GINAと共に

第110回(2015年8月) 実在するHIV陽性者の理想郷

 改めて主張するようなことでもありませんが、HIVに感染していることは恥ずべきことでも何でもなく、他人に簡単に感染させるわけではありませんから隔離される必要もありません。ですから、感染していることを他人や社会に伝えることには何の問題もないはずです。

 しかしながら、現実には、ごく一部の人たちを除いて堂々とカムアウトしている人はほとんどいません。日本でもHIV陽性者は珍しくありませんから、たとえば一定規模以上の組織であれば同じ会社や役所に感染者の同僚がいるはずです。もしもあなたが同じ職場にHIV陽性の人がいないと思っているなら、それはあなたに知らされていないだけと考えるべきです。

 大企業の場合は、障害者枠でHIV陽性者を雇用しているところもあります。この場合、人事部に所属する人は誰がHIV陽性かということを把握していますが、他の部署の社員に伝えることはありません。なぜ伝えないかというと、現在の日本では差別や偏見の目に晒される可能性があるからです。

 障害者枠でなく一般の応募で就職活動をしているHIV陽性者は感染していることを伏せていることが多いのが現状です。それが不利になることが多いからです。感染のことを隠して就職するのは労働法に抵触しないか、という質問をときどき感染者の人から受けますが、現在のところ、これは問題なく、後から発覚したとしてもそれを理由に解雇されることはありません。(この点については過去に何人もの専門家に尋ねて確認しました)

 HIV陽性であることを隠しながら生きていかねばならない・・・。これは大変つらいことです。しかし、このように差別・偏見がある国というのは日本だけではなく、アメリカでもヨーロッパでもオセアニアでも、その地域に住むHIV陽性者が誰に対してもカムアウトしているところというのはまずありません。誰に対してもカムアウトしている人というのは、HIV予防活動に従事している人か、あるいはスポーツ選手やアーティストのように元々有名だった人の一部に限られます。

 ところが、あるのです。その地域に住むHIV陽性者がほぼ例外なく感染をカムアウトし、地域中の人たちが彼(女)らの感染を知っていて、さらにその地域全体で正しい知識の啓発につとめ、新たな感染者を生み出さないような試みをしている地域が実際に存在するのです。

 今回はその地域のことを取り上げたいと思います。地域名は、タイ国パヤオ県のプーサーン郡です。タイでは県はバンコクも入れると合計76あり、各県はいくつかの郡(アンプー/アンペー、日本語にはない音です)に分かれていて、事実上その郡が行政単位となっています。

 2000年代初頭から、タイの保健省は、全国で郡ごとにHIVの自助グループをつくることを推奨しました。パヤオ県には合計9つの郡がありますからHIVの自助グループも9つあり、プーサーン郡の自助グループもそのひとつということになります。このグループは「ハック・プーサーン」とメンバーにより名付けられています。(「ハック」というのはこの地域の言葉でタイの標準語でいえば「ラック」になり、意味は「愛する」です。GINAではこれまでタイの標準語に合わせて「ラック・プーサーン」と表記してきましたが、これからは現地の言葉に合わせて「ハック・プーサーン」にします)

 ハック・プーサーンでは、感染者が地域の病院に滞在し、新たに感染した人のカウンセリングをおこなったり、新たな感染者をグループに加えて自助活動をしたりしていました。このサイトでも一度レポートで報告したことがあります(注1)。また、2006年に開催された第20回日本エイズ学会では「HIV陽性者によるHIV陽性者の支援」というタイトルでこのグループの活動について発表をおこないました。

 2015年8月、私は9年ぶりにこの地を訪れました。パヤオ県はタイの最北部に位置しており、ラオスとの国境がある県で、プーサーン郡はその最果てです。チェンマイまでならほぼ毎年私は訪問しているのですが、パヤオ県というのは非常にアクセスが悪く、またそのなかでもプーサーン群には公共機関もありませんから短い日程ではなかなか厳しいのです。そこで今回私はチェンマイで車とドライバーをチャーターし、パヤオ県の比較的人口の多いチェンカム郡まで行ってもらい、そこに宿をとりました。そして、ハック・プーサーンのコーディネートをしているトムさんにチェンカムのホテルまで車で迎えに来てもらうことにしました。

 GINAは「ハック・プーサーン」に所属するエイズ孤児(母子感染でHIVに感染した子供、および自身は感染しなかったものの両親がすでにエイズで死亡した子供)に対して奨学金を支給しています。またグループの活動費の支援もしています。つまり、GINAはこの「ハック・プーサーン」のスポンサーになっていると言えるわけです。そのため、私がハック・プーサーンの事務所を訪問した日には、グループの幹部スタッフがほぼ全員集まってくれました。

 2006年の訪問時にも彼(女)らの「助け合い」の精神に感銘を受けたのですが、今回はさらに強いグループの結束力を感じました。結束が強いといっても、これは集まって社会運動をおこなうとか抗議活動をおこなうとか、そういう意味ではなく、みんなで助け合って自立できるように頑張っていこう!という方向の結束です。

 ハック・プーサーンでは数年前に地域にラジオ局を立ち上げてHIVの啓発をおこなっていたのですが、現在の政権に変わり機材を没収され中止せざるを得なくなったそうです。グループとして、今最もやりたいことがラジオ番組の復活だそうです。このラジオは非常に好評だったようで、バザーや蚤の市のお知らせなどもおこなっていたこともあり多くの住民に好評だったそうです。タイでも都心部に住む人たちはラジオなど聞きませんが、この地域のように農業が中心の地域では田んぼや畑にラジオを持ち込み農作業をしながら聞くのです。ラジオ局でイベントをおこなうときなどは郡長も激励に来ていたそうです。

 ラジオの機材が没収されたのは届け出をしていなかったからで、それが旧政権(インラック政権)時には黙認されていたものの、現政権(軍事政権)下では認められなかったようです。しかし、きちんと届け出を行えばお金はかかるもののラジオ局を復活させることができるそうで、私は早速、早期の復活がおこなえるように全面的に協力すると約束してきました。

 エイズ孤児も成人の感染者も地域社会の住民みんなで支えている・・・。日本では考えられないことです。そこで私は気になったことをいくつか尋ねてみました。まず、本当に学校でエイズ孤児がいじめられたり差別を受けたりすることはないのか、という質問です。リーダーの人が即答してくれました。そんなものは一切ないと言います。しかし10年前には差別が存在していたそうです。それがハック・プーサーンの地道な活動やラジオを使った啓発の成果がでて現在はまったくないとのことです。

 就職はどうなのでしょうか。これを尋ねると、少し前にある感染者がテスコ・ロータス(タイ全国にあるチェーン店のスーパー)への就職をHIVを理由に取り消されたことを話してくれました。そこで彼(女)らは抗議活動を開始し、その結果就職取り消しがなくなり、その感染者は今も元気に働いているそうです。また、HIV陽性であることをカムアウトして銀行に就職した人もいるそうです。

 興味深いのは、同じパヤオ県でも他の郡ではこれほど自助グループの活動がうまくいっていないということです。この理由としていろんなことが考えられるでしょうが、私が思う最も大きな2つについて述べたいと思います。

 1つは、ハック・プーサーンは病院主体ではなく患者主体のグループであるということです。ほとんどの郡には大きな公立病院があります。そのため保健省が全国の各郡で自助グループをつくるよう通達をだしたときに、ほとんどの郡では病院、つまり医療者が主体となり感染者をまとめるようなかたちをとったと聞きます。ハック・プーサーンが結果としてよかったのは、プーサーン郡ではそのような大きな病院がなく住民たちでグループをつくるしか道はなかったということです。

 そして、もうひとつ、こちらの方が大きな理由だと思いますが、ハック・プーサーンのリーダーおよびリーダーを補助する人たちが非常に魅力的でエネルギッシュであるということです。おそらく彼(女)らの魅力に惹かれグループの活動に賛同する人が多かったのではないかと私は感じました。

 ハック・プーサーンを見習えば世界中のどこででも同じような理想の社会が構築できるというほど単純なものではないと思います。しかし、このグループから学べることが非常に多いのは間違いありません。

 少なくとも私は話しを聞いているうちにどんどん引き込まれ、このグループのことを世界中に広く伝えたい、と感じました。



注1 このレポートは下記です。

「HIV陽性者のひとつの生きがい-ピア・エデュケーション」(2006年7月)