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第 5回 アイスの恐怖(06年11月)

オーストラリアはアジアの一員である、と言えば(狭い意味の)アジア人にもオーストラリア人にも抵抗を示す人は少なくないでしょう。しかし、オーストラリアは確実にアジアの一員である、と言える領域があります。

 それは、違法薬物の世界です。オーストラリアを含むアジア諸国(もちろん日本も含みます)で最も流通量が多い薬物が、大麻を除けば、覚醒剤とエクスタシー(MDMA)です。

 一方、欧米諸国では、大麻以外には、エクスタシーの存在は無視できませんが、コカインやLSDが多いのが特徴です。覚醒剤の流通量はそれほど多くないと言われています。突然死に至ることも多いコカインとヘロインの合剤である通称「スピードボール」は欧米諸国で問題になっていますが、アジア諸国ではまだそれほど流通量が多くないと言われています。(最近の東京ではアメリカ大陸からの直輸入で若者に浸透しだしているという噂もありますが・・・)

 覚醒剤はアンフェタミンとメタンフェタミンのことを指し、以前の日本では「シャブ」と呼ばれていましたが、最近ではイメージアップを図ってなのか、「スピード」「エス」などと呼ばれることが増えてきました。粉末や錠剤の他に、透明な結晶をしたものがあり、これは純度が高くアルミ箔に乗せて下から火であぶり気化させたものを吸入する摂取法がよくとられます。(この方法を「アブリ」と言います) 

 この結晶は、かたちが氷に似ていることと覚醒剤がキマれば身体が冷たくなっていく感覚があることから、ジャンキーたちには「アイス」と呼ばれています。

 9月27日のNEWS.COM.AUが、アイスがオーストラリアの若い世代に浸透してきていることを報道しています。エクスタシー(MDMA)に代わって、アイスがパーティ・ドラッグの主役になりつつあるそうです。

 国民薬物アルコール研究センター(National Drug and Alcohol Research Centre)は、オーストラリアの若者の間で、仲間と一緒にアイスを吸入する(アブる)のが流行しており、薬物シンジケートも最近は若者をターゲットにしていることを報告しました。

 また、オーストラリア違法薬物委員会(ANCD、Australian National Council on Drugs)は、シンジケートが取り扱う違法薬物をヘロインからアイスに変えてきていると発表しました。

 「我々は薬物シンジケートのマーケティング能力を過小評価している。彼らはアジア全域の若者をターゲットにしている」と、ANCDの幹部はコメントしています。

 シンジケートはアジアの工場で大量に違法薬物を製造しているようです。最近、オーストラリア連邦警察(AFP)も加わっておこなわれた国際調査で、マレーシアのある場所でシャンプーを製造しているかにみせかけた工場で、一日に60キロものアイスが製造されていることが発覚しました。60キロのアイスは、末端価格にして270万オーストラリアドル(約2億4千万円)に相当するそうです。逮捕されたのは21人で、彼らはごく簡単に入手できる化学物質を原料にこの覚醒剤を製造していたそうです。また覚醒剤以外にも8万錠のエクスタシーも押収されたようです。

 オーストラリア連邦警察のある幹部は言います。

 「これは我々が知る限り世界最大の薬物工場である。今回押収したものはアジア太平洋全地域に流通する可能性のあるもので、オーストラリアも例外ではない。そして、最近では押収量が最も多いのがアイスである」

 国民薬物アルコール研究センターの調査では、16歳から25歳の若者でアイスの吸入が流行していることが分かりました。

 ある研究者は、「若者の多くは、エクスタシーやマリファナを経験し、やがてアイスに手を出し始める」、とコメントしています。

 9月27日のNEWS.COM.AUは別の記事で違法薬物に関する二つのレポートについて報告しています。

 ANCDによる調査で、アジア太平洋諸国13カ国で最も問題になっている薬物は、覚醒剤とエクスタシー(MDMA)であることが分かりました。

 ANCDの代表者John Herron医師は、「我々は違法薬物がアジア太平洋地域の安定性を脅かしオーストラリアにも大きな影響を与える可能性を過小評価すべきでない。覚醒剤はすでにアジア太平洋諸国の若者の文化に溶け込んでいる」、とコメントしています。

 ANCDは自国以外の状況についてもレポートしています。

 「インドネシアが麻薬も含めた違法薬物の消費地のみならず中継地となっている。インドネシアのHIV陽性者の80%が違法薬物の静脈注射をする者で、タイでは毎年25,000人が新たな違法薬物のユーザーとなっている。アイスは現在のフィリピンの最もメジャーな違法薬物である」

 もうひとつのレポートは、UNODC(国連薬物犯罪オフィス)によるものです。UNODCは覚醒剤(アイスを含む)がオーストラリアの路上で出回っていることを警告しています。

 UNODCによりますと、オーストラリアでおこなわれた1999年から2000年、2004年から2005年のふたつの調査を比べると、薬物中毒が原因で入院となる者が56%も増加しています。薬物中毒者は攻撃的になり暴力をふるい救急医療の対象になることもあります。

 覚醒剤に依存している人は世界で2,500万人にものぼり、そのうち6割以上は東南アジアと東アジアに住む人たちです。

 覚醒剤の前駆体物質は容易に入手でき、精製はそれほどむつかしくありません。そして、国際間に流通させているのは若い世代であることをUNODCは指摘しています。

 これらの記事には日本に関する記載がありませんが、日本はいまや世界有数のドラッグ天国です。そして、この記事にあるように、日本でも最も流通している違法薬物は覚醒剤とエクスタシー(MDMA)です。最近は覚醒剤の北朝鮮ルートが次第に減少してきており、数年前に比べると仕入れはやや困難になってきているという情報もありますが、アイスの入手しやすさは世界一と言う人は少なくありません。そのため日本人の元ジャンキーのなかには、怖くて日本に帰れないという人もいる程です。

 アジア太平洋地域の先進国であるオーストラリアが国際捜査に加わりマレーシアの工場を摘発しているわけですから、日本もアジア全域に対する薬物撲滅政策を展開すべきではないでしょうか。それが、国内外に住む日本人を救うことになりますし、それ以前に、アジアのなかで日本が担うべき役割と責任は小さくないのですから。

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第 4回 タイはもはや"微笑みの国"ではないのか(06年10月) 

タイが"微笑みの国"(Land of Smiles)と呼ばれたのはもう昔のことなのかもしれません。

 最近の世界のメディアの報道をみていると、タイの評判を下げるようなものが目立ちます。違法薬物が急速に市場に出回り、買春目的でタイに渡航する外国人が増え、さらにはタイがペドフィリア(小児愛)や人身売買の拠点になっているという報道もあります。

 2003年に、当時の与党、タイ愛国党が「薬物一掃運動」を開始しました。それまでのタイは、あらゆるドラッグが簡単に安く入手できたことから「ドラッグ天国」とまで言われていましたが、政府の徹底した対策により数千人のドラッグ密売人が射殺されたことなどもあり、わずか1~2年の間に違法薬物が入手しにくいクリーンな国となりました。自国の方がよほど簡単に薬物を入手できることに気付いた日本人ジャンキーが次々と帰国を始めたという噂もあります。(ただ、タイ愛国党のこの政策は多数の冤罪者を射殺しており、プミポン国王がタクシン前首相に好意をもっていなかった理由のひとつであると言われています)

 ところが、2006年4月2日の総選挙後、タクシン首相が一線を退くようになると、薬物使用者が急増しだしました。

 タイ警察は現在も薬物対策に力を入れていますが、使用者は増える一方のようです。9月19日に起こったクーデターによりタクシン首相は失脚し政権交代がおこなわれます。今後の政府の対策に期待したいところですが、タクシン政権がおこなったほどの強攻策はとれないであろうとの見方が強く、今後ますます薬物犯罪が増えていく可能性があります。

 買春目的でタイに来る外国人も増えてきています。これを裏付けるのが、「先進国でHIV感染が増えている大きな理由がタイでの売春である」、ということです。このウェブサイトで何度も取り上げているように、フィンランド、オーストラリア北部、マレーシアのケランタン州、ジャージー島などでは、タイの売春婦から感染する者が増えていることが問題である、という見解が発表されています。

 児童買春については、数年前までは、「タイではもはや児童買春はない。小児愛者(pedophile)はカンボジアなど他国に棲息している」、と言われていました。ところが、最近では、児童買春を目的としたタイ滞在者が少なくなく、パタヤの児童買春の常連客は200~300人もいるとする報告もある程です。

 最近、アメリカのあるニュース局が「小児愛者のパラダイス?(Paedophile Paradise?)」というタイトルで、タイの児童買春の現状を報告しました。このような番組がつくられた背景には、ジョン・カーという名のアメリカ人が、当時6歳の女の子ジョンベネ・ラムゼーちゃんを殺害した犯人としてタイで逮捕されたという事件があったからだと思われます。

 結果としては、カー氏は犯人ではなかったのですが、この事件が報道されたときのマスコミの報道は、舞い上がって騒ぎすぎていたように思われます。まるで、「やっぱり小児愛者はタイに集まるんだ」、と言わんばかりの報道でした。

 カー氏が逮捕されたときに宿泊していたのは、バンコクのサトーンと呼ばれるエリアにあるブルームス(The Blooms)というホテルですが、あるマスコミは、「買春客が棲息する悪名高き卑しきホテル(a notorious, grubby haunt for sex tourists)」と報道し、「近くにはマッサージ・パーラー(ソープランド)が乱立し母国を捨ててタイに来た外国人と買春客が集う旅行代理店が集中している(neighbourhood of massage parlours and travel agents that cater to expatriate residents and sex tourists)」というものもあったようです。

 証拠が充分にそろっていないにもかかわらずカー氏が逮捕されたのは、「このホテルに宿泊しているのだから小児愛者に間違いない」、と捜査官に思われたことが原因のひとつかもしれません。

 しかし、こういった報道はもちろん行き過ぎていますし正確ではありません。まともな人もこのホテルを利用するでしょうし、近くにマッサージ・パーラーがあるからといって誰もがそのような場所にいくわけではありません。

 マスコミの報道はときに偏ったものになりがちです。アメリカのこのニュース局の番組をみた世界中の小児愛者が今後タイにやって来るようなことがあれば、このニュース局はどうやって責任を取るのでしょうか。このニュース局だけではありません。タイが「薬物天国」「買春天国」「児童買春のパラダイス」などと報じているマスコミやウェブサイトは日本も含めて世界中に数多く存在します。

 2006年9月23日のBangkok Postに、あるイギリス人の男性が「Sex and this city」というタイトルでコメントを載せています。その男性は、イギリスに帰国した時に、周囲に「普段はタイで働いている」と話すと、「ズルイやつ(sly dog)」と言われたり、タイに住んでいること自体を非難されたりするそうです。タイに住むのは買春目的だと思われているのです。

 この男性は、かつてカンボジア人と恋に落ちたことがあるらしいのですが、それを西洋人に話すと、「あなたは売春婦が好きなの?」と言われることがあるそうです。アジアの女性は皆売春婦だと思っている西洋人は少なくないそうなのです。

 これには同じアジア人として私は激しい憤りを感じます。たしかに、タイやカンボジアの夜の店で働く多くの女性が売春をしているのは事実でしょうし、児童買春が増えていることも問題です。しかし、だからといってすべての女性を売春婦とみなすなどというのは言語道断です。

 タイとは本来、美しい自然と絶品の料理が楽しめて、人々が笑顔を絶やさず外国人にも優しく接してくれる、大変魅力的な国なのです。タイに観光に来る女性は少なくありませんし(男性を買いに来る女性がいるのも事実ですが・・・)、カップルの旅行先としてもタイは人気があります。新婚旅行でタイを選ぶ人も少なくないでしょう。

 偏ったマスコミの報道のせいで、健全な目的でタイに観光に来る人が減少し、そして薬物や買春目的でタイを目指す輩が増えることを私は懸念しています。

 タイが"微笑みの国"であり続けるためには、マスコミやウェブサイトの表現が鍵を握ります。薬物や買春に走る輩の興味を引くような表現は避け、タイ国やタイ人でなくそういった輩たちこそが卑下されるべき対象であることを伝えていくのがマスコミやウェブサイトの使命であるはずです。

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第3回(2006年9月) 美しき同性愛

 それは、私が小学校2年生の頃の話・・・。

 私はテレビの部屋で(私の家にはテレビがひとつしかありませんでした)、家族で人気アニメ「ドカベン」を見ていました。二番バッターの殿馬(とのま)が、豪腕ピッチャーからヒットを打つシーンで、「秘打・白鳥の湖」という回転打法を披露したのですが、そのときに流れていた音楽が、チャイコフスキーの「白鳥の湖」でした。

 生まれて初めて「白鳥の湖」を聴いたこの瞬間のことを私は今でも鮮明に覚えています。ストリングスが奏でる旋律のあまりの美しさが心臓を奥まで貫き、一瞬呼吸ができなくなったほどです。

 その12年後のある秋の日・・・。

 私は大学構内のカフェで、社会学関連のある本を読んでいました。その本にチャイコフスキーという名前が出てきたのですが、その時私は、「白鳥の湖」を初めて聴いたときと同じような、あるいはそれ以上の衝撃を受けました。

 チャイコフスキーが同性愛者だったとは・・・。

 それが、私が「同性愛」に興味をもつきっかけとなりました。

 著名な同性愛者はチャイコフスキーだけではありません。少し例をあげてみましょう。

 オスカー・ワイルド、シェイクスピア、ミシェル・フーコー、ジョン・ケージ、フレディ・マーキュリー、ミケランジェロ、アンデルセン、サマセット・モーム、レナード・バーンスタイン、ロラン・バルト、ジェームス・ディーン、デヴィッド・ボウイ、ボーイ・ジョージ、マーロン・ブランド、ジョニー・マティス、エルトン・ジョン、・・・。

 ハリウッド俳優、ミュージシャン、学者、芸術家、作家などを思いつくまま並べてみましたが、挙げればきりがありません。もちろん、日本人にも同性愛者は少なくありません。

 江戸川乱歩、三島由紀夫、折口信夫、淀川長治、・・・。

 女性の同性愛者もみてみましょう。

 ネナ・チェリー、グレイス・ジョーンズ、マルチナ・ナブラチロワ、マドンナ、・・・。

 これだけ、そうそうたる著名人が並ぶと、同性愛がなんだか素晴らしいものに思えてきます。

 私は作家の山田詠美さんのファンなのですが、詠美さんのエッセィのなかで、「ニューヨークでダサい男はみんなストレートで、いい男はみんなゲイ・・・」、といった内容のものを読んだことがあります。

 一度ロンドンで、洒落た雰囲気のカフェに入ったことがあるのですが、そのカフェに入ったとたん、周囲の異様な雰囲気に圧倒されてしまいました。すぐに、そこがゲイ専用のカフェだということが分かったのですが、私が驚いたのは、私以外の客がみんなゲイということではなく、私以外の全員がたいへんお洒落でカッコよかったということです。

 私の知人のなかにもゲイが好きという女性が少なくありません。彼女らが言うには、「ストレートの男は女性の気持ちがまるで分からないけど、ゲイは繊細なハートを持っているから女性をよく理解してくれる」、そうなのです。

 この話を聞いて思い出すのが、ジュリア・ロバーツ主演の映画「ベスト・フレンズ・ウエディング」に登場していたルパート・エベレット(彼は実生活でもゲイです)です。映画のなかで、主人公のキャリア・ウーマンを演じるジュリア・ロバーツが、以前の恋人が結婚するという事態に直面し混乱しているところを、ルパート・エベレットが優しく理解します。この映画を見たとき、私も女性ならこんな友達「ベスト・フレンド」が欲しいと思いました。

 タイに行くと、たいがいどこに行ってもゲイを目にします。(タイでは、カトゥーイと呼ばれる女性の格好をした男性(日本風に言えば「ニューハーフ」)もよく見ますが、ここでは分けて考えたいと思います)

 タイで、中学生が団体で電車に乗っているような場面に遭遇すると、たいてい数人の綺麗に化粧をしたゲイが女子学生と仲良く会話を楽しんでいるのを目にします。中高生の団体旅行などをみると、だいたい1割くらいの男性がいかにもゲイというファッションをしています。

 タイの国民的スーパースターであるBIRDもゲイで、彼はタイの大勢の国民から支持されており女性ファンも少なくありません。タクシン首相も彼の大ファンです。

 タイは、同性どうしの結婚は法的に認められていませんが、おそらく世界一同性愛に寛容な国だと思われます。実際、世界中からゲイやレズビアンが集まってきています。

 何人かのタイのゲイに、「この国では同性愛差別はないのか」、と聞いたことがあるのですが、全員ではありませんが、ほとんどのゲイは、「差別はほとんど感じない」、と言います。だから、私は日本で暮らしにくそうにしているゲイをみると、「タイに行ってみればどうですか」、と言うことがあります。実際、日本人のゲイのなかにもタイ好きは少なくありません。

 そんなわけで、私は同性愛者に対して、偏見どころか、ある意味では羨望のような気持ちもあります。そういう気持ちがあるからかどうかは分かりませんが、私自身もゲイと思われることがときどきあります。特に、タイに行くと、タイの女性から、「あなた、ゲイでしょ」、と言われたことが何度もあります。
 
 私は、自分がゲイと言われると、「お洒落でカッコいい」と言われているような気がするので、決してイヤな気持ちにはならないのですが、素直には喜べない側面もあります。よく、「色白の日本人は、日本ではパッとしない男でもタイ女性からはモテる」、と言われることがありますが、私はゲイと思われるからなのか、色は白いのに、タイ女性の間からさっぱりモテません。もちろん、日本でもモテるわけではありません。

 では、ゲイからはどう思われているかというと、ゲイの人に尋ねると、私は、「とうていゲイには見えないし、これからもゲイになれることはない」、と言われてしまいます。

 ということは、結局私は誰からもモテないということになってしまいます。

 まあ、私の個人的な話はいいとして、同性愛者が社会から差別を受けている、という事態が私には理解できないのです。なかには、同性愛者だという理由で、病院でイヤな思いをした、という人もいます。また、世界には、同性愛行為が法律で厳しく禁じられている国もあります。

 いったい、同性愛者が社会のなかで、どれだけストレートの人に迷惑をかけたというのでしょうか・・・。

 山田詠美さんは、エッセィのなかで、「黒人が差別されてきたのは自明なんだから、自分は逆差別するくらいの気持ちがある」、というようなことを言われたことがあります。私は、差別やスティグマがこの社会からなくなるまで、同性愛者を応援していきたいと考えています。

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第 2回 もうひとつの少子化対策(06年 8月)

私が以前ある病院の産婦人科で研修を受けていた頃の話・・・。

 ひとりのベテランの産婦人科医(女性医師)は、不妊治療の相談に外来に来ていた患者さんが帰った後、私にふとつぶやきました。

 「何百万円もかけて子供をつくろうとする人が多いけど、世界には不衛生な環境や食料不足から死んでいく子供も多いのにね・・・」

 私はこの言葉に大変驚きました。まさか、ベテランの産婦人科医がそんなことを考えているとは微塵も思っていなかったからです。
 
 現在の日本では、年々新しく生まれる子供の数が減少しており、一人の女性が一生に生む子どもの数を示す、いわゆる合計特殊出生率は危機的な状況にあると言われています。この数字が2.08を下回ると、現在の人口数を維持できなくなるとされていますが、2004年のデータでは、日本は1.29まで低下してきており、今後もさらに低下することが予想されています。

 この原因として、ライフスタイルの変化や女性の晩婚化がよくあげられますが、子供がほしいのにできない、いわゆる「不妊症」というものがあります。不妊症で悩む女性は、巨額な出費とひきかえに高度な医療を受けます。2004年から、一部の行政機関で公的な資金を用いて不妊治療を支持する動きがでてきていますが、その援助額はそれほど大きくなく、また回数制限もあるために、現時点ではそれほど大きな期待がもてるわけではありません。

 少子化の危機が叫ばれる一方で、世界では人口増加が問題となっています。実際、世界の人口は実に1日におよそ20万人も増えていると言われています。

 世界全体でみれば、新しく誕生する子供が多すぎて、食料、衛生、教育などが不十分になっているという問題があり、その一方では、数百万円を投入して子供をもうけることを試みている先進国の人たちもいるというわけです。

 私は個人的には、不妊治療が重要であるのと同様に、貧困な地域の子供たちも救う努力をしなければならない、という考えを持っていますが、冒頭でご紹介したように、不妊治療を推進すべき立場の産婦人科医がこのような意見を持っているということに大変驚いたのです。

 もちろん、この産婦人科医も不妊治療に「反対」しているわけではなく、子供ができなくて悩んでいる人の気持ちを理解して不妊治療にあたられているわけですが、同時に発展途上国の子供たちにまで深い思慮をされていることに私は感動しました。実際、この医師は、発展途上国の子供数人の「里親」になられています。

 1989年に処刑されたルーマニアの元大統領、チャウシェスクの政権下で、10万人以上の子供の難民が誕生したと言われています。この子供たちを救うために、欧米各国の善意ある人々は、積極的に子供たちを養子として迎え入れました。(ただ、新しい親子関係は必ずしもうまくいっていないという報道もあります。)

 一方で、ルーマニアの子供たちを受け入れた日本人というのは、ほとんど聞いたことがありません。ただ、確かに、ルーマニア人と日本人では民族が違いすぎる、という意見があるでしょうし、法律上の問題もあります。

 では、アジア難民はどうでしょうか。ベトナム戦争の影響などで、ベトナム、カンボジア、ラオスなどでは大量の難民が発生し、その多くは子供たちです。もちろん、日本にも善意のある方はたくさんおられますから、現在日本で暮らすこういった地域出身の元難民の方は累計で1万人以上になります。

 しかしながら、他の先進諸国と比べて、日本が難民の受け入れに消極的なのは事実です。法律上の問題もありますが、一番の原因は、他国に比べると、血筋のつながっていない子供を養うことに抵抗のある人が多い、ということではないでしょうか。

 私は、子供がほしくてもできないという人に対して、「お金のかかる不妊治療はもうやめにして途上国の難民を養子にしましょう」、などと言うつもりは毛頭ありません。このような問題は、他人からとやかく言われるようなものではないからです。

 ただ、子供のいる人もいない人も、欲しい人もそうでない人も、「少子化の問題は日本を含めた先進国のみの話であって、世界全体でみれば、むしろその逆の人口増加が問題になっている」、という意識を持つことは重要だと思うのです。

 さて、難民の子供たちにとって、大きな障壁がHIV感染です。母親がHIVに感染していることを知らずに産んだHIV陽性の子供はたくさんいますし、自身が陰性であっても両親がエイズで死んでしまい、養ってもらうことができなくなった子供も大勢います。なかには、まだ初潮が来ていないのにもかかわらず児童買春を含めた性的虐待によってHIVに感染した子供もいると言われています。

 日本では、たしかに血筋を大切にする伝統がありますが、同時に、子供は地域社会で育てるもの、という伝統がかつてはあったのも事実です。ライフスタイルの変化に伴い、次第にこの古き善き伝統は失われつつあるように思いますが、家族だけでは子育てはなかなかできないということに反対する人はいないでしょう。

 ライフスタイルの変化は、地域社会のつながりを奪った代わりに、インターネットや通信技術の発展を通して、世界中の情報を瞬時に知ることができるようになりました。ならば、地域社会の子供を育てる、という伝統を、世界中の子供を育てる、という新しい価値観にパラダイム・シフトさせてみてはどうでしょうか。

 GINAでは、HIVが原因で困窮している子供たちの支援をおこなうのと同時に、そういった子供がどのような生活をしているかを伝えていく義務があると考えています。

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第 1回 理性では解決しない病(06年 7月)

感情には理性にはまったく知られぬ感情の理屈がある

 これは、フランスの哲学者パスカルの言葉です。
 この言葉ほど、エイズという病にとりまく事象を、的確に表しているものはないのでは、と私は考えています。

 「コンドームを使いましょう」
 「売春はよくないことです」
 「覚醒剤や麻薬は人間を破滅させます」

 これらは、言われなくても誰もが知っていることです。よく、教育の現場でこういうことを教えるべきだ、という論調があって、それはそれで正しいのですが、限界があることを知っておく必要がある、と私は考えています。
 そもそも、危険な性行為にのめり込む人も、売買春をおこなう男女も、薬物に手を出してしまう人も、そのほとんどがそれらの良し悪しは分かっているのです。

 分かっているんだけれどもやめられない・・・

 これこそが問題の本質なのです。

 では、どうすればいいのか。
 もちろん、正しい知識を共有することが大切であることには変わりありません。
 まず、薬害エイズにみるような医療従事者サイドの怠慢、母子感染の予防、検査を徹底することによって防ぐことができると思われる家庭内感染、などは知識を持つことが、そのままHIV感染の減少につながります。
 また、貧困から売春せざるを得ない少女(一部は少年)に対しては、行政やNPO(NGO)が中心となり大勢の人々にはたらきかけることによって、改善できる可能性があります。

 一般の人々に対してはどうでしょうか。
 コンドームがなぜ大切なのか、売春によるHIVや他の性感染症のリスクがどれだけあるのか、薬物を使用するとどういう顛末にたどり着くのか、などについては、しっかりとした知識を持つ必要がありますし、教育の現場でも積極的に取り入れることは大切です。
 しかし、同時に、そんな理屈(=キレイ事)だけでは解決することがない、ということを認識することはそれ以上に大切です。
 
 危険と分かりながらもコンドームを用いない性行為を求めてしまう人たち、売買春に向かう衝動を抑えられない人たち、薬物に依存してしまっている人たち、こういう人たちの立場に立って、気持ちを理解しないことには、本当の意味でのHIV予防の啓発はできないのです。
 
 よくHIV感染は「自業自得」だと言われることがあります。しかし、これほど、エイズに関連する諸問題を考えるときに、的を外した言葉もないでしょう。
 薬害エイズや母子感染を「自業自得」と言う人はいないでしょうが、売春や薬物、あるいはタトゥーなどで感染した者に対しては、「自業自得」という人が少なくありません。

 しかし、決してそうではないのです。
 危険かもしれない性行為、一度だけにすると決めて手を出してしまった薬物、あるいは好奇心からつい入れてしまったタトゥー、これらは「自業自得」なのでしょうか。長い人生のなかで、このようなことが一度でもあれば、それは卑下される「自業自得」の行為なのでしょうか。
 これを「自業自得」だと言う人は、きっと聖人君子のような方なのでしょう。そういう人は誰からも尊敬される素晴らしい方なのでしょう。
 幸か不幸か、私はそんな聖人君子のような人間ではありません。そして、聖人君子が「自業自得」と呼ぶような行為をしてしまう人に感情移入をしてしまいます。
 私のような凡人からみれば、「自業自得」と言われる行為は、人間らしくて理解できる行為なのです。
 私に言わせれば、長年の喫煙から発症した肺癌や、度重なる忠告を無視して暴飲暴食を繰り返したことにより発症した糖尿病の方がよほど「自業自得」です。けれども、一般的に癌や生活習慣病はそのような対象とは見られず、HIVや性感染症が、他人から共感されない「自業自得」の病、さらに「差別」される病となっているのです。

 パスカルの言うとおり、感情というものは、ときに理性では解決しない衝動を持ち合わせています。人間は理性だけで行動しているわけではないのです。

 私が、HIVや性感染症に取り組もうと思ったのも理性だけではありません。

 病気が原因で病院を受診しているのに、その病気が原因で病院からも差別される病・・・。
 こんなことがあっていいのでしょうか。
 いいはずがありません。
 この想いがきっかけとなり、私はHIVや性感染症に取り組みだしました。

 私がHIVや性感染症に関連する諸問題を解決したいと思う気持ち・・・

 この気持ちもまた、理性では説明できない理屈から生まれた感情によるものなのです。

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