GINAと共に

第104回 それでも危険地域に行かねばならない理由 2015年2月号

  2015年1月、「イスラム国」と呼ばれるテロ組織に捉えられた日本人二人が殺害され、専門家から一般のネットユーザまでが様々な意見を述べているようです。

 二人の日本人のうち、先に拘束された湯川氏に対しては同情的な意見はあまり聞こえてきませんが、ジャーナリストの後藤健二氏が殺害されたときには、氏を悼む声が日本中から上がりました。

 私自身は後藤氏とは面識がありませんが、報道を聞いて「悼みたい」という気持ちが出てきましたし、全国から氏の行動を讃える声が大勢寄せられているという報道を聞いて安心した気持ちになりました。

 今回の事件、つまりテロ集団に日本人2名が捉えられたことが報道されたとき、私は2004年にイラクで拘束された日本人女性との対比がなされるに違いないと思っていました。その女性、ここからはT氏としましょう、そのT氏が日本全国から激しいバッシングにあったことは多くの人の記憶に残っているはずです。しかし、今回なぜかほとんどのマスコミはT氏のことを取り上げていません。

 当時、T氏は政府からもマスコミからも一般人からも強烈なバッシングをあびました。退避勧告が出ていたにもかかわらず"勝手に"イラクにおしかけて"勝手に"捉えられて、税金を使って救出することなど許されない、という世論が大半だったのです。

 このときに「自己責任」という言葉が何度も登場しました。私はこの点に異論があるのですが、このT氏の事件がややこしいのは、T氏の家族が記者会見で自衛隊派遣反対とか憲法9条を守るべきといった、T氏の拘束に何ら関係のないことを主張したことや、T氏自身が10代の男の子限定で支援をしていたことなどが(この真偽は分りません)報道されたからです。

 しかし、これらの要因を切り離して改めて考え直してみても、「自己責任」という大義名分で凄まじいバッシングがあったのは事実です。T氏の話を元につくられた映画が2006年に公開された小林政広監督の『バッシング』です。映画ではT氏をモデルとした主人公の女性の父親が世間のバッシングに耐えきれずに自殺にまで追い込まれます。

「自己責任」と言えるかどうかの根拠を「退避勧告」が出ていたかどうかとする、という考えがあります。T氏の場合は退避勧告を無視してイラクに入ったわけですが、では、退避勧告が出ていなかったとしたら、あるいは退避勧告が出ていたことを知らなかったとしたら世間はどのような見方をするのでしょう。

 これをテーマにしたのが水谷豊さん主演の2008年の映画『相棒・劇場版』です。ある日本人の青年が退避勧告を無視してボランティア活動のために危険地域に入りテロ集団に殺害され、それがきっかけで、後に複数の殺人事件が起こるというストーリーですが、実は退避勧告はそのときには出ていなかったことがラストシーンで判明します。この映画では、まさに「退避勧告の有無」がストーリーの鍵になっています。

 けれども、退避勧告の有無というのは、そんなにも絶対的なものでしょうか。この映画は大変完成度が高く私は二度も観たくらいです。この映画が名作という感想に変わりはないのですが、しかし退避勧告をあたかも金科玉条のようにしている構成には少し違和感を覚えます。

 私が言いたいのは、「退避勧告を無視して危険地域に入る日本人がいてもいいではないか」、ということです。後藤氏は政府から危険地域に入らないよう再三勧告を受けていたのにもかかわらず湯川氏を救済することを主目的として現地入りしたことが報道されました。

 ということは、日本人の多くは、退避勧告を無視して危険地域に入った同国の国民を批判したいわけではない、ということになります。

 しかし、です。世の中にはそう思わない人もいるようです。例えば、タレントのD夫人は自身のブログで、「(後藤氏の母親が)自分の息子が日本や、ヨルダン、関係諸国に大・大・大・大迷惑をかけていることを・・・」と表現し、「いっそ(後藤氏に)自決してほしいと言いたい。」と述べています。

 D夫人は身体的にも金銭的にも立派に自立なさった方で国に迷惑をかけるようなことはされないのでしょうが、では、すべての日本国民は国に迷惑をかけてはいけないのでしょうか。かけてはいけないのだとしても、それは「大・大・大・大迷惑」と言われなければならないものなのでしょうか。もっと言えば、湯川氏というひとりの同胞を救いに行くことなど考えもせず、現地で困窮している難民のことを直接知ろうとしないD夫人に「大・大・大・大迷惑」などと言う資格はあるのでしょうか。

 ある雑誌に一般の読者からの意見が載せられていました。その読者(40代男性)は「(前略)二人は自業自得なのではと思ってしまいます。(中略)この件で日本がテロの対象になるのかと思うと納得いきません」と述べています。

 この意見を聞いて寂しい気分になるのは私だけでしょうか。報道によると、後藤氏は湯川氏の救出以外にも、現地で虐げられている女性や子どもを含む難民を報道したいと考えていたそうです。この40代男性がどのような生活をされているのかは分りませんし、様々な苦労を抱えて生きられているのだとは思いますが、日本に住み、雑誌に自分の意見を投稿するくらいですから、その日に帰ることのできる住居があり、その日に食べるものはあるに違いありません。

 後藤氏のようなインディペンデントのジャーナリストという職業は世の中に必要であると私は考えています。日本の新聞はどこも同じような内容で本当に正しいことを報道しているのか疑いたくなることがありますし、日本人に直接関係ないことはほとんど伝えません。

 しかし、現在中東ではイスラム国というテロ組織により(「イスラム国」と日本の新聞は命名していますが、これは「国」ではなく「テロ組織」です)、その日の住居も食べ物も確保できない難民が多数存在していると言われています。こういった人たちの状態を我々に知らせてくれるのが後藤氏のようなジャーナリストであり、一般のマスコミにはここまでの報道はできません。

 私自身は難民について昔から詳しいわけではなく、GINAの関連でタイに渡航したときに、貧困から薬物の売買や売春をせざるを得ない人たちと出会うことになり(少数民族に多いですが、タイの東北部にもこのような人たちは少なくありません)、国籍を持たない人やミャンマーからタイに渡ってきた難民と知り合ったことで、ほんの少しだけ実情が理解できるようになりました。

 その実情は、日本の新聞を読んでいるだけでは分らないことばかりです。一般の新聞記者などが入らない地域、つまり自身の安全が脅かされるかもしれない危険な地域の状態を伝えるジャーナリストも必要なのです。そして、そのような危険な状態で困窮にあえいでいる人たちの存在を知ることによって、平和な日本に住んでいる我々が何をすべきかを考えることができるわけです。

 今、私が気がかりなのは、亡くなられた二人を悼む声が一時的なもので忘れ去られてしまうのではないかということと、政治家や知識人で二人の行動を支持するようなコメントを発している人が(私の知る限り)それほど多くないことです。

 個人的に私は、元JICA理事長の緒方貞子氏が何らかのコメントを発してくれるのではないかと期待しているのですが、今のところ報道はされていません。ちなみに後藤氏の奥さんは元JICA職員で、緒方貞子氏の部下として働かれていたことがあったそうです。

 最後に、緒方貞子氏が先に述べたイラク拘束事件の後に話されたコメントを紹介しておきます。

「私も責任者として本当に危険な地域に人を出すことはできない。しかし、多様な人々が存在して、はじめて良い社会となる。危険地域に行かない人もいて当然だし、行く人もいてよい。どんな状況下でも国には救出義務がある。人質になった人々を村八分のように扱って非難した日本人の反応は、国際社会の評価をかなり落としたと思う」(2004年5月25日毎日新聞)


参考:GINAと共に
第43回(2010年1月)「危険地域にボランティアに行くということ」