GINAと共に

第136回(2017年10月) これからのHIVは50歳以上の離婚経験者

 私が初めてタイのエイズ施設を訪れたのは2002年。研修医になり半年が過ぎた頃です。医学部では5回生と6回生はほぼ授業がなくほとんどが臨床実習となり病院で一日を過ごしますから、タイのエイズ施設を訪れるまでの2年半の間に数百人の患者さんを診察したことになります。ですが、タイに渡航するまで私はHIV陽性者に出会ったことがありませんでした。

 そんな私がタイのエイズ施設に足を踏み入れた瞬間に感じたことが「若い!」ということです。日本では小児科と産科を除けば病院というのは高齢者が中心です。ところがそのタイの施設では高齢者も少しはいますが、大半は20~30歳代の若者、なかには10歳未満の子供もいました。そして、当時のタイでは抗HIV薬はまだ支給されていませんでした。ということは、若い彼(女)らは、近いうちに確実に死を迎えることになるのです。

 そんな光景、日本ではありえません。高齢者ばかりが入院している慢性期の病棟、あるいはホスピスなどでは「あとは死を待つだけ」という患者さんたちが大半で、それはそれで「死」の重みを感じることになります。けれども、私が2002年にタイでみたその様子は大半が若者なのです。しかも、直接話をしてみると、彼(女)らの何割かは「死」を受け入れることができていません。近いうちに死ぬのは確実ということは分かっているけれど、死にたくないという気持ちが強いのです。

 欧米から来ているボランティアの医療者の指導を受けながら、若い患者さんたちと過ごした数日間の経験が私にエイズに向かわせることを決心させます。ある意味では「年齢差別」になるのかもしれませんが、私が当時抱いた気持ちは「若い人たちだからこそ助けなくてはならない」というものです。さらに、彼(女)ら達から聞いた、いかに差別や偏見で苦しんできたかという話も私の感情を奮い立たせました。

 その後私はNPO法人GINAを設立し、機会があれば日本でもエイズに関する講演をおこなってきました。私がいつも言い続けているのはふたつ。感染者への差別をなくすことと新たな感染者を生み出さないことです。そして、ここでいう「感染者」というのは若い人たちを念頭に置いています。ですから大学生の集まりや、若い社会人を対象とした集会で話すことはあるものの、中高齢者が集うところで話をしたことはありませんし、また呼ばれたこともありません。日本社会も私自身もHIVは若い世代の疾患と考えているのです。

 ところが、そういった考えは過去のものとみなす必要がでてきました。ヨーロッパのメディアがはっきりとそれを指摘しています。その指摘のきっかけとなった論文は医学誌『Lancet』2017年9月26日(オンライン版)に掲載されています(注1)。ヨーロッパ全体で、そして特にイギリスでは高齢者のHIV感染が問題となっているのです。複数のメディアがこの論文を紹介し、さらにNHS(英国国民保健サービス)もウェブサイトで報告し問題提起しています(注2)。

 まずは『Lancet』及びNHSの報告から具体的な数字をみていきましょう。

 調査期間は2004年1月1日から2015年12月31日の12年間。対象は欧州31か国です。期間中に新たにHIV感染が判明したのが、15~49歳(便宜上ここからは「若者」とします)では312,501人。50歳以上では54,102人です。この数字だけをみるとHIVはまだまだ若者の感染症と言えそうですが、増加率に注目してみましょう。

 若者の新規感染率は人口10万人あたり11.4人。12年間でほとんど変化はありません。一方50歳以上は10万人あたり2.6人と総数では若者より少ないのですが、毎年2.1%増加しています。また後述するように「感染経路」が若者と50歳以上では異なります。

 深刻なのはイギリスです。50歳以上での増加率は年間3.6%。2004年には10万人あたり3.1人だったのが2015年には4.32人まで上昇しています。男女別にみてみると、50歳以上の男性では12年間で人口10万人あたり3.5人から4.8人に、50歳以上の女性では1.0人から1.2人に増加しています。一方、同国では若者の新規感染は4%減少しています。

 データを欧州全体に戻して50歳以上の感染経路の内訳をみてみましょう。2015年には感染経路の最多が異性間性交渉の42.4%、男性同性間性交渉は30.3%、薬物の静脈注射が2.6%、その他及び不明が24.6%です。一方、若者は、最多が男性同性間性交渉の45.1%、異性愛30.8%、薬物4.6%、その他及び不明19.5%です。

 これらから言える最も重要なことは「50歳以上の男女間での性交渉での感染増加に対策を立てねばならない」ということです。では、なぜ彼(女)らの間に新規感染が増えているのか。NHSは英国の大衆紙『Mail Online』の報道を引き合いに出しています。同紙は次のようにコメントしています(注3)。

 離婚後の無防備な性交渉が50歳以上のHIV新規感染増加の真因である...。

 同紙はさらに、「silver splitters」という造語(日本語にすると「熟年離婚者」でしょうか...)を紹介し、これがキーワードだとしています。同紙によれば、離婚した彼(女)らはHIVを過去のものと考えており、コンドームは避妊用具であり性感染症を防ぐツールとは認識していません。特に、精管切除(vasectomy)や子宮摘出(hysterectomy)を実施していれば、コンドームという発想は元からありません。

 50歳以上の問題はまだあります(注4)。若者に比べて、HIVが発覚したときにすでに病状が進行していることが今回の調査で分かったのです。さらに「Mail Online」によれば、HIVの無料検査はいろんなところで受けることができるにもかかわらず50歳以上は検査を受けず、また予防啓発をおこなう団体も50歳以上に対しては積極的におこなっていないそうです。その結果、ますます検査を受ける機会を逃すことになります。

 翻って日本はどうでしょうか。実は日本でも同じような傾向が現れつつあります。「平成28(2016)年エイズ発生動向」(注5)には「感染者の主要な感染経路はいずれの年齢階級においても同性間性的接触例の割合がもっとも高く、年齢が上がるに従い異性間性的接触の割合が高くなる傾向がみられた」と述べられています。つまり、ヨーロッパとは異なり、日本では50歳以上も感染経路は男性同性間性交渉が最多だけれど、若者と比べて異性間性交渉での感染の割合が多い、ということです。同資料の図13をみてみると、50歳以上では4割以上が異性間となっています。一方、30代では異性間は2割に過ぎません。

 そして、これは日々の臨床を通しての私の実感とも一致します。私が日々診察している20代、30代のHIV陽性者は多くが男性同性愛者ですが、50代以上となると、全体では人数は多くないものの異性間性交渉で感染している割合が増えます。そして、自らの意思で保健所などへ検査を受けに行った人はほとんどおらず、何らかの症状が出て医療機関を受診してHIV感染が発覚した、というケースが多いのです。

 また日本のHIV啓発団体もやはり若者を対象としています。10年ほど前からピア・エデュケーション(peer education)の有効性が注目され(「ピア」とは同胞とか同僚という意味です)、同世代の者がHIV/エイズの教育をおこなうべきだという考えが主流になってきています。そしてピア・エデュケーションを推奨している人たちが念頭に置いているのはまず間違いなく若い人たちです。

 これを読んでいるあなたが50歳以上だったとしたら、そしてもしも「silver splitter」だとしたら、性に対する考え方、見直さなくてもいいでしょうか...。

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注1:この論文のタイトルは「New HIV diagnoses among adults aged 50 years or older in 31 European countries, 2004?15: an analysis of surveillance data」で、下記URLで概要を読むことができます。

http://www.thelancet.com/journals/lanhiv/article/PIIS2352-3018(17)30155-8/fulltext?elsca1=tlpr

注2:NHSはウェブサイト「NHS choices」で公表しています。タイトルは「Rates of newly diagnosed HIV increasing in over-50s」で、下記URLで全文を読めます。

https://www.nhs.uk/news/2017/09September/Pages/Rates-newly-diagnosed-HIV-increasing-in-over-50s.aspx

注3:「Mail Online」の記事のタイトルは「HIV on the rise in the over-50s: Warning that reckless sexual behaviour of 'silver splitters' has led to an increase in cases」で、下記URLで読むことができます。

http://www.dailymail.co.uk/health/article-4923672/HIV-rise-50s.html

注4:本文では述べませんでしたが、NHSは50歳以上の問題として次の2つも挙げています。ひとつは異性愛での感染が最多とはいえ、男性同性愛者の感染も増えていることです。若者でも増えていますが、50歳以上の増加率の方が高いのです。(50歳以上は5.8%の増加、若年者は2.3%) もうひとつは、過去12年間で薬物の静脈注射も増えていることです。こちらは若者では減少しています。

注5:下記URLを参照ください。

http://api-net.jfap.or.jp/status/2016/16nenpo/bunseki.pdf