GINAと共に

第125回(2016年11月) 既存の「性風俗」に替わるもの

 私がタイのHIV/AIDS事情を知るようになり、HIVの差別解消に取り組み、新たな感染者を生み出さないような努力をしなければならないと考えてからおよそ15年が経過しました。最初の頃は、無我夢中でいろんなところに足を運び、いろんな人に話を聞きました。

 タイでは、感染者のみならず、HIV/AIDSのホスピスやシェルターに関わっている人たちから話を聞き、さらに薬物依存症の患者、(元)セックスワーカー、未成年で親に売られHIVに感染した若い女性、男性からのレイプ被害に幼少児に合いいまだに自身の「性」が分からないという人などとも知り合いました。

 日本でも、感染者、LGBTの人たち、(元)セックスワーカー、性依存症の人、薬物依存症の人などいろんな人たちと話をしてきました。

 それで、GINAのミッションである「HIV感染を予防するための啓発活動」がどれだけできたのかと問われると、「社会に貢献できている」とまでは言えないと感じています。実際、日本の感染者はいまだに減少傾向にはなっていません。個人レベルでみたときには、例えば私が院長をつとめる(医)太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)を受診された患者さんで、「自分のとっていた行動がとてもリスキーであることが分かりました」と言ってくれる人も少なからずいますし、GINAのサイトからメールで質問された人から後日感謝メールをいただくこともありますから、少しくらいは貢献できているのかもしれません。しかし、まだまだだ、と感じています。

 これまでの私の経験を振り返って、最も痛烈に感じるのは「正しい知識が普及すればHIVを含む性感染症は間違いなく激減する」ということです。これは断言できます。なぜなら、ほんの遊び心からもってしまった性的接触でその後の人生を大きく変えることになる性感染症に罹患した人は、全員が、「そんなに簡単に感染するとは知らなかった」「今なら絶対にあんなことはしない」などと口をそろえて言うからです。

 例えば、一般に「HIVはオーラルセックスで感染する可能性は極めて低い」と言われていますが、谷口医院の患者さんのなかにはオーラルセックスでHIVに感染した人も複数人います。なかには、生まれて初めて交際した相手からオーラルセックスで感染したという人もいます。彼(女)らは、「あんなことで感染するなんて・・・」と言います。

 HIVの前に、B型肝炎ウイルス(以下HBV)の対策を先におこなうべき、というのは私が言い続けていることですが、このことがまだまだ世間に浸透していません。HBVは汗や唾液から感染することもありますから、谷口医院の患者さんのなかにも、キスやハグ(裸で抱き合う)といった行為で感染した例もあります。彼(女)らは「まさか、その程度で感染するなんて」あるいは「なぜワクチンをうっておかなかったんだろう」「ワクチンがあるなんて知らなかった」と言います。

 HIVやHBVといった生涯消えることのないウイルスでなくても、例えば、淋病やクラミジアに罹患し、自覚症状がないために自分の大切な人に感染させてしまい後悔してもしきれないという人達も何人もみてきました。なかには大切な家庭を失った、という人もいます。こういった人たちも「そんなことで感染するなんて・・・」と必ず言います。

 性感染症に罹患した大半の人は、「もしも時計の針を巻き戻せるなら・・・」と、考えても仕方がないことを何度も考えてしまうに違いありません。

 性感染症に罹患しない最善の方法は「危険な性接触を避ける」となります。そして、これを実践するには「正しい知識をもつ」ことが必要です。GINAや私自身はこのことに取り組んできたつもりです。しかし「正しい知識を持とうね」と言っても「はい、わかりました。では講義をしてください」と言う人はそういません。では、どうすればいいか。いくつか案があるのですが、これまで10年以上、性感染症に苦しんでいる人たちを診てきた私が、最も主張したいことのひとつが「性風俗産業をなくすべきでは」ということです。

 これが非現実的な暴論と非難されるのは覚悟しています。例えば法律で「性風俗店」をすべて違法にしてしまうと、同じようなサービス業が地下に潜むだけですから、セックスワーカーも顧客も、今よりもかえって危険性が増すのは自明です。また、現実的に恋愛を楽しむのにハンディキャップがある人、例えば身体障がい者の人たちは、性風俗産業がなければ射精ができず身体的苦痛を負うことになります。

 またこのような「反論」もあるでしょう。HBVとHPVのワクチンを接種し(HPVの4価ワクチンを接種していれば尖圭コンジローマのリスクが激減します)、オーラルセックスを含めてコンドーム(やデンタルダム)をしていればセックスワーカーも顧客も安全じゃないのか、という反論です。しかしこの考えは不十分です。まず梅毒は防げません。梅毒はたしかに「治癒」する疾患ですが、治療に難渋することも最近は増えてきており、「安易な行為」に後悔する人が後を絶ちません。また性器ヘルペスも防げません。性器ヘルペスは命にかかわる感染症ではありませんが、一度感染すると病原体は生涯消えず、何度も再発に悩まされることもあります。私が診た患者さんでも精神的に病んでいき、家庭が崩壊してしまった人もいます。

 私は恋愛を否定する者ではありません。特定のパートナーがいるのに、別の人と恋に落ちる行為については、私個人としては賛成しませんが、世の中にはいくらでもあるということは理解できます。今述べているのは、「性欲」を満たす目的で性風俗産業を利用するのはやめるべきではないか、ということです。

 セックスワーカーの大半は生活のために働いているわけで、そういう人たちの保証はどうするんだ、という声もあると思いますが、少なくともセックスワークをするリスクについては再考すべきだと思います。私が日本で診てきた大変な性感染症に罹患したセックスワーカーから「初めから知識があればあんな仕事しなかったのに・・・」という言葉をこれまで何度聞いたことか・・・。

 私個人の意見を言えば、パートナーがいる人はパートナーとのセックスを楽しむべきだと考えています。「愛情はあるけれど、長年一緒にいすぎてそんな気になれない」あるいは「すでに愛情も冷めている」という声もあるかと思います。しかし、そんなときこそ、パートナーを「改めて愛するチャンス」だとは言えないでしょうか。

 では、パートナーがいない人が「有り余る性欲」で苦しんでいるときはどうすればいいか。突拍子もない意見と思われるでしょうが、私の考えは「恋人ロボット」です。これだけIT産業が発達し、家庭用のロボット登場も間近になった時代です。すでにITは、チェスや将棋で人間を凌駕し、作曲をおこない、小説も書いているのです。「見た目」のみならず「感情」も人間に近いロボットが登場するのも時間の問題でしょう。ならば恋人ロボットの登場も可能ではないでしょうか。私個人の印象を言えば、技術はすでにあるのではないか、と思っています。ただ、倫理的な問題が伴うために、本格的な実用化、普及化に至っていないだけではないでしょうか。

 すでに一部の愛好家の間では、高性能の「ダッチワイフ」を恋人にし、服を買ってあげたり、一緒に旅行に行ったりしているそうです。今はこのようなことをすれば他人の目が憚られると思われますが、ロボットの性能が上がり、多くの人がこういった行動をとるようになると、やがて「当たり前」のことになるかもしれません。そして、恋人ロボットの需要が増えると、女性ロボットだけでなく、男性ロボットも登場することになるでしょう。

 性依存症の人たちも、複数のロボットを持つ(あるいは滅菌済のロボットをレンタルする)ことによって「性欲」を満たせることになるでしょう。日本のロボット工学は世界に誇れるはずです。そして日本のアニメーションは世界中で評価されています。これらのことを考えると、例えば日本政府が恋人ロボットの開発・製造を奨励すれば、一気に高性能の"恋人"が世界中に現れて、日本経済は潤い、性感染症は激減します。

 いいことづくしの対策だと思うのですが、やはり突拍子もない考えなのでしょうか・・・。