GINAと共に
第107回(2015年5月) 依存症の治療(前編)
HIV/AIDSに関わっていると、どうしても避けられない問題が「依存症」です。私はこれまで主にタイと日本で多くのHIV陽性者に会ってきましたが、依存症に苦しんでいる(後で述べるように必ずしも「苦しんでいる」わけではないのですが・・・)人たちを解放することができなければHIVの新規感染を減らすことはできないことを確信しています。
ほんの遊び心で始めた覚醒剤の吸入がそのうち静脈注射になり、針の使い回しが危険であることは充分に承知していたはずなのに他人の針を使ってHIVに感染した人、性依存症であるという自覚もないままに不特定多数の異性(同性)と危険な性交渉を繰り返しHIVに感染した人、なかには買い物依存やギャンブル依存からできた借金返済のために身体を売りHIVに感染したという人もいます。
依存症についてこのサイトでも取り上げ、私がいろんなところで繰り返し主張しているのが覚醒剤などの違法薬物についてです。私がこれまで述べてきたポイントは、①覚醒剤、コカイン、麻薬などは一度手を出すとやめられなくなる。初めから手を出さないのが最大の予防、②大麻については日本では違法だが国や地域によっては合法であり依存性は低い。しかし、日本では大麻が覚醒剤などの絶対やってはいけない薬物の「きっかけ」になっていることが多く、大麻と覚醒剤や麻薬との違いをしっかりと認識すべき、というものです。
これらは非常に大切なことで、違法薬物については依存性の恐ろしさを子供の頃から徹底的に教育していく必要がある、と私は考えています。
多くの違法薬物は身体を蝕み、やがて人生を終焉させていきますが、ある意味で依存症への対策は"簡単"です。なぜなら、「初めからやらない」のが最善策であり、手を出してしまった後は「完全に断ち切る」ことが不可欠で、これに異議を唱える人はいないからです。
では「初めからやらない」わけにはいかない依存症についてはどうでしょう。例えば、買い物依存症の人は、初めから買い物依存症になりたくて買い物を始めたわけではありません。買い物をせずには生活できないわけですから、「初めからやらない」という対策は後から振り返ってもできなかったわけです。一昔前なら「クレジットカードを持たない」という方法があったかもしれませんが、現代の生活でカードなしでは何かと不便です。それに買い物依存を克服するために「一切の買い物をやめる」というわけにもいきません。この点が薬物依存と異なる点です。
ギャンブル依存はどうでしょう。「初めからやらない」という方法は考えてもいいかもしれませんが、競馬やパチンコを絶対にやってはいけないとは言えませんし、上手にストレス解消のツールとして利用している人もいます。日本では違法ですが、例えば年に2~3度、マカオや済州島にバカラを楽しみに行くという人が、別段それをやめる必要もないと思います。
性依存についても同様です。以前このサイトで述べたことがありますが、性感染症のリスクを省みずにフーゾク通いをやめられない人や、タイガー・ウッズのように複数の女性との関係をもっている人は依存症ですが、「一度きりの浮気」を性依存とは呼べないでしょう。性交渉についても「初めからやらない」という選択肢はありません。これは恋愛依存についても同様です。
アルコールはどうでしょうか。「初めからやらない」という選択肢はないわけではありません。実際飲酒が禁じられているイスラム教徒にアルコール依存症は(ほとんど)ありません。しかし文化的・宗教的には日本も含めてアルコールが許されている社会が多いですし、また少量のアルコールはいくつもの疾患のリスクを下げると言われています。イスラム圏以外ではアルコールについても「初めからやらない」という方法は現実的ではありません。
私は医師として、依存症の前には無力であることをしばしば痛感させられます。ニコチン依存症は、今や有効な薬の登場のおかげで改善する疾患になっていますが「治癒」とはなかなか呼べません。私自身も現在は喫煙していませんが、自分のニコチン依存症が「治った」とは思っていません。アルコールについては抗酒薬と呼ばれる薬がいくつかあり、これで禁酒できる人もいますが、必ずしも成功するわけではありません。また、買い物依存、ギャンブル依存、性依存、薬物依存などについては患者さんやその家族からしばしば相談を受けますが、私自身が治せたことは実はほとんどありません。
では、私自身は医師として依存症を患っている人やその家族から相談されたときにどうしているのかというと、まずは本人がそれを依存症と認識し治したいという意志を本当に持っているかどうかを確認します。本人に治す意志がなければ絶対に上手くいかないからです。依存症とは縁のない人からすると、「治す意志がない」ってどういうことか?、と不可解に思うかもしれませんが、実際には治す意志がない、そもそも病気と思っていない人は少なくないのです。
日常の診療で最もよく見かける依存症のひとつ「摂食障害」は「吐いて何が悪いの?」という態度の人がいます(「摂食障害」を依存症に含めるかどうかには議論がありますが私は少なくとも広義には含めるべきだと考えています)。薬物依存症の人のなかには、病気と思っていないどころか優越感さえ覚え自慢気に語るような人すらいます。「こんなに幸せにしてくれるモノを世間の大勢は知らないけど自分は知っている。自分は他人よりも幸せなんだ」と本気で思っているのです。このような人に有効な治療法はありません。性依存も病識のない人が少なくありません。以前も述べましたが日本人の男性の何パーセントかは性フーゾクへの敷居が低いのです。
本人に依存症の自覚があり「治したい」という意志を持っている場合は、それが治療可能なものであれば精神科の専門外来を紹介することがあります。アルコール依存であれば必ずしも有効ではないものの抗酒薬がありますし、摂食障害を診てくれるところもあります(ただし、精神科によっては初めから「摂食障害はお断り」というところもありますし、診てくれると聞いていたのに受診すると門前払いされたと嘆く患者さんもいます)。薬物依存については診てもらえるところがないわけではありませんが、必ずしも上手くいくわけではありません。
精神科で診てもらえそうにないとき、または本人が精神科受診を嫌がる場合は、私自身は「自助グループ」を紹介するようにしています。自助グループというのは、同じ問題(依存症)を抱えている人たちが集まったグループで、苦しみや悩みを共有することによって困難を乗り越えていくことを目指しています。
自助グループの歴史は1930年代のアメリカから始まっています。アルコール依存症の人たちが集まり悩みや苦しみを共有しあうことで依存症を克服する人がでてきました。克服に成功した人がこういった活動を広げていくようになり、日本を含む多くの国でいくつもの団体が誕生しました。当初はアルコール依存だけでしたが、薬物、ギャンブル、性など、現在では多くの依存症の人たちが利用するようになってきています。
この世界では「AA」という言い方をよくしますが、これは「Alcoholics Anonymous」のことで直訳すると「匿名のアルコール依存者」となります(注1)。つまり、グループに参加するときは匿名でOKというのがひとつの特徴です。
さて、依存症の悩みを打ち明けてくれた患者さんに私は自助グループに参加することをすすめているのですが、私自身はそういったグループに参加したことはありません。実態を知らないのに患者さんに参加を勧めるのは無責任ではないのか・・・、というのは何年も感じていることなのですが、当事者でないと参加できない集いに入れてもらうことはできません。
しかし、です。ある有名な団体が公開セミナーをおこなっていることを知り、先日参加してきました。このセミナーは主に依存症の当事者を対象としていますが、その家族や支援者なども参加が許されており、私は医師であることを伝え許可を得た上でこのセミナーに参加させてもらいました。
感想は・・・、驚いたというか、これなら依存症を克服できる!と感じました。次回はなぜ私がそのように感じたかを述べたいと思います。
注1:AAの日本のサイトとアメリカのサイトを記しておきます。
http://aajapan.org/
http://old2.aa.org/
参考:『GINAと共に』
第97回(2014年7月)「これからの「大麻」の話をしよう」
第89回(2013年11月)「性依存症という病」
ほんの遊び心で始めた覚醒剤の吸入がそのうち静脈注射になり、針の使い回しが危険であることは充分に承知していたはずなのに他人の針を使ってHIVに感染した人、性依存症であるという自覚もないままに不特定多数の異性(同性)と危険な性交渉を繰り返しHIVに感染した人、なかには買い物依存やギャンブル依存からできた借金返済のために身体を売りHIVに感染したという人もいます。
依存症についてこのサイトでも取り上げ、私がいろんなところで繰り返し主張しているのが覚醒剤などの違法薬物についてです。私がこれまで述べてきたポイントは、①覚醒剤、コカイン、麻薬などは一度手を出すとやめられなくなる。初めから手を出さないのが最大の予防、②大麻については日本では違法だが国や地域によっては合法であり依存性は低い。しかし、日本では大麻が覚醒剤などの絶対やってはいけない薬物の「きっかけ」になっていることが多く、大麻と覚醒剤や麻薬との違いをしっかりと認識すべき、というものです。
これらは非常に大切なことで、違法薬物については依存性の恐ろしさを子供の頃から徹底的に教育していく必要がある、と私は考えています。
多くの違法薬物は身体を蝕み、やがて人生を終焉させていきますが、ある意味で依存症への対策は"簡単"です。なぜなら、「初めからやらない」のが最善策であり、手を出してしまった後は「完全に断ち切る」ことが不可欠で、これに異議を唱える人はいないからです。
では「初めからやらない」わけにはいかない依存症についてはどうでしょう。例えば、買い物依存症の人は、初めから買い物依存症になりたくて買い物を始めたわけではありません。買い物をせずには生活できないわけですから、「初めからやらない」という対策は後から振り返ってもできなかったわけです。一昔前なら「クレジットカードを持たない」という方法があったかもしれませんが、現代の生活でカードなしでは何かと不便です。それに買い物依存を克服するために「一切の買い物をやめる」というわけにもいきません。この点が薬物依存と異なる点です。
ギャンブル依存はどうでしょう。「初めからやらない」という方法は考えてもいいかもしれませんが、競馬やパチンコを絶対にやってはいけないとは言えませんし、上手にストレス解消のツールとして利用している人もいます。日本では違法ですが、例えば年に2~3度、マカオや済州島にバカラを楽しみに行くという人が、別段それをやめる必要もないと思います。
性依存についても同様です。以前このサイトで述べたことがありますが、性感染症のリスクを省みずにフーゾク通いをやめられない人や、タイガー・ウッズのように複数の女性との関係をもっている人は依存症ですが、「一度きりの浮気」を性依存とは呼べないでしょう。性交渉についても「初めからやらない」という選択肢はありません。これは恋愛依存についても同様です。
アルコールはどうでしょうか。「初めからやらない」という選択肢はないわけではありません。実際飲酒が禁じられているイスラム教徒にアルコール依存症は(ほとんど)ありません。しかし文化的・宗教的には日本も含めてアルコールが許されている社会が多いですし、また少量のアルコールはいくつもの疾患のリスクを下げると言われています。イスラム圏以外ではアルコールについても「初めからやらない」という方法は現実的ではありません。
私は医師として、依存症の前には無力であることをしばしば痛感させられます。ニコチン依存症は、今や有効な薬の登場のおかげで改善する疾患になっていますが「治癒」とはなかなか呼べません。私自身も現在は喫煙していませんが、自分のニコチン依存症が「治った」とは思っていません。アルコールについては抗酒薬と呼ばれる薬がいくつかあり、これで禁酒できる人もいますが、必ずしも成功するわけではありません。また、買い物依存、ギャンブル依存、性依存、薬物依存などについては患者さんやその家族からしばしば相談を受けますが、私自身が治せたことは実はほとんどありません。
では、私自身は医師として依存症を患っている人やその家族から相談されたときにどうしているのかというと、まずは本人がそれを依存症と認識し治したいという意志を本当に持っているかどうかを確認します。本人に治す意志がなければ絶対に上手くいかないからです。依存症とは縁のない人からすると、「治す意志がない」ってどういうことか?、と不可解に思うかもしれませんが、実際には治す意志がない、そもそも病気と思っていない人は少なくないのです。
日常の診療で最もよく見かける依存症のひとつ「摂食障害」は「吐いて何が悪いの?」という態度の人がいます(「摂食障害」を依存症に含めるかどうかには議論がありますが私は少なくとも広義には含めるべきだと考えています)。薬物依存症の人のなかには、病気と思っていないどころか優越感さえ覚え自慢気に語るような人すらいます。「こんなに幸せにしてくれるモノを世間の大勢は知らないけど自分は知っている。自分は他人よりも幸せなんだ」と本気で思っているのです。このような人に有効な治療法はありません。性依存も病識のない人が少なくありません。以前も述べましたが日本人の男性の何パーセントかは性フーゾクへの敷居が低いのです。
本人に依存症の自覚があり「治したい」という意志を持っている場合は、それが治療可能なものであれば精神科の専門外来を紹介することがあります。アルコール依存であれば必ずしも有効ではないものの抗酒薬がありますし、摂食障害を診てくれるところもあります(ただし、精神科によっては初めから「摂食障害はお断り」というところもありますし、診てくれると聞いていたのに受診すると門前払いされたと嘆く患者さんもいます)。薬物依存については診てもらえるところがないわけではありませんが、必ずしも上手くいくわけではありません。
精神科で診てもらえそうにないとき、または本人が精神科受診を嫌がる場合は、私自身は「自助グループ」を紹介するようにしています。自助グループというのは、同じ問題(依存症)を抱えている人たちが集まったグループで、苦しみや悩みを共有することによって困難を乗り越えていくことを目指しています。
自助グループの歴史は1930年代のアメリカから始まっています。アルコール依存症の人たちが集まり悩みや苦しみを共有しあうことで依存症を克服する人がでてきました。克服に成功した人がこういった活動を広げていくようになり、日本を含む多くの国でいくつもの団体が誕生しました。当初はアルコール依存だけでしたが、薬物、ギャンブル、性など、現在では多くの依存症の人たちが利用するようになってきています。
この世界では「AA」という言い方をよくしますが、これは「Alcoholics Anonymous」のことで直訳すると「匿名のアルコール依存者」となります(注1)。つまり、グループに参加するときは匿名でOKというのがひとつの特徴です。
さて、依存症の悩みを打ち明けてくれた患者さんに私は自助グループに参加することをすすめているのですが、私自身はそういったグループに参加したことはありません。実態を知らないのに患者さんに参加を勧めるのは無責任ではないのか・・・、というのは何年も感じていることなのですが、当事者でないと参加できない集いに入れてもらうことはできません。
しかし、です。ある有名な団体が公開セミナーをおこなっていることを知り、先日参加してきました。このセミナーは主に依存症の当事者を対象としていますが、その家族や支援者なども参加が許されており、私は医師であることを伝え許可を得た上でこのセミナーに参加させてもらいました。
感想は・・・、驚いたというか、これなら依存症を克服できる!と感じました。次回はなぜ私がそのように感じたかを述べたいと思います。
注1:AAの日本のサイトとアメリカのサイトを記しておきます。
http://aajapan.org/
http://old2.aa.org/
参考:『GINAと共に』
第97回(2014年7月)「これからの「大麻」の話をしよう」
第89回(2013年11月)「性依存症という病」
第106回 LGBTに対する日米の動き 2015年4月号
このコラム『GINAと共に』第102回(2014年12月)で「2015年はLGBTが一気にメジャーに」というタイトルで、私は、LGBTに対する差別が解消される方向に社会が向かうのではないか、という予測をたてました。
少々楽観的な予測ではありますが、日本でも欧米社会のように社会的地位のある人がLGBTであることをカムアウトしたり、同性カップルに法律上の夫婦と同じ権利を与える企業や自治体が増えたりすることを期待しています。
最近、具体的に起こったことをみていきたいと思います。まずは日本からです。
2015年3月31日、東京都渋谷区の区議会本会議で、同性カップルを結婚に相当する関係と認め<パートナー>として証明書を発行する条例が賛成多数で可決され、4月1日から施行されました。これは全国で初の条例です。
実際に証明書が発行され用いられるようになるには夏頃まで待たなければならないようですが、これにより、例えばアパートの保証人になれないとか、手術の同意書にサインできない、といった問題は解消されることが予想されます。家族向けの区営住宅にも入居できるようになるはずです。条例には、趣旨に反する行為があり、さらに是正勧告にも従わない企業などがあれば事業所名を公表するということも盛り込まれています。
ただし、証明書発行の対象となるのは、区内在住の20歳以上の同性カップルに限られますから、どちらかが未成年であれば証明書は発行されません。また、互いに後見人となる公正証書を作成していることも条件とされています。二人の関係がブレイクアップした場合は、その証明書も取り消されることになります。
今後このような条例が全国で広がるだろうという予測を立てたいのですが、ひとつ気になることがあります。それは区議会の採決で出席者合計31人のうち、10人が反対したということです。自民党及び保守系の無所属の議員が反対したそうですが、この理由は何なのでしょうか。
LGBTの人たちが、反対する議員や反対する議員の家族に迷惑をかけたわけではないでしょうし、証明書の発行が渋谷区民を困らせるわけでもありません。たしかに、世界では同性愛に反対する国も多く、なかには同性愛者というだけで終身刑や死刑が求刑される国もあります。
2012年11月7日、オバマ大統領が再選時のスピーチで「ゲイでもストレートでも・・」という発言をしてから、米国では加速度的にLGBTを擁護する声が強くなってきているように私は感じています。(このスピーチは、私個人としては「歴史に残るスピーチ」だと思っています。おそらくyoutubeなどでも見ることができると思いますので興味のある人は是非聞いてみて下さい)
米国ではアップル社のCEO(最高経営責任者)であるティム・クック氏が自らがゲイであることを公表し、多くの企業がLGBTに向けたメッセージを打ち出し、なかにはLGBT用のプランを用意する企業もでてきました。
2015年に入ってもこの傾向は止まらず、オバマ大統領は2015年4月8日、同性愛者を異性愛者に転向するよう仕向ける心理療法が有害でありやめなければならないという方針を明らかにしました(注1)。事実上同性婚が認められるようになった米国でまだこのような心理療法がおこなわれているということに驚かされますが、(後で述べるように)実は米国では一部の層が頑なにLGBTの存在に反対しています。
オバマ大統領がこのように治療方針の有害性を公式に発表したのには理由があります。それは、2014年12月、同性愛から異性愛へ転向するような心理療法を親に強制された17歳の若者が自殺をするという事件があったからです。このような悲劇を繰り返すことがないよう、オバマ大統領は医学領域にまで踏み込んだ発言をおこなったのでしょう。
では、同性愛を法で禁じる国があり、(アメリカのように)同性愛を認めている国にもLGBTの存在を認めない人がいるのはなぜなのでしょうか。最も大きな理由は<宗教>です。世界三大宗教の2つであるイスラム教とキリスト教では同性愛を認めていません。ですから敬虔な信者であればあるほど、同性愛を認めることができないのです。しかし北米のみならず、ヨーロッパの多くの国や南アフリカ共和国、南米の一部の国々など、国の宗教がキリスト教で同性婚が認められている国も多数あります。厳密に言えば宗教の教えに反することになるかもしれませんが、現実的に柔軟性を持たせて対処しているわけです。
しかしながら、どうしても宗教の教えから逃れられない人もいます。そしてこれを逆手にとって、同性婚を認める動きにカウンターアタックを始めた州があります。
米国インディアナ州では、「行政が個人の<信仰の自由>を脅かすことはできない」という理由で州議会の賛成多数を得、2015年3月26日、同州のペンス知事が署名をおこない「宗教の自由回復法」が成立しました。<信仰の自由>と言えば聞こえがいいですが、「キリスト教徒は同性愛を認めない」という自分たちの主張を正当化したいがための法律にすぎません。
米国の中部から南部は保守層が多く、アーカンサス州でも同様の法律が可決され、さらに他の州でも検討されているようです。
しかし、このような「時代錯誤」の法律に世論は黙っていません。インディアナ州での法案成立後、全米で反対するムーブメントが起こりました。アップル社のCEOティム・クック氏も直ちにこの法律に反対する意見をワシントンポスト紙に寄稿しました(注2)。マイクロソフトやウォルマートといった大企業もこの法律に反対を表明しています。
この動きを受けて、いったん署名したインディアナ州のペンス知事は州議会に対して法律の内容を再検討するよう要求しました。アーカンサス州のハッチンソン知事は、可決された内容の法案には署名できないと発表しました。結局、これら2つの州では、「法律を理由とした差別は認められない」といった内容を盛り込んだ修正案を州議会が可決し、両知事が署名するというすっきりしないかたちとなりました。
翻って日本はどうでしょう。日本の政治家で敬虔なイスラム教徒やキリスト教徒はほとんどいないでしょう。それに日本は政教分離が一応は憲法20条で定められていますから、表だって宗教的理由で同性のパートナーシップを反対することはできないはずです。
同性愛に反対する議員や知識人がよくいうセリフに「社会の同意を得られていない」「社会秩序が乱れる可能性がある」というものがありますが、こういう屁理屈を理論的に説明できる人はいません。
LGBTというだけで社会的な不利益を被っている人が実際に存在することの方がよほど「社会秩序が乱れている」わけで、本気で渋谷区の試みが社会秩序を乱すなどと思っている議員がいるとすれば、単なる"幻想"に振り回されているだけです。
社会の困っている人を救うのが議員の仕事のはずです。根拠のない"幻想"に囚われるのではなく、目の前の「困っている人たち」を助けることを考えてもらいたいものです。
このような議員の人たちは気付いていないでしょうが、彼(女)らと同じ職場にもLGBTの人たちはいるはずですし、自分の子供が、あるいは自分の親がLGBTである可能性だってなくはありません。先日報道された中国の調査では中国には同性愛者だけれども妻のいる男性が1,600万人いるという結果が報じられました(注3)。中国の人口は日本のおよそ11倍ですから、単純計算すると、日本にも150万人近くの同性愛者の男性が結婚しており、日本の150万人の女性が同性愛の男性と結婚していることになります。そのうちのほとんどがセックスレスであり、いくらかは虐待を受けている可能性もあります。
LGBTの問題を考えるときに、一番大事なのは「自分の周りにも多くのLGBTの人たちがいて自分は気付いていないだけ」ということです。このことを政治家の先生方によく考えていただきたいのと同時に、我々市民もこのことを忘れてはいけません。
注1:この記事のタイトルは「Obama's move to ban gay conversion therapy, explained」で、下記URLで読むことができます。
http://www.washingtonpost.com/blogs/the-fix/wp/2015/04/09/obamas-move-to-ban-gay-conversion-therapy-explained/
注2:この寄稿のタイトルは「Tim Cook: Pro-discrimination 'religious freedom' laws are dangerous」で、下記URLで読むことができます。
http://www.washingtonpost.com/opinions/pro-discrimination-religious-freedom-laws-are-dangerous-to-america/2015/03/29/bdb4ce9e-d66d-11e4-ba28-f2a685dc7f89_story.html
注3:これは『CHINA DAILY USA』に掲載されています。記事のタイトルは「Survey: Women who marry gay men suffer abuse」で、下記URLで読むことができます。
http://usa.chinadaily.com.cn/china/2015-04/18/content_20464630.htm
参考:GINAと共に第102回(2014年12月)「2015年はLGBTが一気にメジャーに」
少々楽観的な予測ではありますが、日本でも欧米社会のように社会的地位のある人がLGBTであることをカムアウトしたり、同性カップルに法律上の夫婦と同じ権利を与える企業や自治体が増えたりすることを期待しています。
最近、具体的に起こったことをみていきたいと思います。まずは日本からです。
2015年3月31日、東京都渋谷区の区議会本会議で、同性カップルを結婚に相当する関係と認め<パートナー>として証明書を発行する条例が賛成多数で可決され、4月1日から施行されました。これは全国で初の条例です。
実際に証明書が発行され用いられるようになるには夏頃まで待たなければならないようですが、これにより、例えばアパートの保証人になれないとか、手術の同意書にサインできない、といった問題は解消されることが予想されます。家族向けの区営住宅にも入居できるようになるはずです。条例には、趣旨に反する行為があり、さらに是正勧告にも従わない企業などがあれば事業所名を公表するということも盛り込まれています。
ただし、証明書発行の対象となるのは、区内在住の20歳以上の同性カップルに限られますから、どちらかが未成年であれば証明書は発行されません。また、互いに後見人となる公正証書を作成していることも条件とされています。二人の関係がブレイクアップした場合は、その証明書も取り消されることになります。
今後このような条例が全国で広がるだろうという予測を立てたいのですが、ひとつ気になることがあります。それは区議会の採決で出席者合計31人のうち、10人が反対したということです。自民党及び保守系の無所属の議員が反対したそうですが、この理由は何なのでしょうか。
LGBTの人たちが、反対する議員や反対する議員の家族に迷惑をかけたわけではないでしょうし、証明書の発行が渋谷区民を困らせるわけでもありません。たしかに、世界では同性愛に反対する国も多く、なかには同性愛者というだけで終身刑や死刑が求刑される国もあります。
2012年11月7日、オバマ大統領が再選時のスピーチで「ゲイでもストレートでも・・」という発言をしてから、米国では加速度的にLGBTを擁護する声が強くなってきているように私は感じています。(このスピーチは、私個人としては「歴史に残るスピーチ」だと思っています。おそらくyoutubeなどでも見ることができると思いますので興味のある人は是非聞いてみて下さい)
米国ではアップル社のCEO(最高経営責任者)であるティム・クック氏が自らがゲイであることを公表し、多くの企業がLGBTに向けたメッセージを打ち出し、なかにはLGBT用のプランを用意する企業もでてきました。
2015年に入ってもこの傾向は止まらず、オバマ大統領は2015年4月8日、同性愛者を異性愛者に転向するよう仕向ける心理療法が有害でありやめなければならないという方針を明らかにしました(注1)。事実上同性婚が認められるようになった米国でまだこのような心理療法がおこなわれているということに驚かされますが、(後で述べるように)実は米国では一部の層が頑なにLGBTの存在に反対しています。
オバマ大統領がこのように治療方針の有害性を公式に発表したのには理由があります。それは、2014年12月、同性愛から異性愛へ転向するような心理療法を親に強制された17歳の若者が自殺をするという事件があったからです。このような悲劇を繰り返すことがないよう、オバマ大統領は医学領域にまで踏み込んだ発言をおこなったのでしょう。
では、同性愛を法で禁じる国があり、(アメリカのように)同性愛を認めている国にもLGBTの存在を認めない人がいるのはなぜなのでしょうか。最も大きな理由は<宗教>です。世界三大宗教の2つであるイスラム教とキリスト教では同性愛を認めていません。ですから敬虔な信者であればあるほど、同性愛を認めることができないのです。しかし北米のみならず、ヨーロッパの多くの国や南アフリカ共和国、南米の一部の国々など、国の宗教がキリスト教で同性婚が認められている国も多数あります。厳密に言えば宗教の教えに反することになるかもしれませんが、現実的に柔軟性を持たせて対処しているわけです。
しかしながら、どうしても宗教の教えから逃れられない人もいます。そしてこれを逆手にとって、同性婚を認める動きにカウンターアタックを始めた州があります。
米国インディアナ州では、「行政が個人の<信仰の自由>を脅かすことはできない」という理由で州議会の賛成多数を得、2015年3月26日、同州のペンス知事が署名をおこない「宗教の自由回復法」が成立しました。<信仰の自由>と言えば聞こえがいいですが、「キリスト教徒は同性愛を認めない」という自分たちの主張を正当化したいがための法律にすぎません。
米国の中部から南部は保守層が多く、アーカンサス州でも同様の法律が可決され、さらに他の州でも検討されているようです。
しかし、このような「時代錯誤」の法律に世論は黙っていません。インディアナ州での法案成立後、全米で反対するムーブメントが起こりました。アップル社のCEOティム・クック氏も直ちにこの法律に反対する意見をワシントンポスト紙に寄稿しました(注2)。マイクロソフトやウォルマートといった大企業もこの法律に反対を表明しています。
この動きを受けて、いったん署名したインディアナ州のペンス知事は州議会に対して法律の内容を再検討するよう要求しました。アーカンサス州のハッチンソン知事は、可決された内容の法案には署名できないと発表しました。結局、これら2つの州では、「法律を理由とした差別は認められない」といった内容を盛り込んだ修正案を州議会が可決し、両知事が署名するというすっきりしないかたちとなりました。
翻って日本はどうでしょう。日本の政治家で敬虔なイスラム教徒やキリスト教徒はほとんどいないでしょう。それに日本は政教分離が一応は憲法20条で定められていますから、表だって宗教的理由で同性のパートナーシップを反対することはできないはずです。
同性愛に反対する議員や知識人がよくいうセリフに「社会の同意を得られていない」「社会秩序が乱れる可能性がある」というものがありますが、こういう屁理屈を理論的に説明できる人はいません。
LGBTというだけで社会的な不利益を被っている人が実際に存在することの方がよほど「社会秩序が乱れている」わけで、本気で渋谷区の試みが社会秩序を乱すなどと思っている議員がいるとすれば、単なる"幻想"に振り回されているだけです。
社会の困っている人を救うのが議員の仕事のはずです。根拠のない"幻想"に囚われるのではなく、目の前の「困っている人たち」を助けることを考えてもらいたいものです。
このような議員の人たちは気付いていないでしょうが、彼(女)らと同じ職場にもLGBTの人たちはいるはずですし、自分の子供が、あるいは自分の親がLGBTである可能性だってなくはありません。先日報道された中国の調査では中国には同性愛者だけれども妻のいる男性が1,600万人いるという結果が報じられました(注3)。中国の人口は日本のおよそ11倍ですから、単純計算すると、日本にも150万人近くの同性愛者の男性が結婚しており、日本の150万人の女性が同性愛の男性と結婚していることになります。そのうちのほとんどがセックスレスであり、いくらかは虐待を受けている可能性もあります。
LGBTの問題を考えるときに、一番大事なのは「自分の周りにも多くのLGBTの人たちがいて自分は気付いていないだけ」ということです。このことを政治家の先生方によく考えていただきたいのと同時に、我々市民もこのことを忘れてはいけません。
注1:この記事のタイトルは「Obama's move to ban gay conversion therapy, explained」で、下記URLで読むことができます。
http://www.washingtonpost.com/blogs/the-fix/wp/2015/04/09/obamas-move-to-ban-gay-conversion-therapy-explained/
注2:この寄稿のタイトルは「Tim Cook: Pro-discrimination 'religious freedom' laws are dangerous」で、下記URLで読むことができます。
http://www.washingtonpost.com/opinions/pro-discrimination-religious-freedom-laws-are-dangerous-to-america/2015/03/29/bdb4ce9e-d66d-11e4-ba28-f2a685dc7f89_story.html
注3:これは『CHINA DAILY USA』に掲載されています。記事のタイトルは「Survey: Women who marry gay men suffer abuse」で、下記URLで読むことができます。
http://usa.chinadaily.com.cn/china/2015-04/18/content_20464630.htm
参考:GINAと共に第102回(2014年12月)「2015年はLGBTが一気にメジャーに」
第105回 ポリティカル・コレクトネスのつまらなさ 2015年3月号
2015年2月11日の産経新聞に掲載された曽野綾子さんのコラムが大変な物議をかもし国際問題にまで発展しました。
黒人を差別するのか!という怒りの声がネット上にあふれていますが、私はこのような意見を目にする度に辟易します。こういった"正論"を振りかざす人たちに一言いってやりたいのですが、まずはなぜこのような問題にまで発展したのか経過を振り返ってみたいと思います。
曽野さんのコラムは、日本の高齢者の介護のために外国人を受け入れる必要がある、というところから始まっています。現在、フィリピンやインドネシアから日本で介護の仕事をするために来日して研修を受けている人はいますが、語学の問題もあり資格を取得するのがむつかしいのが現状です。曽野さんはそういったバリアを取り除かなければならない、と主張されています。
一方後半では、仕事は外国人と一緒にすべきだが外国人と一緒に住むのは困難であることを自身の体験から話されています。この部分が問題になっているので、少し長くなりますが省略せずに紹介したいと思います。
************
南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、1戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げだし、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」
************
これが後に国際問題にまで発展し、『Japan Times』や『New York Times』は黒人の居住地をわけろというのはアパルトヘイトではないかと問題提起をしました。その後、日本の(左寄りの)マスコミはこれに便乗し「黒人差別」と言いだしました。すると、やはり左寄りのネットユーザーたちが騒ぎ出し曽野さんを糾弾しはじめたのです。
ここまで騒ぎが大きくなれば、南アフリカ共和国の大使館は放っておくわけにはいきません。曽野さんが大使館を訪問し説明することになったそうです。一部で誤解されているようですが、これは曽野さんが謝罪に行くことを強要されたわけではなく、大使の方から曽野さんに会いに伺いたいという申し入れがあったそうです。
曽野さんはその申し入れを「それはいけません。大使閣下はそのお国を代表していらっしゃるのですから、私が参上するのが礼儀です」と言って自身から大使館を訪問されています(注1)。
南ア大使と曽野さんが話をするとすぐに誤解は解けたようです。これは私の推測ですが、南アの大使は、曽野さんがどのような人物であり、これまでどれほど南アを含むアフリカ諸国に貢献されてきたのかを知っていたに違いありません。ですから大使は初めから曽野さんに苦情を言うつもりなど一切なかったはずです。ただ、国内外のマスコミが騒ぎ出し収拾が付かなくなったために、話をしておく方がいいと考えた、あるいはこの機会を利用してこれまで南アにも貢献されている曽野さんにお礼が言いたかったのではないでしょうか。
曽野さんは、南アの大使との話し合いについて下記のように述べています(注2)。
*************
大使は実に見事な女性で、私と友情を築いてくださった。私は遠慮して、もしお望みなら「南アのことは以後書かないようにいたします」とも申し上げたのだが、南アのことは今後も書いて欲しい、とお手紙までくださった。
*************
曽野さんのアフリカでの活躍はここで述べるときりがありませんので省略しますが、南アのエイズホスピスにも多大なる貢献をされています。このホスピスに霊安室を建てられたのも曽野さんの功績です。
エイズ関連の活動をしているグループからも、マスコミの報道に便乗し曽野さんをバッシングする意見が出ており、私は大変残念に思いました。彼(女)らは曽野さんの南アのエイズに対する貢献を知っているのでしょうか。
若い学生の団体が、曽野さんのコラムを読んで「黒人差別だ!」と感じるのは自由ですし、意見を言えばいいと思います。しかし、反対意見を述べるなら、将来是非とも外国人との共存を体験すべきです。
という私自身も黒人と居住地を共にしたことはありません。しかし、同じような体験をタイでしたことがあり、私が曽野さんのコラムを読んだときにそのときのことを思い出しました。
あれはたしか2004年。私が定期的にタイのエイズ施設を訪問していた頃のことです。バンコクで仲良くなったタイ人の夫婦がいて、親戚が田舎から来てパーティをするから参加しないか、と誘われたのです。タイ人は男性でも女性でも少し仲良くなるとすぐに、親を紹介したい、親戚と一緒にご飯を食べよう、泊まりに来い、などと言ってきます。このような国民性に私はとても好感をもっていて、この夫婦に誘われたときも二つ返事で「伺います」と答えました。
その夫婦の住む地域は、スラム街とまではいいませんが、明らかに貧困層が住むエリアで、バンコク人ではなく東北地方(イサーン地方)から出稼ぎに来た人たちが大勢住んでいるところです。
お世辞にもきれいとはいえないアパートの2階にその夫婦の部屋はありました。階段で2階にあがって驚いたのが「やかましさ」です。このようなアパートでクーラーをもっている世帯はまずありませんから、暑さをしのぐためにどの部屋も扉を開けています。どこの部屋からも大声や笑い声が聞こえてきます。日本ではこのような光景はちょっと想像できません。
夫婦の部屋を訪れて驚いたのは人の多さです。6畳ほどのワンルームに、下は1歳くらいの赤ちゃんから上は70代くらいの高齢者まで合計10人が騒いでいるのです。私が顔を見せると「よく来た、よく来た」と言って歓迎してくれるのは嬉しいのですが、座る場所もありません。それに、たしかに床は丁寧に拭いてあるのですが、毛布や枕などはきれいには見えません。
「ご飯食べたか?(ギンカーオ・ルヤン・カー?)」と聞かれて「まだです(ヤンマイギン・クラップ)」と答えると、「食べろ食べろ」と言って食事を出してくれるのですが、アリの卵、いろんな昆虫が混ざった素揚げ、腐敗臭にしか感じられないソムタム(パパイヤサラダ)など、イサーン料理のオンパレードです。
「ソムタム」と言えばタイ料理を代表するパパイヤサラダですが、これは主にバンコク人の食べるもので正確には「ソムタム・タイ」と言います。一方、イサーン人の食べる「ソムタム・プララ」や「ソムタム・プー」というのは発酵させた魚やサワガニが入っていて、日本人からすれば発酵ではなく腐敗臭にしか感じられません。しかし、この体験も含めて何度かイサーン人と行動を共にしたおかげで、私は今ではほとんどのイサーン料理が食べられるようになりました。
話を戻しましょう。苦労したのは食事だけではありません。この部屋には台所というものがありません。水道はトイレの便器の横にひとつあるだけです。ではどうやって調理をするのかというとその便器の横の水道で水をくむのです。タイでは水道水は飲めませんからペットボトルの水を使いますが、食器を洗うのも、トイレをした後にお尻を洗うのも、その後手を洗うのも、入浴(「水浴び」といった方が正確ですが)もすべてその1つの水道でおこなわなければなりません。この部屋には私をいれて11人がいるのです。11人全員がトイレでお尻を洗うのも手を洗うのも、身体や頭を洗うのもすべてその1本の水道で済まさねばならず、食器の洗浄も、もちろん衣服の洗濯も、その1つの水道だけが頼りなのです。
「遠慮するな、泊まっていけ」と皆が言いますが、この部屋で私はどうやって眠ればいいのでしょう。しかし、外国人の私はスペシャルゲストのようで一番いい毛布を渡してくれました・・・。
この家族は比較的早く全員が寝ましたが、アパートの住民のなかには朝まで騒いでいた者も大勢いたようで、いい睡眠がとれたとはとても言えませんでした・・・。
翌朝私は何度も礼を言い、その部屋を出るときには「またいつでも泊まりに来てね」と言われました。私はその後もその夫婦にバンコクで何度か会っていて、今もときどき連絡をとりますが、あの部屋にもう一度行こうとは思いません・・・。
黒人と一緒に住むことはできないだと! それは黒人差別じゃないか! そんな発言はけしからん! ・・・! たしかにこういう意見は間違ってはいないでしょう。政治的には"正しい"からです。「ポリティカル・コレクトネス」というやつです。
いくら正しくても、私はポリティカル・コレクトネスにはうんざりします・・・。
注1注2:『新潮45』2015年4月号に掲載されている曽野綾子さんのコラム「人間関係愚痴話」(第47回)に詳しく書かれています。
黒人を差別するのか!という怒りの声がネット上にあふれていますが、私はこのような意見を目にする度に辟易します。こういった"正論"を振りかざす人たちに一言いってやりたいのですが、まずはなぜこのような問題にまで発展したのか経過を振り返ってみたいと思います。
曽野さんのコラムは、日本の高齢者の介護のために外国人を受け入れる必要がある、というところから始まっています。現在、フィリピンやインドネシアから日本で介護の仕事をするために来日して研修を受けている人はいますが、語学の問題もあり資格を取得するのがむつかしいのが現状です。曽野さんはそういったバリアを取り除かなければならない、と主張されています。
一方後半では、仕事は外国人と一緒にすべきだが外国人と一緒に住むのは困難であることを自身の体験から話されています。この部分が問題になっているので、少し長くなりますが省略せずに紹介したいと思います。
************
南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、1戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げだし、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」
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これが後に国際問題にまで発展し、『Japan Times』や『New York Times』は黒人の居住地をわけろというのはアパルトヘイトではないかと問題提起をしました。その後、日本の(左寄りの)マスコミはこれに便乗し「黒人差別」と言いだしました。すると、やはり左寄りのネットユーザーたちが騒ぎ出し曽野さんを糾弾しはじめたのです。
ここまで騒ぎが大きくなれば、南アフリカ共和国の大使館は放っておくわけにはいきません。曽野さんが大使館を訪問し説明することになったそうです。一部で誤解されているようですが、これは曽野さんが謝罪に行くことを強要されたわけではなく、大使の方から曽野さんに会いに伺いたいという申し入れがあったそうです。
曽野さんはその申し入れを「それはいけません。大使閣下はそのお国を代表していらっしゃるのですから、私が参上するのが礼儀です」と言って自身から大使館を訪問されています(注1)。
南ア大使と曽野さんが話をするとすぐに誤解は解けたようです。これは私の推測ですが、南アの大使は、曽野さんがどのような人物であり、これまでどれほど南アを含むアフリカ諸国に貢献されてきたのかを知っていたに違いありません。ですから大使は初めから曽野さんに苦情を言うつもりなど一切なかったはずです。ただ、国内外のマスコミが騒ぎ出し収拾が付かなくなったために、話をしておく方がいいと考えた、あるいはこの機会を利用してこれまで南アにも貢献されている曽野さんにお礼が言いたかったのではないでしょうか。
曽野さんは、南アの大使との話し合いについて下記のように述べています(注2)。
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大使は実に見事な女性で、私と友情を築いてくださった。私は遠慮して、もしお望みなら「南アのことは以後書かないようにいたします」とも申し上げたのだが、南アのことは今後も書いて欲しい、とお手紙までくださった。
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曽野さんのアフリカでの活躍はここで述べるときりがありませんので省略しますが、南アのエイズホスピスにも多大なる貢献をされています。このホスピスに霊安室を建てられたのも曽野さんの功績です。
エイズ関連の活動をしているグループからも、マスコミの報道に便乗し曽野さんをバッシングする意見が出ており、私は大変残念に思いました。彼(女)らは曽野さんの南アのエイズに対する貢献を知っているのでしょうか。
若い学生の団体が、曽野さんのコラムを読んで「黒人差別だ!」と感じるのは自由ですし、意見を言えばいいと思います。しかし、反対意見を述べるなら、将来是非とも外国人との共存を体験すべきです。
という私自身も黒人と居住地を共にしたことはありません。しかし、同じような体験をタイでしたことがあり、私が曽野さんのコラムを読んだときにそのときのことを思い出しました。
あれはたしか2004年。私が定期的にタイのエイズ施設を訪問していた頃のことです。バンコクで仲良くなったタイ人の夫婦がいて、親戚が田舎から来てパーティをするから参加しないか、と誘われたのです。タイ人は男性でも女性でも少し仲良くなるとすぐに、親を紹介したい、親戚と一緒にご飯を食べよう、泊まりに来い、などと言ってきます。このような国民性に私はとても好感をもっていて、この夫婦に誘われたときも二つ返事で「伺います」と答えました。
その夫婦の住む地域は、スラム街とまではいいませんが、明らかに貧困層が住むエリアで、バンコク人ではなく東北地方(イサーン地方)から出稼ぎに来た人たちが大勢住んでいるところです。
お世辞にもきれいとはいえないアパートの2階にその夫婦の部屋はありました。階段で2階にあがって驚いたのが「やかましさ」です。このようなアパートでクーラーをもっている世帯はまずありませんから、暑さをしのぐためにどの部屋も扉を開けています。どこの部屋からも大声や笑い声が聞こえてきます。日本ではこのような光景はちょっと想像できません。
夫婦の部屋を訪れて驚いたのは人の多さです。6畳ほどのワンルームに、下は1歳くらいの赤ちゃんから上は70代くらいの高齢者まで合計10人が騒いでいるのです。私が顔を見せると「よく来た、よく来た」と言って歓迎してくれるのは嬉しいのですが、座る場所もありません。それに、たしかに床は丁寧に拭いてあるのですが、毛布や枕などはきれいには見えません。
「ご飯食べたか?(ギンカーオ・ルヤン・カー?)」と聞かれて「まだです(ヤンマイギン・クラップ)」と答えると、「食べろ食べろ」と言って食事を出してくれるのですが、アリの卵、いろんな昆虫が混ざった素揚げ、腐敗臭にしか感じられないソムタム(パパイヤサラダ)など、イサーン料理のオンパレードです。
「ソムタム」と言えばタイ料理を代表するパパイヤサラダですが、これは主にバンコク人の食べるもので正確には「ソムタム・タイ」と言います。一方、イサーン人の食べる「ソムタム・プララ」や「ソムタム・プー」というのは発酵させた魚やサワガニが入っていて、日本人からすれば発酵ではなく腐敗臭にしか感じられません。しかし、この体験も含めて何度かイサーン人と行動を共にしたおかげで、私は今ではほとんどのイサーン料理が食べられるようになりました。
話を戻しましょう。苦労したのは食事だけではありません。この部屋には台所というものがありません。水道はトイレの便器の横にひとつあるだけです。ではどうやって調理をするのかというとその便器の横の水道で水をくむのです。タイでは水道水は飲めませんからペットボトルの水を使いますが、食器を洗うのも、トイレをした後にお尻を洗うのも、その後手を洗うのも、入浴(「水浴び」といった方が正確ですが)もすべてその1つの水道でおこなわなければなりません。この部屋には私をいれて11人がいるのです。11人全員がトイレでお尻を洗うのも手を洗うのも、身体や頭を洗うのもすべてその1本の水道で済まさねばならず、食器の洗浄も、もちろん衣服の洗濯も、その1つの水道だけが頼りなのです。
「遠慮するな、泊まっていけ」と皆が言いますが、この部屋で私はどうやって眠ればいいのでしょう。しかし、外国人の私はスペシャルゲストのようで一番いい毛布を渡してくれました・・・。
この家族は比較的早く全員が寝ましたが、アパートの住民のなかには朝まで騒いでいた者も大勢いたようで、いい睡眠がとれたとはとても言えませんでした・・・。
翌朝私は何度も礼を言い、その部屋を出るときには「またいつでも泊まりに来てね」と言われました。私はその後もその夫婦にバンコクで何度か会っていて、今もときどき連絡をとりますが、あの部屋にもう一度行こうとは思いません・・・。
黒人と一緒に住むことはできないだと! それは黒人差別じゃないか! そんな発言はけしからん! ・・・! たしかにこういう意見は間違ってはいないでしょう。政治的には"正しい"からです。「ポリティカル・コレクトネス」というやつです。
いくら正しくても、私はポリティカル・コレクトネスにはうんざりします・・・。
注1注2:『新潮45』2015年4月号に掲載されている曽野綾子さんのコラム「人間関係愚痴話」(第47回)に詳しく書かれています。
第104回 それでも危険地域に行かねばならない理由 2015年2月号
2015年1月、「イスラム国」と呼ばれるテロ組織に捉えられた日本人二人が殺害され、専門家から一般のネットユーザまでが様々な意見を述べているようです。
二人の日本人のうち、先に拘束された湯川氏に対しては同情的な意見はあまり聞こえてきませんが、ジャーナリストの後藤健二氏が殺害されたときには、氏を悼む声が日本中から上がりました。
私自身は後藤氏とは面識がありませんが、報道を聞いて「悼みたい」という気持ちが出てきましたし、全国から氏の行動を讃える声が大勢寄せられているという報道を聞いて安心した気持ちになりました。
今回の事件、つまりテロ集団に日本人2名が捉えられたことが報道されたとき、私は2004年にイラクで拘束された日本人女性との対比がなされるに違いないと思っていました。その女性、ここからはT氏としましょう、そのT氏が日本全国から激しいバッシングにあったことは多くの人の記憶に残っているはずです。しかし、今回なぜかほとんどのマスコミはT氏のことを取り上げていません。
当時、T氏は政府からもマスコミからも一般人からも強烈なバッシングをあびました。退避勧告が出ていたにもかかわらず"勝手に"イラクにおしかけて"勝手に"捉えられて、税金を使って救出することなど許されない、という世論が大半だったのです。
このときに「自己責任」という言葉が何度も登場しました。私はこの点に異論があるのですが、このT氏の事件がややこしいのは、T氏の家族が記者会見で自衛隊派遣反対とか憲法9条を守るべきといった、T氏の拘束に何ら関係のないことを主張したことや、T氏自身が10代の男の子限定で支援をしていたことなどが(この真偽は分りません)報道されたからです。
しかし、これらの要因を切り離して改めて考え直してみても、「自己責任」という大義名分で凄まじいバッシングがあったのは事実です。T氏の話を元につくられた映画が2006年に公開された小林政広監督の『バッシング』です。映画ではT氏をモデルとした主人公の女性の父親が世間のバッシングに耐えきれずに自殺にまで追い込まれます。
「自己責任」と言えるかどうかの根拠を「退避勧告」が出ていたかどうかとする、という考えがあります。T氏の場合は退避勧告を無視してイラクに入ったわけですが、では、退避勧告が出ていなかったとしたら、あるいは退避勧告が出ていたことを知らなかったとしたら世間はどのような見方をするのでしょう。
これをテーマにしたのが水谷豊さん主演の2008年の映画『相棒・劇場版』です。ある日本人の青年が退避勧告を無視してボランティア活動のために危険地域に入りテロ集団に殺害され、それがきっかけで、後に複数の殺人事件が起こるというストーリーですが、実は退避勧告はそのときには出ていなかったことがラストシーンで判明します。この映画では、まさに「退避勧告の有無」がストーリーの鍵になっています。
けれども、退避勧告の有無というのは、そんなにも絶対的なものでしょうか。この映画は大変完成度が高く私は二度も観たくらいです。この映画が名作という感想に変わりはないのですが、しかし退避勧告をあたかも金科玉条のようにしている構成には少し違和感を覚えます。
私が言いたいのは、「退避勧告を無視して危険地域に入る日本人がいてもいいではないか」、ということです。後藤氏は政府から危険地域に入らないよう再三勧告を受けていたのにもかかわらず湯川氏を救済することを主目的として現地入りしたことが報道されました。
ということは、日本人の多くは、退避勧告を無視して危険地域に入った同国の国民を批判したいわけではない、ということになります。
しかし、です。世の中にはそう思わない人もいるようです。例えば、タレントのD夫人は自身のブログで、「(後藤氏の母親が)自分の息子が日本や、ヨルダン、関係諸国に大・大・大・大迷惑をかけていることを・・・」と表現し、「いっそ(後藤氏に)自決してほしいと言いたい。」と述べています。
D夫人は身体的にも金銭的にも立派に自立なさった方で国に迷惑をかけるようなことはされないのでしょうが、では、すべての日本国民は国に迷惑をかけてはいけないのでしょうか。かけてはいけないのだとしても、それは「大・大・大・大迷惑」と言われなければならないものなのでしょうか。もっと言えば、湯川氏というひとりの同胞を救いに行くことなど考えもせず、現地で困窮している難民のことを直接知ろうとしないD夫人に「大・大・大・大迷惑」などと言う資格はあるのでしょうか。
ある雑誌に一般の読者からの意見が載せられていました。その読者(40代男性)は「(前略)二人は自業自得なのではと思ってしまいます。(中略)この件で日本がテロの対象になるのかと思うと納得いきません」と述べています。
この意見を聞いて寂しい気分になるのは私だけでしょうか。報道によると、後藤氏は湯川氏の救出以外にも、現地で虐げられている女性や子どもを含む難民を報道したいと考えていたそうです。この40代男性がどのような生活をされているのかは分りませんし、様々な苦労を抱えて生きられているのだとは思いますが、日本に住み、雑誌に自分の意見を投稿するくらいですから、その日に帰ることのできる住居があり、その日に食べるものはあるに違いありません。
後藤氏のようなインディペンデントのジャーナリストという職業は世の中に必要であると私は考えています。日本の新聞はどこも同じような内容で本当に正しいことを報道しているのか疑いたくなることがありますし、日本人に直接関係ないことはほとんど伝えません。
しかし、現在中東ではイスラム国というテロ組織により(「イスラム国」と日本の新聞は命名していますが、これは「国」ではなく「テロ組織」です)、その日の住居も食べ物も確保できない難民が多数存在していると言われています。こういった人たちの状態を我々に知らせてくれるのが後藤氏のようなジャーナリストであり、一般のマスコミにはここまでの報道はできません。
私自身は難民について昔から詳しいわけではなく、GINAの関連でタイに渡航したときに、貧困から薬物の売買や売春をせざるを得ない人たちと出会うことになり(少数民族に多いですが、タイの東北部にもこのような人たちは少なくありません)、国籍を持たない人やミャンマーからタイに渡ってきた難民と知り合ったことで、ほんの少しだけ実情が理解できるようになりました。
その実情は、日本の新聞を読んでいるだけでは分らないことばかりです。一般の新聞記者などが入らない地域、つまり自身の安全が脅かされるかもしれない危険な地域の状態を伝えるジャーナリストも必要なのです。そして、そのような危険な状態で困窮にあえいでいる人たちの存在を知ることによって、平和な日本に住んでいる我々が何をすべきかを考えることができるわけです。
今、私が気がかりなのは、亡くなられた二人を悼む声が一時的なもので忘れ去られてしまうのではないかということと、政治家や知識人で二人の行動を支持するようなコメントを発している人が(私の知る限り)それほど多くないことです。
個人的に私は、元JICA理事長の緒方貞子氏が何らかのコメントを発してくれるのではないかと期待しているのですが、今のところ報道はされていません。ちなみに後藤氏の奥さんは元JICA職員で、緒方貞子氏の部下として働かれていたことがあったそうです。
最後に、緒方貞子氏が先に述べたイラク拘束事件の後に話されたコメントを紹介しておきます。
「私も責任者として本当に危険な地域に人を出すことはできない。しかし、多様な人々が存在して、はじめて良い社会となる。危険地域に行かない人もいて当然だし、行く人もいてよい。どんな状況下でも国には救出義務がある。人質になった人々を村八分のように扱って非難した日本人の反応は、国際社会の評価をかなり落としたと思う」(2004年5月25日毎日新聞)
参考:GINAと共に
第43回(2010年1月)「危険地域にボランティアに行くということ」
二人の日本人のうち、先に拘束された湯川氏に対しては同情的な意見はあまり聞こえてきませんが、ジャーナリストの後藤健二氏が殺害されたときには、氏を悼む声が日本中から上がりました。
私自身は後藤氏とは面識がありませんが、報道を聞いて「悼みたい」という気持ちが出てきましたし、全国から氏の行動を讃える声が大勢寄せられているという報道を聞いて安心した気持ちになりました。
今回の事件、つまりテロ集団に日本人2名が捉えられたことが報道されたとき、私は2004年にイラクで拘束された日本人女性との対比がなされるに違いないと思っていました。その女性、ここからはT氏としましょう、そのT氏が日本全国から激しいバッシングにあったことは多くの人の記憶に残っているはずです。しかし、今回なぜかほとんどのマスコミはT氏のことを取り上げていません。
当時、T氏は政府からもマスコミからも一般人からも強烈なバッシングをあびました。退避勧告が出ていたにもかかわらず"勝手に"イラクにおしかけて"勝手に"捉えられて、税金を使って救出することなど許されない、という世論が大半だったのです。
このときに「自己責任」という言葉が何度も登場しました。私はこの点に異論があるのですが、このT氏の事件がややこしいのは、T氏の家族が記者会見で自衛隊派遣反対とか憲法9条を守るべきといった、T氏の拘束に何ら関係のないことを主張したことや、T氏自身が10代の男の子限定で支援をしていたことなどが(この真偽は分りません)報道されたからです。
しかし、これらの要因を切り離して改めて考え直してみても、「自己責任」という大義名分で凄まじいバッシングがあったのは事実です。T氏の話を元につくられた映画が2006年に公開された小林政広監督の『バッシング』です。映画ではT氏をモデルとした主人公の女性の父親が世間のバッシングに耐えきれずに自殺にまで追い込まれます。
「自己責任」と言えるかどうかの根拠を「退避勧告」が出ていたかどうかとする、という考えがあります。T氏の場合は退避勧告を無視してイラクに入ったわけですが、では、退避勧告が出ていなかったとしたら、あるいは退避勧告が出ていたことを知らなかったとしたら世間はどのような見方をするのでしょう。
これをテーマにしたのが水谷豊さん主演の2008年の映画『相棒・劇場版』です。ある日本人の青年が退避勧告を無視してボランティア活動のために危険地域に入りテロ集団に殺害され、それがきっかけで、後に複数の殺人事件が起こるというストーリーですが、実は退避勧告はそのときには出ていなかったことがラストシーンで判明します。この映画では、まさに「退避勧告の有無」がストーリーの鍵になっています。
けれども、退避勧告の有無というのは、そんなにも絶対的なものでしょうか。この映画は大変完成度が高く私は二度も観たくらいです。この映画が名作という感想に変わりはないのですが、しかし退避勧告をあたかも金科玉条のようにしている構成には少し違和感を覚えます。
私が言いたいのは、「退避勧告を無視して危険地域に入る日本人がいてもいいではないか」、ということです。後藤氏は政府から危険地域に入らないよう再三勧告を受けていたのにもかかわらず湯川氏を救済することを主目的として現地入りしたことが報道されました。
ということは、日本人の多くは、退避勧告を無視して危険地域に入った同国の国民を批判したいわけではない、ということになります。
しかし、です。世の中にはそう思わない人もいるようです。例えば、タレントのD夫人は自身のブログで、「(後藤氏の母親が)自分の息子が日本や、ヨルダン、関係諸国に大・大・大・大迷惑をかけていることを・・・」と表現し、「いっそ(後藤氏に)自決してほしいと言いたい。」と述べています。
D夫人は身体的にも金銭的にも立派に自立なさった方で国に迷惑をかけるようなことはされないのでしょうが、では、すべての日本国民は国に迷惑をかけてはいけないのでしょうか。かけてはいけないのだとしても、それは「大・大・大・大迷惑」と言われなければならないものなのでしょうか。もっと言えば、湯川氏というひとりの同胞を救いに行くことなど考えもせず、現地で困窮している難民のことを直接知ろうとしないD夫人に「大・大・大・大迷惑」などと言う資格はあるのでしょうか。
ある雑誌に一般の読者からの意見が載せられていました。その読者(40代男性)は「(前略)二人は自業自得なのではと思ってしまいます。(中略)この件で日本がテロの対象になるのかと思うと納得いきません」と述べています。
この意見を聞いて寂しい気分になるのは私だけでしょうか。報道によると、後藤氏は湯川氏の救出以外にも、現地で虐げられている女性や子どもを含む難民を報道したいと考えていたそうです。この40代男性がどのような生活をされているのかは分りませんし、様々な苦労を抱えて生きられているのだとは思いますが、日本に住み、雑誌に自分の意見を投稿するくらいですから、その日に帰ることのできる住居があり、その日に食べるものはあるに違いありません。
後藤氏のようなインディペンデントのジャーナリストという職業は世の中に必要であると私は考えています。日本の新聞はどこも同じような内容で本当に正しいことを報道しているのか疑いたくなることがありますし、日本人に直接関係ないことはほとんど伝えません。
しかし、現在中東ではイスラム国というテロ組織により(「イスラム国」と日本の新聞は命名していますが、これは「国」ではなく「テロ組織」です)、その日の住居も食べ物も確保できない難民が多数存在していると言われています。こういった人たちの状態を我々に知らせてくれるのが後藤氏のようなジャーナリストであり、一般のマスコミにはここまでの報道はできません。
私自身は難民について昔から詳しいわけではなく、GINAの関連でタイに渡航したときに、貧困から薬物の売買や売春をせざるを得ない人たちと出会うことになり(少数民族に多いですが、タイの東北部にもこのような人たちは少なくありません)、国籍を持たない人やミャンマーからタイに渡ってきた難民と知り合ったことで、ほんの少しだけ実情が理解できるようになりました。
その実情は、日本の新聞を読んでいるだけでは分らないことばかりです。一般の新聞記者などが入らない地域、つまり自身の安全が脅かされるかもしれない危険な地域の状態を伝えるジャーナリストも必要なのです。そして、そのような危険な状態で困窮にあえいでいる人たちの存在を知ることによって、平和な日本に住んでいる我々が何をすべきかを考えることができるわけです。
今、私が気がかりなのは、亡くなられた二人を悼む声が一時的なもので忘れ去られてしまうのではないかということと、政治家や知識人で二人の行動を支持するようなコメントを発している人が(私の知る限り)それほど多くないことです。
個人的に私は、元JICA理事長の緒方貞子氏が何らかのコメントを発してくれるのではないかと期待しているのですが、今のところ報道はされていません。ちなみに後藤氏の奥さんは元JICA職員で、緒方貞子氏の部下として働かれていたことがあったそうです。
最後に、緒方貞子氏が先に述べたイラク拘束事件の後に話されたコメントを紹介しておきます。
「私も責任者として本当に危険な地域に人を出すことはできない。しかし、多様な人々が存在して、はじめて良い社会となる。危険地域に行かない人もいて当然だし、行く人もいてよい。どんな状況下でも国には救出義務がある。人質になった人々を村八分のように扱って非難した日本人の反応は、国際社会の評価をかなり落としたと思う」(2004年5月25日毎日新聞)
参考:GINAと共に
第43回(2010年1月)「危険地域にボランティアに行くということ」
第102回 2015年はLGBTが一気にメジャーに 2014年12月号
2014年を振り返ったとき、これほど同性愛者が差別や偏見から解放される出来事が相次いだ年もなかったのではないかと思えます。
もちろん今も同性愛者が異性愛者と同じような扱いを社会から受けているわけではありませんし、特に社会保障の面では不利益を被っています。しかし、世界的にみて同性愛者への偏見は勢いをましてなくなってきているように思えます。
2014年に同性愛者を差別から解放する決定的な出来事があったとまでは言えないかもしれません。しかし次に挙げることは小さくない出来事だと私は考えています。
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8月14日、米国の地方銀行のCEO(最高経営責任者)であるTrevor Burgess氏が自らがゲイであることをカムアウトしました。『New York Times』が写真入りで報道し、このニュースは世界中に流れました(注1)。
10月6日、米国連邦最高裁は、同性婚を禁じるユタ州などの法律を「無効」とした高裁判決を支持しました。アメリカでは同性婚の合法性について州ごとに異なり、これまでは同性婚を目的に移住する人も少なくなかったのですが、この連邦最高裁の判決で、アメリカでは事実上すべての州で同性婚が認められることになるはずです。
10月30日、アップル社のCEO(最高経営責任者)のティム・クック氏が自らがゲイであることを公表しました。アメリカの米主要500社のトップが同性愛者であることをカムアウトしたのは初めてです。先に紹介したTrevor Burgess氏も銀行のCEOで世界初のカムアウトでしたから世界中で話題になりましたが(なぜか日本ではそれほど報道されませんでしたが・・)、ティム・クック氏のカムアウトはそれ以上に世界に衝撃を与えています。ロイター社が報じた記事のタイトルは「I'm proud to be gay.(ゲイであることを誇りに思う)」です(注2)。
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IT関係に同性愛者が多いことは以前から指摘されていましたが、さすがにアップル社のCEOが自らゲイであることを公表したことには私も驚きました。一部には、これで保守的な層がiPhoneを手放すのではないかという噂もあるようですが、今のところそのような動きはないようです。同性愛に批判的な人や、もっと言えば法律で同性愛を禁じている国の人たちがiPhoneやiPADを使うとき、同性愛がなぜいけないのかを考えてもらいたいと思います。
これら3つの出来事以外にも、任天堂がアメリカで発売した「トモダチライフ」というゲームソフトに「同性婚の設定がない」との批判が殺到し謝罪に追い込まれた、というニュースも注目に値します。
ちなみに私が院長をつとめるクリニック(太融寺町谷口医院)では、2007年に開院したときから、問診票の性別記載欄には「男、女、( )」としていましたが、クリニックのウェブサイトのメール質問のページでは「男性」と「女性」の設定しかできませんでした。この任天堂のニュースを受けてなのかどうかは分かりませんが、改めてウェブサイト作成業者に聞いてみると「その他」の設定も加えられることになったようで、早速変更してもらいました。(ただし「性自認」というのは大変複雑であり、単に「その他」を設ければ解決するというものでもありません)
日本では『チョコレート・ドーナツ』という映画が大ヒットしたことも特筆すべきだと私は思います。同性愛者が主人公の映画でこれほど流行したものを私は思いつきません。この映画はいわゆる「単館系」で比較的小さな劇場でのみの公開でしたが、全国で延長、さらに再上映が相次いで記録的なヒットとなりました。
『チョコレート・ドーナツ』はすべての人に見てもらいたいためにここでストーリーを言及することは避けたいのですが、簡単に述べると、ゲイのカップルが育児を放棄している母親からダウン症の子どもを引き取るものの法律上その男の子を手放さなければならなくなり・・・、というものです。ストーリーのみならず、主役のゲイの男性(実生活でもゲイだそうです)とダウン症の男の子の演技が最高で、これほどの映画はめったにないと思います。
2014年にはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)という言葉が大きく普及したような印象もあります。この言葉は昔からありましたが、GINAを設立した2006年には一般のマスコミのみならず、同性愛について触れているウェブサイトなどでも見かけることはほとんどありませんでした。それが今では、一般の雑誌や新聞にも載せられるようになっています。
LGBTという言葉は最近ビジネス誌でもよく見かけます。これは先に述べたアップル社のティム・クック氏らの影響もあるでしょうが、マーケットを考えたときにLGBTの存在を無視できない、というよりも、むしろLGBTのマーケットはかなり大きい、もっと言えば、LGBTは人数も少なくないだけでなくお金持ちが多い、という現実があるからだと私はみています。
2013年に発表されたアメリカの国勢調査によりますと、全米での同性婚世帯は25万以上でこれは2010年の13万の倍近くになります。もっとも、これは急増したのではなくカムアウトする人が増えたということだと思います。注目すべきは世帯の平均年収で、なんと約115,000ドル(約1,400万円)もあり、これは全米世帯平均の2倍以上になります。アメリカは高学歴者が高収入者となる国ですから、こういったデータは、米国の同性婚のカップルは高学歴で高収入であることを示しています。マーケティング担当者がLGBTを重要なマーケットと考えるのも当然だというわけです。
翻って日本ではどうかというと、今のところLGBTであることをカムアウトした上場企業のトップはいません。しかし、以前にも述べたように(注3)、日本にも例えば「大阪ガス」のようにLGBTの権利を認める企業が増えつつあります。
日本の行政はどうかというと、世界的には大きく遅れをとり同性婚が国会で議題に上がることさえほとんどありません。それどころか、以前にも述べたように(注4)、 2014年5月には兵庫県議会常任委員会で「社会的に認めるべきじゃないといいますか、行政がホモの指導をする必要があるのか」と発言した県会議員もいるほどです。
このような言葉を聞くと絶望的な気持ちになりますが、日本の行政もすてたものではありません。県議会議員が「ホモの指導をする必要が・・・」と発言する兵庫県の隣の大阪に注目すべき自治体があります。
それは大阪市淀川区で、2013年9月になんと公的に「LGBT支援宣言」をおこなったのです(注5)。公的に宣言するだけでも画期的なことですが、活動内容が大変充実しています。専用のホームページが公開され(注6)、2014年7月からは週に2回の電話相談と月に2回のコミュニティスペースが開催されています。しかも、電話相談は17:00~22:00、コミュニティスペースは途中参加自由で平日は20:00まで、さらに日曜や祝日にも開催という、お役所仕事とは思えない柔軟性のある現実的な対応をされています。
ところで、実際にLGBTの人たちはどれくらい存在するのでしょうか。同性愛に関しては世界で多くの報告があり、だいたい人口の3~12%程度が同性愛者とされています。アメリカのキンゼイ報告によりますと「全体の37%は少なくとも1度以上の同性愛の経験があり、20~35歳の白人男性の11.6%は同性愛と異性愛の両方を経験している」そうです。キンゼイ報告はかなり有名で同性愛の話になるとよく引き合いに出されるのですが、統計の取り方に問題があるのでは、という指摘もあります。また、日本人からすると国民性の違いがあるのでは、と考えたくなります。
日本では、最近よく引き合いに出される調査に2012年の電通総研によるものがあります(注7)。この調査によりますとLGBTは5.2%(20~59歳の日本人男女約7万人が対象)となっています。
日本の人口の5.2%がLGBTであることが発表され、「LGBT支援宣言」をおこなう自治体が登場し、大阪ガスなどのようにLGBTの権利を認める宣言をおこなう企業が相次いできているこの状況を考えたとき、今後の展開はどのように推測すべきでしょうか。
2015年はLGBTをターゲットとしたマーケティング活動が広がり、行政はLGBTを支援する活動を繰り広げ、同性のパートナーシップ制度や同性婚についての議論が盛んになる。そしてLGBTという言葉が流行語となり、LGBTを差別する人間が逆に差別されるようになる・・・。少々楽観的ではありますが、これが私の2015年の予測です。
しかし一方では、世界ではいまだに同性愛者というだけで終身刑や死刑が課せられる国があること、差別や偏見でみられている人たちが大勢いること、公衆衛生学的にはLGBTがHIVのハイリスクグループと見なされていること、なども忘れてはいけません。
注1:「GINAと共に」第100回(2014年10月号)「ゲイを公表する社長(Openly Gay CEO)」を参照ください。
注2:この記事のタイトルは「Apple's Cook: 'I'm proud to be gay'」で、下記URLで閲覧することができます。
http://www.reuters.com/article/2014/10/31/us-apple-ceo-idUSKBN0IJ19P20141031
注3:注1の「GINAと共に」で紹介しています。
注4:「GINAと共に」第96回(2014年6月号)「行政がホモの指導の必要ない」を参照ください。
注5:大阪市淀川区の「LGBT支援宣言」は下記URLを参照ください。
http://www.city.osaka.lg.jp/yodogawa/page/0000232949.html
注6:大阪市淀川区のLGBT支援事業のホームページは下記URLを参照ください。ホームページのタイトルは「レインボー、はじめました」です。レインボー(虹)とLGBTの関係が知りたい方は注4の「GINAと共に」を参照ください。
http://niji-yodogawa.jimdo.com/
注7電通総研の調査は下記URLを参照ください。
http://dii.dentsu.jp/project/other/pdf/120701.pdf
もちろん今も同性愛者が異性愛者と同じような扱いを社会から受けているわけではありませんし、特に社会保障の面では不利益を被っています。しかし、世界的にみて同性愛者への偏見は勢いをましてなくなってきているように思えます。
2014年に同性愛者を差別から解放する決定的な出来事があったとまでは言えないかもしれません。しかし次に挙げることは小さくない出来事だと私は考えています。
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8月14日、米国の地方銀行のCEO(最高経営責任者)であるTrevor Burgess氏が自らがゲイであることをカムアウトしました。『New York Times』が写真入りで報道し、このニュースは世界中に流れました(注1)。
10月6日、米国連邦最高裁は、同性婚を禁じるユタ州などの法律を「無効」とした高裁判決を支持しました。アメリカでは同性婚の合法性について州ごとに異なり、これまでは同性婚を目的に移住する人も少なくなかったのですが、この連邦最高裁の判決で、アメリカでは事実上すべての州で同性婚が認められることになるはずです。
10月30日、アップル社のCEO(最高経営責任者)のティム・クック氏が自らがゲイであることを公表しました。アメリカの米主要500社のトップが同性愛者であることをカムアウトしたのは初めてです。先に紹介したTrevor Burgess氏も銀行のCEOで世界初のカムアウトでしたから世界中で話題になりましたが(なぜか日本ではそれほど報道されませんでしたが・・)、ティム・クック氏のカムアウトはそれ以上に世界に衝撃を与えています。ロイター社が報じた記事のタイトルは「I'm proud to be gay.(ゲイであることを誇りに思う)」です(注2)。
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IT関係に同性愛者が多いことは以前から指摘されていましたが、さすがにアップル社のCEOが自らゲイであることを公表したことには私も驚きました。一部には、これで保守的な層がiPhoneを手放すのではないかという噂もあるようですが、今のところそのような動きはないようです。同性愛に批判的な人や、もっと言えば法律で同性愛を禁じている国の人たちがiPhoneやiPADを使うとき、同性愛がなぜいけないのかを考えてもらいたいと思います。
これら3つの出来事以外にも、任天堂がアメリカで発売した「トモダチライフ」というゲームソフトに「同性婚の設定がない」との批判が殺到し謝罪に追い込まれた、というニュースも注目に値します。
ちなみに私が院長をつとめるクリニック(太融寺町谷口医院)では、2007年に開院したときから、問診票の性別記載欄には「男、女、( )」としていましたが、クリニックのウェブサイトのメール質問のページでは「男性」と「女性」の設定しかできませんでした。この任天堂のニュースを受けてなのかどうかは分かりませんが、改めてウェブサイト作成業者に聞いてみると「その他」の設定も加えられることになったようで、早速変更してもらいました。(ただし「性自認」というのは大変複雑であり、単に「その他」を設ければ解決するというものでもありません)
日本では『チョコレート・ドーナツ』という映画が大ヒットしたことも特筆すべきだと私は思います。同性愛者が主人公の映画でこれほど流行したものを私は思いつきません。この映画はいわゆる「単館系」で比較的小さな劇場でのみの公開でしたが、全国で延長、さらに再上映が相次いで記録的なヒットとなりました。
『チョコレート・ドーナツ』はすべての人に見てもらいたいためにここでストーリーを言及することは避けたいのですが、簡単に述べると、ゲイのカップルが育児を放棄している母親からダウン症の子どもを引き取るものの法律上その男の子を手放さなければならなくなり・・・、というものです。ストーリーのみならず、主役のゲイの男性(実生活でもゲイだそうです)とダウン症の男の子の演技が最高で、これほどの映画はめったにないと思います。
2014年にはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)という言葉が大きく普及したような印象もあります。この言葉は昔からありましたが、GINAを設立した2006年には一般のマスコミのみならず、同性愛について触れているウェブサイトなどでも見かけることはほとんどありませんでした。それが今では、一般の雑誌や新聞にも載せられるようになっています。
LGBTという言葉は最近ビジネス誌でもよく見かけます。これは先に述べたアップル社のティム・クック氏らの影響もあるでしょうが、マーケットを考えたときにLGBTの存在を無視できない、というよりも、むしろLGBTのマーケットはかなり大きい、もっと言えば、LGBTは人数も少なくないだけでなくお金持ちが多い、という現実があるからだと私はみています。
2013年に発表されたアメリカの国勢調査によりますと、全米での同性婚世帯は25万以上でこれは2010年の13万の倍近くになります。もっとも、これは急増したのではなくカムアウトする人が増えたということだと思います。注目すべきは世帯の平均年収で、なんと約115,000ドル(約1,400万円)もあり、これは全米世帯平均の2倍以上になります。アメリカは高学歴者が高収入者となる国ですから、こういったデータは、米国の同性婚のカップルは高学歴で高収入であることを示しています。マーケティング担当者がLGBTを重要なマーケットと考えるのも当然だというわけです。
翻って日本ではどうかというと、今のところLGBTであることをカムアウトした上場企業のトップはいません。しかし、以前にも述べたように(注3)、日本にも例えば「大阪ガス」のようにLGBTの権利を認める企業が増えつつあります。
日本の行政はどうかというと、世界的には大きく遅れをとり同性婚が国会で議題に上がることさえほとんどありません。それどころか、以前にも述べたように(注4)、 2014年5月には兵庫県議会常任委員会で「社会的に認めるべきじゃないといいますか、行政がホモの指導をする必要があるのか」と発言した県会議員もいるほどです。
このような言葉を聞くと絶望的な気持ちになりますが、日本の行政もすてたものではありません。県議会議員が「ホモの指導をする必要が・・・」と発言する兵庫県の隣の大阪に注目すべき自治体があります。
それは大阪市淀川区で、2013年9月になんと公的に「LGBT支援宣言」をおこなったのです(注5)。公的に宣言するだけでも画期的なことですが、活動内容が大変充実しています。専用のホームページが公開され(注6)、2014年7月からは週に2回の電話相談と月に2回のコミュニティスペースが開催されています。しかも、電話相談は17:00~22:00、コミュニティスペースは途中参加自由で平日は20:00まで、さらに日曜や祝日にも開催という、お役所仕事とは思えない柔軟性のある現実的な対応をされています。
ところで、実際にLGBTの人たちはどれくらい存在するのでしょうか。同性愛に関しては世界で多くの報告があり、だいたい人口の3~12%程度が同性愛者とされています。アメリカのキンゼイ報告によりますと「全体の37%は少なくとも1度以上の同性愛の経験があり、20~35歳の白人男性の11.6%は同性愛と異性愛の両方を経験している」そうです。キンゼイ報告はかなり有名で同性愛の話になるとよく引き合いに出されるのですが、統計の取り方に問題があるのでは、という指摘もあります。また、日本人からすると国民性の違いがあるのでは、と考えたくなります。
日本では、最近よく引き合いに出される調査に2012年の電通総研によるものがあります(注7)。この調査によりますとLGBTは5.2%(20~59歳の日本人男女約7万人が対象)となっています。
日本の人口の5.2%がLGBTであることが発表され、「LGBT支援宣言」をおこなう自治体が登場し、大阪ガスなどのようにLGBTの権利を認める宣言をおこなう企業が相次いできているこの状況を考えたとき、今後の展開はどのように推測すべきでしょうか。
2015年はLGBTをターゲットとしたマーケティング活動が広がり、行政はLGBTを支援する活動を繰り広げ、同性のパートナーシップ制度や同性婚についての議論が盛んになる。そしてLGBTという言葉が流行語となり、LGBTを差別する人間が逆に差別されるようになる・・・。少々楽観的ではありますが、これが私の2015年の予測です。
しかし一方では、世界ではいまだに同性愛者というだけで終身刑や死刑が課せられる国があること、差別や偏見でみられている人たちが大勢いること、公衆衛生学的にはLGBTがHIVのハイリスクグループと見なされていること、なども忘れてはいけません。
注1:「GINAと共に」第100回(2014年10月号)「ゲイを公表する社長(Openly Gay CEO)」を参照ください。
注2:この記事のタイトルは「Apple's Cook: 'I'm proud to be gay'」で、下記URLで閲覧することができます。
http://www.reuters.com/article/2014/10/31/us-apple-ceo-idUSKBN0IJ19P20141031
注3:注1の「GINAと共に」で紹介しています。
注4:「GINAと共に」第96回(2014年6月号)「行政がホモの指導の必要ない」を参照ください。
注5:大阪市淀川区の「LGBT支援宣言」は下記URLを参照ください。
http://www.city.osaka.lg.jp/yodogawa/page/0000232949.html
注6:大阪市淀川区のLGBT支援事業のホームページは下記URLを参照ください。ホームページのタイトルは「レインボー、はじめました」です。レインボー(虹)とLGBTの関係が知りたい方は注4の「GINAと共に」を参照ください。
http://niji-yodogawa.jimdo.com/
注7電通総研の調査は下記URLを参照ください。
http://dii.dentsu.jp/project/other/pdf/120701.pdf