GINAと共に

第133回(2017年7月) ボランティアでの感染症のリスク~後編~

 前回はタイでのボランティアで気を付ける感染症として、A型肝炎、麻疹、結核が特に重要であるという話をしました。注意を要する感染症は他にも様々あり、また国や地域によっても異なりますが、今回もタイを中心に話を進めることとします。

 私はGINAの仕事の関連でタイが最も渡航の多い国ですが、他国にも観光も含めて訪れることがあります。そんな私がアジア諸国で最も恐れている感染症は何かというと「蚊」、正確に言えば「蚊が媒介する感染症」、具体的に言えば、「マラリア、デング熱、チクングニア熱、ジカ熱」です。(日本脳炎については後述します)

 マラリアは世界三大感染症のひとつ(他の2つはHIVと結核)で「死に至る病」です。ワクチンはなく蚊(ハマダラカ)に刺されないようにしなければなりません。さらに、マラリア侵淫地(マラリアが多数棲息している地域)に行くときは、マラリア予防薬を内服すべきです。幸なことに、タイには北部のジャングル地域を除けばマラリアの報告は少数であり、予防薬までは必要ありません。

 つまり、「一般的な蚊の対策」だけで充分です。ただ、この「一般的な蚊の対策」ができている人があまりいません。以前、「タイには慣れている」と宣言している人が「蚊対策は夕方から夜明けまでで充分」と言っているのを聞いて驚かされたことがあります。この人はマラリアを想定してそのような勘違いをしているのです。マラリアを媒介するハマダラカはたしかに夕方から活動を開始しますが、デング熱やチクングニア熱を媒介するネッタイシマカの活動時間は日中です。

 しかもこの蚊は水があるところならどこにでもいますから、水たまりや田んぼのみならず、都心部の工事現場とか、放置されているタイヤの中などにもいます。もちろんプールにもいます。ボランティアに行こうという人はリゾートホテルのプールサイドには縁がないかもしれませんが、こういったところで日焼け止めは塗るのに虫よけは使用していなかったという人がデング熱の餌食になるのです。蚊対策にはDEET、イカリジン、蚊取り線香などの知識が必要になります。

 蚊対策は思いのほか大変です。私は現地で購入したDEETと日本から持参するリキッドタイプの電気式蚊取り器を使いますが、最大の難点は、日中は「水や汗でDEETが流れれば直ちに塗りなおさなければならない」ということです。デング熱にはワクチンが登場し、いくつかの国で使われるようになってきていますが、タイではまだ未認可です。フィリピンでは認可されていますが、1年かけて3回接種しなければなりませんから長期滞在している人しか打てないでしょうし、また3回接種したとしても100%防げるわけではありません。それに、チクングニア熱やジカ熱には無効ですから、結局のところ従来通りの蚊対策をおこなわなければなりません。

 デング熱はタイを含む東南アジアであまりにも多い感染症ですから、長期でボランティアをしている人のなかにはすでに感染したことがあるという人もいます。また、タイ人はDEETなど通常は用いていませんし、子供は日常的に蚊に刺されていますから、蚊なんて怖くないと思っている人がいますが、稀とはいえ、デング熱が命を奪うことがあることを忘れてはいけません。実際、2016年にはフィリピンで蚊にさされた新潟県の女性がデング熱(デング出血熱)で死亡しています。

 東南アジアで蚊が媒介する感染症で忘れてはいけないものが日本脳炎です。日本脳炎は昨年(2016年)対馬で立て続けに感染者が見つかりました。豚のいない対馬で日本脳炎が発症した理由としてイノシシが媒介したのではないかと言われていますが、日本脳炎を最も媒介しやすい動物はなんといっても「豚」です。豚→蚊→人と感染するのです。通常、ボランティアの施設内に豚はいないと思いますが、タイでは少し田舎の方にいくと家畜の豚がいくらでもいます。日本の家畜のイメージとは異なり、放し飼いとしか思えないようなところもあります。そのようなところで蚊にさされると非常に危険です。日本脳炎は定期接種のワクチンですから幼少時に接種していますが、長期間はもちません。成人の場合は4年に一度のペースで追加接種するのが理想です。

 蚊以外の節足動物で注意するものを考えてみましょう。現在日本では「ヒアリ」が注目されていますが、タイにも大小さまざまなアリがいて刺されるとけっこう痛いです。私はタイにヒアリがいるのかどうか知りませんが、似たようなアリはそれなりに棲息していると思われます。日本ではヒアリが「殺人アリ」と呼ばれているようで、これはアナフィラキシーショックと呼ばれるアレルギーの最重症型を呈す例があるからでしょう。ですが、重症化する頻度は稀であり、過剰に心配しすぎるのも問題です。マスコミなどがヒアリを過剰に「恐怖の生物」と煽るような報道をするのは、日本は平和な国で(蚊をおそれなくていい数少ない国です)、アリには「働き者」で良いイメージがありますから、ヒアリのような「従来の概念を覆すアリ」が入ってくることに強い抵抗があるからだと思います。

 タイでは、東北地方(イサーン地方)では、アリの卵を食べる文化(「カイ・モッ・デーン」と呼ばれる高級?料理。直訳すると「赤いアリの卵」)がありますし、タイ全域でホテルの部屋のなかに小さなアリは頻繁に入ってきますから、日常的に見かけるアリは怖くありません。ですが野原にいる大きなアリにはそれなりに注意すべきです。もちろんアリだけではなく、他の昆虫や節足動物にも注意しなければなりません。サソリもムカデも当たり前のようにいます。また、私の知る限り、タイでの致死的なダニ媒介感染症(注1)はさほどありませんが、マダニに噛まれると痒み・痛みに悩まされることもありますから、やはり対策は必要です。

 話を屋外から屋内、つまりベッドサイドに戻しましょう。エイズ施設にボランティアに行ったからといって針刺しなどをしなければHIVに感染することはありません。ただ、看護師や医師は採血や点滴をすることがあるでしょうから充分に注意しなければなりません。もしも刺してしまえばPEP(曝露後予防)をしなければなりません(注2)。

 通常のケアでHIVに感染することはありませんが、B型肝炎ウイルス(以下「HBV」)には最大限の注意が必要です。HBVはいったん感染すると生涯体内から消えません。HIVと同じような機序で逆転写酵素を使って人の遺伝子に潜り込むことができるのです。HIVとの違いは、無治療でも助かることも多いということです。ですが、感染して数か月後に劇症肝炎を起こし死に至ることもありますし、長期間ウイルスが血中に残り将来肝臓がんが発症することもあります。

 HBVがなぜ恐怖かというと、血液のみならず唾液、汗、便、尿などにもウイルスが含まれていることがあるからです。つまり、軽いスキンシップ程度の接触でも感染しうるのです。実際、2002年には佐賀県の保育所で25人が集団感染を起こしました。子供のスキンシップ程度の接触でも感染するのです。タイを含むアジアではHBVの陽性者はまったく珍しくありません。感染者が多数いて、ささいなスキンシップで感染するのであれば、ワクチン以外に予防する手段はありません。逆に、ワクチン接種し抗体を形成しておけば生涯にわたりHBVの心配をする必要はありません(注3)。

 しかしながら、私の経験から言えば、タイを含む海外でのエイズ施設にボランティアに赴くのにも関わらず、HBVワクチンを接種していない、それどころか、その必要性を考えたこともなかった、という人が後を絶たないのです。これがどれだけ危険なことか...。

 前回と今回で、タイを中心に海外ボランティアに参加するときに注意しなければならない感染症について述べました。これはほんの「プロローグ」であり、実際にはまだまだ勉強しなければならないことがたくさんあります。前回は狂犬病ワクチンの優先順位は高くないという話をしましたが、タイ最大のエイズホスピス「Wat Phrabhatnamphu」があるロッブリー県はサルの名所であり、実はサルに噛まれて狂犬病ワクチンを慌てて接種した、という人がたくさんいます。

 海外にボランティアに行く人は、かかりつけ医にじっくりと相談してみてください。かかりつけ医をお持ちでない方はGINAに相談してください。相談は何度されても無料です。

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注1:ダニは最近はタイよりも日本の方が重症例・死亡例の報告が目立ちます。北海道でダニ媒介性脳炎の報告があり、西日本ではSFTSでの死亡者が散見されます。また日本紅斑熱、ライム病、ツツガムシ病といったダニが媒介する感染症も治療が遅れると危険です。ただし、本文にも述べたようにタイではなぜかこういった感染症の報告をあまり聞きません。

注2:PEP(曝露後予防)については下記を参照ください。

GINAと共に第119回(2016年5月)「PEP、PrEPは日本で普及するか」

注3:この点は誤解されていることが多く、いったん抗体が形成されても数年後の血液検査で陰転化していれば追加接種が必要と考えている人が少なくありません。ですが、原則としてワクチン接種で抗体が一度つくられれば、その後の検査で陰性となったとしても追加接種や検査は不要です。

参考:http://www.kankyokansen.org/modules/news/index.php?content_id=106