GINAと共に
第54回 骨髄移植はHIVの治療となるか(2010年12月)
2010年12月15日、感染していたHIVが体内から消えた、という非常に珍しい症例がドイツで報告されたことがロイター通信で報道されました(注1)。また世界中の多くのメディアがこのニュースを一斉に取り上げ、先を急ぎたがるマスコミのなかには、HIV完治への治療・・・、のような捉え方をしているようなものもあり、科学者や医療従事者だけでなく、一般の人々にもこのニュースは注目されているようです。
ところが、なぜか日本のマスコミはこのニュースを取り上げず、最初は「私が見逃しただけかもしれない」と考え、日経、読売、朝日、毎日のウェブサイトを検索しましたがヒットしませんでした。もう少し調べると共同通信が12月16日に取り上げていることが分かりましたが、ごく短い文章のみ・・・。やはり、日本ではHIVに対する関心が低下しているのでしょうか・・・。
話を戻しましょう。世界中のメディアで報道されたこのニュースは、1本の論文が元になっています。医学誌『Blood』2010年12月8日(オンライン版)に掲載されたもので、この症例の経緯が詳しく報告されています(注2)。
少し詳しくみていくと、まずこの症例は40歳の男性で10年前にHIV陽性が判明し、抗HIV薬の投与を受けていました。2007年2月に白血病(注3)に罹患していることが判り、一般的な白血病の治療薬(抗がん剤)を受け、いったんよくなりましたが再発し、骨髄移植(注4)を受けることになりました。
そして、このとき選ばれたドナー(骨髄を提供する人)に「CCR5△32」という遺伝子をホモ接合で持つ人が選ばれました。
いきなり、CCR5△32とかホモ接合とか言われても、???、となってしまうかもしれませんので、少し詳しく説明します。
HIVは人の体内に侵入しただけでは感染が成立しません。感染するには人の細胞に侵入していく必要があります。この細胞のひとつが有名なCD4陽性リンパ球です。そしてHIVが巧みにCD4陽性リンパ球に侵入するにはCCR5と呼ばれるケモカイン受容体が重要な鍵を握っています。(ケモカイン受容体というよく分からない言葉がでてきましたが、HIVが侵入するのに必要なリンパ球表面にあるものだと思ってもらえればいいかと思います)
CCR5と呼ばれるケモカイン受容体はタンパク質でできています。タンパク質はアミノ酸が結合したもので、どのようなアミノ酸がどのように並ぶかは遺伝子(DNA)にコードされています。人間の遺伝子はDNAで形成されていて、DNAは対になった2本の鎖からなります。そしてCCR5をコードする遺伝子の鎖の32番目の塩基対が突然変異で欠損した遺伝子を、ホモ接合で持った場合(つまり、相同染色体上で同じ位置にある対立遺伝子が共にこの遺伝子を持った場合)、HIVに感染しない(HIV感染が成立しない)ことが知られているのです。
DNA、ホモ接合、対立遺伝子、相同染色体、・・・、と生物学をキライにさせるようなキーワードがたくさんでてきましたから、このあたりを理解するのは簡単ではないかもしれません。分かりにくい場合は、「CCR5△32という遺伝子をホモ接合で持つ人はHIVに感染しない」、あるいはもっと簡単に、「CCR5が遺伝的にきちんとつくられない人はHIVに感染しない」、と覚えてしまって差し支えないと思います。
この症例の男性は、CCR5△32をホモ接合で持つ人からの移植を受けたわけですが、この移植をおこなうに際し、医療者も「白血病の治療だけでなくHIVが消えるかもしれない」と考えていたはずです。そして、何度か移植を繰り返し、抗HIV薬を中止し、およそ4年が経過した現在も、白血病細胞が消失しただけでなく、HIVも検出されていないそうです。これをもって、担当医は「HIVが"完治"した」、と宣言したのです。(注1のロイター通信の記事のタイトルを参照ください)
よく知られているように、現在はすぐれた抗HIV薬がいくつもありますが、これらは生涯にわたり内服を継続しなければなりません。薬を毎日飲まなければならない病気が山ほどあることを考えればHIVも特別な病気ではない、と言われることがしばしばあり、これは正しいのですが、それでも副作用のリスク、飲み忘れれば薬が効かなくなるかもしれないという問題、場合によっては費用の問題、などもあり、実際に薬を毎日飲むというのは思いのほか大変です。
もしも、CCR5△32をホモ接合で持つ人からの移植が一般化されれば、多くのHIV陽性者たちに歓迎されるかもしれません。
しかし、ことはそう単純なものではありません。
まず、CCR5△32をホモ接合で持つ人がどれだけいるのかはよく分かっていませんが、おそらくそう多くはないでしょう。地域的な偏りがあり、白人全体でみれば1%程度いるのではないかと言われていますが、他の人種(日本人も含めて)についてはデータがありません。では調べればいいではないか、という意見がでてくるかもしれませんが、遺伝子を調べるというのは倫理上の問題が小さくありません。
もしもあなたがCCR5△32をホモ接合で持っていることが判り、HIV陽性の人に骨髄を供給しよう、と考えたとしても、いったいどのHIV陽性者が選ばれるべきなのか、という問題があります。
B級SFドラマのようなシナリオを考えれば、仮にあなたがCCR5△32をホモ接合で持っていることが判り、何らかの理由でそれが他人に知られてしまえば、あなたは、HIV陽性者に骨髄を売ろうとしている闇のシンジケートにさらわれ、人格を奪われた上で「骨髄製造器」として存在させられ、闇の施設から抜け出せなくなるかもしれません。
それに、骨髄移植というのは成功すれば「夢の治療」のように思われますが、相当なリスクが伴います。まず、レシピエント(この場合移植を受けるHIV陽性者)は、移植前に自分の骨髄を死滅させるため強力な抗がん剤と放射線照射を受けなければなりません。この時点で、男女とも生殖機能が失われますし、抗がん剤や放射線照射の一般的なリスクを負うことになります。
骨髄移植で最もやっかいな合併症(副作用)がGVHD(移植片対宿主病、graft versus host disease)と呼ばれるもので、ドナー(骨髄提供者)の血液がレシピエントの組織を攻撃(注5)することによって、肝機能障害、下血、皮疹などが出現し、こうなれば有効な治療法があるとは言えず死に至ることも少なくありません。
それに、ドナー側のリスクもないわけではありません。末梢血幹細胞の採取は、古典的な骨髄採取とは異なり、通常の採血のようなかたちでおこないますから、麻酔も必要ありませんし痛みもごくわずかです。しかし、採取前に末梢血の骨髄細胞を増やすためにG-CSFという薬を投与しなければなりません。この薬は完全に安全か、という問題があります。
以上のような理由から、「HIVの治療にCCR5△32をホモ接合で持つ人からの骨髄移植」というのは現時点では現実的な治療法ではありません。むしろ研究が急速にすすめば危険性すらあります。
しかしながら、今回のドイツの症例がきっかけとなり、いつの日かこの遺伝子に着眼した安全な治療法が確立されることを願いたいと思います。
注1:ロイター通信は、「German doctors declare "cure" in HIV patient(ドイツの医師がHIV完治を宣言)」というタイトルで報道しており、下記URLで読むことができます。
http://www.reuters.com/article/idUSTRE6BE68220101215
注2:この論文のタイトルは「Evidence for the cure of HIV infection by CCR5{Delta}32/{Delta}32 stem cell
transplantation」で、下記のURLで全文を読むことができます。http://bloodjournal.hematologylibrary.org/content/117/10/2791.full.pdf+html?sid=9c861b00-a524-4bef-a49f-6b8745e011aa
注3:白血病にもいろいろなものがあり、この症例ではAML(骨髄単球性白血病)と呼ばれるものですが、今回は白血病について詳しく取り上げることはしないでおきます。
注4:骨髄移植というと、全身麻酔の下、太い針で腰の骨(腸骨)などから骨髄を採取する大変痛そうな場面がイメージされがちですが、今回おこなわれたのは末梢血幹細胞移植と呼ばれる普通の採血や献血となんら変わらないドナーの負担が少ない方法です。ただし移植をおこなう前に特殊な薬剤(G-CSF)を投与されるため完全に安全とは言えないかもしれません。(本文も参照ください)
注5:通常、移植後の拒絶反応というと、レシピエントの免疫がドナーから受けた臓器を攻撃するのが一般的ですが、GVHDはドナーの臓器(骨髄)がレシピエントを攻撃するわけですから、まったく逆の反応ということになります。
ところが、なぜか日本のマスコミはこのニュースを取り上げず、最初は「私が見逃しただけかもしれない」と考え、日経、読売、朝日、毎日のウェブサイトを検索しましたがヒットしませんでした。もう少し調べると共同通信が12月16日に取り上げていることが分かりましたが、ごく短い文章のみ・・・。やはり、日本ではHIVに対する関心が低下しているのでしょうか・・・。
話を戻しましょう。世界中のメディアで報道されたこのニュースは、1本の論文が元になっています。医学誌『Blood』2010年12月8日(オンライン版)に掲載されたもので、この症例の経緯が詳しく報告されています(注2)。
少し詳しくみていくと、まずこの症例は40歳の男性で10年前にHIV陽性が判明し、抗HIV薬の投与を受けていました。2007年2月に白血病(注3)に罹患していることが判り、一般的な白血病の治療薬(抗がん剤)を受け、いったんよくなりましたが再発し、骨髄移植(注4)を受けることになりました。
そして、このとき選ばれたドナー(骨髄を提供する人)に「CCR5△32」という遺伝子をホモ接合で持つ人が選ばれました。
いきなり、CCR5△32とかホモ接合とか言われても、???、となってしまうかもしれませんので、少し詳しく説明します。
HIVは人の体内に侵入しただけでは感染が成立しません。感染するには人の細胞に侵入していく必要があります。この細胞のひとつが有名なCD4陽性リンパ球です。そしてHIVが巧みにCD4陽性リンパ球に侵入するにはCCR5と呼ばれるケモカイン受容体が重要な鍵を握っています。(ケモカイン受容体というよく分からない言葉がでてきましたが、HIVが侵入するのに必要なリンパ球表面にあるものだと思ってもらえればいいかと思います)
CCR5と呼ばれるケモカイン受容体はタンパク質でできています。タンパク質はアミノ酸が結合したもので、どのようなアミノ酸がどのように並ぶかは遺伝子(DNA)にコードされています。人間の遺伝子はDNAで形成されていて、DNAは対になった2本の鎖からなります。そしてCCR5をコードする遺伝子の鎖の32番目の塩基対が突然変異で欠損した遺伝子を、ホモ接合で持った場合(つまり、相同染色体上で同じ位置にある対立遺伝子が共にこの遺伝子を持った場合)、HIVに感染しない(HIV感染が成立しない)ことが知られているのです。
DNA、ホモ接合、対立遺伝子、相同染色体、・・・、と生物学をキライにさせるようなキーワードがたくさんでてきましたから、このあたりを理解するのは簡単ではないかもしれません。分かりにくい場合は、「CCR5△32という遺伝子をホモ接合で持つ人はHIVに感染しない」、あるいはもっと簡単に、「CCR5が遺伝的にきちんとつくられない人はHIVに感染しない」、と覚えてしまって差し支えないと思います。
この症例の男性は、CCR5△32をホモ接合で持つ人からの移植を受けたわけですが、この移植をおこなうに際し、医療者も「白血病の治療だけでなくHIVが消えるかもしれない」と考えていたはずです。そして、何度か移植を繰り返し、抗HIV薬を中止し、およそ4年が経過した現在も、白血病細胞が消失しただけでなく、HIVも検出されていないそうです。これをもって、担当医は「HIVが"完治"した」、と宣言したのです。(注1のロイター通信の記事のタイトルを参照ください)
よく知られているように、現在はすぐれた抗HIV薬がいくつもありますが、これらは生涯にわたり内服を継続しなければなりません。薬を毎日飲まなければならない病気が山ほどあることを考えればHIVも特別な病気ではない、と言われることがしばしばあり、これは正しいのですが、それでも副作用のリスク、飲み忘れれば薬が効かなくなるかもしれないという問題、場合によっては費用の問題、などもあり、実際に薬を毎日飲むというのは思いのほか大変です。
もしも、CCR5△32をホモ接合で持つ人からの移植が一般化されれば、多くのHIV陽性者たちに歓迎されるかもしれません。
しかし、ことはそう単純なものではありません。
まず、CCR5△32をホモ接合で持つ人がどれだけいるのかはよく分かっていませんが、おそらくそう多くはないでしょう。地域的な偏りがあり、白人全体でみれば1%程度いるのではないかと言われていますが、他の人種(日本人も含めて)についてはデータがありません。では調べればいいではないか、という意見がでてくるかもしれませんが、遺伝子を調べるというのは倫理上の問題が小さくありません。
もしもあなたがCCR5△32をホモ接合で持っていることが判り、HIV陽性の人に骨髄を供給しよう、と考えたとしても、いったいどのHIV陽性者が選ばれるべきなのか、という問題があります。
B級SFドラマのようなシナリオを考えれば、仮にあなたがCCR5△32をホモ接合で持っていることが判り、何らかの理由でそれが他人に知られてしまえば、あなたは、HIV陽性者に骨髄を売ろうとしている闇のシンジケートにさらわれ、人格を奪われた上で「骨髄製造器」として存在させられ、闇の施設から抜け出せなくなるかもしれません。
それに、骨髄移植というのは成功すれば「夢の治療」のように思われますが、相当なリスクが伴います。まず、レシピエント(この場合移植を受けるHIV陽性者)は、移植前に自分の骨髄を死滅させるため強力な抗がん剤と放射線照射を受けなければなりません。この時点で、男女とも生殖機能が失われますし、抗がん剤や放射線照射の一般的なリスクを負うことになります。
骨髄移植で最もやっかいな合併症(副作用)がGVHD(移植片対宿主病、graft versus host disease)と呼ばれるもので、ドナー(骨髄提供者)の血液がレシピエントの組織を攻撃(注5)することによって、肝機能障害、下血、皮疹などが出現し、こうなれば有効な治療法があるとは言えず死に至ることも少なくありません。
それに、ドナー側のリスクもないわけではありません。末梢血幹細胞の採取は、古典的な骨髄採取とは異なり、通常の採血のようなかたちでおこないますから、麻酔も必要ありませんし痛みもごくわずかです。しかし、採取前に末梢血の骨髄細胞を増やすためにG-CSFという薬を投与しなければなりません。この薬は完全に安全か、という問題があります。
以上のような理由から、「HIVの治療にCCR5△32をホモ接合で持つ人からの骨髄移植」というのは現時点では現実的な治療法ではありません。むしろ研究が急速にすすめば危険性すらあります。
しかしながら、今回のドイツの症例がきっかけとなり、いつの日かこの遺伝子に着眼した安全な治療法が確立されることを願いたいと思います。
注1:ロイター通信は、「German doctors declare "cure" in HIV patient(ドイツの医師がHIV完治を宣言)」というタイトルで報道しており、下記URLで読むことができます。
http://www.reuters.com/article/idUSTRE6BE68220101215
注2:この論文のタイトルは「Evidence for the cure of HIV infection by CCR5{Delta}32/{Delta}32 stem cell
transplantation」で、下記のURLで全文を読むことができます。http://bloodjournal.hematologylibrary.org/content/117/10/2791.full.pdf+html?sid=9c861b00-a524-4bef-a49f-6b8745e011aa
注3:白血病にもいろいろなものがあり、この症例ではAML(骨髄単球性白血病)と呼ばれるものですが、今回は白血病について詳しく取り上げることはしないでおきます。
注4:骨髄移植というと、全身麻酔の下、太い針で腰の骨(腸骨)などから骨髄を採取する大変痛そうな場面がイメージされがちですが、今回おこなわれたのは末梢血幹細胞移植と呼ばれる普通の採血や献血となんら変わらないドナーの負担が少ない方法です。ただし移植をおこなう前に特殊な薬剤(G-CSF)を投与されるため完全に安全とは言えないかもしれません。(本文も参照ください)
注5:通常、移植後の拒絶反応というと、レシピエントの免疫がドナーから受けた臓器を攻撃するのが一般的ですが、GVHDはドナーの臓器(骨髄)がレシピエントを攻撃するわけですから、まったく逆の反応ということになります。
第53回 大麻合法化を巡る米国と覚醒剤に甘すぎる日本(2010年11月)
正確なデータを見たことはありませんが、アメリカのイラク帰還兵がHIVに感染する事例が増加しているという話を何度か聞いたことがあります。
戦場で想像を絶するほどの強いストレスを受けたことにより、PTSD(外傷後ストレス障害)となり、その苦しさからヘロインに手を出し、針の使いまわしによりHIVに感染するそうです。
帰還兵は、最初からヘロインに手を出すのではなく、まずはアルコール依存になることが多いそうです。一般的に、薬物は簡単に手に入るものから始められますから、これは容易に想像できます。心の苦しみから逃れるためにアルコールに手を出す→日夜問わずのアルコールへの耽溺→ヘロインの吸入(あぶり)→ヘロインの静脈注射→針の使いまわし→HIV感染となるのです。
アルコールは日本を含む多くの国と地域で成人であれば合法的に手に入りますから、他の薬物に比べて危険性が小さいように思われていますが、実際はそういうわけではありません。アルコールは依存性の大変強い薬物で、ときに人生を破綻させることもあります。また、HIVに感染したイラク帰還兵のように、他のハードドラッグに移行することも少なくありません。
現在アメリカでは、大学生が急性アルコール中毒で救急搬送されるケースが増加しているそうです。FDA(米国食品医薬品局)によりますと、カフェイン入りアルコール飲料が原因となるケースが増加傾向にあり、ついに「商品は違法」とする警告文をカフェイン入りアルコール飲料の製造元に通達したそうです。(報道は2010年11月22日の読売新聞)
2010年11月2日、米国カリフォルニア州ではマリファナ使用の合法化を巡る住民投票がおこなわれました。結果は、合法化反対派が賛成派を制し、マリファナ合法化は見送られることになりました。
住民投票で合法化が見送られたということは、住民の過半数がマリファナを禁止すべきと考えているということですが、少し見方を変えると、「過半数には及ばないものの大勢の人がマリファナを合法化すべきと考えている」ということになります。もしも、大半の人が違法で当然と考えていれば、そもそも住民投票がおこなわれることはないからです。
GINAと共に第34回(下記参照)で述べましたが、カリフォルニア州ではすでに医療用大麻は合法です。しかも、エイズやガンの末期でのみ使える、のではなく、「眠れない」「背中が痛い」「食欲がない」などの症状があれば医師に大麻の処方せんを書いてもらえるそうです。ということは、実質希望すれば誰でも大麻を合法的に入手することがすでに可能なのです。
ですから、大麻合法化に賛成する人たちの多くは、「現在の状況では入手しにくい大麻をなんとか手に入れたいから賛成」なのではなく、「大麻使用が医療に限定されることがおかしい」、と考えているのです。ある雑誌のインタビューに答えていた大麻合法化に向けて活動している人は、「大麻が違法なら、なぜ大麻よりも依存性の強いアルコールが合法なのか・・・」とコメントしていました。
たしかに、「大麻が違法でアルコールが合法」の理由を理論的に説明することは困難です。私にはその理由が見つけられません。
使用時に理性をなくしやすいのはアルコールでしょう。(大麻を吸って車の運転は危険すぎますが、アルコールはもっと危険です) 依存性がより強いのもアルコールです。アルコール依存を断ち切るのは並大抵の努力では無理です。コカインや覚醒剤(アンフェタミン、メタンフェタミン)はアルコール以上に依存性が強く、いったん依存してしまえば、離脱するのは極めて困難ですが、大麻に関してはこういった薬物で起こるようなこれほど強い依存性はありません。むしろ、タバコの依存性の方が大麻よりも強いのです。
なぜ大麻(マリファナやハシシ)はいけないのですか?
こう聞かれたとき、私はいつも、「違法だから。そして大麻が覚醒剤などのハードドラッグの入口になるから」、と答えています。
しかし、もしも大麻が合法であれば、覚醒剤などの入口になりやすいとは言えなくなるのではないでしょうか。実際には大麻と覚醒剤はまったく異なるもので、危険性は天と地ほど違うのですが、「大麻も覚醒剤も同じ違法薬物」とくくられることで、大麻と覚醒剤の垣根がほとんどないような錯覚に陥ってしまうのです。ドラッグのディーラーは、「ほら、君はすでに違法である大麻の快楽を知ってしまったのだよ。ならば次はもっと気持ちよくなれる覚醒剤だよ・・・」と悪魔のささやきをおこなうのです。
けれども、実際には冒頭で述べたイラク帰還兵のように、ハードドラッグ(ヘロイン)の入口になりやすいのは大麻よりもアルコールなのです。なぜなら、アルコールの方が大麻よりも依存性が強く、耐性(同じ量を服用しても効かなくなること、要するに飲んでも酔いにくくなる)もできやすいからです。
以前にも指摘したことがありますが、日本ではこういう議論がほとんどおこなわれていません。マスコミの報道をみていても、大麻、覚醒剤、麻薬をひとくくりにしているようなものが目立ちます。これでは、一般市民が大麻と覚醒剤の危険性の違いを自覚できないのも無理もありません。
日本の違法薬物に関する最大の問題は、「覚醒剤に対する法律がゆるすぎる」ことだと私は考えています。日本は世界で唯一、覚醒剤が合法(ヒロポン)だった時代のある「恥ずべき国家」なのです。覚醒剤を合法化していたことをしっかり反省し、そして覚醒剤取締法を重くすべきです。違法薬物を蔓延させない最も合理的で現実的な方法は罪を重くすることなのです。
2008年11月に北九州門司港で密輸の現場を押さえられ逮捕された嶋田徳龍被告は、覚醒剤を合計で800キログラムも密輸していたことが捜査で明らかになりました。これは末端価格で500億円以上に相当するそうです。この男に対して2010年5月に福岡地裁で下された判決は無期懲役でしたが、2010年11月2日の福岡高裁の判決では、なんと懲役20年に減刑されたのです!
ちなみに覚醒剤を1キログラム保持していると中国では死刑だそうです。マレーシアやシンガポール、タイなどでも、1キログラム程度であれば極刑ということはないでしょうが、無期懲役は覚悟しなければなりません。(麻薬であれば死刑でしょう)
一方、日本の法律では、800キログラムの密輸をしていても懲役20年で済んでしまうのです。この摩訶不思議な判決のせいで、すでにドラッグ天国と呼ばれている日本にますます大量の違法薬物と密売人が入ってくることを私は危惧しています。
カリフォルニアの住民投票で大麻合法化反対の人たちの最大の懸念は、大麻を合法化すれば「治安が悪くなるから」だそうです。大麻の健康上の害よりも住みにくい社会になることを危惧しているというわけです。一方、すでにドラッグ天国と言われている日本では、犯罪者をのさばらせていることにあまりにも無関心です。
カリフォルニアの大麻合法化の住民投票と、800キログラムの覚醒剤を密輸した男が減刑される審判が下されたのが共に同じ日の2010年11月2日ということに、アイロニーを感じずにはいられません・・・。
参考:GINAと共に
第34回(2009年4月)「カリフォルニアは大麻天国?!」
第29回(2008年11月)「大麻の危険性とマスコミの責任」
第13回(2007年7月)「恐怖のCM」
戦場で想像を絶するほどの強いストレスを受けたことにより、PTSD(外傷後ストレス障害)となり、その苦しさからヘロインに手を出し、針の使いまわしによりHIVに感染するそうです。
帰還兵は、最初からヘロインに手を出すのではなく、まずはアルコール依存になることが多いそうです。一般的に、薬物は簡単に手に入るものから始められますから、これは容易に想像できます。心の苦しみから逃れるためにアルコールに手を出す→日夜問わずのアルコールへの耽溺→ヘロインの吸入(あぶり)→ヘロインの静脈注射→針の使いまわし→HIV感染となるのです。
アルコールは日本を含む多くの国と地域で成人であれば合法的に手に入りますから、他の薬物に比べて危険性が小さいように思われていますが、実際はそういうわけではありません。アルコールは依存性の大変強い薬物で、ときに人生を破綻させることもあります。また、HIVに感染したイラク帰還兵のように、他のハードドラッグに移行することも少なくありません。
現在アメリカでは、大学生が急性アルコール中毒で救急搬送されるケースが増加しているそうです。FDA(米国食品医薬品局)によりますと、カフェイン入りアルコール飲料が原因となるケースが増加傾向にあり、ついに「商品は違法」とする警告文をカフェイン入りアルコール飲料の製造元に通達したそうです。(報道は2010年11月22日の読売新聞)
2010年11月2日、米国カリフォルニア州ではマリファナ使用の合法化を巡る住民投票がおこなわれました。結果は、合法化反対派が賛成派を制し、マリファナ合法化は見送られることになりました。
住民投票で合法化が見送られたということは、住民の過半数がマリファナを禁止すべきと考えているということですが、少し見方を変えると、「過半数には及ばないものの大勢の人がマリファナを合法化すべきと考えている」ということになります。もしも、大半の人が違法で当然と考えていれば、そもそも住民投票がおこなわれることはないからです。
GINAと共に第34回(下記参照)で述べましたが、カリフォルニア州ではすでに医療用大麻は合法です。しかも、エイズやガンの末期でのみ使える、のではなく、「眠れない」「背中が痛い」「食欲がない」などの症状があれば医師に大麻の処方せんを書いてもらえるそうです。ということは、実質希望すれば誰でも大麻を合法的に入手することがすでに可能なのです。
ですから、大麻合法化に賛成する人たちの多くは、「現在の状況では入手しにくい大麻をなんとか手に入れたいから賛成」なのではなく、「大麻使用が医療に限定されることがおかしい」、と考えているのです。ある雑誌のインタビューに答えていた大麻合法化に向けて活動している人は、「大麻が違法なら、なぜ大麻よりも依存性の強いアルコールが合法なのか・・・」とコメントしていました。
たしかに、「大麻が違法でアルコールが合法」の理由を理論的に説明することは困難です。私にはその理由が見つけられません。
使用時に理性をなくしやすいのはアルコールでしょう。(大麻を吸って車の運転は危険すぎますが、アルコールはもっと危険です) 依存性がより強いのもアルコールです。アルコール依存を断ち切るのは並大抵の努力では無理です。コカインや覚醒剤(アンフェタミン、メタンフェタミン)はアルコール以上に依存性が強く、いったん依存してしまえば、離脱するのは極めて困難ですが、大麻に関してはこういった薬物で起こるようなこれほど強い依存性はありません。むしろ、タバコの依存性の方が大麻よりも強いのです。
なぜ大麻(マリファナやハシシ)はいけないのですか?
こう聞かれたとき、私はいつも、「違法だから。そして大麻が覚醒剤などのハードドラッグの入口になるから」、と答えています。
しかし、もしも大麻が合法であれば、覚醒剤などの入口になりやすいとは言えなくなるのではないでしょうか。実際には大麻と覚醒剤はまったく異なるもので、危険性は天と地ほど違うのですが、「大麻も覚醒剤も同じ違法薬物」とくくられることで、大麻と覚醒剤の垣根がほとんどないような錯覚に陥ってしまうのです。ドラッグのディーラーは、「ほら、君はすでに違法である大麻の快楽を知ってしまったのだよ。ならば次はもっと気持ちよくなれる覚醒剤だよ・・・」と悪魔のささやきをおこなうのです。
けれども、実際には冒頭で述べたイラク帰還兵のように、ハードドラッグ(ヘロイン)の入口になりやすいのは大麻よりもアルコールなのです。なぜなら、アルコールの方が大麻よりも依存性が強く、耐性(同じ量を服用しても効かなくなること、要するに飲んでも酔いにくくなる)もできやすいからです。
以前にも指摘したことがありますが、日本ではこういう議論がほとんどおこなわれていません。マスコミの報道をみていても、大麻、覚醒剤、麻薬をひとくくりにしているようなものが目立ちます。これでは、一般市民が大麻と覚醒剤の危険性の違いを自覚できないのも無理もありません。
日本の違法薬物に関する最大の問題は、「覚醒剤に対する法律がゆるすぎる」ことだと私は考えています。日本は世界で唯一、覚醒剤が合法(ヒロポン)だった時代のある「恥ずべき国家」なのです。覚醒剤を合法化していたことをしっかり反省し、そして覚醒剤取締法を重くすべきです。違法薬物を蔓延させない最も合理的で現実的な方法は罪を重くすることなのです。
2008年11月に北九州門司港で密輸の現場を押さえられ逮捕された嶋田徳龍被告は、覚醒剤を合計で800キログラムも密輸していたことが捜査で明らかになりました。これは末端価格で500億円以上に相当するそうです。この男に対して2010年5月に福岡地裁で下された判決は無期懲役でしたが、2010年11月2日の福岡高裁の判決では、なんと懲役20年に減刑されたのです!
ちなみに覚醒剤を1キログラム保持していると中国では死刑だそうです。マレーシアやシンガポール、タイなどでも、1キログラム程度であれば極刑ということはないでしょうが、無期懲役は覚悟しなければなりません。(麻薬であれば死刑でしょう)
一方、日本の法律では、800キログラムの密輸をしていても懲役20年で済んでしまうのです。この摩訶不思議な判決のせいで、すでにドラッグ天国と呼ばれている日本にますます大量の違法薬物と密売人が入ってくることを私は危惧しています。
カリフォルニアの住民投票で大麻合法化反対の人たちの最大の懸念は、大麻を合法化すれば「治安が悪くなるから」だそうです。大麻の健康上の害よりも住みにくい社会になることを危惧しているというわけです。一方、すでにドラッグ天国と言われている日本では、犯罪者をのさばらせていることにあまりにも無関心です。
カリフォルニアの大麻合法化の住民投票と、800キログラムの覚醒剤を密輸した男が減刑される審判が下されたのが共に同じ日の2010年11月2日ということに、アイロニーを感じずにはいられません・・・。
参考:GINAと共に
第34回(2009年4月)「カリフォルニアは大麻天国?!」
第29回(2008年11月)「大麻の危険性とマスコミの責任」
第13回(2007年7月)「恐怖のCM」
第52回(2010年10月) 自分の娘を売るということ
寝転んだ母親(23)の上で裸のまま卑わいなポーズを取らされ、無邪気に笑顔を浮かべる2歳の少女の姿。左手でデジタルカメラを操る母親の右手は我が子の小さな足を広げ、画像の端にわずかに映る母親の口元は表情を示さず、一文字に結ばれたままだった。
これは2010年10月5日の日経新聞夕刊に掲載された、「児童ポルノを断つ」という特集記事に掲載された一部です。この"事件"は母親、娘とも日本人です。
母親が自分の娘を売り飛ばすという話は、タイでエイズ問題を語るときには避けては通れない話題です。以前、このサイトで紹介した映画『闇の子供たち』では、冒頭で、幼い娘を斡旋する女衒(ピンプ)が、タイ北部の貧困な家庭を訪れて、娘が売られていくシーンがありました。これは映画ですが、タイではこのような話は(最近は以前に比べると少なくなりましたが)珍しくはありません。
タイの文化、というか風習は、日本人を含む外国からは理解しにくいことがいろいろとあります。子供のことで言えば、小学校に行かずに農作業などの仕事を強いられている子供が少なくないこと、真夜中に街中を裸足で駆けずり回り外国人に花を売っている幼い子供がいること、腕や足のない子供が歩道に座って金銭を乞うていること、などが相当するでしょう。
これらは、倫理的に小さくない問題がありますが、それを見たひとりの外国人が「これはおかしい」と思ったところでどうにもできませんし、理不尽だとは思いながらも「郷に入っては郷に従え」という言葉を思い出し、異国の地で非現実的な正義感を振りかざすことを諦めます。
しかし、いくら、よその国にはよその国なりの価値観や考え方があると言われ、「郷に入っては・・・」の意味を考えたとしても、「自分の娘を売り飛ばす」という行為については、なかなか受け入れることができないのが大半の人の感覚ではないでしょうか。
実際、私もかつてはそう感じていました。「自分の命を差し出してでも子供を守るのが大人の使命ではないのか・・・」、おそらく日本人の大半はそのように思うのではないでしょうか。けれども、タイの一部の地域がいかに貧困にあえいでいるかを知るようになり、私のこの考えは少しずつ変わっていきました。タイでは、母親に売られた娘が春を鬻いで稼いだお金で両親を養い、成人し娘が生まれるとその娘も・・・、と「娘の商品化」が世代を超えて引き継がれていくことすら珍しくありません。本当の貧困のなかに身をおけば、「自分の命を差し出してでも子供を守る・・・」などというのはキレイごとにすぎないのです。少し考えれば、親が命を絶てばそのうち子供も飢え死にするのが自明であることが分かります。
けれども、<もしも親がそれほど貧困でないなら>話はまったく変わってきます。そして、大変残念なことに、こういったことが最近のタイではあるのです。
例えば、北タイのある県のある地域は、土壌が貧弱な赤土に覆われており、農作物がろくに育たず、住民は大変貧しい生活を強いられているのですが、ときどき"場違いな"豪邸が建っています。この地域を横断する広い道を車で進めば、ポツリ、ポツリ、とこのような豪邸を目にします。この地域をよく知る者が言うには、そのような豪邸に住む者のほとんどは娘を売ったお金で贅沢をしている、とのことです。なかには、(男ではなく)女の子が生まれたことで将来は安泰、と考える者すらいるそうです。
もうひとつ、例をあげましょう。これは、タイのあるエイズ施設で働いていたボランティアから聞いた話です。そのボランティアはその施設でHIV陽性のある女性のケアを数年にわたりおこなってきました。何かと"問題"のある女性だったそうですが、ここ1年くらいは社会に適応できるようになり、体調もよくなってきたため、その施設には居住ではなく通所というかたちにして、普段は一人娘とふたりで住むようになったそうです。
ところがその矢先、そのHIV陽性の女性は、大切なはずの一人娘を女衒に売ってしまったというのです。しかも3千バーツ(約9千円)で、です。値段の問題ではありませんが、自分の娘を3千バーツで売り飛ばした、という事実がそのボランティアを大きく落胆させました。このHIV陽性の女性が貧しかったのは事実ですが、これまでもそのエイズ施設を含めて周囲からケアしてもらっていたのですから、娘を売る前に頼るべきところがあったはずです。
<もしも親がそれほど貧困でないなら>という仮定を厳密に定義するのはむつかしいとは思います。しかし、娘を売るなどというのは、貧困が極まり、もう誰にもどこにも頼れない、といった段階にならなければ考えてはいけないことであるはずです。
冒頭で紹介した23歳の母親は日本人です。デジタルカメラを所有しているくらいですから、その日に食べる物がないほどには生活には困っていないはずです。私は、自分の娘を売るという行為が現代の日本で起こっている、などとは考えてみたことがありませんでした。それだけにこの新聞記事を見たときには愕然としました。
たしかに、日本でも「虐待」というものは珍しくありません。最近では身体的虐待だけでなくネグレクト(子供に食事を与えないなど)によって子供の成長障害やひどい場合は死亡したという事件もありますし、また、性的虐待に関しては、表に出てこないだけで、世間で思われているよりもずっと多いということが医師をしているとよく分かります。
しかしながら、他国に比べ大人から子供への性的虐待が多いことは認識していても、自分の娘を売り飛ばす親がこの日本にいる、ということが私には信じられなかったのです。
この日本人の母親は娘の裸を他人に見せただけで<売り飛ばす>とまでは言えないのでは?、という意見もあるかもしれませんが、この記事の後半には、次のような文章もあります。
わいせつな画像を自ら撮影して売ったり、愛好者の男に引き合わせて淫行(いんこう)までさせたり。一連の捜査は1都2府8県に及び、愛好者の男3人と誘い役の女に加え、20~30代の実の母親9人と姉1人を摘発するに至った。被害者の中には、わずか1歳の子もいた。
それほど切羽詰った状況でもないのに、自分勝手な欲望のために自分の娘を売り飛ばすタイ人と、この新聞記事で報道されている自分の娘を"商品"とした日本人の、どこに違いがあるのでしょうか。私に言わせれば<同じ穴のムジナ>です。
さて、ここからが問題です。自分の娘を"商品"とする親とその"商品"を買う輩は誰からみても非難の対象となります。しかし、単なる「非難」だけでは再発を防げません。今回取り上げているタイの話も日本の話も、単なる売春の話ではありません。売春自体にも問題はありますが、対象が子供であることが一番の問題なのです。
以前もこのサイトで述べたことがありますが、幼児愛(pedophilia)は絶対に許されるものではありません。幼児愛者(pedophiliac)に対しては、衝動を抑えられないなら社会から"隔離"されるしかないと私は考えています。
"商品"の取引は、需要と供給があるから成立します。まずは「需要」を徹底的に社会から抹消すべきでしょう。要するに、幼児愛に対する罪を可能な限り重くするのです。
「供給」側に対してはどうすべきでしょうか。必ずしも適切な方法ではないかもしれませんが、「自分たちのつまらない欲望からではなく、実際に生死をさまようほどの境遇から子供を売らざるを得なかった人たちのことを考えてもらう」、という方法がいいのではないかと私は考えています。
つまり、「自分の子供を売る以外に、子供も自分たちも死から逃れる方法はなかった。子供が大人に弄ばれたとしてもご飯は食べさせてもらえるだろう。しかしこのままでは子供が飢え死にするのも時間の問題だ・・・」、と考えるしかなかった人が、(少なくなったとはいえ)まだタイを含む諸外国には存在し、さらにもっと言えば、かつての日本にもそのような事情があったということを多くの人に理解してもらう必要があるのではないか、と私は感じています。
参考:GINAと共に第27回 「幼児買春と臓器移植」 (2008年9月)
第51回 HIV感染を隠した性交渉はどれだけの罪に問われるべきか(2010年9月)
2009年4月某日、ドイツの人気女性ユニット「ノー・エンジェルス」(No Angels)のメンバーのひとりであるナジャ・ベナイサ(Nadja Benaissa)が、フランクフルトの自宅アパートで逮捕されました。その数日後には彼女のソロコンサートが開催される予定でしたが、逮捕後10日間拘留されることとなり、コンサートは急きょ中止となりました。
1年5ヵ月後の2010年8月26日、ドイツ西部にあるダルムシュタット(Darmstadt)の裁判所で、ナジャ・ベナイサは有罪判決を言い渡されました。有罪となった理由は、「自らがHIV陽性であることを隠して性交渉をおこない、当時交際していた現在34歳の男性にHIVを感染させた」、というものです。ナジャ・ベナイサは法廷で、「心から反省し、後悔している」と証言したそうです。判決は、2年の禁固刑ですが、2年間の執行猶予が付けられました。
さて、このサイトでは、過去に何度か「HIV陽性であることを隠して性交渉をおこなった事例」を紹介していますが(下記GINAニュース参照)、有名人が当事者となり、逮捕され有罪判決がでた、というのは(私の知る限り)世界で初めてではないかと思われます。(もっとも、この事件をニュースで知るまでは、ナジャ・ベナイサという名前もノー・エンジェルスというグループ名も私は聞いたことがありませんでしたが・・・)
ノー・エンジェルスは、2000年にドイツのテレビ番組で人気となり、これまでに多くのヒット曲を生み出しているそうです。ナジャ・ベナイサ以外にも、何人かはソロで活動しているそうですから、「国民的人気の女性ユニット」と言えるでしょう。
報道によりますと、ナジャ・ベナイサの人生は苦難に満ちていたようです。14歳でドラッグに溺れ、17歳で妊娠が発覚します。そして、妊娠時の検査でHIV陽性が判明したそうです。
ナジャ・ベナイサは現在28歳と報道されていますから、ノー・エンジェルスが結成された2000年には18歳ということになります。またたくまに国民的人気スターになってしまった彼女は、HIV陽性であることをカムアウトできなかったのでしょう。
ナジャ・ベナイサを取材したマスコミは、彼女は自らを"cowardly act"と話している、と伝えています。"cowardly act"とは、つまり、「本当はいつかカムアウトすべきということは分かっていたのだけれど、勇気のなさがそれを妨げていた」、ということであろうと思われます。
ノー・エンジェルスが人気絶頂の2004年、ナジャ・ベナイサは当時28歳の男性と恋に落ちます。報道では、"talent agent"とされていますから芸能関係の仕事についている人でしょうか。そして、その男性にも自らがHIVに感染していることを告げることができず、危険な性交渉(unprotected sex)をおこない、そして、HIVを感染させてしまいます。
一般に、性交渉でHIVを感染させたことを証明するのは簡単ではありません。なぜなら、原告(この場合は当時28歳の男性)が「自分が性交渉をもったのは被告(ナジャ・ベナイサ)だけです」と言ったところで、それを証明することが困難だからです。
しかし今回は、HIVのウイルス株が原告のものと被告のものが同じものであり、なおかつ、この株はドイツでは比較的珍しいものであることがわかり、さらに様々な状況証拠からナジャ・ベナイサがこの男性に感染させたことは間違いないと判断されたようです。("株"という表現は少しむつかしいかもしれません。一言でHIVと言っても、遺伝子型に微妙な違いがあり、その遺伝子の違いで分けたグループを"株"と呼ぶ、と考えればいいかと思います)
ナジャ・ベナイサからHIVに感染したこの男性は、彼女がHIVに感染していることを直接本人から聞いたのではなく、彼女のおばさん(aunt)から聞いたと報じられています。
また、ナジャ・ベナイサは、これまでにHIVを感染させたこの男性以外にも2人の男性と性交渉を持っているそうなのですが、その2人はいずれも陰性、つまりHIVに感染していなかったそうです。
ナジャ・ベナイサに対する判決は、「禁固刑2年、執行猶予2年」というものです。もう少し細かく言うと、合計300時間の地域社会への奉仕活動、及び定期的なカウンセリングが義務付けられています。この判決を重いとみなすべきか、軽いとみなすべきかについては意見の別れるところです。
欧米の報道をみていると、世論はこの判決を軽いとみなしているような印象を受けます。実際、BBCニュースは判決にかかわった裁判官の意見を報道しており、その裁判官は、「軽い判決と言えるかもしれないが、被告は強い自責の念を感じている」、とコメントしています。また、ナジャ・ベナイサの弁護士も、この判決に対して「満足している」との意志表示をしています。
一方で、エイズ予防をおこなっているいくつかの団体は、今回の判決を重いと考えています。例えば、「Deutsche AIDS-Hilfe」という社会団体は、「感染者のみに罪を負わせる判決である」と今回の判決を非難しています。この団体が言いたいのは、「HIVが性交渉で感染したのは、感染させた方にも責任はあるけれど、感染させられた方にもある程度の責任はあるはず。感染させた方と感染させられた方の共同責任と考えるべき」、ということです。
この問題は非常にむつかしく、HIV感染を隠して性交渉をした場合、感染させられた方にも責任がでてくるとすれば、性交渉の度に相手を必要以上に疑わなければならないことになってしまいます。その逆に、感染させた方の罪を重くすればするほど、HIV陽性であること自体が罪であるかのような印象を世間に与えることになり、ますますカムアウトできない社会となってしまうことが考えられます。HIV陽性者がHIV陽性であることを隠すことにより、結果としてはかえってHIVを社会に蔓延させてしまうことになるかもしれません。
今回の事件で、私がナジャ・ベナイサに同情したくなることが1つあります。それは、彼女は、医者から、「他人にうつす可能性はほとんどない(practically zero)」、と言われていたということです。報道からは彼女の血液検査の値を知ることはできませんが、おそらく医師がこのように伝えたのは、彼女の免疫力が充分に保たれており、ウイルス量も少なく、容易に感染させるような状態ではなかったからでしょう。
ナジャ・ベナイサとしては医師からそのように言われているのだから、多少は安心していたに違いありません。彼女は、当時の交際相手を心から愛しており(直接本人に聞いたわけではありませんが・・・)、HIV陽性であることをカムアウトしたとき自分だけでなくノー・エンジェルスに壊滅的な打撃を与えかねないという状況のなかで、医師から、「感染させる可能性はほとんどない」と言われていれば、素敵なムードから性交渉にごく自然に流れるその雰囲気の中で(私が見たわけではありませんが・・・)、「ちょっと待って! あなたに言わなければならないことがあるの!」、とそのロマンティックな空気を止めることができるでしょうか。
日本では、「HIVを他人に感染させて傷害罪」という事件が立件されたという話を聞いたことがありませんが、イギリスやオーストラリアでは、この手のニュースがときどき報道されています。
有名人が有罪判決を受けたこの事件をきっかけに、日本人の我々も、「HIV感染を隠して性交渉をおこなえばどれだけの罪が問われるべきか」を考え、さらに「なぜこの社会ではHIV感染を隠さなければならないのか」ということに思いを巡らせてほしいと思います。
注:この事件は世界中の各メディアで報道されましたが(なぜか日本では報道をほとんど見かけませんでしたが・・・)、下記のBBCニュース(タイトルは、「Suspended sentence for German HIV singer Nadja Benaissa」が一番分かりやすいと思います。ナジャ・ベナイサが登場する報道のビデオを閲覧することもできます。
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-11097298
参考:GINAニュース
2007年6月25日「HIV陽性であることを告知せずに逮捕」
2006年10月29日「オーストラリア男性が女性観光客にHIVを感染」
2006年6月23日「恋人にHIVをうつした女性が禁固刑に」
2006年10月16日「オーストラリアのゲイ、5人にHIVを故意に感染」
1年5ヵ月後の2010年8月26日、ドイツ西部にあるダルムシュタット(Darmstadt)の裁判所で、ナジャ・ベナイサは有罪判決を言い渡されました。有罪となった理由は、「自らがHIV陽性であることを隠して性交渉をおこない、当時交際していた現在34歳の男性にHIVを感染させた」、というものです。ナジャ・ベナイサは法廷で、「心から反省し、後悔している」と証言したそうです。判決は、2年の禁固刑ですが、2年間の執行猶予が付けられました。
さて、このサイトでは、過去に何度か「HIV陽性であることを隠して性交渉をおこなった事例」を紹介していますが(下記GINAニュース参照)、有名人が当事者となり、逮捕され有罪判決がでた、というのは(私の知る限り)世界で初めてではないかと思われます。(もっとも、この事件をニュースで知るまでは、ナジャ・ベナイサという名前もノー・エンジェルスというグループ名も私は聞いたことがありませんでしたが・・・)
ノー・エンジェルスは、2000年にドイツのテレビ番組で人気となり、これまでに多くのヒット曲を生み出しているそうです。ナジャ・ベナイサ以外にも、何人かはソロで活動しているそうですから、「国民的人気の女性ユニット」と言えるでしょう。
報道によりますと、ナジャ・ベナイサの人生は苦難に満ちていたようです。14歳でドラッグに溺れ、17歳で妊娠が発覚します。そして、妊娠時の検査でHIV陽性が判明したそうです。
ナジャ・ベナイサは現在28歳と報道されていますから、ノー・エンジェルスが結成された2000年には18歳ということになります。またたくまに国民的人気スターになってしまった彼女は、HIV陽性であることをカムアウトできなかったのでしょう。
ナジャ・ベナイサを取材したマスコミは、彼女は自らを"cowardly act"と話している、と伝えています。"cowardly act"とは、つまり、「本当はいつかカムアウトすべきということは分かっていたのだけれど、勇気のなさがそれを妨げていた」、ということであろうと思われます。
ノー・エンジェルスが人気絶頂の2004年、ナジャ・ベナイサは当時28歳の男性と恋に落ちます。報道では、"talent agent"とされていますから芸能関係の仕事についている人でしょうか。そして、その男性にも自らがHIVに感染していることを告げることができず、危険な性交渉(unprotected sex)をおこない、そして、HIVを感染させてしまいます。
一般に、性交渉でHIVを感染させたことを証明するのは簡単ではありません。なぜなら、原告(この場合は当時28歳の男性)が「自分が性交渉をもったのは被告(ナジャ・ベナイサ)だけです」と言ったところで、それを証明することが困難だからです。
しかし今回は、HIVのウイルス株が原告のものと被告のものが同じものであり、なおかつ、この株はドイツでは比較的珍しいものであることがわかり、さらに様々な状況証拠からナジャ・ベナイサがこの男性に感染させたことは間違いないと判断されたようです。("株"という表現は少しむつかしいかもしれません。一言でHIVと言っても、遺伝子型に微妙な違いがあり、その遺伝子の違いで分けたグループを"株"と呼ぶ、と考えればいいかと思います)
ナジャ・ベナイサからHIVに感染したこの男性は、彼女がHIVに感染していることを直接本人から聞いたのではなく、彼女のおばさん(aunt)から聞いたと報じられています。
また、ナジャ・ベナイサは、これまでにHIVを感染させたこの男性以外にも2人の男性と性交渉を持っているそうなのですが、その2人はいずれも陰性、つまりHIVに感染していなかったそうです。
ナジャ・ベナイサに対する判決は、「禁固刑2年、執行猶予2年」というものです。もう少し細かく言うと、合計300時間の地域社会への奉仕活動、及び定期的なカウンセリングが義務付けられています。この判決を重いとみなすべきか、軽いとみなすべきかについては意見の別れるところです。
欧米の報道をみていると、世論はこの判決を軽いとみなしているような印象を受けます。実際、BBCニュースは判決にかかわった裁判官の意見を報道しており、その裁判官は、「軽い判決と言えるかもしれないが、被告は強い自責の念を感じている」、とコメントしています。また、ナジャ・ベナイサの弁護士も、この判決に対して「満足している」との意志表示をしています。
一方で、エイズ予防をおこなっているいくつかの団体は、今回の判決を重いと考えています。例えば、「Deutsche AIDS-Hilfe」という社会団体は、「感染者のみに罪を負わせる判決である」と今回の判決を非難しています。この団体が言いたいのは、「HIVが性交渉で感染したのは、感染させた方にも責任はあるけれど、感染させられた方にもある程度の責任はあるはず。感染させた方と感染させられた方の共同責任と考えるべき」、ということです。
この問題は非常にむつかしく、HIV感染を隠して性交渉をした場合、感染させられた方にも責任がでてくるとすれば、性交渉の度に相手を必要以上に疑わなければならないことになってしまいます。その逆に、感染させた方の罪を重くすればするほど、HIV陽性であること自体が罪であるかのような印象を世間に与えることになり、ますますカムアウトできない社会となってしまうことが考えられます。HIV陽性者がHIV陽性であることを隠すことにより、結果としてはかえってHIVを社会に蔓延させてしまうことになるかもしれません。
今回の事件で、私がナジャ・ベナイサに同情したくなることが1つあります。それは、彼女は、医者から、「他人にうつす可能性はほとんどない(practically zero)」、と言われていたということです。報道からは彼女の血液検査の値を知ることはできませんが、おそらく医師がこのように伝えたのは、彼女の免疫力が充分に保たれており、ウイルス量も少なく、容易に感染させるような状態ではなかったからでしょう。
ナジャ・ベナイサとしては医師からそのように言われているのだから、多少は安心していたに違いありません。彼女は、当時の交際相手を心から愛しており(直接本人に聞いたわけではありませんが・・・)、HIV陽性であることをカムアウトしたとき自分だけでなくノー・エンジェルスに壊滅的な打撃を与えかねないという状況のなかで、医師から、「感染させる可能性はほとんどない」と言われていれば、素敵なムードから性交渉にごく自然に流れるその雰囲気の中で(私が見たわけではありませんが・・・)、「ちょっと待って! あなたに言わなければならないことがあるの!」、とそのロマンティックな空気を止めることができるでしょうか。
日本では、「HIVを他人に感染させて傷害罪」という事件が立件されたという話を聞いたことがありませんが、イギリスやオーストラリアでは、この手のニュースがときどき報道されています。
有名人が有罪判決を受けたこの事件をきっかけに、日本人の我々も、「HIV感染を隠して性交渉をおこなえばどれだけの罪が問われるべきか」を考え、さらに「なぜこの社会ではHIV感染を隠さなければならないのか」ということに思いを巡らせてほしいと思います。
注:この事件は世界中の各メディアで報道されましたが(なぜか日本では報道をほとんど見かけませんでしたが・・・)、下記のBBCニュース(タイトルは、「Suspended sentence for German HIV singer Nadja Benaissa」が一番分かりやすいと思います。ナジャ・ベナイサが登場する報道のビデオを閲覧することもできます。
http://www.bbc.co.uk/news/world-europe-11097298
参考:GINAニュース
2007年6月25日「HIV陽性であることを告知せずに逮捕」
2006年10月29日「オーストラリア男性が女性観光客にHIVを感染」
2006年6月23日「恋人にHIVをうつした女性が禁固刑に」
2006年10月16日「オーストラリアのゲイ、5人にHIVを故意に感染」
第50回 HIVが女性に感染しやすい2つの理由(2010年8月)
日本のHIV陽性者は、性別でみると圧倒的に男性に多いのが特徴です。
1985~2008年の累積報告数(凝固因子製剤による感染例を除く)は、HIV感染者(判明時にまだエイズを発症していないHIV陽性者)が10,552人(男8,590人、女1,962人)、エイズ患者(判明時にすでにエイズを発症していたHIV陽性者)は4,899人(男4,307人、女592人)となります。これらを合わせると、HIV陽性者全体で15,451人、男性が12,897人、女性が2,554人となりますから、感染者の83%が男性ということになります。
日本のHIV感染の特徴のひとつは、性交渉を介した感染が圧倒的に多く、静脈注射(針の使いまわし)や母子感染は他国に比べると少ないということです。要するに、HIVは日本では「性感染症のひとつ」として捉えられることが多いのです。
HIV感染の8割以上が男性、という数字だけをみると、一見HIVは男性に感染しやすいのでは、と錯覚してしまいます。しかし、ことはそう単純ではありません。男性の感染者が圧倒的に多いのは、同性間の性交渉での感染が多いからであって、女性が感染しにくい、というわけでは決してありません。
今回お話したいのは、「HIVは数字だけをみていると圧倒的に男性の病気のように思われるけれども、実は女性の方が感染しやすいんですよ」、ということです。(便宜上、ここから「男性」は、ストレートの男性(異性愛者)に限り、男性と性交渉をもつ男性は含まないこととします)
女性の方が感染しやすい理由は主に2つあります。
1つは、男性と女性を解剖学的に比べた場合、圧倒的に女性器の方が感染の危険に晒されやすい、という理由です。これは少し想像してみれば簡単に理解できると思います。男性の場合、HIV感染が成立するのは、病原体(HIV)が尿道に入り、そこから何らかの機序を経て体内に侵入したときです。尿道口の面積は、腟の面積に比べて圧倒的に小さいですし、たとえHIVが尿道に侵入したとしても、性交後速やかに排尿をおこなえば、HIVが尿と一緒に排出され感染が成立しない可能性もあり得ます。
一方、女性の場合は、HIVが含まれた精液が腟内に入ってきても尿と一緒に外部にでていく、ということはありません。尿道に感染するわけではないからです。(しかし理論的にはHIVが女性の尿道から侵入し感染が成立するということはあり得ます。ちなみに、女性の患者さんで淋菌が子宮頸部に感染せずに尿道にだけ感染している場合がときどきあります)
性交後直ちに腟内を洗浄する、という方法をとればいくぶん感染のリスクを下げられるかもしれませんが、そのときには子宮頸部から子宮の奥の方にHIVを含んだ精液が侵入している可能性がありますから、こうなれば洗浄は役に立ちません。また膣内のヒダは、(男性の尿道と比べると)表面積はかなり大きくなるでしょうし、尿道に比べると膣壁には微小な傷が観察されることがよくあります。これらを考えると、性交後に腟内を洗浄して感染症を防ぐ、などといったことは「やらないよりはまし」といった程度です。
解剖学的に女性の方が感染の危険に晒されやすいのは、何もHIVに限ったことではありません。実際、性感染症のほとんどは女性の方がかかりやすいのです。さらに、私の医師としての経験で言えば、男性の場合、例えばクラミジアなどであれば、いったん感染しても自然に治癒することがまあまああります。これは、尿道内で病原体が増殖してもある程度の免疫力が備わっていれば、増殖にストップをかけ排尿時に病原体を排出するからではないかと思われます。ですから、ある男性がある女性からクラミジアをうつされ、それを自身が気付かないまま別の女性にうつし、その後男性自身は自然治癒していた、などということが実際にあるのです。(臨床上、そうとしか考えられないような事例がときどきあります)
さて、HIV感染が女性に不利なもうひとつの理由は社会的な観点から説明されます。2010年7月にウイーンで第18回国際エイズ会議が開かれたのですが、その会議でオウマ・オバマ氏(米国大統領のバラク・オバマ氏の異母姉)が、スピーチで、「エイズの危険に最も晒されているのは、アフリカの貧困層の女性である」と述べています。オバマ氏は次のようにコメントしています。(7月20日のAFP通信が報道しています)
「何よりも、まずは女性たちが"NO"と言えるようにならなければならない・・・」
アフリカのほとんどの社会では、女性の社会的立場が男性よりも大変低く、多くの女性は性行動に対して男性に支配されていると言われています。「性行動に対して男性に支配されている」とは、ややこしい言い方ですが、分かりやすく言うと、「自分の夫が望めば性交渉を拒否することはできない。たとえ、夫に複数の愛人がいたとしても。さらに、コンドームの使用をお願いすることもできない・・・」、という感じになります。
実際、アフリカではコンドームを使用しない(したがらない)男性が少なくないらしく、そのため女性が自分自身で腟内に塗れるクリームやジェルの開発が進んでいます。このクリームやジェルは、ウイルスを死滅させ、粘膜への侵入を防ぐ効果があり、HIV感染予防の有用なツールとされているのです。
そうか、アフリカは(日本と違って)女性の地位が低いんだな・・・
そう感じる人もいるでしょうが、この点に関しては日本でもそれほどアフリカと違いがあるわけではありません。たしかに、日本の女性は、以前に比べると随分と社会的地位が向上し、職場や地域社会では男性と同等の地位が与えられていることも少なくないでしょう。
しかしながら、家庭内では、もっと言えば<性行為>という観点で考えれば、女性の方が圧倒的に不利なのです。「いくらいっても主人がコンドームをしてくれなくて・・・」と言って定期的に性感染症の検査を受けにくる女性の患者さん(主婦)を診察することがしばしばあります。彼女らは、「主人には愛人が複数いる」、「ダンナの趣味は風俗通い」、などと言います。私が「ご主人の行動を改めてもらおうと思わないのですか」と尋ねると、「何度も言いましたが主人のクセは治らないのです・・・」、という答えが返ってくるのです。(「そんなダンナだったらさっさと別れればいいのに・・・」と感じる人もいるでしょうが、彼女らにはそれなりの事情があってなかなかむつかしいようです)
また、実際に自分の夫や交際相手から繰り返し性感染症をうつされている患者さん(10代から50代まで!)も珍しくありません。なかには、自分の夫、もしくは長期間交際している男性からHIVをうつされたというケースもあります。
タイではHIVの新規感染の最多理由が「自分の夫からの感染」です。2位が男性同性愛、3位がセックスワーク(売買春、風俗)と続きます。これを受けて、最近のエイズ啓蒙活動では「家庭内でもコンドームを」と言われることが増えてきています。ちなみに、タイでは概して言えば女性の地位がそれほど低いわけではありません。ホワイトカラーだけでみれば女性の方がむしろ地位が高いようにすら感じます。ただし、(特に貧困地域の)家庭内では夫からの暴力を受けていたり、日本と同様に性行為を拒めなかったりという問題はあります。
私はフェミニストではありませんが、日本の女性の立場を<性行為>という観点で考えれば、男性よりも遥かに脆弱、と感じざるを得ません。レイプの被害者はほとんどが女性ですし、既婚者で言えば圧倒的に「夫から性感染症をうつされた妻」が多く、その逆に「妻がしょっちゅう浮気をするもんで、僕が定期的に性感染症の検査をしなければならないんですよ」、と言っている男性はあまりいません。(皆無ではありませんが)
HIVを含む性感染症を性差で考えたとき、解剖学的にも社会的にも女性が不利であることを、各自が考え直すべきではないでしょうか。
1985~2008年の累積報告数(凝固因子製剤による感染例を除く)は、HIV感染者(判明時にまだエイズを発症していないHIV陽性者)が10,552人(男8,590人、女1,962人)、エイズ患者(判明時にすでにエイズを発症していたHIV陽性者)は4,899人(男4,307人、女592人)となります。これらを合わせると、HIV陽性者全体で15,451人、男性が12,897人、女性が2,554人となりますから、感染者の83%が男性ということになります。
日本のHIV感染の特徴のひとつは、性交渉を介した感染が圧倒的に多く、静脈注射(針の使いまわし)や母子感染は他国に比べると少ないということです。要するに、HIVは日本では「性感染症のひとつ」として捉えられることが多いのです。
HIV感染の8割以上が男性、という数字だけをみると、一見HIVは男性に感染しやすいのでは、と錯覚してしまいます。しかし、ことはそう単純ではありません。男性の感染者が圧倒的に多いのは、同性間の性交渉での感染が多いからであって、女性が感染しにくい、というわけでは決してありません。
今回お話したいのは、「HIVは数字だけをみていると圧倒的に男性の病気のように思われるけれども、実は女性の方が感染しやすいんですよ」、ということです。(便宜上、ここから「男性」は、ストレートの男性(異性愛者)に限り、男性と性交渉をもつ男性は含まないこととします)
女性の方が感染しやすい理由は主に2つあります。
1つは、男性と女性を解剖学的に比べた場合、圧倒的に女性器の方が感染の危険に晒されやすい、という理由です。これは少し想像してみれば簡単に理解できると思います。男性の場合、HIV感染が成立するのは、病原体(HIV)が尿道に入り、そこから何らかの機序を経て体内に侵入したときです。尿道口の面積は、腟の面積に比べて圧倒的に小さいですし、たとえHIVが尿道に侵入したとしても、性交後速やかに排尿をおこなえば、HIVが尿と一緒に排出され感染が成立しない可能性もあり得ます。
一方、女性の場合は、HIVが含まれた精液が腟内に入ってきても尿と一緒に外部にでていく、ということはありません。尿道に感染するわけではないからです。(しかし理論的にはHIVが女性の尿道から侵入し感染が成立するということはあり得ます。ちなみに、女性の患者さんで淋菌が子宮頸部に感染せずに尿道にだけ感染している場合がときどきあります)
性交後直ちに腟内を洗浄する、という方法をとればいくぶん感染のリスクを下げられるかもしれませんが、そのときには子宮頸部から子宮の奥の方にHIVを含んだ精液が侵入している可能性がありますから、こうなれば洗浄は役に立ちません。また膣内のヒダは、(男性の尿道と比べると)表面積はかなり大きくなるでしょうし、尿道に比べると膣壁には微小な傷が観察されることがよくあります。これらを考えると、性交後に腟内を洗浄して感染症を防ぐ、などといったことは「やらないよりはまし」といった程度です。
解剖学的に女性の方が感染の危険に晒されやすいのは、何もHIVに限ったことではありません。実際、性感染症のほとんどは女性の方がかかりやすいのです。さらに、私の医師としての経験で言えば、男性の場合、例えばクラミジアなどであれば、いったん感染しても自然に治癒することがまあまああります。これは、尿道内で病原体が増殖してもある程度の免疫力が備わっていれば、増殖にストップをかけ排尿時に病原体を排出するからではないかと思われます。ですから、ある男性がある女性からクラミジアをうつされ、それを自身が気付かないまま別の女性にうつし、その後男性自身は自然治癒していた、などということが実際にあるのです。(臨床上、そうとしか考えられないような事例がときどきあります)
さて、HIV感染が女性に不利なもうひとつの理由は社会的な観点から説明されます。2010年7月にウイーンで第18回国際エイズ会議が開かれたのですが、その会議でオウマ・オバマ氏(米国大統領のバラク・オバマ氏の異母姉)が、スピーチで、「エイズの危険に最も晒されているのは、アフリカの貧困層の女性である」と述べています。オバマ氏は次のようにコメントしています。(7月20日のAFP通信が報道しています)
「何よりも、まずは女性たちが"NO"と言えるようにならなければならない・・・」
アフリカのほとんどの社会では、女性の社会的立場が男性よりも大変低く、多くの女性は性行動に対して男性に支配されていると言われています。「性行動に対して男性に支配されている」とは、ややこしい言い方ですが、分かりやすく言うと、「自分の夫が望めば性交渉を拒否することはできない。たとえ、夫に複数の愛人がいたとしても。さらに、コンドームの使用をお願いすることもできない・・・」、という感じになります。
実際、アフリカではコンドームを使用しない(したがらない)男性が少なくないらしく、そのため女性が自分自身で腟内に塗れるクリームやジェルの開発が進んでいます。このクリームやジェルは、ウイルスを死滅させ、粘膜への侵入を防ぐ効果があり、HIV感染予防の有用なツールとされているのです。
そうか、アフリカは(日本と違って)女性の地位が低いんだな・・・
そう感じる人もいるでしょうが、この点に関しては日本でもそれほどアフリカと違いがあるわけではありません。たしかに、日本の女性は、以前に比べると随分と社会的地位が向上し、職場や地域社会では男性と同等の地位が与えられていることも少なくないでしょう。
しかしながら、家庭内では、もっと言えば<性行為>という観点で考えれば、女性の方が圧倒的に不利なのです。「いくらいっても主人がコンドームをしてくれなくて・・・」と言って定期的に性感染症の検査を受けにくる女性の患者さん(主婦)を診察することがしばしばあります。彼女らは、「主人には愛人が複数いる」、「ダンナの趣味は風俗通い」、などと言います。私が「ご主人の行動を改めてもらおうと思わないのですか」と尋ねると、「何度も言いましたが主人のクセは治らないのです・・・」、という答えが返ってくるのです。(「そんなダンナだったらさっさと別れればいいのに・・・」と感じる人もいるでしょうが、彼女らにはそれなりの事情があってなかなかむつかしいようです)
また、実際に自分の夫や交際相手から繰り返し性感染症をうつされている患者さん(10代から50代まで!)も珍しくありません。なかには、自分の夫、もしくは長期間交際している男性からHIVをうつされたというケースもあります。
タイではHIVの新規感染の最多理由が「自分の夫からの感染」です。2位が男性同性愛、3位がセックスワーク(売買春、風俗)と続きます。これを受けて、最近のエイズ啓蒙活動では「家庭内でもコンドームを」と言われることが増えてきています。ちなみに、タイでは概して言えば女性の地位がそれほど低いわけではありません。ホワイトカラーだけでみれば女性の方がむしろ地位が高いようにすら感じます。ただし、(特に貧困地域の)家庭内では夫からの暴力を受けていたり、日本と同様に性行為を拒めなかったりという問題はあります。
私はフェミニストではありませんが、日本の女性の立場を<性行為>という観点で考えれば、男性よりも遥かに脆弱、と感じざるを得ません。レイプの被害者はほとんどが女性ですし、既婚者で言えば圧倒的に「夫から性感染症をうつされた妻」が多く、その逆に「妻がしょっちゅう浮気をするもんで、僕が定期的に性感染症の検査をしなければならないんですよ」、と言っている男性はあまりいません。(皆無ではありませんが)
HIVを含む性感染症を性差で考えたとき、解剖学的にも社会的にも女性が不利であることを、各自が考え直すべきではないでしょうか。











