GINAと共に

第44回 エイズ患者によるレイプ事件(2010年2月)

 タイのイサーン地方(東北地方)の話は、このウェブサイトで何度も取り上げています。バンコク人との社会的格差や貧困について報告したこともありますし、また北部と並び高いHIV陽性率を有している地域であることをお伝えしたこともあります。そんなイサーン地方のなかでもおそらく最もマイナーな県のひとつともいえるアムナートチャルン県をご存知でしょうか。

 アムナートチャルン県は、東北部のなかで比較的大きな県であるウボンラチャタニ県の北部に位置しており、東部はカンボジアとの国境となっています。私は訪問したことがありませんが、以前ウボンラチャタニ空港で地図を見ていたときにその名前を知りました。

 そのアムナートチャルン県でとんでもない事件が起こりました。

 2010年1月10日にアムナートチャルン県で逮捕された33歳の男は、実に50人近くの少女から金品を奪い、さらに性的暴行(レイプ)をおこなったというのです。この記事は、翌日のタイの現地新聞『タイラット』で大きく取り上げられ、容疑者の写真も公開されています。写真では、被害者の14歳の女の子が「この男に間違いありません!」と男の顔を指差しています。(下記URL参照)

 50人近くの少女から金品を奪い性的暴行・・・。これだけでも極刑も考慮されるような重罪ですが、さらに驚くべきことに、この男(新聞には実名が報道されていますがここではS容疑者としておきます)はHIVに感染しており、しかも新聞では「エイズの末期」と報道されています。

 S容疑者が『タイラット』の報道どおり「エイズ末期」であるなら、何人もの少女にHIVを感染させている可能性があります。今回は、「HIV陽性者がそれを隠して性交渉をおこなうことの問題」について考えていきたいと思いますが、その前にS容疑者の犯行について『タイラット』の記事を少し詳しく紹介しておきます。

 S容疑者が逮捕されることとなったのは14歳の少女が被害届を出したからです。この少女はボーイフレンドと遊びに行き、深夜に二人でオートバイに乗り帰宅する途中でS容疑者に呼び止められました。S容疑者は自分が警官であると言ったそうです。

 「このオートバイは盗難車の可能性がある。これが自分のものである証明書を持ってきなさい」と言い、ボーイフレンドを家に帰しました。そして、S容疑者は少女を自分のオートバイの後部座席に乗せ、そこから2~3キロ離れた農地に連れて行き、掘っ立て小屋で3回乱暴した後、少女を置き去りにして逃走したそうです。(この手の事件を詳細に報道するのがタイのマスコミの特徴です・・・)

 警察の調べによりますと、S容疑者はこれまで50人近くの少女に乱暴していますが、これまで警察に被害届を出した少女はいなかったようです。今回14歳の少女が被害届を出したのは、少女はS容疑者の近所に住んでいて、もともとS容疑者の顔を知っていたからだそうです。

 S容疑者は、2001年に銃器不法所持罪で5年の懲役刑を受け服役していました。出所できたのはいいものの仕事がなく、アムナートチャルン県及びコンケン県で、恐喝によってしのいでいたそうです。(コンケン県はアムナートチャルン県から地理的に随分離れていますが、なぜコンケン県で"仕事"をしていたのかは報道されていません)

 S容疑者が"獲物"を探すのはだいたい午前2時から午前5時の間で、それ相応の金品を所持していた場合は、それらを奪うだけで帰していたそうです。被害者が金品を持っていない場合、あるいは少女が可愛いかった場合には乱暴していたとS容疑者は供述しているそうです。

 逮捕後、取り調べによりS容疑者がHIV陽性であることが判明したと報道されています。警官が身体検査をしたところ、身体中にデキモノがありその一部は化膿しており、S容疑者自身も自らが「エイズの末期症状」であることを認めているそうです。

 これを受けて地元警察では、これまで被害届を出していない被害者の少女たちがHIVに感染している可能性があり、さらに少女たちが他人に感染させている可能性も否定できないとして、容疑者が犯行を重ねていたアムナートチャルン県とコンケン県の警察を通じて、被害者に名乗り出るよう呼びかけているようです。

 さて、この事件に対し、まずは医学的な観点から考えていきたいと思います。報道では、S容疑者は「エイズ末期」であったと報道されています。どこまで医学的な検証がおこなわれたのかは新聞からは伝わってきませんが、おそらく体中にできていた"デキモノ"からそのように判断されたのでしょう。

 たしかに、体中に"デキモノ"ができている状態は「エイズ末期」の可能性があります。まだ抗HIV薬が普及していなかった頃のパバナプ寺では、エイズ特有の"デキモノ"を呈している患者さんが大勢おられました。

 HIVは性交渉をもったからといって簡単にうつる感染症ではありません。しかし、エイズ末期となると話は異なります。よく、「HIV陽性者と性交渉をもって感染する確率は○○%・・・」という話がでますが、これはそのHIV陽性者がどのような状態にあるかによってまったく異なってきます。感染後しばらくして落ちついているときは極めて低い感染率と言えるかもしれませんが、エイズ末期となれば感染の可能性は飛躍的に高まります。ということは、何の罪もない少女たちがS容疑者の身勝手な行動によりHIVに感染している可能性は少なくないということになります。(参考までに、感染初期のまだ本人が感染に気づいていないときにも感染の可能性は高いのですが、今回の内容とは異なるため詳しくはここでは述べません)

 では、「HIV陽性者がそれを隠して性交渉をおこなうことの問題」について考えていきましょう。私の知る限り、こういったことをきちんと定めた法律は日本とタイではありません。場合によっては傷害未遂の罪になるかもしれませんが、日本でもタイでもそういった罪が適応されたというケースは聞いたことがありません。

 しかしながら、先進国ではHIV陽性であることを隠して性交渉をおこなえばそれだけで罪になるのが普通です。例えば、オーストラリアでは、1件につき7年程度の懲役刑となるようです。これは「1件につき」ですから、例えば7人との性交渉があれば7x7=49年の懲役ということになります。繰り返し述べますが、これは「性交渉をもっただけで」罪となるのです。もしも、HIVを感染させるようなことがあれば、さらに罪は重くなる可能性があります。

 そして、性交渉で感染させる感染症はHIVだけではありません。B型肝炎やC型肝炎でも同様です。(さすがに、自らのクラミジア感染を知っていて性交渉をおこない起訴されたというケースは聞いたことがありませんが・・・)

 HIVに感染していることを他人に伝えることができないのは、おそらく社会的な差別や偏見が存在することと無関係ではないでしょう。ですから、許されることではありませんが、感染を隠して性交渉をおこなってしまった人の気持ちが分からないわけでもありません。

 しかし、レイプ、しかも少女たちをレイプ、となれば話はまったく異なってきます。アムナートチャルン県のS容疑者に同情の余地はありません。

注:『タイラット』2010年1月11日の記事は下記で見ることができます。
http://www.thairath.co.th/content/region/58033

参考:GINAニュース
2007年6月25日「HIV陽性であることを告知せずに逮捕」
2006年10月29日「オーストラリア男性が女性観光客にHIVを感染」
2006年6月23日「恋人にHIVをうつした女性が禁固刑に」
2006年10月16日「オーストラリアのゲイ、5人にHIVを故意に感染」