GINAと共に
第112回(2015年10月) HIV治療の転換~直ちに投薬、PEP、PrEP~前編
HIVに感染しても薬をすぐに飲む必要はない・・。
これは最近までHIVに感染して間もない人に伝えていた言葉です。今ではこの言葉はもはや「過去の考え」となりました。
2015年9月30日、WHO(世界保健機関)は、HIV感染の治療と予防に関する新しいガイドラインの一部を発表しました(注1)。そこには、「小児から成人まですべての人のHIVの治療を免疫状態にかかわらず可及的速やかに開始する」と記載されています。
つまり、HIVに感染すると、年齢がいくつであっても、また血液検査の結果に関係なく全員が薬を飲みなさい、ということです。これは画期的なことです。
HIVの薬をいつ開始するか。これまではCD4(正確には「CD4陽性リンパ球」)の数が指標にされていました。HIV感染が持続し、免疫状態が悪化するとCD4が下がってきます。(正確にはCD4が下がるから免疫状態が悪化するのですが) ですからCD4の数をみて、「そろそろ免疫力が低下してきた。薬をはじめなければ・・」と従来は考えられてきたのです。
2000年代半ば頃まではその基準が200/uLでした。つまり血液検査でCD4が200/uLになって初めて「では薬をはじめましょうか」となっていたわけです。2000年代半ば頃から、その基準を350/uL程度にするようになってきました。より早い段階で薬を開始することになったのです。さらにその後は500/uL程度であっても開始しようということになり、数に関わらず本人が希望する場合や、体調が悪いのであれば500/uL以上であっても薬を開始してもかまわない、という流れになってきていました。
今回のWHOの改定は、CD4の数にも他の検査値にも関係なく、年齢がいくつであっても、まったく無症状で体調不良がなくても、全員が薬を直ちに開始しなさい、ということですからHIV治療の歴史に残る大きな転換点になります。
ところで、普通は何らかの病気に罹患すれば早く薬を飲むのが基本です。「早期治療」というやつです。そういう観点で考えると、ずっと昔から、HIV感染が判った時点で薬を開始すべきではなかったの?という疑問がでてきます。
少し前まで、HIVの患者さんの多くは「できることなら治療開始を遅らせたい」という人がほとんどでした。「早期治療」のまったく反対のことを希望されるのです。これはなぜなのでしょう。
その理由は5つほどあります。ひとつめが「副作用」です。HIVの薬は、もちろんその種類にもよりますが、古くに登場した薬であれば、吐き気、下痢、だるさなどが比較的高頻度に起こっていました。自覚症状がなくても肝機能、腎機能が悪化することもありますし、貧血が生じることもあります。そんなに副作用のリスクがあるなら、できるなら飲みたくない、あるいは飲むにしても少しでも遅らせたいと感じるのは理解できることです。
2つめの理由として「面倒くさい」というのがあります。今でこそHIVの薬は1日1回でよくなりましたが、以前は数種類もの薬を、たとえば「これは食後に飲んで、これは食事に関係なく12時間ごとに飲まなければならない・・・」といった感じで毎日薬をきちんと飲むのが大変なのです。ずっと家にいる高齢者であればできないことはないでしょうが、HIV陽性の人の多くは仕事を持っていますし、忙しい生活のなかで薬の管理は困難なのです。
3つめの理由は「他人にみつかるリスク」です。先に述べたように12時間毎とか食後とか言われると、職場に持って行かなければならないこともあるわけです。そして、HIVの薬というのはたいてい普通の薬よりも大きくてなぜかけばけばしい色をしています。珍しい色と形の薬がみつかれば、当然「その薬何?」と同僚から問われるリスクがあります。
4つめの理由は「飲み合わせ」です。HIVの薬は飲み合わせが非常にむつかしく、比較的よく使われる鎮痛剤、抗菌薬、睡眠薬、あるいは低容量ピルなどとの相性が悪いのです。このため近くのクリニックや診療所を受診したときに処方される薬、あるいは薬局の薬を気軽に飲めなくなるという問題があります(注2)。もちろん、HIV陽性であり薬を飲んでいることをきちんと医師に伝えれば問題ないわけですが、なかには思い切ってそれを伝えたとたんに医師の態度が豹変し「来ないでくれ」と言われたという人もいます(注3)。
ですから、いまだにHIV陽性であることを医療機関を受診する際に隠している人もいるのが実情です。こういう人たちは、飲み合わせの関係からせっかく飲んでいるHIVの薬が効かなくなるというリスクを抱えているのです。
HIVの薬を少しでも遅らせたいと感じる5つめの理由は「費用」です。HIVの薬はものすごく高く、生涯必要となる薬代は若いときに発覚したとすれば1億円を超えます。もちろんこのような費用を全額負担することはできませんから保険や他の公的扶助を用いることになります。実際には、日本に済んでいる限りお金がないからHIVの薬を飲めないということは(日本国籍があれば)ありません。日本はHIVの治療を受けるということにおいて恵まれた国といっていいでしょう。
さて、WHOの今回のガイドラインの影響で、現在まだ薬を開始していないHIV陽性の人も投薬開始を検討することになります。すでに私が診ているHIV陽性の患者さんも今月(2015年10月)から投薬開始が決まった人が何人かいます。(私が院長をつとめる太融寺町谷口医院ではHIVの薬の処方ができないために、実際の処方はエイズ拠点病院でおこなってもらっています)
では、これからHIVの薬を開始するとして、先にあげた5つの問題にはどのように対処すればいいのでしょうか。順にみていきましょう。
まず1つめの「副作用」については、「副作用ゼロではないが以前に比べると大幅に減っている」というのが実情です。起こりうる副作用は一時的なものが多いですし、定期的に血液検査をおこなっていれば特に心配する必要はありません。
HIVの薬には多数のものがあり、どのようなものをどのように飲み合わせるかはケースバイケースです。しかし、最近では1日1回2種類の薬を飲むだけというパターンが増えてきており、職場に持って行く必要もなくなっています。したがって先に挙げた「面倒くさい」と「他人にみつかるリスク」はかなり低くなっています。
4つめの「飲み合わせ」についても、最近登場してよく使われるようになった薬は従来のものに比べて飲み合わせの制限が随分と少なくなっています。また、HIV陽性を診ない、という医療機関も随分減ってきています。私が大阪市北区にクリニックをオープンさせた2007年当時は、「この前受診した医療機関でHIV陽性の人は診られませんと言われた」、と私に訴えてくるHIV陽性の患者さんがけっこういました。しかし最近では、診てくれないところが皆無とは言いませんが、HIV陽性の人も他の患者さんと同じように診察する医療機関が"当たり前"になってきました。もはやHIV陽性を隠して医療機関を受診する必要が(皆無ではありませんが)なくなったのです。
最後の「費用」の問題は、医療費自体は安くなっていませんが、先にも述べたように日本に住んでいる限り、薬代が高価すぎて治療を続けられない、ということはありません。
HIVの薬は飲み忘れの回数が増えると効かなくなってくるというリスクがあります。そのため、決して「気軽に始めましょうよ」と言って処方するような薬ではありません。規則正しい生活をおこない、副作用に気をつけながら一生薬を飲んでいくという覚悟が必要です。しかし、副作用は大きく減り、飲み合わせの問題も減少し、HIV陽性であることを隠して医療機関を受診しなければならない時代は過去のものとなりました。
2015年9月30日のWHOのガイドライン改訂の発表はHIVの歴史の大きな転換点になるはずです。次回は日本ではまだ馴染みのないPEPとPrEPの話をします。
******
注1:この発表については下記のURLを参照ください。
http://www.who.int/hiv/en/
注2:ときどき受ける質問に「HIV陽性の人はHIV以外のことでエイズ拠点病院に相談できないの?」というものがあります。答えは「拠点病院ですべてに対応できない」です。エイズ拠点病院の仕事は「HIVのコントロール」が中心であり、単なる風邪や腹痛、不眠といったよくある疾患(コモンディジーズ)には対応できません。そもそも熱があるから仕事帰りに病院を受診しようと思っても大きな病院(拠点病院)は受診できません。したがってよくある疾患を診てくれるプライマリ・ケア(総合診療)のクリニックをかかりつけ医としてもつ必要があります。また、プライマリ・ケアのクリニック以外にも歯科、眼科など特殊な検査や治療が必要となる領域のクリニック受診も必要になります。
注3:HIV陽性者の診察拒否については下記コラムが参考になると思います。
GINAと共に第95回(2014年5月)「HIVを拒否する歯科医院と滅菌を怠る歯科医院」
これは最近までHIVに感染して間もない人に伝えていた言葉です。今ではこの言葉はもはや「過去の考え」となりました。
2015年9月30日、WHO(世界保健機関)は、HIV感染の治療と予防に関する新しいガイドラインの一部を発表しました(注1)。そこには、「小児から成人まですべての人のHIVの治療を免疫状態にかかわらず可及的速やかに開始する」と記載されています。
つまり、HIVに感染すると、年齢がいくつであっても、また血液検査の結果に関係なく全員が薬を飲みなさい、ということです。これは画期的なことです。
HIVの薬をいつ開始するか。これまではCD4(正確には「CD4陽性リンパ球」)の数が指標にされていました。HIV感染が持続し、免疫状態が悪化するとCD4が下がってきます。(正確にはCD4が下がるから免疫状態が悪化するのですが) ですからCD4の数をみて、「そろそろ免疫力が低下してきた。薬をはじめなければ・・」と従来は考えられてきたのです。
2000年代半ば頃まではその基準が200/uLでした。つまり血液検査でCD4が200/uLになって初めて「では薬をはじめましょうか」となっていたわけです。2000年代半ば頃から、その基準を350/uL程度にするようになってきました。より早い段階で薬を開始することになったのです。さらにその後は500/uL程度であっても開始しようということになり、数に関わらず本人が希望する場合や、体調が悪いのであれば500/uL以上であっても薬を開始してもかまわない、という流れになってきていました。
今回のWHOの改定は、CD4の数にも他の検査値にも関係なく、年齢がいくつであっても、まったく無症状で体調不良がなくても、全員が薬を直ちに開始しなさい、ということですからHIV治療の歴史に残る大きな転換点になります。
ところで、普通は何らかの病気に罹患すれば早く薬を飲むのが基本です。「早期治療」というやつです。そういう観点で考えると、ずっと昔から、HIV感染が判った時点で薬を開始すべきではなかったの?という疑問がでてきます。
少し前まで、HIVの患者さんの多くは「できることなら治療開始を遅らせたい」という人がほとんどでした。「早期治療」のまったく反対のことを希望されるのです。これはなぜなのでしょう。
その理由は5つほどあります。ひとつめが「副作用」です。HIVの薬は、もちろんその種類にもよりますが、古くに登場した薬であれば、吐き気、下痢、だるさなどが比較的高頻度に起こっていました。自覚症状がなくても肝機能、腎機能が悪化することもありますし、貧血が生じることもあります。そんなに副作用のリスクがあるなら、できるなら飲みたくない、あるいは飲むにしても少しでも遅らせたいと感じるのは理解できることです。
2つめの理由として「面倒くさい」というのがあります。今でこそHIVの薬は1日1回でよくなりましたが、以前は数種類もの薬を、たとえば「これは食後に飲んで、これは食事に関係なく12時間ごとに飲まなければならない・・・」といった感じで毎日薬をきちんと飲むのが大変なのです。ずっと家にいる高齢者であればできないことはないでしょうが、HIV陽性の人の多くは仕事を持っていますし、忙しい生活のなかで薬の管理は困難なのです。
3つめの理由は「他人にみつかるリスク」です。先に述べたように12時間毎とか食後とか言われると、職場に持って行かなければならないこともあるわけです。そして、HIVの薬というのはたいてい普通の薬よりも大きくてなぜかけばけばしい色をしています。珍しい色と形の薬がみつかれば、当然「その薬何?」と同僚から問われるリスクがあります。
4つめの理由は「飲み合わせ」です。HIVの薬は飲み合わせが非常にむつかしく、比較的よく使われる鎮痛剤、抗菌薬、睡眠薬、あるいは低容量ピルなどとの相性が悪いのです。このため近くのクリニックや診療所を受診したときに処方される薬、あるいは薬局の薬を気軽に飲めなくなるという問題があります(注2)。もちろん、HIV陽性であり薬を飲んでいることをきちんと医師に伝えれば問題ないわけですが、なかには思い切ってそれを伝えたとたんに医師の態度が豹変し「来ないでくれ」と言われたという人もいます(注3)。
ですから、いまだにHIV陽性であることを医療機関を受診する際に隠している人もいるのが実情です。こういう人たちは、飲み合わせの関係からせっかく飲んでいるHIVの薬が効かなくなるというリスクを抱えているのです。
HIVの薬を少しでも遅らせたいと感じる5つめの理由は「費用」です。HIVの薬はものすごく高く、生涯必要となる薬代は若いときに発覚したとすれば1億円を超えます。もちろんこのような費用を全額負担することはできませんから保険や他の公的扶助を用いることになります。実際には、日本に済んでいる限りお金がないからHIVの薬を飲めないということは(日本国籍があれば)ありません。日本はHIVの治療を受けるということにおいて恵まれた国といっていいでしょう。
さて、WHOの今回のガイドラインの影響で、現在まだ薬を開始していないHIV陽性の人も投薬開始を検討することになります。すでに私が診ているHIV陽性の患者さんも今月(2015年10月)から投薬開始が決まった人が何人かいます。(私が院長をつとめる太融寺町谷口医院ではHIVの薬の処方ができないために、実際の処方はエイズ拠点病院でおこなってもらっています)
では、これからHIVの薬を開始するとして、先にあげた5つの問題にはどのように対処すればいいのでしょうか。順にみていきましょう。
まず1つめの「副作用」については、「副作用ゼロではないが以前に比べると大幅に減っている」というのが実情です。起こりうる副作用は一時的なものが多いですし、定期的に血液検査をおこなっていれば特に心配する必要はありません。
HIVの薬には多数のものがあり、どのようなものをどのように飲み合わせるかはケースバイケースです。しかし、最近では1日1回2種類の薬を飲むだけというパターンが増えてきており、職場に持って行く必要もなくなっています。したがって先に挙げた「面倒くさい」と「他人にみつかるリスク」はかなり低くなっています。
4つめの「飲み合わせ」についても、最近登場してよく使われるようになった薬は従来のものに比べて飲み合わせの制限が随分と少なくなっています。また、HIV陽性を診ない、という医療機関も随分減ってきています。私が大阪市北区にクリニックをオープンさせた2007年当時は、「この前受診した医療機関でHIV陽性の人は診られませんと言われた」、と私に訴えてくるHIV陽性の患者さんがけっこういました。しかし最近では、診てくれないところが皆無とは言いませんが、HIV陽性の人も他の患者さんと同じように診察する医療機関が"当たり前"になってきました。もはやHIV陽性を隠して医療機関を受診する必要が(皆無ではありませんが)なくなったのです。
最後の「費用」の問題は、医療費自体は安くなっていませんが、先にも述べたように日本に住んでいる限り、薬代が高価すぎて治療を続けられない、ということはありません。
HIVの薬は飲み忘れの回数が増えると効かなくなってくるというリスクがあります。そのため、決して「気軽に始めましょうよ」と言って処方するような薬ではありません。規則正しい生活をおこない、副作用に気をつけながら一生薬を飲んでいくという覚悟が必要です。しかし、副作用は大きく減り、飲み合わせの問題も減少し、HIV陽性であることを隠して医療機関を受診しなければならない時代は過去のものとなりました。
2015年9月30日のWHOのガイドライン改訂の発表はHIVの歴史の大きな転換点になるはずです。次回は日本ではまだ馴染みのないPEPとPrEPの話をします。
******
注1:この発表については下記のURLを参照ください。
http://www.who.int/hiv/en/
注2:ときどき受ける質問に「HIV陽性の人はHIV以外のことでエイズ拠点病院に相談できないの?」というものがあります。答えは「拠点病院ですべてに対応できない」です。エイズ拠点病院の仕事は「HIVのコントロール」が中心であり、単なる風邪や腹痛、不眠といったよくある疾患(コモンディジーズ)には対応できません。そもそも熱があるから仕事帰りに病院を受診しようと思っても大きな病院(拠点病院)は受診できません。したがってよくある疾患を診てくれるプライマリ・ケア(総合診療)のクリニックをかかりつけ医としてもつ必要があります。また、プライマリ・ケアのクリニック以外にも歯科、眼科など特殊な検査や治療が必要となる領域のクリニック受診も必要になります。
注3:HIV陽性者の診察拒否については下記コラムが参考になると思います。
GINAと共に第95回(2014年5月)「HIVを拒否する歯科医院と滅菌を怠る歯科医院」
第111回(2015年9月) 洗濯物を拒否されたHIV陽性者
前回は、HIVに感染している人もしてない人もHIV/AIDSに対する正しい知識を持ち、感染者を地域全体で支えている「理想郷」ともいえる北タイのひとつの地域社会について述べました。
タイは1990年代に、このままでは国が崩壊するのではないかと思われるくらいHIV感染者が増加しました。しかしその後行政や様々な民間の組織による啓発活動が功を奏し、また2004年頃からは抗HIV薬が次第に無償で支給されるようになり、エイズによる死亡者は減少し感染者は増えなくなりました。
そのため、タイは世界的にみて「エイズ撲滅に成功した国」のような扱われ方をすることがあります。たしかに近隣諸国に比べると感染者の増加率は高くはありません。しかしここはきちんとおさえておかなければなりません。感染者は「増えなくなった」だけであり、減少しているわけではないのです。実際、年間の新規感染者は15,000人程度で横ばいが続いています。
かつては年間の新規感染が15万人近くもありましたから、それから考えると10分の1にまで減少しているわけで、これはたしかに見方によっては「成功」といえるでしょう。しかし、年間15,000人という絶対数をよく考えてみると成功ではなく「停滞」がふさわしいといえます。日本の新規感染も減少しないどころか増加傾向にありますが、それでも年間1,500人程度ですからタイは日本の10倍ということになります。タイの人口は日本の約半分ですから、単純計算で新規感染率は約20倍にもなるのです。
マスコミや世論の関心は常に新しいものを求めます。HIV感染者が増加しているときは話題になりますが、新たに世間の注目を浴びるような出来事がなければ、誰も口にしなくなり人々の興味が失せていきます。
HIVについていえば、新規感染が減らないことはもちろん課題ですが、それ以上に問題として取り上げたいのがHIVに対する「差別」です。
前回HIVの「理想郷」として紹介したタイ国パヤオ県のプーサーン郡はタイ北部の最果てにあります。プーサーン郡を含めてパヤオ県はかつてタイ国でHIV陽性率が最も高い地域でした。しかし、HIV感染者が多いのはパヤオ県だけではありません。タイ北部はタイ全土のなかで最もHIV感染者が多い地域として知られていました。そして北タイの最大の都市は古都チェンマイです。
感染者率ではパヤオ県の方が高かったわけですが、感染者数では人口の多いチェンマイ県の方がはるかに多かったのです。そのため、チェンマイには世界中の慈善団体やNGOが集まってきました。行き場のない感染者を保護し、世論には「HIVは差別されるような疾患ではない」ということを訴え続け、新たな感染者を生み出さないような活動をこういった団体がおこなってきました。
そういった多数の団体の活躍もあり、北タイのHIV新規感染は減少し、かつて存在した筆舌に尽くし難い差別は急速に減少していきました。「筆舌に尽くしがたい差別」とは、たとえば、バスに乗ろうとすると引きずり下ろされたとか、食堂に入ろうとすると食器を投げつけられ追い返されたとか、村人全員から石を投げられて村を追い出されたとか、そういったものです。
こういった差別は北タイだけではなくタイ全土にありましたが、やはり感染者が多く(良くも悪くも)ムラ社会が残っている北タイでの被害の声は小さくありませんでした。私がGINA設立を決めたのは、単に困窮しているHIV/AIDSの人たちの力になりたいと考えたことだけではありません。むしろ、言われなき差別をなくすことに強い使命を自覚した、という理由の方が大きかったのです。
2015年8月、前回述べたパヤオ県プーサーン郡を訪れる前日に、私はチェンマイの施設「バン・サーイターン」を訪問しました。施設長の早川文野さんから話を聞くためです。私が初めて早川さんにお会いしたのは2004年の夏です。それ以降、可能な限り年に一度は訪問できるように努めています。チェンマイには他にも訪れるべき施設があるのですが、チェンマイにまで足を伸ばしたときは可能な限り早川さんから話を聞く時間をつくるようにしています。
というのは、早川さんは2002年からHIV陽性者を支援・保護する組織(当時は「バーン・サバイ」)を運営されていましたが、他の慈善団体やNGOと違うところがあり、それは、「HIV陽性者のなかでも特に"問題"のある人たちに深く関わってきている」ということです。
特に"問題"のある人たちとは、たとえば、少数民族(山岳民族)やミャンマー(ビルマ)からの難民であったり、HIVに感染する以前から犯罪歴が多数ある人たちであったり、薬物・売買春を繰り返しおこなっていた人たちであったり、幼少時に性的虐待を受けて自身のセクシャル・アイデンティティが確立されていない(つまり自分が男か女か分からないということ)人たちであったり・・・、とこのような人たちです。早川さんの運営する組織では、常にこのような人たちを積極的に受け入れてきたのです。
その早川さんから2015年の夏のその日に聞いたことは、翌日にパヤオの「理想郷」で見聞きしたものとはまったく異なるものでした。
早川さんによれば、まだ統計には出てこないものの、HIVの新規感染は最近確実に増えているそうなのです。早川さんの周囲にも感染が判った人が増えてきており、1週間で3人の感染が発覚した週もあったそうです。
それだけではありません。感染者に対する「差別」が復活してきています。たとえば、早川さんが以前から関わっているひとりのHIV陽性の人は、洗濯屋で露骨な差別を受けたそうです。なんと、持ち込んだ洗濯物を拒否されたというのです。この人はHIV陽性であることをカムアウトしているわけではありません。なぜHIV感染が疑われたのでしょうか。この人の感染を知っている人が誰かにそれを伝え噂として広まったのか、あるいはこの人は最近急激に痩せてきたために見た目からHIV感染を疑われたのかもしれません。
HIVに感染しているからという理由で洗濯物を拒否される・・・、これがどれだけ辛いことか想像できるでしょうか。しかもこれだけでは済まなくなるかもしれません。このコミュニティでは、そのうちに食堂に入れてもらえなくなったり、乗り合いバスに乗せてもらえなくなったりと、あの90年代から2000年代半ばまで存在していた先にも述べた忌まわしき差別の数々が再び生じる可能性もあります。
では、そうさせないためには何をすればいいのでしょうか。やはり、かつてチェンマイで活動していた慈善団体やNGOがおこなってきたことをもう一度やり直すしかないでしょう。しかし、現在は当時と状況が異なります。北タイでは新規感染が以前に比べると減少し(ただし減り続けてはいない!)、抗HIV薬が無料で支給されるようになり(ただし少数民族や難民には支給されない!)、そのためにHIV感染者を支援する団体が当時とは比べものにならないくらい減っています。小さな団体のなかには消滅したところもありますし、大きな組織のいくつかは活動の現場をタイから他国に移しています。
前回私は、HIVに関する差別をほぼ完全に消滅させた「理想郷」であるパヤオ県プーサーン郡の自助組織「ハック・プーサーン」をGINAとして応援していく、ということを述べました。その支援のひとつとして、いったん中断していたラジオ局の復活を手伝うこととしました。
そして、それとはまったく別の方向の支援として、洗濯物を拒否されるような忌まわしき差別をなくすために、正しい知識をどのように世間に伝えていくべきか考えていきたいと思います。
タイは1990年代に、このままでは国が崩壊するのではないかと思われるくらいHIV感染者が増加しました。しかしその後行政や様々な民間の組織による啓発活動が功を奏し、また2004年頃からは抗HIV薬が次第に無償で支給されるようになり、エイズによる死亡者は減少し感染者は増えなくなりました。
そのため、タイは世界的にみて「エイズ撲滅に成功した国」のような扱われ方をすることがあります。たしかに近隣諸国に比べると感染者の増加率は高くはありません。しかしここはきちんとおさえておかなければなりません。感染者は「増えなくなった」だけであり、減少しているわけではないのです。実際、年間の新規感染者は15,000人程度で横ばいが続いています。
かつては年間の新規感染が15万人近くもありましたから、それから考えると10分の1にまで減少しているわけで、これはたしかに見方によっては「成功」といえるでしょう。しかし、年間15,000人という絶対数をよく考えてみると成功ではなく「停滞」がふさわしいといえます。日本の新規感染も減少しないどころか増加傾向にありますが、それでも年間1,500人程度ですからタイは日本の10倍ということになります。タイの人口は日本の約半分ですから、単純計算で新規感染率は約20倍にもなるのです。
マスコミや世論の関心は常に新しいものを求めます。HIV感染者が増加しているときは話題になりますが、新たに世間の注目を浴びるような出来事がなければ、誰も口にしなくなり人々の興味が失せていきます。
HIVについていえば、新規感染が減らないことはもちろん課題ですが、それ以上に問題として取り上げたいのがHIVに対する「差別」です。
前回HIVの「理想郷」として紹介したタイ国パヤオ県のプーサーン郡はタイ北部の最果てにあります。プーサーン郡を含めてパヤオ県はかつてタイ国でHIV陽性率が最も高い地域でした。しかし、HIV感染者が多いのはパヤオ県だけではありません。タイ北部はタイ全土のなかで最もHIV感染者が多い地域として知られていました。そして北タイの最大の都市は古都チェンマイです。
感染者率ではパヤオ県の方が高かったわけですが、感染者数では人口の多いチェンマイ県の方がはるかに多かったのです。そのため、チェンマイには世界中の慈善団体やNGOが集まってきました。行き場のない感染者を保護し、世論には「HIVは差別されるような疾患ではない」ということを訴え続け、新たな感染者を生み出さないような活動をこういった団体がおこなってきました。
そういった多数の団体の活躍もあり、北タイのHIV新規感染は減少し、かつて存在した筆舌に尽くし難い差別は急速に減少していきました。「筆舌に尽くしがたい差別」とは、たとえば、バスに乗ろうとすると引きずり下ろされたとか、食堂に入ろうとすると食器を投げつけられ追い返されたとか、村人全員から石を投げられて村を追い出されたとか、そういったものです。
こういった差別は北タイだけではなくタイ全土にありましたが、やはり感染者が多く(良くも悪くも)ムラ社会が残っている北タイでの被害の声は小さくありませんでした。私がGINA設立を決めたのは、単に困窮しているHIV/AIDSの人たちの力になりたいと考えたことだけではありません。むしろ、言われなき差別をなくすことに強い使命を自覚した、という理由の方が大きかったのです。
2015年8月、前回述べたパヤオ県プーサーン郡を訪れる前日に、私はチェンマイの施設「バン・サーイターン」を訪問しました。施設長の早川文野さんから話を聞くためです。私が初めて早川さんにお会いしたのは2004年の夏です。それ以降、可能な限り年に一度は訪問できるように努めています。チェンマイには他にも訪れるべき施設があるのですが、チェンマイにまで足を伸ばしたときは可能な限り早川さんから話を聞く時間をつくるようにしています。
というのは、早川さんは2002年からHIV陽性者を支援・保護する組織(当時は「バーン・サバイ」)を運営されていましたが、他の慈善団体やNGOと違うところがあり、それは、「HIV陽性者のなかでも特に"問題"のある人たちに深く関わってきている」ということです。
特に"問題"のある人たちとは、たとえば、少数民族(山岳民族)やミャンマー(ビルマ)からの難民であったり、HIVに感染する以前から犯罪歴が多数ある人たちであったり、薬物・売買春を繰り返しおこなっていた人たちであったり、幼少時に性的虐待を受けて自身のセクシャル・アイデンティティが確立されていない(つまり自分が男か女か分からないということ)人たちであったり・・・、とこのような人たちです。早川さんの運営する組織では、常にこのような人たちを積極的に受け入れてきたのです。
その早川さんから2015年の夏のその日に聞いたことは、翌日にパヤオの「理想郷」で見聞きしたものとはまったく異なるものでした。
早川さんによれば、まだ統計には出てこないものの、HIVの新規感染は最近確実に増えているそうなのです。早川さんの周囲にも感染が判った人が増えてきており、1週間で3人の感染が発覚した週もあったそうです。
それだけではありません。感染者に対する「差別」が復活してきています。たとえば、早川さんが以前から関わっているひとりのHIV陽性の人は、洗濯屋で露骨な差別を受けたそうです。なんと、持ち込んだ洗濯物を拒否されたというのです。この人はHIV陽性であることをカムアウトしているわけではありません。なぜHIV感染が疑われたのでしょうか。この人の感染を知っている人が誰かにそれを伝え噂として広まったのか、あるいはこの人は最近急激に痩せてきたために見た目からHIV感染を疑われたのかもしれません。
HIVに感染しているからという理由で洗濯物を拒否される・・・、これがどれだけ辛いことか想像できるでしょうか。しかもこれだけでは済まなくなるかもしれません。このコミュニティでは、そのうちに食堂に入れてもらえなくなったり、乗り合いバスに乗せてもらえなくなったりと、あの90年代から2000年代半ばまで存在していた先にも述べた忌まわしき差別の数々が再び生じる可能性もあります。
では、そうさせないためには何をすればいいのでしょうか。やはり、かつてチェンマイで活動していた慈善団体やNGOがおこなってきたことをもう一度やり直すしかないでしょう。しかし、現在は当時と状況が異なります。北タイでは新規感染が以前に比べると減少し(ただし減り続けてはいない!)、抗HIV薬が無料で支給されるようになり(ただし少数民族や難民には支給されない!)、そのためにHIV感染者を支援する団体が当時とは比べものにならないくらい減っています。小さな団体のなかには消滅したところもありますし、大きな組織のいくつかは活動の現場をタイから他国に移しています。
前回私は、HIVに関する差別をほぼ完全に消滅させた「理想郷」であるパヤオ県プーサーン郡の自助組織「ハック・プーサーン」をGINAとして応援していく、ということを述べました。その支援のひとつとして、いったん中断していたラジオ局の復活を手伝うこととしました。
そして、それとはまったく別の方向の支援として、洗濯物を拒否されるような忌まわしき差別をなくすために、正しい知識をどのように世間に伝えていくべきか考えていきたいと思います。
第110回(2015年8月) 実在するHIV陽性者の理想郷
改めて主張するようなことでもありませんが、HIVに感染していることは恥ずべきことでも何でもなく、他人に簡単に感染させるわけではありませんから隔離される必要もありません。ですから、感染していることを他人や社会に伝えることには何の問題もないはずです。
しかしながら、現実には、ごく一部の人たちを除いて堂々とカムアウトしている人はほとんどいません。日本でもHIV陽性者は珍しくありませんから、たとえば一定規模以上の組織であれば同じ会社や役所に感染者の同僚がいるはずです。もしもあなたが同じ職場にHIV陽性の人がいないと思っているなら、それはあなたに知らされていないだけと考えるべきです。
大企業の場合は、障害者枠でHIV陽性者を雇用しているところもあります。この場合、人事部に所属する人は誰がHIV陽性かということを把握していますが、他の部署の社員に伝えることはありません。なぜ伝えないかというと、現在の日本では差別や偏見の目に晒される可能性があるからです。
障害者枠でなく一般の応募で就職活動をしているHIV陽性者は感染していることを伏せていることが多いのが現状です。それが不利になることが多いからです。感染のことを隠して就職するのは労働法に抵触しないか、という質問をときどき感染者の人から受けますが、現在のところ、これは問題なく、後から発覚したとしてもそれを理由に解雇されることはありません。(この点については過去に何人もの専門家に尋ねて確認しました)
HIV陽性であることを隠しながら生きていかねばならない・・・。これは大変つらいことです。しかし、このように差別・偏見がある国というのは日本だけではなく、アメリカでもヨーロッパでもオセアニアでも、その地域に住むHIV陽性者が誰に対してもカムアウトしているところというのはまずありません。誰に対してもカムアウトしている人というのは、HIV予防活動に従事している人か、あるいはスポーツ選手やアーティストのように元々有名だった人の一部に限られます。
ところが、あるのです。その地域に住むHIV陽性者がほぼ例外なく感染をカムアウトし、地域中の人たちが彼(女)らの感染を知っていて、さらにその地域全体で正しい知識の啓発につとめ、新たな感染者を生み出さないような試みをしている地域が実際に存在するのです。
今回はその地域のことを取り上げたいと思います。地域名は、タイ国パヤオ県のプーサーン郡です。タイでは県はバンコクも入れると合計76あり、各県はいくつかの郡(アンプー/アンペー、日本語にはない音です)に分かれていて、事実上その郡が行政単位となっています。
2000年代初頭から、タイの保健省は、全国で郡ごとにHIVの自助グループをつくることを推奨しました。パヤオ県には合計9つの郡がありますからHIVの自助グループも9つあり、プーサーン郡の自助グループもそのひとつということになります。このグループは「ハック・プーサーン」とメンバーにより名付けられています。(「ハック」というのはこの地域の言葉でタイの標準語でいえば「ラック」になり、意味は「愛する」です。GINAではこれまでタイの標準語に合わせて「ラック・プーサーン」と表記してきましたが、これからは現地の言葉に合わせて「ハック・プーサーン」にします)
ハック・プーサーンでは、感染者が地域の病院に滞在し、新たに感染した人のカウンセリングをおこなったり、新たな感染者をグループに加えて自助活動をしたりしていました。このサイトでも一度レポートで報告したことがあります(注1)。また、2006年に開催された第20回日本エイズ学会では「HIV陽性者によるHIV陽性者の支援」というタイトルでこのグループの活動について発表をおこないました。
2015年8月、私は9年ぶりにこの地を訪れました。パヤオ県はタイの最北部に位置しており、ラオスとの国境がある県で、プーサーン郡はその最果てです。チェンマイまでならほぼ毎年私は訪問しているのですが、パヤオ県というのは非常にアクセスが悪く、またそのなかでもプーサーン群には公共機関もありませんから短い日程ではなかなか厳しいのです。そこで今回私はチェンマイで車とドライバーをチャーターし、パヤオ県の比較的人口の多いチェンカム郡まで行ってもらい、そこに宿をとりました。そして、ハック・プーサーンのコーディネートをしているトムさんにチェンカムのホテルまで車で迎えに来てもらうことにしました。
GINAは「ハック・プーサーン」に所属するエイズ孤児(母子感染でHIVに感染した子供、および自身は感染しなかったものの両親がすでにエイズで死亡した子供)に対して奨学金を支給しています。またグループの活動費の支援もしています。つまり、GINAはこの「ハック・プーサーン」のスポンサーになっていると言えるわけです。そのため、私がハック・プーサーンの事務所を訪問した日には、グループの幹部スタッフがほぼ全員集まってくれました。
2006年の訪問時にも彼(女)らの「助け合い」の精神に感銘を受けたのですが、今回はさらに強いグループの結束力を感じました。結束が強いといっても、これは集まって社会運動をおこなうとか抗議活動をおこなうとか、そういう意味ではなく、みんなで助け合って自立できるように頑張っていこう!という方向の結束です。
ハック・プーサーンでは数年前に地域にラジオ局を立ち上げてHIVの啓発をおこなっていたのですが、現在の政権に変わり機材を没収され中止せざるを得なくなったそうです。グループとして、今最もやりたいことがラジオ番組の復活だそうです。このラジオは非常に好評だったようで、バザーや蚤の市のお知らせなどもおこなっていたこともあり多くの住民に好評だったそうです。タイでも都心部に住む人たちはラジオなど聞きませんが、この地域のように農業が中心の地域では田んぼや畑にラジオを持ち込み農作業をしながら聞くのです。ラジオ局でイベントをおこなうときなどは郡長も激励に来ていたそうです。
ラジオの機材が没収されたのは届け出をしていなかったからで、それが旧政権(インラック政権)時には黙認されていたものの、現政権(軍事政権)下では認められなかったようです。しかし、きちんと届け出を行えばお金はかかるもののラジオ局を復活させることができるそうで、私は早速、早期の復活がおこなえるように全面的に協力すると約束してきました。
エイズ孤児も成人の感染者も地域社会の住民みんなで支えている・・・。日本では考えられないことです。そこで私は気になったことをいくつか尋ねてみました。まず、本当に学校でエイズ孤児がいじめられたり差別を受けたりすることはないのか、という質問です。リーダーの人が即答してくれました。そんなものは一切ないと言います。しかし10年前には差別が存在していたそうです。それがハック・プーサーンの地道な活動やラジオを使った啓発の成果がでて現在はまったくないとのことです。
就職はどうなのでしょうか。これを尋ねると、少し前にある感染者がテスコ・ロータス(タイ全国にあるチェーン店のスーパー)への就職をHIVを理由に取り消されたことを話してくれました。そこで彼(女)らは抗議活動を開始し、その結果就職取り消しがなくなり、その感染者は今も元気に働いているそうです。また、HIV陽性であることをカムアウトして銀行に就職した人もいるそうです。
興味深いのは、同じパヤオ県でも他の郡ではこれほど自助グループの活動がうまくいっていないということです。この理由としていろんなことが考えられるでしょうが、私が思う最も大きな2つについて述べたいと思います。
1つは、ハック・プーサーンは病院主体ではなく患者主体のグループであるということです。ほとんどの郡には大きな公立病院があります。そのため保健省が全国の各郡で自助グループをつくるよう通達をだしたときに、ほとんどの郡では病院、つまり医療者が主体となり感染者をまとめるようなかたちをとったと聞きます。ハック・プーサーンが結果としてよかったのは、プーサーン郡ではそのような大きな病院がなく住民たちでグループをつくるしか道はなかったということです。
そして、もうひとつ、こちらの方が大きな理由だと思いますが、ハック・プーサーンのリーダーおよびリーダーを補助する人たちが非常に魅力的でエネルギッシュであるということです。おそらく彼(女)らの魅力に惹かれグループの活動に賛同する人が多かったのではないかと私は感じました。
ハック・プーサーンを見習えば世界中のどこででも同じような理想の社会が構築できるというほど単純なものではないと思います。しかし、このグループから学べることが非常に多いのは間違いありません。
少なくとも私は話しを聞いているうちにどんどん引き込まれ、このグループのことを世界中に広く伝えたい、と感じました。
注1 このレポートは下記です。
「HIV陽性者のひとつの生きがい-ピア・エデュケーション」(2006年7月)
しかしながら、現実には、ごく一部の人たちを除いて堂々とカムアウトしている人はほとんどいません。日本でもHIV陽性者は珍しくありませんから、たとえば一定規模以上の組織であれば同じ会社や役所に感染者の同僚がいるはずです。もしもあなたが同じ職場にHIV陽性の人がいないと思っているなら、それはあなたに知らされていないだけと考えるべきです。
大企業の場合は、障害者枠でHIV陽性者を雇用しているところもあります。この場合、人事部に所属する人は誰がHIV陽性かということを把握していますが、他の部署の社員に伝えることはありません。なぜ伝えないかというと、現在の日本では差別や偏見の目に晒される可能性があるからです。
障害者枠でなく一般の応募で就職活動をしているHIV陽性者は感染していることを伏せていることが多いのが現状です。それが不利になることが多いからです。感染のことを隠して就職するのは労働法に抵触しないか、という質問をときどき感染者の人から受けますが、現在のところ、これは問題なく、後から発覚したとしてもそれを理由に解雇されることはありません。(この点については過去に何人もの専門家に尋ねて確認しました)
HIV陽性であることを隠しながら生きていかねばならない・・・。これは大変つらいことです。しかし、このように差別・偏見がある国というのは日本だけではなく、アメリカでもヨーロッパでもオセアニアでも、その地域に住むHIV陽性者が誰に対してもカムアウトしているところというのはまずありません。誰に対してもカムアウトしている人というのは、HIV予防活動に従事している人か、あるいはスポーツ選手やアーティストのように元々有名だった人の一部に限られます。
ところが、あるのです。その地域に住むHIV陽性者がほぼ例外なく感染をカムアウトし、地域中の人たちが彼(女)らの感染を知っていて、さらにその地域全体で正しい知識の啓発につとめ、新たな感染者を生み出さないような試みをしている地域が実際に存在するのです。
今回はその地域のことを取り上げたいと思います。地域名は、タイ国パヤオ県のプーサーン郡です。タイでは県はバンコクも入れると合計76あり、各県はいくつかの郡(アンプー/アンペー、日本語にはない音です)に分かれていて、事実上その郡が行政単位となっています。
2000年代初頭から、タイの保健省は、全国で郡ごとにHIVの自助グループをつくることを推奨しました。パヤオ県には合計9つの郡がありますからHIVの自助グループも9つあり、プーサーン郡の自助グループもそのひとつということになります。このグループは「ハック・プーサーン」とメンバーにより名付けられています。(「ハック」というのはこの地域の言葉でタイの標準語でいえば「ラック」になり、意味は「愛する」です。GINAではこれまでタイの標準語に合わせて「ラック・プーサーン」と表記してきましたが、これからは現地の言葉に合わせて「ハック・プーサーン」にします)
ハック・プーサーンでは、感染者が地域の病院に滞在し、新たに感染した人のカウンセリングをおこなったり、新たな感染者をグループに加えて自助活動をしたりしていました。このサイトでも一度レポートで報告したことがあります(注1)。また、2006年に開催された第20回日本エイズ学会では「HIV陽性者によるHIV陽性者の支援」というタイトルでこのグループの活動について発表をおこないました。
2015年8月、私は9年ぶりにこの地を訪れました。パヤオ県はタイの最北部に位置しており、ラオスとの国境がある県で、プーサーン郡はその最果てです。チェンマイまでならほぼ毎年私は訪問しているのですが、パヤオ県というのは非常にアクセスが悪く、またそのなかでもプーサーン群には公共機関もありませんから短い日程ではなかなか厳しいのです。そこで今回私はチェンマイで車とドライバーをチャーターし、パヤオ県の比較的人口の多いチェンカム郡まで行ってもらい、そこに宿をとりました。そして、ハック・プーサーンのコーディネートをしているトムさんにチェンカムのホテルまで車で迎えに来てもらうことにしました。
GINAは「ハック・プーサーン」に所属するエイズ孤児(母子感染でHIVに感染した子供、および自身は感染しなかったものの両親がすでにエイズで死亡した子供)に対して奨学金を支給しています。またグループの活動費の支援もしています。つまり、GINAはこの「ハック・プーサーン」のスポンサーになっていると言えるわけです。そのため、私がハック・プーサーンの事務所を訪問した日には、グループの幹部スタッフがほぼ全員集まってくれました。
2006年の訪問時にも彼(女)らの「助け合い」の精神に感銘を受けたのですが、今回はさらに強いグループの結束力を感じました。結束が強いといっても、これは集まって社会運動をおこなうとか抗議活動をおこなうとか、そういう意味ではなく、みんなで助け合って自立できるように頑張っていこう!という方向の結束です。
ハック・プーサーンでは数年前に地域にラジオ局を立ち上げてHIVの啓発をおこなっていたのですが、現在の政権に変わり機材を没収され中止せざるを得なくなったそうです。グループとして、今最もやりたいことがラジオ番組の復活だそうです。このラジオは非常に好評だったようで、バザーや蚤の市のお知らせなどもおこなっていたこともあり多くの住民に好評だったそうです。タイでも都心部に住む人たちはラジオなど聞きませんが、この地域のように農業が中心の地域では田んぼや畑にラジオを持ち込み農作業をしながら聞くのです。ラジオ局でイベントをおこなうときなどは郡長も激励に来ていたそうです。
ラジオの機材が没収されたのは届け出をしていなかったからで、それが旧政権(インラック政権)時には黙認されていたものの、現政権(軍事政権)下では認められなかったようです。しかし、きちんと届け出を行えばお金はかかるもののラジオ局を復活させることができるそうで、私は早速、早期の復活がおこなえるように全面的に協力すると約束してきました。
エイズ孤児も成人の感染者も地域社会の住民みんなで支えている・・・。日本では考えられないことです。そこで私は気になったことをいくつか尋ねてみました。まず、本当に学校でエイズ孤児がいじめられたり差別を受けたりすることはないのか、という質問です。リーダーの人が即答してくれました。そんなものは一切ないと言います。しかし10年前には差別が存在していたそうです。それがハック・プーサーンの地道な活動やラジオを使った啓発の成果がでて現在はまったくないとのことです。
就職はどうなのでしょうか。これを尋ねると、少し前にある感染者がテスコ・ロータス(タイ全国にあるチェーン店のスーパー)への就職をHIVを理由に取り消されたことを話してくれました。そこで彼(女)らは抗議活動を開始し、その結果就職取り消しがなくなり、その感染者は今も元気に働いているそうです。また、HIV陽性であることをカムアウトして銀行に就職した人もいるそうです。
興味深いのは、同じパヤオ県でも他の郡ではこれほど自助グループの活動がうまくいっていないということです。この理由としていろんなことが考えられるでしょうが、私が思う最も大きな2つについて述べたいと思います。
1つは、ハック・プーサーンは病院主体ではなく患者主体のグループであるということです。ほとんどの郡には大きな公立病院があります。そのため保健省が全国の各郡で自助グループをつくるよう通達をだしたときに、ほとんどの郡では病院、つまり医療者が主体となり感染者をまとめるようなかたちをとったと聞きます。ハック・プーサーンが結果としてよかったのは、プーサーン郡ではそのような大きな病院がなく住民たちでグループをつくるしか道はなかったということです。
そして、もうひとつ、こちらの方が大きな理由だと思いますが、ハック・プーサーンのリーダーおよびリーダーを補助する人たちが非常に魅力的でエネルギッシュであるということです。おそらく彼(女)らの魅力に惹かれグループの活動に賛同する人が多かったのではないかと私は感じました。
ハック・プーサーンを見習えば世界中のどこででも同じような理想の社会が構築できるというほど単純なものではないと思います。しかし、このグループから学べることが非常に多いのは間違いありません。
少なくとも私は話しを聞いているうちにどんどん引き込まれ、このグループのことを世界中に広く伝えたい、と感じました。
注1 このレポートは下記です。
「HIV陽性者のひとつの生きがい-ピア・エデュケーション」(2006年7月)
第109回(2015年7月) 日本のおじさんが同性愛者を嫌う理由
『GINAと共に』はこのところ同性愛についての内容が増えていて、別の分野で書きたいこともいろいろとあるのですが、同性愛関連で最近新たに書き留めておきたいことがいくつか報道されたこともあり、今回も同性愛の話題とすることにしました。
LGBTという言葉がここ数年メジャーになってきたという話を以前したことがあります。この言葉は今や立派な市民権を得ていると言っていいと思いますが、最近は若い世代から「セクマイ」という言葉が聞かれるようになってきました。
さすがは日本の若者たち・・・。言葉を略すのは彼(女)らの得意とするところですが、セクマイというこの言葉、単にセクシャル・マイノリティを略しただけではありません。「LGBT」よりも単語の響きがいいというかリズムがあるというか、何よりも「LGBT」よりも「セクマイ」の方が覚えやすく心に残りやすい感じがします。あと数年もするとセクマイの方が一般的な表現になるのではないかと私はみています(ただし現時点ではこのサイトでは「LGBT」で統一したいと思います)。
LGBTを積極的に採用する企業が増えてきています。外資系の企業が多いようですが、日本の企業でも増加傾向にあるのは間違いありません。LGBTを支援するNPO法人「Re:Bit」は「LGBT就活」というウェブサイトを立ち上げ、LGBTの人たちの就職支援をしています(注1)。就職を希望しているLGBTの人たちも、LGBTを募集している企業も利用しやすくなっています。
世界に目を向けてみましょう。ヨーロッパでは、2015年5月15日、ルクセンブルクのグザヴィエ・ベッテル首相が男性パートナーと結婚し世界中で報道されました。ルクセンブルクではこれまでは法的には同性婚が認められておらず、2015年1月にようやく合法化されました。ベッテル首相は首相の前は市長をしていましたが、そのときから同性愛者であることをカムアウトしていました。
ちなみに、ヨーロッパでは、アイスランドの元首相ヨハンナ・シグルザルドッティル氏(女性)が、首相だった2010年6月27日に女性パートナーと入籍しました。この日はアイスランドで同性婚が合法化された記念すべき日です(尚、シグルザルドッティル氏は政権交代により2013年5月に首相を退陣しています)。
アメリカでも大きな動きがありました。2015年6月26日、米連邦最高裁は、全米のすべての州で同性婚を合法化するという判決を下しました。米国では、2014年10月に、同性婚を禁じるユタ州などの法律を「無効」とした高裁判決を支持するとの判決を下しており、これで事実上は同性婚が合法化されたとみなされましたが、一部の州では結婚証明書の発行がおこなわれていませんでした。今回の最高裁の判決で同性婚が合法であると"はっきりと"断言されましたから、一部の州で例外があるといったようなことが今後はなくなります。
一部の共和党などの保守派の政治家は最高裁のこの判決に不服を漏らしているようで、次回の大統領選の際にも争点のひとつになるかもしれません。しかし、現職のオバマ大統領や次期大統領候補のクリントン氏も同性婚に賛成であることを表明していますし、世論が同性愛に賛成するようになってきています。次期大統領選で共和党が勝ったとしても同性愛合法化が白紙に戻される可能性は極めて低いと思われます。
政治的な観点からみると、欧米ではこのように政治レベルでLGBTの人権を擁護するような動きが広がっています。
翻って日本の政治をみてみると、またもや時代錯誤な発言が市議会で飛び出しました。しかも何の因縁なのか、今回も兵庫県です。
2015年6月24日、兵庫県宝塚市議会でLGBTの支援についての検討がおこなわれていたとき、自民党の大河内茂太市議会議員が一般質問に立ち、「宝塚に同性愛者が集まり、HIV感染の中心になったらどうするのか、という議論が市民から出る」と発言したそうです。さすがに、この発言はその場の空気を凍らせたようで、2015年6月25日の朝日新聞デジタルによると、議事を一時中断したそうです。
兵庫県といえば、2014年5月に県議会常任委員会で県議会議員が「行政がホモの指導をする必要がない」という発言をおこない物議を醸しました。
また、2005年11月には、神戸市長田区の市立中学校で区役所の職員(医師)が非常識な発言をおこない問題となりました。2006年4月1日の毎日新聞は、この職員が「エイズになれば、自覚症状がないまま他人にうつす恐れがあるので、(患者は)早く死んでしまえばいい」、と授業で生徒に話した、と報じました。
私がこのニュースを見たとき、「いくらなんでもこんなことを言う職員はいない。ましてこの職員は医師であるわけで、こんなことは考えられない。これは毎日新聞の誤報だ」、と思いました。しかしこの職員は生徒にショックを与えたという理由で3ヶ月間減給(10分の1)にされています。これは公表された事実ですから、誤解があったにせよ、この職員の発言には問題があったと言わざるを得ません。
話を宝塚の市議会議員の発言に戻します。朝日新聞デジタルによりますと、この市議会議員は次のように発言しているそうです。
「女子校や男子校などでは同性カップルが多い。環境によって後天的に同性愛者になる。(中略)差別する意図はなく、発言を取り消すつもりはない。LGBTへの支援は必要だが、同性婚容認につながる条例制定に反対する立場から発言した」
「環境によって後天的に同性愛者になる」というのは医学的に問題のある発言ですが、これについては今回の趣旨と異なるために言及を避けます。今回取り上げたいのは「同性婚容認につながる条例制定に反対する」ということです。
なぜこのような意見がでてくるのでしょうか。欧米で同性婚に反対する意見が出るのは理解できることです。なぜならキリスト教もユダヤ教もイスラム教も教義で同性婚を禁じているからです。敬虔な信者であればあるほど同性婚を認められない気持ちになるのです。ですから、キリスト教、ユダヤ教の信者が多い欧米の国々で同性婚が合法化されるというのは大変意味深いことなのです。尚、イスラム教徒がマジョリティの国では同性婚は依然禁止で、なかには死刑となる国すらあります。
翻って日本をみてみましょう。日本人には敬虔なクリスチャンはそう多くありませんし、伝統的に日本では男娼が公然と存在していました。つまり宗教的にも歴史的にも同性愛を日本で禁じる理屈が見当たらないのです。
渋谷区の区議会での採決の際もパートナーシップ制度に反対したのは自民党を中心とした保守派の議員と報じられています。保守=国粋主義とはいえないかもしれませんが、日本の最も著名な国粋主義者のひとりに三島由紀夫がいます。そして三島由紀夫が同性愛者であったことは公然とした事実と言っていいでしょう。
ではなぜ日本の保守派は同性愛を認めないのでしょう。ここで私の仮説を紹介したいと思います。同性愛に反対する日本人は中年以降の男性が大半を占めると思われます。女性で「同性愛断固反対」と言っている人はあまり見たことがありませんし(自民党の女性議員に意見を聞いてみたいものです)、若い世代にもあまり見当たりません。先に紹介した「LGBT就活」に反対する若者の話など聞いたことがありません。
では、なぜ同性愛反対者は中年以降のおじさんに限定されるのか。誤解を恐れずに言えば、「このようなおじさんたちは本当は同性愛者がうらやましい」のではないかと私には思えるのです。
同性愛者がすべて性愛に満足しているとは言いません。むしろ同性愛者に対してもカムアウトできないLGBTの人たちも少なくなく、生涯にわたり性愛のことで悩み続けているという人も大勢います。しかしその一方で性を満喫している人もいます。ストレートの男性で(特に同性愛に反対するおじさんたちで)「セックスに困ったことがない」という人はそう多くはないのではないでしょうか。一方、LGBT、特にゲイの一部の人たちは、次々に新しいパートナーが現れ、過去に千人以上と経験がある、などという人も珍しくありません(人数が多ければ幸せというわけではありませんが)。
つまり性を満喫している(ようにみえる)ゲイたちがうらやましいが故に、LGBTが求めている同性婚やパートナーシップの制度に反対しているのではないか。これが私の仮説です。穿った見方のように聞こえるかもしれませんが、今のところ、同性婚に反対する理由で合理的なものは他に思いつきません。
注1:「LGBT就活」は下記URLを参照ください。
http://www.lgbtcareer.org/
参考:GINAと共に
第106回(2015年4月)「LGBTに対する日米の動き」
第102回(2014年12月)「2015年はLGBTが一気にメジャーに」
など
LGBTという言葉がここ数年メジャーになってきたという話を以前したことがあります。この言葉は今や立派な市民権を得ていると言っていいと思いますが、最近は若い世代から「セクマイ」という言葉が聞かれるようになってきました。
さすがは日本の若者たち・・・。言葉を略すのは彼(女)らの得意とするところですが、セクマイというこの言葉、単にセクシャル・マイノリティを略しただけではありません。「LGBT」よりも単語の響きがいいというかリズムがあるというか、何よりも「LGBT」よりも「セクマイ」の方が覚えやすく心に残りやすい感じがします。あと数年もするとセクマイの方が一般的な表現になるのではないかと私はみています(ただし現時点ではこのサイトでは「LGBT」で統一したいと思います)。
LGBTを積極的に採用する企業が増えてきています。外資系の企業が多いようですが、日本の企業でも増加傾向にあるのは間違いありません。LGBTを支援するNPO法人「Re:Bit」は「LGBT就活」というウェブサイトを立ち上げ、LGBTの人たちの就職支援をしています(注1)。就職を希望しているLGBTの人たちも、LGBTを募集している企業も利用しやすくなっています。
世界に目を向けてみましょう。ヨーロッパでは、2015年5月15日、ルクセンブルクのグザヴィエ・ベッテル首相が男性パートナーと結婚し世界中で報道されました。ルクセンブルクではこれまでは法的には同性婚が認められておらず、2015年1月にようやく合法化されました。ベッテル首相は首相の前は市長をしていましたが、そのときから同性愛者であることをカムアウトしていました。
ちなみに、ヨーロッパでは、アイスランドの元首相ヨハンナ・シグルザルドッティル氏(女性)が、首相だった2010年6月27日に女性パートナーと入籍しました。この日はアイスランドで同性婚が合法化された記念すべき日です(尚、シグルザルドッティル氏は政権交代により2013年5月に首相を退陣しています)。
アメリカでも大きな動きがありました。2015年6月26日、米連邦最高裁は、全米のすべての州で同性婚を合法化するという判決を下しました。米国では、2014年10月に、同性婚を禁じるユタ州などの法律を「無効」とした高裁判決を支持するとの判決を下しており、これで事実上は同性婚が合法化されたとみなされましたが、一部の州では結婚証明書の発行がおこなわれていませんでした。今回の最高裁の判決で同性婚が合法であると"はっきりと"断言されましたから、一部の州で例外があるといったようなことが今後はなくなります。
一部の共和党などの保守派の政治家は最高裁のこの判決に不服を漏らしているようで、次回の大統領選の際にも争点のひとつになるかもしれません。しかし、現職のオバマ大統領や次期大統領候補のクリントン氏も同性婚に賛成であることを表明していますし、世論が同性愛に賛成するようになってきています。次期大統領選で共和党が勝ったとしても同性愛合法化が白紙に戻される可能性は極めて低いと思われます。
政治的な観点からみると、欧米ではこのように政治レベルでLGBTの人権を擁護するような動きが広がっています。
翻って日本の政治をみてみると、またもや時代錯誤な発言が市議会で飛び出しました。しかも何の因縁なのか、今回も兵庫県です。
2015年6月24日、兵庫県宝塚市議会でLGBTの支援についての検討がおこなわれていたとき、自民党の大河内茂太市議会議員が一般質問に立ち、「宝塚に同性愛者が集まり、HIV感染の中心になったらどうするのか、という議論が市民から出る」と発言したそうです。さすがに、この発言はその場の空気を凍らせたようで、2015年6月25日の朝日新聞デジタルによると、議事を一時中断したそうです。
兵庫県といえば、2014年5月に県議会常任委員会で県議会議員が「行政がホモの指導をする必要がない」という発言をおこない物議を醸しました。
また、2005年11月には、神戸市長田区の市立中学校で区役所の職員(医師)が非常識な発言をおこない問題となりました。2006年4月1日の毎日新聞は、この職員が「エイズになれば、自覚症状がないまま他人にうつす恐れがあるので、(患者は)早く死んでしまえばいい」、と授業で生徒に話した、と報じました。
私がこのニュースを見たとき、「いくらなんでもこんなことを言う職員はいない。ましてこの職員は医師であるわけで、こんなことは考えられない。これは毎日新聞の誤報だ」、と思いました。しかしこの職員は生徒にショックを与えたという理由で3ヶ月間減給(10分の1)にされています。これは公表された事実ですから、誤解があったにせよ、この職員の発言には問題があったと言わざるを得ません。
話を宝塚の市議会議員の発言に戻します。朝日新聞デジタルによりますと、この市議会議員は次のように発言しているそうです。
「女子校や男子校などでは同性カップルが多い。環境によって後天的に同性愛者になる。(中略)差別する意図はなく、発言を取り消すつもりはない。LGBTへの支援は必要だが、同性婚容認につながる条例制定に反対する立場から発言した」
「環境によって後天的に同性愛者になる」というのは医学的に問題のある発言ですが、これについては今回の趣旨と異なるために言及を避けます。今回取り上げたいのは「同性婚容認につながる条例制定に反対する」ということです。
なぜこのような意見がでてくるのでしょうか。欧米で同性婚に反対する意見が出るのは理解できることです。なぜならキリスト教もユダヤ教もイスラム教も教義で同性婚を禁じているからです。敬虔な信者であればあるほど同性婚を認められない気持ちになるのです。ですから、キリスト教、ユダヤ教の信者が多い欧米の国々で同性婚が合法化されるというのは大変意味深いことなのです。尚、イスラム教徒がマジョリティの国では同性婚は依然禁止で、なかには死刑となる国すらあります。
翻って日本をみてみましょう。日本人には敬虔なクリスチャンはそう多くありませんし、伝統的に日本では男娼が公然と存在していました。つまり宗教的にも歴史的にも同性愛を日本で禁じる理屈が見当たらないのです。
渋谷区の区議会での採決の際もパートナーシップ制度に反対したのは自民党を中心とした保守派の議員と報じられています。保守=国粋主義とはいえないかもしれませんが、日本の最も著名な国粋主義者のひとりに三島由紀夫がいます。そして三島由紀夫が同性愛者であったことは公然とした事実と言っていいでしょう。
ではなぜ日本の保守派は同性愛を認めないのでしょう。ここで私の仮説を紹介したいと思います。同性愛に反対する日本人は中年以降の男性が大半を占めると思われます。女性で「同性愛断固反対」と言っている人はあまり見たことがありませんし(自民党の女性議員に意見を聞いてみたいものです)、若い世代にもあまり見当たりません。先に紹介した「LGBT就活」に反対する若者の話など聞いたことがありません。
では、なぜ同性愛反対者は中年以降のおじさんに限定されるのか。誤解を恐れずに言えば、「このようなおじさんたちは本当は同性愛者がうらやましい」のではないかと私には思えるのです。
同性愛者がすべて性愛に満足しているとは言いません。むしろ同性愛者に対してもカムアウトできないLGBTの人たちも少なくなく、生涯にわたり性愛のことで悩み続けているという人も大勢います。しかしその一方で性を満喫している人もいます。ストレートの男性で(特に同性愛に反対するおじさんたちで)「セックスに困ったことがない」という人はそう多くはないのではないでしょうか。一方、LGBT、特にゲイの一部の人たちは、次々に新しいパートナーが現れ、過去に千人以上と経験がある、などという人も珍しくありません(人数が多ければ幸せというわけではありませんが)。
つまり性を満喫している(ようにみえる)ゲイたちがうらやましいが故に、LGBTが求めている同性婚やパートナーシップの制度に反対しているのではないか。これが私の仮説です。穿った見方のように聞こえるかもしれませんが、今のところ、同性婚に反対する理由で合理的なものは他に思いつきません。
注1:「LGBT就活」は下記URLを参照ください。
http://www.lgbtcareer.org/
参考:GINAと共に
第106回(2015年4月)「LGBTに対する日米の動き」
第102回(2014年12月)「2015年はLGBTが一気にメジャーに」
など
第108回(2015年6月) 依存症の治療(後編)
私が参加させてもらった依存症治療の公開セミナーでは、最初にその団体がおこなっているセッションについて、簡単な内容と、どのような依存症の人が参加しているのか、そしてどの程度の人が依存症を克服できているのかなどについての説明がありました。
こういったグループに参加してどれくらいの人が依存症を克服できるのか、といったデータを私はこれまでみたことがありませんでしたし、前回も述べたようにニコチン依存症以外の依存症に対して、私は医師としてほとんど"無力"ですから、大変興味のある内容です。
最も驚いたのは、そのグループに参加した人の68%が1年後も「クリーン」な状態、つまり依存症に戻らずに克服できている、というデータでした。先にも述べたように、私は医師でありながら、依存症を患っているほとんどの患者さんに対して有効な治療ができたためしがありません。
患者さんに「治したい」という希望があれば精神科専門医を紹介することもありますが、私の経験上うまくいかないことの方が多いのです。ですから、こういった依存症の団体がおこなうグループセッションでの成功率が68%という数字に大変驚かされたのです。
参加者がどのような依存症を患っているのかというデータについては、アルコール依存症が最多で約6割、他には(違法)薬物やギャンブル、買い物依存なども多く、性依存症も10%に上るそうです。
講義では具体的な話に入っていくのですが、私にとって最も印象的だった言葉は、アルコール依存症の患者にとってアルコールは「アレルギー」というものです。ここでいう「アレルギー」というのは一般的なアレルギーとは異なるものです。一般的なアレルギーというのは、その物質が体内に入ってくると身体の免疫機能が応答し拒絶反応を示すことをいいますが、ここでいう「アレルギー」はそうではなく、アルコール依存症がアルコールに対して(本当の)アレルギーがあるわけではありません。
むしろアルコール依存症の者にとっては、次から次へとアルコールを体内に入れたくなりますから(本当の)アレルギーとはまったく異なるものです。アルコール依存症の人は、お酒をわずか一口飲んだだけで、身体が豹変し次の一口がどうしても欲しくなります、そして次の一口を口にすると、身体はさらにアルコールを渇望するようになり、さらに次の一口に・・・、と止まらなくなっていくのです。そして身体が蝕まれ身体も精神もぼろぼろにされていきます。
つまり、わずかな量でも口にすると身体が崩壊することになるのです。(本当の)アレルギー、例えばコムギアレルギーの人は、パン一切れを口にしただけでアナフィラキシーショックを起し救急搬送されますが、そういう意味で、つまり依存症の「アレルギー」も(本当の)アレルギーも、最初の一口が取り返しの付かないことになる、ということが共通しています。
これら2種類の"アレルギー"には共通点がまだあります。それは、「最初は"アレルギー"ではなかった」ということです。
成人のアレルギーには、ピーナッツやソバの食物アレルギーのように幼少児からアレルギー、というタイプもありますが、成人になってから発症するアレルギーの方が頻度は多いといえます。花粉症は成人してから発症することの方が多いですし、カニ・エビや牛肉のアレルギー、アニサキスアレルギーなどの大半は成人してから発症するものです。つまり、以前は問題なく食べられていたものが、次第に食べられなくなる、あるいはある日突然食べられなくなるのです。
アルコール依存症の人たちも、アルコールを初めて飲んだ日から依存症になる人はいません。それどころか最初はお酒が苦手で、飲むとすぐに吐いていた、という人も少なくないのです。実際、公開セッションで体験談を語られた一人の男性は、最初は飲みに行ったときによく吐いていたという話をされていました。
苦手だったアルコールがそのうちに不可欠なものとなりついにはアルコール依存症に・・・。好きだったエビを食べ続けているうちにエビアレルギーになり一切食べられなくなった・・・。このように考えるとこれら2つの"アレルギー"は似ています。
依存症の「アレルギー」のポイントは2つです。1つは、誰にでも「アレルギー」になる、つまり依存症になる可能性があるということ、もうひとつは、(本当の)アレルギーと同様、依存症になればわずか一口の摂取もおこなってはならない、ということです。
アルコール依存症のみならず依存症のほぼ全員はその物質(買い物やギャンブル、セックスなども含む)がその人にとって幸せをもたらしていた時期があったはずです。アルコールを楽しく害なく飲めていた時代、自分でやりくりできる範囲で買い物ができていた時代、幸せにセックスができていた時代などがあったはずです。しかし、もうその時代(蜜月時代)には戻れないのです。
この点が理解できない限りはおそらく依存症の克服は困難でしょう。そしてこの克服のためにはグループで話をすることが非常に有効ではないかと感じました。依存症の苦しみが最も理解できるのは、同じ依存症の苦しみを味わった人です。(私を含めて)医療者が依存症にときに無力なのはこの"苦しみ"に共感できないからではないかと思います。私自身はニコチン依存に随分苦しみましたが、アルコール、薬物、買い物、性依存などはおそらくその比ではないのでしょう。
公開セッションで講師をされていた人たちのみならず、聴講者の多くは通称『ビッグ・ブック』と呼ばれるなにやらバイブルのような本を持っていました。その本はペーパーバッグなのに、なぜ『ビッグ・ブック』と呼ばれているのか分からないのですが、早速私も購入することにしました。しかしAmazonには、ペーパーバックのタイプはなくハードカバーの大きなサイズしかなくそれを注文しました(注1)。
なるほど、大きなサイズでつくられているから『ビッグ・ブック』か、と感じたのですが、読んでみるとその内容に圧倒されました・・・。もしかすると、依存症から脱却させてくれる"偉大な"書籍であるがゆえに『ビッグ・ブック』と呼ばれているのかもしれません。内容はやや宗教的な色が強い部分もあるのですが、すでに依存症になっている人のみならず、すべての人にすすめたい良書です。
公開セッションでは先に述べたような講義も興味深かったのですが、最も感銘を受けたのは、依存症から脱却した体験者の話でした。合計4人の元依存症の人たちが自身の体験を話されたのですが、いずれの人の話にも最初から最後まで引き込まれました。当事者の苦痛がよくわかりましたし、その苦痛を感じるまでのそれぞれのエピソードも大変興味深く、依存症から抜け出すのも一筋縄ではいかず、その苦労もよく伝わってきました。さらに、今は自分の苦しかった体験を現在悩んでいる人に伝えることによって依存症の人たちに貢献したい、という気持ちを感じました。
現在依存症で悩んでいる人がいるとすれば、まず『ビッグ・ブック』をすすめたいのですが、やはり体験者の話を聞くべきだと思います。私が参加させてもらったような公開セッションに足を運んでみるのがいいでしょう。公開セッションはあまりないかと思いますが、このような団体は全国にあるようですので問い合わせてみるのがいいかと思います(注2)。
「依存症なんか自分には縁がない」と考えている人も、関心があれば『ビッグ・ブック』を読んでみたり、周囲に依存症の人がいるという人は公開セッションに参加してみたりするのもいいでしょう。依存症になるのは特別な人ではなく、誰もが依存症となる可能性がある、ということは繰り返しておきたいと思います。
私は公開セッションに参加して以来、お酒を飲むときにはいつも、壇上で自らの体験を話されていた人たちの姿がまぶたに浮かびます・・・。
注1:『ビッグ・ブック』の正式なタイトルは『アルコホーリクス・アノニマス』です。下記を参照ください。
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC/dp/4990228308/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1435274714&sr=1-3
注2:私が参加させてもらった公開セミナーは下記です。
http://rd-daycare.icurus.jp/archives/321
下記のURLが参考になるかと思います。
http://www.japanmac.or.jp/
http://www7b.biglobe.ne.jp/~zen-mac/
http://www.yakkaren.com/zenkoku.html
こういったグループに参加してどれくらいの人が依存症を克服できるのか、といったデータを私はこれまでみたことがありませんでしたし、前回も述べたようにニコチン依存症以外の依存症に対して、私は医師としてほとんど"無力"ですから、大変興味のある内容です。
最も驚いたのは、そのグループに参加した人の68%が1年後も「クリーン」な状態、つまり依存症に戻らずに克服できている、というデータでした。先にも述べたように、私は医師でありながら、依存症を患っているほとんどの患者さんに対して有効な治療ができたためしがありません。
患者さんに「治したい」という希望があれば精神科専門医を紹介することもありますが、私の経験上うまくいかないことの方が多いのです。ですから、こういった依存症の団体がおこなうグループセッションでの成功率が68%という数字に大変驚かされたのです。
参加者がどのような依存症を患っているのかというデータについては、アルコール依存症が最多で約6割、他には(違法)薬物やギャンブル、買い物依存なども多く、性依存症も10%に上るそうです。
講義では具体的な話に入っていくのですが、私にとって最も印象的だった言葉は、アルコール依存症の患者にとってアルコールは「アレルギー」というものです。ここでいう「アレルギー」というのは一般的なアレルギーとは異なるものです。一般的なアレルギーというのは、その物質が体内に入ってくると身体の免疫機能が応答し拒絶反応を示すことをいいますが、ここでいう「アレルギー」はそうではなく、アルコール依存症がアルコールに対して(本当の)アレルギーがあるわけではありません。
むしろアルコール依存症の者にとっては、次から次へとアルコールを体内に入れたくなりますから(本当の)アレルギーとはまったく異なるものです。アルコール依存症の人は、お酒をわずか一口飲んだだけで、身体が豹変し次の一口がどうしても欲しくなります、そして次の一口を口にすると、身体はさらにアルコールを渇望するようになり、さらに次の一口に・・・、と止まらなくなっていくのです。そして身体が蝕まれ身体も精神もぼろぼろにされていきます。
つまり、わずかな量でも口にすると身体が崩壊することになるのです。(本当の)アレルギー、例えばコムギアレルギーの人は、パン一切れを口にしただけでアナフィラキシーショックを起し救急搬送されますが、そういう意味で、つまり依存症の「アレルギー」も(本当の)アレルギーも、最初の一口が取り返しの付かないことになる、ということが共通しています。
これら2種類の"アレルギー"には共通点がまだあります。それは、「最初は"アレルギー"ではなかった」ということです。
成人のアレルギーには、ピーナッツやソバの食物アレルギーのように幼少児からアレルギー、というタイプもありますが、成人になってから発症するアレルギーの方が頻度は多いといえます。花粉症は成人してから発症することの方が多いですし、カニ・エビや牛肉のアレルギー、アニサキスアレルギーなどの大半は成人してから発症するものです。つまり、以前は問題なく食べられていたものが、次第に食べられなくなる、あるいはある日突然食べられなくなるのです。
アルコール依存症の人たちも、アルコールを初めて飲んだ日から依存症になる人はいません。それどころか最初はお酒が苦手で、飲むとすぐに吐いていた、という人も少なくないのです。実際、公開セッションで体験談を語られた一人の男性は、最初は飲みに行ったときによく吐いていたという話をされていました。
苦手だったアルコールがそのうちに不可欠なものとなりついにはアルコール依存症に・・・。好きだったエビを食べ続けているうちにエビアレルギーになり一切食べられなくなった・・・。このように考えるとこれら2つの"アレルギー"は似ています。
依存症の「アレルギー」のポイントは2つです。1つは、誰にでも「アレルギー」になる、つまり依存症になる可能性があるということ、もうひとつは、(本当の)アレルギーと同様、依存症になればわずか一口の摂取もおこなってはならない、ということです。
アルコール依存症のみならず依存症のほぼ全員はその物質(買い物やギャンブル、セックスなども含む)がその人にとって幸せをもたらしていた時期があったはずです。アルコールを楽しく害なく飲めていた時代、自分でやりくりできる範囲で買い物ができていた時代、幸せにセックスができていた時代などがあったはずです。しかし、もうその時代(蜜月時代)には戻れないのです。
この点が理解できない限りはおそらく依存症の克服は困難でしょう。そしてこの克服のためにはグループで話をすることが非常に有効ではないかと感じました。依存症の苦しみが最も理解できるのは、同じ依存症の苦しみを味わった人です。(私を含めて)医療者が依存症にときに無力なのはこの"苦しみ"に共感できないからではないかと思います。私自身はニコチン依存に随分苦しみましたが、アルコール、薬物、買い物、性依存などはおそらくその比ではないのでしょう。
公開セッションで講師をされていた人たちのみならず、聴講者の多くは通称『ビッグ・ブック』と呼ばれるなにやらバイブルのような本を持っていました。その本はペーパーバッグなのに、なぜ『ビッグ・ブック』と呼ばれているのか分からないのですが、早速私も購入することにしました。しかしAmazonには、ペーパーバックのタイプはなくハードカバーの大きなサイズしかなくそれを注文しました(注1)。
なるほど、大きなサイズでつくられているから『ビッグ・ブック』か、と感じたのですが、読んでみるとその内容に圧倒されました・・・。もしかすると、依存症から脱却させてくれる"偉大な"書籍であるがゆえに『ビッグ・ブック』と呼ばれているのかもしれません。内容はやや宗教的な色が強い部分もあるのですが、すでに依存症になっている人のみならず、すべての人にすすめたい良書です。
公開セッションでは先に述べたような講義も興味深かったのですが、最も感銘を受けたのは、依存症から脱却した体験者の話でした。合計4人の元依存症の人たちが自身の体験を話されたのですが、いずれの人の話にも最初から最後まで引き込まれました。当事者の苦痛がよくわかりましたし、その苦痛を感じるまでのそれぞれのエピソードも大変興味深く、依存症から抜け出すのも一筋縄ではいかず、その苦労もよく伝わってきました。さらに、今は自分の苦しかった体験を現在悩んでいる人に伝えることによって依存症の人たちに貢献したい、という気持ちを感じました。
現在依存症で悩んでいる人がいるとすれば、まず『ビッグ・ブック』をすすめたいのですが、やはり体験者の話を聞くべきだと思います。私が参加させてもらったような公開セッションに足を運んでみるのがいいでしょう。公開セッションはあまりないかと思いますが、このような団体は全国にあるようですので問い合わせてみるのがいいかと思います(注2)。
「依存症なんか自分には縁がない」と考えている人も、関心があれば『ビッグ・ブック』を読んでみたり、周囲に依存症の人がいるという人は公開セッションに参加してみたりするのもいいでしょう。依存症になるのは特別な人ではなく、誰もが依存症となる可能性がある、ということは繰り返しておきたいと思います。
私は公開セッションに参加して以来、お酒を飲むときにはいつも、壇上で自らの体験を話されていた人たちの姿がまぶたに浮かびます・・・。
注1:『ビッグ・ブック』の正式なタイトルは『アルコホーリクス・アノニマス』です。下記を参照ください。
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC/dp/4990228308/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1435274714&sr=1-3
注2:私が参加させてもらった公開セミナーは下記です。
http://rd-daycare.icurus.jp/archives/321
下記のURLが参考になるかと思います。
http://www.japanmac.or.jp/
http://www7b.biglobe.ne.jp/~zen-mac/
http://www.yakkaren.com/zenkoku.html