GINAと共に

第81回 レイプに関する3つの問題(2013年3月)

 タイに行くとレイプの話をよく聞きます。「聞く」というのは、まず新聞の片隅にそのような記事を見かけることは珍しくありませんし、新聞に載らなくてもタイの知人からそういった話はよく聞きます。新聞に掲載されるのは、<単なるレイプ>ではなく<レイプ+殺人>のようなときですから、<単なるレイプ>ではマスコミに取り上げられることもなく実際に発生しているレイプ事件が日々どれくらいになるのかは想像できません。

 日本人の女性がタイでレイプの被害に合った、という話も過去に何度か聞いたことがあります。欧米人との会話でこのような話になると必ず出てくる意見があります。それは、「日本人の女性は無防備すぎる」ということです。彼らが言うには、「ミニスカートで夜道をひとりで歩いて平気でいる日本人女性がおかしい」、そうです。

 タイ在住の欧米人だけでなく、日本在住の外国人のなかにもこのようなことを言う人は少なくありません。「日本に来て、日本人の女性があまりにも無防備なことに驚いた」と私に語った外国人は過去何人もいます。彼(女)らによると、派手な服を身に纏い高級ブランド品のバッグを見せつけるように夜の街を歩いている女性は<娼婦>にしかみえないそうです。

 では、そのような"無防備な"格好で夜道を歩いてもレイプの被害に合わないんだから日本はとても平和な国なんですよ、ということが言えるでしょうか。答えは次の数字をみれば明らかです。

 日本人の全女性の7.7%がレイプ被害の経験があり、性暴力救援センター受診の1割以上が妊娠していた・・・。

 詳しく説明しましょう。内閣府男女共同参画局が「男女間における暴力に関する調査」というタイトルで実施した2011年の調査によりますと、全女性の7.7%がレイプの被害に合っているそうです(注1)。

 また、大阪阪南中央病院産婦人科の加藤治子医師が主催している「性暴力救援センター・大阪(SACHICO)」によれば、2年間で受け入れた初診患者317人のうち34人(10.7%)が妊娠していたそうです。被害者317人の内訳は、レイプ・強制ワイセツが197人、性虐待(実父、義父、兄など保護的な立場にあるものからの性的行為)が82人、DV(ドメスティック・バイオレンス)が16人、その他22人とされています(注2)。

 実は私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)でもレイプの被害者を診察することがしばしばあります。谷口医院では産婦人科を標榜していませんが、私がGINA代表をつとめていることもあり、レイプによる性感染症を懸念されている女性が受診されるのです。そして、レイプでHIVをうつされた例は谷口医院ではまだありませんが、クラミジアや淋病といった性感染症をうつされた被害者の方は過去何人かおられました。

 レイプの被害にあった女性が心配するのは性感染症だけではありません。妊娠を心配している人もいて、実際にレイプで妊娠していたケースも過去に何例かありました。また、最初の受診時には、不眠や抑うつ状態、あるいは胃痛や頭痛といった症状を話されて、数ヶ月間治療を続けてようやく「実はレイプにあって・・・」と話される人もいます。こういった人のなかには、それまで誰にも話すことができなくて・・・、というケースも少なくありません。

 ちなみに、レイプの被害に合った男性もときどき受診されます。このケースはほとんどが、男性が男性に襲われた、というケースで、女性にレイプされた男性患者というのはあまりありません。しかし、パートナーの女性(つまり、恋人や妻)から身体的暴力や言葉の暴力、ネグレクト(無視される)の被害に合っているという男性の相談はときどき聞くことがあります。

 話をレイプに戻します。しばしばレイプの被害者から話を聞いている私からみて、レイプというのは充分に社会に理解されておらずいくつかの問題があります。今回は3つの点を指摘したいと思います。

 まず1つめにレイプに対する罪が軽すぎることを指摘したいと思います。マスコミで報道されたレイプ事件は過去にいくつもありますが、そのなかでも最も許しがたい事件のひとつが1955年に沖縄県石川市(現・うるま市)でおきた白人軍曹による、市内の幼稚園に通っていた当時6歳の由美子ちゃん誘拐強姦惨殺事件です。レイプされ殺害され草むらに放置された由美子ちゃんの顔面は崩れ、両手は生えた草をしっかりと握っていたそうです。この米兵は軍法会議でいったん死刑判決が出たものの、なんとその後45年の重労働に減刑されています。この事件以降、石川市で生まれた赤ちゃんに由美子と名付ける親はいなくなったと言われています(注3)。

 沖縄の米兵によるレイプ事件で有名なものに、1995年におきた黒人米兵3人による小6少女レイプ事件があります。沖縄県中部地区に住む当時小学6年生の女子が自宅から3分ほどの文具屋で150円のノートを買って店を出たあと、3人の黒人海兵隊員にレンタカーに押し込められ、目と口を粘着テープでふさがれ1.5キロメートル離れたサトウキビ畑でレイプされたという事件です(注4)。このような事件を起こしておきながら、検察の求刑はわずか10年、そして那覇地裁の判決は2人に7年、もうひとりには6年6ヶ月の懲役刑しか下していません。ちなみに、6年6ヶ月の判決を受けた海兵隊員は日本で5年間服役しアメリカに帰国し、20006年にジョージア州のアパートで知り合いの女子大生を暴行殺害し自らも自分の腕を切って自殺しています。

 これだけの事件を起こしたならば、極刑以外にないと感じるのは私だけではないでしょう。現在の日本のレイプに対する罪が軽すぎるのは自明です。おそらくこれがタイなら前者の加害者は死刑、後者の事件は3人とも終身刑となっているはずです。(しかし、日本よりも罪が重いタイでもレイプ事件が少なくないことを考えると、単純に罪を重くすればレイプが減るというわけではないのかもしれません)

 レイプに関する2つめの問題は「デートレイプ」に関する認識の乏しさです。デートレイプとは顔見知りによるレイプのことを言いますがデートレイプの多くは女性も同意していたはずなのに後になって女性が「レイプされた」と文句を言っているだけ、と考えている男性がいまだにいます。私は決してフェミニストではありませんし、確かに男性にフラれた腹いせに「あのときレイプされたから訴える」と随分後になってから言い出す女性がいることも知っていますが、デートレイプを軽視してはいけません。特に信頼されていた友達や上司が豹変してレイプされたというようなケースでは、その後かなりの長期間に渡りPTSD様の症状に苦しむこともあります(注5)。

 2012年8月に米国ミネソタ州の共和党の下院議員が「女性はレイプされた場合なら妊娠することはない」などと発言して問題になったことがありましたが、このような言葉がどれだけ被害者を傷つけるかということが、犯罪には厳しく人権と平等では世界トップであるはずのアメリカの下院議員にも理解されていないのが現実というわけです。

 レイプに関する3つめの問題は「周囲の無神経な発言によって被害者がさらに傷つく」ということです。これは「セカンドレイプ」と呼ばれており、被害状況を聴取する際に「あなたにもスキがあったのでは」などと発言する警察官が加害者と言われることが多いのですが、実際は、教育者や医師によるものもありますし、周囲の家族や知人による場合もあります。例えば、「どうしてもっと早く言わなかったの」とか「あなたはしっかりしているから大丈夫」などと言ってしまえば、それが気遣った言葉のつもりであっても結果として被害者を苦しめることになります(注6)。

 レイプによる被害者は世界中にたくさんいるということ、そして日本国内にも少なくなく、社会からは諸問題が充分に理解されていないことを多くの人に知ってもらいたいと思います。


注1:この調査結果は日本産婦人科医会のウェブサイトで詳しくみることができます。下記URLを参照ください。

http://www.jaog.or.jp/all/document/60_121212.pdf

注2:このデータも上記URLで閲覧できる資料の後半にでてきます。

注3:沖縄のレイプ問題に関しては、佐野眞一著『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史<下>』(集英社文庫)に詳しく取り上げられています。

注4:この事件を契機として沖縄在住の高里鈴代氏が「強姦救援センター沖縄(REICO)」を立ち上げられています。

http://www.space-yui.com/reico10years.htm

注5:注1に記した日本産婦人科医会のデータによりますと、レイプされた相手の1位は配偶者・元配偶者で、2位が「まったく知らない人」の9.8%とされています。3位は「職場・アルバイトの関係者」となっています。

アメリカにも似たような報告があります。2011年12月にCDC(米国疾病対策センター)が公表したデータによりますと、レイプの被害に合ったことのある女性は全体の18.3%で、加害者は1位が「交際相手などのパートナー」51.1%、2位が「知り合い」40.8%で、「まったく知らない人」はそれら以外ということになりますから8.1%となります。つまり、日本の方が「まったく知らない人」からレイプに合っている割合が高いことになります。

注6:注1に記した資料にセカンドレイプに相当する用語がまとめられていますので下記に引用しておきます。

・大丈夫、よくなりますよ
・こんなひどい被害にあった人もいる
・つらいのはあなただけじゃない
・時にあることですよ、気にしないで
・がんばって!しっかり
・早く忘れた方がいいよ
・思ったより元気そうだね
・しっかりしているから大丈夫
・私だったら気が狂ってしまう
・こうすればよかったのに・・・・・・
・なぜ、もっと早くに話さなかったの
・何をやっていたの
・これくらいで済んでよかった
・~よりまだましですよ
・どうして逃げなかったの
・なぜ、助けを呼ばなかったの
・なぜ、○○したの

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第80回 HIV陽性者に対する就職差別 その2(2013年2月)

 このコラムの第65回(2011年11月)で、HIV陽性者が日本の職場で働き続けるのは困難であることを述べました。私は、HIVに関する講演をおこなうときには、HIVが理由で職場を去らなければならないことがいかに馬鹿げたことかを主張するようにしています。また、日々の臨床では、HIVの患者さんに対して、「HIVは別に恥ずかしいことでも何でもないのは事実だけれど、今の日本では職場には言うべきでない」、と伝えるようにしています。けれども、HIV陽性者に対する職場での差別は依然存在している、というか、まったく変わっていないように思われます。

 最近も、私が院長をつとめる太融寺町谷口医院でHIVが発覚した患者さん(Bさんとしておきます)が、「会社を辞めることになりました。大阪を離れることにしたので今日はお別れの挨拶もかねて伺いました・・・」、と言って受診されました。

 30代半ばのBさんは、元々は不眠や喘息症状などで私のところにかかっていて、あるときHIV感染が発覚しました(注1)。Bさんは中堅の広告代理店で営業をされています。労働時間が長く、付き合いでの飲酒も多いため、免疫状態が悪化しないかを私は懸念していたのですが、元来頑張り屋のBさんは「仕事は減らさなくても大丈夫」と話していました。

 私が会社のことを尋ねると、「人間関係には恵まれている」と話していました。実際Bさんの会社は、人間関係がギスギスしておらず、同僚とも先輩、後輩とも気兼ねなく話せるような環境のようです。しかし、そのような会社だからこそ、私はBさんに、「HIVのことは職場に話さないように」何度も助言していました。

 ある日のこと、元気がないBさんを見かけた会社の同僚と先輩がBさんを飲みにさそったそうです。元気がない社員がいると飲みに連れていくような慣習がこの会社にはあるそうで、Bさんも「そういうところがうちのいい会社」と話していました。これまでも何度かBさんはこの同僚や先輩と飲みにいって仕事の悩みなどを聞いてもらっていたそうです。

 しかし、この日のこの飲み会がBさんの運命を変えてしまうことになります。Bさんは同僚と先輩に自分がHIVに感染していることを告げてしまったのです。このときBさんは、このことは誰にも言わないでほしいとお願いし、それを聞いた二人は「約束する」と言ったそうです。

 しかし部長からの呼び出しがあったのはその翌日だったそうです。「君はうちの会社で長く働けないからすぐに辞めてほしい。1週間後には出て行ってもらうからそれまでに引き継ぎを済ませるように」、と言われたというのです。

 その数日後、Bさんは私の元にやってきて冒頭で紹介した言葉を話されました。これまでもHIVが原因の不当解雇の話は患者さんたちから何度も聞いていましたが、これはひどすぎます。私はBさんに、「このケースはあなたが訴えれば100%勝ちますよ。戦いませんか」、と言ってみたのですが、Bさんの気持ちはすでに決まっていたようで、次のように話されました。「もういいんです。来週には大阪を離れて実家のある四国に帰ります。子供の頃によく遊んだ砂浜で海を眺めてみたいんです・・。あっ、心配しないでくださいね。当分の間、HIVのことは家族にも言いませんから・・・」

 その後Bさんからの連絡はありません。実家のある町で無事に仕事を見つけ元気にしてくれているといいのですが・・・。

 HIV陽性者に対する就職差別は日本に限ったことではありません。このコラムの第74回(2012年8月)「変わりつつある北タイのエイズ事情」で、私は、「現在の北タイのエイズ関連の最大の特徴は、感染者に対する差別やスティグマが著しく減少した、ということ」と述べました。しかし、それは家族内や病院での差別が減少している、ということであって、職場で堂々とHIV陽性であることをカムアウトしている人はほとんどいません。

 これはバンコクでも同様です。バンコクで仕事をしているHIV陽性者で、それがタイ人であっても日本人であっても、職場でカムアウトしている人を私はひとりも知りません。

 いったいHIV陽性者はどうやって仕事を見つければいいのでしょうか。

 ここであるひとりのタイ人女性を紹介したいと思います。40代のその女性はソムジャイさんと言います(注2)。夫がよそで遊んできて(他の女性と性交渉をもって)HIVに感染し、ソムジャイさんは夫から性交渉で感染しました。その夫はエイズを発症して他界していますが、ソムジャイさんは抗HIV薬がよく利いているようで元気です。

 ソムジャイさんは、HIV以外にも糖尿病や高血圧などを患っており、毎日飲まなければならない薬が大量にあります。しかし働くことはできます。ソムジャイさんはカットフルーツの屋台を開き、それで生計をたてていました。(タイに行ったことのある人なら分かると思いますが、マンゴーやパパイア、あるいはドリアンなどをその場でカットして売っている屋台はタイではどこに行ってもよく目にします)

 ソムジャイさんの住んでいた町はそれほど大きくありません。若くして亡くなった夫の死因がエイズであることが住民に知れ渡るのにそう時間はかかりませんでした。夫がエイズで死んだのならソムジャイさんもHIVに感染しているに違いない・・・、そのような噂(それは真実でありますが)が一気に町中に知れ渡り、やがてソムジャイさんの屋台には誰もフルーツを買いに来なくなりました。それだけではありません。誹謗中傷やあからさまな嫌がらせも増えてきました。そんなとき、それは2011年の夏ですが、あの大洪水がやってきました。自宅が屋根までつかって行き場のなくなったソムジャイさんは、ロッブリー県のエイズホスピス、パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)にやってきました。

 HIVや糖尿病、高血圧などがあるからといってソムジャイさんは社会から引退するつもりはありません。元来手先の器用なソムジャイさんは、パバナプ寺で工芸品を作り出しました。ブレスレットやネックレスなどのアクセサリー、ぬいぐるみや花のモチーフなど、つくってみると市場で売られているものと同等、あるいはそれ以上のできばえです。ソムジャイさんの工芸品は次第に有名になり、寺を訪れる人たちが買っていくようになりました。

 施設内にいれば、住居や食事を与えてくれるだけでなく薬も無料でもらえます。身体の調子が悪くなるとボランティアが相談に乗ってくれてケアまでしてもらえます。つまり、最低限、あるいはそれ以上の生活ができます。しかしソムジャイさんはそれに満足していません。働けるんだから働きたい・・・。そのような気持ちが強いのです。そして、働くことは単にお金を稼ぐことを目的にしているわけではありません。日々の生活のなかでやりがいを見つけることができ、そして工芸品を買っていく人から「ありがとう」と感謝の言葉をもらうこともできます。

 日本でもタイでも、HIV陽性という理由で会社で働くのが困難であるならば、ソムジャイさんのように自ら何かをつくって売る、というのはひとつの方法かもしれません。もちろんこのようなことは誰にでもできるわけではありませんし、HIV陽性者が差別されない社会をつくることが最重要であることには変わりありません。

 しかし、社会が変わることを待っていても何も解決しません。GINAではこれまで以上にHIV陽性の人がつくった工芸品などの紹介をしていきたいと考えています(注3)


注1:Bさんは、実際の症例数例をヒントにつくりあげた架空の人物です。もしもあなたにこの症例と似た知り合いがいたとしても、それは偶然であることをお断りしておきます。

注2:ソムジャイさんという名前は本名であり、ここで紹介したエピソードもすべて事実です。ソムジャイさんは、実名、写真、経歴などすべてGINAのサイトに公開してもらってかまわないと話されています。

注3:ソムジャイさんらのつくった工芸品は、太融寺町谷口医院の待合室で販売しています。GINAのサイトからでも購入できるように現在ページを作成しているところです。

参考:GINAと共に第65回(2011年11月) 「HIV陽性者に対する就職差別」

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第79回 間違いだらけのオーラルセックス(後編)(2013年1月)  

 オーラルセックスでの性感染症を防ぐためにコンドームを用いましょう・・・

 このようなことを耳にする機会が最近増えてきていますが、私自身はこの表現には少し抵抗があります。コンドームがオーラルセックスでの危険性を完全に回避できるわけではないからです。

 ここで、「オーラルセックス」とは何か、について考えてみましょう。オーラルセックスには3つのタイプがあります。1つは女性(もしくは男性)が男性のペニスを口で愛撫するフェラチオ(fellatio)、2つめは、男性(もしくは女性)が女性の外性器を口で愛撫するクンニリングス(cunnilingus)、3つめは、男性・女性が相手の肛門を口で愛撫するリミング(rimming)です。このうちコンドームは1つめのフェラチオにしか有効でないのは自明でしょう。

 しかも、では3種類のうちのひとつであるフェラチオに対してならばコンドームは完璧な予防法か、と問われればそういうわけでもありません。それについては後半に述べるとして、まずはクンニリングスとリミングについてみていきましょう。

 クンニリングスやリミングによる性感染症を防ぐには、「デンタルダム」と呼ばれるラテックス製のシートを用いるという方法があります。つまりこのシートを女性の外陰部や男女の肛門にかぶせた上で、愛撫をおこなうのです。ただ、日本ではこのデンタルダムがほとんど売れない、という話を聞いたことがあります。

 以前、このサイトにメールでオーラルセックスについての相談をしてきた人(男性)に、デンタルダムの紹介をしたことがあるのですが、その人の返信には、「クンニリングスの醍醐味は膣分泌液を味わうことにあるんだから、デンタルダムでは意味がない」と書かれていました。「醍醐味」などという言葉が使われるなどとは考えてもみなかった私には返す言葉がみつかりませんでした・・・。

 このような人は、特定の信頼できるパートナー以外とはクンニリングスという行為はやめるべきです。HIV感染のリスクを背負ってでもすべき行為、とは私には到底思えません。

 肛門を愛撫する行為、リミングについて考えてみましょう。この行為では、考えなければならない感染症の種類が大幅に増えます。まずは、A型肝炎のリスクを考えなければなりません。A型肝炎は不潔な水や、し尿(人糞)を肥料としてつくった野菜、生ガキなどが口から入って感染します。日本でも戦後までの不衛生な時代には当たり前のように存在していた感染症ですし、タイを含む東南アジアでは今でも珍しくありません。

 なぜそのA型肝炎が性行為で問題になるかというと、リミングにより感染するからです。よく教科書には「性感染症としてのA型肝炎は同性愛者に多い」と書かれていますが、私の実感ではそのようなことはなく、ストレートの男性にも女性にも起こります。ということは、リミングをおこなう人は医学の教科書を書く偉い先生が考えているよりもずっと多い、ということなのでしょう(注1)。

 リミングで感染する感染症としてはA型肝炎以外にはアメーバ赤痢が有名です。しかし、これらだけではありません。感染性胃腸炎を引き起こすすべての病原体が感染すると考えるべきです。つまり、ノロウイルスであろうが、大腸菌Oー157であろうが、コレラであろうがサルモネラであろうが、肛門に付着している病原体が口の中に入るわけですから、簡単に感染が起こることは容易に想像できると思います。

 こういった病原体が口腔内に入り感染が成立すると下痢を起こすことが多いのですが、ときに診断がつきにくいことがあり悩まされます。特に、東南アジアでの性交渉が原因の可能性があれば、日本には存在しない病原体も視野に入れなければなりません。例えば、ジアルジア症という疾患はランブル鞭毛虫という寄生虫が原因となるのですが、積極的に疑わない限りはこの診断をつけるのは大変です。

 デンタルダムを使わない直接のリミングではHIVのリスクも出てきます。肛門粘膜というのは意外にもろく、これまで痔になんかなったことがないという人でも、少しの刺激で小さな傷ができてそこからわずかな出血が起こることがあります。また、自身は気づいていなくても胃を含む消化管のどこかに炎症があって、そこからわずかな出血が起こっている、ということもあります。ということは、リミングをする方もされる方も気づいていないけれども血液を介した感染が起こっている可能性があるわけです。

 つまり、デンタルダムを用いない直接のリミングなどというのは危険極まりない行為であり、オーラルセックスでの性感染症を防ぐためにコンドームを用いましょう、という標語では何も解決しないのです。

 では、クンニリングスやリミングは一切しない、あるいはしてもデンタルダムを用いる、そしてフェラチオにはコンドームを使う、というケースでは完全に安心できるかというとそういうわけでもありません。

 まずコンドームには「破損する」というリスクがあります。薄いラテックスに歯牙が接触するわけですから、膣交渉のときよりも破損するリスクが増えるのは当然です。

 もうひとつはアレルギーのリスクです。ラテックスアレルギーは従来言われていたよりも実際の患者数が多いのではないかと私はみています。これは、ラテックス製品に触れる機会が増えているからではないかと思われます。ラテックスアレルギーというのは、体質で生まれたときから決まっているものではなく、ラテックスに何度も触れることによって発症します。

 代表的なものが医療者が用いるグローブで、ラテックスアレルギーの職業別罹患者第1位は医療従事者です。医療従事者というのは、医師や歯科医師だけでなく看護師も、さらには最近では介護士もラテックス製のグローブを用いることが増えてきています。工場勤務の人やケーキなどをつくる仕事をしている人もラテックス製グローブを用いています。変わったところでは、風船(ラテックス製です)を膨らます機会の多い人にも起こります(注2)。

 さらに最近増えているアレルギー疾患にラテックス・フルーツ症候群というものがあり、これは特定のフルーツとラテックスの分子レベルでのかたちが似ているために、フルーツでアレルギーが成立するとラテックスにも反応してしまう、というものです。この疾患を起こしやすいフルーツは、キウイ、アボガド、パパイヤなど従来日本人がそれほど食べていなかったものに多いという特徴があります。つまりこういった南洋のフルーツを摂取する機会が増えた結果、ラテックスアレルギーが増えている可能性があるのです。

 ラテックスアレルギーはある日突然現れてその日のうちに重症化して死亡した、というケースはありません。通常は、何度も繰り返しているうちに重症化していきます。海外では死亡例もあります。初期のうちに対処すれば問題ありませんから、例えば、コンドームを用いるとその後陰部が赤くなったり痒くなったりする、という人は早めに医療機関を受診した方がいいでしょう。また特定のフルーツや野菜を食べると口の中がかゆくなる、という人もこれからラテックスアレルギーが生じる可能性がありますからかかりつけ医に相談してみるべきでしょう(注3)。ただし、ラテックスアレルギーがある人はポリウレタン製のコンドームを用いれば対処できます。(ポリウレタン製のデンタルダムというのは聞いたことがありませんが・・・)

 コンドームはたしかに性感染症の予防になくてはならないものです。しかし、同時にその限界についても知っておかなければならない、というわけです(注4)。


注1:A型肝炎にはすぐれたワクチンがあり、それを接種しておくとまず間違いなく感染しませんし、ワクチンはかなり長期間に渡り有効です。ただし、現在需要が多く供給が追いついていない状態で入手困難となっています。

注2:「阪神ファンで甲子園に行くと口がかゆくなる」という人がときどきいます。こういう人はラテックスアレルギーを一度は疑うべきでしょう。甲子園名物のジェット風船もラテックス製です。

注3:下記コラム「ラテックスアレルギー」も参照ください。

注4:下記コラム「コンドームの限界」も参照ください。

参考:
GINAと共に第16回(2007年10月) 「コンドームの限界(前編)」 
GINAと共に第17回(2007年11月) 「コンドームの限界(後編)」
太融寺町谷口医院はやりの病気第35回(2006年7月) 「ラテックスアレルギー」

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第78回 間違いだらけのオーラルセックス(前編)(2012年12月)

 先月(2012年11月)から、オーラルセックスでの性感染症蔓延を防止するために厚生労働省は、「オーラルでも、うつります。性感染症。」という啓発用のポスターを作成し配布しています(注1)。

 一部の活動家からは、「何が言いたのかよくわからず不十分」という声もあるようですが、私自身は、厚労省がこのようなポスターをつくった、ということは評価されるべきであると思います。オーラルセックスでの性感染症がいかに蔓延しているか、ということは充分に検討されておらず、日本で性感染症がこれだけ多い理由のひとつは危険なオーラルセックスがはびこっているからです。厚生省がまずは最初の一歩をようやく踏み出したのではないかと私は感じています。

 日本人のオーラルセックスに対する危機意識は"恐ろしいほどに"低いと言えます。

 2012年12月9日に開催された日本性感染症学会第25回学術大会で、日本家族計画協会の北村邦夫医師が「口腔性交は日常化しているが性感染症予防に無関心な日本人の実態を明らかにする」というタイトルで、日本人のオーラルセックスに対する実情を発表されました。

 北村医師らがインターネットを使って8,700人から回答を得たアンケート調査によれば、「この1年間に口腔性交の経験があるか」という質問に対し、「している」が全体の49.5%(男性54.4%、女性42.7%)を占め、「口腔性交(オーラルセックス)の際、性感染症を予防するためにコンドームを使うか」という質問に対しては、なんと全体の82.8%(男性79.4%、女性87.9%)が「まったく使わない」と答えているというのです(注2)。

 この調査では、対象者が「セックス(性交渉)経験のある方」とされており、その性交渉の相手が、特定のパートナーなのか、不特定多数なのか、あるいは売買春や性風俗もが含まれているのかはわかりませんが、全体の82.8%が「オーラルセックスにコンドームをまったく用いていない」というのは、ちょっと想像するのが恐ろしい、というか、しかし裏を返せば、日本でこれだけ性感染症に罹患する人が多いことに頷ける数字でもあります。

 以前私は南タイのある地方都市で、タイ人の公衆衛生学者とその都市のHIVに関する共同研究をおこなったことがあります。その都市では保健師らが置屋を定期的に訪問し、コンドームを配布したり、セックスワーカーたちの健康状態を確認しにいったりしているのですが、その訪問に我々も一度同行しました。そのときある置屋で私が話を聞いた10代のセックスワーカーたちが、「コンドームなしでのオーラルセックス(フェラチオ)を求めてくるのは日本人だけ」と言っていたことに驚きました(注3)。

 日本はタイなどと比べればHIVの罹患率がはるかに低いですし、そもそもタイの地方都市でセックスワークをしなければならない少女たちからみて、日本とは憧れの国であり、日本人に対するイメージというのは勤勉で真面目なわけです。その日本人が性感染症に対するリスク意識があまりにも低いことに彼女たちが驚かされるそうです。

 もっとも、見方を変えれば、日本ではまだHIVが諸外国ほど蔓延していないからゆえに、性感染症に対する危機意識が低く、置屋でコンドームなしのフェラチオ、などという信じがたい行動をとる人がいるということなのかもしれません。

 HIVが国を上げて取り組まなければならないほど深刻になったタイでは、依然年間およそ15,000人が新たにHIVに感染している、という現実はありますが、それでもHIVが爆発的に流行した20年前と比べると性感染症に対する危機意識が随分変わってきています。

 2006年にGINAが実施した、フリーのセックスワーカー(independent sex worker、注4)200人を対象とした聞き取り調査では、オーラルセックスについても尋ねています。

 「オーラルセックスの際、コンドームを用いますか?」という質問に対し、「オーラルセックスはしません」が19%、「することもあるがコンドームは必ずつける」が38%です。一方、「オーラルセックスでコンドームをまったく用いない」と答えたのはわずか4%です。先に紹介した日本人を対象としたアンケート調査では82.8%ですから、日本人とタイ人の危機感の違いに唖然としてしまいます。

 もちろん、一般の日本人とタイのフリーのセックスワーカーでは単純な比較はできません。しかし、フリーのセックスワーカーというのは、置屋などで働くセックスワーカーや日本の性風俗店で働くセックスワーカーとは異なり、「気に入った男性としかセックスしない」のが普通です。つまり「セックスワーク」というよりは「擬似恋愛」と呼ぶべきようなものです(注5)。

 GINAがおこなったこの調査では、200人のフリーのセックスワーカーに対し「オーラルセックスでHIVに感染するか」という知識を問う質問もしています。結果は、全体の85%のセックスワーカーが「感染する」と答えています。これはもちろん正解で、ものすごく簡単に感染するわけではありませんが、オーラルセックスでもHIVに感染することはあります。

 私が院長をつとめる太融寺町谷口医院でも、まだノーマルセックスの経験がなく、一年前のただ一度のオーラルセックスでHIVに感染した患者さんがいます。しかもそのオーラルセックスの相手というのは元交際相手なのです。もしもこの患者さんに「オーラルセックスでもHIVに感染することがあるんですよ」ということを一年前に伝えることができていたならば、この患者さんの人生はまったく違ったものになったかもしれません・・・。

 日本人の多くは「オーラルセックス程度ではHIVに感染しない」と考えているように見受けられます。私の印象でいえば、日本人よりもタイのセックスワーカーの方がはるかに性感染症に関して正しい知識を持っているように思えます。

 GINAのフリーのセックスワーカーに対する調査から、もうひとつ興味深い設問を紹介したいと思います。それは、「コンドームなしの性交渉を強いられたことがありますか?」というものです。この設問に対しては、「膣交渉」と「オーラルセックス(フェラチオ)」の双方について訪ねています。有効回答数は191人、193人と少し異なりますが、結果はほとんど同じで、双方とも全体の68%が「強いられたことがある」と答えています。

 当時この調査に中心的にかかわっていたタイ人のスタッフによれば「強いられた」の解釈は人それぞれになるために、レイプに近いようなものを想像する人もいれば、単に軽く求められただけ、という人もいるようで、この調査はどれだけ彼女たちが「危険な目にあっているか」の参考にはならないそうです。興味深いのは、膣交渉とオーラルセックスでイエスと答えた率がほぼ同じということです。

 強いられるのは彼女たちですから、強いるのはその顧客となります。そしてその顧客には日本人もいますが、数で言えば圧倒的に西洋人が多いわけです。つまり、西洋人の男性もまた、オーラルセックスの危険性とノーマルセックス(膣交渉)のそれとを同じように認識している、ということを示しています。

 オーラルセックスというのは地域によって普及度がまったく異なるようで、イスラム圏ではそのような行為をおこなう人はほとんどいないそうです。西洋人やアジア人はその人によるそうですが、日本人ほどオーラルセックスが好きな民族はいない、そしてオーラルセックスでの性感染症のリスク意識が大幅に欠落しているのが日本人、というのがGINAの調査を通して得た私の実感です。

 では、オーラルセックス(フェラチオ)にコンドームを用いればそれで問題ないのか、というと、そう単純な話でもなく、正解を先に言えば「ノー」となります。次回はそのあたりについて述べていきたいと思います。


注1:このポスターは下記のURLで閲覧することができます。
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/kekkaku-kansenshou/seikansenshou/dl/poster_oral.pdf

注2:北村医師らのこの調査については下記のURLでも閲覧することができます。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=57677

注3:詳細は<ドクター谷口の「セイフティ・セックス講座」>の下記を参照ください。
「日本人はフェラチオ好き」

注4:「フリーのセックスワーカー」「independent sex worker」という単語について補足しておきます。いわゆるマッサージパーラー(ソープランド)や日本の風俗店のような組織(店舗)に所属しているセックスワーカーをdependent sex workerというのに対して、バーやカフェなどで"自由に"顧客を探すセックスワーカーをindependent sex workerと呼びます。日本語風に言えば、「フリーのセックスワーカー」と言えるでしょう。しかし、「freeのsex worker」という言い方は、性的サービスを無料でおこなうセックスワーカーという意味にも解釈できますので、このコラムでは便宜上「フリーのセックスワーカー」という表現をとっていますが、independent sex workerという表現の方が適切です。また、independent sex worker, dependent sex workerをそれぞれ、indirect sex worker, direct sex workerと表現することもあります。

注5:このあたりがタイのフリーのセックスワーカーの最も興味深いところであり、タイでHIVが減らない理由のひとつです。興味のある方は、下記を参照してみてください。
「タイのフリーの売春婦について」

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第77回 注目されない世界エイズデイ(2012年11月)

 前回のこのコラムでは、FDA(米国食品医薬品局)が、抗HIV薬のツルバダを世界初の「HIV予防薬」として承認したのにもかかわらず日本ではほとんど話題になっていない、ということを述べましたが、日本では、HIV予防薬が注目されないというよりも、HIVやエイズそのものに対する世間の関心が薄れてきています。

 12月1日は世界エイズデイです。毎年この日に向けて、各市町村や各種団体がイベントを開催したり無料検査をしたりするのですが、今年はその数が全国的に少なく盛り上がりにも欠けているようです。日本では秋から冬にかけてが学園祭のシーズンですから、数年前には多くの大学や短大でエイズ関連のイベントがおこなわれていましたが、現在はかなり下火になっているようです。

 保健所ではHIVの無料検査がおこなわれていますが、数年前なら世界エイズデイのことがマスコミで取り上げられる11月頃に検査を受ける人が増えてきていたのに、ここ数年はそのようなことがなく今年も検査数は増えていないそうです。

 私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(以下、谷口医院)でも、HIVの検査目的で受診する人は年々減少しています。2008年には、HIVの検査目的の人が診療所にひっきりなしにやって来られ、一般の患者さんの待ち時間が大幅に長くなってしまったほどです。

 2008年には行政も予算をつぎ込んで検査を促しました。大阪市の地下鉄には「大阪では2日に1人が感染している」といったキャッチコピーが書かれたポスターが大量に掲示されました。これは前年の大阪府のHIVに新規に感染が発覚した人が190人近くいましたから、年間365日であることから、「2日に1人」という表現が生まれたのでしょう。しかし、これを見た一般の人のなかには「2人に1人」と見誤る人が続出したのです。当時この現象をみかねた私は、行政関係者に、このような誤解を招くようなポスターはつくらないでほしい、と苦情を呈したほどです。

 しかし、不安を煽り過ぎる行政の姿勢やマスコミの報道を心配する必要は翌年からまったくなくなりました。2009年から一気にHIVやエイズに関する世間の注目が薄れたのです。当初は新型インフルエンザの流行のせいで、インフルエンザが落ち着いたら再びHIVに関心が向かうのではないか、とも言われていましたが、そのようなことはありませんでした。そしてこの傾向は年々顕著になってきています。私が日本のHIVの検査に何らかのかたちで関わりだしたのは2004年頃からですが、今年(2012年)はこれまでで最も世間の関心が低いような印象があります。

 HIVへの関心が低下する理由が、HIV感染者が減っているから、ということであれば問題ないでしょう。しかし、実際はその逆です。谷口医院では、今年(2012年)にHIVが新たに発覚した人は2007年の開院以来過去最高レベルとなっています。しかも、以前にもお伝えしまたが(下記コラムも参照ください)「いきなりHIV」の割合が今年は、なんと9割にものぼるのです。

 「いきなりHIV」というのは私が勝手に考えた造語で正式な言い方ではありません。意味は、「発熱や皮疹、下痢などで受診して診療をすすめていくなかでHIVが発覚した。患者さんはまさかそれらの原因がHIVであるとは考えていなかった」というケースのことです。

 谷口医院の数字だけで日本全体の状況を推測するには無理がありますが、もう一度谷口医院の状況をみてみると、2007年の開院以来HIV感染が発覚する人が今年(2012年)は、11月中旬の数字でみると過去最多の勢いで、なおかつ「いきなりHIV」が約9割を占めているのです。これを額面どおりに読めば、HIVに感染していることに気づいていない人がたくさんいる、ということに他なりません。

 HIVやエイズに無関心になっているのは日本だけではありません。タイでもHIVに対する関心は急激に低下しています。この理由は、母子感染が減り、エイズ孤児が減り、薬がいきわたるようになったからであり、これらはもちろん歓迎すべきことですが、成人の新規感染が減っているわけではありません。ここ数年は新規に感染が発覚した人が12,000人から15,000人で推移しています。

 タイで特に問題になっているのが、男性同性愛者の感染率です。以前からタイの男性同性愛者の陽性率は2割もしくはそれ以上ではないか、と言われていましたが、最近の調査では、一部のマスコミによりますと、男性同性愛者の31.3%がHIV陽性、としているものもあります。いくらなんでも男性同性愛者の3人に1人がHIV陽性、というのはにわかには信じがたいのですが、ウボンラチャタニ県など一部の県では、こういった調査の結果を受けて、男性同性愛者を対象とした無料の検査と無料の治療の政策が実施されているようです。

 実は私は日本でも同じような状況に近づいているのではないかと感じています。日本では以前から、HIVが新規に発覚する人の多くは男性同性愛者でしたが、2008年頃からは異性愛者や女性の感染者の占める割合が増加してきていたのも事実です。それが、ここに来て再び男性同性愛者の比率が増えてきています。谷口医院の数字から日本全体の状況を推測するにはやはり無理がありますが、2012年に谷口医院でHIVが新規に発覚した人の8割以上は男性同性愛者なのです。

 「男性同性愛者がHIVのハイリスクグループ」という言い方は、私としては好きではありません。なぜなら男性同性愛者の中には、性感染症の予防に非常に詳しい人が少なくなく、HIVの啓蒙活動をされているような人も大勢いるからです。ストレートの人たちよりも男性同性愛者の方が性感染の予防をしっかりしているのではないか、とすら感じることもあります。実際、谷口医院に「僕たち付き合うことになったので初めてセックスをする前に性感染症の検査に来ました」と言ってやってこられるのは男性同性愛者の方が圧倒的に多いのです。男性と男性のカップルに次いで多いのが、男性は外国人(白人もしくは黒人でアジア人は稀)で女性は日本人というカップルです。残念ながら日本人どうしの男女のカップルの比率は非常に少ないというのが現実です。

 どこの国や地域でも、HIVの蔓延には、まず男性同性愛者間でのアウトブレイクがあり、一定数を超えるとストレートの人たちに広がり始めます。日本ではHIVの新規感染が増えているとはいえ、諸外国に比べればまだアウトブレイクしているという状況にはありません。この理由として、私は日本の男性同性愛者は海外の男性同性愛者に比べて、きちんとした知識を持っていて感染予防に努めているからではないか、と考えています。日本の同性愛者は(他国の状況にそれほど詳しいわけではありませんが)知的レベルが高く社会的階層が高い人が多いのが特徴ではないか、という印象が私にはあります。しかし、最近の谷口医院の傾向をみていると、男性同性愛者間の新規感染が最大の問題と考えざるを得ないのです。

 あらためて言うことではありませんが、HIVには感染しない方がいいにきまっています。偏見やスティグマは依然存在していますし、治療に要する費用も大変です。HIVの治療のガイドラインは高頻度に改訂されているのですが、改訂される度に抗HIV薬の開始の時期が早くなる傾向にあります。現在HIV感染者はその程度に応じて医療費の負担が変わってきます。抗HIV薬の投薬を受けるようになれば障害者医療の扱いとなりますが、程度によって認定される障害の級数に差があり、個人負担の割合が大きく変わってきます。早期発見され症状がでておらず検査値にも異状がない場合はそれなりの負担が強いられることになります。

 HIV感染は、一生薬を飲み続けなければならないのだから「難病」指定すべきだ、という声も一部にはありますが、今のところ「難病」に指定されるような流れにはありません。もしも「難病」(正確には「特定疾患治療研究事業対象疾患」といいます)に指定されれば、感染者の医療費の負担はほとんどゼロになりますから随分と検査や治療がおこないやすくなりますから、もちろん私としては大賛成なのですが、実現にはいくつもの壁があると思われます。

 世間の関心が低下し、検査を受ける人が減っている、しかし「いきなりHIV」が増えている、というこの現実を考えたとき、我々ひとりひとりは何をすべきでしょうか。

参考:GINAと共に第64回(2011年10月)「増加する「いきなりHIV」

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