話をしますが(タイ人は比較的政治の話が好きです)、タクシンの話になると口調を荒くして、いかにタクシンがすばらしいかを熱弁するイサーン人にときどき出会います。彼(彼女)らは理性をなくしているというか、狂信的にタクシンを擁護します。こういう状態になると、もはやまともな会話にはなりませんから私は黙ってうなずくしかないのですが、彼(彼女)らの気持ちが分からないでもありません。反タクシン派に政治をやらせれば以前のような貧困が待っているかもしれないのですから。

 PADとUDDの対立は、自民党と民主党の対立とはわけが違います。どちらが勢力をもつかで彼(彼女)らの生活に天と地ほどの差ができるかもしれないのです。


注:イサーンはタイ語の発音では「イーサーン」とする方が正しいと思われますが、なぜか出版物の多くは「イサーン」となっていますので、ここでも「イサーン」としています。

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