GINAと共に

第43回 危険地域にボランティアに行くということ(2010年1月)

 もう6年ほどたちますが、2004年4月、当時イラクへの渡航自粛勧告とイラクからの退避勧告が出ていたのにも関わらず、日本人3人が武装グループに拉致され人質となった事件がありました。

 この事件は、自衛隊派遣の是非、ボランティアとは何か、自己責任という問題、行き過ぎた報道、など多くの社会問題を引き起こしました。

 特に拉致された3人のうちの1人、自称ボランティアの北海道出身の30代女性は、家族がマスコミに登場し自衛隊の撤退要求を強く訴えたこと、この家族が共産党を支援していたこと、ボランティアの内容が10代の男の子限定の物資の提供との噂があったこと、などから特に批判が強く、自宅に苦情の手紙やFAX、電話などが大量に寄せられたと報道されています。

 また、世論だけでなく、この頃のメディアのほとんどは拉致された彼女らに対して批判的で「自己責任」という言葉が何度もメディアを駆け巡りました。一方、本来異国の地で生命の危険に脅かされている自国民を助けるべき立場の政府までもが、「頭を冷やしてよく考えろ」(福田康夫官房長官、当時)、「自己責任で解決を図るのは当然。救出にかかった費用は堂々と本人に請求すべきだ」(田村公平副幹事長、当時)、などの発言をおこなっています。

 この事件は、時間が立つにつれて次第に忘れられているように思いますが、ボランティアをおこなう人間にとっては大変大きな問題でありますのでこの場で取り上げてみたいと思います。

 まず、2004年のこの事件はいくつかの議論すべき点がごちゃ混ぜになっているので、それらを整理することから始めてみたいと思います。

 1つは、拉致された30代女性(以下Tさんとします)が、共産党を支持しており自衛隊の海外派遣に反対の立場だったこと、10代の男の子限定の物資をつくっていたと噂されていたこと、現地でおこなっていたボランティアの内容がはっきりしないことなどがあって、こういった点は危険地域に出向くことの是非とは分けて考えなければいけません。

 もちろん、共産党を支持するのは個人の自由ですし、ボランティアの内容については一方的なマスコミの報道だけでは分かりませんから、私個人としてはTさんをこの点で非難する気にはなれません。このような、拉致とは関係のない点が非難の対象となってしまえば事の本質が見えなくなってしまいます。

 2つめは、「退避勧告」がでていたかどうか、あるいはそれを知っていたかどうか、という点です。Tさんを含む拉致された3人は退避勧告を無視したと報道されています。そして、この点が「自己責任」という言葉につながっていったのだと思われます。

 おそらく日本政府から退避勧告が出ていなければ、Tさんらに対する世間からのバッシングはこれほど強くなかったのではないでしょうか。

 水谷豊さん主演の映画『相棒・劇場版』では、この点がストーリーの焦点になっています。この映画では、南米の紛争地域にボランティアに行っていた日本人の青年が武装グループに殺害されたことで、家族に対し世間からのバッシングがおこり、これが後の事件につながります。そして、当初は「武装グループに殺害された青年は退避勧告を無視して・・・」とされていたのですが、実はそうではなかったことがラストシーンで判明します。

 では、退避勧告を知っていたとして、それでもその地域にボランティアに出向くことの是非はどのように考えればいいのでしょう。

 もしも武装グループに拉致されれば、人質を解放するのにかなりの費用が費やされます。そしてこのお金は税金によって賄われることになります。「我々の血税をそんな無責任なヤツらに使うのは許せない・・・」という意見が出てくることは間違いないでしょうが、果たして自己責任という言葉のもとに、まるで犯罪者のような扱いを受けることには問題がないのでしょうか。

 2004年当時、日本の世論、マスコミ、政治家のほとんどが否定的な態度を示していたなかで、JICA理事長の緒方貞子さんは次のように述べています。

 「私も責任者として本当に危険な地域に人を出すことはできない。しかし、多様な人々が存在して、はじめて良い社会となる。危険地域に行かない人もいて当然だし、行く人もいてよい。どんな状況下でも国には救出義務がある。人質になった人々を村八分のように扱って非難した日本人の反応は、国際社会の評価をかなり落としたと思う」(2004年5月25日毎日新聞)

 2005年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映された小林政広氏監督の『バッシング』は、2004年のイラク日本人人質事件を題材にしており、主人公の女性はTさんがモデルであると言われています。映画では、主人公の女性は世間からバッシングを受け仕事をクビになり、父親までもがリストラにあいそして自殺をします。継母からは「あの人を返して!」と叩かれるシーンもあります。

 しかし、危険地域にボランティアに出向き、拉致され政府のお金を使って救出されたということが、これほどの非難に相当するのでしょうか。紛争で多くの命の犠牲が払われていることには無関心で、危険を顧みずにボランティアに出向いた同じ国の国民に対し、匿名で誹謗中傷の電話やFAXを送りつける方がよほど罪なのではないかと私には感じられます。

 私自身は退避勧告が出ている地域に出向いたことはありませんが、以前「戒厳令」がでているタイ南部に取材に行ったことがあります。このときは現地の公衆衛生学者と共に、売春施設を訪問し、セックスワーカーの健康状態の調査、コンドームの配布などを手伝いました。(今回のコラムの趣旨から外れますから詳しくは述べませんが、この地域にはHIV陽性のセックスワーカーが大勢います)

 では、私自身が退避勧告の出ている地域にボランティアに行きたくなったときにどうするべきか。例えば、現在GINAが支援している北タイの一部で紛争が起こることは可能性としてはあり得ます。山岳民族とミャンマーの軍事政権は今も緊張状態にあります。そしてGINAは山岳民族出身の子供たちも一部支援しています。もしも武力紛争が起こりタイの領土まで進行すればこれまでは問題なく訪問できていた地域で退避勧告が出されるかもしれません。また、先に述べた南タイの地域に出向く必要が生じ退避勧告が発令されたとすれば、私はどうすべきなのでしょうか。

 現在の自分の状況を考えたとき、気軽に「退避勧告には関係なくボランティアに行く」とは決して言えませんし、また言うべきでもないでしょう。しかしながら、私にとって、というか人間にとって本質的な「貢献」や「奉仕」というのは「退避勧告」とは何ら関係がないはずです。

 「自己責任」という言葉のもとに、「貢献」や「奉仕」が忘れ去れることがあってはならない・・・。これだけは真実だと思います。

参考:
映画『相棒・劇場版』和泉聖治監督2008年
映画『バッシング』小林政広監督2006年
宮崎学『法と掟と』角川文庫