GINAと共に

第19回 美しきイサーン地方(2008年1月)

 年末年始に久しぶりにタイに渡航してきました。

 日本と同様、タイでも年末年始は帰省のシーズンで家族が集まる貴重な季節です。会社や店も休みになりますし、みんなが休暇をとる機会ということもあって、私は今回の渡航では、GINA関連の関係者と会う時間を最低限におさえました。

 いえ、というより、昨年(2007年)はクリニックをオープンさせたこともあって、休みなく働き続けることになり、精神的にけっこうまいってしまっていたので、私自身が仕事ではなく休暇としてタイでのんびりしたかったのです。

 私は、個人的にバンコクがあまり好きではありません。空気が汚い、人が多すぎる、物価が高い(といってもしれてますが)、といったこともありますが、最大の理由は「私の思うタイらしさがない」からです。

 私が思うタイらしい町というのは、人があまりいなくて、自然の美しい、南部や北部、そして東北地方(イサーン地方)です。

 南部は今現在も治安が悪いですし、北部は、チェンマイは最近都心化がすすんで空気が汚くなっていますし、チェンマイ以外の北部はアクセスが悪く到着するのに時間がかかりますし・・・、ということで、私はひとりでイサーン地方(タイ語の発音では"イサーン"より"イーサーン"の方が適していると思うのですが、日本語のほとんどの出版物が"イサーン"となっているので、ここでも"イサーン"としておきます)に行くことにしました。

 深夜バスでウドンタニ県まで移動し、のんびりしようと思っていたときに、偶然タイの知人から電話がありました。ウドンタニ県に来ていることを告げると、その知人(タイ人夫婦)はウドンタニ県の近くのサコンナコン県に帰省しているから、家まで遊びに来い、と言います。彼らは、ふだんはバンコクで共働きしているのですが、正月の間は奥さんの実家に里帰りしているそうなのです。

 私はその申し入れにふたつ返事をして、サコンナコン県に向かいました。到着したのは、1月1日のお昼頃で、彼らはこれから親戚を集めてパーティをおこなうと言います。

 パーティ会場(そこは田んぼの横の広場でした)に到着すると、村の若い男性数人が飼っているブタを1匹殺しているとこでした。暴れるブタを数人で押さえつけて、頚動脈をナイフでひとつきすると、ブヒと最後の叫び声をあげて死に絶えました。

 彼らは慣れた手つきでブタの毛をそいでいきます。焚き火でわかした湯をブタにかけ、器用なナイフさばきで毛を落としていくのです。私も少し手伝わせてもらいましたが、彼らがおこなうようにはうまくいきません。

 皮をはぎ終わると、4つの足を関節から外し(外された足は豚足として食べます)、さらに耳としっぽ、舌を切り落とし(これらも後に串焼きにして食べます)、そしておなかをあけて内蔵を取り出しました。

 解剖実習や、研修医時代の腹部の手術で人のおなかをあけることには慣れているつもりでしたが、そんな私からみても彼らの包丁さばきには見とれてしまいました。腸をとりだし、肝臓を丁寧に摘出し(もちろん後に食べます)、さらに胃や肺、心臓をとりだします。タイではブタの血も料理に使いますから、大動脈を切断しそこから器用に血液を容器に入れます。残った部分が筋肉と脂肪で普通に食べられる部分です。

 足を落とされ、内蔵を取り出されたブタは竹にさされて焚き火であぶられます。少し時間がたつと、いい具合に焼けてきて周囲にいい香りが充満してきました。

 この作業をしながら、すでに容易されているソムタム・プララー(イサーン風パパイヤサラダのこと。バンコクなどで食べられるソムタム・タイは日本人にも人気のメニューだが、プララーと呼ばれる醗酵させた魚が入っているこのソムタムはかなりクセのある料理)と、お酒をみんなで楽しんでいます。

 ブタが焼けると、これをスライスして、文字通りできたてのブタの丸焼きをみんなで食べました。このブタがどれだけ美味しかったか! 私には形容する言葉が見つかりません。

 翌日は、そのタイ人夫婦とともに、ローイ県(正しい発音は"ローイ"と"ルーイ"の中間のような音です)に行きました。ローイ県はイサーン地方のなかで最北部に位置し山の上にある県です。ピックアップトラックの後ろに乗せてもらい、この県に向かったのですが、この時間が私にはとてつもなく苦痛でした。

 日本ではピックアップトラックの後ろに乗る経験はできませんから(もちろん日本では違法です)、きっと貴重な楽しい体験になると思っていたのですが、私はイサーン地方の冬は寒いということをすっかり忘れていた、というかなめていたのです。

 タイ人が寒いといってもしれてるだろう・・・、そのように考えていたのです。ところが、真冬のイサーン地方、それも標高が最も高い地方にピックアップトラックの後ろに乗って行くというのは苦痛以外の何ものでもありません。

 けれども、その寒さに耐えてたどり着いたローイ県は本当に美しい地域でした。きれいな山に囲まれて、美しい花にめぐまれたその地域は、そこにいるだけで心が癒されるようなユートピアだったのです。人々も大変親切で、ほとんどの人が日本人と話すのは初めてだったということもあるでしょうが、誰と接してもほんとに優しくしてくれたのです。

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 今回、私が訪ねたサコンナコン県、ローイ県とも、日本人どころか外国人もほとんど住んでいません。住むどころか、旅行で訪れる外国人もほとんどいないでしょう。

 けれども、こういうところにこそ、本来の美しいタイがあるのではないかと私は考えています。

 ローイ県からサコンナコン県に戻り、深夜バスでバンコクに帰るバスのなかで感じたことがあります。

 私が今回訪ねたサコンナコン県、ローイ県は、双方ともタイのなかで最も貧しいといわれているイサーン地方のなかでも特に貧しい県です。イサーン地方のなかでも比較的裕福なナコンラチャシマ県(コラート)やウボンラチャタニ県に比べると、単に田舎というだけでなく外国人も少ないという特徴があります。

 そしてもうひとつの特徴は、若い女性がほとんどいないということです。

 おそらく彼女らの大半はバンコクやプーケットに出稼ぎにいっているのでしょう。そしてその何割かは売春産業に関係していることが予想されます。

 貧困と売春、そしてHIV・・・、美しいイサーン地方を訪れた帰りのバスのなかで、私はそんなことに思いを巡らせていました。

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