GINAと共に
第241回(2026年7月) HIV感染に伴う認知症(HAND)を予防する方法
2016年の「GINAと共に」「HIVに伴う認知症をどうやって予防するか」で紹介したように、HIV感染に伴う疾患で最もやっかいなものがHAND(HIV-associated neurocognitive disorders=HIV関連神経認知障害)と呼ばれる認知症です。なにしろ、抗HIV薬をきちんと服用して免疫状態を安定させていても認知症発症のリスクは防げないというのですから、それだけを聞くと絶望的になる患者さんもいます。
急速に開発が進んだすぐれた抗HIV薬のおかげで、現在は1日1錠を内服していればエイズを発症することはありませんし、さらに最近ではforgivenessといって、「少々飲み忘れてもOK」という薬もあります。注射薬も徐々に普及し始めていて、現在は2か月に一度注射をしていればウイルスをコントロールできます。数年以内には4か月に一度でOKの注射も登場し、さらにその数年後には半年に一度注射していればOKという注射薬が登場する見込みもでてきました。
これまでは、毎日同じ時間に飲まねばならず、しかも飲み忘れが重なればウイルスが増殖し、しかもその薬には耐性がつき使えなくなることもありましたから、それを考えれば現在の抗HIV薬は夢のような薬に思えます。
ではHIV陽性者(PLWH)は何に注意すべきか、というと、よく指摘されるのが動脈硬化、もうひとつはがんです。すぐれた抗HIV薬のおかげで、せっかくエイズを発症するリスクがなくなっても、動脈硬化が進行し、脳梗塞や心筋梗塞で命を落とす、あるいは寝たきりになる人が少なくありません。また、HIV陽性者はがんに罹患しやすいのも事実で、大腸がん、肝臓がん、胃がん、子宮頚がんなどの進行で命を縮める人もいます。
けれども、動脈硬化やがんは予防することができます。動脈硬化を予防するには、禁煙、適正体重の維持、運動、血圧コントロール、高脂血症や糖尿病の予防・治療などが必要になり、これらは地道な努力が求められますからそれなりに大変ではありますが、予防は可能です。がんの場合は、定期的な検診、ワクチン、体重コントロールや運動・食事療法などで予防することができます。
このように、現在はHIVに感染してもすぐれた抗HIV薬のおかげでエイズを発症することはなくなり、動脈硬化とがんの予防や治療をおこなえばHIVはそう恐れる必要がなさそうに思えてきます。しかしながら、冒頭で取り上げたHANDと呼ばれる認知症のリスクは残ります。
2016年のコラムで述べたように、2010年に米国で実施された「CHARTER」と呼ばれる大規模研究ではHANDの罹患者はHIV陽性者の47%にものぼります。日本人を対象とした「J-HAND研究」と呼ばれる研究でも、HAND有病率は25%とされています。また、HANDのリスクとしてHIV感染期間が長いことは理解しやすいわけですが、早期発見できて早い段階で抗HIV薬を開始したとしても、HANDは完全に防ぐことができるわけではありません。「早期発見+抗HIV薬内服でウイルスをコントロール」ができたとしてもリスクがあるというのですから、それだけを聞くとHANDは防ぎようがないように思えてきます。
では、私が院長を務める谷口医院ではHIV陽性者にどのように助言しているのかというと、「HANDの予防法が分からないなら認知症そのものの予防をするしかない」と伝えています。これを示したエビデンスはありませんが、そうはいっても他に取るべき手段はなく、一般的な認知症のリスク低減につとめるしかないのです。
ところが最近、HANDのリスク因子がようやくわかってきました。医学誌「AIDS」に2026年7月7日「HIVが良好にコントロールされた状態で、加齢する人々において、血管系リスクが10年間にわたる認知機能低下を促進する(Vascular risk drives cognitive decline over 10 years in people aging with well-controlled HIV)」という論文が公開されました。タイトルから分かるように、おおまかにいえば、心血管系リスクを低く抑えることができれば認知症(HAND)のリスク低下につながるというのが結論です。
研究の対象者は認知症のない35歳以上のHIV陽性者で、調査期間は2013年から2024年です。最初の3年間の追跡期間中には認知機能低下が認められませんでしたが、最大10年間の経過では47%に低下が認められました。やはり47%。くしくも、上述した2010年の米国の調査と同じ数値で、10年間経過すれば2人に1人は認知機能が低下するというのですから、やはりHANDはHIV感染におけるもっとも厄介な問題だといえるでしょう。
では、どのような因子が認知機能低下のリスクとなるのかをみてみましょう。最も強力な因子は論文のタイトルが示しているように「心血管系リスク」で、論文では具体的に「高いフラミンガム・リスク・スコア」と「末梢動脈疾患」とされています。結局のところ、先述したように従来から指摘されている動脈硬化のリスク因子を取り除いていけば、心血管系疾患のみならず認知症のリスク低下にもつながるというわけです。
その他の予測因子としては、「高齢」、「低学歴」、「学習支援の必要性」、「大麻使用」、「不安」、「意欲の低下」、「血液中のウイルス量」が挙げられます。
興味深いことに、「感染期間」と「CD4陽性細胞の最低値」は認知機能低下と関係がありませんでした。これらが認知症のリスクにならないという結果は朗報と呼べるでしょう。以前に指摘されていた「長い間ウイルスが潜んでいることがHANDのリスクではないか」という説が否定されることになります。「CD4の最低値」は、たいていは治療開始直前ですから、感染発覚が少々遅れても認知症のリスクは上昇しない、ということになります。
上述したように、私自身はHIV陽性の患者さんに対し、「HANDのリスク因子ははっきりと分からないが認知症そのもののリスク因子を取り除いていきましょう」と案内しています。では「認知症そのもののリスク因子」とは何か。自分ではどうしようもないものは「年齢」(年を取るほどリスクが増える)、「性別」(女性は男性よりリスクが高い)、「遺伝」(ApoE遺伝子をε4で所有していればリスク上昇)です。しかし、2024年7月31日に医学誌「THE LANCET」に発表された画期的な論文「認知症の予防、介入、ケア:ランセット常設委員会2024年報告書(Dementia prevention, intervention, and care: 2024 report of the Lancet standing Commission)」によると、これら「自分ではどうしようもないリスク」は55%に過ぎず、残りの45%は「努力」で抑えることができます。
この45%を大きいとみるか小さいとみるか、私にはとても大きな数字に感じられます。そもそも「年齢」「性別」「遺伝」はどうしようもありませんから、例えば年を取ることで嘆いたり、女性に生まれたことを悔やんだりしても仕方がありません。それよりも45%の内容に目を向けるべきです。では、その45%のなかで最も大きい因子は何か。1つは「中年期の難聴」もうひとつは「中年期のLDLコレステロール」で共に7%を占めます。次いで、「高齢期の社会的孤独」と「若年期の低教育」が5%、「中年期のうつ病」「中年期の脳の外傷」「高齢期の大気汚染」が3%、「中年期の糖尿病」「中年期の高血圧」「中年期の運動不足」「中年期の喫煙」「高齢期の視力障害」が2%と続きます。ここでいう中年期とは40~60代くらいを指します。
先に述べたように、現在はすぐれた抗HIV薬のおかげで、HIV陽性者がエイズを発症することはほぼありません。では診察室では何をしているのかというと、単に抗HIV薬を処方しているわけではなく、40代以上の中年期から高齢期の患者さんに対しては、動脈硬化の予防(=心血管系疾患の予防)の話をして、必要な検査(採血、超音波検査、レントゲン、心電図など)をしているのです。
私がHIVに関わりだした2002年のタイでは、抗HIV薬が使えずに、HIV感染は「死の宣告」を意味していました。それを考えると隔世の感があります。
急速に開発が進んだすぐれた抗HIV薬のおかげで、現在は1日1錠を内服していればエイズを発症することはありませんし、さらに最近ではforgivenessといって、「少々飲み忘れてもOK」という薬もあります。注射薬も徐々に普及し始めていて、現在は2か月に一度注射をしていればウイルスをコントロールできます。数年以内には4か月に一度でOKの注射も登場し、さらにその数年後には半年に一度注射していればOKという注射薬が登場する見込みもでてきました。
これまでは、毎日同じ時間に飲まねばならず、しかも飲み忘れが重なればウイルスが増殖し、しかもその薬には耐性がつき使えなくなることもありましたから、それを考えれば現在の抗HIV薬は夢のような薬に思えます。
ではHIV陽性者(PLWH)は何に注意すべきか、というと、よく指摘されるのが動脈硬化、もうひとつはがんです。すぐれた抗HIV薬のおかげで、せっかくエイズを発症するリスクがなくなっても、動脈硬化が進行し、脳梗塞や心筋梗塞で命を落とす、あるいは寝たきりになる人が少なくありません。また、HIV陽性者はがんに罹患しやすいのも事実で、大腸がん、肝臓がん、胃がん、子宮頚がんなどの進行で命を縮める人もいます。
けれども、動脈硬化やがんは予防することができます。動脈硬化を予防するには、禁煙、適正体重の維持、運動、血圧コントロール、高脂血症や糖尿病の予防・治療などが必要になり、これらは地道な努力が求められますからそれなりに大変ではありますが、予防は可能です。がんの場合は、定期的な検診、ワクチン、体重コントロールや運動・食事療法などで予防することができます。
このように、現在はHIVに感染してもすぐれた抗HIV薬のおかげでエイズを発症することはなくなり、動脈硬化とがんの予防や治療をおこなえばHIVはそう恐れる必要がなさそうに思えてきます。しかしながら、冒頭で取り上げたHANDと呼ばれる認知症のリスクは残ります。
2016年のコラムで述べたように、2010年に米国で実施された「CHARTER」と呼ばれる大規模研究ではHANDの罹患者はHIV陽性者の47%にものぼります。日本人を対象とした「J-HAND研究」と呼ばれる研究でも、HAND有病率は25%とされています。また、HANDのリスクとしてHIV感染期間が長いことは理解しやすいわけですが、早期発見できて早い段階で抗HIV薬を開始したとしても、HANDは完全に防ぐことができるわけではありません。「早期発見+抗HIV薬内服でウイルスをコントロール」ができたとしてもリスクがあるというのですから、それだけを聞くとHANDは防ぎようがないように思えてきます。
では、私が院長を務める谷口医院ではHIV陽性者にどのように助言しているのかというと、「HANDの予防法が分からないなら認知症そのものの予防をするしかない」と伝えています。これを示したエビデンスはありませんが、そうはいっても他に取るべき手段はなく、一般的な認知症のリスク低減につとめるしかないのです。
ところが最近、HANDのリスク因子がようやくわかってきました。医学誌「AIDS」に2026年7月7日「HIVが良好にコントロールされた状態で、加齢する人々において、血管系リスクが10年間にわたる認知機能低下を促進する(Vascular risk drives cognitive decline over 10 years in people aging with well-controlled HIV)」という論文が公開されました。タイトルから分かるように、おおまかにいえば、心血管系リスクを低く抑えることができれば認知症(HAND)のリスク低下につながるというのが結論です。
研究の対象者は認知症のない35歳以上のHIV陽性者で、調査期間は2013年から2024年です。最初の3年間の追跡期間中には認知機能低下が認められませんでしたが、最大10年間の経過では47%に低下が認められました。やはり47%。くしくも、上述した2010年の米国の調査と同じ数値で、10年間経過すれば2人に1人は認知機能が低下するというのですから、やはりHANDはHIV感染におけるもっとも厄介な問題だといえるでしょう。
では、どのような因子が認知機能低下のリスクとなるのかをみてみましょう。最も強力な因子は論文のタイトルが示しているように「心血管系リスク」で、論文では具体的に「高いフラミンガム・リスク・スコア」と「末梢動脈疾患」とされています。結局のところ、先述したように従来から指摘されている動脈硬化のリスク因子を取り除いていけば、心血管系疾患のみならず認知症のリスク低下にもつながるというわけです。
その他の予測因子としては、「高齢」、「低学歴」、「学習支援の必要性」、「大麻使用」、「不安」、「意欲の低下」、「血液中のウイルス量」が挙げられます。
興味深いことに、「感染期間」と「CD4陽性細胞の最低値」は認知機能低下と関係がありませんでした。これらが認知症のリスクにならないという結果は朗報と呼べるでしょう。以前に指摘されていた「長い間ウイルスが潜んでいることがHANDのリスクではないか」という説が否定されることになります。「CD4の最低値」は、たいていは治療開始直前ですから、感染発覚が少々遅れても認知症のリスクは上昇しない、ということになります。
上述したように、私自身はHIV陽性の患者さんに対し、「HANDのリスク因子ははっきりと分からないが認知症そのもののリスク因子を取り除いていきましょう」と案内しています。では「認知症そのもののリスク因子」とは何か。自分ではどうしようもないものは「年齢」(年を取るほどリスクが増える)、「性別」(女性は男性よりリスクが高い)、「遺伝」(ApoE遺伝子をε4で所有していればリスク上昇)です。しかし、2024年7月31日に医学誌「THE LANCET」に発表された画期的な論文「認知症の予防、介入、ケア:ランセット常設委員会2024年報告書(Dementia prevention, intervention, and care: 2024 report of the Lancet standing Commission)」によると、これら「自分ではどうしようもないリスク」は55%に過ぎず、残りの45%は「努力」で抑えることができます。
この45%を大きいとみるか小さいとみるか、私にはとても大きな数字に感じられます。そもそも「年齢」「性別」「遺伝」はどうしようもありませんから、例えば年を取ることで嘆いたり、女性に生まれたことを悔やんだりしても仕方がありません。それよりも45%の内容に目を向けるべきです。では、その45%のなかで最も大きい因子は何か。1つは「中年期の難聴」もうひとつは「中年期のLDLコレステロール」で共に7%を占めます。次いで、「高齢期の社会的孤独」と「若年期の低教育」が5%、「中年期のうつ病」「中年期の脳の外傷」「高齢期の大気汚染」が3%、「中年期の糖尿病」「中年期の高血圧」「中年期の運動不足」「中年期の喫煙」「高齢期の視力障害」が2%と続きます。ここでいう中年期とは40~60代くらいを指します。
先に述べたように、現在はすぐれた抗HIV薬のおかげで、HIV陽性者がエイズを発症することはほぼありません。では診察室では何をしているのかというと、単に抗HIV薬を処方しているわけではなく、40代以上の中年期から高齢期の患者さんに対しては、動脈硬化の予防(=心血管系疾患の予防)の話をして、必要な検査(採血、超音波検査、レントゲン、心電図など)をしているのです。
私がHIVに関わりだした2002年のタイでは、抗HIV薬が使えずに、HIV感染は「死の宣告」を意味していました。それを考えると隔世の感があります。











