GINAと共に
第39回 ひとりのHIV陽性者を支援するということ(2009年9月)
今月(2009年9月)初旬のある日、このウェブサイトでは何度も紹介しているタイ国パヤオ県でエイズ患者及び孤児の支援をしている谷口巳三郎先生(以下、巳三郎先生)から1通の手紙が届きました。
便箋2枚に渡りびっしりと書かれたその手紙の内容は、最近HIV陽性であることが発覚したひとりの女性を救ってほしいというものでした。
その女性はタイとミャンマーの国境付近で集落をつくっている少数民族(高地民族)のひとつであるアカ族の40代の女性です。縁あって巳三郎先生の知り合いの元で働いていたこともあったそうです。
前夫との間にできた男の子は小学4年生、1年ほど前に新しい夫ができてその夫は現在台湾に出稼ぎに出ているそうです。この女性は数ヶ月前から体調がすぐれないため病院を受診したところ、HIV陽性であることが判明しました。この女性がHIVに感染したのは、この新しい夫からなのか、前夫からなのかは分からないといいます。けれども、今は誰から感染したかということは問題ではありません。
この女性はHIV陽性であるということよりも体調が芳しくないことから仕事を失い、絶望のどん底にいると言います。台湾に出稼ぎに行った新しい夫は、帰ってこないばかりか連絡もとれないそうです。
自分ひとりなら迷わず死を選ぶ、しかし小学4年生の男の子を置き去りにはできない、けれどもこの子を預けるあてもない・・・。ひとりの女性の失望の様子が、巳三郎先生の手紙から伝わってきます。
タイの医療情勢に詳しい人ならこのように思うかもしれません。すなわち、タイは低所得者に対しては無料医療制度(昔は「30バーツ医療」)があるじゃないか、仕事はできないかもしれないけれどまずは治療に専念すればいいのでは、と。
しかし、無料で抗HIV薬が支給されるのは「タイ人」だけです。この女性のように少数民族の人には無料で支給されるわけではありません。HIVに関わらずタイの医療機関で少数民族が治療を受けるには、保険制度というものはなく全額自己負担となります。
我々GINAのスタッフは、巳三郎先生からのこの手紙を受け取ったとき、支援すべきかどうかを悩みました。
私財をなげうって1983年からタイの貧困を救うために人生を費やしている巳三郎先生からの依頼を断ることは簡単にはできません。谷口巳三郎先生は、農業支援など幅広い活動をされていて、現在では日本政府からもタイ政府からも一切の援助がないなかで、活動資金の大半が寄附金によるものです。けれども、26年間の支援活動のなかで、谷口巳三郎先生は、一度たりとも特定の個人に寄附のお願いをしたことがありません。その先生が、GINAの代表である私に、特別の依頼をされているのです。この依頼を断れるでしょうか・・・。
しかしながら、たったひとりのHIV陽性者を支援するということを、公的機関であるべきNPOがしてもいいものか・・・。しかも、この女性は現在住むところもない状況であり、いくら簡素にしたとしても新しく住居をつくり、今後の生活費及び医療費を捻出しなければなりませんから、少なくないお金が必要になります。
この女性のように少数民族であるがゆえに医療を受けられないという人はいくらでもいます。また、小学生の子供を養わなければならないけれども体力が低下していて働けないという人もいくらでもいます。
この女性のための支援、それも少なくない額の支援をおこなってしまえば、他の似たような境遇の人に対してGINAはどういうスタンスをとるべきなのか、という問題が出てきます。
我々が悩んだ結果・・・、結局この女性を支援することにしました。
しかし、私は今月タイに渡航しましたが、日頃から集めた寄附金はWat Phrabhatnamphu(パバナプ寺)を中心に施設に寄附することがすでに決まっていました。少数民族や北タイのエイズ患者・孤児に対しては奨学金などを含めて定期的に金銭的な支援をしていますが、追加の支援をする余裕はありません。
そこで、緊急支援を知人にお願いしたり、GINAのウェブサイトで広く閲覧者に訴えかけるなどをしたりして多くの方に支援を依頼しました。その結果、なんとか必要な金額を集めることができました。(緊急支援してくださった皆様には深くお礼申し上げます)
私がタイのエイズ問題に関わりだしたのは2002年ですが、その頃は国全体に差別やスティグマがはびこっていました。まだ抗HIV薬が支給されていなかったその頃は、HIV陽性者は、地域社会からも家族からも、そして医療機関からも拒絶されていたのです。
その後私は年に何度かタイを訪問するようにして、多くのHIV陽性者・エイズ発症者、またボランティアを含めた支援者と関わるようになりましたが、訪タイする度に、差別やスティグマがなくなってきていることを実感しています。(といってもまだまだ根強い偏見がありますが・・・)
以前に比べると、タイのHIV陽性者が社会である程度受け入れられるようになってきていますし、タイのエイズ患者を支援する団体や個人は減少してきているように見受けられます。おそらく世界規模で活動している支援団体は、タイよりも事態が深刻である他のアジア諸国やアフリカに支援の矛先を転換しているのでしょう。
しかし、GINAはそのような大きな団体とはミッションが異なります。GINAのミッション・ステイトメントには「草の根レベルで支援」という言葉があります。
最終的に、このアカ族のHIV陽性の女性を支援することを決断したのは、「今この女性を救えるのはGINAしかない」と判断したからです。この次同じような境遇のHIV陽性者が現れたときにどうするんだ、という問題が残りますが、今支援を躊躇すればこの女性と小学生の子供が生きる術を絶たれることが明らかな状況を無視することができなかったのです。
見方によっては不公平感が払拭できないこのような支援をした以上はGINAにも責任があります。GINAとしては、これからこの女性がどのように貧困やHIVを克服し、男の子が成長していくかを見守っていきたいと考えています。そして、その内容はこのウェブサイトを通して広く社会に訴えていきたいと考えています。
便箋2枚に渡りびっしりと書かれたその手紙の内容は、最近HIV陽性であることが発覚したひとりの女性を救ってほしいというものでした。
その女性はタイとミャンマーの国境付近で集落をつくっている少数民族(高地民族)のひとつであるアカ族の40代の女性です。縁あって巳三郎先生の知り合いの元で働いていたこともあったそうです。
前夫との間にできた男の子は小学4年生、1年ほど前に新しい夫ができてその夫は現在台湾に出稼ぎに出ているそうです。この女性は数ヶ月前から体調がすぐれないため病院を受診したところ、HIV陽性であることが判明しました。この女性がHIVに感染したのは、この新しい夫からなのか、前夫からなのかは分からないといいます。けれども、今は誰から感染したかということは問題ではありません。
この女性はHIV陽性であるということよりも体調が芳しくないことから仕事を失い、絶望のどん底にいると言います。台湾に出稼ぎに行った新しい夫は、帰ってこないばかりか連絡もとれないそうです。
自分ひとりなら迷わず死を選ぶ、しかし小学4年生の男の子を置き去りにはできない、けれどもこの子を預けるあてもない・・・。ひとりの女性の失望の様子が、巳三郎先生の手紙から伝わってきます。
タイの医療情勢に詳しい人ならこのように思うかもしれません。すなわち、タイは低所得者に対しては無料医療制度(昔は「30バーツ医療」)があるじゃないか、仕事はできないかもしれないけれどまずは治療に専念すればいいのでは、と。
しかし、無料で抗HIV薬が支給されるのは「タイ人」だけです。この女性のように少数民族の人には無料で支給されるわけではありません。HIVに関わらずタイの医療機関で少数民族が治療を受けるには、保険制度というものはなく全額自己負担となります。
我々GINAのスタッフは、巳三郎先生からのこの手紙を受け取ったとき、支援すべきかどうかを悩みました。
私財をなげうって1983年からタイの貧困を救うために人生を費やしている巳三郎先生からの依頼を断ることは簡単にはできません。谷口巳三郎先生は、農業支援など幅広い活動をされていて、現在では日本政府からもタイ政府からも一切の援助がないなかで、活動資金の大半が寄附金によるものです。けれども、26年間の支援活動のなかで、谷口巳三郎先生は、一度たりとも特定の個人に寄附のお願いをしたことがありません。その先生が、GINAの代表である私に、特別の依頼をされているのです。この依頼を断れるでしょうか・・・。
しかしながら、たったひとりのHIV陽性者を支援するということを、公的機関であるべきNPOがしてもいいものか・・・。しかも、この女性は現在住むところもない状況であり、いくら簡素にしたとしても新しく住居をつくり、今後の生活費及び医療費を捻出しなければなりませんから、少なくないお金が必要になります。
この女性のように少数民族であるがゆえに医療を受けられないという人はいくらでもいます。また、小学生の子供を養わなければならないけれども体力が低下していて働けないという人もいくらでもいます。
この女性のための支援、それも少なくない額の支援をおこなってしまえば、他の似たような境遇の人に対してGINAはどういうスタンスをとるべきなのか、という問題が出てきます。
我々が悩んだ結果・・・、結局この女性を支援することにしました。
しかし、私は今月タイに渡航しましたが、日頃から集めた寄附金はWat Phrabhatnamphu(パバナプ寺)を中心に施設に寄附することがすでに決まっていました。少数民族や北タイのエイズ患者・孤児に対しては奨学金などを含めて定期的に金銭的な支援をしていますが、追加の支援をする余裕はありません。
そこで、緊急支援を知人にお願いしたり、GINAのウェブサイトで広く閲覧者に訴えかけるなどをしたりして多くの方に支援を依頼しました。その結果、なんとか必要な金額を集めることができました。(緊急支援してくださった皆様には深くお礼申し上げます)
私がタイのエイズ問題に関わりだしたのは2002年ですが、その頃は国全体に差別やスティグマがはびこっていました。まだ抗HIV薬が支給されていなかったその頃は、HIV陽性者は、地域社会からも家族からも、そして医療機関からも拒絶されていたのです。
その後私は年に何度かタイを訪問するようにして、多くのHIV陽性者・エイズ発症者、またボランティアを含めた支援者と関わるようになりましたが、訪タイする度に、差別やスティグマがなくなってきていることを実感しています。(といってもまだまだ根強い偏見がありますが・・・)
以前に比べると、タイのHIV陽性者が社会である程度受け入れられるようになってきていますし、タイのエイズ患者を支援する団体や個人は減少してきているように見受けられます。おそらく世界規模で活動している支援団体は、タイよりも事態が深刻である他のアジア諸国やアフリカに支援の矛先を転換しているのでしょう。
しかし、GINAはそのような大きな団体とはミッションが異なります。GINAのミッション・ステイトメントには「草の根レベルで支援」という言葉があります。
最終的に、このアカ族のHIV陽性の女性を支援することを決断したのは、「今この女性を救えるのはGINAしかない」と判断したからです。この次同じような境遇のHIV陽性者が現れたときにどうするんだ、という問題が残りますが、今支援を躊躇すればこの女性と小学生の子供が生きる術を絶たれることが明らかな状況を無視することができなかったのです。
見方によっては不公平感が払拭できないこのような支援をした以上はGINAにも責任があります。GINAとしては、これからこの女性がどのように貧困やHIVを克服し、男の子が成長していくかを見守っていきたいと考えています。そして、その内容はこのウェブサイトを通して広く社会に訴えていきたいと考えています。
第38回 なぜカウンセリングが重要なのか(2009年8月)
VCTという言葉をご存知でしょうか。VCTとは、voluntary counseling and testing (programs)の略で、直訳すると「自発的な検査とカウンセリング」となるかと思います。
要するに、「HIVの検査は強制されるものであってはならず、被検者主体(client-initiated)でなくてはならない、そして、検査の前後には充分なカウンセリングが必要である」、といったものです。
当たり前じゃないの?、と感じる人もおられるでしょうから少し説明を加えておきます。まず、HIVは、以前はかなり社会的偏見やスティグマに満ちた感染症でした。もちろん、今でもそういった偏見などは残っていますが、90年代の半ばには現在の比ではないほどでした。
例えば、タイでは多くの外資系工場でタイ人の労働者全員にHIV検査を強制していたことがありました。「外資系」にはもちろん日系の企業も含まれています。当時のタイでは、中学を卒業していない人も多く、一応1991年には法的には中学も義務教育となってはいましたが、実際には中学を卒業しないで工場などで働いている未成年も大勢いたというわけです。未成年を含む工場労働者に対し、雇用者側は、強制的に、性交渉の経験のない未成年も含めて、HIVの検査をおこなっていたのです。
通常、HIVを含めて感染症の検査というのは、医療機関でおこなうときは必ず患者さんの同意を得てからおこないます。(意識がないときなどは例外的に同意なしでおこなうこともあります) 感染症の検査をしてもいいかどうかを患者さんに尋ねて、そこで患者さんが「拒否します」と言えば、医師はその感染症を疑っても検査をすることは原則としてできません。(検査の必要性を再度訴えることはありますが)
話を戻しましょう。工場などで強制的にHIVの検査がおこなわれ、そこで陽性反応が出たとすれば、問答無用で解雇されるというケースがあったのです。
もちろん、このようなことは許されるはずがありません。そこで、WHOを含む公的保健機関や保健関連のNPO・NGOは、検査は「自発的(voluntary)なものでなければならない」としたのです。
そこで、自発的に検査を受けてもらうために、公的機関・民間機関、あるいは個人の活動家たちも、HIVの検査を受けるように呼びかけるようになりました。こういった運動が功を奏し、それまでHIVを他人事と考えていたような人たちも関心を持つようになり、検査を受ける人が次第に増えるようになりました。国や地域によっては、HIVの検査がかなり普及したといってもいいでしょう。
しかしながら、世界に目を向けると、"自発的な"検査だけでは、受検率がそれほど伸びていない国や地域もあります。まだまだHIVに関心が向いていない地域も少なくないというわけです。
そこで、2007年にWHOとUNAIDS(国際連合エイズ合同計画)は、VCTに代る概念としてPITC(provider-initiated HIV testing and counseling)を提唱しました。PITCは、被検者の自主性のみに頼るのではなく、ある程度は検査の供給者(医療機関や保健所など)が積極的にHIVの検査の必要性を訴えていこう、とするものです。もちろん、強制的なものになってはなりませんが、「なぜ今その人にとってHIVの検査が必要なのか」を理解してもらおうとする試みです。
さて、VCT、PITCのいずれにおいても、「C」すなわちカウンセリングが大変重要とされていることには変わりありません。
HIVという感染症は、まだまだ正しい知識が社会一般に浸透していないこと、誤解や偏見に満ちており感染者が差別的な扱いを受けることが実際にあること、検査の仕組みや結果が出るまでにすべきこと、などの説明をしなければなりません。
また、被検者が考えていること、感じていること、悩んでいること、などはその人によって異なりますから、まずはそういった話をカウンセラーが充分に聞く必要があります。この時点で、被検者が正しい知識を持ち合わせていなかったり、不必要な心配をしていたり、HIVよりも優先して調べなければならない検査があることに気づいていなかったり、ということはしばしばあります。
HIVの検査を受けて陽性であった場合は、もちろんカウンセリングが大変重要になってきますが、HIV陰性であったとしてもカウンセリングはかかせません。その理由はいろいろありますが、検査を受けて陰性と判ってから出てくる質問が多数あるというのもひとつです。分からないこと、気になることは、検査を受ける前に聞いておくべきかもしれませんが、実際には、結果を知った後で出てくる質問も被検者によってはたくさんあります。これは、検査前には不安が強くて、広い視点から物事が見えなくなっているせいかもしれません。
我々検査をおこなう側からすれば、HIVに関する正しい知識を持ってもらって、同じような不安に陥らず、そしてできればもう同じような検査を受けなくてもいいようにしてもらうのがありがたいのですが、人間はそれほど理論的・理性的に行動できるわけではありませんから、実際には何度も医療機関や検査会場に足を運ぶ人もいます。
HIVの検査を受けに来られる人で、私が多いな、と感じているのは、HIVで頭がいっぱいになって、HIVよりも感染しやすく検査が必要と思われる感染症が重要視されていないことです。これについては、何度も紹介していますので(例えば下記コラム参照)、ここでは詳しくは述べませんが、HIVの検査を受けるすべての人に再確認してもらいたいと思います。
しかし、必ず検査の前後にカウンセリングという方法をとるべき最大の理由は、やはり精神的なケアが必要となる場合が少なくないからです。ときに、不安は加速度的に進行し、日常生活に影響を与えることすらあります。また、検査で陰性という結果がでたとしても、いったん強くなった不安は、「本当に検査結果は正しいのかな」「検査の過程で誰か他人のものと入れ替わったんじゃないかな」などと考え出す人もいます。
最近は、インターネットなどを通して自分の血液を業者に送付して結果をネット上で知ることができる検査方法がありますが、この検査方法がやっかいなのは、かえって被検者の不安を煽ることが少なくないからです。「インターネットで検査をしたが結果は本当に信頼できるのか」、このようなことを言って、私の元(太融寺町谷口医院)を受診する人は後を絶たない、というか、益々増えてきています。これでは検査した意味がありませんし、当初は手軽に検査ができると考えたのでしょうが、費用も時間もかえって高くつくことになります。
例えば、インフルエンザなどでこのようなサービスがあれば大変便利だとは思いますが、誤解や偏見、スティグマなどがまだまだ少なくないHIVの検査をおこなうには、WHOをはじめとする公的医療機関やNPO・NGOなどが提唱するように、検査前後のカウンセリングが不可欠だというわけです。
参照:
GINAと共に 第36回(2009年6月)「HIVを特別視することによる弊害 その1」
要するに、「HIVの検査は強制されるものであってはならず、被検者主体(client-initiated)でなくてはならない、そして、検査の前後には充分なカウンセリングが必要である」、といったものです。
当たり前じゃないの?、と感じる人もおられるでしょうから少し説明を加えておきます。まず、HIVは、以前はかなり社会的偏見やスティグマに満ちた感染症でした。もちろん、今でもそういった偏見などは残っていますが、90年代の半ばには現在の比ではないほどでした。
例えば、タイでは多くの外資系工場でタイ人の労働者全員にHIV検査を強制していたことがありました。「外資系」にはもちろん日系の企業も含まれています。当時のタイでは、中学を卒業していない人も多く、一応1991年には法的には中学も義務教育となってはいましたが、実際には中学を卒業しないで工場などで働いている未成年も大勢いたというわけです。未成年を含む工場労働者に対し、雇用者側は、強制的に、性交渉の経験のない未成年も含めて、HIVの検査をおこなっていたのです。
通常、HIVを含めて感染症の検査というのは、医療機関でおこなうときは必ず患者さんの同意を得てからおこないます。(意識がないときなどは例外的に同意なしでおこなうこともあります) 感染症の検査をしてもいいかどうかを患者さんに尋ねて、そこで患者さんが「拒否します」と言えば、医師はその感染症を疑っても検査をすることは原則としてできません。(検査の必要性を再度訴えることはありますが)
話を戻しましょう。工場などで強制的にHIVの検査がおこなわれ、そこで陽性反応が出たとすれば、問答無用で解雇されるというケースがあったのです。
もちろん、このようなことは許されるはずがありません。そこで、WHOを含む公的保健機関や保健関連のNPO・NGOは、検査は「自発的(voluntary)なものでなければならない」としたのです。
そこで、自発的に検査を受けてもらうために、公的機関・民間機関、あるいは個人の活動家たちも、HIVの検査を受けるように呼びかけるようになりました。こういった運動が功を奏し、それまでHIVを他人事と考えていたような人たちも関心を持つようになり、検査を受ける人が次第に増えるようになりました。国や地域によっては、HIVの検査がかなり普及したといってもいいでしょう。
しかしながら、世界に目を向けると、"自発的な"検査だけでは、受検率がそれほど伸びていない国や地域もあります。まだまだHIVに関心が向いていない地域も少なくないというわけです。
そこで、2007年にWHOとUNAIDS(国際連合エイズ合同計画)は、VCTに代る概念としてPITC(provider-initiated HIV testing and counseling)を提唱しました。PITCは、被検者の自主性のみに頼るのではなく、ある程度は検査の供給者(医療機関や保健所など)が積極的にHIVの検査の必要性を訴えていこう、とするものです。もちろん、強制的なものになってはなりませんが、「なぜ今その人にとってHIVの検査が必要なのか」を理解してもらおうとする試みです。
さて、VCT、PITCのいずれにおいても、「C」すなわちカウンセリングが大変重要とされていることには変わりありません。
HIVという感染症は、まだまだ正しい知識が社会一般に浸透していないこと、誤解や偏見に満ちており感染者が差別的な扱いを受けることが実際にあること、検査の仕組みや結果が出るまでにすべきこと、などの説明をしなければなりません。
また、被検者が考えていること、感じていること、悩んでいること、などはその人によって異なりますから、まずはそういった話をカウンセラーが充分に聞く必要があります。この時点で、被検者が正しい知識を持ち合わせていなかったり、不必要な心配をしていたり、HIVよりも優先して調べなければならない検査があることに気づいていなかったり、ということはしばしばあります。
HIVの検査を受けて陽性であった場合は、もちろんカウンセリングが大変重要になってきますが、HIV陰性であったとしてもカウンセリングはかかせません。その理由はいろいろありますが、検査を受けて陰性と判ってから出てくる質問が多数あるというのもひとつです。分からないこと、気になることは、検査を受ける前に聞いておくべきかもしれませんが、実際には、結果を知った後で出てくる質問も被検者によってはたくさんあります。これは、検査前には不安が強くて、広い視点から物事が見えなくなっているせいかもしれません。
我々検査をおこなう側からすれば、HIVに関する正しい知識を持ってもらって、同じような不安に陥らず、そしてできればもう同じような検査を受けなくてもいいようにしてもらうのがありがたいのですが、人間はそれほど理論的・理性的に行動できるわけではありませんから、実際には何度も医療機関や検査会場に足を運ぶ人もいます。
HIVの検査を受けに来られる人で、私が多いな、と感じているのは、HIVで頭がいっぱいになって、HIVよりも感染しやすく検査が必要と思われる感染症が重要視されていないことです。これについては、何度も紹介していますので(例えば下記コラム参照)、ここでは詳しくは述べませんが、HIVの検査を受けるすべての人に再確認してもらいたいと思います。
しかし、必ず検査の前後にカウンセリングという方法をとるべき最大の理由は、やはり精神的なケアが必要となる場合が少なくないからです。ときに、不安は加速度的に進行し、日常生活に影響を与えることすらあります。また、検査で陰性という結果がでたとしても、いったん強くなった不安は、「本当に検査結果は正しいのかな」「検査の過程で誰か他人のものと入れ替わったんじゃないかな」などと考え出す人もいます。
最近は、インターネットなどを通して自分の血液を業者に送付して結果をネット上で知ることができる検査方法がありますが、この検査方法がやっかいなのは、かえって被検者の不安を煽ることが少なくないからです。「インターネットで検査をしたが結果は本当に信頼できるのか」、このようなことを言って、私の元(太融寺町谷口医院)を受診する人は後を絶たない、というか、益々増えてきています。これでは検査した意味がありませんし、当初は手軽に検査ができると考えたのでしょうが、費用も時間もかえって高くつくことになります。
例えば、インフルエンザなどでこのようなサービスがあれば大変便利だとは思いますが、誤解や偏見、スティグマなどがまだまだ少なくないHIVの検査をおこなうには、WHOをはじめとする公的医療機関やNPO・NGOなどが提唱するように、検査前後のカウンセリングが不可欠だというわけです。
参照:
GINAと共に 第36回(2009年6月)「HIVを特別視することによる弊害 その1」
第37回 HIVを特別視することによる弊害 その2 (2009年7月)
HIVを特別視しすぎるとどのような弊害があるか・・・
1つには前回お話したように、HIVよりも感染力が強く予防をしていなければならない他の性感染症がないがしろにされてしまうという問題です。
もうひとつは、HIVを特別視しすぎるあまり、感染者に対する差別や偏見が生まれるという弊害です。
HIV感染者に対する偏見が存在し、この日本でそれが顕著なのは大きな問題です。
私は、以前タイのHIV陽性者がいわれのない差別を受けて、地域社会から、家族から、そして病院からさえも見捨てられている現状を目の当たりにし、それがGINA設立のきっかけとなりました。
しかし、あれから数年たった今では、タイのHIV陽性者に対する差別意識は、もちろん完全になくなってはいませんが、かなり減ってきています。まだまだ感染の事実をカムアウトしやすい社会ではありませんが、それでも、「(性交渉以外の)日常生活では他人に感染させることはない」「適切な治療を受ければ死に至る病ではない」といったことが社会に認識されるようになり、以前のように、誰にも相談できずに死を迎えるしかないといった事態は今ではほとんどありません。
欧米ではHIVに感染した有名人がカムアウトしてそれがマスコミに取り上げられたり、またそういった有名人がHIV予防のための活動をしたり、といったことがよくあります。しかし、私の知る限り日本人の有名人がHIV陽性であることをカムアウトした、という話は聞いたことがありません。
また、家族や職場に感染の事実を隠しながら生きているHIV陽性の人は少なくありません。というより、家族にも職場にも感染の事実を伝えている人はごく稀です。
私が診療の現場でHIV陽性の人に聞かれることに次のようなものがあります。
「ひとりで隠しておくのがしんどくなってきました。会社に感染のことを言おうと思っているのですが先生はどう思いますか」
HIV感染は何も恥ずかしいことではありませんし、(性交渉以外の日常生活では)他人に感染させることもありません。ですから、私は次のように答えています。
「そうですね。HIV感染はなにも隠すべきものでもありませんしね。堂々と感染していると言えばいいと思いますよ・・・」
嘘です。
本当はこう言いたい気持ちがあるのですが、現在の日本社会ではHIV感染の事実が周知されると不利益を被る可能性が非常に高いのです。HIVに感染していることが会社に知られて仕事がしづらくなった、退職せざるを得なかった、という事実はいくらでもあるのが現状なのです。
ですから、実際には次のように答えることがよくあります。
「お気持ちは分かりますが、職場に報告するのは賢明でない場合の方が今の日本では多いのが現実です。いったん報告すればそれを撤回することはできません。私が助言するような問題ではないかもしれませんが、もう少し日本のHIVに対する偏見が軽減されるまで待つべきではないでしょうか」
HIVが差別の対象となるような感染症でないことを訴えるというのはGINAのミッション・ステイトメントにもあるとおりです。HIV陽性の人と陰性の人が何の偏見もなく共存し合う、そういう社会があるべき姿であるはずです。
HIV陽性の人が職場に感染のことを話す必要があると感じるのには理由があります。ひとつには、病状の程度にもよりますが、抗HIVを内服している人であれば定期的にエイズ拠点病院を受診しなければならないことがあります。この場合、会社を休んで受診しなければならない日もありますから、その理由をつくるのに苦労するのです。
さらに、HIVに感染していると、まだ抗HIV薬を内服しなくてもいい段階でも、発熱や倦怠感といった症状が出現することがあります。そんなとき、HIV感染の事実を会社に伝えていないと、「体力のないやつだな」といった印象を与えることになるかもしれません。また、抗HIV薬を内服している人であれば、薬の副作用に苦労することもあり得ますし、例えば宴会や慰安旅行の際にこっそりと隠れて薬を飲まなければならない、といったこともあるでしょう。
HIV以外の病気、例えば1年前に胃ガンを患い胃の摘出術を受けた人がいたとしましょう。一般にガンというのは再発の可能性がありますし、そもそも胃を切除しているわけですから、そうでない人に比べて体力が弱いことが考えられます。職場にそのような人がいれば、きっと周囲の人はそれなりの接し方をするでしょう。例えば、体調が芳しくないように見えれば気遣いの言葉をかけるでしょうし、早退をすすめることがあるかもしれません。術後の定期健診で会社を休んでも誰も咎めることはないでしょう。
HIVに感染している人も本来は同じはずです。定期受診で会社を休むこともあれば、体調がすぐれずに早退した方がいい場合だって考えられます。それなのに、感染の事実を周囲に伝えられないわけですから、当事者はしんどくても無理をすることになるかもしれませんし、会社を休む理由として毎回嘘をつかなければならないかもしれません。
かつて日本には「らい予防法」という歴史的に恥ずべき法律がありました。ハンセン病を患った人に対し、いわれのない差別を国家自らがおこなっていた非科学的で非人道的な法律です。しかも、この悪法が廃止されたのは1996年になってからです。この国では21世紀を目の前にするまで、国が中心となってハンセン病罹患者を差別し続けてきたのです。
同じことを繰り返してはいけません。HIV陽性者が感染の事実を隠さなければ生きていけないという社会など、いくら国民の所得が上がろうが、教育水準が上がろうが、恥ずべき社会なのです。
HIVという感染症を特別視しすぎれば、HIVは怖い、HIVに感染すると死ぬ、HIVに感染すると二度とセックスできない、HIVに感染すると家族に迷惑をかける、などといった誤った考えが生まれることになります。
そして、このような誤解がHIVに対する差別感や偏見を助長しているのです
1つには前回お話したように、HIVよりも感染力が強く予防をしていなければならない他の性感染症がないがしろにされてしまうという問題です。
もうひとつは、HIVを特別視しすぎるあまり、感染者に対する差別や偏見が生まれるという弊害です。
HIV感染者に対する偏見が存在し、この日本でそれが顕著なのは大きな問題です。
私は、以前タイのHIV陽性者がいわれのない差別を受けて、地域社会から、家族から、そして病院からさえも見捨てられている現状を目の当たりにし、それがGINA設立のきっかけとなりました。
しかし、あれから数年たった今では、タイのHIV陽性者に対する差別意識は、もちろん完全になくなってはいませんが、かなり減ってきています。まだまだ感染の事実をカムアウトしやすい社会ではありませんが、それでも、「(性交渉以外の)日常生活では他人に感染させることはない」「適切な治療を受ければ死に至る病ではない」といったことが社会に認識されるようになり、以前のように、誰にも相談できずに死を迎えるしかないといった事態は今ではほとんどありません。
欧米ではHIVに感染した有名人がカムアウトしてそれがマスコミに取り上げられたり、またそういった有名人がHIV予防のための活動をしたり、といったことがよくあります。しかし、私の知る限り日本人の有名人がHIV陽性であることをカムアウトした、という話は聞いたことがありません。
また、家族や職場に感染の事実を隠しながら生きているHIV陽性の人は少なくありません。というより、家族にも職場にも感染の事実を伝えている人はごく稀です。
私が診療の現場でHIV陽性の人に聞かれることに次のようなものがあります。
「ひとりで隠しておくのがしんどくなってきました。会社に感染のことを言おうと思っているのですが先生はどう思いますか」
HIV感染は何も恥ずかしいことではありませんし、(性交渉以外の日常生活では)他人に感染させることもありません。ですから、私は次のように答えています。
「そうですね。HIV感染はなにも隠すべきものでもありませんしね。堂々と感染していると言えばいいと思いますよ・・・」
嘘です。
本当はこう言いたい気持ちがあるのですが、現在の日本社会ではHIV感染の事実が周知されると不利益を被る可能性が非常に高いのです。HIVに感染していることが会社に知られて仕事がしづらくなった、退職せざるを得なかった、という事実はいくらでもあるのが現状なのです。
ですから、実際には次のように答えることがよくあります。
「お気持ちは分かりますが、職場に報告するのは賢明でない場合の方が今の日本では多いのが現実です。いったん報告すればそれを撤回することはできません。私が助言するような問題ではないかもしれませんが、もう少し日本のHIVに対する偏見が軽減されるまで待つべきではないでしょうか」
HIVが差別の対象となるような感染症でないことを訴えるというのはGINAのミッション・ステイトメントにもあるとおりです。HIV陽性の人と陰性の人が何の偏見もなく共存し合う、そういう社会があるべき姿であるはずです。
HIV陽性の人が職場に感染のことを話す必要があると感じるのには理由があります。ひとつには、病状の程度にもよりますが、抗HIVを内服している人であれば定期的にエイズ拠点病院を受診しなければならないことがあります。この場合、会社を休んで受診しなければならない日もありますから、その理由をつくるのに苦労するのです。
さらに、HIVに感染していると、まだ抗HIV薬を内服しなくてもいい段階でも、発熱や倦怠感といった症状が出現することがあります。そんなとき、HIV感染の事実を会社に伝えていないと、「体力のないやつだな」といった印象を与えることになるかもしれません。また、抗HIV薬を内服している人であれば、薬の副作用に苦労することもあり得ますし、例えば宴会や慰安旅行の際にこっそりと隠れて薬を飲まなければならない、といったこともあるでしょう。
HIV以外の病気、例えば1年前に胃ガンを患い胃の摘出術を受けた人がいたとしましょう。一般にガンというのは再発の可能性がありますし、そもそも胃を切除しているわけですから、そうでない人に比べて体力が弱いことが考えられます。職場にそのような人がいれば、きっと周囲の人はそれなりの接し方をするでしょう。例えば、体調が芳しくないように見えれば気遣いの言葉をかけるでしょうし、早退をすすめることがあるかもしれません。術後の定期健診で会社を休んでも誰も咎めることはないでしょう。
HIVに感染している人も本来は同じはずです。定期受診で会社を休むこともあれば、体調がすぐれずに早退した方がいい場合だって考えられます。それなのに、感染の事実を周囲に伝えられないわけですから、当事者はしんどくても無理をすることになるかもしれませんし、会社を休む理由として毎回嘘をつかなければならないかもしれません。
かつて日本には「らい予防法」という歴史的に恥ずべき法律がありました。ハンセン病を患った人に対し、いわれのない差別を国家自らがおこなっていた非科学的で非人道的な法律です。しかも、この悪法が廃止されたのは1996年になってからです。この国では21世紀を目の前にするまで、国が中心となってハンセン病罹患者を差別し続けてきたのです。
同じことを繰り返してはいけません。HIV陽性者が感染の事実を隠さなければ生きていけないという社会など、いくら国民の所得が上がろうが、教育水準が上がろうが、恥ずべき社会なのです。
HIVという感染症を特別視しすぎれば、HIVは怖い、HIVに感染すると死ぬ、HIVに感染すると二度とセックスできない、HIVに感染すると家族に迷惑をかける、などといった誤った考えが生まれることになります。
そして、このような誤解がHIVに対する差別感や偏見を助長しているのです
第36回 HIVを特別視することによる弊害 その1 (2009年6月)
2009年6月17日、厚生労働省のエイズ動向委員会は、2008年に新たに報告されたHIV感染者とエイズ発症者の確定値を公表しました。
同省によりますと、HIV感染者は1,126人(2007年は1,082人)、エイズ発症者は431人(2007年は418人)で、ともに過去最多を更新しています。さらに、これらの数字は6年連続で過去最多を更新していることになります。
6年連続過去最多、となると、「気になる人は検査にいきましょう」「HIVはもう稀な感染症ではありません」、などと言われるようになり、行政やNGOなどの団体は、HIVの検査キャンペーンなどをおこない、積極的に検査を促すようになります。
GINAでもこれまで検査の重要性を訴えてきたつもりではありますが、では、HIVの検査を積極的にしていればそれで問題はないのか、と言えば決してそんなことはありません。
このウェブサイトをみてメールで質問される人は少なくありませんが、それらのメールを読んだり、また私は太融寺町谷口医院で毎日のようにHIVに関する相談を患者さんから直接受けますが、患者さんの悩みを聞いたりしていると、HIVはまだまだ誤解されているんだな、と感じることがよくあります。
今回は私が日々感じている憂うべきHIVに関する誤解についてお話したいと思います。
なぜHIVが誤解されているのか。この答えは、HIVを特別視しすぎることにあるのではないか、と私は感じています。
HIVは特別な感染症で絶対にかかってはいけない。だから少しでも可能性があるなら検査しないといけない。体液が付着していたかもしれないシーツに触れてしまった・・・、落ちているハンカチに血がついていたような気がする・・・、蚊にさされたけどこの蚊が自分の前にHIV陽性者に吸血していたら・・・。
こういった理論的に感染しうるはずのないことでも不安から逃れられない人がいます。理論的に感染の可能性を否定できないケースで、実際の医療現場で患者さんから最もよく聞くのは次のようなことです。
先日、(交際相手以外の人と)性交渉を持ってしまった。コンドームはしていたけど、相手の体液が自分に触れたような気がする。HIVが心配になってきた・・・。
この場合、リスクはゼロではないかもしれません。まず、日本人というのは、コンドームはしているといっても、よく聞くと、フェラチオ(fellatio)の際にはコンドームを使用しなかったという人が非常に多いという特徴があります。(これはGINAがおこなったタイのsex workerに関する調査であきらかとなりました)
また、クンニリングス(cunnilingus)の際に用いるデンタルダム(女性器に覆うカバーのようなもの)は日本ではほとんど売れないそうです。ということは、日本人はオーラルセックスについてはかなり無頓着ということになります。
HIVはオーラルセックスで感染する可能性はそれほど高くありませんが、ないわけではありません。タイでは以前から、オーラルセックスの危険性が繰り返し強調されていますし、日本での症例については拙書『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』で述べたとおりです。
ですから、少しでもリスクのある性交渉があるならHIVの検査を受けるべき、というのは間違いではありません。
問題はここからです。
HIVが気になって検査を・・・という人の何割かは、ともかくHIVが気になっていて他の性感染症については驚くほど無関心なのです。B型肝炎ウイルス(以下HBV)のワクチンを打っていない人も少なくありません。
以前にも述べましたが、HBVのワクチンを打たないでよく分かっていない相手と性的接触をもつなどというのは医療者からみれば考えられないことです。HBVはHIVと異なり、オーラルセックスでも"簡単に"感染しますし、なかにはディープキスで感染したという報告もあります。
医療の現場では、性交渉による感染でなく患者さんの体液に触れることによる感染を危惧して様々な感染予防対策がとられています。HIVに関して言えば、たいていどこの医療機関でもマニュアルが作成され、針刺し事故など感染の危険性のある出来事があればすぐに抗HIV薬を内服することになっています。(太融寺町谷口医院にももちろんスタッフのための抗HIV薬を常備しています)
しかし、HIV対策というのは、医療現場で感染しうる多くの感染症のなかのひとつにすぎないわけで、しかも感染力がそれほど強くないわけですから、例えば感染予防対策マニュアルの1ページ目にHIVの記載があるわけではありません。
針刺し事故などのカテゴリーに入れられる感染症のなかで、最優先の(要するに最も感染力が強く予防を徹底しなければならない)感染症はやはりHBVでしょう。ですから、医療者は全員、医師や看護師だけでなく検査技師や事務員も、HBVのワクチン接種をおこない抗体ができていることを確認しなければならないのです。
もしもHIV対策にのみ必死になり、命にかかわる感染症でありなおかつ感染力がHIVよりもはるかに強いHBVの対策をいい加減にしているとすれば本末転倒です。そんな医療機関はあり得ませんが、もしもあったとしたら他の医療機関から笑いものになるだけではすまないでしょう。感染症に対して無知という烙印をおされ、医療界から消されるでしょう。(というよりそんな医療機関がもしあれば患者さんに被害が出る前に今すぐに消えてもらわなければなりません)
HBVだけではありません。感染力はHBVよりは弱いと言えますが、C型肝炎ウイルス(以下HCV)も性交渉を通しての感染はあり得ます。(私の印象で言えばHCVは男性同性愛者に多いのですが、異性愛者でもないわけではありません。HIVと同等くらいには男女間のHCV感染はあると思われます)
また、治る病気とは言え、梅毒も侮ってはいけません。ここ数年で、いったん減少しかけていた梅毒が増加傾向にあります。そして、私の印象でいえば、圧倒的に男性同性間が多かった一昔前に比べて、確実に女性の感染者や女性から感染する男性が増えています。
さらに言えば、クラミジアや淋病、性器ヘルペスや尖圭コンジローマなどもHIVに比べると遥かに感染力が強いわけで、そういったいつかかってもおかしくない(しかもコンドームで防ぎきれないこともある)感染症が心配にならずに、HIVのみに恐怖を感じている人に対してはどうしても違和感を覚えてしまいます。
次回は、HIVを特別視することで生じているもうひとつの弊害についてお話いたします。
同省によりますと、HIV感染者は1,126人(2007年は1,082人)、エイズ発症者は431人(2007年は418人)で、ともに過去最多を更新しています。さらに、これらの数字は6年連続で過去最多を更新していることになります。
6年連続過去最多、となると、「気になる人は検査にいきましょう」「HIVはもう稀な感染症ではありません」、などと言われるようになり、行政やNGOなどの団体は、HIVの検査キャンペーンなどをおこない、積極的に検査を促すようになります。
GINAでもこれまで検査の重要性を訴えてきたつもりではありますが、では、HIVの検査を積極的にしていればそれで問題はないのか、と言えば決してそんなことはありません。
このウェブサイトをみてメールで質問される人は少なくありませんが、それらのメールを読んだり、また私は太融寺町谷口医院で毎日のようにHIVに関する相談を患者さんから直接受けますが、患者さんの悩みを聞いたりしていると、HIVはまだまだ誤解されているんだな、と感じることがよくあります。
今回は私が日々感じている憂うべきHIVに関する誤解についてお話したいと思います。
なぜHIVが誤解されているのか。この答えは、HIVを特別視しすぎることにあるのではないか、と私は感じています。
HIVは特別な感染症で絶対にかかってはいけない。だから少しでも可能性があるなら検査しないといけない。体液が付着していたかもしれないシーツに触れてしまった・・・、落ちているハンカチに血がついていたような気がする・・・、蚊にさされたけどこの蚊が自分の前にHIV陽性者に吸血していたら・・・。
こういった理論的に感染しうるはずのないことでも不安から逃れられない人がいます。理論的に感染の可能性を否定できないケースで、実際の医療現場で患者さんから最もよく聞くのは次のようなことです。
先日、(交際相手以外の人と)性交渉を持ってしまった。コンドームはしていたけど、相手の体液が自分に触れたような気がする。HIVが心配になってきた・・・。
この場合、リスクはゼロではないかもしれません。まず、日本人というのは、コンドームはしているといっても、よく聞くと、フェラチオ(fellatio)の際にはコンドームを使用しなかったという人が非常に多いという特徴があります。(これはGINAがおこなったタイのsex workerに関する調査であきらかとなりました)
また、クンニリングス(cunnilingus)の際に用いるデンタルダム(女性器に覆うカバーのようなもの)は日本ではほとんど売れないそうです。ということは、日本人はオーラルセックスについてはかなり無頓着ということになります。
HIVはオーラルセックスで感染する可能性はそれほど高くありませんが、ないわけではありません。タイでは以前から、オーラルセックスの危険性が繰り返し強調されていますし、日本での症例については拙書『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』で述べたとおりです。
ですから、少しでもリスクのある性交渉があるならHIVの検査を受けるべき、というのは間違いではありません。
問題はここからです。
HIVが気になって検査を・・・という人の何割かは、ともかくHIVが気になっていて他の性感染症については驚くほど無関心なのです。B型肝炎ウイルス(以下HBV)のワクチンを打っていない人も少なくありません。
以前にも述べましたが、HBVのワクチンを打たないでよく分かっていない相手と性的接触をもつなどというのは医療者からみれば考えられないことです。HBVはHIVと異なり、オーラルセックスでも"簡単に"感染しますし、なかにはディープキスで感染したという報告もあります。
医療の現場では、性交渉による感染でなく患者さんの体液に触れることによる感染を危惧して様々な感染予防対策がとられています。HIVに関して言えば、たいていどこの医療機関でもマニュアルが作成され、針刺し事故など感染の危険性のある出来事があればすぐに抗HIV薬を内服することになっています。(太融寺町谷口医院にももちろんスタッフのための抗HIV薬を常備しています)
しかし、HIV対策というのは、医療現場で感染しうる多くの感染症のなかのひとつにすぎないわけで、しかも感染力がそれほど強くないわけですから、例えば感染予防対策マニュアルの1ページ目にHIVの記載があるわけではありません。
針刺し事故などのカテゴリーに入れられる感染症のなかで、最優先の(要するに最も感染力が強く予防を徹底しなければならない)感染症はやはりHBVでしょう。ですから、医療者は全員、医師や看護師だけでなく検査技師や事務員も、HBVのワクチン接種をおこない抗体ができていることを確認しなければならないのです。
もしもHIV対策にのみ必死になり、命にかかわる感染症でありなおかつ感染力がHIVよりもはるかに強いHBVの対策をいい加減にしているとすれば本末転倒です。そんな医療機関はあり得ませんが、もしもあったとしたら他の医療機関から笑いものになるだけではすまないでしょう。感染症に対して無知という烙印をおされ、医療界から消されるでしょう。(というよりそんな医療機関がもしあれば患者さんに被害が出る前に今すぐに消えてもらわなければなりません)
HBVだけではありません。感染力はHBVよりは弱いと言えますが、C型肝炎ウイルス(以下HCV)も性交渉を通しての感染はあり得ます。(私の印象で言えばHCVは男性同性愛者に多いのですが、異性愛者でもないわけではありません。HIVと同等くらいには男女間のHCV感染はあると思われます)
また、治る病気とは言え、梅毒も侮ってはいけません。ここ数年で、いったん減少しかけていた梅毒が増加傾向にあります。そして、私の印象でいえば、圧倒的に男性同性間が多かった一昔前に比べて、確実に女性の感染者や女性から感染する男性が増えています。
さらに言えば、クラミジアや淋病、性器ヘルペスや尖圭コンジローマなどもHIVに比べると遥かに感染力が強いわけで、そういったいつかかってもおかしくない(しかもコンドームで防ぎきれないこともある)感染症が心配にならずに、HIVのみに恐怖を感じている人に対してはどうしても違和感を覚えてしまいます。
次回は、HIVを特別視することで生じているもうひとつの弊害についてお話いたします。
第35回 アートメイクとピアスとタトゥー(2009年5月)
新型インフルエンザが世間を騒がせており、私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(旧すてらめいとクリニック)にも、少しの風邪症状だけで「インフルエンザかも?」と考えて受診する患者さんが後を絶ちませんが、ほぼ毎日のように「HIVが心配で・・・」という人も来られます。
私は、HIV感染を心配しているという人に対して、「もしも感染しているとすれば性感染ですか、それとも血液感染ですか」と尋ねるようにしています。
すると、圧倒的に多いのが「性感染を心配しています」という答えで、「血液感染が心配」という人は、10人中1人程度です。なかには、「血液感染ってどんなのですか?」と逆に質問される場合もあり、「HIV感染=性感染」と考えている人すらいます。
たしかに、HIV感染、特に日本のHIV感染は圧倒的多数が性的接触によるものです。ですから、「危険な性交渉を控える」「性交渉のときにはコンドームを」などというのはHIV感染を防ぐ上では大変大切なことではあります。
しかし、それだけでは充分ではありません。もちろん、その人がどのような行動をとっているかにもよりますが、「血液感染としてのHIV」に対する意識に乏しい人がけっこう多いようだな・・・、と私は感じています。
HIVの血液感染で最たるものは、「違法薬物の静脈注射」です。もっとありていの言葉で言えば「針の使いまわし」です。これについては、このウェブサイトでも何度も繰り返し危険性を強調してきました。薬物常用者(ジャンキー)は、医療従事者でもない限り、薬物と同様(あるいはそれ以上に)新しい針を入手するのが困難です。そのため、何度も同じ針を使うことになりますが針は一度使えば鋭利さに乏しくなりますから、何度か使用するうちに静脈に刺しにくくなります。そのため、ジャンキーはいつも新しい針をなんとかして手に入れたいと考えています。
そんなときに、他人が一度だけ使った針がそこにあったとすれば、まだその針には鋭利さがあり静脈に刺入しやすいと考えるわけです。これが回しうちにつながりHIVを含む感染症の原因になるというわけです。
さて、今回お話したいのは薬物の静脈注射以外の血液感染です。多くの人にとってノーマークなのが、アートメイクとボディピアス、そしてタトゥーです。これらは、日本でおこなうよりも海外で施術をした方が安くつくこともあり、安易な気持ちで海外旅行に出掛けたときに、開放的な気分が後押しすることもあるのかもしれませんが、試してしまうという人が少なくありません。
最近私が知り合った人(日本人女性)も、海外のある国でHIVに感染しました。その人は、いつどこでどのようにHIVに感染したのか見当もつかない、と私に話しました。外国人との性交渉はありますが、交際相手だけですし、危険な性交渉(unprotected sex)の経験もないと言います。しかし、よくよく聞いてみれば、1年ほど前に海外でアートメイクの施術を受けたことが分かりました。確証はできませんが、状況からこの人はアートメイクの施術でHIVに感染した可能性が強いのです。
今のところ、日本のタトゥーショップやアートメイクの施術でHIVに感染したという症例は私の知る限りではありません。では、日本では安全なのかというと、そうは言い切れないと考えた方がいいでしょう。HIV感染は表に出てこないだけで実際にはありうる可能性もありますし、C型肝炎ウイルス(以下HCV)やB型肝炎ウイルス(以下HBV)などは充分にあり得ます。実際、私が診察した患者さんのなかにも日本のタトゥーショップでHCVに感染した人は何人もいます。
興味深いことに、タトゥーなどでHCVに感染した人のなかには、HIVに対しては豊富な知識を持っている人が少なくありません。最近私が診察した患者さんのなかに、「大丈夫だとは思うけどタトゥーでHIVに感染したことを否定したいので・・・」と言ってHIV抗体検査を希望された方がいました。私は問診時にその人に、「HIVもみておいた方がいいかとは思いますが、HCVは大丈夫と言い切れますか」と質問すると、意外にもその人はHCVがタトゥーで感染するということを知りませんでした。"意外にも"と私が感じたのは、HIVに関しては充分な知識を持っていたからです。HIVに対しては知識が豊富でHCVについてはほとんど何も知らない・・・。医療者からみれば、HIVよりも感染力が(少なくとも血液感染で言えば)強く、感染者もはるかに多い(日本のHCV陽性者は200万人以上とも言われています)HCVがノーマークになっていることに大変な違和感を覚えるのです。
私がすすめたこともあり、この人はHIVだけでなくHCVの検査もおこないました。結果は、HIVは陰性であったものの、HCVは「陽性」でした。(HBVは陰性でした)
ここで、なぜタトゥーやアートメイクでHIVやHCV、HBVといった感染症に罹患するのかについて考えてみましょう。おそらく世界中どこのタトゥーショップに行っても、「針は使い捨てを使用しています」と答えるに違いありません。では、使い捨ての針を使っているのにもかかわらずどうして感染するのか。学術的な調査がなされたわけではありませんが、おそらく色を付けるための墨が入っている「墨つぼ」に一番の原因があるのではないかと思われます。
感染予防対策を徹底しようと思えば、針や彫刻刀だけではなく、墨つぼも使い捨てにしなければなりません。実際に、HIVやHCVに感染している人がいることを考えると、アートメイクショップやタトゥーショップで使用されている墨つぼは客ごとに新しいものに取り替えられていない可能性があります。あるいは、墨つぼの製造過程に問題があるのかもしれません。
さらに、針や彫刻刀、墨つぼが完全に無菌状態であったとしても、施術者がHIVやHCVに感染している場合は、感染のリスクが完全にゼロにはならないと考えるべきでしょう。また、施術をおこなう際の環境にも注意を払うべきでしょう。(医療の手術現場では、術野を完全に滅菌された状態に保ちますが、同じような環境でタトゥーやアートメイクがおこなわれているとは考えられません)
このように述べると、タトゥーやアートメイク、ボディピアス(ボディピアスは墨を使いませんが海外のショップでは不衛生なところがあると言われています)は、感染予防上おこなってはいけないもの、と聞こえてしまいますが、こういったものが衛生上の観点からのみ語られることには問題があります。
こういったものは芸術、あるいは文化とも言えるわけで、感染のリスクがあるからという理由だけで否定することはできません。(例えば、アンジェリーナ・ジョリーの背中に入っている虎のタトゥーは、タイの伝統的な寺で入れられています)
医療機関の手術室でタトゥー、というのが解決策であるようにも思いますが、現実的ではありません。まずは、施術を受ける方も、施術をおこなう方も、感染症の知識を確かなものとすることが大切でしょう。正しい知識を持つ持たないで、感染症のリスクは天と地ほど変わるのですから。
参考:太融寺町谷口医院ウェブサイト メディカル・エッセィ 第16回 「タトゥーの功罪」(http://www.stellamate-clinic.org/med_esse-1.htm#16)2005年6月1日
私は、HIV感染を心配しているという人に対して、「もしも感染しているとすれば性感染ですか、それとも血液感染ですか」と尋ねるようにしています。
すると、圧倒的に多いのが「性感染を心配しています」という答えで、「血液感染が心配」という人は、10人中1人程度です。なかには、「血液感染ってどんなのですか?」と逆に質問される場合もあり、「HIV感染=性感染」と考えている人すらいます。
たしかに、HIV感染、特に日本のHIV感染は圧倒的多数が性的接触によるものです。ですから、「危険な性交渉を控える」「性交渉のときにはコンドームを」などというのはHIV感染を防ぐ上では大変大切なことではあります。
しかし、それだけでは充分ではありません。もちろん、その人がどのような行動をとっているかにもよりますが、「血液感染としてのHIV」に対する意識に乏しい人がけっこう多いようだな・・・、と私は感じています。
HIVの血液感染で最たるものは、「違法薬物の静脈注射」です。もっとありていの言葉で言えば「針の使いまわし」です。これについては、このウェブサイトでも何度も繰り返し危険性を強調してきました。薬物常用者(ジャンキー)は、医療従事者でもない限り、薬物と同様(あるいはそれ以上に)新しい針を入手するのが困難です。そのため、何度も同じ針を使うことになりますが針は一度使えば鋭利さに乏しくなりますから、何度か使用するうちに静脈に刺しにくくなります。そのため、ジャンキーはいつも新しい針をなんとかして手に入れたいと考えています。
そんなときに、他人が一度だけ使った針がそこにあったとすれば、まだその針には鋭利さがあり静脈に刺入しやすいと考えるわけです。これが回しうちにつながりHIVを含む感染症の原因になるというわけです。
さて、今回お話したいのは薬物の静脈注射以外の血液感染です。多くの人にとってノーマークなのが、アートメイクとボディピアス、そしてタトゥーです。これらは、日本でおこなうよりも海外で施術をした方が安くつくこともあり、安易な気持ちで海外旅行に出掛けたときに、開放的な気分が後押しすることもあるのかもしれませんが、試してしまうという人が少なくありません。
最近私が知り合った人(日本人女性)も、海外のある国でHIVに感染しました。その人は、いつどこでどのようにHIVに感染したのか見当もつかない、と私に話しました。外国人との性交渉はありますが、交際相手だけですし、危険な性交渉(unprotected sex)の経験もないと言います。しかし、よくよく聞いてみれば、1年ほど前に海外でアートメイクの施術を受けたことが分かりました。確証はできませんが、状況からこの人はアートメイクの施術でHIVに感染した可能性が強いのです。
今のところ、日本のタトゥーショップやアートメイクの施術でHIVに感染したという症例は私の知る限りではありません。では、日本では安全なのかというと、そうは言い切れないと考えた方がいいでしょう。HIV感染は表に出てこないだけで実際にはありうる可能性もありますし、C型肝炎ウイルス(以下HCV)やB型肝炎ウイルス(以下HBV)などは充分にあり得ます。実際、私が診察した患者さんのなかにも日本のタトゥーショップでHCVに感染した人は何人もいます。
興味深いことに、タトゥーなどでHCVに感染した人のなかには、HIVに対しては豊富な知識を持っている人が少なくありません。最近私が診察した患者さんのなかに、「大丈夫だとは思うけどタトゥーでHIVに感染したことを否定したいので・・・」と言ってHIV抗体検査を希望された方がいました。私は問診時にその人に、「HIVもみておいた方がいいかとは思いますが、HCVは大丈夫と言い切れますか」と質問すると、意外にもその人はHCVがタトゥーで感染するということを知りませんでした。"意外にも"と私が感じたのは、HIVに関しては充分な知識を持っていたからです。HIVに対しては知識が豊富でHCVについてはほとんど何も知らない・・・。医療者からみれば、HIVよりも感染力が(少なくとも血液感染で言えば)強く、感染者もはるかに多い(日本のHCV陽性者は200万人以上とも言われています)HCVがノーマークになっていることに大変な違和感を覚えるのです。
私がすすめたこともあり、この人はHIVだけでなくHCVの検査もおこないました。結果は、HIVは陰性であったものの、HCVは「陽性」でした。(HBVは陰性でした)
ここで、なぜタトゥーやアートメイクでHIVやHCV、HBVといった感染症に罹患するのかについて考えてみましょう。おそらく世界中どこのタトゥーショップに行っても、「針は使い捨てを使用しています」と答えるに違いありません。では、使い捨ての針を使っているのにもかかわらずどうして感染するのか。学術的な調査がなされたわけではありませんが、おそらく色を付けるための墨が入っている「墨つぼ」に一番の原因があるのではないかと思われます。
感染予防対策を徹底しようと思えば、針や彫刻刀だけではなく、墨つぼも使い捨てにしなければなりません。実際に、HIVやHCVに感染している人がいることを考えると、アートメイクショップやタトゥーショップで使用されている墨つぼは客ごとに新しいものに取り替えられていない可能性があります。あるいは、墨つぼの製造過程に問題があるのかもしれません。
さらに、針や彫刻刀、墨つぼが完全に無菌状態であったとしても、施術者がHIVやHCVに感染している場合は、感染のリスクが完全にゼロにはならないと考えるべきでしょう。また、施術をおこなう際の環境にも注意を払うべきでしょう。(医療の手術現場では、術野を完全に滅菌された状態に保ちますが、同じような環境でタトゥーやアートメイクがおこなわれているとは考えられません)
このように述べると、タトゥーやアートメイク、ボディピアス(ボディピアスは墨を使いませんが海外のショップでは不衛生なところがあると言われています)は、感染予防上おこなってはいけないもの、と聞こえてしまいますが、こういったものが衛生上の観点からのみ語られることには問題があります。
こういったものは芸術、あるいは文化とも言えるわけで、感染のリスクがあるからという理由だけで否定することはできません。(例えば、アンジェリーナ・ジョリーの背中に入っている虎のタトゥーは、タイの伝統的な寺で入れられています)
医療機関の手術室でタトゥー、というのが解決策であるようにも思いますが、現実的ではありません。まずは、施術を受ける方も、施術をおこなう方も、感染症の知識を確かなものとすることが大切でしょう。正しい知識を持つ持たないで、感染症のリスクは天と地ほど変わるのですから。
参考:太融寺町谷口医院ウェブサイト メディカル・エッセィ 第16回 「タトゥーの功罪」(http://www.stellamate-clinic.org/med_esse-1.htm#16)2005年6月1日