HIV陽性者のひとつの生きがい-ピア・エデュケーション

谷口 恭     2006年7月

目 次

1 ピア・エデュケーションとは
2 病院と協力したVCT
3 家庭訪問とグループ事業
4 友情、恋愛、そして結婚も
5 GINAの支援
(参考) チャイヤプーム県ノーンブアラゥエ地区のピア・エデュケーション   9月18日追加


 
1 ピア・エデュケーションとは


 ピア・エデュケーション(peer education)という言葉をご存知でしょうか。ピア(peer)とは、「社会的に同等の人、もしくは同僚、友達」という意味で、ピアな関係にある人にものごとを教えるのがピア・エデュケーションです。

 HIV/AIDS、性感染症、あるいは薬物依存に関する諸問題の教育現場で、現在ピア・エデュケーションが注目されています。日本でも、特に、中学生や高校生の性感染症の予防について、ピア・エデュケーションが有効であるという研究報告があります。

 HIV/AIDSという問題についてピア・エデュケーションをおこなうときには、どのような方法があるでしょうか。

 従来、HIV/AIDSに関連する諸問題に対しては、教育現場、行政、NPOなどが、指導の中心的な役割を担ってきました。NPO(NGO)のなかには、HIV感染者が、リスクの高い人の相談に乗ったり、HIVに新たに感染した人に対して助言をおこなったりしているところもあります。

 現在、タイ北部のパヤオ県のいくつかの地域では、地域社会が一体となってピア・エデュケーションに取り組んでいます。私がみたところ、これほど効果的にピア・エデュケーションが実行できている地域もないのではないかと思われます。
 興味深いことに、彼(女)らは、「ピア・エデュケーション」という言葉を知りません。言葉は知らないけれども、非常に効果的なピア・エデュケーションがおこなわれているのです。

 ここでは、この地域でどのようにピア・エデュケーションがおこなわれているのかについて、ご紹介したいと思います。


2 病院と協力したVCT

 専門用語が続いて恐縮ですが、VCTという言葉をご存知でしょうか。これは、Voluntary Counseling and Testingの略語で、直訳すれば、「自発的なカウンセリングと検査」ということになります。これでは分かりにくいので、説明を加えたいと思います。

 まず、HIVの検査は、強制的におこなうものではなく、検査の意味と重要性を理解した上で自発的に受けるというのが条件です。被験者のなかには、誤った知識を持っていたり、生活のなかで危険な行為があったり、あるいは逆に過剰に心配しすぎていたりすることもあります。したがって、検査の前後で専門のトレーニングを受けたカウンセラーによるカウンセリングが必要となります。

 効果的なカウンセリングをおこなうことにより、被験者は生活態度や過剰な心配を改めることができ、結果としてHIV感染の蔓延を防ぎ、HIVに関連した差別やスティグマが減少することが期待されています。

 現在の日本では、保健所などの行政機関やいくつかのNPOがVCTをおこなっているということになっていますが、被験者の満足度も加味して考えると、どれだけの機関が効果のあるVCTを実行できているのか疑問に思われます。

 というのは、被験者のなかには、何度もVCTを受けているのにもかかわらず、基礎的な知識を持っていない人もいますし、明らかに過剰な心配をかかえているVCTのリピーターもいるからです。

 一方で、日本でも非常に効果的なカウンセリングをおこない、被験者の満足度もかなり高いVCTを実行しているNPOもあります。
 ただ、すぐれたVCTを実行していると思われる日本のNPOでも、被験者の相談にのったり、専門的な観点から助言をおこなったりしているカウンセラーは、HIVに感染していないことがほとんどです。もちろん、HIV陽性の人の方が、必ずしも陰性者よりすぐれたカウンセリングがおこなえるというわけではありませんが、ピア・エデュケーションの観点から言うならば、被験者からみてピア(peer)なのは、HIV陽性の人です。
 
 被験者が負担するVCTの費用は、タイ国内でも、地域によって、あるいは病院によって様々です。例えば、バンコクの一般的な病院では1回100バーツ(約300円)のところが多いようです。実際にバンコクで検査を受けたことのあるタイ人女性に話を聞いてみると、VCTとは名ばかりで、カウンセリングらしいものはほとんどなかったそうです。

 パヤオ県でのVCTは、いくつかの病院でおこなわれていますが、ほとんどの病院で無料です。採血は看護師がおこないますが、検査の前にカウンセリングをおこなうのは、基本的にはHIV陽性の人たちです。VCTの現場には、常時HIV陽性の人が最低2人は待機しており、被験者に対してカウンセリングをおこないます。

 被験者は後日結果を聞きにくることになります。結果を伝えるのは医師です。しかし、医師は、患者さんの質問に答えることはしますが、必要以上にカウンセリングをおこないません。より効果的なカウンセリングをおこなえるのは、ピア(peer)な立場であるHIV陽性の人であるという認識をしているからです。

 「あなたはHIV陽性という結果がでました。我々医師には守秘義務がありますから、この結果はあなた以外の誰にも伝えません。もちろん、あなたが検査を受けるときに話されたカウンセラーの人もこの結果は知りません。しかし、HIV陽性の方の気持ちをもっとも理解できるのはHIV陽性の人です。もしもあなたが望むなら、あなたがこの前話されたHIV陽性であるカウンセラーに連絡をとってみればいかがでしょう。」

 医師はそう言って、この被験者に対して、HIV陽性のカウンセラーの連絡先を渡します。
 どれくらいの時間をおいて連絡するかは個人差がありますが、ほとんど例外なく、HIV陽性であることが分かった人たちは、同じくHIV陽性であるカウンセラーに連絡をとるそうです。


3 家庭訪問とグループ事業

 新たにHIVに感染していることが分かったという人から連絡を受けたHIV陽性のカウンセラーは、都合を聞いた上でその人の家庭を訪問することになります。家族にまだ話していないという人に対しては、カウンセラーの自宅に来てもらったり、別の場所で話す機会をもったりすることもあります。

 ここで、エイズは死に至る病ではないことや、差別されるような病気でもないこと、さらに、一生懸命がんばって生活している人が少なくないことなどをカウンセラーは話します。

 希望があれば、何度でも話をする機会を設けます。

 HIV感染が分かった人は、仕事を続けることに対する不安が小さくありません。もちろん、HIVに感染したというだけでは日常生活にそれほど支障はありませんが、それでも少なくともふたつの問題があります。

 ひとつは、それまで働いていたところを解雇されるかもしれないという不安です。タイでは、以前に比べるとHIVに対するスティグマが減少してきているとは言え、依然残存しているのは紛れもない事実です。実際、HIVに感染していることがわかったとたんに解雇されたという人は少なくありません。

 もうひとつは、体力の減弱に対する不安です。エイズを発症していなくても、HIV感染者は体調不良を訴えることがあります。タイの田舎の方の仕事の多くは、肉体労働です。また、自分で所有している田畑で農業を営んでいる人もいます。HIVに感染した人にとって、体力の消耗する肉体労働に従事するのはかなりの不安が伴います。

 これら2つの点から、結果的に仕事をなくすHIV陽性の人が少なくありません。

 では、HIV陽性の人はどのようにして生活すればいいのでしょうか。

 ひとつには、NPO(NGO)からの寄附金に頼るという方法があるかもしれません。けれども、自立したHIV陽性者の人たちは、これを嫌います。なぜなら、HIV陽性だからといって、過度に保護されることに違和感を持っているからです。

 彼(女)らの希望は、自分たちで仕事をおこない、生活費は自分たちで稼ぐことです。そのため、彼(女)らは、地域ごとにグループを作成し、共同で農作業や畜産業をおこなったり、民芸品を製作したりしています。これらには体力の消耗する仕事もありますが、感染者どうしのグループで話し合って、比較的元気な人が交代で仕事をおこなうようにしています。

 彼(女)らは、定期的にミーティングを開いています。

 ミーティングでは、新たに感染がわかって連絡してきた人に対する支援について、体調が芳しくない人に対するサポートについて、親をなくした子供(エイズ孤児)の支援について、現在おこなっている仕事に関する進捗状況の確認、などを話し合います。

 しっかりしたグループであれば、代表、副代表、秘書、書記、などの役職があり、また事業ごとに、例えば養豚の飼育係係長、民芸品製作係第2班班長、などといったものもあります。

 また、規模が大きく成功しているグループは、まだグループが発足してまもない地域に出張にでかけ、グループ事業に対する助言やサポートをおこなうこともあります。


4 友情、恋愛、そして結婚も

 定期ミーティングは、真剣そのもので、参加者全員が本音をぶつけ合います。彼(女)らの熱意には力強いものがあり圧倒されます。

 彼(女)らは、なぜそこまで一生懸命になれるのでしょうか。

 グループに古くから参加しているある女性は言います。

 「今でも私たちに対する世間の目は冷たいわ。けど、以前はもっとひどかったのよ。誰からも罵声を浴びせられて、家から一歩も出られなかったときもあったわ。早く死んでしまいたいと思っていたし、何度も自殺を考えたわ。けどね、あるとき感染者の人に誘われて、このグループに入ることにしたの。みんな、おんなじ悩みを抱えているから、すぐに馴染めたわ。これまでの人生で経験したことのない友情のありがたみを知ることもできた。私を誘ってくれて、やさしくしてくれた仲間には本当に感謝しているわ・・・。」

 彼女は続けました。

 「今はね、少しでも多くの人の苦しみをとってあげたいの。あのとき私が苦しんだような思いは、誰にも味あわせたくないの。私が自ら命を絶つことを考えているときに仲間に救われたように、私も苦しんでいる人の力になりたいの。そのためならなんでもするわ。それでね、あるとき気付いたの。私が今やっていることで、仲間に加わって笑顔を取り戻した人もいるけど、それ以上に私が楽しんでいるってことにね・・・」

 別の男性は言います。
 
 「僕の以前の人生はそりゃめちゃくちゃだったよ。覚醒剤なんて日常茶飯事だったし、いずれHIVに感染してエイズを発症するのも時間の問題だったんだよ。今考えると、あの頃に楽しいと思っていたことなんてすべて幻想だったんだよ。生きる価値もなかったよ。けど、今は違うよ。こうやって豚を育てることなんかで生きる楽しみを見出せている。僕はあまり話がうまくないから、悩んでいる人の相談に乗るのはそんなに得意じゃないけど、農業でも豚の飼育でも仕事なら教えることができるよ。僕の育てた豚は美味いって評判なんだよ。どうだい、子豚1匹1000バーツで販売もしているよ。」

 彼は横にいた女性と微笑み会いました。

 「僕らは先月結婚したんだ。半年ほど前から付き合いだすことになってね、ついに結婚だよ。こんなこと以前は考えもしなかった。HIVに感染して、誰からも冷たい目で見られて、もう生きる望みもなかったんだよ。それが今では結婚だよ。信じられるかい。HIVに感染してよかった、というわけではないけど、僕も彼女もHIVに感染してなかったら出会うこともなかったんだ。今はふたりで力を合わせて、感染者の支援に夢中なんだ。人生の伴侶がみつかって、生きる喜びを日々感じることもできる。今の僕は本当に幸せだよ・・・」


5 GINAの支援

 HIV/AIDSの患者さんに接していると、日常では遭遇できないような「感動」を体験することがあります。
 パヤオ県のHIV感染者のグループとの懇談は、その「感動」をいくつも与えてくれました。
 グループに参加している人が、同じ感染者を支援することによって、生きがいを見出し「感動」を得ているのと同じように、我々もまた、こういった方々から学ばせてもらったり、あるいは支援させてもらったりすることによって「感動」を得ることができます。

 GINAではピア・エデュケーションをおこなっているHIV感染者のグループを支援していきたいと考えています。(彼(女)らは「ピア・エデュケーション」という言葉を知っているわけではありませんが・・・)

 上に述べたように、彼(女)らは、単なる寄附金による支援を求めているわけではありません。

 しかしながら、彼(女)らのすべてが労働に従事できるわけではありませんし、働ける人でも長時間の労働は好ましいことではありません。さらに、グループの運営には費用がかかります。田舎では、交通手段が発達していないという問題もあり、家庭を訪問するのにかなりの時間がかかります。ときには、日帰りの訪問は無理なため、患者さん宅に泊めてもらわなければならないこともあります。

 そこで、GINAとしては、組織の運営や患者さん宅に訪問する際に必要な費用のいくらかを寄附するかたちで、こういったグループを支援していきたいと考えています。


 今回ご紹介いたしました、HIV感染者のグループから、我々日本人が学べることはたくさんあると思います。彼(女)らが安心して活動を続けていくためには、いくらかの支援が必要です。また、グループを大きくしたいけれども資金不足のためにできていない地域や、資金不足のためにグループそのものがまだ結成されていない地域もあります。

 皆様のご協力が、彼(女)らの健康を維持するのに役立つだけでなく、生きがいをももたらすことができるのです。

写真1 ミーティングの風景。彼(女)らは笑顔を絶やさないが、議論の内容は真剣そのもの。


写真2 感染者のひとりが牛を育てている様子。


(参考) チャイヤプーム県ノーンブアラゥエ地区のピア・エデュケーション

 HIV/AIDSに関する差別・スティグマを軽減させ、エイズの死亡を大幅に減少させた成功例として、チャイヤプーム県、ノーンブアラゥエ地区のピア・エデュケーションがあります。同地区は、2006年にタイ疾病管理局(Disease Control Department)から、地域社会でHIV/AIDSの諸問題に効果的に取り組んだとして表彰されています。

 この地区でどのようにピア・エデュケーションがおこなわれてきたかが、2006年9月9日のThe Nation(タイの英字新聞)で報道されましたので紹介したいと思います。

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 それはひとりのHIV陽性者とひとりの看護師が力を合わせることから始まりました。

 1999年のある日、チャルワンさんという名の女性が、それまでおこなっていた食料品の販売を強制的に中止させられました。チャルワンさんがHIVに感染しているという情報が村中に知れ渡り、それまで彼女の店で買い物をしていた顧客が恐怖におののき去って行ったのです。

 この事件は、チャルワンさんがバンコクから故郷のこの村に戻ってまだ数ヶ月しか経っていないときに起こりました。彼女が故郷に帰ってきたのは、彼女の夫がHIVに感染し、体力が衰えバンコクで仕事ができなくなったからです。

 仕事を失くし、村から差別を受けたチャルワンさんは、これまでに体験したことのない困難に直面することになりました。

 その当時、その村の病院にはおよそ200人のHIV陽性者が登録されていました。けれども、実際に治療を受けているのはチャルワンさんを含めてわずか3人しかいませんでした。残りの200人近くの患者さんは自ら受診を中断していたのです。

 この病院のエイズ担当の看護師ウララックさんは、チャルワンさんに、なぜほとんどの患者さんは病院を受診しないのかを尋ねました。チャルワンさんは自分が体験したことを話しました。そして、ウララックさんは、チャルワンさんと他の二人の通院を続けていた患者さんと共に、多くの患者さんが直面している問題に立ち向かうことを決心したのです。

 ウララックさんは言います。

 「私は自分が見たものが信じられなかったわ。私の友達が他人に感染させることを恐れてひとり牛小屋で寝泊りしていたのよ。別の友達は、病院に行くためにバスに乗ったところを強制的に下ろされたの。他の乗客がその友達と同じバスに乗ることを拒否したのよ」

 チャルワンさんも他の感染者がいかに差別を受けているかを知るようになります。

 「ある患者さんは病院に行くための20バーツ(約60円)も持ってなくて、家で亡くなったの・・・」

 当時のタイでは死んだ後にも差別が待っていました。この村でもHIV陽性の人の死体は、村人が住んでいる場所から遠く離れたところにつくられた火葬場に運ばれていたのです。

 村人たちはHIV陽性者の葬式には怖がっていきませんでした。「火葬で生じた煙が家の屋根に付着して、雨が降った時、煙に含まれていたHIVが私の体に落ちてくる」、と言ってパニックを起こした人もいたそうです。

 親がHIVに感染した子供たちは、自身がHIVに感染しているかどうかに関係なく、学校を追い出されることもありました。

 ウララックさんとチャルワンさんは、最初、病院を受診することをためらっている患者さんを探すことから始めました。そして、HIV陽性の人たちでネットワークをつくり、地域社会に対し、HIVが差別を受けるような病気ではないことを訴えていきました。これは簡単なことではありませんでしたが、少しずつ村人のHIVに対する誤解が解けるようになってきました。

 「誰もがそうであるように、私だって自分の病気のことを他人に言いたくなかったわ。けど私はしなければならなかったの。私は私自身のことを村人たちに判断させなくてはならなかったの」

 チャルワンさんはそう言います。

 「最初私は、見さかいなく誰とでもセックスする女だと思われたわ。私がHIVに感染しているという理由だけでね。けど私は夫以外にセックスをしたことなんてないのよ」

 HIVに感染していない人に対しては、表に出てこない陽性者は心を開きません。そこで、チャルワンさんのようなHIV陽性のボランティアの人たちが、そういった患者さんたちに接したのです。

 ウララックさんは言います。

 「チャルワンさんらの努力のおかげで、多くのHIV陽性の方が日陰から出てきて医療を受けるようになってくれたの。そして、そういった人たちの多くがまた、自分たちが知っている他のひきこもっている感染者に支援の手を差し伸べたの」

 その結果、この地域のHIVの死亡率が40%から1%以下にまで下がりました。

 チャルワンさんは言います。

 「これは私たちの誇りでもあるのよ。だって私たちがこの活動を始めたばかりの頃は、感染者を病院に連れてきたときにはほとんどが手遅れで、次から次へと亡くなっていたんだから・・・」

 このネットワークの努力は、HIV感染者だけでなく地域社会に広く浸透するようになりました。2001年には40%もあったこの地区でのHIV感染率は、今では21%にまで下がっています。

 この業績が評価され、この地域は2006年9月8日タイ疾病管理局から表彰されることになりました。

 ウララックさんは言います。

 「ネットワークが成功したひとつのポイントは、地域の行政にも働きかけたことよ。行政が本腰を入れるまでに丸4年もの月日がかかったけどね」

 現在、この地域のHIV陽性者は、地域社会全体によって保護されています。病院を受診する際の交通費は支給されますし、自分で生活できない人は500バーツ単位で補助金が支給されるようです。

 ウララックさんは言います。

 「ほんとに大変な5年間だったのよ。けどその価値はあったわ・・・」


注1 この内容は、「The Nation」2006年9月9日に掲載された「HIV patients find respect in solidarity」というタイトルの記事に基づいています。
注2 チャイヤプーム県とは、イサーン地方(東北地方)の西部に属する人口およそ110万人の県です。
注3 この地域がタイ疾病管理局から受賞した賞の名前を上手く訳せません。英文は「Best Practice Award in the field of HIV/AIDS prevention and resolution at the community level」です。

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