GINAと共に
第34回 カリフォルニアは大麻天国?!(2009年4月)
昨年(2008年)秋ごろから、日本全国で、大麻取締法で逮捕という事件が増えてきています。いっときのように芸能人や有名人の逮捕報道は少し減少したように思われますが、代わって大量販売や栽培のニュースが増えてきているように感じます。
今月(2009年4月)には、大阪市住之江区の住宅ビルの一棟が「大麻製造工場」として機能しており、大量の大麻が栽培されていたことが大阪府警薬物対策課によってあきらかとなりました。この「工場」では末端価格で5億円もの大麻が栽培されていたそうです。(報道は2009年4月7日の日経新聞)
群馬県では、ベトナム人3人が住宅街の木造二階建住宅で鉢植えの大麻草約160本を栽培していたことが群馬県警の調査で発覚しました。このベトナム人らは木造の民家に通常より太い電気配線を引き込んでいたことが発覚のきっかけになっています。大麻を栽培するには適切な光、温度、水などが必要になりますから、家庭用の40から50アンペア程度の配線では充分でなく、そのため240アンペアに対応できる配線工事をしていたそうです。(報道は4月18日の読売新聞)
さて、大麻は依存性は強くないものの、違法薬物の入り口となることが多く、大麻をきっかけに覚醒剤(もしくは麻薬)の使用、初めはアブリ、その後静脈注射、HIVを含む感染症のリスク、という話はこのウェブサイトでも何度もおこなってきました。私なりに大麻はキケンということを訴えてきたつもりですが、最近この私の考えにまったく矛盾する社会状況になりつつある地域があります。
それは、カリフォルニアです。
2009年4月12日のWashington Postによりますと、現在、カリフォルニア州では「医療用大麻」が、なんとほとんど誰でも簡単に入手できるようなのです!
「医療用大麻」について解説しておきます。大麻はいくらかのリラックス(鎮静)作用があります。痛みのある患者さんに対しては鎮痛作用もあると言われています。またジャンキーたちがよく言うように、大麻が食欲を亢進させるのは事実です。ですから、食欲不振や嘔気(吐き気)のある人が大麻を吸入すれば食欲がでてくることがあります。
したがって、例えば、ガンの末期で痛みがありご飯が食べられないような状況であったり、エイズの症状を発症しているような状態であったりすれば、大麻にはいくらかの症状改善を期待できると思われます。実際、ガンやエイズの末期に大麻を使用するという治療は、異論はあるものの世界のいくつかの地域でおこなわれています。
ところが、今回Washington Postが取り上げているカリフォルニアの現実は、一応は「医療用大麻」となっていますが、記事をよく読めば、"ほとんど誰でも簡単に入手"できることがわかります。
記事によりますと、カリフォルニアに住民票があり21歳以上であれば、医者を受診し150ドル(約1万5千円)を払って「医師の推薦状(physician's recommendation)」をもらうことができます。後は薬局で大麻を購入するのみです。
医者を受診するのに、ガンやエイズを患っている必要はありません。眠れない、食欲がない、背中が痛い、ひざが痛い、・・・、そのような理由で医師は推薦状を書いてくれるというのです。
薬局も大麻の調剤を収入源にしているようです。「LA Journal of Education for Medical Marijuana(医療用大麻の教育雑誌)」というタブロイド紙には、カリフォルニアで営業する400以上の薬局が扱っている「マジック・パープル」や「ストロベリー・カフ」、その他の商品の広告が、多くのページに掲載されているそうです。
この記事を読んでぞっとしたのは私だけでしょうか。大麻の種類に「マジック・パープル」とか「ストロベリー・カフ」という親しみやすい名前が付けられ、タブロイド紙に広告が載せられているというのです。これではまるで新しく発売されたチョコレートのような扱いではないですか!
周知のようにアメリカ合衆国という国は連邦制をとっています。連邦法もありますし、それぞれの州にも州法という法律があります。大麻に関しては、カリフォルニア州法に従って合法的に(医療用)大麻を所持できたとしても、連邦法では所持すること自体が禁止されていますから違法になります。ところが、Washington Postによりますと、今後DEA(米連邦麻薬取締局)は、(医療用)大麻に対して強制捜査をおこなわないそうです。
カリフォルニア州がここまで大麻を受容するようになったのはなぜでしょうか。記事によりますと、ひとつには同州の財政の問題があります。関係者によりますと、カリフォルニア州全体での大麻のマーケットは140億ドル(約1兆4千億円)あり、現在1千8百万ドル(約18億円)の税収入があり、今後13億ドル(約1,300億円)にもなる見込みがあるそうです。
ここまでくれば行政が積極的に大麻の使用を促しているようにすら感じられます。一方で、日本を含めたほとんどの国では大麻は違法なのです。オランダやインドの一部の州で大麻が合法なのは、昔からよく知られていたことでありますが、それらの地域は"例外"とみなされていると思われます。
しかし、カリフォルニア州でもこのように事実上ほとんど誰もが大麻を入手できるようになったのであれば、大麻は本当に使用すべきでないのか、あるいは使用してもいいのか、について改めて議論すべきではないでしょうか。
私自身の個人的意見としては大麻に反対ですが、その最大の理由は「他の危険な違法薬物の入り口となることが多いから」というものです。しかし、実際には、他の危険な違法薬物に手を出すことなく"上手に"大麻と付き合っている人が少なくないのも事実です。
このWashington Postの記事によりますと、アメリカでは1億人以上が生涯のうちに一度は大麻を経験し、2,500万人は過去1年以内に使用しているそうです。ということは、(アメリカの人口は約3億1千万人ですから)、全人口の3人に1人が生涯で一度は大麻を使用し、12人に1人は過去1年以内に使用していることになります。
大麻を禁じている法律は世界中でいくつもありますが、実際には多くの人が大麻を使用しているのが現実で、国や地域によっては堂々と使用できるというわけです。
いったい大麻はどれだけ医学的に有益性があるのか、また大麻を使用することによって健康被害はどれくらい起こりうるのか、依存性や中毒性については実際のところどうなのか、もしも一定のルールの下で使用可能とするのであれば、適正な使用量はどれくらいなのか、医療用として使う場合、適応となる症状や疾病はどのようにすべきなのか、「眠れない」「嘔気がする」といった確認しようのない症状を訴えた症例に対して全例処方すべきなのか、健康保険は使用可能とすべきなのか、健康保険が使えたとしても使えなかったとしても適正価格というのはどれくらいなのか、その他起こりうる問題としてどのようなことが想定されるのか、・・・。
我々は、このようなことを世界規模で検討すべき地点にまで来ているのではないでしょうか・・・。
参考:
GINAと共に 第29回(2008年11月)「大麻の危険性とマスコミの責任」
GINAと共に目次へ
今月(2009年4月)には、大阪市住之江区の住宅ビルの一棟が「大麻製造工場」として機能しており、大量の大麻が栽培されていたことが大阪府警薬物対策課によってあきらかとなりました。この「工場」では末端価格で5億円もの大麻が栽培されていたそうです。(報道は2009年4月7日の日経新聞)
群馬県では、ベトナム人3人が住宅街の木造二階建住宅で鉢植えの大麻草約160本を栽培していたことが群馬県警の調査で発覚しました。このベトナム人らは木造の民家に通常より太い電気配線を引き込んでいたことが発覚のきっかけになっています。大麻を栽培するには適切な光、温度、水などが必要になりますから、家庭用の40から50アンペア程度の配線では充分でなく、そのため240アンペアに対応できる配線工事をしていたそうです。(報道は4月18日の読売新聞)
さて、大麻は依存性は強くないものの、違法薬物の入り口となることが多く、大麻をきっかけに覚醒剤(もしくは麻薬)の使用、初めはアブリ、その後静脈注射、HIVを含む感染症のリスク、という話はこのウェブサイトでも何度もおこなってきました。私なりに大麻はキケンということを訴えてきたつもりですが、最近この私の考えにまったく矛盾する社会状況になりつつある地域があります。
それは、カリフォルニアです。
2009年4月12日のWashington Postによりますと、現在、カリフォルニア州では「医療用大麻」が、なんとほとんど誰でも簡単に入手できるようなのです!
「医療用大麻」について解説しておきます。大麻はいくらかのリラックス(鎮静)作用があります。痛みのある患者さんに対しては鎮痛作用もあると言われています。またジャンキーたちがよく言うように、大麻が食欲を亢進させるのは事実です。ですから、食欲不振や嘔気(吐き気)のある人が大麻を吸入すれば食欲がでてくることがあります。
したがって、例えば、ガンの末期で痛みがありご飯が食べられないような状況であったり、エイズの症状を発症しているような状態であったりすれば、大麻にはいくらかの症状改善を期待できると思われます。実際、ガンやエイズの末期に大麻を使用するという治療は、異論はあるものの世界のいくつかの地域でおこなわれています。
ところが、今回Washington Postが取り上げているカリフォルニアの現実は、一応は「医療用大麻」となっていますが、記事をよく読めば、"ほとんど誰でも簡単に入手"できることがわかります。
記事によりますと、カリフォルニアに住民票があり21歳以上であれば、医者を受診し150ドル(約1万5千円)を払って「医師の推薦状(physician's recommendation)」をもらうことができます。後は薬局で大麻を購入するのみです。
医者を受診するのに、ガンやエイズを患っている必要はありません。眠れない、食欲がない、背中が痛い、ひざが痛い、・・・、そのような理由で医師は推薦状を書いてくれるというのです。
薬局も大麻の調剤を収入源にしているようです。「LA Journal of Education for Medical Marijuana(医療用大麻の教育雑誌)」というタブロイド紙には、カリフォルニアで営業する400以上の薬局が扱っている「マジック・パープル」や「ストロベリー・カフ」、その他の商品の広告が、多くのページに掲載されているそうです。
この記事を読んでぞっとしたのは私だけでしょうか。大麻の種類に「マジック・パープル」とか「ストロベリー・カフ」という親しみやすい名前が付けられ、タブロイド紙に広告が載せられているというのです。これではまるで新しく発売されたチョコレートのような扱いではないですか!
周知のようにアメリカ合衆国という国は連邦制をとっています。連邦法もありますし、それぞれの州にも州法という法律があります。大麻に関しては、カリフォルニア州法に従って合法的に(医療用)大麻を所持できたとしても、連邦法では所持すること自体が禁止されていますから違法になります。ところが、Washington Postによりますと、今後DEA(米連邦麻薬取締局)は、(医療用)大麻に対して強制捜査をおこなわないそうです。
カリフォルニア州がここまで大麻を受容するようになったのはなぜでしょうか。記事によりますと、ひとつには同州の財政の問題があります。関係者によりますと、カリフォルニア州全体での大麻のマーケットは140億ドル(約1兆4千億円)あり、現在1千8百万ドル(約18億円)の税収入があり、今後13億ドル(約1,300億円)にもなる見込みがあるそうです。
ここまでくれば行政が積極的に大麻の使用を促しているようにすら感じられます。一方で、日本を含めたほとんどの国では大麻は違法なのです。オランダやインドの一部の州で大麻が合法なのは、昔からよく知られていたことでありますが、それらの地域は"例外"とみなされていると思われます。
しかし、カリフォルニア州でもこのように事実上ほとんど誰もが大麻を入手できるようになったのであれば、大麻は本当に使用すべきでないのか、あるいは使用してもいいのか、について改めて議論すべきではないでしょうか。
私自身の個人的意見としては大麻に反対ですが、その最大の理由は「他の危険な違法薬物の入り口となることが多いから」というものです。しかし、実際には、他の危険な違法薬物に手を出すことなく"上手に"大麻と付き合っている人が少なくないのも事実です。
このWashington Postの記事によりますと、アメリカでは1億人以上が生涯のうちに一度は大麻を経験し、2,500万人は過去1年以内に使用しているそうです。ということは、(アメリカの人口は約3億1千万人ですから)、全人口の3人に1人が生涯で一度は大麻を使用し、12人に1人は過去1年以内に使用していることになります。
大麻を禁じている法律は世界中でいくつもありますが、実際には多くの人が大麻を使用しているのが現実で、国や地域によっては堂々と使用できるというわけです。
いったい大麻はどれだけ医学的に有益性があるのか、また大麻を使用することによって健康被害はどれくらい起こりうるのか、依存性や中毒性については実際のところどうなのか、もしも一定のルールの下で使用可能とするのであれば、適正な使用量はどれくらいなのか、医療用として使う場合、適応となる症状や疾病はどのようにすべきなのか、「眠れない」「嘔気がする」といった確認しようのない症状を訴えた症例に対して全例処方すべきなのか、健康保険は使用可能とすべきなのか、健康保険が使えたとしても使えなかったとしても適正価格というのはどれくらいなのか、その他起こりうる問題としてどのようなことが想定されるのか、・・・。
我々は、このようなことを世界規模で検討すべき地点にまで来ているのではないでしょうか・・・。
参考:
GINAと共に 第29回(2008年11月)「大麻の危険性とマスコミの責任」
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第33回 私に余生はない・・・(2009年3月)
現在GINAが支援しているひとつに、タイのパヤオ県にあるエイズ患者・孤児のグループがあります。GINAの支援先は、エイズ患者さんが収容されている施設であることがほとんどなのですが、パヤオ県のHIV陽性者に関しては、施設を支援しているわけではありません。
この地域にはエイズ患者・孤児を収容している施設というのは(私の知る限りは)なくて、地域でエイズ患者・孤児を支えています。
そして、そういったエイズ患者・孤児を現地で支援している人たちのなかでリーダー的存在なのが、日本人である谷口巳三郎先生(以下、巳三郎先生)なのです。
巳三郎先生については、このウェブサイトの他のところでも紹介していますが、もう一度どのような先生なのかについてお話したいと思います。
巳三郎先生は、1923年熊本県の生まれです(今年86歳になられます)。戦中は学徒動員でジャワ戦線にも行かれたそうです。特攻隊に選ばれながらも出撃の機会がないまま終戦となりましたが、同胞が次々と死んでいったのを目の当たりにされたと言います。
戦後、鹿児島大学農学部を卒業され、県庁や熊本県立農業大学校などで農業に従事されてきました。60歳の定年退職後、単身でタイに渡られ北部のパヤオ県で、現地の人々に農業の指導をおこないました。
巳三郎先生も、最初は数年間の農業技術の指導をすれば、あとは現地の人たちだけでやっていけるだろうと考えられていたそうです。ところが、現在でも、まだ現地の人だけでは農産物の生産を維持していくのは困難で巳三郎先生の指導が必要とされています。
巳三郎先生が関わったのは、農業だけにとどまりませんでした。この地域には社会的に様々な問題があります。パヤオ県の北部には山岳民族が住んでいますが、山岳民族はタイ国籍をもっていません。そして貧困という問題があります。また、貧困にあえいでいるのは山岳民族だけではありません。タイ国籍を持っているパヤオ県の県民も、ほとんどの人は貧しい生活を強いられています。タイは地理的に南北に長い土地ですが、パヤオ県のある北部は土地が貧しく、農作物がまともに育たないのです。(だからこそ、巳三郎先生の農業指導が必要なのです)
貧困が深刻化するとどうなるか・・・。パヤオ県は地理的にゴールデントライアングル(世界的な麻薬の産地)のすぐ近くです。貧困にあえいだ若者は、違法薬物の生産・販売に手を染め出します。女性はどうしたか・・・。バンコクやプーケットといった都心部に売春をしにいきます。
その結果、薬物の静脈注射か売買春、あるいはその両方でHIVに感染する人が急増しました。都心に売春婦として出稼ぎにいった妻からその夫に感染するケース、HIVに感染していることを知らずに出産し生まれてきた赤ちゃんがすでにHIV陽性だったというケースなどは、この地域では枚挙に暇がありません。実際、人口あたりのHIV陽性者の数は、パヤオ県は全国一なのです。
さて、今でこそ少しはましになっていますが、90年代の半ばはエイズとは偏見に満ちた病気でした。感染者は家族から追い出されたり、地域社会にいられなかったりといった事態になり生活ができなくなってしまいます。行き場を失くした感染者たちは、巳三郎先生を頼ることになりました。
頼まれると放っておけない巳三郎先生は、HIV陽性者のために立ち上がります。農作物を無償で与え、仕事ができる程度の体力が残っている人たちには農業を教えたり、女性であれば日本からミシンを輸入し裁縫の指導をしたりしました。(日本で中古ミシンを集め巳三郎先生に送るプロジェクトを担ったのは、熊本から巳三郎先生の活躍を支えている奥様の恭子先生です)
GINAは、こういった巳三郎先生のHIV陽性者への取り組みに感銘を受け、巳三郎先生を通してこの地域のHIV陽性者を支援することになりました。また、タイ人のなかにも、地域のHIV陽性者やエイズ孤児を支援したいと考える人もいます。最近では、そういった支援活動をしているタイ人に対してもGINAは支援を開始しています。
さて、その巳三郎先生が今月(2009年3月)一時的に日本に帰国されました。大変多忙な方ですから、帰国時はいつも全国各地からひっぱりだことなります。講演をされたり、様々な人と会われたりと、休んでいる時間がないほどです。今回の帰国では、西日本国際財団という財団法人から、「西日本国際財団アジア貢献賞10周年記念特別賞」という賞も授与されています。
そんな忙しいスケジュールのなか、巳三郎先生は大阪まで来られ私に会っていただきました。お話する時間は1時間程度でしたが、最近のパヤオのHIVに関する様々なお話を聞くことができました。
巳三郎先生によりますと、最近のパヤオのHIV情勢は、一般的なマスコミの報道とは異なり、感染者は減っていないどころかむしろ増えているような印象があるそうです。というのも、巳三郎先生は、今でも週に2回、HIV陽性者のために農作物を無償で供給されていますが、その農作物を受け取るHIV陽性者の人数が増加しているそうなのです。
巳三郎先生は、これまで感染に気づいていなかった人がエイズを発症して初めてHIV陽性であることが判ったというケースがこの地域は依然多く、発表されている人数よりもかなり多くのHIV陽性者がいることを確信していると言われます。
また、抗HIV薬は以前に比べると広く行き渡るようになっているそうですが、例えば、支給された薬で副作用が出てそれ以上使えなくなると、もうお手上げとなることが多いそうです。(日本なら当然別の抗HIV薬を使うことになります)
また、抗HIV薬が支給されたとしても、エイズに伴う様々な症状に使用する薬は簡単には手に入りません。(お金があればもちろん買えますが、先にも述べたようにこの地域はタイのなかでも最貧県のひとつです)
巳三郎先生は今年86歳です。86歳というと、普通は仕事をリタイヤして自分の好きなことをゆっくりとおこなってもいいはずです。ほとんどの人は「余生を楽しむ」ことを考えるのではないでしょうか。
けれども、巳三郎先生は違います。『九州流』という西日本タウン銀行が発行している雑誌のインタビューで巳三郎先生はこのように答えています。
私に余生はない。いつも人生の最前線。死ぬ時が最も輝いているというのが理想です・・・。
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この地域にはエイズ患者・孤児を収容している施設というのは(私の知る限りは)なくて、地域でエイズ患者・孤児を支えています。
そして、そういったエイズ患者・孤児を現地で支援している人たちのなかでリーダー的存在なのが、日本人である谷口巳三郎先生(以下、巳三郎先生)なのです。
巳三郎先生については、このウェブサイトの他のところでも紹介していますが、もう一度どのような先生なのかについてお話したいと思います。
巳三郎先生は、1923年熊本県の生まれです(今年86歳になられます)。戦中は学徒動員でジャワ戦線にも行かれたそうです。特攻隊に選ばれながらも出撃の機会がないまま終戦となりましたが、同胞が次々と死んでいったのを目の当たりにされたと言います。
戦後、鹿児島大学農学部を卒業され、県庁や熊本県立農業大学校などで農業に従事されてきました。60歳の定年退職後、単身でタイに渡られ北部のパヤオ県で、現地の人々に農業の指導をおこないました。
巳三郎先生も、最初は数年間の農業技術の指導をすれば、あとは現地の人たちだけでやっていけるだろうと考えられていたそうです。ところが、現在でも、まだ現地の人だけでは農産物の生産を維持していくのは困難で巳三郎先生の指導が必要とされています。
巳三郎先生が関わったのは、農業だけにとどまりませんでした。この地域には社会的に様々な問題があります。パヤオ県の北部には山岳民族が住んでいますが、山岳民族はタイ国籍をもっていません。そして貧困という問題があります。また、貧困にあえいでいるのは山岳民族だけではありません。タイ国籍を持っているパヤオ県の県民も、ほとんどの人は貧しい生活を強いられています。タイは地理的に南北に長い土地ですが、パヤオ県のある北部は土地が貧しく、農作物がまともに育たないのです。(だからこそ、巳三郎先生の農業指導が必要なのです)
貧困が深刻化するとどうなるか・・・。パヤオ県は地理的にゴールデントライアングル(世界的な麻薬の産地)のすぐ近くです。貧困にあえいだ若者は、違法薬物の生産・販売に手を染め出します。女性はどうしたか・・・。バンコクやプーケットといった都心部に売春をしにいきます。
その結果、薬物の静脈注射か売買春、あるいはその両方でHIVに感染する人が急増しました。都心に売春婦として出稼ぎにいった妻からその夫に感染するケース、HIVに感染していることを知らずに出産し生まれてきた赤ちゃんがすでにHIV陽性だったというケースなどは、この地域では枚挙に暇がありません。実際、人口あたりのHIV陽性者の数は、パヤオ県は全国一なのです。
さて、今でこそ少しはましになっていますが、90年代の半ばはエイズとは偏見に満ちた病気でした。感染者は家族から追い出されたり、地域社会にいられなかったりといった事態になり生活ができなくなってしまいます。行き場を失くした感染者たちは、巳三郎先生を頼ることになりました。
頼まれると放っておけない巳三郎先生は、HIV陽性者のために立ち上がります。農作物を無償で与え、仕事ができる程度の体力が残っている人たちには農業を教えたり、女性であれば日本からミシンを輸入し裁縫の指導をしたりしました。(日本で中古ミシンを集め巳三郎先生に送るプロジェクトを担ったのは、熊本から巳三郎先生の活躍を支えている奥様の恭子先生です)
GINAは、こういった巳三郎先生のHIV陽性者への取り組みに感銘を受け、巳三郎先生を通してこの地域のHIV陽性者を支援することになりました。また、タイ人のなかにも、地域のHIV陽性者やエイズ孤児を支援したいと考える人もいます。最近では、そういった支援活動をしているタイ人に対してもGINAは支援を開始しています。
さて、その巳三郎先生が今月(2009年3月)一時的に日本に帰国されました。大変多忙な方ですから、帰国時はいつも全国各地からひっぱりだことなります。講演をされたり、様々な人と会われたりと、休んでいる時間がないほどです。今回の帰国では、西日本国際財団という財団法人から、「西日本国際財団アジア貢献賞10周年記念特別賞」という賞も授与されています。
そんな忙しいスケジュールのなか、巳三郎先生は大阪まで来られ私に会っていただきました。お話する時間は1時間程度でしたが、最近のパヤオのHIVに関する様々なお話を聞くことができました。
巳三郎先生によりますと、最近のパヤオのHIV情勢は、一般的なマスコミの報道とは異なり、感染者は減っていないどころかむしろ増えているような印象があるそうです。というのも、巳三郎先生は、今でも週に2回、HIV陽性者のために農作物を無償で供給されていますが、その農作物を受け取るHIV陽性者の人数が増加しているそうなのです。
巳三郎先生は、これまで感染に気づいていなかった人がエイズを発症して初めてHIV陽性であることが判ったというケースがこの地域は依然多く、発表されている人数よりもかなり多くのHIV陽性者がいることを確信していると言われます。
また、抗HIV薬は以前に比べると広く行き渡るようになっているそうですが、例えば、支給された薬で副作用が出てそれ以上使えなくなると、もうお手上げとなることが多いそうです。(日本なら当然別の抗HIV薬を使うことになります)
また、抗HIV薬が支給されたとしても、エイズに伴う様々な症状に使用する薬は簡単には手に入りません。(お金があればもちろん買えますが、先にも述べたようにこの地域はタイのなかでも最貧県のひとつです)
巳三郎先生は今年86歳です。86歳というと、普通は仕事をリタイヤして自分の好きなことをゆっくりとおこなってもいいはずです。ほとんどの人は「余生を楽しむ」ことを考えるのではないでしょうか。
けれども、巳三郎先生は違います。『九州流』という西日本タウン銀行が発行している雑誌のインタビューで巳三郎先生はこのように答えています。
私に余生はない。いつも人生の最前線。死ぬ時が最も輝いているというのが理想です・・・。
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第32回 2009年のタイのHIVとGINA(2009年2月)
タイ国内で今年新たにHIVに感染するタイ人は11,700人になることが予想される・・
これは、タイ保健省が2009年2月11日に発表した数字で、翌日のBangkok Postが報じています。タイでは、これまでに1,127,168人のHIV感染が報告されていて、613,510人がすでに死亡しています。生存しているのは516,630人とされています。
これらの数字を並べられても、実感としてはなかなか分かりづらいですから、今回は日本との比較で考えてみましょう。
日本のHIV陽性者はおよそ1万5千人で、新規感染はだいたい1,500人です。日本の人口は約1億2千万人ですから、国民1万人に1.25人の割合でHIV陽性の人がいることになります。甲子園球場が満員になるとだいたい5万人ですから、満員の甲子園球場に6人ちょっとHIV陽性の人がいることになります。
一方、タイの人口は日本の半分の約6千万人です。現在約52万人のHIV陽性の人がいるとして、およそ100人にひとりがHIV陽性ということになります。満員の甲子園球場に例えると、およそ600人がHIV陽性となります。タイは、一応は「HIV減少に成功した国」ということに世界的にはなっていますが、現在もこれだけの人がHIV陽性であるわけです。甲子園球場の例でいえば日本のおよそ100倍ということになります。
2009年の新規感染の予想が11,700人ということですが、これは、一応は減少傾向にあります。ここ数年の新規感染を振り返ってみると、2005年が約17,000人、2006年が約15,000人、2007年は約14,000人と次第に減少していることが分かります。(2008年の公式データは現在調査中ですが現時点で信憑性の高いものは見つかっていません・・・)
さて、新規感染について検討するときは数字だけをみていては実態がつかめません。その内容が大切です。
タイでは、ここ数年、新規感染で最も多いのは「恋人から感染する女性」です。これには「夫から感染する妻」も含まれます。次いで多いのが(危険な性感染をおこなう)男性同性愛者です。
今回の保健省の発表によりますと、セックスワーカーから感染する男性がさらに妻に感染させるケースが多く、売春産業が依然盛んであることが問題視されています。また金銭の伴わないカジュアルセックスでのHIV感染も増加傾向にあることが指摘されています。
カジュアルセックスと売春について、もう少し掘り下げて考えてみましょう。
現在タイのエイズ予防委員会の議長は、「Mr.コンドーム」の異名をもつミーチャイ氏です。(氏は90年代初頭にコンドームを普及させたことで有名です) そのミーチャイ氏によりますと、新たにセックスワークを始める女性の平均年齢は16歳で、全体の44%は生徒です。
また、ミーチャイ氏は、セックスワークだけでなく、若い世代がカジュアルセックスをおこなっていることに懸念を示しています。そして、若い世代の間で性感染症が増加していることを最も深刻な課題(gravest concern)と述べています。
ミーチャイ氏によりますと、2007年のデータでは、何らかの性感染症に罹患した人の32%が若い世代であり、その最大の理由が「コンドームを用いないこと」です。実際、タイの若い世代の間では、実に5人に1人しかコンドームを常には使用していないというデータがあります。また、HIV関連のある組織が昨年(2008年)12月におこなった調査によると、若い世代の69%がコンドームを用いない性交渉をしています。
さて、HIV/AIDSの対策についてみていきましょう。
現在、タイの保健省はHIV/AIDS対策として3つのポリシーを掲げています。1つは、2011年までに新規感染を大幅に減らすこと(数値目標は報道されていません)、2つめは、国民全員がHIVの治療を受けられるようにすること、そして3つめが、感染者と家族の80%以上が社会福祉を受けられること、です。
2つめの「国民全員がHIVの治療を受けられるように」について考えてみましょう。タイ国民健康安全委員会(National Health Security Office)の関係者によると、昨年は151,900人のHIV陽性者がHIVの治療を受けることができたそうです。
一般に、HIVは感染しても数年間は投薬が必要ありません。HIVに感染していないときとなんら変わりなく生活することができます。ですから、この151,900人という数字からは、「治療が必要な人のどれだけが治療を受けることができているのか」は分かりません。GINAとつながりのあるタイ人もしくは現地の日本人から伝わってくる情報によりますと、全体では以前に比べてかなり治療を受けることのできる割合が増えているそうです。
ただ、必ずしもそうではないという声もあります。
例えば、タイのあるエイズ関連施設に携わっている人は次のように言います。
「最近は、タイでもエイズの治療が誰でも受けられるかのような報道もありますが、必ずしもそうではありません。北部の山岳民族やミャンマーやラオスからの移住者は治療を受けられませんし、タイの国籍を持っている人だって、身寄りがなかったり行政と交渉する力がなかったりすればまともな医療を受けられていないのです」
最近は、エイズに関する偏見や差別は減少してきていますから、地域社会からHIV陽性者が追い出されるという事態は随分減ってきています。ですから、HIV陽性者を支える家族がいて地域社会に理解があれば、治療を受けることはかなりの確率で可能となってきています。(ただし、タイで一般的に使用される抗HIV薬は少し前のものが多く、日本を含めた先進国で使用されている新しい薬剤が安く買えるわけではありません)
しかしながら、この関係者が言うように、身寄りのない者やタイ国籍を持っていない人にとっては、治療に必要な薬を入手するのがかなり困難なのです。
それに、薬があればいいというわけではありません。抗HIV薬が必要となっている人の何割かは、身体や精神の不調を訴えることがしばしばあります。社会的な様々なトラブルも耐えません。そんなとき、誰がどのようにサポートするんだ、という問題があります。
2009年のGINAは、新聞報道からは見えてこないタイのHIV陽性者の苦悩に取り組んでいきたいと考えています。ミッション・ステイトメントにもあるように、「草の根レベル(grass roots)の支援」を徹底するつもりです。
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これは、タイ保健省が2009年2月11日に発表した数字で、翌日のBangkok Postが報じています。タイでは、これまでに1,127,168人のHIV感染が報告されていて、613,510人がすでに死亡しています。生存しているのは516,630人とされています。
これらの数字を並べられても、実感としてはなかなか分かりづらいですから、今回は日本との比較で考えてみましょう。
日本のHIV陽性者はおよそ1万5千人で、新規感染はだいたい1,500人です。日本の人口は約1億2千万人ですから、国民1万人に1.25人の割合でHIV陽性の人がいることになります。甲子園球場が満員になるとだいたい5万人ですから、満員の甲子園球場に6人ちょっとHIV陽性の人がいることになります。
一方、タイの人口は日本の半分の約6千万人です。現在約52万人のHIV陽性の人がいるとして、およそ100人にひとりがHIV陽性ということになります。満員の甲子園球場に例えると、およそ600人がHIV陽性となります。タイは、一応は「HIV減少に成功した国」ということに世界的にはなっていますが、現在もこれだけの人がHIV陽性であるわけです。甲子園球場の例でいえば日本のおよそ100倍ということになります。
2009年の新規感染の予想が11,700人ということですが、これは、一応は減少傾向にあります。ここ数年の新規感染を振り返ってみると、2005年が約17,000人、2006年が約15,000人、2007年は約14,000人と次第に減少していることが分かります。(2008年の公式データは現在調査中ですが現時点で信憑性の高いものは見つかっていません・・・)
さて、新規感染について検討するときは数字だけをみていては実態がつかめません。その内容が大切です。
タイでは、ここ数年、新規感染で最も多いのは「恋人から感染する女性」です。これには「夫から感染する妻」も含まれます。次いで多いのが(危険な性感染をおこなう)男性同性愛者です。
今回の保健省の発表によりますと、セックスワーカーから感染する男性がさらに妻に感染させるケースが多く、売春産業が依然盛んであることが問題視されています。また金銭の伴わないカジュアルセックスでのHIV感染も増加傾向にあることが指摘されています。
カジュアルセックスと売春について、もう少し掘り下げて考えてみましょう。
現在タイのエイズ予防委員会の議長は、「Mr.コンドーム」の異名をもつミーチャイ氏です。(氏は90年代初頭にコンドームを普及させたことで有名です) そのミーチャイ氏によりますと、新たにセックスワークを始める女性の平均年齢は16歳で、全体の44%は生徒です。
また、ミーチャイ氏は、セックスワークだけでなく、若い世代がカジュアルセックスをおこなっていることに懸念を示しています。そして、若い世代の間で性感染症が増加していることを最も深刻な課題(gravest concern)と述べています。
ミーチャイ氏によりますと、2007年のデータでは、何らかの性感染症に罹患した人の32%が若い世代であり、その最大の理由が「コンドームを用いないこと」です。実際、タイの若い世代の間では、実に5人に1人しかコンドームを常には使用していないというデータがあります。また、HIV関連のある組織が昨年(2008年)12月におこなった調査によると、若い世代の69%がコンドームを用いない性交渉をしています。
さて、HIV/AIDSの対策についてみていきましょう。
現在、タイの保健省はHIV/AIDS対策として3つのポリシーを掲げています。1つは、2011年までに新規感染を大幅に減らすこと(数値目標は報道されていません)、2つめは、国民全員がHIVの治療を受けられるようにすること、そして3つめが、感染者と家族の80%以上が社会福祉を受けられること、です。
2つめの「国民全員がHIVの治療を受けられるように」について考えてみましょう。タイ国民健康安全委員会(National Health Security Office)の関係者によると、昨年は151,900人のHIV陽性者がHIVの治療を受けることができたそうです。
一般に、HIVは感染しても数年間は投薬が必要ありません。HIVに感染していないときとなんら変わりなく生活することができます。ですから、この151,900人という数字からは、「治療が必要な人のどれだけが治療を受けることができているのか」は分かりません。GINAとつながりのあるタイ人もしくは現地の日本人から伝わってくる情報によりますと、全体では以前に比べてかなり治療を受けることのできる割合が増えているそうです。
ただ、必ずしもそうではないという声もあります。
例えば、タイのあるエイズ関連施設に携わっている人は次のように言います。
「最近は、タイでもエイズの治療が誰でも受けられるかのような報道もありますが、必ずしもそうではありません。北部の山岳民族やミャンマーやラオスからの移住者は治療を受けられませんし、タイの国籍を持っている人だって、身寄りがなかったり行政と交渉する力がなかったりすればまともな医療を受けられていないのです」
最近は、エイズに関する偏見や差別は減少してきていますから、地域社会からHIV陽性者が追い出されるという事態は随分減ってきています。ですから、HIV陽性者を支える家族がいて地域社会に理解があれば、治療を受けることはかなりの確率で可能となってきています。(ただし、タイで一般的に使用される抗HIV薬は少し前のものが多く、日本を含めた先進国で使用されている新しい薬剤が安く買えるわけではありません)
しかしながら、この関係者が言うように、身寄りのない者やタイ国籍を持っていない人にとっては、治療に必要な薬を入手するのがかなり困難なのです。
それに、薬があればいいというわけではありません。抗HIV薬が必要となっている人の何割かは、身体や精神の不調を訴えることがしばしばあります。社会的な様々なトラブルも耐えません。そんなとき、誰がどのようにサポートするんだ、という問題があります。
2009年のGINAは、新聞報道からは見えてこないタイのHIV陽性者の苦悩に取り組んでいきたいと考えています。ミッション・ステイトメントにもあるように、「草の根レベル(grass roots)の支援」を徹底するつもりです。
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第31回(2009年1月) バンコク人 対 イサーン人
年末年始にタイに行っていたのですが、半年も前に予約を入れてあった便が急遽なくなったかと思うと、また復活となったりして、直前までどの便でいけるのかどうかが分かりませんでした。これは、PAD(The Peoples' Alliance for Democracy)が12月初旬にスワンナプーム空港を占拠したことが原因で、空港閉鎖が解除された後も治安の不安定さを懸念する動きもあり、旅行者が減ったことにより各航空会社が便を減らしていたからです。
結局私は、当初の便を変更することとなり、12月29日の午前に関西国際空港を発ちました。行きの機内のなかでBangkok Post(タイの英字新聞)を手に取ると、一面にはUDD(United Front of Democracy against Dictatorship)が国会議事堂の前で座り込みをしているというニュースが大々的に取り上げられていました。
ここで、PADとUDDについて説明しておきます。
分かりやすく説明すれば、PADとは反タクシン派の市民団体のことです。そして、UDDとは親タクシン派の市民団体です。
タクシンについて少し解説をしておきます。タクシン・シナワット(チナワット)はタイ愛国党の党首で2001年に首相となりました。それまでの首相とは異なり、北タイ及びイサーン地方(東北地方)の生活レベルの向上を実現させました。生活レベルの向上、というと何やら高尚なことをおこなったように聞こえますが、分かりやすく言えば大量の公的資金を北タイとイサーン地方に投入したのです。もっと端的に言えば北タイとイサーンにお金をばらまいたわけです。北タイはタクシンの出身地で当然といえば当然かもしれませんが、イサーンを手厚くしたのは画期的だったといえます。
タイに渡航する日本人は年間100万人を超えますが、多くはバンコク、チェンマイなどの北タイ、プーケットやクラビーなどの南タイを訪問する人が多いと思います。一方、観光地と言えるところがそれほど多くないイサーン地方に好んで訪れる人はそう多くはないでしょう。しかし、人口比率でみるとイサーンの人口はタイ人全体のおよそ3分の1に相当します。北タイが約2割ですから、北タイとイサーンで支持を得れば国民の過半数の支持が得られることになります。北タイとイサーンで絶対的な支持を得たタクシン政権は選挙では圧倒的な力をもつことになりました。
ところが、タクシンはバンコク人からはあまり好意的には見られていませんでした。その最たる理由が脱税です。タクシン一族の所有する携帯電話の会社(シン・コーポレーション)をシンガポールの政府系企業に売却した際、税金を不当に低くしたとのことで批判をあびました。このことがきっかけでタクシン一族は、様々な脱税をおこなっていることを疑われ、これが原因となり、2006年9月19日にクーデターが起こりタクシンは失脚することになります。
タクシンを嫌うのはバンコク人だけではありません。タイに在住する西洋人からも好意的には思われていませんでした。実際私は親タクシン派の西洋人とは出会ったことがありません。これは、不正を悪と考える西洋資本主義的発想を持ち合わせている人からみれば当然なのかもしれません。
ここで私自身の考えを述べておくと、私は多くのバンコク人や西洋人とは異なり、タクシンをどちらかといえば好意的に思っています。その最たる理由は、売春施設の取り締まりやナイトスポットの深夜営業禁止をおこない、さらに違法薬物の取り締まりを徹底的におこなったことです。違法薬物の取り締まりは冤罪で射殺された人が数千人にも上るとの噂もあり、もちろんこれは問題ではありますが、それでも、これらの政策によりタイは随分クリーンな国になりました。違法薬物に依存しているジャンキーたちはタイを去り、児童買春目当ての西洋人(日本人も)は他国に移動したと言われています。
北タイやイサーンに手厚い政策を施したことも、私がタクシンを好意的に感じている理由のひとつです。特に北タイでは生活水準が大きく上昇し、タクシン政権以前には小学校しか卒業していない若者が大勢いましたが、タクシンの政策のおかげで、今では高校に通うことが当たり前になりつつあります。
イサーンでは、まだ高校進学は一般的ではありませんが、家族を助けるために売春をしなければならない10代の女子は大きく減少していますし、違法薬物の売買で生計をたてざるを得ないような男子もかなり減っています。(とはいえ、今でも仕事がなく貧困にあえいでいる人たちが大勢いますが・・・)
さて、タクシンが失脚することとなったクーデター以降、タイの首相は、スラユット、サマック、ソムチャイと続きますがいずれも親タクシン派(タイ愛国党派)です。いくら反タクシン派の運動が首都バンコクで起こったとしても、ほとんどが親タクシン派で占める北タイとイサーンの支持が得られないわけですから当然と言えば当然でしょう。
これに業を煮やしたPADは、ついにスワンナプーム空港占拠という暴挙にでます。このため、行政側としてもPADの要求を認めざるを得ず、2008年12月15日、反タクシン派のアピシットが首相となります。
ところが、親タクシン派はこれに黙っていませんでした。UDDを結成し、今度は国会議事堂前の座り込みなどをおこないアピシット政権に抗議活動をおこなうこととなりました。
以上、PADとUDDの行動の流れを簡単におさらいしましたが、タイ人と話をすると、PAD対UDDは、そのままバンコク人対イサーン人の構図であるように思われます。実際、バンコク人とイサーン人が仲良くしている光景を私はほとんど見たことがありません。少し仲良くなると話してくれますが、バンコク人はイサーン人を「キーギアット(怠け者)」と言い、イサーン人はバンコク人のことを「ニサイ・マイ・ディー(性格が悪い)」と、互いを中傷するようなことを言います。また、バンコク人とイサーン人では民族の系統が違い、イサーン人は肌の色が黒く鼻が低いため、白い肌に価値が置かれるタイではあまり美しいとされません。このためイサーン人のなかにはバンコク人にコンプレックスを持っている人も少なくありません。
私自身は、タイという国に対してはHIV/AIDSの問題で深く関わっていますから、イサーン人の立場に立って物事を考えることがよくあります。貧困だから売春や違法薬物の売買をせざるを得ず、結果としてHIVに感染した人たちは大勢いますが、彼(彼女)らは、私には怠け者(キー・ギアット)とは思えません。土地が貧しくて農作物もろくに育たないところで育ち小学校さえ卒業するのがむつかしい彼(彼女)たちにはまともな仕事がないのです。これは、先進国の若者が「不況で仕事がない」というのとはレベルが違うのです。
私はときどきタイ人と政治の話をしますが(タイ人は比較的政治の話が好きです)、タクシンの話になると口調を荒くして、いかにタクシンがすばらしいかを熱弁するイサーン人にときどき出会います。彼(彼女)らは理性をなくしているというか、狂信的にタクシンを擁護します。こういう状態になると、もはやまともな会話にはなりませんから私は黙ってうなずくしかないのですが、彼(彼女)らの気持ちが分からないでもありません。反タクシン派に政治をやらせれば以前のような貧困が待っているかもしれないのですから。
PADとUDDの対立は、自民党と民主党の対立とはわけが違います。どちらが勢力をもつかで彼(彼女)らの生活に天と地ほどの差ができるかもしれないのです。
注:イサーンはタイ語の発音では「イーサーン」とする方が正しいと思われますが、なぜか出版物の多くは「イサーン」となっていますので、ここでも「イサーン」としています。
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結局私は、当初の便を変更することとなり、12月29日の午前に関西国際空港を発ちました。行きの機内のなかでBangkok Post(タイの英字新聞)を手に取ると、一面にはUDD(United Front of Democracy against Dictatorship)が国会議事堂の前で座り込みをしているというニュースが大々的に取り上げられていました。
ここで、PADとUDDについて説明しておきます。
分かりやすく説明すれば、PADとは反タクシン派の市民団体のことです。そして、UDDとは親タクシン派の市民団体です。
タクシンについて少し解説をしておきます。タクシン・シナワット(チナワット)はタイ愛国党の党首で2001年に首相となりました。それまでの首相とは異なり、北タイ及びイサーン地方(東北地方)の生活レベルの向上を実現させました。生活レベルの向上、というと何やら高尚なことをおこなったように聞こえますが、分かりやすく言えば大量の公的資金を北タイとイサーン地方に投入したのです。もっと端的に言えば北タイとイサーンにお金をばらまいたわけです。北タイはタクシンの出身地で当然といえば当然かもしれませんが、イサーンを手厚くしたのは画期的だったといえます。
タイに渡航する日本人は年間100万人を超えますが、多くはバンコク、チェンマイなどの北タイ、プーケットやクラビーなどの南タイを訪問する人が多いと思います。一方、観光地と言えるところがそれほど多くないイサーン地方に好んで訪れる人はそう多くはないでしょう。しかし、人口比率でみるとイサーンの人口はタイ人全体のおよそ3分の1に相当します。北タイが約2割ですから、北タイとイサーンで支持を得れば国民の過半数の支持が得られることになります。北タイとイサーンで絶対的な支持を得たタクシン政権は選挙では圧倒的な力をもつことになりました。
ところが、タクシンはバンコク人からはあまり好意的には見られていませんでした。その最たる理由が脱税です。タクシン一族の所有する携帯電話の会社(シン・コーポレーション)をシンガポールの政府系企業に売却した際、税金を不当に低くしたとのことで批判をあびました。このことがきっかけでタクシン一族は、様々な脱税をおこなっていることを疑われ、これが原因となり、2006年9月19日にクーデターが起こりタクシンは失脚することになります。
タクシンを嫌うのはバンコク人だけではありません。タイに在住する西洋人からも好意的には思われていませんでした。実際私は親タクシン派の西洋人とは出会ったことがありません。これは、不正を悪と考える西洋資本主義的発想を持ち合わせている人からみれば当然なのかもしれません。
ここで私自身の考えを述べておくと、私は多くのバンコク人や西洋人とは異なり、タクシンをどちらかといえば好意的に思っています。その最たる理由は、売春施設の取り締まりやナイトスポットの深夜営業禁止をおこない、さらに違法薬物の取り締まりを徹底的におこなったことです。違法薬物の取り締まりは冤罪で射殺された人が数千人にも上るとの噂もあり、もちろんこれは問題ではありますが、それでも、これらの政策によりタイは随分クリーンな国になりました。違法薬物に依存しているジャンキーたちはタイを去り、児童買春目当ての西洋人(日本人も)は他国に移動したと言われています。
北タイやイサーンに手厚い政策を施したことも、私がタクシンを好意的に感じている理由のひとつです。特に北タイでは生活水準が大きく上昇し、タクシン政権以前には小学校しか卒業していない若者が大勢いましたが、タクシンの政策のおかげで、今では高校に通うことが当たり前になりつつあります。
イサーンでは、まだ高校進学は一般的ではありませんが、家族を助けるために売春をしなければならない10代の女子は大きく減少していますし、違法薬物の売買で生計をたてざるを得ないような男子もかなり減っています。(とはいえ、今でも仕事がなく貧困にあえいでいる人たちが大勢いますが・・・)
さて、タクシンが失脚することとなったクーデター以降、タイの首相は、スラユット、サマック、ソムチャイと続きますがいずれも親タクシン派(タイ愛国党派)です。いくら反タクシン派の運動が首都バンコクで起こったとしても、ほとんどが親タクシン派で占める北タイとイサーンの支持が得られないわけですから当然と言えば当然でしょう。
これに業を煮やしたPADは、ついにスワンナプーム空港占拠という暴挙にでます。このため、行政側としてもPADの要求を認めざるを得ず、2008年12月15日、反タクシン派のアピシットが首相となります。
ところが、親タクシン派はこれに黙っていませんでした。UDDを結成し、今度は国会議事堂前の座り込みなどをおこないアピシット政権に抗議活動をおこなうこととなりました。
以上、PADとUDDの行動の流れを簡単におさらいしましたが、タイ人と話をすると、PAD対UDDは、そのままバンコク人対イサーン人の構図であるように思われます。実際、バンコク人とイサーン人が仲良くしている光景を私はほとんど見たことがありません。少し仲良くなると話してくれますが、バンコク人はイサーン人を「キーギアット(怠け者)」と言い、イサーン人はバンコク人のことを「ニサイ・マイ・ディー(性格が悪い)」と、互いを中傷するようなことを言います。また、バンコク人とイサーン人では民族の系統が違い、イサーン人は肌の色が黒く鼻が低いため、白い肌に価値が置かれるタイではあまり美しいとされません。このためイサーン人のなかにはバンコク人にコンプレックスを持っている人も少なくありません。
私自身は、タイという国に対してはHIV/AIDSの問題で深く関わっていますから、イサーン人の立場に立って物事を考えることがよくあります。貧困だから売春や違法薬物の売買をせざるを得ず、結果としてHIVに感染した人たちは大勢いますが、彼(彼女)らは、私には怠け者(キー・ギアット)とは思えません。土地が貧しくて農作物もろくに育たないところで育ち小学校さえ卒業するのがむつかしい彼(彼女)たちにはまともな仕事がないのです。これは、先進国の若者が「不況で仕事がない」というのとはレベルが違うのです。
私はときどきタイ人と政治の話をしますが(タイ人は比較的政治の話が好きです)、タクシンの話になると口調を荒くして、いかにタクシンがすばらしいかを熱弁するイサーン人にときどき出会います。彼(彼女)らは理性をなくしているというか、狂信的にタクシンを擁護します。こういう状態になると、もはやまともな会話にはなりませんから私は黙ってうなずくしかないのですが、彼(彼女)らの気持ちが分からないでもありません。反タクシン派に政治をやらせれば以前のような貧困が待っているかもしれないのですから。
PADとUDDの対立は、自民党と民主党の対立とはわけが違います。どちらが勢力をもつかで彼(彼女)らの生活に天と地ほどの差ができるかもしれないのです。
注:イサーンはタイ語の発音では「イーサーン」とする方が正しいと思われますが、なぜか出版物の多くは「イサーン」となっていますので、ここでも「イサーン」としています。
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第30回 2008年のGINA(2008年12月)
私はGINAの代表を務める傍ら、2006年12月からはクリニックの院長を務めています。クリニックを開院させてからタイに渡航できる機会がめっきり減ってしまいました。
これはクリニック開院前から想像していたとおりではあるのですが、やはりタイに渡航できず、エイズ患者さんや、患者さんを日ごろケアしている施設のスタッフに長期間会えないのはさみしい気持ちになります。
クリニック開院の前の1年間は、トータルで60日くらいタイに滞在できましたから、多くの患者さんやスタッフに何度も会うことができていました。2005年から2006年にかけては、タイのindependent sex workerの意識調査をおこない、これはかなり大変だったのですが今ではいい思い出です。(この結果は、2007年の第21回日本エイズ学会、及び第15回国際女性心身医療学会で学会発表しています)
また、タイのエイズ研究者と合同で調査をおこなったこともありましたし、エイズ問題に取り組むタイの大学院生と日タイの違いを語り合ったこともありました。その頃の活動に比べると、今年のGINAの活動はずいぶんと間接的なものになっています。
実際、私自身はタイに渡航してGINA関連の仕事をすることがまったくできませんでした。別のスタッフは何度か渡航し、北タイのエイズ事情について新しい情報も仕入れ、その一部は11月におこなわれた日本エイズ学会でも発表しています。(私自身は昨年は日本エイズ学会で発表をおこないましたが、今年はクリニックの都合で学会に参加することすらできませんでした)
私自身はタイに渡航できなかったのですが、タイへの支援はもちろん継続しています。今年は、特に北タイの支援に力を入れました。パヤオ県で、「21世紀農場」を運営し、同地区のエイズ患者さんのために力を注いでおられる谷口巳三郎先生(以下、巳三郎先生)の活動に対しては特に積極的に支援するかたちとなりました。
21世紀農場」では、パヤオの貧しい人たちに農業を伝えて、自立できるような支援がおこなわれています。パヤオ県は土地が貧しく、定期的な収入が得られる農作物がほとんどありません。80年代初頭にこのパヤオ県にやってきた巳三郎先生は、そんな土地でも栽培することのできる農作物を見つけ、日本式の農作業の方式を伝授することによって、パヤオ県のこの地域に住む人たちが自立できるように支援をおこなっているのです。
巳三郎先生は、北タイの山岳民族の支援にも力を入れています。
山岳民族の子供たちは、学校に通うことができません。なぜなら山岳部には学校がないからです。
ですから、山岳地帯に生まれた山岳民族の子供たちが文字を覚えて勉強するには、パヤオ県やチェンライ県、チェンマイ県といった、タイ北部の町の学校に通わなくてはならないのです。そして、山岳地帯から通うことはできませんから寮に入らなければならないのですが、タイという国は福祉に乏しいですから、行政が寮を用意してくれるわけではありません。寮がないならつくるしかない! というわけで巳三郎先生が中心となり、日本から寄附金を集めていくつかの寮がつくられ運営されているのです。
パヤオ県というところは、人口あたりのHIV陽性者の数がタイのすべての県のなかで群を抜いてトップです。2006年のデータで言えば、人口10万人あたりのHIV陽性者が32.8人です。2位はペチャブーン県の14.5人ですからいかにパヤオ県でのHIV感染が蔓延しているかが分かります。参考までに、首都バンコクは人口10万人あたり10.4人です。
これだけ、HIV陽性者が多い最大の理由が「貧困」です。農作物がろくに育たずに特に産業もないパヤオ県では、若い女性は都会に出稼ぎにいきます。そしてその何割かは「売春」でお金を稼ぎます。売春でHIVに感染し、故郷のパヤオに帰ってきて、故郷の恋人に感染させて、さらに母子感染で・・・、というケースがこの地域では多いのです。
山岳民族の場合は、アヘンを中心とした違法薬物の栽培・売買で生活をしている人が少なくありません。一時はタクシン政権の強力な薬物対策の下で、薬物に手を出す者が減りましたが、最近になって山岳民族の薬物生産量が増えていることが判ってきました。そして、薬物に関与するようになると静脈注射に手を出すようになり、HIV感染のリスクが増えます。
巳三郎先生は、パヤオ県に20年以上も住んでこの地域のHIV感染の広がりを見てきています。このパヤオ県になんとか産業を繁栄させて、新たなHIV感染者を防ぎ、すでに感染している人々についても自立・自活ができるように日々努めています。
今年、GINAはパヤオ県に森林をつくるプロジェクトにも参加しました。
パヤオ県は、農作物はもちろん、他の草木も育ちにくい赤土が広がる荒地といった感じの土地で、日本の森林のような美しい情景がほとんどありません。
その貧しい土地に木を植えてきれいな森をつくるプロジェクトが巳三郎先生の下で発足し、GINAも協力したというわけです。
森がつくられるのは美しい情景が得られるだけではありません。
水害が減り、農作物を栽培しやすくなり、また動物が住みやすい環境ができます。その結果、パヤオ県の人々の生活が安定するというわけです。GINAが協力してできる森は「GINAの森」という名前が付けられる予定です。「GINAの森」は近いうちにこのウェブサイトで紹介したいと思います。
GINAの活動はタイへの支援活動だけではありません。日本国内で講演などを通してHIVやAIDSに関する正しい知識を伝え、依然として存在する偏見やスティグマと戦っていくこともGINAのミッションであります。
この点では、2008年のGINAは大きく飛躍したといえるかもしれません。私自身は、学校や市民団体から何度か講演の依頼を受け、HIVの知識を伝えてきました。私以外にも、たとえばちょふは、いくつもの学校で講演をおこないましたし、マスコミの取材も積極的に受けています。現在はラジオやテレビ出演も検討しているところです。
2009年になっても、私自身がタイに行くことはできない可能性が強いのですが、それならば日本国内での活動を広げていきたいと思います。
というわけで、皆様、来年もよろしくお願いいたします。
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これはクリニック開院前から想像していたとおりではあるのですが、やはりタイに渡航できず、エイズ患者さんや、患者さんを日ごろケアしている施設のスタッフに長期間会えないのはさみしい気持ちになります。
クリニック開院の前の1年間は、トータルで60日くらいタイに滞在できましたから、多くの患者さんやスタッフに何度も会うことができていました。2005年から2006年にかけては、タイのindependent sex workerの意識調査をおこない、これはかなり大変だったのですが今ではいい思い出です。(この結果は、2007年の第21回日本エイズ学会、及び第15回国際女性心身医療学会で学会発表しています)
また、タイのエイズ研究者と合同で調査をおこなったこともありましたし、エイズ問題に取り組むタイの大学院生と日タイの違いを語り合ったこともありました。その頃の活動に比べると、今年のGINAの活動はずいぶんと間接的なものになっています。
実際、私自身はタイに渡航してGINA関連の仕事をすることがまったくできませんでした。別のスタッフは何度か渡航し、北タイのエイズ事情について新しい情報も仕入れ、その一部は11月におこなわれた日本エイズ学会でも発表しています。(私自身は昨年は日本エイズ学会で発表をおこないましたが、今年はクリニックの都合で学会に参加することすらできませんでした)
私自身はタイに渡航できなかったのですが、タイへの支援はもちろん継続しています。今年は、特に北タイの支援に力を入れました。パヤオ県で、「21世紀農場」を運営し、同地区のエイズ患者さんのために力を注いでおられる谷口巳三郎先生(以下、巳三郎先生)の活動に対しては特に積極的に支援するかたちとなりました。
21世紀農場」では、パヤオの貧しい人たちに農業を伝えて、自立できるような支援がおこなわれています。パヤオ県は土地が貧しく、定期的な収入が得られる農作物がほとんどありません。80年代初頭にこのパヤオ県にやってきた巳三郎先生は、そんな土地でも栽培することのできる農作物を見つけ、日本式の農作業の方式を伝授することによって、パヤオ県のこの地域に住む人たちが自立できるように支援をおこなっているのです。
巳三郎先生は、北タイの山岳民族の支援にも力を入れています。
山岳民族の子供たちは、学校に通うことができません。なぜなら山岳部には学校がないからです。
ですから、山岳地帯に生まれた山岳民族の子供たちが文字を覚えて勉強するには、パヤオ県やチェンライ県、チェンマイ県といった、タイ北部の町の学校に通わなくてはならないのです。そして、山岳地帯から通うことはできませんから寮に入らなければならないのですが、タイという国は福祉に乏しいですから、行政が寮を用意してくれるわけではありません。寮がないならつくるしかない! というわけで巳三郎先生が中心となり、日本から寄附金を集めていくつかの寮がつくられ運営されているのです。
パヤオ県というところは、人口あたりのHIV陽性者の数がタイのすべての県のなかで群を抜いてトップです。2006年のデータで言えば、人口10万人あたりのHIV陽性者が32.8人です。2位はペチャブーン県の14.5人ですからいかにパヤオ県でのHIV感染が蔓延しているかが分かります。参考までに、首都バンコクは人口10万人あたり10.4人です。
これだけ、HIV陽性者が多い最大の理由が「貧困」です。農作物がろくに育たずに特に産業もないパヤオ県では、若い女性は都会に出稼ぎにいきます。そしてその何割かは「売春」でお金を稼ぎます。売春でHIVに感染し、故郷のパヤオに帰ってきて、故郷の恋人に感染させて、さらに母子感染で・・・、というケースがこの地域では多いのです。
山岳民族の場合は、アヘンを中心とした違法薬物の栽培・売買で生活をしている人が少なくありません。一時はタクシン政権の強力な薬物対策の下で、薬物に手を出す者が減りましたが、最近になって山岳民族の薬物生産量が増えていることが判ってきました。そして、薬物に関与するようになると静脈注射に手を出すようになり、HIV感染のリスクが増えます。
巳三郎先生は、パヤオ県に20年以上も住んでこの地域のHIV感染の広がりを見てきています。このパヤオ県になんとか産業を繁栄させて、新たなHIV感染者を防ぎ、すでに感染している人々についても自立・自活ができるように日々努めています。
今年、GINAはパヤオ県に森林をつくるプロジェクトにも参加しました。
パヤオ県は、農作物はもちろん、他の草木も育ちにくい赤土が広がる荒地といった感じの土地で、日本の森林のような美しい情景がほとんどありません。
その貧しい土地に木を植えてきれいな森をつくるプロジェクトが巳三郎先生の下で発足し、GINAも協力したというわけです。
森がつくられるのは美しい情景が得られるだけではありません。
水害が減り、農作物を栽培しやすくなり、また動物が住みやすい環境ができます。その結果、パヤオ県の人々の生活が安定するというわけです。GINAが協力してできる森は「GINAの森」という名前が付けられる予定です。「GINAの森」は近いうちにこのウェブサイトで紹介したいと思います。
GINAの活動はタイへの支援活動だけではありません。日本国内で講演などを通してHIVやAIDSに関する正しい知識を伝え、依然として存在する偏見やスティグマと戦っていくこともGINAのミッションであります。
この点では、2008年のGINAは大きく飛躍したといえるかもしれません。私自身は、学校や市民団体から何度か講演の依頼を受け、HIVの知識を伝えてきました。私以外にも、たとえばちょふは、いくつもの学校で講演をおこないましたし、マスコミの取材も積極的に受けています。現在はラジオやテレビ出演も検討しているところです。
2009年になっても、私自身がタイに行くことはできない可能性が強いのですが、それならば日本国内での活動を広げていきたいと思います。
というわけで、皆様、来年もよろしくお願いいたします。
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