GINAと共に
第219回(2024年9月) ツルバダのPrEP認可でPrEPはかえって普及しなくなった
2024年8月28日、ギリアド・サイエンシズ株式会社(以下「ギリアド」)は同社の抗HIV薬ツルバダ配合錠(以下「ツルバダ」)をPrEP(曝露前予防)として使用できるよう承認取得しました。ツルバダはこれまでも私が院長を務める谷口医院では先発品もしくは海外製の後発品をPrEPとして処方していました。
では承認されたことで何が違ってくるのでしょうか。ひとつには承認されたことで、副作用が生じたときに救済制度の対象となることが挙げられます。しかし、救済の対象となるような大きな副作用はめったにないことですから(過去に繰り返し述べたように救済制度の対象外となるであろう副作用は多数ありますが)、これだけだとさほどインパクトがありません。では、何が大きく変わるのでしょうか。
私も含めて関係者が期待したのは「費用」です。ツルバダの薬価は年々下がっていますが、それでも今でも1錠2,442.4円もします。日本では予防治療に保険適用はありませんから、承認されたといっても治療費は自費診療になります。医療機関の利益をゼロとしたとしても、1日2,442.4円+消費税≒2,700円もかかるわけで、この費用を捻出できる人はほとんどいないでしょう。ですから、ギリアドがPrEPとして承認取得したということは、治療用の薬価はそのままだったとしてもPrEP用には安い値段を設定するに違いないと我々は期待したわけです。
そこでこの1カ月間、卸業者がいったいいくらで見積りを出してくるのかと期待していたのですが、待てど暮らせど話がきません。そこで、これ以上待てないと考えた私は複数の卸業者に尋ねてみました。すると、なんと「PrEP用の卸値も治療薬のものと同じ」と言うではないですか。
あまり知られていないかもしれませんが、実は医療機関が卸業者から仕入れる費用は薬価とほとんど差がありません。つまり、ほとんどの薬はいくら処方しても医療機関の利益にはならないのです。それでも、以前は谷口医院は院内処方にしていましたから(つまり購入量が多かったですから)、いくらかは値引きが期待できたのですが、現在は院外処方にしていますから日頃薬は仕入れていません。PrEPのツルバダは自費診療になるので例外的に院内処方にすることを検討していて、もちろん薬の利益など初めから求めるつもりはありませんが、さすがに処方すればするほど赤字というのは避けなければならず、となるとどうしても上記の1日2,700円はかかってしまうことになります。
では、これまでどおりツルバダの輸入後発品を仕入れればいいではないか、と考えたくなりますが、これができなくなったのです。元々、日本で流通している薬と同じ成分のものは医療機関で輸入できないのです。しかし、谷口医院ではこれまで輸入を続けてきました......。これは非常にややこしい話で、谷口医院は過去12年に渡り厚生局と様々な"攻防"を繰り広げています。過去にもいくらかは紹介しましたが、ここで改めて谷口医院におけるHIVのPrEPの歴史を振り返っておきます。
2011年7月 GINAと共に第61回(2011年7月)「緊急避妊と抗HIV薬予防投与」で、HIVのPrEPについて、LANCETの論文「抗レトロウイルス予防法:HIVのコントロールの決定的瞬間(Antiretroviral prophylaxis: a defining moment in HIV control)」を引き合いに出して紹介
2012年 外国人から「日本でもPrEPを処方してほしい」という要望が増え始めた。そこで近畿厚生局に問い合わせ、抗HIV薬のクリニックでの輸入の可否を尋ねると「できない」と言われた(詳細は後述します)
2015年9月1日 WHOがPrEPのガイドラインを発表した。同時に、豪州人や米国人などから(外国人はPrEPが母国の保険でカバーされるため)「高くても問題ないから先発品のPrEPを処方してほしい」という声が増え、先発品の(高額な)ツルバダをPrEPとして処方開始した。日本人には個人輸入か、バンコクのAnonymous Clinicで処方を受けるよう助言を開始した(同クリニックではツルバダ1錠45円程度だった)
2018年7月20日 UNAIDSがU=Uを発表。これで多くの人にとってPrEPが不要になるのではないかと予想した。ところがそうはならず......
2019年 「東京のクリニックではPrEPの処方ができるのになんで谷口医院ではできないんですか」という質問(クレーム?)が増加
2020年 そこで、関東信越厚生局にクリニックで輸入ができるかを尋ねると「OK」とのこと。しかし近畿厚生局に改めて尋ねるとやはり「NG」だと言う。関東信越厚生局に「なぜ厚生局で考えが異なるのか」と尋ねると「調べて連絡する」と言われたが返答なし
2021年 そこで、東京の輸入業者を使って谷口医院で輸入後発品を用いたPrEPを開始
2023年3月 東京の輸入代行業者から「抗HIV薬は輸入できなくなるかもしれない」と連絡があり、関東信越厚生局に問い合わせると「できない」と言われた。ところが、後に代行業者から「できるようになった」と連絡があり輸入再開できるようになった
2024年8月 ギリアドが先発品のツルバダをPrEPとして承認取得。これを受けて後発品の輸入がまったくできなくなった
随分ややこしい話です。そもそも近畿厚生局はツルバダの海外製後発品を医療機関で「輸入できない」と言い、関東信越厚生局は「できる」とまったく正反対の見解なのです。厚生局で方針が違うのは奇妙な話です。なぜこのような違いが生まれるのでしょうか。
近畿厚生局によると、医療機関が海外製の薬を輸入できるのは「治療上緊急性があり、国内に代替品が流通していない場合」です。ツルバダをPrEPに用いるのは「予防」ですから緊急性があるとは言えないでしょうし(曝露後予防/PEPなら緊急性はありますが)、国内に先発品があるわけですから代替品があるのはあきらかです。よって近畿厚生局の言い分は理解できます。では、関東信越厚生局はなぜOKと判断したのか。おそらく「国内で流通しているツルバダはHIV陽性者への治療用であり、PrEP用ではない」と解釈したのでしょう。これは矛盾があるような気がしますが、ここで食い下がるとやぶへびになり輸入できなくなるかもしれません。そこで私はこの件には触れないようにして、東京の輸入業者を使ってツルバダ後発(及びデシコビ後発)の輸入を開始しました。
これまで(私を含む)HIVの関係者は「国内でPrEPを承認してほしい」と強く希望してきました。安定供給が求められるからです。2つの厚生局で考え方が違うような薬をいつまでも使い続けるわけにはいきません。実際、以前は関東信越厚生局が輸入を認めていた他の抗HIV薬のRAL(先発はアイセントレス)、DTG(先発はテビケイ)はすでに禁止されています。現在同じような抗HIV薬であるBIC/TAF/FTC(先発はビクタルビ)は(なぜか)認められているのですが、これもいつ中止されるか分かりません(注:谷口医院ではこれら3種をいずれもPEPとして用いています)。信頼できる品質のものが安定供給される体制が必要なのです。そして、1日2,700円はあきらかに非現実的ですから、ギリアドがPrEPの承認を取得するときには安い値段で卸すだろうと期待しました。
ところが、蓋を開けてみれば、承認されたことで後発品の輸入ができなくなるという皮肉としかいいようのない現実が待っていたのです。これで、ツルバダを入手するには個々がリスクをかかえて個人輸入しなければならなくなりました。上述のバンコクのAnonymous Clinicを訪ねるという選択肢は残っていますが、円安バーツ高に加え、タイの物価高、航空運賃の値上げなどで、以前ほどは魅力がなくなってきています。といっても、最近同クリニックに直接確認してみると、一番安いツルバダ後発品が今も1錠15バーツでしたから、個人的にはこの方法を勧めています。個人輸入よりも直接医師の問診を受けるAnonymous clinic受診の方がはるかに安心できるからです。
さて、男性は(ストレートでもゲイでも)ツルバダが使えなくてもデシコビ(TAF/FTC)の輸入後発品がありますが、女性(及び自身の膣を用いた性交渉をする人)は米国FDAがデシコビを推奨していないことからツルバダを使うしかないのですが、ギリアドがPrEPとして承認取得したために今後入手が難しくなります。また、on demand PrEPはセクシャリティに関わりなくデシコビは使えずにツルバダに頼るしかありませんから、今後on demand PrEPは困難になります(ただし、on demand PrEPは米国FDAが推奨していないことや必ずしも成功するわけではないことからGINAとしても谷口医院としても勧めていませんが)。
こんなことになるのなら、ギリアドは承認取得など余計なことをしてほしくなかった、という声が次第に増えてきています。
参考:
TIC谷口医院の<PrEP(曝露前予防)について>
GINAと共に
第61回(2011年7月)「緊急避妊と抗HIV薬予防投与」
第113回(2015年11月)HIV治療の転換~直ちに投薬、PEP、PrEP~後編」
第119回(2016年5月)「PEP、PrEPは日本で普及するか」
第174回(2020年12月)「PrEPとU=Uは矛盾するのか」
第175回(2021年1月)「ついに日本でもPrEPが普及する兆し」
第184回(2021年10月)「PrEPについての2つの誤解」
第214回(2024年4月)「 HIVのPrEPの失敗例」
では承認されたことで何が違ってくるのでしょうか。ひとつには承認されたことで、副作用が生じたときに救済制度の対象となることが挙げられます。しかし、救済の対象となるような大きな副作用はめったにないことですから(過去に繰り返し述べたように救済制度の対象外となるであろう副作用は多数ありますが)、これだけだとさほどインパクトがありません。では、何が大きく変わるのでしょうか。
私も含めて関係者が期待したのは「費用」です。ツルバダの薬価は年々下がっていますが、それでも今でも1錠2,442.4円もします。日本では予防治療に保険適用はありませんから、承認されたといっても治療費は自費診療になります。医療機関の利益をゼロとしたとしても、1日2,442.4円+消費税≒2,700円もかかるわけで、この費用を捻出できる人はほとんどいないでしょう。ですから、ギリアドがPrEPとして承認取得したということは、治療用の薬価はそのままだったとしてもPrEP用には安い値段を設定するに違いないと我々は期待したわけです。
そこでこの1カ月間、卸業者がいったいいくらで見積りを出してくるのかと期待していたのですが、待てど暮らせど話がきません。そこで、これ以上待てないと考えた私は複数の卸業者に尋ねてみました。すると、なんと「PrEP用の卸値も治療薬のものと同じ」と言うではないですか。
あまり知られていないかもしれませんが、実は医療機関が卸業者から仕入れる費用は薬価とほとんど差がありません。つまり、ほとんどの薬はいくら処方しても医療機関の利益にはならないのです。それでも、以前は谷口医院は院内処方にしていましたから(つまり購入量が多かったですから)、いくらかは値引きが期待できたのですが、現在は院外処方にしていますから日頃薬は仕入れていません。PrEPのツルバダは自費診療になるので例外的に院内処方にすることを検討していて、もちろん薬の利益など初めから求めるつもりはありませんが、さすがに処方すればするほど赤字というのは避けなければならず、となるとどうしても上記の1日2,700円はかかってしまうことになります。
では、これまでどおりツルバダの輸入後発品を仕入れればいいではないか、と考えたくなりますが、これができなくなったのです。元々、日本で流通している薬と同じ成分のものは医療機関で輸入できないのです。しかし、谷口医院ではこれまで輸入を続けてきました......。これは非常にややこしい話で、谷口医院は過去12年に渡り厚生局と様々な"攻防"を繰り広げています。過去にもいくらかは紹介しましたが、ここで改めて谷口医院におけるHIVのPrEPの歴史を振り返っておきます。
2011年7月 GINAと共に第61回(2011年7月)「緊急避妊と抗HIV薬予防投与」で、HIVのPrEPについて、LANCETの論文「抗レトロウイルス予防法:HIVのコントロールの決定的瞬間(Antiretroviral prophylaxis: a defining moment in HIV control)」を引き合いに出して紹介
2012年 外国人から「日本でもPrEPを処方してほしい」という要望が増え始めた。そこで近畿厚生局に問い合わせ、抗HIV薬のクリニックでの輸入の可否を尋ねると「できない」と言われた(詳細は後述します)
2015年9月1日 WHOがPrEPのガイドラインを発表した。同時に、豪州人や米国人などから(外国人はPrEPが母国の保険でカバーされるため)「高くても問題ないから先発品のPrEPを処方してほしい」という声が増え、先発品の(高額な)ツルバダをPrEPとして処方開始した。日本人には個人輸入か、バンコクのAnonymous Clinicで処方を受けるよう助言を開始した(同クリニックではツルバダ1錠45円程度だった)
2018年7月20日 UNAIDSがU=Uを発表。これで多くの人にとってPrEPが不要になるのではないかと予想した。ところがそうはならず......
2019年 「東京のクリニックではPrEPの処方ができるのになんで谷口医院ではできないんですか」という質問(クレーム?)が増加
2020年 そこで、関東信越厚生局にクリニックで輸入ができるかを尋ねると「OK」とのこと。しかし近畿厚生局に改めて尋ねるとやはり「NG」だと言う。関東信越厚生局に「なぜ厚生局で考えが異なるのか」と尋ねると「調べて連絡する」と言われたが返答なし
2021年 そこで、東京の輸入業者を使って谷口医院で輸入後発品を用いたPrEPを開始
2023年3月 東京の輸入代行業者から「抗HIV薬は輸入できなくなるかもしれない」と連絡があり、関東信越厚生局に問い合わせると「できない」と言われた。ところが、後に代行業者から「できるようになった」と連絡があり輸入再開できるようになった
2024年8月 ギリアドが先発品のツルバダをPrEPとして承認取得。これを受けて後発品の輸入がまったくできなくなった
随分ややこしい話です。そもそも近畿厚生局はツルバダの海外製後発品を医療機関で「輸入できない」と言い、関東信越厚生局は「できる」とまったく正反対の見解なのです。厚生局で方針が違うのは奇妙な話です。なぜこのような違いが生まれるのでしょうか。
近畿厚生局によると、医療機関が海外製の薬を輸入できるのは「治療上緊急性があり、国内に代替品が流通していない場合」です。ツルバダをPrEPに用いるのは「予防」ですから緊急性があるとは言えないでしょうし(曝露後予防/PEPなら緊急性はありますが)、国内に先発品があるわけですから代替品があるのはあきらかです。よって近畿厚生局の言い分は理解できます。では、関東信越厚生局はなぜOKと判断したのか。おそらく「国内で流通しているツルバダはHIV陽性者への治療用であり、PrEP用ではない」と解釈したのでしょう。これは矛盾があるような気がしますが、ここで食い下がるとやぶへびになり輸入できなくなるかもしれません。そこで私はこの件には触れないようにして、東京の輸入業者を使ってツルバダ後発(及びデシコビ後発)の輸入を開始しました。
これまで(私を含む)HIVの関係者は「国内でPrEPを承認してほしい」と強く希望してきました。安定供給が求められるからです。2つの厚生局で考え方が違うような薬をいつまでも使い続けるわけにはいきません。実際、以前は関東信越厚生局が輸入を認めていた他の抗HIV薬のRAL(先発はアイセントレス)、DTG(先発はテビケイ)はすでに禁止されています。現在同じような抗HIV薬であるBIC/TAF/FTC(先発はビクタルビ)は(なぜか)認められているのですが、これもいつ中止されるか分かりません(注:谷口医院ではこれら3種をいずれもPEPとして用いています)。信頼できる品質のものが安定供給される体制が必要なのです。そして、1日2,700円はあきらかに非現実的ですから、ギリアドがPrEPの承認を取得するときには安い値段で卸すだろうと期待しました。
ところが、蓋を開けてみれば、承認されたことで後発品の輸入ができなくなるという皮肉としかいいようのない現実が待っていたのです。これで、ツルバダを入手するには個々がリスクをかかえて個人輸入しなければならなくなりました。上述のバンコクのAnonymous Clinicを訪ねるという選択肢は残っていますが、円安バーツ高に加え、タイの物価高、航空運賃の値上げなどで、以前ほどは魅力がなくなってきています。といっても、最近同クリニックに直接確認してみると、一番安いツルバダ後発品が今も1錠15バーツでしたから、個人的にはこの方法を勧めています。個人輸入よりも直接医師の問診を受けるAnonymous clinic受診の方がはるかに安心できるからです。
さて、男性は(ストレートでもゲイでも)ツルバダが使えなくてもデシコビ(TAF/FTC)の輸入後発品がありますが、女性(及び自身の膣を用いた性交渉をする人)は米国FDAがデシコビを推奨していないことからツルバダを使うしかないのですが、ギリアドがPrEPとして承認取得したために今後入手が難しくなります。また、on demand PrEPはセクシャリティに関わりなくデシコビは使えずにツルバダに頼るしかありませんから、今後on demand PrEPは困難になります(ただし、on demand PrEPは米国FDAが推奨していないことや必ずしも成功するわけではないことからGINAとしても谷口医院としても勧めていませんが)。
こんなことになるのなら、ギリアドは承認取得など余計なことをしてほしくなかった、という声が次第に増えてきています。
参考:
TIC谷口医院の<PrEP(曝露前予防)について>
GINAと共に
第61回(2011年7月)「緊急避妊と抗HIV薬予防投与」
第113回(2015年11月)HIV治療の転換~直ちに投薬、PEP、PrEP~後編」
第119回(2016年5月)「PEP、PrEPは日本で普及するか」
第174回(2020年12月)「PrEPとU=Uは矛盾するのか」
第175回(2021年1月)「ついに日本でもPrEPが普及する兆し」
第184回(2021年10月)「PrEPについての2つの誤解」
第214回(2024年4月)「 HIVのPrEPの失敗例」