GINAと共に

第71回 オバマの同性婚支持とオランドのPACS (2012年5月)

 2012年5月9日、米国オバマ米大統領は、米放送局ABCのテレビ番組のインタビューで、I think same-sex couples should be able to get married.(私は同性のカップルが結婚できるようになるべきだと考えている)と発言しました。するとその直後からオバマ大統領の再選を支持する団体に寄附金が大量に寄せられ、報道によりますと、90分で100万ドル(約8,000万円)が集まったそうです。

 このニュースをどう読むか、ですが、素直に読めば、オバマ大統領は同性婚を支持しており、大勢の同性婚が認められることを望む人が同大統領に共感している、となるでしょう。同性婚が認められることを望む人たち、というのは同性愛者の人たちはもちろんですが、多様性を認める社会が望ましいと考えている異性愛者の人たちも含まれます。

 私個人としては、同性婚に賛成?反対?、と問われれば「賛成」と答えますが、今回のオバマ大統領の発言にはどうもすっきりしないところがあります。穿った見方をすれば、本当にオバマは同性婚を支持しているのか?、と疑問に思えてくるのです。

 なぜなら、アメリカのすべての州で同性婚が認められるようになる、などということをオバマ大統領が本気で考えているとは私には到底思えないからです。最近の世論調査では同性婚に賛成の者が増えていますが、おそらく州ごとにきちんとした調査をおこなえば反対意見の方が多くなるはずです。

 私はアメリカ人の知人がそれほど多いわけではありませんが、アメリカ人というのはかなり保守的な考えを持っているように感じています。私はこれを批判しているわけではありません。協会の活動や家族を大切にするところなどは善き保守の考えです。神を信じ、進化論を否定し、中絶を認めない、というところまでくると、さすがに首をかしげたくなりますが、保守のすべてが悪いと言っているわけではありません。

 保守的な考えには共感できることもあればできないこともあります。保守を自認する人のすべてが・・・、というわけではもちろんありませんが、アメリカで人種差別が完全になくなっていないのは自明です。そして同性婚についても、どれだけの人が心から認めているのか、疑問に感じずにはいられません。カリフォルニアは世界で最も人種差別の少ないところ、ということを世界中を旅している人たちから過去に何度か聞いたことがあります。ヨーロッパの多くの国では、長期間滞在していると、日本人が蔑視されている、と感じることがあるのに対して、カリフォルニアではそういったことがほとんどない、と聞きます。

 しかし、そのカリフォルニアでさえも、同性婚はいまだにきちんとしたかたちでは認められておらず裁判所の判決が二転三転しているのです。ニューヨーク州やワシントンD.C.などいくつかの州では確かに合法化されていますが、州によってはカリフォルニアのように、いったん認められた後にそれが覆される、ということが起こっているのが現実なわけです。

 このような現実を踏まえたときに、同性婚は認められなければならない、などと大統領が発言することが賢明だとは私にはどうしても思えないのです。予定通りに(あるいは予定以上に)集まった大量の寄附金が目的だったのではないか・・・、という疑問が私には払拭できないのです。周知のようにアメリカの大統領選挙ではお金がないと勝負になりません。同性婚支持という大変インパクトのある言葉を公表することで世間の注目を引き寄せ寄附を集めたのではないか、と思えてくるのです。

 もしも、オバマ大統領が本当に同性愛者の立場にたって、彼(女)らの権利を守りたい、と考えるならもっと現実的な「別の方法」を提案すべきです。

 その「別の方法」を自ら実践しているのが、2012年5月6日、フランスの大統領に就任したオランドです。オランドは同性愛者ではなくパートナーは女性です。しかし結婚ではなく「PACS」というかたちでパートナーシップを結んでいます。

 PACS(パックス)とは、Le pacte civil de solidariteの略で、無理やり日本語にすると「連帯市民協約」となります。PACSは、成人どうしであれば性別に関係なく結ぶことができるパートナーシップで、結婚したときと同じように税控除や社会保障などの権利が与えられます。二人で契約書のような書類を作成し、それを当局に提出すれば協約完了となります。相手は同性でも異性でもかまいませんが、相手が結婚している場合は結べません。すでに相手が他の誰かとPACSを結んでいる場合もNGです。また、親族(いとこを含む)や後見人がいる場合も関係を結ぶことはできません。

 オランド大統領がPACSを結んでいるパートナーのバレリー・トリルベレール女史は、世界初の未婚のファーストレディとなるそうです。(ちなみに、タイのインラック女史は、ファーストレディでなく首相ですが、パートナーと子供がいますから、世界初の事実婚の首相となります)

 ここで結婚とPACSの違いを考えてみたいと思います。結婚であってもPACSであっても同じような権利が与えられるのであれば何が異なるのでしょうか。それは、結婚は「イエ」と「イエ」のものであるのに対し、PACSは「個」と「個」のものであるということです。

 イエは個人を多かれ少なかれ束縛します。個の自由を最小限におさえたイエのかたちは、戦前の日本にみることができます。結婚するまで相手の顔もみたことがないということもあったわけで、これは欧米人から大変驚かれたそうです。(現在の日本人が聞いても驚きますが・・) ただし、イエは日本にしかないわけではなく、欧米諸国にも存在します。家柄が違うという理由で結婚ができなかった悲劇が描かれているヨーロッパの芸術からもそれがわかります。

 我々現代人はイエを否定的なものとみなしがちです。個人の自由がイエに縛られるべきでない、という考えです。しかし結婚はイエとイエのものです。これに反論する人もいるかもしれませんが、親や親戚をまったく無視した結婚というものにはどこか暗さや後ろめたさが残存するものです。一方、PACSは個と個のものですからイエに縛られる煩わしさはありません。

 さて、同性愛者のパートナーシップは結婚とPACSのどちらが現実的でしょうか。言うまでもなくPACSです。私は同性婚に反対しているわけでは決してありません。しかし、現実的な観点から同性愛者の自由と権利を確保するには「同性婚を認めよう」などという発言をしたり運動をしたりするよりも、フランスがやっているようにPACSを法的なかたちで認める方がはるかに賢明です。そして、こんなことはオバマ大統領にも分かっているはずです。であるから、あくまでも「結婚(get married)」という言葉にこだわっているオバマが不思議に思えてくるのです。

 残念ながら日本では、同性婚どころか、同性愛者の権利についてすら国会で取り上げられたことはありませんし、住民投票をしようという声もあがってきません。これは、国会議員だけでなく、一般市民が、同性婚なんて考えられない、と暗黙に思っているからに他なりません。仮に住民投票がおこなわれたとしても賛成が反対を上回ることはないでしょう。個人の自由が昔に比べると随分と広がった現代でも、いまだに結婚にはイエの存在があるからです。当事者である同性愛者の人たちも、双方の親戚を集めてパーティを開きたいと考えている者はそれほど多くないでしょう。

 しかし、日本の同性愛者たちも結婚できないが故の不利益を被っているのは事実です。税控除や社会保障の点で差別的な扱いを受けており、保険の受取人になれず、手術の同意書にサインできない、ということもあるでしょう。

 また、異性愛者でも、イエの煩わしさから解放されてふたりだけで協約を結びたいと考える者も大勢いるに違いありません。実際、結婚してから「親戚づきあいがうっとうしい」「姑とそりが合わない」などと感じている若いカップルは少なくないでしょう。私はイエのすべてが悪いと考えているわけではありませんが、結婚に伴う諸問題の煩わしさを避けたいという理由で社会保障のない状態で事実婚を続けるカップルが、PACSという選択肢を選べるようにすべきだと思うのです。

 PACSという言葉はすでに世界中で広がっています。アメリカのことはアメリカ人が考えればいいと思いますが、日本でもPACSという言葉と概念が普及し、異性愛者、同性愛者とも、事実婚で権利が保障される時代の到来を歓迎すべきではないでしょうか。


参考:GINAと共に
第60回(2011年6月) 「同性愛者の社会保障」
第3回(2006年9月) 「美しき同性愛」