GINAと共に

第50回 HIVが女性に感染しやすい2つの理由(2010年8月)

 日本のHIV陽性者は、性別でみると圧倒的に男性に多いのが特徴です。

 1985~2008年の累積報告数(凝固因子製剤による感染例を除く)は、HIV感染者(判明時にまだエイズを発症していないHIV陽性者)が10,552人(男8,590人、女1,962人)、エイズ患者(判明時にすでにエイズを発症していたHIV陽性者)は4,899人(男4,307人、女592人)となります。これらを合わせると、HIV陽性者全体で15,451人、男性が12,897人、女性が2,554人となりますから、感染者の83%が男性ということになります。

 日本のHIV感染の特徴のひとつは、性交渉を介した感染が圧倒的に多く、静脈注射(針の使いまわし)や母子感染は他国に比べると少ないということです。要するに、HIVは日本では「性感染症のひとつ」として捉えられることが多いのです。

 HIV感染の8割以上が男性、という数字だけをみると、一見HIVは男性に感染しやすいのでは、と錯覚してしまいます。しかし、ことはそう単純ではありません。男性の感染者が圧倒的に多いのは、同性間の性交渉での感染が多いからであって、女性が感染しにくい、というわけでは決してありません。

 今回お話したいのは、「HIVは数字だけをみていると圧倒的に男性の病気のように思われるけれども、実は女性の方が感染しやすいんですよ」、ということです。(便宜上、ここから「男性」は、ストレートの男性(異性愛者)に限り、男性と性交渉をもつ男性は含まないこととします)

女性の方が感染しやすい理由は主に2つあります。

 1つは、男性と女性を解剖学的に比べた場合、圧倒的に女性器の方が感染の危険に晒されやすい、という理由です。これは少し想像してみれば簡単に理解できると思います。男性の場合、HIV感染が成立するのは、病原体(HIV)が尿道に入り、そこから何らかの機序を経て体内に侵入したときです。尿道口の面積は、腟の面積に比べて圧倒的に小さいですし、たとえHIVが尿道に侵入したとしても、性交後速やかに排尿をおこなえば、HIVが尿と一緒に排出され感染が成立しない可能性もあり得ます。

 一方、女性の場合は、HIVが含まれた精液が腟内に入ってきても尿と一緒に外部にでていく、ということはありません。尿道に感染するわけではないからです。(しかし理論的にはHIVが女性の尿道から侵入し感染が成立するということはあり得ます。ちなみに、女性の患者さんで淋菌が子宮頸部に感染せずに尿道にだけ感染している場合がときどきあります)

 性交後直ちに腟内を洗浄する、という方法をとればいくぶん感染のリスクを下げられるかもしれませんが、そのときには子宮頸部から子宮の奥の方にHIVを含んだ精液が侵入している可能性がありますから、こうなれば洗浄は役に立ちません。また膣内のヒダは、(男性の尿道と比べると)表面積はかなり大きくなるでしょうし、尿道に比べると膣壁には微小な傷が観察されることがよくあります。これらを考えると、性交後に腟内を洗浄して感染症を防ぐ、などといったことは「やらないよりはまし」といった程度です。

 解剖学的に女性の方が感染の危険に晒されやすいのは、何もHIVに限ったことではありません。実際、性感染症のほとんどは女性の方がかかりやすいのです。さらに、私の医師としての経験で言えば、男性の場合、例えばクラミジアなどであれば、いったん感染しても自然に治癒することがまあまああります。これは、尿道内で病原体が増殖してもある程度の免疫力が備わっていれば、増殖にストップをかけ排尿時に病原体を排出するからではないかと思われます。ですから、ある男性がある女性からクラミジアをうつされ、それを自身が気付かないまま別の女性にうつし、その後男性自身は自然治癒していた、などということが実際にあるのです。(臨床上、そうとしか考えられないような事例がときどきあります)

 さて、HIV感染が女性に不利なもうひとつの理由は社会的な観点から説明されます。2010年7月にウイーンで第18回国際エイズ会議が開かれたのですが、その会議でオウマ・オバマ氏(米国大統領のバラク・オバマ氏の異母姉)が、スピーチで、「エイズの危険に最も晒されているのは、アフリカの貧困層の女性である」と述べています。オバマ氏は次のようにコメントしています。(7月20日のAFP通信が報道しています)

 「何よりも、まずは女性たちが"NO"と言えるようにならなければならない・・・」

 アフリカのほとんどの社会では、女性の社会的立場が男性よりも大変低く、多くの女性は性行動に対して男性に支配されていると言われています。「性行動に対して男性に支配されている」とは、ややこしい言い方ですが、分かりやすく言うと、「自分の夫が望めば性交渉を拒否することはできない。たとえ、夫に複数の愛人がいたとしても。さらに、コンドームの使用をお願いすることもできない・・・」、という感じになります。

 実際、アフリカではコンドームを使用しない(したがらない)男性が少なくないらしく、そのため女性が自分自身で腟内に塗れるクリームやジェルの開発が進んでいます。このクリームやジェルは、ウイルスを死滅させ、粘膜への侵入を防ぐ効果があり、HIV感染予防の有用なツールとされているのです。

 そうか、アフリカは(日本と違って)女性の地位が低いんだな・・・

 そう感じる人もいるでしょうが、この点に関しては日本でもそれほどアフリカと違いがあるわけではありません。たしかに、日本の女性は、以前に比べると随分と社会的地位が向上し、職場や地域社会では男性と同等の地位が与えられていることも少なくないでしょう。

 しかしながら、家庭内では、もっと言えば<性行為>という観点で考えれば、女性の方が圧倒的に不利なのです。「いくらいっても主人がコンドームをしてくれなくて・・・」と言って定期的に性感染症の検査を受けにくる女性の患者さん(主婦)を診察することがしばしばあります。彼女らは、「主人には愛人が複数いる」、「ダンナの趣味は風俗通い」、などと言います。私が「ご主人の行動を改めてもらおうと思わないのですか」と尋ねると、「何度も言いましたが主人のクセは治らないのです・・・」、という答えが返ってくるのです。(「そんなダンナだったらさっさと別れればいいのに・・・」と感じる人もいるでしょうが、彼女らにはそれなりの事情があってなかなかむつかしいようです)

 また、実際に自分の夫や交際相手から繰り返し性感染症をうつされている患者さん(10代から50代まで!)も珍しくありません。なかには、自分の夫、もしくは長期間交際している男性からHIVをうつされたというケースもあります。

 タイではHIVの新規感染の最多理由が「自分の夫からの感染」です。2位が男性同性愛、3位がセックスワーク(売買春、風俗)と続きます。これを受けて、最近のエイズ啓蒙活動では「家庭内でもコンドームを」と言われることが増えてきています。ちなみに、タイでは概して言えば女性の地位がそれほど低いわけではありません。ホワイトカラーだけでみれば女性の方がむしろ地位が高いようにすら感じます。ただし、(特に貧困地域の)家庭内では夫からの暴力を受けていたり、日本と同様に性行為を拒めなかったりという問題はあります。

 私はフェミニストではありませんが、日本の女性の立場を<性行為>という観点で考えれば、男性よりも遥かに脆弱、と感じざるを得ません。レイプの被害者はほとんどが女性ですし、既婚者で言えば圧倒的に「夫から性感染症をうつされた妻」が多く、その逆に「妻がしょっちゅう浮気をするもんで、僕が定期的に性感染症の検査をしなければならないんですよ」、と言っている男性はあまりいません。(皆無ではありませんが)

 HIVを含む性感染症を性差で考えたとき、解剖学的にも社会的にも女性が不利であることを、各自が考え直すべきではないでしょうか。