GINAと共に

第107回(2015年5月) 依存症の治療(前編)

 HIV/AIDSに関わっていると、どうしても避けられない問題が「依存症」です。私はこれまで主にタイと日本で多くのHIV陽性者に会ってきましたが、依存症に苦しんでいる(後で述べるように必ずしも「苦しんでいる」わけではないのですが・・・)人たちを解放することができなければHIVの新規感染を減らすことはできないことを確信しています。

 ほんの遊び心で始めた覚醒剤の吸入がそのうち静脈注射になり、針の使い回しが危険であることは充分に承知していたはずなのに他人の針を使ってHIVに感染した人、性依存症であるという自覚もないままに不特定多数の異性(同性)と危険な性交渉を繰り返しHIVに感染した人、なかには買い物依存やギャンブル依存からできた借金返済のために身体を売りHIVに感染したという人もいます。

 依存症についてこのサイトでも取り上げ、私がいろんなところで繰り返し主張しているのが覚醒剤などの違法薬物についてです。私がこれまで述べてきたポイントは、①覚醒剤、コカイン、麻薬などは一度手を出すとやめられなくなる。初めから手を出さないのが最大の予防、②大麻については日本では違法だが国や地域によっては合法であり依存性は低い。しかし、日本では大麻が覚醒剤などの絶対やってはいけない薬物の「きっかけ」になっていることが多く、大麻と覚醒剤や麻薬との違いをしっかりと認識すべき、というものです。

 これらは非常に大切なことで、違法薬物については依存性の恐ろしさを子供の頃から徹底的に教育していく必要がある、と私は考えています。

 多くの違法薬物は身体を蝕み、やがて人生を終焉させていきますが、ある意味で依存症への対策は"簡単"です。なぜなら、「初めからやらない」のが最善策であり、手を出してしまった後は「完全に断ち切る」ことが不可欠で、これに異議を唱える人はいないからです。

 では「初めからやらない」わけにはいかない依存症についてはどうでしょう。例えば、買い物依存症の人は、初めから買い物依存症になりたくて買い物を始めたわけではありません。買い物をせずには生活できないわけですから、「初めからやらない」という対策は後から振り返ってもできなかったわけです。一昔前なら「クレジットカードを持たない」という方法があったかもしれませんが、現代の生活でカードなしでは何かと不便です。それに買い物依存を克服するために「一切の買い物をやめる」というわけにもいきません。この点が薬物依存と異なる点です。

 ギャンブル依存はどうでしょう。「初めからやらない」という方法は考えてもいいかもしれませんが、競馬やパチンコを絶対にやってはいけないとは言えませんし、上手にストレス解消のツールとして利用している人もいます。日本では違法ですが、例えば年に2~3度、マカオや済州島にバカラを楽しみに行くという人が、別段それをやめる必要もないと思います。

 性依存についても同様です。以前このサイトで述べたことがありますが、性感染症のリスクを省みずにフーゾク通いをやめられない人や、タイガー・ウッズのように複数の女性との関係をもっている人は依存症ですが、「一度きりの浮気」を性依存とは呼べないでしょう。性交渉についても「初めからやらない」という選択肢はありません。これは恋愛依存についても同様です。

 アルコールはどうでしょうか。「初めからやらない」という選択肢はないわけではありません。実際飲酒が禁じられているイスラム教徒にアルコール依存症は(ほとんど)ありません。しかし文化的・宗教的には日本も含めてアルコールが許されている社会が多いですし、また少量のアルコールはいくつもの疾患のリスクを下げると言われています。イスラム圏以外ではアルコールについても「初めからやらない」という方法は現実的ではありません。

 私は医師として、依存症の前には無力であることをしばしば痛感させられます。ニコチン依存症は、今や有効な薬の登場のおかげで改善する疾患になっていますが「治癒」とはなかなか呼べません。私自身も
現在は喫煙していませんが、自分のニコチン依存症が「治った」とは思っていません。アルコールについては抗酒薬と呼ばれる薬がいくつかあり、これで禁酒できる人もいますが、必ずしも成功するわけではありません。また、買い物依存、ギャンブル依存、性依存、薬物依存などについては患者さんやその家族からしばしば相談を受けますが、私自身が治せたことは実はほとんどありません。

 では、私自身は医師として依存症を患っている人やその家族から相談されたときにどうしているのかというと、まずは本人がそれを依存症と認識し治したいという意志を本当に持っているかどうかを確認します。本人に治す意志がなければ絶対に上手くいかないからです。依存症とは縁のない人からすると、「治す意志がない」ってどういうことか?、と不可解に思うかもしれませんが、実際には治す意志がない、そもそも病気と思っていない人は少なくないのです。

 日常の診療で最もよく見かける依存症のひとつ「摂食障害」は「吐いて何が悪いの?」という態度の人がいます(「摂食障害」を依存症に含めるかどうかには議論がありますが私は少なくとも広義には含めるべきだと考えています)。薬物依存症の人のなかには、病気と思っていないどころか優越感さえ覚え自慢気に語るような人すらいます。「こんなに幸せにしてくれるモノを世間の大勢は知らないけど自分は知っている。自分は他人よりも幸せなんだ」と本気で思っているのです。このような人に有効な治療法はありません。性依存も病識のない人が少なくありません。以前も述べましたが日本人の男性の何パーセントかは性フーゾクへの敷居が低いのです。

 本人に依存症の自覚があり「治したい」という意志を持っている場合は、それが治療可能なものであれば精神科の専門外来を紹介することがあります。アルコール依存であれば必ずしも有効ではないものの抗酒薬がありますし、摂食障害を診てくれるところもあります(ただし、精神科によっては初めから「摂食障害はお断り」というところもありますし、診てくれると聞いていたのに受診すると門前払いされたと嘆く患者さんもいます)。薬物依存については診てもらえるところがないわけではありませんが、必ずしも上手くいくわけではありません。

 精神科で診てもらえそうにないとき、または本人が精神科受診を嫌がる場合は、私自身は「自助グループ」を紹介するようにしています。自助グループというのは、同じ問題(依存症)を抱えている人たちが集まったグループで、苦しみや悩みを共有することによって困難を乗り越えていくことを目指しています。

 自助グループの歴史は1930年代のアメリカから始まっています。アルコール依存症の人たちが集まり悩みや苦しみを共有しあうことで依存症を克服する人がでてきました。克服に成功した人がこういった活動を広げていくようになり、日本を含む多くの国でいくつもの団体が誕生しました。当初はアルコール依存だけでしたが、薬物、ギャンブル、性など、現在では多くの依存症の人たちが利用するようになってきています。

 この世界では「AA」という言い方をよくしますが、これは「Alcoholics Anonymous」のことで直訳すると「匿名のアルコール依存者」となります(注1)。つまり、グループに参加するときは匿名でOKというのがひとつの特徴です。

 さて、依存症の悩みを打ち明けてくれた患者さんに私は自助グループに参加することをすすめているのですが、私自身はそういったグループに参加したことはありません。実態を知らないのに患者さんに参加を勧めるのは無責任ではないのか・・・、というのは何年も感じていることなのですが、当事者でないと参加できない集いに入れてもらうことはできません。

 しかし、です。ある有名な団体が公開セミナーをおこなっていることを知り、先日参加してきました。このセミナーは主に依存症の当事者を対象としていますが、その家族や支援者なども参加が許されており、私は医師であることを伝え許可を得た上でこのセミナーに参加させてもらいました。

 感想は・・・、驚いたというか、これなら依存症を克服できる!と感じました。次回はなぜ私がそのように感じたかを述べたいと思います。



注1:AAの日本のサイトとアメリカのサイトを記しておきます。
http://aajapan.org/
http://old2.aa.org/


参考:『GINAと共に』
第97回(2014年7月)「これからの「大麻」の話をしよう」
第89回(2013年11月)「性依存症という病」