2014年11月26日 水曜日

第101回 HIV陽性者による連続強姦事件に対する意見のズレ 2014年11月号

  2014年11月14日、女性5人を強姦したHIV陽性の49歳の日本人男性に対し、横浜地裁は懲役23年の実刑判決を言い渡しました。

 この判決をめぐってネット上では様々な意見が飛び交っています。判決が軽すぎる、とする意見が全体的には多いようですが、HIV陽性者を擁護する一部の社会活動家などからは、重すぎるのではないか、という意見も出ているようです。

 今回はこういった意見のズレはなぜ生じるのかについて述べていきたいのですが、まずは事件を振り返ってみましょう。

 2012年の7月から11月にかけて、自らがHIVに感染していることを知っていた40代後半の無職の男性が合計5人の女性を強姦しました。5件の事件について詳しくは報道されていませんが、一部のマスコミによりますと、5件のうち1件は、当時21歳の女性の自宅に侵入し強姦し1週間の怪我を負わせた事件だそうです。

 検察の求刑が懲役30年なのに対し判決は懲役23年で、2014年11月15日の朝日新聞(オンライン版)によりますと、「犯人がHIVに感染していたことを知り、被害者らがどれほどの恐怖と不安を感じたか。HIV感染で自暴自棄になり、鬱憤(うっぷん)晴らしとともに性欲を満たそうと犯行に及んだことは、動機にくむべきものはない」と裁判官が指摘したそうです。

 さて、「客観的にみて」この判決が重いか軽いかですが、まずは客観性を考える上での前提をはっきりさせなければなりません。法律というのは時代や地域によって異なるものであり、例えば、ある地域では合法である慣習が別の地域に行けば違法となることもあります。

 極端な例をあげると、例えばアフリカのマサイ族では敬意を払う挨拶として相手に唾(ツバ)をかけるという慣習があります。これはマサイ族の文化では尊い行為となりますが、他国では侮辱罪に問われることになるでしょう。もっと分かりやすい例を挙げれば、日本では重婚は禁止されていますが、一夫多妻制や一妻多夫制が合法な文化もあります。

 つまり「客観的にみて」判決が妥当かどうかというのは、その地域や文化に規定されるわけで、日本を含めた近代国家の場合は、客観的な基準はその国の「法律」ということになります。すなわち法律が個人の主観と合わなかったとしても、外国から不可解と思われたとしても、日本の法律が存在する以上はその法律がすべてなわけです。(少し補足しておくと、法律以外にも、陪審員制度をひいている国では陪審員の心証も入るでしょう。現在の日本にも裁判員制度というものがありますが、今回の事件では裁判員は関与していません)

 さて、自身のHIV感染を知りながら合計5人の女性を強姦した判決が懲役23年というのが妥当かどうかについてですが、この事件がややこしく誤解を招きやすいのは「HIV感染を知っていて」ということにどれだけ重きが置かれているのかが曖昧になっているからです。

 これを考えるのに、いったんHIV感染を離れてみましょう。つまり、HIV陰性の男が合計5人の女性を強姦して怪我を負わせた事件があったとして懲役23年が妥当かどうか、を考えてみるのです。私は法律に詳しいわけではありませんし、それほど多くの法律家に確認したわけではありませんが、一般的に連続強姦事件というのは罪が重く、懲役23年という実刑判決はHIV感染がなかったとしてもあり得るものだそうです。

 ここで、「HIV感染を隠して」性交渉をもちHIVを感染させた、ということを考えてみましょう。海外では、このような事件がときおり報道されます。最も有名なひとつとして、2010年8月に判決が言い渡されたドイツの女性タレント、ナジャ・ベナイサの事件(以降「ナジャ・ベナイサ事件」とします)があります。これはドイツの国民的歌手である彼女が交際相手に自分がHIV陽性であることを隠して性交渉をもち感染させた事件で、2年の禁固刑が下されましたが2年の執行猶予がつきました。

 この事件と横浜連続強姦事件の違いを確認しておきましょう。ナジャ・ベナイサ事件では実際にHIVを感染させたのだから有罪になって当然という意見もあるかもしれません。ただし、感染させたのはきちんとした交際相手です。

 では、「HIV感染を隠して」性交渉をもち、相手に感染させなかった場合はどう考えるべきでしょうか。日本の新聞はいちいちとりあげませんが、海外のローカルニュースをみていると、ときどきこのような事件が報道されています。例えばオーストラリアでは2007年にHIV陽性であることを隠して7人と関係をもった男性が逮捕されています。オーストラリアでは、HIV感染を隠して性交渉をもつと(感染させなくても)1件につき7年の禁固刑を求刑されるそうです。(最近の情報はわかりませんので現在は多少変わっているかもしれません)

 また、2013年に米国ミズーリ州でHIV陽性であることを隠し300人以上と関係をもった男性が逮捕され、保釈金は25万ドルと設定されました。同州では、HIV感染を知っていてそれを告げずに性交渉を持てば15年以下の禁固刑、感染させれば終身刑になるそうです。

 横浜連続強姦事件、ナジャ・ベナイサ事件、オーストラリアやミズーリ州の事件、これらの違いはどこにあるでしょうか。横浜の事件は「強姦」に対して裁かれているのに対し、海外の事件はすべて「HIV感染を隠して」という点が争点になっています。(ナジャ・ベナイサ事件は実際に感染させていますが強姦ではありません)

 では、日本で「HIV感染を隠して」例えば自分の交際相手と性交渉を持った場合はどうなるでしょう。私はこれまでこの点について何人もの法律家に尋ねてみましたがが、「感染させると傷害罪になるかもしれない」というコメントはもらいましたが、「感染させなかった場合も罪になる」という答えはいまだに聞いたことがありません。要するに、日本では「HIVを隠して」性交渉をもったときに適用できる法律がないのです。

 先に述べたように、日本で罪を裁くのは日本の既存の法律がすべてです。「HIV感染を知っていて」性交渉をもったときに適用できるはっきりとした法律がない以上は、HIV陰性者が強姦をおこなったときの罪の重さと変わりはないということになります。(「HIV感染を知っていて」性交渉をもったことに対してどうしても罪を与えたいなら「傷害未遂」は適用できるかもしれませんが、報道にはそのような言葉はありませんでした)

 しかしややこしいのは、先に述べた朝日新聞の報道に、裁判官のコメントとして「犯人がHIVに感染していたことを知り、被害者らがどれほどの恐怖と不安を感じたか」という言葉があることです。この報道を素直に読めば、HIV感染があるから罪が重くなった、と捉えたくなります。これは私の見解ですが、裁判長のこのコメントは、容疑者にしっかり反省しなさいという教訓としてのメッセージに過ぎず、判決の重さとHIV感染の有無に直接の関係はないと思います。

 この「犯人がHIVに感染していたことを知り、被害者らがどれほどの恐怖と不安を感じたか」というコメントはHIVを擁護する人権派の人たちの怒りを招くことになっています。つまり、「この表現はHIVに対する差別ではないか。差別から罪が重くされたのではないか」と彼(女)らは感じているのです。人権派の彼(女)らは、「じゃあHBV(B型肝炎ウイルス)感染を隠して性交渉を持っても、同じように"どれほどの恐怖と不安を"という言葉を使うのですね」と言いたくなるのです。そして、この点については私も同意見です。

 横浜連続強姦事件の被害者である女性たちが大変な恐怖や不安を感じたのは間違いありません。これからPTSDに悩まされることになるかもしれません。5人で23年ということは、ひとりの事件に対しては4.6年となるわけで、こんなに辛い思いをさせた犯人がわずか5年以下なんておかしい、という気持ちになるのではないでしょうか。

 今この国がすべきなのは、「HIV感染を知っていて(相手に知らせずに)」おこなう性行為がどれほどの罪に値するのかを検討することです。世間の無理解と偏見のせいでHIV感染を言いだしにくいのだからウイルス量が一定以下なら罪を問うべきでない、という意見があってもいいと思いますし、その逆に、(オーストラリアやミズーリ州のように)一律に懲役何年の実刑にすべき、という意見が出てきてもいいとは思います。さらに、ではHBVならどうなのか、HCV(C型肝炎ウイルス)ならどうか、ということも検討すべきです。

 一番いいのは、国民全員がHIVについて正しい知識をもち、HIV陽性者が堂々とカムアウトできる社会をつくることです。しかし、現在の日本ではそれは到底無理ですから感染者は感染を隠して生きていかなければなりません。日常生活で他人に感染させることはありませんから今の社会では他人に感染していることを伝える必要はありません。

 ただし性交渉になると話は変わってきます。他人に感染させる可能性があると知りながら性交渉を持つのは罪か否か、罪ならどの程度の重さが妥当なのか・・・。まずは各自が考え、近い将来、社会として何らかの取り決めをおこなう、つまり法律にすることが必要です。


参考:
GINAと共に第88回(2013年10月号)「HIVを故意にうつす人たち」
GINAと共に第44回(2010年2月)「エイズ患者によるレイプ事件」
GINAと共に第51回(2010年9月)「HIV感染を隠した性交渉はどれだけの罪に問われるべきか」
GINAニュース2007年3月23日「オーストラリアのゲイが乱交パーティを主催し・・・」
GINAニュース2008年2月7日「2人の少女にHIVを感染させた男が有罪に」

投稿者 医療法人太融寺町谷口医院