GINAと共に
第74回 変わりつつある北タイのエイズ事情(2012年8月)
私がこれまででタイに最も長くいた年は2004年で、この年はタイ全国のいくつもの施設を訪問しました。ボランティアの体験も踏まえ、帰国後、2004年の終わりから2006年くらいまでは、高校、大学、大学院、病院、市民団体なども含めて多くの場でタイのエイズ事情について講演をおこないました。
当時おこなっていた講演では、与えられた時間にもよりますが、「北タイのエイズ事情」というサブタイトルを付けて、北タイ独特のエイズに伴う様々な特色を紹介するようにしていました。
なぜなら、北タイのエイズ事情というのは、単に「このような患者さんがいて、このように治療をしています」、だけでは済まない問題がたくさんあったからです。
2000年代前半は、まだタイ全域でエイズに伴う差別やスティグマが蔓延しており、「HIVに感染しているというだけで、病院で受診拒否をされ、家族から見放され、地域社会から追い出された・・・」、という事態が日常茶飯事にありました。北タイでも同じように家族から見放され、行き場を失った感染者がなんとか施設にたどりついて・・・、というケースが頻繁にあり、こういった事態は他の地域とそれほど変わらなかったのですが、北タイ独特の問題もいくつかあったのです。
まず筆頭に上げるべきなのは、母子感染で母親からHIVに感染した子供や、両親を共にエイズで亡くし親戚からも見放された子供たち、すなわち「エイズ孤児」が他の地域に比べて相当多かった、ということです。なぜ、北タイでは他の地域に比べてエイズ孤児が多かったのかというと、それは単純に、成人の感染者が他の地域よりも多かったから、です。もう少し詳しく述べれば、北タイはタイ全域のなかで最もHIVの感染率が高く、90年代前半には成人の4人に1人が感染しているのではないか、と推測されていました。これほどまでに感染者が増えると、当然母子感染が増えますし、子供に感染させていなくても夫婦ともどもエイズで死亡し子供は置き去りに・・・、ということが、頻繁にあったのです。
北タイはタイのなかではキリスト教徒の多い地域ということもあり、世界中からキリスト教徒が支援の手を差し伸べることになりました。このため90年代半ばあたりから、小規模なエイズホスピス、エイズシェルターなどがつくられていきました。小規模のエイズ施設がたくさんある、これが私が感じた北タイのエイズ事情の2つめの特徴です。キリスト教が他の宗教よりもすぐれているとか、困っている人を積極的に支援する宗教だとか、そういうことを私が言いたいわけではありません。しかし、キリスト教徒は世界中にいますから、世界中から支援が集まりやすい、という特徴があるのは事実です。
北タイに特徴的な3つめの点は「貧困」です。ひとりあたりのGDPをみると、北タイよりもイサーン地方(東北地方)の方が貧困度が大きいのですが、北タイの中心都市であるチェンマイには日系企業を含む外資系の企業がたくさん入っており、これら外資系企業の影響で北タイ全域でのGDPは上昇しています。庶民ひとりひとりの生活はイサーン地方とそれほど変わるわけではなく、特に僻地にいけばいくほど貧困度が増していきます。90年代後半くらいまでは小学校しか卒業できず、ひどい場合は読み書きもままならなない、という若者もいました。
北タイの4つめの特徴は、山岳民族や、さらにミャンマーや中国(雲南省)、ラオスからの移民が多い、ということです。彼(女)らがHIVに罹患すると難儀なのは、タイ国籍を持っていないために病院にかかれないということです。2004年頃は、タイ人であってもHIVに感染していると診てもらえない病院がほとんどだったわけですが、それでも受診できる病院が皆無というわけではありませんでした。一方タイ国籍を有していない者は、どこの医療機関も原則として受診できないのです。(もちろん自費診療なら可能ですが、彼(女)らは例外なく貧しいのです)
2012年8月11日、私がチェンマイ空港に降り立ってまず驚いたのは人と車の多さでした。6年ぶりに訪れたチェンマイには、以前には感じることのできた、どことなくなつかしさを思い出すようなほのぼのとした空気がなくなっていました。ホテルまでタクシーで移動したのですが、その間にタクシーから眺める町並みはもはや私の知るチェンマイではありませんでした。メータータクシーが目立ち(6年前はほとんどありませんでした)、英語が使われている看板が増えています。街を歩く外国人も増えているようです。
チェンマイには1泊のみの予定だったため、それほど多くの関係者に話を聞くことはできませんでしたが、今回私が施設訪問や情報収集をして最も感じたことは「北タイのエイズ事情は劇的に変化している」というものです。前置きが随分長くなりましたが、今回お伝えしたいのは「現在の北タイのエイズ事情」です。
現在の北タイのエイズ関連の最大の特徴は、感染者に対する差別やスティグマが著しく減少した、ということです。もちろんこういった問題がまったくなくなったわけではなく、感染者のほとんどは感染の事実を隠しながら生きています。しかし、(タイ国籍をもっていれば)病院で受診拒否されるということはもはやありませんし、家族から追い出される、ということもほとんどないそうです。現在の北タイでHIV陽性者が家族から追い出されたなら、それは「HIVが原因でなく、元々その人間に何らかの問題がある場合がほとんど・・・」と、ある関係者は話していました。
感染者数も減っています。先に述べたように、成人の感染者が増加するとエイズ孤児が増加するのは必然なわけですが、感染者の減少と共にエイズ孤児も大きく減少しています。実際、北タイのあるエイズ孤児の施設は、入居するエイズ孤児が定員よりも少なくなり、エイズ以外の障害を持つ子供を入居させているそうです。また、成人を対象とした職業訓練を目的としたある施設では、「自分はHIVに感染していないけれどもエイズを発症した家族を支えるために職業訓練を受けに来ている」という人もいるそうです。
貧困が減少している、というのは、私が空港からホテルまでの道のりでタクシーの窓から眺めた光景だけで実感できましたが、実際に関係者に話を聞いてみるとさらに驚かされました。なんと、現在の北タイでは、高校どころか、大学進学が珍しくなくなってきている、というのです。90年代には義務教育である中学にも貧困から進学できなかった子供たちが大勢いた、のにです。大学進学率というのは所得水準に相関しますから、このことから北タイの一般人の所得が大きく増加していることが分かります。
山岳民族や移民の問題は依然として存在するようですが、それでもHIV陽性者は増加はしていないそうです。しかし、タイ国籍を有していないために医療機関を受診できず、誰かが支援しなければ死を待つしかない、という人も依然存在しています。ある関係者は、この問題はこれからも続くだろう、と話していました。
最新の北タイのエイズ事情をまとめてみると、①感染者が減り(正確なデータは入手できませんでしたが関係者の話から確実だと思われます)、②差別やスティグマが大きく減少し、③全体の貧困度が減少したため今後の新規感染も減少していくことが予想される、④しかし依然として誰かが支援しなければ生きていけない感染者やエイズ孤児が存在することを忘れてはいけない、⑤さらに山岳民族や移民者のHIV問題は依然残存する、となると思います。
気になるのは、①と②が北タイに限局したことなのか、タイ全域でも同様なのか、ということです。それを調べるために、私はタイ渡航中に北タイ以外の地域で関係者に話を聞き、施設を訪問しました。結論を言えば、残念ながら北タイを除くタイ全域では、以前とさほど変わっていないというのが現状のようです。例えば、ロッブリー県にあるタイ最大のエイズホスピスであるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)では、入所したくてもできない感染者が依然大勢いて、私がこの施設でボランティアをしていた2004年とほとんど状況は変わっていないそうです。差別やスティグマについても、以前に比べればましにはなっているが依然感染者が社会的不利益を被っているのは間違いない、そうです。
北タイのエイズ事情が好転しているのはもちろん歓迎すべきことです。90年代前半にタイで最もエイズが深刻化したこの地域が、現在は最も"進んだ"地域となっているということは注目に値します。GINAでは今後、各地域に応じた支援を展開していきたと考えています。
当時おこなっていた講演では、与えられた時間にもよりますが、「北タイのエイズ事情」というサブタイトルを付けて、北タイ独特のエイズに伴う様々な特色を紹介するようにしていました。
なぜなら、北タイのエイズ事情というのは、単に「このような患者さんがいて、このように治療をしています」、だけでは済まない問題がたくさんあったからです。
2000年代前半は、まだタイ全域でエイズに伴う差別やスティグマが蔓延しており、「HIVに感染しているというだけで、病院で受診拒否をされ、家族から見放され、地域社会から追い出された・・・」、という事態が日常茶飯事にありました。北タイでも同じように家族から見放され、行き場を失った感染者がなんとか施設にたどりついて・・・、というケースが頻繁にあり、こういった事態は他の地域とそれほど変わらなかったのですが、北タイ独特の問題もいくつかあったのです。
まず筆頭に上げるべきなのは、母子感染で母親からHIVに感染した子供や、両親を共にエイズで亡くし親戚からも見放された子供たち、すなわち「エイズ孤児」が他の地域に比べて相当多かった、ということです。なぜ、北タイでは他の地域に比べてエイズ孤児が多かったのかというと、それは単純に、成人の感染者が他の地域よりも多かったから、です。もう少し詳しく述べれば、北タイはタイ全域のなかで最もHIVの感染率が高く、90年代前半には成人の4人に1人が感染しているのではないか、と推測されていました。これほどまでに感染者が増えると、当然母子感染が増えますし、子供に感染させていなくても夫婦ともどもエイズで死亡し子供は置き去りに・・・、ということが、頻繁にあったのです。
北タイはタイのなかではキリスト教徒の多い地域ということもあり、世界中からキリスト教徒が支援の手を差し伸べることになりました。このため90年代半ばあたりから、小規模なエイズホスピス、エイズシェルターなどがつくられていきました。小規模のエイズ施設がたくさんある、これが私が感じた北タイのエイズ事情の2つめの特徴です。キリスト教が他の宗教よりもすぐれているとか、困っている人を積極的に支援する宗教だとか、そういうことを私が言いたいわけではありません。しかし、キリスト教徒は世界中にいますから、世界中から支援が集まりやすい、という特徴があるのは事実です。
北タイに特徴的な3つめの点は「貧困」です。ひとりあたりのGDPをみると、北タイよりもイサーン地方(東北地方)の方が貧困度が大きいのですが、北タイの中心都市であるチェンマイには日系企業を含む外資系の企業がたくさん入っており、これら外資系企業の影響で北タイ全域でのGDPは上昇しています。庶民ひとりひとりの生活はイサーン地方とそれほど変わるわけではなく、特に僻地にいけばいくほど貧困度が増していきます。90年代後半くらいまでは小学校しか卒業できず、ひどい場合は読み書きもままならなない、という若者もいました。
北タイの4つめの特徴は、山岳民族や、さらにミャンマーや中国(雲南省)、ラオスからの移民が多い、ということです。彼(女)らがHIVに罹患すると難儀なのは、タイ国籍を持っていないために病院にかかれないということです。2004年頃は、タイ人であってもHIVに感染していると診てもらえない病院がほとんどだったわけですが、それでも受診できる病院が皆無というわけではありませんでした。一方タイ国籍を有していない者は、どこの医療機関も原則として受診できないのです。(もちろん自費診療なら可能ですが、彼(女)らは例外なく貧しいのです)
2012年8月11日、私がチェンマイ空港に降り立ってまず驚いたのは人と車の多さでした。6年ぶりに訪れたチェンマイには、以前には感じることのできた、どことなくなつかしさを思い出すようなほのぼのとした空気がなくなっていました。ホテルまでタクシーで移動したのですが、その間にタクシーから眺める町並みはもはや私の知るチェンマイではありませんでした。メータータクシーが目立ち(6年前はほとんどありませんでした)、英語が使われている看板が増えています。街を歩く外国人も増えているようです。
チェンマイには1泊のみの予定だったため、それほど多くの関係者に話を聞くことはできませんでしたが、今回私が施設訪問や情報収集をして最も感じたことは「北タイのエイズ事情は劇的に変化している」というものです。前置きが随分長くなりましたが、今回お伝えしたいのは「現在の北タイのエイズ事情」です。
現在の北タイのエイズ関連の最大の特徴は、感染者に対する差別やスティグマが著しく減少した、ということです。もちろんこういった問題がまったくなくなったわけではなく、感染者のほとんどは感染の事実を隠しながら生きています。しかし、(タイ国籍をもっていれば)病院で受診拒否されるということはもはやありませんし、家族から追い出される、ということもほとんどないそうです。現在の北タイでHIV陽性者が家族から追い出されたなら、それは「HIVが原因でなく、元々その人間に何らかの問題がある場合がほとんど・・・」と、ある関係者は話していました。
感染者数も減っています。先に述べたように、成人の感染者が増加するとエイズ孤児が増加するのは必然なわけですが、感染者の減少と共にエイズ孤児も大きく減少しています。実際、北タイのあるエイズ孤児の施設は、入居するエイズ孤児が定員よりも少なくなり、エイズ以外の障害を持つ子供を入居させているそうです。また、成人を対象とした職業訓練を目的としたある施設では、「自分はHIVに感染していないけれどもエイズを発症した家族を支えるために職業訓練を受けに来ている」という人もいるそうです。
貧困が減少している、というのは、私が空港からホテルまでの道のりでタクシーの窓から眺めた光景だけで実感できましたが、実際に関係者に話を聞いてみるとさらに驚かされました。なんと、現在の北タイでは、高校どころか、大学進学が珍しくなくなってきている、というのです。90年代には義務教育である中学にも貧困から進学できなかった子供たちが大勢いた、のにです。大学進学率というのは所得水準に相関しますから、このことから北タイの一般人の所得が大きく増加していることが分かります。
山岳民族や移民の問題は依然として存在するようですが、それでもHIV陽性者は増加はしていないそうです。しかし、タイ国籍を有していないために医療機関を受診できず、誰かが支援しなければ死を待つしかない、という人も依然存在しています。ある関係者は、この問題はこれからも続くだろう、と話していました。
最新の北タイのエイズ事情をまとめてみると、①感染者が減り(正確なデータは入手できませんでしたが関係者の話から確実だと思われます)、②差別やスティグマが大きく減少し、③全体の貧困度が減少したため今後の新規感染も減少していくことが予想される、④しかし依然として誰かが支援しなければ生きていけない感染者やエイズ孤児が存在することを忘れてはいけない、⑤さらに山岳民族や移民者のHIV問題は依然残存する、となると思います。
気になるのは、①と②が北タイに限局したことなのか、タイ全域でも同様なのか、ということです。それを調べるために、私はタイ渡航中に北タイ以外の地域で関係者に話を聞き、施設を訪問しました。結論を言えば、残念ながら北タイを除くタイ全域では、以前とさほど変わっていないというのが現状のようです。例えば、ロッブリー県にあるタイ最大のエイズホスピスであるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)では、入所したくてもできない感染者が依然大勢いて、私がこの施設でボランティアをしていた2004年とほとんど状況は変わっていないそうです。差別やスティグマについても、以前に比べればましにはなっているが依然感染者が社会的不利益を被っているのは間違いない、そうです。
北タイのエイズ事情が好転しているのはもちろん歓迎すべきことです。90年代前半にタイで最もエイズが深刻化したこの地域が、現在は最も"進んだ"地域となっているということは注目に値します。GINAでは今後、各地域に応じた支援を展開していきたと考えています。
第73回 ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その3)(2012年7月)
このコラムの2008年7月号では「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」、2010年7月号では「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その2)」というタイトルで、2000年代前半にはいったんクリーンになりかけたタイで再び違法薬物が蔓延しているということを述べました。
それから2年がたちましたが、この勢いはさらに加速しています。2011年8月にはタクシン元首相の実の妹であるインラック首相が就任し、これでタクシン時代ほどではないにしても、ある程度厳しい取締りがおこなわれるのではないかという期待もありましたが、現実は、違法薬物はますます大量に流通するようになっています。
現在のタイの違法薬物には3つの問題があると私は考えています。
まずひとつめは、ミャンマー、ラオス、カンボジアというタイに隣接している3つの国から陸路で薬物を持ち込むことが簡単であることがあげられます。この3つの国の薬物事情はいずれも深刻で、事実上外貨獲得の大きな手段になっていることもあり、国の体制が変わらない限りは供給量が減ることはないでしょう。
現在、タイ政府は国境の検問所での検査の強化に努めているようで、少しずつ成果を挙げているようですが(だから逮捕者の報道も増えているわけです)、さらに厳しくする必要があるでしょう。カンボジアと国境を接するチャンタブリ県やサケオ県での検問所はかなりしっかりしてきたようですが、同じくカンボジアとの間に国境を有するトラート県ではまだまだ不十分とみられています。
しかしこの点については、人員を増やす、X線装置を充実させる、などの対策で比較的簡単に解決するかもしれません。
現在のタイの違法薬物に関する2つ目の問題点は、刑務所内での使用者が多いということです。
タイの地元紙の報道によりますと、2012年5月15日、ノンタブリ県(バンコク北部に隣接する県です)のバンクワン中央刑務所で受刑者1,000人に対する薬物検査を実施したところ、なんと、200人に陽性反応が出た、というのです。
これまでも刑務所内での薬物(主に覚醒剤)使用は何度も報道されています。隠し持った携帯電話で薬物取引が指示され、受刑者の知人が差し入れたものに隠されていたり、刑務所の敷地内に投げ込まれた動物の消化管内に入れられていたりしたこともあったそうです。
タイの刑務所では、なぜこのようなことが可能なのかといえば、おそらく看守のなかに不正行為を働く者がいるからでしょう。なかには看守自らが受刑者に薬物を売っているのではないかとの指摘もあります。我々日本人の感覚からすれば、「刑務所内でこのようなことがあるなんて信じられない」、となりますが、改めて考えてみると、日本の役人というのは(アジアでの比較ですが)他国と比べると極めて真面目で公正なのです。
ちなみに、この話をフィリピンの刑務所事情に詳しい知人に話すと、タイはまだましでフィリピンではこの比ではないそうです。まず警官が薬物で犯人を捕らえ、押収した薬物を刑務所内で受刑者に売るそうなのです。また、驚くべきことに、フィリピンの刑務所内では買春が当たり前のようにおこなわれているそうです。刑務所を"職場"としているセックスワーカーがいて、事実上売春行為が公認されているというのです。もちろんセックスワーカーたちはショバ代を警官に払わなければなりません。このような構図で、警官は刑務所内で小遣いを稼ぎ、受刑者は快適に(?)「お勤め」をし、セックスワーカーは商売ができている、というわけです。そして、受刑者たちは、違法薬物(針の使い回し)や買春が原因となり刑務所内でHIVに感染していくそうです。
話をタイに戻しましょう。現在のタイの違法薬物の3つめの問題は、風邪薬から覚醒剤への合成がかなり派手におこなわれている、ということです。複数の国立病院も巻き込み、政治家や役人も関与している可能性が指摘されています。実際、ピサヌローク県の基地に勤務するピヤナット陸軍少佐は、2012年1月にこの件で逮捕され、身柄がバンコクの麻薬制圧局に拘束されました。
(あまり詳しく書きたくありませんが)風邪薬(市販のものも含めて)に含まれているエフェドリンなどの咳止めの成分は覚醒剤(メタンフェタミンやアンフェタミン)と類似したもので、理系の大学院生くらいの知識があれば簡単に合成することができます。設備も特別なものは不要で、高校の理科室くらいの備品があれば十分に可能です。
病院に置いてある風邪薬を右から左に流すだけで大金が入るとなれば、病院の職員のなかには犯罪に手を染める者がでてきても不思議ではありません。実際、今年(2012年)はいくつもの国公立を含む病院で風邪薬が不足し、必要な患者さんに処方できなくなっています。報道によりますと、ここ数年間で少なくとも合計4,500万錠の風邪薬が紛失しているそうです。
さらに大規模な動きもあります。法務省の調査によりますと、2012年4月、韓国から8億5千万錠もの風邪薬がタイに輸入されていたことが判りました。この輸入をおこなったのが電子部品を扱う会社と自動車販売会社であることも判明しており、民間企業が覚醒剤の製造に関与していることが明らかとなりました。さらに法務省は、中国から100億錠もの風邪薬が輸入される契約があったことをつきとめて公表しています。
私はこれまで、覚醒剤が最も深刻な国は日本であり、タイはまだましな方、ということを何度も述べてきましたが、さすがにここまでくると、覚醒剤大国の汚名を日本からタイに譲り渡すべきかもしれません。
では、どうすればいいのでしょうか・・・。タイのことはタイの役人や政治家が考えるべきですが、日本の深刻な覚醒剤汚染も合わせて考えたときに、私の現在の見解としては、「大麻を合法化して、覚醒剤や、さらにハードなヘロイン、コカイン、LSDなどを徹底的に取り締まる」というものです。
これまで私は何度も述べていますが、日本で覚醒剤の敷居が低い理由のひとつは、大麻も覚醒剤も同じようなイメージが植えつけられているからです。そして、現在のタイも似たような状況になってきているように思われます。(もっとも、タイでは以前から「ヤーバー」と呼ばれる純度の低い覚醒剤が大量に出回っており、日本と同じように大麻と覚醒剤の差がそれほど認識されていなかったともいえます)
欧米人の場合は、このあたりの認識がしっかりできています。オランダが大麻合法なのは昔から有名ですが、スペインでも2001年からは合法となっています。現在日本では女優Sがスペインで大麻を使用していたことが『週刊文春』で報道され話題になっていますが、同誌の取材で女優Sと一緒に大麻を摂取していたスペイン人男性が堂々と写真を撮らせているのは、同国では何ら違法行為ではないからです。21世紀を迎えてから南米でも大麻合法化を認める傾向にありますし、アメリカを含むいくつかの国では医療用大麻は(実際には医療用に用いなくても)簡単に入手できます。しかし、大麻フリークの欧米人(もちろん全員ではありませんが)は、覚醒剤を含むハードドラッグの危険性を知っています。なかには「アルコールやタバコは有害だからやらない」と言って大麻を楽しんでいる人たちもいます。
人間はなぜ違法薬物に手を出すのか・・・。その理由のひとつは「つらくてしんどい現実から一時だけでも開放されたいから」ではないでしょうか。であるならば、大麻をその危険性(例えば大麻摂取後の運転は絶対にNGです)を理解した上で楽しみ、明日からまたがんばるようにしてみるというのはどうでしょうか。
しかし、現在は日本では(タイでも)大麻は非合法ですし、合法化されている国や地域に行ったときも外国人は非合法である場合もあります。私は法律を犯してまで大麻を試すことに賛成しているわけではありません。日本でもタイでもここまで違法薬物が深刻化しているなかで、大麻合法化に関する発言をみんながおこなっていくことが重要ではないかと思うのです。もちろん大麻合法化に反対する人もいるでしょう。反対派と賛成派で意見を交わし大勢の人に是非を検討してもらうことが必要な時期にきているのではないかと思うのです(注1)
注1:参考までにUNODC(国際連合薬物犯罪事務所)が、世界の違法薬物に関する調査をまとめた「World Drug Report 2012」を発行しています。興味のある方は下記URLを参照ください。
http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/WDR-2012.html
参考:
GINAと共に
第25回(2008年7月) 「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」
第49回(2010年7月) 「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その2)」
第53回(2010年11月) 「大麻合法化を巡る米国と覚醒剤に甘すぎる日本」
第34回(2009年4月) 「カリフォルニアは大麻天国?!」
第29回(2008年11月) 「大麻の危険性とマスコミの責任」
第13回(2007年7月) 「恐怖のCM」
(医)太融寺町谷口医院 マンスリーレポート(2012年6月) 「酒とハーブと覚醒剤」
それから2年がたちましたが、この勢いはさらに加速しています。2011年8月にはタクシン元首相の実の妹であるインラック首相が就任し、これでタクシン時代ほどではないにしても、ある程度厳しい取締りがおこなわれるのではないかという期待もありましたが、現実は、違法薬物はますます大量に流通するようになっています。
現在のタイの違法薬物には3つの問題があると私は考えています。
まずひとつめは、ミャンマー、ラオス、カンボジアというタイに隣接している3つの国から陸路で薬物を持ち込むことが簡単であることがあげられます。この3つの国の薬物事情はいずれも深刻で、事実上外貨獲得の大きな手段になっていることもあり、国の体制が変わらない限りは供給量が減ることはないでしょう。
現在、タイ政府は国境の検問所での検査の強化に努めているようで、少しずつ成果を挙げているようですが(だから逮捕者の報道も増えているわけです)、さらに厳しくする必要があるでしょう。カンボジアと国境を接するチャンタブリ県やサケオ県での検問所はかなりしっかりしてきたようですが、同じくカンボジアとの間に国境を有するトラート県ではまだまだ不十分とみられています。
しかしこの点については、人員を増やす、X線装置を充実させる、などの対策で比較的簡単に解決するかもしれません。
現在のタイの違法薬物に関する2つ目の問題点は、刑務所内での使用者が多いということです。
タイの地元紙の報道によりますと、2012年5月15日、ノンタブリ県(バンコク北部に隣接する県です)のバンクワン中央刑務所で受刑者1,000人に対する薬物検査を実施したところ、なんと、200人に陽性反応が出た、というのです。
これまでも刑務所内での薬物(主に覚醒剤)使用は何度も報道されています。隠し持った携帯電話で薬物取引が指示され、受刑者の知人が差し入れたものに隠されていたり、刑務所の敷地内に投げ込まれた動物の消化管内に入れられていたりしたこともあったそうです。
タイの刑務所では、なぜこのようなことが可能なのかといえば、おそらく看守のなかに不正行為を働く者がいるからでしょう。なかには看守自らが受刑者に薬物を売っているのではないかとの指摘もあります。我々日本人の感覚からすれば、「刑務所内でこのようなことがあるなんて信じられない」、となりますが、改めて考えてみると、日本の役人というのは(アジアでの比較ですが)他国と比べると極めて真面目で公正なのです。
ちなみに、この話をフィリピンの刑務所事情に詳しい知人に話すと、タイはまだましでフィリピンではこの比ではないそうです。まず警官が薬物で犯人を捕らえ、押収した薬物を刑務所内で受刑者に売るそうなのです。また、驚くべきことに、フィリピンの刑務所内では買春が当たり前のようにおこなわれているそうです。刑務所を"職場"としているセックスワーカーがいて、事実上売春行為が公認されているというのです。もちろんセックスワーカーたちはショバ代を警官に払わなければなりません。このような構図で、警官は刑務所内で小遣いを稼ぎ、受刑者は快適に(?)「お勤め」をし、セックスワーカーは商売ができている、というわけです。そして、受刑者たちは、違法薬物(針の使い回し)や買春が原因となり刑務所内でHIVに感染していくそうです。
話をタイに戻しましょう。現在のタイの違法薬物の3つめの問題は、風邪薬から覚醒剤への合成がかなり派手におこなわれている、ということです。複数の国立病院も巻き込み、政治家や役人も関与している可能性が指摘されています。実際、ピサヌローク県の基地に勤務するピヤナット陸軍少佐は、2012年1月にこの件で逮捕され、身柄がバンコクの麻薬制圧局に拘束されました。
(あまり詳しく書きたくありませんが)風邪薬(市販のものも含めて)に含まれているエフェドリンなどの咳止めの成分は覚醒剤(メタンフェタミンやアンフェタミン)と類似したもので、理系の大学院生くらいの知識があれば簡単に合成することができます。設備も特別なものは不要で、高校の理科室くらいの備品があれば十分に可能です。
病院に置いてある風邪薬を右から左に流すだけで大金が入るとなれば、病院の職員のなかには犯罪に手を染める者がでてきても不思議ではありません。実際、今年(2012年)はいくつもの国公立を含む病院で風邪薬が不足し、必要な患者さんに処方できなくなっています。報道によりますと、ここ数年間で少なくとも合計4,500万錠の風邪薬が紛失しているそうです。
さらに大規模な動きもあります。法務省の調査によりますと、2012年4月、韓国から8億5千万錠もの風邪薬がタイに輸入されていたことが判りました。この輸入をおこなったのが電子部品を扱う会社と自動車販売会社であることも判明しており、民間企業が覚醒剤の製造に関与していることが明らかとなりました。さらに法務省は、中国から100億錠もの風邪薬が輸入される契約があったことをつきとめて公表しています。
私はこれまで、覚醒剤が最も深刻な国は日本であり、タイはまだましな方、ということを何度も述べてきましたが、さすがにここまでくると、覚醒剤大国の汚名を日本からタイに譲り渡すべきかもしれません。
では、どうすればいいのでしょうか・・・。タイのことはタイの役人や政治家が考えるべきですが、日本の深刻な覚醒剤汚染も合わせて考えたときに、私の現在の見解としては、「大麻を合法化して、覚醒剤や、さらにハードなヘロイン、コカイン、LSDなどを徹底的に取り締まる」というものです。
これまで私は何度も述べていますが、日本で覚醒剤の敷居が低い理由のひとつは、大麻も覚醒剤も同じようなイメージが植えつけられているからです。そして、現在のタイも似たような状況になってきているように思われます。(もっとも、タイでは以前から「ヤーバー」と呼ばれる純度の低い覚醒剤が大量に出回っており、日本と同じように大麻と覚醒剤の差がそれほど認識されていなかったともいえます)
欧米人の場合は、このあたりの認識がしっかりできています。オランダが大麻合法なのは昔から有名ですが、スペインでも2001年からは合法となっています。現在日本では女優Sがスペインで大麻を使用していたことが『週刊文春』で報道され話題になっていますが、同誌の取材で女優Sと一緒に大麻を摂取していたスペイン人男性が堂々と写真を撮らせているのは、同国では何ら違法行為ではないからです。21世紀を迎えてから南米でも大麻合法化を認める傾向にありますし、アメリカを含むいくつかの国では医療用大麻は(実際には医療用に用いなくても)簡単に入手できます。しかし、大麻フリークの欧米人(もちろん全員ではありませんが)は、覚醒剤を含むハードドラッグの危険性を知っています。なかには「アルコールやタバコは有害だからやらない」と言って大麻を楽しんでいる人たちもいます。
人間はなぜ違法薬物に手を出すのか・・・。その理由のひとつは「つらくてしんどい現実から一時だけでも開放されたいから」ではないでしょうか。であるならば、大麻をその危険性(例えば大麻摂取後の運転は絶対にNGです)を理解した上で楽しみ、明日からまたがんばるようにしてみるというのはどうでしょうか。
しかし、現在は日本では(タイでも)大麻は非合法ですし、合法化されている国や地域に行ったときも外国人は非合法である場合もあります。私は法律を犯してまで大麻を試すことに賛成しているわけではありません。日本でもタイでもここまで違法薬物が深刻化しているなかで、大麻合法化に関する発言をみんながおこなっていくことが重要ではないかと思うのです。もちろん大麻合法化に反対する人もいるでしょう。反対派と賛成派で意見を交わし大勢の人に是非を検討してもらうことが必要な時期にきているのではないかと思うのです(注1)
注1:参考までにUNODC(国際連合薬物犯罪事務所)が、世界の違法薬物に関する調査をまとめた「World Drug Report 2012」を発行しています。興味のある方は下記URLを参照ください。
http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/WDR-2012.html
参考:
GINAと共に
第25回(2008年7月) 「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ」
第49回(2010年7月) 「ドラッグ天国に舞い戻ったタイ(その2)」
第53回(2010年11月) 「大麻合法化を巡る米国と覚醒剤に甘すぎる日本」
第34回(2009年4月) 「カリフォルニアは大麻天国?!」
第29回(2008年11月) 「大麻の危険性とマスコミの責任」
第13回(2007年7月) 「恐怖のCM」
(医)太融寺町谷口医院 マンスリーレポート(2012年6月) 「酒とハーブと覚醒剤」
第72回 セントラルドグマと逆転写酵素(2012年6月)
私が本格的にエイズの諸問題に取り組みたいと思ったのは、2002年にタイ国ロッブリー県のエイズ施設であるパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)に訪問してからですが、施設を訪れる前からもエイズには強い関心を持っていました。
HIVは、同性愛者や薬物常用者、あるいはセックスワーカーといった人たちに感染することが多く、彼(女)らは感染の可能性を考えて医療機関を受診しても差別的な扱いを受けている、ということを医学部の学生の頃に何度か聞いていたため、医師になる前から何らかのかたちでHIV/AIDSの医療に関わりたいという気持ちを持っていたのです。
しかし、実は私はそのかなり前からHIVには多大なる興味をもっていました。その「興味」とは、差別されている人の力になりたい、という「社会的」なものではなく、また治療を施したいという「医学的」なものでもなく、HIVというウイルスの性質に惹かれた、という、純粋に「生物学的」なものだったのです。
それは私が大学で社会学を学んでいたときですから1989年か1990年頃だったと思います。ある本(注1)を読んでいると「セントラルドグマ」という言葉が私の目に飛び込んできて大変驚きました。なぜ驚いたかというと、その本は、誰にでも分かりやすく書かれているとはいえ、その章は生物学(生命科学)について述べられていたからです。
「ドグマ」という言葉は、社会科学というよりも人文科学、あるいは宗教学でよく出てくる単語で、「(宗教の)教義」という感じの意味ですが、文脈によっては否定的な意味あいで用いられることが多いものです。つまり、独断的で一般的には社会から支持されないような宗教的教義、というニュアンスです。
しかし「セントラルドグマ」という言葉を提唱したのは、あのクリック博士というではないですか。クリック博士と言えば、ワトソン博士と共に、DNAの二重らせん構造を証明した、文科系の学生でも名前は知っているノーベル(生理学)賞受賞者です。
そのノーベル賞を受賞したクリック博士が、「ドグマ」などという不気味な単語を用いた理論を提唱した、ということに驚かずにはいられなかったのです(注2)。
ここで「セントラルドグマ」とはどのようなものなのかを説明しておきましょう。
遺伝情報は(ヒトの場合)すべてDNAに刻まれていて、それがRNAというものに転写(DNAの情報が写される)されて、RNAの情報をもとにタンパク質が生成されます。つまり、情報の流れは、DNA→RNA→タンパク質、となるわけで、セントラルドグマとは、この遺伝情報の流れ、を指しています。
ここで「ドグマ」という言葉が使われていることが、社会学や宗教学を学んだ人間にとっては"不気味"なのです。クリック博士は、遺伝情報の流れを証明したわけですから、それが絶対的に正しいのであれば、セントラルドグマなどと言わずに、セントラルセオリー(基本的定理)とか、セントラルファクト(基本的事実)、セントラルフォーミュラ(基本的公式)などにすればいいわけです。
それを"あえて"「ドグマ」という単語を持ってきている、ということは、セントラルドグマはいつかは覆されることをクリック博士は予感していたのではないか、そう考えたくなります。いえ、しかしもしそうだとするなら、ドグマなどという「いわくつき」の単語ではなく、例えば、セントラルハイポセシスとかセントラルアサンプション(hypothesisもassumptionも仮説という意味)と言えばいいわけです。では、なぜドグマなどという意味あり気な言葉をあえて用いたのでしょうか。
おそらくクリック博士はこの時点で、「いずれDNA→RNA→タンパク質という遺伝情報に従わない<例外>がでてくる。そしてその<例外>は教科書の隅に記載されるようなものではなく、生物学の世界のみならずこの世の中を大きく混乱させるような"何か"であるに違いない。だからあえてインパクトの強い「ドグマ」という言葉を使おう」、と考えたのではないかと勘ぐりたくなるのです。
クリック博士がDNAの二重らせん構造について科学誌『Nature』に論文を発表したのは1953年、セントラルドグマという言葉を提唱したのは1958年です。その四半世紀後、世界を震撼させることになるHIVが発見されました。そして、そのHIVこそが、セントラルドグマに従わない病原体なのです!
How dramatic!、と感じるのは私だけでしょうか。セントラルドグマが提唱された1958年当時、ドグマという名称とは裏腹に、誰もがこの遺伝情報の流れを絶対的な真実だと思っていたのです。しかし提唱者であるクリック博士は、この理論が破られる日がいずれやってくる、そしてそれは社会を震撼させるような出来事と共にやってくるのではないかと感じていたわけです。そして四半世紀後にHIVが発見されたのです!
ここでHIVはどのようにセントラルドグマに従わないのかをみていきましょう。HIVは生物学的にはレトロウイルス(注3)に分類されます。レトロウイルスとは、「RNAウイルス(注4)の中で逆転写酵素を持つもの」を指します。ドグマほどのインパクトはありませんが、この「逆転写酵素」という言葉も、一度聞いたら忘れない、なにやら不気味な響きを持ちます。
HIVはヒトの体内に侵入すると、特定の細胞に入って行き、自分の情報(RNA)をヒトの遺伝子(DNA)に植えつけることができます。たとえて言えば、他人の家に勝手に上がりこんでそこに居座るようなものですが、このときに必要なのが逆転写酵素というわけです(注5)。
つまり、一部のRNA型ウイルスがヒトの体内に侵入すると逆転写がおこなわれるということは、DNA→RNAという流れ(セントラルドグマ)に従わない、RNA→DNAという流れが存在することになります。そして、これが逆転写酵素の存在が証明されたことによって判明したのです(注6)。
しかし逆転写酵素が世界で初めて発見された1970年で、この頃はまだエイズという疾患は知られていませんでした。逆転写酵素は、動物にガンを引き起こす一部の腫瘍ウイルスを用いての研究で発見されたのです。(これは私の推測ですが)そのため、1970年当時はこの画期的な発見は科学者の間ではかなり注目されたでしょうが、一般社会ではそれほど大きなニュースとはならなかったのではないかと思われます。
それから十数年がたち、世の中を震撼させたエイズの正体がHIVであることが判り、そしてそのHIVがレトロウイルスであり、逆転写酵素を用いて、自分のRNAの情報をヒトのDNAに植えつけていることが判ったわけです。
まだ私が社会学を学んでいた頃は1980年代後半でしたから、有効な薬剤は皆無で、エイズとは「死に至る病」でした。当時は、これからエイズは世界中で急速に広まりやがて人類を滅亡させるのではないか、とも言われていました。
そのエイズの正体がHIVで、HIVはレトロウイルスの1種であり、逆転写酵素を巧みに用いてヒトの遺伝子にもぐりこむ、そして遺伝情報の流れはRNA→DNAですから、クリック博士の唱えた「セントラルドグマ」を崩壊させるものだったのです。(正確に言えばセントラルドグマに例外があることが判ったのは逆転写酵素が発見されたのは1970年ということになりますが、逆転写酵素が一躍有名になったのはHIVの発見によるものです)
生物学を学ぶと、生命の神秘に感動させられることが多々ありますが、私にとっては、この「セントラルドグマは逆転写酵素の発見により終焉を迎えた」という事象がいまだに最もドラマティックなものであり続けているのです(注7)。
注1:「ある本」とは栗本慎一郎氏の『パンツを捨てるサル』です。それまでも栗本氏の著書は何冊か読んでいたのですが、私にとってこの本は衝撃的でした。内容は決して科学一色とは言えず、批判されることも多い本でしたが、その後の私の進路に影響を与えた一冊と言ってもいいと思います。この原稿を書くために約20年ぶりに読み返してみようと思ったのですがどこかに行ってしまっていることが判り、早速Amazon.comで注文しました。
注2:私はそれから6年ほどして医学部に入学することになるのですが、私の医学部時代に、分子生物学を含むすべての授業で「セントラルドクマ」という言葉を聞くことは一度もありませんでした。ということは今では「死語」になっているのかもしれません。もしも授業でこの言葉がでてきたら「先生はクリック博士が"ドグマ"という言葉を用いたことをどう思いますか?」と質問したかったのですが、結局その質問はできずじまいでした。
注3:レトロウイルスではHIVが最も有名ですが、HTLV-1(ヒトT細胞白血病ウイルス)もこの仲間です。
注4:ヒトを含めてすべての動植物は遺伝情報をDNAで持っていますが、ウイルスのなかにはRNAで遺伝情報を有しているものがいます。HIV以外にも、麻疹(はしか)、風疹、インフルエンザなどのウイルスはRNA型ウイルスです。
注5:逆転写酵素はレトロウイルスの専売特許というわけではなく、DNA型のウイルスでもこれを持っているものがいます。そのウイルスとはB型肝炎ウイルスで、HIVだけでなくB型肝炎の治療に逆転写酵素阻害薬を用いるのはそのためです。
注6:ちなみに逆転写酵素は1970年にボルティモア博士に発見されました。ボルティモア博士は、ワトソン博士に比べると知名度は高くないかもしれませんが、逆転写酵素の発見により1975年にノーベル生理学賞を受賞しています。
注7:私は医学部に入学したときには、医師になるつもりはなく医学の研究をしたいと考えていました。その後、いろんな経験を経て医師の道を選択したのですが、今でも研究に対する未練のようなものがないわけではありません。しかし、「自分には研究者になる素質も能力もない」ということを医学部時代の間に何度も痛感し諦めがつきました。逆に、医学部入学時にはエイズの問題に「社会的に」取り組むつもりはなかったのにGINAを設立することになったわけで、人生とは奇妙なものです・・・。
HIVは、同性愛者や薬物常用者、あるいはセックスワーカーといった人たちに感染することが多く、彼(女)らは感染の可能性を考えて医療機関を受診しても差別的な扱いを受けている、ということを医学部の学生の頃に何度か聞いていたため、医師になる前から何らかのかたちでHIV/AIDSの医療に関わりたいという気持ちを持っていたのです。
しかし、実は私はそのかなり前からHIVには多大なる興味をもっていました。その「興味」とは、差別されている人の力になりたい、という「社会的」なものではなく、また治療を施したいという「医学的」なものでもなく、HIVというウイルスの性質に惹かれた、という、純粋に「生物学的」なものだったのです。
それは私が大学で社会学を学んでいたときですから1989年か1990年頃だったと思います。ある本(注1)を読んでいると「セントラルドグマ」という言葉が私の目に飛び込んできて大変驚きました。なぜ驚いたかというと、その本は、誰にでも分かりやすく書かれているとはいえ、その章は生物学(生命科学)について述べられていたからです。
「ドグマ」という言葉は、社会科学というよりも人文科学、あるいは宗教学でよく出てくる単語で、「(宗教の)教義」という感じの意味ですが、文脈によっては否定的な意味あいで用いられることが多いものです。つまり、独断的で一般的には社会から支持されないような宗教的教義、というニュアンスです。
しかし「セントラルドグマ」という言葉を提唱したのは、あのクリック博士というではないですか。クリック博士と言えば、ワトソン博士と共に、DNAの二重らせん構造を証明した、文科系の学生でも名前は知っているノーベル(生理学)賞受賞者です。
そのノーベル賞を受賞したクリック博士が、「ドグマ」などという不気味な単語を用いた理論を提唱した、ということに驚かずにはいられなかったのです(注2)。
ここで「セントラルドグマ」とはどのようなものなのかを説明しておきましょう。
遺伝情報は(ヒトの場合)すべてDNAに刻まれていて、それがRNAというものに転写(DNAの情報が写される)されて、RNAの情報をもとにタンパク質が生成されます。つまり、情報の流れは、DNA→RNA→タンパク質、となるわけで、セントラルドグマとは、この遺伝情報の流れ、を指しています。
ここで「ドグマ」という言葉が使われていることが、社会学や宗教学を学んだ人間にとっては"不気味"なのです。クリック博士は、遺伝情報の流れを証明したわけですから、それが絶対的に正しいのであれば、セントラルドグマなどと言わずに、セントラルセオリー(基本的定理)とか、セントラルファクト(基本的事実)、セントラルフォーミュラ(基本的公式)などにすればいいわけです。
それを"あえて"「ドグマ」という単語を持ってきている、ということは、セントラルドグマはいつかは覆されることをクリック博士は予感していたのではないか、そう考えたくなります。いえ、しかしもしそうだとするなら、ドグマなどという「いわくつき」の単語ではなく、例えば、セントラルハイポセシスとかセントラルアサンプション(hypothesisもassumptionも仮説という意味)と言えばいいわけです。では、なぜドグマなどという意味あり気な言葉をあえて用いたのでしょうか。
おそらくクリック博士はこの時点で、「いずれDNA→RNA→タンパク質という遺伝情報に従わない<例外>がでてくる。そしてその<例外>は教科書の隅に記載されるようなものではなく、生物学の世界のみならずこの世の中を大きく混乱させるような"何か"であるに違いない。だからあえてインパクトの強い「ドグマ」という言葉を使おう」、と考えたのではないかと勘ぐりたくなるのです。
クリック博士がDNAの二重らせん構造について科学誌『Nature』に論文を発表したのは1953年、セントラルドグマという言葉を提唱したのは1958年です。その四半世紀後、世界を震撼させることになるHIVが発見されました。そして、そのHIVこそが、セントラルドグマに従わない病原体なのです!
How dramatic!、と感じるのは私だけでしょうか。セントラルドグマが提唱された1958年当時、ドグマという名称とは裏腹に、誰もがこの遺伝情報の流れを絶対的な真実だと思っていたのです。しかし提唱者であるクリック博士は、この理論が破られる日がいずれやってくる、そしてそれは社会を震撼させるような出来事と共にやってくるのではないかと感じていたわけです。そして四半世紀後にHIVが発見されたのです!
ここでHIVはどのようにセントラルドグマに従わないのかをみていきましょう。HIVは生物学的にはレトロウイルス(注3)に分類されます。レトロウイルスとは、「RNAウイルス(注4)の中で逆転写酵素を持つもの」を指します。ドグマほどのインパクトはありませんが、この「逆転写酵素」という言葉も、一度聞いたら忘れない、なにやら不気味な響きを持ちます。
HIVはヒトの体内に侵入すると、特定の細胞に入って行き、自分の情報(RNA)をヒトの遺伝子(DNA)に植えつけることができます。たとえて言えば、他人の家に勝手に上がりこんでそこに居座るようなものですが、このときに必要なのが逆転写酵素というわけです(注5)。
つまり、一部のRNA型ウイルスがヒトの体内に侵入すると逆転写がおこなわれるということは、DNA→RNAという流れ(セントラルドグマ)に従わない、RNA→DNAという流れが存在することになります。そして、これが逆転写酵素の存在が証明されたことによって判明したのです(注6)。
しかし逆転写酵素が世界で初めて発見された1970年で、この頃はまだエイズという疾患は知られていませんでした。逆転写酵素は、動物にガンを引き起こす一部の腫瘍ウイルスを用いての研究で発見されたのです。(これは私の推測ですが)そのため、1970年当時はこの画期的な発見は科学者の間ではかなり注目されたでしょうが、一般社会ではそれほど大きなニュースとはならなかったのではないかと思われます。
それから十数年がたち、世の中を震撼させたエイズの正体がHIVであることが判り、そしてそのHIVがレトロウイルスであり、逆転写酵素を用いて、自分のRNAの情報をヒトのDNAに植えつけていることが判ったわけです。
まだ私が社会学を学んでいた頃は1980年代後半でしたから、有効な薬剤は皆無で、エイズとは「死に至る病」でした。当時は、これからエイズは世界中で急速に広まりやがて人類を滅亡させるのではないか、とも言われていました。
そのエイズの正体がHIVで、HIVはレトロウイルスの1種であり、逆転写酵素を巧みに用いてヒトの遺伝子にもぐりこむ、そして遺伝情報の流れはRNA→DNAですから、クリック博士の唱えた「セントラルドグマ」を崩壊させるものだったのです。(正確に言えばセントラルドグマに例外があることが判ったのは逆転写酵素が発見されたのは1970年ということになりますが、逆転写酵素が一躍有名になったのはHIVの発見によるものです)
生物学を学ぶと、生命の神秘に感動させられることが多々ありますが、私にとっては、この「セントラルドグマは逆転写酵素の発見により終焉を迎えた」という事象がいまだに最もドラマティックなものであり続けているのです(注7)。
注1:「ある本」とは栗本慎一郎氏の『パンツを捨てるサル』です。それまでも栗本氏の著書は何冊か読んでいたのですが、私にとってこの本は衝撃的でした。内容は決して科学一色とは言えず、批判されることも多い本でしたが、その後の私の進路に影響を与えた一冊と言ってもいいと思います。この原稿を書くために約20年ぶりに読み返してみようと思ったのですがどこかに行ってしまっていることが判り、早速Amazon.comで注文しました。
注2:私はそれから6年ほどして医学部に入学することになるのですが、私の医学部時代に、分子生物学を含むすべての授業で「セントラルドクマ」という言葉を聞くことは一度もありませんでした。ということは今では「死語」になっているのかもしれません。もしも授業でこの言葉がでてきたら「先生はクリック博士が"ドグマ"という言葉を用いたことをどう思いますか?」と質問したかったのですが、結局その質問はできずじまいでした。
注3:レトロウイルスではHIVが最も有名ですが、HTLV-1(ヒトT細胞白血病ウイルス)もこの仲間です。
注4:ヒトを含めてすべての動植物は遺伝情報をDNAで持っていますが、ウイルスのなかにはRNAで遺伝情報を有しているものがいます。HIV以外にも、麻疹(はしか)、風疹、インフルエンザなどのウイルスはRNA型ウイルスです。
注5:逆転写酵素はレトロウイルスの専売特許というわけではなく、DNA型のウイルスでもこれを持っているものがいます。そのウイルスとはB型肝炎ウイルスで、HIVだけでなくB型肝炎の治療に逆転写酵素阻害薬を用いるのはそのためです。
注6:ちなみに逆転写酵素は1970年にボルティモア博士に発見されました。ボルティモア博士は、ワトソン博士に比べると知名度は高くないかもしれませんが、逆転写酵素の発見により1975年にノーベル生理学賞を受賞しています。
注7:私は医学部に入学したときには、医師になるつもりはなく医学の研究をしたいと考えていました。その後、いろんな経験を経て医師の道を選択したのですが、今でも研究に対する未練のようなものがないわけではありません。しかし、「自分には研究者になる素質も能力もない」ということを医学部時代の間に何度も痛感し諦めがつきました。逆に、医学部入学時にはエイズの問題に「社会的に」取り組むつもりはなかったのにGINAを設立することになったわけで、人生とは奇妙なものです・・・。
第71回 オバマの同性婚支持とオランドのPACS (2012年5月)
2012年5月9日、米国オバマ米大統領は、米放送局ABCのテレビ番組のインタビューで、I think same-sex couples should be able to get married.(私は同性のカップルが結婚できるようになるべきだと考えている)と発言しました。するとその直後からオバマ大統領の再選を支持する団体に寄附金が大量に寄せられ、報道によりますと、90分で100万ドル(約8,000万円)が集まったそうです。
このニュースをどう読むか、ですが、素直に読めば、オバマ大統領は同性婚を支持しており、大勢の同性婚が認められることを望む人が同大統領に共感している、となるでしょう。同性婚が認められることを望む人たち、というのは同性愛者の人たちはもちろんですが、多様性を認める社会が望ましいと考えている異性愛者の人たちも含まれます。
私個人としては、同性婚に賛成?反対?、と問われれば「賛成」と答えますが、今回のオバマ大統領の発言にはどうもすっきりしないところがあります。穿った見方をすれば、本当にオバマは同性婚を支持しているのか?、と疑問に思えてくるのです。
なぜなら、アメリカのすべての州で同性婚が認められるようになる、などということをオバマ大統領が本気で考えているとは私には到底思えないからです。最近の世論調査では同性婚に賛成の者が増えていますが、おそらく州ごとにきちんとした調査をおこなえば反対意見の方が多くなるはずです。
私はアメリカ人の知人がそれほど多いわけではありませんが、アメリカ人というのはかなり保守的な考えを持っているように感じています。私はこれを批判しているわけではありません。協会の活動や家族を大切にするところなどは善き保守の考えです。神を信じ、進化論を否定し、中絶を認めない、というところまでくると、さすがに首をかしげたくなりますが、保守のすべてが悪いと言っているわけではありません。
保守的な考えには共感できることもあればできないこともあります。保守を自認する人のすべてが・・・、というわけではもちろんありませんが、アメリカで人種差別が完全になくなっていないのは自明です。そして同性婚についても、どれだけの人が心から認めているのか、疑問に感じずにはいられません。カリフォルニアは世界で最も人種差別の少ないところ、ということを世界中を旅している人たちから過去に何度か聞いたことがあります。ヨーロッパの多くの国では、長期間滞在していると、日本人が蔑視されている、と感じることがあるのに対して、カリフォルニアではそういったことがほとんどない、と聞きます。
しかし、そのカリフォルニアでさえも、同性婚はいまだにきちんとしたかたちでは認められておらず裁判所の判決が二転三転しているのです。ニューヨーク州やワシントンD.C.などいくつかの州では確かに合法化されていますが、州によってはカリフォルニアのように、いったん認められた後にそれが覆される、ということが起こっているのが現実なわけです。
このような現実を踏まえたときに、同性婚は認められなければならない、などと大統領が発言することが賢明だとは私にはどうしても思えないのです。予定通りに(あるいは予定以上に)集まった大量の寄附金が目的だったのではないか・・・、という疑問が私には払拭できないのです。周知のようにアメリカの大統領選挙ではお金がないと勝負になりません。同性婚支持という大変インパクトのある言葉を公表することで世間の注目を引き寄せ寄附を集めたのではないか、と思えてくるのです。
もしも、オバマ大統領が本当に同性愛者の立場にたって、彼(女)らの権利を守りたい、と考えるならもっと現実的な「別の方法」を提案すべきです。
その「別の方法」を自ら実践しているのが、2012年5月6日、フランスの大統領に就任したオランドです。オランドは同性愛者ではなくパートナーは女性です。しかし結婚ではなく「PACS」というかたちでパートナーシップを結んでいます。
PACS(パックス)とは、Le pacte civil de solidariteの略で、無理やり日本語にすると「連帯市民協約」となります。PACSは、成人どうしであれば性別に関係なく結ぶことができるパートナーシップで、結婚したときと同じように税控除や社会保障などの権利が与えられます。二人で契約書のような書類を作成し、それを当局に提出すれば協約完了となります。相手は同性でも異性でもかまいませんが、相手が結婚している場合は結べません。すでに相手が他の誰かとPACSを結んでいる場合もNGです。また、親族(いとこを含む)や後見人がいる場合も関係を結ぶことはできません。
オランド大統領がPACSを結んでいるパートナーのバレリー・トリルベレール女史は、世界初の未婚のファーストレディとなるそうです。(ちなみに、タイのインラック女史は、ファーストレディでなく首相ですが、パートナーと子供がいますから、世界初の事実婚の首相となります)
ここで結婚とPACSの違いを考えてみたいと思います。結婚であってもPACSであっても同じような権利が与えられるのであれば何が異なるのでしょうか。それは、結婚は「イエ」と「イエ」のものであるのに対し、PACSは「個」と「個」のものであるということです。
イエは個人を多かれ少なかれ束縛します。個の自由を最小限におさえたイエのかたちは、戦前の日本にみることができます。結婚するまで相手の顔もみたことがないということもあったわけで、これは欧米人から大変驚かれたそうです。(現在の日本人が聞いても驚きますが・・) ただし、イエは日本にしかないわけではなく、欧米諸国にも存在します。家柄が違うという理由で結婚ができなかった悲劇が描かれているヨーロッパの芸術からもそれがわかります。
我々現代人はイエを否定的なものとみなしがちです。個人の自由がイエに縛られるべきでない、という考えです。しかし結婚はイエとイエのものです。これに反論する人もいるかもしれませんが、親や親戚をまったく無視した結婚というものにはどこか暗さや後ろめたさが残存するものです。一方、PACSは個と個のものですからイエに縛られる煩わしさはありません。
さて、同性愛者のパートナーシップは結婚とPACSのどちらが現実的でしょうか。言うまでもなくPACSです。私は同性婚に反対しているわけでは決してありません。しかし、現実的な観点から同性愛者の自由と権利を確保するには「同性婚を認めよう」などという発言をしたり運動をしたりするよりも、フランスがやっているようにPACSを法的なかたちで認める方がはるかに賢明です。そして、こんなことはオバマ大統領にも分かっているはずです。であるから、あくまでも「結婚(get married)」という言葉にこだわっているオバマが不思議に思えてくるのです。
残念ながら日本では、同性婚どころか、同性愛者の権利についてすら国会で取り上げられたことはありませんし、住民投票をしようという声もあがってきません。これは、国会議員だけでなく、一般市民が、同性婚なんて考えられない、と暗黙に思っているからに他なりません。仮に住民投票がおこなわれたとしても賛成が反対を上回ることはないでしょう。個人の自由が昔に比べると随分と広がった現代でも、いまだに結婚にはイエの存在があるからです。当事者である同性愛者の人たちも、双方の親戚を集めてパーティを開きたいと考えている者はそれほど多くないでしょう。
しかし、日本の同性愛者たちも結婚できないが故の不利益を被っているのは事実です。税控除や社会保障の点で差別的な扱いを受けており、保険の受取人になれず、手術の同意書にサインできない、ということもあるでしょう。
また、異性愛者でも、イエの煩わしさから解放されてふたりだけで協約を結びたいと考える者も大勢いるに違いありません。実際、結婚してから「親戚づきあいがうっとうしい」「姑とそりが合わない」などと感じている若いカップルは少なくないでしょう。私はイエのすべてが悪いと考えているわけではありませんが、結婚に伴う諸問題の煩わしさを避けたいという理由で社会保障のない状態で事実婚を続けるカップルが、PACSという選択肢を選べるようにすべきだと思うのです。
PACSという言葉はすでに世界中で広がっています。アメリカのことはアメリカ人が考えればいいと思いますが、日本でもPACSという言葉と概念が普及し、異性愛者、同性愛者とも、事実婚で権利が保障される時代の到来を歓迎すべきではないでしょうか。
参考:GINAと共に
第60回(2011年6月) 「同性愛者の社会保障」
第3回(2006年9月) 「美しき同性愛」
このニュースをどう読むか、ですが、素直に読めば、オバマ大統領は同性婚を支持しており、大勢の同性婚が認められることを望む人が同大統領に共感している、となるでしょう。同性婚が認められることを望む人たち、というのは同性愛者の人たちはもちろんですが、多様性を認める社会が望ましいと考えている異性愛者の人たちも含まれます。
私個人としては、同性婚に賛成?反対?、と問われれば「賛成」と答えますが、今回のオバマ大統領の発言にはどうもすっきりしないところがあります。穿った見方をすれば、本当にオバマは同性婚を支持しているのか?、と疑問に思えてくるのです。
なぜなら、アメリカのすべての州で同性婚が認められるようになる、などということをオバマ大統領が本気で考えているとは私には到底思えないからです。最近の世論調査では同性婚に賛成の者が増えていますが、おそらく州ごとにきちんとした調査をおこなえば反対意見の方が多くなるはずです。
私はアメリカ人の知人がそれほど多いわけではありませんが、アメリカ人というのはかなり保守的な考えを持っているように感じています。私はこれを批判しているわけではありません。協会の活動や家族を大切にするところなどは善き保守の考えです。神を信じ、進化論を否定し、中絶を認めない、というところまでくると、さすがに首をかしげたくなりますが、保守のすべてが悪いと言っているわけではありません。
保守的な考えには共感できることもあればできないこともあります。保守を自認する人のすべてが・・・、というわけではもちろんありませんが、アメリカで人種差別が完全になくなっていないのは自明です。そして同性婚についても、どれだけの人が心から認めているのか、疑問に感じずにはいられません。カリフォルニアは世界で最も人種差別の少ないところ、ということを世界中を旅している人たちから過去に何度か聞いたことがあります。ヨーロッパの多くの国では、長期間滞在していると、日本人が蔑視されている、と感じることがあるのに対して、カリフォルニアではそういったことがほとんどない、と聞きます。
しかし、そのカリフォルニアでさえも、同性婚はいまだにきちんとしたかたちでは認められておらず裁判所の判決が二転三転しているのです。ニューヨーク州やワシントンD.C.などいくつかの州では確かに合法化されていますが、州によってはカリフォルニアのように、いったん認められた後にそれが覆される、ということが起こっているのが現実なわけです。
このような現実を踏まえたときに、同性婚は認められなければならない、などと大統領が発言することが賢明だとは私にはどうしても思えないのです。予定通りに(あるいは予定以上に)集まった大量の寄附金が目的だったのではないか・・・、という疑問が私には払拭できないのです。周知のようにアメリカの大統領選挙ではお金がないと勝負になりません。同性婚支持という大変インパクトのある言葉を公表することで世間の注目を引き寄せ寄附を集めたのではないか、と思えてくるのです。
もしも、オバマ大統領が本当に同性愛者の立場にたって、彼(女)らの権利を守りたい、と考えるならもっと現実的な「別の方法」を提案すべきです。
その「別の方法」を自ら実践しているのが、2012年5月6日、フランスの大統領に就任したオランドです。オランドは同性愛者ではなくパートナーは女性です。しかし結婚ではなく「PACS」というかたちでパートナーシップを結んでいます。
PACS(パックス)とは、Le pacte civil de solidariteの略で、無理やり日本語にすると「連帯市民協約」となります。PACSは、成人どうしであれば性別に関係なく結ぶことができるパートナーシップで、結婚したときと同じように税控除や社会保障などの権利が与えられます。二人で契約書のような書類を作成し、それを当局に提出すれば協約完了となります。相手は同性でも異性でもかまいませんが、相手が結婚している場合は結べません。すでに相手が他の誰かとPACSを結んでいる場合もNGです。また、親族(いとこを含む)や後見人がいる場合も関係を結ぶことはできません。
オランド大統領がPACSを結んでいるパートナーのバレリー・トリルベレール女史は、世界初の未婚のファーストレディとなるそうです。(ちなみに、タイのインラック女史は、ファーストレディでなく首相ですが、パートナーと子供がいますから、世界初の事実婚の首相となります)
ここで結婚とPACSの違いを考えてみたいと思います。結婚であってもPACSであっても同じような権利が与えられるのであれば何が異なるのでしょうか。それは、結婚は「イエ」と「イエ」のものであるのに対し、PACSは「個」と「個」のものであるということです。
イエは個人を多かれ少なかれ束縛します。個の自由を最小限におさえたイエのかたちは、戦前の日本にみることができます。結婚するまで相手の顔もみたことがないということもあったわけで、これは欧米人から大変驚かれたそうです。(現在の日本人が聞いても驚きますが・・) ただし、イエは日本にしかないわけではなく、欧米諸国にも存在します。家柄が違うという理由で結婚ができなかった悲劇が描かれているヨーロッパの芸術からもそれがわかります。
我々現代人はイエを否定的なものとみなしがちです。個人の自由がイエに縛られるべきでない、という考えです。しかし結婚はイエとイエのものです。これに反論する人もいるかもしれませんが、親や親戚をまったく無視した結婚というものにはどこか暗さや後ろめたさが残存するものです。一方、PACSは個と個のものですからイエに縛られる煩わしさはありません。
さて、同性愛者のパートナーシップは結婚とPACSのどちらが現実的でしょうか。言うまでもなくPACSです。私は同性婚に反対しているわけでは決してありません。しかし、現実的な観点から同性愛者の自由と権利を確保するには「同性婚を認めよう」などという発言をしたり運動をしたりするよりも、フランスがやっているようにPACSを法的なかたちで認める方がはるかに賢明です。そして、こんなことはオバマ大統領にも分かっているはずです。であるから、あくまでも「結婚(get married)」という言葉にこだわっているオバマが不思議に思えてくるのです。
残念ながら日本では、同性婚どころか、同性愛者の権利についてすら国会で取り上げられたことはありませんし、住民投票をしようという声もあがってきません。これは、国会議員だけでなく、一般市民が、同性婚なんて考えられない、と暗黙に思っているからに他なりません。仮に住民投票がおこなわれたとしても賛成が反対を上回ることはないでしょう。個人の自由が昔に比べると随分と広がった現代でも、いまだに結婚にはイエの存在があるからです。当事者である同性愛者の人たちも、双方の親戚を集めてパーティを開きたいと考えている者はそれほど多くないでしょう。
しかし、日本の同性愛者たちも結婚できないが故の不利益を被っているのは事実です。税控除や社会保障の点で差別的な扱いを受けており、保険の受取人になれず、手術の同意書にサインできない、ということもあるでしょう。
また、異性愛者でも、イエの煩わしさから解放されてふたりだけで協約を結びたいと考える者も大勢いるに違いありません。実際、結婚してから「親戚づきあいがうっとうしい」「姑とそりが合わない」などと感じている若いカップルは少なくないでしょう。私はイエのすべてが悪いと考えているわけではありませんが、結婚に伴う諸問題の煩わしさを避けたいという理由で社会保障のない状態で事実婚を続けるカップルが、PACSという選択肢を選べるようにすべきだと思うのです。
PACSという言葉はすでに世界中で広がっています。アメリカのことはアメリカ人が考えればいいと思いますが、日本でもPACSという言葉と概念が普及し、異性愛者、同性愛者とも、事実婚で権利が保障される時代の到来を歓迎すべきではないでしょうか。
参考:GINAと共に
第60回(2011年6月) 「同性愛者の社会保障」
第3回(2006年9月) 「美しき同性愛」
第70回 セックスワーカーと恋をするということ(2012年4月)
私がタイのエイズ問題に関わりだしたとき、最も衝撃的だったことのひとつが、まだ10代の女子が親に身を売られて売春をさせられエイズを発症し死んでいく、という現実でした。
こういった事実を知ったとき、やり場のない悲しみがこみ上げてきて、自分の子供を売り飛ばす親に怒りの気持ちを感じ、そしていたいけな女子を弄ぶ男たちに対して憎しみの感情を抱きました。
その後、タイの貧困の様子を見聞きし、東北地方(イサーン地方)や北タイの山岳民族では貧困から自分の娘を売らざるを得ない現実があることを知り、親だけに責任があるわけではない、と感じるようになっていきました。
しかし、女性をカネで買いHIVを感染させるような男たちを許せない、という気持ちは変わりません。なかには、日本に出稼ぎにきたタイ人女性が日本で売春をさせられHIVに感染した、というケースもあります。
売買春が古今東西どこの社会にも存在することは認めますし、罪を重くしたところでそのようなビジネスは地下に潜るだけでかえって危険性が増す、ということも理解しているつもりです。しかし、なんとかして売買春に伴う悲劇を少しでも減らさなければなりません。そのためには何をすればいいのか・・・。この問題を考えれば考えるほど、女性をモノのようにしか扱えない男性に対する否定的な感情が強くなっていきました。
そんななか、2005年あたりから少しずつ、タイの売買春に関する調査をおこないだし、当事のGINAのタイ人スタッフが中心となり、タイでセックスワークをしているタイ女性とその顧客(日本人を含む)に対し聞き取り調査をおこないました。
その内容の主旨は当サイトに掲載している「タイのフリーの売春婦(Independent Sex Workers)について」で述べていますし、いくつかの学会でも発表しましたが、最も重要な結論のひとつは、「組織に属するのではなく、バーやカフェなどで自由に"営業"をしているセックスワーカー(independent sex worker(注1))とその顧客は容易に恋愛関係になりやすい」、というものです。なかには、当初はセックスワーカーと顧客の関係だった二人が結婚にいたった、というケースもあります。
私はこのことをいくつかの学会などで報告し、「タイで外国人のHIV感染が多いのは、independent sex workerが多く、実際に顧客との恋愛や結婚にいたるケースが少なくないから」とまとめました。今でもこの考えは正しいと思っていますし、実際、日本人男性とタイの(元)independent sex workerのカップルは次々に誕生しています。そして、不幸なことに、HIVを含む性感染症に罹患する日本人も増えてきています。このような日本人男性は20代から(私の知る限り)80代までいます。
若い男性のなかにも、3日間の休みができると足繁くタイに通うような人もいます。彼らは、日本では相当きりつめた生活をしてタイ渡航のための貯金に励んでいます。高齢者の場合は、ロングステイ中に相手を見つけて同棲にいたるケースもありますし、なかには初めから若い女性の配偶者を探す目的でリタイヤメントビザを取得するような人もいます。彼らのパートナーのすべてが(元)independent sex workerというわけではありませんが、けっこうな割合なのは間違いありません。
もちろん、このような恋愛のすべてが上手くいくわけではありません。恋人だと思っていたタイ人女性に実はタイ人男性の旦那がいた、というのはよくある話で、ここで「はい、さよなら」と割り切れればいいのですが、なかにはショックのあまり自ら命を絶つ若い日本人男性もいます。高齢者の場合は、保険金をかけられてから謎の変死体で発見、という話も聞きますし、そこまでいかなくても、退職金の3千万円を、彼女だと思っていたタイ人女性とその親戚に騙されて奪われた、などという話はタイには掃いて捨てるほどあります。
このように、タイ人女性、特に(independent)sex workerのタイ人女性との恋愛は充分慎重になるべきですし、この逆のパターン、つまりタイ人男性に夢中になり貢いでいる日本人女性もまた少なくありません。日本人の女性が外国人の男性に貢ぐのはバリ島の男性が有名ですが、タイでも決して珍しくありません。実際、もしもあなたが夢中になっているタイ人がいて交際を考えているなら、周りの人は「注意した方がいいよ」と忠告してくれているのではないでしょうか。
現在の私はタイに渡航できるのはせいぜい年に一度程度で、普段は大阪で診療所の医師をしています。GINAのサイトをみて受診される患者さんもなかにはいて、そんな患者さんのなかには日本で性風俗産業に従事している女性もいますし、そういった女性の性サービスを受けた(そしてなんらかの性感染症に罹患した)男性もいます。そんな彼(女)らから学んだことがあります。それは、「彼(女)らも、最初は顧客とセックスワーカーの関係だったとしても、いずれ恋愛関係に、さらには結婚に至るケースも珍しくない」、ということでした。
私が当初考えていたのは、タイのindependent sex workerは"特殊な"存在であり、初めから恋愛関係になることもある程度は想定しており、それは顧客もそのつもりであり、売買春ではなく「擬似恋愛」がスタートラインになっているのかもしれない、というものでした。しかし、日本人の男女からもこのような恋愛が成熟したという話を聞くと、タイのindependent sex workerが特殊な存在であることには変わりはないとしても、日本の風俗店で働く日本人のセックスワ-カーとて、まったく別の世界の話ではなく、境界を引くことができないのではないのか、という気がします。
日本の風俗店でセックスワーカーと顧客として知り合った二人は、その馴れ初めを親や友達に堂々と語ることはしないでしょう。しかし、幸せな二人を非難することは誰にもできません。たまたま知り合った場所がそういうとこだった、というのはあまりにも陳腐な言い方ですし、おそらく彼(女)らの心のどこかには後ろめたさや何らかのわだかまりがあるに違いありません。しかし、そのわだかまりを抱えながらやっていこう、という意思があるなら、他人からとやかく言われる筋合いはありません。
話をタイに戻すと、私がこれまで知り合った、タイ人の元independent sex workerのガールフレンドや妻を持つ日本人男性は、おしなべて言えばみんな楽しそうで、パートナーの過去のことは気にならない、と言います。
数年前にバンコク行きの機内で隣の席に居合わせた70代の男性はナコンラチャシマ県(バンコクに次いで大きな県)に住む恋人に会いに行くところだ、と話していました。この男性は関西のある市でかつては市会議員に当選したこともあるほどの有名人だそうですが(ただし旅先で聞く話は嘘が多いので真偽はわかりません)、奥さんを亡くしてからすっかりふさぎこんでいたそうです。しかし一年前にバンコクで(おそらく客とsex workerの関係で)知り合った女性と恋に落ち、今回は女性の両親に挨拶に行くそうです。おそらく両親はその男性より一回り以上(二回り以上かもしれません)年下でしょう。私がそのことを指摘すると、「マイペンライ(気にしない)」と言って笑っていました・・・。
このように、最初はお金の関係だったけれども後に恋愛に進展した男女のことを考えると、私が2002年にタイのエイズ施設で抱いた感情、こんないたいけな少女を弄んだ男性を許せない・・・、という気持ちが消えることはないにしても、はじめの関係がsex workerと顧客だったとしてもそんなことはどうでもいいことだから幸せになってほしい、という気持ちが強くなってきます。
女性を弄びHIVを含む性感染症を感染させる男たちは(感染させなかったとしても)許せませんが、真剣に恋愛している男女に対しては、障害を乗り越えて頑張っているカップルのように思えてきて、応援したくなる気持ちすら沸いてきます。
けれども、恋愛に溺れ「盲目」になる前にHIVを含む性感染症のリスクはくれぐれもお忘れなく・・・。
注1:「independent sex worker」という単語について補足しておきます。いわゆるマッサージパーラー(ソープランド)や日本の風俗店のような組織(店舗)に所属しているセックスワーカーをdependent sex workerというのに対して、バーやカフェなどで"自由に"顧客を探すセックスワーカーをindependent sex workerと呼びます。日本語風に言えば、「フリーのセックスワーカー」と言えるかもしれません。しかし、「freeのsex worker」という言い方は、性的サービスを無料でおこなうセックスワーカーという意味にも解釈できますので、independent sex workerという表現の方が適切です。また、independent sex worker, dependent sex workerをそれぞれ、indirect sex worker, direct sex workerと表現することもあります。
こういった事実を知ったとき、やり場のない悲しみがこみ上げてきて、自分の子供を売り飛ばす親に怒りの気持ちを感じ、そしていたいけな女子を弄ぶ男たちに対して憎しみの感情を抱きました。
その後、タイの貧困の様子を見聞きし、東北地方(イサーン地方)や北タイの山岳民族では貧困から自分の娘を売らざるを得ない現実があることを知り、親だけに責任があるわけではない、と感じるようになっていきました。
しかし、女性をカネで買いHIVを感染させるような男たちを許せない、という気持ちは変わりません。なかには、日本に出稼ぎにきたタイ人女性が日本で売春をさせられHIVに感染した、というケースもあります。
売買春が古今東西どこの社会にも存在することは認めますし、罪を重くしたところでそのようなビジネスは地下に潜るだけでかえって危険性が増す、ということも理解しているつもりです。しかし、なんとかして売買春に伴う悲劇を少しでも減らさなければなりません。そのためには何をすればいいのか・・・。この問題を考えれば考えるほど、女性をモノのようにしか扱えない男性に対する否定的な感情が強くなっていきました。
そんななか、2005年あたりから少しずつ、タイの売買春に関する調査をおこないだし、当事のGINAのタイ人スタッフが中心となり、タイでセックスワークをしているタイ女性とその顧客(日本人を含む)に対し聞き取り調査をおこないました。
その内容の主旨は当サイトに掲載している「タイのフリーの売春婦(Independent Sex Workers)について」で述べていますし、いくつかの学会でも発表しましたが、最も重要な結論のひとつは、「組織に属するのではなく、バーやカフェなどで自由に"営業"をしているセックスワーカー(independent sex worker(注1))とその顧客は容易に恋愛関係になりやすい」、というものです。なかには、当初はセックスワーカーと顧客の関係だった二人が結婚にいたった、というケースもあります。
私はこのことをいくつかの学会などで報告し、「タイで外国人のHIV感染が多いのは、independent sex workerが多く、実際に顧客との恋愛や結婚にいたるケースが少なくないから」とまとめました。今でもこの考えは正しいと思っていますし、実際、日本人男性とタイの(元)independent sex workerのカップルは次々に誕生しています。そして、不幸なことに、HIVを含む性感染症に罹患する日本人も増えてきています。このような日本人男性は20代から(私の知る限り)80代までいます。
若い男性のなかにも、3日間の休みができると足繁くタイに通うような人もいます。彼らは、日本では相当きりつめた生活をしてタイ渡航のための貯金に励んでいます。高齢者の場合は、ロングステイ中に相手を見つけて同棲にいたるケースもありますし、なかには初めから若い女性の配偶者を探す目的でリタイヤメントビザを取得するような人もいます。彼らのパートナーのすべてが(元)independent sex workerというわけではありませんが、けっこうな割合なのは間違いありません。
もちろん、このような恋愛のすべてが上手くいくわけではありません。恋人だと思っていたタイ人女性に実はタイ人男性の旦那がいた、というのはよくある話で、ここで「はい、さよなら」と割り切れればいいのですが、なかにはショックのあまり自ら命を絶つ若い日本人男性もいます。高齢者の場合は、保険金をかけられてから謎の変死体で発見、という話も聞きますし、そこまでいかなくても、退職金の3千万円を、彼女だと思っていたタイ人女性とその親戚に騙されて奪われた、などという話はタイには掃いて捨てるほどあります。
このように、タイ人女性、特に(independent)sex workerのタイ人女性との恋愛は充分慎重になるべきですし、この逆のパターン、つまりタイ人男性に夢中になり貢いでいる日本人女性もまた少なくありません。日本人の女性が外国人の男性に貢ぐのはバリ島の男性が有名ですが、タイでも決して珍しくありません。実際、もしもあなたが夢中になっているタイ人がいて交際を考えているなら、周りの人は「注意した方がいいよ」と忠告してくれているのではないでしょうか。
現在の私はタイに渡航できるのはせいぜい年に一度程度で、普段は大阪で診療所の医師をしています。GINAのサイトをみて受診される患者さんもなかにはいて、そんな患者さんのなかには日本で性風俗産業に従事している女性もいますし、そういった女性の性サービスを受けた(そしてなんらかの性感染症に罹患した)男性もいます。そんな彼(女)らから学んだことがあります。それは、「彼(女)らも、最初は顧客とセックスワーカーの関係だったとしても、いずれ恋愛関係に、さらには結婚に至るケースも珍しくない」、ということでした。
私が当初考えていたのは、タイのindependent sex workerは"特殊な"存在であり、初めから恋愛関係になることもある程度は想定しており、それは顧客もそのつもりであり、売買春ではなく「擬似恋愛」がスタートラインになっているのかもしれない、というものでした。しかし、日本人の男女からもこのような恋愛が成熟したという話を聞くと、タイのindependent sex workerが特殊な存在であることには変わりはないとしても、日本の風俗店で働く日本人のセックスワ-カーとて、まったく別の世界の話ではなく、境界を引くことができないのではないのか、という気がします。
日本の風俗店でセックスワーカーと顧客として知り合った二人は、その馴れ初めを親や友達に堂々と語ることはしないでしょう。しかし、幸せな二人を非難することは誰にもできません。たまたま知り合った場所がそういうとこだった、というのはあまりにも陳腐な言い方ですし、おそらく彼(女)らの心のどこかには後ろめたさや何らかのわだかまりがあるに違いありません。しかし、そのわだかまりを抱えながらやっていこう、という意思があるなら、他人からとやかく言われる筋合いはありません。
話をタイに戻すと、私がこれまで知り合った、タイ人の元independent sex workerのガールフレンドや妻を持つ日本人男性は、おしなべて言えばみんな楽しそうで、パートナーの過去のことは気にならない、と言います。
数年前にバンコク行きの機内で隣の席に居合わせた70代の男性はナコンラチャシマ県(バンコクに次いで大きな県)に住む恋人に会いに行くところだ、と話していました。この男性は関西のある市でかつては市会議員に当選したこともあるほどの有名人だそうですが(ただし旅先で聞く話は嘘が多いので真偽はわかりません)、奥さんを亡くしてからすっかりふさぎこんでいたそうです。しかし一年前にバンコクで(おそらく客とsex workerの関係で)知り合った女性と恋に落ち、今回は女性の両親に挨拶に行くそうです。おそらく両親はその男性より一回り以上(二回り以上かもしれません)年下でしょう。私がそのことを指摘すると、「マイペンライ(気にしない)」と言って笑っていました・・・。
このように、最初はお金の関係だったけれども後に恋愛に進展した男女のことを考えると、私が2002年にタイのエイズ施設で抱いた感情、こんないたいけな少女を弄んだ男性を許せない・・・、という気持ちが消えることはないにしても、はじめの関係がsex workerと顧客だったとしてもそんなことはどうでもいいことだから幸せになってほしい、という気持ちが強くなってきます。
女性を弄びHIVを含む性感染症を感染させる男たちは(感染させなかったとしても)許せませんが、真剣に恋愛している男女に対しては、障害を乗り越えて頑張っているカップルのように思えてきて、応援したくなる気持ちすら沸いてきます。
けれども、恋愛に溺れ「盲目」になる前にHIVを含む性感染症のリスクはくれぐれもお忘れなく・・・。
注1:「independent sex worker」という単語について補足しておきます。いわゆるマッサージパーラー(ソープランド)や日本の風俗店のような組織(店舗)に所属しているセックスワーカーをdependent sex workerというのに対して、バーやカフェなどで"自由に"顧客を探すセックスワーカーをindependent sex workerと呼びます。日本語風に言えば、「フリーのセックスワーカー」と言えるかもしれません。しかし、「freeのsex worker」という言い方は、性的サービスを無料でおこなうセックスワーカーという意味にも解釈できますので、independent sex workerという表現の方が適切です。また、independent sex worker, dependent sex workerをそれぞれ、indirect sex worker, direct sex workerと表現することもあります。











