GINAと共に

第134回(2017年8月) インド女性の2つの「惨状」

 日本では男女雇用機会均等法が制定され30年以上が経過しますが、いまだに女性が不利益を被っていることがよく指摘されます。諸外国と比べても女性の政治家や企業役員が少ないことは明らかであり、実際に企業で働く女性の実感としても「男性が女性より優遇されている」ようで、先日東京大学らによりおこなわれた調査でも45%の女性がそのように回答しています。(報道は2017年7月21日の共同通信)

 社会的に女性が「差別」されているのは日本だけではなく、儒教の影響なのか韓国での女性の扱われ方は日本よりもずっとひどいとする声は少なくありません。中国もやはり、女性の待遇は好ましいものではなく、自殺者が女性の方が男性より多いのは中国くらいであることがよく引き合いに出されます。

 ではアジア全体で女性が差別的な扱いを受けているのかといえば、そういうわけではなく、タイやフィリピンなど東南アジアではあまりそのような感じがしません。タイでは農村地域に行けば、女性が朝早くから夜遅くまで働き、男性は1日中寝そべっているような印象がありますが、不思議なことに女性が酷使されているという印象は受けません。バンコクなど都心部では、大企業や役所を覗けば女性の社員が多いことに驚かされます。しかも課長や部長といった役職に就いている女性がすごく多いのです。これはフィリピンでも同じです。

 では女性差別の問題は、日本・韓国・中国といった東アジアで最も深刻なのかといえば、そういうわけではなく、イスラム教の国々やアフリカ諸国のなかには東アジアとは比べ物にならないくらい女性の権利が認められていない地域もあります。(ただし、私の印象でいえば、インドネシアやマレーシアはイスラム圏でも女性の地位は低くはありません)

 今回取り上げたいのはインドの女性差別です。そしてなぜこの問題を取り上げるかというと、女性差別がHIV感染に関わっているだろうと思えるからです。インドのHIV陽性者は現在1位の南アフリカ共和国に次いで第2位です。感染者はおよそ500万人とみられていますが、きちんと調査されたわけではなく、感染に気付いていない人も多数いるでしょうから実態は誰にも分からないと考えるべきでしょう。

 なぜインドでこれほどまでにHIVが多いのか。最大の理由は「女性がセックスを拒めない」からではないか。私はそのようにみています。それを物語る2つの「惨状」を紹介したいと思います。

 1つめの惨状は、「インドでは硫酸を顔面にかけられる女性が異常に多い」ということです。日本でも同じような事件はあるのでしょうが、私自身は子供の頃にテレビでみたサスペンスドラマでしか知りません。一方、インドでは当たり前すぎるくらいにこういう事件があります。酸(硫酸)に攻撃されることをインドでは「アシッド・アタック」と呼ぶそうです。そもそも、こういう言葉が日常化していること自体が事件が多いことを物語っています。

 北インドの古都アーグラに「Sheroes Hangout」という小さなカフェがあり、観光名所として紹介されています。私はTrip advisorでみましたが、他のサイトでも簡単に見つかります。(「Sheroes Hangout」で検索してみてください) この「Sheroes」という単語、「She」と「Hero」を合わせた造語です。そして従業員はアシッド・アタック被害者の女性たちです。

 インドでは宗教的な理由から女性が男性と「区別」されています。これを差別と呼ぶかどうかは議論が分かれるでしょうが、日本人を含む外国人がインドをみればやはり異様でしょう。女性は「不浄」な存在とされ、料理を作ったり運んだりすることを許されていません。インドのレストランに女性のウエイトレスや料理人がいないのはこのためです。高級レストランにはサリー姿の美しい女性がいますが、彼女らは客を席まで案内するだけです。

「Sheroes Hangout」ではアシッド・アタックの被害者の女性がウエイトレスをしています。これはインドでは画期的なことです。もっとも、客は西洋人がほとんどでありインド人はほとんど行かないと聞きました。ですが「Trip advisor」にはインド人の書込もありました。(今のところ日本人の報告はありません)

 さて、私が言いたいのはこのカフェのことではありません。なぜインドではアシッド・アタックなるものが「容認」されるのか、ということです。もちろんこのような残虐な行為は法的に許されてはいません。ですが、同じような事件が後を絶たないのは、この犯罪への「敷居」が低いからに他なりません。実際、アシッド・アタックの加害者が重罰を課せられるわけでもなく、周囲からそれほど非難されることもないのです。もしも日本で同じことをおこなえば、法律上の償いをしたとしても、生涯にわたり社会から許されることはないでしょう。

 なぜインドではこれほどの残虐行為の加害者が社会から「容認」されるのか。それは被害者の女性が、加害者が望む結婚または交際を断ったからです。男性のセックスの申し入れを断った女性はアシッド・アタックの報復を受けても仕方がない、という社会的なコンセンサスがあるから男性が「容認」されているというわけです。

 女性がセックスを拒めないことを示すもうひとつの「惨状」を紹介したいと思います。それは、インドではレイプの被害があまりにも多く日常化しているということです。日本人の旅行者が軟禁され集団レイプの被害にあったという報道もときどき聞きますが、この国ではこのようなことは日常茶飯事であり、我々が想像もできないようなレベルで事件が起きています。

 例えば、2017年6月には、インド北東部のビハール州で16歳の少女が電車のなかで集団レイプされ電車から捨てられるという事件が発生しました。BBCが詳しく報じています(注1)。報道によれば、この少女は自宅の近くで男性2人に拉致され、レイプされ、駅までつれていかれて電車に乗せられました。車内で合流した別の3人の男性にもレイプされ、その後電車から突き落とされたのです。現地の新聞(注2)によれば、少女は重体であり生死をさまよっているそうです。

 電車という公共の乗り物の中でのレイプ...。平和を享受している日本人からは想像もつきません。そして、インドの「恐怖の乗り物」は電車だけではありません。バスもまた危険なのです。16歳の少女の悲惨な事件が起こったわずか数日後、今度は、インド北部のノイダで、35歳の女性がバスの中で3人の男に8時間にわたりレイプされるという事件が発生しました(注3)。また、その約1カ月前には、インド北部グルグラムで、9か月の赤ちゃんと一緒にバスに乗った女性が同乗していた3人の男性にレイプされ、赤ちゃんが走行中にバスの外に放り出されて死亡する事件が起こりました(注4)。

 現地新聞によれば、2015年の1年間にインド全域でのレイプ事件が34,600件以上発生しています(注5)。しかし、これが氷山の一角であるのは自明であり、この国では雇用機会均等の権利どころか女性が安全に暮らすことすら保障されていません。過去に紹介したように、米国では性行為には女性の「合意」が必要であり、この合意を「記録」するためのアプリまで存在します。米国が正しいかどうかは別にして、女性に対する考えが米国とインドでは天と地ほどの差があります。

 何が女性差別に該当するかという議論は専門家に任せたいと思いますが、私が言いたいことは、インドのこういった女性の「惨状」を鑑みれば、HIVに対して無防備な性交渉が日常的におこなわれているのはもはや歴然とした事実であり、女性を保護する対策を考えない限りはHIVを含む性感染症を減らすことはできない、ということです。

 そして、インドとは状況が異なりますが、日本のHIV予防を考えるときにも「女性が性的に脆弱な存在ではないか」ということを考えなければならない、というのが私の言いたいことです。

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注1:下記を参照ください。
 
http://www.bbc.com/news/world-asia-india-40323307?utm_source=Sailthru&utm_medium=email&utm_campaign=New%20Campaign&utm_term=%2AMorning%20Brief

注2:下記を参照ください。

http://indiatoday.intoday.in/story/bihar-class-x-girl-gangraped/1/982210.html

注3:下記を参照ください。

http://timesofindia.indiatimes.com/city/gurgaon/woman-alleges-rape-in-moving-car/articleshow/59243134.cms?TOI_browsernotification=true

注4:下記を参照ください。

http://indianexpress.com/article/india/gurgaon-two-held-in-gangrape-of-woman-murder-of-infant-4693919/

注5:下記を参照ください。

http://indianexpress.com/article/india/india-news-india/over-34600-rape-cases-in-india-delhi-tops-among-union-territories-3004487/

参考:山田敏弘(著)「なぜインドは「レイプ大国」になってしまったのか?|相次ぐ事件の背景を探る」『クーリエジャポン』2017年6月25日号

https://courrier.jp/news/archives/89109/

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第132回(2017年6月) ボランティアでの感染症のリスク~前編~

 ボランティアというものにはどこか「非日常的」な趣があり、それが海外でのボランティアとなると、非日常性は一層増します。周囲の者が「大変だね」「気を付けてね」「そんなことできるなんて偉いね」など、気遣いの言葉をかけてくれますが、当事者自身は大変どころか、これから始まる「非日常」にワクワクしている、ということがよくあります。

 ですから、一部の皮肉屋が言う「ボランティアなんてしょせん自己満足」というのは、あながち外れておらず、もしもあなたがボランティアを考えていて誰かにこのような皮肉を言われれば「そう、自己満足。で、何が悪いの?」と返せばいいのです。

 海外で医療ボランティアをしている自分をイメージするとき、見知らぬ土地や言葉に戸惑いながらも一生懸命患者さんに貢献する姿を思い浮かべることになり、人によっては悦に入ることもあるでしょう。ですが、実際にはもちろん「厳しさ」があります。前回は、ボランティアの地にたどり着くだけでも大変だ、ということを述べました。今回は感染症の話です。

 前回は、タイ最大のエイズホスピス「パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)」を訪れるときに使う交通手段として「ロット・トゥー」「モータサイ」を紹介し、これらはそれなりにハードルが高いことを述べました。そんなにリスクが伴うならやめておこう、という考えは間違っていませんし、場合によってはタイに着いてからやっぱり行けなかった、ということもあります。海外では「自分の身は自分で守る」が原則ですから、危険を察して予定を変更するのは賢明な選択です。

 感染症は知識で防ぐことができます。これは裏からみると「知識不足のせいで感染」がありえるということです。その感染症が「治る病気」であればいいでしょう。後から笑い話にでもすればいいのです。ですが、「治らない病気」あるいは「後遺症が残る病気」さらに「死に至る病」であればどうでしょう。

 はっきり言うと、私がこれまでタイで見てきた日本人のボランティアやこれから渡航予定の日本人の多くは感染症に無防備すぎます。実際、大変な感染症に罹患してしまった人もいます。ある程度勉強している人であってもどこかチグハグというか、優先順位の置き方がおかしいケースがあります。

 例を挙げましょう。「タイでは狂犬病のワクチンは必須ですよね」、と聞かれることがあります。これはたしかに間違ってはいません。タイに行ったことのある人ならわかるでしょうが、タイの犬は、昼間はまるでタイ人のように(失礼!)道端に寝そべっています。しかし夜になると文字通り「豹変」します。狂暴化し人間を襲うのです。そして犬に噛まれ狂犬病を発症すると(ほぼ)100%死亡します。しかしワクチンを適切に接種していれば100%助かります。

 ですからタイ渡航時には狂犬病ワクチンが必要という考えは間違っていないどころか、推奨されるべきものです。しかし、です。狂犬病ワクチンはワクチンのなかでは優先順位はそう高くはありません。その理由として、まず犬(だけではありませんが)は日ごろから注意していればそう恐れる必要はありません。夜間に森に行くようなことは絶対にやめなければなりませんが、夜間はホテルから出ないことなどをルールにしておけばそれほど危なくはありません。

 また、もしも噛まれたとしても速やかに救急病院を受診しワクチンを接種すれば助かります。タイはよほど辺鄙なところでない限り夜間でも受診できる病院はたいていの地域にあります。それに日本でワクチンをうつと非常に高価という問題もあります。

 狂犬病よりも優先しなければならないワクチンは何なのか。感染経路を考えることがまず必要です。そして、ワクチンのみに頼るという考えは間違いです。狂犬病でいえばワクチンより大切なことは動物に噛まれないように気を付けることです。実際、犬に噛まれれば心配しないといけないのは狂犬病だけではありません。犬の口腔内にはやっかいな細菌も多数棲息しています。

 タイではA型肝炎(以下HAV)のワクチンも必要と言われています。これは現地の人が行くような屋台で食事を摂るのであれば必須です。ですが、外国人が利用する高級なところでのみ食事する人はそこまでの心配はいりません。実際、私は観光でタイに行くという人にHAVのワクチンを勧めることはまずありません。しかし、ボランティアとなると長期になりますし、そもそもボランティア志望の人たちは現地の人たちと仲良くなることに積極的です。必ず現地の人しか行かないようなところで食事をすることになります。このときHAVのワクチンを接種していなければ危険です。ですから、HAVのワクチンはボランティアには必須と考えるべきです。

 しかし、もっと重要なものがあります。ここ数年の流れで言えば最も重要な感染症は「麻疹(はしか)」です。2016年9月、ジャカルタに出張していた30代男性の日本人が麻疹に感染し一時は意識状態が低下しました。シンガポールに搬送され、さらに日本に帰国して治療を受けましたが、現在も後遺症が残っているそうです。この男性は、渡航前にA型肝炎、B型肝炎、日本脳炎のワクチンは会社の指示で接種していたそうです。なぜ、麻疹が含まれていないのか...。この社員は会社の指示に従っていたのにもかかわらず後遺症が残る感染症に罹患してしまったのです。やはり、自分の身は自分で守る、が原則です。麻疹ワクチンは最低2回接種が必要です。

 麻疹がなぜ怖いのか。それは空気感染するからです。空気感染は「同じ教室にいるだけで感染する」と考えればいいと思います。ですから空港や駅、スーパーマーケットなど多くの人が集まる場所(これを「マスギャザリング」と呼びます)に行く機会があればリスクに晒されることになります。

 麻疹の他に空気感染する重要な感染症に「水痘(みずぼうそう)」と「結核」があります。水痘は麻疹ほど重篤ではありませんが、成人が感染すると「あばた」のような皮膚症状がかなり長期間残ることがあり、その後外出ができなくなる人もいます。

 結核は健常人であれば日常生活で感染することはあまりありませんが、ボランティアとなると話は別です。特にエイズ施設の場合、重症の患者さんは全員が結核感染の可能性がある、と考えなければなりません。結核にはワクチンはなく(乳児期に接種するBCGは結核のワクチンですが成人期に防げるわけではありません)他の方法で予防するしかありません。結核の予防には特殊なマスクを用いなければならず、実際日本の医療機関では結核陽性者と接するときはこのマスクを装着することが義務付けられています。パバナプ寺を含むエイズ施設ではここまで徹底できないのが実情ですが、それでも基礎知識は持っていなくてはなりません。

 以前、パバナプ寺である日本人のボランティア女性が、エイズ末期で声がほとんど出ず、まず間違いなく結核を有していると思われる患者さんに、マスクをせずに顔を近づけて会話をしようとしていました。私はすぐに注意しましたが、この女性は「結核のことなど考えたことがなかった」と話していました。たしかに、結核の知識は学校などでは教えてくれませんから自分で勉強するしかありません。

 ボランティアの動機がどのようなものであっても、自己満足であったとしても、私自身はボランティアをおこなう人を応援したいと考えています。ですが、「気持ち」や「勢い」だけでは後悔することになりかねません。次回も感染症のリスクの話の続きをしたいと思います。

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第131回(2017年5月) ボランティアの地に辿り着くまでのリスク~タイの場合~

 タイ国ロッブリー県にあるエイズ施設「パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)」は、世界最大のエイズホスピスとも呼ばれていて、これまで日本人を含む多くの外国人が訪れています。

 GINAのサイトを見て興味をもったという人も少なくなく、「ボランティアに行きたい。方法を教えてほしい」という問合せは過去10年間で数十件に上ります。ですが、そのなかで実際に訪問した人はほんの一握りに過ぎません。計画を断念した理由は様々ですが、最も多い理由のひとつが「とても辿り着ける自信がない...」というものです。

 世界にはタイよりも遥かに危険な地域がいくらでもあります。退避勧告が出ているような地域にボランティアに行きたいという人はそれほど多くなく、当たり前ですが、自分自身が無事に帰国することを前提にしなければなりません。そういう意味で、治安のいいタイは世界を見渡しても日本人が海外ボランティアとして最初に選択肢に挙がりやすい地域なのでしょう。よくタイと比較されるフィリピンは(地域にもよりますが)総じて治安が悪く、安全性を重視するならタイが選ばれることになります。(ただし、フィリピンにはタイにない利点があります。それは「英語が通じる」ということです。タイでは英語が絶望的なほど役に立ちません)

 タイにボランティアに行きたいという人のいくらかは観光でバンコクやプーケットに行ったことがあると言います。「前に行ったときは自然と料理を楽しんだ。今度は大好きなタイで困っている人にボランティアをしよう」と思うのです。私自身はこういう考えが嫌いではありません。ボランティアはしょせん自己満足、とうそぶく人が多いことを私は知っていますが、そんな意見は放っておけばいいのです。

 さて、それなりにタイを知っているがパバナプ寺のあるロッブリー県には行ったことがないという人は、GINAにどのようにして行けばいいのかを尋ねてきます。私自身がパバナプ寺に行くときは、バンコクから「ロット・トゥー」と呼ばれるワゴン車の乗り合いバスを利用します。大型バスもあるのですが時間がかかるのが難点です。その点ロット・トゥーは猛スピードで向かいますから(これが危険なのですが)あっという間に目的地まで着きます。それに運がよければ、ドライバーに交渉してパバナプ寺のすぐ近くまで行ってもらえることもあります。

 ですが、よほどタイに慣れていてある程度タイ語ができる人以外にはロット・トゥーを勧めることはできません。その最大の理由は、そもそもこのロット・トゥー、合法的な乗り物かどうかがよく分からないということです。元々は違法の乗り物でした。タイの大型バスは時間がかかり融通が利かないために、最初は誰かがワゴン車に人を乗せてお金をとって数時間の距離の運転をしたことが始まりのようです。これは儲かる!ということが分かると同じことをおこなう人が増え、バンコクのアヌサーワリーチャイ(戦勝記念塔)というところが自然発生的にロット・トゥーのターミナルとなりました。そして一気に普及し、「近距離県への移動はロット・トゥーが常識」となってしまったのです。もう後には戻れなくなってしまったために、当局は渋々合法にしたと言われています。タイとはそういう国なのです。しかし、アヌサーワリーチャイのターミナルは違法ですから、ここでの発着は禁止され、現在は他のところに移動させられています。

 しかしタイはタイです。当局が決めたターミナルではなく、そのうちにもっと便利なところから発着するようになる可能性は充分にあります。それに、現在でもどのロット・トゥーが認可を受けた合法なものでどれが違法かということは、外国人のみならずタイ人にも分からないようです。最近になってガイドブックなどにもロット・トゥーの存在が記述されるようになりましたが、少し前までは(違法ですから当たり前ですが)存在そのものが無いものとされていました。GINAとしてはそんな乗り物を紹介するわけにはいかないのです。それに細かい交渉をしたり、荷物が多いときは二人分の料金を払ったりと、タイ語がある程度できなければそれなりにハードルが高い乗り物です。

 さて、ロット・トゥーを使わずにロッブリー県に行く場合、大型バスよりも電車(国鉄)が便利です。バンコクのフォワランポーン駅からロッブリー駅までの切符を買えば1本で着きます。言葉に不自由するタイでも駅の切符売り場では英語でOKです。ロッブリー県に初めて行くという人には私は電車を勧めています。

 ですが、問題はロッブリー駅に着いてからです。駅からパバナプ寺までは車で15~20分程度はかかります。ここで、タイと聞いてバンコクやプーケットを思い浮かべる人は、タクシーかトゥクトゥクに乗ればいい、と考えます。ですが、そのような便利な乗り物はそういった観光地にしかありません。タイに慣れていて、タイ語ができる人は「ソーンテウ」と呼ばれるトラックの荷台のような乗り物(うまく説明できません。興味がある人は「ソーンテウ」で画像検索してください)を利用します。ロッブリーにもこれはありますが、パバナプ寺まではめったに行ってくれません。

 では、どうすればいいか。事実上バイクタクシーが唯一の交通手段となります。このバイクタクシー、タイ人は「モータサイ」と呼びます。モーターサイクルを略した英語由来のタイ語です。タクシーと言えば聞こえはいいですが、要するにバイクの二人乗りです。ドライバーの背中につかまって目的地まで乗せてもらうのです。

 そんなの危険で乗りたくない、と思う人は観光地以外のタイには行かない方がいいでしょう。郷に入っては郷に従え、ゆっくり走ってもらえばいいのでは、と柔軟に考える人ももちろんいます。その程度の柔軟性がなければそもそもパバナプ寺でのボラティアなど考えないでしょう。ですが、まだ問題はあります。

 私も最初は知らなかったのですが、どうもこのモータサイも違法のようなのです。モータサイのドライバー(ライダー)は、全員が同じオレンジ色のゼッケンを付けています。(「モータサイ タイ」で画像検索してみてください) 常識的に考えて、ライセンスをとってタクシー営業の認可を取得した者だけにこのゼッケンが渡されるのだろうと考えたくなりますが、そこはタイ。どうもこのようなゼッケンは自分たちで勝手に作ってしまうそうなのです。ただ、このあたりの真相はよく分からず、一部は合法だという声もありますし、警察や軍に賄賂を渡しているから広い意味では"合法"という意見もあります。

 少し脱線しますが、このモータサイ、バンコクにいるときはなくてはならない乗り物です。BTS(高架鉄道)と地下鉄ができて随分緩和されたとは言え、バンコクの渋滞はひどいものです。タクシーでは時間が読めません。そこで重宝するのがこのモータサイです。なにしろ、他人の敷地に勝手に入っていくのは当たり前、一方通行の逆走など朝飯前、ありとあらゆる方法を使って「最短距離」を走ってくれます。しかもリーズナブルな価格でOK、トゥクトゥクのように高額料金をふっかけられません。ドライバーも皆、田舎からでてきた好青年という感じです。

 話を戻しましょう。ロッブリーの駅前からパバナプ寺までの移動は「つて」がなければ事実上モータサイしかありません。この話をすると、ボランティア志望の大半の女性(そもそもボランティアを希望して連絡してくるのは女性がほとんど)は躊躇しはじめます。たしかにそれはそうかもしれません。タイ語ができない日本人女性が見知らぬタイ人男性のバイクにまたがるわけですから、どこに連れていかれるかわからない恐怖があるに違いありません。私も「タイ人は悪い人も多いけど、モータサイのドライバーなら大丈夫」などと気軽に言うわけにはいきません。

 交通事故の頻度という問題もあります。日本という国はまず間違いなく「ドライバー紳士度アジア第1位」です。タイは、最低国とは言いませんが、日本とは雲泥の差があります。数字でみてもそれはあきらかです。例えば年末年始の交通事故での死亡者数は日本が72人(2016年12月29日~1月3日)なのに対し、タイでは同時期に426人が死亡しています(交通事故は3,579件)。タイの人口は日本のおよそ半分であることを考慮するといかに危険かがわかるでしょう。しかも、タイでは年末年始に道路交通法違反のペナルティがなんと"ディスカウント"されるのです!(注1) 私はこれを新聞で読んだとき「自分は永遠にタイを理解できない...」と思いました。

 もしも私がタイについて詳しくなく、今ここに書いたことを初めて知り、年頃の娘がいたとして、その娘から「タイにボランティアに行こうと思うの」と言われればきっと全力で阻止するでしょう。ですから、私自身は、タイでのボランティアを希望していて「やっぱりやめます」という人に対して否定的な感情を持ったことはありません。

 世界には日本からは考えられないような危険な国が多数あること、タイは(私は多くの国を知っているわけではありませんが)比較的治安がよくインフラも整っている方であること、そのタイで困っている人が大勢いること、パバナプ寺を代表とするいくつかのエイズ施設では行き場をなくしいまだに差別や偏見の被害に苦しんでいる人が多数いることなどを知ってもらえればそれで充分だと考えています。

 それでもやっぱりタイで困っている人に直接何かしたい、という人がいればいつでもGINAのサイトから私にメールをください。わずかでも力になれることがあるかもしれません。

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注1:これはタイの英字新聞「Bangkok Post」でも報じられています。ニュースのタイトルは「Bad drivers get holiday 'discount'」、下記のURLで閲覧できます。

http://www.bangkokpost.com/news/general/1170373/bad-drivers-get-holiday-discount

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第130回(2017年4月) LGBTを理解するのにお勧めの方法

 2017年2月に授賞式がおこなわれた第89回アカデミー賞で作品賞を受賞した『ムーンライト』は、前評判が高すぎたことも原因なのか、日本ではいまひとつ評価が高くないようです。残念なことに、なかには「ゲイの映画と知ってたら見なかった」という声もあるとか...。

 ですが、一方では絶賛する声も少なくなく、「もう一度観たくなる」という意見も多く私自身もそう思います。背景、音楽、話の展開のテンポなど、どこをとっても申し分なく、純粋なラブストーリーに、イジメ、売春、ドラッグなどの社会問題が関わった、観る者の心の奥深くに訴えかけてくるような映画です。どちらかというとハリウッド系というよりはフランス映画に近い感じがします。

 同性愛(LGBT)、人種問題、買売春、薬物問題などを扱った映画は「社会派の映画」になることが多く、例えば、罪のない黒人が駅構内で白人警官に射殺された実際の事件を描いた『フルートベール駅で』はまさに人種差別を告発する映画です。このサイトで私が過去に絶賛した『チョコレートドーナツ』はハンカチなしでは観られない映画ですが、ゲイのカップルに親権が認められない点がストーリーの鍵となっています。世界初の性転換手術を受けた男性が主人公の『リリーのすべて』は、リリーを支える元恋人の女性の感情や行動がとても繊細に描かれていて私はそこに感動しましたが、やはり社会派映画という側面があります。買売春や薬物が出てくる映画は山のようにありますが、それらが大きくクローズアップされればされるほど社会派のニュアンスが強くなります。

 一方、『ムーンライト』にはそのような要素はほとんどなく、LGBT、黒人差別、薬物や買売春を社会的な観点から描いているわけではありません。アカデミー賞受賞は、白人至上主義のトランプ大統領へのアンチテーゼだ、という声もあるようですが、私にはまったくそのように思えません。

『ムーンライト』はフィクションですが、原作者のタレル・アルヴィン・マクレイニー自身の体験がベースになっているようです。マクレイニーの母親はエイズで死亡しており、違法薬物、さらに売春の経験もあったのでは、との噂があります。

 ストーリーを紹介すると「ネタバレ」になってしまいますから、ここでは私が感動を覚えた点についてだけ述べておきます。

『ムーンライト』は三部構成になっており、主人公のゲイの少年期(小学生時代)、ティーンエイジャーの時期(高校生時代)、成人期と分かれています。人によって見方が変わるとは思いますが、私が最も印象的だったのはティーンエイジャーの時期です。

 主人公シャロンには友達がほとんどおらず唯一仲良く話してくれるのは同級生のケヴィンだけです。ある日シャロンが家に帰ると、男を連れ込んでいる母親から「出ていけ」と言われます。ドラッグジャンキーの母親はドラッグ買う金欲しさに身体を売っていたのです。母親に追い出されたシャロンは以前お世話になったことのある女性の元を訪ねます。そして家に帰ると母親から金をせびられます。唯一の身内である実の母親から家を追い出されるシーン、その母親から小遣いを巻き上げられるシーン、行き場がなくひとりで電車に乗っているシーン、細い身体と腕でバックパックを背負って弱々しく歩いているシーン、そして悪い同級生の策略からケヴィンに殴られるはめになったものの決して倒れようとしないシーン・・・、いずれも私の頭から当分の間離れないでしょう。

 シャロンのケヴィンに対する感情は「愛」となり、それは一途なものです。しかし、ケヴィンはハイスクール時代にはガールフレンドもいましたし、成人してからは結婚していたことを知らされます。そしてその後の展開は...。

 もうひとつ、同性愛を描いた映画を紹介しておきたいと思います。『キャロル』というレズビアンが主人公の映画で、日本では2016年に公開されました。主人公キャロルを演じたケイト・ブランシェットの演技力が見事なのですが、この映画もストーリーが胸をうちます。『太陽がいっぱい』の原作者トリシア・ハイスミスが別名義で1952年に発表した自伝的小説が元になっていると言われています。50年代には自らのセクシャル・アイデンティティを公表することができなかったのでしょう。

『ムーンライト』、『キャロル』に共通すること。一言で言えば「純粋な愛」となるかもしれません。そしてそこには「LGBTの権利を!」といった社会的な要素が一切ありません。行き過ぎたリベラル派が振りかざすポリティカルコレクトネスなどとはまったく縁がないものです。つまり、男性が男性を愛そうが、女性が女性に夢中になろうが、それは男女間のものと何ら変わりはないのです。

『キャロル』を観た時も、『ムーンライト』を観終わったときにも、私は旧友のあるゲイの言葉を思い出しました。彼は私にこのようなことをよく言っていました。

「ノンケの男の人が女性に恋するとき、女性を性の対象として"選択"したんですか? 自然に好きになった人が女性だったんじゃないんですか。僕も同じです。自然に好きになった人が男性だったんであり、考えて"選択"したわけじゃないんです」

 私は彼からこの言葉を聞いたとき、それまでに恋に落ちた女性たちを思い出してみました。当たり前ですが私は"選択"していません。きっかけは様々ですし、出会った瞬間から恋に落ちたケースばかりではありませんが、ひとつ確実に言えることは、私は彼女たちの性を"選択"したわけではないということです。そこには社会的な意味も、もちろんポリティカルコレクトネスもありません。

 LGBTが理解できないという人や、『ムーンライト』を「ゲイの映画と知ってたら見なかった」という人は、自分の恋愛を思い出してみるのがいいでしょう。果たしてあなたは好きになった相手の性を"選択"したのでしょうか。

 過去にも述べたようにここ数年でLGBTという言葉がすっかり定着し、LGBTの権利が主張されるようになり、マスコミでも特集を組まれることが増えてきています。一部の企業は「LGBTが働きやすい」ことをPRしています。

 ですが、実際に「うちの職場は働きやすい」と感じているLGBTの人たちはどれだけいるでしょう。私の知人のあるゲイは、「LGBTに優しい」ことを訴えているある大企業に勤めていますが、「カムアウトなんてとてもできる雰囲気じゃないし、実際にカムアウトした社員の話なんて聞いたことがない」と言います。

 LGBTを理解するのに最も簡単な方法。それは実際にLGBTの人たちと仲良くなることです。特に女性の場合、ゲイの友達は男友達や女友達にも話せないことをよく理解してくれることがあるようで、私のある知人の女性は、「恋愛のことで悩んだときはまずゲイの友達に相談する」と言っていました。

 次に簡単な方法は、先述した私の知人のゲイの言葉にあるように、自分の恋愛は"選択"したものかどうか考えてみることです。自然に恋するのに男性も女性もないということが分かるでしょう。

 そしてもうひとつ推薦したいのは現在公開中の『ムーンライト』を観に行くことです。

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第129回(2017年3月) 「エイズパニック」から30年後の今考えるべきこと

 個人的な話となってしまいますが、私が高校を卒業したのは1987年の3月。翌月から関西学院大学(以下「関学」)に通うことが決まっていました。

 高校時代にろくに勉強していなかった私が高3のクリスマスイブの日に渡された河合塾の全国模試の偏差値は40。この成績で合格できる大学はほとんどありませんが、どうしても関学に行きたかった私はそれからの約1ヶ月半を1日16時間以上、一心不乱に勉強し奇跡的に合格することができました。

 受験勉強から解放された私は合格発表を受け取った日から、一切鉛筆を持たなくなり狂ったように遊びだしました。そのとき、大勢の人たち、それは同級生だけでなく、周りの大人たちも、「エイズに気を付けろ」と私に忠告してきました。

 受験勉強に没頭し、新聞もテレビも一切みないという生活をしていた私はまったく知らなかったのですが、ちょうどその頃に、神戸在住の20代の女性が性交渉でHIVに感染しエイズを発症したことが大きく報じられていたのです。

 翌月から通うことになる関学は兵庫県西宮市に位置していますが、世間一般には神戸圏の大学とみなされています。私の高校は三重県伊賀市というド田舎にあり、自宅から通える範囲に大学はありません。関西圏が最も多いものの、名古屋圏や関東の大学に進む者も少なくなく同級生は全国に散らばります。4月からの新しい生活の話題になると、神戸圏で暮らすことになる私に対して多くの人達が「エイズに注意せよ」と言うのです。

 入学後も同級生や先輩との会話でこの話題は何度か出たと思うのですが、実は当時の私はエイズという問題にほとんど興味がなくあまり覚えていません。私が医学部を目指そうと思ったのは関学を卒業し社会人になってからですし、自分がHIV陽性の女性と関係を持つなどとはまったく想像できなかったからです。今考えてみれば、検査をしてなくて感染に気付いていない人が潜在的にいるはずで、そのような相手と突然ロマンスに陥ることもないわけではない...、と考えるべきことがわかりますが、当時の私には「自分には縁のないこと」と高を括っていたのです。

 記憶は随分曖昧ですが、1987年の春に私が聞いたことで覚えているのは、神戸の若い女性が日本人女性で初めてエイズを発症した。その女性は性風俗産業に従事していた、ということくらいです。正直に言うと、その女性が気の毒とか、その女性のために何かしたい、などとはまったく思いませんでした。

 その15年後の2002年10月、大学病院で研修医をしていた私は1週間の夏休みをもらい、タイのエイズ施設にボランティア(と呼べるほどの活躍はできませんでしたが)に行きました。そこで見た光景は、さんざんいろんなところで話して書いてきましたが、想像を絶する世界で、患者さんたちは「死へのモラトリアム」を過ごしているだけでした。当時のタイでは抗HIV薬がまだ使われていなかったのです。

 彼(女)らの病状を和らげることは当時の私にはできませんでしたが、話を聞くことはできます。タイは英語がまったくといっていいほど通じない国ですが、患者さんと話したいと考えていた私はタイ語の堪能な知人を通訳として連れていきました。女性のなかには(そして男性のなかにも)性風俗というか、売春をしてHIVに感染したという人も少なからずいました。当時タイ語のまったくできなかった私は、知人の通訳に「そんなことダイレクトに尋ねて本当のことを話してくれるの?」と聞いたところ、「いや、ダイレクトな言い方はしない。ゴーゴーバーで働いていたことがあるか、とか、外国人相手の接客をしていたか、といった聞き方をすればだいたいわかる。この国の買売春のあり方は日本とはまったく異なるんだ」と教えてくれました。

 大勢のタイ人のエイズの患者さんを目の前にして、当時の私はまだ日本人のHIV陽性者をひとりも診察したことがないことを思い出しました。そして、そのとき私は1987年の日本人初の女性エイズ患者のことを考えてみたのです。その後帰国し、大勢の日本人のHIV陽性者を診察することになりますが、このときはまだ「日本人のHIV/AIDS」というものがイメージできなかったのです。

 他のところでさんざん述べているように、その後私がHIV/AIDSの諸問題に取り組みたいと考え、そしてGINA設立の動機になったのは、HIVという病原体やエイズという疾患に医学的な興味があるからというよりも、HIV感染に伴う差別や偏見に立ち向かいたいと考えたからです。

 そういった観点から改めて1987年の神戸の女性のことを考えてみると、この「女性」は当時相当辛い思いをしたことが想像できます。可能ならこの「女性」の家族に当時の話を聞いてみたいものですがそれはできないでしょう。

 当時の「彼女」の苦しみを何とか知る方法はないか...。30年前の雑誌や新聞の入手は極めて困難ですし、当時の新聞記事のデジタル化はおこなわれていないと思われます。ですが、一部の新聞(産経新聞)の写真がネット上で公開されていることを見つけました(注1)。

「彼女」がHIVに感染していることが発覚したのは1987年1月17日。前年の夏頃から高熱に悩まされ肺炎の診断がついたものの当初は原因がわからず、最終的にカリニ肺炎と診断されようやくエイズを発症していることがわかりました。他界したのはそのわずか3日後の1月20日です。この日の記事(注2)のタイトルは「エイズの女性死ぬ」です。この「死ぬ」という表現に違和感はないでしょうか。どことなくこの「女性」を蔑んでいるように感じられないでしょうか。

 注1の産経ウエストのウェブサイトによれば、「不特定の男性100人以上を相手に7年間売春行為を続けていた」「三宮・元町で出会った男性と性交渉を持った」といった情報が飛び交っていました。なかには、「女性」のプライバシーを暴くことを試みて、実名や顔写真を載せる週刊誌まであったそうです。これでは「患者」ではなく「加害者」の扱いです。

 また、神戸市によれば、「女性」の報道を見聞きして、自分も感染したのではないかと考え、電話で相談する人が続出しました。相談件数は1日に千件を超える日もあり、1月18日~31日の2週間で合計8,400件もの問い合わせがあったそうです。なかには、ノイローゼで入院したり、血液検査を受けた後、感染したに違いないと思い込んで自殺を図ったりした男性もいたそうです。

 さて、21世紀に生きる我々がこの「女性」から学ぶべきことはどのようなことでしょうか。まずは、社会全体でこの「女性」を「加害者」のように見なしたことを反省すべきです。性風俗産業で働くことを「加害者」とみる人もいるかもしれませんが、タイで何人もの元セックスワーカーのHIV陽性者と仲良くなった私の立場からはとてもそのようには思えません。彼女らの大半は、貧困からやむを得ず春を鬻ぐようになったのであり、なかには親に売られたような女性もいるのです。日本とタイは違う、という意見もあるでしょうが、売春(セックスワーク)でHIVに感染した人に対して「加害者」のような扱いをすることを私は許しません。

 ではこの「女性」は被害者でしょうか。報道で名誉を傷つけられたことに対しては「被害者」と言えるでしょう。もしも実名が本当に掲載されたのならプライバシー侵害は自明です。また「女性」にHIVを感染させた男性が自らの感染を隠して性交渉をもったのだとしたら、男性は加害者で「女性」は被害者です。この性行為がレイプであったとすればやはり「女性」は被害者です。

 ですが、故意にうつしたのでなければ男性も「女性」も被害者でも加害者でもありません。またこの「女性」が別の男性に感染させたとしてもその男性は被害者ではありません。当時からHIVの存在は知られていたはずです。学校では習わないでしょうが、性交渉をもつ以上はそういった感染症のリスクがあることは各自の責任で学んでおくべきだと私は思います。

 30年前のエイズパニックから我々が学ぶべきこと...。それは、感染症には加害者も被害者もない、ということだと私は考えています。

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注1:下記URLを参照ください。

http://www.sankei.com/west/news/170117/wst1701170075-n1.html

注2:下記URLを参照ください。
http://www.sankei.com/west/photos/170117/wst1701170075-p2.html

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