GINAと共に
第128回(2017年2月) そろそろきちんと「難民」の話をしよう
第45代アメリカ合衆国大統領に就任したトランプ氏は就任前からいくつもの発言で物議を醸していますが、現在最も問題になっているのは、2017年1月27日に署名した「すべての国からの難民の受け入れと、中東やアフリカの7ヵ国(イラク、シリア、イラン、リビア、ソマリア、スーダン、イエメン)からの入国を一時的に禁止する」とした大統領令でしょう。
これを聞いたとき、ほとんどの人が耳を疑ったのではないでしょうか。すでに世界中のいろんなメディアやSNSなどでこの大統領令がいかに無茶苦茶なものかということが語られています。何しろ、米国の市民権を持っている7か国の人が母国に一時帰国してアメリカに戻ってくると入国できない、というのですから現実の米国の大統領令だとは信じられません。その後、連邦裁判所が大統領令を無効とする判断を下し、ワシントン州シアトルの連邦地方裁判所が大統領令を一時差し止める命令を出しました。
すでにいろんなところで指摘されているように、イスラム圏7か国のなかにサウジアラビアが入っていないのも筋が通りません。トランプ氏はテロを懸念して7か国を選定したとしていますが、ならば「9.11同時多発テロ事件」の実行犯19人のうち15人がサウジアラビア国籍だったことをどう説明するのでしょうか。おそらく、トランプ氏が手掛けている事業がサウジアラビアと関係が深いために同国は外されているのでしょう。
さて、今回ここで述べたいのはトランプ氏の外交政策批判ではありません。あまりマスコミは取り上げませんが、私が注目したいのは、その7か国ではなく、件の大統領令の前半の「すべての国からの難民の受け入れ(を禁止する)」というところです。
これが米国の大統領の発言かと思うと虚しくなるのは私だけではないでしょう。世界中から積極的に難民を含む移民を受け入れてきたのがアメリカ合衆国ではなかったでしょうか。
そして私が失望しているのは大統領令だけではありません。なぜ、日本ではこのトランプ氏の行動に対する抗議活動が起こらないのでしょうか。あるいは起こっているのだけれど日本のマスコミが取り上げないのでしょうか。メディアの報道を通して私が感じる日本人のトランプ氏への印象はむしろ「好感」のような気すらします。トランプ氏の娘のイヴァンカさんが手掛けるファッション・ブランドは日本で最も人気があるとか・・・。
この点で対照的なのが英国です。トランプ氏の訪英に反対する署名がすでに180万人以上集まっていると聞きます。同国では10万人以上の署名が集まれば議会で取り上げなければならないという法律があるそうです。英国に長年住んでいる人からは「この国はとても閉鎖的だよ」と聞きます。一方、米国、特に西海岸に住んでいる人からは「この国ほど人種差別のない国はない」と何度も聞いたことがあります。しかし2017年2月に起こっている現実を考えると両国がまったく逆転しているかのようです。
そろそろ本題に入ります。今回私が言いたいことは「日本人は難民に対し無関心すぎないか」ということです。難民が急激に増えていることはほとんどの人が感じていることかと思います。アフリカから南欧にボロボロの船で大勢の難民がやってくるニュースがしばしば報道されることからもそれは分かるでしょう。どれくらい難民が増えているかをUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のウェブサイトでみてみると、2007年の時点でUNHCRは支援対象を1140万人としていました(注1)。2017年2月現在のUNHCRのサイトには、「2015年初めには、世界で6000万人に上る人が難民、国内避難民あるいは庇護申請者として避難を余儀なくされていた」と記載されています。
アフリカから欧州に密入国を試みる難民についてもう少しみてみましょう。過去20年間で、約27,000人の難民が地中海を越えようとして亡くなったと言われています。ユニセフの報告(注2)によれば、地中海ルートで亡くなる難民の数は増加の一途をたどり、2016年11月から2017年1月末にかけて死亡した人の数は1,354人に上り、これは前年の同期間の約13倍にも膨れ上がっています。
地中海に浮かぶ小さな島、ランペドゥーサ島にやって来る難民の姿を描いた映画「海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~」は2017年2月より日本でも公開されています。(私はまだ観ていませんが)ベルリン国際映画祭を含むさまざまな映画祭で賞を総なめにし、2017年のアカデミー賞では長編ドキュメンタリー賞にノミネートされています。この映画の監督のジャンフランコ・ロージ氏にオンラインマガジンの「クーリエ・ジャポン」がインタビューをしています(注3)。監督は日本の難民の現状についても意見を述べています。
日本に対し難民申請を出したのは2015年の1年間で7,586人です。この数字自体、ランペドゥーサ島に来る難民の数を考えれば微々たるものですし、難民認定を受けられた人はわずか27人。この事実を受けて、ロージ監督は「日本の社会はもっと開かれるべきだ」と主張しています。
と、言われてもアフリカは日本から遠く現実的に考えにくいかもしれません。ではアジアはどうでしょう。アフリカの問題も大きなものですが、我々アジア人はアフリカの難民よりも先にロヒンギャのことを考えねばならないのではないでしょうか。
ロヒンギャはミャンマーの西部に居住するアラブ系の民族ですが、国籍を持っていないこともあり人口などの実態はよく分かっていません。数年前からミャンマー軍に迫害を受け、隣国のバングラデシュに難民として数万人が亡命しているそうですが、バングラデシュ政府は正式には受け入れていません。2015年には、海沿いまで移動し海路で周辺国への流入を図るロヒンギャが急増しました。しかし、タイ、マレーシア、インドネシアのいずれの政府も入国を今も拒否しています。船上で多くの人が亡くなっていることは世界中のメディアにより伝えられているとおりです。
日本にも難民申請をしているロヒンギャは少なくないようですが、入国管理局により強制退去される事例が多いと聞きます。ちなみに、太平洋戦争時代、日本軍がミャンマーに侵攻したことが原因でミャンマー軍によりロヒンギャが迫害された、という話もあります。ロヒンギャは、その後もミャンマー国籍を与えられず、80年代後半、アウンサンスーチー氏の民主化運動を支持すると、ミャンマー軍による弾圧を受けました。そして現在、日本人に絶大な人気があり、ノーベル平和賞も受賞している、事実上現在のミャンマーの統治者であるアウンサンスーチー氏はこのロヒンギャの窮状に対して沈黙しているのです...。
ミャンマー軍のロヒンギャに対する弾圧は想像を絶する悲惨な状況となっています。世界の人権問題にかかわる非営利組織「Human Right Watch」の報告(注4)によれば、ミャンマー政府の治安部隊は2016年後半からロヒンギャの成人女性と少女にレイプを繰り返し、わずか13歳の少女も犠牲になっています。治安部隊が大勢でロヒンギャの避難所に押しかけて、男性を皆殺し女性をレイプという事件が次々に起こっているそうです。
私自身は直接ロヒンギャに会ったことはありません。ですが、北タイでは少数民族(山岳民族)やミャンマーから逃れてきた難民に何度か会ったことがあります。女性のなかには10代前半で売られて売春をさせられていたという例もありました。2002年、私が初めてタイのエイズに関わったとき、そのような話を繰り返し聞きました。当時は、女子の難民が強制売春させられHIV感染、そしてエイズで死亡、という事例が珍しくなかったのです。ちなみに、抗HIV薬が無料で支給される現在のタイでもタイ国籍を持たない難民には治療がおこなわれません。
さて、我々日本人は難民に対してどのように考えればいいのでしょうか。最後に、ロージ監督が「クーリエ・ジャポン」のインタビューに答えた言葉を引用しておきます。
「もしいま7000人の(日本での難民)申請者がいるのなら、その倍の1万4000人は受け入れるべきです。それを実行したとしても東京の人口が1200万人であることを考えれば、大勢に影響はないでしょう。(2015年に認定された)27人から1万4000人に受け入れを増やせば、世界に素晴らしい変化を示すことができます。それに、その1万4000人の人々は危険から命がけで逃れてきた心に傷を持つ人々です。日本にはそういった人たちに、未来を与えるチャンスがあるのです」
************
注1:GINAと共に第24回(2008年6月)「6月20日は何の日か知っていますか? 2008年度版」
注2:http://www.unicef.or.jp/news/2017/0024.html
注3:https://courrier.jp/news/archives/75574/
注4:https://www.hrw.org/news/2017/02/06/burma-security-forces-raped-rohingya-women-girls
これを聞いたとき、ほとんどの人が耳を疑ったのではないでしょうか。すでに世界中のいろんなメディアやSNSなどでこの大統領令がいかに無茶苦茶なものかということが語られています。何しろ、米国の市民権を持っている7か国の人が母国に一時帰国してアメリカに戻ってくると入国できない、というのですから現実の米国の大統領令だとは信じられません。その後、連邦裁判所が大統領令を無効とする判断を下し、ワシントン州シアトルの連邦地方裁判所が大統領令を一時差し止める命令を出しました。
すでにいろんなところで指摘されているように、イスラム圏7か国のなかにサウジアラビアが入っていないのも筋が通りません。トランプ氏はテロを懸念して7か国を選定したとしていますが、ならば「9.11同時多発テロ事件」の実行犯19人のうち15人がサウジアラビア国籍だったことをどう説明するのでしょうか。おそらく、トランプ氏が手掛けている事業がサウジアラビアと関係が深いために同国は外されているのでしょう。
さて、今回ここで述べたいのはトランプ氏の外交政策批判ではありません。あまりマスコミは取り上げませんが、私が注目したいのは、その7か国ではなく、件の大統領令の前半の「すべての国からの難民の受け入れ(を禁止する)」というところです。
これが米国の大統領の発言かと思うと虚しくなるのは私だけではないでしょう。世界中から積極的に難民を含む移民を受け入れてきたのがアメリカ合衆国ではなかったでしょうか。
そして私が失望しているのは大統領令だけではありません。なぜ、日本ではこのトランプ氏の行動に対する抗議活動が起こらないのでしょうか。あるいは起こっているのだけれど日本のマスコミが取り上げないのでしょうか。メディアの報道を通して私が感じる日本人のトランプ氏への印象はむしろ「好感」のような気すらします。トランプ氏の娘のイヴァンカさんが手掛けるファッション・ブランドは日本で最も人気があるとか・・・。
この点で対照的なのが英国です。トランプ氏の訪英に反対する署名がすでに180万人以上集まっていると聞きます。同国では10万人以上の署名が集まれば議会で取り上げなければならないという法律があるそうです。英国に長年住んでいる人からは「この国はとても閉鎖的だよ」と聞きます。一方、米国、特に西海岸に住んでいる人からは「この国ほど人種差別のない国はない」と何度も聞いたことがあります。しかし2017年2月に起こっている現実を考えると両国がまったく逆転しているかのようです。
そろそろ本題に入ります。今回私が言いたいことは「日本人は難民に対し無関心すぎないか」ということです。難民が急激に増えていることはほとんどの人が感じていることかと思います。アフリカから南欧にボロボロの船で大勢の難民がやってくるニュースがしばしば報道されることからもそれは分かるでしょう。どれくらい難民が増えているかをUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のウェブサイトでみてみると、2007年の時点でUNHCRは支援対象を1140万人としていました(注1)。2017年2月現在のUNHCRのサイトには、「2015年初めには、世界で6000万人に上る人が難民、国内避難民あるいは庇護申請者として避難を余儀なくされていた」と記載されています。
アフリカから欧州に密入国を試みる難民についてもう少しみてみましょう。過去20年間で、約27,000人の難民が地中海を越えようとして亡くなったと言われています。ユニセフの報告(注2)によれば、地中海ルートで亡くなる難民の数は増加の一途をたどり、2016年11月から2017年1月末にかけて死亡した人の数は1,354人に上り、これは前年の同期間の約13倍にも膨れ上がっています。
地中海に浮かぶ小さな島、ランペドゥーサ島にやって来る難民の姿を描いた映画「海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~」は2017年2月より日本でも公開されています。(私はまだ観ていませんが)ベルリン国際映画祭を含むさまざまな映画祭で賞を総なめにし、2017年のアカデミー賞では長編ドキュメンタリー賞にノミネートされています。この映画の監督のジャンフランコ・ロージ氏にオンラインマガジンの「クーリエ・ジャポン」がインタビューをしています(注3)。監督は日本の難民の現状についても意見を述べています。
日本に対し難民申請を出したのは2015年の1年間で7,586人です。この数字自体、ランペドゥーサ島に来る難民の数を考えれば微々たるものですし、難民認定を受けられた人はわずか27人。この事実を受けて、ロージ監督は「日本の社会はもっと開かれるべきだ」と主張しています。
と、言われてもアフリカは日本から遠く現実的に考えにくいかもしれません。ではアジアはどうでしょう。アフリカの問題も大きなものですが、我々アジア人はアフリカの難民よりも先にロヒンギャのことを考えねばならないのではないでしょうか。
ロヒンギャはミャンマーの西部に居住するアラブ系の民族ですが、国籍を持っていないこともあり人口などの実態はよく分かっていません。数年前からミャンマー軍に迫害を受け、隣国のバングラデシュに難民として数万人が亡命しているそうですが、バングラデシュ政府は正式には受け入れていません。2015年には、海沿いまで移動し海路で周辺国への流入を図るロヒンギャが急増しました。しかし、タイ、マレーシア、インドネシアのいずれの政府も入国を今も拒否しています。船上で多くの人が亡くなっていることは世界中のメディアにより伝えられているとおりです。
日本にも難民申請をしているロヒンギャは少なくないようですが、入国管理局により強制退去される事例が多いと聞きます。ちなみに、太平洋戦争時代、日本軍がミャンマーに侵攻したことが原因でミャンマー軍によりロヒンギャが迫害された、という話もあります。ロヒンギャは、その後もミャンマー国籍を与えられず、80年代後半、アウンサンスーチー氏の民主化運動を支持すると、ミャンマー軍による弾圧を受けました。そして現在、日本人に絶大な人気があり、ノーベル平和賞も受賞している、事実上現在のミャンマーの統治者であるアウンサンスーチー氏はこのロヒンギャの窮状に対して沈黙しているのです...。
ミャンマー軍のロヒンギャに対する弾圧は想像を絶する悲惨な状況となっています。世界の人権問題にかかわる非営利組織「Human Right Watch」の報告(注4)によれば、ミャンマー政府の治安部隊は2016年後半からロヒンギャの成人女性と少女にレイプを繰り返し、わずか13歳の少女も犠牲になっています。治安部隊が大勢でロヒンギャの避難所に押しかけて、男性を皆殺し女性をレイプという事件が次々に起こっているそうです。
私自身は直接ロヒンギャに会ったことはありません。ですが、北タイでは少数民族(山岳民族)やミャンマーから逃れてきた難民に何度か会ったことがあります。女性のなかには10代前半で売られて売春をさせられていたという例もありました。2002年、私が初めてタイのエイズに関わったとき、そのような話を繰り返し聞きました。当時は、女子の難民が強制売春させられHIV感染、そしてエイズで死亡、という事例が珍しくなかったのです。ちなみに、抗HIV薬が無料で支給される現在のタイでもタイ国籍を持たない難民には治療がおこなわれません。
さて、我々日本人は難民に対してどのように考えればいいのでしょうか。最後に、ロージ監督が「クーリエ・ジャポン」のインタビューに答えた言葉を引用しておきます。
「もしいま7000人の(日本での難民)申請者がいるのなら、その倍の1万4000人は受け入れるべきです。それを実行したとしても東京の人口が1200万人であることを考えれば、大勢に影響はないでしょう。(2015年に認定された)27人から1万4000人に受け入れを増やせば、世界に素晴らしい変化を示すことができます。それに、その1万4000人の人々は危険から命がけで逃れてきた心に傷を持つ人々です。日本にはそういった人たちに、未来を与えるチャンスがあるのです」
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注1:GINAと共に第24回(2008年6月)「6月20日は何の日か知っていますか? 2008年度版」
注2:http://www.unicef.or.jp/news/2017/0024.html
注3:https://courrier.jp/news/archives/75574/
注4:https://www.hrw.org/news/2017/02/06/burma-security-forces-raped-rohingya-women-girls
第127回(2017年1月) こんなにもはかない命・・・
医師である限り患者さんの死に遭遇することは避けられません。現在の私の勤務はほぼ太融寺町谷口医院だけで、大きな病院で働くことはなくなりましたから、患者さんが他界する瞬間に立ち会うことはなくなりました。しかし、難病で大きな病院に紹介した患者さんが、死を避けられない運命にあり、亡くなられたという報告が届くことはしばしばあります。
救急病院に勤務していた頃は、交通事故や自殺、ときには他殺などで搬送されてくる若い患者さんの命を助けられなかったこともあり、そのときにはしばらく気分が沈んだままになります。救急搬送されてその数日以内に亡くなられるということは珍しくはないのですが、患者さんが若い場合には、なんとかできなかったのか......、という気持ちが拭えないのです。「命は平等」であるのは事実だとしても、私自身の心情としては、若い人の命は何としても救いたい......、というのが正直な気持ちです。
最近、ひとりの10代半ばの女子が他界した、という話を聞きました。私は一度しか会ったことがありませんが、愛くるしい瞳をした笑顔が素敵な女の子です。名前はマリ(仮名)。タイ語でマリはジャスミンのこと。そう、この女の子は10代半ばのタイ人です(注1)。
※※※※※※※※※※※※※
マリが生まれたのはタイ東北部の貧しい家庭。タイは貧富の差が激しく、マリの生まれた家庭が貧しいことは特筆するようなものではないが、マリには少し複雑な事情があった。父親はすでに他界し、母親はHIV陽性。マリはこの世に生を受けたときからHIV陽性。つまり「エイズ孤児」なのだ。
マリの母親はHIV感染が発覚するのが遅れ、判ったときにはすでにエイズを発症していた。当時は医療者の間でも差別意識が強く、病院で診てもらうことができず、タイ中部のロッブリー県にある世界最大のエイズホスピス、パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)にやって来た。入所時からすでに免疫能が相当低下しており、あてがわれた部屋は最も重症の患者が入る病棟。ひとりで歩くこともままならずほぼ一日中寝たきりの状態であった。
マリには身寄りがない。いや、本当はないことはなく親戚はいるのだが、母親がエイズを発症し、本人もHIV陽性である子供の面倒をみようという者がいないのだ。タイでは以前に比べるとエイズに対する差別・偏見が随分と減ったと言われるが、それはタイ全域では決してない。マリが生まれた地域では根強い偏見が残っている。しかし、マリの親戚だけを責めれば解決する問題でもない。理解ある親戚がマリを引き取ったとしても、地域社会ですでにエイズ孤児であることが知られている現状を考えると学校でイヤな思いをすることはあきらかなのだ。
行く当てのないマリは、パバナプ寺に住ませてもらうことになった。この寺には世界中からボランティアが集まってきている。寺の近くの小学校に通い、将来きちんとした仕事ができるようにとボランティアが勉強の面倒をみることもあった。中学にも進級したが、学校ではエイズ孤児であることを隠し通した。
学校が終わりパバナプ寺に帰ってくると、マリは真っ先に母親のベッドに駆け寄った。そこは重症病棟だから、結核やカリニ肺炎を発症している患者も多かったのだが、幸いなことにマリは幼少児から抗HIV薬を続けていたおかげで免疫能は正常だ。重症病棟にいても、感染者に近づかなければ感染の心配はさほど強くない。
マリはエイズ孤児の割には身体も大きくなり、日ごろ手洗いやマスクを徹底しているからか、ほとんど風邪もひかずに育っていった。身長は150cmに満たないくらいだが、タイではこれくらいの身長は普通である。いつも背筋を伸ばし愛くるしい笑顔できびきびと動くマリは、どこからみても健康優良児のようだ。
中学を卒業する少し前、マリの母親が他界した。死因はエイズであるのは間違いないが、詳しい原因は不明だ。タイでは抗HIV薬が無料で手に入るのだが、使えるレパートリーは少ない。それらが効かなかったり、副作用が強くて飲めなくなったりすれば、もはやなす術がない。マリの母親は治療開始が遅かったということもあり、薬があまり効かなかったのだ。次第にやせ細り、食事がまったく取れなくなり、水分摂取も困難となった。
マリの母が静かに息を引き取ったのは涼しげな冬の日の朝だった。小鳥のさえずりが最後まで生き抜いた姿を讃えているかのようであった。死に顔に悲壮感はなかったと寺のスタッフは言う。その理由はおそらくマリだろう。エイズ孤児として生まれながらも丈夫に育ち、来月からは地元のレストランでの就職が決まっているのだ。気丈なマリは母親の遺体の前でも涙を見せなかった。母の分まで生きてみせる、黒い瞳がそう物語っているようであった。
パバナプ寺から車で30分の距離にあるタイ料理レストランがマリの勤務先だった。この近くにアパートを借りてフルタイムの勤務が始まった。働き者のマリは、仕事が早いだけでなく、持って生まれた愛嬌もあり、すぐにレストランの人気者になった。マリと写真を撮りたいという理由でレストランを訪れる者も多く、また小さい頃から欧米のボランティアと仲良くしていただけに英語が話せたことから外国人の客にも人気があった。抗HIV薬を毎日飲み続けなければならないことはこれからもかわらないが、もはや周囲にはマリがHIV陽性であることを知っている者はほとんどいなかった。
2016年の雨季も終わりに近づいたある朝、目覚めると、身体が重たく熱があることに気づいた。たまたまこの日は仕事が休みで抗HIV薬を受け取りに病院に行く日だった。重たい身体を引きずって医師に症状を話すとレントゲンが必要だと言う。レントゲンを読影した医師の言葉は「直ちに入院が必要」。マリの母親の頃とはもはや時代が違う。世間の偏見は残っていても病院ではHIV陽性者もきちんと診てくれる。入院を拒否されるなんてことはない。医師の診断は結核だった。結核には治療薬があるという。しばらくの間仕事は休まねばならないがいずれ復帰できるであろう。入院してからもしばらくは笑顔が絶えなかった。マリはタイ人、タイは微笑みの国なのだ。
2か月後、マリは短い生涯を閉じることになった。結核の薬が効かず、さらにそれまでは奏功していた抗HIV薬も次第に効果が出なくなっていたようだ。代わりの薬がなければもはや打つ手がない。
マリが旅立った涼しげな冬の朝、小鳥のさえずりが止まなかったという...。
※※※※※※※※※※※※※
多剤耐性の結核は現在世界的な課題となっています。従来の薬が効かずに、治療に難渋するのです。マリの結核がどのようなものであったのかは分かりませんが、タイの結核治療が日本よりも選択肢が少ないのは事実です(注2)。日本でなら救えた、という保証はどこにもありませんが、もしも日本に呼べたなら・・・、という思いが拭えません。
私がマリに会ったのは2016年の夏、ロッブリーのレストランでした。来年もここで会おうねと約束した私は日本からのお土産を何にするかを考えていました。けれども、今年(2017年)の初め、私に伝わってきたのはマリがすでに他界したことだったのです...。
************
注1:マリ(仮名)はエイズ孤児として生まれ、レストランで勤務しているときに体調不良を自覚し10代半ばで他界したのは事実ですが、本人が特定されることを避けるために、一部をフィクションにしています。
注2:タイの医療が日本より劣っているとはいいませんが、本文で述べているように結核やHIVの治療の選択肢が少ないのは事実です。また、医療以前に、タイでは「命の重さ」が日本とは異なると感じざるを得ません。今回述べたこととは関係のないことですが、例えば、タイでは年末年始に道路交通法違反のペナルティが"ディスカウント"されます(注3)。そしてタイでは年末年始に交通事故が急増するのです。この感覚、私には理解できません...。
また、タイではお金さえ払えば簡単に殺人者を雇えると言われています。実際に雇って殺害を依頼した人を直接知りませんが、その報酬の噂は私がこれまで聞いた範囲で言うと、高くても5万バーツ(約15万円)、低いのは5千バーツ(約1万5千円)です。
注3:これはタイの英字新聞「Bangkok Post」でも報じられています。ニュースのタイトルは「Bad drivers get holiday 'discount'」、下記のURLで閲覧できます。
http://www.bangkokpost.com/news/general/1170373/bad-drivers-get-holiday-discount
救急病院に勤務していた頃は、交通事故や自殺、ときには他殺などで搬送されてくる若い患者さんの命を助けられなかったこともあり、そのときにはしばらく気分が沈んだままになります。救急搬送されてその数日以内に亡くなられるということは珍しくはないのですが、患者さんが若い場合には、なんとかできなかったのか......、という気持ちが拭えないのです。「命は平等」であるのは事実だとしても、私自身の心情としては、若い人の命は何としても救いたい......、というのが正直な気持ちです。
最近、ひとりの10代半ばの女子が他界した、という話を聞きました。私は一度しか会ったことがありませんが、愛くるしい瞳をした笑顔が素敵な女の子です。名前はマリ(仮名)。タイ語でマリはジャスミンのこと。そう、この女の子は10代半ばのタイ人です(注1)。
※※※※※※※※※※※※※
マリが生まれたのはタイ東北部の貧しい家庭。タイは貧富の差が激しく、マリの生まれた家庭が貧しいことは特筆するようなものではないが、マリには少し複雑な事情があった。父親はすでに他界し、母親はHIV陽性。マリはこの世に生を受けたときからHIV陽性。つまり「エイズ孤児」なのだ。
マリの母親はHIV感染が発覚するのが遅れ、判ったときにはすでにエイズを発症していた。当時は医療者の間でも差別意識が強く、病院で診てもらうことができず、タイ中部のロッブリー県にある世界最大のエイズホスピス、パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)にやって来た。入所時からすでに免疫能が相当低下しており、あてがわれた部屋は最も重症の患者が入る病棟。ひとりで歩くこともままならずほぼ一日中寝たきりの状態であった。
マリには身寄りがない。いや、本当はないことはなく親戚はいるのだが、母親がエイズを発症し、本人もHIV陽性である子供の面倒をみようという者がいないのだ。タイでは以前に比べるとエイズに対する差別・偏見が随分と減ったと言われるが、それはタイ全域では決してない。マリが生まれた地域では根強い偏見が残っている。しかし、マリの親戚だけを責めれば解決する問題でもない。理解ある親戚がマリを引き取ったとしても、地域社会ですでにエイズ孤児であることが知られている現状を考えると学校でイヤな思いをすることはあきらかなのだ。
行く当てのないマリは、パバナプ寺に住ませてもらうことになった。この寺には世界中からボランティアが集まってきている。寺の近くの小学校に通い、将来きちんとした仕事ができるようにとボランティアが勉強の面倒をみることもあった。中学にも進級したが、学校ではエイズ孤児であることを隠し通した。
学校が終わりパバナプ寺に帰ってくると、マリは真っ先に母親のベッドに駆け寄った。そこは重症病棟だから、結核やカリニ肺炎を発症している患者も多かったのだが、幸いなことにマリは幼少児から抗HIV薬を続けていたおかげで免疫能は正常だ。重症病棟にいても、感染者に近づかなければ感染の心配はさほど強くない。
マリはエイズ孤児の割には身体も大きくなり、日ごろ手洗いやマスクを徹底しているからか、ほとんど風邪もひかずに育っていった。身長は150cmに満たないくらいだが、タイではこれくらいの身長は普通である。いつも背筋を伸ばし愛くるしい笑顔できびきびと動くマリは、どこからみても健康優良児のようだ。
中学を卒業する少し前、マリの母親が他界した。死因はエイズであるのは間違いないが、詳しい原因は不明だ。タイでは抗HIV薬が無料で手に入るのだが、使えるレパートリーは少ない。それらが効かなかったり、副作用が強くて飲めなくなったりすれば、もはやなす術がない。マリの母親は治療開始が遅かったということもあり、薬があまり効かなかったのだ。次第にやせ細り、食事がまったく取れなくなり、水分摂取も困難となった。
マリの母が静かに息を引き取ったのは涼しげな冬の日の朝だった。小鳥のさえずりが最後まで生き抜いた姿を讃えているかのようであった。死に顔に悲壮感はなかったと寺のスタッフは言う。その理由はおそらくマリだろう。エイズ孤児として生まれながらも丈夫に育ち、来月からは地元のレストランでの就職が決まっているのだ。気丈なマリは母親の遺体の前でも涙を見せなかった。母の分まで生きてみせる、黒い瞳がそう物語っているようであった。
パバナプ寺から車で30分の距離にあるタイ料理レストランがマリの勤務先だった。この近くにアパートを借りてフルタイムの勤務が始まった。働き者のマリは、仕事が早いだけでなく、持って生まれた愛嬌もあり、すぐにレストランの人気者になった。マリと写真を撮りたいという理由でレストランを訪れる者も多く、また小さい頃から欧米のボランティアと仲良くしていただけに英語が話せたことから外国人の客にも人気があった。抗HIV薬を毎日飲み続けなければならないことはこれからもかわらないが、もはや周囲にはマリがHIV陽性であることを知っている者はほとんどいなかった。
2016年の雨季も終わりに近づいたある朝、目覚めると、身体が重たく熱があることに気づいた。たまたまこの日は仕事が休みで抗HIV薬を受け取りに病院に行く日だった。重たい身体を引きずって医師に症状を話すとレントゲンが必要だと言う。レントゲンを読影した医師の言葉は「直ちに入院が必要」。マリの母親の頃とはもはや時代が違う。世間の偏見は残っていても病院ではHIV陽性者もきちんと診てくれる。入院を拒否されるなんてことはない。医師の診断は結核だった。結核には治療薬があるという。しばらくの間仕事は休まねばならないがいずれ復帰できるであろう。入院してからもしばらくは笑顔が絶えなかった。マリはタイ人、タイは微笑みの国なのだ。
2か月後、マリは短い生涯を閉じることになった。結核の薬が効かず、さらにそれまでは奏功していた抗HIV薬も次第に効果が出なくなっていたようだ。代わりの薬がなければもはや打つ手がない。
マリが旅立った涼しげな冬の朝、小鳥のさえずりが止まなかったという...。
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多剤耐性の結核は現在世界的な課題となっています。従来の薬が効かずに、治療に難渋するのです。マリの結核がどのようなものであったのかは分かりませんが、タイの結核治療が日本よりも選択肢が少ないのは事実です(注2)。日本でなら救えた、という保証はどこにもありませんが、もしも日本に呼べたなら・・・、という思いが拭えません。
私がマリに会ったのは2016年の夏、ロッブリーのレストランでした。来年もここで会おうねと約束した私は日本からのお土産を何にするかを考えていました。けれども、今年(2017年)の初め、私に伝わってきたのはマリがすでに他界したことだったのです...。
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注1:マリ(仮名)はエイズ孤児として生まれ、レストランで勤務しているときに体調不良を自覚し10代半ばで他界したのは事実ですが、本人が特定されることを避けるために、一部をフィクションにしています。
注2:タイの医療が日本より劣っているとはいいませんが、本文で述べているように結核やHIVの治療の選択肢が少ないのは事実です。また、医療以前に、タイでは「命の重さ」が日本とは異なると感じざるを得ません。今回述べたこととは関係のないことですが、例えば、タイでは年末年始に道路交通法違反のペナルティが"ディスカウント"されます(注3)。そしてタイでは年末年始に交通事故が急増するのです。この感覚、私には理解できません...。
また、タイではお金さえ払えば簡単に殺人者を雇えると言われています。実際に雇って殺害を依頼した人を直接知りませんが、その報酬の噂は私がこれまで聞いた範囲で言うと、高くても5万バーツ(約15万円)、低いのは5千バーツ(約1万5千円)です。
注3:これはタイの英字新聞「Bangkok Post」でも報じられています。ニュースのタイトルは「Bad drivers get holiday 'discount'」、下記のURLで閲覧できます。
http://www.bangkokpost.com/news/general/1170373/bad-drivers-get-holiday-discount
第126回(2016年12月) これからの「大麻」の話をしよう~その2~
2016年11月8日の米国での出来事と言えば「次期アメリカ大統領の選挙」であり、翌日の世界中の新聞はトランプ氏一色でした。一方、同日に米国のいくつかの州でおこなわれた住民投票についてはほとんど報じられることがありませんでした。しかし、この住民投票の結果が日本を含む世界に与える影響は決して小さくありません。
その「住民投票」は大麻の合法化を問うもので、結果を言えば「医療用大麻」が4州で、「嗜好用大麻」も4州で合法化が決まりました。これにより、米国では「医療用大麻」は合計28州+ワシントンD.C.で、「嗜好用大麻」は合計8州+ワシントンD.C.で合法化されたことになります(注1)。
嗜好用大麻は今世紀に入ってから合法化する国が多く、所持・栽培できる量の制限や公共の施設での使用禁止などルールは設けられているものの、ヨーロッパではいくつかの国で事実上解禁されています。20世紀には「大麻ならオランダ」というイメージがありましたが、現在は、UK、スペイン、ポルトガル、ベルギー、スイス、チェコスロバキアなどでも嗜むことが可能です。(ただし外国人は違法である地域も多い)
中南米でもメキシコやジャマイカなど事実上合法の国が多いのですが、ウルグアイについては2013年から「完全合法」です。つまり、個人使用だけでなく生産や売買までOKとなった世界初の国となったのです。世界初というイメージがあるオランダは、いわゆる「コーヒーショップ」と呼ばれる一部の店での個人使用はOKですが、個人所持や売買は現在も違法です。
「完全合法」の2番目の国はカナダになりそうです。2017年には法律が制定される予定です。ちなみに、カナダ政府の報告書によると、25歳以上のカナダ人のうち1割が1年以内に大麻を使用し、3分の1以上が「これまでに使ったことがある」と調査に答えているそうです。
日本はどうでしょうか。2016年に日本の大麻関連で最も話題となったのは、7月の参議院議員選挙に立候補していた元女優の高樹沙耶氏の逮捕・起訴でしょう。大麻取締法違反で逮捕された高樹氏は、参議院選挙の公約として「医療用大麻の研究推進」を掲げていました。
高樹氏の逮捕ほどは大きく報道されませんでしたが、長野県池田町の過疎化した集落で形成されていた大麻コミュニティが2016年11月に摘発されました。このコミュニティは県内外からの移住者が集まってできたものらしく、大麻を所持していたなどの理由で合計22人が逮捕されています。この地域の山中で大麻を栽培していたそうです。
これは私の推測に過ぎませんが、おそらく同じようなコミュニティは日本にまだまだあると思います。また、大麻は室内でも温度、湿度、光線量などの環境を整えれば栽培することが可能です。表に出てこないだけで使用している日本人は少なくありません。実際に若者の間で大麻愛好家が増えているというデータもあります。
警察庁組織犯罪対策部が公表している2015年の報告(注2)によると、薬物事犯の検挙人員は13,524人(前年比3.1%増)であり、覚醒剤は11,022人(前年比0.6%増)とほぼ前年並み。一方、大麻は2,101人(前年比19.3%増)と2割近くも増加しています。同庁の分析では「若年層による大麻の乱用傾向が増大している」とされています。
一方、日本では従来より"敷居"の低い覚醒剤(2015年の検挙人員の8割以上)は中高年での使用が問題となっています。警察庁によれば、「第3次乱用期」と呼ばれた1997年は摘発者約2万人の50%が20代以下で、40代以上は23%。しかし2008年にはこれが逆転し、2015年には40代以上が6割近くを占めるまでになっています(注3)。
大麻に話を戻します。過去にこのサイトで何度も指摘しているように、日本の報道は誤解を招きやすくなっています。最も問題なのは、日本のメディアの多くが大麻も覚醒剤もコカインも麻薬も同じように扱っているということです。これらは危険性も依存性もまったく異なります。大麻の危険性を強調しすぎることにより、他の違法薬物との違いが認識されなくなってしまうことが問題である、ということを過去に何度も指摘しました。
今回はもうひとつの問題を挙げたいと思います。逮捕された高樹氏が参議院選挙出馬時に強調していたことが「医療用大麻の合法化」です。(しかし、高樹氏は「嗜好品」として大麻を嗜んでいたことが後に報道されました) 大麻は薬品としても使えるが嗜好品でもある、と考えている人がいますが、ここは厳密に区別した方がいいと思います。
大麻には多くの化学物質が含まれており、総称を「カンナビノイド」と呼びます。カンナビノイドのうち重要なのがTHC(テトラヒドロカンナビノール)とCBD(カンナビジオール)です。そして、嗜好性があるのがTHCです。現在医療用大麻を推進している医療者(の大半)はCBDの有用性を訴えているのであり、THCの合法化を求めているわけではありません。
ただし、CBDの有用性も現段階では高いエビデンス(科学的確証)があるとはいえません。症例報告ベースでは、「難治性の疾患に効いた」というものも出てきていますが、正式な薬として認められる段階には至っていません。1996年の住民投票で合法となったカリフォルニア州を筆頭に現在では合計28州(+ワシントンD.C.)で医療用大麻が使えるアメリカではどうかというと、私の知る限り、医療用大麻の研究が積極的におこなわれているとは言えません。むしろ大麻の効果に懐疑的な医師も少なくありません。
嗜好品としての大麻推進派の人たちのなかに、大麻を「医薬品にもなる良いもの」という言い方をする人がいますが、彼(女)らが求めているのはCBDでなくTHCです。現在の科学技術をもってすれば、大麻からCBDとTHCを分離することは困難ではありません。ですから、大麻の議論をするときには、それがCBDなのかTHCなのかを分けて考えるべきです。高樹氏のように、選挙活動で「医療用大麻(CBD)」と言っておきながら、自分自身はTHCを嗜んでいた、という話を聞くと、CBDがダシに使われているように思えます。今後、有識者会議や国会でも大麻が議論になる機会が増えると思います。そのときにその大麻がTHCなのかCBDなのか(あるいは他のカンナビノイドなのか)をはっきりと区別して論じる必要がありますし、マスコミにもその点を考えて報道してもらいたいというのが私の意見です。
次に、嗜好品としての大麻を日本でも認めるべきか、という問題を改めて考えてみましょう。私個人の考えとしては、ウルグアイやカナダのような全面解禁には反対です。両国とも未成年への使用は禁じるそうですが、私は健康な成人にも禁止すべきという考えを持っています。以前にも述べましたが、(THCとしての)大麻は多幸感が得られるという長所がありますが、ダラダラと寝そべり、身体を動かすのもおっくうになります。こんな状態では勉強も仕事もできません。この点、覚醒剤とは正反対です。覚醒剤をキメて勉強すれば徹夜も平気になりますし、一晩中トラックを運転していても疲れませんから、ワーカホリックの日本人には覚醒剤が適していたと言えなくもないのです。
大麻には依存性が少ないと言われていますが、まったくないわけではありません。大麻を若いときに覚えてしまったがゆえに、多幸感に耽り努力を怠ってしまう、というのは避けるべきではないでしょうか。大麻(THC)推進派はよく「タバコやアルコールより依存性が少ない」と言いますが、タバコは多幸感が続くわけではありませんし、アルコールも度を越さなければ翌日には持ち越しません。一方、大麻は(もちろん程度にもよりますが)「翌日も何もする気が起こらない...」ほど持続することもしばしばあります(注4)。
しかし、リタイヤ後の高齢者はどうでしょう。あるいは若年者でも難治性の疾患を患っている場合はどうでしょう。大麻を摂取すれば(それがTHCの影響なのかCBDによるものなのか私には分かりませんが)食欲が大幅に亢進します。私の知人の大麻愛好家(外国人)は「大麻の最大の欠点は太ること」と言います。高齢者も難治性疾患を抱えた若年者も得てして食欲が落ちます。実際、食欲を出すために医療者は様々な工夫をしているのです。こういった人たちには嗜好品としての大麻(THC)を解禁してもいいのではないかと私は考えています。
************
注1:2016年12月現在、医療用大麻が合法化の州は下記の通り(アイウエオ順)。(新)は、2016年11月8日の住民投票で新たに合法化された州です。
アラスカ州、アリゾナ州、アーカンソー州(新)、イリノイ州、オハイオ州、オレゴン州、カリフォルニア州、コロラド州、コネティカット州、デラウェア州、ニュージャージー州、ニューハンプシャー州、ニューメキシコ州、ニューヨーク州、ネバダ州、ノースダコタ州(新)、ハワイ州、バーモント州、フロリダ州(新)、ペンシルバニア州、ミシガン州、ミネソタ州、メイン州、メリーランド州、モンタナ州(新)、ルイジアナ州、ロードアイランド州、ワシントン州、ワシントンD.C.
嗜好用大麻が合法の州は下記です。
アラスカ州、オレゴン州、カリフォルニア州(新)、コロラド州、ネバダ州(新)、マサチューセッツ州(新)、メイン州(新)、ワシントン州、ワシントンD.C.
追記(2019年9月1日):下記2つの州でも合法化されました。
バーモント 2018年1月
ミシガン州:2018年11月
カリフォルニア州は、2010年11月2日の住民投票では大麻合法化が否決されました。詳しくは下記を参照ください。
GINAと共に第53回(2010年11月)「大麻合法化を巡る米国と覚醒剤に甘すぎる日本」
全米で最も早く嗜好用大麻が合法化されたのはコロラド州で2014年の1月です。下記も参照ください。
GINAと共に第97回(2014年7月)「これからの「大麻」の話をしよう」
注2:下記を参照ください。
https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/yakubutujyuki/yakujyuu/yakujyuu1/h27_yakujyuu_jousei.pdf
注3:覚醒剤が最も入手しやすい国は、まず間違いなく日本であることを過去に指摘してきました。90年代にはタイの方が容易だったという意見もありましたが、2002年あたりから当時のタクシン政権が検挙に力を入れ一気に入手できない国となりました。一説によれば冤罪も多く合計数千人が覚醒剤所持などの疑いで射殺されたと言われています。(このあたりはGINAと共に第25回(2008年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」で詳しく述べています)
その後タクシン政権がクーデターで失脚し、一時はタクシンの娘のインラックが首相となりましたが、現在タイは軍事政権です。軍事政権と聞くと薬物の取り締まりが厳しそうなイメージがありますが、実態はその逆です。すでに、90年代と同じくらいに薬物入手が簡単になっている上に、2016年6月には法務大臣が驚くべき発表をおこないました。なんと、「覚醒剤の依存性はアルコールやタバコよりも低いから合法にすべき」と発言したのです。下記URLを参照ください。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-3645552/Thailand-considering-legalising-CRYSTAL-METH-ruling-junta-s-general-admits-world-lost-war-drugs.html
注4:もっとも私のこの理論はあまり説得力がないかもしれません。アルコールの方が大麻よりも依存性が強いのは事実ですし、本文には「アルコールは翌日に持ち越さないが大麻は続く」と書きましたが、これも程度によりますから、一概には言えません。ただ、私が知る大麻愛好者(ほとんどが外国人)は、大麻をキメすぎて翌日の予定をキャンセルしたり、一日中寝そべっていたり、とそういった体験を頻繁にしています。
その「住民投票」は大麻の合法化を問うもので、結果を言えば「医療用大麻」が4州で、「嗜好用大麻」も4州で合法化が決まりました。これにより、米国では「医療用大麻」は合計28州+ワシントンD.C.で、「嗜好用大麻」は合計8州+ワシントンD.C.で合法化されたことになります(注1)。
嗜好用大麻は今世紀に入ってから合法化する国が多く、所持・栽培できる量の制限や公共の施設での使用禁止などルールは設けられているものの、ヨーロッパではいくつかの国で事実上解禁されています。20世紀には「大麻ならオランダ」というイメージがありましたが、現在は、UK、スペイン、ポルトガル、ベルギー、スイス、チェコスロバキアなどでも嗜むことが可能です。(ただし外国人は違法である地域も多い)
中南米でもメキシコやジャマイカなど事実上合法の国が多いのですが、ウルグアイについては2013年から「完全合法」です。つまり、個人使用だけでなく生産や売買までOKとなった世界初の国となったのです。世界初というイメージがあるオランダは、いわゆる「コーヒーショップ」と呼ばれる一部の店での個人使用はOKですが、個人所持や売買は現在も違法です。
「完全合法」の2番目の国はカナダになりそうです。2017年には法律が制定される予定です。ちなみに、カナダ政府の報告書によると、25歳以上のカナダ人のうち1割が1年以内に大麻を使用し、3分の1以上が「これまでに使ったことがある」と調査に答えているそうです。
日本はどうでしょうか。2016年に日本の大麻関連で最も話題となったのは、7月の参議院議員選挙に立候補していた元女優の高樹沙耶氏の逮捕・起訴でしょう。大麻取締法違反で逮捕された高樹氏は、参議院選挙の公約として「医療用大麻の研究推進」を掲げていました。
高樹氏の逮捕ほどは大きく報道されませんでしたが、長野県池田町の過疎化した集落で形成されていた大麻コミュニティが2016年11月に摘発されました。このコミュニティは県内外からの移住者が集まってできたものらしく、大麻を所持していたなどの理由で合計22人が逮捕されています。この地域の山中で大麻を栽培していたそうです。
これは私の推測に過ぎませんが、おそらく同じようなコミュニティは日本にまだまだあると思います。また、大麻は室内でも温度、湿度、光線量などの環境を整えれば栽培することが可能です。表に出てこないだけで使用している日本人は少なくありません。実際に若者の間で大麻愛好家が増えているというデータもあります。
警察庁組織犯罪対策部が公表している2015年の報告(注2)によると、薬物事犯の検挙人員は13,524人(前年比3.1%増)であり、覚醒剤は11,022人(前年比0.6%増)とほぼ前年並み。一方、大麻は2,101人(前年比19.3%増)と2割近くも増加しています。同庁の分析では「若年層による大麻の乱用傾向が増大している」とされています。
一方、日本では従来より"敷居"の低い覚醒剤(2015年の検挙人員の8割以上)は中高年での使用が問題となっています。警察庁によれば、「第3次乱用期」と呼ばれた1997年は摘発者約2万人の50%が20代以下で、40代以上は23%。しかし2008年にはこれが逆転し、2015年には40代以上が6割近くを占めるまでになっています(注3)。
大麻に話を戻します。過去にこのサイトで何度も指摘しているように、日本の報道は誤解を招きやすくなっています。最も問題なのは、日本のメディアの多くが大麻も覚醒剤もコカインも麻薬も同じように扱っているということです。これらは危険性も依存性もまったく異なります。大麻の危険性を強調しすぎることにより、他の違法薬物との違いが認識されなくなってしまうことが問題である、ということを過去に何度も指摘しました。
今回はもうひとつの問題を挙げたいと思います。逮捕された高樹氏が参議院選挙出馬時に強調していたことが「医療用大麻の合法化」です。(しかし、高樹氏は「嗜好品」として大麻を嗜んでいたことが後に報道されました) 大麻は薬品としても使えるが嗜好品でもある、と考えている人がいますが、ここは厳密に区別した方がいいと思います。
大麻には多くの化学物質が含まれており、総称を「カンナビノイド」と呼びます。カンナビノイドのうち重要なのがTHC(テトラヒドロカンナビノール)とCBD(カンナビジオール)です。そして、嗜好性があるのがTHCです。現在医療用大麻を推進している医療者(の大半)はCBDの有用性を訴えているのであり、THCの合法化を求めているわけではありません。
ただし、CBDの有用性も現段階では高いエビデンス(科学的確証)があるとはいえません。症例報告ベースでは、「難治性の疾患に効いた」というものも出てきていますが、正式な薬として認められる段階には至っていません。1996年の住民投票で合法となったカリフォルニア州を筆頭に現在では合計28州(+ワシントンD.C.)で医療用大麻が使えるアメリカではどうかというと、私の知る限り、医療用大麻の研究が積極的におこなわれているとは言えません。むしろ大麻の効果に懐疑的な医師も少なくありません。
嗜好品としての大麻推進派の人たちのなかに、大麻を「医薬品にもなる良いもの」という言い方をする人がいますが、彼(女)らが求めているのはCBDでなくTHCです。現在の科学技術をもってすれば、大麻からCBDとTHCを分離することは困難ではありません。ですから、大麻の議論をするときには、それがCBDなのかTHCなのかを分けて考えるべきです。高樹氏のように、選挙活動で「医療用大麻(CBD)」と言っておきながら、自分自身はTHCを嗜んでいた、という話を聞くと、CBDがダシに使われているように思えます。今後、有識者会議や国会でも大麻が議論になる機会が増えると思います。そのときにその大麻がTHCなのかCBDなのか(あるいは他のカンナビノイドなのか)をはっきりと区別して論じる必要がありますし、マスコミにもその点を考えて報道してもらいたいというのが私の意見です。
次に、嗜好品としての大麻を日本でも認めるべきか、という問題を改めて考えてみましょう。私個人の考えとしては、ウルグアイやカナダのような全面解禁には反対です。両国とも未成年への使用は禁じるそうですが、私は健康な成人にも禁止すべきという考えを持っています。以前にも述べましたが、(THCとしての)大麻は多幸感が得られるという長所がありますが、ダラダラと寝そべり、身体を動かすのもおっくうになります。こんな状態では勉強も仕事もできません。この点、覚醒剤とは正反対です。覚醒剤をキメて勉強すれば徹夜も平気になりますし、一晩中トラックを運転していても疲れませんから、ワーカホリックの日本人には覚醒剤が適していたと言えなくもないのです。
大麻には依存性が少ないと言われていますが、まったくないわけではありません。大麻を若いときに覚えてしまったがゆえに、多幸感に耽り努力を怠ってしまう、というのは避けるべきではないでしょうか。大麻(THC)推進派はよく「タバコやアルコールより依存性が少ない」と言いますが、タバコは多幸感が続くわけではありませんし、アルコールも度を越さなければ翌日には持ち越しません。一方、大麻は(もちろん程度にもよりますが)「翌日も何もする気が起こらない...」ほど持続することもしばしばあります(注4)。
しかし、リタイヤ後の高齢者はどうでしょう。あるいは若年者でも難治性の疾患を患っている場合はどうでしょう。大麻を摂取すれば(それがTHCの影響なのかCBDによるものなのか私には分かりませんが)食欲が大幅に亢進します。私の知人の大麻愛好家(外国人)は「大麻の最大の欠点は太ること」と言います。高齢者も難治性疾患を抱えた若年者も得てして食欲が落ちます。実際、食欲を出すために医療者は様々な工夫をしているのです。こういった人たちには嗜好品としての大麻(THC)を解禁してもいいのではないかと私は考えています。
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注1:2016年12月現在、医療用大麻が合法化の州は下記の通り(アイウエオ順)。(新)は、2016年11月8日の住民投票で新たに合法化された州です。
アラスカ州、アリゾナ州、アーカンソー州(新)、イリノイ州、オハイオ州、オレゴン州、カリフォルニア州、コロラド州、コネティカット州、デラウェア州、ニュージャージー州、ニューハンプシャー州、ニューメキシコ州、ニューヨーク州、ネバダ州、ノースダコタ州(新)、ハワイ州、バーモント州、フロリダ州(新)、ペンシルバニア州、ミシガン州、ミネソタ州、メイン州、メリーランド州、モンタナ州(新)、ルイジアナ州、ロードアイランド州、ワシントン州、ワシントンD.C.
嗜好用大麻が合法の州は下記です。
アラスカ州、オレゴン州、カリフォルニア州(新)、コロラド州、ネバダ州(新)、マサチューセッツ州(新)、メイン州(新)、ワシントン州、ワシントンD.C.
追記(2019年9月1日):下記2つの州でも合法化されました。
バーモント 2018年1月
ミシガン州:2018年11月
カリフォルニア州は、2010年11月2日の住民投票では大麻合法化が否決されました。詳しくは下記を参照ください。
GINAと共に第53回(2010年11月)「大麻合法化を巡る米国と覚醒剤に甘すぎる日本」
全米で最も早く嗜好用大麻が合法化されたのはコロラド州で2014年の1月です。下記も参照ください。
GINAと共に第97回(2014年7月)「これからの「大麻」の話をしよう」
注2:下記を参照ください。
https://www.npa.go.jp/sosikihanzai/yakubutujyuki/yakujyuu/yakujyuu1/h27_yakujyuu_jousei.pdf
注3:覚醒剤が最も入手しやすい国は、まず間違いなく日本であることを過去に指摘してきました。90年代にはタイの方が容易だったという意見もありましたが、2002年あたりから当時のタクシン政権が検挙に力を入れ一気に入手できない国となりました。一説によれば冤罪も多く合計数千人が覚醒剤所持などの疑いで射殺されたと言われています。(このあたりはGINAと共に第25回(2008年7月)「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」で詳しく述べています)
その後タクシン政権がクーデターで失脚し、一時はタクシンの娘のインラックが首相となりましたが、現在タイは軍事政権です。軍事政権と聞くと薬物の取り締まりが厳しそうなイメージがありますが、実態はその逆です。すでに、90年代と同じくらいに薬物入手が簡単になっている上に、2016年6月には法務大臣が驚くべき発表をおこないました。なんと、「覚醒剤の依存性はアルコールやタバコよりも低いから合法にすべき」と発言したのです。下記URLを参照ください。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-3645552/Thailand-considering-legalising-CRYSTAL-METH-ruling-junta-s-general-admits-world-lost-war-drugs.html
注4:もっとも私のこの理論はあまり説得力がないかもしれません。アルコールの方が大麻よりも依存性が強いのは事実ですし、本文には「アルコールは翌日に持ち越さないが大麻は続く」と書きましたが、これも程度によりますから、一概には言えません。ただ、私が知る大麻愛好者(ほとんどが外国人)は、大麻をキメすぎて翌日の予定をキャンセルしたり、一日中寝そべっていたり、とそういった体験を頻繁にしています。
第125回(2016年11月) 既存の「性風俗」に替わるもの
私がタイのHIV/AIDS事情を知るようになり、HIVの差別解消に取り組み、新たな感染者を生み出さないような努力をしなければならないと考えてからおよそ15年が経過しました。最初の頃は、無我夢中でいろんなところに足を運び、いろんな人に話を聞きました。
タイでは、感染者のみならず、HIV/AIDSのホスピスやシェルターに関わっている人たちから話を聞き、さらに薬物依存症の患者、(元)セックスワーカー、未成年で親に売られHIVに感染した若い女性、男性からのレイプ被害に幼少児に合いいまだに自身の「性」が分からないという人などとも知り合いました。
日本でも、感染者、LGBTの人たち、(元)セックスワーカー、性依存症の人、薬物依存症の人などいろんな人たちと話をしてきました。
それで、GINAのミッションである「HIV感染を予防するための啓発活動」がどれだけできたのかと問われると、「社会に貢献できている」とまでは言えないと感じています。実際、日本の感染者はいまだに減少傾向にはなっていません。個人レベルでみたときには、例えば私が院長をつとめる(医)太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を受診された患者さんで、「自分のとっていた行動がとてもリスキーであることが分かりました」と言ってくれる人も少なからずいますし、GINAのサイトからメールで質問された人から後日感謝メールをいただくこともありますから、少しくらいは貢献できているのかもしれません。しかし、まだまだだ、と感じています。
これまでの私の経験を振り返って、最も痛烈に感じるのは「正しい知識が普及すればHIVを含む性感染症は間違いなく激減する」ということです。これは断言できます。なぜなら、ほんの遊び心からもってしまった性的接触でその後の人生を大きく変えることになる性感染症に罹患した人は、全員が、「そんなに簡単に感染するとは知らなかった」「今なら絶対にあんなことはしない」などと口をそろえて言うからです。
例えば、一般に「HIVはオーラルセックスで感染する可能性は極めて低い」と言われていますが、谷口医院の患者さんのなかにはオーラルセックスでHIVに感染した人も複数人います。なかには、生まれて初めて交際した相手からオーラルセックスで感染したという人もいます。彼(女)らは、「あんなことで感染するなんて・・・」と言います。
HIVの前に、B型肝炎ウイルス(以下HBV)の対策を先におこなうべき、というのは私が言い続けていることですが、このことがまだまだ世間に浸透していません。HBVは汗や唾液から感染することもありますから、谷口医院の患者さんのなかにも、キスやハグ(裸で抱き合う)といった行為で感染した例もあります。彼(女)らは「まさか、その程度で感染するなんて」あるいは「なぜワクチンをうっておかなかったんだろう」「ワクチンがあるなんて知らなかった」と言います。
HIVやHBVといった生涯消えることのないウイルスでなくても、例えば、淋病やクラミジアに罹患し、自覚症状がないために自分の大切な人に感染させてしまい後悔してもしきれないという人達も何人もみてきました。なかには大切な家庭を失った、という人もいます。こういった人たちも「そんなことで感染するなんて・・・」と必ず言います。
性感染症に罹患した大半の人は、「もしも時計の針を巻き戻せるなら・・・」と、考えても仕方がないことを何度も考えてしまうに違いありません。
性感染症に罹患しない最善の方法は「危険な性接触を避ける」となります。そして、これを実践するには「正しい知識をもつ」ことが必要です。GINAや私自身はこのことに取り組んできたつもりです。しかし「正しい知識を持とうね」と言っても「はい、わかりました。では講義をしてください」と言う人はそういません。では、どうすればいいか。いくつか案があるのですが、これまで10年以上、性感染症に苦しんでいる人たちを診てきた私が、最も主張したいことのひとつが「性風俗産業をなくすべきでは」ということです。
これが非現実的な暴論と非難されるのは覚悟しています。例えば法律で「性風俗店」をすべて違法にしてしまうと、同じようなサービス業が地下に潜むだけですから、セックスワーカーも顧客も、今よりもかえって危険性が増すのは自明です。また、現実的に恋愛を楽しむのにハンディキャップがある人、例えば身体障がい者の人たちは、性風俗産業がなければ射精ができず身体的苦痛を負うことになります。
またこのような「反論」もあるでしょう。HBVとHPVのワクチンを接種し(HPVの4価ワクチンを接種していれば尖圭コンジローマのリスクが激減します)、オーラルセックスを含めてコンドーム(やデンタルダム)をしていればセックスワーカーも顧客も安全じゃないのか、という反論です。しかしこの考えは不十分です。まず梅毒は防げません。梅毒はたしかに「治癒」する疾患ですが、治療に難渋することも最近は増えてきており、「安易な行為」に後悔する人が後を絶ちません。また性器ヘルペスも防げません。性器ヘルペスは命にかかわる感染症ではありませんが、一度感染すると病原体は生涯消えず、何度も再発に悩まされることもあります。私が診た患者さんでも精神的に病んでいき、家庭が崩壊してしまった人もいます。
私は恋愛を否定する者ではありません。特定のパートナーがいるのに、別の人と恋に落ちる行為については、私個人としては賛成しませんが、世の中にはいくらでもあるということは理解できます。今述べているのは、「性欲」を満たす目的で性風俗産業を利用するのはやめるべきではないか、ということです。
セックスワーカーの大半は生活のために働いているわけで、そういう人たちの保証はどうするんだ、という声もあると思いますが、少なくともセックスワークをするリスクについては再考すべきだと思います。私が日本で診てきた大変な性感染症に罹患したセックスワーカーから「初めから知識があればあんな仕事しなかったのに・・・」という言葉をこれまで何度聞いたことか・・・。
私個人の意見を言えば、パートナーがいる人はパートナーとのセックスを楽しむべきだと考えています。「愛情はあるけれど、長年一緒にいすぎてそんな気になれない」あるいは「すでに愛情も冷めている」という声もあるかと思います。しかし、そんなときこそ、パートナーを「改めて愛するチャンス」だとは言えないでしょうか。
では、パートナーがいない人が「有り余る性欲」で苦しんでいるときはどうすればいいか。突拍子もない意見と思われるでしょうが、私の考えは「恋人ロボット」です。これだけIT産業が発達し、家庭用のロボット登場も間近になった時代です。すでにITは、チェスや将棋で人間を凌駕し、作曲をおこない、小説も書いているのです。「見た目」のみならず「感情」も人間に近いロボットが登場するのも時間の問題でしょう。ならば恋人ロボットの登場も可能ではないでしょうか。私個人の印象を言えば、技術はすでにあるのではないか、と思っています。ただ、倫理的な問題が伴うために、本格的な実用化、普及化に至っていないだけではないでしょうか。
すでに一部の愛好家の間では、高性能の「ダッチワイフ」を恋人にし、服を買ってあげたり、一緒に旅行に行ったりしているそうです。今はこのようなことをすれば他人の目が憚られると思われますが、ロボットの性能が上がり、多くの人がこういった行動をとるようになると、やがて「当たり前」のことになるかもしれません。そして、恋人ロボットの需要が増えると、女性ロボットだけでなく、男性ロボットも登場することになるでしょう。
性依存症の人たちも、複数のロボットを持つ(あるいは滅菌済のロボットをレンタルする)ことによって「性欲」を満たせることになるでしょう。日本のロボット工学は世界に誇れるはずです。そして日本のアニメーションは世界中で評価されています。これらのことを考えると、例えば日本政府が恋人ロボットの開発・製造を奨励すれば、一気に高性能の"恋人"が世界中に現れて、日本経済は潤い、性感染症は激減します。
いいことづくしの対策だと思うのですが、やはり突拍子もない考えなのでしょうか・・・。
タイでは、感染者のみならず、HIV/AIDSのホスピスやシェルターに関わっている人たちから話を聞き、さらに薬物依存症の患者、(元)セックスワーカー、未成年で親に売られHIVに感染した若い女性、男性からのレイプ被害に幼少児に合いいまだに自身の「性」が分からないという人などとも知り合いました。
日本でも、感染者、LGBTの人たち、(元)セックスワーカー、性依存症の人、薬物依存症の人などいろんな人たちと話をしてきました。
それで、GINAのミッションである「HIV感染を予防するための啓発活動」がどれだけできたのかと問われると、「社会に貢献できている」とまでは言えないと感じています。実際、日本の感染者はいまだに減少傾向にはなっていません。個人レベルでみたときには、例えば私が院長をつとめる(医)太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を受診された患者さんで、「自分のとっていた行動がとてもリスキーであることが分かりました」と言ってくれる人も少なからずいますし、GINAのサイトからメールで質問された人から後日感謝メールをいただくこともありますから、少しくらいは貢献できているのかもしれません。しかし、まだまだだ、と感じています。
これまでの私の経験を振り返って、最も痛烈に感じるのは「正しい知識が普及すればHIVを含む性感染症は間違いなく激減する」ということです。これは断言できます。なぜなら、ほんの遊び心からもってしまった性的接触でその後の人生を大きく変えることになる性感染症に罹患した人は、全員が、「そんなに簡単に感染するとは知らなかった」「今なら絶対にあんなことはしない」などと口をそろえて言うからです。
例えば、一般に「HIVはオーラルセックスで感染する可能性は極めて低い」と言われていますが、谷口医院の患者さんのなかにはオーラルセックスでHIVに感染した人も複数人います。なかには、生まれて初めて交際した相手からオーラルセックスで感染したという人もいます。彼(女)らは、「あんなことで感染するなんて・・・」と言います。
HIVの前に、B型肝炎ウイルス(以下HBV)の対策を先におこなうべき、というのは私が言い続けていることですが、このことがまだまだ世間に浸透していません。HBVは汗や唾液から感染することもありますから、谷口医院の患者さんのなかにも、キスやハグ(裸で抱き合う)といった行為で感染した例もあります。彼(女)らは「まさか、その程度で感染するなんて」あるいは「なぜワクチンをうっておかなかったんだろう」「ワクチンがあるなんて知らなかった」と言います。
HIVやHBVといった生涯消えることのないウイルスでなくても、例えば、淋病やクラミジアに罹患し、自覚症状がないために自分の大切な人に感染させてしまい後悔してもしきれないという人達も何人もみてきました。なかには大切な家庭を失った、という人もいます。こういった人たちも「そんなことで感染するなんて・・・」と必ず言います。
性感染症に罹患した大半の人は、「もしも時計の針を巻き戻せるなら・・・」と、考えても仕方がないことを何度も考えてしまうに違いありません。
性感染症に罹患しない最善の方法は「危険な性接触を避ける」となります。そして、これを実践するには「正しい知識をもつ」ことが必要です。GINAや私自身はこのことに取り組んできたつもりです。しかし「正しい知識を持とうね」と言っても「はい、わかりました。では講義をしてください」と言う人はそういません。では、どうすればいいか。いくつか案があるのですが、これまで10年以上、性感染症に苦しんでいる人たちを診てきた私が、最も主張したいことのひとつが「性風俗産業をなくすべきでは」ということです。
これが非現実的な暴論と非難されるのは覚悟しています。例えば法律で「性風俗店」をすべて違法にしてしまうと、同じようなサービス業が地下に潜むだけですから、セックスワーカーも顧客も、今よりもかえって危険性が増すのは自明です。また、現実的に恋愛を楽しむのにハンディキャップがある人、例えば身体障がい者の人たちは、性風俗産業がなければ射精ができず身体的苦痛を負うことになります。
またこのような「反論」もあるでしょう。HBVとHPVのワクチンを接種し(HPVの4価ワクチンを接種していれば尖圭コンジローマのリスクが激減します)、オーラルセックスを含めてコンドーム(やデンタルダム)をしていればセックスワーカーも顧客も安全じゃないのか、という反論です。しかしこの考えは不十分です。まず梅毒は防げません。梅毒はたしかに「治癒」する疾患ですが、治療に難渋することも最近は増えてきており、「安易な行為」に後悔する人が後を絶ちません。また性器ヘルペスも防げません。性器ヘルペスは命にかかわる感染症ではありませんが、一度感染すると病原体は生涯消えず、何度も再発に悩まされることもあります。私が診た患者さんでも精神的に病んでいき、家庭が崩壊してしまった人もいます。
私は恋愛を否定する者ではありません。特定のパートナーがいるのに、別の人と恋に落ちる行為については、私個人としては賛成しませんが、世の中にはいくらでもあるということは理解できます。今述べているのは、「性欲」を満たす目的で性風俗産業を利用するのはやめるべきではないか、ということです。
セックスワーカーの大半は生活のために働いているわけで、そういう人たちの保証はどうするんだ、という声もあると思いますが、少なくともセックスワークをするリスクについては再考すべきだと思います。私が日本で診てきた大変な性感染症に罹患したセックスワーカーから「初めから知識があればあんな仕事しなかったのに・・・」という言葉をこれまで何度聞いたことか・・・。
私個人の意見を言えば、パートナーがいる人はパートナーとのセックスを楽しむべきだと考えています。「愛情はあるけれど、長年一緒にいすぎてそんな気になれない」あるいは「すでに愛情も冷めている」という声もあるかと思います。しかし、そんなときこそ、パートナーを「改めて愛するチャンス」だとは言えないでしょうか。
では、パートナーがいない人が「有り余る性欲」で苦しんでいるときはどうすればいいか。突拍子もない意見と思われるでしょうが、私の考えは「恋人ロボット」です。これだけIT産業が発達し、家庭用のロボット登場も間近になった時代です。すでにITは、チェスや将棋で人間を凌駕し、作曲をおこない、小説も書いているのです。「見た目」のみならず「感情」も人間に近いロボットが登場するのも時間の問題でしょう。ならば恋人ロボットの登場も可能ではないでしょうか。私個人の印象を言えば、技術はすでにあるのではないか、と思っています。ただ、倫理的な問題が伴うために、本格的な実用化、普及化に至っていないだけではないでしょうか。
すでに一部の愛好家の間では、高性能の「ダッチワイフ」を恋人にし、服を買ってあげたり、一緒に旅行に行ったりしているそうです。今はこのようなことをすれば他人の目が憚られると思われますが、ロボットの性能が上がり、多くの人がこういった行動をとるようになると、やがて「当たり前」のことになるかもしれません。そして、恋人ロボットの需要が増えると、女性ロボットだけでなく、男性ロボットも登場することになるでしょう。
性依存症の人たちも、複数のロボットを持つ(あるいは滅菌済のロボットをレンタルする)ことによって「性欲」を満たせることになるでしょう。日本のロボット工学は世界に誇れるはずです。そして日本のアニメーションは世界中で評価されています。これらのことを考えると、例えば日本政府が恋人ロボットの開発・製造を奨励すれば、一気に高性能の"恋人"が世界中に現れて、日本経済は潤い、性感染症は激減します。
いいことづくしの対策だと思うのですが、やはり突拍子もない考えなのでしょうか・・・。
第124回(2016年10月) レイプ事件にみる日本の男女不平等
大学生による集団レイプ事件が立て続けに起こりました。それも、1つは東京大学、もうひとつは慶応大学のエリート男子学生によるものです。2つの事件ともさんざんメディアが報道しましたが、ここでも簡単に振り返っておきましょう。
2016年5月11日未明、東京大学の「東大誕生日研究会」なるサークルの主要メンバーが、都内のマンションで女子大学生に暴行を加え、強制わいせつや暴行の罪で逮捕・起訴されました。
2016年9月2日、慶応大学の「広告学研究会」というサークルのメンバー5人が、神奈川県葉山町にあるこのサークルが運営しているとされる海の家のそばの合宿所で18歳の女子大学生を集団レイプし撮影までおこないました。
これら2つの事件を聞いて、過去の大学生による集団レイプ事件を思い出した人も多いのではないでしょうか。90年代後半以降、大々的に報道された事件を確認しておきたいと思います。
1997年11月、当時19歳の女子大学生が帝京大学ラグビー部らの大学生合計8人に集団レイプされました。
1999年7月、慶応大学の(なんと)医学部の学生5人が、当時20歳の女子大学生を集団レイプしました。
早稲田大学のサークル「スーパーフリー」のメンバーの大学生らが、1999年頃から常習的に集団レイプを繰り返していたことが発覚し、2001年12月、2003年4月及び5月の合計3件の事件で起訴されました。2004年に制定された「集団強姦罪・集団強姦致死傷罪」はこの事件がきっかけと言われています。
こういった事件を聞いて加害者の男たちに憤りを感じない人はいないと思いますが、私は加害者だけでなく、大学の対応がいい加減ではないか、と感じます。本来なら、刑事事件を起こした学生を直ちに退学にし、大学が被害者に何らかの対応をすべきではないでしょうか。もちろん入学時に加害者の「罪を犯す潜在性」を見抜くことは現実的にはできないでしょうが、やはり大学は警察任せにすべきではないと思います。
なぜ、大学は被害者の立場に立った対応をしないのか。私にはその理由が、女性を軽視しているからではないかと思わずにはいられません。おそらく被害にあった女性は生涯この忌々しい事件を忘れることができません。実際、先に述べた帝京大学ラグビー部事件の被害者の女性はその後精神症状に苦しまれているそうです(注1)。(尚、映画「さよなら渓谷」で描かれた集団レイプ事件の被害者のモデルが帝京大学事件の被害者と言われています)
私はフェミニストではありませんが、レイプの加害者に対する日本の社会の対応は甘すぎるのではないかと常々感じています。私が院長をつとめる(医)太融寺町谷口医院にもときにレイプの被害者が訪れます。初めから「レイプの被害にあって・・・」と申告する人はわずかであり、たいていは何度か通院し、医師・患者関係が築けてからそれをカムアウトされます。受診のきっかけは、めまい、動悸、嘔気、不眠などいろいろです。なかには事件の後、リストカットを繰り返すようになったという人もいます。
レイプ被害者への不充分な対応と直接関係があることを証明はできませんが、世界経済フォーラムが公表している「ジェンダー・ギャップ指数2015」が興味深いデータを示しています(注2)。男女差別が「ない」順にランキングがおこなわれているのです。1位はアイスランド、2位はノルウェー、3位以降にフィンランド、スウェーデン、アイルランドと続きます。日本はなんと101位です。(ちなみに米国は28位、中国91位、韓国115位)
このデータは、レイプ被害者への対応が考慮されているわけではなく、経済、教育、政治、保健の4つの分野のデータから分析されたものです。しかし、総合的に男女差別のない国であれば、自然にレイプ被害者に対する手厚い対応がとられるでしょうし、それ以前にレイプそのものに対する世間の見方が日本とは異なるでしょう。
男女差別がなく、女性の権利が最も認められる国といえば、私にはアメリカのイメージが強いのですが(注3)、意外にも、このランキングで米国は28位です。しかし、その米国では私の知る限り、レイプに対する制度が大変厳しく定められています。
日本とは大きく異なり、米国の大学では、性交渉におよぶときはパートナーからの正式な「合意」を得られなければ、なんと大学から除名されるそうなのです。オンラインマガジンの『クーリエ・ジャポン』が伝えています(注4)。
報道によれば、現在米国の多くの大学では、キャンパス内でのレイプや男女間のトラブルを避けるための性交渉のルールが作られています。例えば、ニューヨーク州では、州内の大学に対し、性交渉におよぶときには「積極的合意」を事前に得ることを義務付けているそうです。さらに、規約には、「沈黙や我慢、静観は、"同意をしている"とは見なさない」と定められているのです。
つまり、性行為に及ぶときは互いの「合意」が必要であり、例えば見つめ合ったまま言葉もなくキスをするのは「合意なし」とされ、レイプとして訴えられるかもしれない、ということになります。
まだあります。「合意」は、自発的なものでなければならず、それもはっきりと示さなければならないそうです。しかも、その「合意」は、いつでも取り消し可能であることが必要であるとまで定められているそうです。
いまや米国の1,500以上もの大学で似たようなルールが設けられているそうです。
そして、性行為の「合意」を証明するためのアプリまで存在するというから驚かされます。このアプリ、その名も『YES to SEX』といい、パートナーが合意を示す音声を最大25秒間記録し、それをセキリュティ管理された専用サーバーに1年間無料で保管してもらえるというものです。その音声は、訴訟になった場合にのみアクセスができる仕組みになっているそうです。
私は過去に何人か、レイプの被害で性感染症に罹患したという患者さんを診察しています。タイではレイプでHIVに感染したという未成年に遭遇したこともあります。日本の患者さんでレイプでHIVに感染したという症例は診たことがありませんが、レイプの被害にあい、「HIVに感染したかもしれない・・」という不安に駆られ、何日も眠れない夜を過ごし、感染していなかったことが判ってからも精神症状に苦しんでいる患者さんを複数診ています。そして、以前のコラムでも述べたように(注5)、レイプの加害者は、まったくの見ず知らずの男よりも、(元)配偶者からのものが多く、また(元)恋人、友人、知人、上司などが加害者のケースも少なくないのです。これを「デートレイプ」と呼び、日本では軽視され過ぎていることをそのコラムで問題提起しました。デートレイプが軽視できない以上は、先に述べた『YES to SEX 』は日本でも必要なツールかもしれません。
しかし、一方では、最近の若い男女(特に男性)は性に消極的という話もよく聞きます。性行為前の「合意」をアメリカと同じように義務付けるなら、日本の若者はさらに性から遠ざかってしまうのではないでしょうか。けれども、レイプの被害者のことを考えると・・・。むつかしい問題です。
************
注1:下記が参考になります。
http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2013/06/-20111212.html
注2:内閣府の下記ページで詳しく紹介されています。
http://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2015/201601/201601_03.html
注3:私はアメリカ人女性と交際したことはありませんが、アメリカ人女性の強いフェミニズムに辟易としたという男性(日本人もアメリカ人も)の話は過去に何度か聞いたことがあります。そして、こういう話を外国人とおこなうと、よく話題になる「世界三大不幸」というものがあります。イギリスの料理を食べて、日本の家に住んで、アメリカ人の妻を持つ、というものです。一方、「世界三大幸福」は、中国の料理を食べて、アメリカの(大きな)家に住んで、日本人の妻をもつ、というものです。(これ以外にも、ドイツの車に乗る、イタリアの服を着る、フランスの愛人を持つなどのバリエーションがあります) この手の話は男性どうしの会話ではたいてい盛り上がりますが、「アメリカ人の妻をもつ」も「日本人の妻をもつ」も女性蔑視に違いありません。
注4:下記を参照ください。
https://courrier.jp/news/archives/58348/2/
注5:GINAと共に第81回(2013年3月)「レイプに関する3つの問題」
2016年5月11日未明、東京大学の「東大誕生日研究会」なるサークルの主要メンバーが、都内のマンションで女子大学生に暴行を加え、強制わいせつや暴行の罪で逮捕・起訴されました。
2016年9月2日、慶応大学の「広告学研究会」というサークルのメンバー5人が、神奈川県葉山町にあるこのサークルが運営しているとされる海の家のそばの合宿所で18歳の女子大学生を集団レイプし撮影までおこないました。
これら2つの事件を聞いて、過去の大学生による集団レイプ事件を思い出した人も多いのではないでしょうか。90年代後半以降、大々的に報道された事件を確認しておきたいと思います。
1997年11月、当時19歳の女子大学生が帝京大学ラグビー部らの大学生合計8人に集団レイプされました。
1999年7月、慶応大学の(なんと)医学部の学生5人が、当時20歳の女子大学生を集団レイプしました。
早稲田大学のサークル「スーパーフリー」のメンバーの大学生らが、1999年頃から常習的に集団レイプを繰り返していたことが発覚し、2001年12月、2003年4月及び5月の合計3件の事件で起訴されました。2004年に制定された「集団強姦罪・集団強姦致死傷罪」はこの事件がきっかけと言われています。
こういった事件を聞いて加害者の男たちに憤りを感じない人はいないと思いますが、私は加害者だけでなく、大学の対応がいい加減ではないか、と感じます。本来なら、刑事事件を起こした学生を直ちに退学にし、大学が被害者に何らかの対応をすべきではないでしょうか。もちろん入学時に加害者の「罪を犯す潜在性」を見抜くことは現実的にはできないでしょうが、やはり大学は警察任せにすべきではないと思います。
なぜ、大学は被害者の立場に立った対応をしないのか。私にはその理由が、女性を軽視しているからではないかと思わずにはいられません。おそらく被害にあった女性は生涯この忌々しい事件を忘れることができません。実際、先に述べた帝京大学ラグビー部事件の被害者の女性はその後精神症状に苦しまれているそうです(注1)。(尚、映画「さよなら渓谷」で描かれた集団レイプ事件の被害者のモデルが帝京大学事件の被害者と言われています)
私はフェミニストではありませんが、レイプの加害者に対する日本の社会の対応は甘すぎるのではないかと常々感じています。私が院長をつとめる(医)太融寺町谷口医院にもときにレイプの被害者が訪れます。初めから「レイプの被害にあって・・・」と申告する人はわずかであり、たいていは何度か通院し、医師・患者関係が築けてからそれをカムアウトされます。受診のきっかけは、めまい、動悸、嘔気、不眠などいろいろです。なかには事件の後、リストカットを繰り返すようになったという人もいます。
レイプ被害者への不充分な対応と直接関係があることを証明はできませんが、世界経済フォーラムが公表している「ジェンダー・ギャップ指数2015」が興味深いデータを示しています(注2)。男女差別が「ない」順にランキングがおこなわれているのです。1位はアイスランド、2位はノルウェー、3位以降にフィンランド、スウェーデン、アイルランドと続きます。日本はなんと101位です。(ちなみに米国は28位、中国91位、韓国115位)
このデータは、レイプ被害者への対応が考慮されているわけではなく、経済、教育、政治、保健の4つの分野のデータから分析されたものです。しかし、総合的に男女差別のない国であれば、自然にレイプ被害者に対する手厚い対応がとられるでしょうし、それ以前にレイプそのものに対する世間の見方が日本とは異なるでしょう。
男女差別がなく、女性の権利が最も認められる国といえば、私にはアメリカのイメージが強いのですが(注3)、意外にも、このランキングで米国は28位です。しかし、その米国では私の知る限り、レイプに対する制度が大変厳しく定められています。
日本とは大きく異なり、米国の大学では、性交渉におよぶときはパートナーからの正式な「合意」を得られなければ、なんと大学から除名されるそうなのです。オンラインマガジンの『クーリエ・ジャポン』が伝えています(注4)。
報道によれば、現在米国の多くの大学では、キャンパス内でのレイプや男女間のトラブルを避けるための性交渉のルールが作られています。例えば、ニューヨーク州では、州内の大学に対し、性交渉におよぶときには「積極的合意」を事前に得ることを義務付けているそうです。さらに、規約には、「沈黙や我慢、静観は、"同意をしている"とは見なさない」と定められているのです。
つまり、性行為に及ぶときは互いの「合意」が必要であり、例えば見つめ合ったまま言葉もなくキスをするのは「合意なし」とされ、レイプとして訴えられるかもしれない、ということになります。
まだあります。「合意」は、自発的なものでなければならず、それもはっきりと示さなければならないそうです。しかも、その「合意」は、いつでも取り消し可能であることが必要であるとまで定められているそうです。
いまや米国の1,500以上もの大学で似たようなルールが設けられているそうです。
そして、性行為の「合意」を証明するためのアプリまで存在するというから驚かされます。このアプリ、その名も『YES to SEX』といい、パートナーが合意を示す音声を最大25秒間記録し、それをセキリュティ管理された専用サーバーに1年間無料で保管してもらえるというものです。その音声は、訴訟になった場合にのみアクセスができる仕組みになっているそうです。
私は過去に何人か、レイプの被害で性感染症に罹患したという患者さんを診察しています。タイではレイプでHIVに感染したという未成年に遭遇したこともあります。日本の患者さんでレイプでHIVに感染したという症例は診たことがありませんが、レイプの被害にあい、「HIVに感染したかもしれない・・」という不安に駆られ、何日も眠れない夜を過ごし、感染していなかったことが判ってからも精神症状に苦しんでいる患者さんを複数診ています。そして、以前のコラムでも述べたように(注5)、レイプの加害者は、まったくの見ず知らずの男よりも、(元)配偶者からのものが多く、また(元)恋人、友人、知人、上司などが加害者のケースも少なくないのです。これを「デートレイプ」と呼び、日本では軽視され過ぎていることをそのコラムで問題提起しました。デートレイプが軽視できない以上は、先に述べた『YES to SEX 』は日本でも必要なツールかもしれません。
しかし、一方では、最近の若い男女(特に男性)は性に消極的という話もよく聞きます。性行為前の「合意」をアメリカと同じように義務付けるなら、日本の若者はさらに性から遠ざかってしまうのではないでしょうか。けれども、レイプの被害者のことを考えると・・・。むつかしい問題です。
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注1:下記が参考になります。
http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2013/06/-20111212.html
注2:内閣府の下記ページで詳しく紹介されています。
http://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2015/201601/201601_03.html
注3:私はアメリカ人女性と交際したことはありませんが、アメリカ人女性の強いフェミニズムに辟易としたという男性(日本人もアメリカ人も)の話は過去に何度か聞いたことがあります。そして、こういう話を外国人とおこなうと、よく話題になる「世界三大不幸」というものがあります。イギリスの料理を食べて、日本の家に住んで、アメリカ人の妻を持つ、というものです。一方、「世界三大幸福」は、中国の料理を食べて、アメリカの(大きな)家に住んで、日本人の妻をもつ、というものです。(これ以外にも、ドイツの車に乗る、イタリアの服を着る、フランスの愛人を持つなどのバリエーションがあります) この手の話は男性どうしの会話ではたいてい盛り上がりますが、「アメリカ人の妻をもつ」も「日本人の妻をもつ」も女性蔑視に違いありません。
注4:下記を参照ください。
https://courrier.jp/news/archives/58348/2/
注5:GINAと共に第81回(2013年3月)「レイプに関する3つの問題」