GINAと共に
第49回 ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その2) (2010年7月)
GINAと共に第25回(2008年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」で、いったん覚醒剤が入手しにくいクリーンな国になったタイが、再び<ドラッグ天国>になりつつある、ということを述べました。
現地から伝わってくる情報によりますと、この傾向は2009年に増悪し、さらに今年(2010年)に入り覚醒剤の入手がいっそう簡単になり、新たに始める若者が急増しているそうです。
いったい、どの程度の若者が薬物に手を染め出しているのか・・・。そのようなことを考えていたところ、偶然にもタイの覚醒剤に関する学術的なデータが発表されました。
タイのチュラロンコン大学(Chulalongkorn University)の心理学部、タンヤラック研究所(Thanyarak Institute)、米国エール大学(Yale University)神経生物学部の共同調査により、タイでは特に若者の間で覚醒剤が乱用されていることが明らかとなりました。2010年7月15日のBangkok PostとThe Nation(共にタイの英字新聞)が報道しています。(下記注参照)
報道によりますと、タイ全域で2009年に覚醒剤で摘発されたのはおよそ12万人で、今年は既に10万人を越えているそうです。2008年、2009年、2010年と加速度的に覚醒剤が流通しているというのは、私の元に現地から届く情報と一致しています。
特筆すべきは、新たに覚醒剤を始めた者の65%が10代、もしくは大学などに通う若い世代ということです。また、覚醒剤を新たに始めた3人に1人は15歳から19歳だそうです。(言い換えると、新たに覚醒剤に手をだした3分の1が15~19歳、3分の1が20歳以上の学生、残りの3分の1が学生以外ということになります)
ここで、タイの覚醒剤はどのようなタイプのものが流行しているかについて述べておきます。
タイでは、以前からそれほど純度の高くないメタンフェタミンの錠剤が主流です。これをタイ語で「ヤー・バー」と言います。ヤーは「薬」、バーは「バカ」という意味です。つまり「ヤー・バー」とは「バカの薬」という意味で、なかなか上手いネーミングです。
この「ヤー・バー」という言い方は、特定の人たちが使うスラングというよりも広く一般に知れ渡っている市民権を得た言葉です。少なくとも日本人が覚醒剤のことを「エス」とか「スピード」とか言うよりも広く使われています。実際、今回取り上げているBangkok Postの新聞記事のタイトルは、「Researchers puzzle over high rate of 'yaba' abuse」(「ヤー・バー」の乱用で研究者らが当惑)となっています。
ヤー・バーがそれほど純度が高くなくマイルドな(?)覚醒剤であるのに対し、ここ数年間若い世代に、特に少しお金に余裕のある若い世代に人気があるのが、メタンフェタミンの透明の結晶で、俗に「アイス」と呼ばれているものです。「アイス」は見た感じが透明で氷のようであることと、溶かしたものを静脈注射すると、あたかも氷が体内に溶け込んだかのような冷たい感覚が全身を駆け巡ることから、ピッタリのネーミングであり、日本人も含めて世界中のジャンキーからこのように呼ばれています。(GINAと共に第5回「アイスの恐怖」も参照ください)
ただし、タイ人はアイスのことを「アイ」と言います。(少なくとも私にはそのように聞こえます) これは、タイ語独特の末子音を発音しない言語学的な理由からです。タイ人と少し話せば分かりますが、彼(女)らは、ハウス(家)のことを「ハウ」、ポリス(警察)のことを「ポリ」と言いますが、「アイ」もこれらと同様の理由です。
話を戻しましょう。ヤー・バーが比較的安価で流通しているのに対し、純度の高いアイスはそれなりの値段がついているため、一部の金持ちにしか出回っていないと言われています。今回の共同調査では、報道記事の文脈からヤー・バーのみについて調べられているような印象を受けますが、流通量はヤー・バー>>アイスであることが予想されますからある程度は正確なのではないかと思われます。
「タイは覚醒剤に関して世界で最も深刻な状況にある・・・」
Bangkok Postは、ある学者のこのようなコメントを紹介しています。実際、2010年には既に10万人が摘発されていることを考えると、これは間違ってはいないでしょう。
私自身の実感としては、タイよりも日本の方が少なくとも覚醒剤に関しては深刻度が高いように感じているのですが(そもそも、覚醒剤(ヒロポン)が歴史上一時的にでも合法だったのは日本だけなのです!)、データはタイの方がより深刻であることを物語っています。
国立精神神経センター精神保健研究所が実施している「薬物使用に関する全国調査」(2007年)によりますと、日本人の覚醒剤の生涯経験率はわずか0.44%となっています。日本人の人口が1億2千万人として、0.44%は約53万人となります。一方、タイ人は2009年だけで13万人、今年はすでに10万人突破というのですから、(生涯経験率と年間摘発者を単純に比較するのは無理がありますが)タイ人の方が覚醒剤に汚染されている割合は高いということになるでしょう。(参考までに、タイの人口は約6千万人で日本のおよそ半分です)
GINAと共に第25回でも述べたように、実際には「日本に帰ると覚醒剤に手を出してしまいそうだから(日本よりも入手しにくい)タイに滞在している」という元ジャンキーもいますし、私の医師としての実感でも、日本の覚醒剤依存症の患者は決して少なくありません。ちなみに、2007年に発表されたオーストラリア国民薬物委員会(Australian National Council on Drugs)のデータでは、オーストラリア人の1割は覚醒剤を経験したことがあるそうです。これらを踏まえると、国立精神神経センターの日本人を対象とした調査は、果たして実態を反映しているのか・・・、と正直に言えば、私はこの調査の信憑性を疑っています。
話を戻しましょう。日本の実情はともかく、現在タイが覚醒剤に関して相当深刻な状況にきているのは間違いなさそうです。「日本に帰ると・・・」と言ってタイに滞在していた日本人の元ジャンキーも、もしかするとタイは危険と考えて第3国に移動しているかもしれません。(あるいは再びジャンキーに舞い戻ってしまったのでしょうか・・・)
それから、私がタイの薬物に関して「マズイな・・・」と思うことがもうひとつあります。それは、隣国であるラオスやミャンマーでの薬物入手が簡単になっているということです。特にラオスではそれが顕著で、首都のビエンチャンやいくつかの地方都市ではごく簡単にそれも相当安価で入手できるそうなのです。そして、ラオスからタイに持ち込むこともそれほどむつかしくないと聞きます。
このサイトで何度も取り上げているように、タクシン政権は薬物に関しては「疑わしき者は殺せ」というポリシーをとっていました。このため、一説によると、冤罪で警察に射殺された人が数千人に上るとも言われています。タクシン政権の頃は、素人が違法薬物を隣国から持ち帰るなどということは事実上不可能だったわけです。それが、今では普通の若者がおこなっているそうなのです。
覚醒剤は本当に恐ろしいものです。最初は遊びでアブリ(吸入)だけのつもり、しかし耐性ができアブリでは効果が半減し静脈注射へ、針が入手しにくいため使いまわし、そして・・・。私はこのような経路でHIVに感染したタイ人をこれまで何人もみてきました。
覚醒剤の犠牲者をこれ以上だしてはいけません・・・。
注:上記調査の報道は下記を参照ください。
Bangkok Post 2010年7月15日「Researchers puzzle over high rate of 'yaba' abuse」
The Nation 2010年7月15日「Methplagued Thailand assists study on addiction, genetics」
参考:
GINAと共に第25回(2008年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」
GINAと共に第5回(2006年11月)「アイスの恐怖」
GINAと共に第13回(2007年7月)「恐怖のCM」
GINAニュース2007年2月6日「オーストラリア、10人に1人が"アイス"を経験」
現地から伝わってくる情報によりますと、この傾向は2009年に増悪し、さらに今年(2010年)に入り覚醒剤の入手がいっそう簡単になり、新たに始める若者が急増しているそうです。
いったい、どの程度の若者が薬物に手を染め出しているのか・・・。そのようなことを考えていたところ、偶然にもタイの覚醒剤に関する学術的なデータが発表されました。
タイのチュラロンコン大学(Chulalongkorn University)の心理学部、タンヤラック研究所(Thanyarak Institute)、米国エール大学(Yale University)神経生物学部の共同調査により、タイでは特に若者の間で覚醒剤が乱用されていることが明らかとなりました。2010年7月15日のBangkok PostとThe Nation(共にタイの英字新聞)が報道しています。(下記注参照)
報道によりますと、タイ全域で2009年に覚醒剤で摘発されたのはおよそ12万人で、今年は既に10万人を越えているそうです。2008年、2009年、2010年と加速度的に覚醒剤が流通しているというのは、私の元に現地から届く情報と一致しています。
特筆すべきは、新たに覚醒剤を始めた者の65%が10代、もしくは大学などに通う若い世代ということです。また、覚醒剤を新たに始めた3人に1人は15歳から19歳だそうです。(言い換えると、新たに覚醒剤に手をだした3分の1が15~19歳、3分の1が20歳以上の学生、残りの3分の1が学生以外ということになります)
ここで、タイの覚醒剤はどのようなタイプのものが流行しているかについて述べておきます。
タイでは、以前からそれほど純度の高くないメタンフェタミンの錠剤が主流です。これをタイ語で「ヤー・バー」と言います。ヤーは「薬」、バーは「バカ」という意味です。つまり「ヤー・バー」とは「バカの薬」という意味で、なかなか上手いネーミングです。
この「ヤー・バー」という言い方は、特定の人たちが使うスラングというよりも広く一般に知れ渡っている市民権を得た言葉です。少なくとも日本人が覚醒剤のことを「エス」とか「スピード」とか言うよりも広く使われています。実際、今回取り上げているBangkok Postの新聞記事のタイトルは、「Researchers puzzle over high rate of 'yaba' abuse」(「ヤー・バー」の乱用で研究者らが当惑)となっています。
ヤー・バーがそれほど純度が高くなくマイルドな(?)覚醒剤であるのに対し、ここ数年間若い世代に、特に少しお金に余裕のある若い世代に人気があるのが、メタンフェタミンの透明の結晶で、俗に「アイス」と呼ばれているものです。「アイス」は見た感じが透明で氷のようであることと、溶かしたものを静脈注射すると、あたかも氷が体内に溶け込んだかのような冷たい感覚が全身を駆け巡ることから、ピッタリのネーミングであり、日本人も含めて世界中のジャンキーからこのように呼ばれています。(GINAと共に第5回「アイスの恐怖」も参照ください)
ただし、タイ人はアイスのことを「アイ」と言います。(少なくとも私にはそのように聞こえます) これは、タイ語独特の末子音を発音しない言語学的な理由からです。タイ人と少し話せば分かりますが、彼(女)らは、ハウス(家)のことを「ハウ」、ポリス(警察)のことを「ポリ」と言いますが、「アイ」もこれらと同様の理由です。
話を戻しましょう。ヤー・バーが比較的安価で流通しているのに対し、純度の高いアイスはそれなりの値段がついているため、一部の金持ちにしか出回っていないと言われています。今回の共同調査では、報道記事の文脈からヤー・バーのみについて調べられているような印象を受けますが、流通量はヤー・バー>>アイスであることが予想されますからある程度は正確なのではないかと思われます。
「タイは覚醒剤に関して世界で最も深刻な状況にある・・・」
Bangkok Postは、ある学者のこのようなコメントを紹介しています。実際、2010年には既に10万人が摘発されていることを考えると、これは間違ってはいないでしょう。
私自身の実感としては、タイよりも日本の方が少なくとも覚醒剤に関しては深刻度が高いように感じているのですが(そもそも、覚醒剤(ヒロポン)が歴史上一時的にでも合法だったのは日本だけなのです!)、データはタイの方がより深刻であることを物語っています。
国立精神神経センター精神保健研究所が実施している「薬物使用に関する全国調査」(2007年)によりますと、日本人の覚醒剤の生涯経験率はわずか0.44%となっています。日本人の人口が1億2千万人として、0.44%は約53万人となります。一方、タイ人は2009年だけで13万人、今年はすでに10万人突破というのですから、(生涯経験率と年間摘発者を単純に比較するのは無理がありますが)タイ人の方が覚醒剤に汚染されている割合は高いということになるでしょう。(参考までに、タイの人口は約6千万人で日本のおよそ半分です)
GINAと共に第25回でも述べたように、実際には「日本に帰ると覚醒剤に手を出してしまいそうだから(日本よりも入手しにくい)タイに滞在している」という元ジャンキーもいますし、私の医師としての実感でも、日本の覚醒剤依存症の患者は決して少なくありません。ちなみに、2007年に発表されたオーストラリア国民薬物委員会(Australian National Council on Drugs)のデータでは、オーストラリア人の1割は覚醒剤を経験したことがあるそうです。これらを踏まえると、国立精神神経センターの日本人を対象とした調査は、果たして実態を反映しているのか・・・、と正直に言えば、私はこの調査の信憑性を疑っています。
話を戻しましょう。日本の実情はともかく、現在タイが覚醒剤に関して相当深刻な状況にきているのは間違いなさそうです。「日本に帰ると・・・」と言ってタイに滞在していた日本人の元ジャンキーも、もしかするとタイは危険と考えて第3国に移動しているかもしれません。(あるいは再びジャンキーに舞い戻ってしまったのでしょうか・・・)
それから、私がタイの薬物に関して「マズイな・・・」と思うことがもうひとつあります。それは、隣国であるラオスやミャンマーでの薬物入手が簡単になっているということです。特にラオスではそれが顕著で、首都のビエンチャンやいくつかの地方都市ではごく簡単にそれも相当安価で入手できるそうなのです。そして、ラオスからタイに持ち込むこともそれほどむつかしくないと聞きます。
このサイトで何度も取り上げているように、タクシン政権は薬物に関しては「疑わしき者は殺せ」というポリシーをとっていました。このため、一説によると、冤罪で警察に射殺された人が数千人に上るとも言われています。タクシン政権の頃は、素人が違法薬物を隣国から持ち帰るなどということは事実上不可能だったわけです。それが、今では普通の若者がおこなっているそうなのです。
覚醒剤は本当に恐ろしいものです。最初は遊びでアブリ(吸入)だけのつもり、しかし耐性ができアブリでは効果が半減し静脈注射へ、針が入手しにくいため使いまわし、そして・・・。私はこのような経路でHIVに感染したタイ人をこれまで何人もみてきました。
覚醒剤の犠牲者をこれ以上だしてはいけません・・・。
注:上記調査の報道は下記を参照ください。
Bangkok Post 2010年7月15日「Researchers puzzle over high rate of 'yaba' abuse」
The Nation 2010年7月15日「Methplagued Thailand assists study on addiction, genetics」
参考:
GINAと共に第25回(2008年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」
GINAと共に第5回(2006年11月)「アイスの恐怖」
GINAと共に第13回(2007年7月)「恐怖のCM」
GINAニュース2007年2月6日「オーストラリア、10人に1人が"アイス"を経験」
第48回 エリート達が支援活動を選ぶ時代(2010年6月)
NPO法人なんてものつくって、いったいどんなメリットがあるの?
これは、2005年頃、私がGINA設立に向けて活動をしていたとき、周囲から何度も言われた言葉です。「メリットは困っている人を支援すること」、と私は答えていたのですが、これがなかなか伝わりませんでした。
「自分の生活も安定してないのに他人の世話だなんて・・・」、とストレートな表現で注意をしてくれる人もいて、こういう人はそれだけ私のことを親身になって考えてくれていたと思うのですが、それでも私にしてみると、「なんで分かってくれないの・・・」と、もどかしい気持ちになることがしばしばありました。
私にしてみれば、自分の生活が安定してから他人を支援する、などといった考えは、まるで、宝くじに当たったら寄附をする、と言っているようなものです。「自分よりもはるかに困っている人がいることを知ってしまった。そんな人たちと接することで自分に何ができるかを考えた結果、支援団体をつくることにした」、と言っても、「どんなメリットが・・・」などという人には伝わらないのです。
一方、外国人(というか西洋人)には伝わりました。タイのエイズ関連の活動で知り合った外国人たちは、「それはいいアイデアだ。ぜひがんばってほしい」、のようなアドバイスをくれたのです。彼(女)らは、私と同じように支援活動ではるばるタイに来ていたわけですから当然と言えば当然なのですが、それだけではありません。自分たちも決して裕福ではないのにはるばるアジアまでやってきてボランティアに従事する欧州人というのは、小さな頃から「困っている人がいれば支援をおこなうのは人間として当然のこと」というキリスト教的な価値観を持っているのです。(念のために言っておくと、私はキリスト教徒ではありませんし、キリスト教がすばらしいと言っているわけでもありません。ただ、結果としてキリスト教徒たちのなかに他人に奉仕することを当然と考えている人が多い、という事実を指摘しているだけです)
さて、西洋人が社会貢献を重要視していることを象徴するような新聞記事を最近見かけたので紹介したいと思います。Voice of America News.comの2010年5月26日に掲載された記事によりますと(詳細は下記参照)、ハーバード大学の学生が就職先として公益事業を選択するケースが少なくないそうなのです。
この新聞記事によりますと、就職において他大学の学生よりも有利な立場にある名門ハーバード大学の学生たちは、高い報酬が期待できる一流企業に就職することが多い一方で、その有利な立場を利用するのではなく、公益事業に関する仕事を選択する人たちも大勢いるそうなのです。
記事によりますと、「多くの学生たちが、孤児院やマイクロファイナンス(注2)、そして現地でエイズ患者のケアなどをしたいと考えている」、とハーバード大学の就職課のスタッフがコメントしています。そして、同大学には、こういった奉仕活動に関する分野に進みたいという学生を支援する仕組みがあるそうです。
さすがはアメリカ、日本とは違うなぁ・・・、とこの記事を読んで少し感動したのですが、最近は日本国内でも奉仕や貢献に興味をもつ人が増えているように感じます。
2010年6月21日の日経新聞(夕刊)に、「NPO職員の平均年収202万円」という記事が掲載されました。記事のタイトルだけをみると、NPOの職員なら年収はそんなもんだろう、と感じるだけですが、この記事をよく読むと、「NPO法人を就職先として選ぶ学生が出始めている」、と述べられていて、実際にNPO法人に就職を決めた学生のコメントも紹介されています。
私はこの記事で初めて知ったのですが、「NPO就職・転職フェア」というものも開催されているそうです。そのフェアの主催者によれば、「学生からNPOに就職するにはどうしたらいいかと聞かれだしたのはここ数年のこと」、だそうです。ということは、学生のなかで就職先にNPO法人を選択肢の1つとして考える時代が日本にも到来した、ということになるのかもしれません。
もっとも、学生がNPOを就職先の1つに検討するのは、不景気で一流企業への就職が困難になっているという社会状況も要因のひとつでしょう。けれども、それだけではなさそうです。
この記事で取り上げられているあるNPO法人のスタッフは、「<大企業で必ずやりたいことができるわけではない><社内でしか通用しないキャリアは逆にリスク>と考える学生が増えた」、とコメントしています。また、第一生命経済研究所がNPOで働く20~30代の男女を対象とした調査によりますと、91%ものNPOスタッフが「仕事の内容が面白い」と答えています。これに対し、一般企業の正社員で「仕事の内容が面白い」と答えたのは60%にとどまっています。
支援活動に興味があるのは学生ばかりではありません。ここ数年間、スポーツ界でもチャリティをおこなう選手は確実に増えています。有名なところでは、元サッカー選手の中田英寿氏が設立した慈善団体「TAKE ACTION FOUNDATION」や、日本ハムのダルビッシュ投手の「ダルビッシュ有 水基金」があります。ダルビッシュ投手は、公式戦で一勝するたびに10万円を日本水フォーラムに寄付しているそうです。また、イチロー選手が二軍時代から慈善活動に熱心で、神戸の養護施設や出身地の愛知県などに多額の寄付をしているという話は有名です。
自らNPO法人を設立したスポーツ選手といえば、元マラソン選手でバルセロナ五輪銀メダリストの有森裕子氏も有名です。有森氏は自身のNPO活動(過酷なマラソンを走ることで寄付を募っています)の他に、国連人口基金(UNFPA)の親善大使を2002年から続けています。これまでにカンボジア、インド、パキスタン、ケニア、タンザニアなど数多くの途上国を訪問し、UNFPAの活動状況を視察し、イベントなどでその状況を伝えています。
大学ではどうでしょうか。関西学院大学(私の母校です)は2008年4月に人間福祉学部のなかに「社会起業学科」という学科を開設し話題を呼びました。在校生と卒業生以外には馴染みがないと思いますが、関西学院大学のモットーは「Mastery for Service(奉仕のための練達)」です。社会起業学科のウェブサイトには、「社会起業学科は新しい学科ですが<社会貢献のための現実に即した学び>を目指した、関西学院大学の伝統のど真ん中にある学科」と書かれています。
東京では、2010年4月、「社会起業大学」なるものも登場しました。授業は平日の夜間や土日におこなわれるそうです。現在学んでいる学生が第1期生ということになりますが、少し詳しくみてみると、学生総数が27名、男性:女性は7:3となっています。年齢別では、20代45%、30代22%、40代2%、50代11%です。職業別では、会社員が49%。学生が19%。自営業8%、会社役員8%、主婦・主夫8%となっていて、割合で言えば自営業と会社役員が多いのが興味深いと言えます。
京セラ創業者の稲盛和夫氏が代表をつとめる「盛和塾」は、主に経営者で構成される経営塾ですが塾内では「利他」という言葉がよく飛び交うそうです。稲盛氏は、「世のため人のために尽くすことこそ人間としての最高の行為である」という哲学をお持ちですから、その稲盛氏に集まるメンバーから「利他」という言葉がでるのは当然なのでしょう。
このようにみてみると、ハーバード大学の学生やキリスト教徒の西洋人だけでなく、最近の日本人も捨てたものではありません。
私がGINA設立を考えているとき「どんなメリットが・・・」と聞いてきた人たちの考えも変わっていることを期待したいと思います。
注1:この記事のタイトルは、「Harvard Grads Choose Public Service Over Big Bucks」で、下記のURLで全文を読めます。
http://www1.voanews.com/english/news/education/Harvard-Grads-Choose-Public-Service-Over-Big-Bucks-94944109.html
注2:マイクロファイナンスという言葉はかなり有名になりましたが、簡単に紹介しておくと、「貧困者向けの小口金融」のことで、バングラデシュのムハマド・ユヌス氏が、貧困層を対象に、低金利の無担保融資を農村部で行ったのが発端です。ムハマド・ユヌス氏は、貧困層の経済的・社会的基盤の構築に対する貢献をおこなったとして2006年にノーベル平和賞を受賞しています。
これは、2005年頃、私がGINA設立に向けて活動をしていたとき、周囲から何度も言われた言葉です。「メリットは困っている人を支援すること」、と私は答えていたのですが、これがなかなか伝わりませんでした。
「自分の生活も安定してないのに他人の世話だなんて・・・」、とストレートな表現で注意をしてくれる人もいて、こういう人はそれだけ私のことを親身になって考えてくれていたと思うのですが、それでも私にしてみると、「なんで分かってくれないの・・・」と、もどかしい気持ちになることがしばしばありました。
私にしてみれば、自分の生活が安定してから他人を支援する、などといった考えは、まるで、宝くじに当たったら寄附をする、と言っているようなものです。「自分よりもはるかに困っている人がいることを知ってしまった。そんな人たちと接することで自分に何ができるかを考えた結果、支援団体をつくることにした」、と言っても、「どんなメリットが・・・」などという人には伝わらないのです。
一方、外国人(というか西洋人)には伝わりました。タイのエイズ関連の活動で知り合った外国人たちは、「それはいいアイデアだ。ぜひがんばってほしい」、のようなアドバイスをくれたのです。彼(女)らは、私と同じように支援活動ではるばるタイに来ていたわけですから当然と言えば当然なのですが、それだけではありません。自分たちも決して裕福ではないのにはるばるアジアまでやってきてボランティアに従事する欧州人というのは、小さな頃から「困っている人がいれば支援をおこなうのは人間として当然のこと」というキリスト教的な価値観を持っているのです。(念のために言っておくと、私はキリスト教徒ではありませんし、キリスト教がすばらしいと言っているわけでもありません。ただ、結果としてキリスト教徒たちのなかに他人に奉仕することを当然と考えている人が多い、という事実を指摘しているだけです)
さて、西洋人が社会貢献を重要視していることを象徴するような新聞記事を最近見かけたので紹介したいと思います。Voice of America News.comの2010年5月26日に掲載された記事によりますと(詳細は下記参照)、ハーバード大学の学生が就職先として公益事業を選択するケースが少なくないそうなのです。
この新聞記事によりますと、就職において他大学の学生よりも有利な立場にある名門ハーバード大学の学生たちは、高い報酬が期待できる一流企業に就職することが多い一方で、その有利な立場を利用するのではなく、公益事業に関する仕事を選択する人たちも大勢いるそうなのです。
記事によりますと、「多くの学生たちが、孤児院やマイクロファイナンス(注2)、そして現地でエイズ患者のケアなどをしたいと考えている」、とハーバード大学の就職課のスタッフがコメントしています。そして、同大学には、こういった奉仕活動に関する分野に進みたいという学生を支援する仕組みがあるそうです。
さすがはアメリカ、日本とは違うなぁ・・・、とこの記事を読んで少し感動したのですが、最近は日本国内でも奉仕や貢献に興味をもつ人が増えているように感じます。
2010年6月21日の日経新聞(夕刊)に、「NPO職員の平均年収202万円」という記事が掲載されました。記事のタイトルだけをみると、NPOの職員なら年収はそんなもんだろう、と感じるだけですが、この記事をよく読むと、「NPO法人を就職先として選ぶ学生が出始めている」、と述べられていて、実際にNPO法人に就職を決めた学生のコメントも紹介されています。
私はこの記事で初めて知ったのですが、「NPO就職・転職フェア」というものも開催されているそうです。そのフェアの主催者によれば、「学生からNPOに就職するにはどうしたらいいかと聞かれだしたのはここ数年のこと」、だそうです。ということは、学生のなかで就職先にNPO法人を選択肢の1つとして考える時代が日本にも到来した、ということになるのかもしれません。
もっとも、学生がNPOを就職先の1つに検討するのは、不景気で一流企業への就職が困難になっているという社会状況も要因のひとつでしょう。けれども、それだけではなさそうです。
この記事で取り上げられているあるNPO法人のスタッフは、「<大企業で必ずやりたいことができるわけではない><社内でしか通用しないキャリアは逆にリスク>と考える学生が増えた」、とコメントしています。また、第一生命経済研究所がNPOで働く20~30代の男女を対象とした調査によりますと、91%ものNPOスタッフが「仕事の内容が面白い」と答えています。これに対し、一般企業の正社員で「仕事の内容が面白い」と答えたのは60%にとどまっています。
支援活動に興味があるのは学生ばかりではありません。ここ数年間、スポーツ界でもチャリティをおこなう選手は確実に増えています。有名なところでは、元サッカー選手の中田英寿氏が設立した慈善団体「TAKE ACTION FOUNDATION」や、日本ハムのダルビッシュ投手の「ダルビッシュ有 水基金」があります。ダルビッシュ投手は、公式戦で一勝するたびに10万円を日本水フォーラムに寄付しているそうです。また、イチロー選手が二軍時代から慈善活動に熱心で、神戸の養護施設や出身地の愛知県などに多額の寄付をしているという話は有名です。
自らNPO法人を設立したスポーツ選手といえば、元マラソン選手でバルセロナ五輪銀メダリストの有森裕子氏も有名です。有森氏は自身のNPO活動(過酷なマラソンを走ることで寄付を募っています)の他に、国連人口基金(UNFPA)の親善大使を2002年から続けています。これまでにカンボジア、インド、パキスタン、ケニア、タンザニアなど数多くの途上国を訪問し、UNFPAの活動状況を視察し、イベントなどでその状況を伝えています。
大学ではどうでしょうか。関西学院大学(私の母校です)は2008年4月に人間福祉学部のなかに「社会起業学科」という学科を開設し話題を呼びました。在校生と卒業生以外には馴染みがないと思いますが、関西学院大学のモットーは「Mastery for Service(奉仕のための練達)」です。社会起業学科のウェブサイトには、「社会起業学科は新しい学科ですが<社会貢献のための現実に即した学び>を目指した、関西学院大学の伝統のど真ん中にある学科」と書かれています。
東京では、2010年4月、「社会起業大学」なるものも登場しました。授業は平日の夜間や土日におこなわれるそうです。現在学んでいる学生が第1期生ということになりますが、少し詳しくみてみると、学生総数が27名、男性:女性は7:3となっています。年齢別では、20代45%、30代22%、40代2%、50代11%です。職業別では、会社員が49%。学生が19%。自営業8%、会社役員8%、主婦・主夫8%となっていて、割合で言えば自営業と会社役員が多いのが興味深いと言えます。
京セラ創業者の稲盛和夫氏が代表をつとめる「盛和塾」は、主に経営者で構成される経営塾ですが塾内では「利他」という言葉がよく飛び交うそうです。稲盛氏は、「世のため人のために尽くすことこそ人間としての最高の行為である」という哲学をお持ちですから、その稲盛氏に集まるメンバーから「利他」という言葉がでるのは当然なのでしょう。
このようにみてみると、ハーバード大学の学生やキリスト教徒の西洋人だけでなく、最近の日本人も捨てたものではありません。
私がGINA設立を考えているとき「どんなメリットが・・・」と聞いてきた人たちの考えも変わっていることを期待したいと思います。
注1:この記事のタイトルは、「Harvard Grads Choose Public Service Over Big Bucks」で、下記のURLで全文を読めます。
http://www1.voanews.com/english/news/education/Harvard-Grads-Choose-Public-Service-Over-Big-Bucks-94944109.html
注2:マイクロファイナンスという言葉はかなり有名になりましたが、簡単に紹介しておくと、「貧困者向けの小口金融」のことで、バングラデシュのムハマド・ユヌス氏が、貧困層を対象に、低金利の無担保融資を農村部で行ったのが発端です。ムハマド・ユヌス氏は、貧困層の経済的・社会的基盤の構築に対する貢献をおこなったとして2006年にノーベル平和賞を受賞しています。
第47回 タイの政治動乱の行方(2010年5月)
私自身は特にタイの政治に詳しいわけではないのですが、これだけデモが過激化し、多数の死傷者がでることになりましたから、「タイは大丈夫なの?」という質問を受ける機会が増えてきました。
デモはバンコクだけでなく、北タイやイサーン地方(東北地方)にも波及しており、GINAが支援しているいくつかの施設がある県でも過激な衝突がおこっています。しかし、GINAが支援しているHIV関連の施設には、今のところ被害は出ていません。(しかし、バンコクでデモの拠点になっていたラートプラソン交差点近くのパトゥムワラナム寺院内で、5月19日に死亡が確認されたタイ人のなかには3人の医療ボランティアが含まれていたという報道もあり、そういう意味では、今後施設や寺院の中にいても、政治的に活動していないボランティアに危険が及ぶ可能性があるかもしれません)
デモ隊(UDD、赤シャツ)と政府の機動隊の衝突はエスカレートし、約90人の死者、2,000人近くの負傷者をだし、地下鉄やBTS(高架鉄道)も運行休止となりました。5月19日には、政府は非常事態宣言を発令し、ついにデモ隊の強制排除を施行しました。デモ隊(UDD)の幹部は投降し、デモ自体は一気に沈静化しましたが、デモ終息後も、夜間外出禁止令は引き続き継続しています。日本企業もオフィスを市街地から離れたところにうつしたり、社員に自宅待機を命じたり、社員の家族は帰国させたり、といった対策を講じています。
5月24日の時点では、治安は徐々に改善しているようですが、夜間外出禁止令は、時間は短縮されたものの(24日より午後11時から午前4時まで)、依然これまでの活気のある歓楽街としてのバンコクの夜には戻っていないようです。
日本人街として知られるタニヤは、今回デモの拠点となった場所から比較的近いところにあり、普段は銀座や北新地と変わらないような賑やかさをみせていますが、現在は空いている店はほとんどなくひっそりとしているそうです。タニヤの日本料理屋で夫婦で働く私の知人のタイ人に連絡をとってみたのですが、「いつ店が再開するかの目処がたたない、ヒマだ、ヒマだ・・・」と言っていました。
UDD(赤シャツ)のみならず、2008年12月にスワンナプーム空港を占拠したPAD(黄シャツ)について、そしてタクシン元首相のことについては、以前も述べましたので(下記参照)、ここでは詳しくは繰り返しませんが、その後の動きについて簡単にまとめておきたいと思います。
まずタクシン元首相は、2006年9月19日の軍事クーデターにより失脚します。タイ軍部のなかにはタクシン派、反タクシン派の双方がいますが、主流は反タクシン派だと言われています。その後タイの首相は、スラユット、サマック、ソムチャイと続きますが、彼らはいずれもタクシン派です。
このあたりを理解するのは少しむつかしいかもしれません。タクシンが軍にクーデターを起こされたのは、政治的理念が相容れなかったというよりも、タクシン個人の株式売買を巡っての不正や、過去の汚職に対する反発が強かったからということと、タクシンが国民の大半に支持されているのは明らかであり、民主党など反タクシン派の政党が小さかったため、反タクシン派の首相を新しい首相にすることは現実的ではなかったからではないかと私は考えています。
さて、首相が次々と代わってもタクシン時代と何ら変わらない政策を続けていたタイ政府に不満を募らせていたPAD(黄シャツ)は、2008年12月、ついに空港占拠という暴挙にでます。そして、この行動が結果としてPADの勝利となり、当時の首相ソムチャイは失脚し、民主党のアピシットが新たな首相となりました。
このあたりが日本人や西洋人には理解しがたいところです。タクシンが不正や汚職をはたらいたことは司法の判決に従うべきではありますが、軍によるクーデターでのタクシンの失脚や、民間の政治団体であるPAD(黄シャツ)の空港占拠でソムチャイが失脚し、新たな首相が任命される、などということは民主主義ではあり得ないこと(あってはならないこと)ではなかったでしょうか。
そもそも反タクシン派は選挙でタクシン派に勝っていないのです。2007年12月の下院選挙ではタクシン派が勝利をおさめています。なぜ、選挙で勝っていない反タクシン派が政権をとっているのかというと、それは軍の主流派、経済界の主流派、そして王族が反タクシンだからです。政権というのは民意を反映すべきであり、それが民主主義なのですが、そういう意味では、タイには本当の民主主義がないと言われても仕方がないかもしれません。
さて、多数の死傷者をだした今回のデモを通して、私がひとつ興味深く感じていることがあります。それは、過激な行動にでたUDD(赤シャツ)に対し、外国人からは非難の声が多く、これは当然なのですが、その一方で賛同する声も少しずつ増えているということです。
私はこれまで日本人を含む外国人から、タクシンを支持するという声をほとんど聞いたことがありません。私が初めてタイを訪れたのは2002年ですが、この頃はタクシンの政策によってタイが変わりつつありました。(タクシンは2001年に政権についています)
私は海外に行くとどこの国の人ともよく話すのですが、なぜか「不良外国人」からよく声をかけられます。「不良外国人」というのは、タイにとって来てもらいたくない外国人(西洋人)、率直に言えば、仕事をするわけでもなくブラブラとし、そのうち薬物や買春に手を出すような外国人です。2002年当時、不良外国人たちはやたらとタクシンの悪口を言っていました。違法DVD(特にポルノ)が手に入らなくなった、売春施設がつぶされた、違法薬物の値段が高騰した・・・。どう考えてもタイにとってはいいことなのですが・・・。
一方、その後タイのエイズ事情を目の当たりにし、GINAを設立するに至った私はボランティアに来ている西洋人の知人が増えていきました。便宜上彼(女)らを「奉仕系外国人」とすると、奉仕系外国人もまたほとんどすべての人が反タクシンなのです。タクシンは「30バーツ医療」という、誰もが医療を受けることのできる政策をとったことで貧困層の医療機関へのアクセスは格段によくなったわけで、奉仕系外国人もそのあたりは評価しているのですが、やはり「不正や汚職は許せない」という西洋の公正感が反タクシン派となるのでしょう。
また、不良系でも奉仕系でもない、ビジネスや留学でタイに来ている日本人のほとんどの人も反タクシンであったように思います。これは、タクシンが日本嫌いであることと無関係でないでしょう。タクシン政権となってから日本企業は他の国の企業と比べて不利になったと何人かのビジネスマンから聞いたことがあります。また、これは噂ですが、ある会議でタクシンが自ら「私は日本が嫌いです」とコメントしたとも言われています。
今回の一連のデモの期間、私自身はタイには渡航していませんが、電話やメールでタイ人や西洋人から集めた情報によりますと、外国人の間にUDD(赤シャツ)を支持する声が少しずつではありますが確実に増えてきています。タクシン派となるにはいろんな経緯があるようですが、典型的パターンにこういうケースがあるそうです。
まず、イサーン人(女性)を恋人に持つ西洋人(男性)が恋人と共にデモに加わり(バンコクに出稼ぎにきているイサーン人の大半はタクシン派です)、初めは面白半分でデモに加わっただけで、デモの意味が分からなかったけれど、恋人があまりにも熱心なので関心を持つようになり、そしてタクシンのおかげで恋人の故郷が貧困から抜け出せたことや、現在のアピシット首相が選ばれたのは民主主義的でないことなどに気づき、選挙をやり直すべきだという考えに至る・・・。
アピシット首相は5月3日に下院解散総選挙を実施することを、UDD(赤シャツ)に約束したのにもかかわらず、5月12日にはこれを撤回しています。北タイとイサーン地方では圧倒的にタクシン派が優勢なのですが、これら2つの地域を合わせるとタイ人の過半数を超えます。もしも解散総選挙がおこなわれるとすると、前回と同様、タクシン派の勝利となる見込みが大きいと言えるでしょう。
私個人の意見としては、デモがこれほどまで大きくなり、多数の死傷者を出している現状を考えると、やはり解散総選挙をすべきなのではないか感じています。あるいは、後に「暗黒の5月事件」と呼ばれるようになった、1992年5月に300名以上の死者が出た事件が幕を下ろしたときのようにプミポン国王の登場を待つべきなのでしょうか・・・。
参考:GINAと共に第31回「バンコク人対イサーン人」
デモはバンコクだけでなく、北タイやイサーン地方(東北地方)にも波及しており、GINAが支援しているいくつかの施設がある県でも過激な衝突がおこっています。しかし、GINAが支援しているHIV関連の施設には、今のところ被害は出ていません。(しかし、バンコクでデモの拠点になっていたラートプラソン交差点近くのパトゥムワラナム寺院内で、5月19日に死亡が確認されたタイ人のなかには3人の医療ボランティアが含まれていたという報道もあり、そういう意味では、今後施設や寺院の中にいても、政治的に活動していないボランティアに危険が及ぶ可能性があるかもしれません)
デモ隊(UDD、赤シャツ)と政府の機動隊の衝突はエスカレートし、約90人の死者、2,000人近くの負傷者をだし、地下鉄やBTS(高架鉄道)も運行休止となりました。5月19日には、政府は非常事態宣言を発令し、ついにデモ隊の強制排除を施行しました。デモ隊(UDD)の幹部は投降し、デモ自体は一気に沈静化しましたが、デモ終息後も、夜間外出禁止令は引き続き継続しています。日本企業もオフィスを市街地から離れたところにうつしたり、社員に自宅待機を命じたり、社員の家族は帰国させたり、といった対策を講じています。
5月24日の時点では、治安は徐々に改善しているようですが、夜間外出禁止令は、時間は短縮されたものの(24日より午後11時から午前4時まで)、依然これまでの活気のある歓楽街としてのバンコクの夜には戻っていないようです。
日本人街として知られるタニヤは、今回デモの拠点となった場所から比較的近いところにあり、普段は銀座や北新地と変わらないような賑やかさをみせていますが、現在は空いている店はほとんどなくひっそりとしているそうです。タニヤの日本料理屋で夫婦で働く私の知人のタイ人に連絡をとってみたのですが、「いつ店が再開するかの目処がたたない、ヒマだ、ヒマだ・・・」と言っていました。
UDD(赤シャツ)のみならず、2008年12月にスワンナプーム空港を占拠したPAD(黄シャツ)について、そしてタクシン元首相のことについては、以前も述べましたので(下記参照)、ここでは詳しくは繰り返しませんが、その後の動きについて簡単にまとめておきたいと思います。
まずタクシン元首相は、2006年9月19日の軍事クーデターにより失脚します。タイ軍部のなかにはタクシン派、反タクシン派の双方がいますが、主流は反タクシン派だと言われています。その後タイの首相は、スラユット、サマック、ソムチャイと続きますが、彼らはいずれもタクシン派です。
このあたりを理解するのは少しむつかしいかもしれません。タクシンが軍にクーデターを起こされたのは、政治的理念が相容れなかったというよりも、タクシン個人の株式売買を巡っての不正や、過去の汚職に対する反発が強かったからということと、タクシンが国民の大半に支持されているのは明らかであり、民主党など反タクシン派の政党が小さかったため、反タクシン派の首相を新しい首相にすることは現実的ではなかったからではないかと私は考えています。
さて、首相が次々と代わってもタクシン時代と何ら変わらない政策を続けていたタイ政府に不満を募らせていたPAD(黄シャツ)は、2008年12月、ついに空港占拠という暴挙にでます。そして、この行動が結果としてPADの勝利となり、当時の首相ソムチャイは失脚し、民主党のアピシットが新たな首相となりました。
このあたりが日本人や西洋人には理解しがたいところです。タクシンが不正や汚職をはたらいたことは司法の判決に従うべきではありますが、軍によるクーデターでのタクシンの失脚や、民間の政治団体であるPAD(黄シャツ)の空港占拠でソムチャイが失脚し、新たな首相が任命される、などということは民主主義ではあり得ないこと(あってはならないこと)ではなかったでしょうか。
そもそも反タクシン派は選挙でタクシン派に勝っていないのです。2007年12月の下院選挙ではタクシン派が勝利をおさめています。なぜ、選挙で勝っていない反タクシン派が政権をとっているのかというと、それは軍の主流派、経済界の主流派、そして王族が反タクシンだからです。政権というのは民意を反映すべきであり、それが民主主義なのですが、そういう意味では、タイには本当の民主主義がないと言われても仕方がないかもしれません。
さて、多数の死傷者をだした今回のデモを通して、私がひとつ興味深く感じていることがあります。それは、過激な行動にでたUDD(赤シャツ)に対し、外国人からは非難の声が多く、これは当然なのですが、その一方で賛同する声も少しずつ増えているということです。
私はこれまで日本人を含む外国人から、タクシンを支持するという声をほとんど聞いたことがありません。私が初めてタイを訪れたのは2002年ですが、この頃はタクシンの政策によってタイが変わりつつありました。(タクシンは2001年に政権についています)
私は海外に行くとどこの国の人ともよく話すのですが、なぜか「不良外国人」からよく声をかけられます。「不良外国人」というのは、タイにとって来てもらいたくない外国人(西洋人)、率直に言えば、仕事をするわけでもなくブラブラとし、そのうち薬物や買春に手を出すような外国人です。2002年当時、不良外国人たちはやたらとタクシンの悪口を言っていました。違法DVD(特にポルノ)が手に入らなくなった、売春施設がつぶされた、違法薬物の値段が高騰した・・・。どう考えてもタイにとってはいいことなのですが・・・。
一方、その後タイのエイズ事情を目の当たりにし、GINAを設立するに至った私はボランティアに来ている西洋人の知人が増えていきました。便宜上彼(女)らを「奉仕系外国人」とすると、奉仕系外国人もまたほとんどすべての人が反タクシンなのです。タクシンは「30バーツ医療」という、誰もが医療を受けることのできる政策をとったことで貧困層の医療機関へのアクセスは格段によくなったわけで、奉仕系外国人もそのあたりは評価しているのですが、やはり「不正や汚職は許せない」という西洋の公正感が反タクシン派となるのでしょう。
また、不良系でも奉仕系でもない、ビジネスや留学でタイに来ている日本人のほとんどの人も反タクシンであったように思います。これは、タクシンが日本嫌いであることと無関係でないでしょう。タクシン政権となってから日本企業は他の国の企業と比べて不利になったと何人かのビジネスマンから聞いたことがあります。また、これは噂ですが、ある会議でタクシンが自ら「私は日本が嫌いです」とコメントしたとも言われています。
今回の一連のデモの期間、私自身はタイには渡航していませんが、電話やメールでタイ人や西洋人から集めた情報によりますと、外国人の間にUDD(赤シャツ)を支持する声が少しずつではありますが確実に増えてきています。タクシン派となるにはいろんな経緯があるようですが、典型的パターンにこういうケースがあるそうです。
まず、イサーン人(女性)を恋人に持つ西洋人(男性)が恋人と共にデモに加わり(バンコクに出稼ぎにきているイサーン人の大半はタクシン派です)、初めは面白半分でデモに加わっただけで、デモの意味が分からなかったけれど、恋人があまりにも熱心なので関心を持つようになり、そしてタクシンのおかげで恋人の故郷が貧困から抜け出せたことや、現在のアピシット首相が選ばれたのは民主主義的でないことなどに気づき、選挙をやり直すべきだという考えに至る・・・。
アピシット首相は5月3日に下院解散総選挙を実施することを、UDD(赤シャツ)に約束したのにもかかわらず、5月12日にはこれを撤回しています。北タイとイサーン地方では圧倒的にタクシン派が優勢なのですが、これら2つの地域を合わせるとタイ人の過半数を超えます。もしも解散総選挙がおこなわれるとすると、前回と同様、タクシン派の勝利となる見込みが大きいと言えるでしょう。
私個人の意見としては、デモがこれほどまで大きくなり、多数の死傷者を出している現状を考えると、やはり解散総選挙をすべきなのではないか感じています。あるいは、後に「暗黒の5月事件」と呼ばれるようになった、1992年5月に300名以上の死者が出た事件が幕を下ろしたときのようにプミポン国王の登場を待つべきなのでしょうか・・・。
参考:GINAと共に第31回「バンコク人対イサーン人」
第46回 ある慈善団体の無意味な施策(2010年4月)
「せんせー、また眠れなくなっちゃった・・・」
診察室に入ってくるなり、少し甘えたような声で不眠を訴えるのは相良美香(仮名)である。美香がこのクリニックに初めて来たのは3年前の春、そのときはまだ30代だった。たしか「風邪が治らない」というのが最初の受診目的だったはずだ。
その後、あるときは便秘、あるときは円形脱毛症、またあるときは「オリモノの臭いがおかしい」と言ってやって来た。毎週のように受診するようになったかと思えば、3ヶ月くらいばったり来なくなることもあった。
「せんせい、実はね、あたしフーゾクの仕事をしているの・・・」
美香がそう言ったのは、最初に受診してからおよそ1年が過ぎる頃だった。医師と患者の信頼関係というのは比較的すぐにできることもあれば、何年たっても壁を壊さない患者もいる。美香が僕にフーゾクの仕事をしていることを打ち明けるまでには何度も葛藤を繰り返していたのかもしれない。
「そうなんですか。いろいろと大変そうですね・・・」
僕がそう言うと、自分がフーゾクの仕事を打ち明けても一向に驚かない僕に対し美香は意外そうな顔をした。当たり前のことだが病気は患者の属性を選ばない。どのような仕事をしていようが、どのような趣味をもっていようが、お金があろうがなかろうが、病気は誰にでも訪れる可能性がある。だから医療機関にはどのような人もやってくる。有名人も来れば政治家も来る。パスポートを持っているかさえ疑わしい外国人もやって来れば、凶悪犯罪者だって来ることもある。だから、医師は目の前の患者がどんな仕事をしていてもどんな経歴があっても診療とは関係がないと考える。医療行為はあらゆる患者に平等におこなわれなければならないからだ。
僕は患者である美香に感情移入をしたわけではないし、したように見せかけたわけでもないのだが、思い切って自分の秘密を打ち明けたことで僕との距離が近づいたと感じたのであろう。これまでの生い立ちを話し出した。
美香は現在42歳。今は他人に言えないような暮らしをしているが、30代の初めあたりまでは順風満帆の人生を歩んでいたようだ。関西ではかなりの難関とされている有名私立大学を4年で卒業し、その後は都市銀行に就職。職場の同僚との社内恋愛の末、27歳で結婚。結婚後は銀行を退職し専業主婦になった。しかしタイミングが悪くその頃から景気が悪化。美香が勤務していた都市銀行も合併を余儀なくされ、美香の旦那はリストラの対象に。なんとかリストラは免れたものの社内での立場が悪くなり、そのストレスが酒と女に向かったようだ。ついに美香に暴力をふるうようになり離婚・・・。美香が33歳のときである。
その後美香は転職を繰り返したが市場は厳しかった。有名大学を卒業しているとはいえ、特に技術があるわけでもなく銀行時代にしていた仕事は実社会で役に立たない。そのうち30代後半になり、面接にさえたどり着けなくなった。そして、フーゾクの世界へ・・・。
「あれほどほしかった子供ができなかったことが今となってはせめてもの救いよ・・・」
たしかに、今小さな子供がいれば身動きがとれなくなるだろう。鹿児島の母親は5年前に父が他界してから元気をなくし、現在は寝たきりの状態だそうだ。田舎に残った妹が面倒をみてくれているのは安心できるが、近況を詳しく話せない美香は最近妹とも連絡を取らないようにしているという。離婚後は新しい恋愛相手もみつからず、心を開いて話せる友人もいない。もしかすると主治医である僕が最もホンネをさらけだせる相手なのかもしれない。
「先生、やっぱりハワイはいいよ~。先生も仕事ばっかりしてないで、たまにはハワイでのんびりしてきたら~」
2週間前にやってきた美香はこう言っていた。日本ではイヤなことばかりだけど、ハワイに行って本来の元気な自分を取り戻せた、この次ハワイに行くことを考えれば、日常で少々の辛いことがあってもお金をかせぐためにがんばれる・・・。笑顔で美香はそう話していたのだ。
しかし、2週間がたった今日、「眠れない」と言ってやってきた美香は、なんとか笑顔をつくろうとはするものの、不安と疲れが蓄積したその表情はSOSのサインを発しているようだ。
現在の美香にはそれなりのお金がある。着ている服も使っている化粧品もそれなりの高級品のようだし、実際にひとりでハワイ旅行にも行っているのだ。しかし、美香の表情からは不安が隠せない。なぜか・・・。
それは、このような生活が、お金があったとしても幸せでないことに気づいている、という話だけではない。最大の原因は、このような生活が長続きしないことを美香はよく知っているということだ。フーゾクという仕事がそれほど続けられないことにはすでに気づいているし、この仕事を隠し通したとしてもこれから恋愛や結婚ができる保証はない。今からやりがいと高収入を約束された仕事が舞い込んでくることなどあり得ない。お金がない、頼れる人がいない、将来への希望がまったくない・・・。このような現実に目を向けると眠れないのも当然なのかもしれない・・・。
長くなりましたが、これは私が過去に診察した複数の患者さんをヒントにつくりあげた架空のストーリーです。
登場人物の「美香」を不安にしているのは、現在恋人や友達がいないということもありますが、最たる原因は「将来の希望がない」ということです。将来の希望があれば少々のことではへこたれない、それが人間ではないでしょうか。
2010年4月20日のSydney Morning Herald(オーストラリアの英字新聞)に興味深い記事が掲載されました。国際的な慈善団体の「サン・ヴァンサン・ドゥ・ポール・ソサイエティ」のオーストラリア支部が、ホームレス問題を理解してもらうために、企業のトップらに6月の真冬の路上で寝てもらう企画をたてているというのです。昨年も同じ企画をおこない213人の企業のトップが集まったそうです。
この記事を読んで違和感を覚えるのは私だけでしょうか。この慈善団体はこのようなことをおこなって、企画に参加する企業のトップたちがホームレスの苦しみが理解できると考えているのでしょうか。企業のトップたちが実際に路上で寝るのは一晩だけです。朝になりその企画が終われば、暖かいマイホームに帰れることが保証されているのです。しかも、報道によりますと企画に参加する人たちは睡眠薬を準備しているそうです。睡眠薬を飲んで、わずか一泊路上で寝て、それでホームレスの人たちの気持ちが理解できると本気で考えているのでしょうか。
ホームレスの人たちは、なかには陽気な人もいるかもしれませんが、大半は苦悩と共に生きています。ある調査によればホームレスの約6割はうつ病などの精神疾患を抱えているそうです。そして、ホームレスが苦悩を抱える最大の理由は、「その日に路上で寝なければならない」ではなく「将来の希望がない」ということです。もしも、翌朝には暖かい家に帰れることが分かっているなら、どんな寒さにも絶えてその夜を"喜んで"過ごすことでしょう。
この慈善団体がこの企画をおこなうのは、「ホームレスになるのは個人ではなく社会全体の問題」と考えているからだといいます。であるならば、このような企画ではなく、「将来の希望がまったく見出せない状況に置かれたとしたら・・・」という状況を大勢の人に考えてもらう機会をつくるべきではないでしょうか。
注:上に述べた「美香」と「僕」のストーリーはフィクションであり、もしも身近に似ている境遇の人がいたとしてもそれは単なる偶然であるということをお断りしておきます。
診察室に入ってくるなり、少し甘えたような声で不眠を訴えるのは相良美香(仮名)である。美香がこのクリニックに初めて来たのは3年前の春、そのときはまだ30代だった。たしか「風邪が治らない」というのが最初の受診目的だったはずだ。
その後、あるときは便秘、あるときは円形脱毛症、またあるときは「オリモノの臭いがおかしい」と言ってやって来た。毎週のように受診するようになったかと思えば、3ヶ月くらいばったり来なくなることもあった。
「せんせい、実はね、あたしフーゾクの仕事をしているの・・・」
美香がそう言ったのは、最初に受診してからおよそ1年が過ぎる頃だった。医師と患者の信頼関係というのは比較的すぐにできることもあれば、何年たっても壁を壊さない患者もいる。美香が僕にフーゾクの仕事をしていることを打ち明けるまでには何度も葛藤を繰り返していたのかもしれない。
「そうなんですか。いろいろと大変そうですね・・・」
僕がそう言うと、自分がフーゾクの仕事を打ち明けても一向に驚かない僕に対し美香は意外そうな顔をした。当たり前のことだが病気は患者の属性を選ばない。どのような仕事をしていようが、どのような趣味をもっていようが、お金があろうがなかろうが、病気は誰にでも訪れる可能性がある。だから医療機関にはどのような人もやってくる。有名人も来れば政治家も来る。パスポートを持っているかさえ疑わしい外国人もやって来れば、凶悪犯罪者だって来ることもある。だから、医師は目の前の患者がどんな仕事をしていてもどんな経歴があっても診療とは関係がないと考える。医療行為はあらゆる患者に平等におこなわれなければならないからだ。
僕は患者である美香に感情移入をしたわけではないし、したように見せかけたわけでもないのだが、思い切って自分の秘密を打ち明けたことで僕との距離が近づいたと感じたのであろう。これまでの生い立ちを話し出した。
美香は現在42歳。今は他人に言えないような暮らしをしているが、30代の初めあたりまでは順風満帆の人生を歩んでいたようだ。関西ではかなりの難関とされている有名私立大学を4年で卒業し、その後は都市銀行に就職。職場の同僚との社内恋愛の末、27歳で結婚。結婚後は銀行を退職し専業主婦になった。しかしタイミングが悪くその頃から景気が悪化。美香が勤務していた都市銀行も合併を余儀なくされ、美香の旦那はリストラの対象に。なんとかリストラは免れたものの社内での立場が悪くなり、そのストレスが酒と女に向かったようだ。ついに美香に暴力をふるうようになり離婚・・・。美香が33歳のときである。
その後美香は転職を繰り返したが市場は厳しかった。有名大学を卒業しているとはいえ、特に技術があるわけでもなく銀行時代にしていた仕事は実社会で役に立たない。そのうち30代後半になり、面接にさえたどり着けなくなった。そして、フーゾクの世界へ・・・。
「あれほどほしかった子供ができなかったことが今となってはせめてもの救いよ・・・」
たしかに、今小さな子供がいれば身動きがとれなくなるだろう。鹿児島の母親は5年前に父が他界してから元気をなくし、現在は寝たきりの状態だそうだ。田舎に残った妹が面倒をみてくれているのは安心できるが、近況を詳しく話せない美香は最近妹とも連絡を取らないようにしているという。離婚後は新しい恋愛相手もみつからず、心を開いて話せる友人もいない。もしかすると主治医である僕が最もホンネをさらけだせる相手なのかもしれない。
「先生、やっぱりハワイはいいよ~。先生も仕事ばっかりしてないで、たまにはハワイでのんびりしてきたら~」
2週間前にやってきた美香はこう言っていた。日本ではイヤなことばかりだけど、ハワイに行って本来の元気な自分を取り戻せた、この次ハワイに行くことを考えれば、日常で少々の辛いことがあってもお金をかせぐためにがんばれる・・・。笑顔で美香はそう話していたのだ。
しかし、2週間がたった今日、「眠れない」と言ってやってきた美香は、なんとか笑顔をつくろうとはするものの、不安と疲れが蓄積したその表情はSOSのサインを発しているようだ。
現在の美香にはそれなりのお金がある。着ている服も使っている化粧品もそれなりの高級品のようだし、実際にひとりでハワイ旅行にも行っているのだ。しかし、美香の表情からは不安が隠せない。なぜか・・・。
それは、このような生活が、お金があったとしても幸せでないことに気づいている、という話だけではない。最大の原因は、このような生活が長続きしないことを美香はよく知っているということだ。フーゾクという仕事がそれほど続けられないことにはすでに気づいているし、この仕事を隠し通したとしてもこれから恋愛や結婚ができる保証はない。今からやりがいと高収入を約束された仕事が舞い込んでくることなどあり得ない。お金がない、頼れる人がいない、将来への希望がまったくない・・・。このような現実に目を向けると眠れないのも当然なのかもしれない・・・。
長くなりましたが、これは私が過去に診察した複数の患者さんをヒントにつくりあげた架空のストーリーです。
登場人物の「美香」を不安にしているのは、現在恋人や友達がいないということもありますが、最たる原因は「将来の希望がない」ということです。将来の希望があれば少々のことではへこたれない、それが人間ではないでしょうか。
2010年4月20日のSydney Morning Herald(オーストラリアの英字新聞)に興味深い記事が掲載されました。国際的な慈善団体の「サン・ヴァンサン・ドゥ・ポール・ソサイエティ」のオーストラリア支部が、ホームレス問題を理解してもらうために、企業のトップらに6月の真冬の路上で寝てもらう企画をたてているというのです。昨年も同じ企画をおこない213人の企業のトップが集まったそうです。
この記事を読んで違和感を覚えるのは私だけでしょうか。この慈善団体はこのようなことをおこなって、企画に参加する企業のトップたちがホームレスの苦しみが理解できると考えているのでしょうか。企業のトップたちが実際に路上で寝るのは一晩だけです。朝になりその企画が終われば、暖かいマイホームに帰れることが保証されているのです。しかも、報道によりますと企画に参加する人たちは睡眠薬を準備しているそうです。睡眠薬を飲んで、わずか一泊路上で寝て、それでホームレスの人たちの気持ちが理解できると本気で考えているのでしょうか。
ホームレスの人たちは、なかには陽気な人もいるかもしれませんが、大半は苦悩と共に生きています。ある調査によればホームレスの約6割はうつ病などの精神疾患を抱えているそうです。そして、ホームレスが苦悩を抱える最大の理由は、「その日に路上で寝なければならない」ではなく「将来の希望がない」ということです。もしも、翌朝には暖かい家に帰れることが分かっているなら、どんな寒さにも絶えてその夜を"喜んで"過ごすことでしょう。
この慈善団体がこの企画をおこなうのは、「ホームレスになるのは個人ではなく社会全体の問題」と考えているからだといいます。であるならば、このような企画ではなく、「将来の希望がまったく見出せない状況に置かれたとしたら・・・」という状況を大勢の人に考えてもらう機会をつくるべきではないでしょうか。
注:上に述べた「美香」と「僕」のストーリーはフィクションであり、もしも身近に似ている境遇の人がいたとしてもそれは単なる偶然であるということをお断りしておきます。
第45回 長崎のコンドーム論争(2010年3月)
「避妊用品を販売することを業とする者は、避妊用品を少年に販売し、また贈与しないよう努めるものとする」
これは、長崎県の少年保護育成条例、第9条第2項の文言です。要するに、長崎県では、未成年に対してコンドームを売ってはいけません、という規定があるのです。
コンドームを未成年に販売できないような規定がある地域など長崎県以外にはありません。長崎県の「こども未来課」によりますと、この条例は1978年に改正され、そのときに「青少年を取り巻く社会環境を向上させようと条文を盛り込んだ」そうです。
では、長崎県では実際にコンドームはどのように販売されているのでしょうか。県の「こども未来課」によれば、「未成年がこっそり買えないようにコンドームの自販機は屋内への設置が義務づけられ、またドラッグストアやコンビニなどでは、未成年の疑いがある場合には身分証の提示を求めるように指導している。市町村単位で少年補導員が巡回し、違法な自販機や販売方法がないかもチェックしている」とのことです。
県がコンドーム販売を規制する目的は、要するに未成年に性行為をさせないようにしましょう、ということです。では、実際にどうなのかといえば、考えるまでもなく、このような規制があろうがなかろうが、性交渉をもちたいと考えている未成年は性交渉をおこなうわけです。
あくまでも参考にですが、平成15年の人口妊娠中絶の実施率(15~49歳の女子人口千人に対する人数)は、全国平均が11.2なのに対し、長崎県は15.9もあります。この数字は未成年に限った数字ではありませんが、他の都道府県と比較しても、長崎県の未成年の人口妊娠中絶数が少ないわけでは決してありません。ということは、このような条例があるから、未成年の性交渉の件数が少なくなっているとはいえないわけです。
この条例が形骸無形化しているのは、このようなデータからも自明だと思われますが、条例存続を強く支持する人が多いようで、県少年保護育成審議会でも「(条例を見直せば)性非行を助長する」などといった意見が過半数を占めるそうです。
一方、このような条例はあっても意味がないどころか、条例のせいで望まない妊娠や性感染症が増える可能性もあるわけですから、条例撤廃を求める意見もあります。長崎県内の医療関係者などがつくる「性感染症予防啓発のための連絡会議」は、2005年に「性感染症が低年齢層にも広がっており、規制の撤廃を」という申し入れをおこなっています。
しかしこのような申し入れに対して、県の審議会は、条例存続を決定し続けています。何度も各団体から条例見直しの要望が相次いでいるようで、2009年の8月から再び審議がおこなわれたそうですが、いまだに条例が見直しされる見込みは立っていないようです。
さて、私個人の意見を言えば、未成年の(望まない)妊娠や性感染症が少なくとも減少はしていない状況を考えると、やはりコンドームの存在を未成年から隠すようなことはすべきでないと考えています。これだけ情報が簡単に入手できる時代では、コンドームを隠し通すことは不可能です。
しかし、その一方で、長崎県民の「(未成年にコンドームを販売できないようにして)性モラルを維持する」という考え方は嫌いではありません。というより、これだけ(性に限らず)モラルの低下した現代社会で、倫理や道徳を大切にし、全国唯一の条例を維持させようとするその県民を大切に思う気持ちに対しては敬意を払いたいと思います。
ところで、これを読まれているあなたには長崎県出身の知人がいるでしょうか。
個人的な話になりますが、私の友人、知人、親戚などで長崎県出身の人を思い出してみると、老若男女問わず、ほぼ全員が強い倫理観を持っています。そして長崎県の人は、他人、特に弱者に対して優しいのです。
もちろん、例外もありますし、そもそも私は「○○県民の人は~」という言い方が好きではないのですが、私自身の経験に照らし合わせて考えると、大枠ではこのように感じるのです。
そこで、少し長崎県について調べてみたのですが、NHK世論調査によると、「うそをつくことは許せない」「賭け事は悪いことだ」と考えている人の割合は全国平均よりかなり高いそうです。また、犯罪発生率も全国で 44位という少なさです。そういえば、沖縄では米軍キャンプの軍人による犯罪がしばしば報道されますが、同じように外国人の多い佐世保での犯罪はほとんど耳にしません。
このような長崎の県民性は、歴史的な出来事と無関係ではないでしょう。16世紀から長崎にはポルトガルやスペインの伝道師や貿易商人が訪れるようになり、カトリック系のキリスト教が人々に浸透するようになりました。
江戸時代の鎖国が実施されていたときでさえも、長崎には一部で西洋の文化が伝わっていました。その結果、カトリックがもつ倫理観や道徳観が自然なかたちで人々に浸透していったのでしょう。そして、その倫理観が今も人々の間に根強く存在しているのではないでしょうか。1921年、日本で初めて共同募金が行われたのも長崎です。
また、きちんとしたデータがあるわけではありませんが、長崎県の人は「他人の意見に左右されない」、もしくは「自分の意見をはっきり主張する」人が多いように私は感じています。そして、「議論好きで物事に筋道が通っているかどうかを重要視する」ように思います。もしかすると、このような性格もキリスト教徒の西洋人と似ているのかもしれません。
さて、コンドームの話に戻したいと思います。私は、現実をみて条例撤廃を主張する意見ももっともだと思う一方で、性モラルの低下を懸念している人たちの気持ちも尊重したいと考えています。
では、このような案はどうでしょうか。
長崎の人はキリスト教の影響かどうかはともかく、強い倫理観をもっていて論理的に物事を考え個人の意見を主張することが得意なわけです。ならば、高校生全員(もしくは+中学生)に、この条例を存続させるべきか撤廃すべきかを討論してもらうのです。この時代にコンドームの存在を知らない高校生などいませんから、「学校でコンドームの存在を生徒に話した結果、性モラルが低下して・・・」などということはあり得ないでしょう。
学校のホームルームの時間を利用して、徹底的に条例について討議をおこなうのです。そして長崎県全域の高校生(もしくは+中学生)に条例存続か撤廃かの投票をおこなってもらうのです。
これをおこなうことにより、投票の結果がどちらになったとしても、セックスのこと、妊娠のこと、性感染症のこと、あるいはHIVに関する社会的諸問題などについても各自が深く考えるようになり、その結果、人工中絶や性感染症の罹患率が減少するのではないかと私は考えています。
これは、長崎県の少年保護育成条例、第9条第2項の文言です。要するに、長崎県では、未成年に対してコンドームを売ってはいけません、という規定があるのです。
コンドームを未成年に販売できないような規定がある地域など長崎県以外にはありません。長崎県の「こども未来課」によりますと、この条例は1978年に改正され、そのときに「青少年を取り巻く社会環境を向上させようと条文を盛り込んだ」そうです。
では、長崎県では実際にコンドームはどのように販売されているのでしょうか。県の「こども未来課」によれば、「未成年がこっそり買えないようにコンドームの自販機は屋内への設置が義務づけられ、またドラッグストアやコンビニなどでは、未成年の疑いがある場合には身分証の提示を求めるように指導している。市町村単位で少年補導員が巡回し、違法な自販機や販売方法がないかもチェックしている」とのことです。
県がコンドーム販売を規制する目的は、要するに未成年に性行為をさせないようにしましょう、ということです。では、実際にどうなのかといえば、考えるまでもなく、このような規制があろうがなかろうが、性交渉をもちたいと考えている未成年は性交渉をおこなうわけです。
あくまでも参考にですが、平成15年の人口妊娠中絶の実施率(15~49歳の女子人口千人に対する人数)は、全国平均が11.2なのに対し、長崎県は15.9もあります。この数字は未成年に限った数字ではありませんが、他の都道府県と比較しても、長崎県の未成年の人口妊娠中絶数が少ないわけでは決してありません。ということは、このような条例があるから、未成年の性交渉の件数が少なくなっているとはいえないわけです。
この条例が形骸無形化しているのは、このようなデータからも自明だと思われますが、条例存続を強く支持する人が多いようで、県少年保護育成審議会でも「(条例を見直せば)性非行を助長する」などといった意見が過半数を占めるそうです。
一方、このような条例はあっても意味がないどころか、条例のせいで望まない妊娠や性感染症が増える可能性もあるわけですから、条例撤廃を求める意見もあります。長崎県内の医療関係者などがつくる「性感染症予防啓発のための連絡会議」は、2005年に「性感染症が低年齢層にも広がっており、規制の撤廃を」という申し入れをおこなっています。
しかしこのような申し入れに対して、県の審議会は、条例存続を決定し続けています。何度も各団体から条例見直しの要望が相次いでいるようで、2009年の8月から再び審議がおこなわれたそうですが、いまだに条例が見直しされる見込みは立っていないようです。
さて、私個人の意見を言えば、未成年の(望まない)妊娠や性感染症が少なくとも減少はしていない状況を考えると、やはりコンドームの存在を未成年から隠すようなことはすべきでないと考えています。これだけ情報が簡単に入手できる時代では、コンドームを隠し通すことは不可能です。
しかし、その一方で、長崎県民の「(未成年にコンドームを販売できないようにして)性モラルを維持する」という考え方は嫌いではありません。というより、これだけ(性に限らず)モラルの低下した現代社会で、倫理や道徳を大切にし、全国唯一の条例を維持させようとするその県民を大切に思う気持ちに対しては敬意を払いたいと思います。
ところで、これを読まれているあなたには長崎県出身の知人がいるでしょうか。
個人的な話になりますが、私の友人、知人、親戚などで長崎県出身の人を思い出してみると、老若男女問わず、ほぼ全員が強い倫理観を持っています。そして長崎県の人は、他人、特に弱者に対して優しいのです。
もちろん、例外もありますし、そもそも私は「○○県民の人は~」という言い方が好きではないのですが、私自身の経験に照らし合わせて考えると、大枠ではこのように感じるのです。
そこで、少し長崎県について調べてみたのですが、NHK世論調査によると、「うそをつくことは許せない」「賭け事は悪いことだ」と考えている人の割合は全国平均よりかなり高いそうです。また、犯罪発生率も全国で 44位という少なさです。そういえば、沖縄では米軍キャンプの軍人による犯罪がしばしば報道されますが、同じように外国人の多い佐世保での犯罪はほとんど耳にしません。
このような長崎の県民性は、歴史的な出来事と無関係ではないでしょう。16世紀から長崎にはポルトガルやスペインの伝道師や貿易商人が訪れるようになり、カトリック系のキリスト教が人々に浸透するようになりました。
江戸時代の鎖国が実施されていたときでさえも、長崎には一部で西洋の文化が伝わっていました。その結果、カトリックがもつ倫理観や道徳観が自然なかたちで人々に浸透していったのでしょう。そして、その倫理観が今も人々の間に根強く存在しているのではないでしょうか。1921年、日本で初めて共同募金が行われたのも長崎です。
また、きちんとしたデータがあるわけではありませんが、長崎県の人は「他人の意見に左右されない」、もしくは「自分の意見をはっきり主張する」人が多いように私は感じています。そして、「議論好きで物事に筋道が通っているかどうかを重要視する」ように思います。もしかすると、このような性格もキリスト教徒の西洋人と似ているのかもしれません。
さて、コンドームの話に戻したいと思います。私は、現実をみて条例撤廃を主張する意見ももっともだと思う一方で、性モラルの低下を懸念している人たちの気持ちも尊重したいと考えています。
では、このような案はどうでしょうか。
長崎の人はキリスト教の影響かどうかはともかく、強い倫理観をもっていて論理的に物事を考え個人の意見を主張することが得意なわけです。ならば、高校生全員(もしくは+中学生)に、この条例を存続させるべきか撤廃すべきかを討論してもらうのです。この時代にコンドームの存在を知らない高校生などいませんから、「学校でコンドームの存在を生徒に話した結果、性モラルが低下して・・・」などということはあり得ないでしょう。
学校のホームルームの時間を利用して、徹底的に条例について討議をおこなうのです。そして長崎県全域の高校生(もしくは+中学生)に条例存続か撤廃かの投票をおこなってもらうのです。
これをおこなうことにより、投票の結果がどちらになったとしても、セックスのこと、妊娠のこと、性感染症のこと、あるいはHIVに関する社会的諸問題などについても各自が深く考えるようになり、その結果、人工中絶や性感染症の罹患率が減少するのではないかと私は考えています。