GINAと共に

第204回(2023年6月) 大麻のせいでタイはもはや「微笑みの国」などではない 

 そこにいるだけで癒される、と日本人を含む世界中の人々を魅了してきた「微笑みの国タイ」はもうなくなってしまったのかもしれません。原因は大麻です。

 もっとも、もともとタイは大麻には"寛容"で、以前から大麻目的でタイを渡航する人は(日本人も含めて)少なくありませんでした。「疑えば射殺」という無茶苦茶な薬物対策がとられていた2000年代前半のタクシン政権の頃でさえも、覚醒剤には厳しくとも大麻はそうではありませんでした。

 とはいえ、2000年代前半の当時は大麻で逮捕され塀の中での生活を余儀なくされていた日本人もいました。通常、大麻の個人使用だけなら、警察に見つかったとしても1万バーツほどをその場で警察官に渡せば見逃してもらえることが多かったようですが、そのような交渉が"下手な"日本人、あるいはあまりにも大量に販売していたような場合はそれなりに厳しい処罰がありました。

 ただし、このような大麻のヘビーユーザーというのはカオサンロードやヤワラーと呼ばれる中華街にたむろしている不良日本人がほとんどであり(参照:「悲しき日本の高齢者~「豊かな青春、惨めな老後」~」(2016年6月))、短期の"健全な"旅行者はほとんどが大麻などとは縁がなかったはずです。まして企業の駐在員が大麻に手を出すなど聞いたことがありませんでした。

 ところが、(当然ながらこのような事件は現地の新聞では報道されませんが)GINAに寄せられるタイ人及びタイ在住の日本人からの情報によると、すでに今まではあり得なかったような話にあふれています。例えば、大手企業の日本人駐在員が大麻に手を出し出勤しなくなってしまい解雇されたとか、若い日本人の女性が短期旅行で大麻に手を出して、キマった状態で路上で動けなくなり警察に補導されたとか、そんな話が無数にあるのです。

 これまでタイにそれなりに関わって来た私からみれば、「駐在員が大麻に手を出す」ということは、ちょっと形容のしようがないくらい大きな問題です。私の知る範囲で言えば、駐在員の人たちはヤワラーやカオサンで"沈没"している不良外国人はもちろん、いわゆるバックパッカーに対してもかなり"下"にみていました。タイの日本人社会は"階級社会"なのです。

 もちろん、私はこれを皮肉を込めて言っています。悪く言えば、駐在員の人たちのいくらかはプライドが高くとっつきにくいところがありました。ですが、その一方で「不良日本人とは違う」という自負が彼らにはありました。大麻でいえば「自分たちはそんなものに手を出すはずがない」という感じで、実際私は駐在員が大麻に手を出したという話をつい最近までは一度も聞いたことがありませんでした。もっとも、(駐在員でなく)「現地採用」の日本人のなかには「大麻にハマって解雇......」、という話はチラホラとありましたが。

 2022年6月、タイ政府は規制薬物のリストから大麻を除外し、家庭栽培や医療目的での使用を解禁しました。嗜好用大麻は依然違法ですが、実際はほとんど野放し状態だと聞きます。ヤワラーではもちろん、カオサンロードで路上で吸入していても咎められないそうです。パッポン、ナナ、ソイカウボーイあたりのバーやカフェでもごく簡単に入手でき、ピザなどの食べ物に入ったものも誰でも注文できると聞きます。そして、ついに日本人の駐在員御用達のタニヤでも簡単に入手できるようになったとか。

 日本人駐在員の"態度"も大きく変わっているようです。大麻にうしろめたさがなくなり、解雇されるのを待つのではなく「日本に帰されたら大麻が吸えなくなる」という理由で、自分から退職してタイで生活する方法を模索する日本人が増えているという噂もあります。また、大麻目的でタイに移住することを決めた日本人夫婦も少なくないと聞きます。

 私がHIV/AIDS問題をきっかけにタイに関わり始めたのは2002年ですからすでに20年以上たちます。上述したようにその当時から大麻にハマる日本人の話はしばしば聞いていましたが、まさか誇り高き駐在員までもがこれほど簡単に大麻にはまる時代が訪れるとは夢にも思っていませんでした。

 ここまでくればよほどの強い精神力がなければ、そのつもりではなくても「一度くらい......」という気持ちがでてくる人が大半でしょう。それに、タイに行くと言うと「どうせ大麻目的なんでしょ」と他人から思われるようになるでしょう(というより、もうなっています)。私自身も医師として、「タイ渡航≒大麻」と考えないわけにはいかなくなってきています。最近、私が院長をつとめる太融寺町谷口医院では、タイに渡航するという患者さんにはほぼルーチンで大麻の注意点の話をしています。

 では、私自身がタイ渡航者に「大麻はダメですよ」と言っているかというと、そのような「絶対ダメ」というような言い方はしていません。私が何を言おうが大麻に手を出す人は出すからです。それに、「大麻は安全」と信じている人に大麻の危険性を理解してもらうのはものすごく困難です。

 そもそも「アルコールがよくて、なんで大麻がダメなんですか?」という質問に対し、合理性のある説明をすることができません。では、私自身が大麻(嗜好用大麻)に賛成しているかというと、本サイトや他のメディアで繰り返し述べているように、少なくとも若者の摂取には反対しています。その理由をここで改めて述べるよりは、今回は私が直接知っている2人の大麻ユーザーの話をしましょう。両者とも私が個人的にタイで知り合った日本人の男性です。

【事例1】30代男性

友達に誘われサムイ島に旅行したのをきっかけにタイにどっぷりはまる。日本で夜勤のアルバイトをしてお金がたまればタイで数か月のんびり、という生活を繰り返すようになった。大麻は初めてタイに来たときに勧められ、すぐに常習化。ただし、日本にいるときは吸いたいとは思わず依存しているわけではなかった。しかし、ふと「日本でも試してみたい」と思うようになり、帰国前日に、大麻草をアルミにくるみそれをコンドームに入れて、そのコンドームを飲み込むという方法で日本に「持ち帰る」ようになった。あるとき、日本に戻る機内で立てなくなった。コンドームが破損し大麻が急激に体内に吸収されたのはあきらかで着陸後も座席から立ち上がれなかった。成田空港内の診療所を受診させられ、薬物摂取を疑われた。しかし、レントゲンでは何もうつっておらず(医師が見逃した?)事なきを得た......。

【事例2】40代男性

バックパッカーとして世界を放浪し、最終的にタイに"沈没"した。大麻はインドですでに覚えていたが依存しているわけではなかった。タイが気に入りタイで仕事をしようと考え、タイ語の勉強も始めていた。あるときヤワラーにたむろするディーラーから「ヤーバー」(覚醒剤)を入手して摂取した。こちらも依存するとは考えなかったのだが、ヤーバーを摂取しタイ語の勉強をすると極めて効率よく覚えられることに気づき頻回に使うようになった。覚醒剤のおかげでタイ語はかなり上達し(英語はそれ以前からかなりできていた)、日系企業に現地採用で就職した。ところが覚醒剤が止められなくなり、無断欠勤が増え......。

 どちらの男性も現在消息不明です。事例1の男性はその後も「密輸」を繰り返していたようです。事例2の男性は詳細を端折りましたが、すでに幻聴に苦しみ、タイで長年つるんでいた友人たちとの関係も破綻していました。二人とも一流大学卒で、コミュニケーション能力が高く、人が集まってくるようなリーダー型の好青年です。

 先述したように大麻はアルコールやたばこよりも依存性が少なく、また疾患につながるリスクが高いわけではありません。アルコールのように肝炎を起こしませんし、たばこほどの発がんリスクもありません。「健康が大事だからアルコールやたばこはやりません。大麻だけにしています」と嘯く嗜好用大麻の支持者もいます。そして実際、大麻と上手に付き合っている人が多いのは事実です。ですが、それは「その時点では」です。

 上記の2人の日本人男性も「ある時期までは」大麻による弊害はまったくなかったのです。

参考:

第178回(2021年4月) 「これからの「大麻」の話をしよう~その4~」
毎日新聞「医療プレミア」2023年3月20日「大麻 海外で進む「嗜好用」の解禁 日本はどうするか」