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第183回(2021年9月) 「クラトム」の大流行がやってくる!

 クラトムという物質をご存知でしょうか。物質というよりはタイの伝統的な「葉」です。つまり、タイでクラトムと言えば「クラトムの葉」のことを指します。クラトムとは、一言でいえば麻薬に似た成分と覚醒剤に似た成分の双方が含まれている物質で、クラトムの葉はタイを含むアジアで伝統的に、例えば肉体労働の後など、鎮痛目的、疲労回復目的で何世紀にもわたり使われてきたものです。

 依存性や中毒性については科学的な文献が見当たらないのでよく分かりませんが、社会的には「違法薬物」の扱いでした。実際、販売(もしくは使用)すると罪になり収監されました。「でした」「ました」と過去形なのは、最近法律が変更されクラトムが合法化されたからです。

 2021年8月24日、タイでクラトムが正式に合法化されました。今回は、このクラトムについて今後どのように使用されるのかを検討したいと思います。しかし、その前に過去数年間の世界の動きを振り返っておきましょう。

 クラトムは国立研究開発法人の「医薬基盤・健康・栄養研究所」にも情報が掲載されています。トップページの検索欄に「クラトム」と入力すれば記事が表示されます。

 2017年11月15日には「米国FDAがクラトムの使用に関する声明を公表」というタイトルの記事が公開されています。米国の中毒事故管理センターに寄せられるクラトム使用に関する事例は2010年から2015年までに10倍となり、年数百件にのぼっているそうです。FDAはこれまでにクラトム含有製品と関連する死亡事例の報告を36件受け取っているとのことです。FDAはクラトムの治療目的での利用を承認していません。

 2021年5月21日、「米国FDAがkratom (クラトム) を含む製品の押収を公表」というタイトルで、FDAがクラトムを含む207,000点以上のサプリメント及びその原料を押収したことを発表しました。

 要するに、米国ではクラトムは現在も販売及び使用が禁止されている違法薬物に分類されているのです。医薬基盤・健康・栄養研究所は、クラトムにより痙攣や肝障害が生じることを指摘しています。厚労省はクラトムをいわゆる「指定薬物」に分類しています

 では、日米では共に違法で、厳しく取り締まられるクラトムがなぜタイでは合法化されたのでしょうか。実は、その理由ははっきりしません。少なくとも「これまではあるとされていた依存性が実はなかった」とか「医薬品としてすぐれた効果があることが実証された」とかそういった医学的なエビデンスが見つかったわけではありません。

 おそらく、タイで大麻が合法化されたその"流れ"ではないかと私は考えています。過去のコラム「これからの「大麻」の話をしよう~その4~」で述べたように、タイは2019年2月18日に医療用大麻が合法化され、これはアジアで一番乗りです。

 Bangkok Postを読む限り、クラトムの合法化は医療用のみで完全に誰もが何の制約もなく使用できるわけではなさそうですが、記事によればクラトム関連の犯罪で収監されている12,000人以上に恩赦が与えられます。

 クラトムについて、私は過去にイサーン(東北地方)に行ったときに現地のタイ人に尋ねたことがあります。私の仕入れていた知識では「クラトムはタイ全域どこででも栽培されている」というものだったのですが、この質問をした男性は「このあたりにはない。南部の農民が嗜むものだ」と言っていました。まあ、「違法薬物を育てていますか」というような失礼なことを聞いたわけで、本当のことを話してくれたかどうかは分かりません。しかし、タイではクラトムが伝統的に使用されていることは間違いなさそうでした。

 他方、タイに長期滞在しているドラッグ好きの日本人に聞いてみるとクラトムの経験者はほとんどいませんでした。大麻や、通称「ヤーバー」と呼ばれる覚醒剤が数百円で手に入るわけですからクラトムには需要がなくディーラーが扱っていなかったのかもしれません。

 先述のBangkok Postの記事によれば、クラトムの葉は現在1枚1~1.5バーツ(3~5円程度)程度で入手できます。この葉を直接噛んで嗜むようです。ちょうど東アフリカのカートと似たような感じかもしれません(尚、私自身は双方とも試したことがありません)。記事によれば、疲労回復の他、胃痛、咳、糖尿病にも効果があるそうです。

 日米では厳しく取り締まられる一方、タイでは1枚5円以下で入手できるクラトム。Bangkok Post以外の英文の記事も複数読んでみましたが、どうもクラトムが医療用として行政や医療機関で厳しく管理されているわけではなさそうです。私のこれまでのタイ滞在やタイ人との付き合いの経験から言って、まず間違いなく医療用・嗜好用の区別なく誰もが簡単に入手できます。おそらく外国人でも入手可能でしょう。新型コロナウイルスの流行が終わり、再び以前のように誰もが簡単に入国できるようになれば、ビールを買うくらいの感覚で入手可能となるでしょう(ただし、「コロナ前の世界に戻れるか」は別の話です)

 日本ではクラトムがこれからも厳しく取り締まられるのは間違いないでしょうが、米国では変化が出てきています。科学誌「Scientific American」は2021年8月12日(ちなみに、この日はシリキット王太后の誕生日です。この日を狙ってこの記事が公開されたのかどうかは不明)、「FDAはクラトムの禁止を支持すべきではない (The FDA Shouldn't Support a Ban on Kratom)」というタイトルの記事を公開しました。

 興味深いことに、この記事によれば、クラトムは「健康補助食品(原文はhealth supplements)」の名のもとに米国で合法的に販売できるとのことです。これは上述したFDAの見解と異なります。Scientific Americanの記事でははっきりと合法的に(legally)と書かれていて、一方ではFDAは違法とし実際に摘発しているわけですから、いわゆる「グレーゾーン」の扱いとなっているのでしょう。

 Scientific Americanの記事はクラトムの安全性を強調するためにCDCの研究を引き合いに出しています。CDCが実施した2016年から2017年の間に報告されたクラトムの過剰摂取約27,000例のうち死亡者は全体の1%未満で、しかも死亡した152人の約3分の2は、フェンタニル(強力な麻薬)やその類似物質も摂取していました。さらに、クラトムのみが検出された7例も、他の物質を摂取していた可能性が否定できないそうです。

 これらから、処方薬のオピオイド(モルヒネなどの合法麻薬)に比べ、クラトムにより死亡する可能性は千分の1以下だそうです。尚、これは私の私見ですが、タイで伝統的に嗜まれているような方法、つまり「葉を噛む」という摂取方式で過剰摂取になることはまずあり得ません。

 記事では、バイデン大統領がハームリダクション(harm reduction)の政策を取り入れるべきだという意見にも触れられています。ハームリダクションとは「よくないもの」をいきなりすべて禁止するわけではなく、「よくない程度が低いもの」に切り替えていく治療のことを言います。麻薬依存症のメサドン療法がその代表です。私が院長を務める太融寺町谷口医院で実施している治療でいえば、ベンゾジアゼピン依存症に対しての「セルシンへの置き換え療法」が相当します。ニコチン依存症のニコチン貼付薬もハームリダクションと言えるでしょう。

 クラトムが麻薬や他の違法薬物のハームリダクションとなるかどうかは今後の研究を待たねばなりません。ですが、(薬物依存があるかどうかに関係なく)何らかの疾患に悩まされている場合は(タイ渡航が可能ならすぐにでも)試してみてもいいかもしれません。ただし、個人的には大麻のときに述べたように若い人には勧めません。難治性神経疾患やがん(あるいはHIV)を患った人たちが症状緩和の目的に、つまり大麻の場合と同じように希望者に協力していくことを考えています。