GINAと共に

第30回 2008年のGINA(2008年12月)

私はGINAの代表を務める傍ら、2006年12月からはクリニックの院長を務めています。クリニックを開院させてからタイに渡航できる機会がめっきり減ってしまいました。

 これはクリニック開院前から想像していたとおりではあるのですが、やはりタイに渡航できず、エイズ患者さんや、患者さんを日ごろケアしている施設のスタッフに長期間会えないのはさみしい気持ちになります。

 クリニック開院の前の1年間は、トータルで60日くらいタイに滞在できましたから、多くの患者さんやスタッフに何度も会うことができていました。2005年から2006年にかけては、タイのindependent sex workerの意識調査をおこない、これはかなり大変だったのですが今ではいい思い出です。(この結果は、2007年の第21回日本エイズ学会、及び第15回国際女性心身医療学会で学会発表しています) 

 また、タイのエイズ研究者と合同で調査をおこなったこともありましたし、エイズ問題に取り組むタイの大学院生と日タイの違いを語り合ったこともありました。その頃の活動に比べると、今年のGINAの活動はずいぶんと間接的なものになっています。

 実際、私自身はタイに渡航してGINA関連の仕事をすることがまったくできませんでした。別のスタッフは何度か渡航し、北タイのエイズ事情について新しい情報も仕入れ、その一部は11月におこなわれた日本エイズ学会でも発表しています。(私自身は昨年は日本エイズ学会で発表をおこないましたが、今年はクリニックの都合で学会に参加することすらできませんでした)

 私自身はタイに渡航できなかったのですが、タイへの支援はもちろん継続しています。今年は、特に北タイの支援に力を入れました。パヤオ県で、「21世紀農場」を運営し、同地区のエイズ患者さんのために力を注いでおられる谷口巳三郎先生(以下、巳三郎先生)の活動に対しては特に積極的に支援するかたちとなりました。

 21世紀農場」では、パヤオの貧しい人たちに農業を伝えて、自立できるような支援がおこなわれています。パヤオ県は土地が貧しく、定期的な収入が得られる農作物がほとんどありません。80年代初頭にこのパヤオ県にやってきた巳三郎先生は、そんな土地でも栽培することのできる農作物を見つけ、日本式の農作業の方式を伝授することによって、パヤオ県のこの地域に住む人たちが自立できるように支援をおこなっているのです。

 巳三郎先生は、北タイの山岳民族の支援にも力を入れています。

 山岳民族の子供たちは、学校に通うことができません。なぜなら山岳部には学校がないからです。

 ですから、山岳地帯に生まれた山岳民族の子供たちが文字を覚えて勉強するには、パヤオ県やチェンライ県、チェンマイ県といった、タイ北部の町の学校に通わなくてはならないのです。そして、山岳地帯から通うことはできませんから寮に入らなければならないのですが、タイという国は福祉に乏しいですから、行政が寮を用意してくれるわけではありません。寮がないならつくるしかない! というわけで巳三郎先生が中心となり、日本から寄附金を集めていくつかの寮がつくられ運営されているのです。

 パヤオ県というところは、人口あたりのHIV陽性者の数がタイのすべての県のなかで群を抜いてトップです。2006年のデータで言えば、人口10万人あたりのHIV陽性者が32.8人です。2位はペチャブーン県の14.5人ですからいかにパヤオ県でのHIV感染が蔓延しているかが分かります。参考までに、首都バンコクは人口10万人あたり10.4人です。

 これだけ、HIV陽性者が多い最大の理由が「貧困」です。農作物がろくに育たずに特に産業もないパヤオ県では、若い女性は都会に出稼ぎにいきます。そしてその何割かは「売春」でお金を稼ぎます。売春でHIVに感染し、故郷のパヤオに帰ってきて、故郷の恋人に感染させて、さらに母子感染で・・・、というケースがこの地域では多いのです。

 山岳民族の場合は、アヘンを中心とした違法薬物の栽培・売買で生活をしている人が少なくありません。一時はタクシン政権の強力な薬物対策の下で、薬物に手を出す者が減りましたが、最近になって山岳民族の薬物生産量が増えていることが判ってきました。そして、薬物に関与するようになると静脈注射に手を出すようになり、HIV感染のリスクが増えます。

 巳三郎先生は、パヤオ県に20年以上も住んでこの地域のHIV感染の広がりを見てきています。このパヤオ県になんとか産業を繁栄させて、新たなHIV感染者を防ぎ、すでに感染している人々についても自立・自活ができるように日々努めています。


 今年、GINAはパヤオ県に森林をつくるプロジェクトにも参加しました。

 パヤオ県は、農作物はもちろん、他の草木も育ちにくい赤土が広がる荒地といった感じの土地で、日本の森林のような美しい情景がほとんどありません。

 その貧しい土地に木を植えてきれいな森をつくるプロジェクトが巳三郎先生の下で発足し、GINAも協力したというわけです。

 森がつくられるのは美しい情景が得られるだけではありません。

 水害が減り、農作物を栽培しやすくなり、また動物が住みやすい環境ができます。その結果、パヤオ県の人々の生活が安定するというわけです。GINAが協力してできる森は「GINAの森」という名前が付けられる予定です。「GINAの森」は近いうちにこのウェブサイトで紹介したいと思います。

 GINAの活動はタイへの支援活動だけではありません。日本国内で講演などを通してHIVやAIDSに関する正しい知識を伝え、依然として存在する偏見やスティグマと戦っていくこともGINAのミッションであります。

 この点では、2008年のGINAは大きく飛躍したといえるかもしれません。私自身は、学校や市民団体から何度か講演の依頼を受け、HIVの知識を伝えてきました。私以外にも、たとえばちょふは、いくつもの学校で講演をおこないましたし、マスコミの取材も積極的に受けています。現在はラジオやテレビ出演も検討しているところです。

 2009年になっても、私自身がタイに行くことはできない可能性が強いのですが、それならば日本国内での活動を広げていきたいと思います。

 というわけで、皆様、来年もよろしくお願いいたします。

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