GINAと共に

第55回 目の前の困っている人を助ける意義(2011年1月)

 このコラムの第39回(2009年9月)「ひとりのHIV陽性者を支援するということ」で、GINAがたったひとりのHIV陽性者に小さくない寄付金の支援をおこなったということを述べました。

 この経緯を簡単に振り返っておきます。タイ国パヤオ県在住のある少数民族の40代女性(以下ヌンさん(仮名)とします)が、体調がすぐれずに病院を受診してHIV陽性であることがわかりました。ヌンさんは少数民族の生徒たちが生活している寮の寮母をして生計をたてていましたが、HIV感染のため寮母の仕事を続けることができなくなり、寮を出なければならなくなりました。彼女には小学生の息子がいて、その息子もまた少数民族の生徒としてある寮に入っています。収入が絶たれ、家を失い、子供の養育費のあてもなくなってしまったヌンさんは、以前から知り合いだったパヤオで「21世紀農場」を営む日本人の谷口巳三郎先生に相談し、巳三郎先生がGINAに寄附を依頼されたのです。

 ヌンさんが寮をでて、新しい家を建てて、生活費の他、息子の養育費と自分の医療費を捻出しなければならないわけですから、相当なお金が必要となります。

 ここで少し説明を加えておきます。まず、なぜ「新しい家」が必要なのかについてですが、身寄りのない彼女は他に行き場がありません。また、パヤオ県のこの地域は相当な田舎でアパートというものは存在しません。日本の大昔の農村地域をイメージしてもらえればいいかと思います。医療費がどうして必要なの?と思う人もいるでしょう。タイの現在の医療制度では、抗HIV薬も含めて無料で治療を受けることができるからです。しかし、無料医療の恩恵に預かれるのは「タイ人」だけです。少数民族のヌンさんはタイ国籍を持っておらず治療費はすべて自費となるのです。

 もうひとつ、なぜHIV感染がわかったくらいで寮母の仕事を辞めて、住居にしていた寮を出なければならないのか、という疑問が沸きます。これは、「HIVに対する偏見」がこの地域に根強く存在するから、と言わざるを得ません。寮母として生徒と接することで、HIVを感染させることなどあり得ないと考えていいのですが、そういった啓蒙活動を例えばGINAがこの地域で積極的にやったとしても成果が出るのはまだまだ先になります。大変残念なことではありますが、正しい知識が社会に浸透していないせいで、ヌンさんは寮を出なければならなくなったのです。

 GINAがこの女性を支援することについては慎重に議論をおこないました。なぜこの女性だけに特別高額な支援をするのか、という問いに対する明確な答えがないからです。では、翌月に同じ境遇の人から依頼を受けたとき、もう寄附金を捻出する余裕のないGINAはどうすればいいのか、という問題が残りますし、次々に同じような依頼がきたときに、結果としてヌンさんだけを支援したということになれば不公平ではないか、という意見もでてくるでしょう。

 しかし、結局GINAがヌンさんを支援することを決めたのは目の前の困っている人をどうしても放っておけなかったからです。ヌンさんはGINAが支援をしない限りは、おそらく路頭にさまようことになったでしょう。ヌンさんの一人息子も寮を追い出され・・・、となったかもしれません。

 GINAがヌンさんを支援することを決めた後は、直ちに寄附金の募集を開始しました。非常にありがたいことに多くの方が賛同くださり、早々と予定の金額を達成し、ヌンさんに無事届けることができました。

 その後のヌンさんについて簡単に紹介しておくと、場所はかなり辺鄙なところですが小さな家を建て、治療も開始して現在は元気にされているようです。ヌンさんは裁縫が得意で、ポーチやランチョンマットなどの小物をつくって生計をたてています(注1)。最近、近況について手紙をくれました(注2)。

 ところで、ここ数年で随分と支援活動や社会貢献、ボランティアなどが注目されてきているように思われます。就職先として考える企業に「どれだけ社会貢献しているか」を重視する学生も多いと聞きます。

 そして、最近のはやりというか流れとしては、「一方的な援助ではなく援助される側が自立できるような支援をすべき」というものがあるように私は感じています。もちろん、これは正しい考え方であり、いつまでも無条件の援助をしていると、支援される側の自立が促されませんし、そのうち支援される側に"甘え"が出てきます。

 もうひとつ、私が感じているのは「支援は平等に」というものです。これも当たり前の話で、例えば、寄附金を集めて学校を建てる、とか、地域に図書館をつくる、といったものは誰の目からみても健全で平等・公正な支援の仕方だと思われます。ここ数年間で大きく広がったマイクロファイナンスにしても、「誰にでも平等に小口の資金を融資しましょう」、というものでこれも平等かつ公正なものです。

 しかしながら、実際には、困っている人を目の前にしたとき、その人に感情移入してしまうのが人間というものです。その困っている人のみを優遇するとみなされることもあり、そのときに寄附金を与えたとしても自立につながらない可能性があることを承知していても、です。

 支援というのは、される側の自立を促すものでなければならず、また平等で公正なものでなければならないということは自明ではありますが、人間が他人を助けたいという本能としての欲求は、それだけで説明できるわけではないのです。

 山口組三代目組長の田岡一雄氏の娘さんであり、現在は心理カウンセラーやエッセイストして活躍されている田岡由伎さんは、作家宮崎学氏との共著『ラスト・ファミリー 激論 田岡由伎×宮崎学』のなかで、次のように述べられています。

 (前略)困った人がいた時に、「これ持っていき」、ってあげることのできるお金が欲しい。目の前の、縁のある人が助けられたらいいと思うんです。

 私は田岡由伎さんのこの言葉に真実があるように思います。支援活動も個人と団体では分けて考えるべきで、縁のある人を助けるのは個人としてすべきであり、団体としておこなうときはそのような"私情"をはさんではいけないのかもしれません。

 しかし、医師のパワーの源は目の前の苦しんでいる患者さんを何とか助けたいという理屈を超えた感情ですし、自分のクラスの生徒がいじめられているのを知ったとき学校の先生は理屈ではない感情からその生徒を救おうとするでしょう。医師も学校の先生も、ある意味では"公人"です。

 同じように、HIV陽性であることが理由で住居をなくした人を目の前にしたとき、GINAは理屈を超えた支援を考えるのです。これはGINAが大きな組織でなく、小回りの効く小さなNPOだからできることでもあります。GINAのミッション・ステイトメントには「草の根レベルで支援し・・・」とあります。

 この言葉がGINAのミッション・ステイトメントから消えることはありません。


注1:ヌンさんが作成したポーチやランチョンマットは、現在(医)太融寺町谷口医院で販売しております。

注2:この手紙については近日中にこのサイトで公開する予定です。→公開しました