GINAと共に

第138回(2017年12月) ホームレス会議で気づいたタイ人にできて日本人にできないこと

 HIV/AIDSに関係があるわけではありませんが、2017年12月10日大阪市の某所で「第3回大阪ホームレス会議」が開催されたので行ってきました。この「会議」は、ホームレスの人々の自立を応援する「ビッグイシュー基金」が主催しています。『ビッグイシュー』は街角に立つホームレスの人たちが販売している雑誌で、およそ10年前から東京や大阪の街頭ではおなじみの光景になっています。私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)では以前からビッグイシュー基金のスポンサーをしていることもあり今回の会議に参加することになった(といっても聴きに行っただけですが)のですが、実は私が参加したもうひとつの「理由」があります。

 その理由とは、テーマが「食」であったということです。谷口医院は都心部に位置していることもあり、患者層は比較的若い働く世代に多いという特徴があります。その働いている人々のなかで「シングルマザー」は少なくありません。元夫と死別(こちらは少数)もしくは離婚(これがほとんど)し、小さな子供(たち)を自分ひとりで育てねばならなくなった、そしてなかには、両親がいない(もしくは絶縁状態)、さらに周りに助けてくれる人が誰もいない、というケースもまあまああります。というより、こういうケースが年々増えています。

 そんなシングルマザーたちのほとんどは子供に対する"愛情"はあるのですが、うまく伝わっていない、というか、結果として"虐待"と呼べるような行動をとってしまう場合もあります。以前にもコラムで述べたことがあるのですが、私はこのような虐待があるならば、子供と同時に母親を支援すべきだという考えを持っています。もちろん生命の危険が脅かされる前に子供を親から引き離さなければならないようなケースもありますが、母親の支援なくして母子対策はおこなえない、というのが私の考えです。

 シングルマザーが昼間仕事をしていると、どうしても子供の食事がおろそかになります。毎日子供に愛情をこめた食事をつくる余裕はないのです。そんななか、数年前から「子ども食堂」と呼ばれる、子供たちに無料(もしくは低額)でごはんを食べさせてくれる食堂ができ始めました。これは個人もしくはNPO法人が運営している食堂で、母子家庭の子供に限らず、誰でも気軽に利用することができます。私は(GINAとしてではなく個人として)いくつかの子ども食堂を支援していることもあり、2017年11月に大阪で開催された「子ども食堂サミット」にも参加していました(といっても聴きにいっただけですが)。

 話を戻します。ホームレス会議のテーマが「食」で、子ども食堂を運営している人たちもパネリストとして登壇されると聞きましたから、これは参加しないわけにはいかない、と考えたのです。会議を通して最もインパクトがあったのが「ホームレス」当事者の人たちの言葉です。(ここでいう「ホームレス」は文字通り「家がなく野宿している」という意味ではなく『ビッグイシュー』を街頭で販売している人たちです)
 
 当事者の人たちにもいろんなタイプがいて、次から次へとユーモアを交えて流暢に話す人もいれば、ひとつひとつの言葉をじっくりと選びながら思いを訴える人もいました。そういった人たちの話で私が最も印象に残ったのは「飢えることの苦痛」です。その日に食べるものがない、ということがどれだけ辛いか...。そして頼れる人がどこにもいないということにどれだけ絶望するか...。会議で登壇されていたあるNPOの人の話によれば、少なくない日本人が毎年餓死で亡くなられるそうです。

 そして、一方ではどれだけの食べ物が廃棄されているか...。環境省のウェブサイトによれば、年間621万トンもの食品ロス(廃棄)があります。高月紘著『ごみ問題とライフスタイル―こんな暮らしは続かない』(日本評論社)によれば、一般家庭では年間3.2兆円、外食産業では11.1兆円もの損失がでているそうです。

 その日に食べるものがない......。これがどれだけつらいことか。私の個人的見解を言えばこれは「難民」の定義です。私の性格は"優しくない"ので、友人・知人から「自分ほど不幸な人間はいない」などと言われると、「その日に食べるものがない人のことを考えたことがあるのか!」と返したくなります。(実際に発言すると嫌われますから口には出しませんが。それでも嫌われるのを覚悟で言うこともたまにはあります...)

 その日に食べるものがない人がいる同じ国で、年間11.1兆円もの食品を捨てているというこの現実...。「食」についてはいろいろと言いたいことがあるのですが、ここではこれ以上は踏み込まずに、私が感じた日本とタイの違いを紹介したいと思います。

 その日に食べるものがない、が私流の「難民」の定義です。そしてタイでこの定義にあてはまる人は文字通りの「難民」であり、例えばミャンマーの民族紛争を逃れてやってきた人や、タイに入国するのは至難の業ですがなんとかやってきたロヒンギャの人たちなどです。一方、HIV陽性の人たちはどうでしょうか。

 このサイトで何度も述べたように2000年代前半頃までは、HIV陽性者は地域社会で生きていくことができず、町や村を追い出されていました。感染が知られると、食堂に入っても食器を投げつけられ追い返されていたのです。ですが、感染者はまったく食べるものがなく餓死していたのかというとそういうわけではありません。タイでは誰かが食べ物を恵んでくれるのです。(タイ人に食事を恵んでもらい生き延びる日本人のホームレスの話を過去のコラムで紹介したことがあります)

 私が個人としてもGINAとしてもタイのHIV陽性者を支援しているなかで、「感染者が餓死した」という話はまったくないわけではありませんが(例えば、やせほそった赤ちゃんがエイズ施設の前に置き去りにされていて発見された時にはすでに死亡していた、ということが過去にはありました)、食べ物を得ようと思えばタイではなんとかなります。

 よくタイのツアーガイドなどは「道端のホームレスにお金をあげてはいけません」と言います。これは障害を抱えたホームレスや小さい子供を牛耳っているのはマフィアであり、お金をあげてもマフィアに吸い取られるだけだからだ、というのが理由ですが、こういったホームレスたちをよく観察しているとタイ人がお金をあげている姿が目に留まります。それも身なりから判断して貧しい階層の人たちが恵んでいるのです。あるとき、私はそのホームレスが自分の食料を寄り添ってきた犬にあげているのを見てこの国の"仕組み"が理解できました。
 
 つまり、タイでは「助け合い」が社会の基本なのです。この「助け合い」は我々日本人が言う助け合い、つまり「困ったときはお互い様」とは異なるものです。タイには「タンブン」という「お布施」を表す言葉がありこの概念とつながります。要するに、お金や物がある者は無い者に恵むのが"当然"なのです。金持ちは貧しい者に、貧しい者はさらに貧しい者に、最も貧しい者は動物に分け与えるというわけです。タイ人と食事に行って奢ってあげても感謝の言葉がないのは彼(女)らが礼儀知らずなのではなくタイの文化に即して考えれば当然なのです。

 タイの町や村を早朝歩いていると僧侶が托鉢をしている光景をよく目にします。鉢を持って歩いているとどこからともなく住民が駆け寄り、米や野菜、卵などをその鉢に入れていきます。僧侶たちはこれを寺に持ち帰ります。あるタイ人によれば、食べ物がなくなりどうしようもなくなっても寺に行けば何かを食べさせてくれるそうです。

 翻って日本はどうでしょうか。最近まで会社勤めをしていてもリストラで職を失えば一気にホームレスまで転落することもあります。冒頭で紹介したホームレス会議に登壇していた当事者の人たちもそうです。そしていったんホームレスになると支援の手はそう多くありません。寺に行ってもごはんを食べさせてくれるわけではないでしょう。我々のすぐそばにその日に食べるものがなく困っている人がいて、誰がいつホームレスになってもおかしくないのが現実であることを認識すべきです。

 そして、タイに倣え、とは言いませんが、我々ひとりひとりがこの国で何をすべきかを考えなければなりません。今すぐできることもあるはずです。