GINAと共に
第20回 医療機関でHIV検査を受ける意義 (2008年2月)
日本の厚生労働省のエイズ動向委員会は、2008年2月12日、2007年に日本で新たに報告されたHIV感染者及びエイズ発症者の数を発表しました。
発表によりますと、2007年に新規にHIV感染がわかった人が1,048人、すでにエイズを発症していた人が400人で、合計1,448人となります。これは過去最多であり、感染者・発症者の合計報告数は2003年以降、5年連続で最多を更新し続けています。
これだけ多くの人が新たに感染が判った理由のひとつとして、厚生労働省は「検査を受ける人が増えたからではないか」と分析しています。
たしかに、保健所など公的機関で検査を受ける人は増えていますし、すてらめいとクリニック(私が院長をつとめるクリニック)にもHIVの検査目的で受診される方がおられます。
HIVの検査は保健所で受けるべきか、それとも医療機関で受けるべきか・・・。
この点で悩まれている方は少なくないのではないでしょうか。今回は、どういった方が保健所に行くべきで、どういった方が医療機関を受診すべきなのか、について述べてみたいと思います。
まず、「何の症状もないけど、念のために検査しておきたい」、「何の症状もないけど、記念検査としてHIVを調べたい」、などといった「何の症状もない」人は保健所で充分だと思います。
ただし、多くの保健所などの公的機関では、結果が出るまでに1週間程度かかりますから、「何の症状もないんだけど、どうしても結果をすぐに知りたい」、という人は、医療機関を受診すればいいかもしれません。(ただし、医療機関のなかにも検査結果がすぐに出ないところもあります)
一方、何か症状のある人は医療機関を受診する方が賢明でしょう。
例えば、こういうケースを考えてみましょう。
******
1ヶ月前にタイ旅行をした30歳の男性。現地で仲良くなったタイ女性と性交渉をもってしまった。腟交渉のときはコンドームを使ったけど、フェラチオではコンドームを使わなかった。帰国後1ヶ月してから身体がだるくなって熱が出てきたので突然HIVが心配になった。
******
この人は、HIVの急性症状を心配しています。急性症状とは、HIVに感染後、数週から数ヶ月以内に生じる倦怠感や発熱などをいいます。この人がHIVのみを心配して保健所を受診したとします。そして結果は陰性だったとします。さて、これで問題は解決したでしょうか。
答えは否です。
通常、我々医師は、キケンな性行為(unprotected sex)の後に発熱や倦怠感を認めた場合は、まずB型肝炎とC型肝炎を疑います。(さらに同性愛者の場合はこれにA型肝炎を加えます)
また、このケースでは、東南アジアから帰国後の発熱ですから、下痢や体重減少、腹痛、嘔気などの有無を問診で確認した後に、時間をかけて身体の診察をおこないます。考えるべき疾患として、マラリアやデング熱、結核、場合によってはアメーバ赤痢やランブル鞭毛虫なども検討するかもしれません。
つまるところ、患者さんの側からみたときにはHIVしか思いつかなくても、我々医師からみたときには鑑別しなければならない疾患がたくさんあるのです。ですから、HIVが陰性であったとしても何も解決はしていないのです。上にあげた疾患には治る病気もありますが、B型肝炎やC型肝炎は"治る病気"とは言いがたい疾患です。
このように何か症状のある人は医療機関を受診すべきと言えます。
"何か症状のある"は発熱や倦怠感といった身体症状でなくてもかまいません。「不安が強い」「眠れない」などといった精神症状が強い場合でも医療機関を受診する方が賢明な場合があります。
その理由として、ひとつは、保健所などの検査では結果が出るまでに1週間ほどかかり、感染の不安に耐え切れないという問題があります。一方、医療機関であればすぐに結果が出ますから不安にさいなまれる時間が短くてすみます。(ただし、地域によっては保健所などで即日検査を実施しているところもありますし、逆に医療機関でも1週間程度待たなければならないところもあります)
もうひとつの理由として、そしてこちらの方が重要なのですが、医療機関を受診すれば、「不安」や「不眠」に対する治療をおこなうことができるという点があげられます。「不安」や「不眠」は放っておかない方が賢明な場合が少なくありません。特に「不安」は無治療でいると、「不安」が「不安」を引き起こし、どんどん深みにはまっていくことがあります。こんなときは、早い段階で「不安」を断ち切ってあげることが大切です。
「不安」をとめるのには何も「抗不安薬」だけではありません。場合によっては、漢方薬も有効ですし、カウンセリングが著効することもあります。こういった「不安」や「不眠」に対し、より適切に対応できるのが医療機関だというわけです。
ただ、カウンセリングに関していえば、保健所やその他検査機関でも、相談員は通常こういったケースに対応できるようにトレーニングを受けていますから、まずは保健所などで話を聞いてもらうのが有効なこともあります。
最後になりますが、保健所など検査機関と医療機関の違いとして重要なのが、無料か有料かということです。
検査機関での検査は通常無料です。これは国や地方自治体などがお金を出しているからです。なぜ、お金を出すかというと、公衆衛生学的にHIVを考えたとき、行政にはHIVの蔓延を阻止する義務があるからです。
現在のところ、日本という国は、HIV感染が他に例をみないくらい低頻度におさえられています。ただ、少しずつ増えているのも事実であり、このまま進めば日本でのHIV感染が爆発的に増加するおそれがあります。もしも日本でHIV感染が一気に広まれば、急速に医療費が増加することになり、日本の医療が崩壊しかねません。これをくいとめるためには、予防にお金をつぎこんで、新規感染を防がなければならないのです。
これが、行政がHIV検査に費用をかける最大の理由です。しかしながら、一個人でみたときには少し事情が異なります。HIVだけに気をとられてしまって、他の疾患が見逃されるようなことがあれば、不利益を被ってしまいます。
保健所などの検査機関がいいか、医療機関がいいかは個々のケースによって異なります。
どちらを受診する方がいいかについてよく考える必要があるでしょう。
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発表によりますと、2007年に新規にHIV感染がわかった人が1,048人、すでにエイズを発症していた人が400人で、合計1,448人となります。これは過去最多であり、感染者・発症者の合計報告数は2003年以降、5年連続で最多を更新し続けています。
これだけ多くの人が新たに感染が判った理由のひとつとして、厚生労働省は「検査を受ける人が増えたからではないか」と分析しています。
たしかに、保健所など公的機関で検査を受ける人は増えていますし、すてらめいとクリニック(私が院長をつとめるクリニック)にもHIVの検査目的で受診される方がおられます。
HIVの検査は保健所で受けるべきか、それとも医療機関で受けるべきか・・・。
この点で悩まれている方は少なくないのではないでしょうか。今回は、どういった方が保健所に行くべきで、どういった方が医療機関を受診すべきなのか、について述べてみたいと思います。
まず、「何の症状もないけど、念のために検査しておきたい」、「何の症状もないけど、記念検査としてHIVを調べたい」、などといった「何の症状もない」人は保健所で充分だと思います。
ただし、多くの保健所などの公的機関では、結果が出るまでに1週間程度かかりますから、「何の症状もないんだけど、どうしても結果をすぐに知りたい」、という人は、医療機関を受診すればいいかもしれません。(ただし、医療機関のなかにも検査結果がすぐに出ないところもあります)
一方、何か症状のある人は医療機関を受診する方が賢明でしょう。
例えば、こういうケースを考えてみましょう。
******
1ヶ月前にタイ旅行をした30歳の男性。現地で仲良くなったタイ女性と性交渉をもってしまった。腟交渉のときはコンドームを使ったけど、フェラチオではコンドームを使わなかった。帰国後1ヶ月してから身体がだるくなって熱が出てきたので突然HIVが心配になった。
******
この人は、HIVの急性症状を心配しています。急性症状とは、HIVに感染後、数週から数ヶ月以内に生じる倦怠感や発熱などをいいます。この人がHIVのみを心配して保健所を受診したとします。そして結果は陰性だったとします。さて、これで問題は解決したでしょうか。
答えは否です。
通常、我々医師は、キケンな性行為(unprotected sex)の後に発熱や倦怠感を認めた場合は、まずB型肝炎とC型肝炎を疑います。(さらに同性愛者の場合はこれにA型肝炎を加えます)
また、このケースでは、東南アジアから帰国後の発熱ですから、下痢や体重減少、腹痛、嘔気などの有無を問診で確認した後に、時間をかけて身体の診察をおこないます。考えるべき疾患として、マラリアやデング熱、結核、場合によってはアメーバ赤痢やランブル鞭毛虫なども検討するかもしれません。
つまるところ、患者さんの側からみたときにはHIVしか思いつかなくても、我々医師からみたときには鑑別しなければならない疾患がたくさんあるのです。ですから、HIVが陰性であったとしても何も解決はしていないのです。上にあげた疾患には治る病気もありますが、B型肝炎やC型肝炎は"治る病気"とは言いがたい疾患です。
このように何か症状のある人は医療機関を受診すべきと言えます。
"何か症状のある"は発熱や倦怠感といった身体症状でなくてもかまいません。「不安が強い」「眠れない」などといった精神症状が強い場合でも医療機関を受診する方が賢明な場合があります。
その理由として、ひとつは、保健所などの検査では結果が出るまでに1週間ほどかかり、感染の不安に耐え切れないという問題があります。一方、医療機関であればすぐに結果が出ますから不安にさいなまれる時間が短くてすみます。(ただし、地域によっては保健所などで即日検査を実施しているところもありますし、逆に医療機関でも1週間程度待たなければならないところもあります)
もうひとつの理由として、そしてこちらの方が重要なのですが、医療機関を受診すれば、「不安」や「不眠」に対する治療をおこなうことができるという点があげられます。「不安」や「不眠」は放っておかない方が賢明な場合が少なくありません。特に「不安」は無治療でいると、「不安」が「不安」を引き起こし、どんどん深みにはまっていくことがあります。こんなときは、早い段階で「不安」を断ち切ってあげることが大切です。
「不安」をとめるのには何も「抗不安薬」だけではありません。場合によっては、漢方薬も有効ですし、カウンセリングが著効することもあります。こういった「不安」や「不眠」に対し、より適切に対応できるのが医療機関だというわけです。
ただ、カウンセリングに関していえば、保健所やその他検査機関でも、相談員は通常こういったケースに対応できるようにトレーニングを受けていますから、まずは保健所などで話を聞いてもらうのが有効なこともあります。
最後になりますが、保健所など検査機関と医療機関の違いとして重要なのが、無料か有料かということです。
検査機関での検査は通常無料です。これは国や地方自治体などがお金を出しているからです。なぜ、お金を出すかというと、公衆衛生学的にHIVを考えたとき、行政にはHIVの蔓延を阻止する義務があるからです。
現在のところ、日本という国は、HIV感染が他に例をみないくらい低頻度におさえられています。ただ、少しずつ増えているのも事実であり、このまま進めば日本でのHIV感染が爆発的に増加するおそれがあります。もしも日本でHIV感染が一気に広まれば、急速に医療費が増加することになり、日本の医療が崩壊しかねません。これをくいとめるためには、予防にお金をつぎこんで、新規感染を防がなければならないのです。
これが、行政がHIV検査に費用をかける最大の理由です。しかしながら、一個人でみたときには少し事情が異なります。HIVだけに気をとられてしまって、他の疾患が見逃されるようなことがあれば、不利益を被ってしまいます。
保健所などの検査機関がいいか、医療機関がいいかは個々のケースによって異なります。
どちらを受診する方がいいかについてよく考える必要があるでしょう。
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第19回 美しきイサーン地方(2008年1月)
年末年始に久しぶりにタイに渡航してきました。
日本と同様、タイでも年末年始は帰省のシーズンで家族が集まる貴重な季節です。会社や店も休みになりますし、みんなが休暇をとる機会ということもあって、私は今回の渡航では、GINA関連の関係者と会う時間を最低限におさえました。
いえ、というより、昨年(2007年)はクリニックをオープンさせたこともあって、休みなく働き続けることになり、精神的にけっこうまいってしまっていたので、私自身が仕事ではなく休暇としてタイでのんびりしたかったのです。
私は、個人的にバンコクがあまり好きではありません。空気が汚い、人が多すぎる、物価が高い(といってもしれてますが)、といったこともありますが、最大の理由は「私の思うタイらしさがない」からです。
私が思うタイらしい町というのは、人があまりいなくて、自然の美しい、南部や北部、そして東北地方(イサーン地方)です。
南部は今現在も治安が悪いですし、北部は、チェンマイは最近都心化がすすんで空気が汚くなっていますし、チェンマイ以外の北部はアクセスが悪く到着するのに時間がかかりますし・・・、ということで、私はひとりでイサーン地方(タイ語の発音では"イサーン"より"イーサーン"の方が適していると思うのですが、日本語のほとんどの出版物が"イサーン"となっているので、ここでも"イサーン"としておきます)に行くことにしました。
深夜バスでウドンタニ県まで移動し、のんびりしようと思っていたときに、偶然タイの知人から電話がありました。ウドンタニ県に来ていることを告げると、その知人(タイ人夫婦)はウドンタニ県の近くのサコンナコン県に帰省しているから、家まで遊びに来い、と言います。彼らは、ふだんはバンコクで共働きしているのですが、正月の間は奥さんの実家に里帰りしているそうなのです。
私はその申し入れにふたつ返事をして、サコンナコン県に向かいました。到着したのは、1月1日のお昼頃で、彼らはこれから親戚を集めてパーティをおこなうと言います。
パーティ会場(そこは田んぼの横の広場でした)に到着すると、村の若い男性数人が飼っているブタを1匹殺しているとこでした。暴れるブタを数人で押さえつけて、頚動脈をナイフでひとつきすると、ブヒと最後の叫び声をあげて死に絶えました。
彼らは慣れた手つきでブタの毛をそいでいきます。焚き火でわかした湯をブタにかけ、器用なナイフさばきで毛を落としていくのです。私も少し手伝わせてもらいましたが、彼らがおこなうようにはうまくいきません。
皮をはぎ終わると、4つの足を関節から外し(外された足は豚足として食べます)、さらに耳としっぽ、舌を切り落とし(これらも後に串焼きにして食べます)、そしておなかをあけて内蔵を取り出しました。
解剖実習や、研修医時代の腹部の手術で人のおなかをあけることには慣れているつもりでしたが、そんな私からみても彼らの包丁さばきには見とれてしまいました。腸をとりだし、肝臓を丁寧に摘出し(もちろん後に食べます)、さらに胃や肺、心臓をとりだします。タイではブタの血も料理に使いますから、大動脈を切断しそこから器用に血液を容器に入れます。残った部分が筋肉と脂肪で普通に食べられる部分です。
足を落とされ、内蔵を取り出されたブタは竹にさされて焚き火であぶられます。少し時間がたつと、いい具合に焼けてきて周囲にいい香りが充満してきました。
この作業をしながら、すでに容易されているソムタム・プララー(イサーン風パパイヤサラダのこと。バンコクなどで食べられるソムタム・タイは日本人にも人気のメニューだが、プララーと呼ばれる醗酵させた魚が入っているこのソムタムはかなりクセのある料理)と、お酒をみんなで楽しんでいます。
ブタが焼けると、これをスライスして、文字通りできたてのブタの丸焼きをみんなで食べました。このブタがどれだけ美味しかったか! 私には形容する言葉が見つかりません。
翌日は、そのタイ人夫婦とともに、ローイ県(正しい発音は"ローイ"と"ルーイ"の中間のような音です)に行きました。ローイ県はイサーン地方のなかで最北部に位置し山の上にある県です。ピックアップトラックの後ろに乗せてもらい、この県に向かったのですが、この時間が私にはとてつもなく苦痛でした。
日本ではピックアップトラックの後ろに乗る経験はできませんから(もちろん日本では違法です)、きっと貴重な楽しい体験になると思っていたのですが、私はイサーン地方の冬は寒いということをすっかり忘れていた、というかなめていたのです。
タイ人が寒いといってもしれてるだろう・・・、そのように考えていたのです。ところが、真冬のイサーン地方、それも標高が最も高い地方にピックアップトラックの後ろに乗って行くというのは苦痛以外の何ものでもありません。
けれども、その寒さに耐えてたどり着いたローイ県は本当に美しい地域でした。きれいな山に囲まれて、美しい花にめぐまれたその地域は、そこにいるだけで心が癒されるようなユートピアだったのです。人々も大変親切で、ほとんどの人が日本人と話すのは初めてだったということもあるでしょうが、誰と接してもほんとに優しくしてくれたのです。
*******
今回、私が訪ねたサコンナコン県、ローイ県とも、日本人どころか外国人もほとんど住んでいません。住むどころか、旅行で訪れる外国人もほとんどいないでしょう。
けれども、こういうところにこそ、本来の美しいタイがあるのではないかと私は考えています。
ローイ県からサコンナコン県に戻り、深夜バスでバンコクに帰るバスのなかで感じたことがあります。
私が今回訪ねたサコンナコン県、ローイ県は、双方ともタイのなかで最も貧しいといわれているイサーン地方のなかでも特に貧しい県です。イサーン地方のなかでも比較的裕福なナコンラチャシマ県(コラート)やウボンラチャタニ県に比べると、単に田舎というだけでなく外国人も少ないという特徴があります。
そしてもうひとつの特徴は、若い女性がほとんどいないということです。
おそらく彼女らの大半はバンコクやプーケットに出稼ぎにいっているのでしょう。そしてその何割かは売春産業に関係していることが予想されます。
貧困と売春、そしてHIV・・・、美しいイサーン地方を訪れた帰りのバスのなかで、私はそんなことに思いを巡らせていました。
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日本と同様、タイでも年末年始は帰省のシーズンで家族が集まる貴重な季節です。会社や店も休みになりますし、みんなが休暇をとる機会ということもあって、私は今回の渡航では、GINA関連の関係者と会う時間を最低限におさえました。
いえ、というより、昨年(2007年)はクリニックをオープンさせたこともあって、休みなく働き続けることになり、精神的にけっこうまいってしまっていたので、私自身が仕事ではなく休暇としてタイでのんびりしたかったのです。
私は、個人的にバンコクがあまり好きではありません。空気が汚い、人が多すぎる、物価が高い(といってもしれてますが)、といったこともありますが、最大の理由は「私の思うタイらしさがない」からです。
私が思うタイらしい町というのは、人があまりいなくて、自然の美しい、南部や北部、そして東北地方(イサーン地方)です。
南部は今現在も治安が悪いですし、北部は、チェンマイは最近都心化がすすんで空気が汚くなっていますし、チェンマイ以外の北部はアクセスが悪く到着するのに時間がかかりますし・・・、ということで、私はひとりでイサーン地方(タイ語の発音では"イサーン"より"イーサーン"の方が適していると思うのですが、日本語のほとんどの出版物が"イサーン"となっているので、ここでも"イサーン"としておきます)に行くことにしました。
深夜バスでウドンタニ県まで移動し、のんびりしようと思っていたときに、偶然タイの知人から電話がありました。ウドンタニ県に来ていることを告げると、その知人(タイ人夫婦)はウドンタニ県の近くのサコンナコン県に帰省しているから、家まで遊びに来い、と言います。彼らは、ふだんはバンコクで共働きしているのですが、正月の間は奥さんの実家に里帰りしているそうなのです。
私はその申し入れにふたつ返事をして、サコンナコン県に向かいました。到着したのは、1月1日のお昼頃で、彼らはこれから親戚を集めてパーティをおこなうと言います。
パーティ会場(そこは田んぼの横の広場でした)に到着すると、村の若い男性数人が飼っているブタを1匹殺しているとこでした。暴れるブタを数人で押さえつけて、頚動脈をナイフでひとつきすると、ブヒと最後の叫び声をあげて死に絶えました。
彼らは慣れた手つきでブタの毛をそいでいきます。焚き火でわかした湯をブタにかけ、器用なナイフさばきで毛を落としていくのです。私も少し手伝わせてもらいましたが、彼らがおこなうようにはうまくいきません。
皮をはぎ終わると、4つの足を関節から外し(外された足は豚足として食べます)、さらに耳としっぽ、舌を切り落とし(これらも後に串焼きにして食べます)、そしておなかをあけて内蔵を取り出しました。
解剖実習や、研修医時代の腹部の手術で人のおなかをあけることには慣れているつもりでしたが、そんな私からみても彼らの包丁さばきには見とれてしまいました。腸をとりだし、肝臓を丁寧に摘出し(もちろん後に食べます)、さらに胃や肺、心臓をとりだします。タイではブタの血も料理に使いますから、大動脈を切断しそこから器用に血液を容器に入れます。残った部分が筋肉と脂肪で普通に食べられる部分です。
足を落とされ、内蔵を取り出されたブタは竹にさされて焚き火であぶられます。少し時間がたつと、いい具合に焼けてきて周囲にいい香りが充満してきました。
この作業をしながら、すでに容易されているソムタム・プララー(イサーン風パパイヤサラダのこと。バンコクなどで食べられるソムタム・タイは日本人にも人気のメニューだが、プララーと呼ばれる醗酵させた魚が入っているこのソムタムはかなりクセのある料理)と、お酒をみんなで楽しんでいます。
ブタが焼けると、これをスライスして、文字通りできたてのブタの丸焼きをみんなで食べました。このブタがどれだけ美味しかったか! 私には形容する言葉が見つかりません。
翌日は、そのタイ人夫婦とともに、ローイ県(正しい発音は"ローイ"と"ルーイ"の中間のような音です)に行きました。ローイ県はイサーン地方のなかで最北部に位置し山の上にある県です。ピックアップトラックの後ろに乗せてもらい、この県に向かったのですが、この時間が私にはとてつもなく苦痛でした。
日本ではピックアップトラックの後ろに乗る経験はできませんから(もちろん日本では違法です)、きっと貴重な楽しい体験になると思っていたのですが、私はイサーン地方の冬は寒いということをすっかり忘れていた、というかなめていたのです。
タイ人が寒いといってもしれてるだろう・・・、そのように考えていたのです。ところが、真冬のイサーン地方、それも標高が最も高い地方にピックアップトラックの後ろに乗って行くというのは苦痛以外の何ものでもありません。
けれども、その寒さに耐えてたどり着いたローイ県は本当に美しい地域でした。きれいな山に囲まれて、美しい花にめぐまれたその地域は、そこにいるだけで心が癒されるようなユートピアだったのです。人々も大変親切で、ほとんどの人が日本人と話すのは初めてだったということもあるでしょうが、誰と接してもほんとに優しくしてくれたのです。
*******
今回、私が訪ねたサコンナコン県、ローイ県とも、日本人どころか外国人もほとんど住んでいません。住むどころか、旅行で訪れる外国人もほとんどいないでしょう。
けれども、こういうところにこそ、本来の美しいタイがあるのではないかと私は考えています。
ローイ県からサコンナコン県に戻り、深夜バスでバンコクに帰るバスのなかで感じたことがあります。
私が今回訪ねたサコンナコン県、ローイ県は、双方ともタイのなかで最も貧しいといわれているイサーン地方のなかでも特に貧しい県です。イサーン地方のなかでも比較的裕福なナコンラチャシマ県(コラート)やウボンラチャタニ県に比べると、単に田舎というだけでなく外国人も少ないという特徴があります。
そしてもうひとつの特徴は、若い女性がほとんどいないということです。
おそらく彼女らの大半はバンコクやプーケットに出稼ぎにいっているのでしょう。そしてその何割かは売春産業に関係していることが予想されます。
貧困と売春、そしてHIV・・・、美しいイサーン地方を訪れた帰りのバスのなかで、私はそんなことに思いを巡らせていました。
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第18回 第21回日本エイズ学会とGINAの今後(2007年12月)
昨年東京でおこなわれた第20回日本エイズ学会は、「HIV陽性者によるHIV陽性者の支援」というタイトルで、タイ国パヤオ県のある地域のピア・エデュケーションの実情を紹介、第21回となる広島で開催された今年の日本エイズ学会では、「タイ国のIndependent Sex Workersの意識と行動」というタイトルで、このウェブサイトにも紹介したタイのフリーのセックスワーカーに対する調査結果を報告しました。
昨年の東京では、私自身は学会にはフル参加しましたが、GINAの展示はおこないませんでした。(というよりNPOの展示ブースはなかったと思います)
今年はNPO法人のブースを出展できたので、私自身はクリニックの仕事の関係で半日しか参加できませんでしたが、GINAの活動内容を紹介する目的でブース展示をおこないました。
さて、今後のGINAの活動ですが、私自身がすてらめいとクリニックを始めてからというもの、タイに渡航できる時間がほとんどなくなった為に、現在のタイでの活動は、タイのGINAスタッフ、もしくは何人かのタイ在住のGINAに関連する日本人とタイ人にまかせるようにしています。こちらからは、支援金や薬剤の送付や情報提供などが今後のタイでの活動の中心になると思います。
そして最近、GINAは新たな活動を開始しました。
ひとつは「陽性遍歴」のライターである、ちょふ氏が学校や他の組織でおこなう講演です。
HIV陽性でゲイであるちょふ氏に対する講演依頼は多く、メディアやウェブサイトからは伝わってこない、いわば"生の声"を聞きたいという要望は少なくありません。
先日は、ある関西の中学校で講演したことが毎日新聞に写真入りで大きく取り上げられ話題を呼びました。
ちょふ氏の講演は大変好評で、講演後には受講者から様々な感想や質問が寄せられています。
学校や他の団体に講演をしているHIV陽性者は他にもおられるでしょうが、日本ではまだまだ少数でしょうから、今後もちょふ氏の活躍は期待されることになるでしょう。
もうひとつは、「風俗嬢ダイアリー」に執筆をおこなった田宮涼子氏のセックスワーカーと風俗店利用客に対する啓蒙活動です。
彼女は現役のセックスワーカー(風俗嬢)でありながら、社会的な活動にも大変熱心で、すでに風俗店利用者に対するパンフレットを作成しています。このパンフレットは、単に性感染症に関する情報を掲載しているだけでなく、風俗嬢の生の声を紹介したり、上手く風俗店を利用する方法、あるいは風俗嬢と上手く付き合う方法なども紹介したりしています。
このパンフレットは、上に述べたエイズ学会でのGINAの展示ブースでも紹介しましたし、いくつかの(優良)風俗店にも置いています。(また、GINAにお問い合わせいただければお送りすることも可能ですので必要な方はGINA事務局までお問い合わせください)
さて、日本のHIV陽性者は年々増え続けており、すてらめいとクリニックで新たに判ることも少なくありません。キケンな行為(性行為や薬物摂取)があって心配になり検査を受けて陽性が判る人もいますが、リンパ節が腫れている、熱が下がらないといった症状で受診して、それがHIV感染によるものだった、というケースもあります。
すでに行政や多くのNPOによってHIVに関する情報が提供されていますが、現時点ではまだまだそういった情報や正しい知識が世間一般には届いていないように思われます。今後、GINAとしても正しい知識の啓蒙活動に力を入れていきたいと考えています。
もうひとつ、GINAが(私が)日本のHIVの実情で憂いているのは、陽性者に対する世間の偏見・スティグマです。
HIV感染を職場に報告して差別的な扱いを受けたと感じている陽性者は今でも決して少なくありません。ですから、我々としては、新たに感染が判った人から「感染したことを職場に報告した方がいいですか」と聞かれたときに、「しない方がいいですよ」と答えざるを得ないことが多いのです。
実は、こう答えるのは我々にしても(少なくとも私にとっては)大変心苦しいのです。なぜなら、HIVが世間から偏見の目で見られていることを認めることになるからです。
本来、HIV感染は他人から偏見の目でみられる理由はないはずです。ですから、「HIV陽性であることを隠す必要なんかないですよ」と言いたい気持ちがあるのです。しかしながら、「他人には言わない方がいい」と助言しなければならないのが現状なのです。
「HIV/AIDSに関連した差別・スティグマなどを失くすために社会に対し正しい知識を啓発する」というのは、GINAのミッション・ステイトメントのひとつですが、HIV感染が判った人に「他人には言わないように・・・」とアドバイスしなければならない現実があるのです。
HIV陽性者がまったく偏見をもたれない社会の実現化・・・。これに向けてGINAは今後力を入れていくつもりです。
その際、ちょふ氏のような人物が積極的に講演活動をおこなうのは大変効果的でしょう。
これを読まれている方で、「ちょふ氏を講演に招きたい」という方がおられましたらGINA事務局までお問い合わせを!!
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昨年の東京では、私自身は学会にはフル参加しましたが、GINAの展示はおこないませんでした。(というよりNPOの展示ブースはなかったと思います)
今年はNPO法人のブースを出展できたので、私自身はクリニックの仕事の関係で半日しか参加できませんでしたが、GINAの活動内容を紹介する目的でブース展示をおこないました。
さて、今後のGINAの活動ですが、私自身がすてらめいとクリニックを始めてからというもの、タイに渡航できる時間がほとんどなくなった為に、現在のタイでの活動は、タイのGINAスタッフ、もしくは何人かのタイ在住のGINAに関連する日本人とタイ人にまかせるようにしています。こちらからは、支援金や薬剤の送付や情報提供などが今後のタイでの活動の中心になると思います。
そして最近、GINAは新たな活動を開始しました。
ひとつは「陽性遍歴」のライターである、ちょふ氏が学校や他の組織でおこなう講演です。
HIV陽性でゲイであるちょふ氏に対する講演依頼は多く、メディアやウェブサイトからは伝わってこない、いわば"生の声"を聞きたいという要望は少なくありません。
先日は、ある関西の中学校で講演したことが毎日新聞に写真入りで大きく取り上げられ話題を呼びました。
ちょふ氏の講演は大変好評で、講演後には受講者から様々な感想や質問が寄せられています。
学校や他の団体に講演をしているHIV陽性者は他にもおられるでしょうが、日本ではまだまだ少数でしょうから、今後もちょふ氏の活躍は期待されることになるでしょう。
もうひとつは、「風俗嬢ダイアリー」に執筆をおこなった田宮涼子氏のセックスワーカーと風俗店利用客に対する啓蒙活動です。
彼女は現役のセックスワーカー(風俗嬢)でありながら、社会的な活動にも大変熱心で、すでに風俗店利用者に対するパンフレットを作成しています。このパンフレットは、単に性感染症に関する情報を掲載しているだけでなく、風俗嬢の生の声を紹介したり、上手く風俗店を利用する方法、あるいは風俗嬢と上手く付き合う方法なども紹介したりしています。
このパンフレットは、上に述べたエイズ学会でのGINAの展示ブースでも紹介しましたし、いくつかの(優良)風俗店にも置いています。(また、GINAにお問い合わせいただければお送りすることも可能ですので必要な方はGINA事務局までお問い合わせください)
さて、日本のHIV陽性者は年々増え続けており、すてらめいとクリニックで新たに判ることも少なくありません。キケンな行為(性行為や薬物摂取)があって心配になり検査を受けて陽性が判る人もいますが、リンパ節が腫れている、熱が下がらないといった症状で受診して、それがHIV感染によるものだった、というケースもあります。
すでに行政や多くのNPOによってHIVに関する情報が提供されていますが、現時点ではまだまだそういった情報や正しい知識が世間一般には届いていないように思われます。今後、GINAとしても正しい知識の啓蒙活動に力を入れていきたいと考えています。
もうひとつ、GINAが(私が)日本のHIVの実情で憂いているのは、陽性者に対する世間の偏見・スティグマです。
HIV感染を職場に報告して差別的な扱いを受けたと感じている陽性者は今でも決して少なくありません。ですから、我々としては、新たに感染が判った人から「感染したことを職場に報告した方がいいですか」と聞かれたときに、「しない方がいいですよ」と答えざるを得ないことが多いのです。
実は、こう答えるのは我々にしても(少なくとも私にとっては)大変心苦しいのです。なぜなら、HIVが世間から偏見の目で見られていることを認めることになるからです。
本来、HIV感染は他人から偏見の目でみられる理由はないはずです。ですから、「HIV陽性であることを隠す必要なんかないですよ」と言いたい気持ちがあるのです。しかしながら、「他人には言わない方がいい」と助言しなければならないのが現状なのです。
「HIV/AIDSに関連した差別・スティグマなどを失くすために社会に対し正しい知識を啓発する」というのは、GINAのミッション・ステイトメントのひとつですが、HIV感染が判った人に「他人には言わないように・・・」とアドバイスしなければならない現実があるのです。
HIV陽性者がまったく偏見をもたれない社会の実現化・・・。これに向けてGINAは今後力を入れていくつもりです。
その際、ちょふ氏のような人物が積極的に講演活動をおこなうのは大変効果的でしょう。
これを読まれている方で、「ちょふ氏を講演に招きたい」という方がおられましたらGINA事務局までお問い合わせを!!
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第17回 コンドームの限界(後編)(2007年11月)
最近タイでは、「夫婦間でもコンドームを!」ということがしきりに言われています。
たしかに、タイでは主婦層でのHIV感染が急増しており、主婦はタイではHIV感染の最たるハイリスクグループとなっています。
これは、主婦の浮気、あるいは生活するための売春という要素もあるにはありますが、圧倒的に多いのが、「自分の夫からの感染」です。
なぜ、自分の夫から感染するのかというと、それは夫が買春行為や違法薬物に耽溺するからです。私自身が懇意にしているタイのHIV陽性の女性のなかにも自分の夫からHIVに感染したという人が少なくありません。
では、やはり家庭内でもコンドームを用いなければならないのでしょうか。
純粋に予防医学的、あるいは公衆衛生学的に考えたときはその通りになるでしょう。主婦が夫から感染しているのであれば夫婦間でもコンドームを用いることでそのリスクが回避できる、というのは理にかなっています。
しかしながら、夫婦間の愛情やセックスをそのような観点からのみ論じることには限界があります。
主婦側からみたときに、「自分の夫も他で遊んでいるかもしれないからコンドームを使おう」、と素直に納得できるでしょうか。
タイでは"ギグ"と呼ばれる、いわばセックスフレンドのような関係をもつ男女が少なくないのは事実です。また"ミヤノイ"と呼ばれる、妾のような存在が、公然とではないにせよ、広く周知されているのも事実です。
けれども、だからといって、タイのすべての女性が自分の夫が"ギグ"や"ミヤノイ"を持つことに賛成しているわけではもちろんありません。
実際、自分の夫が浮気をしたことに逆上して、夫のペニスを切断したというニュースはよくタイの大衆紙に載っていますし、ペニス切断までいかなくても、恋人であるタイの女性を裏切って刺された日本人男性を私も知っています。
私の印象で言えば、"ギグ"や"ミヤノイ"という言葉が外国人にも広く知れ渡っている割には、タイの女性は純真無垢であるようにみえます。日本と比べると、結婚するまで貞操を守る女性は少なくありませんし、ひとりの男性に捧げる愛情の深さに感銘を受けることもよくあります。
そんなタイの女性たちが、「家庭内でもコンドーム」という政策に納得できるでしょうか。
コンドームの使用の前に自分の夫に忠誠を誓わせることの方がはるかに重要であることは明らかです。
ところで、「性感染予防のABC」というものが世界的に広まっています。Aはabstinence(禁欲)、Bはbe faithful(忠誠を誓う)、Cはcondom(コンドーム)です。
このなかでA(禁欲)が意味をなさないのは自明でしょう。歴史的には禁酒法の失敗(1920年頃、全米で禁酒法が制定されたが、結果はかえって酒の流通量が増えた)が有名ですが、最近でも、ブッシュ大統領の出身地であるテキサス州で、青少年に対する禁欲を奨励したところ、かえって若年層の性交頻度が増えた、という事例があります。
C(コンドーム)に効果があるのは事実ですが、前回から述べているように限界があるのもまた事実です。
私個人としては、B(忠誠を誓う)が、少なくとも夫婦間においてはもっとも理想的であると考えています。「理想的」ではあっても「現実的」ではないということは認めますが、そうであったとしても、繰り返し言い続けることが大切だと思うのです。
「忠誠」、あるいは「誠実」などといったことを話すのは私の役目ではないかもしれませんし、話したところで意味がないかもしれませんが、私は、どうしてもこういった根源的な原理原則の重要性を置き去りにしたまま、「家庭内にもコンドームを」というスローガンに素直に同意できないのです。
もちろん、その夫婦が納得して、夫婦間のセックスにコンドームを用いるのは悪いことではありませんし、場合によってはリスク回避のためにやむを得ない場合もあるでしょう。
最近ある患者さんに興味深い質問をされました。その患者さん(30代女性)は、結婚しているのですが、旦那が浮気や風俗遊びを繰り返していて、自分に性感染症の危険性があると考えています。それで、私に「どれくらいのペースで性感染症の検査を受けるべきか」、と質問するのです。
私はその言葉に驚き、「まずはご主人に女遊びをやめさせることが大切じゃないですか」と聞いたのですが、彼女は「それは無理だし、別にかまわないと思っている」、と答えました。
たしかに、ふたりの愛のかたちにはいろんなものがあるでしょうから、こういった夫婦関係に対し正論を押し付けるのはよくないでしょう。特に医師という立場からは、私自身の価値観を話したり、倫理観を話したりしたところであまり意味がありません。
こういったカップルには夫婦間でもコンドームの使用が大切になってくるでしょう。
しかしながら、他人の恋愛のかたちにとやかく言うべきではないにしても、「コンドームの使用よりもはるかに大切なのがふたりの間での忠誠心」、という意見を変えるつもりはありません。
現代の日本では、不倫やキケンな恋、あるいは障害を乗り越えての恋愛、などが小説や映画でもてはやされているようですが、もっと平凡でシンプルなかたちの恋愛のなかに存在する「忠誠」というものの意味を考えるべきではないでしょうか。
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たしかに、タイでは主婦層でのHIV感染が急増しており、主婦はタイではHIV感染の最たるハイリスクグループとなっています。
これは、主婦の浮気、あるいは生活するための売春という要素もあるにはありますが、圧倒的に多いのが、「自分の夫からの感染」です。
なぜ、自分の夫から感染するのかというと、それは夫が買春行為や違法薬物に耽溺するからです。私自身が懇意にしているタイのHIV陽性の女性のなかにも自分の夫からHIVに感染したという人が少なくありません。
では、やはり家庭内でもコンドームを用いなければならないのでしょうか。
純粋に予防医学的、あるいは公衆衛生学的に考えたときはその通りになるでしょう。主婦が夫から感染しているのであれば夫婦間でもコンドームを用いることでそのリスクが回避できる、というのは理にかなっています。
しかしながら、夫婦間の愛情やセックスをそのような観点からのみ論じることには限界があります。
主婦側からみたときに、「自分の夫も他で遊んでいるかもしれないからコンドームを使おう」、と素直に納得できるでしょうか。
タイでは"ギグ"と呼ばれる、いわばセックスフレンドのような関係をもつ男女が少なくないのは事実です。また"ミヤノイ"と呼ばれる、妾のような存在が、公然とではないにせよ、広く周知されているのも事実です。
けれども、だからといって、タイのすべての女性が自分の夫が"ギグ"や"ミヤノイ"を持つことに賛成しているわけではもちろんありません。
実際、自分の夫が浮気をしたことに逆上して、夫のペニスを切断したというニュースはよくタイの大衆紙に載っていますし、ペニス切断までいかなくても、恋人であるタイの女性を裏切って刺された日本人男性を私も知っています。
私の印象で言えば、"ギグ"や"ミヤノイ"という言葉が外国人にも広く知れ渡っている割には、タイの女性は純真無垢であるようにみえます。日本と比べると、結婚するまで貞操を守る女性は少なくありませんし、ひとりの男性に捧げる愛情の深さに感銘を受けることもよくあります。
そんなタイの女性たちが、「家庭内でもコンドーム」という政策に納得できるでしょうか。
コンドームの使用の前に自分の夫に忠誠を誓わせることの方がはるかに重要であることは明らかです。
ところで、「性感染予防のABC」というものが世界的に広まっています。Aはabstinence(禁欲)、Bはbe faithful(忠誠を誓う)、Cはcondom(コンドーム)です。
このなかでA(禁欲)が意味をなさないのは自明でしょう。歴史的には禁酒法の失敗(1920年頃、全米で禁酒法が制定されたが、結果はかえって酒の流通量が増えた)が有名ですが、最近でも、ブッシュ大統領の出身地であるテキサス州で、青少年に対する禁欲を奨励したところ、かえって若年層の性交頻度が増えた、という事例があります。
C(コンドーム)に効果があるのは事実ですが、前回から述べているように限界があるのもまた事実です。
私個人としては、B(忠誠を誓う)が、少なくとも夫婦間においてはもっとも理想的であると考えています。「理想的」ではあっても「現実的」ではないということは認めますが、そうであったとしても、繰り返し言い続けることが大切だと思うのです。
「忠誠」、あるいは「誠実」などといったことを話すのは私の役目ではないかもしれませんし、話したところで意味がないかもしれませんが、私は、どうしてもこういった根源的な原理原則の重要性を置き去りにしたまま、「家庭内にもコンドームを」というスローガンに素直に同意できないのです。
もちろん、その夫婦が納得して、夫婦間のセックスにコンドームを用いるのは悪いことではありませんし、場合によってはリスク回避のためにやむを得ない場合もあるでしょう。
最近ある患者さんに興味深い質問をされました。その患者さん(30代女性)は、結婚しているのですが、旦那が浮気や風俗遊びを繰り返していて、自分に性感染症の危険性があると考えています。それで、私に「どれくらいのペースで性感染症の検査を受けるべきか」、と質問するのです。
私はその言葉に驚き、「まずはご主人に女遊びをやめさせることが大切じゃないですか」と聞いたのですが、彼女は「それは無理だし、別にかまわないと思っている」、と答えました。
たしかに、ふたりの愛のかたちにはいろんなものがあるでしょうから、こういった夫婦関係に対し正論を押し付けるのはよくないでしょう。特に医師という立場からは、私自身の価値観を話したり、倫理観を話したりしたところであまり意味がありません。
こういったカップルには夫婦間でもコンドームの使用が大切になってくるでしょう。
しかしながら、他人の恋愛のかたちにとやかく言うべきではないにしても、「コンドームの使用よりもはるかに大切なのがふたりの間での忠誠心」、という意見を変えるつもりはありません。
現代の日本では、不倫やキケンな恋、あるいは障害を乗り越えての恋愛、などが小説や映画でもてはやされているようですが、もっと平凡でシンプルなかたちの恋愛のなかに存在する「忠誠」というものの意味を考えるべきではないでしょうか。
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第16回 コンドームの限界(前編)(2007年10月)
HIVや性感染症の予防にコンドームを使いましょう・・・
日本でも80年代後半にエイズが社会問題となり、実際にコンドームの使用者が増えているかどうかは別にして、この言葉が広く浸透してきているように思います。
タイでも90年代前半、ときの保健大臣ミーチャイ・ウィラワタイヤ(Mechai Veravaidya)氏が、コンドーム普及を強く訴え、「100%コンドームキャンペーン」なるものを展開し、主要都市の売春施設だけでなく、一部のレストランなどにも無料コンドームが配置されるようになりました。ミーチャイ氏は、小学校で「コンドーム膨らませ大会」といった奇抜なイベントもおこない、「ミスター・コンドーム」と呼ばれるようにまでなりました。
そして、タイでは「100%コンドームキャンペーン」が功を奏し、HIV新規感染の上昇率が急激に低下してきました。1992年には軍人の4%がHIV陽性だったのに対し、10年後には0.5%程度にまで落ち着きました。
では、コンドームがあればHIVや他の性感染症は完全に防ぐことができるのか・・・
残念ながら答えは否でしょう。今回はその理由を考えていきたいと思います。
まず、コンドームが性交時に破損するというリスクがあります。タイ製のコンドームの不良品率が10%を超えるというニュースを以前お伝えしましたが、コンドームメーカーによってはこのような危険性を考えなければなりません。
日本の製品は質がいいからそんなことは考えなくていいのでは・・・。
そのように思う人もいるでしょうが、海外で性交渉の機会がないとも言えませんし、私が院長をつとめるすてらめいとクリニックの患者さんのなかにも、「(日本製の)コンドームが破れた」と言って受診される方は珍しくありません。
次に、ラテックスにアレルギーのある人が少なくないという問題があります。以前別のところで述べましたが、ラテックスアレルギーはときに重篤な症状をきたします。アレルギー症状が重症化し、性交中に命を落としたという事例も世界にはあります。
この問題には、ウレタンなどのラテックス以外の材料でできているコンドームを用いることで対応できるのですが、ラテックス製のものに比べると、そのようなコンドームはまだまだ流通量が少なく、状況によっては入手しにくいことがあるかもしれません。
次に、コンドームを装着していても罹患する性感染症の問題があります。最も多いのが性器ヘルペスです。コンドームはペニスの根元までしか覆わないために、根元付近に出現している性器ヘルペスに対しては感染のリスクをゼロにすることはできません。また、女性の外陰部に出現している性器ヘルペスはペニスの根元に接触するために、男性から女性、女性から男性、(あるいは男性から男性、女性から女性)、のいずれの場合も感染する危険性があります。
性器ヘルペス以外には、尖圭コンジローマ、梅毒、ケジラミ、疥癬(かいせん)などもコンドームを装着していても感染することがあります。
また、オーラルセックス(フェラチオ、クンニリングス)でうつる感染症もあります。感染力の強いB型肝炎ウイルスや梅毒が代表ですが、HIVもオーラルセックスでうつることがあります。
タイのある病院が2006年におこなった報告では、HIV新規感染の10人に1人がオーラルセックスが原因でした。また、拙書『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』でも述べたように、日本でもフェラチオで男性からHIVをうつされた女性もいます。
B型肝炎ウイルスやHIVに比べると容易に治りますが、オーラルセックスでクラミジアや淋病に感染することはまったく珍しくなく、日本のセックスワーカー(風俗嬢)の多くは常にこの問題に悩まされています。
もっとも、オーラルセックス(フェラチオ)の際にもコンドームを用いれば、感染のリスクはかなり低下するのは事実です。しかし、日本人というのは国際的にみてかなりオーラルセックスが好きな民族のようです。
実際、タイのある医療関係者によれば、「セックスワーカーがコンドームなしでフェラチオをするのは日本くらいで、海外のセックスワーカーは原則としてフェラチオはしないか、してもコンドームを用いる」、そうです。
この関係者はさらに興味深いことを言います。彼女によりますと、「タイで日本人を相手にする一部のセックスワーカーはリスクを抱えてコンドームを用いないフェラチオをするが、それは日本人の金払いがいいからである」、そうです。
オーラルセックスにはもうひとつの問題があります。
それは、(当たり前ですが)クンニリングスにはコンドームが無用ということです。クンニリングスでもHIV感染がおこったという報告が海外にはありますし、やはりB型肝炎ウイルスや梅毒には容易に感染することもあります。女性の性器ヘルペスが男性の(あるいは女性の)口唇に感染した場合、通常の口唇ヘルペスに比べて治りにくく、再発も多いという特徴があります。
海外にはデンタルダムと呼ばれる、クンニリングスの際に使用する、いわば女性用のコンドームのようなものがありますが、おそらく需要がないことが理由で日本では流通していません。
以上をまとめると、コンドームには、破損するリスク、ラテックスアレルギーのリスク、コンドームをしていても一部の感染症に罹患するリスク、オーラルセックスに伴うリスク、があります。
これら以外にもコンドームの限界を考えなければならないことがらがあります。
後編ではそのあたりを述べて、さらにコンドームを越えたHIV及び性感染症の予防について考えてみたいと思います。
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日本でも80年代後半にエイズが社会問題となり、実際にコンドームの使用者が増えているかどうかは別にして、この言葉が広く浸透してきているように思います。
タイでも90年代前半、ときの保健大臣ミーチャイ・ウィラワタイヤ(Mechai Veravaidya)氏が、コンドーム普及を強く訴え、「100%コンドームキャンペーン」なるものを展開し、主要都市の売春施設だけでなく、一部のレストランなどにも無料コンドームが配置されるようになりました。ミーチャイ氏は、小学校で「コンドーム膨らませ大会」といった奇抜なイベントもおこない、「ミスター・コンドーム」と呼ばれるようにまでなりました。
そして、タイでは「100%コンドームキャンペーン」が功を奏し、HIV新規感染の上昇率が急激に低下してきました。1992年には軍人の4%がHIV陽性だったのに対し、10年後には0.5%程度にまで落ち着きました。
では、コンドームがあればHIVや他の性感染症は完全に防ぐことができるのか・・・
残念ながら答えは否でしょう。今回はその理由を考えていきたいと思います。
まず、コンドームが性交時に破損するというリスクがあります。タイ製のコンドームの不良品率が10%を超えるというニュースを以前お伝えしましたが、コンドームメーカーによってはこのような危険性を考えなければなりません。
日本の製品は質がいいからそんなことは考えなくていいのでは・・・。
そのように思う人もいるでしょうが、海外で性交渉の機会がないとも言えませんし、私が院長をつとめるすてらめいとクリニックの患者さんのなかにも、「(日本製の)コンドームが破れた」と言って受診される方は珍しくありません。
次に、ラテックスにアレルギーのある人が少なくないという問題があります。以前別のところで述べましたが、ラテックスアレルギーはときに重篤な症状をきたします。アレルギー症状が重症化し、性交中に命を落としたという事例も世界にはあります。
この問題には、ウレタンなどのラテックス以外の材料でできているコンドームを用いることで対応できるのですが、ラテックス製のものに比べると、そのようなコンドームはまだまだ流通量が少なく、状況によっては入手しにくいことがあるかもしれません。
次に、コンドームを装着していても罹患する性感染症の問題があります。最も多いのが性器ヘルペスです。コンドームはペニスの根元までしか覆わないために、根元付近に出現している性器ヘルペスに対しては感染のリスクをゼロにすることはできません。また、女性の外陰部に出現している性器ヘルペスはペニスの根元に接触するために、男性から女性、女性から男性、(あるいは男性から男性、女性から女性)、のいずれの場合も感染する危険性があります。
性器ヘルペス以外には、尖圭コンジローマ、梅毒、ケジラミ、疥癬(かいせん)などもコンドームを装着していても感染することがあります。
また、オーラルセックス(フェラチオ、クンニリングス)でうつる感染症もあります。感染力の強いB型肝炎ウイルスや梅毒が代表ですが、HIVもオーラルセックスでうつることがあります。
タイのある病院が2006年におこなった報告では、HIV新規感染の10人に1人がオーラルセックスが原因でした。また、拙書『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』でも述べたように、日本でもフェラチオで男性からHIVをうつされた女性もいます。
B型肝炎ウイルスやHIVに比べると容易に治りますが、オーラルセックスでクラミジアや淋病に感染することはまったく珍しくなく、日本のセックスワーカー(風俗嬢)の多くは常にこの問題に悩まされています。
もっとも、オーラルセックス(フェラチオ)の際にもコンドームを用いれば、感染のリスクはかなり低下するのは事実です。しかし、日本人というのは国際的にみてかなりオーラルセックスが好きな民族のようです。
実際、タイのある医療関係者によれば、「セックスワーカーがコンドームなしでフェラチオをするのは日本くらいで、海外のセックスワーカーは原則としてフェラチオはしないか、してもコンドームを用いる」、そうです。
この関係者はさらに興味深いことを言います。彼女によりますと、「タイで日本人を相手にする一部のセックスワーカーはリスクを抱えてコンドームを用いないフェラチオをするが、それは日本人の金払いがいいからである」、そうです。
オーラルセックスにはもうひとつの問題があります。
それは、(当たり前ですが)クンニリングスにはコンドームが無用ということです。クンニリングスでもHIV感染がおこったという報告が海外にはありますし、やはりB型肝炎ウイルスや梅毒には容易に感染することもあります。女性の性器ヘルペスが男性の(あるいは女性の)口唇に感染した場合、通常の口唇ヘルペスに比べて治りにくく、再発も多いという特徴があります。
海外にはデンタルダムと呼ばれる、クンニリングスの際に使用する、いわば女性用のコンドームのようなものがありますが、おそらく需要がないことが理由で日本では流通していません。
以上をまとめると、コンドームには、破損するリスク、ラテックスアレルギーのリスク、コンドームをしていても一部の感染症に罹患するリスク、オーラルセックスに伴うリスク、があります。
これら以外にもコンドームの限界を考えなければならないことがらがあります。
後編ではそのあたりを述べて、さらにコンドームを越えたHIV及び性感染症の予防について考えてみたいと思います。
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