コラム

パナナプ寺通信

パナナプ寺スタッフ Amounto Tongturi การมาเยี่ยมของใครบางคน


第1回 私が感銘を受けたボランティア

 ある日のこと、私の心は不快な気持ちに支配され、人生における幸せがまるでないような感覚に襲われました。そして私はその人に尋ねました。

 「幸せになるにはどうすればいいのでしょうか」

 するとその人は答えました。

 「他人を助けることをすればいいのだよ・・・」

 今日は、私にこの言葉を与えてくれたその人のことをお話したいと思います。

 私たちがいるこの場所に好んでやって来るような人はいません。私たちがいるのは山のふもとにある小さな寺です。周りには美しい自然がありますが、様々な病原体が浮遊しています。この病原体は目に見えることはなく、私たちのように正常な免疫力を持っていれば何の問題もありません。

 ここはエイズに罹患した人たちが集まる寺なのです。この寺では死というものが日常化しています。この小さな寺で、これまでにおよそ一万人もの人が命を失っています。

 けれども、この寺には、自らの身体や精神をも患者さんに捧げている人たちがいます。私たちはそんな人たちを真のボランティアと呼んでいます。

 今日ご紹介するのは、そんなボランティアのなかで私が最も尊敬する人です。

 その人は身も心も献上しています。それは、神に対して、そして助けや理解や励ましを求めている人たちに対してです。もしもあなたがここに来たことがあるならば、年老いたアメリカ人のその人に出会ったことがあるかもしれません。その人は患者さんのために朝から晩まで動き回っています。その人は疲れることがなく、そしてその人の瞳には飽きや失望が浮かぶことはありません。

 その人は医師でも薬剤師でもなく、病を治す立場の人ではありません。その人は薬を持っておらず患者さんの痛みを取り除く術を知りません。しかし、その人は心で病を治癒する方法を知っています。そして、一切の見返りを求めることのない愛や慈悲というものを知っています。

 ここにやってきたほとんどすべての患者さんは、家族からも社会からも見捨てられています。なかには家族が理解を示すこともありますが、社会が彼らを受け入れないのです。そんな患者さんたちは、平凡な生活を送ることができず、他人から励まされることも精神の安定性もなく、失望のどん底にいるのです。

 けれど、そんな患者さんがここに来れば、その人によって愛することができるようになり、また愛されることもできるようになります。患者さんが必要とすることがあれば、それは着替えでも風呂でも食事でも、その人はすぐに患者さんのために行動をおこします。その人は患者さんによって差をつけることはありません。

 ときには、患者さんから暴力をふるわれることもあります。けれども、その人はその患者さんをさらに理解しようと努めるのです。私がこの寺で働きだしてほぼ三年になりますが、その間今お話しているような光景を毎日のように見てきました。その人はこんな生活をもう五年以上続けています。ここに来られたことのある人ならきっとその光景が目に浮かぶでしょう。

 その人が、空いた時間があれば患者さんのそばに行くということ、良心のみでおこなっているということ、心底からの深い愛でおこなっているということを否定する人は誰もいないでしょう。

 その人の良心はまったく利己的なものではありません。この寺にボランティアとして来る人のなかには、ごく短期間しか働かず、写真を撮って、自分はこんなにいいことをしたんだ、などと言ってその写真を家族に見せて自慢するような人たちがいます。私が尊敬するその人は、そんな似非ボランティアとは全然違います。このような自慢話はそのうちに誰の心からも消えていくものです。

 患者さんが息を引き取るとき、家族や親戚が誰も来ずにひとりで息をひきとるときも、その人は最期まで患者さんのそばにいます。そして身体から魂が抜けると、ご遺体を運び葬式に参加します。その人は仏教徒ではありませんが、私たちのお寺のなかではタイ仏教式に手を上げてワイをします。ご遺体が燃え尽きて骨になるまで霊を送り出そうと努めます。その人は亡くなった患者さんに自分のすべてのものを捧げようとします。


 私は、ものごとを説いたり読み手に感動を与えたりすることのできる作家ではありませんが、私が強い印象を受けたその人のことについてお話してきました。その人は本当に素晴らしい心を持っています。そして、これほど自信を持って紹介できるような人はこの社会のなかでは簡単に見つけることができないかもしれません。しかし、私たちの社会のなかには、こんなにきれいな心を持った人はいるのです。私はそんな人にめぐり合うことができてたいへん幸せです。

 これを読まれた方は、きっとその人が誰なのか知りたいと思うでしょう。私は今日お話した人のプロフィールをご紹介するようなことはいたしません。私がお伝えしたいことは、自分の名誉のためでなく、純粋な気持ちで貢献している人は、この世界にきっとたくさんおられるだろうということです。行動することが幸せにつながるのです。行動するのに必要なものは何もありません。 

 この世界にも素晴らしい心をもった人はたくさんいるということをあなた方にご理解いただくために、今日は私が尊敬するひとりの人についてお話させていただきました。

(GINA訳)

第2回 エイズについて思うこと

 第二回目となる今回は、私がエイズという病について感じていることをみなさんにお話ししたいと思います。

 最初に、私がどういう人間かを知っていただくために、自己紹介をさせていただきたいと思います。

 私はGINAのウェブサイトのトップページに写真が掲載されている浅黒い肌をした女性です。私は日本人ではありません。アモンラットという名のタイ人です。タイのロッブリーという小さな県に住んでいます。学歴は、この地域にあるごく普通の大学卒業です。

 きっとみなさんは、私がなぜGINAのウェブサイトに載ることになったのか疑問に思われていると思います。

 私はロッブリーにあるエイズの方のケアをするこの施設(パバナプ寺)で働くことになりました。けれども、私が患者さんのために貢献するような善人であるから、ここで働き出すことになったというわけではありません。

 私がこの仕事を選んだ理由をお話したいと思います。ひとつの理由は収入です。ここでもらえるお給料は節約を心がければなんとかやっていけます*1。

 もうひとつの理由は、この施設が家から近いということです。タイでは、子供が親の面倒をみる、という慣習があります。子供は小さいうちは両親に育ててもらうわけですから、自分が大きくなれば両親の面倒をみる役割があるのです。そういう慣習があるため、全面的に面倒をみるところまでは至っていませんが、私は今も、母親と、母親の父親と一緒に住んでいます。

 私がみなさんに申し上げたいのは、私はごく普通の女性であるということです。私は特殊な技術をもっている専門家ではありません。もしもあなたがロッブリーに来られれば、道沿いの小さな屋台で食事をしている私と出会うかもしれないですね。あるいは、買い物をしているときに何も特別なことがないままにすれちがうかもしれないですね。

 私がみなさんにお話することは、特に意味がなくて取るに足らないものかもしれません。今回は、エイズという病について私が感じていることをただお話するだけです。

 何年か前、私は新聞やテレビを通してエイズという病について知るようになりました。エイズは大変恐ろしい病で、とても嫌悪感のあるものでした。エイズになるような人というのは性的に逸脱しているような人、例えば売春婦や不特定多数の人と性的関係をもつような人、それに違法薬物を静脈注射するような人です。私の考えでは、エイズになるような人は、不道徳な行いをしている嫌悪感を覚えるような人です。そのような悪いことをするから当然の報いとして恐ろしいエイズという病になるのだと思っていました。

 エイズになった人は、社会から憎まれる対象とされ、家族や地域社会からも受け入れられなくなります。もしも家族の一員がエイズになれば、家族の人は恐怖を感じます。そして、近所の人などに対して恥ずかしいと思うようになります。

 ここで重要なことは、エイズに対する理解が不十分だということです。また、エイズがどのような方法で感染するのかといったことが充分に理解されていません。私もここに来たときは同じように考えていました。エイズに対する正しい知識がほとんどなかったのです。もしも私の肌に木の枝があたり、少しだけ引っかき傷のようなものができれば、それだけでエイズに感染するんじゃないかと思っていました。エイズについて正しい知識を聞いたとしても、恐怖を取り除くことができなかったのです。

 私はこの施設で、エイズに対する教育を受けてから考えが変わるようになってきました。けれども、エイズに関する誤った理解やイメージといったものは社会に深く根付いており、世間の人々は正しい知識を受け入れていません。多くの人々はエイズとは相変わらず恐ろしい病気だと思っているのです。

 だから、患者さんが直接この施設にやって来て、治療が受けられるここに置いてほしい、とお願いすることが珍しくないのです。多くの場合、親族に強制されて患者さんはひとりでここにやって来ます。もう一緒に住めないからパバナプ寺に行け、と家族に言われ、追いやられるのです。私はそんな光景を毎日のように見ています。なかには、ホームレスの状態でここにやって来る患者さんもいます。彼(女)らは、どうやって命を維持すればいいのかが分からずに途方に暮れています。彼(女)らには道がないのです。これがエイズの実態です。

 私たちはいつもこんな状況を目の当たりにしています。また、彼(女)らは病院に行ったときでさえ嫌がられることも少なくありません。どこに行っても周囲の人たちは彼(女)らに近づこうとしないのです。今ではほとんどの人が、患者さんと一緒にいたり、すれちがったりするだけでは感染しないことを知っているのに、です。

 自殺を試みる患者さんも少なくありません。この社会のなかで恐れられて憎まれ続けるということに耐えられなくなるのです。今日、エイズの発症を防ぐことのできる薬はあり、これは望ましいことですが、現在の薬は完全に治癒させるものではありません。

 自殺を試みる患者さんは、生物学的には生きていますが、死んでいるのと何ら変わらないと考えます。たしかに、世間から恐れられ憎まれ続けるなら、生きていることと死ぬことにどれほどの違いがあるというのでしょう。

 ある夜私は夢をみました。夢のなかで私はHIVに感染しました。混乱し、そのとき夢のなかで考えられたことは、出口は自殺以外にはない、ということです。私は目覚めました。そして今でもその夢をはっきりと感じることができます。そのときの失望感について、そして自殺以外には出口がないという感覚について、です。

 私が申し上げたいことのひとつは、私はエイズになった多くの人を尊敬しているということです。なぜなら、自分自身を元気づけ、家族や社会から嫌がられているその状況に対して強い意思をもって戦っているからです。こんな状況で自分を励ましていくこと*2は相当確固とした自我がなければなりません。彼(女)らは、それほど強い精神力を持っているのです。

 もしもエイズを完全に治す薬があるとすれば、それは大切なことです。けれどもそれと同じくらい大切なのは、患者さんに対してみんながもっといいイメージをもつべきだ、ということです。エイズという病を一般の病気と同じように認識すべきなのです。彼(女)らが、普通の人と同じように行動し、普通の人と同じ機会を持ち、そして、ごく普通に暮らせるように、みんなが受け入れるべきなのです。

 今、私は信じています。エイズは、病原体に対する抵抗力は弱めるけれど、人間そのものを弱くするわけではないということを・・・。   
(GINA訳)

*1 アモンラット氏は、「お給料は節約を心がければなんとかやっていけます」と述べられていますが、実際は、タイの一般的な月収よりも少ないと言えます。
*2 「自分を励ましていくこと」という和訳にしていますが、原文は「タムジャイ(ทำใจ)」です。「タムジャイ」は、タイ人がよく使う表現で、「失意にあるときにがんばっていい方向に向かおうとする心」のことを言います。日本語にも英語にもそのままあてはまる語彙がないと思われますが、タイ人の考え方を知る際に重要な単語です。

第3回 誰かの訪問

 人生において住居や食料やお金が不可欠なものであるとしても、この世界に生きる我々や多くの人にとって必要なものの一つは気力(生きがい・励み)です。

 多くの人は家族や愛する人たちから気力をもらいます。中には、自分自身で精神に活力を与え、人生に立ちはだかる障害と闘って生きるだけの強い気力を生み出すことのできる強い人もいます。時には重大な問題にぶつかっても、なんとかうまく切り抜けることができます。

 しかし、ある人たちにとっては、その気力は人生から消えて無くなりかけているのです。治療のできない痛みからくる苦しみだけでなく、いつ人生の最後を迎えるのかわからない不安、周りの仲間が少しずつ死んでいく様子を目にする毎日の気持ちは、とうてい説明できるものではありません。周りの人たちの理解、家族からの励ましというのは、そういった彼らが最も求めているものなのです。

 社会の人や自分の家族にまで疎まれて、まだ呼吸しているのにまるで死んでいるかのような扱いの人、なかには親兄弟がいるにも関わらず、家族の中で死んだものと見なされていたり忘れ去ろうとされていたり・・・まだ呼吸をしているにも関わらず忘れようとするのです。・・・

 彼らは心の中では、いつ、いったいいつになったら親戚や兄弟、愛する人たちが見舞いに来るのか、息が途絶える前にほんの一日でもいいから家に帰らせてもらえるのを待ち焦がれているのです・・・結局は多くの人が最期まで待ちわびる人たちの顔を見ることもできずにいます。

 私がここで働いている何年ものあいだ、毎日多くの訪問客が来ます。

 各機関からの視察や物資の寄付などです。しかし、患者のそばへ行って励ましの言葉をかけたり、一人の通常の人間として一般の病人と同じように近くで接したりする人はほとんどいません。励ましのほんの少しの言葉、それだけでも・・・あなたが予期せぬくらい誰かの心をもっと快方に向かわせることができるかも知れません。・・・もしくは、彼らにそっと手を触れるだけでも、あなたは彼らがまだ生きているという証として体の温かさを感じるでしょう。 ・・・そしてあなたからの励ましを受け取ることでしょう。

 ・・・ここへは何度も有名な芸能人やミスユニバースが訪れました。みんな一目見たいと興奮して喜びました。もしこれらの訪問者に理解と支援の気持ちがあり彼らを毛嫌いしなければ、我々は、普段痛みや絶望にさいなまれている彼らの多くが久々に笑みを浮かべるのを目にすることができます。・・・笑みやちょっとした言葉が待ちわびている人たちをどれだけ幸せにして喜ばせているのか、訪問に来た人はきっと知りません。少しやって来て励ましの言葉をかけて去っていくことに何の価値があるのかと・・・しかし、幸せを待ち望んでいる人たちの気持ちの中では、そういった些細なことが幸せとなるのです。彼らの人生において、毎日こんなに嬉しいことがあるわけではないのですから。訪問にくる方は、その訪問が多くの人の心に幸せを与えているのかを知らないでしょう。訪問客が去った後も、撮った写真や新聞の記事写真を記念に残している人がいます。・・・もう二度と会えるチャンスがない人であったとしても。

 今日、私はある患者の手伝いをする機会がありました。その人は2冊のしわくちゃの新聞を持ってきて自分と元ミスユニバースの写真を保管しておくために私に新聞のコピーを頼み、そして実家で見てもらうよう、お母さんの元に送るのだと嬉しそうにとても誇らしげな顔で言いました。         

 ここで身近に得たもっともすばらしい機会。彼の幸せそうな顔を見て、私はあなた方にこの文章を読んでもらい、この世界には希望と励ましと愛情と理解を待っている人たちがたくさんいることを伝えたくなったのです。

 たとえあなたがスターや有名人でなくとも、彼らに最も価値ある気力(励まし)を与えることができるのです。もしくは、彼らが一般の人たちと同じように社会で生きる権利を持つ一人の人間であるということを認めてもらうだけでもいいのです。彼らに対する偏見、社会からの疎外をなくしてください。それが、彼らの必要としているものだと私は信じています。たとえこのひどい病気が治療できないものだとしても、彼らにはまだ命があり、肉体的痛みや苦痛と戦わなくてはならないのです。

 彼らをもう一人ぼっちで戦わせないでください。

(GINA訳)

ページトップへ

元ハードドラッグユーザーのため息  風魔小次郎

風魔小次郎

風魔小次郎 紹介
 1960年代前半、東北地方に生まれる。高校時代は甲子園を目指すエースであったが怪我により挫折し中退。その後、東京に渡り仕事を転々としていたが、ある時些細なことからチンピラと喧嘩になり、大怪我を負わせたために国外逃亡。心機一転しアメリカの大学に入学するが、同級生のベネズエラ人と喧嘩をし、またもや怪我をさせたために大学から追放される。その後はバンコクを拠点に東南アジアの闇の世界に生きることになる。現在は、一応は表のビジネスをしているそうであるが詳細は不明。香港の安宿で、GINAのスタッフのひとりと出会ったことがきっかけとなり、この連載が始まることになった。


<序 言> 
 薬物は危険ですからやめましょう!

 これは誰もが知っていることです。もちろん薬物依存症の人もこの事実を知っています。にもかかわらず止められないところに薬物問題のむつかしさがあります。GINAは違法薬物に絶対反対の立場ですが、ただやみくもに危険性を指摘するだけでは効果が乏しいと考えています。実際に薬物依存症になった人の話は、薬物問題を考える上で参考になるだけでなく、依存症になってしまうかもしれない大勢の人を救うことができる可能性があります。この連載記事を書いていただく風魔小次郎さんは、大麻はもちろん、一時は覚醒剤や麻薬にまでどっぷりと浸った経験をお持ちです。そして奇跡の復活を遂げられています。小次郎さんの言葉を噛みしめて薬物を断ち切れる人がひとりでも多く誕生することをGINAは願っています。

                
(谷口 恭) 2006/9/1

 エピソード1  大麻との出会い
 エピソード2  キノコの誘惑(前編)
 エピソード3  キノコの誘惑(後編)
エピソード1 大麻との出会い

 初めまして、私、風魔小次郎と申します。筆者紹介のところでご覧になったと思いますが、先日、香港の安宿にて偶然 GINA のスタッフの方と知り合うこととなりました。

 GINA ・・・ 聞いてみるとなかなか立派なことをやっておられるようで、また AIDS問題への取り組みということで、同性愛関連、売買春関連、薬物乱用問題・・・等々へ広くコミットされているとも伺いました。
 GINA はその活動の一環としてwebsiteを通して情報を発信し、前記のテーマ等に関する様々な学識や経験をもっておられる方々の執筆記事を掲載していると。

 そして香港にて知り合ったスタッフの方の口説き(??)に負けて、恐れ多くも私のような風来坊の元ジャンキーが、己のドラッグに纏わる間抜けなエピソードを幾つか紙面にて吐露していくという運びとなってしまいました。

 まあ私の愚かなエピソードを目にされて、“ああドラッグって怖いんだな、こんな馬鹿なことになるんなら俺(私)は手を出さない方がいいな“、または、”俺(私)、こんなこと(ドラッグのこと)いつまでも続けていたら、この人みたいになってしまう、怖~~、もう止めとこ~~“。はたまた、”ドラッグなんて俺(私)の人生とは何のかかわりもないけれど、このオッサンほんまアホやな~~“ってな風に感じて頂ければ、それで良いかなと考えております。

 では初めに結論を・・・“君子危うき(ドラッグ)に近寄らず”


 私のドラッグとの出会いは20歳の頃、ところはニューヨークのマンハッタン、エンパイア・ステイトビルを眼前に仰ぎ見るボロアパートの一室であった。

 ほぼ時を同じくして近郊のプラザホテルというところで世界の経済先進国の蔵相連中が雁首を揃え、何やら(後世「プラザ合意」と呼ばれることになった)大きなイベントを開いていた。(これで時代背景はお分かりでしょう。)

 イリノイ州の田舎町で出会った同年代の日本人(ケン)が、ニューヨークに住んでいる友人(リョウ)のところへ遊びに行くけど一緒に行くか、と誘ってくれたのでついて行くことにした。

 初めて訪れるアメリカ合衆国。武闘派の私は幼き頃より強いものに対する憧れ(これは全ての男性に共通のオスの本能)が人一倍強く、喧嘩に強くなりたい一心で、空手、柔道、キックボクシングにストリートファイトといろいろやっていたが、この世界で一番腕っ節が強く、多数の手下(日本も含めた旧西側諸国)を引き連れ、ソビエト連邦というもうひとつの広域大組織のボスとの間で抗争を展開中であった愚連隊の大将のような国家に大変な魅力を感じていた。その憧れの国の経済や文化創造の中心地であるニューヨークへの初めての訪問・・・。

 感動し捲くっていた。

 夕刻、リョウはケンと私を“テンスト”と呼ばれる、所々に何をしているといった風もなくブラブラしている黒人がいる薄汚い通りへ連れて行った。

 私たちも通りをブラブラ歩き、何人かの黒人とすれ違った。
 何人目かの黒人とすれ違うとき、突然リョウがその黒人と小声で話し出した。
 黒人は暫くすると頷き、私たちを近くの小さな公園に連れて行き、植え込みの中へ手を突っ込み、何やらごそごそと探し出した。

 そしてホウレン草のようなものが入った小さなビニールのパケ(6~7cm四方の)を取り出し、それをリョウの持つ10ドル紙幣と交換すると、何食わぬ顔をして元の通りへと去っていった。
 ボロアパートへ戻る途中、リョウはケンと私を奇妙な店へ連れて行った。小さな雑居ビルの一階にあるドラッググッズ専門店であった。
 リョウに選んでもらって、プラスティック製の高さ15~17cmくらいの程よいサイズのウォーターパイプをひとつ買った。

 ボロアパートへ戻ると、リョウは得意げにラジオをチューニングしだした。リョウは、ヒップホップ大好きが昂じてニューヨークに住んでいるというだけあって(リョウは日比谷高校卒の何かと新しいもの好きな奴であった)、私にはよく分からないが、何やらハーレムのローカル放送局からの電波で“今一番イケテル局”というところにチューニングしてくれた。

 ホウレン草のように見えたものは、よく見るともっと濃い緑色で、所々に茶色や赤茶色が混じっていて、触ると何やら粘つく感じであった。
 リョウは、やおら取り出したまな板と大きな肉切り包丁を使い、その色の濃い粘つくホウレン草を細かく刻み出した。普通のたばこの葉を幾らか混ぜて刻んでいるようであった。
 リョウはその刻まれたホウレン草を買ったばかりの赤黒ツートンカラーのウォーターパイプに適量詰めた。

 先ずはリョウが一服。
 ボコボコボコボコボコ・・・・・・・・

 それが、その後恐らく2000~3000回は聞くこととなったウォーターパイプ(ボング)で、クサを喫煙するときに奏でられるサウンドの人生一発目であった。

 リョウの説明を聞き、見様見真似で私も一服。

 ボコボコボコ・・・
 ゲホゲホゲホ・・・
 咽るだけであった。

 ン~~~何も起こらないなあ~~~。
 よ~~し、二発目。
 ボコボコボコ・・・

 ン~~~。少し頭がクラクラしてきたけど、如何ってことないなあ~~~
 よ~~し、もう一発、三発目。
 ボコボコボコ・・・
 息を止める、1、2、3・・・ 20秒を数える。静かに煙を吐く。
 スハ~~

 その瞬間、突然、頭の中で大異変が起こった。
 活劇である・・・。映画である・・・。但し無声映画である・・・。

機動戦士ガンダム、宇宙戦艦ヤマト、不思議なメルモちゃん、魔法使いチャッピー、母を訪ねて三千里、あさりちゃん、スターウォーズ、未知との遭遇、燃えよドラゴン、パックマン、クレイ ジークライマー、ムーンクレスター、ミスタードゥー・・・・・

 全く何の脈絡もなく、かつて好きであった(子供の頃によく見た)テレビアニメ、映画、ゲームなどの断片的な映像の洪水が、頭の中で大激流となって流れだした。その頭の中の映像の激流、色彩が妙にVividであり、光り輝いている。

 美しい・・・。

 そしてその映像の流れの切り替わりや進行速度の加減は、リョウがチューニングしてくれた最もイケテルヒップホップと完全に同調しているようであった。

 音が跳ねる・・・
 体が飛ぶ(飛ぶように感じられる)・・・
 流れる映像の進行速度や題材が切り替わる・・・
 体と音と映像が一致して奏でる美しいシンフォニー・・・
 妙に懐かしい気分で身体全体がホンワカしてくるように感じる・・・

 ふと気づけば、リョウとケンもすっかり極まり捲くって何やら楽しそうに話している。それに耳を傾けようとしても、何秒かすると意識の活断層が横滑りし、二人の会話を聞き続けることが出来ない。また会話の内容もさっぱり分からない。日本語なのに・・・。
 でも、その何を言っているのかさっぱり分からない会話、何故だか分からないが妙に面白い、いや、途轍もなく可笑しい、意味はさっぱり分からなくても強烈に笑える。

 ギャハハハハハ ・・・・・、こんなに楽しい気分は生まれて初めてだ。

 (クサの効果のひとつ = 脳の現状を認識する部分の働きが低下し、自分が今おかれている状況を正しく理解することが難しくなる)
 (クサの効果のひとつ = 平和な気分になり、何を聞いてもおもしろ可笑しく聞こえ笑いが止まらなくなる)

 そしてリョウが何やら言いながら差し出してきたチョコレート(確かMarsであった)、これを食ってみると、これがまた美味い。

 何という美味しさだ。信じられない。今まで味わったことのない美味しさだ。
 歯がとけるように、歯に染み入るように感じられる異次元の美味しさだ。
 (食べ物の美味しさが20倍以上に感じられるのは“クサ”の作用の内のひとつ)

 今でも鮮明に覚えている。そのとき私の頭に浮かんできたひとつのフレーズ・・・。

 “私はこれ(クサ)と一生付き合うことになるだろう。”

 それから20年が経つが、矢張り今も恋しい・・・

 クサを吸い続けると記憶力が鈍ります。また、人間が怠惰になります。
私は元々怠惰でしたが、“クサ”の影響もあって今では無茶苦茶怠惰です。

 次回以降、その他のネタ、冷たくなるヤツ(速くなるヤツ)、温かくなるヤツ、視界が溶けてくるヤツ、パチッパチッと音がするヤツ、昨晩何があったか覚えていない(せん妄状態)ヤツ・・・・・等々をいきましょう。
 
                                          つづく・・・

GINA注釈:「クサ」とは、大麻の通称で、他に「マリファナ」「ガンジャ」などと呼ばれることもあります。
エピソード2 キノコの誘惑(前編)

 皆様こんにちは!!

 風来坊の一匹狼、風魔小次郎、2ヶ月の沈黙を破り、再びこのGINAウェブサイトの一角へと罷り出ることとなりました。

 一匹狼などとはカッコ良過ぎる表現で、実はアジアを彷徨う薄汚い一匹の野良犬といったところがより相応しい形容であることでしょう。

 前回はフィリピン国マニラ市より“クサ(注:大麻草のこと)ネタ”について寄稿させて頂きましたが、今回は“キノコ(注:幻覚誘発性物質含有茸)ネタ”について、いってみようと思います。

 因みに現在ベトナム国ホーチミン市にいるのですが、ベトナム人なかなか凶暴ですね。危なくてちょっと喧嘩できないです。流石は無節操に食い下がる米軍を南シナ海へ追い出しただけのことはあります。君子危うきに喧嘩売らず。

 前回も序文で触れさせて頂きましたが、私はこのコーナーへの寄稿で善良な一般市民の皆様へドラッグへの無警戒な興味を煽ろうなどとの意思は毛頭なく、どの種のドラッグも長期に渡り平和裏に気持ち良くお付き合いを続けさせて頂くということは途轍もなく難しく、長期的には脳や果ては人生そのものに何らかの不愉快な影響を与えるであろう確率が非常に高いことを私は実体験を通じて知っております。(よって手を出さないことを真剣にお勧めします)

 ただ人類とドラッグとの付き合いは大変に長く、西ではエジプト新王国時代、既にナイル沿岸で芥子(ヘロインの原材料)が栽培されていたことが確認されていますし、東でも後漢時代既に中原にて麻黄(覚醒剤の原材料)が栽培されていたといいます。

 ですので、只“止めろ”っと言って止められるものでもなく、“近寄るな”っと言って皆を安全領域に隔離できるものでもない。まあ難しいことは言わず馬鹿野郎の馬鹿体験記っということで笑って読み飛ばして頂こう。(善良なる皆様はくれぐれも真似をしないように)

********

 時はバブルエコノミー崩壊後の1990年代初頭から中葉に掛けて、場所は日本国沖縄の南西諸島の一角に存在するとある島にて。

 私はその頃、シャングリラやヴァルハラを求めて世界各国をフラフラしてきた割には、己の生まれ故郷日本国の中に存在する“楽園”まではいかなくても、それに準ずると言われる幾つかの地への探求を怠っていたのではないかとの反省の下、東京小笠原諸島、沖縄南西諸島の中の幾つかの島へと足を運んでいた。

 そしてある年の1月頭から4月の中頃まで、約3ヵ月半とある島の精糖工場で働くこととなった。その島の自然環境はウルトラに抜群であり、島全体の約80%が人を寄せ付けぬ原生林で覆われており、海の美しさはといえば正に驚天動地のレベルで、私はその地にて生まれて初めて自然界に存在する(ブラウン管の中ではなくて)マリンブルーと形容される色をその目にすることとなった。

 そしてその凄まじいばかりの美しい自然は、(私に取っての)もうひとつの素敵な贈り物をその中に宿すものであった。

 非常に過酷な精糖工場での労働の日々ではあったが、私はその合間を縫い島内に点在する牧場へと足を運んでいた。特に雨の降った翌日若しくはその翌々日には少々無理をしてでも牧場散策に向かったものである。

 何故あろう??

 モーモーさんは草を食む。そして食んだ後には落し物をする。その落し物の中には、一定の割合である種の菌類の胞子が含まれている。そしてその胞子を含んだ落し物に適切な量の水分を与えると(詰まり雨が降ると)、それら胞子は勢い良く菌糸を伸ばし、落し物の外へと顔を出す。詰まりモーモーさんの落し物から茸が生えてくるのである。

 色々な種の茸君たちが顔を出すがどれでも良いという訳ではない。ある種の(全長3~5cmくらいで全体に白色で三角の小振りの頭がついたやつ)茸が幻覚誘発性物質サイロシビンというものを含んでおり、私のお目当ては勿論このサイロシビン茸君なのである。

 モーモーさんたちをびっくりさせないように、また牧場主のオッサンたちに見付かって怒鳴られないように、細心の注意を払いこっそりと牧場に侵入し、注意深くモーモーさんたちの落し物を見て回ると所々でお目に掛かれるのです、サイロシビン茸君たちに。

 素早く5~10本程摘み取ると速やかに牧場を離れ向かうのです、人気(ひとけ)のない遮蔽物の多い海岸に。(幻覚世界に入ると声を上げたりその場に倒れこんで一歩も動けなくなったりするので、人がひとりも近寄ってこず、人目に付きにくく且つ直射日光を避けられる美しい砂浜のようなところでヒットすることが理想的なのである) 

 都合の良いことに、この島では人は誰もこないがココヤシが生い茂る、気絶するほど美しい砂浜というものを比較的容易に見付けることができるのです。

 グルメなジャンキーの間では味噌汁にしたりオムレツにしたりというのが一般的なのですが、面倒臭がり屋の私は、それら茸君たちを塩水(海水)でよく洗うと口に入れ細かく噛み砕き(少しでも消化吸収を早める為に)、用意してきたペットボトルの水で一気に胃の中へ流し込むのである。

 摂取後40~60分程で幻覚世界がやってきて動けなくなるので、其れまでに理想の状況へセッティングするのである。

 先ず己が倒れこんでいる位置から素晴らしく美しい自然を一望できること。(人によって異なるのかもしれないが茸は夜食べるものではない、真昼間に超美しい自然のど真ん中でゆったりと食すものである・・・と私は信じる)

 直射日光を避けるため、岩の影が掛かっているところで倒れるか、ビーチパラソルを持参することが勧められる。

 音楽が必要である。現在はデータ圧縮技術が非常に進歩しているのでスティック一本持参すればいいのであろうが、その当時はCDウォークマンが出かけの頃であった。が、まだ高価であったので私は普通のカセットテープのウォークマンとイヤーフォンそしてお気に入りのテープを何本かを持っていったものである。

 あとは大きめのバスタオルと大量の飲料水・・・くらいかな。

 セッティングを終え砂浜に腰を下ろしゆったりと海を見る。

 どれくらいの時(40~60分くらい)が経ったであろうか、目の辺りがジーンとしてきて頭も全体的にボーとしてくる。波の音、鳥の囀り、亜熱帯植物が風に揺れる音。

 これらが妙な具合に聞こえてくる、音が近づいてきて耳の中で音が発生しているように聞こえてきたかと思ったら、凄く遠くから微かに聞こえる汽笛のように聞こえたり、そして音の変化速度は加速し、間も無くちょうど耳の直ぐ外側を360度ぐるりと演奏中のオーケストラの一団に囲まれ色々な音が混ざり合い、どの音がどの方角から聞こえているのか判別不能といったような状態になってくる。

 音に変化が表れ始めると同時に視覚にも変化が表れる。

 限りなく広がる青く美しい海とその上に覆いかぶさる(所々に雲をいただく)底抜けに青い大空、そして亜熱帯の強烈な太陽。水平線より30度程上の空を注視しているのであるが、段々とその空の青さが滲んでくる。

 クリアーに見えていた白い雲と青い空の境界部分の識別が困難になってくる。お互いの色が滲んできて混ざり合ってくるのである。水平線付近の空の青と海の青も滲んで混ざり合い始め境界の判別が不可能となってくる。やがて空の青(海の青よりは薄い青)が妙な具合にウニョウニョと溶けてきて海の青の中へと混ざりこんでいく(溶け込んでいく)。

 バスタオルの上に横たわり、静かに目を閉じイヤーフォンを装着しミュージックオンにする。

 頭の中で大爆発が起こる。この爆発は何と形容してよいのやら・・・

 前回紹介した良質の“クサ(大麻草)”を極めたときの映像の大洪水と似ているような気もするが、もっとリアルに見え、遥かにずっしりと重く感じられるような気がする。そのときはトランスかハウステクノか何かその系統のものを聴いていたのだが、目を閉じたとき網膜に素晴らしくリアルにカラーでヴィヴィッドに映る映像が、スターウォーズのエピソード‡UでアUでアナーキン・スカイウォーカーが惑星コルサントで乗っていた(反重力エンジン搭載)スピーダーなのである。

 勿論私が島にいた当時(1990年代前半)、エピソード‡UなんUなんか未だ影も形もなかったのではあるが、要はあれに似たようなかんじの空中に浮揚するスピーダーに乗って北米のコロラド州かネバダ州に似たかんじの岩のゴツゴツと露出した地質で大気の色が赤茶けた(丁度米国の火星探査機(ローバー)スピリットやオポチュニティーが撮影し送ってきた火星の空のような色)未知の惑星を可也の高速で激走しているのである。

 そして聴いている曲のアップダウンや盛り上がりに寸分の狂いなくリアルタイムで同調して網膜に映るスピーダーも、都市部に突っ込み超近代的な高層ビル群の合間を行き交う他のスピーダーとの衝突を避けるため右へ左へホウィールが切られたかと思うと、次の瞬間には所々に灌木の生い茂るステップ気候の乾燥台地を疾走しているといった具合に目まぐるしく切り替わっていくのである。

 目を開けると網膜に映っていたスペースオペラは掻き消え、ドロドロと半溶け状態の大空が先ほどと変わりなく己の上に覆い被さっているのを仰ぎ見ることとなる。

                                             つづく・・・
エピソード3  キノコの誘惑(後編)

 時間的にどれくらい経過しただろうか。

 恐らく80~90分くらいは経っている筈である。体が殆ど動かない。指先さえも殆ど動かない。

 う~~~という低くか細い唸り声を辛うじて発することが出来るくらいで、“あ~~俺このまま死んでしまうのかなあ~~“って感じたことが何度もあった。でも同時に、”ん~~でもこんなに楽しく気持ちよく死ねるんだったらそれはそれでいいかな~~“なんて真剣に考えてしまっていることを後から思い出すと笑ってしまう。

 いや、本当に毒キノコを大量に摂取して死ぬというのは案外苦痛少なく楽しく死ねる理想的自殺方の内のひとつではないのかな~~と思ったりもします・・・(笑&冗談)

 茸一本に含まれるサイロシビン(幻覚誘発物質)の量は季節や降雨量によって可也異なり、また茸摂取時、胃の中に他の未消化物がどれくらい存在するか(空腹時つまり胃の中が空の時、茸(サイロシビン)の消化吸収効率が最も良く効果が早く表れるのは言うまでもない)によっても変化が認められるので一概には言えないが、良い季節(10~11月がお勧め)のものを4~7本摂取すると、摂取後40~60分で効果が表れ始め、80~140分くらいが効きのピークで、後はなだらかに(効果が)減少していき、240~300分で意識は殆ど正常に戻り普通に歩いて宿へ戻ることが可能となる。

 さて話を元に戻そう。目を閉じればスペースオペラ、目を開ければドロドロ大空の状態でふと横を向く。亜熱帯の灌木やココヤシの一群、そして木々の間から僅かに垣間見える砂糖キビ畑から遥かに連なる亜熱帯の原生林、何ということであろう、これらがキラキラと輝いて見えるではないか。

 基本的には海や空同様滲んでおり、輪郭や模様の詳細等はハッキリしないのではあるが、夜空に輝く星のように、また底抜けに青い大空の下美しい砂浜で輝いて見える星の砂のように、視界に入るそれら亜熱帯の風景全体に星の粒が撒き散らされているかのようにキラキラと瞬いて輝いて見えるのである。

 ウワァ~~~キレ~~~イ・・・、相変わらず体は動かないが、思わずこの言葉が口をついて出てくる。

 うわぁ~~~生まれてきて良かったぁ~~、とも呟いている。

 体全体を覆う、浮いているような沈んでいくような何ともいえない心地良い気だるさ(動かないが)、サウンドと共に頭の中で爆発するリアルな映像、美しい亜熱帯の緑が視界の中で星を抱き輝いている。この良さといったら無い。どうあろう。

 初めての性体験のときの良さに比べても遥かに数倍~十数倍は上をいっているであろう。余りの良さに涙がでてくることもある。亜熱帯の燦々と輝く太陽の下、働き盛りの若者が(働きもせず)美しい砂浜でうつ伏せにぶっ倒れ何事かブツブツと呟きながら涙しているのである。

 ん~~~シュールレアリスムでいって下さい。

 絶頂の時間帯を過ぎると(160~180分くらいすると)、体の運動機能は可也回復してくる。視界は相変わらずキラキラ輝いているが、空や海のドロドロは可也パワーダウンしてくる。イヤーフォンで音楽聴きっぱなしなのでそろそろ耳も痛くなってくる。

 200分も経過すると、静かに水平線の方に目をやり波の音を聴きながら考え事をするのが常である。この考え事というのがまた曲者で、こういう極まった(“茸”やまた“クサ”などが)状態で考え事をしていると、時折何か途轍もないものを垣間見たような気がする、途轍もない人生の究極の真理に気付いたような気がするのである。

 あっ人生ってこうだったのか~~・・・ってな調子で悟りを開いたような心境になることもあるのだが、完全にしらふに戻って(2~3日して)からよく考えると、“何じゃそりゃ“って感じの当たり前の事実、または実現不可能な全く愚かな発案であったりと、がっかりさせられること受け合いの“時間の無駄”の考え事であるのだが、極まっているときはそうは考えられず、何か神様のような全知全能の究極の存在の意思が手に届く範囲にまで下ってきており、何とかその片鱗だけでも掴みたいと必死で“思考の投げ縄”を神様の意思のフィールドに向かって投げているような・・・そのように感じられるのもサイロシビン系茸のひとつの特徴である。

 この手の学域の話は専門外であるが、このようなサイロシビン茸、メスカリンさぼてん等の幻覚誘発性植物は、古今東西(主に亜熱帯及び熱帯の)主に未開民族が年に一~数度執り行う儀式や祭り等にも使用されていた。(勿論現在でも一部地域では使用されている)

 主に夜おこなわれる特別な儀式なんかの中で、巫女にあたる役目を受け持つ者がそれらを食し、激しいリズムの民族打楽器の鳴り響く中、トランス状態で踊り狂いながら何事か叫び捲くる。部族の長にあたる者や儀式の長を司る者がその意味不明の叫びの中から何らかの意味ある部分を読み取り(見付け出し)、それをもって神からのお告げ(神からの啓示)とする。

 何やら話が逸れてしまった。こういう民俗学的なお話は他に譲るとして話を元に戻すと、砂浜で波を見ながらそういった考え事なんかをしているうちに段々と日が傾いてくる。(13:00スタート18:00終了の300分コースが私の好む基本パターンであった)

 このサイロシビン茸の抜けかけの気だるさの中(まだ視覚聴覚への影響も20%くらいは残っている)、美しい広大な砂浜に蹲り、たった一人で見る徐々に暮れゆく太陽がこれがまた何ともいえず神秘的というか、何か魂に訴えかけてくるものである。

 我等が太陽お日様は地球から1億4600万キロメートル離れたところにあり、その95%以上が水素からなっており、あとヘリウムそして若干のアルゴン、ネオン等の希ガスが含まれている。G型スペクトルの主系列星であり安定した水素の核融合があと凡そ50億年近く続くと考えられている。(我々の属す)銀河の中に最も一般に見られる極ありふれた普通の恒星である・・・

 って言ってしまえば味気もクソも無いのではあるが、サイロシビンの影響下で、暮れなずむ亜熱帯のお日様をたった一人で見ていると、何かこの星の全ての生けとし生けるものは正にこのお日様のお陰で存在していられるんだなあ~~~本当お日様には感謝しないといけないんだなあ~~~なんて柄にもなくしみじみ感じちゃったりするのである。

 そこで私は思い至りました。人類文明の黎明期、洋の東西を問わず太陽を神として崇める太陽信仰太陽崇拝なんていうのが原始宗教の最もよく見られる一形態として存在しておりましたが、それも当然なんだなあ~~~って・・・

 というのは私のような元々豊かな感受性というものを持ち合わせず、(鈍感で)芸術に疎く非繊細でずぼらな人間は、しらふの状態ではなかなか真理というようなものには考え至ることもできず、サイロシビン(茸の有効成分)やテトラ・ハイドロ・カンナビノール(クサの有効成分)の力を借り、感性のレベルを数十倍に高めることによって初めて“太陽の素晴らしさ”というような真理のひとつを感じ取ることができるようになるのである。

 ところが(現代文明に侵されていない)人類文明黎明期の先人たちは、それがナイル流域であろうがユカタン半島のジャングルの中であろうが、その鋭い感性をもって“太陽の素晴らしさ”“太陽の母性”を感得し、それを崇め奉ったのではないであろうか。

 いや若しかしたらもう既に茸食って踊ってたのかも・・・

 度々話が逸れて申し訳御座いません。

 とまあこんな具合に300分も経ち18:00くらいになると意識も90~95%正常に戻り、よたよたと歩いて宿まで戻ることが出来るようになるのである。

 兎に角、この南海の夢の島での3ヶ月に渡る茸体験は(サイロシビン茸自体はそれまでにもネパール国ポカラ市やタイ国パンガン島で経験があったが)、私のドラッグ人生の中でも極めて良い思い出の内のひとつであり、ドラッグから足を洗った今となっては格別の郷愁のようなものを誘う“センチメンタル・ジャーニィー”(松本伊代)なのである。(古過ぎた・・・)

 さて良いことばかりではなく不快な側面にも若干触れておきましょう。

 モーモーさんの落し物から誕生してくる茸君ですから、火を通さないとA型肝炎感染の危険を伴います。(オムライスか味噌汁にしましょう)

 余り頻繁にやり過ぎると脳に何らかの機能障害がでるかもしれません。

 私が食べていた頃は、サイロシビンやそれを含む茸を取り締まる法律は日本国には存在しませんでしたが、残念ながら2002年6月より、日本国でもこれらを厳しく取り締まる法律が施行されましたので、今やるとタイーホされます。

 また南海の夢の島も日本国領海内に存在しますので、恐らく今では状況が一変しているのではないでしょうか。(アボーンしますた)

 一昔前、東京なんかで茸栽培セットが広く出回っておりましたが、何度も言うように幻覚系はごみごみした汚い都会でやってもバッドに入るだけで良くないのではないでしょうか。(シャーマニズムの儀式としてサイロシビンが用いられているバリ島は大自然に恵まれています)

 そして矢張り“君子危うきに近寄らず”・・・これに尽きるでしょう。

 ではまた次回まで・・・皆様御機嫌よう・・・

                                        つづく...

GINA注1 風魔小次郎氏が指摘されているように、サイロシビンは2002年6月より、麻薬取締法の指定薬物となりましたから、マジックマッシュルームを含めてサイロシビンの摂取は現在では重罪となります。

GINA注2 バリ島やメキシコなど一部の地域では、サイロシビンはシャーマニズムの儀式として使用されており、サイロシビンを“悪いもの”と言えば他文化を卑下することになりかねませんが、だからといって、外国人が摂取してもいいという理由にはなりません。小次郎さんの“君子危うきに近寄らず”という言葉は非常に大切です。

ページトップへ