GINAと共に

第33回 私に余生はない・・・(2009年3月)

現在GINAが支援しているひとつに、タイのパヤオ県にあるエイズ患者・孤児のグループがあります。GINAの支援先は、エイズ患者さんが収容されている施設であることがほとんどなのですが、パヤオ県のHIV陽性者に関しては、施設を支援しているわけではありません。

 この地域にはエイズ患者・孤児を収容している施設というのは(私の知る限りは)なくて、地域でエイズ患者・孤児を支えています。

 そして、そういったエイズ患者・孤児を現地で支援している人たちのなかでリーダー的存在なのが、日本人である谷口巳三郎先生(以下、巳三郎先生)なのです。

 巳三郎先生については、このウェブサイトの他のところでも紹介していますが、もう一度どのような先生なのかについてお話したいと思います。

 巳三郎先生は、1923年熊本県の生まれです(今年86歳になられます)。戦中は学徒動員でジャワ戦線にも行かれたそうです。特攻隊に選ばれながらも出撃の機会がないまま終戦となりましたが、同胞が次々と死んでいったのを目の当たりにされたと言います。

 戦後、鹿児島大学農学部を卒業され、県庁や熊本県立農業大学校などで農業に従事されてきました。60歳の定年退職後、単身でタイに渡られ北部のパヤオ県で、現地の人々に農業の指導をおこないました。

 巳三郎先生も、最初は数年間の農業技術の指導をすれば、あとは現地の人たちだけでやっていけるだろうと考えられていたそうです。ところが、現在でも、まだ現地の人だけでは農産物の生産を維持していくのは困難で巳三郎先生の指導が必要とされています。

 巳三郎先生が関わったのは、農業だけにとどまりませんでした。この地域には社会的に様々な問題があります。パヤオ県の北部には山岳民族が住んでいますが、山岳民族はタイ国籍をもっていません。そして貧困という問題があります。また、貧困にあえいでいるのは山岳民族だけではありません。タイ国籍を持っているパヤオ県の県民も、ほとんどの人は貧しい生活を強いられています。タイは地理的に南北に長い土地ですが、パヤオ県のある北部は土地が貧しく、農作物がまともに育たないのです。(だからこそ、巳三郎先生の農業指導が必要なのです)

 貧困が深刻化するとどうなるか・・・。パヤオ県は地理的にゴールデントライアングル(世界的な麻薬の産地)のすぐ近くです。貧困にあえいだ若者は、違法薬物の生産・販売に手を染め出します。女性はどうしたか・・・。バンコクやプーケットといった都心部に売春をしにいきます。

 その結果、薬物の静脈注射か売買春、あるいはその両方でHIVに感染する人が急増しました。都心に売春婦として出稼ぎにいった妻からその夫に感染するケース、HIVに感染していることを知らずに出産し生まれてきた赤ちゃんがすでにHIV陽性だったというケースなどは、この地域では枚挙に暇がありません。実際、人口あたりのHIV陽性者の数は、パヤオ県は全国一なのです。

 さて、今でこそ少しはましになっていますが、90年代の半ばはエイズとは偏見に満ちた病気でした。感染者は家族から追い出されたり、地域社会にいられなかったりといった事態になり生活ができなくなってしまいます。行き場を失くした感染者たちは、巳三郎先生を頼ることになりました。

 頼まれると放っておけない巳三郎先生は、HIV陽性者のために立ち上がります。農作物を無償で与え、仕事ができる程度の体力が残っている人たちには農業を教えたり、女性であれば日本からミシンを輸入し裁縫の指導をしたりしました。(日本で中古ミシンを集め巳三郎先生に送るプロジェクトを担ったのは、熊本から巳三郎先生の活躍を支えている奥様の恭子先生です)

 GINAは、こういった巳三郎先生のHIV陽性者への取り組みに感銘を受け、巳三郎先生を通してこの地域のHIV陽性者を支援することになりました。また、タイ人のなかにも、地域のHIV陽性者やエイズ孤児を支援したいと考える人もいます。最近では、そういった支援活動をしているタイ人に対してもGINAは支援を開始しています。

 さて、その巳三郎先生が今月(2009年3月)一時的に日本に帰国されました。大変多忙な方ですから、帰国時はいつも全国各地からひっぱりだことなります。講演をされたり、様々な人と会われたりと、休んでいる時間がないほどです。今回の帰国では、西日本国際財団という財団法人から、「西日本国際財団アジア貢献賞10周年記念特別賞」という賞も授与されています。

 そんな忙しいスケジュールのなか、巳三郎先生は大阪まで来られ私に会っていただきました。お話する時間は1時間程度でしたが、最近のパヤオのHIVに関する様々なお話を聞くことができました。

 巳三郎先生によりますと、最近のパヤオのHIV情勢は、一般的なマスコミの報道とは異なり、感染者は減っていないどころかむしろ増えているような印象があるそうです。というのも、巳三郎先生は、今でも週に2回、HIV陽性者のために農作物を無償で供給されていますが、その農作物を受け取るHIV陽性者の人数が増加しているそうなのです。

 巳三郎先生は、これまで感染に気づいていなかった人がエイズを発症して初めてHIV陽性であることが判ったというケースがこの地域は依然多く、発表されている人数よりもかなり多くのHIV陽性者がいることを確信していると言われます。

 また、抗HIV薬は以前に比べると広く行き渡るようになっているそうですが、例えば、支給された薬で副作用が出てそれ以上使えなくなると、もうお手上げとなることが多いそうです。(日本なら当然別の抗HIV薬を使うことになります)



 また、抗HIV薬が支給されたとしても、エイズに伴う様々な症状に使用する薬は簡単には手に入りません。(お金があればもちろん買えますが、先にも述べたようにこの地域はタイのなかでも最貧県のひとつです)

 巳三郎先生は今年86歳です。86歳というと、普通は仕事をリタイヤして自分の好きなことをゆっくりとおこなってもいいはずです。ほとんどの人は「余生を楽しむ」ことを考えるのではないでしょうか。

 けれども、巳三郎先生は違います。『九州流』という西日本タウン銀行が発行している雑誌のインタビューで巳三郎先生はこのように答えています。

 私に余生はない。いつも人生の最前線。死ぬ時が最も輝いているというのが理想です・・・。

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