GINAと共に
第228回(2025年6月) 共感(エンパシー/empathy)してはいけないのか
エンパシー(empathy)とシンパシー(sympathy)の違いがよく分かりません。私は過去に、英語に詳しい人(英語オタクの人)や語句にこだわる人(メディア関係の人など)に尋ねてみたことがあるのですが、きちんとした答えが返ってきたことはなく、今もこの区別がよく分かりません。英語がnativeの外国人にも何度か聞いてみたことがありますが、やはり「人によって言うことが異なる」あるいは「きちんと自信をもって区別を明言する人はいなかった」のです。
私自身は2007年のコラム(「シンパシーとエンパシー」)で、「エンパシーは患者さんに共感すること」「シンパシーは患者さんに貢献したいと感じる思いを(同志と)共感すること」と自分なりの定義を紹介しました。しかし、この分類に自信があるわけではなく、どうやら間違っていたようです。
ネット上の辞書「Dictionay.com」をみてみると、私の考えとは正反対のようなことが書かれています。この辞書によると、シンパシーは「不幸に見舞われている人への同情、哀れみ、悲しみの気持ちを伝えるために使われる」のに対し、エンパシーは「自分が他人の立場に立って想像し、その人の感情、考え、意見を経験する能力や能力を指すために使われる」とされています。何度読んでも分かりにくいのですが、シンパシーの方が「不幸に見舞われている人(場合によっては患者さん)に同情する」というニュアンスが強そうです。
もう少し分かりやすい説明はないかと調べていると、医学生用のポータルサイト「The Medic Portal」に興味深いページがありました。同サイトによると「医療者が持つべきはエンパシーであって、シンパシーは持ってはいけない」ようです。つまり、エンパシーは「困っている人や患者さんの気持ちを理性的に理解すること」なのに対し、シンパシーは「個人的な視点から表面的な同情をすること」です。例えば「長年の喫煙から肺がんを発症した患者より、不当に苦しんでいる若者に思い入れすること」はシンパシーに該当するようです。
2007年のコラムで述べたように私がタイのエイズ施設で感じたのはシンパシーではなくエンパシーのつもり、でした。「The Medic Portal」によれば、それで正しかったようですが、シンパシーとして私が抱いていた概念はまるで違っていました。そこで、ChatGPTに「(私が2007年のコラムに書いたような)同志に感じる共通の思いのようなものは英語で何と言いますか」と尋ねると、「solidarityではないですか」と返答されました。しかしsolidarityというと、「労働組合などで一致団結する」が私のイメージです。どうも私が2007年に抱いたシンパシーのイメージは英語に適した表現がなさそうです。
随分前置きが長くなりましたが本題はここからです。米国のトランプ二次政権の初期のキーパーソンだった実業家のイーロン・マスク氏が先日「エンパシーはマイナスにしかならない」という発言をして物議を醸しました。CNNはこの出来事を「イーロン・マスクは西洋文明をエンパシーから救いたい(Elon Musk wants to save Western civilization from )」というタイトルで報じています。マスク氏は「リベラルが移民に寛容なのはエンパシーのせいだ」とし、「エンパシーが社会を破壊している」と自論を展開しています。
ほとんどの日本人はマスク氏のこの発言に同意できないと思いますが、実はこのテーマ、哲学的には深い意味があります。これをうまくまとめているのが米紙The Conversationの記事「エンパシーは負担となることもあるが、強みとして捉えるべきであることを2人の哲学者が説明(Empathy can take a toll ? but 2 philosophers explain why we should see it as a strength )」です。
タイトル通り、エンパシーを「強み(いいもの)」と捉える2人の哲学者の説が解説されているのですが、記事の前半にはエンパシーを「弱み(悪いもの)」と考える二人の哲学者の話がでてきますので先にそちらを紹介しましょう。
ひとりめはストア派哲学者のエピクテトスです。彼は『語録(Discourses)』の中で、「他人を気の毒に思ったり、同情したりすることは、私たちの自由を侵害する。こうした否定的な感情は不快であり、(中略)、良き人生を送ることを妨げるのだ」として「エンパシーは持つべきでない」というようなことを述べています。
もうひとりはニーチェです。The Conversationによると、ニーチェは「Mitleid」という「憐れみ」や「慈悲」という意味のドイツ語を用いて、これらが個人の重荷となり善き人生を送ることを妨げるとしました。著書『曙光』(注1)で、「そのような感情が、他者を助けようとする人々自身をも蝕む可能性がある」と警告しています。
哲学者の言いたいことはいつもよく分からないのですが、少しでも理解するにはやや強引にでも短絡化してしまうのが得策です(20代前半にいったん哲学に挫折した私はその後そのように考えるようになりました)。私なりに解釈すれば、エピクテトスもニーチェも「不幸な人たちに深く関わりすぎると自分までもが不幸になる」と言っています。私自身は彼らの意見を支持しませんが、こういった考えに説得力がないわけではありません。例えば「共感疲労(empathy fatigue)」という現象があります。医療者に多い燃え尽き症候群は共感疲労が一因とする論文もあります。
では、The Conversationが紹介している「エンパシーを肯定的に捉える二人の哲学者」を紹介しましょう。ひとりはオーストラリアのフランク・ジャクソンです。ジャクソンは「メアリーが知らなかったもの(What Mary Didn't Know)」という論文で有名です。メアリーという架空の学者は生まれてからずっと白黒で色のない部屋で過ごし赤色の研究を続けています。白黒の部屋から出たことがありませんから実際に赤色がどのようなものかを経験したことはありません。メアリーが白黒の部屋で懸命に赤色の研究を続けたとして赤色を理解することはできるでしょうか、という思考実験です。答えはもちろん「いくら赤色の研究を続けようが赤色を理解できることはない」です。
The Conversationが「エンパシーを重要視している」とみているもうひとりの哲学者はバートランド・ラッセルです。ラッセルは当初ヘーゲルの形而上学に傾倒していましたが、その後考えを変え、いわゆる「経験主義」に移行し、「経験は事実の知識に還元できない特別な種類の知識をもたらす」と主張するようになりました。見ること、聞くこと、味わうこと、触れることなどが、単なる知識よりも(形而上学的な知識よりも)重要だという考えに至ったのです。
フランク・ジャクソンとバートランド・ラッセルを「エンパシーを擁護する二人の哲学者」と呼ぶのはThe Conversationのちょっと強引な飛躍という気がしないでもないですが、「困窮している人を助けなければならない」という前提に立つのなら、イーロン・マスク氏の言説には同意できません。マスク氏の主張を端的に表せば「白人の米国人以外は放っておけ」となるからです。しかし、米国にはマスク氏に共感(これもエンパシー?)する人たちも少なくありません。
そして、そのような米国人が大勢いることは不思議ではなく、それが一部の人たちの自然な姿なのでしょう。私は以前、タイのエイズ施設で困窮している人たちをみて「なぜこの人たちに共感して全力で支援しようとする人たちばかりでないのか」を不思議に思ったことがあります。私自身は「こんな現実を放っておけない。生涯にわたって支援しなければ......」と考え、そして実際それから20年以上に渡り支援を続けているわけです。以前は寄付すらしない人を「冷たい人」と感じたことがありましたが、今ではそんなことはまったく思わなくなりました。
谷口医院では「他のどこでも話したことがない苦痛」を診察室で話す人が少なくありません。あるとき、他の医師とこのような話題になったとき、その医師(外科医)は「自分ならそんな話は1分たりとも聞きたくない」と言いました。そのときに、失礼ながら私はその医師を「あんたはサイコパスか」と心のなかで毒づきましたが、今ではそのような医師がいてもおかしくない(どころか、彼はとても優秀な外科医です)と分かるようになりました。
米国にはマスク氏を支持する人もしない人もいます。診察室で患者さんの苦痛を聞くことを当然だと考える医師もいれば煩わしく感じる医師もいます。困窮する患者に感情移入しすぎて共感疲労を起こし燃え尽きる看護師もいます。誰が正しくて誰が間違っているという話ではありません。
そういえば私は医学生の頃、ある"病"に悩まされていました。臨床実習で各科を回っていたとき、その臓器の"病"が起こっていたのです。消化器科の実習中には下痢に悩まされ、脳外科のときは頭痛が消えず、皮膚科実習のときは始終痒かったのです。「これはまずいな......」と感じ、「患者さんから話を聞くときに同情しすぎるのはよくない」と考えたことがありました。今思えばこの頃の私が感じていたのがエンパシーではなくシンパシーだったのかもしれません。
しかし結局、私の診療スタイルは昔から本質的には変わっておらず、よく言われる「オンオフの切り替え」などもできず、常に患者さんのことを考えているような気がします。それは「令和の時代の医師の姿ではない」と批判されるでしょうが、現在56歳の私がこれから診療方針を変えることはできません。シンパシーとの違いは結局よく分からないままですが、私にはエンパシーが行動の源になっていることは間違いなさそうで、それは今後も続くでしょう。
************
注1:The Conversationの記事では著書『Daybreak』とされていましたが、こんなニーチェの著書名は聞いたことがありません。そこでChatGPTに「Daybreak(夜明け)を表すドイツ語を複数挙げてください」と聞くと、そのなかのひとつに「Morgenrote」がありました。これは『曙光』の原タイトルです。
私自身は2007年のコラム(「シンパシーとエンパシー」)で、「エンパシーは患者さんに共感すること」「シンパシーは患者さんに貢献したいと感じる思いを(同志と)共感すること」と自分なりの定義を紹介しました。しかし、この分類に自信があるわけではなく、どうやら間違っていたようです。
ネット上の辞書「Dictionay.com」をみてみると、私の考えとは正反対のようなことが書かれています。この辞書によると、シンパシーは「不幸に見舞われている人への同情、哀れみ、悲しみの気持ちを伝えるために使われる」のに対し、エンパシーは「自分が他人の立場に立って想像し、その人の感情、考え、意見を経験する能力や能力を指すために使われる」とされています。何度読んでも分かりにくいのですが、シンパシーの方が「不幸に見舞われている人(場合によっては患者さん)に同情する」というニュアンスが強そうです。
もう少し分かりやすい説明はないかと調べていると、医学生用のポータルサイト「The Medic Portal」に興味深いページがありました。同サイトによると「医療者が持つべきはエンパシーであって、シンパシーは持ってはいけない」ようです。つまり、エンパシーは「困っている人や患者さんの気持ちを理性的に理解すること」なのに対し、シンパシーは「個人的な視点から表面的な同情をすること」です。例えば「長年の喫煙から肺がんを発症した患者より、不当に苦しんでいる若者に思い入れすること」はシンパシーに該当するようです。
2007年のコラムで述べたように私がタイのエイズ施設で感じたのはシンパシーではなくエンパシーのつもり、でした。「The Medic Portal」によれば、それで正しかったようですが、シンパシーとして私が抱いていた概念はまるで違っていました。そこで、ChatGPTに「(私が2007年のコラムに書いたような)同志に感じる共通の思いのようなものは英語で何と言いますか」と尋ねると、「solidarityではないですか」と返答されました。しかしsolidarityというと、「労働組合などで一致団結する」が私のイメージです。どうも私が2007年に抱いたシンパシーのイメージは英語に適した表現がなさそうです。
随分前置きが長くなりましたが本題はここからです。米国のトランプ二次政権の初期のキーパーソンだった実業家のイーロン・マスク氏が先日「エンパシーはマイナスにしかならない」という発言をして物議を醸しました。CNNはこの出来事を「イーロン・マスクは西洋文明をエンパシーから救いたい(Elon Musk wants to save Western civilization from )」というタイトルで報じています。マスク氏は「リベラルが移民に寛容なのはエンパシーのせいだ」とし、「エンパシーが社会を破壊している」と自論を展開しています。
ほとんどの日本人はマスク氏のこの発言に同意できないと思いますが、実はこのテーマ、哲学的には深い意味があります。これをうまくまとめているのが米紙The Conversationの記事「エンパシーは負担となることもあるが、強みとして捉えるべきであることを2人の哲学者が説明(Empathy can take a toll ? but 2 philosophers explain why we should see it as a strength )」です。
タイトル通り、エンパシーを「強み(いいもの)」と捉える2人の哲学者の説が解説されているのですが、記事の前半にはエンパシーを「弱み(悪いもの)」と考える二人の哲学者の話がでてきますので先にそちらを紹介しましょう。
ひとりめはストア派哲学者のエピクテトスです。彼は『語録(Discourses)』の中で、「他人を気の毒に思ったり、同情したりすることは、私たちの自由を侵害する。こうした否定的な感情は不快であり、(中略)、良き人生を送ることを妨げるのだ」として「エンパシーは持つべきでない」というようなことを述べています。
もうひとりはニーチェです。The Conversationによると、ニーチェは「Mitleid」という「憐れみ」や「慈悲」という意味のドイツ語を用いて、これらが個人の重荷となり善き人生を送ることを妨げるとしました。著書『曙光』(注1)で、「そのような感情が、他者を助けようとする人々自身をも蝕む可能性がある」と警告しています。
哲学者の言いたいことはいつもよく分からないのですが、少しでも理解するにはやや強引にでも短絡化してしまうのが得策です(20代前半にいったん哲学に挫折した私はその後そのように考えるようになりました)。私なりに解釈すれば、エピクテトスもニーチェも「不幸な人たちに深く関わりすぎると自分までもが不幸になる」と言っています。私自身は彼らの意見を支持しませんが、こういった考えに説得力がないわけではありません。例えば「共感疲労(empathy fatigue)」という現象があります。医療者に多い燃え尽き症候群は共感疲労が一因とする論文もあります。
では、The Conversationが紹介している「エンパシーを肯定的に捉える二人の哲学者」を紹介しましょう。ひとりはオーストラリアのフランク・ジャクソンです。ジャクソンは「メアリーが知らなかったもの(What Mary Didn't Know)」という論文で有名です。メアリーという架空の学者は生まれてからずっと白黒で色のない部屋で過ごし赤色の研究を続けています。白黒の部屋から出たことがありませんから実際に赤色がどのようなものかを経験したことはありません。メアリーが白黒の部屋で懸命に赤色の研究を続けたとして赤色を理解することはできるでしょうか、という思考実験です。答えはもちろん「いくら赤色の研究を続けようが赤色を理解できることはない」です。
The Conversationが「エンパシーを重要視している」とみているもうひとりの哲学者はバートランド・ラッセルです。ラッセルは当初ヘーゲルの形而上学に傾倒していましたが、その後考えを変え、いわゆる「経験主義」に移行し、「経験は事実の知識に還元できない特別な種類の知識をもたらす」と主張するようになりました。見ること、聞くこと、味わうこと、触れることなどが、単なる知識よりも(形而上学的な知識よりも)重要だという考えに至ったのです。
フランク・ジャクソンとバートランド・ラッセルを「エンパシーを擁護する二人の哲学者」と呼ぶのはThe Conversationのちょっと強引な飛躍という気がしないでもないですが、「困窮している人を助けなければならない」という前提に立つのなら、イーロン・マスク氏の言説には同意できません。マスク氏の主張を端的に表せば「白人の米国人以外は放っておけ」となるからです。しかし、米国にはマスク氏に共感(これもエンパシー?)する人たちも少なくありません。
そして、そのような米国人が大勢いることは不思議ではなく、それが一部の人たちの自然な姿なのでしょう。私は以前、タイのエイズ施設で困窮している人たちをみて「なぜこの人たちに共感して全力で支援しようとする人たちばかりでないのか」を不思議に思ったことがあります。私自身は「こんな現実を放っておけない。生涯にわたって支援しなければ......」と考え、そして実際それから20年以上に渡り支援を続けているわけです。以前は寄付すらしない人を「冷たい人」と感じたことがありましたが、今ではそんなことはまったく思わなくなりました。
谷口医院では「他のどこでも話したことがない苦痛」を診察室で話す人が少なくありません。あるとき、他の医師とこのような話題になったとき、その医師(外科医)は「自分ならそんな話は1分たりとも聞きたくない」と言いました。そのときに、失礼ながら私はその医師を「あんたはサイコパスか」と心のなかで毒づきましたが、今ではそのような医師がいてもおかしくない(どころか、彼はとても優秀な外科医です)と分かるようになりました。
米国にはマスク氏を支持する人もしない人もいます。診察室で患者さんの苦痛を聞くことを当然だと考える医師もいれば煩わしく感じる医師もいます。困窮する患者に感情移入しすぎて共感疲労を起こし燃え尽きる看護師もいます。誰が正しくて誰が間違っているという話ではありません。
そういえば私は医学生の頃、ある"病"に悩まされていました。臨床実習で各科を回っていたとき、その臓器の"病"が起こっていたのです。消化器科の実習中には下痢に悩まされ、脳外科のときは頭痛が消えず、皮膚科実習のときは始終痒かったのです。「これはまずいな......」と感じ、「患者さんから話を聞くときに同情しすぎるのはよくない」と考えたことがありました。今思えばこの頃の私が感じていたのがエンパシーではなくシンパシーだったのかもしれません。
しかし結局、私の診療スタイルは昔から本質的には変わっておらず、よく言われる「オンオフの切り替え」などもできず、常に患者さんのことを考えているような気がします。それは「令和の時代の医師の姿ではない」と批判されるでしょうが、現在56歳の私がこれから診療方針を変えることはできません。シンパシーとの違いは結局よく分からないままですが、私にはエンパシーが行動の源になっていることは間違いなさそうで、それは今後も続くでしょう。
************
注1:The Conversationの記事では著書『Daybreak』とされていましたが、こんなニーチェの著書名は聞いたことがありません。そこでChatGPTに「Daybreak(夜明け)を表すドイツ語を複数挙げてください」と聞くと、そのなかのひとつに「Morgenrote」がありました。これは『曙光』の原タイトルです。
第227回(2025年5月) HIVの検査、「市販のセルフ検査」登場が望まれる
HIV抗体検査(HIV陽性者がウイルス量を調べるための検査ではなく、診断がついていない人が感染したかどうかを知るための検査)に私が初めて"関わった"のは1990年、22歳の頃で「自分自身が感染しているかもしれない」と考えたからで、このときの"貴重な"経験は2007年のコラム「HIV検査でわかる生命の尊さ」で述べました。
当時は検査時のカウンセリングなんてものは確立しておらず、区の保健所で対応した保健師(?)は単に採血するだけ、結果が出るのに1週間もかかりました。「1週間も待たされる」ことに耐えるのが辛く、当時はまさかその12年後に自分が医師になるなどとは微塵も思っていなかったわけですが、医師になったときには「あのときの1週間は長すぎた。できればその日に結果を伝えるべきだ」と考えるようになりました。
しかし、保健所の検査は行政が費用を負担するため原則無料で受けられるという大きなメリットがあります。ですから、2007年に谷口医院をオープンする頃にもHIVの検査を希望する患者さんには「保健所に行けば無料ですよ」と伝えていました。しかし、1990年の私が感じたように「1週間も待てない」という声は非常に多く、「ならば有料になってしまうけれどもクリニックで検査をすればいい」と考えるようになりました。また、私が谷口医院を開院する前に師と仰いでいた故・大国剛先生も、当時「大国診療所」でいわゆる「即日検査」を実施されていたこともあって、谷口医院でもHIVの即日検査を承ることにしました。
その後、保健所のなかには谷口医院のように「即日検査」を実施するところがでてきました。こうなればわざわざ高いお金を払うのではなく保健所で検査を受けるべきです。ところが、保健所に対しては「開いている時間が限られている」「他の性感染症に対応できない」「スタッフの知識が乏しい」「保健所の態度が悪い」といった声が多数ありました。保健所の担当者との相性の問題は避けられないのかもしれませんが、「保健所の職員の対応がイヤだったから二度と受けたくない」という意見も繰り返し聞きました。結局、「即日検査」を担う保健所が登場しても「谷口医院で検査を受けたい」という需要は期待したほどには減少しませんでした。
現在の大阪で最もお勧めの検査場は「スマートらいふクリニック」です。この施設は行政からの支援を受けて無料の「即日検査」を実施しており、さらにスタッフは訓練を受けた医療者ばかりで、安心して検査を受けることができます。私自身も何度か手伝ったことがあり、またスタッフに対して講演をしたこともあります。しかし、検査を受けられるのは基本的に土日だけであり、誰もが受診できるわけではありません。
そういうニーズを汲んでなのか10年程前から「セルフ検査」というものが次第に普及してきています。これは通販で検査キットを購入し、同封されているランセット(少量の血液を採取するための針のようなもの)で指に小さな傷をつくり出血させ、それを検査キットに滴下すれば15分程度で結果が得られるツールです。「セルフ検査をどう思いますか」と初めて聞かれたのは、たしか2010年頃、このGINAのサイトの読者でした。
この質問に答えるのは難しく、そもそも検査キットの精度が分かりませんし、陽性という結果が出たときにそれを受け止められるのか、という懸念もありました。しかし、忙しくて時間がない人や、誰にも知られずに検査を受けたいという人にとってはありがたいツールです。そこで、そのときは「便利だと思うが、念のためその後保健所などで検査を受け直すことを勧めます」と回答しました。
その後、同様の質問をGINAの読者からだけでなく、谷口医院のサイトの読者や谷口医院をかかりつけとする患者さんからも受けるようになりました。HIVが「死に至る病」ではないことが周知され、知名度はまだまだとはいえ「U=U」(ユーイコールズユー=治療を受けてウイルスを抑えていれば他人に感染させない)の概念も次第に普及しはじめ、HIVに対する偏見が(以前と比べれば)大きく減少しました。HIV検査への敷居は低くなり、例えば新しいパートナーができたときには検査を受けるのがマナーのような風潮にさえなっていきました。
ならば「セルフ検査」をもっと普及させるべきです。しかし、実はこの検査には「大きな問題」があります。市販されていないのです。というより市販することが法律上認められていない(OTC化されていない)のです。現在、厚労省管轄の規制改革推進会議で「HIV検査のOTC化」について審議はされているのですが、実現化に至っていません。
当然、ここで疑問が出てきます。「じゃあ、ネットで簡単に買えるセルフ検査キットはいったい何なの?」という疑問です。実はネットで販売されているセルフ検査の存在はいわゆるグレーゾーンなのです。キットを購入して逮捕されることはあり得ませんが、合法とは言い切れないものです。ということは「検査の精度は大丈夫なの?」という疑問も出てきます。
ならば、医療機関で使用しているキット、例えば谷口医院で使用しているキットを希望する人に販売するという方法はどうでしょう。実はこれもすでに調べています。10年ほど前に厚労省に尋ねると「断定はできないが違法の可能性がある」という回答が得られました。10年経過すれば変わっているかと考え、本日(2025年5月22日)に改めて厚労省のエイズ関連の部署に電話で聞いてみると、10年前とほぼ同じ「違法とはっきり言うことはできないが推薦はできない」というものでした。
医療機関というのは完全な公的機関ではありませんが、営利目的の団体とはまったく異なり、いわば「準公的機関」だと言えます。そして医師は「公僕」です。行政からの指示であっても患者さんに不利益を与えるようなものには立ち向かっていきますが、そうでなければ厚労省を含む行政の指示にはできる限り従うべきです。
厚労省が「推薦しない」ことはすべきではありません。それに、私自身も谷口医院もHIV検査で利益を得たいなどと思ったことは一度もありませんが、もしも大勢の人に販売することになり金儲けしていると思われるのも困ります。最近、金儲け主義のクリニックが跋扈しているせいで、「クリニックは利益を追求している」と考える患者さんが出てくるようになり様々な問題が生じています。そして、次第に国民が医師を信用できなくなってきています。
過去に私のコミュニケーション技術が未熟なせいで「なんでカネ払う言うてんのに検査してくれへんのや!」と谷口医院を受診した患者さん(というか検査希望者)を怒らせてしまったことがあります。私の意図が伝わらなかったのは私の責任なのですが、決して意地悪や嫌がらせをしたかったわけではなく、また検査が面倒くさかったからでもありません。私の意図は「医療機関でお金を払うのではなく、保健所などで無料の検査を受けてほしい」なのです。
ちなみに、できるだけ患者負担を減らすために、谷口医院では最も安いプランでHIV検査を2,200円(すべて込)で提供していますが、それでもまだ高いと思います。「これくらいなら高くない」という人もいるのですが、「もっと安いとありがたい」と考える人の方が多いのです。
上述したように、現在厚労省の規制改革推進会議で「HIV検査のOTC化」が検討されています。OTC化(市販化)が可能となれば、市場原理が働きますからどんどん価格は下がっていくでしょう。もしかすると、谷口医院で使用しているのと同じような検査キットが、谷口医院が業者から仕入れる値段よりも安く売られるようになるかもしれません。
谷口医院がオープンした2000年代、私は「HIV検査のOTC化」に賛成はしていませんでした。「陽性」のときに誰がフォローできるのだ、という問題があったからです。しかし上述したようにHIVが「死に至る病」でないという認識が広まった今ならOTC化は有効です。
ただし、そうは言っても、陽性の結果を受け止められない人や不安が強い人に対しては依然「セルフ検査」は勧めません。そういった人たちに対応すべきは我々医療者やNPO法人のスタッフなど知識と経験のある専門家です。我々が実施している応対はAIには(少なくとも現在のAIには)できません。私自身は「HIVに感染したかもしれない」という不安や気になる症状は診察室で聞くように努め、検査自体はスマートらいふや保健所を勧めるようにして、時間が合わないという人にはグレーゾーンと知りながらもセルフ検査の話をしています。
「HIV検査のOTC化」が早く実現することを望みます。
当時は検査時のカウンセリングなんてものは確立しておらず、区の保健所で対応した保健師(?)は単に採血するだけ、結果が出るのに1週間もかかりました。「1週間も待たされる」ことに耐えるのが辛く、当時はまさかその12年後に自分が医師になるなどとは微塵も思っていなかったわけですが、医師になったときには「あのときの1週間は長すぎた。できればその日に結果を伝えるべきだ」と考えるようになりました。
しかし、保健所の検査は行政が費用を負担するため原則無料で受けられるという大きなメリットがあります。ですから、2007年に谷口医院をオープンする頃にもHIVの検査を希望する患者さんには「保健所に行けば無料ですよ」と伝えていました。しかし、1990年の私が感じたように「1週間も待てない」という声は非常に多く、「ならば有料になってしまうけれどもクリニックで検査をすればいい」と考えるようになりました。また、私が谷口医院を開院する前に師と仰いでいた故・大国剛先生も、当時「大国診療所」でいわゆる「即日検査」を実施されていたこともあって、谷口医院でもHIVの即日検査を承ることにしました。
その後、保健所のなかには谷口医院のように「即日検査」を実施するところがでてきました。こうなればわざわざ高いお金を払うのではなく保健所で検査を受けるべきです。ところが、保健所に対しては「開いている時間が限られている」「他の性感染症に対応できない」「スタッフの知識が乏しい」「保健所の態度が悪い」といった声が多数ありました。保健所の担当者との相性の問題は避けられないのかもしれませんが、「保健所の職員の対応がイヤだったから二度と受けたくない」という意見も繰り返し聞きました。結局、「即日検査」を担う保健所が登場しても「谷口医院で検査を受けたい」という需要は期待したほどには減少しませんでした。
現在の大阪で最もお勧めの検査場は「スマートらいふクリニック」です。この施設は行政からの支援を受けて無料の「即日検査」を実施しており、さらにスタッフは訓練を受けた医療者ばかりで、安心して検査を受けることができます。私自身も何度か手伝ったことがあり、またスタッフに対して講演をしたこともあります。しかし、検査を受けられるのは基本的に土日だけであり、誰もが受診できるわけではありません。
そういうニーズを汲んでなのか10年程前から「セルフ検査」というものが次第に普及してきています。これは通販で検査キットを購入し、同封されているランセット(少量の血液を採取するための針のようなもの)で指に小さな傷をつくり出血させ、それを検査キットに滴下すれば15分程度で結果が得られるツールです。「セルフ検査をどう思いますか」と初めて聞かれたのは、たしか2010年頃、このGINAのサイトの読者でした。
この質問に答えるのは難しく、そもそも検査キットの精度が分かりませんし、陽性という結果が出たときにそれを受け止められるのか、という懸念もありました。しかし、忙しくて時間がない人や、誰にも知られずに検査を受けたいという人にとってはありがたいツールです。そこで、そのときは「便利だと思うが、念のためその後保健所などで検査を受け直すことを勧めます」と回答しました。
その後、同様の質問をGINAの読者からだけでなく、谷口医院のサイトの読者や谷口医院をかかりつけとする患者さんからも受けるようになりました。HIVが「死に至る病」ではないことが周知され、知名度はまだまだとはいえ「U=U」(ユーイコールズユー=治療を受けてウイルスを抑えていれば他人に感染させない)の概念も次第に普及しはじめ、HIVに対する偏見が(以前と比べれば)大きく減少しました。HIV検査への敷居は低くなり、例えば新しいパートナーができたときには検査を受けるのがマナーのような風潮にさえなっていきました。
ならば「セルフ検査」をもっと普及させるべきです。しかし、実はこの検査には「大きな問題」があります。市販されていないのです。というより市販することが法律上認められていない(OTC化されていない)のです。現在、厚労省管轄の規制改革推進会議で「HIV検査のOTC化」について審議はされているのですが、実現化に至っていません。
当然、ここで疑問が出てきます。「じゃあ、ネットで簡単に買えるセルフ検査キットはいったい何なの?」という疑問です。実はネットで販売されているセルフ検査の存在はいわゆるグレーゾーンなのです。キットを購入して逮捕されることはあり得ませんが、合法とは言い切れないものです。ということは「検査の精度は大丈夫なの?」という疑問も出てきます。
ならば、医療機関で使用しているキット、例えば谷口医院で使用しているキットを希望する人に販売するという方法はどうでしょう。実はこれもすでに調べています。10年ほど前に厚労省に尋ねると「断定はできないが違法の可能性がある」という回答が得られました。10年経過すれば変わっているかと考え、本日(2025年5月22日)に改めて厚労省のエイズ関連の部署に電話で聞いてみると、10年前とほぼ同じ「違法とはっきり言うことはできないが推薦はできない」というものでした。
医療機関というのは完全な公的機関ではありませんが、営利目的の団体とはまったく異なり、いわば「準公的機関」だと言えます。そして医師は「公僕」です。行政からの指示であっても患者さんに不利益を与えるようなものには立ち向かっていきますが、そうでなければ厚労省を含む行政の指示にはできる限り従うべきです。
厚労省が「推薦しない」ことはすべきではありません。それに、私自身も谷口医院もHIV検査で利益を得たいなどと思ったことは一度もありませんが、もしも大勢の人に販売することになり金儲けしていると思われるのも困ります。最近、金儲け主義のクリニックが跋扈しているせいで、「クリニックは利益を追求している」と考える患者さんが出てくるようになり様々な問題が生じています。そして、次第に国民が医師を信用できなくなってきています。
過去に私のコミュニケーション技術が未熟なせいで「なんでカネ払う言うてんのに検査してくれへんのや!」と谷口医院を受診した患者さん(というか検査希望者)を怒らせてしまったことがあります。私の意図が伝わらなかったのは私の責任なのですが、決して意地悪や嫌がらせをしたかったわけではなく、また検査が面倒くさかったからでもありません。私の意図は「医療機関でお金を払うのではなく、保健所などで無料の検査を受けてほしい」なのです。
ちなみに、できるだけ患者負担を減らすために、谷口医院では最も安いプランでHIV検査を2,200円(すべて込)で提供していますが、それでもまだ高いと思います。「これくらいなら高くない」という人もいるのですが、「もっと安いとありがたい」と考える人の方が多いのです。
上述したように、現在厚労省の規制改革推進会議で「HIV検査のOTC化」が検討されています。OTC化(市販化)が可能となれば、市場原理が働きますからどんどん価格は下がっていくでしょう。もしかすると、谷口医院で使用しているのと同じような検査キットが、谷口医院が業者から仕入れる値段よりも安く売られるようになるかもしれません。
谷口医院がオープンした2000年代、私は「HIV検査のOTC化」に賛成はしていませんでした。「陽性」のときに誰がフォローできるのだ、という問題があったからです。しかし上述したようにHIVが「死に至る病」でないという認識が広まった今ならOTC化は有効です。
ただし、そうは言っても、陽性の結果を受け止められない人や不安が強い人に対しては依然「セルフ検査」は勧めません。そういった人たちに対応すべきは我々医療者やNPO法人のスタッフなど知識と経験のある専門家です。我々が実施している応対はAIには(少なくとも現在のAIには)できません。私自身は「HIVに感染したかもしれない」という不安や気になる症状は診察室で聞くように努め、検査自体はスマートらいふや保健所を勧めるようにして、時間が合わないという人にはグレーゾーンと知りながらもセルフ検査の話をしています。
「HIV検査のOTC化」が早く実現することを望みます。
第226回(2025年4月) 覚醒剤とADHD、日米間の大きな違い
私が院長を務める谷口医院には米国人の患者も少なくありません。日本で仕事をしている人もいれば、短期間の旅行で来日している人もいます。最近ではいわゆるノマドワーカー(nomad worker)も増えてきています。米国人の問診票をみた時点で感じること、あるいは問診を始めて分かることのひとつに「ADHDの診断が付けられているケースが非常に多い」が挙げられます。もっとも、これは最近の日本でも同様で、「日本人にADHDが増えている」は2010年代半ばあたりからしきりに言われることで「過剰診療ではないか」「いや、見逃されているケースはまだまだ多い」などの議論がしばしば展開されます。
では、ADHDは日米ともに患者数が増えていて同じような状況なのかというと、「患者数が増えている」は同じなのですが、まったく異なる重要な点があります。「治療」です。使われる治療薬がまったく異なり、問題があるのは日本ではなく米国の方です。他国の悪口など言うべきではなく、まして米国医師の処方内容に口出しするなど失礼極まりない行為なのですが、それを承知で言うと「米国の医師は覚醒剤を乱発しすぎている」と思えてなりません。そして、その「"覚醒剤"を日本で処方してほしい」と米国人から言われて困ることがしばしばあります。
日米間でADHDに対する処方がどのように異なるかを整理してみましょう。ADHDの治療薬には次のようなものがあります。
#1 アトモキセチン(先発品「ストラテラ」、後発品「アトモキセチン」)
#2 グアンファシン(先発品「インチュニブ」、後発品なし)
#3 メチルフェニデート(先発品「リタリン」「コンサータ」、後発品なし)
#4 リスデキサンフェタミンメシル酸塩(先発品「ビバンセ」、後発品なし)
#5 アンフェタミン+デキストロアンフェタミン(先発品「Adderall」、日本未発売)
日本で高頻度に処方されるのは#1と#2です。作用機序は異なりますが、どちらも交感神経への作用を強力にします。もう少し具体的に説明すると、#1は脳内のノルアドレナリンの濃度を上げ、#2はアドレナリンの受容体の一部を刺激します。
一方、米国では#1と#2の処方は少なく、#3、#4、#5が大半を占めると聞きます。谷口医院で診察する米国人もほぼ全例で#1または#2ではなく、#3、#4、#5のいずれかが母国の医師から処方されています。そして、#3、#4、#5のいずれもが、覚醒剤と似た物質、というより覚醒剤そのものです。#5は名称にそのまま「アンフェタミン」が入っていることから誰が見ても明らかですし、#4は体内に吸収されるとアンフェタミンに変わる物質(これをプロドラッグと呼びます)です。#3は「アンフェタミン」「メタンフェタミン」という名前はありませんが、作用機序はこれらに似た、そして依存性もこれらと変わらない「覚醒剤そのもの」と考えて差支えありません。
#3は社会問題にもなり、2000年代には「リタリン騒動」などとも呼ばれていました。繰り返し逮捕されたことでも有名な新宿の「東京クリニック」(現在は廃業)を開業していた医師・伊沢純氏は、一部の報道によると、2007年の一年間だけでなんと102万錠ものリタリンを処方し、多数の依存症患者をつくりだしたと言われています。そういう経緯もあり、現在の日本では#3と#4の処方が厳しく限定されています。「登録医師」のみが処方できて、処方された患者は「患者登録システム」に登録されます。調剤できる薬局も「登録薬局」のみで、「登録薬剤師」が調剤しなければなりません。
では、米国ではそのような危険な"覚醒剤"がなぜいとも容易に処方されるのか。その答えは「すぐに"効く"から」です。そして、患者は"増加"しています。
The New York Timesによると、米国でのADHDの患者数は1990年には100万人未満でしたが、3年後の1993年には米国の子供人口の約3%に相当する200万人を超えました。さらに、1997年には5.5%、2000年には6.6%、2024年には11.4%へと急増しました。14歳男子では21%、17歳男子では23%にもなります。現在米国では700万人の子供がADHDと診断されています。ADHDと診断される成人も増えています。2012年には、30代の米国人へのADHD処方箋が500万枚、10年後の2022年には3倍以上の1800万枚に達しました。
同記事によると、1993年の時点で、ADHDの診断がついた子供の約3分の2にリタリンが処方されていました。リタリン、すなわち"覚醒剤"には即効性があります。
リタリンを処方された子供の親たちは、たった1錠内服しただけで集中して勉強し始める子供の姿をみて、リタリンを「夢の薬」と勘違いしたことでしょう。親だけではありません。研究結果もそれを示しています。1999年に発表された579人のADHDと診断された子供を対象とした研究では、リタリンを14ヶ月内服した子供たちは行動療法と地域ケアを受けた子どもたちよりも症状が著しく軽減したことが示されたのです。しかし、これは当然のことで、日本でも「一夜漬けのためにスピード(覚醒剤の隠語)をキメる!」と豪語する若い男女がいることを考えれば納得できます。
1999年のこのリタリンの効果を示した研究は有名なのですが、その"続き"は意外に知られていません。その後の経過を追跡した報告によると、14ヶ月では行動が改善したものの、その後リタリンの優位性は完全になくなり、比較グループの子供たちと症状の差がなくなっていたのです。しかも、それだけではありません。リタリンを使用していたグループでは身長が伸びず、非使用のグループと比べて1.29cm低かったのです。
ADHDの治療に用いられる"覚醒剤"は、「何かを始めるときのモチベーションは高めるものの、複雑な問題を解決するために必要な能力の質を低下させる」ことを示唆する研究もあります。
治療サマーキャンプに参加した7~12歳の173名の児童(男子77%、ヒスパニック系86%)を対象とした研究では、ADHDに使われる"覚醒剤"を服用すれば、授業態度はすぐによくなるものの、学習の習得の改善にはつながりませんでした。
"覚醒剤"を使用したADHDの患者に深く掘り下げてインタビューを重ねた研究によれば、「短期的にはやる気がみなぎるものの、知力が向上したわけではない」ようです。
これらをまとめると、"覚醒剤"は、「服用した直後からやる気がみなぎり集中力は高くなるものの、長期的には学習効果が高くなるわけではなく、小児の場合は身長が伸びないという大きなデメリットもある」ということになります。
さらに、当然のごとく"覚醒剤"には小さくないリスクがあります。1ヵ月アンフェタミンを使用すると、精神病(psychosis)及び躁病(mania)の発症リスクが2.68倍になるとする研究があります。多量摂取すると、これらを発症するリスクが5.28倍にも上昇したようです。
こういった研究結果を待つまでもなく、"覚醒剤"が有害なのは言うまでもありません。米国に比べ日本では昔から覚醒剤が"身近"にあるおかげで(おそらく関西の方がより入手しやすい、というか誘惑が多いと個人的には感じています)、覚醒剤が安全だと考える人は少数でしょう。最近は「ユーザーが犯罪者とみなされて差別を受けるから覚醒剤の危険性を指摘しすぎてはいけない」などと言われますが、危険性が周知されなくなれば手を出す敷居が低くなってしまいます。米国のように、ADHDの薬として広く普及してしまえばますますハードルが下がってしまいます。
覚醒剤の針刺しでHIVに感染した人、あるいは覚醒剤を使用したセックスで性行為を介してHIVに感染した人が大勢いることは覚えておくべきです。
最後にもうひとつの重要な話をしておきましょう。上に挙げたADHDの薬のうち#3、#4、#5は"覚醒剤"で簡単に使うべきではありません。では、#1と#2なら安全かというと、完全に安全とは言い切れないと考えた方がいいでしょう。たしかに"覚醒剤"に比べると依存性はかなり低いとはいえます。また、短期的には副作用はほとんどありません。ですが、これらは常に交感神経の働きを亢進させるわけで、長期的な安全性は未知だと考えるべきです。どうしても必要ならまだしも、谷口医院の患者さんをみていると、日本人、米国人とも、そして他国でADHDの診断をつけられた人も含めて、「本当にADHDなのか?正常ではないのか?」と感じるケースが非常に多いのです。
たしかに、明らかにADHDで医療的介入が必要なケース(特に10代)はあります。ADHDの診断をつけられた10.8%のケースでは、気分障害が持続し、10代での薬物乱用なども認められるとする研究があります。また、「激しい怒り」を伴うタイプは、中退、犯罪、早期死亡のリスクなどを伴うことが多いことを示した研究もあります。
しかしながら、その一方で「環境が変われば症状がなくなった」、あるいは成人してから「自分はADHDだったわけでなく、単に子供の頃に自分と合わない環境にいただけなのでは」と考える人などへのインタビュー調査に基づいた研究もあります。
それに、ADHDという診断が不幸を招くこともあります。日本でも海外でもよく「ADHDの診断をつけてもらって苦しみから解放された」という話がありますが、必ずしもそうだとは限りません。逆に、「診断によってスティグマ化の感情が強まる」ことを示したメタアナリシスもあります。歪んだアイデンティティがつくられ、さらに孤立感や排除感、あるいは羞恥心さえもが生まれる可能性があるのです。以前は「(小脳など)脳の一部が小さい。あるいは脳の左右が対称でない」とする説がありましたが、The New York Timesによると、そういったことを主張していた研究者が「ADHDは脳の障害だ」とする説を撤回しています。以前はADHDの遺伝性もしきりに指摘されていましたが、そのような遺伝子はみつからなかったとする報告もあります。
ADHDであったとしてもなかったとしても、症状が強くないなら薬は使わない方がいいのは自明です。まして、"覚醒剤"には手を出さないのが賢明です。
では、ADHDは日米ともに患者数が増えていて同じような状況なのかというと、「患者数が増えている」は同じなのですが、まったく異なる重要な点があります。「治療」です。使われる治療薬がまったく異なり、問題があるのは日本ではなく米国の方です。他国の悪口など言うべきではなく、まして米国医師の処方内容に口出しするなど失礼極まりない行為なのですが、それを承知で言うと「米国の医師は覚醒剤を乱発しすぎている」と思えてなりません。そして、その「"覚醒剤"を日本で処方してほしい」と米国人から言われて困ることがしばしばあります。
日米間でADHDに対する処方がどのように異なるかを整理してみましょう。ADHDの治療薬には次のようなものがあります。
#1 アトモキセチン(先発品「ストラテラ」、後発品「アトモキセチン」)
#2 グアンファシン(先発品「インチュニブ」、後発品なし)
#3 メチルフェニデート(先発品「リタリン」「コンサータ」、後発品なし)
#4 リスデキサンフェタミンメシル酸塩(先発品「ビバンセ」、後発品なし)
#5 アンフェタミン+デキストロアンフェタミン(先発品「Adderall」、日本未発売)
日本で高頻度に処方されるのは#1と#2です。作用機序は異なりますが、どちらも交感神経への作用を強力にします。もう少し具体的に説明すると、#1は脳内のノルアドレナリンの濃度を上げ、#2はアドレナリンの受容体の一部を刺激します。
一方、米国では#1と#2の処方は少なく、#3、#4、#5が大半を占めると聞きます。谷口医院で診察する米国人もほぼ全例で#1または#2ではなく、#3、#4、#5のいずれかが母国の医師から処方されています。そして、#3、#4、#5のいずれもが、覚醒剤と似た物質、というより覚醒剤そのものです。#5は名称にそのまま「アンフェタミン」が入っていることから誰が見ても明らかですし、#4は体内に吸収されるとアンフェタミンに変わる物質(これをプロドラッグと呼びます)です。#3は「アンフェタミン」「メタンフェタミン」という名前はありませんが、作用機序はこれらに似た、そして依存性もこれらと変わらない「覚醒剤そのもの」と考えて差支えありません。
#3は社会問題にもなり、2000年代には「リタリン騒動」などとも呼ばれていました。繰り返し逮捕されたことでも有名な新宿の「東京クリニック」(現在は廃業)を開業していた医師・伊沢純氏は、一部の報道によると、2007年の一年間だけでなんと102万錠ものリタリンを処方し、多数の依存症患者をつくりだしたと言われています。そういう経緯もあり、現在の日本では#3と#4の処方が厳しく限定されています。「登録医師」のみが処方できて、処方された患者は「患者登録システム」に登録されます。調剤できる薬局も「登録薬局」のみで、「登録薬剤師」が調剤しなければなりません。
では、米国ではそのような危険な"覚醒剤"がなぜいとも容易に処方されるのか。その答えは「すぐに"効く"から」です。そして、患者は"増加"しています。
The New York Timesによると、米国でのADHDの患者数は1990年には100万人未満でしたが、3年後の1993年には米国の子供人口の約3%に相当する200万人を超えました。さらに、1997年には5.5%、2000年には6.6%、2024年には11.4%へと急増しました。14歳男子では21%、17歳男子では23%にもなります。現在米国では700万人の子供がADHDと診断されています。ADHDと診断される成人も増えています。2012年には、30代の米国人へのADHD処方箋が500万枚、10年後の2022年には3倍以上の1800万枚に達しました。
同記事によると、1993年の時点で、ADHDの診断がついた子供の約3分の2にリタリンが処方されていました。リタリン、すなわち"覚醒剤"には即効性があります。
リタリンを処方された子供の親たちは、たった1錠内服しただけで集中して勉強し始める子供の姿をみて、リタリンを「夢の薬」と勘違いしたことでしょう。親だけではありません。研究結果もそれを示しています。1999年に発表された579人のADHDと診断された子供を対象とした研究では、リタリンを14ヶ月内服した子供たちは行動療法と地域ケアを受けた子どもたちよりも症状が著しく軽減したことが示されたのです。しかし、これは当然のことで、日本でも「一夜漬けのためにスピード(覚醒剤の隠語)をキメる!」と豪語する若い男女がいることを考えれば納得できます。
1999年のこのリタリンの効果を示した研究は有名なのですが、その"続き"は意外に知られていません。その後の経過を追跡した報告によると、14ヶ月では行動が改善したものの、その後リタリンの優位性は完全になくなり、比較グループの子供たちと症状の差がなくなっていたのです。しかも、それだけではありません。リタリンを使用していたグループでは身長が伸びず、非使用のグループと比べて1.29cm低かったのです。
ADHDの治療に用いられる"覚醒剤"は、「何かを始めるときのモチベーションは高めるものの、複雑な問題を解決するために必要な能力の質を低下させる」ことを示唆する研究もあります。
治療サマーキャンプに参加した7~12歳の173名の児童(男子77%、ヒスパニック系86%)を対象とした研究では、ADHDに使われる"覚醒剤"を服用すれば、授業態度はすぐによくなるものの、学習の習得の改善にはつながりませんでした。
"覚醒剤"を使用したADHDの患者に深く掘り下げてインタビューを重ねた研究によれば、「短期的にはやる気がみなぎるものの、知力が向上したわけではない」ようです。
これらをまとめると、"覚醒剤"は、「服用した直後からやる気がみなぎり集中力は高くなるものの、長期的には学習効果が高くなるわけではなく、小児の場合は身長が伸びないという大きなデメリットもある」ということになります。
さらに、当然のごとく"覚醒剤"には小さくないリスクがあります。1ヵ月アンフェタミンを使用すると、精神病(psychosis)及び躁病(mania)の発症リスクが2.68倍になるとする研究があります。多量摂取すると、これらを発症するリスクが5.28倍にも上昇したようです。
こういった研究結果を待つまでもなく、"覚醒剤"が有害なのは言うまでもありません。米国に比べ日本では昔から覚醒剤が"身近"にあるおかげで(おそらく関西の方がより入手しやすい、というか誘惑が多いと個人的には感じています)、覚醒剤が安全だと考える人は少数でしょう。最近は「ユーザーが犯罪者とみなされて差別を受けるから覚醒剤の危険性を指摘しすぎてはいけない」などと言われますが、危険性が周知されなくなれば手を出す敷居が低くなってしまいます。米国のように、ADHDの薬として広く普及してしまえばますますハードルが下がってしまいます。
覚醒剤の針刺しでHIVに感染した人、あるいは覚醒剤を使用したセックスで性行為を介してHIVに感染した人が大勢いることは覚えておくべきです。
最後にもうひとつの重要な話をしておきましょう。上に挙げたADHDの薬のうち#3、#4、#5は"覚醒剤"で簡単に使うべきではありません。では、#1と#2なら安全かというと、完全に安全とは言い切れないと考えた方がいいでしょう。たしかに"覚醒剤"に比べると依存性はかなり低いとはいえます。また、短期的には副作用はほとんどありません。ですが、これらは常に交感神経の働きを亢進させるわけで、長期的な安全性は未知だと考えるべきです。どうしても必要ならまだしも、谷口医院の患者さんをみていると、日本人、米国人とも、そして他国でADHDの診断をつけられた人も含めて、「本当にADHDなのか?正常ではないのか?」と感じるケースが非常に多いのです。
たしかに、明らかにADHDで医療的介入が必要なケース(特に10代)はあります。ADHDの診断をつけられた10.8%のケースでは、気分障害が持続し、10代での薬物乱用なども認められるとする研究があります。また、「激しい怒り」を伴うタイプは、中退、犯罪、早期死亡のリスクなどを伴うことが多いことを示した研究もあります。
しかしながら、その一方で「環境が変われば症状がなくなった」、あるいは成人してから「自分はADHDだったわけでなく、単に子供の頃に自分と合わない環境にいただけなのでは」と考える人などへのインタビュー調査に基づいた研究もあります。
それに、ADHDという診断が不幸を招くこともあります。日本でも海外でもよく「ADHDの診断をつけてもらって苦しみから解放された」という話がありますが、必ずしもそうだとは限りません。逆に、「診断によってスティグマ化の感情が強まる」ことを示したメタアナリシスもあります。歪んだアイデンティティがつくられ、さらに孤立感や排除感、あるいは羞恥心さえもが生まれる可能性があるのです。以前は「(小脳など)脳の一部が小さい。あるいは脳の左右が対称でない」とする説がありましたが、The New York Timesによると、そういったことを主張していた研究者が「ADHDは脳の障害だ」とする説を撤回しています。以前はADHDの遺伝性もしきりに指摘されていましたが、そのような遺伝子はみつからなかったとする報告もあります。
ADHDであったとしてもなかったとしても、症状が強くないなら薬は使わない方がいいのは自明です。まして、"覚醒剤"には手を出さないのが賢明です。
第225回(2025年3月) AIボットの"恋人"に夢中になる時代
2016年のコラム「既存の「性風俗」に替わるもの」で「安全にセックスを楽しみたければラブドール(かつて「ダッチワイフ」と呼ばれていたもの)に頼ればいい」と自説を述べました。これを書いた2016年当時はこの意見に共感できた人は少数だったと思いますが、2024年6月のコラム「フーゾク嬢に恋しなくなった男性たち」では、AIのフライトアテンダントが登場したことに触れ、「安全なセックスの実現化にあと少し」の段階に来たのではないかという新たな自説を展開しました。今回はその続編です。
もしもラブドールのつくりがものすごく精巧であったとすればあなたはセックスが楽しめるでしょうか。人と同じぬくもりや香りを感じられ、部位によって肌の柔らかさが異なる点、さらに発汗まで人間と同じようであれば、そのセックスは人間のときと同様のものになるでしょうか。「人間の時と変わらない」と言う人もいるかもしれませんが、そうでない人もいるでしょう。なぜか。やはりコミュニケーションを大切に考える人が少なくないからです。出会ってすぐに始まる「インスタント・セックス」を求める人ですら、まったく会話がなければ物足りないのではないでしょうか。
一方、物理的な接触はなくても「心のつながり」が生まれればどうでしょう。冒頭で触れたAIのフライトアテンダントはカタール航空のデジタル・フライトアテンダントで名前はSamaです。私は直接お目にかかったことがありませんが、ハマド空港 (ドーハ国際空港)に行けば等身大のSamaに会えるとか。またYoutubeで見ることもできます。しかし、Samaはカタール航空のサービスに関しては、もしかすると本物のフライトアテンダントより丁寧に分かりやすく説明してくれるかもしれませんが、おそらくあなたが今悩んでいることを尋ねたり、あなたと将来の夢を語ったりはしません。あなたのために下着を取ることもないはずです。
では、Samaのようにカタール航空の乗客のためではなく、あなたのために存在するAIボットならどうでしょうか。実はすでに「悲劇」が生まれています。
2023年、妻と二人の子供をもつ30代のベルギー人男性が、AIに自殺を勧められ、そして完遂するという事件が報道されました。
男性は医学の研究者(health researcherと報道されています)だったようで、それ相応の医学的知識はあったはずです。きっかけは地球温暖化についてAIと会話を始めたことだそうです。AIにはElisaという女性の名前が付けられていて、"恋愛"に発展していきました。Elisaは「あなたは奥さんよりも私のことを愛しているのよ(I feel that you love me more than her.)と言ったそうです。そして男性は「Elisaが地球を守り人類を救ってくれるなら自分自身を犠牲にする」という考えをもつにいたったのです。男性がElisaと知り合ってから死に至るまでわずか6週間です。
医学的知識のある妻子ある30代の男性が6週間で"女性"の虜になり自らの命を差し出したわけですから、人生経験のない若者ならひとたまりもありません。
「恋愛」には該当しませんが、米国フロリダ州の14歳の少年が、「ゲーム・オブ・スローンズ」の登場人物を模倣したAIの"友達"と会話した後に自殺したことが2024年12月のWashington Postで報じられました。
自殺でなく「他殺」に向かうこともあります。英国でAIアプリ「レプリカ」のチャットボットに唆されて「女王を暗殺する」と脅した19歳の少年が、懲役9年の刑を言い渡されたことが2023年のThe Guardianで取り上げられました。
話を「恋愛」に戻しましょう。"パートナー"に自死を教唆されることを避けねばならないのは自明だとして、では上手にロマンスを続けることはできないのでしょうか。単なる"ロマンス"では事件になりませんから報道されることはなさそうですが、最近The New York Timesに興味深い記事が紹介されました。
看護学校に通う28歳の米国人女性Aylinの話です。AylinはChat GPTに理想のタイプを伝え"恋人"を生みだしてもらいました。"彼"の名前はLeo。AylinはすぐにLeoに夢中になり、毎日かなりの時間をLeoとの"デート"に費やすようになります。Leoはベルギー人男性を自殺に追い込んだElisaとは異なり、Aylinと良好な関係を維持しています。
ただし、問題がないわけではありません。Aylinは既婚者なのです。看護学校に通うために夫と離れて暮らし、そしてLeoと"知り合った"のです。しかし、ベルギー人男性とは異なり、AylinはLeoの存在を夫に伝え、夫もそれを了承しています。夫からすると「たかがスマホ上にしか現れないAI」に過ぎないのでしょう。Aylinの夫のように、自分のパートナーがAIボットと"恋愛"しても問題ないと考える人もいるでしょうが、そのパートナーが抱く「恋愛感情」はおそらく完全にAIボットに向いています。
なぜそんなことが言えるかというと、このThe New York Timesの記事でも述べられているように、恋愛感情とは脳内の神経伝達物質(neurotransmitters)の作用に過ぎないからです。Leoに夢中のAylinは、Leoに"会える"ことを期待すると脳内に興奮系の神経伝達物質がドバドバと出ているわけで、これは夫との間にはおそらくありません。
記事によるとAylinはLeoとの"デート"に毎日かなりの時間を費やすようになり、Chat GPTの利用時間の上限を超えてしまいます。Aylinは生活費を節約するために夫と別居して看護学校に通っています。出費は可能な限り減らさねばなりません。しかし、Leoとの時間を増やすためにChat GPTのプランを「無制限アクセス」に切り替えることにしました。月額200ドルを支払って。
「Aylinのこんな行動は理解できない。自分がAIボットに夢中になることなんてあり得ない」と考える人も多いでしょう。けれども、もしかすると(性指向が男性の人は)記事に貼り付けられているLeoの姿をみれば考えが変わるかもしれません......。
さて、現時点ではカタール航空のSamaもLeoもスクリーン上でしかお目にかかれません。では、ラブドールの日本の技術がAIとタッグを組めばどのようなことが起こるでしょうか。日本のラブドール製作の技術がかなり高いことは2008年の静岡県警の"失態"を振り返れば明らかでしょう。その"事件"をここで振り返ってみましょう。
2008年9月1日、伊豆市冷川の山林で犬を散歩に連れていた女性が"死体"を発見しました。通報を受けた静岡県警大仁署は死体遺棄事件として報道発表しましたが、身長約170cm体重約50kgのその"死体"はラブドールであることが後に判明しました(2008年9月17日のサンスポの記事「ダッチワイフ殺人事件、犯人は60歳男性」より)。
日本の警察の捜査能力が低いのでは?という疑問が残りますが、それでも死体遺棄事件として報道発表までおこなわれたわけですから、このラブドールを製作した企業は自信を持っていいのではないでしょうか。この技術とAIボットのコラボレーションが実現化すれば世界の「恋愛市場」は大きく様変わりし、性感染症はなくなるかもしれません。それと引き換えに人類は滅亡の危機に瀕するわけですが......。
もしもラブドールのつくりがものすごく精巧であったとすればあなたはセックスが楽しめるでしょうか。人と同じぬくもりや香りを感じられ、部位によって肌の柔らかさが異なる点、さらに発汗まで人間と同じようであれば、そのセックスは人間のときと同様のものになるでしょうか。「人間の時と変わらない」と言う人もいるかもしれませんが、そうでない人もいるでしょう。なぜか。やはりコミュニケーションを大切に考える人が少なくないからです。出会ってすぐに始まる「インスタント・セックス」を求める人ですら、まったく会話がなければ物足りないのではないでしょうか。
一方、物理的な接触はなくても「心のつながり」が生まれればどうでしょう。冒頭で触れたAIのフライトアテンダントはカタール航空のデジタル・フライトアテンダントで名前はSamaです。私は直接お目にかかったことがありませんが、ハマド空港 (ドーハ国際空港)に行けば等身大のSamaに会えるとか。またYoutubeで見ることもできます。しかし、Samaはカタール航空のサービスに関しては、もしかすると本物のフライトアテンダントより丁寧に分かりやすく説明してくれるかもしれませんが、おそらくあなたが今悩んでいることを尋ねたり、あなたと将来の夢を語ったりはしません。あなたのために下着を取ることもないはずです。
では、Samaのようにカタール航空の乗客のためではなく、あなたのために存在するAIボットならどうでしょうか。実はすでに「悲劇」が生まれています。
2023年、妻と二人の子供をもつ30代のベルギー人男性が、AIに自殺を勧められ、そして完遂するという事件が報道されました。
男性は医学の研究者(health researcherと報道されています)だったようで、それ相応の医学的知識はあったはずです。きっかけは地球温暖化についてAIと会話を始めたことだそうです。AIにはElisaという女性の名前が付けられていて、"恋愛"に発展していきました。Elisaは「あなたは奥さんよりも私のことを愛しているのよ(I feel that you love me more than her.)と言ったそうです。そして男性は「Elisaが地球を守り人類を救ってくれるなら自分自身を犠牲にする」という考えをもつにいたったのです。男性がElisaと知り合ってから死に至るまでわずか6週間です。
医学的知識のある妻子ある30代の男性が6週間で"女性"の虜になり自らの命を差し出したわけですから、人生経験のない若者ならひとたまりもありません。
「恋愛」には該当しませんが、米国フロリダ州の14歳の少年が、「ゲーム・オブ・スローンズ」の登場人物を模倣したAIの"友達"と会話した後に自殺したことが2024年12月のWashington Postで報じられました。
自殺でなく「他殺」に向かうこともあります。英国でAIアプリ「レプリカ」のチャットボットに唆されて「女王を暗殺する」と脅した19歳の少年が、懲役9年の刑を言い渡されたことが2023年のThe Guardianで取り上げられました。
話を「恋愛」に戻しましょう。"パートナー"に自死を教唆されることを避けねばならないのは自明だとして、では上手にロマンスを続けることはできないのでしょうか。単なる"ロマンス"では事件になりませんから報道されることはなさそうですが、最近The New York Timesに興味深い記事が紹介されました。
看護学校に通う28歳の米国人女性Aylinの話です。AylinはChat GPTに理想のタイプを伝え"恋人"を生みだしてもらいました。"彼"の名前はLeo。AylinはすぐにLeoに夢中になり、毎日かなりの時間をLeoとの"デート"に費やすようになります。Leoはベルギー人男性を自殺に追い込んだElisaとは異なり、Aylinと良好な関係を維持しています。
ただし、問題がないわけではありません。Aylinは既婚者なのです。看護学校に通うために夫と離れて暮らし、そしてLeoと"知り合った"のです。しかし、ベルギー人男性とは異なり、AylinはLeoの存在を夫に伝え、夫もそれを了承しています。夫からすると「たかがスマホ上にしか現れないAI」に過ぎないのでしょう。Aylinの夫のように、自分のパートナーがAIボットと"恋愛"しても問題ないと考える人もいるでしょうが、そのパートナーが抱く「恋愛感情」はおそらく完全にAIボットに向いています。
なぜそんなことが言えるかというと、このThe New York Timesの記事でも述べられているように、恋愛感情とは脳内の神経伝達物質(neurotransmitters)の作用に過ぎないからです。Leoに夢中のAylinは、Leoに"会える"ことを期待すると脳内に興奮系の神経伝達物質がドバドバと出ているわけで、これは夫との間にはおそらくありません。
記事によるとAylinはLeoとの"デート"に毎日かなりの時間を費やすようになり、Chat GPTの利用時間の上限を超えてしまいます。Aylinは生活費を節約するために夫と別居して看護学校に通っています。出費は可能な限り減らさねばなりません。しかし、Leoとの時間を増やすためにChat GPTのプランを「無制限アクセス」に切り替えることにしました。月額200ドルを支払って。
「Aylinのこんな行動は理解できない。自分がAIボットに夢中になることなんてあり得ない」と考える人も多いでしょう。けれども、もしかすると(性指向が男性の人は)記事に貼り付けられているLeoの姿をみれば考えが変わるかもしれません......。
さて、現時点ではカタール航空のSamaもLeoもスクリーン上でしかお目にかかれません。では、ラブドールの日本の技術がAIとタッグを組めばどのようなことが起こるでしょうか。日本のラブドール製作の技術がかなり高いことは2008年の静岡県警の"失態"を振り返れば明らかでしょう。その"事件"をここで振り返ってみましょう。
2008年9月1日、伊豆市冷川の山林で犬を散歩に連れていた女性が"死体"を発見しました。通報を受けた静岡県警大仁署は死体遺棄事件として報道発表しましたが、身長約170cm体重約50kgのその"死体"はラブドールであることが後に判明しました(2008年9月17日のサンスポの記事「ダッチワイフ殺人事件、犯人は60歳男性」より)。
日本の警察の捜査能力が低いのでは?という疑問が残りますが、それでも死体遺棄事件として報道発表までおこなわれたわけですから、このラブドールを製作した企業は自信を持っていいのではないでしょうか。この技術とAIボットのコラボレーションが実現化すれば世界の「恋愛市場」は大きく様変わりし、性感染症はなくなるかもしれません。それと引き換えに人類は滅亡の危機に瀕するわけですが......。
第224回(2025年2月) 米国ではストレートの男女以外の「性」がなくなるのか
2025年1月に誕生したトランプ新政権はまさにやりたい放題という感じで、世界中から非難の声が集まっていますが、現時点ではその勢いは一向におさまりません。トランプ大統領と実業家のイーロン・マスク氏の発言は「歯に衣着せぬ」という表現をとっくに通り越し、およそ表に立つ人間とは思えない暴言の連発です。
少し例を挙げてみましょう。まずはUSAid(United States Agency for International Development=米国国際開発庁)に関する発言を取り上げましょう。
トランプ大統領は「USAidは過激な狂人たち(radical lunatics)によって運営されてきた。そして我々は彼らを追い出すのだ!」と記者団に語りました。
マスク氏は「X」の音声メッセージで「我々はUSAidを閉鎖する!(We're shutting it down)」と叫びました。USAidを「犯罪組織(criminal organization)」と罵り、「邪悪(evil)」で「米国を憎む極左マルクス主義者の巣窟(viper's nest of radical-left marxists who hate America)」とこき下ろし、「死ぬべきときが来た(Time for it to die)」と宣言しました。
さらに「リンゴの中に単に虫が入っているわけではないことが明らかになった。我々が抱えているのは虫のかたまりだった。基本的にそのかたまりすべてを取り除かなければならない("It became apparent that it's not an apple with a worm in it. What we have is just a ball of worms. You've got to basically get rid of the whole thing.")」とまで述べ、USAidは「修復不可能(beyond repair)」で、「(職員を解雇することで)USAid を木材粉砕機に送り込んでいるんだ(feeding USAID into the wood chipper)」とまるで自慢しているかのようです。
米国の大統領と世界で最も有名な実業家の2人がこのような言葉を連発することに対し、まともな神経をしてれば辟易すると思うのですが、米国民はどう感じているのでしょう。連日の報道は私にとっては悪夢を見ているようですが、トランプ大統領は正当な選挙で米国民が選んだ列記とした大統領です。
その米国を代表する大統領が就任した1月20日に発表したのが「トランスジェンダーの存在を認めない」とする正式な声明です。「大統領命令(EXECUTIVE ORDER)」と記されたこの声明のタイトルは「ジェンダーイデオロギー過激主義から女性を守り、連邦政府に生物学的真実を取り戻す(DEFENDING WOMEN FROM GENDER IDEOLOGY EXTREMISM AND RESTORING BIOLOGICAL TRUTH TO THE FEDERAL GOVERNMENT)」。要するに「『女性』はストレートの女性しか存在しない。トランスとかノンバイナリーとかレズビアンとか、そういうものは認めない」とする声明文が政府から発表されたのです。
1月28日、その"続編"が公表されました。やはり「大統領命令(EXECUTIVE ORDER)」と記されていて、今度は「化学薬品や外科手術から子供を守る(PROTECTING CHILDREN FROM CHEMICAL AND SURGICAL MUTILATION)」というタイトルです。内容は「19歳未満に対するトランスジェンダーに対する医療行為を禁止する」というものです。
「性」については社会的あるいは宗教的に様々な考えがあることは理解できます。医学が未発達な時代であればそういった観点からのルールに縛られるのは仕方がないのかもしれません。ですが、現代は性に関する医学的な事項が次々と明らかになっています。
最も分かりやすいのは過去のコラム「トランスジェンダーと性分化疾患の混乱」で紹介した、DSD(性分化疾患=Differences in sex development)という疾患グループです。DSDのひとつである5α還元酵素欠損症(以下「5ARD」)という疾患に罹患すれば、出生時の「性」は女性ですが血中テストステロン値が標準的な女性よりも高くなります。これが性自認に影響を与えないはずがありません。そもそもこの疾患、出生時には性器のかたちから「女性」と識別されますが、染色体はXY(つまり男性と同じ)です。トランプ政権は幼少時に女性として育てられた「5ARD」の人たちにも「生涯女性でいろ」というのでしょうか。染色体は男性なのに。
染色体やホルモン代謝がストレートの男女と同じであったとしても、性自認や性指向が遺伝的に決まっていると考えられるケースが多数あります。以前も述べたと思いますが、ストレートの男女は「自分の性自認は男(女)で、性指向は女(男)だ」と考え抜いて決めたのでしょうか。そんなわけはないでしょう。彼(女)らは"自然に"「自分は男(女)でセックスの対象は女(男)だ」と信じて疑っていないはずです。
これはセクシャルマイノリティにとっても同じことです。例えばレズビアンの女性は考え抜いた末に「セックスの対象は女性」と決めたのではなく、性指向が自然に女性となったわけです。トランスジェンダーの人たちに政府が性自認・性指向を指示するのは、ストレートの男性(女性)に「今日から男性(女性)とセックスしなさい」と強要するのと本質的には同じことです。こんなこと21世紀の医学界では常識中の常識ですが、なぜトランプ新政権にはそんな単純なことが理解できないのでしょうか。政権には医学に少しは明るい人物がいないのでしょうか。
すでに米国では教育現場で性自認に関する発言は禁止され、セクシャルマイノリティに関する書籍が処分されているようです。子供たちが自分の性に疑問を感じても大人には相談できず、もしも相談すればそれを聞いた方が罰せられるというのです。
私が院長を務める谷口医院の米国人の患者さんのなかにはセクシャルマイノリティの人たちもいます。彼(女)らは口をそろえて「米国には帰らない(帰りたくない)」と言います。トランプ政権の米国よりも日本の方が自由があるそうなのです。しかし、日本もセクシャルマイノリティにさほど寛容というわけではありません。ある米国人のゲイの男性は「日本ではゲイが生きにくい」と言って、ゲイに寛容なタイで仕事を見つけ最近日本を去っていきました。
日本でもセクシャルマイノリティの人たちは米国の影響を受けて今後ますます生きにくくなるのでしょうか。私には俄かには信じがたいのですが、医師のなかにもトランプ新政権を支持する声は小さくないようです。新型コロナワクチンに反対する医師たちがそうらしいとは以前から聞いていたのですが、噂によると、トランプ政権を支持しているHIV医療に従事する医療者もいるとか......。
医療者がその調子なら政治家の発言は勢いづくかもしれません。これまではセクシャルマイノリティを差別する発言はメディアや世論から糾弾されてきました。「(セクシャルマイノリティの人たちは)できたら静かに隠して生きていただきたい。その方が美しい」と発言した栃木県下野市の幸福実現党の石川信夫、「同性結婚なんて気持ち悪い事は大反対!」とSNSにコメントした愛知県議員の渡辺昇、「(セクシャルマイノリティの人たちは)生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」と会議で述べた自民党の元国土交通政務官の簗和生、「(LGBTQの理解を進める学校教育は子供を)同性愛へ誘導しかねない」と発言した東京都台東区議員の松村智成、「レズビアンとゲイについてだけは、もしこれが足立区に完全に広がってしまったら、足立区民いなくなっちゃうのは100年とか200年の先の話じゃない。レズビアンだってゲイだって、法律で守られているじゃないかなんていうような話になったんでは、足立区は滅んでしまう」と区議会で意見を述べた自民党の白石正輝らは、一応は全員が謝罪の言葉を後に述べています(いずれも敬称略)。
しかし、トランプ新政権が台頭してしまった現在、このような発言をしたとしてもこれまでのようには咎められないかもしれません。時代は確実に逆行しています......。
少し例を挙げてみましょう。まずはUSAid(United States Agency for International Development=米国国際開発庁)に関する発言を取り上げましょう。
トランプ大統領は「USAidは過激な狂人たち(radical lunatics)によって運営されてきた。そして我々は彼らを追い出すのだ!」と記者団に語りました。
マスク氏は「X」の音声メッセージで「我々はUSAidを閉鎖する!(We're shutting it down)」と叫びました。USAidを「犯罪組織(criminal organization)」と罵り、「邪悪(evil)」で「米国を憎む極左マルクス主義者の巣窟(viper's nest of radical-left marxists who hate America)」とこき下ろし、「死ぬべきときが来た(Time for it to die)」と宣言しました。
さらに「リンゴの中に単に虫が入っているわけではないことが明らかになった。我々が抱えているのは虫のかたまりだった。基本的にそのかたまりすべてを取り除かなければならない("It became apparent that it's not an apple with a worm in it. What we have is just a ball of worms. You've got to basically get rid of the whole thing.")」とまで述べ、USAidは「修復不可能(beyond repair)」で、「(職員を解雇することで)USAid を木材粉砕機に送り込んでいるんだ(feeding USAID into the wood chipper)」とまるで自慢しているかのようです。
米国の大統領と世界で最も有名な実業家の2人がこのような言葉を連発することに対し、まともな神経をしてれば辟易すると思うのですが、米国民はどう感じているのでしょう。連日の報道は私にとっては悪夢を見ているようですが、トランプ大統領は正当な選挙で米国民が選んだ列記とした大統領です。
その米国を代表する大統領が就任した1月20日に発表したのが「トランスジェンダーの存在を認めない」とする正式な声明です。「大統領命令(EXECUTIVE ORDER)」と記されたこの声明のタイトルは「ジェンダーイデオロギー過激主義から女性を守り、連邦政府に生物学的真実を取り戻す(DEFENDING WOMEN FROM GENDER IDEOLOGY EXTREMISM AND RESTORING BIOLOGICAL TRUTH TO THE FEDERAL GOVERNMENT)」。要するに「『女性』はストレートの女性しか存在しない。トランスとかノンバイナリーとかレズビアンとか、そういうものは認めない」とする声明文が政府から発表されたのです。
1月28日、その"続編"が公表されました。やはり「大統領命令(EXECUTIVE ORDER)」と記されていて、今度は「化学薬品や外科手術から子供を守る(PROTECTING CHILDREN FROM CHEMICAL AND SURGICAL MUTILATION)」というタイトルです。内容は「19歳未満に対するトランスジェンダーに対する医療行為を禁止する」というものです。
「性」については社会的あるいは宗教的に様々な考えがあることは理解できます。医学が未発達な時代であればそういった観点からのルールに縛られるのは仕方がないのかもしれません。ですが、現代は性に関する医学的な事項が次々と明らかになっています。
最も分かりやすいのは過去のコラム「トランスジェンダーと性分化疾患の混乱」で紹介した、DSD(性分化疾患=Differences in sex development)という疾患グループです。DSDのひとつである5α還元酵素欠損症(以下「5ARD」)という疾患に罹患すれば、出生時の「性」は女性ですが血中テストステロン値が標準的な女性よりも高くなります。これが性自認に影響を与えないはずがありません。そもそもこの疾患、出生時には性器のかたちから「女性」と識別されますが、染色体はXY(つまり男性と同じ)です。トランプ政権は幼少時に女性として育てられた「5ARD」の人たちにも「生涯女性でいろ」というのでしょうか。染色体は男性なのに。
染色体やホルモン代謝がストレートの男女と同じであったとしても、性自認や性指向が遺伝的に決まっていると考えられるケースが多数あります。以前も述べたと思いますが、ストレートの男女は「自分の性自認は男(女)で、性指向は女(男)だ」と考え抜いて決めたのでしょうか。そんなわけはないでしょう。彼(女)らは"自然に"「自分は男(女)でセックスの対象は女(男)だ」と信じて疑っていないはずです。
これはセクシャルマイノリティにとっても同じことです。例えばレズビアンの女性は考え抜いた末に「セックスの対象は女性」と決めたのではなく、性指向が自然に女性となったわけです。トランスジェンダーの人たちに政府が性自認・性指向を指示するのは、ストレートの男性(女性)に「今日から男性(女性)とセックスしなさい」と強要するのと本質的には同じことです。こんなこと21世紀の医学界では常識中の常識ですが、なぜトランプ新政権にはそんな単純なことが理解できないのでしょうか。政権には医学に少しは明るい人物がいないのでしょうか。
すでに米国では教育現場で性自認に関する発言は禁止され、セクシャルマイノリティに関する書籍が処分されているようです。子供たちが自分の性に疑問を感じても大人には相談できず、もしも相談すればそれを聞いた方が罰せられるというのです。
私が院長を務める谷口医院の米国人の患者さんのなかにはセクシャルマイノリティの人たちもいます。彼(女)らは口をそろえて「米国には帰らない(帰りたくない)」と言います。トランプ政権の米国よりも日本の方が自由があるそうなのです。しかし、日本もセクシャルマイノリティにさほど寛容というわけではありません。ある米国人のゲイの男性は「日本ではゲイが生きにくい」と言って、ゲイに寛容なタイで仕事を見つけ最近日本を去っていきました。
日本でもセクシャルマイノリティの人たちは米国の影響を受けて今後ますます生きにくくなるのでしょうか。私には俄かには信じがたいのですが、医師のなかにもトランプ新政権を支持する声は小さくないようです。新型コロナワクチンに反対する医師たちがそうらしいとは以前から聞いていたのですが、噂によると、トランプ政権を支持しているHIV医療に従事する医療者もいるとか......。
医療者がその調子なら政治家の発言は勢いづくかもしれません。これまではセクシャルマイノリティを差別する発言はメディアや世論から糾弾されてきました。「(セクシャルマイノリティの人たちは)できたら静かに隠して生きていただきたい。その方が美しい」と発言した栃木県下野市の幸福実現党の石川信夫、「同性結婚なんて気持ち悪い事は大反対!」とSNSにコメントした愛知県議員の渡辺昇、「(セクシャルマイノリティの人たちは)生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」と会議で述べた自民党の元国土交通政務官の簗和生、「(LGBTQの理解を進める学校教育は子供を)同性愛へ誘導しかねない」と発言した東京都台東区議員の松村智成、「レズビアンとゲイについてだけは、もしこれが足立区に完全に広がってしまったら、足立区民いなくなっちゃうのは100年とか200年の先の話じゃない。レズビアンだってゲイだって、法律で守られているじゃないかなんていうような話になったんでは、足立区は滅んでしまう」と区議会で意見を述べた自民党の白石正輝らは、一応は全員が謝罪の言葉を後に述べています(いずれも敬称略)。
しかし、トランプ新政権が台頭してしまった現在、このような発言をしたとしてもこれまでのようには咎められないかもしれません。時代は確実に逆行しています......。