GINAと共に

第111回(2015年9月) 洗濯物を拒否されたHIV陽性者

 前回は、HIVに感染している人もしてない人もHIV/AIDSに対する正しい知識を持ち、感染者を地域全体で支えている「理想郷」ともいえる北タイのひとつの地域社会について述べました。

 タイは1990年代に、このままでは国が崩壊するのではないかと思われるくらいHIV感染者が増加しました。しかしその後行政や様々な民間の組織による啓発活動が功を奏し、また2004年頃からは抗HIV薬が次第に無償で支給されるようになり、エイズによる死亡者は減少し感染者は増えなくなりました。

 そのため、タイは世界的にみて「エイズ撲滅に成功した国」のような扱われ方をすることがあります。たしかに近隣諸国に比べると感染者の増加率は高くはありません。しかしここはきちんとおさえておかなければなりません。感染者は「増えなくなった」だけであり、減少しているわけではないのです。実際、年間の新規感染者は15,000人程度で横ばいが続いています。

 かつては年間の新規感染が15万人近くもありましたから、それから考えると10分の1にまで減少しているわけで、これはたしかに見方によっては「成功」といえるでしょう。しかし、年間15,000人という絶対数をよく考えてみると成功ではなく「停滞」がふさわしいといえます。日本の新規感染も減少しないどころか増加傾向にありますが、それでも年間1,500人程度ですからタイは日本の10倍ということになります。タイの人口は日本の約半分ですから、単純計算で新規感染率は約20倍にもなるのです。

 マスコミや世論の関心は常に新しいものを求めます。HIV感染者が増加しているときは話題になりますが、新たに世間の注目を浴びるような出来事がなければ、誰も口にしなくなり人々の興味が失せていきます。

 HIVについていえば、新規感染が減らないことはもちろん課題ですが、それ以上に問題として取り上げたいのがHIVに対する「差別」です。

 前回HIVの「理想郷」として紹介したタイ国パヤオ県のプーサーン郡はタイ北部の最果てにあります。プーサーン郡を含めてパヤオ県はかつてタイ国でHIV陽性率が最も高い地域でした。しかし、HIV感染者が多いのはパヤオ県だけではありません。タイ北部はタイ全土のなかで最もHIV感染者が多い地域として知られていました。そして北タイの最大の都市は古都チェンマイです。

 感染者率ではパヤオ県の方が高かったわけですが、感染者数では人口の多いチェンマイ県の方がはるかに多かったのです。そのため、チェンマイには世界中の慈善団体やNGOが集まってきました。行き場のない感染者を保護し、世論には「HIVは差別されるような疾患ではない」ということを訴え続け、新たな感染者を生み出さないような活動をこういった団体がおこなってきました。

 そういった多数の団体の活躍もあり、北タイのHIV新規感染は減少し、かつて存在した筆舌に尽くし難い差別は急速に減少していきました。「筆舌に尽くしがたい差別」とは、たとえば、バスに乗ろうとすると引きずり下ろされたとか、食堂に入ろうとすると食器を投げつけられ追い返されたとか、村人全員から石を投げられて村を追い出されたとか、そういったものです。

 こういった差別は北タイだけではなくタイ全土にありましたが、やはり感染者が多く(良くも悪くも)ムラ社会が残っている北タイでの被害の声は小さくありませんでした。私がGINA設立を決めたのは、単に困窮しているHIV/AIDSの人たちの力になりたいと考えたことだけではありません。むしろ、言われなき差別をなくすことに強い使命を自覚した、という理由の方が大きかったのです。

 2015年8月、前回述べたパヤオ県プーサーン郡を訪れる前日に、私はチェンマイの施設「バン・サーイターン」を訪問しました。施設長の早川文野さんから話を聞くためです。私が初めて早川さんにお会いしたのは2004年の夏です。それ以降、可能な限り年に一度は訪問できるように努めています。チェンマイには他にも訪れるべき施設があるのですが、チェンマイにまで足を伸ばしたときは可能な限り早川さんから話を聞く時間をつくるようにしています。

 というのは、早川さんは2002年からHIV陽性者を支援・保護する組織(当時は「バーン・サバイ」)を運営されていましたが、他の慈善団体やNGOと違うところがあり、それは、「HIV陽性者のなかでも特に"問題"のある人たちに深く関わってきている」ということです。

 特に"問題"のある人たちとは、たとえば、少数民族(山岳民族)やミャンマー(ビルマ)からの難民であったり、HIVに感染する以前から犯罪歴が多数ある人たちであったり、薬物・売買春を繰り返しおこなっていた人たちであったり、幼少時に性的虐待を受けて自身のセクシャル・アイデンティティが確立されていない(つまり自分が男か女か分からないということ)人たちであったり・・・、とこのような人たちです。早川さんの運営する組織では、常にこのような人たちを積極的に受け入れてきたのです。

 その早川さんから2015年の夏のその日に聞いたことは、翌日にパヤオの「理想郷」で見聞きしたものとはまったく異なるものでした。

 早川さんによれば、まだ統計には出てこないものの、HIVの新規感染は最近確実に増えているそうなのです。早川さんの周囲にも感染が判った人が増えてきており、1週間で3人の感染が発覚した週もあったそうです。

 それだけではありません。感染者に対する「差別」が復活してきています。たとえば、早川さんが以前から関わっているひとりのHIV陽性の人は、洗濯屋で露骨な差別を受けたそうです。なんと、持ち込んだ洗濯物を拒否されたというのです。この人はHIV陽性であることをカムアウトしているわけではありません。なぜHIV感染が疑われたのでしょうか。この人の感染を知っている人が誰かにそれを伝え噂として広まったのか、あるいはこの人は最近急激に痩せてきたために見た目からHIV感染を疑われたのかもしれません。

 HIVに感染しているからという理由で洗濯物を拒否される・・・、これがどれだけ辛いことか想像できるでしょうか。しかもこれだけでは済まなくなるかもしれません。このコミュニティでは、そのうちに食堂に入れてもらえなくなったり、乗り合いバスに乗せてもらえなくなったりと、あの90年代から2000年代半ばまで存在していた先にも述べた忌まわしき差別の数々が再び生じる可能性もあります。

 では、そうさせないためには何をすればいいのでしょうか。やはり、かつてチェンマイで活動していた慈善団体やNGOがおこなってきたことをもう一度やり直すしかないでしょう。しかし、現在は当時と状況が異なります。北タイでは新規感染が以前に比べると減少し(ただし減り続けてはいない!)、抗HIV薬が無料で支給されるようになり(ただし少数民族や難民には支給されない!)、そのためにHIV感染者を支援する団体が当時とは比べものにならないくらい減っています。小さな団体のなかには消滅したところもありますし、大きな組織のいくつかは活動の現場をタイから他国に移しています。

 前回私は、HIVに関する差別をほぼ完全に消滅させた「理想郷」であるパヤオ県プーサーン郡の自助組織「ハック・プーサーン」をGINAとして応援していく、ということを述べました。その支援のひとつとして、いったん中断していたラジオ局の復活を手伝うこととしました。

 そして、それとはまったく別の方向の支援として、洗濯物を拒否されるような忌まわしき差別をなくすために、正しい知識をどのように世間に伝えていくべきか考えていきたいと思います。