GINAと共に

第138回(2017年12月) ホームレス会議で気づいたタイ人にできて日本人にできないこと

 HIV/AIDSに関係があるわけではありませんが、2017年12月10日大阪市の某所で「第3回大阪ホームレス会議」が開催されたので行ってきました。この「会議」は、ホームレスの人々の自立を応援する「ビッグイシュー基金」が主催しています。『ビッグイシュー』は街角に立つホームレスの人たちが販売している雑誌で、およそ10年前から東京や大阪の街頭ではおなじみの光景になっています。私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)では以前からビッグイシュー基金のスポンサーをしていることもあり今回の会議に参加することになった(といっても聴きに行っただけですが)のですが、実は私が参加したもうひとつの「理由」があります。

 その理由とは、テーマが「食」であったということです。谷口医院は都心部に位置していることもあり、患者層は比較的若い働く世代に多いという特徴があります。その働いている人々のなかで「シングルマザー」は少なくありません。元夫と死別(こちらは少数)もしくは離婚(これがほとんど)し、小さな子供(たち)を自分ひとりで育てねばならなくなった、そしてなかには、両親がいない(もしくは絶縁状態)、さらに周りに助けてくれる人が誰もいない、というケースもまあまああります。というより、こういうケースが年々増えています。

 そんなシングルマザーたちのほとんどは子供に対する"愛情"はあるのですが、うまく伝わっていない、というか、結果として"虐待"と呼べるような行動をとってしまう場合もあります。以前にもコラムで述べたことがあるのですが、私はこのような虐待があるならば、子供と同時に母親を支援すべきだという考えを持っています。もちろん生命の危険が脅かされる前に子供を親から引き離さなければならないようなケースもありますが、母親の支援なくして母子対策はおこなえない、というのが私の考えです。

 シングルマザーが昼間仕事をしていると、どうしても子供の食事がおろそかになります。毎日子供に愛情をこめた食事をつくる余裕はないのです。そんななか、数年前から「子ども食堂」と呼ばれる、子供たちに無料(もしくは低額)でごはんを食べさせてくれる食堂ができ始めました。これは個人もしくはNPO法人が運営している食堂で、母子家庭の子供に限らず、誰でも気軽に利用することができます。私は(GINAとしてではなく個人として)いくつかの子ども食堂を支援していることもあり、2017年11月に大阪で開催された「子ども食堂サミット」にも参加していました(といっても聴きにいっただけですが)。

 話を戻します。ホームレス会議のテーマが「食」で、子ども食堂を運営している人たちもパネリストとして登壇されると聞きましたから、これは参加しないわけにはいかない、と考えたのです。会議を通して最もインパクトがあったのが「ホームレス」当事者の人たちの言葉です。(ここでいう「ホームレス」は文字通り「家がなく野宿している」という意味ではなく『ビッグイシュー』を街頭で販売している人たちです)
 
 当事者の人たちにもいろんなタイプがいて、次から次へとユーモアを交えて流暢に話す人もいれば、ひとつひとつの言葉をじっくりと選びながら思いを訴える人もいました。そういった人たちの話で私が最も印象に残ったのは「飢えることの苦痛」です。その日に食べるものがない、ということがどれだけ辛いか...。そして頼れる人がどこにもいないということにどれだけ絶望するか...。会議で登壇されていたあるNPOの人の話によれば、少なくない日本人が毎年餓死で亡くなられるそうです。

 そして、一方ではどれだけの食べ物が廃棄されているか...。環境省のウェブサイトによれば、年間621万トンもの食品ロス(廃棄)があります。高月紘著『ごみ問題とライフスタイル―こんな暮らしは続かない』(日本評論社)によれば、一般家庭では年間3.2兆円、外食産業では11.1兆円もの損失がでているそうです。

 その日に食べるものがない......。これがどれだけつらいことか。私の個人的見解を言えばこれは「難民」の定義です。私の性格は"優しくない"ので、友人・知人から「自分ほど不幸な人間はいない」などと言われると、「その日に食べるものがない人のことを考えたことがあるのか!」と返したくなります。(実際に発言すると嫌われますから口には出しませんが。それでも嫌われるのを覚悟で言うこともたまにはあります...)

 その日に食べるものがない人がいる同じ国で、年間11.1兆円もの食品を捨てているというこの現実...。「食」についてはいろいろと言いたいことがあるのですが、ここではこれ以上は踏み込まずに、私が感じた日本とタイの違いを紹介したいと思います。

 その日に食べるものがない、が私流の「難民」の定義です。そしてタイでこの定義にあてはまる人は文字通りの「難民」であり、例えばミャンマーの民族紛争を逃れてやってきた人や、タイに入国するのは至難の業ですがなんとかやってきたロヒンギャの人たちなどです。一方、HIV陽性の人たちはどうでしょうか。

 このサイトで何度も述べたように2000年代前半頃までは、HIV陽性者は地域社会で生きていくことができず、町や村を追い出されていました。感染が知られると、食堂に入っても食器を投げつけられ追い返されていたのです。ですが、感染者はまったく食べるものがなく餓死していたのかというとそういうわけではありません。タイでは誰かが食べ物を恵んでくれるのです。(タイ人に食事を恵んでもらい生き延びる日本人のホームレスの話を過去のコラムで紹介したことがあります)

 私が個人としてもGINAとしてもタイのHIV陽性者を支援しているなかで、「感染者が餓死した」という話はまったくないわけではありませんが(例えば、やせほそった赤ちゃんがエイズ施設の前に置き去りにされていて発見された時にはすでに死亡していた、ということが過去にはありました)、食べ物を得ようと思えばタイではなんとかなります。

 よくタイのツアーガイドなどは「道端のホームレスにお金をあげてはいけません」と言います。これは障害を抱えたホームレスや小さい子供を牛耳っているのはマフィアであり、お金をあげてもマフィアに吸い取られるだけだからだ、というのが理由ですが、こういったホームレスたちをよく観察しているとタイ人がお金をあげている姿が目に留まります。それも身なりから判断して貧しい階層の人たちが恵んでいるのです。あるとき、私はそのホームレスが自分の食料を寄り添ってきた犬にあげているのを見てこの国の"仕組み"が理解できました。
 
 つまり、タイでは「助け合い」が社会の基本なのです。この「助け合い」は我々日本人が言う助け合い、つまり「困ったときはお互い様」とは異なるものです。タイには「タンブン」という「お布施」を表す言葉がありこの概念とつながります。要するに、お金や物がある者は無い者に恵むのが"当然"なのです。金持ちは貧しい者に、貧しい者はさらに貧しい者に、最も貧しい者は動物に分け与えるというわけです。タイ人と食事に行って奢ってあげても感謝の言葉がないのは彼(女)らが礼儀知らずなのではなくタイの文化に即して考えれば当然なのです。

 タイの町や村を早朝歩いていると僧侶が托鉢をしている光景をよく目にします。鉢を持って歩いているとどこからともなく住民が駆け寄り、米や野菜、卵などをその鉢に入れていきます。僧侶たちはこれを寺に持ち帰ります。あるタイ人によれば、食べ物がなくなりどうしようもなくなっても寺に行けば何かを食べさせてくれるそうです。

 翻って日本はどうでしょうか。最近まで会社勤めをしていてもリストラで職を失えば一気にホームレスまで転落することもあります。冒頭で紹介したホームレス会議に登壇していた当事者の人たちもそうです。そしていったんホームレスになると支援の手はそう多くありません。寺に行ってもごはんを食べさせてくれるわけではないでしょう。我々のすぐそばにその日に食べるものがなく困っている人がいて、誰がいつホームレスになってもおかしくないのが現実であることを認識すべきです。

 そして、タイに倣え、とは言いませんが、我々ひとりひとりがこの国で何をすべきかを考えなければなりません。今すぐできることもあるはずです。

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第137回(2017年11月) 痛み止めから始まるHIV

 2017年10月26日、トランプ米大統領は、米国内で鎮痛剤オピオイドの依存症患者や過剰摂取による死亡者が増えていることを受け「公衆衛生の非常事態」を宣言しました。中毒による死亡者は年間3万人を超え、働く世代の労働参加率の低迷の原因の2割がオピオイドによるものという試算もあります。

 非常事態宣言が発令されたわけですからこれだけでも大問題ですが、さらに深刻な問題がこの先にあります。それはHIV感染です。米国のニュースメディア「POLITICO」が「オピオイドからHIVへ」というタイトルで米国の麻薬汚染の実態を報告しています(2017年10月21日)。

 同紙によれば、2年前(の2015年)、インディアナ州スコット郡では200人近くの市民がHIVに感染しました。感染源は「針の使いまわし」です。興味深いことに、このような感染が深刻化している他の州をみてみると、ケンタッキー州、ウェストバージニア州、オハイオ州、ミシガン州、ミズーリ州、テネシー州のアパラチア地方など。これらに共通するのは、トランプ大統領を支持する地域であり、地域社会のほとんどが白人、そして失業率が高いということを同紙は指摘しています。
 
 米国全体でのHIV新規感染は減少傾向にあります。CDC(米国疾病管理予防センター)の報告によれば、2008年に45,700人の新規の報告があったのが、2014年には37,000人まで減少しています。(日本ではだいたい年間の新規感染者数が1,500人ですから約25倍です) 米国の新規感染の約1割が注射針からの感染です。

 さて、ここで鎮痛薬オピオイドの使用がなぜHIV感染につながるのかを確認しておきましょう。慢性の痛みで悩んでいる人は世界中のどこにでもいます。頭痛、関節痛、腰痛、腹痛...、と人によって痛みの部位は様々で、最初は市販の痛み止めで対処しますが、そのうちにより強い鎮痛薬を求めて医療機関を受診することになります。

 医師は鎮痛薬の危険性を知っていますから、安易に副作用の強い鎮痛薬を処方するようなことはしませんが、目の前の患者さんが激しい痛みを訴えれば検討することになります。以前なら、それでも「我慢しなさい」と患者に話す医師が多かったのですが、90年代後半頃からいくつかの製薬会社が「強力な鎮痛薬」の強烈なプロモーションを開始し、医師が影響を受けるようになりました。これが、米国の「麻薬汚染」の始まりです。

「強力な鎮痛薬」がよく効き、かつ副作用がなければ問題があるとは言えません。ですが、この「強力な鎮痛薬」は"強力"な「依存症」を引き起こしました。米国のメディア「ロサンジェルス・タイムズ」がいかにこの鎮痛薬が製薬会社の戦略の下に米国に浸透していったのか、その真相を暴きました。麻薬性鎮痛薬「オキシコンチン」を販売するパーデュー・ファーマ社はこの麻薬を"夢のクスリ"と謳い、売り上げを急増させ、1996年の販売開始以来、米史上最大規模の700万人超という薬物乱用者を発生させたのです。

 麻薬の特徴を二つ挙げるとすれば「耐性」と「依存性」です。ロサンジェルス・タイムズの報告によれば、パーデュー・ファーマ社のオキシコンチンは12時間有効という謳い文句で登場しました。ですが、実際はそれほど効果が続かず、使用者は12時間後が待ち遠しくて仕方がなくなり、オキシコンチンのこと以外は考えられなくなるのです。こうなれば立派な「依存症」です。さらに、耐性がでてくれば当初得られたような効果が期待できず、高用量を求めるようになります。しかし医師の処方には制限があります。その結果何が起こるか...。

 裏ルートで麻薬を入手しようと考える人が出てきます。内服ではもはや満足できなくなった身体はより高い効果が得られる静脈注射を渇望します。そして、ここまでくれば痛みの緩和ではなく、麻薬が切れたときの苦痛が次の「ショット」を求めるようになります。静脈注射に必要なシリンジ(注射筒)は一度入手すると繰り返し使えますが、注射針はそうはいきません。何度か使っているうちに針が鋭利さを失い刺さらなくなります。しかし合法的に次々と注射針を入手するのは困難です。そのとき、もはや立派な依存症となった人たちは何を考えるか。麻薬のためなら他人の使った針でも厭わなくなるのです。これが、先述の「共和党(トランプ大統領)の支持率が高い地域」の実情というわけです。

 さて、このような話を聞いたとき日本人のあなたはどう思うでしょうか。「アメリカって怖い国だよね...」と他人事のように感じる人が多いのではないでしょうか。たしかに、ロサンジェルス・タイムズ社が実情を暴露したパーデュー・ファーマ社のオキシコンチンのような薬は日本では医療現場での使用が厳しく制限されています。そして、米国に比べると麻薬中毒者は日本にはそう多くいません。日本では覚醒剤中毒者が"伝統的に"多いわけですが、これまでのところその中毒者たちのHIV感染は増加傾向にはありません。

 では日本は米国のようにはならないのか。私個人の見解は、「いずれ米国と同じように麻薬中毒者が増加し、その結果HIV感染が増える可能性がある」というものです。理由を述べます。

 たしかに日本ではオキシコンチンのような強力な鎮痛薬はがんの末期など限られた症例にしか使うことができません。ですが、2010年代初頭から日本でも内服のオピオイドががんと関係のない慢性の痛みに処方できるようになりました。製薬会社は「これは麻薬と違います。依存性は小さいです」と医師にPRをおこなっています。そして、製薬会社のウェブサイトにはオピオイドという文字の後にわざわざ「非麻薬」と書いています。(例えばhttp://www.mochida.co.jp/dis/medicaldomain/circulatory/tramcet/info/index.html

 誤解を恐れずに言うならば、これは「詭弁」だと思います。詭弁が失礼であれば「誤解されても仕方がない表現」です。そもそもオピオイドとは、麻薬やその類似物質を指すわけで依存性のリスクはつきまとうものです。そして、一応、これら日本で販売されている内服のオピオイドの添付文書には「依存性があります」と(小さい字で)書かれています。そうです。日本の製薬会社も初めから危険性を分かっているのです。それを医師にPRするときは「依存性が小さい」と言い、患者さんが見るかもしれない自社のウェブサイトには「非麻薬」とご丁寧に書いているというわけです。

 もちろん、いくら危険な薬が発売されようが、処方する医師がきっちりとそのリスクを認識し最低限の処方をしていれば問題は起こりません。実際、私はこれらが発売されたとき、「このような薬が日本で使われることはそれほど多くないだろう」と踏んでいました。ですが、発売後次第に使用者は増えてきています。私が院長を務める太融寺町谷口医院では、初診の患者さんに「今飲んでいる薬は?」と尋ねると、これらオピオイドを毎日飲んでいるという人が年々増えているのです。

 たしかにオピオイドを用いなければコントロールできない痛みというものもあります。ですが率直な私の印象を言えば、「その程度の腰痛で?」「その関節痛、まずは他の鎮痛薬を試すべきでは?」という例が目立つのです。もちろん安易に前医を批判してはいけないのですが、こういった患者さんの何割かは、危険性や依存性を説明すると「えっ、そんな怖い薬とは聞いていません!」と答えるのです。

 つまり、米国と同様、日本でも医師の"安易な"処方がおこなわれていると言わざるをえないのです。数年後に何が起こるか。おそらく現在の内服オピオイドが効かなくなり、あるいは依存症が深刻化し、より強い麻薬が欲しくなるでしょう。そして、米国と同様のストーリーが始まり...、という私の見立てが杞憂であればいいのですが。

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第136回(2017年10月) これからのHIVは50歳以上の離婚経験者

 私が初めてタイのエイズ施設を訪れたのは2002年。研修医になり半年が過ぎた頃です。医学部では5回生と6回生はほぼ授業がなくほとんどが臨床実習となり病院で一日を過ごしますから、タイのエイズ施設を訪れるまでの2年半の間に数百人の患者さんを診察したことになります。ですが、タイに渡航するまで私はHIV陽性者に出会ったことがありませんでした。

 そんな私がタイのエイズ施設に足を踏み入れた瞬間に感じたことが「若い!」ということです。日本では小児科と産科を除けば病院というのは高齢者が中心です。ところがそのタイの施設では高齢者も少しはいますが、大半は20~30歳代の若者、なかには10歳未満の子供もいました。そして、当時のタイでは抗HIV薬はまだ支給されていませんでした。ということは、若い彼(女)らは、近いうちに確実に死を迎えることになるのです。

 そんな光景、日本ではありえません。高齢者ばかりが入院している慢性期の病棟、あるいはホスピスなどでは「あとは死を待つだけ」という患者さんたちが大半で、それはそれで「死」の重みを感じることになります。けれども、私が2002年にタイでみたその様子は大半が若者なのです。しかも、直接話をしてみると、彼(女)らの何割かは「死」を受け入れることができていません。近いうちに死ぬのは確実ということは分かっているけれど、死にたくないという気持ちが強いのです。

 欧米から来ているボランティアの医療者の指導を受けながら、若い患者さんたちと過ごした数日間の経験が私にエイズに向かわせることを決心させます。ある意味では「年齢差別」になるのかもしれませんが、私が当時抱いた気持ちは「若い人たちだからこそ助けなくてはならない」というものです。さらに、彼(女)ら達から聞いた、いかに差別や偏見で苦しんできたかという話も私の感情を奮い立たせました。

 その後私はNPO法人GINAを設立し、機会があれば日本でもエイズに関する講演をおこなってきました。私がいつも言い続けているのはふたつ。感染者への差別をなくすことと新たな感染者を生み出さないことです。そして、ここでいう「感染者」というのは若い人たちを念頭に置いています。ですから大学生の集まりや、若い社会人を対象とした集会で話すことはあるものの、中高齢者が集うところで話をしたことはありませんし、また呼ばれたこともありません。日本社会も私自身もHIVは若い世代の疾患と考えているのです。

 ところが、そういった考えは過去のものとみなす必要がでてきました。ヨーロッパのメディアがはっきりとそれを指摘しています。その指摘のきっかけとなった論文は医学誌『Lancet』2017年9月26日(オンライン版)に掲載されています(注1)。ヨーロッパ全体で、そして特にイギリスでは高齢者のHIV感染が問題となっているのです。複数のメディアがこの論文を紹介し、さらにNHS(英国国民保健サービス)もウェブサイトで報告し問題提起しています(注2)。

 まずは『Lancet』及びNHSの報告から具体的な数字をみていきましょう。

 調査期間は2004年1月1日から2015年12月31日の12年間。対象は欧州31か国です。期間中に新たにHIV感染が判明したのが、15~49歳(便宜上ここからは「若者」とします)では312,501人。50歳以上では54,102人です。この数字だけをみるとHIVはまだまだ若者の感染症と言えそうですが、増加率に注目してみましょう。

 若者の新規感染率は人口10万人あたり11.4人。12年間でほとんど変化はありません。一方50歳以上は10万人あたり2.6人と総数では若者より少ないのですが、毎年2.1%増加しています。また後述するように「感染経路」が若者と50歳以上では異なります。

 深刻なのはイギリスです。50歳以上での増加率は年間3.6%。2004年には10万人あたり3.1人だったのが2015年には4.32人まで上昇しています。男女別にみてみると、50歳以上の男性では12年間で人口10万人あたり3.5人から4.8人に、50歳以上の女性では1.0人から1.2人に増加しています。一方、同国では若者の新規感染は4%減少しています。

 データを欧州全体に戻して50歳以上の感染経路の内訳をみてみましょう。2015年には感染経路の最多が異性間性交渉の42.4%、男性同性間性交渉は30.3%、薬物の静脈注射が2.6%、その他及び不明が24.6%です。一方、若者は、最多が男性同性間性交渉の45.1%、異性愛30.8%、薬物4.6%、その他及び不明19.5%です。

 これらから言える最も重要なことは「50歳以上の男女間での性交渉での感染増加に対策を立てねばならない」ということです。では、なぜ彼(女)らの間に新規感染が増えているのか。NHSは英国の大衆紙『Mail Online』の報道を引き合いに出しています。同紙は次のようにコメントしています(注3)。

 離婚後の無防備な性交渉が50歳以上のHIV新規感染増加の真因である...。

 同紙はさらに、「silver splitters」という造語(日本語にすると「熟年離婚者」でしょうか...)を紹介し、これがキーワードだとしています。同紙によれば、離婚した彼(女)らはHIVを過去のものと考えており、コンドームは避妊用具であり性感染症を防ぐツールとは認識していません。特に、精管切除(vasectomy)や子宮摘出(hysterectomy)を実施していれば、コンドームという発想は元からありません。

 50歳以上の問題はまだあります(注4)。若者に比べて、HIVが発覚したときにすでに病状が進行していることが今回の調査で分かったのです。さらに「Mail Online」によれば、HIVの無料検査はいろんなところで受けることができるにもかかわらず50歳以上は検査を受けず、また予防啓発をおこなう団体も50歳以上に対しては積極的におこなっていないそうです。その結果、ますます検査を受ける機会を逃すことになります。

 翻って日本はどうでしょうか。実は日本でも同じような傾向が現れつつあります。「平成28(2016)年エイズ発生動向」(注5)には「感染者の主要な感染経路はいずれの年齢階級においても同性間性的接触例の割合がもっとも高く、年齢が上がるに従い異性間性的接触の割合が高くなる傾向がみられた」と述べられています。つまり、ヨーロッパとは異なり、日本では50歳以上も感染経路は男性同性間性交渉が最多だけれど、若者と比べて異性間性交渉での感染の割合が多い、ということです。同資料の図13をみてみると、50歳以上では4割以上が異性間となっています。一方、30代では異性間は2割に過ぎません。

 そして、これは日々の臨床を通しての私の実感とも一致します。私が日々診察している20代、30代のHIV陽性者は多くが男性同性愛者ですが、50代以上となると、全体では人数は多くないものの異性間性交渉で感染している割合が増えます。そして、自らの意思で保健所などへ検査を受けに行った人はほとんどおらず、何らかの症状が出て医療機関を受診してHIV感染が発覚した、というケースが多いのです。

 また日本のHIV啓発団体もやはり若者を対象としています。10年ほど前からピア・エデュケーション(peer education)の有効性が注目され(「ピア」とは同胞とか同僚という意味です)、同世代の者がHIV/エイズの教育をおこなうべきだという考えが主流になってきています。そしてピア・エデュケーションを推奨している人たちが念頭に置いているのはまず間違いなく若い人たちです。

 これを読んでいるあなたが50歳以上だったとしたら、そしてもしも「silver splitter」だとしたら、性に対する考え方、見直さなくてもいいでしょうか...。

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注1:この論文のタイトルは「New HIV diagnoses among adults aged 50 years or older in 31 European countries, 2004?15: an analysis of surveillance data」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://www.thelancet.com/journals/lanhiv/article/PIIS2352-3018(17)30155-8/fulltext?elsca1=tlpr

注2:NHSはウェブサイト「NHS choices」で公表しています。タイトルは「Rates of newly diagnosed HIV increasing in over-50s」で、下記URLで全文を読めます。

https://www.nhs.uk/news/2017/09September/Pages/Rates-newly-diagnosed-HIV-increasing-in-over-50s.aspx

注3:「Mail Online」の記事のタイトルは「HIV on the rise in the over-50s: Warning that reckless sexual behaviour of 'silver splitters' has led to an increase in cases」で、下記URLで読むことができます。

http://www.dailymail.co.uk/health/article-4923672/HIV-rise-50s.html

注4:本文では述べませんでしたが、NHSは50歳以上の問題として次の2つも挙げています。ひとつは異性愛での感染が最多とはいえ、男性同性愛者の感染も増えていることです。若者でも増えていますが、50歳以上の増加率の方が高いのです。(50歳以上は5.8%の増加、若年者は2.3%) もうひとつは、過去12年間で薬物の静脈注射も増えていることです。こちらは若者では減少しています。

注5:下記URLを参照ください。

http://api-net.jfap.or.jp/status/2016/16nenpo/bunseki.pdf

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第135回(2017年9月) 性風俗がやめられない人たち

 今回は私の元に寄せられたアキラさんからの相談メールの紹介をしたいと思います。ただし、本人が特定できないように一部を変更していること、さらに、同じような質問は非常にたくさん寄せられていることを先にお断りしておきます。

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【お名前(ニックネ-ム可)】アキラ
【内容】先生こんにちは。30代の既婚者です。僕は自分が性依存症でないかと疑っています。というのは風俗通いがやめられないんです。GINAのサイトなどを見て、HIVよりもB型肝炎が重要ということを知ってワクチンはうちました。HIVには絶対にかかりたくないのでコンドームは使うようにしていますが、オーラルセックスのときはコンドームなしのこともあります。というか、そちらの方が多いです。もうやめようと思うのですが、少し時間がたつとまた行きたくなるのです。遊んだ後に充実しているかというと、後悔する気持ちの方が強いです。妻とは仲が悪くはありませんがもう何年もセックスしていませんし、まったくやる気が起こりません。ただ、子供はほしいと思っています。
【私の回答】
アキラさんへ。同じような質問をよく受けます。そして、いつも回答に苦労します...。性依存症については、はっきりとした概念がなくそのような病気はないとする意見もありますが、本人やパートナーが苦痛を感じていることも多く、ひどい場合は借金や性感染症の問題が起こる場合もありますからやはりひとつの疾患と考えるべきだ、という意見が増えてきています。最近では自助グループもできているようです。

さて、アキラさんの問題を具体的に考えてみましょう。まずは性感染症から。

B型肝炎(以下HBV)のワクチンを接種しているのはいいことです。念のために聞きますが、抗体が無事にできたことは確認されていますね。HBVのワクチンは3回接種しても抗体ができていないことがあります。抗体があると思い込み「悲劇」が起こることがときどきありますから今一度確認してください。

HBV以外に「命に関わる感染症」はHIVとC型肝炎(HCV)です。これらの感染力は強くなくコンドームをしていればほぼ100%防げます。オーラルセックスでのリスクは高くありませんが、私が診察した患者さんのなかには生まれて初めてのオーラルセックスでHIVに感染した人もいますから、やはり危険と考えるべきです。それに、コンドームなしのオーラルセックスがあれば尿道や咽頭への淋菌やクラミジア感染が起こります。これらは命に関わるものではありませんが、他人へ感染させれば大変ですから、そういう意味でもオーラルセックスにもコンドームは必要と考えましょう。

ワクチンがなく、コンドームで防げない感染症には、梅毒、性器ヘルペス、尖圭コンジローマなどがあります。正確に言えば、尖圭コンジローマには非常に有効なワクチンがありますが日本では男性に認可されていません(未認可でも希望が多く、私が院長を務める谷口医院では発売と同時に男性にも摂取していますが)。

性感染症以外の最大の問題は「奥さんとのコミュニケーション」ですね。思い切って一度セックスについて話し合ってみてはどうでしょうか。こういうケースは、奥さんの方からは言い出しにくいものです。(もっとも、アキラさんも言い出しにくいでしょうが...) 女性からセックスレスの相談を受けたときも「思い切ってご主人と話してみましょう」と助言しますが、「女性の方からは言い出せない」と多くの女性は言います。「男らしくアキラさんから...」という表現は時代錯誤かもしれませんが、今も変わらず「愛している」ことは伝えるべきだと思います。というのは、セックスレスの相談をする女性が最も気にしているのは「愛されていないのかも...」ということだからです。

世の中には、セックスレスの解決方法として、互いに別のセックスパートナーを持てばいいとか、スワッピングが解決になる、といった無責任な助言をする人がいるようですが、医師としてはこのようなことは勧められません。第一に性感染症の問題があるからです。ワクチンでもコンドームでも防げない感染症、例えば梅毒に感染して、さらにパートナーに感染させると(梅毒は些細なスキンシップでも感染することがあります)、それで夫婦関係が悪化しかねません。

もしもアキラさんが性器ヘルペスに感染したとしましょう。そして奥さんに感染させてしまうと出産時に相当のストレスがかかります。分娩時に生まれてくる赤ちゃんにヘルペスを感染させてしまうと命が助からないこともあります。もしもこのような事態になれば、きっとアキラさんは後悔の念に苦しむことになります。

アキラさんにとってセックスとは何でしょう。出会ったばかりでよく知らない女性とすぐに関係をもつ非日常的な刺激を求めているのでしょうか。このような非日常的な刺激で快楽が得られたとしてもその快楽はすぐに終わります。さらに、その後に虚無感に襲われることもあります。また、同じことを繰り返していればそのうち快楽自体がなくなります。アキラさんもすでに思い当たることがあるのではないですか。

奥さんとのセックスで幸福感を味わっていた頃を思い出してください。そのときには出会ってすぐのセックスでは決して体験できない平和的な幸福感を実感できたのではないですか。これはオキシトシンというホルモンの影響と言われていて、非日常的な刺激で得られる興奮系のホルモンとはまったく異なるものです。

奥さんとのセックスでは非日常的なドキドキする刺激感は期待できないでしょう。ですが、何とも言えない幸せ感につつまれた平和な時間を二人で共有することはできるはずですよ。
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 アキラさんのように性風俗がやめられないという男性は少なくなく、実際、日本人の性風俗利用率は他の先進国に比べて抜きんでています。数字をいくつか紹介してみましょう。

 京都大学の木原正博医師らが1999年におこなった全国の5千人の男性を対象とした調査では、日本人男性の買春率は10%を超え、欧米諸国が数%程度であることを考えると「著しく高い」と結論づけられています(http://idsc.nih.go.jp/iasr/21/245/dj2452.html)。

「成人男性の買春行動及び買春許容意識の規定因の検討」というタイトルの宇井美代子氏らの研究によれば、4~5年の間に「性風俗(ソープ,ファッションヘルス,デートクラブ,ホテトルなど)を利用した」、「女子高校生に金品を渡して,セックス等の性的行為をした」、「海外で売春婦を買った」のいずれか1項目にでも「はい」と回答した者は14.6%にも上ります(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpsy/79/3/79_3_215/_pdf)。

 NHKも「日本の性プロジェクト(2002)」という調査をおこなっており、過去1年間に性風俗施設を利用したことがある男性の割合は13.6%になるという結果がでています。(『データブックNHK日本人の性行動・性意識』NHK出版223ページ)

 もっと驚くデータもあります。『日本エイズ学会誌』という医学誌に掲載された「日本の就労成人男性におけるHIV/AIDS関連意識と行動に関するインターネット調査」では、なんと「日本人男性の46%が風俗施設利用経験あり」とされています(http://jaids.umin.ac.jp/journal/2013/20131503/20131503183193.pdf)。 ただし、この調査結果はあまりにも数字が高すぎます。この原因としてインターネットを使ったスノーボールサンプリングという方法を用いたことで参加者に偏りが生じたのではないかと私は考えています。

 ですが、先述した3つのデータが示しているとおり、1割程度の日本人男性は性風俗の経験があるのは間違いないでしょう。そしてこれは欧米諸国からみれば異常な数字です。ちなみに、他国のデータをみてみると、米国0.3%、英国0.6%、フランス1.1%となっています。

 ワクチンでもコンドームでも防げない性感染症の存在を考えれば、余程の覚悟がないと性風俗など利用できないはずです。思い当たることがある人は今一度考えなおしてみることを勧めます。


参考:GINAと共に第89回(2013年11月)「性依存症という病」

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第133回(2017年7月) ボランティアでの感染症のリスク~後編~

 前回はタイでのボランティアで気を付ける感染症として、A型肝炎、麻疹、結核が特に重要であるという話をしました。注意を要する感染症は他にも様々あり、また国や地域によっても異なりますが、今回もタイを中心に話を進めることとします。

 私はGINAの仕事の関連でタイが最も渡航の多い国ですが、他国にも観光も含めて訪れることがあります。そんな私がアジア諸国で最も恐れている感染症は何かというと「蚊」、正確に言えば「蚊が媒介する感染症」、具体的に言えば、「マラリア、デング熱、チクングニア熱、ジカ熱」です。(日本脳炎については後述します)

 マラリアは世界三大感染症のひとつ(他の2つはHIVと結核)で「死に至る病」です。ワクチンはなく蚊(ハマダラカ)に刺されないようにしなければなりません。さらに、マラリア侵淫地(マラリアが多数棲息している地域)に行くときは、マラリア予防薬を内服すべきです。幸なことに、タイには北部のジャングル地域を除けばマラリアの報告は少数であり、予防薬までは必要ありません。

 つまり、「一般的な蚊の対策」だけで充分です。ただ、この「一般的な蚊の対策」ができている人があまりいません。以前、「タイには慣れている」と宣言している人が「蚊対策は夕方から夜明けまでで充分」と言っているのを聞いて驚かされたことがあります。この人はマラリアを想定してそのような勘違いをしているのです。マラリアを媒介するハマダラカはたしかに夕方から活動を開始しますが、デング熱やチクングニア熱を媒介するネッタイシマカの活動時間は日中です。

 しかもこの蚊は水があるところならどこにでもいますから、水たまりや田んぼのみならず、都心部の工事現場とか、放置されているタイヤの中などにもいます。もちろんプールにもいます。ボランティアに行こうという人はリゾートホテルのプールサイドには縁がないかもしれませんが、こういったところで日焼け止めは塗るのに虫よけは使用していなかったという人がデング熱の餌食になるのです。蚊対策にはDEET、イカリジン、蚊取り線香などの知識が必要になります。

 蚊対策は思いのほか大変です。私は現地で購入したDEETと日本から持参するリキッドタイプの電気式蚊取り器を使いますが、最大の難点は、日中は「水や汗でDEETが流れれば直ちに塗りなおさなければならない」ということです。デング熱にはワクチンが登場し、いくつかの国で使われるようになってきていますが、タイではまだ未認可です。フィリピンでは認可されていますが、1年かけて3回接種しなければなりませんから長期滞在している人しか打てないでしょうし、また3回接種したとしても100%防げるわけではありません。それに、チクングニア熱やジカ熱には無効ですから、結局のところ従来通りの蚊対策をおこなわなければなりません。

 デング熱はタイを含む東南アジアであまりにも多い感染症ですから、長期でボランティアをしている人のなかにはすでに感染したことがあるという人もいます。また、タイ人はDEETなど通常は用いていませんし、子供は日常的に蚊に刺されていますから、蚊なんて怖くないと思っている人がいますが、稀とはいえ、デング熱が命を奪うことがあることを忘れてはいけません。実際、2016年にはフィリピンで蚊にさされた新潟県の女性がデング熱(デング出血熱)で死亡しています。

 東南アジアで蚊が媒介する感染症で忘れてはいけないものが日本脳炎です。日本脳炎は昨年(2016年)対馬で立て続けに感染者が見つかりました。豚のいない対馬で日本脳炎が発症した理由としてイノシシが媒介したのではないかと言われていますが、日本脳炎を最も媒介しやすい動物はなんといっても「豚」です。豚→蚊→人と感染するのです。通常、ボランティアの施設内に豚はいないと思いますが、タイでは少し田舎の方にいくと家畜の豚がいくらでもいます。日本の家畜のイメージとは異なり、放し飼いとしか思えないようなところもあります。そのようなところで蚊にさされると非常に危険です。日本脳炎は定期接種のワクチンですから幼少時に接種していますが、長期間はもちません。成人の場合は数年に一度のペースで追加接種するのが理想です。

 蚊以外の節足動物で注意するものを考えてみましょう。現在日本では「ヒアリ」が注目されていますが、タイにも大小さまざまなアリがいて刺されるとけっこう痛いです。私はタイにヒアリがいるのかどうか知りませんが、似たようなアリはそれなりに棲息していると思われます。日本ではヒアリが「殺人アリ」と呼ばれているようで、これはアナフィラキシーショックと呼ばれるアレルギーの最重症型を呈す例があるからでしょう。ですが、重症化する頻度は稀であり、過剰に心配しすぎるのも問題です。マスコミなどがヒアリを過剰に「恐怖の生物」と煽るような報道をするのは、日本は平和な国で(蚊をおそれなくていい数少ない国です)、アリには「働き者」で良いイメージがありますから、ヒアリのような「従来の概念を覆すアリ」が入ってくることに強い抵抗があるからだと思います。

 タイでは、東北地方(イサーン地方)では、アリの卵を食べる文化(「カイ・モッ・デーン」と呼ばれる高級?料理。直訳すると「赤いアリの卵」)がありますし、タイ全域でホテルの部屋のなかに小さなアリは頻繁に入ってきますから、日常的に見かけるアリは怖くありません。ですが野原にいる大きなアリにはそれなりに注意すべきです。もちろんアリだけではなく、他の昆虫や節足動物にも注意しなければなりません。サソリもムカデも当たり前のようにいます。また、私の知る限り、タイでの致死的なダニ媒介感染症(注1)はさほどありませんが、マダニに噛まれると痒み・痛みに悩まされることもありますから、やはり対策は必要です。

 話を屋外から屋内、つまりベッドサイドに戻しましょう。エイズ施設にボランティアに行ったからといって針刺しなどをしなければHIVに感染することはありません。ただ、看護師や医師は採血や点滴をすることがあるでしょうから充分に注意しなければなりません。もしも刺してしまえばPEP(曝露後予防)をしなければなりません(注2)。

 通常のケアでHIVに感染することはありませんが、B型肝炎ウイルス(以下「HBV」)には最大限の注意が必要です。HBVはいったん感染すると生涯体内から消えません。HIVと同じような機序で逆転写酵素を使って人の遺伝子に潜り込むことができるのです。HIVとの違いは、無治療でも助かることも多いということです。ですが、感染して数か月後に劇症肝炎を起こし死に至ることもありますし、長期間ウイルスが血中に残り将来肝臓がんが発症することもあります。

 HBVがなぜ恐怖かというと、血液のみならず唾液、汗、便、尿などにもウイルスが含まれていることがあるからです。つまり、軽いスキンシップ程度の接触でも感染しうるのです。実際、2002年には佐賀県の保育所で25人が集団感染を起こしました。子供のスキンシップ程度の接触でも感染するのです。タイを含むアジアではHBVの陽性者はまったく珍しくありません。感染者が多数いて、ささいなスキンシップで感染するのであれば、ワクチン以外に予防する手段はありません。逆に、ワクチン接種し抗体を形成しておけば生涯にわたりHBVの心配をする必要はありません(注3)。

 しかしながら、私の経験から言えば、タイを含む海外でのエイズ施設にボランティアに赴くのにも関わらず、HBVワクチンを接種していない、それどころか、その必要性を考えたこともなかった、という人が後を絶たないのです。これがどれだけ危険なことか...。

 前回と今回で、タイを中心に海外ボランティアに参加するときに注意しなければならない感染症について述べました。これはほんの「プロローグ」であり、実際にはまだまだ勉強しなければならないことがたくさんあります。前回は狂犬病ワクチンの優先順位は高くないという話をしましたが、タイ最大のエイズホスピス「Wat Phrabhatnamphu」があるロッブリー県はサルの名所であり、実はサルに噛まれて狂犬病ワクチンを慌てて接種した、という人がたくさんいます。

 海外にボランティアに行く人は、かかりつけ医にじっくりと相談してみてください。かかりつけ医をお持ちでない方はGINAに相談してください。相談は何度されても無料です。

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注1:ダニは最近はタイよりも日本の方が重症例・死亡例の報告が目立ちます。北海道でダニ媒介性脳炎の報告があり、西日本ではSFTSでの死亡者が散見されます。また日本紅斑熱、ライム病、ツツガムシ病といったダニが媒介する感染症も治療が遅れると危険です。ただし、本文にも述べたようにタイではなぜかこういった感染症の報告をあまり聞きません。

注2:PEP(曝露後予防)については下記を参照ください。

GINAと共に第119回(2016年5月)「PEP、PrEPは日本で普及するか」

注3:この点は誤解されていることが多く、いったん抗体が形成されても数年後の血液検査で陰転化していれば追加接種が必要と考えている人が少なくありません。ですが、原則としてワクチン接種で抗体が一度つくられれば、その後の検査で陰性となったとしても追加接種や検査は不要です。

参考:http://www.kankyokansen.org/modules/news/index.php?content_id=106

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